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玉木 昌美 被疑者国選弁護体験記
強盗殺人事件で処分保留のまま釈放へ
鶴見 祐策 税制にみる格差の拡大
吉原  稔 みなさんの自治会は大丈夫ですか?
〜自治会が募金寄付金を会費で徴収するのは、
思想信条の自由を侵害し、違憲無効〜
─草の根憲法訴訟で高裁が違憲逆転判決
井上 正信 「若者が護憲運動に参加しない理由の一考察」について
上野  格 新司法修習における後継者支援について



被疑者国選弁護体験記

強盗殺人事件で処分保留のまま釈放へ

滋賀支部  玉 木 昌 美

 土木作業員のKさんは、〇七年七月二一日、強盗殺人容疑で逮捕され、翌日勾留された。事件は、〇六年六月三〇日、JR野洲駅前のトイレで八二歳の老人がロープのようなもので首を絞められ、蹴られるなどの暴行をされて殺害され、現金が奪われたという強盗殺人事件であった。

 私はこれまで被疑者国選の担当をしていなかったが、いきなり重大事件を担当することになった。七月二三日に選任されたが、七月二二日の各紙の報道によれば、容疑を否認とあり、逮捕の理由は、目撃情報に基づく似顔絵に似ていることと昨年の一二月知人に犯行を打ち明けたということであった。

 選任された翌日午前八時三〇分ころ、守山署に行って接見した。Kさんは、事件とはまったく関係がない、現場にも行ったことがない、無実であることは天地神明に誓っていえる、と訴えた。犯人ではないなら、絶対にウソの自白をしてはならないと励ました。

 警察は、逮捕後連日「お前が犯人だ。目撃者もいる。証拠も揃っている。」と攻め立てた。Kさんは、「やっていないものはやっていない。」と対応していたが、朝から晩まで自白を強要する取調べが継続してなされた。

 Kさんは事件当日、当時勤務していた会社をやめた日で、寮にいて、給料一七万円をもらって出たことから記憶がある、と主張していた。また、知人に犯行を告白するようなことはありえない、その知人とは少しつきあったことがあるが、うそつきであった、とのことであった。

 私は、Kさんの主張が信用できると解されること、事件から一年間も経過した警察が確たる証拠なく、焦って逮捕に踏み切ったと解されることから、第二の日野町事件にしてはならないと徹底した被疑者弁護の活動を行うことにした。

 七月二五日午前八時三〇分にも接見し、被疑者ノートを差し入れた。しかし、多忙な中一人で連日接見をすることは困難がある。二五日に勾留理由開示請求を行うとともに、もう一名の国選弁護人を選任するように裁判所に上申した。取調べの現状を伝えるとともに、現在、警察において圧力を加え、虚偽のことを申し向けて自白を強要する取調べが行われているが、虚偽の自白を避けるためには、毎日接見する必要がある、そのためには複数体制が必要であると訴えた。「虚偽の自白をさせられれば、冤罪であることを裁判所に認めさせることがいかに困難であるのかは、多くの再審事件が示しているところである。」とも記載した。翌二六日、大津簡裁の平野和行裁判官は、同じ事務所の永芳明弁護士(五六期)を国選弁護人に選任した。その後は、交代で、あるいは一緒に連日接見してKさんを励ました。

 七月三〇日勾留理由開示法廷を行った。田中健司裁判官は、「一件記録によれば、被疑者が本件被疑事実を犯したと疑うに足りる相当な理由がある」と説明し、Kさんが転職している土木作業員であることなどを理由に逃亡の恐れがあるとした。「一件記録によれば」では何も説明していないと裁判官に対し求釈明を繰り返したが、大雑把な説明しかせず、最後は「捜査の秘密」を理由にお茶を濁した。Kさんは、〇七年七月一日から三日まで任意で取調べを受けているが、その後も従来どおり、仕事をして生活してきたもので、堂々としていた。

