<<目次へ 団通信1250号(10月1日)
河野 善一郎 | 公選法・大石事件 福岡高裁判決 人権条約の保障は国情に左右される? |
吉田 大輔 | 中学校教師の公務外認定取消請求事件〜勝訴で確定 |
大久保 賢一 | 改憲阻止徹底討論集会の議事録を読んで |
玉木 昌美 | 団滋賀支部8月集会大成功する |
今村 真理子 | 滋賀支部8月集会報告 |
大分支部 河 野 善 一 郎
去る九月七日の大石事件福岡高裁判決は、一審判決の罰金一五万円を維持した不当な判決であったが、公民権停止三年は破棄して適用しなかった。即日上告した。
控訴審では、豊後高田市の市民が「大石の議席は高田に何としても必要。せめて公民権停止ははずせ」と四〇〇〇筆以上の署名や要請ハガキ(有権者の二〇%)を集めて大奮闘し、去る二月の合併選挙では、公判中の大石氏を再びトップ当選させたので、これが公民権停止除外の主因になった。判決も言う「被告人に対しては、今後とも市議会議員として、地域社会に貢献させることの方が有権者の意向に添うものと考えられる」。議席剥奪を狙った警察の意図は実現せず、市民は大いに喜んだ。
しかし、主題の国際人権論、憲法論では、自由権規約の国内直接適用力、ウィーン条約の解釈準拠、規約人権委員会の一般的意見の解釈補足性は認めたものの、規約一九条、二五条、憲法二一条違反については、選挙活動の規制は締約国の立法裁量に委ねられているという新手の思考枠組みを持ち出し、戸別訪問や文書配布について言い古された想像上の弊害論と日本の国情をえんえんと書き記して、いずれも違反しないと結論した。日本国憲法は、人権保障の進化を拒絶するものではないのであるから、国際水準が上がれば素直に受け入れればよいのに、この国の裁判官達は自国民を見下して頑なに鎖国を守っている。(判決要旨は改憲ML、治安警察ML、国際問題MLに投稿)。
規約一九条、二五条が言論、文書による選挙活動を完全に保障しており、その制限は、除去すべき弊害と比例した必要なものに限る(比例原則)というのが規約人権委員会の見解であることは、エヴァット、シルビア両証人及び一般的意見一〇、二五、国連マニュアルなど公式文書によって立証した。
これに対して判決は、一般的意見二五(二一項)が「規約は特定の選挙制度を課すものではないが、・・」と言っていることに飛びついて、「いかなる選挙運動を、どの程度、あるいは、どのような条件で認めるか等については、・・選挙制度をどのように構築するか、多くの要素(当然、その時代における各国の国情によって異なる)を視野に入れ、選挙制度が全体として円滑に実施、運営され、選挙の公正や、中立性という民主政実施の基盤が損なわれないように配慮する広い視野からの検討が不可欠である。」「選挙制度全体に目配りしつつ制度設計をするのは、まさに締約国の立法機関が果たすべき役割であり、近代選挙法における基本原則に反しない限り、また、比例原則の背後にある人権尊重の精神を没却しない限り、立法政策の問題として各国の裁量にゆだねられていると解される。」と言う。
しかし、前記の一般的意見二五(二一項)全文は、「・・特定の選挙制度を課すものではないが、締約国で運営されている各制度は、規約二五条により保障されている権利に適合するものでなければならず、また選挙人の意思の自由な表明を保障し、これを実行あるものでなければならない。」となっているのであり、判決は一部を都合良く切り取ったにすぎない。
この一般的意見二五は、自由かつ真正な選挙として取るべき措置を細かく締約国に要求していて、同(一二項)は「表現、集会及び結社の自由は投票権の実効的な行使のために不可欠の条件であり、完全に保障されなければならない。」同(二五項)は「・・個人として又は政党その他の団体を通じて政治活動に従事する自由、政治について討論する自由、・・政治的文書を出版すること、選挙活動をすること及び政治的意見を宣伝することなど、規約一九条、二一条及び二二条に保障されている権利を完全に享受し、尊重することを要求する。」といっている。これが現代選挙法の基本原則なのである。
