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大山 勇一 3・1 労働問題シンポジウムの報告
村松 いづみ 3・1非正規シンポに参加して
毛利 崇 労働法制改悪反対街頭宣伝活動
労働問題委員会 四・五 JR新宿駅西口
「宣伝・相談・アンケート活動」参加のお願い
土井 香苗 ビルマ(ミャンマー)二〇〇七年弾圧の実態
民主化蜂起を封じ込める軍事政権 (2)
湯山 薫 女性部の新人学習会に参加して
団女性部 自由法曹団女性部からのお知らせ
萩尾 健太 二月一五日鉄建公団訴訟控訴審
証人採用の重要な意義
菅野 昭夫 グアンタナモ基地をめぐる最新の動き
大崎 潤一 憲法改正国民投票での有料広告
向 武男 朔北の青春にかけた人びと
北海道初の治安維持法弾圧 集産党事件をめぐって
【宮田 汎 著】



3・1 労働問題シンポジウムの報告

担当事務局次長  大 山 勇 一

●六〇名の参加で大成功

 さる3月1日に「ワーキングプアと非正規労働者の雇用と権利を考える」をテーマにした労働問題シンポジウムが開催されました。北は宮城・福島支部、南は福岡支部から、約六〇名の方々に参加していただき、この問題に対する関心の高さをうかがい知ることができました。また、山下芳生日本共産党参議院議員、前澤壇東京地評・労働相談センター所長、井筒百子全労連総合労働局政策局長その他の方からも貴重なご報告をいただきました。ご出席いただき、討議に加わってくださったみなさまに感謝申し上げます。

 今回のシンポジウムは3部構成としました。第1部「ワーキングプアと労働者派遣を考える」では、労働ビッグバンについて概観した後に、団作成の派遣パンフを使って典型的な事例について解説を加えました。第2部「各地の取組の報告と経験交流」では全国の団員および労働組合・労働者から活動報告をしてもらいました。最後の第3部「今後の権利擁護闘争、派遣法抜本改正の取組」では現在の労働情勢について触れ、派遣法抜本改正の試案を紹介し、労働問題委員会から具体的な行動提起を行いました。

●派遣労働者の苛酷な労働実態が明らかに

 今回のシンポジウムについて順に報告します。まず、第1部では、山下議員から、派遣法抜本改正についての要綱とりまとめを行っていること、京葉線の二俣新町駅前で数多くの派遣労働者と直接対話して労働実態を知ったこと、派遣問題については若者の反響が大きく日本共産党への期待が高まっていることなどを報告してもらいました。次に、今村幸次郎団員から政府財界主導で進められている「労働ビッグバン」についての報告がありました。また、大山勇一団員と平井哲史団員から団作成の「これでいいのか?派遣法」パンフの解説を行いました。さらに、しんぶん赤旗・今田真人記者から、2年で二〇〇社へ派遣された労働者の事例について触れ、徹底した無権利状態に置かれている実態を紹介していただきました。

●各地の団員らの取り組み

 第2部では、まず前澤所長から東京地評労働相談弁護団の結成の報告と、労働者の権利を守るために労働行政機関の機能を十分に発揮させることが必要との訴えがなされました。次に、井筒局長から二月二七日に行われた院内集会が自公を含めた議員の参加で大成功し、あわせて派遣・請負連絡会を立ち上げたこと、非正規労働センター発足に向けて準備していることなどの報告がなされました。その後、宮城の小野寺義象団員から街頭宣伝と派遣一一〇番の取り組みについて、笹山尚人団員から首都圏青年ユニオン顧問弁護団の結成について、鷲見賢一郎団員から光洋シーリングテクノ正社員化について、松本恵美子団員から中野区立保育園非常勤保育士解雇事件の裁判について、林治団員から生活保護申請の取り組みの報告がありました。そのほか各地の取り組みについて紹介がありました。また、首都圏青年ユニオンの山田真吾書記次長と山梨青年ユニオンの早田書記長からも最近の取り組みについて報告がありました。

●そして今後の行動提起

 第3部では規制改革会議第2次答申批判について大山団員から報告がなされたあと、鷲見団員から派遣法抜本改正についての試案の紹介がありました。その上で、4月5日の新宿西口駅頭宣伝・相談・アンケート活動を含む、今後の行動提起がなされました。まさに分析と討議だけでは終わらず、必ず国民の声と共に歩まんとする団らしい積極的な行動提起でした。最後に志村新団員から、さまざまなチャンネルを生かして更なる活動を広げていこうとのまとめがなされました。

 ワーキングプア問題などに取り組む全国の団員から報告を受け、これまでの数次にわたる団内での議論が浸透し、具体的な取り組みが全国化しつつあることが実感できたシンポジウムでした。また、多くの修習生・ロースクール生も議論に参加し、多くの発見があったとの感想もいただきました。派遣労働者の悲惨な労働実態をただちに改善すべきとの認識の下に、国会では派遣法抜本改正の機運が盛り上がっています。

