<<目次へ 団通信1184号(12月1日)
鷲見 賢一郎 | 続・企業再編リストラとのたたかい 長野県労委、持株会社・富士通コンポへ団交応諾を命ずる |
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毛利 正道 | 地方税管理回収機構の全国展開にご注意を | |
山本 裕夫 | 谷村正太郎著「再審と鑑定」出版に寄せて | |
中野 和子 | 新人女性団員の皆様へ 女性部入会のお誘い | |
長尾 詩子 | 東京・大田区での憲法改悪反対運動 | |
坂元 洋太郎 | 第四八回人権「大会宣言」の採択について | |
四位 直毅 | 日弁連の人権大会、人権シンポと憲法 | |
今村 幸次郎 | 就任のご挨拶 |
東京支部 鷲 見 賢 一 郎
一 信州工場閉鎖攻撃に続く持株会社設立と統括業務部門の取上げ
団通信一一六二号(二〇〇五年四月二一日号)で報告しました、平成十七年三月三十一日の親会社富士通㈱への勝利命令に続いて、十月十三日に長野県労働委員会から持株会社・富士通コンポーネント㈱への勝利命令を得ましたので報告します。
㈱高見澤電機製作所は、平成十一年六月、信州工場の労働者に対して、希望退職及び子会社の千曲通信工業㈱への転社の募集を強行しましたが、一〇〇名の労働者(うちJMIU組合員九十九名)がどちらにも応募せず信州工場に残りました。
その後、高見澤電機と富士通高見澤コンポーネント㈱(F&T)は、平成十三年九〜十月に、株式移転方式で、完全親会社である持株会社・富士通コンポ(FCL)を設立し、FCLへグループ全体を統括する管理・営業・技術開発部門を営業譲渡してしまいました。このようにして、高見澤電機は、東京証券取引所第二部上場のリレー製造の総合メーカーから、非上場の信州工場でのリレー製造のみの製造子会社にされてしまったのです。
全日本金属情報機器労働組合(JMIU)、同長野地方本部、同高見沢電機支部(以下「組合」という)は、平成十四年一月十日、長野地労委に、「富士通、FCLの団交拒否と高見澤電機の不誠実団交」及び「高見澤電機信州工場に残された組合員の賃上げ、一時金等の労働条件とFCLへ転籍させられた労働者の労働条件との間の格差是正」について不当労働行為救済申立をしました(長地労委平成十四年(不)第一号事件)。その救済命令が、この十月十三日に出されました。
二 長野県労委 高見澤電機と持株会社・富士通コンポへ団交応諾を命ずる
平成十四年(不)第一号事件についての長野県労委命令は、「高見澤電機は、申立人より高見澤電機信州工場の経営計画・事業計画及び労働者の雇用の確保と労働条件の維持・向上のための方策について、団体交渉の申入れがあった場合には、誠実に団体交渉に応じなければならない。」、「富士通コンポは、申立人より高見澤電機信州工場の経営計画・事業計画及び労働者の雇用の確保と労働条件の維持・向上のための方策について、団体交渉の申入れがあった場合には、高見澤電機の団体交渉の状況に応じて、誠実に団体交渉に応じなければならない。」と命令しました(なお、それぞれについてポスト・ノーティスもあります。)。
(1)長野県労委が富士通コンポに団交応諾を命じた理由のまとめは、次のとおりです。
「以上によれば、資本関係、役員関係、営業取引関係、経営施策の展開関係、業務上の指示関係からみて、FCLは高見澤の経営を支配する立場にあったものといえる。そもそも、FCLは、子会社の経営を統括する目的で設立されたものであり、その設立目的からしても、その使用者性はより一層強いものである。ましてや、グループ会社の中枢部門である統括業務部門を持株会社が独占的に保有する本件のようなケースでは、持株会社のグループ会社に対する支配力は一層強力なものとなる。傘下の製造子会社にとっては独自の経営施策の展開の上で大きな制約が生ずることもまた明らかであり、FCLは、高見澤の経営計画、事業計画に左右される申立人支部組合員の基盤的労働条件を支配する立場にあったものといえる。とりわけ、購買価格と販売価格の逆転現象による逆ざやや子会社貸付金などにみられる高見澤の対応は、到底グループ会社の一製造子会社に位置付けられる(予定であった)高見澤が単独の判断でなし得るものとみることはできず、FCLグループとしての一体的経営を強く推認させるものである。このことは、FCL設立後の団体交渉において、高見澤が、経営計画・事業計画についての具体的かつ明確な方向性を立案することができず、これを長期間にわたって申立人に説明しえない事情からもうかがうことができる。高見澤が経営計画、事業計画を策定するためには、FCLの明示又は黙示の承認が必要であったものと判断される。」
(2)最後に、長野県労委は、「救済方法について」として、次のようにコメントしています。
「さらに、FCLグループの一体的経営の中で、高見澤とFCLの取引形態や高見澤が営業部門を持たないなどの事情から、現時点においても高見澤が単独で経営計画・事業計画を策定できないのは明らかであり、申立人の請求内容を満足させるには、高見澤が必要に応じてFCLと連携するなどして誠実な団体交渉を行うとともに、高見澤が誠実な団体交渉を行い得ない場合には、FCLが申立人と誠実に団体交渉を行う必要があるものと思料される。したがって、主文のとおり命じるとともに、併せて高見澤及びFCLそれぞれに誓約文の手交を命じる。」
三 長野県労委 親子孫会社関係における親会社富士通に団交応諾義務が及ぶ可能性を認める
(1)長野県労委命令は、次のように述べて、親会社富士通に対しても団交応諾義務が及ぶ可能性を認めました。
