<<目次へ 団通信1200号(5月11日)
上山 勤 | 大阪イラク訴訟(関西)の報告と御紹介 |
庄司 捷彦 | いま歴史の正念場 |
後藤 富士子 | 「警察拘禁法案」を阻止しよう ─あくまで「代用監獄廃止」を放さず |
太田 啓子 | 市場化テスト法について 〜公務の民営化と「格差社会」 |
大阪支部 上 山 勤
一 標記の訴訟、四月二〇日に二時間一〇分に及ぶ最終弁論を経て結審した。判決は七月二〇日と指定された。ちょうど提訴後二年、米英軍へ日本が参戦して二年と少しという時間の関係になる。この訴訟は幸いにも山梨や名古屋の裁判所と違って、とりあえず原告の話は聞きましょうというスタイルで法廷が運営された。三人の証人とイラク人原告一人、さらに日本人の原告一二人を調べた上での結審であった。
二 御承知のようにかっての砂川・長沼・恵庭といった平和訴訟と九〇年代以降の平和訴訟とは趣が異なっている。直接に自衛隊に土地をとられるとか、射撃音の被害を蒙るとかといった直接的な「被害者」が当事者ではない訴訟なのである。そこでは憲法がうたう平和主義を一人一人の人権として捉えた平和的生存権が請求権の根拠とされている。そして、裁判所はこの平和的生存権を抽象的であっていまだ権利とはいえないとし、ことごとく排斥してきた。そこで原告等は予備的な請求原因として法的保護に値する人格的利益とか人格権も加えて提訴しているのが普通であるが苦難の道であることは皆が知っている。
学者の方にしてからがそうなのだ。例えば、九条の会の呼び掛け人の一人である『奥平康弘』先生の有斐閣法学叢書、憲法Vによれば、平和的生存権について「権利主体一つとっただけでも、従来の主観的法の(個人に妥当する法としての権利)分解の契機が含まれている・・・そこが等しく新しい権利としてあげられながらプライバシーの権利と環境権・平和的生存権とはかなり性格をことにする・・後二者は、伝統的な『権利』概念にみずからを合わせるよりはむしろこれを組み替えあるいは打破して、人間一般あるいは社会一般に妥当する新しい『権利』概念を構築する。いうならば苦しい戦いを強いられているように思う。・・・・・・原告たる市民個々人のどんな内容の平和的生存権が、どのように侵害されたのかを、裁判所に納得できるように提示し説明するのは、そんなに易しいことではなく、私のみるところ、憲法学はこの試みに、未だ必ずしも成功していない。政府の行為は違憲だ(あるいはけしからん)とか、このことを黙許する裁判所もまたけしからんとかいう批難だけからは、問題の解決の糸口は見出せないと思う。平和的生存権を『権利』として理論構成するものが、この点の立証責任を負う部分がかなりあるだろう。市民の側に、実態的な内容をもった主観的法として平和的生存権があるとする理論の構築を期待しよう。」といわれるのだ。同じような議論は、たしか名古屋のイラク訴訟弁護団の川口団員の参加した法と民主主義の座談会でも学者の発言としてあった。市民と弁護士の運動の中で作り出してもらいたい、と。
三 現行憲法の平和主義については、時代遅れになっているとか現実との関係で規範的な意味を失っているといった批判が最近耳にされる所である。しかし、例えばこのような規定を持っていなかった明治憲法下の時代、五五年の歴史の中で日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・シベリヤ出兵・満州事変から第二次世界大戦へと二〇年以上が戦争の時代であったのに比べ、現行憲法の下での六〇年間、一切の戦争を経験していない、という違いを指摘するだけでもその規範性は明らかであり有効性を確認できる。そして、今日、単に戦争をしなかったというだけでなくより積極的な現代的な意味合いも確認できる。冷戦の終結後の一九九〇年代経済のグローバリゼーションは社会経済活動の飛躍的な変化をもたらしたが、同時に開発途上国における絶対的貧困と環境破壊・飢餓の深刻化をもたらした。