<<目次へ 団通信1172号(8月1日)
鶴見 祐策 | 税務調査と個人情報の保護について | |
泉澤 章 | 光州への旅(下) | |
大久保 賢一 | イスタンブールに飛ぶ |
東京支部 鶴 見 祐 策
一 問題の所在
本年四月一日から個人情報保護法制が全面施行となった。「個人情報の保護に関する法律」(「個人情報保護法」という)と「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」(仮に「行政機関個人情報保護法」という)である。後者は、従前の「行政機関の保有する電気計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」を全面改正する形をとっている。この施行に伴い多くの個人情報を扱う金融、証券、情報、流通などの企業(個人情報取扱業者)は対応に追われたという。国や自治体の行政機関も同様であるが、税務当局は早々と保身の手をうった模様である。
東京国税局は、連続的に「情報公開通信」を職員に配布している。なかにQ&Aがある。「実地調査や反面調査ができなくなるの?質問検査権はどうなるの?個人情報保護法を理由に資料の提出を拒否されたら?」という設問には「ご心配なく!」「例外規定により税法上の質問検査権及びその他の任意調査は従来どおりの取扱いとなります」と回答している。
行政手続法のときも、税務当局は、適用除外を主張して税務行政の「聖域」を固守したものだが、この独善的な「特権」を国民のプライバシー侵害の形で容認することはできない。
二 個人情報保護法第一五条は、個人情報取扱事業者に対し、業務上取り扱う個人情報について、その利用目的をできるだけ特定しなければならないとし、第一六条は、予め本人の同意を得ないで利用目的の達成に必要な範囲を超えて取り扱ってはならないと定めている。この「利用目的による制限」の適用除外として「法令に基づく場合」や国の機関等が「法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき」が掲げられている。個人データーについては、第二三条に予め本人の同意を得ないで第三者に提供してはならないとし、それ適用除外として同文が用意されている。税務当局がいう「例外規定」とはこれを想定している。
三 問題は税務調査との関係である。税務行政では、事業に関する収入支出の多くが金融機関を介して行われている実態から市中銀行や信用金庫に対する調査をおこなうのが常態化している。銀行預金の調査については本人調査によって解明できない場合に、その限度で行うとする「補充性」を内容とする古い通達が存在するが、権力に追従する銀行の体質から空文化にひとしい現実がある。本人の諒解なく、あるいは本人を超えていきなり銀行調査に手をつける事例も少なくないと聞く。つまり税務署にとって銀行とは、最も効率的に納税者の経済活動の全貌を把握するのに適した「お得意様」なのだ。そして現に何らの制約を意識することなく、情報を入手してきた。
四 ところで個人情報取扱業者となる銀行は、本人の同意なしに預金取引の個人情報を、特定された利用目的を超えて使用することはできず、これを他に提供することはできないのが大原則である。そこで銀行等は、一斉に「個人情報保護法」への対応に動いている。手始めに銀行取引をする者に対して、あらかじめ目的外に外部提供することを認容する趣旨の文書に署名を求めている。中小零細業者や勤労市民にとっては、これを拒否すれば、預金口座も開けないし、融資も受けられないから、事実上の強制にほかならない。これで金融機関との関係でプライバシーは無にひとしい。そして税務調査に協力の道を開くのである。前記の「適用除外」が蘇生する。
五 国税局の「情報公開通信」は「例外規定により、税法上の質問検査権及びその他の任意調査は従来どおりの取扱になります」と書いている。質問検査の根拠の例示に所得税法第二三四条第一項と第二四二条第八号の罰則を引用しているが、この行使の要件とされる「客観的な必要性」「相手方(納税者側)の私的利益との衡量」「社会通念上相当な限度」「合理的な選択」という判例(最高裁昭和四八年七月一〇日第三小法廷決定)が認めた枠組みが厳格に守られるべきは当然である。しかし現実には濫用の実態が蔓延している。「法令に基づく場合」とは適法な質問検査の要件を遵守したものに限られる。個人情報保護の法制度の施行にともなって、従来にまして強調されなければならないと思う。
