過去のページ―自由法曹団通信:1178号        

<<目次へ 団通信1178号(10月1日)



志田 なや子 韓国と日本について考える
― 第四回アジア太平洋法律家会議に参加して ―
井上 正実 ― 過疎地からの憲法九条についての報告 ―
女子短大での講義を終えて
板井 優 国交省、川辺川ダム強制収用裁決申請を取下
― 住民こそが主人公 ―
永尾 廣久 「但馬の地に生きる」を読んで




韓国と日本について考える

― 第四回アジア太平洋法律家会議に参加して ―

東京支部  志 田 なや子


〔はじめに〕

 九月二日から二日間にわたって行われたアジア太平洋法律家会議に参加した。韓国が軍政から民政に変わってから、ずっと訪問したいと考えていたので、今回の韓国の旅は感慨深いものがあった。平和問題については、他の方がお書きになるだろうから、私は興味関心のおもむくまま、韓国における非正規雇用の実状などについて書いてみたい。

〔韓国経済と非正規雇用の増大〕

 一日目の会議で、韓国の発言者から一九九七年の金融危機・構造調整政策とその後の実状についての報告があった。

 イ・チャングン氏から「株主価値最大化原則に反対する」として、投機的な金融投資のみならず、資本市場の開設によって多国籍企業の投資が韓国経済再生の障害になっていると話された。株式市場への投資の四割が外国資本であり、投資ファンドが長期的な投資のためではなく、短期的な収益を求めて流入しており、株主利益の最大化という英米基準にもとづいて投資が行われている。韓国経済の実状からすると、もはや低賃金労働力に依存することができず(中国の低賃金にはとても対抗できない)、付加価値の高い製品を生産する産業に移行しなければならない状況にある。外国資本が短期的な収益を求めるので、現在必要な長期的な視野にたった付加価値の高い製品を生産するための投資が行われず、労働者の賃金も切り下げられていると話された。

 二日目には、特別分科会「非正規労働共同シンポジウム」に参加した。韓国では一九九七年の金融危機後、非正規雇用が急速に増大し、すでに労働者の過半をしめている。日本は三五%程度であるから先を行っている。韓国では非正規雇用の組織化がすすんでいると聞いていたので、その経験を聞いてみたいと思い参加した。キン・ソンヒ韓国非正規労働センター所長のお話をうかがった。二〇〇四年現在、正規労働者の組織率は二四%、非正規労働者の組織率は三%である。非正規の教師、ダンプ労働者、自動車産業の派遣労働者、中小零細企業の労働者などの組織化が行われ、いくつかの企業の争議では正規・非正規労働者の共同闘争が行われたようである。ただし、正規・非正規労働者の共同がほとんどすすまないことが悩みであり、企業別労組であることが最大のネックであるようだ。日本から、東京地評・労働相談センター所長の前澤さんが日本に非正規労働者の現状について報告した。企業別労組であること、正規労働者との共同がすすまないこと、日韓の非正規労働者の組織化をめぐる悩みはほぼ共通している。韓国の非正規労働者の運動について詳しい話を聞きたかったが、時間不足で残念であった。

〔日帝という言葉〕

 第三分科会の韓国の発言者で、「日本帝国主義」という言葉を言いかけて、遠慮して止めてしまったのが印象に残った。私は、日本帝国主義という言葉をつかっても、ちっともかまわないのにと思う。ただし、日本の場合、憲法九条によって対外的な軍事行動を基本的に制限されているという点で、不完全な帝国主義といえる。だからこそ今、保守政党や財界は九条改憲をねらっているのである。

 会議終了後、韓国の独立記念館に行き日本の植民地時代の展示を見たが、日本帝国主義と言うにふさわしいものであった。植民地支配から解放・独立時代の展示は時間不足でみそびれたが、ただ一つ気になったのは、上映されていた映画の最後のシーンである。その映像は、長崎・広島の原子爆弾のキノコ雲があがって解放となっていた。言葉がわからないので、映像と音楽だけの印象であるが、残虐非道な日帝がアメリカから懲罰を受け解放されたという勧善懲悪のストーリーのように見えた。もっとも、韓国は日本のプルトニウム大量蓄積に、核武装をするのではないかという疑惑を払拭しきれないでいる。日韓のこうしたネジレをどう克服していくのか問題である。