そしてそのことが民族・地域・宗教紛争を激化させたこと、米国に対する九・一一テロもそのような事象を背景として発生したことは良く知られている所である。そのような中で米国は冷戦時と同じ路線『国家安全保障戦略』を更に推し進める方策を採ったのに対し、国際社会は国連を中心として『人間の安全保障』の路線を追求し始めた。二〇〇〇年九月の国連ミレニアム特別総会における事務局長報告はグローバリゼーションの進行で犯罪・テロ・公害・武器・難民などの否定的な面も静かに増強しつつあることを指摘し、『貧困からの自由』『恐怖からの自由』の視点からの各国の施策を求めた。国家の垣根を越えた人間の安全保障に向けた施策がいま求められていると訴えたのである。貧困の増大、人口増大と環境破壊といった地球全体の危機に焦点をあてた施策、この人間の安全保障という考え方は非軍事化を徹底させる中での可能な努力の体系であって、日本国憲法の平和主義・平和的生存権の考え方そのものである。つまり、二一世紀を展望する最新の理念としてこの平和主義と平和的生存権の思想があるのであって時代の先端に位置する思想といえるのである。
四 そこで、平和的生存権論。大阪訴訟ではとにかく原告らの思いの中にそれを捜す努力をした。原告等は全部で三八八通の陳述書を提出し、最終準備書面の過半はその要約的紹介と意味づけ位置づけのために割かれた。原告らの経験は多岐にわたるがそれぞれに重い内容をもっている。原告団はこれら原告の思いを『平和へのねがい』裁判にかける私のおもいと題する冊子に取りまとめた。標題で御紹介としたのはこの陳述書集をぜひ全国の団員にごらんになっていただき、来るべき憲法改悪勢力との対決にむけて利用していただきたいと思ったからである。そこには理論と理屈は少ないけれど読むものをして涙なしには読ませない人の心と人生がある。みなさんにその気になっていただくために陳述書の内容の一部を、法廷での弁論を引用して紹介する。
五1 「平田好子」は二〇年三月の空襲で大阪の家を失い、疎開先の尾道から燃え上がる福山を見ている。「温井康子」は軍需工場の傍であったため自宅をロープで引き倒したがその後空襲を経験し、疎開によって家族がバラバラになった。「速水祥二」は東京から長野に疎開し、極端な食糧不足と疎開児童の集団泥棒を経験している。「近藤悦代」は徳島の吉野川流域に疎開したがひもじかった記憶と疎開児童が芋を盗んでいた光景は今も消えない。「岡本由美子」は大阪から富山に疎開したが同じく食糧難による飢餓・病気を経験し、母親は川の水を飲んで伝染病に罹患した。
家を失い、家族を失い絶望の中で食べ物にも事欠いた彼や彼女らの記憶は、今、イラクで苦しんでいる多くの人たちの姿そのものである。
「小山ヤエ子」は、音を立てて降り注ぐ焼夷弾の記憶とともにB二九の爆撃を忘れられない。防火用水の水を頭からかぶって逃げ惑う記憶は、そのまま逃げ惑い傷つくイラクのこども達の姿であるという。
「吉田和則」は神戸で、「久保美也子」、「近藤悦代」、「三木谷英夫」、そして「田中香苗」の母親も大阪で空襲を体験した。「上田トミエ」は一五歳で女子挺身隊として海軍工廠で二交替で働いていたときに爆撃を受けた。三歳の兄を負ぶった母親の服が燃え出して転げまわって火を消した記憶、森下仁丹の向上が火の海となり、煤で真っ黒になって生きて帰ってきた姉、真っ黒に焼け爛れた死体、川を流れていく死体、バラバラになった肉片を広い集める女学生、淀川大橋に落とされたすさまじい爆弾の炸裂音、空襲の後必ず降る黒い雨、煤だらけの顔、栄養失調で浮腫んだ顔、おびただしい死傷者・・・このような記憶は今も鮮やかに蘇ると訴えている。
