<<目次へ 団通信1209号(8月11日)
高崎 暢 | 再び勝訴。NTT奥村過労死訴訟、会社の控訴を棄却! |
折本 和司 | うた九〜華麗?なる賭け〜 |
徳住 堅治 | 故久保田昭夫弁護士の逝去を悼む |
萩野美穂子 | 【総会開催地・北陸支部特集】「石川県の魅力を紹介します」 |
石坂 俊雄 | 三重支部便り 〜三重支部団員の息抜き |
橋本 敦 | 思い出雑感―四〇年 |
増田 尚 | 労働問題全国活動者会議開催される |
DVD「あべちゃんは見た ド緊迫!労政審」 |
北海道支部 高 崎 暢
一 はじめに
札幌高裁は、本年七月二〇日、東日本電信電話株式会社(「NTT東日本」)の控訴を棄却する判決を言い渡した。昨年三月九日、札幌地裁が、元従業員奥村さんの死亡が、長期の宿泊を伴う研修に参加させたことによる精神的、身体的ストレスにあったことを認め、約六六三〇万円の損害賠償を命じる判決をそのまま維持した。原告は再び全面勝訴した。
二 改めて奥村過労死訴訟とは
奥村さんは、二〇〇二年六月九日、急性心筋虚血で亡くなった(五八歳)。奥村さんは、職場の定期健康診断で心臓の異常が発見され、一九九三年七月、陳旧性心筋梗塞(合併症として高脂血症)と診断され、会社は、会社が定める健康管理規定の「要注意(C)」と認定した。「要注意(C)」は、「原則として、残業をさせない、宿泊出張はさせない」ということである。
そうした奥村さんに、「複合的違法大リストラ」が襲いかかり、NTTに残るか地域子会社に行くか、その選択を迫った。奥村さんは、「NTTの違法は許せない」という信念と良心で、NTTに残る道を選んだ。しかし、選択の時期が迫るにつれ、奥村さんは、眠れない、寝てまで寝言を言う、そして、起きていても、「そうか」「やっぱりな」「そうしないとだめか」「俺が我慢すれば良いのか」と、自分に言い聞かせるような独り言を口にするようになった。肉体的にも精神的にも極限状態であった。そのストレスが精神と肉体を蝕んでいた。
NTTは、思い通りにならなかった者(残留を選択した者)へ、札幌、東京における宿泊を伴う二か月間の研修を命じた。研修は、四人部屋での宿泊、無味乾燥な内容で、精神的にも肉体的にも種々のストレスが加わった。NTTが強行した「複合的違法リストラ」は、退職と賃下げ、見せしめの遠距離配転を強いた。それに止まらず人間の生命まで奪ってしまった。
三 控訴審判決の意義
控訴審判決は、第一審判決に続き、会社が奥村さんを、宿泊の伴う長期研修に参加させたことが過失であると明確に認定しただけでなく、奥村さんの死亡の原因となった急性心筋虚血の発症の因果関係を、本件研修の参加との間だけでなく、本件リストラ計画に伴って雇用形態・処遇体系の選択を迫ったこととの間にも因果関係を認めたことである。故奥村さんが、会社の「違法複合大リストラ」によって殺されたことを認めるものである。
その他は、奥村さんに心筋梗塞等の基礎疾患が存在したとしても、「本件研修に参加したことで、その精神的、身体的ストレスが同人の冠状動脈硬化を自然的経過を超えて進行させ、その結果、突発的な不整脈等が発生し、急性心筋虚血により死亡するに至ったものと推認するのが相当である」と判断する上で障害にはならないこと、精神的、身体的ストレスの過重の基準が、一般労働者等ではなく当該労働者をもとにして判断されている点など、第一審判決と同様評価されるべき点が多い。
遺族の損害額の計算においても、第一審がそのまま維持されている。
四 さいごに
本件は、長時間労働、不規則労働等による心疾患の、いわゆる典型的な過労死事案ではなく、奥村さんの発症に関し、むしろ労働の質が問われた事案であった。第一審後の地元新聞の社説が、「今判決が労働の『内容』や『質』に焦点を当てて判断したのは画期的といえるだろう。『過労死』の範囲を拡大し、勤労者を救済するうえで大きな力になるよう期待したい。」と指摘した。控訴審判決を聞いて、その指摘の重さを改めてかみしめているところである。
付言 控訴審でも、完膚なきまで言い分を否定された会社は、破廉恥にも上告をした。根っこまで腐った会社である。
初めに
なぜ私たちはうた九を始めたか?ということより、知らない人のために、うた九とは何かを説明しなくてはならない。
うた九は、早い話、横浜弁護士会の弁護士たちが作ったバンドで、正式には、歌う九条の会バンドだ(ネーミングはしゃれで「甲斐バンド」をもじっていたら、なんとなくそれが正式名称のようになってしまったのだ)。
バンド名の九は、もちろん、憲法九条を意味し、今の憲法九条を守るためのメッセージを発信しようという、バンドの出発点が、そのままバンド名になっている。言いだしっぺというか、中心的な活動の本拠は、青法協神奈川支部の憲法平和部会ということになるが、メンバーが増えるにつき、別に青法協に限定するようなことはしていない。セクト的な、せこいまねはしないぞ!という、おおらかさ、いい加減さが持ち味だ。
ちなみに、神奈川では、その後、「つか九」、「こい九」なんてのも生まれている。「つか九」は、正式には浸かる九条の会・・・みなとみらいにあるスーパー銭湯に浸かりながら、憲法を語ろうという企画、「こい九」は、こいする九条の会の略だが、ラブのこいではなく、鯉、すなわち、広島カープ(CARP=鯉)を横浜球場で応援しながら、憲法を語ろう(たぶん、語るのは無理で、せいぜい立ったり座ったりしながら、ビールを飲んで叫ぶくらいだろうが)という企画だ。
