<<目次へ 団通信1183号(11月21日)
板井 俊介 | 集会の自由の弾圧を許さない ―水俣市の市民集会中止勧告への抗議 |
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上原 智子 | 私も憲法を学び語りたい!!? 〜団総会女性部企画に参加して |
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島普@保臣 | 「J・S・ミルと自民党の新憲法草案」 ─団総会女性部憲法企画に参加して |
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高木 吉朗 | 九条だけでなく、前文の平和的生存権を守りぬく運動を広げよう | |
志田 なや子 | 戦争憲法に生存権はいらない ―自民党新憲法案第八章地方自治の意味するもの |
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新垣 勉 | 画期的な人権大会「憲法宣言」 | |
飯田 美弥子 | 労働委員会シンポの報告 | |
瀬野 俊之 | 退任にあたって | |
山口 真美 | 事務局次長就任挨拶 | |
増田 尚 | 事務局次長就任のごあいさつ | |
阪田 勝彦 | 自己紹介文 |
熊本支部 板 井 俊 介
一、信じがたい市民集会への中止勧告
憲法二一条集会の自由の保障は、不完全極まりないというほかない。
二〇〇五年一一月四日、最近ノーモア・ミナマタ国家賠償等請求訴訟を提起した「水俣病」で知られる熊本県水俣市は、同市に建設予定の東和IWDの産廃建設に反対する「水俣の水と命を守る市民の会」が開催予定にしていた地区集会に対し、その開催中止の勧告を行う旨の同市総務課長名義の文書を送付した。
江口隆一水俣市長は、この度の産廃問題に対し「水俣市としては(賛成でも反対でもなく)中立である」との立場表明をしていた。その水俣市から、「集会が次期市長選挙の運動に当たるものであり、広報に記載した趣旨を逸脱する」との理由で、市民集会の中止を求める勧告が出されたものである。
市民集会は、それまでに既に数回開催されていたが、この集会は、そもそも水俣市の広報により、「産廃問題について水俣市民が考える機会を持つためのもの」として宣伝されていたものであった。水俣市は、その集会において「(産廃問題の集会を超えて)次期市長選挙の選挙運動」がなされていると判断したものであるが、その判断に際し、集会の主催者からの事情聴取などを行わなかった。
水俣市長の産廃問題に関する「中立宣言」は、事実上は「黙示的な賛成」と評価されるものである。水俣市は、現市長の次期選挙に不利に働く産廃建設反対派の市長候補による世論形成を封じようと、あろうことか「水俣市総務課長」名義の集会中止勧告を行ったのである。
これは、誰の目から見ても行政による憲法二一条集会の自由への直接的かつ積極的であからさまな攻撃である。
二、即座の撤回要求
地元メディアの中には、「余りに馬鹿馬鹿しい勧告だ」として、この事実を記事にしない社もあったようである。
しかし、熊本支部(支部長 板井優)では即座にこれに反応し、「憲法二一条違反が明白なこの度の中止勧告を即日撤回すること」を求める声明を作成し、その五日後である一一月九日、熊本支部を代表して私が水俣市役所に赴き、総務課長に同声明を読み上げて手渡した。
当日、江口市長は不在であったため、私には総務課長が応対したが、彼の口からはその場での反論はなく、後日なんらかの回答をしたい旨の意思を受領した。
三、水俣で初の市民運動を守り抜く
集会の中止勧告を受けた「水俣の水と命を守る市民の会」は、憲法違反の水俣市の勧告を意に介せず抗議行動をし集会を続行しておられる。闘いの基本的な姿勢を身につけておられる。
しかし、市民の会の代表者は、「この運動は、水俣の歴史上、初めての市民運動です」と述べている。
すなわち、過去の水俣病闘争において、水俣病患者を除く大多数の水俣市民は、自らの問題として水俣病問題を闘ってはこなかった、というのである。この評価の当否については暫く措くとして、私は、彼女の発言から、水俣における真の意味での市民運動であることは間違いのないこの運動を成功させるための決意を感じるのである。
私もかつては水俣市民であった。また将来、水俣市民になることもありうる。その意味で、私は潜在的市民として、この運動を守り抜き水俣の市民運動の先駆にしなければならないと思う。
法の支配とは、弁護士のみが守るものではない。弁護士を含む市民が実力で守り抜くものである。弁護士のみの主張に止まる限り、それは机上のものとなる。自らが精神的にも経済的にも利害関係を有する現実の生々しい問題だからこそ、市民が主体的に取り組み、その結果、「理念」という器が「社会的実体」という中身で充たされるのである。
市民運動との連携こそ、真の法の支配を体現する自由法曹団の存在価値であると固く信ずるところである。
四、自由法曹団の知名度を上げる
それにしても、この度の抗議行動を行うに際し、最も手こずったのは抗議文書の名義人である「自由法曹団」についての説明である。
私が対面した新聞記者は、誰も自由法曹団を知らなかった。
各支部の団員諸兄は、いかがであろうか。私は、もっと世間に知られて然るべきだと思う。
我々は、ある局面において個々の力がいかに小さいかを知り、一方で、そういった局面では団結の力がいかに大きく力強いものかを知っている。そして、そのことは、万人に共通で普遍的なものであるはずであり、一般市民においては市民運動として発現し、労働者においては組合として発現する。