同様に、「緒方雄一郎」は、熊本で機銃掃射を浴びて蛸壺壕に批難したことがあるし家族は強制疎開でバラバラになった。「吉田安恵」は堺の空襲に会い、土井川の死体をみながら母親に背負われて大仙公園へ逃げた恐怖の記憶がある。いまでも上空を飛行機が飛ぶと必ず見上げて飛び去る方向を見つめるのが習性となっている。「徳田勝」は和歌山の串本町で空襲・機銃掃射を経験している。学校の体育館・沖合いで漁をしている漁民・野良で仕事をしている百姓も攻撃された。戦争では今のイラクと同じく民間人も攻撃されたのである。
このような苛酷な体験は強い恐怖心と戦争拒否の気持ちを原告らの中に育てた。つらかった記憶は消えることはなく、今なお引きずっている記憶である。同じ現代という時代にともに生きている同じ国民として、これを知らない振りができるだろうか。また、逃げ惑う当時の姿は今、イラクで激しい爆撃によって家を壊され、傷つき、逃げ惑うイラクの人たちの姿と全く同じであり、映像は原告らに記憶を蘇らせ立ち止まらせる。胸を掻きむしられるのである。親子ともども殺されていくイラク住民の惨状を見聞するに連れ、原告等は心底、みずからの苦しみを感じてしまうのである。イラクの報道に接するたびに住民の被害があのときのように目に浮かび胸が苦しくなるのである。
2 「長畑望登子」は、同僚の看護婦の痛切な叫びを聞かされている。一八の時、赤十字救援看護婦として広島に行き、被爆者の体に湧いたウジを取り除く作業をしたこと・遺体には番号を付して荼毘にふしたこと・人の焼ける臭いの中での作業を通じて自身も被曝したこと・そして、脱毛と胃腸症状に苦しみながら誰にも話せず、三五年目にしてやっとそれを語り、声を上げて号泣したこと、結婚もせず、秘密のままで人生を閉じようとしたはずの先輩の気持ちに思いをいたす時、ただただ、絶句して、原爆被害の恐ろしさ、被害の深刻さに頭をたれる他ない。
「中西康子」は四五年八月家族でヒロシマに暮していた。原爆投下の後、父は救援活動に、母は土地で取れた食材で家族の食事を作っていた。父・兄・弟と次々に死亡。中西本人と母・姉の被曝証明書はしかし今も仏壇に眠ったままである。彼女にとって自分達の被害を口にすることは今なおつらいことである。
どちらも正に現在の被害であることは歴然としている。彼女らにはいかなる戦争・戦闘行為も決して許してはならず戦争の犠牲者を出してはならないという強烈な信念がある。イラクへの派兵がいつそのような事態になってもおかしくない性格のものであること、劣化ウラン兵器の使用で同じ放射線障害のこども達が生み出されつつあり、その戦争の協力者とみなされざるを得ない状況はたまらないものである。
「西貞則」は祖父が被爆。なきがらは集団で焼かれ、遺族の下には遺灰も帰ってきていない。妻の死亡後一人暮らしであった父に、『戦争体験を書いて孫に残してはどうか』と聞くと『思い出すだけで次々に涙が出てきて言葉や文字にするのはつらくて無理や。』とのことである。このような父を抱える原告にとって、戦争は続いているのである。イラクへの派兵は犠牲者の思いを踏みにじるものであっていても立ってもいられない思いである。
「森田サトエ」の場合、いとこの家族がヒロシマで暮していた。いとこの美佐子は即死。最後の様子はわからない。その姉、伯父が三日間探し回ってやっと見つけたが顔や手足にガラス片が多数刺さっていて、何度も摘出手術をした。叔母の娘は皮膚が焼けただれたズル剥けの状態で見つかった。顔が膨れ上がり、声で娘とわかって連れ帰ったが、明け方、『お母さん、お母さん』とつぶやいて母親の腕の中で息を引き取った。戦後何十年立っても、この話を叔母は泣きながら話す。聞く者も泣く。被害が過去のことではなくて、今、現在も家族の胸に刺さっているのである。
3 「海江田登美子」は六〜七歳の時に、沖縄での戦争を逃れようと必死の思いで山中に逃れたこと、食べ物がなく、カタツムリを食べて飢えをしのいだこと、逃避行の中で見た白骨化した死体やこどもを抱いたまま真っ黒になっている母親の死体など、ぬぐいがたい戦争の記憶をつづっている。そして、イラク人の気持ちは痛いほど理解できるという。
