<<目次へ 団通信1223号(1月1日)
松井 繁明 | 今年を希望と転換の年に |
小笠原彩子 | 教育基本法「改正」反対運動をふり返って 教育基本法「改悪阻止」対策本部本部長 |
増田 正幸 | 「中国残留日本人孤児問題の一刻も早い解決を」 ―画期的な中国残留日本人孤児国賠請求訴訟神戸地裁判決 |
煖エ 力 | 広がりつつある生存権裁判 |
内藤 功 | 「防衛省法」の問題点について |
飯田美弥子 | 少年法を改悪させてはならない |
山本 哲子 | 書評 窪田之喜・平和元著 「まちの弁護士が語る教育と平和」 |
団 長 松 井 繁 明
新年おめでとうございます。
団員、事務局労働者とその家族のみなさま、この正月をいかがお過ごしでしょうか。今年がみなさまにとって、希望と幸せに充ちた年となることを願います。
さて、昨年は長い連続した闘いとなりました。六月までの通常国会では諸悪法の成立を阻止し、秋から年末にかけての臨時国会は文字通りつばぜり合いの闘いとなりました。
なんとも悔しいことに、改悪教育基本法が成立しました。しかし闘いはこれで終わりでない。引き続く教育関連法案の阻止に取り組み、憲法に依拠して子どもの教育を護る闘いが待っています。それにしても、通常国会の終盤から臨時国会にかけての闘いの高揚、ひろがりには目を見張らせるものがありました。これは、今後の闘いの基盤となることでしょう。
改憲手続法(国民投票法)案、共謀罪新設法案などは継続審議に追い込みました。大きな成果といえるでしょう。
私も昨年一〇月に団長になったばかりで、おぼつかないところもあるのですが、それでも今年もまた、厳しい闘いとなることは確か、と判断しています。
一月から始まる通常国会では積み残しの諸悪法のほか、恒久派兵法案の上程も見込まれています。その上残業代不払い法案(日本版ホワイトカラーエグゼプション)、「金で首切り」法案を含む労働法制の改悪が企まれています。これ以上の格差の拡大・固定化をやめさせるためにも、なんとしても阻止しなければなりません。団本部に闘争本部を設置する方針です。
いっせい地方選挙と参議院議員選挙がおこなわれます。このなかで、東京に集中しているような言論弾圧事件が拡大しないよう警戒を強めましょう。
―こうした厳しさにもかかわらず、今年は国際・国内の両面で大きな転換点を迎える年になるように、私には思われます。
イラク戦争でのアメリカ軍の勝利の芽はほぼ無くなり、アメリカ国内でも撤退要求が強まっています。ブッシュの共和党は秋の中間選挙で惨敗を喫しました。ラムズフェルド国防相、ボルトン国連大使の退任により、ネオコン勢力は完全に政権内から放逐されました。アフガニスタンでは再びタリバンが台頭し、治安が不安定化しています。ブッシュ政権は中東政策の見直しを迫られ、イギリスのブレア政権も危機的状況にあります。
中南米諸国には反米政権が続々と誕生し、東アジアでもアメリカの覇権を断ち切って、安全と成長を確保しようとする諸国の共同が発展しています。
こうしたなかで日本だけがあくまでもアメリカに追随し、イラクに輸送機を、ペルシャ湾に補給艦を派遣し続けています。こんなことが永く続くはずはありません。自衛隊の撤退を引き続き求めてゆきましょう。
国内でも、小泉・安倍政権の「構造改革」の失敗は、ますます多くの国民の目に明らかになってきました。「格差社会」、「ワーキングプア」が論じられない日はなく、国民の反発・批判が強まっています。批判を回避しようと安倍首相は「再チャレンジ」などと言いだしていますが、格差拡大の大元である「構造改悪」をそのままにした小手先のごまかしで解決できるような問題ではないでしょう。
こういう状況のもとで闘われるいっせい地方選挙で民主勢力が前進し、参院選で自公勢力の過半数割れをひきおこす条件は十分にある。アメリカの有権者が示した程度の良識が、日本の有権者にないとは、とうてい思えません。力を合わせて奮闘しましょう。
小 笠 原 彩 子
新年おめでとうございます。皆様、二〇〇七年をどんなお気持ちで迎えられましたでしょうか。
一 昨年は「改正」教育基本法と防衛省・防衛大臣の出現を許した年ではありましたが、教育基本法案反対運動が国民的に盛り上がり、与党を追い詰めていった年であったことも間違いありません。法案が国会にかかってからは、衆議院では石井議員、参議院では井上議員とともに週一回民主団体が集まり、国会情勢を含む報告会を持っていました。団もこれに参加してきましたが、この会の担当者であった小林善亮団員はメールで、最後の報告会について、