「よって、上記の場合(親子会社又は持株会社におけるグループ経営の場合の意味)、基盤的労働条件に関し、親会社又は持株会社は使用者性を有し、団体交渉応諾義務が存在するものといえる。しかし、親会社に団体交渉応諾義務が存在する場合でも、この義務は、子会社が誠実に団体交渉を行えなかった場合に、初めて現実的・具体的に発生するものであるといえる。これらのことは、純粋な親子会社関係において発生するのみならず、例えば、本件における富士通、FCL及び高見澤の関係のような三層構造を持つ親子孫会社関係においても適用されるものである。したがって、孫会社の基盤的労働条件に関する団体交渉について、子会社が応じられない場合に初めて、さらに、その親会社に団体交渉応諾義務が及ぶものと考えられる。」
(2)しかし、長野県労委命令は、続いて、次のように述べて、親会社富士通の具体的な団交応諾義務は認めませんでした。
「さらに、本件の場合、FCL(子会社)がグループの統括業務部門という中枢部門を専有し、高見澤(孫会社)の経営を支配している事業持株会社であることから、FCLに高見澤の事業計画等についての団体交渉能力があるとみるべきである。よって、その点から、富士通(親会社)の使用者性を問題とするまでもなく、FCL(子会社)に団体交渉応諾義務を認めれば足りるものと判断する。」
富士通は、FCLとともに、高見澤電機の経営計画・事業計画と労務方針について支配的力を持ってきたのであり、FCLと合わせて富士通にも団体交渉応諾を命ずる必要があり、そういう意味で、上記の判断は誤った残念な判断です。
四 長野県労委 高見澤電機信州工場に残された組合員の賃上げ、一時金等の労働条件と富士通コンポへ転籍させられた労働者の労働条件との間の格差是正を認めず
長野県労委が、上記格差の是正を認めなかった理由は、次のとおりです。
「もともと転籍者が同一の労働条件であったからといって、高見澤とFCLという別の法人格の下で転籍先会社の組織や経営状況によって労働条件が異なるのが通常であり、特別の事情があれば格別、これをもって直ちに比較対象になし得べきものではない。」
「申立人組合員には平成十四年度から平成十六年度の賃上げ並びに平成十五年及び平成十六年の一時金の支給はなく、一方、FCLでは少なくとも平成十四年に一時金の支給があったことはうかがえる。しかし、FCLと高見澤双方に支給されていると思われる平成十四年の一時金についても、FCLにおける支給額又は支給月数の疎明がない。」
富士通、FCL、高見澤電機は、JMIU組合員を信州工場に隔離・差別し、さらには会社解散・工場閉鎖・組合員全員解雇と組合壊滅を目論んで持株会社FCLの設立と統括業務部門のFCLへの営業譲渡を強行したのです。上記の判断は、この点を見落とした誤った判断です。
五 続く信州工場存続・発展のたたかいー中労委に舞台を移して
平成十一年六月の事業再建策の強行以来、信州工場はJMIUの隔離職場にされ、当初は一〇〇名(うちJMIU組合員九十九名)の労働者が働いていましたが、この間の定年退職により、現在七十一名(うちJMIU組合員七十名)の労働者が働いています。
今年三月三十一日の長地労委平成十一年(不)第二号事件命令で富士通と高見澤電機に団交応諾命令を勝ち取り、今回長地労委平成十四年(不)第一号事件命令で富士通コンポと高見澤電機に団交応諾命令を勝ち取ることができ、信州工場の存続・発展と雇用確保のたたかいの展望はより一層確固たるものになりました。しかし、他方で、高見澤電機は、組合壊滅を図り、賃上げについては平成十四年度賃上げから〇回答を続け、一時金については平成十五年夏季一時金から〇回答を続け、事実上の労働条件切下げを強行しています。
富士通、富士通コンポ、高見澤電機、組合それぞれは、平成十一年(不)第二号事件命令、平成十三年(不)第三号事件命令、平成十四年(不)第一号事件命令の不服な部分について、中央労働委員会に対して再審査を申し立て、現在調査が進められています。
親会社富士通と持株会社・富士通コンポの使用者としての責任を追及し、職場と雇用を守るため、正念場のたたかいが続きます。
長野県支部 毛 利 正 道
長野県から三重県に調査
茨城県に次いで二〇〇四年四月に設立された、全県の自治体が加入する三重地方税管理回収機構が、地方税の徴収攻勢の新たな強まりとして全国に危惧を広げている一方、長野県内において同様な機構を作ってはどうかとの声が出され、長野県当局も同機構に視察を行っている経過があります。
そこで一九九六年に弁護士・税理士など三〇数名で発足して以来、税務行政における人権侵害に対処してきている長野県税金オンブズマン(代表委員が毛利)は、三重県における「機構」の実態をつかむ目的で事前に質問状を送り、一一月一一日、三重県分庁舎において「機構」側から実情を聞き懇談しました。また前日には鈴鹿市役所を訪れ、市の認識を聞きました。
全体として明らかになったことは、自治体と地方議会の側には政府のすすめる「三位一体の改革」のもとでの財政危機感があり、地方税の滞納額の累増という問題に強力に対処すべきという意見が強まり、「まじめな納税者との税の公平」の観点から断固対応すべきとの立場から徴税の手段を強めたということです。そのために県の指導性のもと「機構」がつくられ、困難事案が市町村から「機構」に移管されて格段に強化された徴税がなされると同時に、市町村においても「機構」未移管分について「機構」と同様の措置をとるよう指導がされています。
その徴税手段の特徴は、税の督促に応じない者について機構に引き受けさせて、財産調査を行い、従来よりはるかに差押えを優先させて、滞納者に強く納税を促すというものです。売掛金・生命保険など営業や生活の「生命線」も多数差押えの対象になっており、生命保険については、数十件に上る職権による解約もされています。それらの措置によって、三重県における地方税の滞納額は累増傾向を脱したことが「機構」より説明されました。
約束通り分納していても「生保を差押える」