 七月三〇日、弁護側は、大津地検や守山署に捜査の可視化を要請した。七月三一日には、裁判所に勾留延長の却下要請をしたが、延長決定がなされた。

 警察は、Kさんに、午前、午後、夜と長時間の取調べを繰り返したが、その際、暴力的・威圧的・侮辱的言動を繰り返した。「弁護人が何ぼのもんじゃ。弁護人にいっておけ。おのれら、証拠と言っているが、おのれらもKが白だという証拠をもっているのか?」勝手に疑いをかけておいて、無罪を主張するなら、潔白を証明してみろ、というもので、捜査側の常套手段であるが、とんでもないことである。私は、八月一日、取調べ担当の警察官に面談を申し入れたが、卑怯にも拒絶され、その上司との面談も拒絶された。応対したのは、守山署の刑事課長であったが、伝言では頼りないので、文書でそうした取調べをやめるとともに、可視化を再度要請した。八月二日、勾留延長に対する準抗告を申し立てたが、棄却された。

 取調べの担当者は、有力な被疑者としては、お前が三人目だが、一人目、二人目は間違ったことをKさんに告げていた。私は、たまたま、その一人目か二人目に該当する青年の弁護人となり、任意捜査ではあったものの、「お前が犯人だ。」と自白を強要する守山署に抗議の要請をしていたことがあった。その青年は自白する寸前まで追い込まれていた。偶然にしても、私はこの事件に結び付けられていたのかもしれない。守山署の刑事課長にその件を問いただすと、「容疑が晴れた。」と苦笑いをしていたが、二度あることは三度ある可能性が高い。

 警察官は、黙秘しようとするKさんに対し、「黙秘権はあるかもしれんが、否認権はないんじゃ。」と混乱させるようなことを言ったり、事件と関係ない話で以前の話と食い違う点を捉えて「うそつき」呼ばわりし、さらに、四歳のころKさんを置いて出て行った母親のことや別れた元妻のことを引き合いに出して自白を迫った。

 Kさんは、黙秘を続けようとするも、警察官の口車に乗っては、侮辱される有様であった。自分は事件とは関係がないことを訴えたいという気持ちもあって、黙秘を貫くのは容易ではない。しかし、結果的には、Kさんは、警察では身上調書だけを、検察では否認調書だけを作成させただけで通した。

 Kさんは、被疑者ノートに取調べの状況を書いていったが、それが警察に対する牽制になったことは間違いないようである。

 私は、Kさんから聞いた話を前提にすれば、確たる証拠はなく、警察、検察に焦りが見られた。それゆえ、結果は処分保留のまま釈放されるものと予想し、弁護団声明を事前に用意しておいた。

 八月一〇日午後七時すぎ、自由法曹団滋賀支部八月集会の懇親会を盛大に行っているとき、新聞記者から処分保留のまま釈放になったとの連絡が入った。早速声明をファックスしたが、検察側が記者会見をするというので、弁護側も急遽九時三〇分から事務所で記者会見をした。すると、テレビ四台を含む二〇人以上の記者が取材に訪れた。

 国選弁護人に選任されてから釈放されるまでの間に、接見に行ったのが、私が合計一二回、永芳弁護士が合計九回であった。土曜日も日曜日も接見に行ったが、Kさんは、警察に追い詰められているとき、いいタイミングで来てくれると述べていた。

 改めて思うことは、二三日間も長期間にわたり、自白が強要できるシステムは拷問そのものであるということである。今回の事件は、被疑者弁護の重要性、意義を示すことになったと思う。Kさんは、国選弁護人をつけてもらってよかったと心から感謝していた。現在、大阪高裁に即時抗告している冤罪日野町事件では、被疑者弁護が不十分であって(当時の弁護人は起訴までに起訴日を含めて四回しか接見できていない)、暴行や脅迫によって強引にとられたウソの自白を覆すには至らなかった。今回のような被疑者弁護が最初からできていたら、阪原さんを長期にわたって(現在二〇年余りになる)苦しめることはなかったのであろうにと残念に思われる。最近、日弁連から最高裁に対し、国選弁護人の複数選任について要望書が出され、七月二六日付で最高裁事務総局刑事局長から各地裁の所長あてに前向きに取り組む趣旨の文章を付しておろされたところである。今回の件は、まさにその趣旨を先取りした迅速な複数選任であったといえる。永芳弁護士と分担し、協議しながら、手続を進めることができたのは非常によかった。彼は、裁判員裁判や公判前整理手続の滋賀における第一人者であり、可視化の要請書等すぐに起案してくれた。また、検察庁が無茶な起訴に踏み切らなかった背景には、最高検察庁の「いわゆる氷見事件及志布志事件における捜査・公判活動の問題点等について」における反省も関係しているかもしれない。

