<<目次へ 団通信1239号(6月11日)
黒岩 哲彦 | 二〇〇七年少年法改定についての感想 |
澤藤統一郎 | 「改憲・新自由主義に抗して―闘いの展望はここに…」 日本民主法律家協会総会記念・渡辺治氏講演会へのお誘い |
草間 芳江 | 熊本県阿蘇五岳へ半日旅行 |
小池振一郎 | 権力からもメディアからも独立した第三者機関の設置を 〜放送法改正論議に寄せて |
土井 香苗 | ニューヨーク 人権留学日記 五 ―米国最大の国際人権NGOで見たもの― |
二〇〇七年少年法改定についての、運動総括討議の参考に私の感想を報告させていただきます。結論的には、現在の国会の力関係の中で、団や弁護士会、市民団体は善戦したと思います。
論争的テーマである「少年事件の低年齢化、凶悪化」
少年法改定の提案理由とされている「少年事件の低年齢化、凶悪化」については、民主陣営内では、「新自由主義による教育・福祉・家庭等の社会的危機の深化による少年事件の深刻化」論が有力に主張されています。教育をめぐる民主団体の決議などで「相次ぐ深刻な少年事件・・・」という文章が、いわば枕詞的かつ定型的に、子どもたちが置かれた現状を告発する意味で使用されることはしばしば経験するところです。勿論、民主陣営の議論は「少年事件の深刻化→教育・福祉の充実」を主張し、政府は「少年事件の深刻化→治安強化」と対策は対立しています。しかし、「少年事件の低年齢化、凶悪化=深刻化」を肯定することでは共通しています。私自身は両論とも現状認識を異にして、「少年事件の低年齢化・凶悪化否定論者」ですが、教組などでの学習会等での「低年齢化や凶悪化はしていない」との私の発言はいつも評判が悪いのです。(例えば、「子どもの全国センター」総会で少年法改定問題について報告した時に、教育基本法改悪反対で共同している全教の幹部の方と論争的になったこともあります。)このテーマは、現在も今後も、一方では法務省・警察庁との関係で、他方では民主陣営内部で、論争的であり続けると思いますが、犯罪統計学や法社会学などの科学を踏まえかつ実践的な立場で議論を深めたいと思います。
閣法の中心部分を修正させた成果(衆議院修正)
今回の改定が少年法を警察中心の取締り型に転換させるものであり、衆議院修正でもその危険性は解消されていません。
この基本点を押さえたうえですが、閣法について中心的部分を大きく修正させたことは、運動の成果として積極的に評価すべきだと思います。衆議院修正で(1)警察権限の拡大の最も危険な内容である「虞犯少年の疑いのある者に対する警察官の調査権限」の削除、(2)触法少年自身の弁護士付添人選任権付与、(3)触法少年の警察調査の配慮規定、(4)国選付添人選任の効力が少年の釈放後も維持、(5)初等少年院の収容年齢の下限設定を実現しました。警察庁や法務省は、この修正に強く反発しました。
触法少年の被暗示性や被誘導性を認めさせた(参議院附帯決議)
弁護士会は参議院段階では、(1)触法少年に対する権利告知規定
(2)触法少年の調査に対する弁護士立会、(3)調査の可視化、(4)初等少年院の下限の引き上げの再修正に向けて取り組みましたが、与党の壁は厚く残念ながら実現はできませんでした。しかし、五月二四日附帯決議は(1)触法少年が被暗示性や被誘導性が強いことを徹底し、準則を策定すること、(2)触法少年の質問状況の録音・録画の要否の検討、(3)保護観察中の遵守事項違反について保護観察制度の理念を後退させないこと、(4)一四歳未満の少年の少年院送致について児童自立支援施設との連携、(5)保護観察官増員と経験・能力を有する保護司の確保など八項目を指摘しています。これは、私たちの要求をほぼ反映したものです。「附帯決議」の意義については、いつも評価が分かれるところだと思いますが、「たかが附帯決議」とシニカルにみないで、この附帯決議を力にしていきたいと思います。
今後の実務的な課題
今回の改定による国選付添人制度は、本年一〇月から発足します。この国選付添人制度が日本司法支援センターの本来業務になります。
また、衆議院修正で実現した「触法少年弁護士付添人制度」については、対応体制の整備が必要になります。
二〇〇〇年少年法改定の見直し論議
二〇〇〇年少年法改定についての五年後見直しについて、法務省が主催する意見交換会は終了しています。現時点では、法務省と最高裁は二〇〇〇年改定と運用をそのまま肯定し、日弁連は二〇〇〇年改定と運用は重罰化を進めるものであり元に戻せと主張しています。今後、政治のレベルでは、「より重罰化」論が強く主張されてくる可能性は十分にあります。また、「少年犯罪被害者の少年審判参加」問題が深刻なテーマになってくるでしょう。
