<<目次へ 団通信1189号(1月21日)
吉田 竜一 | 新日鉄広畑賃金差別訴訟・大阪高裁で和解成立 |
関本 立美 | 昭和町嘱託職員(有期公務員)雇止事件、勝訴判決(甲府地裁、05年12月27日)について |
吉田 榮士 | 新横田基地公害訴訟・控訴審判決、そして上告審へ |
中丸 素明 | 三番瀬埋立問題 公金支出訴訟で実質勝訴 |
加藤 健次 | 大詰めを迎えた国公法弾圧・堀越事件 無罪をかちとるための世論の結集を |
飯田 美弥子 | 風雲急! 未決拘禁者処遇問題 |
宇賀神 直 | 我らが詩人「みちのく赤鬼人」の詩を詠む |
兵庫県支部 吉 田 竜 一
一 大阪高等裁判所第四民事部(小田耕治裁判長、富川照雄・小林久起裁判官)に係属していた新日鉄広畑賃金差別訴訟において昨年一二月二六日、和解が成立した。
二 本裁判は、新日鐵広畑製鐵所の従業員であった一審原告五名が、平成一〇年一〇月、会社に在職中、共産党員であったことを理由に昇給昇格差別や様々な嫌がらせを受けてきたことについての損害賠償を求めて提訴したものであり、平成一六年三月二九日、一審神戸地方裁判所姫路支部民事合議部(島田清次郎裁判長、池上尚子・平城恭子裁判官)は一審原告らに対する上司の共産党からの転向の説得、職場行事からの閉め出しといった嫌がらせや、原告らが昇給面においても最低レベルの処遇を受けていることがいずれも会社の違法な反共労務政策に基づいて行われたものであるとして、かかる反共労務政策の違法性を真正面から認め、会社に総額一五四〇万円の賠償を命じた。
三 しかしながら、控訴せずに一審判決を受け容れて解決のために交渉のテーブルに着けとの弁護団・争議団の声明に全く耳を傾けることなく会社が大阪高裁へ控訴したため、これを受けて一審原告らも一審判決が昇格差別を認めなかった点について控訴した。
控訴審においては事実上の準備手続が重ねられたが、会社側の主張は一審判決が明確に否定した主張の焼き直しに過ぎなかったところ、一審原告の方は、会社が知らぬ存ぜぬでとおしていたインフォーマル組織の会員が外部セミナーを受講するに際して会社が受講料を負担していたことを示す資料を新たに提出するなどして一審判決が基本的に正しいことを積極的に論証した。
殊に、一審においては会社が提出せざるを得なくなった同期同学歴者の賃金分布図を分析した結果、一審原告五名とその同期の共産党員とその他の同期同学歴者を比較すると一審原告ら共産党員が例外なく著しく低い賃金しか受けえていないことが明確になったところ、控訴審裁判所も、この点をかなり重視していたようで、会社側に、「一審原告の分析について反論はないのか。共産党員の中で平均的な賃金を受けられている者は誰かいないのか」と釈明したのであるが、そのような人間が誰一人もいないことを一番よく知っている会社は、「誰が共産党員かということを会社はそもそも把握していない」と逃げの姿勢に終始した。これに対し、一審原告は、既に長期間の審理の中で、少なからぬ共産党員の氏名が明らかになっているだけでなく、訴訟外での会社に対する実名での要請行動等によって、少なくとも合計三〇名前後の人間については共産党員であることが明らかになっているとして、その者らの氏名を整理したうえで、「この中で、一人でも平均的な賃金を受け得ている者がいるのであれば、会社においてその事実を明確にすべきである」と主張したところ、会社はかかる主張に沈黙するだけであった。
このような応酬の中で、新日鐵における反共労務政策とそれに基づく共産党員に対する徹底的な差別の存在は控訴審裁判所にもいよいよ動かし難い事実となったと言ってよい。
平成一七年五月一二日の第一回口頭弁論期日において、裁判所は弁論を終結し、職権で当事者双方に和解を勧告した。
その後、当事者間で和解交渉が積み重ねられてきたが、その経緯を踏まえて提示された裁判所の和解案を双方が受諾することにより、和解が成立したものである。
四 和解条項においては、第一項で、「一審被告は、一審原告らについて平成一六年三月二九日神戸地方裁判所姫路支部でなされた判決の趣旨を真摯に受け止め、今後、思想信条を理由とする差別的な処遇がなされることがないよう、憲法、法律、基本的人権等を遵守し、すべての従業員を公平、公正に処遇することを改めて約束する。一審被告は、そのような趣旨をも含めて、コーポレートライフ相談室を設けているところである」旨が明記された。ここに、コーポレートライフ相談室とは新日鐵が平成一五年三月に社内に社員及びその家族からの相談を受け付ける場として設置した機関であるが、かかる条項が合意されたことにより、会社は今後、憲法等の遵守、従業員の公正処遇を約束をしたというに止まらず、約束が遵守されていない場合、その遵守を求めて労働者がコーポレートライフ相談室を活用する途が開かれたことになる。かかる約束は広畑製鐵所のみらなず、新日鐵の全事業所、全ての職場に及ぶもので、全事業所、全職場から反共労務政策を追放し、全従業員を、その思想信条の如何にかかわらず公平、公正に処遇する途もが開かれたことになる点で極めて意義のあるものと原告団も弁護団も高く評価しているところである。
更に、会社が一審原告らに解決金を支払うことも確認された。解決金の額は一審判決の認容額を大幅に上回るものである。一審判決には、一審原告らが昇格試験を受験していないという形式に捉われ、昇給差別を認めながら昇格差別を否定し、慰謝料のみの支払いを命じて差額賃金相当額の賠償までは認めないという弱点が存したが(試験日程は事前に周知されておらず、また試験の合否で一番重視されるのは日常の査定であるところ、共産党員はそのことを理由に著しく低い査定しか受けえていないのであるから、実質的には受験の機会も合格の可能性も奪われていた)、上記内容での和解の成立、殊に一審を大幅に上回る解決金が認められたことについても、原告団、弁護団は実質的に昇給差別だけでなく昇格差別までを認めさせたものと評価しているところである。
