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鷲見 賢一郎 光洋シーリングテクノ請負労働者
偽装請負とたたかい、直接雇用を勝ち取る

渡辺 昭 スズキ小松過労自殺勝利判決について
藤田 温久 横須賀の原子力空母母港化の是非を問う
住民投票条例制定請求署名運動

安部 千春

判 決 の 日
小笠原 彩子 教育基本法改悪阻止のたたかいと
「イエローに託そう」の市民運動

阪田 勝彦 まだまだ諦めるときじゃない
団教育リーフ無料! 残僅少!
参議院議員への働きかけの強化を!

橋本 敦 弔  辞
増田 尚 争点整理手続の運用と刑事弁護
─改正刑訴法一年を迎えて
吉川 哲治 初めて参加した総会は想像以上に刺激的でした
町田 伸一 【新旧役員挨拶その二】
事務局次長就任のご挨拶




光洋シーリングテクノ請負労働者

 偽装請負とたたかい、直接雇用を勝ち取る

東京支部  鷲 見 賢 一 郎

一 偽装請負違法派遣とたたかい、直接雇用を勝ち取る

 全日本金属情報機器労働組合(JMIU)とトヨタ系自動車部品メーカーの光洋シーリングテクノ梶i徳島県板野郡藍住町)は、徳島県の仲介で協議し、二〇〇六年八月、「請負会社の潟}イオール、潟Xタッフクリエイト、潟潤[クスタッフの労働者五九人を『契約社員』として直接雇用する」こと等を合意しました。この労使合意では、「今回採用する『契約社員』は六か月の雇用契約とするが、六か月で打ち切るのではなく、一定期間と基準により正社員への登用を行う。」と合意しています。

 光洋シーリングテクノは、右記労使合意に基づき、一〇月一日、六か月の「契約社員」として、請負会社の労働者五三人を直接雇用しました。五三人の労働者のうち、JMIU組合員は申告者一五人を含む一九人です。なお、五九人中六人の非組合員が直接雇用の募集に応じませんでした。

二 請負労働者による組合結成と正社員採用の申入れ

 光洋シーリングテクノの工場では約五六〇人の労働者が働いていましたが、そのうち正規労働者が約四〇〇人、業務請負労働者(非正規労働者)が約一六〇人です。同じ自動車部品の製造業務に従事しても、正規労働者は年収五〇〇万円台ですが、請負労働者は年収二〇〇万円台です。

 潟Rラボレートは平成九年以前から、潟}イオールは平成一一年から、光洋シーリングテクノに、労働者を業務請負の形(=偽装請負)で違法派遣していました。コラボレートは、国内最大手の人材会社潟Nリスタルグループの中核会社です。

 コラボレートやマイオールの労働者は、〇四年九月、JMIU徳島地方本部徳島地域支部に加入し、光洋シーリングテクノに対して、「『偽装請負』の違法状態を直ちにあらため、一年以上勤務する『請負』・派遣企業の労働者で入社を希望するもの全員を正社員として採用すること」等を申し入れました。しかし、光洋シーリングテクノは、団体交渉を拒否し、話し合いに一切応じませんでした。

三 「『雇入及び雇用契約締結申込』指導、助言及び勧告」申告

 〇三年六月改正、〇四年三月一日施行の労働者派遣法により製造業への労働者派遣が合法化されましたが、当初の三年間は「派遣受入期間一年」の期間制限があります。この期間制限に違反した場合、派遣先には直接雇用義務が生じます。

 コラボレートの労働者二一人、マイオールの労働者九人、合計三人の請負労働者は、〇五年一二月九日、厚生労働大臣と徳島労働局長に対して、労働者派遣法の次の各規定に基づき、「『雇入及び雇用契約締結申込』指導、助言及び勧告」申告をしました。

 派遣法第四八条第一項、第四九条の二第二項に基づく「『雇入』指導、助言及び勧告」申告

 派遣法第四九条の二第二項は、「厚生労働大臣は、派遣先が期間制限に違反して労働者派遣の役務の提供を受けており、派遣労働者が派遣先に雇用されることを希望している場合には、派遣先に対し、第四八条第一項の規定により派遣労働者を雇い入れるように指導又は助言したにもかかわらず、派遣先がこれに従わなかったときは、派遣先に対し、派遣労働者を雇い入れるように勧告することができる。」と定めています。

 前記三〇人の請負労働者は、右記各規定に基づき、厚生労働大臣と徳島労働局長に対して、「光洋シーリングテクノに対して、申告者三〇人を期間の定めなく雇用するよう指導、助言及び勧告をすること」を申告しました。

 派遣法第四八条第一項、第四九条の二第一項に基づく「『雇用契約申込』指導、助言及び勧告」申告

 派遣法第四〇条の四は、「派遣先は、派遣元から派遣期間の通知を受けた場合、制限期間以降派遣労働者を使用しようとするときは、派遣先に雇用されることを希望するものに対し、雇用契約の申込みをしなければならない。」と定めています。この規定を受けて、派遣法第四九条の二第一項は、「厚生労働大臣は、第四〇条の四の規定に違反している者に対し、第四八条第一項の規定による指導又は助言をした場合に、その者がなお第四〇条の四の規定に違反しておるときは、その者に対し、第四〇条の四の規定による雇用契約の申込みをすべきことを勧告することができる。」と定めています。

