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水谷 敏彦 【総会開催地・北陸支部特集】 イタイイタイ病根絶の闘い
吉川 健司 【総会開催地・北陸支部特集】 ホクエツ福井不当解雇事件勝訴報告
山本 真一 北朝鮮問題をどう考えるか
大 久 保 賢 一 核兵器廃絶と憲法九条の国際化のために
玉木 昌美 日本国民救援会全国大会に参加して
村田 智子
「お金にならない活動」に疲れた方へ〜森 絵都「風に舞いあがるビニールシート」を読む
谷村 正太郎 小池振一郎、青木和子編「なぜ、いま代用監獄か えん罪から裁判員制度まで」を読む




【総会開催地・北陸支部特集】

イタイイタイ病根絶の闘い

北陸支部(富山県) 水 谷 敏 彦

三本柱の運動

 一九七二年八月九日、イ病訴訟控訴審で勝利判決を手にした神通川流域カドミウム被害住民は、翌一〇日、加害企業三井金属と本社交渉を行い、二つの誓約書(『イ病損害賠償誓約書』、『土壌復元誓約書』)と一つの協定書(『公害防止協定』)を勝ち取った。それ以来今日まで、これら誓約書等をテコに、(1)カドミウム健康被害の完全救済、(2)汚染土壌の復元、(3)再汚染防止のための発生源対策の三つの運動に取り組んできた。イ病(訴訟)弁護団は判決後も解散せず、被害住民とともに運動を進めてきた。

イ病患者の完全救済を目指して

 一九七五年頃からの財界・政権党による公害“巻き返し”の中でイ病認定行政は大きく後退。被害住民は八八年五月、この認定行政を批判すべく不服審査請求(第一次)を提起した。九二年一〇月の裁決は、イ病(骨軟化症)の簡便な判定方法である吉木法の有効性を認め、その結果、環境庁の認定条件運用基準(=内規)を改廃させ、過去に遡って不認定処分を見直しさせるなど、大きな成果を得た。

 しかしその後も、認定基準を形式的・機械的に当て嵌めて患者を切り捨てる認定行政が続いたため、二〇〇三年から〇四年にかけて第二次不服審査請求を提起した。X線検査所見が見落とされて死後剖検によらなければ認定されない、今日までのイ病の研究成果が採り入れられていない等々、患者救済に背を向けた認定行政の歪みは根深い。現在、口頭公開審理を通じて、不認定処分の非科学性を徹底的にあばいている。イ病の病態に即した認定制度の運用を早期に確立をすることが求められている。

残された課題―カドミ腎症の救済

 イ病患者は氷山の一角であり、その広大な裾野には、イ病の先駆症状ともいうべきカドミ腎症の患者群が存在する。カドミ腎症患者の生命予後は悪い(寿命が短くなる)との研究データが出ているにもかかわらず、国(環境省)は公害病の指定を拒んでいる。このカドミ腎症患者の救済は残された大きな課題である。

終了間近の汚染地復元事業

 カドミ汚染地指定された一五〇〇ヘクタール余の農地の復元事業は、一部が農用地外転用されるなど紆余曲折を経て、いよいよ一一年までには終了する見通しである。政治的な力関係の中で加害企業の費用負担割合は約三九%にとどまり、“汚染者負担の原則”が貫徹されない問題点を残したが、ともあれ四〇年に及ぶ大事業は収束を迎える。

発生源対策―住民運動による公害差止めを実現

 『公害防止協定』に基づく神岡鉱業への立入調査は、毎年途絶えることなく、〇六年は三五回目を数えた。住民の眼で見て科学者の知恵を借り、公害発生源を監視し、対策を迫る――ここでは、こうした住民運動による公害“差止め”が実現している。

 神岡鉱業は被害住民に対して「無公害企業」を宣言し、その生産活動に伴うカドミ排出はほぼゼロに近づいている。また、神岡鉱業は〇一年に鉱石の採掘を全面的に終止し、鉱山業からリサイクル業へと転換を遂げつつある。今後は、廃止鉱山の永続的な監視体制を確立するとともに、カドミ以外のヒ素等の重金属に対する監視に重点を移していく必要がある。

 被害住民の高齢化に伴い、発生源対策を担う住民組織の再構築は喫緊の課題である。その際に行政に一定の役割分担を求めるのか、行政の関与のもと住民主導の発生源対策をいかにして継続するかが検討課題となっている。

〈イ病総合センター〉設立に向けて

 被害住民と弁護団は、いま、イ病根絶の闘いを記録し、健康被害対策と公害防止の拠点となり、世界に向けて情報発信する機能を担うべき〈イタイイタイ病総合センター(仮称)〉設立の青写真を描いている。ひとまずの「イ病終結宣言」ができるのはこのセンターが立ち上がったときだと思われる。