 今回の事件で他の業務に甚大な影響を及ぼしたが、意気に感じて仕事ができ、充実感があった。また、警察は私のことをボロクソに言っていたようであるが、それもまた勲章であると思っている。



税制にみる格差の拡大

東京支部  鶴 見 祐 策

一 憲法二五条に違反

 現代税制では所得の再配分機能が重要である。いわゆる応能負担の根拠は、憲法二五条に求められる。高額所得者の累進課税による税収を低所得者の福祉にあてることで格差の是正と縮小に役立つと説かれている。ところが、新自由主義のもと、支配層(政財界)の租税政策では、この憲法原則が著しく後退させられ、代わって「応益負担」と「税制フラット化」が今は声高である。その目的は、大企業・有資産家・高額所得者(とくに不労所得)に対する税負担の軽減にある。その穴埋めに勤労市民層・低所得者が重い負担を強いられている。

二 大企業・有資産者・高所得者への優遇税制

 所得税の最高税率は、一九六二年の七五%から、八四年に七〇%、八七年に六〇%、八九年に五〇%、九九年には三七%に引き下げられた。半分である。利子所得、配当所得、有価証券・土地等の譲渡所得には低率分離課税の特例などがある。相続税、贈与税の最高税率も二〇〇三年の七〇%から五〇%に軽減された。

 法人税は基本的に累進課税ではない。基本税率一九八四年の四三・三%が、八七年四二%、八九年四〇%、九〇年三七・五%、九八年三四・五%、九九年三〇%に大幅ダウン。加えて大企業には日本に特有の租税特別措置による内部留保が課税を減免している。二〇〇三年から適用の連結納税制度も大企業に恩典をもたらしている。

 これらの優遇措置を廃止すれば国税六兆二七二一億円、地方税で四兆二四三二億円の増収が得られる(「不公平な税制をただす会」発行の「福祉とぜいきん(第一九号)参照」。消費税など庶民の増税は不要である。

三 経団連の税制構想

 日本経団連が発表した「希望の国、日本」でも法人課税の実効税率を四〇%から三〇%に引き下げを唱えている。二〇一一年には国・地方財政のプライマリーバランスの黒字化を目指して消費税をまず二%あげて更に一二年以降は一〇%に増税することを提案している。国際競争力の強化がうたい文句だが、実質は今でもせいぜい三〇%にすぎず他国に比べて高いとはいえない。

四 法人所得の国税・地方税の際立つ不公平

 資本金一〇億円以上を大企業とすると平成一五年度の法人二五五万三〇〇〇社のうちの〇・二八%にすぎない。大企業の内部留保は一九三兆四四〇二億円である(平成一六年度)。全法人の留保額の五八・六%を占める。つまり〇・二八%の大企業が六割の減税利益を享受している。受取配当金益金不算入、引当金、準備金、特別償却、試験研究費の税額控除などは大企業の専用である。大企業ほど旨味が大きく「隠れた補助金」と言われる。政権与党に献金の果実である。資本金五〇〇万円以上一〇〇〇万円未満の法人は、申告所得の税額は二五・八%だが、資本金一〇〇億円以上の負担率は一五・二%にすぎない。大企業は、下請代金や賃金を切り刻み、海外に拠点を移して輸出に血道をあげながら、現地納税を口実に課税を免れ、会計操作で「節税」の旨味を我が物にしている。庶民の負担を尻目に輸出企業は輸出戻し税で潤っている。トヨタ自動車は年間約二〇〇〇億円の消費税を懐にしている。豊田税務署は全国唯一の消費税赤字で著名である。集めるより還付する税額の方が多いのだ。

 ここにも大企業の空前の高収益と勤労市民層を窮乏に導く格差拡大の構造が露わである。



みなさんの自治会は大丈夫ですか?