民主団体の誰もが「これで終わった」という発言はありませんでした。国会では、難しい野党共闘を維持して与党を追いつめました。民主党が最後の最後で野党共闘を壊した格好になりましたが、それでも、民主は採決を正面から受け入れることはしませんでした。(そのため、与党は、委員会採決を「審議打ち切りの緊急動議」という形で行わざるをえなかったということです。)国会では、明確に「改正」反対を言っていたのは共産・社民だけです。衆議院の特別委員会では二/四五(人)。参議院では二/三五(人)に過ぎません。その「改正」反対派が、衆参の審議で何度も採決受け入れに傾きかけた民主のお尻を叩き、曲がりなりにも与党と対決させ、ギリギリまで与党を追いつめたのは、間違いなく国会の外の運動の力です。……何人もの参加者から「今回は法律家が頑張った」という発言を頂きました。
と報告しています。
団として行ったことを中心にして振り返ってみても、衆・参議員への数回にわたる議院要請やFAX要請、街頭宣伝活動、大小の集会、リーフレットや「Q&A」等の作成と配布、最終局面に入ってからは「やらせ」タウンミーティングについて「教育基本法「改正」―立法事実の再検証を求める……」という全教弁護団と団とが共同した意見書の作成と配布等をなし、諸課題を抱えながら、団と団員はこの運動に最後まで力を出し切ったと思います。皆様本当にご苦労様でした。対策本部の責任者として、団員に支えられたこの運動を誇りたいと思います。(それだけに法案成立後、「なんだかこの一年甲子園を目指したけど夢やぶれた球児のような心境」とメール上でつぶやいた団員もいます。)
二 対策本部からみて気づいた点をいくつか書いてみます。
1 これまで関係の薄かった団体との信頼関係を強めたこと。
教育基本法改正が言われはじめた四年くらい前から「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」に団員が個人として参加してきました。多くの市民が、改正反対の一点で結集していますので、会議の進行は時として進まずどうどう巡りの中から何かが生まれるという会でした。この会の打ち合わせに毎回参加した団員の努力もあり、集会(日比谷公会堂や野音等)を持つ折には、事実上団に警備要員の派遣依頼があり、これに答えて来ました。しかし、当初は腕章は赤布にマジックで書いた「法律家」という腕章を巻くことになっていました。運動の中心が国会周辺に移る頃から、急に決まる日程と急な警備要請、警察官と参加者との間の高まる緊張感の中、腕章よりも実態、自分達の思いを護ってくれる仲間の法律家なら…腕章は問わないという関係になっていきました。(この全国連絡会にも「これからなにをやるのか」という問合せが何件も来ているとのことです。)
また、団は全教をはじめとする教職員団体や子どもの権利・教育・文化を守る全国子どもセンター等の団体と教育問題の分野では、団員が個人的に関係を持ってきました。団が教育基本法に関する担当委員会(本部)を造った時も、「弁護士さんもやってくれるの?……」という感じでみられていました。しかし対策本部員や各地の団員の今回の活動によって、その評価は変わり、更に個人のパイプから団とのパイプをつくっていったと思います。
2 日弁連や各地弁護士会での反対運動を支えた団員の力。
これまでも子どもと教育に関心のある団員は、権利の問題を中心に弁護士会で活動してきました。それだけに、日弁連や各地弁護士会が法案に対してどのような態度を示すのかということは、団としても市民からも注目されていました。法案が衆議院にかかっても明確な意思表示がないままお盆の季節に入り、どうなることかと気をもみました。そんな中、九月一五日日弁連から反対の意見書が公表され、その後は次々と各地弁護士会から反対声明が出され、最後は五二単位弁護士会の中で五〇単位弁護士会と二ブロックという、これまでにない多くの単位弁護士会から声明があがりました。対策本部は分担を決めて、まだ反対声明の出ていない単位弁護士会所属の団員宛に、様子伺いや協力要請を行う活動もしました。各地の弁護士会が声明をあげる過程には、団員である声明起案担当者の声明案で担当委員会を通過したが、常議員会で執行部から出された声明案との衝突を生み、反対声明を公表するという事を優先させて、執行部の文案を呑んだという報告や、思いがけず常議員会で否決されてしまい、再度体制を立て直して常議員会の承認を得た等、団員の皆様の様々な努力があり、その積み重ねの中で、この結果に至りました。また、これまで弁護士会や日弁連を中心に活動してきた団員が、対策本部の会議に顔をみせ、「はじめて事務所に足を運びました」と挨拶され(実は私も「先生団員だったんですネ……」失礼…と思ったのです。)る場面もありました。
3 教育基本法「改正」法案と団