弁護士でも、労働者でも、市民でも、個人の力では解決が難しく、団結しなければ如何ともし難い問題があり、その時の解決法の第一歩は団結しかないことの普遍性をもっと世論に訴えるべきではないだろうか。自由法曹団の名を広く知らしめることは、必ずやその一助になると思う。
私はまだ弁護士としては一年の経験しかないが、先日の徳島総会での多くの新人団員に出会い、その思いを強めた次第である。
沖縄支部 上 原 智 子
一 はじめに
私は、今年一〇月四日に弁護士登録をした新人弁護士です。日差しのまだ厳しい沖縄で、同月一一日から執務を開始しました。
すると、間もなく、自由法曹団女性部から一枚のFAXが送られてきました。それは、団総会が始まる前の午前中に女性部主催の実践的な憲法企画(学習会等の経験交流、憲法Q&A徹底討論、自民党・新憲法案の検討など)を予定している、あなたもぜひ参加を!というもの。
実は、私は、団総会の一週間後に、とある団体に頼まれて、「私と憲法」というテーマで二〇分だけ話すことになっていました。正直なところ、憲法についてあまり考えたことがなく(!)、さて何を話せばいいのかと困っていたところでした。タイミングよく飛び込んできた憲法企画に心を動かされ、「鳴門の渦潮を見に行く」企画を蹴って参加させていただきました。
二 企画の概要
詳細は忘れました(すみません)が、覚えている範囲で紹介させていただきます。
(1)憲法学習会の経験交流
ア 「一〇分であなたも憲法を語れる!?講座」西田美樹弁護士
西田先生がご自身の憲法学習会を一〇数分で再現するというものでした。
西田先生は、偽札の鑑定士が本物のお札を知り尽くしているように、まずは現行憲法をよく知ってもらいたいと、【憲法とは】【憲法のかたち】【憲法の基本原理】【基本的人権】【統治機構】【憲法改正】という順番で、明るく、ユーモラスに現行憲法のいろはを語って下さったのでした。
イ 「私の憲法改悪反対活動」長尾詩子弁護士
次に長尾先生が、東京都大田区での学習会活動や九条の会活動を紹介し、その経験を踏まえた感想や問題意識を投げかけて下さいました。
長尾先生は、迫り来る「憲法改正」を止めたい!という明確な意図のもと積極的に活動されており、先生の問題意識も、「問題意識に合わせた学習会が必要ではないか。」「意外と根深いイデオロギーへの答えをあらかじめ言っておく。」など、非常に実践的なものでした。
(2)賛成派反対派入り乱れての憲法Q&A徹底討論
憲法学習会などでよく出される疑問…例えば、「北朝鮮に攻められたらどうする?
憲法九条では対応できないのでは?」「自衛隊を憲法に明記すべきでは?」「現行憲法は押しつけ憲法では?」…にきちんと対応するために、この際「憲法改正」賛成派反対派それぞれの立場から討論しようということになりました。具体的には、賛成派がある疑問を出し、反対派が答え、賛成派が反論し、反対派が再反論する…というものでした。
これは、とても面白い試みで、その手の疑問に弱い私は一参加者になりきって賛成派にまわったり、逆にちょっと答えられそうな疑問には反対派に翻ったりして、討論に関与することができました。
(3)自民党・新憲法案の検討
この時点で発表されていた新憲法第二次案を現行憲法と対照しながら検討しました。第二章のタイトルが「戦争の放棄」から「安全保障」になり、自衛軍に関する九条の二、三が創設され、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」になり、一二条で国民の責務が明記されるなど、その驚くべき内容を一つ一つ確認していきました。
三 笑いと活気に富んだ二時間半
参加者は一〇数人でしたが、それだけにお互いの顔がよく見え、終始和気あいあいとしていました。
特に、賛成派反対派入り乱れての討論は、坂本団長が「頑迷なおじいさん」役を演じて下さったり、高知法律事務所のふたりの男性参加者が盛り上げて下さったりして、真剣な中にも笑いが起きる、とても楽しいものでした。よくある根強い疑問だからこそ、様々な角度から検討できるようにすることが大切ですが、こういう機会でもないと「ああ、そうか」と触発されつつじっくり考えることは難しいと思います。そういう意味で濃密な経験をさせていただき、また私自身の疑問もぶつけられてすっきりした気分になりました。
四 おわりに
結局、団総会で最も有意義だと感じられ、元気になったのがこの企画でした。憲法を学び語る意欲が湧いてきました。魅力的でパワフルな女性の先輩を知ったのも大きな収穫でした。
おかげさまで、冒頭に記した「私と憲法」は、何とか取り繕うことができました。「憲法は、国家権力を抑制し、国民の権利・自由を守るものであり、憲法の名宛人は国民ではなく国家権力であること。憲法は個人の尊厳を最高の価値としていて、そこから基本的人権や国民主権、平和主義が導かれること。統治規定は人権に奉仕することを一番の眼目にしていること。…」司法試験の勉強でこれらの事実を初めて知ったとき私はとても感動したのですが、「私と憲法」ではそのときの体験について話しました。たったそれだけの内容なのに冷や汗たっぷりで、上手に伝えられず、早くも次の課題が見つかったという次第です。
お忙しい中、この企画をつくって下さった女性部のみなさま、本当にありがとうございました。たくさんのヒントとエネルギーをいただくことができました。そして、この企画の参加者のみなさま、それぞれの地で頑張っていきましょうね!