【総会開催地・北陸支部特集】

ホクエツ福井不当解雇事件勝訴報告

北陸支部(福井県) 吉 川 健 司

第一 はじめに

 二〇〇六年の団総会が北陸で開催される関係から、北陸支部の福井の紹介を本部から依頼されましたので、福井の団員が中心となって取り組んだ(当初は、坪田康男、黛千恵子、北川慎治、島田広、私の五名で、控訴審から、金沢の鳥毛美範団員、福井に戻ってこられた海道宏実団員に参加していただきました。)不当解雇事件において控訴審において勝訴判決を勝ち取ったことについて報告します。なお、仮処分から第一審勝訴までの経過については、労働弁護団通信二四四号(二〇〇三年一二月一九日)六頁に私の原稿が掲載されているので、そちらもあわせてご参照下さい。

第二 不当解雇から第一審判決まで

 この事件は、土木工事用コンクリート二次製品を製造・販売する会社であるホクエツ福井が、当時、組合の執行委員長であった万所さんを二〇〇二年三月八日に整理解雇したという事案です。ホクエツ福井は、仙台にあるホクエツの一〇〇%子会社ですが、その親会社のホクエツは、ホクエツ福井同様の子会社を全国に一一社所有し、二〇〇一年三月時点で、約二九三億円もの資産に対し、負債が僅か三〇億余り、当座資産(現金預金、受取手形)が一四二億円、自己資本比率八五%という超優良企業でした。一方、ホクエツ福井は、万所さん解雇時点で、累積赤字が約一・七億円ありましたが、これも、後述するように、ホクエツが、経営指導料や利息等の名目で、毎年一億数千万円の金員をホクエツ福井から吸い上げた結果であり、いわば作られた赤字でした。

 ホクエツ福井は、約六〇名の従業員に対し、わずか二週間の希望退職募集を行った後、予定した人員削減数八名に僅か二名足りないという理由で、万所さんに対し、整理解雇を行いました。しかも、万所さんを解雇した三月八日は、万所さんが委員長をしている組合が、ホクエツ福井に対し、経営状態を明らかにするよう求めて団体交渉をし、さらに団体交渉を行うことを約束した翌日のことでした。

 さて、相談を受けた団員は、直ちに弁護団を結成し、五月一日のメーデー当日に仮処分の申立をしました。四回の審尋を経て、一一月一日には、労働者の地位を認め、請求した賃金額の九三%、ボーナス額の七三%の支払を命ずる仮処分決定が出されました。この決定は、人員削減の必要性、解雇回避努力義務、解雇手続の妥当性について、ホクエツ福井の主張を否定したのですが、選定手続の妥当性について、裁判所は何も判断しませんでした。

 ホクエツ福井は、即座に起訴命令の申立を行ったため、一二月一一日、本訴を提起しました。二〇〇三年二月五日に第一回弁論が開かれ、五回の弁論を経て、七月三〇日に結審という相当なスピード審理で、一〇月二九日、勝訴判決がなされました。第一審判決は、人員削減の必要性、解雇回避努力義務、解雇手続の妥当性について、仮処分決定とほぼ同様の判示を行いました(合議体が仮処分決定と同じ合議体でした。)が、選定手続の合理性を認めてしまいました。これは、スピード審理の影響で、こちらの主張立証が不十分なままに終わったためであり、その結果、控訴審の審理において、極めて苦労することになりました。

第三 控訴審判決まで

 弁護団は、仮処分、第一審判決と順調に勝利してきたのですが、ここからホクエツとホクエツ福井による反撃が本格化しました。まず、仮処分、第一審において会社側の代理人だった弁護士がいなくなり、ホクエツ本社の顧問弁護士と東京の経営法曹が代理人になりました。

 さらに、二〇〇四年二月二九日、ホクエツ福井は、わずか一名の余剰人員を理由に、万所さんに対し、二度目の整理解雇を通告してきました。このため、二回の整理解雇それぞれについて、四要件を満たすかどうかということに加え、控訴審段階においてなされた整理解雇の効力という争点が新たに生じました。

 控訴審の第一回弁論は、二〇〇四年三月一日に開かれましたが、控訴審段階でなされた整理解雇の効力というおそらくは全国でも初めての争点に加え、二回目の整理解雇の四要件が争点となり、しかも、事実審の最後でもあるということで、どちらもじっくりと主張書面のやり取りをすることになりました。