〔まとめ〕

 衆議院選挙の結果、自民党が「郵政民営化」を争点に大勝をはたした。自民・公明両党の組織票に無党派層の支持を加えた。無党派層に支持のなかには、小泉首相の郵政公務員に対する攻撃への共感があったことは間違いない。規制緩和・新自由主義による生活不安から、安定した公務員へのねたみ、そねみの感情が生じ、これを刺激して敵意をあおる危険な手段に訴えたわけである。韓国KBS放送のニュース番組では、自民党大勝に日本の右傾化への懸念を報道していた。韓国では左右を問わず、共通した認識なのであろう。日韓の認識の断絶は大きい。

 憲法九条改憲に反対する運動とともに、規制緩和・新自由主義により憲法二五条がふみにじられている現実に立ち向かう運動を広げていく必要がある。キン・ソンヒ韓国非正規労働センター所長は、日本で労働法が改悪されると、すぐに韓国でも改悪されると話していた。私の夢は、規制緩和・新自由主義に反対し、憲法九条改悪に反対する日韓民衆の連帯が実現することである。


― 過疎地からの憲法九条についての報告 ―

女子短大での講義を終えて

四国総支部(愛媛県) 井 上 正 実

 四国は予讃線の終着駅、これから先は線路がないという愛媛県宇和島市から、地元の女子短大で憲法九条の講義を行なった経験に基づく報告をしたいと思います。

 憲法九条の改定問題ついては、日本の将来に関わる重大な問題であるという自覚の下に、「うわじま九条の会」や宇和島民主商工会婦人部、愛媛県農林組合婦人部総会などで九条問題を話し、立正佼成会宇和島教会に「憲法九条問題の話をさせて欲しい」という売り込みに出掛け、これを聞いた方のうちからも「立正佼成会八幡浜教会でも話をして欲しい」という申出もあり、政党・宗教にこだわらず出来るだけ多くの人に九条問題についての話を聞いてもらいたいと売り込み活動をしているところです。

 しかし、話を聞く人はほとんどが「六〇歳以上の中高年層以上の方」ばかりで、若い人への話が出来かねていることを何とかしなくてはいけないという思いから、地元の女子短大の理事をされている方の紹介で「短大で憲法九条問題について話をする機会を設けて欲しい」との売り込みに出掛けました。

 ところが私の売り込みの予想に反し、短大側から「憲法の授業の一環として九条問題を講義して欲しい」との申出がなされ、去る九月二二日に一八歳から二〇歳までのまばゆいばかりの保育科の生徒七四名を対象として、「改憲問題を考える」という講座の下に−「憲法を変えて戦争に行こう」という世の中にしないために−(岩波新書版)という副題で、憲法九条改定を中心とした講義を行なうことになりました。

 短大側から「アンケートを作って欲しい」との要請があり、聴講した生徒から「感想レポート」を提出してもらい、これが憲法の授業の出席と単位認定の資料とされるということになりました。

 私の方でアンケートの質問項目を作成し、講義後に受講生から「感想レポート」と題するアンケートに答えてもらった結果は次のとおりでした。

(1) 講義内容は分かりやすかったか

(1) 分かりやすかった   六〇・八%
(2) 分かりにくかった 二・七%
(3) どちらとも言えない  三六・五%

(2) 講義を聞くまでに憲法改定作業が進められていることの認識はあったか

(1) 改定の準備があることは知っていた     五九・五%
(2) 改定の準備があることは知っていなかった  四〇・五%

(3) 憲法改定自体に賛成か否か

(1) 賛 成         四・一%
(2) 反 対         五二・七%
(3) どちらとも言えない   四三・二%

(4) 憲法九条の改定に賛成か否か

(1) 賛 成  二・七%
(2) 反 対 七五・七%
(3) どちらとも言えない  二一・六%

(5) 憲法九条が改定されて自衛軍が海外に派遣されることについて賛成か否か

(1) 賛 成         五・四%
(2) 反 対       七八・四%
(3) どちらとも言えない  一六・二%

(6) 憲法九条が改定されることで日本の平和は脅かされると考えられるか

(1) 日本の平和が脅かされることになる     六二・二%
(2) 日本の平和が脅かされることにはならない   四・〇%
(3) どちらとも言えない            三三・八%

(7) 国会で憲法改定の発議がなされた場合に、国民投票で憲法改定を阻止することが出来ると思うか

(1) 国民投票で憲法改定を阻止することは可能  四三・二%
(2) 国民投票で憲法改定を阻止することは無理  一二・二%
(3) 何とも言えない              四四・六%