警察法についての検討課題―警察は何でもできるのか
警察活動と法について、私たちは、室井先生や原野先生などの民主的な行政法学者の研究に依拠して、組織法と作用法を区別し、組織法である警察法は少年事件における任意の調査活動の根拠にはなり得ないと主張してきました。しかし残念ながら、警察法を根拠として任意の調査を認める学説が有力になっているようです。この警察と法をめぐる古典的な論点について、現時点で、議論の整理をして深める必要があるでしょう。
事実を踏まえて
私は、参議院法務委員会で、民主党推薦で、日弁連子どもの権利委員会委員長として、参考人となりました(参議院ホームページをご覧ください)。私が意識したのは、事実を踏まえることで、大阪地裁所長襲撃事件の大阪高裁抗告審決定をおおいに強調しました。
今後とも、事実と現場を知っている立場で発言をしていたいと思います。
日本民主法律家協会理事の一人としての投稿です。
団員の皆様の日頃の活動に深甚の敬意を表します。
今年の「五月研究討論集会・報告書」を拝見しました。一一〇本の報告は、広範な分野での生き生きとした弁護士活動の息吹に充ち満ちています。
私が、松井繁明事務局長のもとで事務局次長を務めたのが三〇年も以前こと。その時代に比較して、団の活動が、質・量ともに格段の発展を遂げていることに目を瞠る思いです。
日本を、真に人権と平和と民主主義の社会にするために、素晴らしい憲法を武器に闘う弁護士集団が果たすべき役割には大きなものがあります。団は紛れもなく、その先頭に立っています。その期待と、責任も重いと言わざるを得ません。
ところで、最前線でご活躍の皆さん、この時代をどう把握していますか。今が、どのような歴史のどのような位置にあるものとお考えですか。個別の課題が、全体としてどのように関連し収斂するものとお考えですか。どんな課題で、誰に依拠して、誰と闘っているとお考えですか。安倍晋三や石原慎太郎のような人物が民意を集めることの理由をどうお考えですか。改憲の危機を乗り越えるにはどうすればよいとお考えでしょうか。
山道を歩き続けている内に、自分の位置を見失うことがあります。自分の足下だけは見えているのだけれど、どこにいるのか分からない。そんなときには、しばし足を止め、眺望を確認し、コンパスを見直して、方向を見定めて再び歩き始めましょう。
そのような問題意識から、法律家に向けたシンポジウムを企画しました。
道標役の講師は渡辺治さん。今さら、ご紹介の必要はないでしょう。
時代と社会、世界とアジアと日本、経済と法制、社会矛盾の根本とその表れ方、支配勢力が目指しているもの、私たちが依拠すべき階層、その分析をお聴きし、共に考え、闘いの展望を見出し、元気と勇気を得るシンポジウムになるはずです。
是非、ご参加下さい。
日 時 六月三〇日(土)午後一時会場 一時三〇分開会
場 所 東京・四谷駅前 プラザエフ(主婦会館)地下・クラルテ
問合先 日本民主法律家協会(電 話 〇三ー五三六七ー五四三〇)
五月集会、法律事務所の事務局さん達の、多くの経験を聞きそして、憲法を巡る戦いの報告を聴き、熱い思いを心に、明日からの勇気をもらいました。私は、九州熊本へは初めて、五月集会終了後、すぐに帰るのはもったいないと、半日のコースに参加しました。
草千里での昼食に名物団子汁(味噌汁じたてのすいとん)を食べ、一息。バスは一路火山博物館へ、現在までの阿蘇の歴史を知り、阿蘇の雄大な景色が誕生した自然界のすごさを、改めて感じる事が出来ました。
そして阿蘇中岳へ、前日小グループで中岳へ行こうとしたのですが風向きが悪く登る事が出来ませんでした。ツアー当日は快晴、風向きも良く、ロープウエイで登る事が出来ました。噴火口まではっきりと見る事が出来ました。きれいなブルー、噴火口とはとても思えませんでした。静かな、雄大な阿蘇山岳を観る事ができ楽しい時間でした。
それともう一つ驚いたことがありました。それは、ハングル文字・中国語文字がいたるところにあり、ロープウエイで゙の車内説明も韓国語。韓国ととても近い県。九州の一面を見る事が出来ました。
お天気も良く、新緑に包まれ雄大な阿蘇五岳を観ながら九州を後にしました。半日だけの小旅行も楽しいものでした。
一 現代社会における言論の自由と放送の自由
現代社会における言論表現はメディアを抜きにして語ることはできない。現代社会における言論の自由の中核は、否が応でもメディアの言論の自由にかかわる。日本社会に言論の自由があるか否かの判断は、日本社会にメディアの言論の自由があるかがまず問われなければならない。そこに、国民は最大の関心と注意を払う必要がある。
放送の自由は、(1)放送事業者の自由、(2)放送現場の自由、(3)国民(視聴者)の知る権利に分けられる。
