<<目次へ 団通信1233号(4月11日)
徳井 義幸 | 自衛隊イラク派兵 =空自輸送業務の実態の徹底的解明を |
城塚 健之 | 公益法人改革とその問題点について |
井上 正実 | 龍太郎事件から見えてきたもの―その一― |
後藤 裕造 | 成田、北総で生きる |
板倉 由実 | 東京海上日動外勤社員地位確認請求事件 〜企業は誰のために存在するのか。非情なリストラに警笛。 |
一 はじめに
全国の裁判所で、イラクへの自衛隊派兵の違憲性を問うイラク派兵差止訴訟が闘われている。安倍内閣は、今年七月のイラク特措法の期限切れを前にして、特措法の期限を延長して米軍への軍事的加担を継続する方針であると報道されている。大阪でも昨年七月の大阪地裁の不当判決に控訴して、現在控訴審が闘われているが、控訴審では陸自撤退という情勢を受けて、空自による輸送業務の実態解明が大きな争点となっている。すなわち、控訴審では、我々は空自の輸送業務の実態を解明すべく、航空支援集団司令官が作成した空自の「週間輸送業務実績」の開示(情報公開法による開示請求に対してはわが国の安全を害する虞があるとして大部分が黒塗りとされ不開示となっている・別添資料参照)を求める文書提出命令等の採用を求めており、その採否が大きなポイントとなっている。本稿は、その内容を紹介して、空自の輸送業務の違憲性と空自を含めた自衛隊の完全撤退を求める闘いの必要性を訴えるものである。
二 空自の輸送業務の実態は?
1 空自の輸送業務の実態解明の必要性
航空自衛隊は、〇四年三月以降、Cー一三〇H輸送機三機、人員約二〇〇名の空輸隊を派遣し、日本の人道復興関連物資、多国籍軍関係等の物資・人員などを輸送してきた。陸自部隊撤収後も国連や多国籍軍のニーズに応えるとして活動を継続し、治安悪化の顕著なバグダッド等に対する空輸も含めての輸送業務を実施している。〇六年一二月下旬までの輸送実績は、輸送回数四三〇回以上、輸送人員・物資重量総計約五〇〇トンに達している。
ところが、国は情報公開請求に対して、輸送実績のうち、〇四年三月三日に医療機器を輸送したという僅か一回の物資輸送実績を明らかにした他、〇六年八月には外務大臣を輸送したこと、また陸自撤退後の空自による輸送業務の大義名分の一つとされている国連関係の輸送については、〇六年九月に四便の輸送をしたことを開示したのみで、その余は全て不開示としている。
ところで、この輸送業務には、武装米兵の輸送が含まれていること(自衛隊も認めている)、輸送先が戦闘地域であること等よりして、他国・米軍の武力行使と一体化した活動であり、従前の政府解釈をもってしても違憲と言わざるを得ないものである。すなわち政府自身が、違憲とする「他国の武力行使との一体化」の判断基準として、(1)戦闘行為が行われまたは行われようとしている地点との地理的関係、(2)協力の具体的な行為の内容、(3)武力行使を行っている者との関係の緊密性、(4)協力しようとする相手の活動の現況を総合的に勘案して判断するとの見解を示してしている。(第一三六国会参議院内閣委員会大森内閣法制局長官)。従って、空自の輸送業務が、いかなる人員・物資をどこからどこへ輸送しているのか、輸送される武装した米兵が輸送先においていかなる軍事的活動と任務に従事しているのか、あるいは物資中に武器や弾薬等が含まれていないのか等を、輸送実績やその作成者である司令官の証人尋問により検証することは、国の九条解釈を前提としても、不可欠というべきなのである。
2 不開示資料(黒塗り資料)の分析結果
また、前記の不開示資料を分析する限りでも、次の事実が判明する。
(1) まず、運行便数・日数と人員項目数、貨物項目数(便宜上空自が人員・貨物を輸送したことを記載した欄の一行を一項目としてカウントした数値による)を月別に集計し、これをグラフ化したものが添付のグラフである。そして、このグラフより以下のことが読み取れる。
