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金井 克仁
宮腰 直子
船橋信用金庫の破綻をめぐる二つの事件
東京東信用金庫不当労働行為事件の勝利解決と
船橋信用金庫出資金返還請求訴訟の現状
芝田 佳宜 新人弁護士、団五月集会に参加する
ユ岡 寿治 五月集会に参加して
大賀 浩一 五月集会を振り返って
杉本 朗 グッド・タイムス・ロール
笹山 尚人 東京法律事務所「憲法改悪のための国民投票法案制定はごめんです」集会を開催
宇賀神 直 本の紹介 竹澤哲夫著「戦後 裁判史 断章」




船橋信用金庫の破綻をめぐる二つの事件

 東京東信用金庫不当労働行為事件の勝利解決と

 船橋信用金庫出資金返還請求訴訟の現状

東京支部  金 井 克 仁
千葉支部  宮 腰 直 子

一 はじめに

 二〇〇二(平成一四)年一月、船橋信用金庫(以下「船信」という。)が破綻し、東京東信用金庫(以下「東信」という。)へ事業譲渡がなされました。船信の破綻により、二つの事件が提起されました。一つは、船信労働組合三役の採用差別などを行った東信に対する不当労働行為救済申立事件(都労委)です。もう一つは、船信が出資金増強運動をした後で破綻したことにより出資金が返還されず損害を受けた出資者の出資金返還請求訴訟(千葉地裁)です。このたび、労働事件が勝利和解により解決しましたので報告し、あわせて出資金訴訟の現状も紹介します。

二 東京東信用金庫不当労働行為救済事件の勝利解決

(詳細は五月集会特別報告集別冊の中の金井克仁弁護士の報告を御覧下さい。)

 事件の概要

 東信は、船信から事業譲渡を受けるに際し、次のような四つの不当労働行為を行いました。その本質は、国家政策ともいえる金融再編成のなかでたたかう労働組合「全信労(全国信用金庫信用組合労働組合連合会)」への攻撃でした。

(1) 船信職員の再雇用について、船信労働組合(全信労加盟)の三役を採用試験で全員不合格にした【採用差別事件】

(2) 採用した船信職員を全信労の組合から脱退させ、東信の御用組合(第一労働組合)に加入させた【支配介入事件】

(3) 東信労働組合の委員長を課長代理から降職・減給処分にした【降職人事事件】

(4) 東信労働組合からの全信労が入った団交申入れを拒否した【団交拒否事件】

 二〇〇二(平成一四)年一〇月二二日に都労委へ申立をし、一四回の調査・斡旋と一二回の審問を経て、本年三月二四日、都労委の斡旋手続において和解しました。

 和解協定では、【採用差別事件】について再雇用までには至らなかったものの、申立人となった船信労組三役の三人は金庫の関連会社に一旦採用された形がとられました。【支配介入事件】については今後、労使関係の正常化を図ることで決着がはかられました。【降職人事事件】については委員長を四月中に課長代理にし、賃金減給分は解決金において清算し、事実上降職は撤回されました。【団交拒否事件】については、金庫は今後上部団体の入った団交を行うことを確約しました。以上に加えて金庫は組合に解決金を支払いました。

 たたかいの意義

 この事件のたたかいには次のような意義を指摘することができます。

 まず、企業のリストラが簡単に正当化されてしまう社会風潮の中で、しかも信用金庫業界と金融庁が結託して金融再編成が強行される中、船信の労働者があきらめずに立ち上がりたたかったという点です。

 次に、特筆すべき重要な点は、たたかいの中で組合員を増やしたことです。申立当初四名だった東京東信用金庫労働組合は、今回のたたかいの中で新組合員を二名も増やしました。たたかいの場を労働委員会だけにしないで、残業問題等の職場でのたたかいを地道に続けた成果でした。こうした人の広がりが金庫を和解に追い込んだ最大の要因でした。

 最後に、地域・業者・利用者との間で一定の共闘ができた点です。船信破綻により地元では「地域経済を守れ!」という声がわき起こりました。今回のたたかいは、船信の破綻問題の際に大きく盛り上がった地域運動を引き継ぎ、不当労働行為事件を単なる労働事件とせず、このような地域経済の保護の問題と一緒のものとして取組み、地域団体や地域組合等を一緒になってたたかうという一つの未来像を提起し、そして一定程度ではありましたがこれを実践したものでした。

 勝利解決を祝う会が五月二〇日に浅草ビューホテルにて行われました。大勢の組合や支援の仲間が集まり、盛大な集会となりました。後述する出資金返還訴訟の原告団代表も参加し、その熱気に触れ、大いに触発されていました。

