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松島 暁 二〇〇五年総会 四国・徳島で開催
泉澤 章 プレ企画・「ハイケン講演会」を終えて
岩橋 進吾 千葉県弁護士九条の会が過半数で設立
小林 保夫 映画「ヒットラー最後の一二日間」/青木冨美子著「七
三一」/日中韓共同編集「未来をひらく歴史─東アジ
ア三国の近現代史」 ―私の夏休みのひととき―
渥美 玲子 アスベスト被害救済弁護団結成の報告




二〇〇五年総会 四国・徳島で開催

前事務局長  松 島   暁


 一〇月二三、二四の両日、徳島県鳴門市で、自由法曹団の二〇〇五年総会が開催され、三七六名(弁護士二七九名、事務局員六八名、その他二九名)が参加した。

 総会は、川真田正憲(四国総支部)、伊藤勤也(愛知支部)、今村幸次郎(東京支部)の各団員が議長団となって進められた。

 坂本修団長の開会の挨拶、地元四国総支部の林伸豪団員の歓迎の挨拶に引き続き、徳島弁護士会・竹原大輔副会長、全労連・熊谷金道議長、国民救援会・望月憲郎副会長、日本共産党・仁比聡平参議院議員の各氏から来賓の挨拶をいただいた。

 竹原副会長は、急病で来場できなかった高田憲一会長からのメッセージとして、徳島における自由法曹団員の活躍を紹介された後、現在進行中の構造改革・司法改革の問題性が指摘された。

 熊谷議長からは、労働者・労働組合の権利を根刮ぎ奪う労働契約法制に反対すること、改憲をなんとしても阻止するための職場・地域からの大運動の決意が語られ、望月副会長からは、弾圧事件を九条改悪阻止とともにたたかう決意が述べられた。

 団員でもある仁比聡平参議院議員からは、小泉構造改革の進むなかでこそ団の先駆性の発揮が求められていること、憲法の感動や価値を大きく広めていけば国民の結集は可能だと訴えられた。

 今回の総会には、大石進日本評論社会長が参加され、盧武鉉韓国大統領から故布施辰治弁護士に対して授与された建国勲章の披露がなされた。朝鮮の独立を断固として支持し、朝鮮民族の弁護活動に当たった故布施弁護士の活動は、日本での多くの仲間の支えによるものであり、勲章は自由法曹団の弁護士に与えられたものであること、朝鮮人法曹との連帯、日本と朝鮮半島の人権の連帯の展望が語られた。

 本年度の古稀団員二三名の表彰と出席された一〇名の団員に表彰状と記念品が贈られた。

 古稀団員を代表して榎本信行団員から、古稀団員の皆さんが生きてきた時代(一九三五年・昭和一〇年〜)の紹介がなされた。昭和一六年一二月八日は、ちょうど小学校に入る年であり、軍艦マーチとともに大本営発のニュースを聞いたこと、昭和一七年のミッドウェーの敗戦を経て、二〇年に敗戦、食糧難と米軍の占領、砂川闘争での座り込みや安保闘争での樺美智子さんの死、故岡林弁護士の大衆的裁判闘争に感銘を受け、横田等で岡林精神を後世に伝えたいと考えたことなど、淡々とした語り口で話された。

 吉田幹事長からは、改憲阻止を中心に議案の提案がなされた。

 憲法改悪の動きとともに、有事法制に見られる改憲を実現する動きがあること、総選挙による与党の議席は無視できず、小泉の暴走により改憲に拍車をかける危険があり運動の真価問われていること、多数派を結集するうえで団員の果たす役割の大きいことが強調された。同時に、アジアの人々との共同行動、アメリカでのイラク戦争反対の動き、GPPACやCOLAP4など国際的運動の重要性が指摘された。

 集中的活動により「つくる会」教科書の採択を〇・四%(歴史)、〇・二%(公民)に押さえ込んだ教科書・教育基本法のたたかい、労働法制、刑事弾圧、司法改革など目配りのきいた報告がなされた。