 労働問題委員会は、5月集会ではさらに一歩進んだ活動報告と具体的な派遣法抜本改正の提案ができるように準備していきます。



3・1非正規シンポに参加して

京都支部  村 松 い づ み

1、京都府舞鶴から東京へ

 去る3月1日、団本部で「ワーキングプアと非正規労働者の雇用と権利を考える」シンポジウムが開催された。京都支部は、二月二九日から3月1日の2日間、泊まりがけで北部会員との交流を図る年1回の北部例会の日にあたっており、二月二九日は私も舞鶴に行っていたが、是非シンポには参加したいと思い、3月1日早朝の列車に乗って京都駅まで戻り、そのまま新幹線に飛び乗って東京へ向かった。

 開会予定時間(午後2時)の一〇分前に団本部に着いたが、狭い部屋は参加者であふれていた。そもそも開催場所が団本部と聞いた時は「問題の重要性のわりには、あんまり参加者を見込んでいないのでは?」とやや不信を抱いていたが、主催者からも「意外と参加者が多くて」という失礼な(!!)発言が飛び出すほどの盛況ぶりであった。それだけ、団員の中に、ワーキングプアや非正規労働者の問題について「なんとかしなければ」「何ができるのか」「何をしたらいいのか」という気持ちが強い証しだと思った。

2、トラックに積み込まれて…バスなら、まし?

 残念ながら派遣労働者自身からの体験実態報告はなかったが、昨年一〇月と一二月の2度にわたって「ハケン集う駅」という連載を赤旗に書いた記者からの話が生々しかった。駅前からトラックのアルミ金属の覆いのある荷台に乗せられて連れていかれどこで働かされたのかさっぱりわからなかったという派遣労働者、2年間で二〇〇件もの派遣先に行ったと言う日雇い派遣労働者の話などなど。また、全労連からは、モノのように扱われ、青年労働者にはメンタル面でのケアが必要な人が多いことも報告された。

3、京都支部の活動

 京都も非正規労働者の問題については、まだ手探り状態であるが、若手団員を中心に、できるところからの取組みを始めようとしている。

 別稿で毛利団員が書いているとおり、昨年秋に支部独自で労働法制のリーフレットを作成し、街頭宣伝を継続している。若者らが集まりそうな場所で、午後9時とかの遅い時間帯に宣伝行動をしようかなどの話も出ている。

 また、条件のある地域ユニオンと直接コンタクトを持って懇談し、その中で我々がしなければならないことを探っていく取組みも始まっている。

 団本部が作成した派遣法リーフは、情勢も刻々と変化しており、またやや使いにくいところもあるので、これを地方版にアレンジして、活用していくことを考えている。

4、多くの団員が共に取り組める課題

 派遣問題では長年地道な取組みをされている大阪からの参加がなかったのは残念で、各地からの経験の交流はあまりできなかった。しかし、労働問題では団に来たことがないと言う長野の中島団員がご自身が受任された刑事事件を通じて語られた貧困を救うネットワーク作りの必要性の話は印象に残った。ワーキングプアや非正規労働者の問題は、今まで労働問題を中心に活動している団員のみならず、日々、破産事件や生活保護の問題あるいは貧困に由来する犯罪などを扱っている少なくない団員が「なんとかしなければ」と感じており、多くの団員が共に取り組んでいくことのできる課題だと思った。

 団の労働問題委員会は、このような団員の思いを受け止めて、全国に情報発信や行動提起などを行っていってほしい。

以 上



労働法制改悪反対街頭宣伝活動

京都支部 毛 利  崇

 「ご通行中の市民のみなさん、こんにちは!」

 今日もまた、京都・四条烏丸の街頭に、事務局長福山和人の声が鳴り響く。その声をバックにして、自由法曹団京都支部のメンバーが、「その働き方って、どーよ?」と題する一風変わったリーフレットを通勤中の市民に次々と手渡してゆく。

 昨夏から今春までの街宣で、彼らは、すでに五〇〇〇部近くのリーフを市民に手渡した。手応えは十分だ。信号待ちをしながらリーフを読む若い女性、わざわざ引き返してきてリーフを受け取るサラリーマン風の男性、杖をつきながら歩いて来た女性は「ありがとう」と言いながらリーフを受け取っていった。

 予想していた以上の反応の良さに、福山は、あらためて労働法制問題にたいする市民の関心の高さを感じた。市民に労働法制改悪の実態を伝えて、共に考えてもらわなければならない。

 「厚生労働省は、現在、残業代を支払わなくてよいとする制度の導入を目論んでいます。市民のみなさんの生活をますます苦しくする、こんな悪法の導入は、絶対に阻止しなければなりません!是非、リーフレットを受け取っていただいて、労働法制について共に考えましょう!」