年末のホノルルマラソンへの出走を控える(こう書くと、凱旋門賞出走を控えているディープインパクトみたいだが、もちろんそんなたいそうなもんではない)、馬車道法律事務所の鈴木健を応援しながら憲法を語る、走る九条の会、略して「はし九」なんてのも近々出走じゃなくて、発足しそうな気配だ(早い話、九がつけられれば何でもありなわけだ)。
話を戻すと、うた九は、二〇〇四年秋の、ある平和集会の楽屋での会話からスタートした。このあたりのやりとりなんかは、青年法律家のほうに書いたが、何度も同じことを書くのは嫌なので、興味のある人はそちらを見てくださいな。
時すでに、アメリカのイラク攻撃や、それに盲目的に追従する日本の政府、自民党によって、国民保護法などの危険な法律が次から次への成立する中、時間をかけ、準備をして集会を開いても、なかなか手ごたえが感じられないということに対するもどかしさもあったのだが、そんなことより、自分たちが、楽しみながら、憲法を守る活動に取り組むという、そういうアプローチを模索していたのだと思う。もちろん、集会を開いたり、ビラを配ったり、そういう地道な活動も必要だが、そういう取り組みも含め、やっていることが面白いと感じられることが必要だったのだ・・・などと講釈をつけてしまったが、実のところ、そんなことを深く考えていたわけではないような気もする。きっかけは、単なる話のノリだったのだ。
うた九の構成員とコンセプト
うた九のオリジナル構成員は、小賀坂徹(ギター、ボーカル)、栗山博史(ギター、ボーカル)、井上泰(ベース)、菊地哲也(ドラムス)、そして私こと折本和司(ギター)だ。しかし、今年になってからは、戸張雄哉(キーボード)、今井史郎(ギター)という、強力な新構成員も加わっている。
また、うた九には、楽器の演奏には加わらないものの、やはり強力な準構成員が大勢いる。中でも、関守麻紀子(献身的マネージャー、リズム感がやや乏しいバックダンサー)、芳野直子(存在意義的マネージャー、艶やかなバスガイド声のバックコーラス)、鈴木健(ライブの際の許可届出担当マネージャー、掛け声、そして作詞)、阪田勝彦(ジャケット作成担当マネージャー、口パク的バックコーラス)、井上啓(ビデオ撮影担当)、そしてバンドの陰の黒幕、杉本朗(雰囲気的にいうとかのブライアン・エプシュタインかも)・・・、ほかにもカニ料理予約担当マネージャー太田啓子等、非常に多士済々なのだが、これで行数を稼いでいると思われると嫌なので、このくらいにしておこう。
で、うた九のコンセプトであるが、ざっと以下のとおりである。
コンセプトその1 路上ライブが基本だ。
本拠地は山下公園だが、とにかく平和集会などには来てくれないかもしれない、道行く人にメッセージを伝えるためには、何といっても路上ライブなのだ。もちろん、私たちは、実際には、演奏依頼を受けて、弁護士会、日弁連、神奈川九条の会などの集会に行って、入れ物の中で演奏したりもしている。それはそれで面白いし、活動の幅が広がってよいのだが、やっぱ、道行く人に訴えかけるのが基本だ。
コンセプトその2 いけてるオリジナルと、名曲のカバー、そしてセンスのいい替え詩。
ここだけの話だが(といいながら、実はあっちこっちで言いふらしている)、うた九は密かにメジャーデビューを目論んでいる(印税を稼いで、経済的心配をしないで、弁護士活動が出来るのは、弁護士の納税者番付の話題なんか銀河の果てのお話のようにしか思えないでいる、お金を稼ぐのが下手な連中の集合体であるうた九メンバー全員の夢に違いないのだ、たぶん・・・)。だから、演奏さえばっちり決まれば、十分オリコンの上位を狙えるような、かっこいいオリジナル曲は、バンドにとって不可欠であり、自分で言うのもなんだが、結構粒ぞろいだ。そして、オリジナル曲には、憲法縛りともいえる、強力なメッセージが詰め込んである。
たとえば、頑張ってよ!ティーチャーでは「立てと言われりゃ立つのかティーチャー。歌えといわれりゃ歌うのかティーチャー。住宅ローンがちらちら気にかかる。でも生徒はあんたの生き様見ているぜ。頑張ってよ!ティーチャー。日和らないでよ!校長。教育委員会なんて怖くない。裁判だったらやったげる」、教育基本法改悪反対のメッセージを込めた「MO!」では「教育基本法変えて何をしたいの?憲法の価値、自由、平等、一人ひとりの尊厳守るために。掲げた理想の火をともし続けよう。みんなの思い 熱い思い 届けよう」、平和の詩では、「What can we do for the peace of the world?信じられるものが確かにそこにある そうさ。いつか僕たちは平和な街を夢見て 子供たちもきっと空を見上げてるだろう」と、こんな感じだ。
一方で、名曲もカバーする。毎回演奏するのは、あのジョン・レノンの「イマジン」だ。
さらには、センスのいい替え詩だが、その代表格は、メンバーもお気に入りのビギンの「島人ぬ宝」につけたこの歌詞だろう。ちなみにこんな感じだ。
