<<目次へ 団通信1212号(9月11日)
中村 欧介 | 「被告人は無罪」 〜葛飾マンションビラ配布事件判決速報〜 |
原田 直子 | 三井松島じん肺訴訟勝利解決の報告 |
村田 浩治 | 個人請負契約業者の団体交渉権認める ―イナックスメンテナンス大阪府労働委員会 〇六年七月二四日命令― |
玉木 昌美 | 新幹線栗東新駅の中止・凍結問題で意見書を知事に提出 |
鶴見 祐策 | 映画「蟻の兵隊」を観て |
増本 敏子 | 「蟻の兵隊」を見て下さるみなさまへ 〇六・七・二二 父(宮崎舜市)と山西残留兵士との関わりについて |
井上 正信 | 山本真一さんの「北朝鮮問題をどう考えるか」を読んで |
松村 文夫 | 田中県政と団支部 |
松井 繁明 | 〈書評〉杉井静子『あなたと考える憲法・国民投票法―見つめよう子どもの未来』 |
山口 真美 | 国民投票法案の成立を阻止に向けてたたかいを強めよう! |
東京支部 中 村 欧 介
記念すべき一日
〇六年八月二八日は、言論の自由にとっての記念碑ともなる一日となった。立川自衛隊官舎(控訴審)・公選法大石・板橋高校・国公法堀越と相次いだ、言論の自由に対する弾圧と不当判決による追認という悪しき流れを押しとどめる転換点となる一日であった。正に司法が完全に死んだわけではないということが示されたといえる。
東京東部法律事務所の所員弁護士全一七名(起訴当時)が弁護人となるとともに、団員を中心とした一一名の実働メンバーを加え、とりわけ五六期と五七期の若手全員が尋問を担当しつつ経験豊かな弁護士が的確なフォローを図るという連携の取れた弁護団にとって、弁護士冥利につきる一日であった。
判決内容
午前一〇時開廷から閉廷までは約三五分。その間、A4用紙八枚の判決要旨が読上げられた。結論としては、弁護側の求めた「公訴棄却」と「無罪」の主張のうち、前者は棄却され、後者が採用された。
まず、「公訴棄却」の主張は、適法な逮捕手続の不存在などの違法捜査に基づく起訴を根拠とするものであったが、この点に関する弁護側主張の事実はいずれも認定されず、主張は排斥された。
他方、「無罪」の中身は、住居侵入罪の成立自体を否定したものであり、同罪の構成要件該当性を肯定した上で、刑事罰を科すほどの違法性がないとして無罪とした立川事件一審判決よりも一歩前進した、無罪判決の「かたち」として申し分ないものであったといえる。具体的には、刑法一三〇条前段の「正当な理由がないのに」の要件解釈について、立入りの目的・態様に照らし、その時の社会通念を基準として、法秩序全体の見地からみて社会通念上容認されざる行為といえるか否かによって判断するとの規範を定立した上で、本件立入りについてはその要件が欠けるとしたものである。
判決要旨の分析
以下、現時点で明らかとなった八頁足らずの判決要旨を前提とした判決分析を行いたい。なお、この判決要旨は、荒川庸生氏を支援する「ビラ配布の自由を守る会」のホームページにもアップされている(http://homepage2.nifty.com/katusika-bira/)。
判決要旨が無罪を導いた論理過程は、おおよそ次のようなものである。
すなわち、まず一般論として、集合ポストへのビラ投函は管理権者の推定的包括的承諾ある行為として当然に許容される。他方、ドアポストへの投函でも同じく容認されると断じるには躊躇が残るが、集合郵便受け以上に立ち入れば刑事罰の対象になるとの社会通念が確立しているとはいえない。故に、被告人の立入りについては、社会通念から見て正当な理由がないとはいえない。
もっとも、如何なる者の出入りを許すかは、各専有部分の使用を害さない限り各マンションが自由に決せられる事項であり、本件では管理組合理事会が決することができ、その決定が対外的に明示されていれば、その明示の警告に従わずに立ち入れば住居侵入罪が成立する。
ただし、本件では内部的な立入禁止の意思決定はなされているが、それが明示されていないので、そのような状況のもとになされた被告人の行為は、一般論において指摘したとおり正当な理由がないとはいえない。
判決要旨に対する評価
一 事実認定面
まず、事実認定面では、手放しで喜べる内容の判決ではない。判決要旨では、まず本件マンションでは政治ビラを含むあらゆるビラ配布目的での立入禁止の内部的意思形成がされていたと認定している。これは、弁論で指摘した、厳格な部外者立入り規制措置など講じられていなかったという主張と本件立入りを含むあらゆるビラ配布に対する立入り拒絶意思が形成されてはいないという主張を排斥するものであった。
立入禁止意思が対外的に明示されていないという事実からは、その前提となる意思決定自体存在しないと端的に推認すべきではなかったか。
二 刑法理論面
他方、無罪判決の「勝ち方」としては構成要件該当性を否定し、「住居侵入罪の不成立」を宣言させた点は評価できるのではないかと考える。弁護団としては、無罪判決を獲得できた場合でも、立川事件第一審判決同様に違法性阻却での勝利を予測していた。それというのも、構成要件は形式的・定型的判断をなし、実質的・個別的判断は違法性レベルで判断するという「ドグマ」に裁判所はとらわれているとの認識があったからである。