高知法律事務所事務局 島 普@保 臣
今回の女性部憲法企画では、護憲と改憲双方の意見をぶつけ合うディベートが行われました。ディベートでは日頃よく耳にする改憲の意見が出され、その改憲論の問題点はどういったところにあるのか深く考えることができ、とても新鮮でした。その中で、私の大学時代の勉強と、現在の改憲論とがつながっていると感じたことがありましたので、報告させていただきます。
J・S・ミルは一九世紀のイギリス人経済学・哲学者です。経済学者としては古典派経済学の最後の代表者、哲学者としては功利主義を唱えたベンサムの後継者にあたります。今より二世紀近く昔の人物ですが、彼の「自由」についての考察は現在の改憲論の問題点を考える上で、非常に重要です(なお、私は大学のゼミでミルの著作、『自由論』をテキストに勉強しただけですので、ミル研究の専門家ではありません。よって文中のミルの主張が必ずしも学説として正統とされるものではない場合があることをご承知、ご容赦ください)。
自民党が二〇〇五年一〇月二八日に発表した新憲法草案には様々な問題点がありますが、ミルの『自由論』との関係で考えると、現行憲法における「公共の福祉」が、草案では「公益及び公の秩序」に置き換えられている点を見過ごすことはできません。
「公共の福祉」という概念には、自らの人権に対して他者の人権が衝突した際の調整弁として役割が包含されています。しかし「公益及び公の秩序」という概念になると、自分の人権に対するものから他者の人権が消え、地域社会や国家、ひいては権力者の利益、秩序のみに変わってしまいます。
ミルは『自由論』の中で、国民が定期的に権力者を選択し、自らの意志を権力へ反映させられるならば、権力者の要求と国民の要求は一致するので、「自治」が確立した段階では権力に対して何らかの制限を設ける必要などないのではないか、との仮説を立てます。
たとえば、国民主権を謳った国において、郵政民営化で無理やり議会を解散するような人物を党首とする政党が、国民による選挙を経て政権党としての議席を獲得したのですから、これからの国会と内閣の要求(障害者「自立」支援法や共謀罪の制定など)は国民の要求と一致しており、歯止めをかける必要性はない、ということになります。
しかしミルは、「自治」という権力の根拠となっている「人民の意志」が、実際には「多数者の意志」に過ぎず、もし歯止めを設けなければ「自治」なる権力によって「多数者の暴虐(Tyranny of Majority)」が発生する、として前述の仮説を否定します。
なるほど、障害者は社会的勢力としては少数者であり、負担増で障害者の自立を阻害するような「自立」支援法が世論の高まりや国会内での十分な議論を経ぬままに成立してしまうことは、少数者に対する「多数者の暴虐」と言えます。
さらに、ミルが考える「多数者の暴虐」は少数者に対する抑圧だけに止まりません。ミルは、「権力を選んだ多数者」と「多数者によって選ばれた権力」は同一の存在ではないので、権力による暴虐は往々にして多数者にも向けられると説きます。上記の事例で考えると、広範な市民の言論の自由を制限する共謀罪の制定などはその典型です。
つまりミルによれば、権力というものは、例えそれが国民の厳粛な信託に由来するものであったとしても、絶えず歯止めをかけていく必要があるというのです。この「権力の手足を縛る歯止め」としての役割は、現行の日本国憲法にももちろん受け継がれています。
ところが自民党の新憲法草案は、国民の権利への制限項目として「公益及び公の秩序」という権力者の都合を掲げており、権力に対する歯止めとしての役割を果たす憲法とは言い難いものです。改憲論の中には「押しつけ憲法ではなく自主憲法を」という主張もありますが、今回の自民党の新憲法草案を見る限り、彼らが考えている新憲法こそ、権力者から国民への「押しつけ憲法」に他ならないということは明らかなのです。
大阪支部 高 木 吉 朗
一 自民党が公表した「新憲法」草案をめぐって、その批判的検討が各方面でなされている。しかし、憲法の平和主義を守るべきとする議論の中で、私がいささか不満に感じているのは、九条に関心が集中するあまり、前文に謳われている平和的生存権が削除されているという重大な問題点については、なぜかあまり議論がなされていない、ということである。
二 日本国憲法の前文は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」ことを明確に宣言している。これがいかに画期的であり、かつ先進的であるかは、世界人権宣言や国際人権規約が、いずれも日本国憲法に数年遅れて同趣旨の文言を前文の中に書き込んでいることからも明らかである。すなわち、世界人権宣言の前文(一九四八年)は、「恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望である」とし、憲法前文と同趣旨の言い回しを用いている。そして、国際人権規約の前文(一九六六年)も、世界人権宣言を引用する形で、「自由な人間は恐怖及び欠乏からの自由を享受するものである」としているのである。
これらの、日本国憲法前文、世界人権宣言前文、そして国際人権規約前文の共通のタームである「恐怖と欠乏からの自由」こそが、平和的生存権の中核をなす概念である。すなわち、平和とは、個人の尊厳、自由、人権の核心に他ならないのであって、一九世紀的な近代国家観に基づく「国家の安全保障」を中心とする考え方ではなく、「人間の安全保障」に重きを置く考え方をとることが宣明されているのである(浦部法穂・「国家安全保障」から「人間安全保障へ」、「日米新ガイドラインと周辺事態法」(法律文化社)所収等)。