 そのため、ほぼ一年間かけて、準備書面のやり取りを行いました(こちらの出した準備書面の総ページ数が一三二頁、会社側の準備書面の総ページ数が二〇四頁)。

 それぞれの主張をふまえて、控訴審の裁判所が、二〇〇五年四月一九日に主張整理案を示しました。

 ところが、この主張整理案は、一読しただけで労働者敗訴の判決を書こうとしていることが分かるような、会社側の主張に偏った主張整理案でした。

 そのため、弁護団は、このまま証人尋問を行って、敗訴するわけにはいかないと、改めて弁護活動の立て直しを図りました。

 まず、裁判所に弁護団の主張を十分に理解してもらい、判決において弁護団の主張を否定するとしても、相当に説得的な理由を述べなければならないと思わせるため、弁護団側であるべき主張整理案を作成しました。そのために、約五か月を費やして、会社側とも書面のやり取りを行い、最終的に、A3用紙で一〇枚に及ぶ主張整理案を作成しました。

 この主張整理案は、結果的には判決に一部取り入れられただけでしたが、裁判所に、弁護団の考えを理解してもらい、弁護団の主張を簡単に否定することは難しいと思ってもらうのに役立ったと考えられます。

 また、ホクエツ福井は、万所さんが不良品を作ったなどを懲戒理由とし、その懲戒処分数を整理解雇における人選の理由にしましたが、ホクエツ福井においては、作業内容との関係上、日常的な不良品発生が避けられない側面があり、不良品製作を理由に懲戒処分されるのは異例(組合委員長であった万所さんを狙い撃ちした懲戒処分である疑いが強い)ということだったため、不良品の発生率や、不良品製作を理由とした懲戒処分の数等を根拠づける書面等の文書提出命令の申立も行いました。

 この文書提出命令の申立も結果的には却下され、許可抗告も認められませんでした。しかし、裁判所に対し、弁護団側が勝訴のために相当の覚悟を持って真摯に取り組んでいることを示すことができたと思います。

 さらに、弁護団で、再度証拠関係の検討を行い、たとえ些細なものと思われても、足りないと考えられた部分の補充立証にも努めました。

 その後、万所さん本人と、会社の工場長の証人尋問を終えて、一一六頁になる最終準備書面を提出して、二〇〇六年二月二七日に結審しました。

 判決は、二〇〇六年五月三一日に言い渡され、結論は、第一次整理解雇も、第二次整理解雇も無効である、という完全勝訴の判決でした。

 判決内容は、第一次整理解雇については、基本的に第一審判決を踏襲しつつも、親会社であるホクエツがホクエツ福井から搾取しているという弁護団の主張を一部取り入れて人員削減の必要性を否定しており、評価できる内容でした。

 しかし、第二次整理解雇については、控訴審段階における第二次整理解雇の効力という問題に全くふれないまま、四要件を検討するというもので、しかも、あっさりと人員削減の必要性を肯定するなど、問題のある判示が多いものでした。それでも、第一次整理解雇に関して指摘された解雇回避努力の不十分さは第二次整理解雇でも同様であったため、解雇回避努力の不十分さは認められました。また、ホクエツ福井は、万所さんの職場復帰を拒否しながら、解雇者選定基準としての懲戒処分歴の期間については、万所さんの勤務実績がないことを理由に、過去にさかのぼって懲戒処分歴を考慮し、結果的に万所さんを不利に評価して整理解雇の対象としました(勤務実績がない期間は懲戒処分がないので、万所さんの懲戒処分歴を理由に万所さんを選定できなくなる。)が、さすがに、裁判所も、会社側のこのような主張は不当としました。

第四 おわりに

 ホクエツ福井は、上告審において勝訴することは困難と考えたためか、上告も上告受理申立もしなかったため、控訴審判決が確定し、万所さんは、職場に復帰しました。

 この事件の教訓は、最後まで諦めず、できる限りのことをするということだと思います。控訴審判決の内容にも、最後まで諦めなかったからこそという判示部分があちこちにありました。

 福井における団員の事件活動の一つをご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。



北朝鮮問題をどう考えるか

東京支部  山 本 真 一

 二〇〇六年七月五日の北朝鮮によるミサイル連続発射は日本の世論を沸騰させた。「制裁支持が九二%」という報道(七月八日の読売)がほとんど抵抗なく受け入れられた。そして国連安保理は、七月一五日に中ロも含めて全会一致で「北朝鮮に対する非難決議」を採択した。ほとんど全てのマスコミが、これは国際社会全体の意思だと報じた。

 これに対して北朝鮮はただちに「安保理決議にいささかも拘束されない。あらゆる手段と方法で自衛的戦争抑止力を強化してゆく」と声明した。これは「小規模な地下核実験」ではないかと推測する論者も出始めている。

 たしかに国際法上ミサイル発射を違法とする規定はない。今回の北朝鮮の行為で国際法上問題とされるのは事前通告をしていないことくらいである。しかし北朝鮮自身が何回もしてきたミサイル凍結の約束を突然破るものであることは、北朝鮮を除くほとんど全ての国と国民からすれば争いの余地のない事実である。一方、北朝鮮自身はアメリカや日本が約束を守らなかったから、もうこの約束にはしばられないと言っている。

 このような北朝鮮の論理をどう考えるか?私の結論も(ほとんどの人と同じだと思うが)、「理解不能」というしかない。正常な神経では理解できない。

 このような状況は一体なにを意味するのか? 