住居侵入罪の構成要件は、(1)他人の住居に(2)正当な理由なく(3)侵入するという三要素から成り立つ。弁論では、Iマンション共用部分の(1)「住居性」をまず問題にした上で(これを完全に否定することは困難と考えられたため)、専有部分とは異なる特性を強調して(3)「侵入」要件の解釈を厳格になすべきことを主張するとともに、II政治的言論の自由と住民の知る権利にも奉仕するという人権行使に関わる立入り目的を加味した「侵入」の厳格解釈を要求した。主戦場を(3)「侵入」解釈と位置づけたわけである。
しかし、判決要旨を読む限り、(3)「侵入」解釈には直接言及がない。むしろ、「侵入」に該当することを前提として(2)「正当な理由」がないとはいえないとして無罪としたと読むのが自然な内容である。この(2)「正当な理由」をめぐる解釈は、位置付けこそ構成要件要素であるが、その具体的内容は実質的違法性判断に通じるものがある。判決が掲げる「社会通念上容認されるか否か」という基準が、実質的違法性判断の際に用いられる「社会的相当性」に通じるものと見ることができよう。
ただ、私は、弁護団が構成要件レベルでの無罪獲得を目指して実質的構成要件解釈を要求し続けたことが、実を結んだものと考えている。
三 憲法論
しかし、この判決は憲法論を軽視したものであった。
憲法二一条のみを根拠として被告人の行為を正当化することは出来ないという判示はともかく、弁論での主張U(一種の合憲限定解釈の主張)を、住民は政治的意見表明を受忍すべき義務はない以上、他の目的による立入りの場合と異なる考慮は不要であるとして排斥した点は、問題ではある。
ただ、政治的言論の優越性に依拠した違法性阻却による無罪判決が、高裁であっけなくひっくり返された立川事件の経過に照らすと、裁判所なりに「破られにくい判決」を書いたと評することも可能かも知れない。
闘いは第二ラウンドへ
九月一日、検察官は控訴し、舞台は東京高裁へと移った。
逆転有罪となった立川事件を教訓に、再度の無罪判決を得るべく弁護団一同さらなる奮闘努力に邁進する所存である。
じん肺は、難溶性の粉塵を吸入して肺の組織が破壊され、呼吸困難に陥って死に至る進行性・不可逆性の疾患で、鉱山、トンネル、窯業、造船などで働く労働者の職業病として、現在でも毎年千人前後の要療養患者が発生しています。
炭鉱労働者の最初の集団訴訟である長崎北松じん肺訴訟以来、常磐、筑豊、伊王島、北海道、秩父、三池と日本の主要な旧産炭地の元炭鉱夫達が立ち上がり、加害企業のみならず、じん肺患者の多発に対して何ら規制権限を行使しなかった国の責任をも明白にする闘いを繰り広げてきました。また、進行するじん肺被害の特徴から、時効・除斥の起算点論についても大きな成果を上げてきました。
日本の炭鉱は、二〇〇一年一一月二九日池島炭鉱(長崎県)が、二〇〇二年一月三〇日には太平洋炭鉱(釧路)が閉山しその灯をすべて消してしまいましたが、三井松島じん肺訴訟は、この最後まで残った池島炭鉱で働いていた長崎建交労に結集する労働者達が、じん肺被害の回復とあらゆる粉塵職場でのじん肺根絶を求めて集団提訴したものです。原告達は、閉山まで働いていた人も多く、現役の時には健康診断で異常なしといわれていたにも関わらず、閉山直後に検診を受けてじん肺の陰影を指摘され、間もなく合併症を発症して要療養となった人達も沢山いました。最初の提訴は、閉山直後の二〇〇二年三月四日、以後第三陣まで合計一九六名(患者数)が、福岡と長崎の裁判所に分かれて提訴しました。
炭鉱における企業の安全配慮義務違反はこれまでの全ての訴訟で認められており、本訴訟は早期和解により被災者への謝罪と救済を実現すること及び閉山後も別会社を作って海外研修生を受け入れ採炭技術の研修を行っている被告会社に、じん肺発生の防止を約束させることを目標としました。
そのために、これまでのじん肺訴訟の教訓・成果を最大限に活用しました。具体的には、原告のいる長崎と被告の所在地である福岡の二地裁に全く同一の訴訟を提訴し(提出主張・基本訴訟は全て同じ)、弁護団は長崎と福岡の弁護士を中心に一つの弁護団とし訴訟をすすめました。また、現場の実態を把握するため合宿で原告らから聞き取りを行い、初期の段階で陳述書を完成させ、これまでのじん肺訴訟の到達点をまとめて加害企業の責任を明らかにする書面を早期に提出しました。、訴訟進行過程では、その要所要所で、じん肺弁連の幹事長や他の訴訟団のアドバイス、応援弁論などを得て全国水準を堅持して闘いました。加えて、強力な組合の支援を受け、全ての法廷を原告・支援者らで埋め尽くし、更に、早期和解一二万九千筆、公正判決七万二千筆の署名を集め、本社前四五回、その他東京・福岡での要請行動三〇回を数える原告らのがんばりがありました。
提訴後三年目の二〇〇四年一二月には長崎地裁で、翌一月には福岡地裁で、それぞれ原告らが納得できる和解案の提示がありましたが、被告がこれを拒否、二〇〇五年一二月一三日に長崎地裁で、原告完全勝訴の判決を得ることができました。この時期は、強い寒波が日本列島を被った時期でしたが、肺を患う患者達が寒風吹きすさぶ本社前で命を張って控訴断念闘争を行った結果、三井松島産業は控訴はしたものの和解のテーブルに付くこととなり、本年三月二〇日、原告・弁護団と三井松島産業は、「三井松島じん肺問題共同終結宣言」に調印し裁判上も和解しました。