さらに国税局が「その他の任意調査」を付加している点も重要である。罰則を伴わない調査を想定しているとすれば、これが個別税法の質問検査とは全く異質のものであることは明らかである。これをも含めて「法令に基づく場合」とすることはできない。行政組織法などに根拠を求めることも無理である。そこで「本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき」の文言にも視野においているように思われる。しかし「支障を及ぼすおそれ」を誰が判断するのであろう。当局の一存とすれば、野放図に拡大適用されることは目に見えている。個人情報の保護は無きにひとしい。
六 一方、国税庁は銀行協会に文書を送っている。「金融機関の融資申込みにおける収入金額等の確認手続きに関する依頼について」と題する文書(平成一七年三月一七日付個人課税課長から業務部あて)である。銀行は融資申込者に確定申告書の控の提出を要求してきた。税務署では、これまで提出の便宜を図り申告書の閲覧と書き写しを認めてきたが、目的外になるので今後は認めないというわけである。代わりに納税証明書の教示を依頼している。自らの責任回避には周到だが、権限の行使には、いささかも制約を認めない特異な体質があからさまである。
七 納税者の権利を守る立場からすれば、客観的な必要を超える質問検査権の濫用には、躊躇なく立ち向かわなければならない。個人情報保護の新たな法制のもとで、その趣旨をふまえた本人調査と反面調査への適切な対処が望まれる。とりわけ銀行などに対する反面調査では、個別事案ごとに、質問検査の対象となる具体的な事項について本人の個別的な同意が必要であることを明らかにすべきであろう。
ひるがえって弁護士の場合であるが、職務上も依頼者の個人情報に接するのが必然であるといわねばならない。家事、刑事に限らず、私的な紛争でも、個人のプライバシーに深く関わる情報に触れる場合が極めて多い。弁護士には法律的にも重い守秘義務が課せられている。そうだとすると、個別事件に関しては、本人の真摯な同意がなされないがきり、税務調査を応諾することは原則として許されないのではなかろうか。そういうことにも思いを致さなければならない。
東京支部 泉 澤 章
一 民弁主催による日韓共同シンポジウムは、「東北アジア平和定着の課題と対案の模索」と題して、椅子席が二〇〇ほどある、五・一八記念文化館の中では比較的中規模の会場で開催された。今回のシンポジュウムは、訪韓する前から日韓双方でレポートを提出することになっており、日本側からは、渡辺団員、山崎団員、笹本団員、そして私と、計四本のレポートを事前に提出していた。会場では、私たちが提出したレポートに、民弁側から提出したレポート四本を加え、日韓両国語で翻訳して印刷した冊子を用意してくれていた。また、シンポジュムでは、日本語が堪能な二名の同時通訳者がつき、日本側参加者が議論に参加することについても全く支障がなかった。参加者数十名規模の割合小さなシンポジュウムにもかかわらず、ずいぶんと配慮が行き届いているという印象を受けた。
シンポジュウムは、韓国側から五名、日本側から山崎団員と私の二名が壇上に上り、それぞれレポートを報告するというかたちで発言した後、更に会場からの参加者発言と質疑応答という順序で進められた。印象的だったのは、報告者の一人が北朝鮮の核政策に対して若干の疑問を呈したとき、別の報告者が「私はその意見には異議があります」と述べたときである。北朝鮮の核政策とそれによる緊張関係をどう見るのかについては、単純に評価できないものの、それはあくまで米国による覇権主義との関係で見るべきであるという見方が、韓国の民主勢力のなかでは強いと聞いていたし、シンポジュウムでの報告の基調もそうであった。しかし、北朝鮮の核をどう評価するのかについては、報告者の間にも、若干の違いがあるように私には思えた。日韓で共同の平和運動を本格的に取り組んでゆくとき、北朝鮮の核政策をどう評価し、どう訴えかけてゆくかは、今後とも議論すべき大きな課題になるだろうと思った。