 前記三〇人の請負労働者は、右記各規定に基づき、厚生労働大臣と徳島労働局長に対して、「光洋シーリングテクノに対して、申告者三〇人に対して派遣法第四〇条の四の規定による雇用契約の申込みをするよう指導、助言及び勧告をすること」を申告しました。

四 コラボレートによる全員解雇を乗り越えて

 コラボレートは、〇五年一二月二八日、申告者二一人を含む光洋シーリングテクノへの違法派遣労働者六八人全員に対して、「コンプライアンス遵守の為、取引先の光洋シーリングテクノ鰍ニの契約について打合せを行った結果、当社と取引先、双方の歩み寄りが出来ず光洋シーリングテクノとの契約の継続は困難となりました。…………つきましては、平成一八年一月三一日付を以って雇用契約が終了する旨、取り急ぎ書面にて、ご通知申し上げます。」と解雇を通知してきました。これに対して、JMIUは、コラボレートに対して、「労働条件の決定、および変更については、会社は労働関係諸法に基づき、必要な場合は組合と協議を行う。」との事前協議約款違反を指摘し、解雇撤回を要求しました。

 組合の闘いが強められる中で、コラボレートは、〇六年一月一三日の団体交渉で解雇を撤回し、そのうえで光洋シーリングテクノの「業務請負」から撤退しました。同日、労働者は、希望者全員がスタッフクリエイトとワークスタッフに移籍しました。

五 徳島労働局─「偽装請負=違法派遣」と「期間制限違反」を認定しながら、「適正な業務請負」に改善するよう指導

 徳島労働局は、〇六年四月二四日、申告者に対して、「平成一八年二月二一日に実施した、光洋シーリングテクノ、マイオール、ワークスタッフ、スタッフクリエイトに対する是正指導の状況」を説明しました。

 しかし、その是正指導の内容は、一方で、光洋シーリングテクノとマイオール、ワークスタッフ、スタッフクリエイト間で「偽装請負=違法派遣」が行われており、しかもその違法派遣は期間制限にも違反しており、これ以上労働者派遣を行うことはできないと認定しながら、他方で、右記四社に対して「適正な業務請負」に改善するよう指導するという、労働者派遣法の前記各規定をまったく無視する違法・不当なものでした。

 労働者派遣法を無視する厚生労働省や徳島労働局の姿勢の背景には、労働者派遣法の規制緩和を求める日本経済団体連合会の提言がありました。日本経団連は、「労働者派遣法についても、派遣期間の延長にともない派遣先に派遣労働者の雇用契約の申し込み義務を課しているが、派遣契約期間や直接雇用への切り替えなどは、本来当事者間の契約自由に委ねるべきで、このような不自然な規制は撤廃すべきである。」(〇五年版「経営労働政策委員会報告」)と、労働者派遣法の存在を無意味にするに等しい提言をしています。このような財界の意向を受けて、小泉内閣は、〇五年三月二五日、「『派遣労働者に対する雇用契約申込み義務の見直し』について『必要な検討を行う。』」と閣議決定しています。

六 世論と運動の高まりの中で直接雇用を勝ち取る

 徳島労働局の違法・不当な是正指導に対して、申告者らは、〇六年六月二三日、厚生労働大臣に意見書を提出し、厚生労働省との交渉を行い、ただちに直接雇用の指導、助言、勧告をするように要求しました。続いて、全労連、徳島労連、JMIUは、七月三〇日、徳島県板野郡板野町で、全国から約三〇〇人が参加して、「光洋シーリングテクノの偽装請負を告発するシンポジウム&集会」を開きました。

 光洋シーリングテクノの請負労働者の偽装請負=違法派遣とのたたかいは、たたかいが進展するなかで、毎日新聞、朝日新聞、NHK(〇六年四月一二日放映)、関西テレビ(〇六年五月三日放映)等で大きく取り上げられるようになりました。

 このようななかで、JMIUと光洋シーリングテクノは、徳島県商工労働部の仲介で話し合いを持ち、八月、「光洋シーリングテクノの請負労働者五九人を直接雇用する」との合意にいたったのです。

七 たたかいは続く

 光洋シーリングテクノの請負労働者のたたかいは、偽装請負=違法派遣を告発し、直接雇用を勝ち取るたたかいに大きな突破口を開きました。光洋シーリングテクノのたたかいをきっかけに、鞄立製作所などの大企業の製造現場における偽装請負が次々と告発され、キャノン梶i数百人)、松下プラズマディスプレイ梶i三六〇人)、日亜化学工業梶i一六〇〇人)などの大企業は右記人数の請負労働者を直接雇用する方針を決めるにいたっています。

 しかし、直接雇用されればそれで問題がすべて解決するわけではありません。光洋シーリングテクノは、直接雇用した労働者五三人の労働条件を請負労働者時代の労働条件と比べて改善しようとしません。直接雇用を勝ち取っても、労働条件が変わらず、年収二〇〇万円台ではワーキング・プア問題は何ら解決しません。引き続き、労働条件を改善させ、さらには正社員化を勝ち取るたたかいが求められています。また、請負労働者全員を直接雇用させるたたかいも重要です。



スズキ小松過労自殺勝利判決について

静岡県支部  渡 辺   昭

一 過労自殺の発生とその原因

 軽自動車のメーカーとしてはわが国屈指のスズキ自動車において課長代理の職にあった小松弘人氏が二〇〇二年四月一五日本社の屋上から飛び降り自殺をした件につき、静岡地方裁判所浜松支部は、本年一〇月三〇日、被告スズキの安全配慮義務違反を認めて総額約六〇〇〇万円の損害賠償を命ずる判決を下した。ほぼ原告全面勝訴の判決であった。