この共同宣言のなかで、被告企業は、「少なからぬじん肺患者が発生した事実」「判決において安全配慮義務が認定された事実」を「重く受け止め」るとともに、「遺族の方々に深く弔意を表明し」「患者の方々に対して心からお見舞い申し上げ」、「裁判の過程において・・・ご負担をおかけいたしましたことに遺憾の意を表」し、「一層のじん肺罹患防止に努めることを誓約」しました。また、和解による賠償も、関係原告全員(後に提訴した西日本石炭じん肺訴訟原告一三患者を含む)に対して、総額三〇億円にのぼり、これまでのじん肺訴訟の判決例、和解例の到達点を十二分に踏まえたものとなっています。
じん肺訴訟は、未だ救済されていない元炭鉱労働者に対し、国、企業による賠償を実現するため、西日本石炭じん肺訴訟(福岡・熊本地裁)、新北海道石炭じん肺訴訟(札幌地裁)、東日本石炭じん肺訴訟(水戸地裁)が取り組まれています。しかし、じん肺根絶のためには、企業に充分な防塵対策をとらせるための国の規制を強化させることが必要で、そのために国の責任を明らかにさせること及び訴訟によらず迅速な賠償を実現するためのADRの設置を求め、じん肺根絶トンネル訴訟が全国各地で取り組まれ、東京、熊本二地裁では、国の責任を認める判決を勝ち取っています。さらに、大阪ではアスベスト被害について国の責任を問う訴訟が提起されており、「謝れ・償え・なくせじん肺」の闘いは今も全国で続いています。
大阪支部 村 田 浩 治
一 事案の概要
本件は、イナックスメンテナンス株式会社(以下「IMT」と表記)と「業務委託契約」を結んで働くCE(カスタマーエンジニア)と呼ばれている労働者が、二〇〇四年九月建交労INAXメンテナンス近畿分会を結成・公然化し団体交渉を申し入れると、IMTはCEとの「業務委託契約」を口実に「CEは『個人事業主』であり労働組合法上の労働者でない」として団体交渉を拒否したため、団体交渉拒否は不当労働行為であるとして二〇〇五年一月二七日に大阪府労働委員会へ不当労働行為救済申し立てを行なったものである。
IMTは、大手住宅設備メーカー鰍hNAXの一〇〇%小会社で従業員は正規社員が約二〇〇人、CE約五五〇人、資本金は二〇〇〇万円の株式会社である。業務は主にINAX製造のバス・トイレ・台所等給排水設備の修理・維持管理等で、現場でこれらの業務に携わっているのはCEであり、IMTはCEを会社組織にまるごと組み込んで成り立っている。
IMTは、「CEは労働者でない」との口実を労働組合否認・団体交渉拒否の唯一の理由としていたが、今回、それが明確に否定され、CEの労働者性が認められたものである。
CEの労働条件は「委託契約書」、「CEハンドブック」、「CEライセンス制度」等によって全国一律に決められており、一方的に改悪されることはあっても一人ひとりが会社と交渉して改善された例はない。CEとしても、、対等・平等な団体交渉の開催がなければ安心して働き生活をすることが出来ないという切実な要求がかねてから存在していた。
二 命令の意義
命令が示した基準は、「労働組合法上の労働者とは、使用者との契約の形態やその名称の如何を問わず、雇用契約下にある者と同程度の使用従属関係にある者、又は労働組合法上の保護の必要性がある者と同程度の使用従属関係にある者」というものであり、従前の基準を踏襲したものであるが、本件では、CEが指揮命令下にあって使用従属関係があることや報酬は対価に相当することまで認定しており、今後労働契約上の保護を求める論拠にもなりうる認定である。形式にとらわれず実態を捉えたこと、出社退社をしないで個人宅から現場に出向く形態でもPDAなどの機器を使っていることなど指揮命令が及んでいる根拠としている。
三 会社の対応
会社側は、団体交渉申し入れに対し慎重に対応していきたいとの回答を寄せてきたが、結局、組合に回答するまえに中央労働委員会に不服申立をするという対応を行った。そのうえで特約店あてに、今後会社として争うが迷惑はかけないというようなまるで労働組合ができたことでストライキでもされるような印象を与える連絡を行っている。
会社が労働組合を敵視する理由は昔も今も変わらない上、その手法もあまり差がないということだろう。また、闘いを制するのが組合員の団結力であるという点もおそらく変わらない。本件が勝利できた背景は近畿営業所のほとんどのCEが自らのおかれた立場の不安定性や権利保障のなさを自覚し、それを補うための労働組合の役割を学んで組合に加入したことにあると考える。この闘いを推し進めていくことが完全勝利のために不可欠だろう。
滋賀支部 玉 木 昌 美
自由法曹団滋賀支部では、この八月一二日、「新幹線栗東新駅建設の中止・凍結をめぐる法律問題についての意見書」を嘉田知事に面談して提出した。
ご承知のように、先に行われた滋賀県知事選挙において、「もったいない」のフレーズで新幹線新駅の建設凍結やダム見直しを主張した嘉田由紀子知事が誕生し、「滋賀ショック」といわれた。新幹線新駅の建設の是非を問う事実上の「住民投票」となった知事選挙で新幹線新駅NOの県民の審判が下された。深刻な財政危機の中、税金の無駄遣いにストップをかけることになったわけである。七月二〇日に初登庁した嘉田知事は、さっそく「協定の白紙化」へ向けてJR東海と話し合うと表明し、七月二六日の県議会での所信表明演説の中でも、「中止に限りなく近い凍結」との所信を明らかにした。