そして規約二条(締約国の遵守義務)に関する一般的意見三一(四項)は「規約の義務は、すべての締約国を全体として拘束するものである。政府のすべての部門(行政、立法及び司法)および他の公的もしくは政府機関は、全国、地域、もしくは地方といかなるレベルにあっても、締約国の責任を引き受ける地位にある。」。同(一四項)は「規約の権利実現の要件は、無条件かつ即時的な効果がなければならない。かかる義務の不履行は、国内の政治的、社会的、文化的または経済的理由によって正当化することはできない。」と言っているのであるから、規約一九条、二五条で許容されない制限が、締約国の国情を理由に立法裁量に委ねられるなど規約人権委員会が許すはずがない。これら文書もすべて提出して、弁論で力説したにもかかわらず、全く無視している。
自由権規約違反を主張した本格的なケースである祝・中村事件の広島高裁判決は、「公共の福祉」論でもって憲法二一条に違反しないのと同様の理由で規約一九条にも違反しないと判決し、大石事件一審判決は、「比例原則」を換骨奪胎して「合理性」の基準にすりかえ、高裁判決は「立法府裁量論」に逃げ込んだ。いずれも規約に正面から向き合うのを避けている。裁判所は迷走しており、自由権規約は、やがてはこの国の人権状況を打開する確かな力をもっていると確信を深めている。
宮城県支部 吉 田 大 輔
1 この事件は、中学校教師であった故大友雅義氏が、平成一〇年に仙台で開催された第二八回全国中学校バトミントン大会(全中大会)の競技役員として大会準備中に自殺したことについて、地方公務員災害補償基金宮城県支部長が、公務外の災害と認定した処分の取消を求めた事案です。
私は、弁護団の一員にすぎませんので、弁護団全体の取り組みを紹介することは到底できません。
そこで、本件の争点と裁判所の判断内容を簡単にご紹介した上で、私が他の弁護士と共同で行った証拠収集経過を中心に紹介させていただきます。
2 本件の争点は、中体連関連業務が公務に該当するかという公務関連性と、自殺(本件では特にうつ病に罹患したこと)が故人の従事していた公務に起因するかという公務起因性の二つでした。
(1)まず、公務関連性について、判決は、校長による部活動顧問への任命は、市中体連、県中体連及び全中大会実行委員会の役員に正式に任命された場合には、これに就任すべき旨の職務命令を包含している条件付きの職務命令であるとして、中体連関連業務は学校長の職務命令によって行われる公務に該当するとしました。
(2)次に、公務起因性について、判決は、以下のように判示しました。
①故人が、平成一〇年四月から免許外科目である社会科を初めて担当するようになったことから、指導方針や授業内容について悩み、授業の準備に多くの時間と労力を費やしたと推認でき、故人に相当な精神的負荷を与えるものとしました。
②故人は、平成一〇年七月上旬に全中大会実行委員会の総務部部長に就任したが、大会運営等を総括する立場ともいうべき職務の重責は多大なものであったと認めました。その上で、故人が、生徒会指導の担当も行っており、平成一〇年七月上旬ころから、文化祭、体育祭、生徒会選挙の各実行委員会の指導が重なっていたこと、件中総体の準備も行わなければならなかったことから、全中大会の準備を県中総体が終了した七月下旬以降の短期間に行わなければならず、学校での超過勤務だけではなく、自宅でも深夜まで仕事をしており、極めて大きな精神的負荷が与えられていたとしました。
③そして、故人が、遅くとも七月中旬ころまでに軽症のうつ病に罹患していたとしました。