「向富子」は戦後畑の中からごろごろと白骨死体が出てきたこと、中には手榴弾を握ったままの白骨死体もあったことを語り、また土地を奪われたことで戦後も家族が苦労したことから戦争が終わった後も外国軍が居座り続けることでの住民の苦難を述べ、現在のイラクの実状に心を痛めている。
「坂本和子」はベトナム戦争当時、沖縄がベトナム人から悪魔の島と呼ばれたことにいたく傷つき、いままたイラクへの加害の基地となっていることに心を痛めるとともにテロの恐怖を抱いている。
六 一部をご紹介した。以上のほかに、戦争体験はないものの自身が平和教育に生涯をささげてきた者や、障害者としての戦争への不安を訴えていたりで、なかなか、気がつかない憲法九条論が展開されていたりする。一冊九〇〇円である。是非お買い求めいただきたい。連絡先は〇六ー六九四六ー四九一〇、大手前法律事務所である。
宮城県支部 庄 司 捷 彦
みちのく赤鬼人
八〇年前にその刃は姿を現した
刃は凶暴に荒れ狂い
この国の青年たちを戦場へと追いやった
小林多喜二だけではない
共産主義者だけではない
キリスト者も自由主義者も
哲学者も、男も女も
捕らえられ、殺されもした
その刃は
血塗られた二〇年を生きた
刃は治安維持法と名乗っていた
六〇年前の敗戦の時に
刃は手折られ、破棄された筈だった
だが、この刃を支配の道具とした思想は
靖国の、皇国の思想として生き残り
いま、国民の自由へと襲いかかっている
イラク派兵反対のチラシには
「住居侵入罪」で襲いかかり
日の丸・君が代が心の中まで踏み込む
国民を今一度臣民へと変えようと狙っている
迎え撃とうではないか!
靖国ではアメリカへの恨みを語りながら
安保ではアメリカへの追従を重ねる
この権力の虚飾を暴き この権力の虚偽を撃つ
刑事罰での弾圧には大衆的裁判闘争を!
憲法改悪には津々浦々に「九条の会」を!
民衆として重ね重ねた闘いの歴史
主権者として学びつづけた民主の精神
刃の復活は許さない
(二〇〇五・八・一七)
(この作品は「治安維持法と現代」二〇〇五年 秋季号(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・編)に掲載されました。私の詩の先生でもある長野県支部富森啓兒団員から貴重な御意見を頂きましたので、一寸手を加えて、団通信に投稿致します。)
東京支部 後 藤 富 士 子
一 「法制審答申」における「代用監獄」の位置づけ
一九八〇年、監獄法改正に係る法制審議会答申がなされた。
この答申によれば、警察留置場に関し、今回の「法案」とは異なり、次のように、「代用性」が明確に規定されている。
第五 刑事留置場 一〇八刑事留置場
(1) 警視庁若しくは道府県警察本部又は警察署に附属する留置場は、被勾留者を収容するため、刑事施設に代えて用いることができること。
(2) 右により刑事施設に代えて用いる留置場(刑事留置場)については、刑事施設及び被勾留者に適用のある規定を適用する。この場合において、これらの規定中「法務省令」とあるのは「総理府令、法務省令」と、「法務大臣」とあるのは「都道府県公安委員会」と、「刑事施設の長」とあるのは「刑事留置場を管理する警察官」と読み替えるほか、必要な読替えをするものとすること。
以上のとおり、「法制審答申」における「代用監獄」の位置づけを整理すると、次のとおりである。
(1) 警察留置場は行政施設であり、監獄ではないから、監獄法に設置根拠規定を置くことはない。
(2) 警察留置場が「代用監獄」になるのは被勾留者の収容についてであり、被逮捕者の留置は「代用監獄」ではない。
(3) 被勾留者を警察留置場に収容する場合には「刑事留置場」と称し、刑事施設及び被勾留者に適用のある規定を適用する。換言すると、すべての警察留置場を代用監獄とするものではない。
(4) その適用に際しては「読替え」を要するが、警察留置場を監獄として扱う別の法律は予定されていないし、警察法の改正も予定されていない。
二 「法制審答申」を踏みにじる「未決拘禁法案」