ところが、嘉田知事は議会では新駅は必要とする圧倒的多数の議会勢力からの攻撃にさらされてきた。栗東市がすでに周辺用地の買収をしている問題もある。
そうした中、県議会における知事の答弁は工事協定の拘束力や判例の理解等土木交通部の意見を鵜呑みにした内容がみられた。団滋賀支部では、法律問題について意見書を提出し、知事が県民の審判に従って建設を凍結・中止することは当然であることを明らかにすることにした。意見書は、JR東海が自分が必要な駅であるのに「請願駅」として自治体に全額負担させて建設しようとするものであり、無駄な公共事業等に対する公金支出は違法であること、県は、工事協定に拘束されず、施策が住民の意思によって変更されることは判例・学説上も当然であること、県が建設政策を撤回した場合、JR東海は県に損害賠償することはできないこと、昭和五六年一月二七日付最高裁判決の例外的に賠償義務を負う場合にはまったく該当しないこと、JR東海は損害が生じたというほどの工事着手の段階にいたっていないことを明らかにした。
八月一二日、私と吉原団員は直接嘉田知事に会って、意見書を渡し、説明してきた。嘉田知事が議会の対応で苦慮しながらも真摯にこの建設の凍結・中止に向けて努力されていることが感じられ、引き続き公約実現に向けて奮闘してほしいところである。八月一八日の知事の定例記者会見では、「玉木弁護士さんが意見書を出して下さいました。こういう意見書は大変ありがたい。」と述べ、意見書が指摘している「JRに対する損害賠償までは必要ない」とする点を詰めていくとしている。団の意見書は嘉田知事を大いに勇気づけることになったものといえる。
尚、滋賀支部では、意見書作成をめぐり、つかみかからんばかりの激論を繰り返した。それは、もっと十分に検討した緻密な内容で出すべきか、やや不十分でも住民の意思の尊重を打ち出し、早期に出していくことに意義があるとするか等をめぐる対立であった。吉原団員の案に対し、多くの団員が意見を述べ、吉原団員に根負けする形?で何とか決裂することなく作成・提出にこぎつけた。
嘉田知事は、工事協定の合意解除をめざしているが、栗東市が財政負担等の理由からあくまで凍結・中止に応じず、協定の合意解除ができない場合には決断を迫られることになろう。もっとも、栗東市の起債の違法性や大津市が三億円を観光開発名目で新駅に出そうとしている問題について九月二五日には判決がなされる予定である(吉原団員担当事件)。そこで、その違法性が確定すれば、推進勢力は、財政的な破綻をし、ストップせざるをえないであろう。
団滋賀支部は、今後とも新駅中止にむけて奮闘していく決意である。
東京支部 鶴 見 祐 策
今年の春、同期の有志の旅行会で横浜の増本敏子さんから、この映画のことをきいた。増本さん自身も出演しているという話だった。たまたま八月に上映を知って観にいった。すでに好評らしく満席だった。
中国戦線に取り残された日本兵の話である。四五年八月、山西省に派遣の日本軍は、全員が国民党軍に降伏して武装解除され帰国のはずだった。ところが、約二六〇〇名が武装のまま国民党軍の閻錫山将軍の配下に編入されてしまった。戦犯を問われかねない当時の軍司令官が、自らの保身のために軍閥と取引したからだ。国民党は共産党との戦いに兵力が必要だった。司令官は「日本軍を再興する。必ず援軍をつれて戻ってくる。それまで頑張れ」と部下に言い残したという。蒋介石の口利きも用意して帰国して戦犯も免れた。共産軍と死闘を重ねた残兵の多くが犠牲となった。最後に敗北した生き残り七〇〇名余が捕虜となった。
映画の主人公の奥村和一氏の帰国は五四年九月であった。帰国すると「現地除隊」扱いとされていた。軍人恩給もない。奥村氏ら生き残りは、軍の命令であり、自分の意思でないことを訴えて厚生省とかけあったものの埒が明かない。国会にも喚問された元司令官らは、国民党との取引を徹底的に否認した。旧軍関係者も口裏を合わせた。真相を証言して味方になったのは宮崎舜市氏ひとりであった。当時元作戦参謀の宮崎中佐は、山西省の不穏な動きを知って駆けつけ一旦は中止させたが、当の司令官は、隠密裏にことを進め兵員の数を減らして山間に部隊を隠したのである。
奥村氏は、中国公文書館から裏取引の証拠を入手して国を相手に訴訟を起こしたが、最高裁では敗訴が確定する。その後、主人公が長年寝たきりの宮崎氏の病床を訪ねて謝辞を述べるが、そこに付き添っているのが増本さんである。娘の増本さんによると、このとき奥村氏の言葉に初めて宮崎氏が反応したという。その場面がある。
敗戦の責任ある者が自らの保身のため卑怯に振る舞った事例は枚挙に暇がないほどだ。占領軍に媚びて権勢を取り戻した輩も少なくない。その血脈が政財界の今に続いている。「蟻の兵隊」は、その被害者である。
この映画には別の場面がある。奥村氏自身の加害者としての中国遍歴である。初年兵の訓練として中国人を刺殺した跡地を訪ねて焼香したり、共産党軍の元兵士と親しく懇談したり、女性被害者から逆に優しい言葉をかけられたり、贖罪の旅の相次ぐ場面に胸を突かれる。