 「残業代、もらってますかぁ!」

 ひときわ大きな、そしてちょっとユニークな口調の演説が聞こえてきた。京都支部若手No.1の呼び声が高い、五九期の塩見卓也だ。

 昨夏の労働法制街宣で街宣デビューした彼も、すっかり街宣が板に付いてきた。

 敬愛する中村和雄の元で勉強しようと意気込んでいた彼だが、中村が今春の京都市長選挙に立候補を表明したことで状況が一変した。しかし、そんな中でも積極的に街頭宣伝で声をあげる姿は、京都支部のメンバーにとって頼もしい限りだ。

 リーフ作成の際に、派遣法改悪についての原稿を担当した彼が声をあげる。

 「派遣法ができた当時は、派遣の対象となる業種は、ごく一部に限定されていたんです。それなのに、いまやその限定をはずしてすべての分野で派遣が導入されようとしています。例外だったことが、いつの間にか原則になる、こんな改悪が許されてもいいんですか!」

 「うるさい!」

 通行中の男性に怒鳴られて、演説中の毛利崇は、ちょっとひるんだように見えたが、すぐに演説を再開してしゃべり始めた。

 「いま、仲間の弁護士が、街頭でリーフレットを配布しています。是非、手にとって読んでください!そして、労働法制改悪の現状を知ってください!」

 京都支部で作成したリーフの挿し絵は、彼の妹が描いたものだ。市民に労働法制改悪の現状が少しずつでも伝わっていくと同時に、妹の描いた絵が町中に散らばっていく。彼にとって、この街宣の成果は二重の喜びなのだ。

 「こんなところで大声あげてみても、何もかわらんのじゃ!」

 怒鳴り続けている男性の声を聞きながら、毛利は「もし、やってもやらなくてもかわらないんだったら、むしろ僕は大声をあげるよ。それにかわると思うけどね。」と心のなかでつぶやいた。そして、こうも思っていた。

 「妹の絵が、全国に散らばったら、もっと嬉しいんだけどな。」

 今日の街宣で、数百のリーフレットが市民の手に渡っていった。月に1回の街頭宣伝だが、確実に市民の間に労働法制の問題が伝わっている。管理監督者の問題はマクドナルドの店長さんの事件を引きながら、派遣法の問題は自分たちが法律相談で聞いた事例を引きながら、実感のこもったわかりやすい街頭宣伝を心がけてきた成果だと彼らは自負している。

 そしてまた、四条烏丸に彼らの大きな声が響き渡る。

 「みなさんにとって、大事な働き方の問題、私たちと一緒に考えませんか!」



四・五 JR新宿駅西口

「宣伝・相談・アンケート活動」参加のお願い

労 働 問 題 委 員 会

 三月一日のシンポジウム「ワーキングプアと非正規労働者の雇用と権利を考える」は団内外から約六〇名の方に参加いただき、盛況のうちに終えることができました。労働問題委員会では、早速、非正規労働者の声を聞くために、四.五JR新宿駅西口「宣伝・相談・アンケート活動」を計画しています。

 東京・神奈川・埼玉・千葉等関東近県を中心に、多数の団員が参加されることを呼びかけるものです。

四.五JR新宿駅西口「宣伝・相談・アンケート活動」

と き 四月五日(土)午後一時〜三時
   (準備のため可能な方は午後〇時三〇分にお集まり下さい。)

ところ JR新宿駅西口

内 容 宣伝カー、机等を出して、労働者派遣問題等非正規雇用の問題について、「宣伝・相談・アンケート活動」を行ないます。

総括・交流会

 「宣伝・相談・アンケート活動」終了後、引き続き、午後三時三〇分〜午後五時の予定で、隣り駅の代々木総合法律事務所(東京都渋谷区代々木一丁目四二番四号
 TEL〇三−三三七九−五二一一
 JR代々木駅から徒歩五分)四階会議室で、総括・交流会を行います。

 お問い合わせは、自由法曹団本部
 (電 話〇三ー三八一四ー三九七一、FAX〇三ー三八一四ー二六二三)まで



ビルマ(ミャンマー)二〇〇七年弾圧の実態

民主化蜂起を封じ込める軍事政権 (2)

東京支部  土 井 香 苗
【国際NGO ヒューマン・ライツ・ウォッチ(*)日本駐在員】

*ヒューマン・ライツ・ウォッチは、世界八〇カ国の人権状況を常時モニターする世界最大級の国際人権団体。本部ニューヨーク。

●第二回

 ビルマ全土の僧侶が同連盟の呼びかけに応じ、九月一七日から連日デモを行った。珍しいことに治安部隊は数日の間、抗議行動に規制を加えなかった。とはいえ公安はデモ参加者を写真やビデオを使って記録していた。デモが阻止されなかった理由は不明である。参加者は数百人から数千人へと拡大し、僧侶の数も増え、一般市民も隊列に加わり始めた。