四月一八日に衆院を通過した「未決拘禁法案」は、昨年成立した「受刑者処遇法」と一体化されたものとなっている。
前記「法制審答申」を念頭に置きながら、「法案」を検討すると、
(1) 法案一四条一項は「都道府県警察に、留置施設を設置する。」とし、同二項で「留置施設は、次に掲げる者を留置し、これらの者に対し必要な処遇を行う施設とする。」と規定している。
すなわち、都道府県警察に「留置施設」を設置し、「被勾留者を留置し、必要な処遇を行う施設」とする。これは、都道府県警察に「監獄」を設置することに他ならない。
(2) それでは、従前の「警察留置場」と法案一四条により設置される「留置施設」は別の施設なのかが問題となる。というのは、警察留置場はあくまでも「代用監獄」であって、「監獄ではない」からである。
この点について調査したところ、昨年「受刑者処遇法」が成立した後の九月に、都道府県警察の「保護取扱規程」が全面改正されて、警職法三条等による行政保護には留置場を用いないこととされている。すなわち、法案の「留置施設」は、従前の「警察留置場」と同じ施設であり、既に「未決拘禁施設」として純化されているのである。
(3) 法案では「留置施設」が独自の「監獄」として位置づけられ、「刑事施設」と並んで一緒に「刑事収容施設」とされている。
したがって、「留置施設」に収容された被勾留者も、「刑事施設」の規定が適用されるのではなく、「留置施設」の規定が適用される。
(4) さらに重大なのは、警察法二一条の改正である。
現行法では、警察の権限として法定されているのは「被疑者の逮捕」だけである(警察法二条)。
しかるに、法案一四条により、「留置施設」は「被勾留者を留置し、必要な処遇を行う施設」となったことに対応して、警察法二一条(長官官房の所掌事務)に「留置施設に関すること」という一号を新設することとされている。
三 「法案」の評価をめぐる日弁連内の対立
前記のとおり、「法制審答申」と比較すれば、「法案」が警察留置場を独自の「監獄」に格上げを図っていることは否定できないことである。
ところが不思議なことに、日弁連刑事拘禁制度改革実現本部は、「法制審答申」と比較するどころか、廃案になった「留置施設法案」と比較したうえで、「留置施設法案」に対してなされた批判を「法案」はクリアしているとの詭弁に異常な執念を燃やしてきた。曰く「代用性は確保された」、曰く「警察単独立法ではない」、曰く「費用償還法は廃止されない」、曰く「警察法五条二項、三七条の改正は阻止された」等々、誰の立場を代弁しているのか見紛うほどである。また、同本部事務局長代行海渡雄一弁護士は、ライブドア・ニュース(五月一日)のインタビューに対し、「代用監獄を代用でなくし、いわゆる警察監獄≠フようにすることを警察はもくろんでいましたが、そういった野望は打ち砕かれ、今まで通り代用監獄になりました。代用である以上、いつかは廃止されるべきものだというニュアンスがそこには含まれています。」と述べている。
しかしながら、弁護士の強制加入団体である日弁連や弁護士個人が、このように「法案」の評価を偽ることは、かつて経験したことがない異常な事態といわなければならない。しかも、「代用性」をめぐる評価が重要なのは、日弁連の悲願である「代用監獄廃止」について帰趨が決まるからである。
四 「法制審答申」後の実情 ─「代用監獄」収容の激増
新聞報道でも明らかにされたように、二〇〇四年末には、未決拘禁の九八・三%が警察留置場で、僅か一・七%が拘置所に収容されている。この数値は、一九七一年では、拘置所収容は一八・五%であった。「未決拘禁」には被勾留者だけでなく被逮捕者も含まれているから、単純に「代用監獄収容率」とはいえないまでも、一応の目安にはなる。