(弁護団は金井克仁・菅俊治(東京法律)各団員、穂積剛・清水淳子各弁護士(みどり共同)、後藤寛・中村悦子(東京東部)各団員、中丸素明・宮腰直子(千葉中央)各団員)

三 出資金返還請求訴訟の現状

 船信は、金融監督庁(当時)の指導のもと、平成一一年九月から破綻直前まで、健全な経営の目安とされる自己資本比率四%以上を達成するため、出資金増強運動により、やみくもに利用者から出資金を集めました。平成一一年三月に八億六千万円であった出資金は平成一三年一二月には約一六億円に上っていました。

 平成一三年三月末時点における船信の自己査定による自己資本比率は四%を超え、経営が健全であることを示していました。ところが同年九月に金融庁の検査が入り、船信は自己査定をし直したところ平成一四年一月に債務超過であるとして(自己資本比率はマイナス二・一一%)破綻申請をし、東信に事業譲渡がなされました。その結果、船信の出資金は出資者に戻らなくなりました。

 この破綻劇は、国と船信と東信が申し合わせて金融再編を強行したものであり、その中で信用金庫の利用者すなわち地元経済の担い手の利益は全く考慮されませんでした。

 出資者六〇名余は、無理に出資金を集めておいて破綻させたことについて、二〇〇四(平成一六)年五月三一日に国と船信と理事を相手にして損害賠償請求訴訟を提起しました。

 原告団は、信用金庫の利用者という共通点があるだけでもともと繋がりの薄い人々です。団結して提訴に至るまでには、地元の労組や民主団体、全信労などの大きな支援がありました。訴訟が進むなかで、原告団はこれらの支援者の協力を得ながら手探りをしつつも運動を広げています。今回の労働事件の勝利解決が出資金訴訟の原告団に与えた影響ははかりしれません。


新人弁護士、団五月集会に参加する

東京支部  芝 田 佳 宜

一 はじめに

 私は、昨年一〇月に弁護士になった五八期の弁護士です。今回の五月集会に参加した雑感をとりとめもなく綴ることに致しました。

二 新人学習会(一日目)

 新人学習会では、おなじみと思われる坂本団長のご挨拶の後、北海道支部の郷路征記先生と、神奈川支部の阪田勝彦先生のお話がありました。

 郷路先生からは、先生が取り組まれていた「青春を返せ統一協会裁判」のお話がありました。

 偶然受けた法律相談をきっかけに統一協会の事件と関わりを持ち、当時負け筋事件とされていた統一協会訴訟に対し、長年に渡る膨大な調査(元統一協会信者を集めた勉強会など)を行い、勝訴に結びつけたという先生のお話で、弁護士たるものの基本姿勢を改めて示していただき、身の締まる思いでした。

 阪田先生からは、ご自身が取り組まれた事件のお話と、どのような過程を経て、ノンポリ(ご自身談)であった新人弁護士が団の役付になり、中心的に活動されるに至ったかについてお話がありました。

 先生が初めて担当された国選弁護事件で、責任能力を争い、結果無罪判決を勝ち取られた話は、目が覚める思いでした。私も、初めての国選事件で責任能力を争うことになった矢先であったので、興味深く聞かせて頂きました。

 次に話をされた労働事件の話も興味深く聞かせて頂きました。事案は複雑で限られた紙面で簡潔に示すことはできないのですが、労働組合の陣頭指揮をとって、あのゴールドマン・サックスをねじ伏せたとのお話は圧巻でした。

 事件と団の活動を生き生きと語られる阪田先生のお話はとても魅力的でしたので、今後も新人弁護士などに向けた講演の機会が設けていだたき、有意な人材を団に引き寄せて頂きたいものだと感じました。

三 その後

 五月集会終了後に、私は半日ツアーに参加することにしました。行き先は小樽で、小林多喜二にゆかりのある土地ということであったので、小林多喜二を敬愛されておられる方々大勢参加されており、到着するや否や、小林多喜二記念碑に行かれたようでした。自由法曹団の歴史を感じさせられた一幕でありました。

 また、小樽は、石原裕次郎ゆかりの土地でもあるようで、バスガイドさんは、裕次郎記念館であるとか、裕次郎と小樽の接点について説明していたにも関わらず、参加者の反応は冷ややかそのもの。一般の客が興味を示すだろう石原裕次郎に対しては何の反応も示してもらえないことで、バスガイドさんがやりづらそうにしていたのも印象的でした。