今回の改悪の動きは、国旗・国歌法が成立した翌日、一九九八年八月一〇日、自民党教育改革本部の教育基本法研究グループが、見直しに着手することを決定し、二〇〇〇年三月小渕恵三首相(当時)の私的諮問機関「教育改革国民会議」を設置し、「教育基本法の見直しに取り組む必要がある」という結論を出し、〇一年一一月二六日、遠山敦子文科相が中教審に教育基本法「見直し」を諮問し、それに応える内容の中間報告が二〇〇二年一一月一四日公表されました。団は、当初は子どもの権利委員会が、途中からは当対策本部を設定する等の体制を整えながら、この動きをフォローして、その都度意見書を出したり、団権利討論集会での分科会の一つに設定する等して対応しました。しかしながら、諸問題が目白押しの中では、しかも日常業務の中で子どもや教育に馴染みがない団員が多いということもあり、常に、後順位課題である事は否めませんでした。しかしながら、教育基本法が教育という視点で憲法を支える重要な課題という点が浸透する(それまで担当者の訴えが弱かったのかも知れません?)につれて、団から、この運動に積極的な助言や協力をいただきました。四年前に、このような運動にまで発展し、そして団として関わっていけるとは思ってもいませんでした。団員が一生懸命取り組む課題を支えるのが団という事を改めて感じました。
三 今後について
メーリングリスト上では、「負けた気がしない」「無力感に打ちひしがれてしまっては、安倍どもの思う壺」という感想や、大阪・杉島先生からは「更に私としては教育振興計画がどう具体化されていくのか、それをどう地方に持ち込んでいくのかという点が気に掛かります。恒常的なモニター体制を全国でつくる必要があるのではないでしょうか。……大阪ではもっと現場の声をひろげる努力をすべきだったという議論がありました。少し議論が理念論的になりすぎて現場の子どもたちや先生の悲鳴を集約する努力(労基法のときはこれを徹底したように思います)が足りなかったという反省です。現場の声を聞く、それを広げる、事実をつみあげて、振興計画の具体化に食い込んでいく(あるいは反対していく)ということを息長く続けていくことがこれから求められているのだと思います。」横浜・杉本先生からは「幸い労作の『Q&A』があるわけですから、あれを下敷きにして、自由な教育を目指す人たちのための『注釈・改正教育基本法』なんて、作れないですかね。」等の提案がなされています。新年第一回会議で、体制を改め(当委員会のネーミングも)、議論したいと思います。
最後に、安倍内閣の支持率は下がりっぱなしです。しかし安倍首相は、昨年法案成立時に、来年(今年)も教育国会―つまり「やらせ」の上にできた「改正」教育基本法を実現するための諸法律の改正法案をかける―と言っています。このことを頭に置きながらも、視線を再度教育現場に戻し、そこから新しく何を求められているのかを知り、知恵と工夫をみんなで出し合っていきたいと思います。
そして「改正」教育基本法も日本国憲法の精神にのっとり(前文)存在しているのですから、憲法を守りぬく中で、もう一度(旧)教育基本法を取り戻すことができることに確信を持ちたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
兵庫県支部 増 田 正 幸
一 はじめに
現在約二五〇〇名の中国残留日本人孤児(以下「残留孤児」という)が永住帰国して日本で生活しているが、その九割弱の約二二〇〇名が全国一六の裁判所で国賠訴訟を提起している。原告らは国の早期帰国実現義務(残留孤児の所在を探索して保護し、帰国の障害を除去するなどして早期帰国を実現する義務)違反及び帰国後の自立支援義務違反により、「日本の地で、日本人として、人間らしく生きる権利」を侵害されたと主張している。兵庫県では残留孤児六五名が、一人三三〇〇万円の国家賠償を求めて、二〇〇四年三月三〇日、神戸地方裁判所に提訴した。
二〇〇六年一二月一日、神戸地裁は原告六五名のうち六一名に合計金四億六八六〇万円の支払いを命じ、除斥期間の経過を理由に四名の請求を棄却した。
二 早期帰国実現義務
判決は、原告が主張した早期帰国実現義務については、これを法的義務であることは否定したが、政府が戦闘員でない一般の在満邦人を「無防備な状態に置いた政策は自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であったというほかない」として、憲法一三条及び条理を根拠に、政府は「可能な限り、無慈悲な政策によってもたらされた自国民の被害を救済すべき高度の政治的な責任を負う」と述べた。
また、判決は、日中国交正常化後は、政府は残留孤児救済の政治的責任を認識すべきであり、これと矛盾する、残留孤児の帰国を制限する措置を取ることは、個々の残留孤児に憲法上保障された帰国の権利を侵害する違法な職務行為となるとした。判決が違法とした帰国制限措置は、@残留孤児を外国人として扱い、留守家族による身元保証書の提出がされない限り入国を認めない、A残留孤児本人の支給申請によっては帰国旅費を支給しない、B残留孤児の入国に関し、招へい理由書、特別身元引受人の身元保証など入管法も求めていない措置の履践を求めたことである。判決は、これらの帰国制限措置によって一定期間わが国への永住帰国が妨げられたと認められる原告について、帰国遅延期間に応じた賠償(一ヶ月あたり一〇万円)を命じた。
三 自立支援義務