三 平和的生存権は、これまでにも多くの訴訟の場において、人権として主張されてきた。有名な長沼訴訟一審判決は、前文の平和的生存権の裁判規範性を正面から認めた数少ない裁判例である。最近でも、例えば自衛隊イラク派兵差止訴訟において、原告らの請求の根拠として平和的生存権が援用されている。
私自身も弁護団の一員として関わっている沖縄の嘉手納基地爆音訴訟においても、高良鉄美・琉球大学教授の証人尋問等を通じて、平和的生存権の権利性ないし裁判規範性について、主張立証を積み重ねてきた。高良教授は、かねてより、自著「沖縄から見た平和憲法」(未来社)等において、「沖縄においては、住民の平和的生存権が具体的に侵害されている」という主張を果敢に展開しておられる方である。
四 この平和的生存権の理念は、既に見たように、世界人権宣言や国際人権規約にも同趣旨の文言が用いられているが、特に近時、沖縄と同じく米軍基地の重圧に苦しんでいる韓国においても、裁判における請求の根拠として注目を浴びている。韓国軍のイラク派兵を憲法違反とする訴訟においても、その請求の根拠とされたもののひとつが平和的生存権であった。
もちろん、大韓民国憲法には、日本国憲法におけるような明示的な平和的生存権の宣明はない。しかし、幸福追求権の規定である大韓民国憲法第一〇条(日本国憲法第一三条に相当する規定である)が、その直接の根拠として援用されているのである。
* 大韓民国憲法第一〇条
「すべての国民は、人間としての尊厳及び価値を有し、幸福を追求する権利を有する。国は、個人の有する不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を負う。」
今年の山形での五月集会で記念講演をされた韓国・仁荷大学法学部の李京柱(イ・キョンジュ)教授も、日本の憲法は九条で非武装平和を規定しているだけでなく、前文で平和的生存権についても書かれているところに興味を持ち、日本の憲法について研究するようになったと述べておられた(団報一七五・八ページ左段)。
五 憲法九条と前文の平和的生存権は、共に、憲法の平和主義を支える車の両輪である。憲法の統治機構に関する諸規定が、究極的には国民の人権保障に資するよう制度設計されているのと同様に、憲法九条の定める非武装平和主義も、究極的には、平和的生存権の保障(しかもその享有主体は「全世界の国民」である。)をより十全ならしめる目的を持って設けられているのである。
私たちは改めて、平和的生存権の重要性と崇高さを認識し、九条と共に擁護していく運動を起こすことが必要ではないだろうか。
東京支部 志 田 な や 子
〔はじめに〕
自民党新憲法案(以下、自民党案という)の第8章では、地方自治の条文が大幅に増えている。事件の関係で東京自治体問題研究所の安達智則さんからその意味をお聞きする機会があり、憲法の生存権保障を根本的に変質させるものであることがわかった。
その意味するところは、第一に、社会保障を「応能負担の原則」から「応益負担の原則」に転換させることである。第二に、国は社会保障から手を引き「補完性の原則」(市町村ができることは市町村で、市町村ができないことを都道府県で、都道府県ができないことを国が補完する)に転換させることである(詳しくは、安達智則著『自治体「構造改革」批判』、旬報社を参照)。
〔応益負担の原則への転換〕
自民党案の第九十一条の二(地方自治の本旨)第二項では、「住民は、その属する地方自治体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を公平に分任する義務を負う」としている。「分任」という言葉はまったく聞きなれないものであったので、安達さんにお聞きしたところ、財政学の用語であるという。「公平に分任する義務を負う」とは、国民は受ける利益に応じてその費用を負担しなければならないということである。つまり、地方自治の章を「改正」することによって、現行の社会保障の原則である「応能負担の原則」(支払い能力に応じて負担する)から、「応益負担の原則」に転換させるのである。
すべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障した生存権保障は根本的に変質させられる。障害者自立支援法の国会審議のなかで、自民党のいう生存権の意味が明らかになっている。施設入所者は手元に月二万五千円を残して、それ以外はすべて施設使用料として支払えという法改正が行われ、障害者の憤激をかった。ゆくゆくは手元に残るのは二万円に減額されるという。食住プラス二万円、餓死しない程度の生活保障が生存権の意味なのである。
〔補完性の原則への転換〕
自民党案第九十一条の二(地方自治の本旨)第一項では「地方自治は、住民の参画を基本とし、住民の身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う」としている。また、第九十四条の二(地方自治体の財務および国の財政措置)第一項では「地方自治体の経費は、その分担する役割及び責任に応じ、条例により定めるところにより課する地方税のほか、当該地方自治体が自主的に使途を定めることのできる財源を充てることを基本とする」とし、同条第二項で「国は地方自治の本旨及び前項の趣旨に基づき、地方自治体の行うべき役務の提供が確保されるよう、法律の定めるところにより、必要な財政上の措置を講ずる」としている。国と地方自治体との「補完性の原則」が憲法上の規定となる。この原則にもとづき、国が補完性を発揮するのは、地方自治体が餓死しない程度の生活保障さえできなくなったときであろう。
「住民の身近な行政」、すなわち、社会保障、医療、教育などは、基本的に地方自治体の責任とされ、経費も地方自治体が負担することが基本とされる。まさに、「補完性の原則」の宣言である。民主党の「憲法提言」でも「『補完性の原理』に基づく分権国家へと転換する」としていることから、民主党案をとりいれたものと言われているが、真の提唱者は財界であろう。