「僕が生まれたこの国の憲法を僕はどれくらい知ってるんだろう?国民主権も 基本的人権も言葉の意味さえわからない。でも誰より、誰よりも知っている。戦争もなく 平和のうちにみんな笑って暮らせる、その意味を。教科書に書いてある事だけじゃわからない。大切なものがきっとここにあるはずさ。それが憲法九条」。
これがよくメロディに乗っかるのだ。
コンセプトその3 練習後の楽しい酒
初めにも書いたように、自分たちが楽しいこと、周りが楽しんでくれること、これはとっても重要だ。そのためには、練習後の酒は、大切な潤滑油だ。弁護士の哀しいところは、楽しい酒の後に、深夜、事務所に戻って仕事をしていたりすることだが、(私生活への悪影響も含め)後にどんな辛い反動が待っていようとも、楽しい酒を優先することは、絶対に譲れない、うた九バンドのモットーなのだ(まあ、リキむほどのことではないが)。
うた九〜目指せ!オリコン制覇!?〜
というわけで(何が?)、うた九の今年の課題はCD作りだ。
去年の、争点ぼかしの、あの小泉のインチキ選挙で、巨大与党が誕生し、憲法も、教育基本法も危機に瀕している。
憲法九条の武力不保持の条文は、守るだけじゃなく、今、まさに世界中に広めるべきものなのに、この国の人々は、タカ派的プロパガンダにいとも簡単に騙され、世界に広めるべき憲法九条とその理想を簡単に打ち捨て、軍需産業とそれに群がる利権政治家をほくそ笑ませるだけの、日米一体になっての軍備増強を、何の抵抗もなく受け入れようとしている。
この流れを変えるためには、幅広い活動が不可欠だが、理屈だけでなく、感性に訴えようとする、うた九のような取り組みは、絶対に必要なのだ。間違いない!(って、どっかの芸人のフレーズみたいだ。デンデン)
しかし、その取り組みを人々に知ってもらわなければ意味がない。
だから、CDだ・・・あわよくばオリコン制覇だ!?(そして、印税生活だ!?)。
今年中には絶対作るから、この記事読んだ人は、絶対買ってね。そして、必ず周りの人一〇人以上に宣伝するように・・・とまあ、最後は、何とかの手紙みたいな終わり方になってしまった・・・。
まっ、とにかく、神奈川から発信する熱いメッセージに、耳を傾けてくださいな。
東京支部 徳 住 堅 治
半世紀を超えて旬報法律事務所の所長格として活躍頂いた久保田昭夫弁護士が、七月一二日逝去された(享年八〇歳)。肺繊維症に罹患し、昨年暮れにインフルエンザを拗らして入院し、そのまま帰らぬ人となった。半年前まで酸素ボンベを引きながらの弁護活動をされており、まさに現職弁護士のままの大往生であった。
久保田弁護士は、一九二六年長野県飯田市で出生。戦時中の青年時代から反戦の思想を強く抱き、一九五五年弁護士登録と同時に旬報法律事務所(一九五四年創立)に入所された。入所と同時に砂川基地反対闘争の事務局長として活躍され、一九五〇年代の基地反対闘争で重要な役割を担われた。また、当時吹き荒れていた労働争議(三井三池闘争や全金、タクシー、トラックなどの中小企業争議)も数多く手がけられた。「勾留理由開示で夜一二時まで裁判官を追及した。」、「会社側証人の反対尋問を六回行って本当のことを言わせた。」、「全金田原製作所争議では、機動隊に踏みつけられて組合員が死亡したため、裁判官室に押しかけて出荷妨害禁止の仮処分を出した裁判官を追及し、裁判官に泣いて謝らせた。」などの武勇伝が残っている。
先生は地味ではあったが、一言で言い表すと、弁護士の職人≠ナあった。その特徴は、敵性証人に対する微に入り細をうがった反対尋問に良く現れていた。後輩弁護士に対しても、「法廷で反対尋問するときは、証人の目を見てたたかえ。」「徹底的に打合せし尽くして法廷に臨め。」「尋問事項やメモを作るのは良いが、事実は全て頭の中に入れて反対尋問しろ。」などと厳しく指導された。数字などについての記憶力が抜群で、若い弁護士は記憶を争ってよく言い負かされていた。二〇数件以上の無罪判決を勝取り、先生のお陰で無罪になった被告人は三〇人を超えると生前述べられていた。私も先生と一緒に二件(デッチ上げの傷害事件、交通事故の業務上過失致死傷罪)の無罪判決を得たが、証人がきりきり舞になる姿を何度か目撃した。日野車体不当労働行為事件の中労委審理の証人尋問において、会社側代理人が余りにもちょっかいを出すので、久保田弁護士が「ばか!」と一喝したところ、会社側代理人が抗議に立ち上がったのを見て、「・・のようだ。」と付け足された。茶目っ気とその臨機応変ぶりは見事であった。
弁護士の職人≠フ能力は一般民事事件でもいかんなく発揮され、多くの依頼者を得て、事務所の財政にも大きく貢献された。戦時中から反戦思想を抱かれたように、反権力の思想や平和への願望の意識は強かった。具体的に動かない限り世の中は変わらないとの信念から、選挙の度に、遠方まで多くの依頼者の自宅を訪問して、自分の信念を訴えて回られた。このような行動は亡くなるまで続けられた。
事務所にとってはかけがえの無い人を亡くした喪失感が大きい。しかし、残された者の宿命として、久保田弁護士の意思を継いで、労働者や弱い人の味方の事務所として、事務所員一同これからも多方面の活動に尽力する所存である。
弔 辞
先生が御逝去されたことをきいて、驚き悲しんでいる全国の自由法曹団員を代表し、奥様を始め、ご遺族のみなさまに心から哀悼の意を申し上げるとともに、いまは亡き先生に対して、お別れのあいさつをさせていただきます。