しかし、鈴鹿市を例にとった場合、生命保険の差押えは、前年も前々年もゼロでしたが、「機構」が活動を開始した二〇〇四年度には、機構に移管した分で一七件、移管していない分で一件の合計一八件という「急増」になっています。しかもその鈴鹿市での今年度における具体的な事案(「機構」未移管事案)には、分納の約束をしてそのとおり履行していたが、生命保険で支払うよう強く求められ、民商に相談し交渉してもらった結果、従来の分納でよいとの結論になったケースや、「生命保険を差押えするか、滞納額の半額(約一〇〇万円)をまず持ってこないと「機構」に回す」と言われ、交渉の結果、五万円ずつの分納で決着した民商会員のケースが有ります。相談先が見あたらない納税者の多くが、半強制的に生命保険を解約させられている可能性があります。四日市市では、あまりの圧力に納税者が「自殺する」と言って騒然となったケースも有りました。このように、「機構」での徴税と「機構に回す」との「脅し」が一体となっての新たな徴税攻勢が住民のいのちを奪いかねず、あるいは営業の存続ができない事態を招く強い不安があります。
山積する問題点
「機構」側は、口頭説明では「滞納者の暮らしや営業にも配慮している」というものの、その運営方針を示す文書には、住民の一人でもある滞納者の福祉・人権を尊重するとの地方自治法の視点が全く明示されていません。また、引受処理件数が担当職員一人あたり約九〇件で税務署職員の手持ち件数の倍近くの多忙さであることと差押え件数が移管件数を上回っていることからみて、丁寧な対応よりも強権的な差押えが先行しているのではとの印象を強く持ちました。また滞納者からの徴税に重きがおかれる一方で、個々の滞納者の実情に即した納税の猶予などの措置を取った例が少ないなど、地方税法の運用が偏っている感も否めません。さらに生命保険の職権解約は人権問題につながりかねません。
そもそも、今回の「機構」設立は、平成の時代になって以降、三重県内で市町村税の滞納が三倍に増えたことへの対応としてなされたものですが、この間に悪質な滞納者が急増したことなど考えられず、これは深まる不況と社会保障の弱体化による支払能力の減退に起因していることは明らかです。徴税を強化することによってこれに対処しようとするところに基本的問題があります。更に、徴税問題は人権問題と表裏一体の性格をもっており、そうした徴税事務を、市町村以上に住民が見えにくくなる一部事務組合としての「機構」に委任すること自体の地方自治の視点からの是非が問われています。
まじめな滞納者もたくさんいることを忘れずに
そうした問題点をはらみながらも、「機構」の説明では和歌山県・愛媛県・徳島県が来年度に「機構」を立ち上げるとのことです。一方香川県は設立を断念したと伝えられているように、「機構」問題は地方自治をめぐる大きな争点になっています。私は長野県税金オンブズマン代表として、三重県庁内での記者会見で「今後、全国に波及する恐れがあるが、まじめな滞納者もたくさんいる。特に滞納分の七割以上を占めている固定資産税は、払いたくても支払資金がない納税者が多い。彼らも地方自治の主権者であることを忘れず、徴税促進を目的とする同種組織の設立には十分慎重であって欲しい」と述べました。
東京支部 山 本 裕 夫
谷村正太郎さんの「再審と鑑定」(日本評論社)が上梓された。
布川事件弁護団だけでのおつきあいしかない私は、谷村さんが著名かつ優れた弁護人であることは承知していたが、業績の詳細は知らずにいた。もとより悪いのは不勉強な私の方なのだが、その責任の一半は谷村さんにもある。というのも谷村さんは、その豊かな経験と知性を決してひけらかしたりしないからである。そして私のような凡人は、本書を通読することによってはじめて谷村さんの立派な業績とその知性の深さを知ることになるのである。谷村さんは、正真正銘、謙虚の人である。
芦別事件には本書の五〇頁が費やされている。この事件に対する谷村さんの特別な思いが伝わってくる。不当逮捕・長期勾留のもとで職場の同僚に偽りの証言が強要され、また実は土砂崩れで坑内に埋もれていた発破器が「盗み出されて鉄道爆破に使われた」ものとされてしまう。しかも、警察・検察は発破器が坑内に埋もれていたことを知り、これを押収していながら、あろうことかこれを隠してしまう。弁護団は被告人・支援者と団結し、この権力の不正の構図を暴き、刑事事件で無罪を獲得し、さらに国賠訴訟で権力の不正義を告発していく。本書はその過程を、弁護士谷村正太郎の歩みと重ねあわせながら、生き生きと描いている。布川事件の第二次再審請求審でも、警察・検察の証拠隠しと確定裁判の不正義が、再審開始決定を導くひとつの重要な契機となったのだが、その原型は、すでに芦別事件の捜査と公判に、より鋭い形で現れていたのである。権力の不正と腐敗は、時代を選ばない。
言うまでもなく、再審論は、本書の骨格の一つをなす。白鳥事件に関する論述は、国家権力の卑劣なたくらみと、これを糾弾し包囲した裁判所の内外の闘いを活写している。その末尾の「白鳥決定三〇年に思う」は、再審理論の現在の到達段階を的確にまとめたもので、再審関係者必見の論文である。ここで谷村さんは、限定的再評価説をめぐる論争に触れながら、「判例理論が何か」ではなく「判例理論が正しいか」こそが問題であると指摘している。確か二回前の全国再審弁護団会議で、「新幹線論争」(と私が勝手に呼んでいる論争)があった。その会議のまとめで谷村さんは「新幹線がだめなら、在来線でもいくぞー。在来線でもだめなら歩いてでも行くぞー。」と明るく決意表明(?)をして会場を湧かせたことがある。いかなる条件に置かれようとも、「無実の人は無罪に」という刑事弁護人の魂がそこには秘められているように見える。