このような負担に耐えられるのは東京都など大都市の自治体だけである。それ以外の自治体ではとうてい負担に耐えられない。地方自治体の大規模化で対応するために、自民党案第九十一条の三(地方自治体の種類等)では、「地方自治体は、基礎的自治体及びこれを包括する広域地方自治体とする」としている。
「補完性の原則」は地方自治体と国との関係だけではなく、その続きがある。「個人でできることは個人で、家族でできることは家族で、地域でできることは地域で、個人と家族ができないことを行政が」という原則である。そして、この原則は「民間でできることは民間で」という、社会保障を民間企業の儲け先に開放することにつながる。「補完性の原則」と「応益負担の原則」のもとで、地方公務員の職務は、民間企業などからサービスを買い取り、住民の資力に応じてサービスを仲介することになるであろう。
自民党はこれまでの検討過程で憲法第二十四条の「改正」提案をしたが、最終案ではこれを削除した。各界の女性から大反発をまねいたことから、「補完性の原則」で名を捨てて実をとったのだろう。自民党の第二次案にあった第二十五条の2第一項「心身の障害がある者は、差別されることなく、その尊厳にふさわしい処遇を受ける権利を有する」を最終案で削除してしまった。地方自治の章との不整合性を自覚したからであろう。深読みのしすぎであろうか。
〔生存権保障の変質のもたらすもの〕
日本では、義務教育費や生活保護費の国庫負担分の削減をめぐって、地方自治体との間で騒動が起こっている。自民党案では問題にもならない。地方自治体が費用を基本的に負担するということになったときには、大きな地域間格差、階層間格差が生じることになるだろう。アメリカでは、富裕地域では学校が子どもにヴァイオリンなど高価な楽器を無償で貸与するなど充実している一方、貧困地域では学校の窓ガラスが割れても放置されるなど荒廃している。
また、「官から民へ」の先進国、アメリカでは悲惨な話が絶えない。貧困者が入る老人ホーム(ナーシング・ホーム)で、介護がゆきとどかないために「床ずれ」で死亡するお年寄りが続出し、経営者が殺人罪で起訴されるという事件が発生した。生活保護を受けている母子に、老朽化したホテルが宿泊所(シェルター)として提供され、壁に塗ってあった鉛を子どもがなめて鉛中毒になるといういたましい事件もあった。強欲な民間企業が貧乏人の窮状につけいり、地方自治体と契約して利益をむさぼったのである。
〔ねらいは戦費調達〕
生存権保障の根本的な変質を新自由主義的政策のあらわれとだけ考えるのは、お人好しに過ぎる。平和憲法から戦争憲法へと転換すれば、膨大な戦費がかかることになる。膨大な戦費の捻出のためには、社会保障費を劇的に削減しなければならない。戦争憲法に生存権はいらない。このことが地方自治の章にあらわれているのである。
沖縄支部 新 垣 勉
一 タブーを打ち破った大会
一一月一一日、鳥取県で開かれた日弁連第四八回人権大会は、
憲法宣言≠採択した。これは前日の充実したシンポジュウム「憲法は、何のために、誰のためにあるのか」の成果を踏まえたもので、日弁連の歴史に大きな足跡を刻むものであった。一九五〇年に自衛隊が警察予備隊として発足して以来、今日まで五五年間、日弁連は憲法九条について何らの見解を表明することもできず、自衛隊が成育してくる現状を黙過してきた。日弁連の歩みを振り返れば、間違いなく九条問題は日弁連が手出しできないタブー≠ニなっていたといえよう。五五年目にして、やっと日弁連が九条問題を真正面から議論した。それが今大会であった。日弁連が最も権威のある人権大会において「日本国憲法第九条の戦争を放棄し、戦力を保持しないといより徹底した恒久平和主義は、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有するものである。」と宣言した意義は、きわめて大きい。今回の憲法宣言は、日弁連を覆っていたタブーを力強く打ち破ったと言えよう。もちろん、団員にとって、この宣言内容は当たり前のことであり、余りにも遅すぎるものであった。しかし、五五年間日弁連が九条問題に踏み込めなかったことを考えると、その意義は強調しても強調し過ぎることはない。
大会は三時間の熱のこもった討議を経て四八〇名の賛成で憲法宣言を採択した。大会では一〇一名余の反対意見、四七名の棄権があったが、それはほとんどがもっと九条2項擁護を明確にすべきだとの宣言を強化する方向での意見であった。
反対意見の中には、大会宣言が改憲論に組みするものだ≠ニの的外れの批判もあったが、それは論外であった。反対意見の根拠は、日弁連会員の過半数は九条2項の「改正」に反対意見を有しているとの状況認識、あるいはそうでないとしても日弁連が九条2項「改正」に反対する宣言をあげることにより、国民の改正運動を大きく励ましそれを押し進めるべきだとの意図に立つものであった。しかし、まずこの状況認識には誤りがあると言わねばならない。今幾つかの単位会において九条の会等の有志が九条2項「改正」反対の賛同署名を集める運動を展開している。しかし、それに成功しているのは千葉弁護士会等まだ数が少ない。精力的に運動を進めている大阪弁護士会においても、過半数の賛同を集めるのに難渋している。過半数賛同を求める取組みに踏み出すことができないものもある。これが現状である。従って、日弁連会員の過半数が九条2項の「改正」に反対しているとの状況認識は「甘い」と言わねばならない。あの悲惨な戦争を体験した沖縄弁護士会、被爆を体験した広島県弁護士会、長崎県弁護士会の現状も未だ会員の過半数の賛同を確認しうる状況には至っていない。日弁連の現状は、何よりも前記のとおり警察予備隊発足以来五五年間、九条問題について真正面から見解を表明できなかった日弁連の歴史がこれを物語っているといえよう。