先生は、一九五五年、弁護士となり、労働法律旬報法律事務所(現在の旬報法律事務所)に入所され、以来、御逝去されるまで一貫して自由法曹団と総評弁護団(その後の日本労働弁護団)のすぐれた働き手として、さらには弁護士会において日本弁護士連合会の懲戒委員会委員長をつとめられるなど、つねに民衆の弁護士≠ニして活動しつづけられました。
先生は、民衆の人権を守るために、世界の宝、憲法九条、そして労働基本権、人間らしく生きる権利を明記したこの国の憲法を護り、これを活かすために、その生涯をつくされました。私たち多くの弁護士はこうした先生の生き方に教えられ、励まされて、先生の後につづいたのです。
先生は、私の大学時代の研究室の先輩ですが、よく研究室に顔を出してくれました。そして司法試験の受験であくせくしている私たちに、「心に杭は打たれない」を合い言葉に、流血の弾圧とたたかい、強制測量を中止させた砂川基地闘争の現場の息吹を伝え、一日も早く弁護士になって、民衆の弁護士≠ノなるように言ってくれたものです。でも先生は激しい現場からかけつけてきたときも、けっして目をつりあげ、大声をあげて叱咤する人ではありませんでした。たくまざるユーモアを交えて、いつも明るく、大らかに、先生は私たちを励ましてくれたのです。
私たちには優しかった先生は、だが権力の不正に対してはきびしくたたかう人でした。一九五九年の春、田原製作所争議で製品搬出妨害禁止の仮処分が出され、その執行を口実に機動隊が争議団に襲いかかり、一人の労働者がそのために生命を奪われるという事件がおきました。先生は、この仮処分を出した裁判官に、裁判官室で責任を追及し、労働部から立ち去ることを要求しました。裁判官は涙を流しながらあれこれ弁解しましたが、先生はけっして容赦しませんでした。その裁判官は結局、労働部を去りました。あの日のことを私はいまも忘れません。私だけではなく、この日、裁判官室に入ったすべての弁護士は、民衆の弁護士の心からの怒りとはどういうものかを学んだのです。
先生の大きな業績として、先生が自由法曹団と日本労働弁護団の数ある法律事務所のなかでもきわだつ強力で活力にみちた旬報法律事務所をつくりあげられたことについて一言述べさせてください。
あえて私がよく知っている自由法曹団の活動分野に限っても、私が団長になったときの島田修一幹事長、そして現在の今村幸次郎事務局長をはじめ、旬報法律事務所はベテランから若手まで多士済々であり、団のかけがえのない力になっています。
先生が多くの裁判での成果とともに、すぐれた民衆の弁護士≠いうならば手塩にかけて育て上げて、これからの激動の時代をになう拠点的法律事務所を、私たちに残してくださったことに、あらためて敬意を表し心からのお礼を申し上げます。
最後に、自由法曹団と団員は、日本国憲法の死活をかけてのたたかいに、先生の生涯に学び、励まされつつ、全力をあげ、必ず勝利し、先生の求めつづけられた「新しいもう一つの日本」への道を国民とともに切り開く決意です。
そのことを先生の御霊前に誓ってお別れの言葉とします。
久保田先生さようなら。
どうか安らかにお眠りください。
二〇〇六年七月一九日
自 由 法 曹 団 団長 坂 本 修
北陸支部 萩 野 美 穂 子
今年の一〇月総会は石川県の和倉温泉で開催されることになりました。
一〇月総会へのお誘いに先だって、総会開催地である石川県の歴史・文化や北陸支部(石川県)の活動をここで少し紹介させていただきます。
石川県の歴史・文化
石川県は南北に長く、北を能登地方、南を加賀地方と呼んでいます。能登地方は、複雑な海岸線が多い低地で漁業がさかんな一方、加賀地方は、白山の麓にあたることもあって山地が多く、豪雪地帯です。
全体的には日本海側独特の降水量の多い地域なので、曇天の日や雨風の日が多く、そんな日に石川県に来てしまった方にはごめんなさいとしか言いようがないのですが、住んでいるとめったにない快晴の日がとてもありがたくみえるという特典がつきます。個人的には、冬、雪が降った後の晴れ間が大好きです。雪吊りをした兼六園の松が最高に美しくみえます。
さて、石川県といえば、古都金沢の印象が強く、兼六園や武家屋敷・茶屋街などしっとりと落ち着いた町並みなどを思い浮かべる方が多いかもしれません。数年前の大河ドラマ「利家とまつ」で、加賀百万石の歴史は全国的にも有名になりました。実際、前田利家やお松の方が、今も石川県民に愛され続けていることは間違いありませんし、輪島塗や九谷焼、加賀友禅などの工芸品、能や茶道、華道などの芸能が、安定して続いた加賀藩の保護のもとで花開きました。今でも、博物館や美術館などの文化施設の充実ぶりは、東京にも劣らないと自慢できます。
一方で、加賀藩成立以前、この地には壮絶な歴史がありました。室町の時代、一向一揆によって、「百姓の持ちたる国」と言われる百姓支配が一〇〇年もの長きにわたって続きました。その後、あまり広くは知られていませんが、織田信長によって百姓を中心とした一向宗の宗徒が大虐殺されました。このときひそかに生き延びた者の子孫が土着の県民の大多数を占めます。そのなごりは、この地域で一向宗(浄土真宗)信仰が今でも根強いことからも感じられると思います。
