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今村幸次郎 北陸・能登総会に集まりましょう
菅野 昭夫 きまっし・よりまっし和倉温泉へ
佐々木猛也 全員が勝訴した! 一人残らず全員が!
―原爆症認定請求・広島判決―
藤野 善夫 オリエンタルモーター支部賃金差別救済命令確定、会社陳謝文掲示する
永尾 廣久 若者の心をつかむ憲法教室




北陸・能登総会に集まりましょう

事務局長  今 村 幸 次 郎

 今年の総会は、一〇月二二日及び二三日に、石川県の和倉温泉で開催されます(二一日にはプレ企画を予定)。秋の能登の豊かな自然に触れながら、団の課題や活動方針等について、活発な議論をお願いしたいと存じます。

 今回の総会は、ポスト小泉政権による臨時国会の真っ最中に開催されることになります。「壊憲」につながる国民投票法案、教育基本法改悪、共謀罪、防衛「省」昇格法案などは、先の通常国会から継続審議となっています。ポスト小泉の有力候補といわれる安部晋三官房長官は、自身の政権構想として、現行憲法の全面改訂、集団的自衛権行使の容認、地域や国への思いを尊重する教育改革・教育基本法改訂、構造改革路線の継承などを打ち出す方針と伝えられています。

 団は、札幌で開催された五月集会で、明文改憲を具体化する動きと現に憲法を破壊する策動とが同時並行的に進められている情勢の特徴と課題、その中での団・団員の取り組み等について議論を深め、「戦争する国づくり」と「格差社会の拡大」を全力で阻止することを確認しました。

 団と団員は全国で奮闘し、いくつかの悪法は継続審議となりました。また、この間、団員は、全国で、さまざまな裁判闘争や国民の運動に参加し、各分野において多くの貴重な成果が得られています。

安部氏の政権構想を見ても明らかなとおり、改憲勢力による「戦争する国」「弱肉強食の国」づくりは、より強力に加速して進められるものと思われます。

 重大な局面に向けて、団の力を結集し、さらには、この間全国で得られたさまざまな成果を持ち寄り交流するため、総会に多くの皆さんがご参加くださるようお願いします。

 また、総会前日の二一日には、プレ企画として、(1)団の将来問題交流会、(2)東北アジアの平和をめぐる韓国民弁とのシンポジウム、を予定しています。

 団は、この間、韓国民弁(韓国民主社会のための弁護士会)との間で活発な交流を進めてきました。東北アジアにおける平和構築の運動にとっては、市民レベルでの交流と連帯が非常に重要な意義をもちます。このシンポジウムはその取り組みの一環です。シンポジウムは新人学習会も兼ねて行いたいと存じます。新入団員とその予定の方のご参加をお願いいたします。

 新人弁護士の採用を予定している各事務所におかれては、事前に新人の方に、二一日のプレ企画を含めて団総会へ出席するようお声をかけてくださるようお願いいたします。



きまっし・よりまっし和倉温泉へ

北陸支部支部長  菅 野 昭 夫

 今年の自由法曹団全国総会は、和倉温泉「あえの風」で開催されることになりました。和倉温泉は、石川県七尾市にあり、七尾湾に面した能登最大の温泉街です。宿泊宿の「あえの風」は、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館百選」で二三年間連続総合一位にランキングされている「加賀屋」が経営するその姉妹館で、「加賀屋」ほど豪華絢爛ではないが、「加賀屋」の洗練されたサービスを味わってもらえる旅館といえます。和倉温泉の源泉は、九四度と沸騰点に近く、海水と同じ塩味で、日本海に面した大浴場にひたって英気を養い、荒波で身が締まった日本海の魚に舌鼓を打っていただけるものと確信しています。