 同氏は二〇〇二年二月、入社以来ずっと携わってきたシート設計業務とは関係のない「四輪車体設計グループ」に移動となっていたが、同職場は長時間労働があたりまえで、亡くなる前三ヶ月間の時間外労働の時間数は、われわれの調査では、一月当たり約一四〇時間にも及ぶ凄まじいものであった。

 そして、それに追い撃ちをかけるように、この時期に海外勤務時代のコストダウンの仕事が逆にコストアップになっていたという事実が判明し、同氏はさらに精神的に大きな衝撃を受けることとなった。こうして,うつ病発症となり、ついには前記のとおり飛び降り自殺するに至ったものである。享年四一歳の若さであった。

 なお、本件については、裁判に先立ち、二〇〇四年五月二七日、浜松労働基準監督署長より業務上認定がなされている。

二 判決の内容について

 今回の判決は、まず、(1)時間外労働が一月平均約一〇五時間に及ぶ長時間労働であったことを認定したうえで、前任部署でのコストダウン活動がコストアップとなっていたことが判明したこと等から、業務に起因してうつ病が発症したことを明確に認めた。

 そして、(2)このような長時間労働をさせ、弘人氏の意味不明発言などの異常行動を承知しながら業務の負担を軽減させるための措置を何等とらなかったことなどから、被告に安全配慮義務違反があることは明らかであるとした

 また、(3)過失相殺についても、被告の主張を一蹴し、過失相殺すべき理由はないとしてこれを否定した

 これらはいずれもほとんど原告の主張を採用したものであり、全面勝訴と言いうる所以である。

三 判決の意義について

 弘人氏が自殺した当時、スズキは、会長の号令一下、「チャレンジ二五」(生産性,品質,コストを二年間に二五%以上向上させる)の基本方針が上から下まで徹底させられていた(その後、これは「チャレンジ三〇」に変わった!)。その意味では、弘人氏は、まさに「チャレンジ二五」の尊い犠牲者ということができ、本判決は、スズキの労働者に対する安全衛生対策、健康対策(特にメンタルヘルス面での)に根本的な反省を迫るものといいうる。

 他方、弘人氏は当時、課長代理といういわゆる中間管理職の職責にあった者である。スズキの就業規則では、課長代理以上の者は労働時間の規制を受けないものとされ、恰も課長代理となれば、労基法四一条二号の管理監督者になるかのように規定されている。

 しかし、判決は、弘人氏の現実の労働実態から、同氏は労基法四一条二号の管理監督者には該当しないと、これを明確に否定した。

 この判示は、一人弘人氏のみならずスズキの中間管理職全体に関わるものであるから(これまで彼らに時間外手当は一切払われていない)、ある意味では本判決の結論以上に与える影響は大きいと言えるし、これは今後、充分活用すべきであろう。

 スズキは、前記労災認定後も遺族に誠意ある態度を示さず、また訴訟においても、裁判所の和解勧告をにべもなく拒否するなどその態度はきわめて硬直的なものであった。そうしたことから、我々は、判決に基づき有体動産の仮執行を申立て、スズキの本社において、六〇〇〇万円分の株券につき(現金はほとんど存しなかった)、仮執行を行った。

 しかし、スズキはこの判決に対し控訴したので、さらに東京高裁での審理が始まることになるが、我々としてはこの判決の成果を守りさらに発展させる覚悟である(なお、常任の弁護団は、阿部浩基、宮崎孝子、藤澤智美の各団員と渡辺である)。



横須賀の原子力空母母港化の是非を問う

住民投票条例制定請求署名運動

神奈川支部 藤 田 温 久

 米国が、二〇〇八年に、横須賀に、通常型空母キティ−ホークに替え、原子力空母ジョージ・ワシントンを配備、母港化する旨を宣言し、小泉政権が即受け入れ、原子力空母 配備反対を公約に掲げた当選した蒲谷横須賀市長が配備容認へ転じたことは、既に皆さんご存じの通りです。

 しかし、原子力空母母港化は、低レベル放射線汚染の恒常化と原子炉事故の危険性により神奈川県ばかりか首都圏三〇〇〇万人の命と安全を直接的に脅かすものであり、同時に、アメリカの先制攻撃戦略の拠点を強化・恒常化し、アジア、中東、アフリカの民衆の命と安全をも脅かすものです。絶対に阻止しなければなりません。

 そこで、平和を愛する横須賀市民は、大同団結(数十年ぶり)し、「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」を結成し、住民投票条例制定を求める直接請求運動を起こしました。

 住民投票が実施されるためには、(1)横須賀市の有権者が署名の集め手(受任者)になり有権者の五〇分の一(約七二〇〇名)の自筆の署名と押印を一一月一〇日(金)〜一二月一〇日(日)の期間に集めなければなりません。(2)署名の提出を受けた市長は議会へ住民投票条例案を提案し、(3)市議会が住民投票条例を可決することが必要です。

 現在、「受任者」は、当初の目標の倍である二〇〇〇名以上が集まっており、また、「署名」は、(1)の筆数を突破することは確実です。

 問題は、この請求に基づく条例を市議会で可決させ((3))、住民投票を実施させるためにはどれだけの署名が必要か、ということです。蒲谷市長は、一一月一六日の記者会見で「数万の署名が集まっても住民投票はやらない。」等と述べているようですが、これは逆に、「成功させる会」などの運動が市長にとって大きなプレッシャーとなっていることを示しています。