最後に、このような歴史が関係しているのか、北陸の人間は、一見控えめに見えて、実はかなりお祭り好きで世話好き、そしてとってもお人好しです。石川県にお越しの際は、北陸支部の団員や地元の方にぜひ気軽に声をかけてください。
北陸支部(石川)の活動
石川県で最近最も注目を集めたのは、今年の春、志賀原子力発電所の運転差止めを認める画期的な判決が出たことではないでしょうか。地震が多い地域であり、耐震設計上危険がないとはいえないという理由です。
それから、昨年住基ネット訴訟でもこの地で画期的な判決が出ています。
小松基地訴訟やトンネルじん肺訴訟は、今年中にも弁論終結の見込みであり、最後の山場を迎えています。中国人の七尾港への強制連行訴訟は、昨年ようやく提訴にこぎつけ、これからが本番です。
北陸支部では、一〇月総会に向けて、これらの弁護団事件のほか個人受任のいくつかの事件について報告集を作成する予定でいます。どうぞこの報告集にもご期待下さい。
なお、一〇月総会は石川県での開催ということですが、私たちは石川支部ではなく、富山、福井の団員とともに北陸支部として活動をしています。富山、福井の団員も日頃から積極的な活動をしていますし、一〇月総会に向けても多大な協力をしてくれています。富山、福井からの活動報告にもどうぞご期待下さい。
石 坂 俊 雄
一 三重支部の団員は、各自が持っている課題や事件に追われ忙しい日々を送っているが、忙しいだけでは、身体が持たないので、それなりに工夫ををしている。その一端を私の独断で報告するので、三重支部の団員の人となりを推測していただきたい。
二 W団員は、ゴルフとサッカー観戦が趣味である。昨年、公言していたことは、ドイツで行われるワールドカップの観戦をし、ヨーロッパを一ヶ月くらい旅行をしながらゴルフをするということであった。彼は、土日も休まずに仕事をしているので、私は、「いいね、楽しんできたら」と言っていた。
ところが、今年に入るとトーンが下がってきたので、私は、「サッカー見物をして一〇日間ぐらい遊んできたら」と進めた。ところが、ワールドカップの切符が高かったのか、とれなかったのか、ドイツには行かず、暑い日本で夏休みゴルフすることになった。
仕事人間から抜けられない。抜けるためには、計画を立てたら切符を買おう。
三 T団員の特技は、ビールとボーリング。ボーリングの腕は、手加減しても一八〇ぐらいの点数をはじき出す。しかし、再審事件の開始を受け、ボーリングにはほとんど行っていない。運動せずにビールを飲み過ぎ、ドクターストップがかかる。このままの食生活では、即入院と宣告され、ダイエットをせざる得なくなる。がんばって二〇キロ減量し、すっきりした身体つきになり、酒量も減って、D判定からA判定に戻りつつある。
彼は、発想が楽天的、日曜日の当番弁護士も苦にならない、遠方の当番が入れば、家族を連れて、ドライブがてら、家族サービスをして遊ぶ経費が浮けばもうけものという軽快さである。
私にはとってもまねができない精神構造。
四 M団員は、廃棄物問題の「専門家」として三重県内のみならず、福井の自治体や徳島の住民団体からも依頼を受けて大忙しである。日弁連の公害対策環境保全委員会の委員長を終えて、本年六月からは日本環境法律家連盟の理事長をしているので、事件処理には人一倍の工夫があるようだ。健康診断でイエローカードが出てからは、水泳に頻繁に通い、スイミングも「泳げない」から、「やや上達」の段階に達したとか。スイミングパンツ持参の出張が常で、東京出張や海外旅行にも必需品であるらしい。趣味は、秘湯めぐりと、韓流ドラマで、冬ソナに始まり、チャングムまで、かなりを「聴破」したとか。片言の韓国語を話せるのが、いつのことになるか楽しみである。
五 F団員は、釣りとリモコン・ヒコーキを飛ばすこと。釣りの腕は、かなりのものだが、最近はほとんど行ってない。夏休みに家族で行く程度。ヒコーキ飛ばしは、出来合のものを買ってくるのではなく、アメリカからキットを購入して、何ヶ月もかけて組み立てる。細かい作業だが、これをしているときはご機嫌がいい。何十万もかけて作成したヒコーキが操縦ミスで、すとんと落ちれば、全部パー、かなりリスキーな趣味である。最近は、医療過誤事件の追われているのか、とんと組み立てている話を聞かないが、ストレス解消に米国のリモコン・ヒコーキの専門雑誌を輸入して満足をしている。
彼のもう一つのストレス解消法は、気に入らないことがあるとぶつぶつ独り言を言うこと、隣にいるとうるさいのであるが、ストレス解消の方法なのだと理解し、「あ、また、何か言っている」と聞き流すことにしている。
彼は、僧籍があり、突然葬式などが入る、この手の仕事は予定なく入るので、かなりのストレスのはずであるが、入ってもあまりイライラはしない。職業意識が高いのか。
弁護士の仕事も、僧侶のような気持ちで当たればイライラはなくなる。
六 I団員は、精神的に安定しており、あまりいらいらしないので特に趣味を持つ必要がない。が、趣味といえば、パソコンをいじることは大好きである。中弁連のテレビ会議の設営もし、北陸と東海に分かれている弁護士会の会議がテレビを通じて行うことができるようになった。この高い技能は、フルに活用され、我が事務所のパソコンの維持管理はお任せである。