四 最後に

 一一月の総会には参加できなかったため、自由法曹団というものが何かはよく分かっていなかった私ですが、今回五月集会に参加して、団についての理解が少しは深まったと思います。

二日あるいは三日という短い期間であったにも関わらず、改憲問題から、団の将来問題に至るまでさまざまな報告があり、濃密な時間を過ごすことができた。ただ、濃密すぎた故にいささか消化不良となってしましました。

 ところで身勝手ながら少々意見を申し述べさせて頂きたいと思います。

 今は、情報通信技術が発達しているので、全国各地からわざわざ集まったうえで、書面報告や、口頭による報告を行うに関しての意義が薄れているのではないでしょうか。この点、二一日(日)の夜に行われた、堀越事件弁護団のVTRを使用した報告や、チチハル弁護団の中国から被害者を招待した報告は興味深いものと思います。全体会や分散会でも、このような趣向の報告が増えると、報告する側、聞く側の両者にとって意義の深い報告になるのではないかと思いました。準備は大変になると思いますが。

 日常から解放され、触発される話を聞いたり、普段はなかなか会うことのできない方々ともお会いできる貴重な機会であるので、また機会があれば参加したいと思っております。


五月集会に参加して

静岡県支部  ユ 岡 寿 治

 「団通信に載せるので、何でも良いから五月集会の感想を書いて欲しい」というFAXが来たのが五月三〇日のこと。直後に依頼書が机の上で行方不明となったまま〆切の六月五日も経過したため、これ幸いと思っていた矢先に、悪い企みは挫折。六月九日に館山寺温泉で行われた静岡県支部の総会に、何と今村本部事務局長が来賓として出席されており正直者(?)の私は、事務局長の顔を見るなり、「すいません原稿出すの忘れていました。必ず出します。」と自白してしまい、一〇日遅れの原稿提出となった次第です。まずは事務局の方に迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。

 昨年一一月一日に静岡市内の某居酒屋で、修習生時代からお世話になっていた大多和支部幹事長から「はい。自由法曹団と(静岡県)弁護士九条の会の申込書。セットで入団するとお得だよ。」と言われて入団申込書を書いた私にとって、今回の札幌集会が団員としての「全国デビュー」でした。

 ところが、前日(五月一九日)に県弁護士会の定期総会・懇親会があり、止せばいいのに三次会まで行ってしまったため、出発当日はここ数年体験したことのない酷い二日酔い。道中は景色を楽しむ余裕もあまりなく、静岡では三月終わりには散り始めていた桜がホテルの前できれいに咲いていたことだけが強く印象に残っています。

 そのような状態で臨んだ新人学習会ではありましたが、二人の先輩弁護士(郷路、阪田両弁護士)の話は大変興味深く聞かせていただきました。特に、最初の国選事件で無罪判決を勝ち取った阪田弁護士の話には、多くの同期が衝撃を受けていたようです。

 二日目の分科会、全体会では時期が時期だけに憲法問題に関して活発な議論が行われており、ただただ圧倒されるばかりでした。恥ずかしながら、先に述べた静岡県弁護士九条の会でもイベントに参加するばかりの自分としては、もう少し積極的にならなければと思った次第です。

 特に印象に残っているのは、最終日の分科会で参加した市民問題分科会(コンビニ問題)でした。この分科会を選択したのは、自分がコンビニ問題に積極的に取り組んでいるからという理由ではありません。弁護士登録後、コンビニ事件に関与したこともなく、むしろ静岡県内ではコンビニの問題は下火になっているような感すらあります。

 私的なことになりますが、この問題は、私の大学時代の恩師が病魔に冒されながら最後に取り組んでいたテーマでした。生前、コンビニ問題の話を聞く機会が幾度となくあり、表面的な問題点は認識していたつもりでしたが、入退院の隙間を縫うかのように全国を奔走している姿を見て、当時は「何でここまでするのだろうか。」と疑問に思っていました。

 しかし、全国で先頭に立ってジーと闘う団の諸先生方の話を聞いていると、「現代の奴隷契約」と言われるコンビニ契約の不平等性や人権侵害性が具体的かつ立体的に見えてきて、亡き師がどうしてこの問題に最後まで取り組んでいたのかが、分かった気がしました。

多くの人が、大手消費者金融業者が違法な金利を設定して、巨額の利益を得ていることを知らないように、ジー側がとんでもないルールを設定して、コンビニ店主らの「被害」の上に巨額の利益を得ていることは殆ど知られていないでしょう。しかし、こういった影の部分にこそ手を差し伸べて、泣かされている人々を救済する―これが市民の味方としての法律家に期待される役割なのだと改めて思わされました。