 全体会終了後(一日目後半と二日目前半)、三つの分散会に分かれ議案についての報告・討論が行われた。

 二日目の全体会では、布川事件の桜井昌司さんからの再審開始決定の報告と高裁でのたたかいに向けた決意が語られた。

 全体会での発言は、以下のとおりである。

 ○藤木邦顕(大阪支部)・・・・・・教科書闘争から憲法闘争へ 「つくる会」教科書の靖国史観は改憲派の精神的土壌
 ○山内康雄(兵庫県支部)・・・・宝塚市における「つくる会」教科書採択阻止のたたかいと憲法擁護の共同行動の成果
 ○川口彩子(神奈川支部)・・・・日の丸・君が代の強制に立ち向かう裁判
 ○小林善亮(東京支部)・・・・・・出来たての「教育基本法リーフ」をご活用下さい
 ○増田 尚(大阪支部)・・・・・・労働契約法制とホワイトカラーエグゼンプション
 ○森 卓爾(神奈川支部)・・・・未決拘禁法の制定と代用監獄廃止に向けた団の課題
 ○加藤健次(東京支部)・・・・・・公務員バッシングと国民の権利・福祉への攻撃について

 二日間の討論をふまえ、総会議案、予算・決算それぞれが承認され、以下の決議が採択さた。

 (1)憲法「改正」、国民投票法に反対する決議
 (2)「研究会報告書」にもとづく「労働契約法制」の立法化に断固反対する決議
 (3)共謀罪の創設に反対する決議
 (4)ビラ配布等に対する言論弾圧に断固抗議し、無罪判決のために奮闘する決議

 選挙管理委員から、団長は無投票で、幹事は信任投票で選出された旨の報告がなされた。

 総会の場を一時中断して拡大幹事会を開催し、規約に基づき、新入団員二四名の入団の承認、常任幹事を選出し、幹事長、事務局長、事務局次長を選任した。

 新役員は次の通りである。

団長 坂本 修(東京支部 再任)
幹事長 吉田健一(東京支部 再任)
事務局長 今村幸次郎(東京支部 新任)
事務局次長 飯田美弥子(東京支部 再任)
泉澤 章(東京支部 再任)
増田 尚(大阪支部 新任)
阪田勝彦(神奈川支部 新任)
松本恵美子(東京支部 新任)
平井哲史(東京支部 新任)
山口真美(東京支部 新任)

 退任した役員は次の通りで、退任の挨拶があった。

事務局長 松島 暁(東京支部)
事務局次長 大崎潤一(東京支部)
齋田 求(埼玉支部)
瀬野俊之(東京支部)

 閉会にあたって二〇〇六年五月集会(五月二一日〜二二日、二〇日にプレ企画の予定)へのお誘いの発言が北海道支部の佐藤哲之支部長からなされ、最後に、四国総支部の枝川哲団員からの挨拶をもって総会を閉じた。

 総会前日の二二日に、二つのプレ企画、『いまアメリカの軍隊と市民社会はどうなっているか戦―新しい反戦運動のうねり ルークハイケン弁護士を囲んで&新人学習会』(参加者六二名)と『法曹養成と団の将来』(参加者二七名)が開催された。(後掲報告を参照願います。)

十一 最後になりますが、多くの団員の皆さんの参加によって無事総会を終えることができましたことにお礼を申上げるとともに、古稀団員のお名前を間違えるなどご迷惑をおかけしたことを、執行部として深くお詫び申上げます。



プレ企画・「ハイケン講演会」を終えて

国際問題担当次長  泉 澤   章


 今日(一〇月二六日)の夕刊各紙は、イラク戦争におけるアメリカ兵の死者が開戦以降二〇〇〇人になったことを伝えるとともに、ブッシュ政権によるイラク政策への批判的世論がアメリカ国内で過半数を超えたことを報じている。九・一一事件以来、あれほど熱狂的に他国への侵略戦争を支持したアメリカ国民も、ここに来てやっと、ブッシュの戦争政策がでたらめであることに気づきはじめたということらしい。

 新人学習会も兼ねた二〇〇五年団総会のプレ企画は、ナショナル・ロイヤーズ・ギルドの弁護士で、長くアメリカ軍兵士の兵役離脱を支援しているルーク・ハイケン弁護士と、ルーク氏の妻で同じく兵役離脱者の支援活動をしている活動家のマーチ・ハイケン氏を招き、九・一一事件後のアメリカ国内における政府の戦争政策とこれに抵抗する人々のたたかいについて語っていただいた。