彼の最良の息抜きは、土曜日に仕事をし昼食時にビールを一杯のみ、冷房の聞いた事務所のソファーで昼寝をすることである。この時は、最高の幸せを感じるようである。
今、彼は、司法支援センターの所長をやらされており、その仕事に追われ、至福の時間が時々奪われている。
もう一つ彼のストレス解消法は、日曜日のジョギングであるが、週一程度の運動では、ストレスの解消になっても、医師から改善を言われている高脂血症の解消にはならず、よりいっそうに努力が必要である。
七 M団員は、当支部では最年少である。彼女は、おしとやかであり、あまり大きな声は出さない。彼女の趣味は、温泉めぐり。休みを見つけては、あちこちの温泉に入り、リフレッシュしている。彼女は、現在、運転免許を取得のために奮闘中であるが、なかなか次のステップにすすめず悩んでいる。運転免許を取ったら温泉巡りの範囲は格段に広がり、同時に活動の範囲も広がることとなる。
女性弁護士は、三重ではまだ少数なので、DV事件などが女性センターから名指しで入り、結構忙しい。
彼女のこれからの仕事と趣味の拡大に期待する。
八 N団員は、すでに古希をすぎたが、ますます盛んゴルフにこっており、ゴルフの合間に仕事をしているかの感がある。彼のゴルフ好きは、今に始まったことではないが、年齢を考えれば、好きのように仕事をしゴルフをするのが、一番の息抜きである。私もまねをしたいが、あそこまで達観するのは容易なことではない。
彼の楽天的人生観は、大いに見習わなければならない。
九 最後に私であるが、基本的には身体をいじめるスポーツで息抜きをしている。ここ数年は更年期障害のためか、心と身体のバランスが崩れ、走ることができなくなり、ウォーキングをしていた。ところが、体調が戻ると激しいスポーツへに願望が断ち切りがたく、また、トライアスロン、クロスカントリスキーへのトレーニングを始めている。
畑仕事、美術館めぐりなども趣味であるが、字数の関係で割愛する。残念。
以上、三重支部の各団員は、各自それぞれの方法で、息抜きをしながら、暑い夏を元気に乗り切っている。
大阪支部 橋 本 敦
その一 ―綺羅星の如く―
団大阪支部の創立四〇周年記念誌に何かひと言書くように勧められた。有難いことだが、私はその四〇年のうち約三〇年近くは政治の世界にいた。そのため、団のたたかいについて語る資格は余りない。
だが、この機会に、四〇年史の一端に書きとどめておきたいと思ったのは、戦後史の中でどれだけ多くのわが自由法曹団の弁護士が、激動の国会で、自由と正義の旗を掲げて国政革新に立ち向かってきたかということだ。それらの人たちは、既に亡くなった方をはじめ、私の年頃には、今も懐かしい親しい人たちばかりだが、若い団員の皆さんにもこの機会に記憶に留めておいて欲しいと思い、その名を以下に記す。
(衆議院) 加藤 充 林 百郎 青柳盛雄 松本善明
東中光雄 正森成二 荒木 宏 古堅実吉
木下元二 柴田睦夫 増本一彦 野間友一
安田純治 安藤 巌 三浦 久 箕輪幸代
木島日出夫 諫山 博(後に参議院へ)梨木作次郎
以上、一九名
(参議院) 内藤 功 近藤忠孝 高崎裕子 橋本 敦
仁比聡平(現職) 以上、五名
どうであろう。かつては国会の日本共産党議員団の中にこれだけの頼もしい自由法曹団のメンバーが活躍していたのだ。国会闘争の重要な局面でそれぞれの団員がいかに重要な役割を果たし、いかにめざましい活躍をしたかは今さら言うまでもない。私の求めによって国会から右の名簿を送ってくれた親しい国会秘書が「まさに綺羅星の如くでしたね」と感無量の思いで語っていたことが印象深い。
時代は変わり、時は移ろい、小選挙区制による二大政党時代の虚構の演出の中で、残念ながら今の国会では団員弁護士は仁比さん一人が、文字通り孤塁を守って頑張っている。
憲法改悪の情勢がいよいよ重大となる一方、「共謀罪」強行の危険も高まっているこの時に、その悪法を審議している衆議院の法務委員会には、現在、日本共産党の委員の席がない。緊迫した重大な国会であるのに、わが頼りにする自由法曹団の仲間が法務委員として活躍できないとは何とも無念ではある。
だが、闘いの主戦場は国会の外にある。国民の中にある。今こそ我々は勇気と希望を持って自由法曹団の伝統を守り、たたかいと歴史を前に進めよう。
その二 ―「壊憲」を許さぬ憲法的視点―
このほど自由法曹団は、「憲法改悪のための国民投票法案の廃案を求める意見書」(二〇〇六・六・八)を発表し、断固廃案を目指してたたかう決意をあらためて強く訴えた。
もちろん、私は、この団意見書に全面的に賛成だが、とりわけこの意見書が次のように指摘していることを特に重視し、強く支持する。
「本来、憲法の基本原理を根底から破壊するような憲法改正は許されるものではない。・・・・非戦、平和の憲法原則を否定し、アメリカとともに戦争をする国にすることは憲法改正の法的限界を超えており、到底許されないところである。しかも、国民の願いは、憲法の平和主義の実現にある。・・・・にもかかわらず、国民の意思に反し、アメリカとともに戦争をする国にし、国民を縛る憲法改悪を実現するための手段として、国民投票法をつくるということは、到底容認できない。本来このような法案を国会に提出することは、国会議員の負う憲法尊重擁護義務(憲法九九条)に反するものである。自由法曹団はこうした壊憲≠フための立法(違憲立法)につよく反対する。」