 和倉温泉のある七尾は、古代から能登の国の国府所在地として栄えてきました。戦国時代には室町幕府管領家畠山氏の一族によって旧七尾城が築城され、それが上杉謙信によって落城させられた後には、前田利家が、織田信長からこの地方を与えられて新七尾城を築き、城下町を発展させ、町民文化を育んできました。そのため、市街には、城跡や多くの古い寺院、町並みを残しています。江戸時代から続いている青伯祭は、その屋台の豪華さのみならず、住民全体が伝統を誇りとして取り組んでいる点でも、貴重な文化遺産といえるでしょう。

 そして、能登半島は、山が海岸線まで突き出しているために奇岩、絶壁の海岸線を特徴とする外浦(西側)、穏やかで美しい海岸線の内浦(東側)と、ともに素朴で味わい深い景色を提供しています。過疎が進み、今では漁業以外には観光が主要な産業となっていますが、織物、陶器、漆器などの伝統産業も生存し続けています。

 こうした、能登半島の玄関口にある七尾市と和倉温泉は、参加者に、大都会にはない何かを感じさせるのではないでしょうか。

 さて、石川県での団総会は、一九八六年に加賀温泉郷のひとつ片山津温泉で三八六名の参加を得て開催されました。当時、私は、議長団のひとりを勤めましたが、ときあたかも中曽根内閣による国鉄分割民営化との闘いが天王山を迎えつつあり、活発な討論が行われたことをよく記憶しています。そして今日、そのときには予想さえしなかったスピードで登場してきた憲法改悪、教育基本法改悪などとの闘いが正念場を迎えています。北陸支部は、当時の梨木作次郎支部長が逝去されたのを初め、片山津総会当時よりすっかり若返りました。それ以降、中堅、若手の団員を中心に、団外の弁護士と共闘して、もんじゅ(福井県)、志賀原発(石川県)というふたつの原発訴訟で全国初の勝利判決を獲得するなどの大きな成果を挙げてきました。その北陸支部団員一同は、全国総会が、再び石川県で開催されることを誇りとして、全国の団員が和倉温泉での総会に参加されることを心から歓迎します。どうかみなさん、多数お越しください。

 きまっし、よりまっし。和倉温泉へ。



全員が勝訴した! 一人残らず全員が!

―原爆症認定請求・広島判決―

広島支部  佐 々 木 猛 也

 原告らは勝訴した。一人の落ちこぼれもなく全員が勝訴した。遠距離被爆者が勝訴した。入市被爆者も勝訴した。これまで認められなかった一五の疾患に放射線起因性が認められた。原爆症認定訴訟で、原告らは全面勝訴した。被爆後六一年目の日を目前にした八月四日、広島地方裁判所は、厚生労働大臣の認定却下処分(四一名分)を全て取消す判決を下した。

 提訴後三年二カ月の闘いのなか、一〇名が死亡した。命を掛けた闘いだったが、被爆者に生きる勇気と喜びを与える価値ある結実としての判決に、原告たちは泣いた。被爆者たちも支援する人々も弁護団員も勝利の喜びを噛みしめ、味わった。いい仕事をしたと振り返った。認定行政を正す大きな布石となるこの判決の意義を、みんなが確認しあった。

◇  ◇  ◇

 現在の認定制度は、一九八六年に策定されたDS八六と呼ばれるネバタの核実験結果などを元に算出された、爆心地からの距離による投下後一分間の初期放射線量(〇・〇一秒後の直曝線量と直後の第二次放射線量)を最大限重視し、この線量と、年齢、性、疾病名の別により、申請疾病が放射線に起因するとする確率表により判断する仕組みであり、認定率は、わずか〇・八六%である。