放送事業者は、(1)放送事業者の自由を中心に掲げるが、経営者として、実は事業経営を中心に考え、視聴率至上主義に陥る。トップの言う「言論の自由」の内実は「営業の自由」にすぎないことが多い。
むしろ、(2)放送現場の自由こそが求められるべきであるが、これまで、事業者の「編集権」の名の元に、(2)放送現場の自由が抑圧され、(3)国民の知る権利が侵害されてきた長い歴史がある。NHK従軍慰安婦番組事件はその一例であるが、(2)放送現場の編集権を重視する控訴審判決は画期的であった。
放送の自由は「国民の知る権利に奉仕するものであるから…表現の自由のうちでも特に重要」(最高裁一九七八年外務省秘密漏えい事件決定)とされる。放送法に規定する、「政治的に公平」「できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」との編集基準は、(3)国民の知る権利が基本であるからだ。
偏向報道は国民の知る権利を侵害するものであって許されない。公正な報道のためにどういうシステム(規制=ルール)を作るかが問われる。
二 メディア規制
ヨーロッパには公正な報道を確保するための様々な規制がある。イギリス放送法は、政治的・経済的問題での幅広い見解の提供を義務づけ、少数意見を排除しないよう要求する。公正は、ニュース番組だけでなく、ドラマなどすべての番組で貫かれなければならないとされる。
イタリアの平等法は、各政治主体が公平かつ平等にメディアにアクセスすることを保障するためにメディアを規制するものであり、憲法裁判所が「民主主義を実現するもの」として合憲としたのは当然である(団イタリア調査団報告書)。それは情報の多様性を確保するものである。
韓国では、マスメディアは「言論権力」として、参与連帯などの監視の対象とされており、法律で反論権制度(テレビの同じ番組で同じ時間だけ反論できる)が定められている。
国民投票法論議の中で、「有料広告を法律によって規制すれば、憲法が保障する表現の自由を制限する」との意見があったが、表現の自由((3)国民の知る権利)を確保するためには規制が必要である。
その視点から、守川幸男団員の提唱―「日本でのマスメディアの異常性について」の調査・検討や「電通の実態の解明」(団通信本年四月一日号「改憲派によるマスメディアの独占と表現の自由の関係について」)に賛成である。
三 放送法改正
度重なるメディアの不祥事に対して、権力側がメディアを規制しようと動き、これに対してメディア側は、「権力の介入」と反発し、メディアの自助努力に委ねるべきであると反論する。このパターンが、十年、二十年、五十年と繰り返されてきた。そこには、メディアの第四権力としての権力性の自覚はない。放送現場は、どれほど騒がれても、今日明日の仕事に駆け回り、視聴率競争やテレビのあり方といった議論をする余裕がない。いつになったら、メディアに自律機能が期待できるのか。
総務省は、「あるある」事件への対応として、ついに放送法改正案を国会に提出した。メディア側の反応は従来と同じパターン。
放送法改正は、権力の介入であり、許されないが、では、メディアの自律に任せられるのか。最早国民は信用していない。メディアの自律機能が期待できないから、何らかの規制が必要だ。しかし権力の介入はよくない、となれば、その隘路をどこに求めるか。
権力からもメディアからも独立した第三者機関を設置してルール化(規制)することだ。メディア規制は、独立した第三者機関の設置とセットで提案されなければならない。
四 権力からもメディアからも独立した第三者機関
放送行政の権限を政府が直接握っている国は、主要国では日本とロシアくらいだ。アメリカのFCC(連邦通信委員会)は第三者機関であり、EU内では、スペインとルクセンブルク以外は、独立機関である。
イタリアでは、一九九七年に独立行政委員会(アウトリタ)が設立され(国の資金と放送局などの資金で構成)、有料広告を規制し、そのために二四時間監視するシステムがある(前記報告書)。
アジアでも、韓国では二〇〇〇年新放送法が発効し、独立行政組織の韓国放送委員会ができた。台湾でも、二〇〇六年独立性の強い国家通信放送委員会ができた。
ちなみに、韓国では、前述した反論権制度導入と共に、放送発展基金が資金を出す第三者的法定機関として言論仲裁委員会が設置されている(裁判官、弁護士、マスコミ出身者、知識人で構成)。
日本でも、一九五〇年、電波管理委員会という独立行政委員会が総理府の外局に設置されたが、五二年に郵政省に権限を取り上げられた。
この機会に、日本でも、権力からもメディアからも独立した行政委員会を設置すべきである。