(i) まず空自の輸送業務は、圧倒的に人員輸送業務が占めており、物資輸送は極めて少ない。これは、人道復興支援業務が医療機器の輸送や生活物資の輸送を中心とすることになることを考えれば、空自の輸送業務が、実際には人道復興支援とは無縁の武装した米兵等の人員輸送を専ら行っていることを示している。また、医療機器や生活必需品の輸送であれば、それを開示するであろうが(現に医療機器の輸送については一回のみであるが、物資の内容を開示している)、物資輸送についてもその内容を全く開示しないのは、輸送物資も人道復興支援とは無縁の占領軍の軍需物資であることを容易に推定させる。
(ii) 次に、年別に見た運行便数及び人員輸送項目を比較すると、〇四年から〇五年の運行便数は月平均一一〜一二便であったものが、〇六年には一四・四便と増加し、人員輸送項目についても〇六年は〇四年のほぼ倍に増加している。
さらに、陸自撤退の前後でみた同様の比較をすると、陸自の撤退後は、それ以前と比較して、運行便数が三〇パーセント以上、人員輸送項目については五〇・六から一一一項目へ倍増している。
これは、国がイラクへの人道復興支援と称するのとは全く逆に、イラク占領後の自衛隊の活動が、米軍を中心とした占領軍への軍事的加担を拡大し強化していく方向にあったことを示すとともに、陸自撤退後については、国民に真実の情報を開示しないままに軍事的加担を強化・拡大していることを示すものである。
(2) さらに輸送便数と人員項目数の増減とイラク情勢との関連性である。
(i) まず、グラフの輸送便数・人員輸送項目の増減をみれば、〇四年一〇月から〇五年二月の輸送便数と人員項目の増大が顕著である。
ところで、〇四年一一月は米軍によるファルージャに対する総攻撃と住民に対する大量虐殺が実行された時期であるとともに、〇四年一二月にはそれまで一三万八千人であったイラク占領米軍を、翌年一月実施予定のイラク国民議会選挙に向けての治安対策強化のため一五万人の米軍駐留体制とすべく米軍増員が決定・実行された時期である。
すなわち、この時期における空自による人員輸送の増大は、ファルージャ総攻撃と米兵増員の支援としての武装米兵の輸送業務の拡大であることは容易に推測できることである。
(ii) また、前記グラフによれば、〇五年八月から同年一二月までの人員輸送の増加も顕著である。そして、この時期は一〇月一五日の憲法国民投票を控えて、九月のバグダッドでの一五〇人以上の死者を出した、当時としてはイラク占領開始後最大の犠牲者を出した自爆テロの発生などの情勢の下、米軍による武装勢力に対する掃討作戦の名によるイラク住民に対する無差別攻撃が強化された時期でもある。
これも、空自の輸送業務の拡大が米軍の軍事行動の推移と具体的・密接に関連していることを示しており、空自の輸送業務の米軍の武力行使との一体性を示している。
以上の如く、これらの事実は、イラク情勢の険悪化、米軍のイラク国内での武力行使・掃討作戦の強化と空自の武装米兵の輸送業務の拡大・強化が、密接に結合していることを示すもので、空自の輸送業務が米軍に対する軍事的支援としてその武力行使と一体化しているものであることを具体的且つ明確に示しているものである。
三 自衛隊のイラクからの完全撤退を
以上のとおり、自衛隊のイラクでの活動・空自の輸送業務の実態は人道復興支援とは無縁の、米軍を中心とした多国籍軍による掃討作戦・軍事行動と不可分一体のものであり、それは国の従前の九条解釈にも反する違憲なものであるうえ、国連憲章違反・国際人道法違反のイラク戦争とそれに引き続く占領への軍事的加担以外の何ものでもない。それだからこそ国は空自の輸送業務実態を明らかにしないのである。
全国の自衛隊イラク派兵差止訴訟の先鞭をつけた亡箕輪氏が「自衛隊はわが国の防衛のため、専守防衛のためなんです。そのために志願して、外国の侵略にそなえているんです。僕は、これは素晴らしいことだと思っておるんです。それを侵略戦争の共犯者にするんですか。小泉首相はあんまりだ。私は・・・止むに止まれないんです。このままいったら日本はどこへいくんだろう。」と語っている思いは、真実を知れば必ず国民多数の思いになると確信している。