最後に靖国に集う右翼集団や若者のなかに佇む奥村氏の姿が映る。ルパング島の小野田氏もいる。群衆に囲まれた彼は「靖国に祭られそこなった」と上機嫌だ。私は、彼が最初に現れたときの軍装を想起する。戦後の長い歳月を敗戦に気づかず過ごしたとは思えない。おそらく彼は、闇に隠れて村人の物を盗み、傷つけ、食らい、それで生命を繋いできたに違いない。彼のテレビの前での敬礼は、それを隠すべく精一杯の演技だったのではないか。その彼に奥村氏が声をかける。「あの戦いは正しかったか」と。小野田氏は強面で「詔勅を読め」と意味不明の言葉を残して人混みに姿を消す。
靖国が改めて問題となっているこの時期に一見に値する映画として勧めたい。
上映予定
東京・渋谷イメージフォーラムで九月二週目ぐらいまで。
大阪・第七劇場で九月二九日まで。
京都・京都シネマで九月二日から二週間。
沖縄・桜坂劇場で一一月。
札幌・シヤターキノで一〇月。
東北各地・一〇月後半から。
(監督池谷薫・製作配給蓮ユニバース
HP http://www.arinoheitai.com/)
なおこの文章を書くにあたり増本さんに問い合わせたところ、次の文章が寄せられたので。史実の正確性を補うため紹介しておきたい。
神奈川支部 増 本 敏 子
この映画の中で、病院のベッドに寝た切りの父のところへ、主演の奥村さんが挨拶に来られる場面があります。初対面の奥村さんに「宮崎参謀> 初年兵の奥村でございます」と語りかけられ、ほとんど植物状態の父が涙を流し大声で泣いたのです。
映画では説明が省略されていますので、何故なのかわかりにくく試写を見た人たちから質問を受けました。
そこで娘の私から一言説明を加えさせて頂きます。(一言ではすまぬ長い話なのですか・・・)
父は昭和二〇年八月一五日、三七歳のとき支那派遣軍作戦主任参謀として南京で敗戦を迎えました。そしてひきつづき二年余り現地で敗戦処理の仕事に携わったのです。中国に残っている兵士や民間人を一刻も早く安全に帰国させることが主な任務でした。
比較的順調に仕事が進む中で(中国人は寛容であったようです)、山西省だけ帰国がすすまず、旧軍兵士や民間人が閻錫山の軍隊にとりこまれていることが判明し、父はプロペラ機の機長と二人で山西省に乗りこんだのでした。閻錫山(えんしゃくざん)という人はその地方の王様のような存在で、蒋介石、毛沢東と並ぶ力を持っており、八路軍が力を伸ばす中で日本旧軍を配下にして中国内戦を有利に運ぼうとしていました。「協力するか、死刑か」と迫られて旧軍の幹部の人達は、すっかり閻錫山の配下になってしまい、兵士たちに残留命令を出していたのです。
こういう中で父は命がけで閻錫山に面会し、戦勝国アメリカや国民党蒋介石の力を背にして交渉し、日本人を解放して帰国させる約束をとりつけたのでした。事実、この後数萬人の兵士と民間人が無事帰国できたのです。父は全員帰国できたものと思い込み、悲惨な戦争の中で唯一自慢にできる快挙を成し遂げたと満足していたのです。ところが事実は違っていました。五%ほどの精鋭部隊が山奥にかくされ、閻錫山の軍隊に組み込まれ、四年間も戦わされたのでした。戦死した人、今も行方不明の人、昭和二四年毛沢東の勝利により捕虜となって何年間も刑に服した人、この映画の「蟻の兵隊」が存在したのです。
敗戦を予見した閻錫山は台湾に逃げ、協力者だった日本旧軍の幹部を早々と帰国させました。そして、この人たちが帰国後参議院の聴聞会で「日本旧軍は、兵士たちに帰国せよとの命令を出している。一部の将校と兵士が自分たちの意思で残留し、中国内戦に身を投じたのだ。彼等は逃亡兵である」と証言したのです。そして日本政府は山西省残留兵士を逃亡兵と決めつけ、一切の援助(恩給支給など)をしないことを決めたのです。現在も政府はこの姿勢を変えていません。
福島県の部隊の生き残りの相楽圭二さんは、山西残留兵士の会を作り、政府に陳情を重ねました。その後を当時福島中央テレビが追っていました。相楽さんは、旧軍の復員局の資料の中から、父の生々しい証言を見つけ、父をたずねて来られました。敗戦から三〇年もたって、ようやく父はうかつにも自分が事実を知らなかったことを知ったのです。「全員を帰国させたつもりがそうではなかった」父は自分の努力が中途半端だったことを恥じ、まんまとだまされたことに立腹し、全員を帰国させるために自分が作成した「残留解除・帰国命令」が逆に「帰国できたのに、しなかった者が悪いのだ」という形で利用されていることを知り、怒りにふるえていました。現地の兵士達に選択の自由などないことは、軍に身を置いた父には明らかなのでした。こうして父は残留兵士の方々に協力し、厚生省にもかけ合ったりしていましたが、全国各地の残留兵士の声を一つに集めるだけでも時間がかかり、ようやくまとまるのは平成に入ってからで、すでに敗戦後四〇年以上が過ぎていました。福島中央テレビが父のところこ取材に来られたのは平成三年頃です。