 大量の事件処理に追われる日々を過ごす中で忘れがちになっていることですが、全国で活躍される団の先生方(同期でも立派な活動をしている方がいて感心しました。)の姿を見ていると、もっと自分も頑張らなければと思いを強くし、札幌の地を後にしました。


五月集会を振り返って

北海道支部  大 賀 浩 一

【はじめに】

 札幌の奥座敷・定山渓温泉での五月集会が幕を閉じてはや一か月が経過した。団本部からの投稿要請に応えなければと思いつつ、多忙に紛れていたが、前号までに多くの団員諸氏から過分なるお褒めの言葉をいただいた以上、地元支部として答礼を怠るわけにはいかない。ここに改めて、五月集会成功にご尽力いただいた皆様、参加された皆様に対し心から御礼申し上げる。

【開催受入れから会場下見まで】

 団本部からわが支部への開催受入れ要請は、確か昨年の九月。十勝川温泉総会から既に八年も経過し、受入れ自体には異存がなかったものの、最大の懸案は開催場所。洞爺湖畔や層雲峡、さらには世界遺産・知床に近い阿寒湖畔も候補に挙がったものの、交通の便とキャパシティを優先して札幌周辺の数か所に絞り込み、最後は料理の量と質で定山渓ビューホテルに軍配。

 会場の下見は三月三日。団本部や旅システムの面々とともにホテル内をほぼ一巡し(家族連れやカップルで賑わうプール内をスーツ姿でぞろぞろ歩いた時は少々羞恥心を覚えた)、夕食懇親会や朝食のメニュー数種類を吟味し、周辺の観光スポットを車で回るなど、何とも入念な下見であった。

【集会前夜】

 一九日は準備作業中最大のヤマ場・袋詰め作業。団本部の皆さんと北海道合同・たかさき・さっぽろの地元三事務所事務職員有志、そして信州しらかばや北九州第一の事務長殿の応援を得て無事に完了。司法記者クラブでの記者会見後に今村事務局長と私も駆けつけ、作業終了後は夜遅くまで前夜祭≠ナ盛り上がる。ある職員曰く「こんなに大変な袋詰めは生まれて初めて」。毎回の五月集会・総会の裏方での苦労を思い知るよい機会だった。

 翌二〇日の午前中は受付の設営だけで終わり、私は市内に戻って、高校の先生方と一緒に大通公園で教育基本法改悪反対の街宣。偶然通りかかった東京の某団員から声をかけられて吃驚仰天。

【いよいよ本番】

 二一日の午後一時、いよいよ受付開始。参加申込みは五百名を超え、ここ数年では最多の部類に属するという。懐かしい顔、顔、顔。本当はお一人ずつゆっくり話をしたいところだが、それもかなわず黙礼を交わすのみ。

 最初の全体会では、藤本明団員が地元単位会長として来賓挨拶するも、上田文雄札幌市長(弁護士)は予定が合わず残念。仁比聡平参議院議員(団員)からの、共謀罪は廃案必至と報道されたが政府与党側は必死ゆえまだまだ予断を許さないとの緊迫したメッセージが紹介される。十勝総会に続き、地元支部から全参加者にアイスクリームをふるまったが、みんな食べるのに夢中で分散会の冒頭は発言が低調だったとの報告も。

 夕食懇親会は、恒例の地酒鏡割りに続き、よさこいソーラン祭りの優勝歴多数を誇る「平岸天神」有志二〇名による華麗な演舞(家事調停官を務める内田団員の紹介で、家裁書記官が有力メンバーの一人である同チームに白羽の矢。なお、同チームは今年も準優勝を受賞した)。

 その後の運営委員会は一時やや紛糾したものの、引き続き場所をスイートルームに移し、夜遅くまで、団や日弁連、そしてこの国の未来について熱い議論をたたかわせた。特別企画に参加できず残念ではあったが。

 二二日午前中は、二年ぶりにコンビニ・フランチャイズ問題の分科会を企画し、報告者兼記録係を務め、かつ、教育分科会に文書発言と教基法街宣グッズのポケットティッシュを届けるなど、あわただしい二時間。本当はもう少し分科会の時間が欲しいところ。