 例えば、二・五キロ地点で被爆した者の初期放射線量(一センチグレイ)は、申請疾病を引き起こすに足る放射線量ではないとされ、その者が、放射性物質を含む塵埃が舞い上がる灰神楽のなかの悲劇のヒロシマの街を、とぼとぼ歩いて爆心地から六〇〇メートルの自宅に帰り、残留放射線が残る焼け跡を片付ける作業をしたとしても、受けた線量は合計三センチグレイとされ、認定却下となる。内部被曝は問題外であり、入市被爆者は、箸にも棒にもかかることはない。だが、彼や彼女は、被爆直後、脱毛、発熱、下痢などの急性症状に苦しんだ。これは、一体、なぜなのか。

 「審査の方針」は、原因確率を「機械的に適用して判断するのではなく、当該申請者の既往歴、環境因子、生活歴等も総合的に勘案した上で」判断すると定める。これと同一の判断基準による司法判断と原子爆弾被爆者医療分科会の委員たちの判断の乖離は、なぜに生じるのかが問われている。委員たちよ! その資格が問われていることを自覚せよ!

◇  ◇  ◇

 控訴するな!の被爆者の訴えに背を向け、厚労大臣は、八月一一日、控訴した。これに先立つ八日、「拙速ではいけない。広島判決を受けて、なぜわれわれの主張が受け入れられなかったのかを検討し直す必要がある」とし、結論を出すまでには「かなり時間を掛ける」と発言した(中国新聞)。舌の根も乾かぬうちの控訴は、「科学的知見に基づく現在の審査方法に変わる方法はない」、「判決は一般的な医学・放射線学の理解と異なっている」(同)ためだと、のたまわった。

 無責任な輩よ! 何を言う! 厚労省こそ、非科学的ではないのか。残留放射線を軽視し、放射性降下物を軽視するのが科学なのか。黒い雨の降雨地域を狭く限定しその放射線量を極めて少なく見積もるのが科学なのか。原爆投下数日後の放射能測定値を無視することが科学なのか。急性症状の脱毛がストレスあるいは栄養失調によるとするのが科学なのか。法定伝染病を管理するはずの厚労省が、広島市での発生を記録上確認できないのに、急性症状の下痢は、チフスが原因とするのが科学なのか。

◇  ◇  ◇

 広島判決は判示する。「DS八六により比較的正確に算出できるのはあくまで初期放射線量の限度であるから・・・これを一応の最低限度の参考値として把握し、直爆以外の方法による被曝、すなわち、残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響については、別途慎重に検討しなければならない」とし、「原因確率には、残留放射線による外部被曝及び内部被曝を十分には検討していないといった様々な限界や弱点があるのであるから、原因確率は、一応の単なる判断の目安として扱い」、「原告ら各人の起因性の判断にあたっては・・・審査の方針を機械的に適用すべきではなく、飽くまでこれを放射線起因性の一つの傾向を示す、過去の一時点における一応の参考資料として評価するのにとどめて、全体的、総合的に検討することが必要である」として、現行の認定制度を厳しく批判し、「一定期間、誘導放射能や放射性降下物に汚染された地上の物質、建材、塵埃や人体などに直接接触などすることにより外部被爆をし、もしくはこれらを吸引及び摂取し、あるいは傷口等から経皮的に体内に取り込むなどにより内部被曝をすることによって、その受ける被爆線量が審査の方針に従った算出値よりも増大しあるいは直爆とは全く異質な被爆(内部被曝)をしていないか否かを、常に慎重に個別的に検討する必要がある」として内部被曝を認め、また「嘔吐、下痢・・・などの症状が生じた事実は、放射線被曝の事実及びその程度を判断するに当たっては、その重要な判断要素となるとみることは相当の根拠がある」とし、「被爆状況、被爆後の行動、急性症状などやその後の生活状況、具体的症状や発症に至る経緯、健康診断や検診の結果等の全証拠を、全体的、総合的に考慮して検討すべきである」とした。

◇  ◇  ◇

 己の運命を変えた原爆、一言では言い尽くせない複雑、深刻な思いでこれまで生きてきた被爆者一八四名が、全国一五の地裁と二つの高裁で、今、闘っている。健康に不安を抱く被爆者は、広島判決後、多数が相談に訪れている。