判決は、永住帰国した残留孤児の自立支援について、政府には残留孤児の救済を怠り、帰国制限措置を取るなどした先行行為の積み重ねがあるから、特別な法律がなくとも条理により残留孤児が日本社会で自立して生活するために必要な支援策(日本語習得、就労・職業訓練、自立までの生活保持に向けた支援)を講ずべき法的義務があると認めた。しかも残留孤児の発生及び帰国遅延の経過に照らせば、政府は人道的見地から最善を尽くすべきであり、自立支援のための「施策の取捨選択の裁量は狭い」と断じ、条理が求める自立支援策は「拉致被害者との関係におけるそれよりも貧弱でよいわけがない」として、取るべき自立支援は拉致被害者に対する支援と同様に永住帰国から五年間程度、帰国孤児が日本語の習得、就職活動・職業訓練にじっくり取り組めるよう生活の保持することを内容とすることを明らかにした。そして、原告らが自立支援義務違反により多大の疎外感・孤独感に苛まされ、自尊心や生きがいを感じる機会を失ったのであるから、それを償うための慰謝料は「少額でよいとすることはできない」として原告一人当たり六〇〇万円の支払を命じたのである。
四 「戦争損害論」を排斥
また、判決は、原告らの損害は「政府関係者が日中国交正常化後にした違法な職務行為による損害であって戦争損害ではない」と明確に「戦争損害論」を斥けた。
五 一刻も早い解決を
世論や原告らの「控訴をするな」という声を無視して、去る一二月一一日に早々と国は控訴したため、原告らも控訴し、訴訟は大阪高裁に舞台を移すことになった。
残留孤児は中国では「日本鬼子(リーベンクイズ)」とさげすまれ、文化大革命時にはスパイ扱いされるなど苦難の途を歩まされた。判決はこのような境遇にあった残留孤児が、「例外なく、祖国に対する望郷の念を強め、あるいは、自分の本当の親兄弟が誰なのかを知り、会いたいとの願望を強め、祖国の地に帰還することを熱望するように」なったことを「人間としての最も基本的かつ自然な欲求の発露にほかならない」ときわめて正当な評価を下している。判決を聞いた原告の一人はしみじみと「初めて日本人になれた」と述べたが、これが原告ら全員の思いである。兵庫訴訟の原告らの平均年齢は六七歳である。残された人生は永くない。神戸地裁判決を武器に法廷の内外の運動により一刻も早い全面的解決をめざしたい。
東京・台東協同法律事務所弁護士 焉@橋 力
現在、生存権裁判が全国で広まりつつあります。
私は、一〇月から弁護士になったばかりの五九期の新人弁護士です。この度、東京の生存権裁判弁護団に参加することになり、現在、二月一四日の訴訟提起に向けて活動中です。
一 生存権裁判について
全国各地で訴訟提起されている生存権裁判は、生活保護の老齢加算制度が段階的に廃止されたことによるものです。
老齢加算とは、老齢に伴い出費がかさむことから、七〇歳以上の高齢者、六五歳以上の重度障害者などに通常の生活保護とは別に加算して支給されていた給付金です。老齢加算の給付理由は、「老齢者は、他の年齢層に比し消化吸収がよく良質な食品を必要とするとともに、肉体的条件から暖房費、被服費、保健衛生費等に特別な配慮を必要とし、また、近隣、知人、親戚等への訪問や墓参などの社会的費用が他の年齢層に比し余分に必要となる」ためとされていました(昭和五五年一二月中社審生活保護専門分科会中間的取りまとめ)。老齢加算は、生活保護約一〇四万世帯中、約五三万世帯を給付対象とされ、その給付額は、平成一五年度、一級地で月一万七九三〇円でした。
しかし、政府は、平成一六年度から三年間で段階的に削減・廃止することを決め、これに基づき、地方自治体は、各行政処分庁を通じて、老齢加算の削減ないし廃止を行ったのです。月々五〇万円の収入の人の一万七九三〇円と月々約一二万円の収入の人の一万七九三〇円では、その影響が圧倒的に違います。
前記の加算理由は、現在においてもその意義が失われていないにもかかわらず、合理的な理由もなく廃止する処分は、憲法二五条で保障される「健康で文化的な最低限度の生活」を侵害するものです。また、高齢者であるため運動になりにくいと見込んでターゲットにしたと思われ、許せません。
二 原告の方々の生活実態
原告の方々は、七〇歳を越える年齢に達して、体力が低下し、病や身体に多くの障害を患う身になっているので、自ら働いて収入を得ることはできなくなっており、当然貯蓄などはありません。
食事につき、原告の中には、肉・魚などはほとんど食べずに豆腐等安いもののみを買い、それもスーパーなどで閉店間際の安売りを利用している方もいます。私が担当している方(原告の方の生活実態調査などは、弁護士が分担して行っています)も、高いのでお昼にお弁当すら買えない、と訴えておりました。
また、水道や光熱費を節約し、入浴は概して三日に一度くらいのペースであり、夜中は消灯を早めるなどしており、テレビなどを全く見ない方も大勢います。