全体会を締めくくる閉会挨拶は、次回総会の招待挨拶を北陸支部の若きヒロイン・萩野団員が務めたのに合わせ、地元支部の新人・林千賀子団員に初々しい感想を述べてもらう。

【最後に、一泊旅行の顛末記】

 ここまでで大幅に字数を超えたが、一泊旅行に触れないわけにはいかない。団通信四月一日号で私自身が大見得を切ったにもかかわらず参加申込みが低調で(最終的に二三名)、特に夫婦同室は無理と書いたためか、常連参加のご夫婦複数が参加を見送られ、いささか責任を感じている。しかしながら、六月一一日号でお分かりの通り、旅システム内山社長による洒脱な解説の下、地元住民でも知らないような多喜二ゆかりの地をめぐり、光寿寺住職からは意外なお話を聞け、小樽公園では季節外れの桜の花見もするなど、事前の予想をも超える充実ぶりに、佐藤支部長とともに随行した私自身も大いに楽しませていただいた次第である。あえて参加しなかった方は後悔されたし(?)。


グッド・タイムス・ロール

神奈川支部  杉 本   朗

 渡辺登代美団員に引き続いて神奈川がホープとして事務局次長に送り出した阪田勝彦団員が、五月集会の新人弁護士研修で、講師をするという話を聞いた。阪田団員がどのような話をするのかとても興味を持った私は、阪田団員に、新人研修は新人でないと参加できないのか尋ねたが(「新人研修やるんだって?何話すの?嫌がらせで聞きに行きたいんだけど、新人でないと参加できないの?」)、阪田団員からは鄭重なお断りをいただき(「新人でなくても大丈夫だと思いますが、嫌がらせはやめて下さい」)、残念ながら新人研修への参加は断念した。夜の懇親会で阪田団員の話を聞いた新人団員のみなさんは、「とてもいい話だった」と口々に言っていた。もっとも、どこがどのようにいい話だったのか具体的な話が伝わってこないのが、今一つ謎である。でも、きっと阪田団員はいい話をしたんだと思う。

 翌日午前中は、待望の死海プールである。会場となった定山渓ビューホテルのパンフレットを見た人はご存知だと思うが、あのホテルの地下にはラグーンというウォーターアミューズメントパークがあって温水プールやスライダーが充実しているのだが、その中に死海プールというのがある。なんのことはない、プールの水に高濃度の塩化ナトリウムが溶けていて(濃い塩水、とも言いますが)比重が重いので、中に入るとぷかぷか浮く、という代物である。言葉で書くとなんてことないのだが、実際に入ってみると、これは感動ものであった。「ぷかぷか浮く」という言葉を実感できるのである。膝をかかえた姿勢のままでもずっと浮いている。どんな格好をしていても、バランスがとれている限り、浮いているのである。ただ、浮いている姿勢から足をプールの底へつけようとすると、これが結構難しい。普通のプールのつもりで足をおろそうとしても、浮力が強いので、簡単に足がおりず、下手をするとバランスを崩しかねないのである。かなり意識的に足をおろさないとしっかり元の体勢に戻らない。あと、濃度の濃い塩水なので、傷あとにはかなりしみるというのも要注意である。私は朝ヒゲを剃ってから死海プールへ行ったのだが、剃り跡がかなりしみたほどである。

 さて、死海プールも終わり、いよいよ五月集会の始まりである。情勢を考えると、もっと暗く悲壮感が漂ってしまってもおかしくない中で、前向きに頑張ろうという気持ちが沸き起こるいい集会だった、というのが、私の結論めいた感想である。実際、私は五月集会で元気を得て、六月に入ってから団の国会要請に二度ほど参加したりもした。(元気を得てそれだけか、というお叱りを受けそうだが)。

 「お遊戯会じゃないんだから」という批判があるということは聞いている。次々と登壇する発言者から「私はこういうことをやりました」「どこそこではこんなことをやりました」ということばかり聞かされても、発展性がない、ということなんだろうと思う。それは確かにそうなのかもしれないが、たとえば各地で活動の中心を担っている団員ならともかく、そうした活動を下支えしている団員にとって、あの人はそんなことをしているんだ、あそこではこんなことをしているんだ、ということを知ることが、励みになるということはないだろうか。必ずしも自信に満ちて活動している団員ばかりとは限らず、日々、これでいいのかな、という不安と隣り合わせで活動している人たちも多いのではないだろうか。そうした人たちに元気を与える意味が「お遊戯会」にはあるのではないだろうか。また、壇上発言をするということで、その準備の過程でいろいろと考えがまとまるということもあるのではないだろうか。むしろ、壇上に登った発言者の顔を見た途端、その人が何を訴えたいのかすぐ分かり、その期待を全く裏切らない発言がなされるというような状態が続くというようなことがあるとすれば、そうした人選について再検討することの方が必要なんじゃないかという気がしている。