これは今日の憲法改悪反対の国民のたたかいに重大な憲法的視点を与え、そのたたかいを励ます力強い正論である。
自由法曹団の意見書が言うとおり、そもそも憲法の改正には法的限界があって、日本国憲法の根本原理である国民主権、恒久平和、基本的人権の尊重等を変更・改廃するようなことは許されない。それ故、日本をアメリカとともに戦争する国に変えるために九条二項を廃棄する自民党憲法草案なるものは、日本国憲法の恒久平和の根本原則を根底から変えるものであるから、それはもはや憲法で許される改正ではなく、改正の法的限界を超えた、まさに憲法の「自殺」であり、「破壊」であり、歴史に逆行する反動的「革命」であると言わねばならない。
これは、多くの憲法学者が指摘するとおり(内藤光博「憲法改正の限界を超える平和主義の破壊」(『法と民主主義』二〇〇五・一二月号)、憲法改正をめぐる憲法上の根本問題であって、憲法論としても、また運動論としても、憲法改悪反対のたたかいの中でもっと声を大きく拡げなければならない重大な問題である。
そのため私は、民主法律協会の「民主法律時報二〇〇六年六月号」(nl〇八)に「憲法改悪に直結する改憲手続法を許すな」と題する一文を寄せて、その中でも「憲法改正の限界を破る暴挙と無法」は許せないと強調したところである。
ここでは、「註解日本國憲法」(有斐閣)でも、つとに早くこの憲法改正の法的限界について次のように記述していることを補足しておきたい。
「今日でも、限界を認めない説としては、佐々木博士・大石教授があるだけで、他はほとんどすべて限界を認めているといってよい。・・・・一般的にいえば、憲法の根本をなしている基本原理を変更し、その憲法の同一性を失わせるような改正をすることは、その憲法の自殺であり、それは法論理的に不可能であるといわざるをえない。・・・・それは、法的に見れば、その憲法の規定に従ったその憲法のわく内での改正ではなく、すでに革命である。」(一四二五頁)。
次の重要な視点は、自由法曹団の意見書が、「本来このような(憲法違反の)国民投票法案を国会に提出することは、国会議員の負う憲法尊重擁護義務(憲法九九条)に反する」と論じていることである。今日の国会状況に照らしてみれば、これは極めて重大な指摘である。
小泉内閣が成立して、首相自らが改憲ののろしをあげて以来、自民党は総選挙のマニフェストで公然と憲法改正案の作成を公約し、昨年一一月の党大会で新憲法草案を決定するに至った。こうした今日の政治の変動の中で、憲法九九条の国会議員の憲法尊重擁護の義務と責任がいかに軽んじられてきたか驚くべき事態である。今の国会では、まさに憲法九九条は事実上死滅させられているに等しい。
そのため、自由法曹団意見書の右の指摘は、いやしくも国会という国権の最高機関における今日の改憲の動きの憲法的盲点を突いた鋭い指摘・批判であると言わねばならない。改憲を志向する現在の全ての国会議員にこの自由法曹団の意見書を読ませたいと思うぐらいだ。
私は、意見書のこの見解を読んで、国会におけるかつての私の論戦を思い起こした。
その一つは、田中金脈とロッキード事件の疑惑で田中内閣が倒れた後、三木内閣になってのことである。
一九七五年五月、私は参議院の法務委員会と決算委員会で、三木総理の出席を求めたうえで、稲葉修法務大臣が、憲法を守るべき重要な閣僚であるにもかかわらず、憲法改正を唱える「自主憲法制定国民会議」に出席した問題を取り上げ、これは憲法九九条が定める国務大臣の憲法尊重の義務に違反するではないかと厳しく追及した。そして、三木総理から「三木内閣の閣僚としてはそのような場に出席することは妥当ではない」との答弁を引き出した。
その二は、一九九九年三月一日の参議院予算委員会における小渕内閣の中村正三郎法務大臣に対する追及である。中村法相は九条改正をスローガンに掲げる「自主憲法期成議員連盟」の一員であったが、同年一月四日の記者会見において、憲法問題で次のような驚くべき不見識な発言をした。
「日本人は、国の交戦権は認めない、軍隊をもてないような憲法をつくられて、それが改正できないともがいている。」
これは明らかに平和憲法敵視の発言である。憲法尊重擁護どころか憲法の基本原則である平和主義を根本的に変えて、戦争できる軍隊を持つようにせよとの明白な改憲志向発言であって、法相の資格を欠くものである。そのため、私は小渕総理に対して、この中村法務大臣を罷免せよと追及した。その時私は、「註解日本國憲法」が、憲法九九条の憲法尊重擁護義務とは、「憲法を遵守して、これに違反せず、更にその目的を実現することに力を尽くす」と言うにとどまらず、「憲法を尊重しない行動に対しては、これと闘争する義務を負う」とまで述べている(一四九六頁)こともひいて、国務大臣の憲法尊重擁護の責任がいかに重いものであるかを示し、中村法相の発言を厳しく批判した。その後、中村法相は辞任したのであるが、このように憲法九九条はこのときにはまだ国会の中に「生きていた」のである。
ところが、現在の国会はどうか。小泉総理自らが公然と憲法九条改正を唱え、その下で憲法の恒久平和の根本原則を変える改憲に賛成する議員が圧倒的多数を占めている。まさに隔世の感があるではないか。
この歴史の逆行を許してはならない。