五 新日鐵広畑の闘いは、関西電力、神戸製鋼、川崎重工と勝利解決を続けてきた兵庫県下における賃金差別の闘いの総決算であったが、総決算の名に恥じない今回の和解の成立は、支援組織、原告団、更には新日鐵各事業所の仲間が団結し粘り強い運動によって勝ち取った成果であるとともに、全労連をはじめ各単産、地域組織や支援組織の支援、協力のもとで勝ち取ることのできた成果である。
和解成立の翌日、広畑製鐵所の門前では、堺、八幡、富津等、全国の事業所から集まった労働者らが和解の成立を知らせるビラを配布し、こうした労働者が見守る中、一審原告らが門をくぐって総務課の争議担当者と面談し、和解条項に基づく問題点の速やかな改善を求めた。これまで門前払いをされ続けてきた一審原告らが初めて開かずの門をくぐった瞬間であった。
弁護団、共闘会議、原告団は、新日鐵が本和解を遵守し、二度と職場内で憲法、法律、基本的人権が蹂躙されることのないよう、今後も奮闘していく決意である。
甲府地裁(新堀亮一裁判長、倉地康弘・青木美佳裁判官)は、一二月二七日被告昭和町に対し、二人の女性原告(嘱託職員)の訴えを認め、賠償金一二〇万円(二人で合計金二四〇万円)の支払いを命じた。
第一 事案の概要と背景・特徴
一 一九九三(平成五)年から、昭和町町立温水プールに嘱託職員(当初一年、その後六ケ月任用)として継続任用されてフルタイムで継続勤務してきた二人の女性原告が、二〇〇三(平成一五)年三月末、雇い止めされた事件。雇い止めの理由は、(1)期限の到来、(2)二人の職務怠慢、問題行動等とされた。
二 昭和町は、甲府盆地のほぼ真中人口一六、〇〇〇人で、工業団地などがあり、山梨では比較的裕福な町であり、住民パワーで合併の押し付けを拒否している。二〇〇三年二月二期目の町長選挙で予想に反して、五四差でやっと当選できたワンマン町長が、対立候補を押した(と町長が勝手に判断した)職員ら多数に「報復人事」を強行したが、その一環として二人の原告がとばっちりを受け、雇い止めされたものである。町長のその無法ぶり人事の私物化ぶりが広く町民に知られていた為、町長に対する糾弾、原告に対する支援は大きく盛りあがった。
第二 争点と判決内容
一 佐野町長の議会等における「二人には職務に関して、金銭的不正があった」等の発言が、事実無根であり二人の名誉を毀損したと認定。
二 雇い止めの違法性については、嘱託制度そのものについて、東郷小学校事件最高裁判決(S三八・四・二)を引用し、「問題ない」とし、大阪大学図書館事件最高裁判決(H六・七・一四、判時一五一九号、判タ八七一)を引用し「町長の再任用行為がないかぎり、嘱託職員としての地位を認める余地はない」とした。
その上で、(1)町は、職員が希望する限り自動的に再任用してきた、(2)原告らには問題行動などの消極的事由がない、(3)逆に町長には、事実関係につき調査もせず、名誉毀損行為までやって自らの立場の正当化を図った等の問題があり、(5)本件処置は合理的な理由がなく、平等取扱原則にも反する不当な処置であるといわざるを得ない。また原告らの「再任用への事実上の期待を全く身に覚えのない名誉毀損的な理由で拒否されたものであり、人格的利益が著しく侵害された」という「特別な事情」があった、と判示した、
三 損害名誉毀損について三〇万円。不当な雇止めについて九〇万円を認めた。
第三 判決の評価と意義
一 二つの最高裁判決の枠内ではあるが、再任用拒否に『合理性と平等原則』の必要性を認め、再任用行為の自由裁量に一定の枠をはめたといえよう。
二 「特別事情」論
「特別事情」について『任命権者が、任用期間満了後も任用を続けることを確約ないし保障するなど』(最高裁例示⇒このような事例は想定しにくい)という任命権者の行為について触れず、再任用の運用などの客観的な事情で「特別事情」を認定したことは、救済にむけて一歩前進といえよう。
三 賠償額の評価
従来の勝訴例(数少ない)では、認容金額が一〇万円から三〇万円であることに鑑みると、この判決は、名誉毀損が加わっているとはいえ、賠償金額を新たな水準に引上げたものといえよう。
「町長のひどさ」と「原告らの真面目さ」と同時に、有期公務員の置かれている状況の深刻さと問題の重要性について、裁判所がいささかなりとも認識した事の反映でもあろう。
四 本件は不当性が著しく強く、裁量権を逸脱したとして「違法な措置」と言うべき事案であると考える。判決のいう「不当な処置」とはいかなる法律的意味なのか。「違法な措置=処分」と云えるか、云えるとすればその先はどうなるか、どう解すべきか。またそこまで云うと上級審において判例に反するとして破棄されるか。
五 ともあれ数十万人(正確な人数すら把握されていない)ともいわれる、国・地方の有期公務員問題の解決に向けて、貴重な勝訴事例といえよう。
第四 勝訴判決の要因と今後のとりくみ(控訴審=町は、一月六日不当にも控訴)
人事を極度に私物化し、内容・手続とも支離滅裂なワンマン町長に対し、真面目でたたかう決意の明確な二人の原告、会員二五〇人、裁判所へ二、〇〇〇人以上の署名を提出し全町的態勢を確立している支援する会とともに、弁護団を強化し、いっそう力を集中し、控訴審において早期全面勝利めざしてがんばりたい。支援をお願いする。
(常任弁護団 関本立美、小笠原忠彦、関本喜文、永嶋実の各団員)
一 米軍再編問題、軍民共用空港化問題そして新騒音コンターの告示という展開のもとで、提訴以降、足かけ一〇年になる新横田基地公害訴訟の控訴審判決が、平成一七年一一月三〇日に出された(東京高等裁判所第一民事部、江見弘武裁判長、市川多美子・橋本昇二裁判官、注―橋本裁判官は退官)。