 この点、「成功させる会」は目標を設定していませんが、「成功させる会」に加入する「阻止連」では、蒲谷市長が、前回当選時に獲得した六万二〇〇〇筆を上回りたいとしています。

 自由法曹団神奈川支部は、運動支援のため、一一月二六日(日)午後二時から横須賀中央駅デッキにおいて、宣伝・署名活動を行いました。同日、各受任者と支援者が全市を戸別訪問している中、デッキは全県から支援に駆けつけた若者を中心としたグループであふれ、青年のバンドが「来るぞ、来るぞ、原子力空母!怖いぞ、怖いぞ、放射能漏れ!」と「フニクリ、フニクラ」の替え歌を歌う合間に当支部や神奈川労連の労働者がマイクで話をするなど、党派や潮流を越えた「成功させる会」の一体感がみなぎっていました。他方、一人で九名もの署名(生年月日等の自筆による正確な記載、捺印あるいは拇印を求められる厳格なものであるにも拘わらず)を集めた団員がいたように、市民の反応は、他の課題についての宣伝署名活動に比べれば格段に良かったと思います。

 横須賀での住民投票の勝利は、直接的には、原子力空母のための国の浚渫工事申請に対し横須賀市長にNOといわせる決定的圧力となり、原子力空母配備阻止へ結びつき、更には、神奈川、全国の米軍再編強化策動に痛打を与えるものとなります。

 横須賀市民に知人、友人がいる皆さんは、直ちに受任者または署名の依頼をして下さい。時間があれば、支援活動に駆けつけて下さい。ご連絡は、米原子力空母の配備を阻止する三浦半島連絡会まで(TEL〇四六―八二一―五〇四八)。



判 決 の 日

福岡支部  安 部 千 春

永万寺裁判

 二〇〇六年一一月九日午後一時一〇分、福岡地方裁判所小倉支部において永万寺が解任した一六名の僧侶の地位確認を求める判決の言い渡しが行われた。

 当日一時○○分、原告弁護団の中村博則弁護士が弁護士会館で私に言った。

「先生はここにおられるんでしょうね。報告集会には出てください」

「いや、これから私は行方不明だ」

図書司書の裁判

 今から三○年前、先輩弁護士に誘われて三人の図書司書の裁判を担当した。三人は教師の資格を持ち、一年更新の嘱託ではあるが二○年以上繰り返し更新されてきた。ところが北九州市は人件費削減の為に更新を拒否してきたのである。

 裁判が中盤にさしかかったところでN裁判長は残りの証人申請を全て却下し、原告本人尋問をするように訴訟指揮をした。怒った先輩弁護士は私達には何の相談もなく忌避申立をした。N裁判長は忌避を直ちに簡易却下し、結審をしてしまった。

 簡易却下の抗告状は三日以内に提出しなければならない。先輩弁護士は「あとはよろしく」と出張してしまった。

 私と前野宗俊弁護士は三日目の夜一〇時ようやく抗告状を提出した。仲介が入って裁判は再開された。

 忌避をした裁判で勝てる可能性はない。

私は「よーし、この裁判を勝ってやる」と決心した。

私は私を必ず負けさせようとする裁判官に対して、どこからも負けさせることはできない最終準備書面を書いて判決にのぞんだ。

N裁判長は

「原告の請求を棄却する」

と言った後、私の方を見て「ざまあ見ろ」という顔で笑った。

これが裁判官かと私は怒り心頭に発した。

その時以来どうしても勝たなければならない判決の言い渡しに私は出廷しないことに決めた。

芦屋派出所スパイ強要事件

 判決の朝、諌山博弁護士が私に言った。

「諸君は勝つと思っているだろうが、相手は警備警察だ。日本の裁判所は信用できない。負けたら私が不当判決と立ち上がって抗議をするので安部君、続きたまえ」

「すみませんが、私は出廷しません」

「安部君、君は何を言っているのか」

「申しわけありませんが、先生と同じように私も日本の裁判所は信用できないと思っています。だから言い渡しには立ち会わないことにしているのです。私はこの裁判にこれまで一度も欠席をしたことはありません。先生は公務のためとはいえ、参議院議員の間の六年間出廷はされていません。私はもうやるべきことは全てやってきました。判決はもう決まっています。私が出廷しようがしまいが同じです。先生とみんなが立ち会うので私一人がいなくても関係ないです」

 諌山弁護士はあきれはてた顔をして、こんな屁理屈をいうバカと議論しても無駄と思ったのかここで終わった。

被告福岡県に勝った。

万心の笑みをたたえて法廷から出てくる諌山先生を私は法廷には入れなかった一般の支援者と共に拍手で迎えた。

筑豊じん肺訴訟

一審判決の日、私が出廷しないと言い出すと若者達が怒った。

「ウソでしょう」

「安部先生、何を言っているんですか」

「そんな非科学的なことを安部千春が言うとは信じられない」

「今まで一緒に闘ってきて、ここで判決言い渡しに立ち会わないなんて敵前逃亡です」

「安部先生がこんな卑怯な人間とは知らなかった」

「そんなわがままは許されません」

若者達がいうのが本当なので、出廷した。企業には勝ったが、国に負けた。

二審判決の言い渡しの時私は言った

「そういうわけで私は立ち会わない」

今度は誰も文句を言わなかった。

「国に勝訴」などの完全勝訴を示す旗出しを法廷の外で一般の支援者と共に拍手で迎えた。

永万寺裁判

 主文は「原告の請求を棄却する」か「原告らと被告との間において、原告らは小寺契約とも称すべき無名契約(被告の僧侶として葬儀等の法務活動を行い、門徒からお布施を受け取ることができる契約)上の地位を有することを確認する」かである。二分で終わる。