 近代の歴史を見たときに現在の北朝鮮とほぼ同様の論理で、もっと目茶苦茶な行為を繰り返した国がある。大日本帝国である。あの一五年戦争に突入し、ついには米英等と全面戦争を行って徹底的に国を滅ぼした大日本帝国と現在の北朝鮮とは一卵性双生児のように見える。そしてもしこれが真実なら世界は実際に「核戦争」を覚悟しなければならないのかもしれない。

 しかし仮に現在の北朝鮮の論理が大日本帝国と同様だとしても、人類は第二次世界大戦という歴史的な経験をしている。ふたたびあの誤りを繰り返さないという理性と叡知はあるはずである。また仮に北朝鮮自身には国際社会と妥協することができない、歴史を踏まえた理性的な判断ができないという程に症状が進行しているたとしても、回りの国が寄ってたかって北朝鮮を説得することはできるはずである。

 まず北朝鮮と同一民族の韓国の政府と国民は北朝鮮を説得する気持ちでいる。北朝鮮も韓国民の言うことを全面的に否定はしきれない可能性はある。また現在では北朝鮮の経済を成り立たせているのは明らかに中国である。この中国も北朝鮮を説得するつもりである。そしてロシアも同様のようである。さらに北朝鮮が将来の自国の経済再建や発展の道を考えるに当たって最もアテにしているのが日本であり、アメリカである。この両国が北朝鮮と正常な対話を開始できれば、いかにかたくなな北朝鮮といえども「自殺路線」にばかり固執しているわけにはいかないことも明らかである。

 従って問題は日本とアメリカである。

私は現在のアメリカが簡単に北朝鮮と妥協するとは思っていない。なぜなら現在のアメリカは「長い戦争」を戦っていると自己規定している。このためもあって現代の世界で最大の軍国主義国家は北朝鮮ではなくアメリカである。一方、「戦争の危機」は現在のアメリカにとっては自らの生存のためには必須の要件のようである。アメリカにとって北朝鮮危機は必要なのである。このことは二〇〇四年一一月にアメリカ国民がブッシュ大統領を選択したことによってはっきりした。私はアメリカがいつまでもこの状態だとも思わないがアメリカが本来の民主主義国家に戻るまでにはあと数十年の時間がかかりそうである。

 こう考えると日本のあり方が「核戦争か、平和か」の帰趨を決める極めて大きな要素になる可能性がある。日本が韓国や中国と一致協力すれば、北朝鮮を説得できる可能性は極めて大きい。確かに北朝鮮はアメリカとの協議やアメリカからの安全保障を望んでいるからアメリカが変わらない間はこの北朝鮮の希望は直接的にはかなえられない。しかし日中韓露の国々が北朝鮮の安全を保障する体制を作ることはできる。この次善の策を北朝鮮が納得する可能性はたしかに高くはないかもしれないが、北朝鮮といえどもそれしかない事がはっきりすれば自分の生存のためにも受け入れざるをえないはずである。

 こう考えると小泉首相の「靖国神社参拝」は、日本の首相の行動としては、これまた理解不能である。これさえなければ中国の胡錦濤主席は日本の首相と話すと言っているのである。韓国の盧武鉉大統領はもともと日本の首相と対話する気持ちなのである。日本国民の安全を言うのなら小泉氏は首相を退任してから心置きなく靖国神社に参拝すればいいのである。そんな当たり前なことすら理解できないで、その上憲法九条を変えようという人々が自民党の指導者で有りつづけるとしたら日本にもアジアにも未来はない。今こそ日本は憲法九条を外交の指針として全力をあげるべき時なのである。

 最後に余談を付け加えたい。前述の七月八日付けの読売の世論調査でも、「北朝鮮と国交正常化をすべきだと思う」と答えた人は実に七一・六%もいた。国民は極めて正常なのである。しかし読売の記事はこれを意図的に無視した。「正常化をすべきだが急ぐ必要はない。四三%」。「正常化をする必要はない。二一%」とまず記述して国民は「国交正常化」に否定的であるように誘導しようとしている(最後に付け足しのように「できるだけ早く正常化すべきだ。二八%」とこっそり紹介している。これと「正常化をすべきだが急ぐ必要はない。四三%」を足すと七一%になる)。マスコミが徹底的に戦争をあおったのも大日本帝国の顕著な特徴である。我々はこの点も十分心してかからなければならないと改めて思う。