さらに、孫や親戚のお祝い事や、友人や近所の人の葬式などにおいても、お祝いや香典のためのお金を工面できずに、出席どころか連絡すら取ることが出来ない実態もあります。こうした冠婚葬祭という人として基本的なことすら出来ないことを恥ずかしく思い、親戚や友人、近所との付き合いを完全に諦めてしまった方も少なくありません。
ここまで述べた生活実態は、原告の方々が老齢加算を受けていた当時のものであり、原告の方々は、この当時においてもぎりぎりの生活を送ってきたことがわかります。このような状況で、老齢加算廃止されたのですから、これから生活が破綻する方が増えるのは目に見えています。
三 東京生存権裁判弁護団、二月一四日に訴状提出へ
現在、既に秋田、新潟、京都、広島、福岡などで裁判が行われていますが、東京でも二月一四日に訴状の提出を決め、現在京都の弁護団員の方等の協力を得ながら訴状作成に取り組んでいます。
ただ、訴訟提起のためには、理論的な問題点、すなわち、原告適格との関連で、平成一六年四月一日時点で七〇歳に達していなかった方をどうすべきかという点、共同訴訟となった場合、原告らの各請求は行政事件訴訟法一七条にいう「関連請求」といえるかという点、請求の趣旨について、給付訴訟、義務付け訴訟のいずれにすべきかという点等、検討すべき事項が残されています。
また、事実上の問題点もあります。まず、原告の方々は、高齢であるため、長期の裁判に対する不安があります。ただ、幸い私が担当している方は、この裁判をやることで、他の多くの方のためになるのであれば、生きがいになる、とおっしゃってくれました。また、生活実態を詳しく調査するためには、家計簿をつけてもらったり、プライバシーにも深く踏み込む質問をする必要があり、これに対する配慮が必要となっています。
このような問題点もありますが、東京の弁護団は、二月一四日の訴訟提起に向けて奮闘中です。
全国で広がりつつある生存権裁判へのご支援をよろしくお願いします。
弁護団からのお願い
原告候補者はいずれも高齢であり、各論の主張立証のためには、弁護団が原告を訪ねて聴き取りを行う作業が必要です。現在、弁護団では、青梅にお住まいの二人の原告の担当弁護士を決めることができず、困っております。青梅にアクセスが容易な団員で弁護団に加入して一緒に活動をしてみようという方がおられましたら、歓迎しますので、ぜひ御連絡をいただけるようお願いします。
(文責 東京支部望月浩一郎、連絡先〇三―三五〇九―六七八五)
東京支部 内 藤 功
防衛省設置法と自衛隊法改正法案が昨〇六年一二月一五日参院で可決された。〇七年一月九日には防衛省が発足する。以後、防衛省は内閣府の撃肘を受けず、省として、関連法律案、政令案、重要人事案件の閣議請議や、省令の制定、予算の要求、執行をすることができる。また、自衛隊の国際平和活動が隊法第三条の本来任務となった。次は、海外派兵と武器使用の要件を緩和する「海外派兵一般(恒久化)法案」が焦点となってくる。
防衛省の危険なイメージは四点考えられる。(1)二〇数万の近代兵器を装備した武装集団を擁する省。(2)米国防総省と名実ともにカウンターパートナーとなる省。(3)談合、隠蔽、政治献金等の腐敗体質の利権の温床となる省。(4)国防の美名の下に、外交、財政、国土建設、交通運愉、医療薬品、教育文化、地方行政等の他分野で軍事優先を主張する省。
五四年の自衛隊発足以来五二年六ヵ月もの間、省ではなく、庁であったのは、憲法第九条と憲法第六六条二項(文民統制の原則)があったからである。明治以降の侵略戦争の反省の上である。日本の侵略戦争は、七〇年余にわたり、陸軍省、海軍省が膨大な軍事予算を有し、作戦、人的物的動員、人事、国民教育、思想統制にいたるまで政治的影響力をもって推進していったのである。省にしなかったのは、政府の行為により再び戦争の惨禍が起こることのないようにするための、憲法からの絶対的な要請からである。
アジアと世界の人々はもとより、日本国民の平和を願う世論と運動も、それを許さなかった。六四年六月政府は、いったん閣議で法案提出を決めたが、六五年二月衆議院予算委員会で自衛隊の秘密作戦計画「三矢研究」が暴露された。同時に札幌地裁で審理中の恵庭事件公判で、三夫研究統裁官を証人喚問して、詳細が暴露され、世論は自衛隊の危険な実態を認識した。これ以後、海外派兵、有事立法、集団的自衛権、徴兵制、愛国心などは政府にとってタブーとなった。防衛省など到底許さない国民世論が形成された。
今、省にすることを急いでいるのは、日米同盟の変革再編の推進のためである。日本政府は、〇五年一〇月の中間報告、〇六年五月の最終報告を、国会にも、国民にも、関係自治体にも、同意を得ることなく、米ブッシュ政権に約束した。ロードマップをつくって、沖縄の新基地建設、グアムの米軍基地の建設費用負担、岩国へ艦載機部隊の移駐と基地拡張、横須賀の原子力空母やイージス艦の永久基地化、座間基地への米陸軍新編第一軍団司令部の移駐等を実施に移すべく自治体対策を進めているが、住民と自治体の抵抗は頑強だ。政府は次国会に、協力奨励交付金を関係自治体に支出する法案を提出し、硬軟両用の切崩しを策している。防衛省を、その推進の拠点として再編しようとしているのだ。