この点では、既に、法務省の外局に人権委員会という行政委員会を設置する人権擁護法案が策定されている。しかし、メディアから猛反発を受け、メディア規制の部分は凍結して国会に提出する方向が検討されている。
メディアを規制する行政委員会の設置は賛成だが、人権擁護法案が構想する人権委員会は、扱う対象が広過ぎる。メディア関係者も入った、メディアに特化した独立した第三者機関を設置すべきであり、この点で、韓国の言論仲裁委員会が参考になる。
私は二〇〇一年『ワイドショーに弁護士が出演する理由』(平凡社新書)を出版し、権力からもメディアからも独立した第三者機関の設置を訴えた。マスコミ関係者(労働組合を含む)の反応は、「その人選は結局、大臣ではないか」という疑問であった。
形式的にはそうでも、そもそも、行政委員会とは、アメリカで肥大化した行政権力に対抗して執行作用の一部を行政府から分離し、立法府と行政府のチェックアンドバランスを調整するために作られたという歴史的経緯がある(日本の労働委員会も独立行政委員会である)。
BPO(放送倫理・番組向上機構)という第三者機関があり、その役割は否定しないが、BPOは、NHKと民放が金を出し、人事も決めているから、メディアから独立しているとは言えない。
一年間のNYU(ニューヨーク大学)ロースクールの留学を経て、昨年九月から、米国最大の国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局でフェローとして活動する機会に恵まれています。日本にいると、米国については、ブッシュ政権が何をしたかという以外の情報があまりないのが現状ですが、米国のNGOにいると、その市民社会の層の厚さ・量・質に圧倒されます。村田晃嗣著「アメリカ外交」に「世界中で最もアメリカに批判的な声は、アメリカ国内にある」とありますが、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、まさに、そうした声の一つです。
欧米では比較的よく知られているヒューマン・ライツ・ウォッチですが、日本をはじめとするアジアではまだほとんど知られていません。私も、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷で、米軍のアフガンの民間人攻撃についてヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートが証拠として提出されて判決でもかなり言及されていたことと、難民事件でヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートを難民の迫害の証拠として使っていた以外には、ほとんど聞いたことがありませんでした。
そこで、皆様に、私が見たヒューマン・ライツ・ウォッチを少しご紹介したいと思います。
ヒューマン・ライツ・ウォッチとは
「私たちヒューマン・ライツ・ウォッチの仕事は、世界中の政府を批判すること。国連もその例外ではありません。」昨年一二月の国際人権デーのスピーチの場に、当時のアナン国連事務総長はヒューマン・ライツ・ウォッチを選びましたが(http://hrw.org/video/2006/annan/index.htm)、この言葉は、その開会の冒頭に、ヒューマン・ライツ・ウォッチのエグゼクティブ・ディレクター ケネス・ロスが述べた言葉。
Defending Human Rights Worldwide (世界中で人権をまもる)―ヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)は、米国最大の人権団体で、一九七八年に設立されました。約二二〇人の職員が、地球上すべての人々の人権をまもる仕事をしています。職員の半分以上は非米国人。本部は、国連本部があるニューヨークに置かれています。オフィスがあるのは、ニューヨークで一番高いエンパイヤステートビルの三四階・三五階(でも古い)。オフィスからは、マンハッタンが一望できます。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、日本の新聞で、しばしば「国際人権監視団体」と表現されています。その表現のとおり、ヒューマン・ライツ・ウォッチのリサーチャーたちは、世界約七〇カ国の地域で、日々、人権侵害の現場を訪ねて被害を調査し、その結果を世界に告発し続けています。そして、冒頭のエグゼクティブ・ディレクター ケネス・ロスの言葉どおり、世界中の政府などあらゆる人権侵害の主体を批判し続けています。ニューヨーク以外にも、ヨーロッパや香港、モスクワなど世界一一箇所にオフィスがありますが、それ他にも、世界中にリサーチャーたちが点在しています。