自衛隊のイラクからの完全撤退を求める声を、いまこそ大きく広げたいものである。
一 公益法人改革とは
二〇〇六(平成一八)年五月、公益法人改革三法が成立し、明治以来続いてきた公益法人(社団法人、財団法人)に関する法制度が抜本的に変わることになった(平成二〇年度までに施行予定)。
ご承知のように、公益法人は、公益活動を目的とする法人で、設立には主務官庁の「許可」が必要とされ(民法三四条)、多くは行政の外郭団体として設立されてきた(もちろん、それだけではなく、たとえば財界団体である日本経団連や大阪・京都・福岡の自治体問題研究所は社団法人、西淀川公害裁判の解決を機に設立された「あおぞら財団」は財団法人である)。
新法はこうした公益法人制度を抜本的に改め、(1)配当を目的としない非営利の社団または財団については、公益性の有無にかかわらず、届け出だけで法人格を取得できることにし(準則主義)(一般社団・財団法人法)、(2)一般社団・財団の申請により、内閣総理大臣または都道府県知事が、民間有識者からなる委員会に諮問し、その答申を受けて公益認定すれば、税法上の特典を与えるというものである(公益法人認定法)。あわせて、既存の社団法人・財団法人の新制度への移行手続なども定められている(整備法)。(注1)
二 新法下での既存の公益法人の運命は
既存の公益法人は、法施行後五年間の移行期間内は、「特例社団法人」、「特例財団法人」(特例法人)として存続する(整備法四〇条)。この移行期間内に、特例法人は次のいずれかを選択することになる。
(1) 行政庁(内閣総理大臣または都道府県)に、公益認定を申請する(整備法四四条)。この場合、行政庁は、内閣府に設置される「公益認定等委員会」または都道府県に設置される「合議制の機関」に諮問する(公益法人認定法四三条、五一条)。
公益認定されれば「公益社団法人」、「公益財団法人」となり、税法上の優遇措置が受けられる(ただし詳細は未定)。
(2) 行政庁に、「一般社団法人」、「一般財団法人」への移行認可を申請する(整備法四五条)。
(1)の申請が却下された場合には、改めて(2)の申請をする必要がある。
(1)の公益認定、(2)の一般法人への移行認可のいずれもないまま、移行期間を経過すれば、特例法人は解散とみなされる(整備法四六条)。
三 政府の説明
公益法人制度改革を謳った「公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針」(平成一五年六月二七日閣議決定)では、「民間非営利部門は、…行政部門や民間営利部門では満たすことのできない社会のニーズに対応する多様なサービスを提供することができる。その結果として民間非営利活動は、社会に活力や安定をもたらすと考えられ、その促進は、二一世紀の我が国の社会を活力に満ちた社会として維持していく上で極めて重要」であり、「民間非営利部門を我が国の社会経済システムの中に積極的に位置付け、その活動を促進するための方策を講ずる必要がある」ところ、「近年に至るまで、一般的な非営利法人制度がなかったため、時代の変化に対応した国民による非営利活動の妨げになっていた」とされている。
確かに法人格がないと取引や財産管理は不便であるが、それにしても民間非営利活動のこの持ち上げぶりはいったい何なのだろうか。
四 本当の理由は新自由主義の要請
今回の公益法人改革は新自由主義の要請によるものと考える。理由は以下のとおり。
1 新自由主義は、行政コスト削減を求めるため(小さな政府)、行政の別働隊として機能していた外郭団体(その多くは公益法人)の整理縮小を要求する。また、民間企業と競合する分野については、非営利の公益法人の存在は自由市場の阻害要因となる。二〇〇六(平成一八)年五月に成立した行革推進法が政策金融の統廃合をはじめとする特殊法人改革や市場化テストを目玉にしていたことは記憶に新しい。現在の公益法人数は国所管で約七〇〇〇、都道府県所管で約一万九〇〇〇とされているが、(注2)これを整理するための法的ツールが必要とされたのである。行革推進本部が制度改革を進めていることからも、このことは明らかである。