④そして、右記のような職務内容が故人に対し、質的に極めて大きな精神的負荷を与えていたことだけではなく、六月以降、月に少なくとも一〇〇時間以上の超過勤務を行っていたと認定し、労働時間からみても故人に大きな精神的負荷を与えるものであったと認めました(タイムカードのない学校現場において、故人の勤務時間数を立証することがこの裁判における一つの課題でしたが、判決は、主として原告(故人の妻)及び同僚の学年主任の記憶に基づいて作成された被災者動静表について、基本的に信用できるとし、これを「基本証拠」とした上で、各日の勤務時間を認定しました。)。
3 証拠収集経過
(1)証拠収集に関して、私が他の弁護士とともに主として担当したのが、生徒会活動や免許外科目、部活動顧問としての活動に伴う質的、量的な負担を明らかにすべく、関係者からの聞き取り調査、陳述書作成、尋問打ち合わせなどです。
具体的には、当時、故人と同学年の学年主任だった教諭から、生徒会活動の指導、免許外授業の負担、通常業務の様子について、話を伺い、証人にもなっていただきました。また、故人と同じ中学校のバトミントン部の顧問であった教諭から、市や県のバトミントン専門部、全中の仕事についての仕事の具体的内容と過重労働のポイントや故人の活動の様子を伺い、同じく証人になっていただきました。
その結果、生徒会指導について言いますと、教師の言うままに生徒を動かすのであれば、生徒会指導もそれほど困難ではないものの、生徒会指導の特性(学習指導要領において、教師の適切な指導の下に、生徒の自発的、自治的な活動が展開されるよう配慮するものとされている。)から、生徒たちが自主的に発案し、企画、準備、宣伝、運営がなされていくように、また、生徒が自分たちの手で行っているという実感を持つことができるように助言するに留める必要があり、教師は出過ぎず、しかし、生徒が横道にそれないように粘り強く時間を掛けて指導していくことの必要とのことでした。証言では、生徒会指導の困難さ、負担感について、臨場感をもって明らかにできたと考えています。
その他にも、陳述書等を作成したわけではないですが、免許外授業を担当したことのある元教諭、さらには、故人からバトミントン部で指導を受けた元生徒の自宅にお邪魔して話を伺い、故人が、如何に何事にも一生懸命であったか、また、それがため一つ一つの仕事がどれほど負担となっていたかについて、聴き取ることができ、前記の証人尋問、さらには判決にも生きたと感じています。
(2)また、前述しましたように、タイムカードのない学校現場において、故人の超過勤務時間をどのように立証すればいいのかということが、裁判における課題の一つになりました。
最終的には、主として原告と同僚の教諭の記憶に基づいて作成された被災者動静表が基本的な証拠として採用されました。
しかし、被災者動静表の作成時点において、すでに被災から何年も経過しており、記憶の喚起は容易ではありませんでした。
そこで、弁護団や教職員組合、支援者は、例えば、平成一〇年度の学校行事としてどのような行事が予定されていたのか、その行事に故人がどのように関わっていたのか、行事に関わることによってどのような仕事が発生していたのか、故人はどのような仕事をこなしていたのかについて、故人の仕事の成果物や、特にフロッピーの更新記録・更新時間を一つ一つ確認するなどし、原告等との記憶との整合も図りつつ、労働時間を明らかにすることにしました。
その他にも、教職員組合を通じて、現場の教諭一五〇名から一人あたり平均三〇〇字程度で、職場での日常業務についての現状等について述べてもらい、「一言意見集」という冊子にして、証拠として提出しました。この一言意見集は、故人の職務内容の基本的なところでさえ、非常に過重であったことを裁判所に理解してもらうのに非常に役に立ったと考えていますし、労働時間の認定にも生かされたと考えています。