 九月二二日には決定的な出来事が起きた。豪雨の中をデモしていた僧侶約五〇〇人が、アウンサンスーチー氏の自宅前(同氏の自宅軟禁はこの一七年間で計一二年となる)に設置されたバリケードを通過し、同氏に対する短時間の読経が許可されたのだった。この思いもかけない、前例のないスーチー氏との会見は、抗議行動に参加する人々の気持ちを奮い立たせた。

 翌九月二三日、推計約2万(うち僧侶約3千人)のデモ隊がラングーン市内をデモし、政治囚ならびにノーベル平和賞受賞者スーチー氏の釈放と共に、軍政に権力委譲を求めるスローガンを連呼した。翌九月二四日、デモはさらに大規模となり、推計一五万人(うち僧侶3〜5万人)となった。一九九〇年総選挙で勝利したものの、その職務を果たすことを禁じられている国民民主連盟(NLD)や、活動が禁止されている全ビルマ仏教僧連盟など、多くの政治団体がデモに参加した。喜劇俳優のザーガナ氏や映画俳優のチョートゥ氏などの著名人が、デモを行う僧侶に対し、人々の目の前で寄進を行い、僧侶が掲げる主張への支持を表明した。同様のデモが国内の二五の都市で行われた。

* * *

 九月二四日夕方、軍政はデモへの弾圧が近いことをほのめかした。国営テレビに出演した宗教大臣は、今回の抗議行動を「国内外の破壊分子」による工作と批判した。軍政の監督下にある国家サンガ大長老会議(SMNC)は、僧侶が「世俗の事柄」に参加することや、全ビルマ僧侶連盟などの「非合法」組織に加盟することを禁じた。連邦団結開発協会と区開発評議会(PDC=軍政の地域レベルでの統治機構)は翌二五日の朝からトラックを市内に巡回させ、拡声器を通して市民にデモに参加しないよう警告した。こうした警告にもかかわらず、九月二五日にも前日同様に大規模なデモがラングーンの街頭で行われた。デモへの弾圧はこの翌日から始まった。

 九月二五日夜、軍政は夜間外出禁止令を発布し、ザーガナ氏などデモ参加者を支援した著名人の逮捕に踏み切った。大量の国軍部隊がラングーンに投入された。

 翌九月二六日朝、暴動鎮圧部隊と国軍部隊がシュエダゴン・パゴダに集まった僧侶を包囲して暴行を加え、多くの僧侶が重傷を負った。これがデモ参加者に対する激しい弾圧の第一歩となった。複数の目撃者によれば、暴動鎮圧部隊は僧侶1人に暴行を加えて殺害した。デモ隊は3km離れたスーレー・パゴダに移動したが、そこでも機動隊とスワンアーシンのメンバーから暴行を受け、強制解散させられた。この際、参加者の多くが暴行を受け、逮捕された。別の隊列が市内中心部に向かったが、市西部のタキン・ミャ公園付近で国軍部隊とスワンアーシンに足止めされた。兵士はデモ隊に実弾を水平発射し、少なくとも4人が銃撃された。デモ隊はその場を逃れたものの、ストランド通りで国軍部隊に行く手を阻まれ、一人が銃撃された。市内中心部では他にも複数のデモがあり、非常に混乱した状況が生まれていた。夕暮れには、僧侶と一般のデモ参加者が1kmの隊列を作って中心部を離れた。そこには抗議行動を続けるという人々の意志が表れていた。

 九月二六日と二七日の夜には、治安部隊がラングーン市内各所の僧院を襲撃した。最も陰惨なものはングウェチャーヤン僧院への襲撃で、治安部隊が僧侶側と激しく衝突し、一〇〇人あまりの僧侶を逮捕した。未確認情報によれば、襲撃の際に1人の僧侶が死亡した。

 九月二七日朝、国軍部隊はングウェチャーヤン僧院に再び現れ、僧院内に残っている僧侶を逮捕しようとしたが、前夜の襲撃に憤る地域住民に取り囲まれた。両者による衝突で、高校教師1人を含む、少なくとも7人が治安部隊に殺害された。昼頃にスーレー・パゴダ付近でも衝突が起きた。大勢のデモ参加者を国軍兵士と暴動鎮圧部隊、スワンアーシンが強制解散させたが、このとき兵士は空中に向けて威嚇発砲を行った後、デモ隊めがけて発砲した。日本人の映像ジャーナリスト・長井健司氏が故意に銃殺される模様が映った映像は、世界中に配信されたとおりである。また目撃証言によれば、この他にも男女一人ずつが銃弾を受け、死亡したと見られる。暴動鎮圧部隊とスワンアーシンは多くのデモ参加者に暴行を加え、身柄を拘束した。午後2時頃には、パンソダン陸橋で「闘う孔雀旗」(「88年世代」学生グループの旗)を掲げた学生が国軍兵士によって射殺される事件も起きた。(次号に続く)