2 新自由主義は、社会の多くの領域を市場原理に巻き込むが、社会活動のすべてをこれで包摂することはできない。不採算であるため営利企業が進出せず、行政もカバーしないという空白地帯が広範に生み出される。だからといって、これらの領域がまったく放置されれば、それは社会の不安定要素となる。このような間隙を埋めるために、社会統合の観点から、人の善意をあてにした民間非営利活動が求められる。これまでも、民間非営利活動を行う団体に法人格を与えるものとして、NPO法人、中間法人が制度化されてきたが、今回の改革は包括的な制度として整備するものである(なお、今回の改革で中間法人は廃止されるが、NPO法人は存続する)。(注3)
3 さらには、あらゆる団体が容易に法人格を取得できるようにすることは経済活動の活性化にも資すると考えられる。
4 他方、行政の周辺に存在する特殊法人や公益法人は、「談合、天下り、政治献金」といった強固な利権構造を有していて、批判の対象となってきた。上記閣議決定にはこうした批判を受けとめるかのようなくだりも出てくる。しかしながら、公務員制度改革の文脈では、天下りを自由化する(事前規制を撤廃して事後の行為規制だけにする)というのであるから、これらの批判をまじめに受けとめて制度設計しているとは考えられない。
5 こうして、民間非営利団体の法人格取得を容易にする一方、公益認定を厳格にすることで、税法上や社会的信用などの特典を得られる領域を制限し、自由市場に対する阻害要因とならないようにしたのが(イコールフッティング=競争条件の平等化)今回の公益法人改革のねらいと考えられる。
五 予想される問題点
このような公益法人改革によって以下の問題発生が懸念される。
(1) 公益認定が得られない特例法人の社会的地位・信用低下。
(2) (1)と裏腹の問題であるが、暴力団や犯罪集団も含めた悪質団体が容易に法人格を取得できるようになる(規制はすべて被害が具体的に発生した後の「事後規制」)。会社設立も容易になったのだから同じではないかと思われるかもしれないが、「一般社団法人」、「一般財団法人」という名前に惑わされる国民は多いのではなかろうか。
(3) 公益認定が得られない特例法人に対する課税強化による経営圧迫。そうでなくても、外郭団体は、指定管理者制度や市場化テストにより営利企業に事業を奪われるなど、大きな困難に直面しており、特例法人の解散・統廃合(淘汰)・リストラが発生するおそれがある。なお、統廃合を容易にするために、それまで公益法人になかった合併制度も新たに設けられている(一般社団・財団法人法二四二条以下。特例法人については整備法六六条以下)。
事前に事態を把握して問題提起ができなかったことは残念であるが、今後、各方面でさまざまな問題が発生することが予測されるので、公益法人を運営する立場からも、そこで働く労働者の立場からも、さらには消費者などの立場からも、対応を検討しておく必要がある。
(注1)新法の概要及びこれに至る経過については行革推進本部
「公益法人の改革について」
http://www.gyoukaku.go.jp/about/koueki.html 参照。
(注2)総務省「公益法人データベース」
http://www.koeki-data.soumu.go.jp/
(注3)新自由主義におけるNPOなど民間非営利団体の位置づけについては、中西新太郎「リアルな不平等と幻想の自由」(竹内章郎ほか『平等主義が福祉をすくう』青木書店、二〇〇五年)参照。
一 団員の皆様へのご報告