核兵器廃絶と憲法九条の国際化のために

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 六一回目の八月六日と九日がめぐってきた。原爆は「人間として生きることも人間として死ぬことも許されなかった」と被爆者はいう。そして、「再び被爆者をつくるな」、「一日も早い核兵器廃絶を」と切望している(「二一世紀被爆者宣言」)。にもかかわらず、核超大国アメリカは核兵器による「先制自衛攻撃」を公言し、日本政府も「核抑止論」をとりアメリカの「核の傘」の下での安全保障政策をとり続けている。日米両国政府は、核兵器の使用を選択肢から排除していないのである。彼らは、核兵器が人間に何をもたらすかを知っているにもかかわらず、否、知っているからこそ核兵器の使用と威嚇の必要性と有用性を優先しているのである。核兵器は人間を効率よくあるいは苦痛を永続する形で殺傷し、物を破壊する人造物である。人間や人間の生存の条件を無差別に破壊する道具である。私は、人間がそのような道具を持ち続けることを許したくない。人間を無差別にしかも残虐に殺戮する道具を持つ者は、他の人間の命と自由と幸福などには無頓着に、それを使う衝動を抑えきれないだろうからである。彼らは、自分を安全地帯に置き、他者の生命と人生を貪り食うことを躊躇わないのである。彼らは弱肉強食と力の支配が正義だと信じているのである。核兵器はそんな彼らの「守護神」なのである。

核兵器の必要性と有用性

 核兵器は何にとって必要であり有用なのであろうか。戦争に勝つためである。人間は核の力を殺傷と破壊に利用する知恵と技術は手に入れているけれど、その高熱と爆風と放射能に対抗する方法は入手していない。従って、その使用は「敵」を殲滅する上で最も有効な手段となりうるのである。核兵器は「一方が使用し、他方が使用しないとすれば、使用した側が必ず勝利するに違いない」(「ラッセル・アインシュタイン宣言」)兵器なのである。だから、紛争の武力による解決や戦争を前提とすれば、核兵器保有は必要なこととなるし、既に持っている国は、核軍縮交渉などは棚に上げて「核不拡散」だけを言い立てるのである。こうして国際社会から核兵器はなくならないし、包括的核実験禁止条約などは骨抜きにされて「使用可能な核兵器」の開発が進められるのである。

 憲法九条の非軍事平和主義を擁護し国際社会の規範にすることは、核兵器廃絶の課題と不即不離の関係にある。憲法九条の国際化は、核兵器の使用という最悪のシナリオを許さない最上の担保といえよう。

なぜ三度目の核兵器使用はなかったか

 ところで、軍事的効率性からすれば核兵器の使用は誘惑的であったであろう。現に、米軍は、冷戦崩壊後だけでも、九一年一月湾岸戦争、九四年三月朝鮮半島危機、九八年一月イラク危機に際して核兵器の使用を検討したという(井上正信「冷戦後の米国戦略と軍事同盟」)。けれども現実に核兵器(劣化ウラン兵器は除く)は使用されなかった。核兵器の使用が国際的反発を招くとすれば、政治的には使用しないほうが望ましいからである。戦争が国際政治の延長線上にあり、あるいは不可分の要素であるとすれば、戦争当事国が政治的判断をすることは当然のことであろう。ここには、核兵器使用の衝動と国際反核平和世論との対抗が見て取れるのである。国際反核平和勢力は、現時点まで、核兵器勢力の暴発を押しとどめてきたのである。

核兵器の使用と威嚇は国際法に違反する

 この反核平和勢力の一つの到達点として、国際司法裁判所の一九九六年の「勧告的意見」がある。この「勧告的意見」は、国際反核法律家協会(IALANA)などが国連に働きかけ(「世界法廷運動」)、国連総会が「核兵器による使用・威嚇は、国際法の下でいかなる状況でも許されるか」と国際司法裁判所に問いかけた答えである。「勧告的意見」は、核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する。但し、国家の存亡の危機など自衛の極端な状況においては、確定的にはいえない、というものであった。この勧告的意見は、直接的には広島・長崎への原爆投下に係るものではなかったとしても、その被爆の実相は審理の対象となっていたのである。この国際司法裁判所の基準に照らせば、広島・長崎への原爆投下が国際法に違反していることは明らかである。

 また、一九六三年、東京地方裁判所は、原爆投下が、当時の国際法の到達点に照らして違法であるとの判決を出している。国内裁判所および国際司法裁判所において、原爆投下あるいは核兵器の使用・威嚇は違法であることは確認されているのである。

 更に付言すれば、七月一五日・一六日、広島で開催された「原爆投下を裁く国際民衆法廷」において、広島・長崎への原爆投下は違法であるとして、原爆投下を共同謀議し、実行した一五人の「被告人」に「有罪」判決が下されている。ちなみにこの「法廷」の裁判官は、レノックス・ハインズ(米国・ラトガーズ大学教授)、カルロス・バルガス(コスタリカ大学教授)、家正治(姫路独協大学教授)である。