その後相楽さんが亡くなられ、父も平成八年に脳梗塞で倒れ、残留兵の方々との交流もとだえておりました。今回、わずかの生存者の方々が提起された「恩給不支給処分取消」を求める訴訟も敗訴し、話を聞きつけた池谷監督が奥村さんを主人公に残留兵士の無念を映画に残そうとがんばって下さいました。奥村さんが父に会いたいと言われているので、映画の一シーンにさせてほしい旨申し出がありましたとき、私は「父の今の姿は誰にも見せたくないので、御見舞いも親族以外お断りしています」と答えました。でも「何故父はこんな姿で死にきれずベッドに身を横たえているのだろう」と苦しい思いでいた私は、「もしかしたら、山西残留兵士のことが心残りで、何らかのお役こ立つために命をながらえているのかもしれない」と考え、協力させて頂くことに決めたのです。父が本当に奥村さんを理解できて泣いたとは思いませんが、何か叫んでいることは事実でしょう。父の病院の院長先生は、「まだ科学では解明できないこともたくさんありますから、もしかすると理解できたのかもしれませんね」と言って下さいました。
広島支部 井 上 正 信
山本真一さんが団通信一二一〇号へ「北朝鮮問題をどう考えるか」という論考を投稿している。国際問題、安全保障問題についての山本真一さんの論考は、いつも私にとって貴重な意見であり、知的刺激を与えてくれる。今回の論考で山本真一さんの意見に特に異を唱えるのではないが、北朝鮮の行動を「理解不能」と切っている点は少し残念な気がしたので、よけいなことと思いながらこれを書いている。山本真一さんも十分おわかりのことと思うからである。
むろん私は北朝鮮のミサイル発射を肯定するつもりはなく批判している。問題は、なぜこの時期に弾道ミサイルを発射したのかということをどのように理解するかという点である。発射後の様々の報道をみていると、決して金正日が狂ったのでもなく、軍の暴走を押さえられなかったのでもないことは明らかであろう。
北朝鮮の外交戦略の最大の目標は、国体護持と対米関係の改善である。その他の戦略目標はその手段と考えるとわかりやすい。
二〇〇五年九月二一日第四回六カ国協議の共同声明では、第三項でエネルギー・貿易・投資分野で二国間多国間の経済協力推進を約束し、北朝鮮を除く五カ国(米国も含む)は北朝鮮に対してエネルギー支援の意向を示した。この共同声明の趣旨からは、経済制裁はできないはずである。ところが、共同声明後まもなく米国は、金融制裁を始めた。これに北朝鮮が強く反発した結果、現在まで六カ国協議が開かれないでいる。
日本はというと、相変わらず拉致問題を対北朝鮮外交の中心におき、経済制裁を主張する世論をあおっている。北朝鮮が日本のこの姿勢をピョンヤン宣言違反と考えても不思議ではない。
こう考えると米国や日本が約束違反を犯したから弾道ミサイル発射実験凍結宣言を守らないと言う理屈もまんざら「理解不能」ではない。
なぜこの時期に発射したのか。弾道ミサイルの弾道を地球儀で確認すると、すべてのミサイルは米国を狙っていることがわかる。ロシア領海近くへ着弾するというリスクを犯したのは、米国を狙う弾道をとったからである。北朝鮮は弾道ミサイル発射へ、米朝の直接交渉という狙いを込めたのである。米国内でもブッシュ政権が相変わらず北朝鮮との二国間交渉をしないという方針をとり続けていることを、批判する意見が強くなっている。この方針は外交の放棄であり、結局ブッシュ政権下で北朝鮮の核開発は進展し、北朝鮮の脅威が強まるだけであり、北朝鮮問題は一層解決困難な事態になってきたからである。ブッシュ政権は北朝鮮問題に関しては無能だという批判である。第四回六カ国協議の共同声明の路線を発展させることができるのは、ブッシュ政権が北朝鮮との二国間交渉を進めるしかないのである。弾道ミサイル発射問題はこのことを一層明確にした。
日本は実に危険な役割を果たしつつある。国内では政治指導者が敵地攻撃論をぶち挙げたり、弾道ミサイル発射後日本は国連安保理へ憲章第七章を引用した経済制裁決議案を提案し、国際社会を驚かせた。それも最悪の時期に提案したのである。ちょうど中国が六カ国協議担当外務次官を北朝鮮へ派遣して再発射をしないよう、六カ国協議へ復帰するよう説得に当たっていた時期であり、日本の提案は、中国の外交努力を大きく制約し、北朝鮮を一層強硬姿勢に転じさせる役割を果たした。何とか六カ国協議へ復帰させようとする国際社会の努力を押しつぶすようなものである。
北朝鮮の弾道ミサイル発射は危険な軍事的挑発、瀬戸際外交として強く批判されなければならない。その上でなぜ北朝鮮がここまで危険な瀬戸際外交をとるのかを考えなければならない。それは第一に北朝鮮の国際的孤立である。わけても米朝の敵対関係がもっとも大きな要因である。次に北朝鮮は外交戦略の中心に軍事力をおいていることである。この点は、北朝鮮の建国以来の歴史に対する理解が必要である。日本敗戦後直ちに朝鮮民族の独立国家建設運動が起こり、朝鮮半島統一国家建設を巡る内戦から一九五〇年六月二五日朝鮮戦争が始まり、三年一ヶ月の間に朝鮮半島では二〇〇万人が犠牲になったといわれ、朝鮮半島とりわけ北朝鮮は廃墟になった。その間米軍は原爆攻撃を何回か計画する。停戦後も韓国へは在韓米軍が駐留して、九一年まで戦術核兵器が配備され、北朝鮮はいつ核攻撃を受けるか判らない状況に約四〇年間おかれていた。七〇年代には韓国は独自の核武装計画を進めた。これらの経験から、北朝鮮は特異な独裁国家、軍事国家になったのである。