 午後一時一五分、私は弁護士会館の二階から裁判所を見ていた。原告らが飛び出してきた。私は勝ったと思った。負けたのなら原告はガッカリしているから支援者と一緒に出てくるはずだからである。だが、原告らに笑顔がない。不安が私を襲う。

弁護士会にきた原告らに私はおそるおそる尋ねた。

「どうなった」

「勝ちました。先生ありがとうございました」次々に原告らと支援者と握手をした。

事務所に戻って私は言った。

「勝った!私は訴訟の天才だ。天狗の鼻がまた高くなった」

「よかったですね」と拍手で事務所の人達は私を迎えてくれた。

私の事務所は最高!



教育基本法改悪阻止のたたかいと

「イエローに託そう」の市民運動

教育基本法改悪阻止対策本部  小 笠 原 彩 子

 子ども達の未来がかかっている教育の、しかも準憲法的性格を有する教育基本法「改正」案を、与党は野党四党が採決に反対して欠席する中で、衆議院で「強行採決」に踏み切りました。この「強行採決」は、いじめ自殺問題、未履修問題、タウンミーティングのやらせと日当支払い疑惑等が、次々に明るみに出てくる中で、日に日に市民運動が広がりを見せ、厳しくなるマスコミ論調、それに野党四党の結束の強さに対する、安倍内閣のあせり≠フ暴挙です。この暴挙への怒りの抗議は、国会周辺で、そして全国各地で続いています。

 国会の舞台は参議院に移りました。

 審議期間が一一月二二日から一二月一五日までと短く、参議院が審議時間(衆議院審議の八割が通例)の八〇時間を確保することがきわめて困難であること、教育基本法特別委員会の与・野党議席比が二〇対一五と衆議院より近接していること、半数の議員が来年七月の改選を控えていること、「いじめ」「未履修」「やらせ」など教育政策への国民の怒りが渦巻いているなど、参議院で法案を阻止する条件は十分あります。

 たたかいはこれからです。力を抜くことなく頑張りましょう。

 このような情勢の中で、市民運動がますます広がりをみせています。運動体のひとつである教育基本法「改正」情報センター(団のホームページから情報センターのホームページにリンクしています)の方から、「参議院の拙速な審議は許さない」という思いを共有する全国の仲間が、黄色のものを身の周りにおくこと≠ナ意見表明をしたい、という提案がなされています(サッカーのイエローカードは警告の色ですよね)。

 職場や屋外で黄色のシャツやジャケットを着たり、黄色のアクセサリーや、リボン、マーカーペン、付箋等を、身につけたり・手帳やカバンにつける等という提案です。この運動について、「全国各地の自由法曹団関係の法律事務所が、法律的な相談の窓口になってほしい」という話もあります。わたしたちは、この運動の趣旨には大賛成です。

 一方、民間・公務員を問わず、職場におけるプレートやリボン闘争に関しては,最高裁判決を含む厳しい判決が出ています。直近では東京の国立市立第二小学校の卒業式で、ピースリボンに似たリボンをつけたことを理由の一つにした戒告処分も行われています(一審敗訴、控訴中)。

 判例の考え方は次のようなものです。

 「本件プレート着用は、職場の同僚に対する訴えかけという性質をもち、それ自体、公社職員としての職務の遂行に直接関係のない行動を勤務時間中に行ったものであって、身体活動の面だけからみれば作業の遂行に特段の支障が生じなかったとしても、精神的活動の面からみれば注意力のすべてが職務の遂行に向けられなかったものと解されるから、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用い、職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱すものであったといわなければならない」(昭和五二・一二・一三最判目黒電報電話局事件)。

 その他、昭和五七・四・一三最判(大成観光事件…これは一流ホテルという接客勤務態度の要請からの違法とみる余地もありますが…)や、平成五年六月一一日最判(国鉄鹿児島自動車営業所事件…バッジ取り外し命令に従わなかったことが重視されている)などもあります。

 きわめて非常識な「職務専念主義」を前提としたこれらの判例には重大な問題がありますが、いま市民運動を支えるためにはこれらの判例を軽視することはできません。

 従って、この問題で法的相談を受けた場合、「職場(・・)の(・)中(・)では、既製品である物品を通常の利用方法で利用してイエローの意思を表示することにし、特別(・・)に(・)黄色いリボン等を作製(・・)しての意思表示はしない(・・・)方がいい」と助言して欲しいと考えています。

 「イエローに託そう」の提起を運動の広がりのひとつとして大切にするためにも、不知≠突かれて被処分者が出ないようにすべきだと考えます。この点よろしく周知徹底下さい。



まだまだ諦めるときじゃない

団教育リーフ無料! 残僅少!

参議院議員への働きかけの強化を!