このような会内合意の状況下で、九条2項「改正」反対という結論をもとめることは、性急さという点で問題を残すものといえよう。後記沖縄の平和教育の教訓が参照されるべきであろう。
二 宣言の積極面と限界
宣言は日本国憲法が立脚する近代・現代憲法の普遍的理念≠ニして立憲主義を、普遍的原理≠ニして国民主権、人権尊重、恒久平和主義の三点を確認するとともに、日本国憲法の原則≠ニして九条2項を確認し、それを「より徹底した恒久主義」と評価してその先駆的意義を確認・宣言するという構成をとっている。そのため、宣言が「恒久平和主義」と「より徹底した恒久平和主義」を使い分けたことに対して、上記反対者の批判が集中した。九条2項の先駆的意義を宣言するだけでは不十分であり、九条2項の擁護をもっと明確に記載すべきだとの批判であった。しかし周知のように、九条2項の戦力不保持については、それが恒久平和主義の中核をなすものであり、それなくして恒久平和主義は成り立たないとの意見と、それは中核部分ではなくその先駆的試みに過ぎず、未だ恒久平和主義の内容をなす“普遍的原理”となっているとはいえないとする意見が存する。有力な憲法学説の中にも、九条2項は憲法改正を理論的に画する「憲法原理」には含まれないとの見解が存する。また日弁連の会内合意の現状を見ると、前者の意見で会内合意を形成するにはまだ議論不足の観を否めない。宣言は九条2項の先駆的意義を確認するにとどまり、その擁護を明確に宣言するものとはならなかったが、憲法九条2項を世界的に誇りうる先駆的意義を有するもの≠ニ宣言したことは、今後の日弁連の運動を築く上で大きな飛躍台を用意するものといえよう。日弁連は九七年の下関の人権大会で「平和的生存権の実現を求める」宣言を行い、今大会で九条2項の世界に誇りうる先駆的意義≠確認した。いわば、下関人権大会はホップ≠オ、今大会はステップ≠オたと言えるものであり、今後の飛躍(ジャンプ)、すなわち九条2項「改正」反対、九条2項擁護への大きな飛躍台を用意するものであるといえよう。もちろん、九条2項の「先駆的意義の確認」から改憲論議において「九条2項の擁護」を宣言するに至るまでには、大きな飛躍が必要であるが、今回の大会宣言がその前進・飛躍を用意するものであることは、間違いがない。大いに今大会宣言を活用しようではないか。
三 日弁連会内運動の強化を
最後に、沖縄の平和教育の中で重要な反省・教訓をご紹介して結びとする。沖縄では当初、結果を重視する余り、性急に戦争反対と平和を守ることの重要性を教えてきたが、沖縄の運動はしばらくしてそれが誤っていることに気づいた。結果も重要ではあるが、それ以上に、なぜ戦争が悪くて平和が大切かをみんなで議論し、一人一人がその意味を考えることが重要であることに気づいたからである。そのことこそが平和を築く上で大きな力を発揮することに気づいたのであった。これが沖縄の平和教育運動の反省と大切な教訓である。
日弁連の大会宣言も、同じではなかろうか。会員にしっかり足場を築くこと、すなわち、会内でしっかり議論をし、その上で過半数の賛同・支持を得ることにより、宣言は初めて大きな力を発揮するものである。このことを改めて確認することが今重要である。自分たちの組織の中で、九条2項「改正」に反対する過半数の賛同を集めることができないで、どうして国民の過半数の賛同を集めることができようか。私たちは、各単位会で九条2項擁護、九条2項「改正」反対の賛同署名を求める運動を一層強化し、日弁連として明確な九条2項擁護の宣言を出せるように努力することが、今も求められているといえよう。
事務局次長 飯 田 美 弥 子
一 一〇月二一日、全労連会館ホールで、「これからの労働委員会のあり方を考える」というシンポジウムが開催された。
シンポジストは、元中労委労働者委員の島田一夫氏、現都労委労働者委員の井川昌之氏、東京私教連の深谷静雄氏、それに、第二八期中労委労働者委員の任命取消訴訟弁護団から、私という顔ぶれだった(私に白羽の矢が立ったのは、シンポジストの一人は女性にすべきだという主催者の思惑によるらしい)。
コーディネーターを含め、私以外はいずれも歴戦の士ばかり。引き比べて、私は中労委の事件を経験したことがない。任命取消訴訟の書面を読めば、連合系労組だけが労働者委員を独占している実情は、理念的に違法不当なものだ、と理解できるが、他の潮流から労働者委員を任命させることが、事態打開の特効薬なのか、私には、正直なところ、確信が持てていなかった。
したがって、私が話せるのは、「労組法が期待している労働委員会制度の役割とは」とか、「そこにおいて労働者委員が担うべき職務とは」とか、そういう原則論だけですよ、と事前に了解してもらっての登壇だった。
二 島田氏、井川氏の最初の発言は、制度を運営している側からのもの、労組法が改正されて労働委員会の実効性を高めるような規定になったことや、労働委員会内部でも改善の努力はなされてきたことなどが紹介されたが、固さが目立っていた。
それに対し、労働委員会で数々の争議を闘っている深谷氏の発言は、熱がこもっていた。①自分が解雇された当時の一九七三年当時の事務局は優秀だと思ったが、現在は、専門性が失われているのではないか、②組合の意向を十分に反映することなく和解をやりたがる傾向がある、③現在の労働者委員は大単産出身者で占められているため、少数組合の実態についての理解が乏しい等々、具体的な事例を引きながら、予定時間を超えるほど指摘された。
私は、前述のとおり、「労働委員会は、不当労働行為救済のため、つまり、組合のためにある制度なのに、それが、非常に訴訟的・中立的になっているのは、本来からするとずれているのではないか。事務局、および、労働者委員は、労働者の実態を把握し、三者委員に知らしめる職務を負っていることを、より強く自覚すべきだ」という趣旨の発言をした。