また、裁判継続中に、タイミング良く、全国の教員の勤務の実態調査の結果が厚生労働省から発表され、中学校の教諭の平成一八年七月の勤務時間が平均で一一時間一六分、八月においても平均で八時間二八分に至っていることや、運動部の部活動顧問の七月の残業時間が平均で二時間四一分に至っていることが明らかになったことも、教諭の勤務実態を裁判所に理解してもらうことに役立ったと考えています。
4 最後に
本件では、多くの方が私たちの事情聴取に快く応じて下さいました。故人のお人柄が忍ばれる思いでした。
勝訴判決が確定したことを故人に報告するとともに、故人のご冥福を祈りたいと思います。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
七月二九日・三〇日に奈良で開催された討論集会の議事録を通読した。実践に裏打ちされた熱心な討議の様子を速やかに伝えていただいたことに感謝したい。あわせて、参加しなかったことを本当に残念に思っている。その読後感想を述べさせていただく。
「軍事力による平和論」との対抗
名取さんによると「若者は、平和=防御力と考えるので、平和のためには自衛隊が必要、アメリカとの協力も必要、アメリカに手を切られたら困るのでいいなりになるのも仕方がない。」と考えていて、これが中立的な若者の姿勢だという(七頁)。また、名取さんは「北朝鮮脅威論をどう考えるか」という問題提起もしている(二二頁)。名取さんの提起からすると、北朝鮮の脅威を念頭に置きながら、それとの対抗上軍事力が必要と考える人が多いということのようである。その傾向は若者に限ったことではなく、大人たちにも決して少なくないであろう。そうすると、この問題を考えることは「若者対策」ではなく、「全世代対策」ということになるであろう。この「軍事力による平和論」は、北朝鮮(中国と置き換えてもよい)が攻めてきたらどうするのか、武力で対抗しなければならないだろう。それには自衛隊と米軍という軍隊が必要だ、さあ戦争に備えよう、備えあれば憂いなしだ、という連想ゲームである。ここには、「日本が攻める」ということは没却されているし、戦争が人々に何をもたらすかという視点も脆弱である。
当然、討論の中でこの論理についての意見が述べられている。笹本さんは、「日本の学生がコスタリカの学生に『何で軍隊がないのに攻められないのか』と質問したら、『何で攻められる理由があるのか』と逆に聞き返された。『日本は外国から攻められるような理由があるからそんな心配をするのではないか』という疑問を持つようだ。われわれもそんな考え方ができるようになりたい。」としている(一二頁)。佐藤博文さんは「日本は既に戦場に兵隊を送っているという現実がある。・・・党派を超えて、日本が加害者にならないことが必要である。戦争の被害者にならないことだけでなく、加害者にならないとい視点が必要だ。」という(一四頁)。続けて、川口さんは「私たちがイラクの市民を殺す行為をしているのだという現実を捉えた上で九条を考える必要がある。若い人が共感を持つのはイラクの市民六五万人(この数字の根拠は示されていない)が殺されているという現実だ。」としている(一四頁)。島田さんも「日本がイラク攻撃をしている中で、改憲策動が進んでいること」に怒りを覚えている(一九頁)。また、仲山さんは「九条改悪が戦争をする国づくりのためであるならば、戦争の実相をどう伝えるかが大事。沖縄戦の実態、特に『集団自決』の問題が重大。」としている(二〇頁)。
確かに、相手が青年であれ、中高年であれ、事実から出発することは大切である。かつて、大日本帝国軍隊が何をしたのか、今、米軍が何をしているのか、逆に軍隊がない国が世界には二七カ国(コスタリカだけではない)もあることなど語るべき材料は無尽蔵であろう。また、軍国主義に至らないまでも「軍事的合理性」の強調が民衆の生活と権利にどのような影響を与えるかの検討も必要であろう。既に「有事法制」や「国民保護法」はできているのである。