また、警察留置場の過剰収容問題も深刻な様相を示している。「捜査研究 No.六三六」に掲載された警察庁長官官房総務課高尾裕司氏の論文「留置業務の現状と課題」によると、看守勤務員の負担の目安となる収容者の「延べ人・日」は、二〇〇三年では「五二七万人・日」を超え、拘禁二法案が三度目の廃案になった一九九三年の約二・三倍である。留置場の収容率は、二〇〇四年五月二〇日現在で、全国平均八三・五%に達し、少年や女性を分離収容する制約からすると収容率七〜八割が限界であり、留置場の収容力不足は深刻である。これに対処するために、警察庁は、警察署の新増改築に伴う留置場の整備だけでなく、単独留置場の建設について検討するよう都道府県警を指導し、建設費も国庫から補助されている。
他方、衆院法務委員会(四月四日)における政府答弁によれば、「法制審答申」のあった一九八〇年の拘置所の収容定員は一万五一一三人であり、二〇〇六年三月三一日現在定員は一万七二五三人で、二五年間で二一四〇人しか増えていない。そのうえ、現在予定されている増改築(東京拘置所を含む六施設)によりもたらされる定員増は約九〇〇人で、合計定員は一万八〇〇〇人を超えるという。
これでは、「法制審答申」の「漸減条項」=「関係当局は、将来、できる限り被勾留者の必要に応じることができるよう、刑事施設の増設及び収容能力の増強に努めて、被勾留者を刑事留置場に収容する例を漸次少なくすること」に関し、一九八〇年の水準に戻すことさえ覚束ない。未決拘禁の一〇%を拘置所に収容することも不可能と言って過言ではなかろう。それにもかかわらず、警察留置場を「監獄」に格上げする「法案」を成立させることは、「代用監獄廃止」の息の根を止めるに等しい暴挙というほかない。
なお、昨年成立した「受刑者処遇法」は、この五月二四日に施行されようとしている。したがって、「未決拘禁法」については、「受刑者処遇法」と切り離して、一旦廃案にしたうえ出直すべきであろう。
神奈川支部 太 田 啓 子
一 はじめに(本稿の目的)
小泉総理が「行革国会」と位置づける第一六四回通常国会に、「競争の導入による公共サービスの改革に関する法律」(以下「市場化テスト法」という)が提出され、四月二〇日には衆議院を通過した。
市場化テスト法は今後の日本社会の在り方を大きく決定づける、重大な意義を持つものであり、法案成立に伴って今後派生すると懸念される問題は、雇用問題の発生や経済格差の拡大、福祉の質の低下など多岐にわたる。法案成立に伴い今後発生すると予想される諸問題の背景について事前に知っておくことが、有事の対応の迅速さや的確さに資すると考え寄稿させて頂く次第である。
二 市場化テスト法案提出に至る経緯
「官から民へ」「小さな政府」という近年の動きは非常に目まぐるしい。例えばPFI法(一九九九年)、構造改革特区法(二〇〇二年)、地方自治法一部改正(二〇〇三年「指定管理者制度」設立)、同年の地方独立行政法人法はいずれも地方自治体の民営化を目指す一連の流れの中に位置づけられる。これらの動きは財界からは「官製市場」「パブリックビジネス」の創設と称され、先行投資の要らない安全な投資分野として、ビジネスチャンスとしての魅力を有している。行政の民営化の急速な流れは財界の強い要求によって財界主導で実現したものである。
ところが上記のような新しくできた法制度には、公務・公共サービスに参入したい民間企業にとっては「制約」と感じられるような限界もあった(例えば特区法では特定地域にのみ適用されるに留まる等)。
そのため、今まででは「不十分」だった民営化を更に推進し、公務の民営化を徹底して実現するための登場したのが、この市場化テスト法である。
同法一条には、この法律の目的について「公共サービスに関し、その実施を民間が担うことができるものは民間にゆだねるとの観点から、これを見直(す)」と記されている。
法案の名称こそ「競争の導入による公共サービスの改革に関する法律」となってはいるが、真の目的は公務公共サービスの民営化をとことんまで推進するためのものであり、このことは以下に概要を記す法案の内容からも明らかである。