女性部の新人学習会に参加して

神奈川支部  湯 山  薫

1 学習会

 一月二九日に開催された自由法曹団女性部の新人学習会に参加しました。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチについては土井香苗先生、ヒューマン・ライツ・ナウについては伊藤和子先生にお話をうかがいました。

 ダルフールの惨状はヒューマン・ライツ・ウォッチの活動が無ければ隠されたままだった、という話は衝撃的でした。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その構成員の約3分の2は弁護士という人権NGO。弁護士だからこそ国境に縛られない活動が出来るのだという話に感動すると同時に、弁護士という職業が重要な責任を負う仕事であることを改めて実感しました。

 ヒューマン・ライツ・ナウのビルマにおける人権活動の話も、興味深いものでした。軍政下で弾圧を受ける人権活動家たちのこれからを思うと、暗澹たる気持ちになります。ヒューマン・ライツ・ナウのような団体からの外圧で、少しでも事態が好転することを切に願います。

 夫が青年海外協力隊でアフリカのマラウィ共和国に2年半居たので、私にとってアフリカはとても気になる地域です。内戦状態に陥っているダルフールも心配です。今まで難民が逃げ込む先であったケニヤが政情不安定になり逆に難民を出していることもとても心配です。のどかで楽しい国だったマラウィ共和国が著しい貧困とエイズですっかり衰えてしまったことがとても悲しいです。

 このような問題は、外交や政治による解決を待たなければいけないと思っていました。でも、それは誤解でした。弁護士だからこそ、人権を護るという立場から出来る事が色々あると知りました。私なりに何が出来るのか、これから考えていきたいと思います。

2 懇親会

 学習会が終わってから懇親会があり、女性労働問題の第一人者である坂本福子先生とお会いしました。男女格差の問題について長年戦ってこられた坂本先生は私のあこがれの先生です。その先生の前の席に座らせていただきお話をうかがえて感激しました。

 また、夫婦別姓問題について実際に自分でご苦労されている先生のお話をうかがえたり、修習中に教育基本法について教えてくださった先生と再会できたり、本当に有意義な会でした。

3 ご報告

 私は、この学習会でお誘いをいただきまして、自由法曹団女性部運営委員会の委員になりました。

 運営委員会では今、後期高齢者医療制度についての学習会、女性部総会を計画しています。さらに、「日本国憲法に聞いてみよう」(仮称)という憲法の重要条文をわかり易い日本語で説明するリーフレットを作成中です。

 憲法と法律の違いをまったく理解していない論議が多々見受けられる現状において、憲法とは何なのか、憲法がどれだけ国民にとって大切なものなのかを、子どもから大人まで、しっかり理解してくれる内容にしたいと思っています。

 まだまだ駆け出しですが、頑張りますので、よろしくお願い致します! 



自由法曹団女性部からのお知らせ

団 女 性 部

 本年4月1日から施行が予定されている後期高齢者医療制度をめぐって、各地で中止や撤回を求める運動が強められています。野党側は廃止法案を国会に提出しています。

 この制度の問題点や制度撤回を求める運動にどうかかわれるのかなど学習会と経験交流を持ちたいと思います。

 下記の日時ですので、多数のご参加を希望します。

 もちろん、男性団員も大歓迎です。

日時 二〇〇八年4月8日 午後3時から5時まで
場所 自由法曹団 本部
講師 中央社会保険福祉協議会
    事務局次長
    相野谷安孝氏

問い合わせ先 クラマエ法律事務所(TEL03-3866-0819/FAX03-3866-0821)弁護士 倉内節子・弁護士 村田智子



二月一五日鉄建公団訴訟控訴審

証人採用の重要な意義

東京支部  萩 尾 健 太

「葛西証人を採用します」

南裁判長が静かに告げた。その瞬間、東京地裁104大法廷に歓声が沸き起こった。

国労闘争団員・遺族ら約三〇〇名が旧国鉄(後の鉄建公団・現在の鉄道運輸機構)を相手に提訴した鉄建公団訴訟控訴審では、葛西敬之氏の証人採用が決められた。

1 葛西証人の位置づけ

 葛西敬之氏は、鉄建公団訴訟の原審原告側が承認申請を要求した最重要証人の一人です。葛西氏は、いうまでもなく一九八五年五月の仁杉国鉄総裁更迭、杉浦国鉄総裁擁立により復権したクーデター組の一人であり、後にJR東日本社長となった松田昌士氏、JR西日本社長となった井出正敬氏とともに国鉄改革3羽ガラスと呼ばれた国鉄改革の主導者です。しかも、直接原告ら国労組合員などの職員管理調書での格付け、差別名簿作成を行った国鉄本社職員局次長です。