 ついでにちょっと気になったのは、どなただったか、憲法改正阻止運動の中で歌だの踊りだのをやっている方が「楽しんでやってるんだろうと言われるのですが、私たちも大変なんです」と言っていたことである。それが単に「私たちだって大変なんだからさぁ」というグチめいたものであるなら、全然構わないんだけど、そういった活動を楽しんだり面白がったりしてはいけない、という風潮がどこかにあって、「楽しい」「面白い」と正面切って言えないんだとすると、それは問題かなぁという気がした。神奈川には「歌う九条の会」というのがあって、弁護士がバンドを組んでオリジナルソングなども歌い、まわりで踊ったり、缶バッジやビラを配ったりしていて、調子に乗って昨年は日弁連の人権大会に出させていただいたりもしたのだが、その中心メンバーの一人で自由法曹団員でもある折本和司は「おれ、面白くなけりゃこんなことやってないよ」と言ってはばからない。「楽しい」「面白い」という思いが変に抑圧されている状況がなければ幸いである。

 分科会では、教育問題に出たが、参加者が九〇名前後もいる上に、結構重鎮の団員の顔が多数見えたというのも、驚きだった。私は気楽に参加したのだが、平和を守り、基本的人権を守るうえで、教育の占める位置の重要性をきちんと考えないといけないな、と反省させられた。また、学校の先生の話は非常に臨場感があって、興味を魅かれる話だった。現場主義というのは単なるスローガンではなく実践から帰納されたものなんだなぁとしみじみ思ったりもした。

 帰りの空港行きのバスで、私は爆睡しかけていたのだが、千歳へ向かう高速道路の途中、突然、前の席にいた内藤功団員が立ち上がり、進行方向右の方を指さし「みなさん、あそこら辺が、恵庭事件の現場です」と話し出し、恵庭事件について説明を受けるというおまけもついて、私は非常に得した気分で、今年の五月集会を了え、ほんとにいい時代を呼びよせなきゃいけないな、と思いつつ、機上の人となったのである。


東京法律事務所「憲法改悪のための

国民投票法案制定はごめんです」集会を開催

東京支部  笹 山 尚 人

一 集会

 東京法律事務所は、五月一二日、東京は、飯田橋しごとセンターにおいて、「憲法改悪のための国民投票法案制定はごめんです」と題する集会を開催した。所員のほか、労働組合で活動する労働者を中心に、一二〇名が参加した。連休明けの忙しい時期で、様々な予定がバッティングする中、また、開始時間になってもなかなか人が集まってこないような状況で集会開始時刻には冷や冷やしたが、始まってみれば、多くの労働者が集まってくれた。

 集会で議論されたことは時宜にかなうことなので、早速報告したい。

二 国会議員の情勢報告

 この集会では、最新の国会情勢を知ろうと、国会議員の報告をお願いした。法律事務所主催の集会なので、弁護士出身の国会議員をと考え、社会民主党の党首である福島瑞穂参議院議員、日本共産党の仁比聡平参議院議員に報告をお願いしたところ、お二人ともお忙しい中来てくれた。

 福島議員は、在日米軍の整備、教育基本法改悪、国民投票法案、入管法改悪、共謀罪の制定など、選挙がない年であることを生かし、与党が悪法を大量に制定させようとしており、その動きは一九九九年のときと似ていること、一九九九年のバージョンアップ版の悪法が出てきていること、国民投票法案の準備は、「憲法九条を殺すために、夜中に包丁を研いでいるようなもの」として、上程されていない以上、法案の提出そのものを阻止しようという動きを作っていこうと訴えられました。会場は満場の拍手で包まれました。

 仁比議員は、ゴールデンウイークあけの国会が激動の情勢であったこと、様々な事実から、憲法を変える、そのためになんとしても国民投票法案を作るということに固い決意を持っているということを訴えられました。仁比議員のお話からは、国会が容易ならざる緊迫感を持っていると感じました。

三 坂本団長と共に考える

 メインイベントは、当事務所の所員でもある坂本修団長の話でした。事務所としては、坂本団長に「講演」を依頼したのですが、坂本団長は、「講演」したくない、みなさんと共に考え合いたいと言いました。