この違法をどう是正するか

 このように、原爆投下や核兵器の使用・威嚇について国際法に違反する、あるいは人道に悖るとされながら、国際社会・国際政治の現実においては、核兵器は廃絶されていないし、核戦争の危険性すら存在しているのである。このままでは、国際法は現実政治にとっては無力なものでしかない。「法の支配」などと「お題目」をあげてもどんな意味があるのだ。「寄らば大樹の陰」、「長いものには巻かれろ」とアメリカの庇護の下にいればよいではないか、ということになりかねないであろう。核兵器の前で法と法律家は自らの無力を嘆くしかないのであろうか。

 今、被爆者たちの中に、核兵器をなくすことなどはできないとの悲観的気分も出てきているようである。現実を直視しての偽らざる実感なのであろう。他方、自らと自らにつながる人たちに「この世の地獄」を味合わせた原爆を「法的に裁きたい」との希望を持つ被爆者も少なくない。被爆者を原告としアメリカ政府を被告とする「新原爆裁判」を構想しなければならない所以である。

「新原爆裁判」の構想

 被爆者を原告にアメリカ政府を被告とする訴えを提起することは、それが日本の裁判所であれ、アメリカの裁判所であれ、法理論的に著しくし困難であることは間違いない。「主権免除」、「国家無答責」、「個人請求権」、「時効」などなど。いずれも難問であるし、現実性がないと一蹴されるかもしれない。けれども、たとえ戦時にあっても「人間が人間である限り、人間にしてはならない行為がある。」との倫理と道徳は、国際人道法・戦争法として定立され、現実の裁判規範としても機能しているところである(ニュールンベルグ裁判・東京裁判・旧ユーゴ国際法廷、ルワンダ国際法廷)。

 原爆投下を正当化する「戦争早期終結論・人命救済論」、「植民地早期解放論」などはそれ自体が検証されなければならない言説である。仮に、その正当化論に一定の説得力があるとしても、原爆投下は国際人道法に違反するとの結論は導けるであろう。非戦闘員に対する無差別攻撃。過剰な死と六〇年を超えても持続する苦痛をもたらす攻撃。「原爆がもたらした人間破壊はどんな『言葉』をもってしても語りつくすことはできない。原爆は一切の表現を超えている。」という(小西悟・「『ヒロシマ・ナガサキ』をどう伝えるか」)。

 この事実に当てはめる法とその手続きがないとすれば、それを定立することから始めなければならない。「あるべき法」を「現実の法」に高めることをしなければならない。そのための理論と運動を構築しなければならない。被爆者は高齢化している。急がなくてはならない。そして、この「新原爆裁判」は核兵器廃絶運動の一翼を担い、核廃絶は国際社会における「力の支配」を減殺し、国際社会の非軍事化に貢献するであろう。核兵器も戦争もない社会の実現は、私たちの意思と努力にかかっているのである。(六一年目の夏に)



日本国民救援会全国大会に参加して

滋賀支部  玉 木 昌 美

 この七月二九日から三一日まで、滋賀県大津市雄琴において、日本国民救援会第五三回全国総会が開催された。私は、国民救援会滋賀県本部の副会長をしており、今回代議員として参加した。地元からということで議長団の一員に加わることになり、高いところからの参加となった。それは、県本部事務局長が私を会議中眠らせないために策を弄したとの見方もある。地元滋賀県からは、大会に四〇名も参加し、それとほぼ同数の要員の人が協力し、大会を盛り上げた。

 三日間の大会の論議は、熱気にあふれるすばらしいものであり、議長でなくとも眠るどころではなかった。議長団としては、発言通告が多すぎてカットするはめになり、多くの事件について懇親会での発言に切り替えることをお願いすることとなった。今回の大会で大石事件の大石さん、堀越事件の堀越さん各本人らの迫力ある訴えを直接聞くことができた。弾圧事件において表現の自由をめぐる問題の重要性を再認識するとともに、最高裁まで一〇年間闘った湖東民商ポスター弾圧事件のことを思い出した。また、大会の討論では、冤罪事件等も含め、あまりにもひどい裁判、裁判官の話が多く、改めて唖然とした。日野町事件だけではないのである。印象に残ったのは、冤罪再審事件交流会で、オヤジ狩事件の、「特高警察」も知らない少年が、訥々と自白を強要された事実を語ったことであった(取り調べの警察官が「特高警察のようにするぞ。」と脅しても「何それ。」とピンとこなかった点はなんともいえない)。担当した戸谷団員の、弁護士も最初は当事者をうわべで見てしまうという報告も印象的であった。私は、時間制限がある中、冤罪日野町事件について大会と交流会で発言したが、どこまで伝わったのか、もっと時間があったならば、という気もした。日野町事件の関係では、長女美和子さんの挨拶、野田さんのミニコンサート、画家の井上先生の挨拶、いずれも大変よかった。