芦別にせよ、白鳥にせよ、また、「追憶の断章」で想い出を綴る杉之原舜一弁護士や谷村直雄弁護士(谷村弁護士の父上)にせよ、今とは比べものにならぬ過酷な条件のもとでもなお、真実と人権の旗を掲げてたたかい続けた人たちの足跡を、私たちは本書で知る。長い再審冬の時代にあっても、少しもたじろがず、谷村さんが悠然とたたかい続けてきた胆力は、きっとこうした経験に裏打ちされているに違いない。
谷村さんは再審における鑑定の役割にさらに論を進める。「人は時として嘘をいうが、物は嘘を言わない」。谷村さんは供述証拠の危うさを強調し、とくに再審においては、物証には何ものにも代え難い証拠価値があること、そして物に真実を語らせる「鑑定」が大きな役割をもちうることを「再審と鑑定」の章で説いている。だからこそ、鑑定とこれに関わる弁護人のあるべき姿について、進んで多くの重要な指摘をしている。とくに、「不可知論」と「明白性」が結びつき再審を文字通り開かずの門としていたとのくだりは、科学的思考に裏付けられていて示唆に富む。今回の布川事件の再審開始決定が不可知論を排し、再現実験の有効性を認めたことは、この点でも意義深い。
周知のとおり、白鳥事件は、その後の多くの再審事件のためにその扉を大きく広げながら、それ自体は醜悪な詭弁によって敗れてしまう。しかし、それから丁度三〇年後、谷村さんは布川事件の主任弁護人の一人として、あらたな再審開始決定の日を迎えた。谷村さんが先人たちとともに蒔いた種が、もう一輪の花を咲かせ始めている。こうして見てくると、布川再審事件は、ひょっとして谷村教授による谷村ゼミの壮大な再審教育実習だったのか、などという思いにもかられてしまうのだが、むろんこれは本番である。必ず抗告審でも再審開始の花を咲かせ、再審公判で無罪判決の実を結ばせなくてはならない。
ところでこの谷村教授の語り口、生真面目なようでいて、ときに軽妙洒脱である。「追憶の断章」にもその片鱗が見える。巧まずしてそうであるところに価値がある。私なんぞは、谷村さんはむかしむかし落研に所属していたか、あるいはご先祖に噺家が一人くらいいるのではないかと、実は疑っている。
東京支部 中 野 和 子
五八期の女性団員の皆さん、既に忙しく弁護士として活躍されていることと思います。一一月三〇日には、女性部の新人歓迎会を日比谷公園南部亭で行わせて頂きました。五八期の女性団員に皆様全員に是非、女性部入会の手続きをとっていただきたく思い、女性部の歴史と果たしてきた役割について、述べさせて頂きます。
女性部の体制は、部長に倉内節子団員、事務局長に私、運営委員に西田美樹団員、長尾詩子団員、太田啓子団員、そして五八期から岸団員が就任しております。また、年会費五〇〇〇円をいただいております。
自由法曹団自体は一九二一年から存在しておりましたが、女性部が発足したのは四七年後の一九六八年のことでした。当時は団婦人部と言い、部員は二八名しかいませんでした。発足直後、麹町警察署暴力事件が発生し、まだ二〇代の女性団員三名が接見を拒否され帰り際に警察官に警察署の階段を突き落とされたのです。
草創期から三七年たって、現在女性団員は二五〇名を超えています。一〇倍近くになりました。
ここに至るまで、女性分野では女性労働者との交流会、「子供の権利について考える」シンポジウム、沖縄無国籍児問題、ベビーホテル問題、パート一一〇番、「労基法改悪反対・実効性のある雇用平等法を求める」シンポジウム、国家機密法に反対する婦人のアピール、拘禁二法女性弁護士有志アピール、シンポジウム「性をめぐる人権状況」、シンポジウム「豊かな男女関係を考えるーセクハラからヒューマンセクシャリティへ」、「国連平和協力法」反対アピール、育児休業法案に対する申入など、数え切れないほどの先駆的な取り組みをして女性団体に働きかけ、女性運動をリードする役割を果たしてきました。
また、憲法パンフ「憲法とわたしたちのくらし」を発行し、二度の改訂を経て普及してきました。日弁連の中でも、九〇年四月に京都弁護士会会長に久米弘子部員が就任し、〇三年四月には広島弁護士会から大国和江部員が女性で初めて日弁連副会長に就任、〇五年四月には杉井静子部員が関弁連理事長に女性で初めて就任し、先駆的役割を果たしてきました。詳細は、後ほどお送りします「自由法曹団女性部三五年記念」誌をご覧ください。
このような団女性部の先駆的な役割に多くの女性団員が共感してくださり、部員になっていただいております。土井香苗部員のように難民問題でも活躍しながら運営委員になっていただいたりしています。
しかし、女性団員の中には、女性部の存在意義について疑問をもたれたり、女性の地位向上については関心がもてないという方も増えてきております。そのように違和感を感じられる女性団員の中には女性部員にはなりませんというご意見をいただいていることも事実です。また、何をやっているのかわからないというご批判もあります。
そのようなご意見・ご批判も踏まえた上で、新人女性団員の皆さんには、是非、女性の地位向上に関心をもって、再び女性運動の中で団女性部員という立場で女性団員が率先して役割を果たすことをお願いしたいと思います。
私は、今年九月から婦人団体連合会の常任幹事に復帰しておりますが、会議の中では、本当にお金のない女性たちの献身的な運動や状況が毎回語られます。人間の半数が女性であるにもかかわらず、根強い伝統・慣習・偏見に基づく女性差別があります。弁護士分野でも、三〇代の女性修習生が事務所訪問の申込みをしても返事すら来ないという実態があるようです。単位会の会長選挙でも、女性団員が立候補すると非常に冷淡な態度があると聞いています。女性の地位向上のために果たすべき役割がこの日本社会にまだまだ存在するわけですし、婦団連の中でも今後憲法改悪問題をはじめとして女性部員に多くの期待がかかっています。現在、雑誌「婦人通信」連載中の太田啓子団員の二四条講座はわかりやすいと大変な人気です。その前は、西田美樹団員がやはり憲法の連載をして好評を博しておりました。どうしても部員になることは見合わせたいという方は、私のところに理由を添えてファックスをお送りください。今後の活動の参考にさせていただきます。それ以外の方は、積極的に女性部の活動にご参加ください。