二 午後五時過ぎにシンポジウムが終わると、文化会館の一隅で、夕食を兼ねた懇親会が催された。会場にはケイタリングで韓国料理が運ばれ、それぞれ好きなものを取り皿に盛ってテーブルに着いた後、マイクスタンドの前まで行って自己紹介をした。会場には、地元光州市の弁護士や光州で活動しているNGOの方達も来ており、短時間だが楽しい一時だった。
会が終わると、また二台のバスに分乗し、今度は光州市郊外にある温泉リゾートホテルで開かれる民弁総会の会場に向かった。バスは暗闇の中、山道を二〇分ほど走った。朝からの疲れが出て皆眠りそうになったころ、温泉リゾートホテルに到着した。郊外というより山中にあるという表現がぴたったりするほど、周りは山に囲まれたホテルだったが、休日とあってか、たくさんの家族連れや若者の集団が訪れていた。
総勢一〇〇名ほどの参加者で開かれた総会は、一年の民弁の活動を会場のスクリーンにパソコンを使って映し出すことで始まった(なるほどこういうオープニングも格好いいなあ、団でもやればいいのになあと思った)。そして開会挨拶の後、来賓として吉田幹事長の挨拶とともに一人一人自己紹介をした。総会の正式な議論が始まると、日本側参加者は各自自室へと帰ったが、私と笹本団員は韓国MBC放送から別室で取材を受けた。MBCは今年、戦後六〇周年の特集番組を作っているという。笹本団員は憲法改正問題の現状について、私は日本の戦後補償裁判の現状やNHK番組改竄問題について、かなり長時間にわたってインタビューを受けた。他にも様々な日本人にインタビューをしていると聞いたが、どういう番組になるのか非常に興味が引かれた。
総会が終わるまで待とうと部屋に戻っていると、イ・キョンジュ先生がわざわざお酒とおつまみを持って部屋まできてくれた。総会が終わると懇親会をやると聞いていたのだが、それまで部屋で待っていても退屈だろうと気を遣ってくれたのだと思う。結局、民弁総会は、午前〇時直前まで続いていた。今回の総会では、政権与党の議員となった会員の会員資格が議論になったらしい。「団ではどうなるのですか?」と聞かれたので、「団は与党となったことがないので分かりません」と答えたが、こういう答で良かったのかどうか。
時計の針が午前〇時を過ぎてから、懇親会がはじまった。懇親会にはわれわれも参加したが、民弁の方々は、お酒と簡単なおつまみだけで語り合っていた。夕方からそれこそ延々と、しかも大量に飲み続ける団員(私も含めて)とはだいぶ違い、これこそ見習うべきなのかもとちらりと思ったりした。
三 翌朝は、光州市内にある光州事件犠牲者の墓参へと向かった。現在、光州事件犠牲者の墓地は、新しく立派な国立墓地に移されているが、祈念碑のある旧墓地にはいまでも民主化の過程で倒れた学生の墓があり、墓参に訪れる人たちが後を絶たないという。記念碑の前で献花し、黙祷のうえ、吉田幹事長が代表して追悼の辞を捧げた。
その後、隣接する国立墓地に向かった。光州事件再評価後の国立施設は非常に立派で、広大な敷地内には墓地だけではなく、写真の展示施設や大きな記念塔がある。また、施設内にある公園には、韓国民衆の抵抗の歴史が刻まれたレリーフが続いていた。そういえば、中国でもこういうレリーフを見たことがあると話していると、イ・キョンジュ先生が、「日本にもこういうものはありますか?」とたずねてきた。私が「多分ないでしょうね」と言うと、先生が「なぜないのでしょう」と更にたずねてきたので、私は「まあ、日本じゃ民衆の闘いがないからでしょうね」と半ば自嘲的に言った。すると、先生は真剣なまなざしで、「民衆の闘いがないところなどありませんよ」ときっぱりと言った。
そうだ。民衆の闘いがないところなどないのだ。軍事政権に抗しながら一度は歴史の闇に葬られかけた光州の人たちのように、いまは日の目を見ることはできなくとも、日々真剣に闘っている人たちが、私の周りにもかつてたくさんいたし、今もいる。私はイ先生の言葉に恥じ入りながら、「そうですよね。そのとおりですよね」と自分に言い聞かせるように相づちを打った。
国立墓地を後にすると、光州市内の名物食堂(ハンバーグのような「焼肉」が名物らしい)で食事をし、私たちを乗せたバスはソウルへの帰路についた。昨日以来のハードスケジュールからかバスの中ではずっと寝入ってしまい、気が付いたらもう四時間近くが経ち、バスはソウルのホテル近くに着いていた。ここで民弁の皆さんと別れ、今回の旅は終わった。