今回の判決は国に対する請求分で、アメリカ合衆国に対する請求はすでに却下という形で終了している。
二 請求内容は、夜間早朝の飛行差止と損害賠償である。
判決は、従来通り飛行差止を認めず、損害賠償については総額約三二億五〇〇〇万円(遅延損害金を除き)を認容した。
この判決について、国は一部上告し、原告住民も差止について上告した。
今回の判決は、画期的或いは歴史的な評価もあり得るが、我々にとっては、苦みのある勝利判決だった。
三 約五五〇〇人の控訴審原告の意思をまとめ、一致させるには時間がかかる。ということで、一七年の夏から訴訟団と弁護団は、どのような場合に上告するか、どの場合に判決を受け入れるか、そのときの公平、平等をどうはかるか、その後の運動をどう展開するかなどの討議を重ね、その討議結果を各訴訟団支部で報告するという事を続けてきた。基本は判決内容が、総体として一審判決を維持、向上できれば、終了確定しようというスタンスであった。
四 判決内容は、これまでの判決に比べ極めて簡潔で明確なものであった。
争点ごとにその内容を見る。
1 飛行差止
原審判断通り、主張自体失当として棄却。
2 騒音被害の受忍限度
WECPNL値(うるささ指数)の七五Wが認められるかが最大の争点であったが、判決はこれを認めた。一七年二月の新嘉手納基地訴訟の一審判決は、八〇W以下は受忍限度内として切り捨てた。大型新訴訟の初めての控訴審判決でこれを変更したわけであるので、今回の判決の意義は大きい。しかし、判決は、被害の基準となる騒音コンターについて、従来の告示コンター(昭和五五年作成)ではなく、本裁判中に作成され、告示もされず消え去った平成一〇年作成のコンターを採用した。その結果、被害地域は狭まり、約七〇〇名の原告の請求が棄却された。
3 危険への接近
最大の争点の一つである危険への接近論による賠償額の減額、免責については、画期的判断がなされた。一審(東京地方裁判所八王子支部民事第三部、関野杜滋子裁判長、栗原洋三・山田直之裁判官)では、ベトナム戦争が激化していた昭和四一年一月一日以降の転入者については、減額を認め、一部免責も認めた。控訴審判決は、本件のような事案では、「危険への接近論」自体、そもそも妥当するものではないとして、この法理の適用を排斥した。基本的な立論は、原告らは、積極的に騒音被害を容認する意図をもってコンター内に居住したものではないからという常識的なものである。さらに、騒音という違法状態を解消する努力をしない国の対応などを総合考慮すると本法理の適用は相当でないとした。
昨年の団総会で古稀表彰を受けた、新横田の弁護団の一人、盛岡暉道弁護士は、この訴訟のため、三二年前に家族とともに被害激甚地域に移り住んだ。その後生まれた子供らとともに新訴訟では原告となった。一審では、その後生まれた子供らも含め危険への接近として損害賠償は否定された。本判決は盛岡家族についても、以下のように適用を排除した。「盛岡弁護士は、強固な運動体を作るには、住民の努力だけではなく、長期にわたり持続的に地域での活動に参加していく弁護士が必要であり、離れた場所から通いながらではその仕事は不可能であると考え、昭和四八年家族と共に転居した。」「横田飛行場の航空機騒音等の差止めないし減少を目的とする運動を支援するという目的を有していたことをもって、自らが騒音被害を受けることを積極的に容認していたと評価することはできない・・・(これは家族も同様である)。」この判断は画期的なものである。
4 将来請求
継続的不法行為の損害を請求する公害訴訟にとって、将来請求の壁を打ち破ることは究極の目標であり、至難の業でもあった。しかし、損害賠償請求権の成否及びその額が将来の不確実な事情にかかっているということから、今まで認められたことはなかった。
今回の判決は、この壁を少し破った。「口頭弁論終結(注 平成一六年一二月八日)後、本判決の言渡日である平成一七年一一月三〇日までの八ヶ月ないし一年の短期間については、口頭弁論終結時点に周辺住民が受けていた航空機騒音の程度に取り立てて変化が生じないと推認され、受忍程度や損害額の評価を変更すべき事情も生じないから、終結後の損害の賠償を求めて再び訴えを提起しなければならないことによる原告らの負担にかんがみて、口頭弁論終結時について認められる損害賠償請求権と同内容の損害賠償請求権は認めるべきである。」
この判断は初めての判断であり、これも画期的なものである。
5 その他、陳述書未提出者についても損害賠償を認めた(一審は否定)とか、防音工事による減額率は過去最小のものであったとか、賠償額の水準を維持したとか評価できるものは多くあるが、重大なことは、過去七度にわたる違法判断を放置し続ける立法府、行政府に対し、司法として踏み込んだ判断を行ったことであった。我々はこの事は期待はしていたが、これはないだろうと思っていただけに驚いたものである。
判決は最終章で次のように言う。「最高裁判所において、受忍限度を超えて違法である旨の判断が示されて久しいにもかかわらず、騒音被害に対する補償のための制度すら未だに設けられず、救済を求めて再度の提訴を余儀なくされた原告がいる事実は、法治国家のありようから見て、異常の事態で、立法府は、適切な国防の維持の観点からも、怠慢の誹りを免れない。」「本件は、国の存立の基本となる国防に関する論点を含み、中心的な法的論点については、既に最高裁判所の判断が示されていることを考慮すると、住民の提起する訴訟によるまでもないように、国による適切な措置が講じられるべき時期を迎えているのではあるまいか。」