北朝鮮が危険な軍事的瀬戸際政策を採る理由は、国家存続に対する確固とした安全の保障を米国から得るためである。私たちの発想からはまるで矛盾する戦略と映る。一歩間違えば金正日体制は崩壊するかも知れない。しかし北朝鮮は米国がイラクに足をとられ、イラン核開発問題や、中東問題に関心が集中している間は、米国から軍事攻撃はないと読んでいるのであろう。しかし、米朝双方の読みが外れると、軍事的破局至る危険な賭けでもある。私たちにとっては米朝の危険なゲームに付き合わされてはたまらないのである。
私はこの膠着した局面を打開できるのは日朝の国交回復であろうと考えている。拉致や弾道ミサイルで騒ぐ前に国交正常化交渉を進めてゆけば、米国はいつまでも北朝鮮と交渉しないという頑なな姿勢を維持できなくなるのではないだろうか。第四回六カ国協議の共同声明で、米国は北朝鮮に対し、一九九四年一〇月のジュネーブ合意以上に踏み込んだ体制保障を約束した。さらに、経済支援という見返りを与える約束をした。ブッシュ政権は北朝鮮との交渉では決して見返りを与えないという頑なな政策を採ってきたが、六カ国協議の中でその政策を変更しかけたのである。六カ国協議での孤立を恐れたからであろう。日本が北朝鮮との国交正常化交渉を進めれば、米国も北朝鮮政策を再検討せざるを得ない。その意味で日本は北朝鮮問題での大きな鍵を握っている。
最後に繰り返しになるが、私は山本慎一さんの論考に基本的に賛成である。しかし、北朝鮮を理解不能であるとか、歴史を踏まえた理性的な判断ができないというほどに症状が進行していると評価することは、非合理的な北朝鮮脅威論の感情と基本的に同じ認識になることを懸念する。北朝鮮問題の解決の見通しを世論に語りかけるためには、事態を冷静に分析し、良しに付け悪しきに付け日本が果たすべき役割の重大さを自覚し、何が日本にとって安全なのかを語る必要があると思う。日米同盟を中心にし、集団的自衛権を行使し、憲法を改悪して北朝鮮と一戦を交える覚悟を国民に求め(国民保護法もその一助である)、北朝鮮と軍事的瀬戸際政策を競うのか、それとも憲法前文と九条を実践する外交政策を採るのかが問われている。
長野県支部 松 村 文 夫
一 この八月六日投票の長野県知事選挙において、田中さんは敗れました。
この敗因は、最近とみに強まったマスコミによる田中県政非難キャンペーンのなかで、県政運営においても、またこの選挙運動においても、田中氏単独で進められたことにあると思います。田中氏は、組織的支援を拒絶し、宣伝カーでも演説会でも、アナウンサーや応援弁士を置かず自ら一人でこなしていました。法定ビラも一人で作ってしまいました。勝手連も全県的に統一した動きになりませんでした。このために、田中県政の実績を浸透させられませんでした。
二 団支部は、田中支援のために奮闘しました。
この選挙前において、県議会一〇〇条委員会における田中知事の発言が虚偽陳述として告発されたのに対して、団員三名によって「起訴できるようなものではない」とする意見書を発表しました。
選挙直前に、かつて田中擁立の中心者であった八十二銀行元頭取が、田中知事に対する「レッドカードを出そう」と呼びかける新聞意見広告を出したのに対して、団員三名によって、当選を得しめない目的の事前運動として告発しました。
選挙運動期間中でも、相手陣営の法定ビラについて、団員二名によって虚偽事項公表として県選管に申し入れしました。
三 田中知事誕生(〇〇年一〇月)以来、団支部は、田中支援のために数々の見解・意見書を出して来ました。
例えば、「脱ダム宣言」による工事中止に関し、国から補助金返還、請負ゼネコンからの損害賠償が求められるというのに対して、「この請求には法的根拠がない」旨の「意見書」を発表してはね返しました。
あるいは、県幹部が田中知事の方針に対してマスコミに公然と反対する発言をしたのに対して、「公務員は上司の指示を遵守する義務がある」など、多くの団員からは批判が出るような内容の「見解」を発表したこともありました。
これらの「見解」は、記者会見をして発表することにより、テレビ・新聞の長野県版で結構取り上げられ、世論作りに貢献しました。
「見解」は、団例会などで討論し、異論が出たときは、数名の団員によるものとして発表して来ました。
四 田中知事は、ダム建設を中止した他にも、労連系労働者委員を選任したり、あるいはトンネルじん肺に関して県発注トンネル工事において、弁護団も含めて、粉じん発生状況を測定したり、工事方法を検討したりすることまでして来ました。
これらの多くは、係属していた裁判に田中知事自身が強く関心を持って、トップダウン式に解決を図ってきたものです。
これらが保守系知事再登場によりひっくり返されるのではないかと心配していますが、私たちも運動を構築し直して取り組みたいと考えます。
五 田中さんとは、組織的、系統的に連携をとりあうことができませんでした(田中さんは、このようなことを嫌っていました)が、個々の裁判・運動を通じて、申し入れに行ったり、相談を受けたりして来ました。
田中さんが実行してきたことは大局的には、私たちと一致する部分が多いだけに、落選は残念でなりません。「もっとうまくやれば良かったのに」と思う面もありますが、自分の強固な信念を曲げず貫いたからこそ、着工後のダム工事を中止することもできたと言えると思います。
東京支部 松 井 繁 明