 この大会では、困難な中から勝利を切り開く展望をもったヒューマニズムあふれる救援運動の大きなうねりを感じた。議長は三日目の進行を担当した(実はひな壇に地元関係者として飾りで座っていればよいと思っていたが、違っていた)が、動議が出る可能性を事前にさばいたことと、大会アピールに異議が出され、「さすが救援会」と、活発な議論に感銘を受けたことが印象的であった。

 二日目の懇親会の席上、宮城の庄司団員の「君死にたもうことなかれ」の歌を始めてお聴きしたが、実によかった(「議長に敬意を表して」と、詩集をいただいたが、すばらしい内容であり、それだけで得した気分であった。)。いずれにせよ、自由法曹団の団員も一定数この大会に参加したほうが、議論の中身が深まってよいし、団員にとっても勉強になると思われる。次回から特に新人団員に積極的に参加してもらうほうがよい(本当は、裁判官の研修の場としたいところである)。

 また、他の県本部の人から、「忙しい団の先生に講師をお願いすることは気が引ける。」といった話も耳にした。そうしたことがあるとすれば、県本部の役員の中に動ける団員弁護士が入っていたほうがいいかもしれない。他府県でも滋賀のように弁護士を役員に入れて酷使したほうが運動の発展に役立つものと思われる。私は、滋賀県内の支部大会を回り、湖南支部は憲法中心で、近江八幡支部は共謀罪中心で、甲賀支部、湖東(旧八日市)支部は日野町事件中心で、などと支部の要望に応じて講師活動をしてきたが、滋賀県の救援会運動の発展にそれなりに寄与していると思っている。

 今回の救援会の全国大会の成功を喜んでいるが、皮肉にも、活発な活動が要請される事件が多いことは、日本の人権や民主主義の現状が極めて歪な悲惨なものであることを示している。救援会の活動が必要とされない、人権が花開く時代をめざして、さらに奮闘していく必要がある。



「お金にならない活動」に疲れた方へ

〜森 絵都「風に舞いあがるビニールシート」を読む

東京支部  村 田 智 子

 自由法曹団に入っている弁護士や事務局は、最低でも何か一つは、「お金にならない活動」に携わっていると思います。例えば、団本部や支部の活動、日弁連や単位会の活動、団以外の法律家団体の活動、各種の弁護団活動、国際的な活動、地域の町内会、学校のPTA、保育園や学童クラブの父母会の活動など、数えればきりがないほどの「お金にならない活動」に、最低でも一つ、あるいはたくさん、いそしんでいるのではないでしょうか。

 そして、どんなにやりがいを感じていても、「お金にならない活動」に、疲れを感じることもあるのではないでしょうか。

 そんなときは、森 絵都(もり えと)さんの、「風に舞い上がるビニールシート」(文藝春秋)を読んでいただきたいなぁと思います。

 この本は、短編集です。

二つめに収録されている「犬の散歩」は、捨てられた犬を保護するボランティア活動を行っている、恵利子という、三〇代の女性が主人公です。恵利子は、忙しく活動しながら、「どうして自分はこんなことをしているのか」と自問自答します。周囲の人たちからも、いろんなことを言われます。通りすがりの人に「世間には食うに困って飢え死にしていく人間だっているのに、犬助けとは、まったく優雅なもんだ」といわれたり、お金目当てではないかと勘ぐられたりして傷ついたりもします。

 そんな恵利子が活動に入ったきっかけは、たまたま入ったイタリアンレストランで主婦二人連れの会話を聞いたからでした。その主婦二人は、イラクで拘束されて助けられた三人の若者を声高に批判していました。聞いていた恵利子も同じような考えを持っていたのですが、なぜだか唐突に、違和感を持ちます。恵利子の心境を語った場面をそのまま抜き出してみます。

 「が、しかしそのとき、なぜだか唐突に、同じようにふんぞり返っている背後の声がひどくグロテスクな冗談のように響いたのだ。この麗らかな昼下がり、グラスワインを片手にカラフルな前菜をつつきながら、自分以外の誰かのためになにかをしようとした若者たちを弾劾する。それは自分ではなく、自分とよく似た誰かの声であるにもかかわらず、恵利子はなんとも言いがたい羞恥の念に襲われた。─いや、それがあまりにも自分とよく似た誰かの声であったが故の羞恥かもしれない。自分には関係ない、と目をそむければ誰かやなにかのために、私はこれまでなにをしたことがあるだろう?」(同書七九ページから八〇ページ)。