では、皆さんは何をすればよいのか。まず、女性団員のメーリングリストに登録してください。横浜合同法律事務所の太田啓子団員までファックスでメールアドレスをお知らせいただければ順次登録していきます。よろしくお願いします。
東京支部 長 尾 詩 子
先日、自民党が新憲法草案を発表しました。着々と進む憲法改悪の流れに対抗して、各地・各団体・各職域で九条の会結成され運動が広がっていますが、東京二三区のうちの大田区で団員が関わっている二つの活動をご紹介します。
一つは、今年五月二六日に、憲法九条を護ることを一致点に大田区在住・在勤の弁護士が集まり、「弁護士九条の会・おおた」を結成しました。
同日、結成企画として、フォトジャーナリストの郡山総一郎さんと九条の会事務局の小森陽一さんを講師に、土井香苗団員が司会をするという欲張りな企画をしました。
郡山さんはスライドを上映しながら具体的に平和のすばらしさを実感できる話を時には笑いも交えながら話し、小森さんはこれまた笑いを交えながら現在の憲法改悪の危機的状況とそれを破る展望について語りました。
大田区内での憲法運動のジャンピングボードにしてもらおうという目的の下、大田区民全体に呼びかけました。組合など団体を通じての宣伝だけではなく、予算と相談の上でしたが、毎日新聞に折り込みをしたりしました。ビラは、「若者が手にとりたくなるビラ」をテーマに、郡山さん撮影の子どもの写真を使って、「あのビラいいよね!」とうわさになるほどの出来でした。
講師の魅力と宣伝の工夫の成果か、当日は約四〇〇人の参加を得ました。主催者の予想以上の人数でした。いつもの学習会では見ない小さな子どもを連れたお母さんや若い人が多く来ていました。ピンクと白のフリルいっぱいのワンピースを着た女の子といういつもの学習会では絶対に見ない参加者もいて、主催者一同感動の嵐でした。
同会は、団員以外の弁護士さんが多数中心的に関わり、月一回会議をして、お昼を食べながら、大田区でどのように区民の過半数を護憲勢力にできるかを議論しています。
年齢や活動場所が違う弁護士が集まると、弁護士という基盤が一緒でも、発想がみんな違っていて、おもしろいです。
会の活動としては、後述の「大田九条の会」の結成をサポートすることはもちろん、独自の活動として、九月一二日に自民党新憲法第一次案についての分析を区民のみなさんと共に行う学習会を開催しました。一一月一〇日には儀同保弁護士を囲んで沖縄戦の話を聞く会を予定しています。
そして、なんとHPまで立ち上げてしまいました(http://lawyer-a9.main.jp/)。まだ工事中の箇所が多いのですが、「一人一言」のページには、海部幸造団員のさわやかなエッセイ、船尾徹団員のちょっと濃く長い論文に加え、笹山尚人団員の若者を気取ったエッセイが個性豊かに掲載されています。
二つめは、一〇月六日、大田区民の九条の会のネットワークとして「大田九条の会」を結成しました。
大田区には、「たまがわ九条の会(準備会)」とか「新蒲田九条の会」とか「働く者の九条の会」などなど約二〇近くの地域・職場の九条の会があります。これらの九条の会のネットワークとして、約一四〇〇人の参加で、同会は結成されました。東京都の区レベルの会では最多人数での結成ではないかと自負しています。
ジェームス・三木さんが「私と憲法」というタイトルで平和の大切さと国際的な文化交流の重要性を訴え、その後、吉武輝子さんと小森陽一さんを加えて九条にとどまらず二四条、国民主権、個人の尊厳といった憲法の重要テーマを笑いを交えながら鼎談をしました。
同会の結成までは、従来の枠を超えた運動を展開しようとの合い言葉のもと、試行錯誤の連続でした。
「従来の枠を超えた運動を!」と言いながら(お年のせいか)どうしても従来の運動を越えられない組合活動家、市民運動をたくさん手がけて従来の大田区の運動なんて知らない弁護士、「大田九条の会の呼びかけ人は男女同数にするべきでしょう。」とまっとうな意見をいう市民運動家の女性などが九条を護るという一点で集まり、ああでもないこうでもないと議論をして運動を作っていったことは、終わってみるとああいう過程も大事だったと思います。
坂井興一団員が、一般の人にはめんどうだと思われるアピール文や要請文などを一手に引き受け次々と「坂井流」文書を起案し、裏方作業に疲れる「大田九条の会」準備会のみなさんをやんちゃな「坂井流」発言で励まし、中心メンバーの一人となって頑張りました。東京南部法律事務所事務局長の中川千栄子さんも、「坂井流」をフォローして頑張りました。
また、当日は、東京南部法律事務所は早々と事務所を閉め、弁護士・事務局はもちろん、まだ弁護士登録をしたばかりの芝田佳宜さんまで動員して受け付けや資料配付を手伝いました。
日本全国や都道府県レベルの大きな運動と区や市町村レベルの運動のどちらも広げていかないと国民の過半数を味方にはできないと思います。また、区レベルの小さな単位に目をむけるとよくわかるのですが、区民の過半数を味方にするには、従来の運動に加えもう一歩踏み出した新鮮な企画や宣伝が大切です。従来の活動家のみなさんの底力に確信を持ちつつ、どう新たな層に運動を広げるのか、情勢の早さを考えるとのんびりしてはいられませんが、多くの団員が本気になったらとてもやりがいのある運動になるだろうと思います。
なまいきですが、簡単に安易に九条の会を作って終わりではない運動が重要だという問題提起と今後の決意を表明して終わりにします。
山口県支部 坂 元 洋 太 郎
日弁連の第四八回人権大会が鳥取市で開催され、一一月一一日の大会で、「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」が採択された。