 ハイケン夫妻の話によれば、ブッシュ政権による国内の軍事化政策はすさまじいものがあるが、イラク戦争直後から活動してきた、退役軍人や兵士の母親などを中心に組織する「ブリング・ゼム・ホーム・ナウ」(彼らを帰せ!)という運動や、別荘地に座り込みをしてブッシュに面会を求めたことで有名になったシンディ・シーハン氏らの運動等々、いまアメリカ国内における反戦運動は、ベトナム反戦運動以来の新しい展開を見せてきているということであった。そのほかにも、現在ハイケン夫妻が中心的となって活動している兵役離脱者への支援の話や、アメリカ政府が推し進めている一方的な兵役延長政策(ストップ・ロス・ポリシー)との困難なたたかいなど、現在アメリカの反戦運動が直面している問題について、非常にリアルな話を聞くことができた。

 今回のプレ企画によって、「悪夢の中にいるような状態」(東京集会におけるマーチ・ハイケン氏の発言)のアメリカ国内で、それでも不屈にたたかっている人たちが大勢いること、そしてその人たちのたたかいが、冒頭のイラク戦争に対する批判的世論形成に対して大きな影響を与えているであろうことがよくわかった。

 そして、「アメリカにおける平和運動が『兵士を帰せ!』とたたかっているのと、日本で憲法九条を残せとたたかっているのは同じ」「九条を保持することによってのみ、合衆国、中国、韓国の間に入って平和の使者の役割を果たせる」とのルーク・ハイケン氏の発言は、日本の平和運動とアメリカの平和運動が、九条を介して互いに連帯してゆく希望を示していた。

 一〇月一五日の来日以来、東京、名古屋、京都、大阪、そして徳島と、息つく暇もないハードスケジュールで、ハイケン夫妻には大変な負担をかけてしまったが、改憲と軍事国家化が進行しつつある現状において、戦時体制にあるアメリカの状況を知る上でも、また、今後団の運動の担い手になる新人の学習の場としても、非常にふさわしい企画ではなかったかと思う。



千葉県弁護士九条の会が過半数で設立

千葉支部  岩 橋 進 吾


一 はじめに

 千葉県弁護士九条の会が弁護士会会員の過半数の賛同を得て設立されたことを九月二一日に記者会見をし、地元紙にも掲載された。 そこで、その教訓と課題を総会の第一分散会で発言をしたところ、数人の方から補充して団通信に出してはどうかと勧められたので投稿した次第である。正確には、記者会見の際には、会員数三二一名中賛同者一六二名であったが、一〇月になって新人会員が増え会員数が三六五名になったので過半数割れになっているが現在の賛同者一六六名なので、一〇月中には過半数の一六八名を超える予定である。

二 過半数を達成できた背景

 千葉県弁護士会では日米ガイドライン反対の有志アピールを出すなど問題があるごとに意見表明をしたりしてきたので、違和感がなかったということもある。だが、根本的には、現在の改憲の動きに対して九条を護りたいと思っている人が数多くいることによる。そして、そのことは、弁護士会に限らず国民全体の中でも妥当することであり、各地域、職場などで過半数で九条の会を立ち上げる可能性があることを示している。

三 この間の活動の成果

 この間の活動の成果は多数あるが、そのうち二つを紹介したい。

 一つは、千葉県弁護士会の中で憲法論議ができたことである。数の集約はしていないが、会員の殆どの人に対して賛同を求め憲法の議論をしたと思われる。中には、何人もの人に声をかけられて議論をした人もいる。国民運動の中でも結論はともかくとして大いに議論を起こしていくことが必要である。

 一つには、過半数の賛同者を得て賛同者自身が自信を持ったことである。会員の中には賛同をしたいと思う気持ちとともに躊躇する気持ちを持っている人も多い。例えば、事務所の先輩弁護士が賛同をしていない場合には、気を遣って賛同しきれない人もいる。そのため、賛同をしたものの周囲がどのように受け止めるか不安感も持っている人も多い。だが、会員の過半数が賛同をしていることが分かると、過半数の人が賛同をしているのだから、自分が賛同をしても当然と思うようになり、自信を持つようになる。