五 この控訴審判決は、画期的内容を含み、他の空港訴訟、将来の訴訟、運動に大きな影響を持つものであった。しかし、現実には平成一〇年コンターの採用により、約七〇〇名の原告の請求は否定された。損害を否定された原告は予想を超えた数にのぼった。この判決を維持するべきか、七〇〇名の補償はどうするか、訴訟団と弁護団は緊急討議し、総体として今回の判決を評価し、国が上告しないのであれば上告せず、公平な補償をすることによって、本裁判は終了させ、今後の新しい運動を展開することを決定した。これも、苦渋の選択ではあった。
しかし、国は上告受理の申立をした。申立内容は、将来請求を認めた一年分についてのみで、額としては二億五〇〇〇万円分である。将来請求を認めたことは最高裁判例に違背しているという理由である。
国の上告に対して、再度緊急討議をし、こちらは最大の請求の柱である「飛行差止め」に限定して上告することとした。そして、なぜ、上告ということとなったか、上告の内容はどのようなものかなどについて、全体としての統一的な意思確認をするため、緊急に訴訟団各支部に手分けして説明会を行った。昨年夏より、各支部で説明会を重ねてきたが、やはり五〇〇〇名を超える原告をまとめるのは大変である。特に、今回のようにコンターが変わることによって賠償が否定された者と認容された者、減額された者が錯綜する結果となった訴訟団集団をまとめあげ、上告審と新たな運動に展開させるには十分な討議が必要であった。
六 実は、訴訟団・弁護団は、将来問題班というものを作り、訴訟が終了した場合、今後の運動をどう打ちたてるかという問題を構想中であったが、具体化はまだまだであった。
横田基地では、米軍再編問題が具体化されつつあり、また、軍民共用空港問題、平成一七年に告示された新コンター(平成一〇年コンターよりもさらに被害地域は狭小となっている)問題があり、何よりも今後も横田基地そのものは存在し、騒音被害は永続化される。
国の上告は、むしろ、訴訟団を結束させ、わかりやすい上告裁判運動を柱に、飛行差止めを求め、新たな課題に立ち向かう運動を構築する起爆剤となった。訴訟団・弁護団はそう位置づけている。
国による賠償金を元手に、上告審を含む新たな運動作り、この構想は賠償を否定された訴訟団員らを含め、大半の総意となった。
新しい大きな運動を広げていきたい。本控訴審判決はそのことを想定している。
私たちは上告審という柱を基に、新しい運動の一歩を歩み始めている。
裁判などしなくても、せめて夜だけは静かに眠らせてほしいというささやかな願いを実現するために。
そして、基地のない平和な日本を実現するために。
今後ともご支援のほど、お願い致します。
二〇〇五年一〇月二五日、千葉地裁(山口博裁判長、佐々木清一・武田美和子裁判官)は住民らが千葉県企業庁の約五六億円の公金支出が違法であるとして申立てていた住民訴訟において、実質的には勝訴といえる判決を言渡した。
一 埋立計画の推移
三番瀬は、千葉県の船橋・市川両市沖に広がる泥質および砂泥質の干潟と浅海域とからなり、総面積は約一六五〇ヘクタールに及ぶ。 一九九三年三月、千葉県は七四〇ヘクタールを埋立てるという「基本計画」を発表した。これに対して、三番瀬の保全と埋立計画の撤回を求める運動が急速に発展していった。埋立中止を求める署名は、三〇万筆を超えた。一九九九年六月に、県は埋立面積を一〇一ヘクタールへと大幅に縮小する「見直し計画案」を取りまとめざるを得なかった。しかしながら、埋立計画の全面撤回を求める世論は、さらなる広がりをみせた。そして、二〇〇一年三月に行われた千葉県知事選挙において、文字どおり県政をめぐる最大の争点となり、白紙撤回を公約に掲げた堂本暁子氏が当選を果たした。その後紆余曲折はあったが、堂本新知事は埋立計画の「白紙撤回」を宣言するに至った。
二 「密約」の存在と事前漁業補償の発覚
「白紙撤回宣言」に先立つ一九九九年一一月、一部の新聞が「県が事前漁業補償?」「市川市行徳漁協に四三億円融資」「一七年前、信漁連を通し」「正式補償後に清算約束」等と大きく報じた。「見直し計画案」をめぐって、厳しいたたかいが展開されているさなかのことであった。かねてより住民らは、埋立事業計画にあっては最も重要なはずの利用目的すら何度も変え、埋立面積を大幅に縮小してまでも、何としても埋立事業を強行実施しようとする県の施策の根源に一体何があるのか、理解に苦しんでいた。ところが、この報道によって、疑念は一挙に解消した。すなわち、違法な事前漁業補償を行ってしまった、これを取り繕うためには埋立事業を実施するしかない、という逆立ちした構図が鮮明に浮かび上がったのである。 その後の訴訟を通じて明らかになった枠組み(スキーム)とは、大要次のようなものであった。
一九八二年に、千葉県企業庁、行徳漁協、金融機関(千葉県信用漁業協同組合連合会・千葉銀行)の三者は、一連の「協定書」「確認書」「合意書」を秘密裏に取り交わした。主な内容は、(1)企業庁は同漁協に対して、漁業権の漁場評価額四五億五七〇〇万円を限度として「転業準備資金」の融資措置を講ずる、(2)同漁協は、将来漁業権放棄により受けるべき補償金相当額を担保とする、(3)同漁協は、企業庁から漁業権放棄の申入れがあったときは速やかにこれに応じる、(4)同漁協は、補償金が支払われたときは速やかにその返済に充てる、(5)信漁連等の金融機関は同漁協に対し、「転業準備資金」として、四二億九七五〇円を融資する、(6)企業庁は、信漁連等に対し一八億円を預金する、(7)企業庁は、同漁協及びその組合員の借入金に対する利息について「実質負担とならないような措置」を講ずる。
これは、実質的にみれば事前漁業補償にほかならなかった。そして、この「密約」(住民らは「三者合意」と呼び習わしてきた)は、実に一七年間にもわたって、県民にひた隠しにされてきたのである。
三 企業庁による利息の支払いと提訴