 坂本団長のお話の要旨は次のとおりです。

 私たちは、憲法に守られ、そして、憲法を運動の力で守ってきた。政府与党は、今これを壊そうとしている。

 国民投票法案は、何が何でも憲法九六条の手続きで国民の過半数をとれるようにするための、インチキな稀代の悪法である。与党は、評判の悪い案は、どんどん撤回している(外国人の意見表明など)。これらを譲ってるからどうか、と民主党や国民に来る。しかし、大事なことは譲っていない。年齢は二〇歳を譲らない。「過半数」については、「有効投票の過半数」を譲らない。これがインチキの一つ。

 また、国民投票法案が、国民主権のあらわれなら、国民は自由な意見表明と運動ができなければいけない。しかし、教員や、公務員の運動制限がある。弾圧というのは怖いもの。弾圧は、何人かに対するものがなされるだけで、膨大な人の運動の足を止める。その間に、改悪がなされれば、取り返しがつかない。なのに、改憲派がやりたいようになる仕組みは出来ている。「広報協議会」の規定である。自分たちがPRできる仕組みは作っている。これもインチキ。

 なんでこんなものを作るのか、これは憲法を壊したいからだ。自民党は「新憲法草案」をとにかく実現したいのだ。

 自民党「新憲法草案」は、九条二項と、平和的生存権をなくす。そのことによって、歯止めを取り払う。しかし、九条の二の創設は、単に自衛隊を公認するというのではない、軍隊を創設し、イラク戦争型の国際協調戦争参加をすることの宣言を意味する。そして、前文で、そのような国を守ることを国民に義務を課す、そういうものである。

 こういう憲法が出来たら、どうなるかということでいえば、それを実現する法律ができるということである。

 このような情勢の中でも、光を見失わない、慌てもしない。

 一昨年夏に発足した九条の会は、今、四七〇〇を超えている。高知では、壮大な九条改悪を許さないというネットワークが出来ている。米英の孤立化は深まっている。南米、アジア、世界の大きな流れは、憲法九条と共にある。

 金も権力もない私たちが、彼らの策謀を止められたら、私たちは、自分たちの力で憲法を握ることができる。そのとき、私たちは、歴史の主人公になることができる。

四 会場から

 限られた時間でしたが、会場からも発言を頂きました。

 全教からは、教育基本法改悪案と国民投票法案の問題をセットにしてたたかってきた。教育基本法改悪案は、実質的には、新しい基本法の制定である。「愛国心」の挿入、現在の学習指導要領の内容を反映しており、公然と格差教育を認めるというものである。昨日、「教育基本法改悪を許さない各界連絡会」を作った、長崎で、日教組と全教の共同など、取り組みが広がっている。

 毎日新聞労組からは、教育、司法、マスコミ、の反動化に反対している。マスコミは、反権力の論陣、民主主義の論陣、反戦平和の論陣をはるべきと考えている。マスコミは、最近、ルビコン川を渡ったという認識を持っている。小選挙区制への参加、読売新聞社が新憲法の試案を出したこと、などがその事実の認識である。しかし、マスコミでも頑張っている人がいる。マスコミ九条の会など。

五 最後に加藤弁護士の発言

 まとめとして、事務所の加藤弁護士から、行動提起に代える発言がありました。

 戦争をするための憲法改悪を何が何でも実現するための国民投票法案、国民の意思を無視し、弾圧するもの。共謀罪や、教育基本法改悪も同じものを目指すことがわかった。

 学習会をして、議論し、語り合う。

 上程させない運動をとことんやる、ということであるから、署名を広げ集めたい。

 共謀罪や、教育基本法改悪問題などにも連帯していきたい。

 堀越事件や、宇治橋事件の、言論弾圧を許さない戦いにも連帯を。

 事務所九条の会にもご参加を。

六 感想

 この企画を練った二月くらいの時期には、五月にはもう国民投票法はできているんではないのか?と所内には企画を心配する声もありました。しかし、結果的には、時宜にかなった企画を打てたと思います。また、労働組合の方から多くのご参加をいただけて良かったと思う。全国五〇〇〇万人の労働者の火付け役として、彼らに期待したいところは大きいですから。参加をしてもらうために、所員がじかにお願いに行くオルグを二度、また、打ち合わせのたびにお願いをするといった意識的な努力をしました。

 国民投票法案はその後上程はされましたが、継続審議の見込みです。これも、世論の広がりのあらわれでしょう。多少はそれに貢献できたいのではないかと思います。この企画をきっかけに、さらに多くの労働者、職場に「壊憲」の企みについて、これはまずいぞ、という世論が広がってくれればありがたいのですが。