四 今後の課題

 今後の課題は、数多くあるが、そのうちの二つを紹介したい。

 一つめは、次のような考え方に対してどのように対応すべきかである。

 「自衛隊ついては、憲法と実態の間に乖離がある。自衛隊は、災害救助などでも国民の間の認知を得ている。そうだとすれば、憲法を改正し、自衛隊の活動範囲を明確にし、憲法と実態の乖離をなくすべきである。個人的には、自衛隊を認めて、専守防衛を任務とし、海外派遣は許さないとすべきだと考えている。」

 このような意見が予想外に多く出ました。それもまじめに考えており賛同を得られるだろうと思っている人の中に数多く見られました。では、このような考えの人に対して、どうに対応すべきでしょうか、またこのような人達を巻き込んでいく運動をどう作るべきでしょうか。

 このような考え方に対しては、いろいろな批判が妥当すると思います。第一に、憲法と実態の乖離を作ってきた人々が、憲法を改正しようとしている。その人達が、憲法を改正すればそれに従うと考えるのはおかしいのではないのか。第二に、憲法を改正しようとしている人達は、今のイラクに自衛隊を派遣することは憲法を改正しなくてもできると考えている。そうだとすれば、憲法を改正しようとしている人達が考えているのは、専守防衛などではなく、戦闘地域に自衛隊を派遣できるようにし、日本を戦争する国に変えることである。更に、運動としては、このような人達を含めて弁護士会の会員全員に呼びかけながら運動を作っていくつもりです。その中で、九条改正反対の大きなうねりを作っていければと考えている。

 二つめは、講師派遣要請に対して講義内容をどのようにするかである。弁護士九条の会に対して、講師派遣要請が来るであろうことは予想されるし、九条の会としても派遣をしたいと考えている。問題は、講義の内容は各自に委ねるしかないという点である。すなわち、九条の会には、様々な考え方の人が入っており、九条をも護ろうとする理由についても様々であるし、改憲論者が何故改正しようとしているのかのとらえ方についても意見は様々だからである。だが、今後九条の会の中での学習会などを通じて、九条を改正しようとしている理由や日本の未来をどのようにしていくかなどについて、広範囲でより水準の高い一致点を形成していくことができればと思っている。



映画「ヒットラー最後の一二日間」/青木冨美子著「七三一」/

日中韓共同編集「未来をひらく歴史─東アジア三国の近現代史」

 ―私の夏休みのひととき―

大阪支部  小 林 保 夫


 三点の映画や著作の私にとってのなにがしかの関連を説明するために「私の夏休みのひととき」などという軽い副題を付けたが、実際は、いずれのひとつを取っても、大げさにいえば人間のいとなみの愚かさとそれを克服しようとする偉大さを知らされる感慨を覚えさせられた。

これらの三点は、相乗的にこのような感慨を与えてくれた点で、有意義な取り合わせ・巡り合わせであった。

映画「ヒットラー最後の一二日間」

 私は、この数年間、多忙にかまけて、映画が与える感銘と時間の得失を打算する気分が働いて多忙をおしてもなお映画のための時間を作り出すほどの努力をする気持にはなれなかった。

 しかし、たまたまこの映画のタイトルに「ヒットラー」という名前を見かけ、最近の日本における社会の政治・軍事・教育などにわたるファッショ的な動向への危惧ともあいまってこの映画に関心を持ち、新聞などで前評判を拾ってみた。そして久しぶりに映画を見た。

 この映画については、すでにいくつもの評論が出ており、それぞれの関心と観点から相応の指摘がされているので、これらをなぞるつもりはない。私の関心からいくつかの感想を述べたい。

 この映画の語り手の立場にあったヒットラーの女性秘書ユンゲは、映画の冒頭で「私は今もなおヒットラーの秘書を志願した自分を許す気持になれない」という趣旨の発言をした。そして彼女は、ヒットラーの秘書として、最後の一二日間をもその直近にあって生活を共にし、国民の運命など眼中にない独裁者とその取り巻きの日常と末路を目の当たりにした。生き延びて一九九〇年代に至って、老齢に達した彼女は、その理由を「当時、私と同年の大学生ゾフィー・ショルがナチスに抵抗して殺されたことを思えば、若かったということでは許されない。若くても知ろうと思えば知ることが出来たのだ。」と述べて、彼女がみずからを苛む言葉で映画の最後を閉じた。