宣言(案)は、その一二行ないし二一行の記述内容をめぐり活発な議論が展開されが、宣言(案)に何ら反映されることなく、七行目から八行目の「改正草案原案」が「新憲法草案」(自民党は「自主憲法」の制定である)と訂正されたのみで、賛成多数で採択された。
私は、賛否いずれにも組することなく棄権した。以下その理由の一端について、議場で十分発言する機会を得なかったので、紙上を借りて述べ、「改憲」反対運動につきいささかなりとも参加し、団員諸兄(姉)の批判をも仰ぎたい。
先ず、宣言(案)の一二行目から二一行目の日本国憲法の基本原理のまとめは、不十分というよりは不正確であると思う。一二行から一三行の「憲法は…人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立…」という記述は、立憲主義に関する理解が不完全なことを示すという印象を持つ。立憲主義とは何かといえば、ごく簡単に言うと、国家の統治の基本を「憲法」という規範によることである。
「憲法」とは、歴史的には「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものではない。」(人および市民の権利宣言第一六条)とされているように、基本的人権の保障と三権分立が基本的な指標である。日本国憲法の基本原理は、その制定の歴史的経緯により、(1)国民主権、(2)基本的人権の保障、(3)戦争の放棄(第二章九条1項・2項)、(4)三権分立、(5)地方自治制度の保障の五項目である。これが日本国憲法の「立憲主義」の内容である。従って、宣言(案)の一二行目の「以下の三点」の記述内容はくだくだしく、必ずしも正確ではないと思う。現在の「改憲」論とのかかわりで限定的に主張するのであれば、その趣旨が判然とするように記述すべきであるが、それがないことは、この宣言を受け止める国民に誤解を与える可能性もありうる。
とりわけ問題なのは、「(3)戦争の放棄」の基本原理について宣言(案)で、(イ)「恒久平和主義」と(ロ)「徹底した恒久平和主義」というように書き分けたことである。この点について大会でも宣言(案)の起草過程での議論が紹介されたが、(ロ)の前に「戦争を放棄し、戦力を保持しないというより徹底した…」という文言からすると、(イ)の「恒久平和主義」というのはいったいどのような内容をもつものであるのか明らかにされなかった。宣言(案)の一八行目から二一行目の記述を見ると、(イ)の恒久平和主義は全く無意味になるのではないかと思う。このように書き分ける必要性がどこにあるのか私には理解できない。
法律家団体たる日弁連として、それが強制加入団体であっても、憲法条項の内容をきちんと記述することが必要であり、日本国憲法の基本原理を明確にして「改憲」是非の論議の視点を示すことが重要ではないのか。憲法を「改正」して「自衛軍」を保持するかどうかは、団員も日弁連の会員にも多様な議論があり見解を異にするが、その是か非かは、現に提起されている「改憲」案をめぐって運動の場面で大いに議論すればいいのではないだろうか。宣言(案)で議論の枠を狭くする必要があるとは思えない。
私は、起草過程の議論を聞くにつけ、何か筋がどこかで一本曲がっているように思えてならない。宣言(案)の起草には私の知る少なくない団員が参加しているようであるが、私は日本国憲法前文二段の理念と第九条1項・2項の規範内容を守るという立場で大いに議論し、少しでも実践していきたいと考えている。それゆえ大会でも発言をしようとしたものである。
私は宣言(案)の標題も、「日本国憲法の基本原理を徹底して遵守し、立憲主義の堅持を求める宣言」とするのが一層論理的であると思っている。
次に、宣言(案)をめぐってほとんど全く議論されなかったが、「改憲」論議それ自体、とりわけ自衛隊のイラクへの「派兵」に反対する内容のビラ配布、公衆トイレの外壁に「戦争反対」「反戦」「スペクタクル社会」との落書き、「改憲」勢力に徹底した批判をする政党のビラ配布などが、公安警察・検察が一体となって弾圧していることに端的に現れている諸々の言論活動・表現の自由の侵害について、私は大いに警戒し、旺盛な反対運動の必要性を強調したい。
「落書き」事案について、懲役一年二ヶ月・執行猶予三年の有罪判決の内容は驚きである。マスメディアも、「ピザ屋等のビラと反戦のビラではわけが違う」とか、「亀有マンション」ビラ弾圧事件ではビラ配布を空き巣の被害と同一視するような「治安」一辺倒からの報道がなされているように、言論・表現の自由を徹底して守るという点では腰が引けていると思わざるを得ない。現にビラ配布弾圧は継起している。
このような中で、「与党協議会実務者会議」が示した「日本国憲法改正国民投票法案」の内容、とりわけマスコミの報道・評論活動に対する規制内容は、民主主義の根幹を「扼殺」するものである。いかなる内容・議論であれ、「明白かつ現在の危険」がない限り徹底してそれを守る活動が今一層重要であることを再確認したいと思う。とりわけ、「九・一一」総選挙の結果、衆議院では政権与党は三分の二の議席を占有した。この結果の憲法上の重みは、五五条・五七条1項・五八条2項・五九条2項のとおり、「改憲」反対の少数野党を衆議院から排除、衆議院の秘密会などが実施できることに示されている。私は由々しい事態だと思っている。お互いに建設的な議論を展開したい。
東京支部 四 位 直 毅
一 一一月一一〜一二日、鳥取市で日弁連人権シンポと人権大会が行われた。
大会参加者は一〇七一名、シンポ参加者は第一分科会(憲法)一九三三名、第二分科会(高齢者と介護など)七七五名、第三分科会(住宅の安全性など)五〇九名、合計三二一七名の盛況であった。
二 注目を集めたシンポ第一分科会の概要は別稿のとおりである。