〜自治会が募金寄付金を会費で徴収するのは、
思想信条の自由を侵害し、違憲無効〜
─草の根憲法訴訟で高裁が違憲逆転判決

滋賀支部  吉 原   稔

 滋賀県甲賀市の希望ヶ丘自治会(約一〇〇〇世帯)で、従来個別に集めていた「赤い羽根共同募金」、「緑の募金」、「社協募金」、「小中学校後援会費」などの寄付金募金を一括して自治会費として徴収するため、自治会費六〇〇〇円を年額二〇〇〇円値上げする決議をした。これは、行政から寄付金を増やせとノルマを割り当てられているのに役員のなり手がなく、集めに行っても払ってくれないので、いっそのこと自治会費に入れて会費として集めようというのである。

 住民が、決議は違法無効として提訴したが、大津地裁は公序良俗違反はないとして棄却、八月二四日、大阪高裁一三民事部(大谷正治裁判長)は、「寄付・募金はあくまでも任意であるべき、それを会費として一括徴収するのは、寄付の強制化であり、憲法一九条の思想、良心の自由を侵害し、公序良俗に違反し決議は無効」と確認し、支払義務はないとした、全国初の判例である。

 「赤い羽根募金」、「日赤募金」、「緑の募金」は、それぞれの法律で寄付は強制してはならないと規定し、小中学校後援会費は、義務教育無償の原則に反する。寄付を強制化する会費化は違法であることは、憲法を持ち出すまでもなく明らかであるが、高裁は、思想信条の自由に違反し、違憲無効とした。

 南九州税理士会政治献金事件での政党への献金を特別会費として徴収することが違憲であるとする最高裁判決や、群馬司法書士会での阪神大震災の復興のため兵庫司法書士会に寄付する負担金の徴収を有効とする最高裁判決と比べても、自治会であるからその影響は大きい。

 赤い羽根共同募金は、県下三〇〇〇自治会の三割が会費化し一括して集めているというのである。これでは、本来行政が福祉の予算を増やすべきところ、それを後退させ、その穴埋めとして、寄付金の会費化によって徴収効率を高めようとしているのである。これを行政が指導している。

 寄付金を会費化することによって、寄付金という名の税金を徴収するのと同じである。

 私の妻は、自治会役員をしているので、総会の予算書を見たら寄付金の会費化がされていないのでホッとした。団員各位の加入している自治会ではどうなっているのか点検してほしい。

 それにしても控訴審では、部長まで出てきて「和解せよ。自治会のことだから仲直りせよ。」としつこく勧め、和解を断ったが、こんないい判決をかくつもりなのに、何故あんなに和解を勧めたのかが、今もって不思議である。



「若者が護憲運動に参加しない理由の一考察」について

広島支部  井 上 正 信

 団通信一二四六号(〇七・八・二一)に見出しの表題で名取団員の意見が掲載されていた。ざっと読み、大変興味を引いた。全面的に賛成できるものではないものの、護憲の運動を進める上で常に振り返らなければならない指摘が多いように感じた。

 北朝鮮問題に触れた点には、私の性分としてどうしてもコメントしたくなったので、本稿をしたためた。

 若者が参加しない理由のひとつに、「現実世界に即応しきれていない護憲論」として、北朝鮮のミサイル問題を提起し、このことに護憲論は具体的な回答ができていない、「理想の九条論」から「現実の九条論」への脱皮を、と述べている。九条護憲論が理想論だと、改憲論が「現実主義」の立場から護憲論を否定する。私も、護憲論には理想論が多く、九条を理念化しすぎている嫌いがあり、九条が現在の国際情勢の中できわめて現実的な政策的基盤になることをもっと強調すべきだと考えている。しかし、護憲論は決して理想論ばかりを述べているのではなく、具体的な政策提言を行っていることも承知している(「恒久世界平和のために」、「平和憲法の創造的展開」その他水島朝穂教授などの著書)。

 むしろ現実主義と称する改憲論のほうが、現実を無視しリアリティーのない議論を吹っかけているのだ。あたかもいきなり北朝鮮や中国が日本を攻めてくるかのような議論(こんなことは政府の新防衛計画大綱でも否定しているのだ)、米国へ向かう弾道ミサイルを日本が打ち落とせないなどナンセンス、非武装中立でどうやって安全を守るのかなど。護憲論は、自衛隊が違憲だからといって直ちに解散して非武装中立を実現すべきだなどと主張しているのではない。国際情勢の改善を図りながら日米安保の役割を縮小し、自衛隊の軍縮を図りながら、年月をかけて組織転換を図るというのである。現実を踏まえた政策を打ち出している。改憲論は、米国へ向かう北朝鮮の弾道ミサイルを打ち落とすという場面だけを恣意的に切り取って議論するが、なぜこのような事態が起きるのかは無視する。このような事態は、米国による北朝鮮の核施設への先制攻撃から、第二次朝鮮戦争となった際に考えられること。では改憲論はこのような戦争を容認し、日本も参戦しようというのか。まず国際法に違反する戦争である。米国は核兵器を使用する可能性もある。朝鮮半島では数百万人が犠牲になるであろう。南北朝鮮は経済・市民生活のインフラ、環境破壊など壊滅的な被害を受け、戦後復興には天文学的費用がかかる。日本は戦費だけではなく、戦後復興でも巨額の財政負担を強いられる。北朝鮮を核攻撃すれば、偏西風に乗ってフォール・アウトが日本へ流れて、日本にも強い放射能汚染の被害が出る。このような戦争になることを容認し、かつ日本が参戦するというのであろうか。このような現実を無視して、都合のよい場面だけを切り取って議論するのが改憲論の特徴である。しかも現在北朝鮮には米国まで届く弾道ミサイルはない。将来北朝鮮がそのような長距離弾道ミサイルを開発するときには、南北朝鮮は統一しているかもしれない。