 その点からすれば、裁判所が採用差別の実態を明らかにするために、葛西氏を証人として採用したことは当然です。

2 葛西証人採用をもたらしたもの

 しかし、その当然のことが通らなかったのがこれまでの裁判所です。葛西氏は、現在JR東海代表取締役会長であり、国家公安委員、教育再生会議委員、さらには年金業務・社会保険庁監視等委員会の委員長など、政府関係の委員会の要職を勤めています。そのような大物が二二年前の国鉄改革時の出来事に関する証人として採用されたのは異例の事態でした。被告鉄運機構側はそれを全く予想しておらず、その場で葛西証人の主尋問を裁判所に要求したが斥けられたほどでした。

 この葛西氏採用を実現するため、弁護団では加藤弁護士が重厚な証人採用を求める意見書を作成し、法廷でも弁論をしました。しかし、葛西氏採用をもたらしたのは、何よりもまず、全国の連鎖集会から七三〇〇人を日比谷野外音楽堂に結集した一一・三〇全国集会の取り組み、そして一二月、一月、二月と連日裁判所前や国会議員会館、国土交通省前で座り込みや要請行動を行ってきた大衆闘争の成果です。「裁判所もこの紛争を長期化させた当事者だ!」との訴えが裁判所にも届いたことと思います。「大衆闘争と裁判闘争を両輪としてたたかう」としてきた共闘会議の方針の正しさが証明されたと言えます。

 さらには、一月二三日の全動労採用差別訴訟で不当労働行為の事実を認定した東京地裁佐村判決とそのマスコミでの報道が、東京高裁を葛西証人採用へと後押しするものとなったでしょう。

 そして、葛西氏自身がその著作で書きすぎた、と言う面も否定できません。葛西氏は、これまで「未完の国鉄改革」で「余剰人員」対策、雇用安定協約の破棄、進路希望アンケート、労使共同宣言、人材活用センターで次々と先手を打って国労を揺さぶり、「法律専門家」(最高裁から国鉄法務部に出向してきた江見弘武裁判官)が国鉄改革法作成に関与し、JR職員の採用を形式上は「新規採用方式」としたことを得々と語っています。さらに、二〇〇七年に出された「国鉄改革の真実」では国鉄分割民営化へ舵を切った仁杉総裁更迭の「宮廷革命」の内情を明らかにし、動労の抱き込み、スト権スト二〇二億損害賠償請求訴訟の取り下げと引き換えの第二次労使共同宣言締結など、次々と逆艪を外して国鉄改革を推進していった経緯を語り、これを「啓蒙運動」すなわち「思想改造」であると自白しているのです。さらに、「停職6ヶ月以上または2回以上の停職処分」との採用候補者名簿不登載基準の策定についても関与を認める記述をしています。これだけ著作に書かれれば、裁判官としてはそれを聞きたいと思うのは無理もありません。

3 葛西氏尋問へ向けて

 政府の要人でもある葛西氏の採用を受け、政府にも少なからぬ衝撃が走ったことと思います。裁判所が、東京地裁難波判決を上回る判断をする可能性があることを示したものに外なりません。弁護団としては、その影響による政治の動きも睨みつつ、しかし淡々と葛西氏の証人尋問の準備を行います。葛西氏の尋問が実現すれば、本訴訟の最大の山場となることでしょう。国鉄当局による国労嫌悪の不当労働行為意思、および採用差別ひいては清算事業団解雇にいたる不当労働行為の総体を明らかにし、停職処分による不登載基準の不当労働行為性を証明して、高裁で難波判決を上回る判断を引き出すべく奮闘する決意です。

4 島田証人採用の意義

 葛西氏と同時に証人として採用された島田俊男氏、金平博氏の尋問も重要です。

 島田氏は、一九七七年から国労中央本部中央委員として国労本部に勤務し、分割・民営化直前の一九八二年から一九八六年までは業務部調査資料室を担当し、一九八六年一〇月以降は国労本部副委員長の地位にあって、国鉄分割・民営化の過程において、国鉄職員局との折衝の任に当たってきました。

 そのため、被告鉄道運輸機構が問題とする国労組合員らのストライキ等での「労働処分」が、国労組合員らを脱退させる脅しとして、分割・民営化直前には、国労地本、支部の三役・執行委員のみならず、分会の役員、ひいては参加した一般組合員に対してまで拡大されていき、一九八五年、八六年には、その処分数は膨大なものとなっていたことを全国的な視野に立って明らかに出来る者です。

 そして、個別の処分も、異様に厳格な職務規律を強要した末の恣意的処分に他ならず、横浜人活事件に見られる様な、管理者が計画的にでっち上げた処分が全国で散見された事実を明らかにし得る重要証人です。

5 金平証人採用の意義

 金平証人は、裁判所が釈明を求めた「国鉄分割民営化に反対した職員がJRに採用されたとしたらどのように働いたか」を示す絶好の証人です。金平証人は、JR北海道に不採用とされ、清算事業団移行後に広域採用に応じて東京に来て、JR東日本から国労組合員であるが故に差別されながらも、指定された職場において懸命に労働してきました。そのことを、自らの体験、および東京での組合役員活動で把握した他の趣向者の事例などから明らかにするものです。