日米同盟変革再編の、もうひとつの柱は、自衛隊を米軍並みの軍隊にすることの推進である。イラクでも、アジアでも、米軍と共同し、または米軍に肩代わりして、戦闘できる軍隊にしようとしている。とくに陸上自衛隊は急テンポだ。演習訓練に変化がある。イラクでの実戦経験のある米海兵隊または米陸軍部隊の指導で市街地戦闘訓練が重点的に実施されている。自民党国防部会の小委員会が六〇ヵ条の条文にまとめた海外派兵一般法案をみると、海外派兵を、国連決議や国連加盟国の要請ある場合に限定せず、国際平和のため必要ありと政府が認める場合にもできるようにした。海外に出た場合には、武装勢力等の行動を予防、制止、再発防止するために、武器使用要件を大幅に緩める内容である。正当防衛、緊急避難に該当しなくても、人に危害を与えることも容認する内容である。海外派兵禁止・武力行使禁止の歯止めを大幅に外すという内容である。
法案は通ったが、〇六年七月以降一二月の半歳、私は全国各地での講演活動を通して、日米同盟下の自衛隊の実態の認識が深まっていることに確信を強めた。基地周辺の人々からは、旧防衛施設庁職員が、防衛省地方企画局員とか地方防衛局員とかの新しい名詞をもってきても「談合問題はどうなったの?腐敗体質の改善が先決じゃないの?」と言ってお帰り願おうという話も出た。練馬の第一師団司令部の門前で、一一月二一日夕刻、地元住民と練馬労連や平和委員会の方々が退庁してくる約一〇〇人の若い自衛隊員たちにビラを渡した。「防衛省になるって自衛隊が軍隊になるの?」という私の講演の載ったビラだ。隊員の態度は好意的で、四人に三人がうけとって、真剣な眼差しで食い入るように歩きながらビラを読んでいく。外部からの情報に飢えているようだった。或る自衛官の家族は「米軍と同じような軍隊になるのではないか、心配だ」ともらしていたという。
防衛庁、自衛隊の上層部は、省昇格で張り切っているようだが、最大の弱点は米軍再編に対する自治体と住民の反対だ。それと、隊員の意識だ。一一月二四日の衆院安全保障特別委員会で、久間防衛庁長官は、隊員の自殺が一〇年間に七七九人に達したことを答えたが、付け加えて「最近は年百人を超えている。若者の同年代では平均値だ。けれど、訓練されて精強な自衛隊として志願してくるわけでしょう。そこが他の平均値と同じというところに問題がある。なんでだろうか、なかなかわからない。借金もあるでしょう。ノイローゼもあるでしょうが、なかなかつかめない」と苦悩している。自衛隊の任務の変化が大きな原因だ。海外で米軍なみの戦闘をする軍隊になるための演習訓練についていけない隊員が出てくることは不可避だ。八月二五日、九州の大野原演習場で第四師団の演習に参加した一等陸士(二〇才男性)は演習がきつくて嫌になったと、初日の午後八時半頃、無断で演習を離脱。銃剣、弾倉、防護マスクを演習場外の側溝に放置。迷彩服のままタクシーで玉名市の実家に戻った。翌日母親が欠勤の電話をしてきた。処分は一日欠勤で停職一六日。警務隊は銃刀法違反で書類送検。この種事件は氷山の一角。矛盾は広がる。我々の闘いはこれからが正念場だ。ひたすら、憲法を武器に闘うときだ(〇六・一二・二五記)。
東京支部 飯 田 美 弥 子
一 少年法「改正」案の特徴
昨年一一月一四日、衆議院本会議で少年法「改正」案(以下、「法案」といいます。)が審議入りしました。「子どもが変わった」「規範意識が低下している」などのキャンペーンの下、法案を是認する世論が形成されているように見え、心配です。
法案は、(1)一四歳未満の子ども(小学生に相当)も、児童自立支援施設だけでなく、少年院にも送れるようにし、保護観察中に遵守事項(早寝早起きする、学校を休まない、など)を守らなかった少年のことも、少年院に収容できるようにするなど厳罰化と、(2)犯罪ではないが、法に触れる行為をした少年(触法少年)や、犯罪には至っていないが、犯罪を犯すおそれがある少年(虞犯少年。「ぐはん」と読む)についてまで、警察官の「調査」権限を拡大強化することなどを主な柱としています。
厳罰化による威嚇と警察による取締で、少年犯罪を封じ込めようという、力にものを言わせる発想になっています。「強い家長」を中心とした封建的家族観への郷愁を強く持っている、政府自民党が考えそうな中身です。
教育基本法改悪と連動すれば、「威嚇も取締も社会のためなのだから、ありがたく思わなければいけません。ありがたいと思わないのは、国を愛していないことです。」という論理になってしまいます。子どもが伸びやかに自分の個性を発揮する機会は制限され、国に迷惑をかけない範囲で存在することを許される存在として、社会から取り扱われることになるのです。
このような法案で、少年犯罪を減らすことはできるのでしょうか?そもそも、このような「改正」をする必要はあるのでしょうか?