 北朝鮮の弾道ミサイル発射問題は、日本の憲法問題とはまったく関係ない。九条があるから北朝鮮は弾道ミサイルを発射したのではないのだ。これまでの北朝鮮の弾道ミサイル問題を振り返ってみる。

 九三年五月ノドン1号と称される弾道ミサイルを日本海へ発射した(射程一〇〇〇キロと称されるが、五〇〇キロで着水)。このときは北朝鮮の核開発疑惑をめぐる米朝関係が緊張を強めつつあったときであり、ミサイル発射は米朝交渉を進めるための瀬戸際外交手段であった。

 九八年八月テポドン1号と称される弾道ミサイルを発射し、日本上空の宇宙空間を横断して太平洋へ着水した。米国は人工衛星の打ち上げ失敗と評価。二段目の切り離しに失敗した。このときの背景として、ジュネーブ合意(枠組み合意)に基づく軽水炉建設が停滞し、かつ毎年五〇万トンの重油を米国が北朝鮮へ供給する約束が履行されず、北朝鮮はジュネーブ合意を履行しない米国へ警告を発していたことに留意する。

 一九九九年一〇月米朝共同コミュニケ六項で、北朝鮮は、ミサイル問題に関する協議が継続している間は、いかなる種類の長距離ミサイルも発射しないことを通報した。

 二〇〇二年九月日朝平壌宣言で、北朝鮮は、ミサイル発射のモラトリアムを二〇〇三年以降もさらに延長する意向を表明した。

 二〇〇六年七月弾道ミサイルを発射した。九八年八月以降発射していないのは、北朝鮮が一九九九年一〇月のモラトリアム宣言を守っていたからだ。このときは、二〇〇五年九月の六者協議共同声明直後から始まった米国による金融制裁問題から、共同声明を履行できなくなり、金融制裁解除をめぐる米朝間の緊張が高まり、北朝鮮は金融制裁解除を狙った瀬戸際外交手段として発射したのだ。このときのミサイルの飛行経路は、米国本土を狙う弾道をとっていた。発射の方向も米国を意識していることを示したのである。日本を標的にしたものではないことに留意。その後の核爆発実験も同様の狙いである。

 北朝鮮は、世界の軍事予算の四八%を使い、通常兵器・核兵器とも比類なき軍事力をもっている米国へ挑んだのである。九条改憲でいくら自衛軍にしても北朝鮮は弾道ミサイル発射を躊躇わないことはすぐにわかることである。

 北朝鮮弾道ミサイル問題は、優れて外交問題であることは以上の経過からわかるであろう。軍事的圧力を加えれば、かえって北朝鮮は挑発する。外交交渉に戻れば北朝鮮も諸問題を外交交渉で解決する。このことは、一昨年から今年にかけての六者協議の推移で十分理解できるであろう。

 北朝鮮の弾道ミサイル問題は、九条改憲ではなく九条の平和主義を生かした外交交渉を日本が進めることで解決できる。具体的には平壌宣言を生かして、日朝国交正常化を想起に図り、その中で日朝間の諸問題を解決することである。改憲論は、このような国際情勢をまったく見ず、きわめて単純な事実にも目をつむり、弾道ミサイルの脅威をあおって改憲論を声高に唱える。彼らの議論が現実を無視した空論であるかは明らかであると思う。