自由法曹団の意見書の指摘は、われわれが今日の改憲をめぐる情勢に立ち向かうための重要な憲法的視点を与えている。これを広く国民の中に拡げよう。そして、今日の国政を覆う「違憲状況」を変えて、憲法を守る国会、憲法九九条が生きる国会にしよう。
労働問題委員会担当次長 増 田 尚
さる七月二一日、団本部にて、労働問題全国活動者会議が開催された。
冒頭、志村新委員長より、この間の労働契約法制・労働時間法制をめぐる情勢について、報告がなされた。
厚生労働省は、労働政策審議会労働条件分科会に「労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(案)」(以下、「中間とりまとめ素案」という)を提出したが、「中間とりまとめ素案」は、「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」や「今後の労働時間制度に関する研究会」の各報告書を基本的には踏襲しているものの、この間の労使双方の対応を反映して一定の変化が見られる、との指摘があった。すなわち、(1)使用者が様々な場面で活用できる「労使委員会」制度の新設は消えた。(2)就業規則の一方的な不利益変更について、過半数組合又は過半数代表との合意により推定される対象が、「変更の合理性」そのものから「個別労働者との間の合意の存在」へと表現が微妙に変わった(これにより、文言上は合意の存在を覆せるので、これにより不利益変更の効果が及ぶことを免れる余地があるのではないか。)。(3)「雇用継続型契約変更制度」(いわゆる「変更解約告知」)そのものを制度として明記することはせずに、「異議をとどめた承諾」を理由とする解雇を禁止することを指摘するにとどまった。―という点にある。
また、六月二七日の分科会は、中間とりまとめ素案に対し労使双方が反発してわずか三〇分程度で閉会し、次回日程も決められないという事態になった。直近の報道によれば、分科会で中間とりまとめを行いパブリックコメントを募集するという手順を踏むことは止めて、最終報告をとりまとめて審議会に答申することとし、何とか来年の通常国会に法案提出というスケジュールを死守しようとしているとされる。そのため、水面下での折衝が続けられるなど不透明な動きとなる、と指摘された。
次に、中間とりまとめ素案に対する団の意見書案の内容を検討しつつ、中間とりまとめ素案の問題点の分析をめぐって活発な議論がかわされた。中間とりまとめ素案の問題点は、大きく分ければ、(1)就業規則による労働条件の一方的な設定・変更、(2)解雇の金銭解決制度、(3)有期雇用、(4)自律的労働制度(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)であり、これらの問題点を広く分かりやすくうったえていくことの必要性が確認された。中間とりまとめ素案に対する団の意見書は、議論の結果を踏まえて近日中に完成のうえ労働政策審議会労働条件分科会宛に執行する予定である。
また、全労連の労働契約法制闘争本部事務局長・井筒百子氏より、労働組合としてこの問題にどうとりくむかについて発言があった。全労連では、中央段階では厚生労働省要請などを強化しつつ、各地方労連でも地方労働局要請や団体署名・個人署名にとりくんでいくとの方針が明らかにされ、自由法曹団に対しても、協力・共闘を呼びかけた。
こうした呼びかけを受けて、団として、労働契約法制・労働時間法制に対して、どのように対処していくのかが検討された。その結果、次の行動提起が確認された。
(1) 身近な労働組合に呼び掛けて、問題点を知らせる学習会などの機会を積極的につくる
(2) 全労連や労働法制中央連絡会がとりくむ署名に協力する
(3) 労働時間法制については、過労死やメンタルヘルスなどにとりくんでいる団体と協力共同して、労働者の健康を守る運動を展開する
労働条件分科会の今後の動きは不透明であり、厚生労働省と使用者側が妥協し、一気に法案提出まで持って行かれる危険性がある。とりわけ、中間とりまとめの段階でパブリックコメントに付されず、世論の批判を受けないまま立法化作業がすすめられてしまうことになりかねない。各支部においても、中間とりまとめ素案の問題点を理解して、これを暴いて、日米財界の使い勝手のよい労働契約法制・労働時間法制づくりを許さないとの世論喚起のために全力をあげて取り組んでいただきたい。
六月二八日に全労連・労働法制中央連絡会の共催による「こんな労働契約法はいらない> 働き過ぎ社会を告発し、まともな労働法制を展望するみんなの集会」で上演され好評を博した構成劇「今日の出来事 あべちゃんは見た ド緊迫!労政審」と労働者による告発を収録したDVDができあがりました。労働条件分科会での審議のあり方や、労働契約法制・労働時間法制の問題点がおもしろおかしく、かつ分かりやすく理解できる内容となっており、一時間にまとめられています。
主催者の全労連の好意により、構成劇と告発のDVDとシナリオを希望者に頒布いたします。ただし、送料実費をご負担いただくことになります(送料着払いにて送付いたします)。
希望者は、住所・氏名又は事務所(団体)名、枚数を明記して、団本部までお申し込みください。締切は、九月三〇日とさせていただきます