 恵利子は、この後、迷いながらも、傷つきながらも、一歩を踏み出していくのです。そして、ときには、掛け値のない善意にも出会っていきます。

 この「犬の散歩」以外の短編も、読ませます。

表題にもなっている「風に舞い上がるビニールシート」については、あまりにも内容が深く、感動も深いので、私には表現する言葉がありません。

 森絵都さんは、この短編集で、第一三五回の直木賞を受賞されました。今、この短編集は、本屋さんで平積みになっています。

 「若い女性の短編はちょっと・・」という方も、「ベストセラーは苦手」という方にも、一度、手にとってご覧になっていただきたい。

 それから、この本が面白かったら、森さんの他の作品である「カラフル」(理論社)や「リズム」(講談社)もぜひ。この二つは、一応、児童文学というカテゴリーに入っているようですが、実は大人こそ読んで勇気付けられる本です。



小池振一郎、青木和子編「なぜ、いま代用監獄か

えん罪から裁判員制度まで」を読む

東京支部  谷 村 正 太 郎

 本書は日弁連刑事拘禁制度改革実現本部事務局長である小池団員と同事務局次長の青木団員が編集・執筆したブックレットである。

 本書は四章からなる。

 Iの「もしも、あなたが逮捕されたら」では、昨年再審開始となった布川事件について弁護団の中心の一人である青木団員が、同事件が代用監獄の中で作り出された経過を具体的に記述されている。

 窃盗・暴力行為で逮捕された二人の青年が「せいぜい一週間ぐらいのつもりででかけたら、二九年になってしまった」というこの事件で、弁護人もなく接見禁止のまま深夜まで代用監獄の中で取調を受けた二人は、虚偽の自白を強いられる。代用監獄から拘置所に移監され検察官の取調の際に犯行を否認するが、検察庁は取調検事を交代させて二人を代用監獄に逆送し、警察官の取調の結果再び自白に転じさせる。

 代用監獄が虚偽の自白を作り出す上でいかに大きな力を持つかをこの事件はリアルに物語っている。

 IIの「弁護士が見たアクリル板の『向こう側』」は、オウム真理教教祖松本智津夫の主任弁護人であった安田好弘弁護士の代用監獄と東京拘置所における勾留の体験談である。

 「私は、多くの弁護人あるいは友人の接見を受けました。しかし閉ざされた接見室の中で、アクリル板にあけられた小さな穴を通して会話をする、それがどれほど不自然なことであるか、どれほどのことをその穴を通して伝えることができるのか、現実に、私が入れられて初めてわかりました。」

 「現在、取調べの可視化に向けた努力がなされています。これは自白の強要を阻止する上で絶対に必要だと思います。しかし、可視化だけでは、逮捕や勾留による恐怖や苦痛、あるいは混乱、これらを阻止することはできません。私たちは、代用監獄を廃止し、そして勾留という制度そのものを根本的に見直していく必要があると思っています。私は、捜査段階において弁護人がいれば、そして連日の接見を繰り返すなどの弁護活動を展開すれば、えん罪は防げると考えていました。・・・しかし、そうではないのです。」

 代用監獄を自ら体験した弁護士の発言だけに示唆に富む点が多い。紙数が許せばさらに引用を続けたいところである。

 IIIの「未決拘禁制度を国際水準に」で、青木団員は死刑再審四事件に限らず、現在も代用監獄はえん罪を作り続けていることを具体的事件により明らかにしている。そして未決拘禁制度に関する海外調査に参加しオーストリアとイタリアの警察留置場を視察したときの体験が紹介されている。接見室の設備、弁護人との信書のやりとり、自室での記録の検討、医療設備等において、日本の代用監獄は世界の常識・現状とは大きくかけ離れているのである。一九九八年の国際人権(自由権)規約委員会の審査で厳しい批判を受けてから八年を経過しても事態は変わっていない。

 IVの「刑事司法の今後を展望する」は、小池団員が拘禁二法案反対運動から現在までの日弁連の活動を要約した論考である。

 当番弁護士制度から被疑者国選弁護制度へ、さらに裁判員制度をめぐる刑事訴訟法改正へ、というこの間の司法改革の評価をめぐっては、周知の通り団内に鋭い意見の対立がある。私自身も日弁連で活動されている団員のご労苦に敬意を表し、かちとった成果を高く評価しつつ、なお、一・二の点で異論を持つ。

 しかし、私は布川事件に関与している一員として、本書を各地の団員に推薦したい。私たちは、代用監獄の実態・機能については十分知っていると考えている。しかしそれがいかに不十分な知識であるかは本書を一読すれば明らかである。同様に、刑事司法改革についても改めて正確に理解する必要があろう。

 「代用監獄はなんとしても廃止しなければならない。」という本書の結論には、誰しも異存はない。それを実現するための武器の一つとして本書が多くの人に読まれることを期待する。(岩波書店二〇〇六年刊、四八〇円+税)