また、根本さんがいうように「世代ごとに、経験によって関心が異なっている。九条の会は戦争体験者が中心であり、どうしても若い世代とかみ合っていない。高度成長期に育った人たちがどう考えているのか、若者はどう考えているのか、世代ごとの関心に応じた運動が必要」(一九頁)なのかもしれない。けれども働きかけ方は工夫されるべきであるとしても、その底流にある思想や理念は共通するはずである。私は、その基底に置かれるべきものは、非暴力・平和思想を基礎とする「平和的生存権」であろうと思う。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」である。この思想と規範は、核時代における核兵器の廃絶を要請し(核戦争は恐怖の極致)、国内外にはびこる貧困と格差に対抗する機軸(価値と論理双方の)ともなるであろうと考えている。自民党の「新憲法草案」がこの文言を削除しているのは決して偶然ではない。彼らは(核)戦争と貧困を容認する国家作りを予定しているのである。(私はもっと団の中でも核兵器や被爆者のことがもっと語られるべきだと考えているが、ここでは希望だけ述べておく。)
平和的生存権の意味すること
ところで、この「平和的生存権」は、単に非暴力・平和だけではなく、「ひとしく・・・欠乏から免れる」ことも含意している。討論の中では次のような意見が述べられている。山崎さんは「改憲論の特徴については様々な意見があり、九条改悪が中心であることは間違いないが、新自由主義的な経済政策や、戦争をするための国民統合といった側面も持っている。」と指摘し、埼玉弁護士会の貧困問題と憲法問題を関連させた企画を紹介している(一八頁)。増田さんは「構造改革・規制緩和によって、労働者がどうなっているのか。格差・貧困を解消することが、どう憲法と結びつくのか。」と問いかけ(二一頁)、「・・・サラ金と貧困は、今、一緒に取り組みが進められている。これに学ぶ必要がある。」と提案している(二二頁)。四位さんは、団のアフガン調査を引用しながら「戦火に追われる婦人から、家に帰りたい、平和が欲しい、人間の尊厳が欲しいとの言葉が出た。貧困と格差をつなぐ根本問題である。戦争を許さない。人間の尊厳を覆すものだ。」と発言している(二八頁)。
今、世界の現実は、「正義」・「人道」と「自由」・「民主主義」を大義名分とする武力行使の下で、多くの民衆が殺され傷つき家を追われている。まさに「人間の尊厳」が覆され「平和的生存権」など存在しないのである。他方、現実の殺戮と破壊に駆り立てられているのはこれまた貧しく抵抗する術のない若者たちである。鈴木さんは「ヒスパニック、黒人、貧困層が戦争に行っている。」と報告している(一三頁)。暴力を信奉し、貧困と格差を容認する者が言い立てる「正義」・「人道」や「自由」・「民主主義」に惑わされてはならない。改憲論者は、「全世界の国民が、ひとしく、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を葬り去り、自らの権益の確保のための国家システムを確立しようとしているのである。
改憲論との対抗のために
改憲は戦争を前提とする国家体制の確立のためである。戦争は最大のビジネスチャンスであり、最も効果的な国民統合手段である。したがって、それを欲する者は後を絶たない。資本家と政治権力者たち(「華麗なる一族」たち)である。彼らは、自らの利潤と権力を民衆の命や自由や財産や幸福に優先するのである。他方、戦争とその準備は恐怖を拡大し欠乏を累積する。したがって、抵抗する者も後を絶たない。しかしながら、その抵抗の形態と程度は多様である。受けている不利益の程度や質も違うし、経験や知識や信仰も多様だからである。もちろん抵抗よりもすり寄りを選択する者もいるであろう。こうして、護憲・改憲阻止運動は多様な形態をとって現れる。