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今村 幸次郎 アスベスト問題への取り組み等について
(市民問題委員会からのお知らせ)
橋利 正道 追悼 菊 地 一 二 団員
神原 元 書評「ようこそ≠ニ言える日本へ
─弁護士として外国人とともに歩む─」
(岩波書店 二〇〇五 土井香苗団員 著)
川人 博 北朝鮮人権国際集会に参加して
松島 暁 ある報道 小泉首相の靖国「参拝」にあたって




アスベスト問題への取り組み等について

(市民問題委員会からのお知らせ)

担当次長  今 村 幸次郎


一 アスベスト問題の学習会を開催

 アスベスト(石綿)による健康被害が広がり、大きな社会問題となっています。

 市民問題委員会では、去る一〇月六日、全国じん肺弁連の井上聡弁護士を講師にお招きして、この問題に関する学習会を開催いたしました。

二 広がる健康被害

 アスベストは、蛇紋石などに含まれる天然鉱物であり、耐火性・耐久性・強度に優れた便利な素材として、建材、被服、ブレーキの摩擦材などに広く使用されてきました。

 他方で、アスベストの粉じんを吸い込めば、石綿肺(じん肺)、肺がん、中皮腫などを発症することは古くから知られており、一九七二年には、WHOやILOがその発がん性を指摘していました。

 欧州各国では、一九八三年から一九九〇年代はじめにかけて使用禁止が相次ぎましたが、わが国の対応は極めて不十分なものでした。

 わが国では、一九七五年にアスベストの有害性を前提に、吹き付け作業を原則禁止としましたが、濃度の低い吹き付けは認めました。日本が、毒性の強い青石綿・茶石綿の使用を禁止したのは一九九五年、白石綿は二〇〇四年一〇月の原則禁止まで使用が認められていました(全面禁止は二〇〇七年)。

 政府が抜本的な対策をとらなかったために、アスベストを使用していた工場等の労働者のみならず、周辺住民や建設現場で働く人たちや家族などに健康被害が広がっています。中皮腫による死者は、今後四〇年で一〇万人にのぼると予測されています。

三 労災非適用の市民等の被害救済が緊急の課題

 アスベストによるじん肺や肺がんや中皮腫は、労災による救済が可能ですが、労災適用のない一般市民や特別加入をしていない建設労働者らの被害を如何に救済するかが、今求められている緊急の課題です。

 政府は、アスベスト被害が大きな社会問題となったことを受けて、急遽、「アスベスト新法」を制定し、周辺住民等の救済を行う方針とされていますが、「行政の不作為はなかった」という前提に立っており、十分な救済内容にはなりそうもありません。

 アスベストの有害性を認識しながら、事業者の便益のため大量使用を認めてきた国のやり方は、これまでの公害・薬害事件と共通の「不作為」です。

 国の責任を認めさせ、十分な被害救済および被害防止の措置を実現させるためには、早期に国やメーカー・輸入業者等に対して提訴することが必要との意見もあります。

四 アスベスト被災者との懇談会

 全国じん肺弁連と全国公害弁連では、アスベスト被災者の方々から直接お話を伺い、法律家として何ができるのかを探るため、アスベスト被災者との懇談会を企画しているとのことでした。



追悼 菊 地 一 二 団員

長野県支部  毛 利 正 道


 本年八月七日、菊地団員が亡くなられた。享年七〇才。

 菊地さんは、新聞配達で学費を稼ぎながら明治大学の夜間部で学んだ苦労人でした。弁護士の道を志したのも、まじめに働く人たちが学歴のみで差別的に扱われる社会はおかしいとの思いからでした。

 一九六三年(昭三八)四月に修習を終えた菊地さんは、林百郎法律事務所(現・信州しらかば法律事務所)へ入所し、弁護士としての第一歩を踏み出しましたが、当時の事務所は、林百郎さんが一〇年にわたって議席回復に挑戦中であり、一〇〇件を超える事件によって候補者としての活動もままならない状況でした。そんななかで菊地さんは、百郎さんから全ての事件を引き受け、候補者としての活動を保証しました。百郎さんがこの年の一一月に行われた総選挙で見事に返り咲いたことは菊地さんの自慢の一つでした。当時を振り返り、「今日はこの事件、明日はこの事件と記録を渡され各裁判所を飛び回る有様であったが、林百郎さんからは実に多くのことを学び、その後の弁護活動の土台を築いた」と記しています。