 病苦、貧困、差別などのなか、苦難の戦後を息をひそめ、生きて、生きて、生き抜いて来た、全国各地に散らばる被爆者の最後の願いを込めた提訴に、金銭的報いは少ないけれども、全国の団員の力を貸して欲しいと、あの日、あの朝、あの原爆雲を見た者、その後の被爆者の苦しみを知る者としてお願いしたい。

◇  ◇  ◇

 厚労大臣は控訴した。敵意さえ含んだ挑戦的な控訴である。われわれは控訴審でも、必ず、必ず、絶対に、絶対に勝訴する。棄却された国家賠償請求も勝訴する。医療分科会の審査の実態を明らかにすれば完全勝訴を望み得る。

 厚労大臣よ、委員たちよ。心してかかれ。君らに正義はない。君らの非科学性と無責任な実態を暴く日を楽しみに構想を築く。正義が不正義の前に跪くことがあってはならない。正義はわれらにある。



オリエンタルモーター支部賃金差別救済命令確定、会社陳謝文掲示する

千葉支部  藤 野 善 夫

 団通信・一一九五号(〇六年三月二一日号)にオリエンタルモーター支部・佐藤人権裁判の勝訴判決の報告が鷲見団員により報告された。今般は、中央労働委員会が、一九九八(平成一〇)年八月五日付けで、オリエンタルモーター株式会社(オリ・モ社)に対し労働組合員への賃金差別是正と陳謝文の掲示・手交を命じた不当労働行為救済命令が、この度、最高裁判所の(不受理)決定を受け確定し、オリ・モ社が、賃金差別是正と陳謝文の掲示と手交をしたので、報告します。

 千葉県柏市、茨城県土浦市に研究所と工場を持ち小型精密モーターの製造販売をするオリ・モ社は、一九七四(平成四九)年に当時の「全金」労組の支部組合が全社的に優に過半数を超える組織率で公然化し活動を開始して以来、組合敵視政策をとり、組合との団体交渉拒否、協約破棄、組合員への仕事差別、種々の脱退工作を行い労働委員会の救済命令や裁判所の是正判決を数多く受けている。(模範六法の「労組法」に参考判例として六カ所に亘り掲載されている。)しかし、態度を改めず、私が団通信にいくつか勝利命令や判決を報告しているが、その「敵視」政策は「一貫して」いる。

 少数になった支部組合員が、賃金差別是正と陳謝文の掲示・手交をもとめて千葉地方労働委員会に一九八八(平成六三)年に申立てた事件が、本件である。千葉地労委の救済命令が再審査手続きを経て、一九九八(平成一〇)年八月五日付けで、中央労働委員会が、会社に、ほぼ支部組合の申立内容を、受け容れ、組合員が同期入社の同僚に比し全員最低の等級に等級に据え置かれているのを、一等級昇級させることを内容とした救済命令を発令した。

 この救済命令を不服として、オリ・モ社は、東京地裁に救済命令の取消訴訟を提訴し、東京地裁は、二〇〇二(平成一四)年四月二四日、中労委命令を半分取り消す判断を示した(陳謝文を命じたことも取り消す)。会社、中労委・組合側双方が控訴した。東京高等裁判所は、二〇〇三(平成一五)年一二月一七日、地裁判決を逆転させ、組合員二人には賃金是正までは命じなかったが、先の中労委の救済命令をほぼ、維持する内容の組合員勝訴判決言い渡した。そして、会社と組合双方が、同年(一二月二四日)末に上告受理の申立をしていた。その申立について、最高裁判所第一小法廷(才口千晴裁判長)は、本年(平成一八年)七月一三日付けで、会社ならびに組合側の双方の上告受理申立のいずれについても、「受理しない」決定を出した。そして、中労委が、オリ・モ社に対して賃金差別是正と陳謝文の掲示・手交を命じた救済命令が(東京高裁の判断により修正された内容で、)確定した。それを受けて、会社が、「陳謝文」を掲示・手交したという経過である。「陳謝文」の内容は、次のとおり。