その中でも、一番力を入れているのは、米国自身による人権侵害。イラクやアフガニスタン、グアンタナモでの人権侵害も、精力的に調査・告発してきました。この半年間の米国についての主なレポートには、「ゴースト プリゾナー ―CIA秘密収容施設での二年間」(今年二月発表。五〇ページ。CIA秘密収容所から釈放されたパレスチナ人からの聞き取りを中心に収容所内の状況、拘束されていると見られる三八人の被収容者の情報など広範囲の情報を集録。http://hrw.org/reports/2007/us0207)、「残虐で品位を傷つける ―房から被収容者を出すため米国の刑務所での犬の使用」(昨年一〇月発表。二〇ページ。http://hrw.org/reports/2006/us1006)、「人権のディスカウント ―ウォール・マートによる米国労働者の結社の自由の侵害」(今年五月発表。二一〇ページ。http://hrw.org/reports/2007/us0507)などがあり、いずれも広く報道されました。
日本にも、日本にいる人々の人権のために闘い、日本政府の行動を監視するNGOはたくさんありますが、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際人権NGOは、米国政府を監視して米国内の人々の人権のために闘うのみならず、世界中のすべての人権侵害被害者とともにあるという姿勢がすごいと思います。
ジャーナリストのようなNGO
世界中の人権侵害の現場に赴き、被害者に肉薄するというその手法、そして即時にレポートを出して世界中のメディアで報道させる点で、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ジャーナリスト的です。実際、元記者という職員も多数います。
たとえば、人権侵害の被害があるところはどこでも―たとえば、コソボやチェチェンなど危機的な紛争状態であっても―訓練を積んだ専門家たちが現場に急行し、時には分刻みのレポートを世界中に発信します。最近では、昨年の夏三三日間続いたレバノン戦争でも、戦火の中、レバノン・イスラエル両国で民間人に対する攻撃の調査を続け、戦争中毎日のようにプレスリリースを発表し続けました。特に、クラスター爆弾(ひとつの爆弾に数百の子爆弾が搭載しこれを広範囲にばら撒く無差別兵器で、多くの不発弾が残り事実上の地雷となってしまう非人道的兵器)の使用について詳細な調査を行ない、イスラエル軍及びヒズボラ双方が、民間人のいる地域で、クラスター爆弾を使用するという人道法違反を犯していることを突き止め、世界中に衝撃を与えました。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、現在進行中のクラスター爆弾禁止条約の推進役の一人でもあります(ちなみに、日本は不発率が四〜二〇%以上とされるクラスター爆弾を陸空両自衛隊で保有していて、今年五月のリマ会議でも、日本の防衛省幹部らがクラスター爆弾について国民が被害を受けても「防衛上必要」と発言したりして、国際的な反発を受けている最中)。地雷廃絶でも推進役の一人で、一九九七年には、地雷廃絶キャンペーンのメンバーとしてノーベル平和賞を受賞しています。
危機の現場に急行し、いかに力を持つ相手に対してでも、被害者の人権の立場から真実を告発する−こうしたメディアの数が多くはない中で、ヒューマン・ライツ・ウォッチの告発は、毎日、世界中のメディアで取り上げられています。
法律家のNGO
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ジャーナリズムの面以外に、もう一つ「法律家」の側面を持っています。ヒューマン・ライツ・ウォッチの職員の過半数は法律家です。彼ら/彼女らは、人権侵害の現場で事実調査を行うだけでなく、これを国際人権法・人道法に当てはめ、加害勢力に対し、国際法の遵守を求めます。そして、ありとあらゆる機会・チャンネルを捉えて―国連で、世界各国の首都で、世界各国の大使館で―アドボカシーを行います。
世界各国は、条約を締結することを通じ、国際人権法・人道法上の様々な義務を履行することを約束しています。真実は何より雄弁ですが、それに加えて、国際法に当てはめてそうした国の「義務違反」を導き出すことで、ただ「かわいそうだから、人権侵害行為はやめるべきだ」というだけでなく、「そうした行為をとらないことを貴国も約束したではないか」という論理を使って、人権侵害をやめさせるための説得力や圧力を高めるのです。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、今日も、真実と国際法の力を最大限利用し、世界中の被害者たちがかけがえのない人権を享受できるよう、知力戦を繰り広げています。