三 大会では、「立憲主義を堅持し憲法の基本原理の尊重を求める宣言案」の質疑討論が約三時間にわたって行われたが、その詳細は前号新垣報告にゆずる。
四 九条と自衛隊の存在や実態との乖離に直面してこれをどう克服するかが問われる今、日弁連が改憲の動きをめぐる合意形成の第一歩として立憲主義の堅持と憲法の基本原理の尊重を求め、「より徹底した恒久平和主義」について「平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義」を主文で明記することをふくむ宣言を採択したこと、第一分科会でなかみの濃いシンポが成功したこと、の意義は大きい。
私たちは、今後のとりくみにおいて、これらの成果を活用しようではないか。
人権シンポ第一分科会について
1 概況
(1)テーマと参加者
第一分科会は一一月一〇日午後、「憲法は何のために、誰のためにあるのか」をテーマに、論議した。
参加は会員八二五名、高校生八四〇名など合計一九三三名の盛況であった。分科会に先だち、これまで全国各地の連合会や単位会により二五回のプレシンポが行われ、その積み重ねと努力が、シンポの成功へと結晶した。
(2)四部構成
分科会は、基調報告、基調講演、各界からのご意見、パネルディスカッション、の四部構成で行われた。
2 基調報告
基調報告は、奈良の宮尾耕二会員と埼玉の立石雅彦会員が行った。
(1)宮尾報告
宮尾さんは「最近の改憲をめぐる論議」について、今なぜ、日弁連が憲法の根本に立ちかえるテーマを立てたのか、と説きおこした。
宮尾さんは、憲法の明文改憲案が正面から提起された今、改憲の是非を論じる前提として、憲法の理念である立憲主義と基本原理に立ちかえり検討する必要があること、また、たとえば九条をかえるかどうかの論議にとどまらず、かえて何をするのか、どうなるのかを十分吟味検討することが大事だ、と指摘した。
そこで日弁連は、立憲主義の理念と国民主権、基本的人権尊重、恒久平和主義などの基本原理を深く掘りさげてあきらかにし、改憲案とのかかわりを分析して、会員と国民に提供するのが分科会の役割である、と報告した。
(2)立石報告
立石さんは、弁護士、弁護士会の諸活動と憲法のかかわりを、戦前戦後にわたり報告した。
戦前の弁護士は、司法大臣など国家機関の監督下にあり、弁護士自治は保障されていなかった。それでも、米騒動での検察の厳罰に警告決議したり、治安維持法に反対決議するなど、在野精神にもとづく人権擁護活動にとりくんだ。
しかし、一九三四年には治安維持法改正に賛成する決議に行い、一九四四年には「大日本弁護士報国会」を結成して、大政翼賛の一翼に加わった。
それだけに戦後、日本国憲法の下で弁護士自治を確立した歴史的意義はきわめて大きい、と立石さんは強調した。つまり人権は国家から自由であり、その人権擁護を使命とする弁護士活動について、国家権力からの独立を保障することは不可欠である。この意味で弁護士自治は、日本国憲法の理念と諸原理、とりわけ人権擁護のために保障されるものであることが、あきらかにされた。
弁護士と弁護士会の戦前戦後の活動の詳細は、基調報告書に譲り、ここでは、一九五〇年の日弁連第一回定時総会で「平和宣言」が採択されたこと、憲法五〇周年を記念して先年の総会、大会で国民主権に関する宣言が行われたことを、とくに指摘しておきたい。
3 基調講演
第二部の基調講演で、東京大学名誉教授の樋口陽一さんは「国家がしてはならぬこと、国家がなすべきことー立憲主義の意義を考える」と題して、講演された。
樋口さんは、明治の指導者の憲法論を紹介され、立憲主義が国家権力を憲法で制約するものであることを、改めて指摘された。
一六八九年のビル・オブ・ライツから四世紀にわたる四つの八九をあげて、日本は戦前戦後の立憲主義の経験と教訓の点でも発展途上諸国に寄与できる、と説かれた。
樋口さんは、国家と個人、主権と人権の問題について、時代おくれとする議論の誤りを、歴史にてらしてあきらかにされた。
「普通の国」論が九条をかえる論拠とされていることについて「国家のしてはならぬこと」をした日本は、その前にすることがあると歴史認識の問題を提起された。
九条の1項と2項については、1項だけなら明治憲法下でも、天皇の名において承認されていた、と指摘された。
「グローバリーゼーション」、新自由主義について、樋口さんは、二重の基準論による経済的自由の規制をとり払い、表現の自由や精神的自由への規制をつよめること、いわば逆の二重の基準論である、と解明された。
樋口さんは井出孫六さんの六〇年説をひきあいに、戦後六〇年の今、立憲主義と改憲の動きをしっかりと考えて対処することを提起された。
4 各界からのご意見
第三部では、三名の登壇者と、一二本一四名の方によるビデオレター「この人が語る憲法」が行われた。
憲法草案に関与されたベアテ・シロタ・ゴードンさんは「日本国憲法の本当の作者は、歴史の英知だと思う」というジェームス三木さんのことばに共感された。
経済同友会の副代表幹事でもあられた品川政治さんは、敗戦直後の日本で「国民は二度と戦争すまいと、決意を持ったのは当然」であり、憲法は「与えられたというよりも、国民は完全に決意したと思うんです」と、述べた。
人権の直面する困難な諸状況を、多数の方がたが切々と説かれた。
中国残留孤児問題、水俣病の被害、難民問題、学生無年金障害者訴訟、沖縄戦の住民被害、いわゆる南京事件の目撃状況や戦没者の遺骨収集、ヒロシマの被爆の惨禍、イラクやスマトラ津波被害の支援、などなどが、交々に語られた。
東京から参加された丸浜恵理子さんは、二人の年子の都立高生を育てた母親として、日の丸・君が代をめぐる都教委通達で、こどもたちの門出の場が処分と強制の場にかえられたことから「学校に自由の風を」と活動しておられる。