護憲・改憲阻止運動が多様であることはむしろ自然なことであって、そこに「統一司令部」や「管制高地」を設置しようとしてもそれは無理であろうし、場合によっては有害となるであろう。そうすると可能なことは、それぞれの運動体・グループが、自らの要求実現のために、相互に排斥することなく、自らを押し付けることなく、自主的に連携することが求められることになる。今、私たちは「神」や「王」の庇護や指導によるのではなく、自らの意思で、自らの人生と共同体を選択することが求められているのと同様に、自主的かつ創造的に護憲・改憲阻止運動に取り組むことが求められているのである。そうすることが「二一世紀の平和の指針としての九条の意義」(鈴木亜英・一三頁)を世界に発信することになるであろうし、自らの貧窮と差別をより弱者への攻撃によって解消しようと試みる者たちを生じさせないことにも繋がるであろう。(2007年9月18日)
滋賀支部 玉 木 昌 美
滋賀支部では、本部の五月集会に対抗して、八月一〇日、初めての八月集会を開催した。五九期四名を含む弁護士一四名、若い二〇代、三〇代を多数含む事務局一五名が参加し、講師の近藤忠孝弁護士を含め、三〇名の集会となった。
今年の熊本五月集会に支部から一七名(弁護士六名、事務局一一名)参加した勢いそのままに、六月六日の例会では、事務局も含めて、五月集会の感想を出し合い、今後の改憲阻止の運動のあり方を議論する中、集会の開催を決めた。五月集会で近藤忠孝弁護士の発言に感動したという感想が複数出される中、記念講演をお願いすることにした。集会に向けては再三支部通信を発行し、事前学習や参加を呼びかけたが、多数の参加を得ることができた。
当日の集会では、事務所九条の会、団支部として憲法運動をどのように進めるかを議論した。吉原弁護士から奈良における活動者会議で自ら発言した徴兵制についての報告があった(会議全体の報告でなかった理由については想像にお任せする)。杉本弁護士が若者向けのポスターを作る話を提起したが、彼の作ったポスター原案に対して、若い事務局から積極的な意見が出されたのは印象的であった。私は、「君たちはアメリカの侵略戦争のために戦場に行くのか」というポスターを作ろうと提起したが、「おじんの発想である。若者にはアピールできない。」と却下された。
クレサラ問題では、クレサラ全国交流集会の実行委員長である小川弁護士から問題提起と集会成功へ向けた協力要請があった。
メインの学習会は、事前に岩波新書の『格差社会』(橘木俊詔著)を読むように案内したうえで、五九期の白木弁護士からの報告を受けた。よくまとまった報告であり、事務局を含め、理解しやすかったと思われる。滋賀支部では、五九期の四名(まだ正式に入団していない人も含め)に順番に報告を担当してもらっている。
記念講演は、近藤忠孝弁護士の「団の伝統を公害闘争にどのように生かしたか。」と題して行われた。いかなる困難があっても国民とともに闘うことにより活路を切り拓く、という団の闘いが、イタイイタイ病裁判闘争を通して熱く語られ、参加者一同感動に打ち震えた。団の五月集会の新人学習会の講師に推薦する次第である。
記念講演を受けたあとの懇親会は、ひとりひとりが感想や事件・活動報告を交えて自己紹介したが、大いに盛り上がった。木村弁護士からは、修習生のときに、若い忠孝先生の話を聞いたことが披露された。団支部の弁護士、事務局同士が交流でき、お互いに顔がわかったことだけでも意味があったが、それ以上に中身の濃い懇親会であった。
八月集会の感想は弁護士も事務局も極めて好評であり、今後半年に一回程度開催していこうという強い要望が出された。感想の一部を紹介する。「近藤忠孝先生の話は、自由法曹団の歴史も踏まえてよくわかりました。あっという間の一時間だったように思います。