教育担当事務局次長  阪 田 勝 彦

 二〇〇六年一一月一六日、教育基本法改悪法案は衆議院を与党のみでの単独採決という暴挙の中通過しました。「もう駄目だ・・・」なんて思っている方、大間違いです。教育基本法改悪案(GK法が依頼者密告制度なら、個人的には「国家主義教育法」とでも呼びたいですが)は、四月二八日の法案提出以後、飛躍的に高まった運動の高まりにより、採択の慣例とされている七〇〜八〇時間を優に超え、現実には一〇〇時間超の審議までずれ込みました。その審議の内容にしても、具体的法案の内容にはほとんど触れられてもいません。衆議院の八割の審議が必要とされる参議院での審議時間を考えれば、まさにぎりぎりの選択で通過したというのが実態です。与党の参議院特別委員会委員は、来年七月の参議院選挙で改選予定となっている議員は七名います。この教育基本法改悪案が自分の議員としての地位に影響を与えることは是非とも避けたいはずです。そう言う意味では、衆議院よりも参議院での闘いの方が、より私たちの声は国会に届きやすくなっていると言えます。

 参議院への行動が今何よりも重要となっています。

 そこで、団本部では、従来よりご愛用いただいております、リーフレットを今後無料でご提供することにしました(但し、送料はご負担いただきます)。在庫は僅少です。早めにお申し込み下さい。

 また、FAXでの参議院議員への要請は、これまで以上に重要となります。一一月一〇日に行った議員要請では、自民党議員秘書が、「これ見てくださいよ。」と言って見せてくれたFAX機からは、次々と教育基本法「改正」反対の抗議や要望が書かれたFAXがとめどなく流れており、議員の部屋はFAXだらけの状態だったとの報告もありました。この勢いで参議院でも抗議の輪を拡げていきましょう。

 また、新聞社・テレビ局などのマスメディアにも、教育基本法改悪反対の声を届け、またその声を届けるように拡げていきましょう。

 まだ諦めるときじゃありません。与党もリスクを負って強行採決をしたのですから、私たちは国民の怒りの声を国会へ届けましょう。



弔  辞

大阪支部  橋 本   敦

 清らかな秋が訪れて、この秋に年来の親しき友、われらの正森成二さん、あなたとの別れの日が来るとは思いもよりませんでした。その深い悲しみをこらえて、ここにお別れの言葉を送ることになるとは何と無念なことでしょう。

 憲法の理念と社会正義の実現を志して、ともに弁護士となった私たちは、その後はからずも、あなたは衆議院議員に、私は参議院議員になり、ともに国政革新の道を歩むことになりました。

 思えば、それは「大阪が変われば日本が変わる」を合言葉に、あなたも大奮闘されて、われらの憲法知事黒田了一さんの勝利を勝ち取るなど、意気高き革新の潮流上げ潮の時代でした。

 そして、正森さん、あなたは早速激動の国会で田中金脈の追及などで持ち前の正義感溢れるめざましい活動を開始されたのでした。

 金権腐敗政治の追求で何と言っても忘れられないのは、ロッキード事件の訪米調査でしたね。

 アメリカの国会から、ロッキード社が航空機売り込みのため日本の政府高官に賄賂をおくったという衝撃の報道が伝わり、国民の怒りが高まる中、事件の真相解明のため、衆議院の正森さん、あなたと参議院の私とがまだ見ぬアメリカに初めて乗り込んだのでした。それは一九七六年の二月、ワシントンはポトマック河も凍りつき、寒さが身にしみましたね。

 アメリカの国会へ行く雪道を歩きながら、私が「寒い、寒い」と言った時、あなたはにっこり笑って、「このマフラーは柔らかいし、オーバーはあったかいよ。妻の博子が買ってくれたんだ」と自慢して、アメリカでも早速愛妻家ぶりを発揮、思わず寒さでこわばった私の顔に微笑がもれたことを思い出しました。そういえば、あなたの愛妻家ぶりはわれわれ友人仲間で知らぬ者なしでした。

 毎日忙しく調査活動をして一週間ほど経ったとき、突然東京から電話が入りました。「衆議院予算委員会でロッキード疑惑の集中審理をすることになった。正森さんすぐ帰国せよ」と言うのです。それまでの調査をまとめて急遽帰国する正森さんをニューヨークまで送って行き、「私はあとに残って調査を続ける。正森さんは早速国会での追及、よろしく頼むよ」と固く握手をして別れたその手のぬくもりを今も忘れることができません。

 帰国して正森さんのロッキード追及の質問とめざましい活躍は、たちまち大きな反響を呼び、「ロッキードの正森」の名がとどろき、やがて前代未聞の総理の犯罪で田中角栄逮捕となっていったのでした。

 労働者・市民の弁護士として鍛え抜かれた質問の鋭さ、燃える正義感とたくましい論戦力―正森さん、あなたは誰もが認める衆議院でのまさしく第一級のすぐれた論客でした。

 ある自民党議員が「田中角栄の天敵は共産党の正森だ」と言っていたことはまことに痛快でした。

 正森さんの活躍は、実に五〇〇回をも超える膨大な国会質問にも躍如として示されています。それを要約してあなたが出版された『質問する人逃げる人』は、ベストセラーとなり、そこに示されたあなたの国政革新にかける熱い情熱、悪政を許さぬほとばしる正義感と働く人々への限りないヒューマニズムの心は、これを読んだ多くの人々に深い感動と勇気を与えました。