6 まとめ

 控訴審で、原告本人以外の証人がこれだけ採用されるということは裁判迅速化が叫ばれている今日では異例です。これも裁判闘争とともに大衆闘争の力で勝ち得たものと言えます。

 引き続き、証人尋問の期日に向けて政府・裁判所を包囲していく大衆運動を強め、当事者の要求に適った全面解決を実現していくため、奮闘しましょう。



グアンタナモ基地をめぐる最新の動き

北陸支部  菅 野 昭 夫

国内外の非難にもかかわらず継続される違法な身柄拘束と拷問

 アメリカ軍のグアンタナモ基地(キューバ)にある収容所には、二〇〇二年以降これまで約八〇〇人が拘束されてきたが、収容者は、概ね、(1)アフガニスタン戦争において戦闘中に拘束された捕虜や、米軍の懸賞金目当てにタリバンやアルカイダであると密告されて逮捕された人たちと、(2)アメリカがテロリストとみなして世界の各地で身柄拘束し、しばらくは中東、アフリカ、東欧にあるCIAの秘密収容所で拘束して拷問を加えた後に、グアンタナモ基地に移送された人たちに分類される。彼らは、ブッシュ政権が考案した「不法敵戦闘員」というレッテルをはられ、一切の司法審査もなく無期限に拘束され、拷問による情報収集の対象とされ続けてきた。    

 本年二月一八日のニューヨーク・タイムズは、収容者の一人のおぞましい体験を報道している。中東のテレビ局アルジャジーラのカメラマンであるハジ氏は、アフガニスタンで報道活動に従事中に、アメリカ軍によって、二〇〇一年一二月に逮捕された。彼は、殴打され、食事も与えられず、公衆の前で肛門検査をされるなどの辱めを受けた。

 尋問の内容から、人違いの様子がうかがわれた。彼は、ひどくあいまいな疑いについて、連日厳しい取調べを受けたが、ハジ氏は、その全てに明瞭に答えた。その結果、アメリカ軍は人違いであることを悟ったようであった。そして、取引が申し込まれた。即ち、「アメリカのスパイになってアルジャジーラの内部情報を提供してくれれば、釈放してやる」というのである。ハジ氏は、憤然とこの申し出を拒絶し、即時釈放を要求した結果、彼の身柄拘束は継続された。そこで、ハジ氏は、1年前から、ハンガーストライキに入ったが、アメリカ軍はチューブを胃に挿入する方法で強制的に流動食を投与し続けている。多くの収容者がハンガーストライキを行っているが、これらの収容者に、同じチューブが消毒されること無く使用されている。ハジ氏は、逮捕後に受けた殴打のためにひざを曲げることができないのに、トイレの椅子は取り外され、眼鏡は没収されたままなのでコーランを読むこともできないなどの、虐待を受け続けているという。ニューヨーク・タイムズは、「これらの事実は、もちろん非人道的であるが、同時に考えられないほど愚かなものである。

 グアンタナモは、ハジ氏に与えている苦痛よりももっと多くの損害をアメリカ国民に与えている」と、その記事を締めくくっている。

 国内外のごうごうたる非難の中で、最近、ライス国務長官や、ゲイツ国防長官でさえ、収容所の閉鎖を意見具申したといわれているが、ブッシュ大統領とチイェイニー副大統領は、かたくなに収容所の存続を選択し続けている。

多数の企業法務弁護士が、釈放を求める闘いに参加

 しかし、グアンタナモ基地収容所における無法な身柄拘束が次第に明らかになり、各種の闘いの結果、その多くが釈放され、現在の収容者は二七五人にまで減少したとのことである(本年二月二〇日のAnti War Com.の記事)。この成果に大きく寄与したのが、アメリカの弁護士たちの献身的な取り組みであった。

 釈放を求める闘いは、CCR(憲法的権利センター)やNLGなどの少数の弁護士たちによって取り組まれてきた。しかし、何百人もの収容者のために、身柄拘束の違憲性、違法性をつくばかりでなく、「不法敵戦闘員」には該当しないことを、中東やアフリカなどの親族、知人から宣誓供述書を集めて立証し、人身保護令状の申し立てを連邦地裁に行うという作業は、多数の弁護士の参加なしには、不可能である。そこで、全米の弁護士に「アメリカ憲法を守ろう」という呼びかけが行われた。その結果、今日まで、約五〇〇人の弁護士たちが、釈放を求める闘いに参加したが、特筆すべきことは、そのほとんどが、全米の約一二〇の巨大ローファームに属する企業法務弁護士たちであったことである。彼らは、プロボノワークとして、この闘いにはせ参じたのであるが、それは、この仕事の困難性を考えれば、驚くべきことであった。こうして、多数の弁護士たちが、グアンタナモ基地を訪れ、軍のさまざまな妨害を撥ね退けて収容者と面会し、人身保護令状の申し立てなどの法廷闘争に取り組んでいった。その中で、二〇〇六年六月にハムディ対ラムズフェルド事件及びラサル対ラムズフェルド事件、二〇〇六年六月にハマダン対ラムズフェルド事件で、合衆国最高裁は、3度にわたり、グアンタナモ基地に収容されているアメリカ国民及び外国人は、身柄拘束についての正当性に関し司法審査を受ける権利があることを判決した。追い詰められた、ブッシュ政権は、五月雨式に収容者を釈放するようになり、前述したとおり、収容者の大幅な減少となったのである。