この密約に基づいて、信漁連等の金融機関は行徳漁協に対して、漁場評価額の全額に近い四二億九七五〇万円を「融資」した。そして、同漁協が負担すべき利息については、「実質負担にならないような措置」を講ずるとの約定に基づき、一九八八年を第一回目として都合四回にわたって企業庁が免責的債務引受をした。その総額は、「融資」元本を遙かに上回り、総計五六億〇九五八万六六五六円にも達した。その処理のために、企業庁は一九九九年度補正予算と二〇〇〇年度当初予算に分けて支出予算として計上し、県議会の議を経て、信漁連に対して順次支払われた(千葉銀行は途中で信漁連に肩代わりさせていた)。沼田武知事(当時)は、五期二〇年にわたる知事の任期切れを間近に控え、次期選挙には立候補しないことを表明していたことから、「最後の後始末」として、処理せざるを得なかったのだろうとも評されていた。
この公金支出が違法であるとして、三番瀬を埋立てから守る活動を続けてきた住民ら二一名が監査請求を行ったが請求を棄却された。そこで、沼田知事と中野企業庁長(いずれも当時)を被告として、損害賠償を求める住民訴訟を提起した(当初は、一部は差止め請求)。
四 争点と原告らの主張
この訴訟の争点は、大きく分ければ二つあった。
第一に、先行する原因行為である「三者合意」による「融資」の枠組みと、それに基づく利息の免責的債務引受の合意が、違法であるか否か。
第二に、仮に違法だとして、沼田知事・中野企業庁長は県に対して損害賠償責任を負うかどうか(いわゆる「違法性の承継」の問題)。ちなみに、県企業庁は地方公営企業法に基づき県が設置した地方公営企業であり、「管理者」は企業庁長である。
第一の、原因行為の違法について、原告らは二つの柱を立てた。一つは、社会経済的意義や当事者らの動機等あらゆる面からみて、この「融資」は実質的には漁業補償にほかならない。当時は、具体的な埋立計画すらなく、漁業補償はできない状況であった(この点は、被告らも基本的には認めた)。そこで、「融資」という形態に仮託して、実質的には漁業補償を行ったものであって、脱法行為にあたり無効である。二つ目は、企業庁長に裁量権があるとしても、地方公営企業の基本原理に照らせば自ずから限界がある。契約目的の合理性、契約内容の相当性を欠く場合は、裁量権の範囲を逸脱するものとして違法となる。本件「三者合意」は、裁量権を逸脱するものとして瑕疵があるといわざるを得ず、違法である。
五 判決の要旨
千葉地裁判決は、結論的には被告沼田に対する請求を却下、被告中野に対する請求を棄却した。被告沼田については、「当該職員」(旧地自法二四二条の二第一項四号)に関する最高裁判決から、残念ではあるがこの結果は見えていた。また、被告中野についても「一日校長事件」最高裁判決等からして、個人としての損害賠償責任を認めさせるには、極めて高いハードルがあることも事実であった(ここでは詳述を避ける)。この訴訟の提訴目的等に照らし、原告らが判決評価の最大のポイントとしてきたのは、先行する原因行為たる「三者合意」という密約の瑕疵を認定させ、違法との判断を勝ち取れるかどうかであった。
この点について、判決は「契約目的の合理性、契約内容の相当性等から裁量の範囲を逸脱するものと判断される場合には、三者合意の締結には瑕疵があり、違法性を帯びるといわなければならない」としたうえで、「三者合意に基づく本件融資は、本件埋立計画が具体性を欠き、計画の見直しもあり得たうえ、転業準備のために必要な額についての調査は行われずに、融資総額が行徳漁協の漁場評価額四五億五七〇〇万円に近い四二億九七五〇万円となっており、その融資額全額についてまで、融資の必要性があったとは認め難たい。また、三者合意によれば、本件融資の利息が発生した場合には、それを県が負担しなければならないことになっているところ、本件埋立計画に実施が遅れれば、融資期間はその分だけ長期化し、利息も多額になるおそれがあったが、本件融資の時点では、本件埋立計画が具体性を欠いていたにもかかわらず、本件埋立計画が実現しなかった場合等については、何ら検討がなされておらず、県の多額の負担を回避するための措置が講じられていない。」と認定・判断した。そして結論として、「以上のとおり、三者合意は、本件融資の融資額全額を融資する必要性があったとは認め難いことに加えて、本件埋立計画が実現しない場合等に、県に多額の債務が無制限に発生する構造になっており、経済性の発揮という、地方公営企業の経営の基本原則(地方公営企業法三条)にも反することから、契約内容の相当性を欠くものといわざるを得ず、県企業庁長の裁量権を逸脱するものとして、瑕疵があるといわなければならない。」と断じた。
六 判決の評価
原告、弁護団、支援する会(会員約五〇〇名)とで、この判決をどう評価するかについて、率直な意見を交わしあった、控訴するかどうかについて、激論をたたかわせた。何度も検討を重ねる中で、この判決で勝ち取った重要な成果を確認し、実質勝訴との確信を深めることができた。そして、控訴せずに確定させ、その成果を今後のたたかいに最大限に生かすことを確認しあった。
勝ち取った成果として、次の四点に集約した。
第一に、三番瀬の埋立計画を白紙撤回させるという、この訴訟の最大かつ究極的を目的を達成することができたこと。
第二に、県当局と当該漁協が闇から闇に葬り去ろうとした「ヤミ漁業補償」の実態を、白日の下にさらけ出し、その癒着と腐敗の構造を、完膚無きまでに明らかにすることができたこと。
第三に、真相を究明するに従い、三番瀬埋立計画を遮二無二強行しようとしてきた最大の動機が、違法・不当な「事前漁業補償」をしてしまったがために、埋立てを実施して辻褄を合わせるしかないという、不当で本末を転倒した意図にあったことを明らかにできたこと。