1 私が投稿した二月一日号(一二二六号)の団通信記事を見て、多くの団員の皆様方から身に余る資料提供や助言をいただき、感謝を申し上げます。特に、専門知識に欠けている私に対し、面識もない某団員(匿名は御本人の希望)の方の資料提供については、言いようもない感謝の気持ちでいっぱいです。
2 おかげさまで本案審判(子の引渡請求)で、保全審判(子の仮の引渡)をひっくり返し、子どもの引渡の本案請求を却下させました。産みの母親の監護者指定を認めさせることで、龍太郎は母親の元で姉兄と共に地元の小学校へ元気よく通学しています。
龍太郎と私にとっての生命の恩人とも言える某団員の方からご協力を賜ったことを、龍太郎はもとより私からも重ねてお礼を申し上げます。
3 最終的には、親権変更の申立を取下げざるを得なくなり、監護者指定の申立に変更しました。この訴えの変更による解決の方法も、前記の某団員からの的確なアドバイスでした。
家裁支部では、産みの母親の監護者指定の申立が認容され、龍太郎は母親と姉兄の元で幸せに生活できる最低ラインだけは確保しました。しかし、監護者の指定と親権変更とでは、質的にも異なっていて、母親の監護者の指定では解決できない幾つかの事例も既に発生しています。
4 やはり我が国の民法上の親権は、子どもにとっては大変な力を持った権利です。虐待する実父と養母の親権が残されたままで解決することは、龍太郎の母親の元での生活の福祉の障害となっています。親権変更が認められる法律に変えてゆくことが、今日の急務の課題となっています。
二 事件の概要
1 小学五年の男子児童である龍太郎が、親権者である実父と養母の虐待に耐えかねて産みの母親の所へ逃げ帰った事件です。
私は、龍太郎が産みの母親の元へ逃げ帰った直後に、実父と養母の共同親権から母親への親権変更の申立を行いました。この親権変更の申立に対する反撃として、虐待する実父と養母の側から「子の引渡請求」と「子の仮の引渡請求」がなされたのです。
2 私が先の団通信で訴えていた事件は、右の「子の仮の引渡請求」の保全審判で、家裁は「龍太郎を虐待する実父と養母の元へ仮に引渡せ」と、眼を疑いたくなる保全審判だったのです。
三 私の事件取組みの仕方
1 龍太郎が共同親権者の元から逃げ出して来たことについて、私の民法上の知識の欠如による親権変更の申立という方法で、龍太郎は逃げ出して来た産みの母親の元で、心おきなく暮らせるものと誤信していたのです。
当地の家裁支部は、私の予測と全く異なり「虐待をする実父と養母の元へ龍太郎を仮に返せ」という趣旨の主文を下し、私を含む多くの支援者の方々が一様に愕然としたのです。
2 その常識はずれとも思える保全審判のことを団通信で訴えていたところ、全国から様々な資料の提供があり、その資料の中には「目から鱗が落ちる」ほどの貴重な物もありました。
その資料が貴重であることを私も理解していました。しかし、昭和五〇年前後ころの裁判例がある中で、「実父と養母との共同親権」のもとでの虐待を、私がいくらその虐待の事実を繰り返し訴え続けたところで、これが無益な作業であることを私は十分に自覚していなかったのです。
四 民法の「親子の規定」の憲法違反
1 現憲法、平成六年に調印した「子どもの権利条約」、平成一二年に「国会」で成立した虐待防止法―これらの条約や法律の規定のうちでも、子どもの人権は詳細に保護されています。
しかし、家裁の現場では、現憲法、子どもの権利条約、虐待防止法はいずれも見えておらず、憲法違反と思われる民法第四編第四章の「親権」(親の権利)の規定しか見えず、審判官の怪しげな「良心」に基づく審判がなされたのです。それが憲法で保障されている裁判官の怪しげな「良心」の結果ですから、不当な審判だといくら抗議をしても、裁判官は何の責任を取らなくて良いことになっています(憲法第七六条三項参照)。
2 民法の「親権」の規定は、現憲法下の昭和二二年に制定されて以来、この六〇年の長きに亘って一切の改定もなされていません。 民法の「親子の規定」は、子どもには憲法違反の法律です。民法の「親子の規定」のうちでは、「子どもの権利」を保障する条項は見当たりません。私の訴えが疑わしいと思われる方は、二〇〇一年一二月三日の「参議院共生社会に関する調査会」における議事録を参照してください(調査会議事録はインターネットで誰でも入手可の情報)。