 今から約半年前だったでしょうか、朝日新聞に著名な論説委員の国会質問に関するコラムが出ました。それは、例の民主党議員の偽メール質問を厳しく批判し、それに比べてかつて予算委員会で浜田幸一予算委員長の不当な質問妨害に断固立ち向かって、一歩も弾かずに毅然として正論を貫いた正森さんの論戦は、その厳しい追及にも礼節を失わず、質問の内容も、正確な事実の調査に基づく正論であり、相手に突き込まれるような脇の甘さもない見事な立派なものであったと認めているものでした。

 この質問がなされたからもう二〇数年もの時が経っているのに、その質問が今も輝いているとは何と素晴らしいことではありませんか。

 それを読んで私は、「われらの正森成二ここにあり」と感激また感激でした。

 正森さん、革新の大義に生き、世の正義を貫いたあなたの闘いは不滅です。

 正森さん、沢山の活躍を、そして沢山の暖かい友情を本当にありがとうございました。

 深い悲しみのうちにお別れの時が来ました。正森さん、さようなら。どうぞ安らかにお休み下さい。

 そして、最後に一言、心を込めて、かけがえのないわが友、正森成二さんをいつも暖かく励まし、暖かく守って下さった奥様の博子様に友人一同からありがとうございましたと申しあげたいのです。

   平成一八年一〇月二一日

            友人を代表して  橋 本   敦



争点整理手続の運用と刑事弁護

─改正刑訴法一年を迎えて

司法問題委員会担当事務局次長  増 田   尚

 刑事訴訟法が改正され、裁判員制度の導入をにらんで、争点整理手続が新設された。ライブドア元社長の証券取引法違反事件など、世間の耳目を集める事件を含めて、各地で争点整理手続が行われてきている。

 争点整理手続は、裁判員を長期に拘束することができないことから、集中証拠調べを効率的に実施するために設けられた手続である。そのため、争点整理に先立って、被告人の防御権や弁護権を適切に行使できるよう、一定の範囲で、検察官に対する証拠開示請求が制度化され、裁判の迅速化と適切な防御権の行使を両立できるようにしたとされている。

 しかしながら、争点整理手続の運用において、もっぱら裁判の迅速化のみが追求され、防御権の保障が後景に押しやられているとの批判がなされている。東京新聞が一月二九日付特報「『公判前整理手続き』の危うさ検証」で報じ、後に弁護人を務めた竹村眞史弁護士が青年法律家四二一号に「東京地裁公判前整理手続適用第一号事件を体験して」で書き記したように、弁護人の都合を無視して、証拠調べ終了の翌日午前に弁論、その夕方に判決という、およそ証拠調べの結果や被告人の主張を検討する意思などないかのような期日設定がなされたことは、私たちに衝撃を与えた。そこまでいかなくとも、死刑が求刑された広島の幼女誘拐殺害事件のような事件で、これだけの短期間で充分な情状弁護ができるのかどうかという疑問がなされ、「拙速」な審理への懸念が相次いだ。

 こうしたことから、司法問題委員会では、争点整理手続の制度設計や運用において、被告人の防御権や弁護権が侵害されていないかどうかを監視し、不当な運用については批判を強めつつ、どのようにして弁護権を実質化することができるかを検討することとした。併せて、検察官の証拠開示が機能しているかどうか、開示した証拠についての利用制限が濫用されていないかなど、改正当時から問題視されていた点も、検証することとした。

 第一に、争点整理手続に付された事件の弁護人を務める団員に対し、整理手続期日や公判期日のスケジュール設定、争点整理の実質化、証拠開示をめぐるやりとりなどについてアンケートを実施した。一〇月三〇日までに寄せられた回答は五通と少なく、これのみで全体を論じることはできないが、一定の傾向がうかがえた。

 整理手続に付された経緯については、弁護側から、証拠開示手続に期待して整理手続に付することを求めたケースも見られ、裁判所から打診のあったケースでも、概ね、証拠開示を主たる動機としてなされたものであった。これは、とりもなおさず、現在の証拠開示手続の貧弱さを表しているともいえよう。

 また、争点整理手続の期日は概ね三ないし五回で、一カ月から一カ月半に一回のペース(これまでの公判期日とほぼ同じ)となっていた。検察官、弁護人とも、特にスピードアップを求めていないということや、刑事部が一つしかない地方からの回答が多く、裁判所の都合もあってのことと思われるが、開示された証拠を検討し、弁護方針を確定するためには、ある程度余裕のあったスケジュール設定が必要であるといえよう。

 証拠開示については、検察官も、比較的応じているようであるが、不存在を理由とした開示不能への対処が今後の課題であると指摘した意見が多かった。

 争点の整理については、回答のあったケースは、いずれも争点が少数ないし簡明であることから、弁護側の主張を排除されたという例はなかった。これは、証拠開示をスムーズに実施するという経緯から整理手続に付されたということによるものとも考えられる。

 公判については、整理手続終結から二カ月程度先に指定され、集中的に実施されている。民事事件の集中証拠調べとは異なり、複数日にまたがって、多数人の尋問(質問)を行い、かつ尋問(質問)時間も長いため、他の業務への影響を懸念する意見も寄せられた。

 第二に、一〇月三〇日の委員会会合で、首都圏で公判前整理手続を体験した団員から、ヒアリングを実施した(プライバシーの関係上、事案を抽象化しており、分かりにくい点はご容赦いただきたい。)。