それぞれ個性的な弁護士さんのお話を伺って楽しかったです。」「やってよかった。忠孝先生の話をもっとききたかった。」「今までお会いしたことのない方々とお話できたことはとても勉強になりました。近藤先生のお話は本当に勉強になることばかりで、参加できて本当によかったと思いました。」「近藤忠孝先生の講演がとても良かったです。ご自身が懸命に仕事をされていた姿が、とても瑞々しく目に浮かび、引き込まれました。」「楽しくて良かったです。滋賀県の団の先生方のお顔もわかり、何だかお盆で帰省したような親戚という感じでした。忠孝先生の話は、まさに生きた団物語で、新人弁護士や事務局にとっては大切だと思いました。五月集会でももっと団物語が聞きたい。」「やってよかった。玉木先生の努力に感謝する。忠孝先生の話はよかった。今度は石川元也氏をよんでは?」
改憲手続法阻止の闘いでは、九条の会の活動、街頭宣伝等、弁護士だけでなく事務局の奮闘が目立ったが、支部としては、弁護士も事務局も共に元気に力をつけていきたいと思っている。
吉原稔法律事務所事務局 今 村 真 理 子
「滋賀支部のいっそうの発展を祈念してカンパーイ!」近藤忠孝先生の張りのある声が響きたくさんのグラスが鳴った。(すごい!こんなにぎょうさんいたっけ?!いつの間に増えたん?)私は改めて会場を見渡し、仰天した。
滋賀第一に入所した二〇数年前、団事務所は滋賀第一+一名だけだったが、いまや六事務所に増え、広い宴会場の半分以上を約三〇人の団員と事務局が占めているのである。京都から故郷に帰り滋賀支部第一号の団員となった吉原先生の感慨と喜びはひとしおだったに違いない。
この記念すべき弁護士と事務局合同の初交流会である「8月集会」は八月一〇日(金)午後から開催された。白木先生を講師に岩波新書の『格差社会』の勉強と、各事務所の憲法問題の活動交流や今後の運動についての意見交換が行われ、滋賀支部で杉本先生発案の高校生対象ビラの作成が決まった。その後、近藤忠孝先生からイタイイタイ病裁判闘争の講演をお聞きした。原告の立場に立ち、原告の苦しみを理解し、権力と対峙する迫力ある弁護団のお話は、「自由法曹団の原点ここにあり」、と原石の輝きをはなち我々に感動を与えた。司法研修所ですべての修習生に聞いていただきたいと思ったくらいだ。
この集会は団の五月集会のあと弁護士事務局合同の報告集会が開催され、更なる交流のために計画された。滋賀支部は、吉原先生初めとして頑張って来られた先生方の奮闘で、平和や行政問題、刑事弁護や環境問題、女性の権利擁護、労働問題など、数多くの県民の権利を守ってきた。そしていま、頼もしい若手弁護士と若い事務局がたくさん育っている。五月集会で「運動の成果を支部全体に」という京都支部の報告を聞き、「一人が一〇歩前進」もいいが、「一〇人が一歩づつ前進」なら多様な可能性がもっと広がるなと思った。
そういう意味でも今回の集会が滋賀支部の質的発展をもたらしたのではないだろうか。団としても参加しやすい地域ブロックの会議を今後もっと重視していただけたらと思う。
また、五月集会には参加困難な事務局も、勤務時間内での集会なら参加しやすい。同じ県内といっても労組も親睦会もないので交流する機会がなかなかない事務局にとって、他の団事務所との活動交流は大変有意義である。身近な事務局の活躍はいい刺激を与えてくれた。ただ要望していた事務局同士の交流会は実現しなかったのが大変残念であり、次回はぜひお願いしたい。
実は今回の集会の成功は地道な例会活動を続けてこられた玉木先生の努力によるところが大きいと思う。玉木先生は支部活動の先頭に立って頑張って来られたが、「イヤとは言わせない、命令だ!」を連発し?、支部をここまで盛り立ててきた。そのお陰もあって、支部は今日の発展を迎えられたのかもしれない。今後とも無理をしすぎず(特にマラソンでは)、身体を大切にして頑張っていただきたい。
支部の一層の発展と県民の権利擁護のためにも、是非半年後もう一度開催をリクエストしたい。