3 民法の「親子の規定」は子どもにとっては、次のように違憲の法律になっています。
(1) 民法第八一八条一項では、「成年に達しない子は、父母の親権(親の権利)に服する」と規定しています。子どもは「親の権利の客体」に過ぎず、民法上では親が可愛がっているペットと同じ立場にあるのです。その詳細な理由は前記国会議事録を参照してみてください。
(2) 同法第八二二条一項前段では、「親権を行なう者は、必要な範囲で自らその子を懲戒することができる」と規定しています。
子どもは親の権利の客体ですから、親が可愛がっているペットと同じように、親は自分の意のままにならない「権利の客体」である子どもを、自由に懲戒することが可能となっているのです。
親の子に対する憲法違反の懲戒権の規定から、親の子に対する暴行あるいは傷害は、刑法上でも違法性阻却事由と看做されています。(3) 同法第八二二条一項後段では、「親権を行なう者は、家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる」とも規定しています。
民法の「親子の規定」では、子どものことを「これ」(=動産)扱いにしています。親が見放した子どもの教育を国営施設である「懲戒場」に強制的に入所させ、国のもとで教育をし直し、国家にとって都合の悪い子どもを教育し直してゆくことが、民法上では可能となっています。
但し、現行法のもとでは、「刑務所」「少年院」と同じレベルの「懲戒場」の施設は、未だ設けられていません。しかし憲法が変えられてしまったなら、国は何時でも強制教育施設である「懲戒場」を設けることが出来るようになっているのです。
4 民法の「親子の規定」は、子どもの基本的人権を認めない憲法違反の法律です。現在の民法の「親子の規定」は違憲の法律だということを、三三年の弁護士の年になってやっと理解出来たのです。 この憲法違反の民法の規定は、何としても国会の場でも取り上げてもらい、子どもの福祉と権利を中心とする「親子に関する法律」を成立させなければなりません。家裁の現場で子どもの基本的人権を守ってゆくことには、現行法のもとでは自ずから限界があるのです。
五 その他の問題点
この龍太郎事件を通じて私に見えてきたことは、民法の「親子の規定」が憲法違反というだけではなく、驚くべき諸問題が火山の爆発のように発生しています。
これらの諸問題については、いずれ適当な方法で団通信愛読者の方への報告義務があるのではないか、と思っているところです。
さる三月一七日(土)に、全国幹事会の懇親会の席上で、弁護士法人の自由法曹団員拡大についての効用について発言したところ、本部から執筆の依頼を受けましたが、全国の団員が行っている活動と大差ないので、ハタと困ってしまいました。
そこで、若手弁護士の参考になればよしと判断して、入団後の生き様を紹介することにしました。
私は、一九七四(昭和四九)年、弁護士登録し、千葉中央法律事務所に入所すると同時に、自由法曹団に入団しました。
そのころ、同事務所には、高橋勲弁護士をはじめ三名がいましたが、私と白井幸男弁護士が加わり、五人に増えました。
その後、次々と有能な弁護士が入ってきて、千葉県内では大事務所に発展しました。
私は、千葉川鉄公害事件、東電思想差別事件、千葉銀行差別事件、オリエンタルモーター不当労働行為救済事件、日立精機転属解雇事件、等の弁護団の一員として参加しました。
今から顧みるに、自由法曹団員でなかったら、当時、体が強い方でなかったし、先輩たちのように優秀ではなかったので、とても上記大事件を弁護団の一員として、やり抜くことができなかったものと思う。