本の紹介 竹澤哲夫著「戦後 裁判史 断章」

大阪支部  宇 賀 神   直

 竹澤哲夫さんが弁護士五五年を記念して「戦後裁判史断章―一弁護士の体験からという著書を出しました。この著書は竹沢さんが今までに発表した論文などをまとめたものであるが、今進行している刑事裁判のあり方を考える上で極めて重大な問題を提起されていると思う。竹澤さんは著書のはしがきで「次の世代に語り継ぎ、たすきを渡したい、そんな思いをこめて戦後の一弁護士の体験をまとめた。」と思いを述べている。

 さて、司法改革の重要な柱の一つとして刑事裁判の改革が行なわれ、公判前整理手続と裁判員制度などが新設された。公判前整理手続は昨年一一月から実施されていて、その問題点について第三八回司法制度研究集会で「どう変わる?刑事裁判」というテ―マで報告と討論がされている。

 実践的立場から、竹村真史弁護士が「危惧される公判の儀式化―東京地裁の公判前整理手続適用第一号事件から」という視点で報告しているが、検察官の五月雨式に証拠を出してきて弁護人は十分に検討する時間がなく裁判所は「弁護人、何をやっているんだ、ちゃんと見てこい」という趣旨の発言があり、若い弁護士は萎縮してしまうのではないか、危惧される、と述べ、「世田谷国家法弾圧事件」の弁護人の小林蓉子弁護士は新刑訴法のもとでの刑事裁判に対する危惧」として、三者協議が事実上の争点整理の場とされるおそれ、検察官の手持証拠が全て開示されるわけではない、裁判所が予断を抱くおそれ、の三点を挙げて批判し、「堀越事件の経過と刑事裁判の問題点」として弁護人の加藤健次弁護士は問題点と今後の弁護活動のことを報告している。その一つとして「新刑訴で証拠開示の条文がたくさん出来たのは事実であるが、いかし、そのことと、たくさんの証拠が開示されるということは全く別だいうことです」そして「開示証拠について一番悩ましい問題は、目的外使用の禁止です」と問題点を指摘している。さて、これらの点は法案段階で指摘されていたが、現実化してきている。(報告文は「法と民衆主義の〇六年五月号から引用した」

 この司法制度研究集会で基調報告をした元裁判官の森屋克彦東北学院大学教授は裁判員制度の採用に関連して「裁判の迅速自体が自己目的化していく危険が生じる」ことを指摘している。

 刑事裁判は絶望的かと指摘されてい現状のもとで改革するのならその指摘は間違いなのか、指摘の通りならその現状は何か調査・研究して改革の方向を探りだす必要があった分けであるが、司法制度改革審議会の審議もその後の立法化にあたってもそのような、調査・研究がされていない。そこに今回の刑事裁判改革の問題点がある。でも、刑事裁判―誤判を無くす、被疑者・被告人の人権を護る刑事手続」を進めて行く弁護人の役割は以前に増して大きい。

 その意味において。刑事弁護の活性化のために竹澤さんの著書を是非とも読んで欲しい。

 この著作は第一は私の弁護活動として、刑事弁護の回顧、軍事裁判と平事件、メーデー・辰野・仁保三事件の勝利と自由法曹団の作風、第二は刑事弁護―現場からの発言としてあるべき刑事裁判実務から見た研修所教育、第一回期日前における弁護活動、労働・公安事件と弁護人の役割、無罪事件の法廷活動、事件を見る眼と刑事弁護の姿勢、法曹問題の基本―刑事弁護の現場から、第三は司法反動化の系譜・司法問題の諸問題という課題、第四は司法資料保存法の確立に向けて第五は水害訴訟―多摩川水害訴訟の事件など、多くの問題について追及されている。

 特に、「第一回公判前の弁護活動」と「事件を見る刑事弁護の姿勢」の論稿は竹沢さんの豊富な経験に裏らづけられたもので教えられるものがあり、若い団員には是非とも読んで欲しい。刑事弁護の原点に触れるものがある。

 刑事裁判制度の如何にかかわらず私たちはその制度の弱点を克服し、有利なものを活用し国家権力から罪の疑いをかけられた人の訴えを聞き、誤判を無くし、不当な判決を受けることのないよう、人権養護の弁護活動をする任務が課せられている。それは竹澤さんの思いでもある。竹澤さんから、「たすきを受取る」役目を果そうではありませんか。著書の詳しい紹介はしませんでした。皆さんが手にして自ら読んで下さい。

(戦後 裁判史 断章 光陽出版社・二八五七円。ご希望の方は竹澤哲夫さんに・FAX〇三・三五四三・六六六〇第一法律事務所)