 「当社は、貴組合の組合員である大池良三、和家浩一郎、柳沢茂樹、金子政信、酒井清、佐藤武幸、岩田一夫、鈴木修及び岡島一朗の各位に対し、賃金等について差別扱いをしてきましたが、今般、中央労働委員会において、このことが労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為であると認定されました。

 よって、当社は、再びこのような行為を繰り返さないようにいたします。

  平成一八年七月二一日 

    オリエンタルモーター株式会社 代表取締役 倉石 芳雄

全日本金属情報機器労働組合千葉地方本部

オリエンタルモーター支部 執行委員長 酒井 清 様」

 このように、先の中労委の救済命令が(東京高裁の判断により若干修正されたが)確定し、組合勝利で一応の決着を見たので、報告します。

 なお、関係する命令・判決の詳細は、「産労総合研究所」発行「労働判例」tェ三一号、およびtェ六八等に掲載されているので、労組員に対しての差別事件では、是非参考にされたい。

 特に東京高裁の判断は「…能力、勤務実績において同等であるか」の判断に当たっては、「当該組合員に対し、先行して使用者による不当労働行為が継続的に行われ、あるいは不当労働行為が繰り返し行われており、当該不当労働行為によって通常生ずるであろう影響により当該組合員の能力が正当に評価されず、勤務実績を積む機会を与えられない結果、勤務実績が悪化したと認められる場合には、その影響を排除する必要がある。そうしないと、使用者が先に不当労働行為を継続ないし繰り返していながら、他方その影響により当該組合員の勤務実績が悪化すると、今度はこれを根拠にして低評価することを容認することになり、結果的に不当労働行為による不利益扱いを是認するに等しく、…相当でない」として、仕事差別的取り扱いをされた各申立人に、「その影響を除外して」各年度の人事評価の相当性を判断している。その具体的な判断としては、会社の指摘する「仕事についての熱意」や提案制度に非協力で職務上の「提案」をしないこと、労働争議に関する裁判所や労働委員会への出席のために休暇取得することや組合活動上離席や遅参することを低評価の理由とすることを、相当とはしなかった。

 また「…能力、勤務実績において同等であるか」の判断については「立証責任」を使用者に転換している。「…当該組合員の能力、勤務実績が組合員以外の者より劣ることの具体的反証」が使用者からなされない限りは「当該組合員の能力、勤務実績が」組合員以外の者と「同等であることを事実上推定することができる」…「本件事実関係の下においては、審理過程における事実上の証明の必要性を一審原告に負担させることは何ら不当でない」とするなどの注目すべき判断をしている。



若者の心をつかむ憲法教室

福岡支部  永 尾 廣 久

圧倒的迫力の映像

 札幌での五月集会で佐藤博文団員(札幌)が七〇〇人の高校生に向けての憲法問題についての講演のとき、自衛隊がイラク(サマワ)に持って行った武器や飛行機・艦船の映像をつかいながら話して、大きな関心を集めたという報告をした。ふむふむ、なるほど、それは私も見てみたい。

 私は福岡に帰ってすぐ佐藤団員に頼んで、その映像をメールで送ってもらった。札幌は、福岡とちがって自衛隊のイラク派兵差止裁判をやっている(亡くなった箕輪登元大臣も原告の一人)。ありがたいことに、その裁判での山田朗教授の証言録や資料まで送られてきた。