 名取団員が述べるように、護憲論が北朝鮮弾道ミサイル問題について具体的な解答ができていないのではない。私のような主張は、多くの護憲論者が述べているはずである。



新司法修習における後継者支援について

東京支部  上 野   格

 五月集会プレ企画で報告した内容に、新六一期修習の予定などを加えて、新司法修習における後継者支援のあり方についての私の考えを述べたい。

二 六〇期の就職について

 まず六〇期の団事務所(団員のいる事務所のこと)への就職について述べる。現行六〇期・新六〇期を合わせて二〇〇七年秋には四〇〇〜五〇〇名の就職先未定者が生まれる見込みとの報道がなされた。実際、修習生の間では「内定をとった」ことの公言がはばかられると聞いている。大都市圏で弁護士になることにこだわり、既存事務所に就職できなくとも、自宅を事務所として登録し当初から独立開業することは、今や修習生の選択肢の一つであって、特別・例外的なことではない。だから「就職先未定者」は実際にはあまり出ないものと思われるが、それは就職問題が解消したからではないことに注意すべきである。

 団事務所の側から見れば、五月集会では「採用したい修習生は来るが事務所は一杯で、経済的見通しを持てないので事務所拡張もできず、採用できない」という意見が目立った。従前の団本部将来委員会の課題は「団事務所への就職希望者を増やすこと」であったが、今の団事務所は「経済的基盤の拡大」あるいは「拡大か現状維持か」という課題に悩んでいる。一方で、「以前と変わらず、やはり就職希望者は来ない」という意見も依然としてある。この両者は議論をしても、かみ合いにくい。ただ、大都市圏にあふれる就職希望者を団事務所が採用して団員の少ないところに配置するという方向であれば、この議論は前進するのではないか。

 大都市圏に弁護士があふれ、経済的基盤を奪い合う状況は今後一層深刻化するものと思われる。右記の団事務所の二つの悩みは深まるばかりである。

 実際の六〇期の団事務所への就職状況については、今度の総会のプレ企画で示される予定である。実数はここでは書かないが、現行六〇期(全体で約一五〇〇名)の入所が過去最高レベルであるにもかかわらず、新六〇期(同約一〇〇〇名)はダントツで過去最低である。新六〇期が異常に少ないのは、団事務所が採用枠を現行六〇期で満たしてしまったからと信じたい。では新六〇期が大都市圏を離れた団員の少ない地域で採用されているかというと、そのような傾向は全くない。あれほど「あふれている」と言われているにもかかわらず、地方の団事務所の就職は増えていない。むしろ新司法修習生の大都市圏傾向は現行司法修習生より強いと見られる。

三 新六〇期修習生の自主的活動について

 新六〇期修習生の青法協運動の状況について言えば、修習生部会が結成され、全国集会である「七月集会」も開催された。私は、困難な状況でよくそれだけ運動をやれたと思っている。その置かれた状況を聞けば、現行修習で運動に関わった方の一〇人中一〇人が「青法協運動は不可能」と断じるものと思われる。新六〇期修習生部会の活動は、現行六〇期修習生部会の活動の五分の一〜一〇分の一にとどまり、実際の会員数や集会参加者数もその程度になっている。年末一か月の導入修習(二〇〇六年一一月二七日〜一二月二六日の集合修習)のみでは部会結成が精一杯であり、講演会を開いたり宣伝したりする余裕はなかった。実務修習中に全修習生に情報を知らせる手段も機会もなく、わずかな修習生部会員が全国に散らばってしまっては、活動できないのである。二〇〇七年九月二七日から一一月二六日の後期修習においては、修習生は追試制度がなくなった二回試験対策に全力を傾けざるをえず、自主的な活動を期待できる状況ではない。

四 教員との連携不足

 残念なのは、全国の多くの団員が法科大学院の教員となって教育に携わり、学生と一定の関わりをもっていたはずであるのに、それが修習生段階での自主的活動に現れたり、団事務所への就職に結びついている様子が見えないことである。私は新六〇期の青法協修習生部会員が「仲間が見えない」と孤立感ばかりをつのらせていくのに対し、空虚な「頑張れ」という励ましをするしかなかった。