その後、一〇年間、大事件が次々と勝利(判決、和解)し、その後大型事件が発生しなかったので、胸に秘めていた「地域の人たちと身近かに接し、そのニーズに応える」活動をするため、一九八四(昭和五九)年一月、一人で成田市に事務所(成田中央法律事務所)を開設しました。
そのとき、私は、弁護士活動を通じて成田、北総地帯の民主化に寄与することを目指して、「赤ひげ」の精神に徹することを自分自身に誓いました。
そこで、事務所開設の一年目には、国民救援会成田支部、二年後に、成田平和委員会(おりづるの会)をつくり、その後、成田市原水協も立ち上げました。 また、北総地帯で発生した選挙弾圧事件を担当したり、平和大行進(成田↓佐倉)に実行委員長として毎年参加したり、広島、長崎の原水禁世界大会に四回参加、三・一ビキニデーに焼津集会にも代表参加しました。
さらに、成田市に二回前進座を招いて公演を成功させました。
一九九〇(平成二)年に「さんしょう大夫」の公演が行われたときは、成田市内の全小中学校に観劇を呼びかけ、約一二〇〇人もの観客を集め得たことが、今でも楽しい思い出です。
さらに、事務所友の会(弥生の会)活動も活発に行いました。(年一回の講演会、国会見学、県内外の史跡めぐり等)
また、地域で開業している税理士、司法書士、行政書士、一級建築士、不動産鑑定士、土地家屋調査士等と勉強会(成田研究会)を二か月に一回、二〇年以上行ってきました。
各専門分野のテーマをレポートし合い、酒を飲み交しながら情報交換を行いました。
この勉強会は、相互に仕事を紹介し合う事実上の士業間提携の効果があります。
これらの地道な活動を続けるうち、事件数が増えていき、一人では対応できなくなったため、一九九一(平成三)年に、一人増員したのを皮切りに、徐々に弁護士が増えました。
そして、二〇〇三(平成一五)年一月成田中央法律事務所と房総合同法律事務所を合わせて、弁護士法人房総法律を設立しました。
このとき、制定した事務所綱領第一条には、自由法曹団の精神を受けて、「弁護士としての活動を通じて、社会的、経済的、法律的な権利、利益を抑圧されている人たちの権利回復のための斗いを支援することを目的」としました。
弁護士法人は税金面等経済的なデメリットがあります。
しかし、複数の事務所を設置できるので、過疎地の利用者にとって時間的利便性があります。うまく運用すれば事務所拡大につながるものと確信しました。
また、一〇数年前の弁護士過疎問題や昨今司法試験合格者の増加に伴い、弁護士が増え続ける中で、自由法曹団が有能な人材を獲得するには、新人を迎え入れる気概と体力をつけなければならないと思う。
当弁護士法人は、上記の理屈を実験するため、銚子近くの匝瑳市(旧八日市場市)に三つ目の事務所を新設し、二〇〇六年六月に自由法曹団に入団することを条件に新人弁護士二名を採用しました。
ところで、私は二〇〇三年四月、佐倉市長選挙に、革新系無所属で立候補し、三つどもえの選挙戦を斗い、二割(一万四〇〇〇票弱)を得票しました。
落選はしましたが、地方自治を守るためには、平和憲法、教育行政を守ることを訴えるとともに、旧来のハコ物行政をストップし、財政を健全化させる無駄づかいをやめ、地域経済の活性化のため印旛沼を中心とする自然と遺跡を活用した環境行政に力を入れることを提案し、「自由法曹団はここにもあり」とアピールしました。
以上、弁護士活動の二三年間の生き様を大ざっぱに紹介しました。
全国には、キラ星のごとく有能な団員が活躍している中で、シコシコと地味な活動をしている団員も何倍もいます。
今後も、自由法曹団の作風を一時も忘れることなく、後継者を増やす組織活動を行っていきたい。
一 事案の概要
東京海上と日動火災との合併から一年後の平成一七年一〇月七日、東京海上日動火災は、たった一枚の通知文をもって、原告ら外勤社員(以下「RA」という。リスクアドバイザー制度の略)に対し、@平成一九年七月までにRA制度を廃止し、A以降のRAの処遇については、代理店としての独立を前提として退職するか、職種を変更した上で継続雇用するか、新しい仕事を自己開拓するように、と通告した。制度廃止の理由は、会社全体の国内における費差損益は約五〇〇億円の費差益を確保するなか、RAチャネルは七八億円の費差損を出しているからだという。要は不採算部門であるRAは要らない、RA社員(平成一八年二月時点で約九〇〇名)は全員事実上解雇する、というわけである。原告の一人は、ある日突然、右通知文を見せられ、全身から血の気が引いたという。