 また映画のなかで、ヒットラーやゲッベルスは、戦争末期、連合軍やソビエト軍の攻撃による惨禍に苦しむ国民の運命を憂うる側近の声に対して、再三にわたり、「国民はみずからこの運命を選択したのだ」と言い放って、停戦や降伏の提案を斥けた。

 おそらく映画は、ユンゲの痛切な苦悩と反省を通じて、ナチスの思想と宣伝に惑わされその犯罪に加担することとさえなった当時の多くのドイツ国民にあらためて反省と過去の克服の契機となることを求めているのであろう。

 またこの映画は、日本の観客である私たちにとっては、天皇と軍部の無謀な戦争に翻弄された戦前・戦時の日本のありかたと、ファッショ的な風潮が社会に立ちこめようとしている戦後の今を生きる私たちにも痛切な問いかけになっているのではあるまいか。

 ドイツでは、ヒットラーに先立ち第一次大戦の惨禍のうえに築かれたワイマール共和国の民主主義の伝統があった。しかし、国民の極端な窮乏と排外主義に乗じて、ヒットラーは、一介の兵士から独裁者に成りあがることが出来た。

 そしてヒットラーとその取り巻きの死、ニュールンベルグ軍事裁判による国際的な断罪、その後現在にまで至る戦争犯罪人に対する執拗な追及と断罪などを初めとする国家及び民衆レベルの双方における過去の克服のための積極的な努力が続けられることによって、隣国フランスやポーランドを初めとする国際的な信頼をかちとり、ヨーロッパ共同体(EC)の結成とそのヨーロッパ連合(EU)への発展のなかで、その中核的存在としての役割を果たして来たし、現在もその地位を維持している。

 ところが日本では、明治以来天皇は、絶対不可侵の存在であり、「大正デモクラシー」といわれる一定の民主主義的な高揚も経験したものの、国民は、基本的には天皇に隷属する存在に過ぎず、かつて近代的な民主主義を享受したことはなかった。またこのような体制によって圧倒的な国民が、天皇制の呪縛に取り込まれ、それから逃れることが出来なかった。

 そして天皇と軍部及び政財界の指導者は、アジア・太平洋戦争を惹起し、遂行した結果、アジア諸国と日本を含めて三〇〇〇万人に近い戦争犠牲者(死者)を出し、多大の損害を招いたのであるが、その戦争責任はきわめて不徹底にしか問われなかった。

 とりわけアメリカの占領政策により、天皇の戦争責任が問われなかったことは、わが国の全体としての戦争責任の追及がきわめて不徹底に終わり、平和憲法の存在にもかかわらず、戦前・戦時につながる国家主義・軍国主義の復活・跳梁の契機を温存させる結果となっており、今や「日の丸・君が代」問題、靖国問題などこの風潮に添う事態が頻出する状況となっている。

 なぜ日本は、同じように悲惨な結果をもたらした戦争を経験しながらドイツと異なって今ふたたびファッシズムを恐れなければならないのか。

 その決定的なあるいは根本的な原因は、日本では、天皇の戦争責任を追及する国際的・国家的・民衆的体制を欠いていたこと、何よりもこのような体制を支えるべき天皇の戦争責任を追及する国民的あるいは民衆的意識ないし自覚が決定的に欠落していたことにあると考えざるを得ない。しかも、今もなお天皇制の呪縛は、歴史認識の欠落によって、空気の存在のように多くの国民を捉えており、「象徴」天皇制であれ、それが民主主義や基本的人権にとっての異物・根本的な欠陥として自覚されないのである。