 初めて自衛隊が海外へ派遣されるときには、拳銃を携帯していいかということまで議論されていたが、今は、完全重装備。その映像には、さすが迫力がある。八九式小銃。五・五六ミリ機関銃。護身用というより、明らかに銃撃戦を想定した武器である九ミリ機関拳銃。一二・七ミリ重機関銃。面的制圧を目的とする四〇ミリ自動てき弾銃。八四ミリ無反動砲。戦車やヘリコプターを攻撃できる一一〇ミリ個人携帯対戦車弾。時速一〇〇キロで走れる九六式装輪装甲車。機関銃を積んだ軽装甲機動車。戦車こそ持っていかなかったが、日本の自衛隊がイラクの戦場へ本気で戦争しに行ったという実情が視覚的によくよく分かった。

 航空自衛隊は完全武装の空挺隊員つまりパラシュート部隊六四人をのせることのできるC―四多用途支援機。

 海上自衛隊は、補給艦ましゅう型。輸送艦あつみ型。輸送艦おおすみ型は、ヘリコプター母艦とも呼ばれる最新型の艦船だ。エアクッション艇(LCAC)。

 これらの映像を大きな画面で見せられたら、人道支援なんてどこにあるの、という感じになってしまう。私も、自衛隊はサマワで給水活動をしているのだとばかり思っていたが、現実には、二〇〇四年秋で止めていた。

 私は、大牟田での憲法教室において二回この映像を紹介したが、参加者は息を呑んで画面にくぎづけになった。まさしく百聞は一見にしかず、である。佐藤団員がどのようにしてこれらの貴重な映像を入手されたのか聞いていないが、全国の団員に、この貴重な映像を活用されるようすすめたい。

 ところで、陸上自衛隊はサマワから撤収したが、航空自衛隊の方はイラク全土へ活動地域を広げつつある。もはやサマワが「非戦闘地域」であるかどうかという議論はまったくなされていない。しかもアメリカ軍の補給部隊としての役割を強めようとしているのに、この実態が日本ではあまり知られていない。

 佐藤団員のレジュメには、陸上自衛隊がいたサマワは、実はイラク国内の石油パイプラインの重要な中継地点の一つであることも図示されている。サマワは世界最大の油田キルクークの原油をペルシア湾に運ぶパイプラインの中継地なのだ。

 さらに、佐藤団員はサマワの各部族に対して大金を支払って日本が安全を買っていた事実も明らかにしている。実際、日本の自衛隊がイラクで殺され、またイラクの人々を殺す危険はかなり大きかった。そのような事態に陥ったとき、日本の世論がどちらにころぶか不安だったので、小泉首相と日本政府は安全をお金で買った。自衛隊員向けにも大変な優遇措置を講じた。もし自衛隊員がイラクで戦死したときには、特別のイラク保険金一億円をふくめて一時金として二億五〇〇〇万円、そのほか遺族に対して年金として月額七七万円(一曹レベル)という異例の手当を講じた。

 小泉首相は、運が良かった。一人の戦死者も出なかった。もっとも、週刊誌によると、イラクへ派遣された自衛隊員五五〇〇人のうち、既に自殺者が五人も出ているという。やはり、現地は戦場だった。平和な日本に社会復帰するのには相当のメンタルヘルス期間を要するという。

憲法は日本の宝、世界の希望

 弁護士になってすぐから各地の憲法問題の学習会に講師として呼ばれ、どこでも大好評だという溝口史子団員(北九州)の噂を聞きつけ、大牟田でも講師として話してもらおうと企画した。幸い了解を得られて、六月二七日に話をしてもらった。期待にたがわず、素晴らしい話だった。話しぶりが明快で、トーンも明るい。声がくぐもっていない。重い話を暗い雰囲気で話されると、聞いている方は気が滅入ってしまう。それに難解な左翼用語がないのも新鮮で、耳になじみやすい。たとえば、レジュメのまとめの言葉は、「いま、私たちにできること」として、次の三つがあげられている。第一に知ろう、第二に考えてみよう、第三に伝えようである。日米支配層の反動的狙いを見破って断乎たたかおう。そんな大上段のぎょうぎょうしい言葉でなく、私たちの身近な言葉で、今すぐに出来そうなことが呼びかけられている。これが本当に大切だと思った。