(8) 憲法九条の改定反対運動に参加する気持ちはあるか

(1) 反対運動に参加したい     二五・七%
(2) 反対運動には参加したくない   九・五%
(3) どちらとも考えていない    六四・八%

 最後に「講義を受けて感じたことを簡潔に述べてください」とのアンケート項目について、四二名(五六・八%)から回答があり、そのうちの幾つかの回答例を紹介します。

(1) 憲法のことは全くといっていいほど分かっていませんでしたが、九条の改定によって自分達にどういう風になってくるかということを、もっと真剣に考えるべきだと感じました。「国民を守るための憲法」という青葉を聞いて心が揺れました。もっと学ぶことがあると思い、九条については知人、先生、親などと話し合い、今の状況を認識してゆきたい。

(2) 「押し付け憲法」と言われていて、今の憲法ではダメなのかなあと思っていましたが、憲法は形式ではなくその中身だということも分かって勉強になりました。改憲には反対すべきだと思います。

(3) 憲法改定については今まであまり意識していなかったけれども、今日の話を聞いて自分たちの生活に関わる大切なことだと思いました。

(4) 日本国憲法は九条が中心となっていることが分かり、その九条が改定されるとするならば、憲法全体が変わることになるから、平和を考え、国民の人権を保障することも考えると、九条改定は反対すべきである。

(5) 憲法の話はすごく難しい話と思っていたが、今日の授業を受けて少しは理解出来た。

(6) 憲法九条を改定するということは、日本全体が変わることになると改めて感じた。

(7) 今まで平和でこれたのであるから、憲法を改定しなくても良いと思う。

(8) 戦争をして反省をして今の憲法が出来たのに、改定されるのはおかしいと思う。

(9) 私はこの話を聞くまで憲法九条がそんなに大切なものであることは知りませんでした。憲法九条が変わったら大変な世の中になるのではないでしょうか。

 短大生に対する講義で私が感じたことは、「憲法九条の改定」という一般的な話だけでは若い人の関心を引きつけることは出来にくいということでした。

 「戦争の悲惨さ」ということを具体的に訴えてゆくことが大切ではないかと思いました。私が短大生に講義したことは、広島・長崎の原爆投下、東京大空襲、沖縄本島戦などの戦争の「被害者の立場」からの話ではなく、私の妻の八二歳になる叔父さんが最近発行した「言い遺しておきたいこと」という小雑誌の内容を引用し、これが短大生に非常に印象に残ったようでした。

 叔父さんの「言い遺しておきたいこと」という柱の一つは、徴兵の結果に基づいたものとは言え、中国人を徒らに虐殺せざるを得なかった自らの体験に基づき、「戦争は絶対にしてはいけない」ということを、若い人に言い違しておきたかったものでした。叔父の自らの戦争体験というものは、(1)「新兵教育Jと称し、木柱に縛り付けられた二三名の中国人を銃剣で次々と突き殺していったこと、(2)「ゲリラ行動」と称し、中国人に変装して中国人部落を奇襲し、財物の略奪、家屋の放火、婦女暴行などを行い、「許してください」と哀願する中国人老婆の顔が忘れることが出来ないでいたこと、(3)「日本刀の試し斬り」と称し、何の罪もない中国人を切り殺していったこなどの自らの戦争体験を通じ、戦争の「加害者の立場」から『戦争は絶対にしてはいけない』ということを若い人に言い遺しておきたかったものでした。

 合併後も九万人の人口しかない法曹過疎地で事務所を開設して三〇年になりますが、私は団員として「憲法九条が変えられてゆくことの危険性」を国民に訴えてゆく責務を感じています。

 私は今回の短大生に対する憲法九条の話の経験を通じ、若い人たちにもっともっと「憲法九条のはなし」をしてゆく必要性を痛感しました。若い人たちも憲法九条の改定による日本の将来に不安を感じているのが実情です。問題は若い人に対する「はなしの機会」をどのように設定してゆくか、これを団員が創意工夫をしてゆくことが必要であると思っています。いろいろな若い人の団体に対して、臆することなく「憲法九条の売り込み」をどしどし行なっていくことが必要だと痛感しています。

 過疎地における「若い人に対する憲法九条のはなし」の私の経験を団員の皆様に報告したく、団通信に本報告の掲載をお願いした次第です。


国交省、川辺川ダム強制収用裁決申請を取下

― 住民こそが主人公 ―

熊本支部  板 井   優


 「東の八ツ場(やんば)西の川辺」とダム建設費だけでも東西の横綱となっている川辺川ダム建設計画。計画されてからでもすでに三九年になる。

 国土交通省は熊本県収用委員会に対し、去る二〇〇五年九月一五日、強制収用裁決申請を取り下げた。これは、川辺川ダム建設事業計画に伴う共同漁業権、土地収用案件についてのすべてを取り下げたものである。これによって、川辺川ダム計画は全くの白紙に戻った。大型公共事業ではわが国で歴史上初めてのことである。