そして第四に、何といっても、「漁業補償」という形式を避けつつ実質的に「漁業補償」を実現するという、三者によって編み出された「融資の枠組み」に瑕疵があり、違法であるとして、明確に断罪する判決を勝ち取ることができたこと。千葉県政の根幹をなす大規模公共事業において、司法の手によって行政の不正を暴き、違法と認めさせたことは、空前の画期的な成果と評価している。また、千葉県政史に大きな汚点を残すとともに、長年にわたって金権・腐敗・癒着を指摘され続けてきた千葉県当局に、抜本的な反省を迫るものでもあった。
七 残された課題
判決の確定によって、問題が解決したのではない。それどころか、融資元本約四三億円は、処理されないまま、漁協の債務としてそっくり残されている。これにともない、新たに一億七〇〇〇万円の利息も発生している。漁協及びその組合員には、事実上支払能力はほとんどない。これらの問題をどう解決するのか。千葉地裁判決を受けた今、千葉県と企業庁は、解決の道筋すら示すことができなくなり、窮地にある。県は、三番瀬問題特別委員会を設置し、漁業補償問題を含めた三番瀬のあり方について論議がなされている。あわせて、この問題を解決すべく、弁護士ら「有識者」五名による「補償アドバイザー会議」を新たに組織し、会議が重ねられている。その一方では、第二湾岸道路の建設計画など、依然として埋立事業を行なおうとする動きもある。引続き監視と警戒を要する。このように、判決で勝ち得た成果を本当に活かせるかどうかは、今後の取組みいかんにかかっている。
原告団、弁護団、支援する会は、それぞれの組織を発展的に解消すると同時に、「三番瀬公金違法支出判決を活かす会」を結成した。三番瀬の完全な保全と再生、ラムサール条約への早期登録の実現、そして、「漁業補償問題」について「判決をキチンと踏まえた誰もが納得できる解決」を実現するために、さらにたたかいを強めることにしている。
一昨年三月三日に逮捕された社会保険庁職員の堀越明男さんに対する国家公務員法違反事件は、今年三月の結審に向けた公判スケジュールがほぼ確定した。
一昨年七月二〇日の第一回公判以来、すでに二二回の公判が行われた。第一回と第二回で公訴棄却を求める弁護側意見陳述を行った後、第三回から第一六回まで一二人の公安警察官の証人尋問を行った。これらの尋問と第一回公判で開示命令が出された捜査の端緒に関する報告書等を通して、公安警察が堀越さんに対する長期間にわたり文字通り二四時間体制で尾行・盗撮を行うという異常な捜査を行っていたことが明らかとなった。また、公安警察が以前から犯罪とは関係なく堀越さんに対する違法な情報集活動を行っていたという弁護側の主張もかなり裏付けることができた。検察側が「犯行」の立証のために請求したビデオはその都度法廷で「上映」されたが、このビデオは公安警察の異常な捜査手法を生々しく映し出しており、かえって公安警察の「権力犯罪」の「証拠」となった。
第一六回公判で弁護側冒頭陳述を行った後、弁護側立証に入った。憲法論などの法律論に入る前に、無罪につながる事実を立証することを重視し、一一名の証人を申請した。裁判所は、当初消極的な姿勢を示したが、短期間の間に証人の全員採用を求める要請はがきに取り組んだ効果もあって、職場の上司・同僚三名、配布先の地域の居住者二名、中央区の日本共産党の区議会議員一名、国民救援会の山田会長の合計七名の証人を採用させ、第一七回、一八回公判で尋問を行った。これらの尋問で、(1)堀越さんのビラ配布行為が当該地域では政策を伝える他に代え難い重要な手段となっていること、(2)堀越さんのビラ配布行為によって職場や仕事には何らの影響も出ていないこと、(3)社会保険事務所では自治労が推薦候補者の名前や顔写真の入った組合機関誌を配布していたがそれによる支障はなかったこと、(4)以前国公法違反で捜査されたが不起訴となった事例に比較しても、今回の起訴が異常なものであること、などが明らかになった。第一九回公判では、被告人質問が行われ、堀越さんがビラ配布の意義を語るとともに、休日に、自宅付近で、職務と関係なく行われたビラ配布が国公法で規制されるとは思わなかったと明快に供述した。
こうした事実の立証を受けて、第二〇回から学者証人の尋問が始まった。憲法三名、米国ハッチ法(国公法の「母法」と呼ばれる)一名、国際人権規約一名、刑法一名、刑訴法一名という多彩な七名の学者の証人が採用され、すでに二二回公判まで四名の学者証人の尋問が行われた。証人以外の学者の方にも意見書を提出していただいた。これらの意見書と証言で、(1)国家公務員の政治的行為を包括的・一律に禁止する現行法が占領時代の遺物であってそもそも憲法に違反すること、(2)とくに刑罰による政治的行為の禁止を正当化する根拠は全くないこと、(3)国際人権規約、ILO条約、米国ハッチ法の改正など国際的な流れからみても国家公務員の政治的行為の禁止規定は特異なものであることが明らかになってきている。学者の方々には、なんとしても猿払事件最高裁判決を覆すという意気込みで意欲的に取り組んでいただいており、力強い限りである。
このように、法廷では、弁護側が求めた立証はほぼ実施することができた。また、月二開廷というハードスケジュールの中、傍聴席も毎回ほぼ満席となっている。しかし、裁判官を猿払事件最高裁判決や「公正らしさ」論の呪縛から解放し、無罪判決をかちとるにはまだまだやるべきことは多い。とりわけ、法廷の外では「公務員バッシング」の嵐が吹き荒れているし、昨年九月には、またしても休日に赤旗号外を配布していた厚労省職員の宇治橋さんが逮捕され、国公法違反で起訴されるという事件も起こった。さらには、地方公務員法の政治活動にも新たに刑罰規定を設けようという動きすら出ている。また、昨年一二月九日には、東京高裁が立川の自衛隊官舎へのビラ配布に逆転有罪という不当判決を言い渡した。裁判に勝利するには、国家公務員というだけで、休日の、職場から離れた場所での、公務と全く関係のないビラ配布行為に刑罰を科すことはおかしいという世論を広げていくことが急務である。