島田氏、井川氏は、自ら「争対部長のつもりで、事件を担当してきた」とおっしゃるような、熱心で優秀な労働者委員である。そうでなければ、全労連などが主催するこの種の会合に参加することは難しかったろう。労働委員会をよりよくしたい、というお気持ちから参加され、深谷氏や未熟な私の言い分にも、よく耳を傾けてくださった。そのことに、私はまず敬服した。
三 続いての会場からの発言が、大変おもしろかった。
タクシー乗務員組合の争議で、担当になった中労委の労働者委員は、当の組合を分裂させた、対立組合の上部組織の代表者だったという。委員から接触してくることはもちろんないし、当事者も説明に行ったり様子を教えてもらいに行ったりする気にもならなかった。戦術的にはすべきだったかもしれないが、対立する当事者の代表を信頼する気にはならない、との発言には、参加者が何人もうなずいていた。
愛知からは、住友軽金属の子会社で組合を作り、広大な工場敷地の中の三坪分を組合事務所として使わせてくれ、と言って、地労委に申し立て、二年も争った後になって、その場所は、子会社の所有でなく親会社のものだから、子会社に許可を求める申立事項ではだめだと、事務局から申立をやり直すよう言われたことや、同じ事案で、会社側の、場所がないとか特定できていないとかいう言い分を、労働委員会はいちいち取り上げて、組合側に反論なり釈明なりを求めるが、現場に来て見てもらえば一目瞭然のものなのに、足を運ぼうとしないこと、そういう対応が解決を遅らせていることの報告があった。
また、愛知の別の事件では、不当労働行為を認め、PTSDによる休職だと認めたにもかかわらず、賃金は認めない、という、労働者にとって苛酷な結論になったことがあることも報告された。
静岡から、労働委員会は労働側が連戦連敗。どうにかしなければ、と、①公益委員の選任について、県弁護士会に申し入れをし、弁護士会から回答を得た、②労働者委員の一人が、高教組の議長の教え子だというつてを使って、労働者委員との懇談会を持った、③まだ実現はしていないが、労働委員会にも懇談会の申し入れをしている、との発言があった。
奈良からは、地方の労働運動というのは、大都市とは趣が異なる。労働者から相談を受けて、調べてみると、当該会社に労組の登録があった。労働者本人は、そのことを知らない。会社に事情を聴いてみると、地元の議員から組合を作るよう言われ、手続きは全部その議員がやった、という。労組が利権になっているというのだ。そういう中で、もっと労働委員会を活用するように、労働者に知らせることも大事だ、との発言があった。同時に、迅速な解決という割に、労働側弁護士のスケジュールが詰まっていて、期日が先になるのは、どうにかならないか、との苦言もいただいた。
最後に、長野で労働者委員を務めている女性(看護士とのこと)から、長野の労働委員会は、労働側が連戦連勝であること、全労連推薦の委員がいることで、委員の間にいい緊張感ができていること、連合推薦の委員も、熱意がないとは言わないが、実際に現場で闘った経験がないので、「もうこの辺じゃないですか」というような発言になりがちなのに対し、「いや、私はそうは思いません」と、もう一歩踏み込んだ解決案を提示し、実績を挙げていること、などが紹介された。
四 島田氏・井川氏から、使用者が労働委員会の決定を無視できないように、労働委員会の権威を高めなければならないこと、そのためには、全ての労働委員会に、潮流の違う労働者委員を最低一人配置すべきこと、中労委にあっても、潮流の違う委員がいることで、名誉職的に考えている委員にも緊張感が生まれるはずであること、年間一件の申立もない「空白」の地労委をなくすこと、事務局の異動にも意見を言うべきこと、などなどの提案があった。
弁護士の日程については、これからは弁護士の人数が増えていく、数が増えた弁護士を労働側につかせるように、労働側も努力して欲しい。「どうせ先生達は、俺達より成績優秀で、俺達のことなんかわからない」と背を向けず、労働現場を知らない弁護士に、実態を分からせる工夫をして欲しい。代理人の弁護士を説得できなくて、裁判官は説得できないのだから、と、私から弁解した。
参加者全員が、それぞれの立場から、労働委員会がより実効性あるものになるよう願っていることがよくわかる、熱い集会であった。
東京支部 瀬 野 俊 之
この辺にしておこうとか、この程度で済ませておこう、と決め込んでしまうと、物事がとたんにつまらなくなってしまうので、ついついのめり込んでしまうのです。しかしそれは長くは続かず、たびたび「休憩」をとることになります。マラソンには向かず、短距離専門といったところでしょう。そんな私にとって、二年間は少し長かったのかもしれません。これからしばらくの「休憩」に入ります。
「休憩」をしているときの自分は嫌いではありません。観客席からみる活動家のパフォーマンス。ある種の「違和感」を感じることがあります。走っているときには決して湧くことのない感性です。「ちょっと違うんだよなあ」「何やってるのかなあ」などとぶつくさ言い始めたら、また走ることにします。
個性的な執行部であったと思います。二年間ありがとうございました。
東京支部 山 口 真 美
一 この度、自由法曹団の事務局次長に就任しました、山口真美(やまぐちなおみ)です。研修所での期は五四期です。所属している法律事務所は、吉田幹事長と同じ三多摩法律事務所です。事務所は、東京都立川市にあります。東京的要素を持ちつつ、二三区ではない地域的要素があるというところが醍醐味です。地域の住民や労働者から様々な事件が舞い込む地域密着型の事務所で、日々楽しく事件や運動に取り組んでいます。