 そして、日本国憲法の、市民を守るためにつくられたという意義がストレートに参加者に伝えられる。条文そのままではなく、分かりやすく市民に伝わる。権力をしばるのが憲法の役割だということが良く分かった。この学習会には五八人の参加者があり、一六人のアンケート回答があったが、いずれも大変わかりやすいと好評だった。「普通の言葉でわかりやすく話をされ、よかった」という答えが印象的だ。

 若い弁護士から日本国憲法の大切さを語られると、年配の人は感激する。よし、さらに憲法を守るために何とかしよう・・・、と。でも、今の情勢はそれだけでは足らない。若者をどうするか、だ。若者に、その感覚にあったアプローチをしていく必要がある。溝口団員の話を聞いて、その親の年代にあたる私は大いに反省させられた。

二六年目の連続講座

 私が学生時代のセツルメント活動の延長線上で居ついた川崎から郷里の大牟田にUターンして、やがて三〇年になる。帰って四年目、堀良一団員(環境問題で大活躍中で、今や自由法曹団福岡支部長)を迎えた年から市民向けの連続講座を始めた。

 当初は二週間おきに五回の講座を開いていたが、途中から憲・民・刑の三回とした。私が福岡県弁護士会の会長になった年も、日弁連の副会長になった年も、パートナーの中野和信団員には大変な迷惑をかけたが、この連続講座は休まなかった。

 消費者センターや公民館のような与えられたテーマではなく、自分たちがそのときどきの政治情勢にみあったテーマを選択して訴える連続講座だ。毎回五〇人から一〇〇人の参加者がある。終わったあとは、所員が関係者をまじえて反省会を兼ねて懇親する。

 毎回、アンケートのハガキを出すので、講師は話し方の反省にもなる。

 この連続講座を二六年間欠かさず続けてきて、どれだけ地域の草の根民主主義に役立ったのか、正直いって自分たちでは分からない。ともかく、なんでも続けていると、そのうちきっといいことがあると思って営々と続けてきた。私の事務所から島根県(浜田)の公設事務所に移った田上尚志弁護士も話しぶりがうまくなった。パワーポイントで裁判所を視覚的にも説得する経験もかさねた。その田上弁護士は、今はマックのキーノートをつかうべきだと強力にすすめている。なるほどなるほど、裁判官の心にひびくわかりやすい訴えをさらに工夫したい。

分割・再編のすすめの反応

 私は少し前の団通信で大量の新人弁護士を迎えよう、そのためには団事務所の分割・再編も積極的に考えようと提案した。その反響はいくつかあった。いま団通信に「二〇〇七年問題をどう迎えるか」の連載がなされているが、レジュメであって今ひとつ具体性に乏しい。

 私は団事務所の適正規模は六人ではないかと考えている。もちろん、それより大きい事務所の存在を否定するつもりではない。むしろ、一人か二人の事務所に対して、現状に安住せず、若手をどんどん迎えいれて、五人、六人の団事務所をめざそうということだ。

 一〇人、二〇人の弁護士を現にかかえている事務所は、その一部が独立して、新人弁護士を迎える受け皿となって、六人規模の団事務所をいくつもつくっていく。その気概が求められているのではないだろうか。

 田舎には呼んでも来てもらえないという嘆きを聞くことが多い。そこでは発想の転換が必要だと思う。一年(スタッフ弁護士の養成)でも二年ないし三年(公設事務所への派遣)でも、来てくれるだけでもいいと考えるべきだ。

 そして、実は、もっと深刻なのは、地方でも実は団事務所以外のフツーの若手弁護士の方が迎えるのに意欲的で、団事務所の方がかえって敬遠気味のところが多いという実情をよく聞く。もう勘弁してくれ、長年、地域に貢献してきたんだから、あとはゆっくりのんびりやらせてくれ、今さら若手弁護士の養成なんてやってられないよ、という気分があふれている。これを克服しないと団の将来はないと私は思う。一緒に事件をやりながら、事件を通して社会を見る目を共有していく。そんな積極的な取りくみが先輩弁護士に求められていると思う。