団員のおおくが頭を悩ませている問題がある。憲法改悪と国民投票法(改憲手続法)案について講演などを頼まれたばあい、どうしたらよいか、である。まず、どちらを先に話すのか、また、両者の関係をどのように説明するのか、なかなか悩ましいところがある。模範例などはなく、つまりは本人が決するほかはない。
杉井静子団員がブックレット『あなたと考える憲法・国民投票法―見つめよう子どもの未来』(ケイ・アイ・メディア刊、六〇〇円+税)を出版された。本文五〇ページたらず(これに三〇ページ弱の資料がつく)のコンパクトなものである。これが、さきの悩みにたいするモデル答案などというつもりはない。しかし通読して、知的刺激を受け、また感心したところも多かった。
杉井さんは大胆にも、はじめに国民投票法案を語り、つぎに憲法改悪を述べる、という構成をとっている。「大胆にも」というのは、私自身も、ほかの自由法曹団員の話でも、ふつうは憲法改悪の内容とねらいを先に話し、その目的実現の手段である国民投票法案は許せないことを述べているようだからである。
杉井さんももちろん、両者の関係をまんじゅうにたとえて説明する(「はしがき」)。まんじゅうのあんこが憲法改悪で、皮が国民投票法案だという。読者は、皮を破られれば次にあんこを喰われてしまうという、素朴な実感を抱きながら読みすすむことができる。
自民党と民主党との改憲案の合意にはまだ時間がかかりそうなのに、国民投票法案はすでに国会に係属し、この臨時国会での成立がねらわれているのだから、杉井さんのやり方には十分な理由がある。それにもかかわらず、改憲案のおそろしさが判らないと、国民投票法案の真の危険性も判りにくいというディレンマは残る。その点で本書が成功しているかどうかは、読者の判断にまちたい。ただ私自身は本書を読んで、杉井流で講演してみたい気持になっている。
国民投票法案については、論点がほぼ尽くされ、それぞれがじつに手際よく説明されている。とりわけ「マスメディアを通じての大量宣伝」の項をとりいれた(一六ページ)のは貴重である。四月八日の講演に加筆し、校了が七月と推定されるが、自由法曹団常任幹事会でこの問題が論議されたのは六月中旬のことだから、すばやい対応である。おそらく、公刊されている図書でこのことについて触れている最初のものではないだろうか。
憲法改悪を述べるところでは、九条改悪・徴兵制だけではなく、人権制限、暮らし、靖国崇拝の合憲化、などがバランスよくとりあげられている。
本書を貫くのは杉井さんの情熱である。「この国の政治をよりよく変えるためにみんなで力を合わせて立ち向かう勇気をもつ。それが真にこの日本を愛することなのだと訴えたい」という文末の文章に、それが結実している。
さいごに、表紙のイラストがじつに魅力的なことを、つけくわえたい。
改憲阻止対策本部担当次長 山 口 真 美
一 リーフレット「国民投票法反対読本」のご活用を
この度、国民投票法案に反対するリーフレット「国民投票法反対読本」ができました。国民の六割以上が国民投票そのものすら「知らない」と答えています(NHK世論調査〇六年三月)。法案の成立阻止のためには、法案の危険性を広く国民に知ってもらうことが重要かつ緊急の課題となります。
そこで、(1)国民投票法案のねらいが、アメリカの要求に応えて日本をアメリカと一緒に海外で戦争する国にすることにあること、(2)国民投票運動の規制、(3)改憲派によるマスメディア利用の危険性、(4)少数の賛成で改憲を実現しようとする過半数要件の問題点などを明らかにしたリーフレットを作成しました。
リーフレットは、「国民投票法反対読本」と題したA4版のフルカラー両面刷りです(一枚一五円、送料別、但し増刷の場合は単価が下がる場合があります)。これまでとひと味ちがったデザインで、二つ折りにして文庫本風にして配布できます。
法案の危険性を国民に知らせる宣伝ツールとしてご活用ください。多数のご注文をお待ちしています(ご注文は団本部までお寄せください)。
二 ブックレット「国民投票法=改憲手続法案の『カラクリ』」近日発行
さらに、国民投票法案を題材にしたブックレット「国民投票法=改憲手続法案の『カラクリ』」(学習の友社)を出版します。
内容は、第一部として、坂本修団長の論稿を中心とし、第二部として、「これってどうなの?」と疑問にぶつかりやすい問題点を分かりやすくQ&A方式でまとめます。また、各種資料も盛り込んだ使い勝手の良い・分かりやすいものになる予定です。九月中旬発行予定で、価格は六〇〇円です。
ブックレットも、リーフレットとともに、法案の問題点を国民に明らかにし、廃案に追い込む運動を広げるためにご活用ください。
三 九・二六全国活動者会議へ参加しよう
国民投票法案は今秋の臨時国会での成立が狙われています。国民投票法が成立すれば、いよいよ改憲は秒読みの情勢となります。秋の臨時国会は改憲阻止の闘いにとっても正念場となります。国民投票法の危険性を広く国民に訴え、法案の成立を阻止する運動を大きな波にしていくことが早急に求められています。
改憲阻止対策本部では、秋の臨時国会へ向けて団員の叡智の結集と決起のために、九月二六日午後一時から全国活動者会議を開催します。ぜひ、全国各地から多数ご参加されるよう呼びかけます。
日 時 二〇〇六年九月二六日(火)
午後一時〜午後五時
場 所 自由法曹団本部(予定)