二月三日には、全労連、国公労連、自治労連、全教の共催で、一〇〇〇名規模の「公務員の政治的自由を考える集会」が開かれる。この集会の成功をはじめ、無罪判決を勝ち取るための世論の結集が急務である。団員の皆さんのご協力をお願いしたい。
一 監獄法改正(「刑事施設及び受刑者の処遇に関する法律」の制定)に際し、同法の付則にあった代用監獄(警察留置場)の恒久化につながりかねない条文を削除するよう、団常任幹事会で決議をあげたのは、昨年三月のことである。
監獄法改正に関しては、受刑者の処遇改善が急がれていること、日弁連・法務省・警察庁の間で、代用監獄について意見の相違があることから、未決拘禁については保留して立法化することとし、前記附則は未決処遇を法定するときに影響させないという表明がなされたことによって、同附則を含める形で法制化をみた。
昨年秋から、いよいよ、未決拘禁者の処遇法が焦点となっている。
二 現在、行刑改革会議と同様に、「未決拘禁者の処遇に関する有識者会議」が組織され(警察庁推薦の委員三名が加わった)、日弁連・法務省・警察庁からプレゼンテーションを受けたり、施設を実際に見学したりしつつ、数次の会議を経て、来月中にも提言を出す予定である。
日弁連は、もとより、代用監獄は廃止すべきであって、明治時代ですら「代用」監獄とした施設を、今ごろ正式の収容施設として法律上の根拠を与えようとは、世界の趨勢にも反する恥ずべきことである、と主張している。
これに対し、留置場を管轄する警察庁は、絶対に代用監獄を手放さない構えである。
日弁連のプレゼンに対し、「代用監獄は冤罪の温床という批判があるが、日本の冤罪率は高くない。」だの、「世界から見ても遅れた制度という批判があるが、代用監獄のお蔭で効率的な取調べができ、諸外国に比べて未決の勾留期間が短い。」だのと、躍起になって反論している。そして、(1)捜査機関に近接していること、(2)取調べ施設が整っていること、が未決の拘禁施設には必須の条件である、と主張している。
一体、この「冤罪率が低い」という言い分は、「代用監獄は冤罪の温床である」という批判に対する反論に当たるのだろうか?冤罪というのは、あってはならない、刑事司法が決して犯してはならないこと、ではないのか?
また、私たちは未決勾留の期間自体を問題にしているのではない。未決拘禁者の処遇を、捜査機関が行うことを問題にしているのである。
警察庁の「反論」は論理のすり替えが甚だしい。
そして、上記必須条件(2)には、図らずも捜査側の本音が出ている。いつでも好きなときに調べができる、外部の者に邪魔されずに調べられる、だから、捜査機関のそばがいいのに違いないのである。
このことは、取調べられる側、被疑者にとっては、逆に、恐ろしいことである。
三 私は、昨年九月に水戸地裁土浦支部で再審開始決定があった布川事件の弁護団に所属している。同事件の再審請求人の一人、桜井昌司さんは、「代用監獄は諸悪の根源」と言い切る。彼は、最初に勾留された警察留置場で、空腹と睡魔のために捨て鉢になってうその自白をしてしまう。その後、土浦拘置支所に身柄を移されたときに、検察官に対して否認し、否認調書まで作ってもらう。「やれ、これで安心。」と思った途端、再び代用監獄である警察留置場に逆送される。そこでは、「否認したそうだな。そんなぐらぐらした気持ちでは、死刑になるぞ」と、二度と否認に転じたりしないように、警察の一層厳しい取調べが行われた。彼が、再び否認できたのは、公判が始まってからである。(以後、一貫して否認している。)
彼は、「代用監獄が過去の問題だと思ったら、大間違いだ。」とも言う。そうなのか。
東京都下で当番弁護士をしてみると、警察署の建て替えに伴って、留置場もこぎれいになっている。古めかしい拘置所より、明るそうである。遅い時間でも接見できる。融通のきかない拘置所よりも便利である。…つい、そう考えたくなる。
しかし、ここにも、問題のすり替えがある。拘置所の方が、施設面、処遇面で優れているから、代用監獄はいけないと言っているのではない。
捜査機関が、被疑者の生活全般、飲食から睡眠、排便までも、支配・管理することが、問題なのである。自白を得たい人間が、他人を支配した場合、うその自白をさせ、冤罪を引き起こし易いことは、世界的歴史的な経験則である。
「警察留置場の方が、融通が利く。」そのこともまた、自白獲得の道具とされる。すなわち、警察の意に添う人間は、自由に煙草を吸わせてもらえたり運動や清拭の時間を余計にもらえたりする。携帯電話で外部に連絡させた、という不祥事の例もあるほどだ。だが、否認するような被疑者は、このような便宜は全く受けられない。それどころか、いつ食事にありつけるかわからない、いつ房に戻って眠れるのかもわからない、まさに前記桜井さんの状態になるのである。代用監獄の問題は、決して過去のことではない。
四 残念なことに、有識者会議の中では、日弁連の意見に賛成する委員は多数派ではないという。問題はあるにせよ、これだけ実際に使用されている代用監獄を、廃止するなどというのは現実的でない、という意見が強いという。法的に警察留置場の存在を認めた上で、問題点はコントロールすれば足りる、という発想のようだ。
しかし、それは、幻想だ。警察プレゼンの正反対、留置場と捜査機関の、人的・物理的切り離しがない限り、代用監獄問題の解決はありえない。
私は、布川事件弁護団の一員として、冤罪に苦しむ人たちに対し、「代用監獄の恒久化反対は現実的じゃないそうだから、反対はしないことにしたのよ。」とは、口が裂けても言えないと思っている。いやしくも弁護人なら、皆そうなのではないだろうか。代用監獄は、廃止されるべきなのだ。
諸課題山積なのはわかるが、頼みの団の中でも、この問題に対する取り組みが遅れているのが、歯痒い。