 もちろん、団と青法協は組織が違うから団員が青法協の宣伝をすることは期待できないのかもしれない。しかし、新司法修習生の団事務所への就職が少ない状況は憂うべきではないか。全国の教員となった団員が、「団事務所への就職が減っても良い」と考えているとは思えない。法科大学院にも人権感覚の優れた学生がたくさんいる、と私は聞いている。そのような学生をできるだけ多く、団事務所が受け入れていくのが団の理想ではないか。ある団員の教員が「せっかく見込みのある修習生に団事務所に就職するように勧めたのに、団事務所の方で『一杯だから』と断ってしまった。何のために頑張ったのか」と憤慨していたと聞く。「適当な就職希望者がいるのに受け入れられない」のであれば、受け皿を大きくしていく手段を考えねばならない。「就職難だからとにかく受け入れろ」というのではない(むしろこのような論法はおかしいと私は思っている)。団が受け入れるべき者を受け入れられないのでは、団は発展せず力量を落としていくばかりだからである。

また、「やはり人が来ない」という問題については、「一杯だから」と断らずに、他の団事務所を紹介したり、他の地域を紹介したりすることで対応できないか。

五 新六一期以降について

 新六一期修習は、二〇〇七年九月一三日に合格発表があり、一一月二七日から、集合修習を経ることなく各修習地に分かれた実務修習から始まる。従って、新六一期では青法協活動がより一層困難になると思われる。最初からバラバラの状況で、どのように連絡が取られて修習生部会が結成されるのか、想像は難しい。法科大学院段階で青法協会員になっていた修習生が、各修習地で孤独に細々と活動し、時機をみて集まって、多くの修習生に知られることなく、ひっそりと修習生部会が結成される、というのが私の(認めたくない)予想である。ちなみに、今年度の新司法試験を受験した青法協会員は、私の知る限り二名にとどまる。合格者は約二二〇〇名と予想するが、全国に散らばる修習生に二名で働きかけることを期待するのは余りに酷ではないか。私がその立場であれば、逃げ出すに違いない。

 「もはや修習生の自主的活動は無理なのだ」という考えもある。しかし、私はこれまで団事務所が多くの新規入団者を迎え入れ発展して来られたのは、修習生が自主的な活動をすすめる中で、誘い合って先輩弁護士や事件当事者から話を聞き、共感し、仲間同士で語り合い、どのような立場で働くべきか真剣に考え、決意して団事務所を選んできたからだと考える。司法試験に合格したときには団事務所に入ることなど考えてもいなかったが、修習生になってから決意して団事務所に入ったという若手団員は少なくない。

六 今後の方策について

 就職難ゆえに就職希望者がおしかけている状況に甘んじていては、団の発展は難しい。「受け皿がない」という状況も、「やはり人が来ない」という状況も放置できない。

 従って、第一に、各地の団員が支部として取り組み、支部ごと修習地ごとに実務修習中の修習生に働きかけ、修習生運動の支援をしていくことが求められる。団の存在自体を知らない修習生に対して働きかけることは楽ではない。しかし、実務修習中に修習生に対して働きかけることができるのは、いまや同期の修習生ではない。団員しかいないのである。若手を中心に体制を組むべきである。

 第二に、この働きかけは実務修習開始直後から早い時期に行うことが求められる。修習生が就職先を定める前に、団の存在を知らせねばならない。弁護修習を待っていては遅いと思われる。

第三に、法科大学院在学中ないし卒業後における団の宣伝や自主的活動の支援、事務所研修などを十全に行うことにより、修習予定者が修習開始前に団にふれる機会を増やすべきである。そうすれば、第一の課題の実現はずっと楽になる。

第四に、第一から第三の課題に対して、団員教員と法科大学院生在学地の団員、修習先の団員が情報を共有化することが求められる。団員教員と法科大学院生の結びつきはやはり強い。修習生にとって、「○○団員の事務所にいってみなさい」と団員教員から紹介されることは大きい。エクスターンシップのつながりも情報を共有すべきである。「よい学生だったのに、離れたところの修習地に行って没交渉になった」というのは余りにも惜しい。

第五に、支部ごとのみではなく複数の支部を集めた地方単位で取り組むべきである。教員団員が隣県の法科大学院にいく場合も多く、支部単位で取り組んでも不効率であるし情報が共有できない。また法科大学院は大都市圏に集中している。「やはり人が来ない」という問題の解消には、法科大学院のある支部がリードして学生や修習生との関わりをつくり、団事務所への就職希望者をもれなく団員の少ない支部に紹介していく等の工夫が必要である。