 団員は司法修習生の指導担当を引き受けているだろうか。滋賀支部の玉木昌美団員が大阪支部について、「たったの数名の団員しか修習生の個別指導担当していないと聞いた」と書いていたが、本当だろうか。もし本当だとしたら、団の将来はまっ暗ではないか。なぜ、そんなことになるのか。いま全国どこでも指導担当弁護士の確保に弁護士会執行部は四苦八苦しているはず。団事務所は常時、複数の司法修習生をかかえているという状況にすべきだと私は思う。

 団員は法科大学院生のエクスターンシップを受け入れているだろうか。私の事務所は、この夏一週間、久留米大学の法科大学院生二人を迎えることになっている。自由法曹団久留米支部の弁護士たちと久留米大学の法科大学院生有志(アドボカシーに参加している院生を中心とする)の懇親会も既に二回もち、お互いに有益な機会をもてたと喜んでいる。

 団報一七七号に支部代表者会議の討議が紹介されているが、各地のロースクール生に団支部として関わっているのは、福岡・愛知のほかは北海道と北陸くらいではないのか。東京や大阪だと、双方とも人数が多すぎてどうにもならないのかもしれない。それにしても大阪も東京も、なんとかならないものだろうか。

 キャパシティの問題で、東京の団員も大阪の団員も同じようなことを言っている。

 スペースが満杯。相談数が減っている。厳しい財政問題に直面している・・・。

 本当だろうか。もちろん、本当なんだろう。でも、それって現状にあまりに安住しすぎた議論ではないだろうか。事務所スペースがないなら、広いところに移るなり、分割すればいい。今のところが気楽だからいいんだ。ほっといてよ。そんな発想ではないのか。

 相談数が減っているのなら、増やす努力をすればいい。いま専門士業は、どこでも生き残りのために必死になっている。わが弁護士業界のみ危機感があまりに欠けているとはよく言われることだ。事件を開拓するための広報・宣伝をどれくらい真剣に考え、取り組んでいるのだろうか。田舎のうちの事務所だって、インターネットで知ったといって相談に来る人がいる。ホームページやブログなど、活用しているのだろうか。うちだって事務所ニュースは、連続講座のときに一万枚ほどつくって新聞折りこみなどして、広報・宣伝につとめている。

 私は、前にも書いたが、日弁連レベルでは残念なことに東京・大阪の団員と団事務所の顔が見えなくなって久しいと考えている。これは、ひとえに新人弁護士を迎え入れるのが少なくなっているからだと思う。新人弁護士が大量にうまれているのに、これまでとまったく同じパターンで、何年かに一人ずつ増やせばいい。今いる事務所員の団結維持が優先だ。そんな考えではないか。日常活動でがんばっているんだから、これ以上は手がまわらないと言いたいのだろう。でも、それでは、毎年二〇〇〇人をこえる真面目な弁護士たちのなかに団の影響力を広げていくことができない。

 坂本団長は五月集会の挨拶で「五〇人の新入団員を迎え、今や一七〇〇人という史上最強の勢力に到達しました」と言われた。たしかにそのとおりだ。でも、この五〇人というのは、私たちのときの五〇〇人の一割の五〇人ではない。母数が4倍になった二〇〇〇人の五〇人でしかない。私たちはその母数全体をどう迎え入れるのか、発想を根本的に変えるときなのだ。

 七月一一日の団通信で平井哲史次長が書いている。事務所を分割する。人を出して新しく事務所を建設する。個人事務所を共同事務所化する。ここで提起された三つの方法は、どれもやれるところから、すぐに実行すべきことだと思う。