 蛇足であるが、瀬川祐司氏「映画『ヒトラー』の背景」(雑誌「世界」九月号)によれば、この映画は、封切り後二か月半で五〇〇万人の観客を動員するという大ヒットを記録したという。しかし、ドイツ・メディアはこの映画について厳しい評価を下しているということであり、瀬川氏も「この作品は〈ヒトラーの映画〉としては、凡庸なものにすぎないが、いかなる『善良な』市民であっても恐るべき運命の犠牲者となりうることを示したホラー映画としては希有な成功を収めたといってよいかもしれない。」と評する。しかし、私は、ドイツ映画の鑑賞という観点に立つ瀬川氏のように、芸術性や娯楽性という見地からの評価には興味がなく、またむしろ五〇〇万人という観客の関心に健全さに与したい。

 なお映画館によれば、「ヒットラー最後の一二日間」は、独占公開でもあってか、評判を呼んでいるらしく、連日満席とのことであった。

青木冨美子著「七三一」(新潮社刊)

 日本軍の細菌戦部隊七三一による三〇〇〇人にものぼると言われる生体実験の実態は、すでに「悪魔の飽食」(光文社刊)などによって紹介され、ナチスのユダヤ人虐殺に匹敵する戦争犯罪として広く知られており、また石井四郎を部隊長とする七三一部隊の戦争犯罪者集団がその実験成果と引き換えにアメリカによって免責されたことやその指導者らが「ミドリ十字」の名で売血事業を興し、その後営利主義・人命軽視の経営によって薬害エイズ事件を引き起こし社会的糾弾を浴びたこともよく知られている。

 しかし七三一部隊の実態や敗戦にともなう同部隊の処理については、なお多くが闇に包まれていると言われる。

 作家青木冨美子は、二〇〇三年に至り、一九四五年の終戦当時から一九四六年にわたり、部隊長石井四郎以下七三一部隊の隊員であった医学者等がアメリカによって免責を得るまでの経緯をメモした石井四郎直筆のノートを入手した。

 「七三一」は、このノートに依拠して、これまで未解明であった七三一部隊をめぐる暗部をえぐり出したものである。

 「満州国」平房における実験施設の実態、石井四郎の郷里加茂から多くの村民が施設の従業員として採用され渡満し、いわば血縁・地縁によって秘密の遵守が図られたこと、多くの医学者が施設の研究者として人体実験に従事したこと、終戦後七三一部隊隊員が施設を徹底的に破壊した上優先的に日本に帰国したことなどの実情もあらためて生々しい。

 そして「七三一」は、ノートの記載によって、これまで解明されていなかった多くの空白を埋めながら、日本に帰国した石井四郎等が、所在を隠してGHQと接触し、秘密裏の虚々実々の応接の結果、七三一部隊の実験成果がアメリカの国益に添うものとして免責を受けるに至り、この間免責に反対するアメリカの関係者が排除されるに至ったこと、免責の保証と引き換えに石井四郎を初めとする人体実験に従事した医学者らに対するGHQ専門家らによる尋問が行われこと、石井部隊の人体実験についてソビエトが強い関心を持ち石井等の尋問を求めたがGHQとの綿密な打合せの結果ソビエト側に満足な成果を得させなかったことなどを解明している。

 さらに著作は、石井四郎の性格や帰国後の生活、GHQ関係者らとの交流、晩年などを加え、また七三一部隊隊員として人体実験や研究に従事した医学者等のその後の動向、とりわけ朝鮮戦争当時アメリカが、これらの医学者をしてアメリカ軍の戦傷者のために「ミドリ十字」を興させた経緯、これらの医学者が国内各大学における研究の中心を占めるに至った実情などにも及んでいる。

 以下は、私の感想のいくつかである。

 石井四郎を隊長とする七三一部隊の免責は、アメリカの国家利益のために、最も人道に反する残虐な犯罪行為を故意に免れさせた点において、まさに国家的犯罪行為であった。

 これらの実態は、著者も言及するように、占領期における下山事件、松川事件など今もなお未解明の事件の奇怪な背景や性格にもつながって、閉ざされた闇の奥をのぞくスリルを覚えさせるとともに、今さらながらに権力犯罪の非道・恐怖を実感させるものである。

 七三一部隊の人道に背く歴史的な犯罪行為は、天皇の名において、日本国の承認のもとに行われた点において、ただ軍部の責任というに止まらず、さらに天皇の責任に帰されるべき性質のものだった。