 穏和でねばり強い菊地さんは、不治の病で入院した今年の四月二九日まで第一線に立ってきました。その闘病中にあっても、「仕事は、これからは選ばせて欲しい」と私に言いました。私から、「うちの事務所が長い間、筋を曲げることなく弱い者の見方としての姿勢を貫いてこれたのは、菊地さんのおかげですよ」と答えると、菊地さんは「そうだなあ」と一言。菊地さんの在職四二年間は、派手さこそありませんでしたが事務所にとって、また団県支部にとってかけがえのない存在でした。

 菊地さん、後のことは心配せず、人生七〇年でようやく訪れた悠々自適の日々をどうか末永く楽しんで下さい。



書評「ようこそ≠ニ言える日本へ

─弁護士として外国人とともに歩む─」

(岩波書店 二〇〇五 土井香苗団員 著)

神奈川支部  神 原   元


 二〇〇〇年一〇月、弁護士登録。

 土井香苗団員が外国人問題に取り組んだ、五年間の記録が本になった。

 土井によれば、日本で暮らす外国人は二〇〇万人。そのうち一〇分の一が在留資格を与えられず、無権利状態に置かれているという。今日も、一四三五人もの外国人が牛久の強制収容所で「心の傷から血を流し続けている」。

その中には、迫害のおそれがあるため祖国を逃れ、日本政府に庇護を求めた難民申請者も含まれている(これは明白な難民条約違反だ!)。日本政府が認定した難民は二〇〇一年で二六人。二万八三〇〇人を受け入れたアメリカの実に千分の一だ。

 土井はこの現実を「難民鎖国」と批判する。

 土井の旅はエリトリアから始まる。ボランティアとしてアフリカの地に降りた彼女は、等身大の難民が抱える苦しみを学ぶ。

 帰国した彼女を待っていたのは、皮肉にもエリトリアから日本に来た難民申請者だった。難民は第三世界にしかいないと思っていた彼女は、日本にも難民が多数いて日本政府から拒絶され、「第二の迫害」を受けている現実を知る。

 弁護士になった土井は、永住資格のないビルマ人や韓国人一家の支援に奔走する。いずれも、日本で生まれ、日本語しか知らない幼い子どもを抱えた一家だ。日本政府は、彼女らを家族もろとも強制送還する。そこには、外国人と共に生き、彼ら=彼女らから活力をもらおうというビジョンは微塵もない。

 本書の最大の山場は、アフガニスタン難民を巡る、土井らと入管との攻防だろう。九月一一日の同時多発テロ直後、タリバンの迫害から逃れたアフガニスタンの難民申請者は、防弾チョッキを着た入管職員に踏み込まれ、テロとの関係を疑うかのように家宅捜索を受け、その日のうちに入管に強制収容されたのである。

 この国際法も人道も無視した暴挙に怒った弁護士らが「アフガニスタン難民弁護団」を結成する。

 アフガニスタン弁護団は、東京地裁第三民事部(藤山雅行裁判官)から画期的な強制収容の執行停止命令を引き出す(二〇〇一年一一月六日)。その後、二転三転の息詰まる攻防の中で、土井は、「収容所にあたたかい食事を届ける」等、ユニークな活動を展開していく。

 難民を拒絶し、外国人を「犯罪の温床」として排除する社会に、土井はナショナリズムの高揚を見る。イラク人質事件で、三邦人の支援に参加した土井は、スケープゴートになるのは、外国人ら「非日本人」だけではなく、政府の意に添わない「反日本人」だと警告するのである。

 憲法改悪阻止に取り組む私たちも、土井の問いかけに正面から向き合うべきだろう。高橋哲哉氏が指摘するように、「(逆説的だが)憲法九条を守るだけでは憲法九条は守れない」。

 土井の提唱する「多文化多民族共生社会」こそ、戦争と差別の社会に対する有力なオルターナティブになるだろう。

 外国人問題にはさほど関心のない団員の皆様にも、是非本書を手に取って欲しいゆえんである。(なお、同著の購入は、岩波書店のHP http://www.iwanami.co.jp/からが一番便利である。)