私は、いずれも「否」だと思います。以下に、その理由を述べましょう。
二 非行少年は、「不幸少年」
重大な非行をおかす少年は、ほとんどが、資質や境遇において、様々なハンディを背負い、自己肯定感や自尊感情を持てていない子ども達です。
親の経済力が不安定であることから、万引きをしてしまう、という例は、理解しやすいことでしょう。が、経済的には恵まれていても、幸せでない子どもも多くいます。
少年事件ではありませんが、少女を監禁し、「ご主人様」などと呼ばせていたとして、マスコミに「監禁王子」と書かれたりした、青森県出身の男をご記憶でしょう。私も直接事件を担当した訳ではなく、新聞等で報道された情報しか知りませんが、その犯人の家が裕福であったことは、前刑のときに多額の賠償金を支払ったことからも間違いないと思われます。母親は、犯人を溺愛していながら、自殺してしまった、と報道されています。犯人にとっては、自分の力で生きていく術を教わる機会がないまま、突然、一人にされたも同然でしょう。他人との人間関係を築く方法を知らない犯人を、刑罰に服させるだけで、人間関係が築けるようになり、更生できるのか。私は疑問だと思っています。何らかの教育的な手当、「育て直し」が必要だろうと考えます。(もっとも、犯人が既に成人であることからすると、そのような教育を受け入れるだけの感受性をいまだに備えているかはわからず、少年事件と全く同様には論じられなくところです。)
父親からの受験指導に疲れて、自宅に放火した奈良の高校生も、経済的には恵まれていながら、孤独であり、学業ができても、なお、自己肯定感を持てない少年でした。
非行少年の多くは、不幸少年なのです。
現在、悲しいことに、児童虐待が社会問題化しています。被虐待児が、空腹の余り、コンビニで万引きしたことで、虐待の事実が発覚したこともあります。非行は、少年の背後にある、少年には解決できない問題の発現であることがほとんどです。
特に、一四歳未満の子ども達の非行防止には、家庭的な人間関係の中での「育て直し」「育ち直し」が必要であり、有効です。
現在の児童自立支援施設による対応は、十分に成果をあげています。むしろ、問題は、自立支援施設が人員・設備ともに不十分な数で運用されていることなのです。
三 威嚇で、人を信頼することは学べない。
保護観察中の遵守事項違反で、少年院に送ることもそうです。どこにその必要があるでしょう?子どもが、未熟であるが故に約束を破ってしまうことは、当たり前にあることです。非行でもなんでもありません。現場の保護司さんも、「遵守事項違反があっても、少年を信頼して待ち続けている私がいることに、少年は新鮮な驚きを覚え、人を信頼することを学んでくれます。そうやって私が接してきた少年に、リピーターがいないことは私の誇りです。」と、法案に反対しています。
四 「赤毛のアン」も非行少女に
前述の虞犯少年に加えて、法案では、「虞犯の疑い」がある場合までも、警察の調査の対象とされています。「おそれの疑い」。なんとあいまいな概念でしょう。一体全体、どんな場合に調査がされるのか、予想がつかないではありませんか。
読者の皆さんは、「赤毛のアン」を読まれたことがありますか?
アンは、同級生に、コンプレックスである赤毛のことを「にんじん」とからかわれて、激怒。当時、ノート代わりであった石盤をその同級生の頭に打ち付けて、石盤を割ってしまいます。先生から、罰として立たされますが、怒りがおさまらないアンは、翌日から、不登校を始めます。
教室内で暴力を振るい、先生の指導にも反省せず、怠学の挙に及んでいるわけで、立派に、警察によって事情聴取がなされ得る事案です。
しかし、アンの養父母は、アンを無理に学校に行かせることはせず、様子を見ることにします。アンが学校に行くことになるのは、リンゴ酒をリンゴジュースと間違って、親友に飲ませ、悪酔いさせてしまったために、親友の親から絶交を命じられたときです。親友の姿を見るために、復学するのです。
物語のように、子どもが自分で立ち直る機会を、見守りながら待ってやる姿勢こそが、大人には求められているのではないでしょうか?