 しかし、七三一部隊は、アメリカによって免責された。それは、同時に天皇の責任を免ずるものであった。アメリカが天皇の戦争責任を免じたことは、七三一部隊に対する免責と共通する権謀術策の所産であった。これらの事実は、アメリカの日本占領の当初からの占領政策が、そもそもアメリカ本国や占領軍内部における相剋に規定されていたことは当然であるが、基本的にアメリカの国益への従属という限界を有するものであったことを示すものであり、それは同時に日本における民主主義がその出発点においてこれらの限界に規定されていたことをも物語っているといえる。

 日本国民は、以後みずからの責任においてこれらの限界を克服することを歴史的な使命として課せられていることになった。

 ちなみに、日本は、中国をはじめとするアジア諸国・国民に対して、他の広範な戦争責任とともに七三一部隊の所業に対する責任を負わなければならない。この責任が時効によって消滅すると考えることは、この責任の歴史的・人道的性質になじまないと考えるべきである。

日中韓共同編集「未来をひらく歴史ー東アジア三国の近現代史」

 日中韓三国の歴史研究者による共同研究の結果を結集したこの歴史教科書については、三国における同時発売という劇的な取組以後、すでに関与した研究者みずからや他の評者によって、その意義や内容の解説が行われており、私のような一介の読者が付け加えるところは少ない。

 とはいえ、多くの読者がこのような試みやその内容について発言することは、今後の国際的な共同研究を励まし、発展させるいくばくかの力になるであろう。

 そんな思いから、まだ読んでいないみなさんへの紹介も兼ね、さきの映画や「七三一」という著作にも関連させて感想を述べたい。

 私たちが世界史や日本史に言及するとき、専門家・研究者は別として普通の国民においては、中学校・高等学校までの歴史の知識・理解を前提にしているのが例である。しかし、そもそも私たちは、例えば高等学校では世界・日本の近現代史については、教科書を通読さえしていないのが一般的である。そして、以後は大学においても、さらに社会に出ても、必要に応じて拾い読みした断片的な知識・理解を有するに過ぎないのではないか。つまり、私たちは、私たちの父母や私たち自身がまさに生活している今日を直接に規定している近現代についてほとんど体系的な知識や理解を持たないのではないか。

 さらに言えば、私たちの歴史勉強においては、近現代における近隣諸国との同時代史を系統的・体系的に理解する点にも欠けていたのではないか。そして日本史に傾斜し、同時代の近隣諸国を学ぶことが乏しかったのではないか。

 このような私たち日本人の歴史認識の欠落を補う点で、この歴史教科書は、きわめて有意義な著作になっていると考える。

次に私がこの歴史教科書について強調したい点は、中国や韓国などの研究者・あるいはその国民が、それぞれの自国の歴史をどのような視点で捉えているかを知る重要な意義である。

 例えば、私たちの従来の歴史学習では、一九一〇年の日本による韓国の併合は、せいぜい日本帝国主義による韓国の植民地支配の完成というに止まっていた。そこには、韓国における抵抗闘争や引き続く独立のための闘争の存在など併合された韓国の国家・民衆の側の事実認識や観点は著しく欠けていたし、さらに日本の支配下における民衆の苦痛や抵抗の実態についてはその理解はもちろん基礎的な知識さえほとんど欠いていたと言わざるを得ない。この歴史教科書は、これらの点について韓国やその民衆の立場・視点からの記述を私たちに提供してくれる。これによって私たちは、韓国の近現代について、ほとんど欠落していた新鮮な知識と理解を得ることが出来、諸国家・国民の連帯や共同の意義についての理解や洞察を深めてくれる感を強くした。

 このような歴史教科書によって学ぶことは、各国及び国民の間の歴史認識を共有すること、あるいは少なくともさしあたり他国及び国民がどのような歴史認識を持っているかについての理解を得ることに役立つ。それは、例えばアジアにおいても、ヨーロッパ共同体やさらにヨーロッパ連合に至るような展望を切り開く不可欠の道程であろう。

歴史認識のありかたについて

 私は、たまたま同時期に、以上のように「ヒットラー最後の一二日間」という映画を見、「七三一」という著作を読み、さらに日中韓三国研究者の共同編集にかかる歴史教科書を読み合わせる機会を得た。