北朝鮮人権国際集会に参加して

東京支部  川 人   博


 韓国民弁との交流への積極的投稿が続いているので、私の見解を述べる。

 私は、今年二月一四日から一六日までソウル市内の西江(ソガン)大学で開催された「北朝鮮の人権と難民に関する第六回国際会議」に参加した。

 この会議には、毎年、世界各国で北朝鮮の人権問題にとりくんでいる人々が参集する。日韓以外にもヨーロッパやアメリカのNGOが大きな役割を果たしており、昨年のワルシャワ会議ではアウシュビッツ被害者と北朝鮮強制収容所被害者が対面して注目された。また、三年前の日本での会議には拉致被害者家族横田滋さんも参加した。今回の会議には、韓国人権法学会や延世大学大学院、西江大学大学院、梨花女子大学大学院、高麗大学大学院の各国際研究科なども主催に加わり、国際人権法分野の大学教員・学生が多数参加した。

 尹玄氏(ユンヒョン 北韓人権市民連合代表)は、開会の辞で、かって、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を読んだときの思いを語りながら、今日ここに、顔も名前もわからない北朝鮮の人々を助けるために集まったことの意義を語った。そして、病気のため出席できなかったハベル元チェコ共和国大統領からのメッセージがビデオで紹介され、ハベル氏は「遅かれ早かれ北朝鮮の人々が自由の身となり、いつの日か民主主義と法の支配にもとづき、朝鮮が統一されることを信じている」と述べた。

若い脱北者の証言

 会議では、NGO関係者・研究者・法律家・ジャーナリストの外に、脱北者に接している医師・カウンセラーなどから、詳細な調査報告がおこなわれた。今回の特徴として、とくに、子どもの人権・女性の人権という視点からも、掘り下げた報告と議論が行われた。

 一六年間北朝鮮で過ごしたという女性は、つぎのように切々と語った。

「小学三年のとき、学校で習わなかった歌を歌ったというだけで学校の教師から子どもたちが殴られました。だからその後は、怖くて決して歌いませんでした。

 中学生のとき、数学を女性の先生から教えてもらっていましたが、先生の家族が平壌から追放されました。理由は、先生の父親の兄弟が何か事をおこしたからでした。その後、先生は電車に飛び込んで自殺しました。先生は、ノートに、故郷や婚約者から離されてしまう痛みに自分が耐えるべき理由がない、と書き残していました。

 その後私は家族とともに平壌を出ましたが、お米を食べることもできず、平壌での生活が大変恵まれていたことを知りました。

 路上では、子どもたちが食べ物やお金を盗んでいました。ある日、男が自分の五歳の娘を兵士に渡しているのを見ました。娘が飢死しないように、娘を食べさせることのできる人間に渡したのです。

 私は、中国に脱出したとき、マーケットの新鮮な野菜や果物を見て、とてもショックでした。中国で楽しい一ケ月を過ごした後、私は母とともに中国の警察に捕まり北朝鮮に送還されました。母が収容所から解放された後、私たちは再び中国に脱出しましたが、私たちは警察官を見たりサイレンを聞くたびにおびえていました。

 二〇〇二年に韓国に入ることができ、その後、学校に通うことを許されました。」

 証言の最後に、彼女が「私は入学試験に合格して、今年西江大学に入学します」と述べると、会場から万雷の拍手が起きた。

 女性の権利のセッションでは、中国から送還された女性の強制堕胎と嬰児殺を目の当たりにした女性の証言もあった。

国際会議阻止を叫ぶ集団の妨害

 この会議に参加して驚いたのは、国際会議阻止を叫ぶ集団の異常さである。

 開会式当日朝、会場の講堂に通ずる階段通路を塞ぐような形で、二〇数名のグループが横断幕とプラカードをもち、拡声器を使って集会をおこなっていた。

 この集会をおこなっていたのは、「六・一五南北共同宣言実現と朝鮮半島平和のための統一連帯」である。横断幕には「民族分裂と朝鮮半島戦争をよびおこす国際会議糾弾・阻止」と書かれ、ビラには、「この国際会議はアメリカの対北朝鮮人権謀略劇である」「この国際会議の事実上の主役は、アメリカである」「国際会議の開催を即時中断せよ」などと書かれていた。