四 今回は二泊三日という短期旅行だったが、多くの人たちと出会い、心にのこる出来事もたくさんあって、個人的には非常に「濃い」旅となった。このような機会を作っていただいた民弁の方々、そしてイ・キョンジュ先生には、あらためてお礼を述べたい。また、今年の九月二日、三日には、ソウルで第四回アジア太平洋法律家会議(COLAP4)が開催される。ここでまた友人たちと再会し、新たな友人となる人たちとめぐり会いたいと思う。
埼玉支部 大久保 賢 一
六月二四日から二七日まで、イスタンブールで、イラク世界法廷(World Tribunal on Iraq )の最終会議が開催された。アメリカなどのイラク攻撃が侵略であり、戦争法や人道に違反するにもかかわらず、国際機関はそれを止めることができない。このままでは、国際法も正義も、「新しい帝国」の都合によって歪められてしまう。だからといって、自分たちにもそれを実効的に止める力はない。けれども何かできることはあるはずだ。単なる政治的な抵抗や学術シンポジュウムではない方法があるはずだ。ベトナム戦争のときのラッセル法廷のような方法があるじゃないか。イラクで何が起きているか、戦争推進者とそれに組み込まれた報道によって広げられている嘘を打ち破るだけの事実をくみ上げ、それを知らせよう。声を上げることのできない人たちに変わって声を上げ、世界の反戦運動を強化しよう。戦争の継続によって「新しい帝国」秩序を打ち立てようというアメリカを乗り越えて、平和と正義の世界を打ち立てるために努力しよう、というのがこの運動の趣旨である。
〇三年のロンドンを皮切りに、ムンバイ、コペンハーゲン、ブリュッセル、ニューヨーク、ストックホルム、ローマ、フランクフルト、リスボン、ジュネーブなど一九ヵ所で集会が開かれ、韓国や日本での運動も取り組まれた。日本では「イラク国際戦犯民衆法廷」運動として、イラクやアメリカなどからの証人の証言とともに、被告人とされてブッシュなどの主張を対立させるかたちで、イラク戦争の国際法と人道へ違反を明らかにしてきた。
この日本での成果も、今回のイスタンブールでの最終会議で報告された。猿田佐世・稲森幸一・田場暁生の三人の若手弁護士が、憲法九条にも触れながら発言した。日本の憲法が、アジア各国とその民衆との関係で「不戦の誓い」となっているとの猿田弁護士の発言は、外国の弁護士の興味を引いたようである。
諸外国からも、わたしたちのなじみの名前で言えば、平和学のヨハン・ガルトゥンク、国際法のリチャード・フォーク、元国連顧問のデニス・ハリディーなどが、「告発者」あるいは「良心の陪審員」として参加していた。
会議のテーマは、「国際法と国際機関の役割」、「各国政府の責任」、「メディアの説明責任」、「イラク戦争と占領」、「文化遺産・環境と世界資源」、「地球的治安環境と将来への対案」などである。先制攻撃の違法性、トルコ政府やアラブ諸国の責任、戦争と占領におけるメディアの罪悪、イラクにおける放射能汚染、文化財の破壊などについて、各国の専門家や現地からの証人が明らかにしていく。これだけの規模の集会を企画し仕切ったのは、トルコの若い弁護士集団であった。
集会は、占領軍の即時・無条件の撤兵を求めるステートメントを発表した。その後のイラクはイラク人に任せるべきであるという基本姿勢である。
ブッシュ大統領やブレア首相は、一方でイラクの民衆を殺戮し、他方で自国の民衆の死傷者を生み出している。主要メディアはイラクの民衆の実情の取材すらしていない。テロリストの無差別攻撃は許されないのと同様に、否それ以上に、いま糺されなければならないのはイラク攻撃であろう。圧倒的武力で他国の政府を転覆し、他国の民衆を殺戮することが、自国の安全と自由の名の下に遂行されているのである。何という傲慢と欺瞞であろうか。そして、憲法九条をもつわれわれも、その大量殺戮と大量破壊を抑止できていないのである。何という情けなさであろうか。
イスタンブールはアジアとヨーロッパの連結点に位置するという。確かに、路面電車からの光景も、そこに乗り合わせた人たちの風貌も、多様というほかはない。そのイスタンブールで世界各地からの市民運動が終結し、「新しい帝国」を乗り越える方途を模索しえたことは、決して小さくない意味を持っているであろう。