 これに先立つ八月二九日に開かれた熊本県収用委員会は、同委員会会長は本年九月二二日までに取り下げなければ、九月二六日の収用委員会で却下裁決をすると審理の場で言い渡した。これは、起業者である九州地方整備局ではなく国土交通大臣の政治判断を求めたもので、今回の取下げはこれに応えたものである。

 今回の収用裁決申請取下げは、〇三年五月一六日の国営川辺川利水訴訟福岡高裁判決(農家の勝訴)に関係する。この判決が確定したことにより、特定多目的ダムである川辺川ダム計画は、治水など四つの目的のうち重要な利水(かんがい)目的が脱落した。

 しかし、ダム本体建設を強行しようとする国交通省は、国営かんがい事業を担当する農水省にダムからの離脱を拒否した。そのために、新しい利水計画がダム利水になるかダム以外の利水になるかが決まるまで、国交省は収用委員会の審理を中断させたのである。

しかしながら、熊本県収用委員会は二年三ヶ月以上も審理を中断させることは出来ないと、国交省に収用裁決申請の取下げか、却下を迫った。

 今回、国交省が収用裁決申請を取り下げたことにより、収用裁決申請の前提になっていたダム建設事業の認定は失効した。土地収用法上ダム建設事業の認定に基づいて収用裁決申請をするには期間制限(原則一年)があるが、取り下げた以上再度の申請はできないからである。

 しかしながら、国交省は無意味なはずのダム建設事業の認定申請を取り下げようとはしていない。現在、国交省は、再度変更計画を立ててでも、ダム治水、利水を立ち上げると地元のダム推進派を煽り立てている。それどころか、さらに六五〇億円も事業費を増額させる計画変更をごり押しようとしている。

 この国交省の態度は、(1)ダム計画が出来て約四〇年になろうとしているにもかかわらず流域住民の意思を無視して事業を継続しようとしていること、(2)今日国だけで七九五兆円を超え、自治体も含めると軽く一〇〇〇兆円を超える財政危機を全くよそ事と考え無責任な態度に終始していること、からして全く国民の声に背を向けている。

 今、川辺川ダム計画をめぐっては、利水については農家の九割が事業対象地域からはずして欲しいとアンケート調査で表明し、治水についてもダム以外の治水方法(堤防など)で十分であると国交省ですら住民討論集会で認めており、電源開発はダムが出来ると発電量が少なくなるという状態である。

 熊本では、大型公共事業は住民参加から住民決定の時代に入ったということで「住民こそが主人公」と最後の闘いが展開されている。


「但馬の地に生きる」を読んで

福岡支部  永 尾 廣 久

 豊岡合同法律事務所三〇周年記念誌が送られてきたので、読んでみました。

 八鹿高校事件が起きたのは私が弁護士になった一九七四年のこと。翌一九七五年八月、当時三七歳の前田貞夫弁護士が豊岡に法律事務所を開設しました。弁護士一年生の私は、残念なことに八鹿高校事件の現地に行く機会を逸してしまいましたが、同期の弁護士から、まさに生命がけの闘いであることを聞いて、いまの日本に、そんなひどい無法地帯があるのかと、信じられない思いでした。また、そのことを報道するのは赤旗新聞だけで、一般のマスコミがまったく無視していることにも本当に腹がたちました。解放同盟の野蛮な暴力にマスコミもまた屈服していたのです。ペンは暴力より強くはありませんでした。

朝来・八鹿事件

 座談会で、八鹿高校事件などについて関係者によって語られていて、当時のことが生々しく思い出されました。といっても、若手団員のなかには、なんと読むのか、どんな事件なのか分からない人も多いのではないかと恐れます・・・。

 軽い気持ちで確認糾弾会に出席した教頭などは、思いもよらない暴力的な糾弾によって次々に屈服させられていきました。完全に屈服させられたあと、その人は「あとは物を言わず、面従腹背」するのです。こうやって、学校と地域の人々の多くが解放同盟の暴力支配下に入っていったのです。

 「あのときに但馬に来た自由法曹団の弁護士はのべ三〇〇人。これは三池闘争よりも多い」「自由法曹団の力量の偉大さ、その存在に感動した。自由法曹団がなかったら、一連の裁判そのものもなかっただろうし、ここまで完璧な裁判の勝利もなかった」