 拡声器での演説では、「人権問題を言うなら、韓国で生活に苦しみ自殺した者がいるではないか」などと全く別の次元のことがらを訴え、論点をはぐらかしていた。

 このありさまは、日本国内での極右集団による集会妨害活動と同じレベルの低劣な行動だった。かって一九六〇年代から七〇年代にかけての日本の学生運動で、対立するグループの集会粉砕を叫んだ集団の妨害行為ともよく似ている。

 会議主催者と参加者は、こうした妨害勢力の行動の挑発にのらずに終始、大人の態度を貫いて、会議の運営を整然と進め、また、会議の事務局として多数の学生がボランティア(主として女性)として働き、集会を成功に導いた。

 「統一連帯」と呼ばれるこのグループには、民弁も入っている。

 民弁には良識的な弁護士もいるが、民弁との交流を行うのであれば、その活動実態に対する過不足ない認識と適切な批判を行うことも必要である。



ある報道 小泉首相の靖国「参拝」にあたって

東京支部  松 島   暁


 「中国国民のこのほどの運動に対しては、いつも背後に煽動者がいるとし、それが○○だといい、あるいは野心ある政治家だとして、深く考えない。日本の政治家には、事実に対してこれを正視してその原因を確かめることを怠り、すべて側面より観察し、徹頭徹尾色眼鏡を通して見る弊がある。ゆえにその観察は、常にもっともらしく、はなはだ穿ちえたものであるが、日本の対外策を誤る一つの原因は、実に理想なき卑近の政治家が、相手の心理を透視できないからではなかろうか。今回の反日運動にしても・・・・最大の原因は、中国の知識人階級、特に青年学生のあいだに横溢する反日思想にある。今日の中国学生はインターネットや政党の煽動のみによって動くほど無自覚ではない。たとえこれらの煽動によって動いたとしても、動くまでには動くべく準備されたものがなくてはならない。それが平素彼らの胸底にわだかまる反日思想である。」

 これは、一九一九年五月二五日、東京朝日新聞に掲載された「ますます烈しき排日」(上海・太田宇之助)からの一節である。一九一九年五月四日のいわゆる「五・四運動」についての論評である。もっとも、「支那」を「中国」に、「排日」を「反日」に、「新聞」を「インターネット」に変えたうえで、表現を今風に変えてみた。

 もともとは「現代思想」六月号の溝口論文からの孫引きなのだが、この後に、「殊に相次いで借款を締結して、利権を独占したこと、及び日支軍の協約によりて、抜くべからざる排日感情を植え付けてしまった」と続いている。

 「借款の締結」や「利権の独占」のかわりに「つくる会教科書」や「小泉首相の靖国参拝」をあてはめてみれば、八十数年たってもそのまま通用する「怖さ」に驚いてしまう。

 「政府が背後で操っている」、「政府批判や民主化のガス抜きに反日を利用している」、「反日教育の結果だ」、「貧富の差の拡大にたいする大衆の不満のはけ口」等々、反日行動の原因を確かめるのではなく、脇から眺めたり色眼鏡を通して観察したり、しかも、もっともらしい論評がこの国のメディアでは横行していたのが、四月の反日行動の報道ではなかったのか。

 それにもまして、アジアで二〇〇〇万人以上、自国民三〇〇万人の犠牲を出して、しかも「革命的」といわれる平和憲法をもちながら、八〇年以上にわたって、この国を支配し続ける「卑近」の政治家とその政治家を選び続ける国民とは何者なのか。このことを、わがこととして考えなければならないと思う。

 日本の戦争責任について短兵急に詰め寄ることからは不毛の対立しか生まれないとか、それは日本にとってもアジアの人々にとっても不幸への道だということを口にする団員の存在を知るにつけ、左右・保守革新を問わず、この国の民衆を支配している歴史観の再検討がなされねばならないと思う。

 昨日、小泉首相は内閣総理大臣として五度目の靖国参拝を強行した。平服で靖国神社に現れ、賽銭(小銭?)を入れ、記帳もせずそそくさと立ち去る一国の指導者・代表とは何者なのか。先頃の大阪高裁違憲判決や隣国の感情を意識したのだろうか。しかし、私には、昨年までの「強盗」が今年は「こそ泥」に変わっただけにしか見えない。一国の政治的代表が戦争責任の象徴とも言うべき靖国に参拝することの是非が問題となっているときに、モーニングを平服に、玉串料を賽銭に変えれば何とかなると考える、その浅ましさ、「卑近」な政治家の歴史は今も脈々と生き続けている。