 私は、これらの三点によって、日本及びドイツの過去と、その克服のための私たち日本人の作業にとって、私たち日本人がとりわけ中国・韓国その他のアジア諸国民と、近現代についての基本的な歴史認識を共通にすること、もっと端的にいえば、それぞれの基礎的な歴史的事実とその意義について知ることが必要不可欠であることを、あらためて強く認識させられた。



アスベスト被害救済弁護団結成の報告

愛知支部  渥 美 玲 子


一 弁護団結成と方針

 連日のようにアスベスト被害が報道されており、弁護団結成が急がれていたが、当地名古屋でも九月一五日、アスベスト被害救済(名古屋)弁護団が結成された。

 名古屋の青法協のメンバーが主に参加している「人権派弁護士」というメーリングリストを通じて呼びかけたところ、四人の若手が応じてくれ、現在五名からなる。

 アスベスト被害の訴訟に限らず、被害発掘をはじめとして、労災申請や企業との示談交渉、各種学習会への講師派遣など広く活動しようと考えている。ただ、弁護団自身がアスベスト被害の実態や法的解決の方向性について知識が不十分なため、弁護団独自ではいわゆるアスベスト被害一一〇番を実施していないが、早急に取り組むつもりである。

二 今までの活動など

一〇月七日には青法協名古屋支部の例会に招かれて話をして弁護団の拡充を訴えた。

 一〇月三日には名古屋労災職業病研究会の方とお話をして今後の協力関係を作った。そして一一月二三日には、この研究会代表の杉浦裕医師からアスベストの医学的問題を教えて頂くことになり、「職業性石綿ばく露と石綿関連疾患」という本を基本書にして勉強することになっている。ちなみに同研究会は単に研究活動ばかりではなく、ノンアスベスト社会の実現を目指す一〇〇万人署名にも精力的に取り組んでおられ、そのエネルギーの大きさに圧倒されている。

 また、「愛知働く者のいのちと健康を守るセンター」には弁護団結成をニュースにて紹介してもらい、一一月二四日の同センター主催の「秋の健康学校」のシリーズとして「アスベスト問題の法的課題の検討」ということで当弁護団が講師に招かれた。今から必死の勉強が必要になる。

 さらには一〇月二九日には同センターが主催する東海北陸ブロックセミナーの中で愛知教育大学の久永直見医師が「アスベスト被害とその対策」ということで講演するということなので弁護団はこれに参加することになった。ちなみに久永医師は産業医学を専門としてじん肺問題などにずっとかかわっている方である。

 また同センターが一一月二三日に「メンタルヘルス・過労死・過労自殺・アスベスト一一〇番」を実施することになっているので、もしアスベストの相談が来たら、弁護団としてすぐにでも応じることにした。

三 法的課題

 九月末にアスベスト新法の骨子案が発表されたが、具体的なものはほとんどなく、本当に近隣住民も含めて「隙間なく救済」することができるのか疑問である。一〇月二一日には労災補償対象外の被害者に対して二年分の二四〇万円補償するとの報道もされているが、十分な補償とは言えない。我が弁護団としても研究して立法段階から意見が述べられるようにしたい。

 労災認定についても、一〇月一八日には中皮腫の労災認定では石綿吸引の医学的所見は不要とするとの基準緩和案も出されている。また過日NHK特集で被災者がアスベスト専門病院に通院するだけでも費用がかかるので労災補償を認めて欲しいという意見を出していたが、早速尾辻大臣は着手したようだ。しかし、発症が暴露から三〇年から五〇年後という中皮腫や肺がんについて、本当にこれだけで救済できるのか、検討しなければならないだろう。

 名古屋市や愛知県にもいくつか石綿事業所があり、おそらく多くの被災者が存在していると思われる。また一〇月一三日の新聞報道ではニチアスの岐阜羽島工場周辺で約二二人にアスベスト吸飲原因と見られる症状が現れたとのことである。

 労働問題と公害問題、消費者問題など様々な法的課題が一挙に押しかけたようで、対応には困難かもしれないが、弁護団としては一所懸命取り組む予定である。何か、情報があればどんどんお寄せ下さい。