 自由法曹団について、このように高く評価されています。本当にうれしいことです。そして、解放同盟が無茶苦茶をやるなかで、それに敢然とたたかった人たちは町民から高く評価され、ついに但馬地区では共産党員が町長に次々と当選するまでになったのです。すごいことです。座談会では、次のような感想が述べられています。

 「この事件を通じて、人間に対する信頼というか、人に支えられて今日の自分があるという思いが大きい。一番近い支えは家族で、次に生徒だった。その生徒の決起に励まされて住民は立ちあがる」

 「やっぱり八鹿高校の仲間がいたから闘えた。その背後には、但馬支部とか高教組がおり、共産党がいた」

 前田弁護士は、この座談会の最後に、「弁護士は基本的人権を口先でいうだけでなく、身をもって守る弁護士にならないといけないと教えられた」と語っています。本当になかなかできないことです。長年のご労苦に改めて心から敬意を表します。

「革新共同」候補として

 前田弁護士は、その後、「革新共同」候補として、四回の衆議院選挙をたたかいました。残念ながら、初戦で二万票をとったのを以後三回の選挙ではこえることができず、当選には至りませんでした。でも、「革新共同」トリオとして、愛知の田中美智子氏、福島の安田純治弁護士とあわせて、前田弁護士のデビューは新鮮でした。これも、日本共産党が衆議院に五〇議席をもっていたという、小選挙区制度になった今では考えられもしないようななかでのことです。

 前田弁護士の次のような述懐が目を引きました。

 「政治から身を引くっていうことは一種の寂寥感があるね。政治家っていうのは、ものすごいエネルギーが身体に湧いてくるもんなんだな。普段はぐったりしとっても、いったん何かがあって行かんなんという時には、身体にエネルギーが湧いて出てくるものがありますわ。そういうことがなくなって気力が抜けることが一時期あった。でも、幸い私には弁護士という本業があったから、むしろ、私の本業はこっちだと分かってすぐに立ち直ることができた」

 政治家になったことがない私にはもうひとつ実感としては分かりませんが、なんとなく推測できる話ではあります。

新しい課題への挑戦

 座談会の最後に、事務局の藤原さんが次のように語っています。

 「出来るだけ早く若い弁護士さんを迎えて、事務所を発展させてほしい」

 私もそう思います。弁護士が大量にうみ出されている今、そのチャンスは大いにあります。どんどん弁護士を地方に迎え入れたいものです。

 前田弁護士は私より一〇歳年長の六六歳。「停年は過ぎたけれど、身体がもっているあいだは、もう少し働かないといけないと思っている」ということです。いま、高齢者が元気にものを言わないと、世の中変わりません。ぜひ、若い弁護士をどんどん採用し、後進の養成に力を注いでいただきますよう念願しています。「少しロートル化した事務所に、意気のある若い血を注ぎこんでもらうことを期待」とありますので、今後ますますの発展を大いに期待しています。

 ところで、福井茂夫弁護士の次の指摘は、残念なことに、ズバリ的中していると思います。

 「労働組合の教育力・支えあいの力はとても大きなものがあったが、今はそれも大変困難になり、家庭や地域での協力関係も同様な状況にあって、一人ひとりが職場や生活のあらゆる場で切り離され、それ故か他者の存在が離され、意識できなくなり、困ったことがあっても、相談する仕方も知らないまま、深みにはまっていく事件が増えたように思う」

 三つの座談会は大変読みやすくまとまっています。本文の構成も見事なものです。これだけ内容の充実した冊子ですから、表紙もカラーにしてコート紙をつかうなど、もうひとつランクアップして良かったのでは・・・。自称編集のプロとして思ってしまったことでした。

やがて不知火合同も三〇周年

 つい先日、久留米第一法律事務所も三〇周年記念のパーティーを開きました。馬奈木昭雄弁護士が水俣病や有明海訴訟などの環境問題をはじめ、薬害・じん肺など数多くの国・大企業相手の裁判を手がけて成果をあげてきた実績をふまえ、五〇〇人近くの参加者があり、さすがに盛大でした。いま、久留米第一では馬奈木弁護士のもとで、まさしく新進気鋭の紫藤拓也・高峰真という二人の青年弁護士が大活躍しています。

 私自身も生まれ故郷の大牟田へUターンしてから、もうすぐ三〇年になります。年月のたつのは本当に早いものです。豊岡合同ほどの華々しい活動はできていませんが、それなりに筑後地域に根ざしているとは自負しています。この一〇月には、待望の新人が入って一〇ヶ月ぶりに弁護士三人体制が復活する予定です。やっぱり若手の弁護士が身近にいると、こちらまで気分が若返ります。