二 本件における争点
平成一八年二月二日、RA社員である原告らは、会社を相手に、平成一九年七月一日以降も「外勤社員の地位」を有することの確認を求める訴えを東京地裁に提起した(原告数は、第一次提訴から第三次提訴まで五五名であったが、途中生活のため代理店転進を選択せざるを得なくなった九名が訴えを取下げ合計四六名となった)。本件の争点は下記の三点である。@「平成一九年七月一日以降の原告らのRAとしての地位」について確認の利益の有無(将来の訴えの利益)、A原告らと被告との労働契約は、原告らがRAとしての職務に従事することを内容とする職種限定契約であると認められるか、BRA制度を廃止し、原告らをRAから他職種へ職種変更することについての正当性の有無。
三 画期的な事前差止め判決
これに対して裁判所(東京地方裁判所民事三六部。難波孝一裁判長)は、平成一九年三月二六日、上記三点全てにおいて、原告らの主張をほぼ全面的に認める判決を下した。すなわち裁判所は、@訴えの利益については、廃止が七月一日に決定しており、四月一日からは、配属先が決定されるという事態を前にして、会社は「揺るぎない決断」と再検討の姿勢を示した形跡がないことから、現在において確認の利益(確認対象の選択および即時確定の利益)があるとした。Aまた、募集や採用手続き、見なし労働時間制の採用等の勤務形態、賃金制度(歩合給)、地域に密着して保険募集の営業活動に専念するという業務内容等から内勤社員と異なるRA社員として職種・勤務地限定労働契約の存在を認め、B更にRA以外の他職種への配転が有効と認められる場合の判断基準を示した上で、本件においてはRA制度の廃止の必要性すなわち経営政策上、首肯しうる高度の合理性を認めたものの、会社側のシュミレーションによっても、原告らは九%から一七%収入の減少し、これまでの収入を維持するためには、従前の二倍の保険料収入(=売上)上げなければならないというおよそ実現不可能な事態に追い込まれ、その他転居を伴う異動等、大きな生活上の不利益を被るところ、会社側にはこれらの不利益を補うに足りる代替措置が採られておらず不利益な労働条件を強制する正当性が認められないと判断したのである。
この判決が、国際競争力強化、経営の合理化の名のもと、容易く制度廃止の高度の必要性を認めた点は不満が残る。しかし、本判決は、更なる利益追求のために、使用者が賃金をはじめとする既存の労働条件を一方的に切り下げる事例が頻発していることに警笛をならし、また現在国会において検討されている「労働契約法」をめぐり、就業規則による労働条件の不利益変更の取り扱いが大きな問題となっているなか、最高裁をはじめとして、裁判所が積み重ねてきた法理を厳格に適用し、リストラの対象となった労働者一人一人の生活の痛みに考慮した判断として、高く評価することができる。
なお、会社は判決を不服とし翌日控訴したが、原告らの処遇については判決確定まで辞令を発令せず、平成一九年七月一日以降も、RA社員としての就業条件で処遇するとしている。とりあえず、事前差止め判決は守られたこととなっている。
四 裁判闘争での特徴
この裁判では、原告団四六名が家族を含めて生活をかけてたちあがった。それを、全損保全体がみずからの課題としてとりくんだ。傍聴では、一〇三号大法廷が満杯となり、難波裁判長を真剣にみつめた。判決文をみると、個別立証の証言が裁判官のこころを動かしたことが分かる。弁護団を含めて総力で勝ち取った判決と思う。なを、弁護団では、二年目弁護士が、四名、一年目弁護士が一名で、若い力が支えたことも特筆したい。