警察官の厳しい取調の前には、成人でさえも、その場しのぎに嘘の自白をしてしまう例が後を絶ちません。捜査ではなく、「調査」だと言ったところで、本来、犯罪捜査を専門とする警察官が、少年と見るや、家裁の調査官のように児童心理学などの素養を備えた聞き取りができるようになるはずもありません。外界と隔離された密室での聞き取りだけでも、少年にとっては恐ろしいことです。
現に、沖縄では、警察の取調によって、少年が発生していない放火事件まで「自白」してしまった例が報告されています。
警察官の調査によって真実が解明できるというのは、幻想です。
警察官が調査することになれば、赤毛のアンでさえも、非行少女と見なされ、ますます自己評価を下げ、おどおどとした人生を強いられることになってしまったかもしれないのです。
五 子どもだけの問題ではない。
警察官による調査は、少年本人だけを対象とするのではありません。少年の成育環境にいる成人(保護者・学校関係者)にも及びます。
「犯罪を犯す虞の疑い」というはっきりしない理由で、広汎な成人にまで警察調査が及ぶのです。犯罪でないことを根拠に、警察が私人の生活に介入するのは、人権侵害の虞が強いです。
のみならず、警察が調査するようになれば、保護者・学校関係者までが、子どもそのものの発達ではなく、警察の意向に神経を使うことになるのは必定です。子どもはますます孤立してしまいます。
このように、法案は百害あって一利もありません。どうか反対してください。
「孟母三遷の教え」をご存知でしょうか?成育環境によって子どもが変わることに気づいた孟子の母が、三回も引っ越しをした、という故事です。古来、子どもの動向は、大人社会の鏡なのです。児童虐待や飲酒運転による事故などを思い起こせば、大人社会の歪みが子どもの成育環境を悪くしていることは明らかです。小手先の少年法改正よりも、大人が、まず、子どもに胸を張れる社会にしなければならないと思います。
東京支部 山 本 哲 子
このほど団員である窪田之喜さんの「七生養護学校事件から教育を考える」と平和元さんの「国民保護法と地方自治の破壊」と題する二つの書き下ろし論文を収録した本が出版されました。私たちは地元でNPO法人日野・市民自治研究所を作り、憲法、地方自治にまつわる研究活動を続け、毎年研究成果を本にして出版しています。 今回はその第三号で、今政治の最も重大な関心事である二大テーマを真っ正面から取り上げた力作です。
窪田さんの論文は、私たちの住む日野市にある七生養護学校で行われた性教育「こころとからだの学習」に対し、都議会議員、都教委、一部マスコミが結託して、「非常識、過激な不適切教育」として名指しし、他の障がい児学校も含め一一六名の教員が処分されるといいう前代未聞の事件を目の当たりにし、あらためて教育の自由とは何かを問うたものです。
教育裁判史に残る杉本判決、最高裁判決としてなお維持されている旭川学テ判決の理論を丁寧に読みこなし、田中耕太郎の著書にも触れ、戦前から戦後にかけての教育思想をひもとき、それが教育基本法に結実されたこと、さらに近代教育思想、近代市民憲法にまで遡って検討しています。
そして、発達可能態である子どもの学習権をかけがえのない生来的権利として中核に据え、親の教育責務(教育権)と教師の教育の自由は子どもの学習権に由来するものであること、教師の教育の自由は、教育が精神的創造的活動を本質的営みとすることから学問の自由をも有し、教師は裁判官的独立を有すること、国は子どもの学習権の生存権的側面から教育の外的事項の整備義務を負うにとどまることを、明快に力強く解き明かしています。
七生養護学校における親と教師の切実な要求をもとに長年にわたり積み重ねてきた生きた教育実践である「こころとからだの学習」を一握りにひねり潰した都議、都教委らに対する怒りに、憲法と教育基本法を軸に近代以後の教育思想史の重みを携えて反撃できるという確信を得ることのできる論文です。
この書評がお手元に届く頃、もしかしたら教育基本法の改悪が強行されているかもしれませんが、どんなに法律が変えられようとも、子どもたちの学習権とそれに応える教育はこれを突き破る強さを持っているものである、そんなことも感じさせてくれる本です。教育基本法改悪論議でともすれば見落とされてきた「教育の自由」について、この本をお読みいただき、もう一度思い起こしていただればと思います。
平さんの論文は、自由法曹団の事務局長時代の経験も含めて多くの経験と豊富なデータに裏打ちされたものです。平さんは、「この時期にこのタイトルの論文を執筆する意義を感じて、多くの資料を自分の問題意識に沿って紡いでいった」と話していますが、まさにそのとおりです。
この論文では、「国民保護法」という命名とは逆に、これが国民を戦争に巻き込む現代版国民総動員法だということを、戦後の平和憲法から再軍備に至る歴史、とりわけ九〇年代以後加速した日米軍事同盟の強化と有事法制制定の嵐、さらには自民党改憲案の内容から解き明かし、「国民保護法」が平和憲法に真っ向から対立するものであることを明らかにしています。
さらに論文は「国民保護法」を地方自治の観点から検討を加えています。
「国民保護法」は、自治体に「国民保護計画」の作成を義務づけました。有事には自治体も病院や施設、道路を提供し、住民組織も作り、有事に備えて日常から訓練をせよ、というもので、戦前かと見まがう事態が私たちの生活の身近なところで進行していることに恐怖すらおぼえます。しかも「保護計画」の策定や訓練のノウハウを自衛隊OBがつくる企業が丸受けする戦争ビジネスも横行しているというのであり、その実態にも驚かされます。
そして「国民保護法」は、軍事という中央集権でなければなしえないシステムを自治体の仕事として与えることにより、平時から有事に備えた中央集権の体制を整えさせ、その結果地方自治を破壊するというもう一つの重大な危険性があることも指摘しています。
これに対し平和憲法、地方自治の立場に立つ自治体の苦悩の実践も紹介されています。
「国民保護法」が九条、第八章地方自治をはじめとする憲法の総否定であるということ、立憲主義を取り戻すことこそが主権者である私たちのやるべきことであると、この論文からの真剣なメッセージが伝わってきます。
最も政治課題について議論を深めていらっしゃる団員の方々に、とりわけお薦めの一冊です。教育基本法と「国民保護法」の議論をもう一度深いところから問い直してみてください。
日野・市民自治研究所叢書「まちの弁護士が語る教育と平和」
窪田之喜・平和元著 発行・自治体研究社定価一五〇〇円(税込)
問い合わせ先 かたくり法律事務所 山本哲子まで
TEL〇四二―五八二―七二八五
FAX〇四二―五八二―七二八六