大阪から参加された北川清子さんは、住友金属男女差別裁判の当事者として、結婚退職、出産退職、昇進と賃金の差別という三つの扉に立ち向かい、大阪地裁で昇進と賃金の差別について勝利し、大阪高裁でたたかい続けている、と支援を呼びかけた。
国際貢献について、医師の中村哲さんはアフガニスタンでの活動で、飢えや渇きは薬では治せない、清潔な飲料水がいる、と井戸を掘り、一四〇〇本に達した。さらに、灌漑用水路の開設から緑の大地計画にとりくんでおられる。中村さんは、国際貢献で真に安全を確保する道は住民との信頼関係をきずくこと、といいきっておられる。
吉岡達也さんは、アナン国連事務総長のよびかけでNGO中心にとりくまれているジーパック、つまり「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ」にとりくんでおられる。ことし七月にニューヨークで開かれたジーパック世界会議で採択された世界提言で、九条は「アジア太平洋地域全体の集団安全保障の土台となってきた」と明記されたことを紹介された。
自民党元幹事長の野中広務さんは、論憲や九条2項で自衛隊を位置づけることを認めつつ、「九条自身は……他国に軍を進めるような日本にはなれないということを世界にメッセージを送ることが基本ではないか」と語っておられる。
野中さんは、昭和史を見直して歴史から謙虚に学ぶことを、国民に対する遺言としてビデオレターに託された。
先に紹介した品川さんは、改憲案を国民が拒否して九条を守りぬくことは「ベルリンの壁が崩れたよりも、もっと大きな世界史的なインパクトだ」と指摘された。
5 パネルディスカッション
分科会の第四部で、なかみの濃い論議がくりひろげられた。
パネラーは韓国仁荷(インファ)大学教授の李京柱(イ・キョンジュ)さん、中央大学教授の植野妙実子さん、慶応大学教授の小林節さん、他分野で鋭く発言されている斉藤貴男さんの四人の方で、大阪の西岡芳樹会員と埼玉の海老原夕美会員がコーディネートされた。
まず、立憲主義をめぐって、植野さんは、自民党草案の前文で、国民主権と民主主義、基本的人権尊重と自由主義、平和主義と国際協調主義を並べることにより、前者を後者で後退させるのではないか、民主主義は数を重んじるから数の正当性に依拠して立憲主義と国民主権を後退させるのではないか、個人の尊重と公益を対置させて公益を優先させるおそれがある、と分析された。
小林さんは、自民案が権力規制の点をあいまいにしている、日本商工会議所は公共の福祉はわかりにくいから公益にかえたいといっていた、と紹介された。
斉藤さんは、すでに立憲主義の解体がはじまっていると述べ、李さんは、韓国では今、憲法が権力統制規範であるとの理解が広がりはじめているが、日本ではこれと逆行しているのではないか、と指摘された。
九条と平和主義について、小林さんは改憲の中心は九条だが、九条では自衛も危うく国際貢献もできない、しかし小泉さんたちの下での九条改憲は支持できない、と明言された。
斉藤さんは、財界が大企業の海外資産を脅かす者はテロリストであり軍隊で対処するほかないと九条改正を求めている、アメリカとも利害共通している、と述べた。
李さんは、韓国憲法では国家の安全保障のためには国民の権利自由を制限できると定めているが、この条項の削除が論じられている、侵略戦争放棄と国土防衛専念を定める同憲法の下でのベトナム、イラク派兵は矛盾だが、日本もこのことを教訓とすべきではないか、韓国国民は日本国憲法がアジア復帰のための約束ごとであると理解しているが、平和的生存権の活用など未来指向でうけとめる見方もある、米軍再編や九条改憲は韓国の安全にかかわる、テポドンや不審船の件は六ヶ国協議や南北会談など紛争の平和的解決の流れの中で解決すべきではないか、と述べた。
改憲の限界と国民投票法案について、植野さんは、改正手続は緩和できない、九六条は部分改正の容認であり、改正項目ごとに賛否を問うべきと述べ、小林さんは、法案の問題点があきらかになってきた、日弁連はじめ批判をきびしく貫くことが大切、と述べた。
このあと、愛国心ほかいくつかの会場質問用紙に答えたあと、まとめの発言として、斉藤さんは、改憲などで自身や子どもが殺されるわけにはいかない、小林さんは、自民改憲案はやっつけしごとで四〜五年は日程にのらないだろう、植野さんは、今は古いものほど新しく「改革」と唱えて戦前と同じ方向を向いている面がある、李さんは、外国から見ると日本の改憲の動きは二段階戦略だ、「日本軍国主義復活」と警戒されている、信頼こそ安全保障という中村哲さんの指摘は国家間にもあてはまる、と述べた。
まとめとして
実行委員会副委員長の佐々木健二さんは、分科会を通じて、立憲主義の理念と国民主権、基本的人権尊重、恒久平和主義の基本原理の内容と重要性が改めてあきらかにされた、と述べた。
佐々木さんは、私たち一人ひとりが憲法改正問題にどう対処するかが問われている、この問いに正面から答えることが日本と近隣諸国の未来に深くかかわる、と強調された。
第一分科会の成果を第一歩として、今後ともさらなる論議ととりくみを進め、それらにもとづく合意形式の広がりと深まりを期待する。
東京支部 今 村 幸 次 郎
次長を一年務めたところで事務局長に就任することとなり、自分でも驚いていましたが、就任後、早くも一ヶ月が過ぎようとしています。既にいろいろなことが目まぐるしく起こっておりますが、有能な次長の皆さんや事務局の方々に支えられながら、日々対処しております。
これからの二年間は、この国の未来をめぐって、権力側と民衆との間で大きな「せめぎあい」がなされるものと思います。常に民衆の側に立って闘う自由法曹団の存在価値がいよいよ高まっているのだと思います。
そんな中で、団員の皆さんが楽しく団の活動に参加できるよう事務局業務に微力を尽くしたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。