前記桜井さんのインタビューを含めた意見書ができている。HPにアップされているので、是非活用して、代用監獄廃止!恒久化などもってのほか!という声を急速に大きくして欲しい。
みちのく赤鬼人、彼は宮城は石巻の詩人で昨年の秋に「二〇〇五年の秋、みやぎの野に、勇者が起った。時には紙のバクダンとして、時には自分への応援として、詠い重ねた詩郡である。」という序文が付いた「勇者の伝説」(レジスタンスNO3)の詩集を出した。それには宮城県知事選の闘いとそれへの思いを詠った詩が綴られている。「友よ、我らが熱き渇きを聴け」「ふざけんでねがすと、後継ぎなんて」「あなたも風になりますか」「勇者と呼ばれる男について」「あなたが語る希望について―聞いてください皆の衆」と題した言葉が文字になって詠われている。みちのくの赤鬼人の故郷と、知事選への思いが時には激しく時には温かいまなざしで詠む人に伝わってくる。私は以前から赤鬼人の詩文の魅力を思ってきた。その魅力のみなもとは何であろうか。そんな気持ちから今度、今までの彼の詩集を取り出して詠んでみた。
手元に処女詩集の「無骨賛歌」と「志在千里」自分が立候補した二〇〇一年秋の宮城県知事選を詠んだ「炎たつ我」それに続く「レジスタンス宣言NO1、2、3」の詩集や故小島成一元団長への永訣の詩文その外一枚の紙に書かれた詩などがある。今度その詩集を詠んだのである。
権力を憎しみ、街角や野辺の人々を愛する心やさしい魂の叫びが言葉になって吐き出されている。その言葉は素直であり飾りけがなく、しかも余分なものがなく、魂の叫びが詠むものに伝わってくるのである。詩文は書けるようで中々かけない。詠む人の心に響く魂の叫び、訴え、呼びかけがないと詩にならない。詩の心、真実の吐露が大切なのである。さらに、詩は言葉であり吐露する心が伝わる言葉でないといけない。詩は散文ではない。リズム(調べ)がないと詩にならない。さて、赤鬼人の詩はそれらを具えている。それが私を惹きつけるのである。
彼は無骨な男であり、一途に生きている民衆の弁護士である。かれは「石器時代の平等な社会への憧れと、欺瞞と虚栄に満ちた現世への心底からの怒りとを、「赤鬼人=せっきじん」と名乗り詩人の名としている。彼の一途さについては「民衆の弁護士=布施辰治」の顕彰碑の建設や記念の集いなどのその思いいれは大変なものである。
いくつかの詩を詠んでみよう。
「四八歳のひとりごと(無骨の賛歌)」より
(1) 一九四三年 羊の年
この年の八月 わたしは生まれた。
この年の一〇月 雨の神宮の森から
学生たちは出発った 旅だった 銃を肩に。
学徒動員令のもと
ゆがめられた未来に向けて。
偽りの戦捷が報じられていた頃
わたしは「捷」の名をつけられた。
幼子が戦争の意味を知るはずもなく
食料の乏しさも知らぬまま
「肥満児」気味にわたしは育った。
(2) 六歳の夏の夜
わたしは 久里浜の駅にいた。
レットパージで職を追われた父を迎えに
わたしは祖母と夜道を歩いた。
チャップリンをアメリカから追放した同じ嵐が
その時から二年余り わたしのそばに
浪人として父がいた。
その意味を わたしが知ったのは後のこと
(3) 「法律学」という長いトンネルを
それと知らずに 歩き始めた
青春という名に酔いしれながら
木枯らしに身を凍らせもした。父の思想への挑戦をくりかえし
祖父と同じ職業を求めつづけた。
この頃 虚弱な心を支えたのは
周五郎の文学と槙村浩の詩
「幸せな愛はどこにもない」
「人生は苦しんで生きるねうちがある」
と詩った ルイ・アラゴン。
長いトンネルを抜けて
わたしはようやく法廷にたつ。
(4) 略
「わが詩歌(うた)志在千里」 から
幸せのあかし 街角の雑踏のなかに思う
母の胸に 乳のみ子児の重みがかかる
母たちは この重みから
生命をまかせた心を受ける
幸せの 確かなあかし
そこに 平和のあるかぎり
父の背中に 幼な児の重みがかかる
父たちは この重みから
育ちゆく 力を受ける
幸せの確かなあかし
そこに 平和のあるかぎり
子とつなぐ 掌をつたわる温もり
親たちは この温もりから
心からの信頼を受ける
幸せの確かなあかし
そこに平和があるかぎり
父母が見る 眩しく輝くこどもらは
ステップ軽く押し開く
明日へつづく夢のドア
幸せの 確かなあかし
そこに平和があるかぎり
「レジスタンス宣言NO2(野の声)」から
みんながこだまを返す時
あなたは 長い間
私たちの心を支えつづけてきた。
あなたがそこにどっしりと構えていれば
この国の誰もが/戦火の恐怖から自由であり、
この国の誰もが/戦争の殺人とは無縁なのだと
ずっと ずっと 思いつつけてきた。
あなたは九条、戦争の放棄。
あなたは 半世紀を越える長い間
わたしたちを励ましつづけてきた。
あなたの掲げる目印があればこそ
この国に暮らす限り
生きる権利が保障され、
この国の隅ずみまで
社会保障の光りが届く時がくるのだと
ずっと ずっと 思いつづけてきた。
あなたは二五条、生存権。
でも 私たちは知っている、
あなたにとっての六〇年間は
「日米安保」という怪物に殴られ蹴られ
いじめられつづけた年月だったと。
(略)
憲法が
叫ぶように
呼んでいる
九条が
二五条が
守る力を
呼んでいる
小さい声でいいんだよ
となりの人に話そうよ。九条こそ平和の礎、
命と暮らしの砦 二五条、
そう信じてきたみんなの夢を
小さい声を合わせて紡ぎ、
しっかりと声のネットを
張っていこうよ。
どうですか?
みんなにも
ほ〜ら
聞こえてくるだろう?
憲法九条の呼ぶ声が
守る力を呼ぶ声が。
こだまで返そう
私たちみんなの声の!
憲法破壊など
絶対
ぜったい
許さない思いで、
憲法改悪を
絶対
ぜったい
許さない覚悟で、
大きな
大きな
こだまを返そう!
ほんの少しばかりを紹介したのですが、もっと詠みたい方は「みちのく赤鬼人」から詩集を取り寄せて下さい。この詩人は団員の「宮城県石巻市泉町二ー一ー一五」の庄司捷彦さんです。