人権侵害をやめない権力者に対し、ヒューマン・ライツ・ウォッチが批判の声に手心を加えることはありません。一方、黒子に徹してはいますが、人権保護・促進のための国際的な動きの多く―たとえば、国連の決議やミッションの設置、人権フレンドリーな世界各国の政府へのブリーフィングや調整など―の立役者でもあります。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの活動内容
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、文字通り、世界中の地域をカバーしています。たとえば、私はアジア地域を担当していますが、私と同部屋の職員は北部ウガンダを担当しています。ヒューマン・ライツ・ウォッチが特に力を入れている課題には、テロと人権、子どもの権利、女性の権利、企業と人権、国際司法(インターナショナル・ジャスティス)、難民、武器問題などがあります。たとえば、子どもの権利の観点から、世界に約三〇万人いるといわれる子ども兵士の調査やアドボカシーを繰り広げてきましたが、世界各国のNGOや協力的政府などと連携し、国際法上、一八歳未満の子どもを兵士とすることを禁止することにも成功しました。
ちなみに日本政府も対象外ではありません。たとえば、「人権侵害に対する日本のおかしな沈黙 ―注目は拉致問題ばかり」と題するオピニオンで、日本政府について「人権と言ってみたところで、実は、国内の反北朝鮮の世論を利用しているだけ」「日本政府関係者たちは、人権を侵害している北朝鮮政府と、そのかけがえのない人権を侵害されている被害者である北朝鮮の人々をはっきり区別して発言をするようにしなければならない。日本政府関係者のこれまでの発言は、こうした区別をはっきりさせてこなかったため、日本国民の間の反北朝鮮感情をむやみに高め、被害者であるはずの人々に対する敵意までを植え付けてしまっている。」などと指摘し、ビルマやウズベキスタンの例をあげてこうした国の政府による広範な人権侵害には目をつぶる姿勢を批判しました。
(今年一月、http://hrw.org/japanese/docs/2007/01/08/japan15102.htm)
政府からのお金は一切受け取らない
ヒューマン・ライツ・ウォッチが最も配慮をするのは、発表内容の公平性・正確性です。紛争や人権侵害の当事者なら、偏りなく誰でも監視対象にします。たとえば、レバノンもイスラエルも、パレスチナもイスラエルも、フツ族もツチ族も、セルビア人・クロアチア人・ボスニアのムスリム・そしてコソボのアルバニア人も、どのような集団に所属していようと、人権侵害があれば、それを告発するという公平性を重視しています。ヒューマン・ライツ・ウォッチから名指しをされた勢力は誰もが怒り、ヒューマン・ライツ・ウォッチのあらを探します。あらさがしをされてもびくともしない、そのような団体でなくてはならないのです。
さて、ヒューマン・ライツ・ウォッチの収入は約四〇〇〇万ドル(約四八億円)で大部分が寄付。資金集めのプロたちが四〇人近く働いています。寄付のうち約半分が個人から、残り半分が私立財団からとなっています。独立性(及び独立らしさ)をまもるため、政府あるいは政府系団体の財政的支援は一切受けません。私は、昨年一一月、ニューヨークで行われたファンドレイズのディナーに参加しましたが、一席はなんと一〇〇〇ドル(約一二万円)。それでも数百人の会場はいっぱいでした。アメリカのみならず欧州でも、多くの資産家が、ヒューマン・ライツ・ウォッチを支えています。
日本の感覚からいうと、四八億円の収入は多いですが、この団体に一年近くいてわかったことは、ヒューマン・ライツ・ウォッチの活動の内容と比較すれば、四八億円では全然足りないということです。政府からの潤沢な資金を受け取れるサービス提供型のNGO(人道支援NGOや開発支援NGOなど)と違い、政府を批判することに二の足を踏んではならないアドボカシー型の人権NGOは、世界中どこでも資金集めに苦労する運命のようです。
被害者及び活動家とともに―ヒューマン・ライツ・ウォッチのスタンス
ヒューマン・ライツ・ウォッチのスタンスをわかりやすく示した言葉がありますので、最後に紹介します。ヒューマン・ライツ・ウォッチのウェブサイトでもご覧いただけますが、オフィスの入り口にもレリーフとして飾られています。