二 次長にというお声がかかったのは、総会の約一〇日前。まったく予想していなかったことで、自宅に帰って配偶者に「本当の話かしら」などと言って、のんびり構えていました。ところが、翌々日には事務所の運営委員会の議題になるという話の展開で(某幹事長の動きは早かった、、、)、やっぱり本当だったんだなどと思いつつも、迷わず「やります」と答えている自分がいました。仕事のやりくりはつくのか、健康は大丈夫かなど、いろいろ考えればきりがないところでしたが、平和憲法を守るために自分にできることは何でもやりたいというのが素直な気持ちでした。
三 一〇月二八日には、自民党の新憲法草案が発表されました。憲法九条二項(戦力の不保持)を削除し、自衛軍を認める九条の二を新設するという極めて危険な内容です。教育基本法改悪、国民投票法案の制定の動きも予断を許さない情勢です。いよいよ改憲へと、本格的に激動の時代が続くことが予想されます。改憲阻止の運動をこれまでになく高め、広げていくことが求められる時期です。課題は山積みといったところですが、総会で報告される団員の皆さまの各地での取り組みを聞くにつけ、平和憲法に対する国民の思いの強さを実感しております。このような動きが結びつくとき、改憲を阻止する大きな力となるのではないかと思います。
先日行われた事務局の引き継ぎで、主に改憲阻止対策本部を担当することになりました。担当次長として、憲法改悪阻止の闘いに力を尽くしていきたいと決意を新たにしております。
四 コツコツあきらめず、着実に積み重ねていくのが信条です。まだまだ未熟ですが、私なりに頑張っていきたいと思います。二年間、どうぞよろしくお願い申し上げます。
大阪支部 増 田 尚
この度、本部事務局次長に就任いたしました大阪支部の増田尚と申します。
二〇〇〇年四月に弁護士登録をするとともに入団し、初年度こそ、五月集会・総会と参加したものの、その後、すっかり「幽霊団員」と化してしまいました。そのため、今般の事務局次長への就任要請には、ずいぶんと戸惑い、悩みましたが、今日のような状況の中で、自由法曹団がより強力に運動し、ものを言い、世論を作り上げていかなければならず、そのために微力ながら貢献できればと思い、就任を引き受けることといたしました。
「今日のような状況」とは、経済面では、日米資本の「新自由主義」的政策がまかりとおり、次々と「規制緩和」の名の下で、社会的弱者が痛めつけられ、階層の分離と固定がすすんでいること、政治面では、平和主義の解体と米国の軍事行動へのいっそうの従属、「日の丸・君が代」の強制をはじめとする教育攻撃などの状況を念頭に置いています。これらの攻撃は、法制度の改悪や現場での具体的な攻撃はもちろん、きわめてイデオロギー的でもあり、反撃もまた、「理論と実践」を融合させたものでなければならないと考えております。事務局としては、この「理論と実践」の橋渡し役として奮闘していきたい所存です。
また、事務局では、司法民主化問題と労働問題などを担当する予定です。この二つの課題とも、まさに「新自由主義」的「改革」にどう対峙し、市民や労働者の権利をどう擁護し、前進をかちとるかが鋭く問われています。そのためには、広範な階層との連携・共闘が不可欠であると考えます。
少し自己紹介をさせていただきますと、出身は京都市で、修習から大阪に移住しました。これまでに敗訴者負担導入反対の運動などに取り組んできました。現在は、敷金問題研究会の共同代表を務めており、NTTリストラ大阪訴訟、ジュゴン訴訟などの弁護団に加わっています。また、自身でブログ(ろーやーずくらぶhttp://yaplog.jp/lawyaz-klub)を管理しており、消費者問題、労働問題、環境問題などの情報を発信しています。
神奈川支部 阪 田 勝 彦
「法律で生きている弁護士であるからこそ、この改憲の問題に無関心であることは許されない」これは、神奈川支部の今は亡き先輩弁護士のお言葉です。普段、団や青法協にはいらっしゃらない先生でしたが、イラク情勢で混乱する二〇〇一年、珍しく青法協にてお会いしたのです。その際、その先生は、私たちに「法律家であり、もっともその改憲のおそろしさやその問題点が分かるはずの立場にありながら、それに無関心で知ろうともせず、その結果、改憲を進行させることは罪であり、後生の笑いものである」旨おっしゃいました。
私は五二期の弁護士です。無論未だ三〇代前半の若造であり、修習中からそれほど平和・安全保障問題に意識をもっていたわけではありません。その私も、いまや呼ばれれば、あっちこっちと、わずか数人のおじさんグループに憲法を教えさせていただき、本屋にいけばまず見に行くのが改憲関係の書籍という状態です。おまけに、恥ずかしながら、神奈川支部で(本当は青法協なのですが)、「歌う9条の会」なるバンドを結成し、平和のために踊りを披露しております。
今思うと、当時のそのような中途半端な私のような人間が、この世の中で一番多数を占めるのではないでしょうか。二〇〜三〇代の若者たちは、こころが無いのではなく、何故か現実を見ることができていないだけなのではないかと思います。
心を揺さぶる言葉を得ることにより、現実を見ることができるようになる人は想像するよりももっともっと多いと確信しております。そして、その言葉を伝えることが出来る人たちは、自由法曹団員が中心を担う必要があると思います。私が先輩老弁護士から得たのと同じように。私は、それからというもの新人を見つけては受け売りでお話しをさせて貰っています。
そのような伝える活動も含め、至らない点など多々あると思いますが、ご指導ご鞭撻をいただきながら精一杯頑張り、結果として皆の心が平和な世界に一歩でも近づけるようにしたいと思っておりますので、どうぞ宜しくお願いいたします(担当は、改憲、教育です)。