 このケースは、犯人性が争点となり、証拠開示を活用すべく、弁護側から争点整理手続に付することを求めた事案である。

 しかしながら、裁判官が異動することもあって、一カ月半という短期間で公判前整理手続を終えるよう期日を指定され、加えて、保釈が準抗告で何度も取り消されるなど身体拘束が長期化し、被告人と協議をするのに困難な事情があったことも影響して、被害者や目撃者への聴取など弁護活動が充分に行うことができないまま、弁護方針の決定を余儀なくされた。さらに、期待した証拠開示についても、同一犯人の犯行と目されながら、被告人については立件されなかった事件に関する証拠の開示も、争点に関連しないとして、撤回するよう指揮されるなどもああった。

 一方で、証拠調べは、証人側の事情もあったが、一カ月間隔で指定され、「集中証拠調べ」ではなかった。

 公判廷において、証人は、捜査段階の調書になかった証言をしたため、弁護側は、これと矛盾する書証の取調べを請求したところ、裁判所は、「やむを得ない事由」がないとして、これを撤回するよう指揮した。しかし、このようなケースこそ、まさに「やむを得ない事由」に該当するというべきであり、裁判所の訴訟指揮はきわめて問題であった。

 結局、判決も、単独面通しや、予断に基づく警察官の実況見分調書などを鵜呑みにして、被告人の弁解をいっさい切り捨てる不当な判断であった。

 このケースは、まさに懸念された争点整理手続の弊害(弁護権が保障されないまますすめられる拙速な争点整理、「やむを得ない事由」の限定的な解釈による弁護側立証の過度な制約)が如実に表れたものといえよう。

 司法問題委員会では、引き続き、改正刑訴法アンケートを募集し、こうした争点整理手続の不当な運用を監視していこうと考えているので、整理手続を経験した団員は、ぜひ、回答をお寄せいただきたい。また、来年には、改正刑訴法施行一年間の運用について考える学習会を開催すべく準備している。刑事弁護に関心を寄せている団員は、こぞってご参加いただくようお願いする。



初めて参加した総会は想像以上に刺激的でした

愛知支部  吉 川 哲 治

 初めまして、五九期の吉川と申します。登録は名古屋…じゃなくて愛知県弁護士会です。

 私の家は、亡き父が自由法曹団員で、兄(五四期、福井県弁護士会登録)も団員ですから、自由法曹団のことはある程度知っていたのですが(実家の本棚には旧版の自由法曹団物語が置いてありました)、今回、自分で実際に総会に参加して、想像以上に刺激的な経験でしたので、簡単に感想などを書いてみたいと思います。

 初日は、新人学習会を兼ねたプレ企画である「韓国民弁(民主社会のための弁護士会)とのシンポジウム」に参加しました。

 印象的だったのは、民弁の弁護士の方々が、まるで戦前の日本のような政治弾圧の中で活動を続けてこられ、最終的には(国家保安法がいまだに廃止されていないなど、不十分な部分を残しつつも)韓国の民主化を勝ち取ったという話でした。当時の韓国に比べれば、私たちが現在置かれている状況はまだましなのかも知れませんが、昨今の政府与党のやりたい放題を見ていると(教育基本法改悪法案も衆院を通過してしまいました)、「昨日の韓国は明日の日本」みたいなことにもなりかねない気がして、その意味でも色々と考えさせられる企画でした。

 二日目、三日目は総会の本会議と分科会に参加したのですが、圧倒されたのは参加者の多さと資料の多さでした。つまりは、これだけ多くの方々がそれぞれの地域で人権擁護と憲法改悪反対のために多彩に活動を繰り広げていると言うことであり、私も勇気づけられると同時に、新人としてこれから頑張っていかなければ、との思いが強くなった気がします。弁護士としての活動を始めたばかりであり、まずは目の前の個々の依頼者の人権を守れることが肝要ですが、それだけに囚われるのでなく、視野の広い活動を心がけていきたいです。

 その他にも、懇親会後の特別企画として「横須賀基地米兵による強盗殺人事件」の報告を聞いたり、後期修習中に外部講師として研修所に来られていた先生にお会いしたり、同期が四〇人以上にもなることに驚いたり、夜中に卓球に興じていた白鵬を目撃したりと、初めての総会は色々な意味で刺激的な経験でした。

 これからも、来年の総会はもちろん、五月集会にも積極的に参加して、その時までに自分自身が分科会等で発言できるような活動をできればと思っています。



【新旧役員挨拶その二】

事務局次長就任のご挨拶

東京支部  町 田 伸 一

 二〇〇一年一〇月に東京合同法律事務所に入所しました五四期です。

 委員会は、治安警察と市民問題を担当することになりました。

 事務所内で、二〇〇二年一〇月から二〇〇四年一〇月までの坂次長、二〇〇四年一〇月から二〇〇六年一〇月までの泉澤次長の就任と活動を見ていたため、次期は自分が次長になるものと予期して、年初から、手持ち事件を整理し家族に通告するなどして、客観的準備はしてきたつもりでした。

 しかし、引継ぎのための初回の事務局会議で、前年度次長の皆さんの活動報告と今後の年間予定等に接し、次長の役割の重要性と多忙性を実感し、果たして自分にこのような活動ができるのかと不安になってしまいました。

 このところ例年そうなのかもしれませんが、今年度は特に、改憲・教基法その他、諸課題が重要局面にある時期だと思います。全国の団員が元気よくスムーズに活動し各課題を勝利に導くことができるよう、本部の事務の一端を担って、できるだけのことをしたいと考えています。二年間宜しくお願い致します。