三 市場化テスト法の内容
1 市場化テストとは
市場化テストの語源は、「官業を市場の競争にさらす」という意味のマーケットテストである。市場化テスト法は、行政の業務を、(1)官民競争入札(2)民間競争入札の二つの類型の入札にかける制度について定め、今まで官が行っていた業務を民間解放しようとするものである。
2 市場化テストの対象となる業務は何か
市場化テストの対象となる「公共サービス」は二つあり(法第二条四項参照)、一つ目は「国の行政機関等の事務又は事業として行われる国民に対するサービスの提供その他の公共の利益の増進に資する業務」のうち「施設の設置、運営又は管理の業務」「研修の業務」「相談の業務」「調査又は研究の業務」その他「その内容及び性質に照らして、必ずしも国の行政機関等が自ら実施する必要がない業務」であり、「その他」があるため国が行う業務は限りなく広く、市場化テストの対象となる可能性がある。二つ目は「特定公共サービス」であり、自治体における市場化テストの対象はこれのみとなる。
3 具体的にどのような業務が市場化テストの対象となるのか
国が行っていた業務では、例えば職業紹介、国民年金保険料滞納者への通知・滞納理由確認・保険料請求などが市場化テストの対象となり、民間業者がこれらの業務を行うことができるようになる。 自治体の「特定公共サービス」については、法で範囲が定められているが(法第五章第二節参照)、例えば戸籍謄本・納税証明書・住民票などの交付請求の受付や引渡など、住民のプライバシーに密接に関わる業務も市場化テストの対象となっており、プライバシーの流出も強く懸念される。
四 公務が市場化されることの問題点
市場化テスト法により公務の市場化が徹底されると、以下のような問題が懸念される。
1 公的責任の後退
安全確認や教育・医療など、効率や採算性を最優先すると責任が十分に果たされない性質の業務こそ官が責任をもってやるべきであり、民間に委ねられ市場競争にさらされることにはそもそもなじまない。その教訓が耐震強度偽装問題に典型的に表れたといえよう。そのように本来官が行うべき性質の業務も含め際限なく民間解放されることにより、公的責任の後退が加速することが強く懸念される。
2 福祉の質の低下
民間企業が「効率性」「採算性」を重視して保育や医療などの福祉分野に参入すると、そこでは人件費の削減競争が繰り広げられ、園長や保育士が一年単位の有期雇用だったりパートタイム労働者だったりという保育園が増えている。例えば二〇〇五年一〇月、神戸で、民間企業が設置した認可保育所が突然廃園となるなどという事態が生じた。契約期間等スタッフの労働条件の低さは必然的に福祉の質の低下を招くものである。
3 労働問題の発生
従前官が担っていた業務を民間企業が落札した場合、そこで働いていた公務員(正規職員)が分限免職になってしまうという事態が生じうる。また、企業は落札するために低コストを競い合うが、その低コストはほとんどの場合人件費の削減によって実現されるものであるから、落札した民間企業で働く職員も、多くは不安定雇用労働者である。このようにして、社会全体における不安定な雇用の増加・労働条件の低下など雇用の劣悪化が進み、このことは格差社会を加速化させる大きな要因となるだろう。
紙面の関係上これらのみに留めざるを得ないが、公務の市場化の問題点は到底上記に尽きるものではない。
五 今後何をすべきか
重要なことは、「民間でできることは民間へ」「官の無駄を無くし効率性を上げる」などのキャッチフレーズに惑わされず、公務の市場化の徹底は社会内格差をますます推進することなどの弊害を冷静に見極め、それを地道に世論に訴えることだろう。今の公務の市場化の流れをどう捉えるかは、今後私たちがどのような社会に生きていきたいかを真剣に問うことと同義である。少しでもこの流れをくい止めないと、将来に大きな禍根を残すことになるのではないかと思う。