 こうした、多数の企業法務弁護士の参加は、ブッシュ政権にとって、我慢のならないことであったようである。二〇〇七年一月に、軍事基地での収容所のペンタゴンにおける責任者であるチャールズ・スティムソンは、テレビのイアンタヴューの中で、「わが国の一流の法律事務所が、こともあろうに、グアンタナモ基地の囚人の弁護をしている。依頼人の企業は、テロリスト弁護の資金源とならないために、これらの法律事務所への依頼をやめるべきである」と発言した。続いて、これら約一二〇の法律事務所の名前が、ワシントン・ポストに発表された。これに対する反応は、政府の予想を超えるものであった。ABA(アメリカ法曹協会)は、「刑事事件において、全ての被疑者のために弁護活動を行うことは、弁護士の崇高な使命であり、これを妨害する試みは、弁護士職に対する挑戦と受け止められなければならない。」との談話を発した。何人もの学者が同様の意見を発表した。そのような中で、それら法律事務所の依頼人のひとつであるGE(ジェネラル・イレクトリック)の副社長は、メディアに対し、「プロボノサービスと法の支配は、わが国法曹の偉大な伝統である。我々GEは、法律事務所がプロボノと公共奉仕の精神に基づき依頼人を選択し弁護したことで、その法律事務所を差別することに反対であり、またそうする意図は無い」と表明した。同じくヴェリゾン・コミュニケーションの顧問弁護士は、「私の企業は、この法律事務所への依頼を継続する。その事務所が、私が嫌悪するものをプロボノワークとして弁護していても、この方針には何ら変わりはない」と述べた。結局、依頼を断る企業は無く、チャールズ・スティムソンは、ワシントン・ポストに謝罪の談話を発表して、ここでも、ブッシュ政権は敗北した。

九・一一事件の共同謀議で6人を起訴

 本年二月一一日に、ペンタゴンは、グアンタナモ基地に収容しているカーリド・シェイク・モハメドら6人を、九・一一事件の首謀者として。殺人及び共同謀議などで、グアンタナモ基地に設置された軍事委員会(ミリタリー・コミッション)に起訴したと発表した。もし有罪の評決が出れば、死刑を求刑するとのことであった。ブッシュ政権のこの発表は、大統領選挙での共和党候補者に対する援護射撃のためになされたというのが、大方の見方である。

 起訴された6人中4人は、東欧などのCIA秘密収容所に数年間拘束された後にグアンタナモ基地に移送された者であり、2人はタリバンの少年兵であった者である。もちろん、九・一一事件当時やその前も合衆国を訪れたことは無い。

 カーリド・シェイク・モハメドは、オサマビン・ラデンの側近中の側近とアメリカがみなしている人物であり、二〇〇六年の米軍のパキスタンでのアルカイダ捕捉作戦で捉えられ、しばらくは外国のCIA秘密収容所で拘束されていた。彼に対して尋問中にウオ−ター・ボーディングと呼ばれる尋問方法がとられたことを、ブッシュ政権は認めている。ウオ−ター・ボーディングとは、足を頭より下げさせて横たえ、口と鼻にぬれたタオルをあて、少しずつタオルに水を流し続けるというものであり、そうされている者は、呼吸困難となり、絶えず溺れている感覚を強いられる(もちろん、死亡しないように、加減される)。かつて、カンボジヤでポルポト派が多用した拷問方法である。その中で、九・一一事件の首謀者であるとの自白が引き出された。

 CCRが弁護しているモハメド・アル・カータニは、グアンタナモ基地で6年間拘束され、殴打、一日二〇時間の取調べを何ヶ月も継続されて睡眠を与えられない、犬をけしかける、女性の前で裸にされるなどさまざまな拷問陵辱を受けたことをタイム誌が詳細に報道した。富豪ビンラデンのお抱え運転手であった彼は、この拷問の中で、自身のことについて全て問うがままに自白したばかりか、基地に収容されている約三〇人の「罪状」をアメリカ軍に自白したと報道されている。

 ブッシュ政権が起訴した裁判機関は、連邦地裁や軍法会議などの通常の司法機関ではなく、前述の合衆国最高裁判決の桎梏から免れるために、ブッシュ政権が、二〇〇六年一〇月に、連邦議会に、ミリタリー・コミッシオンズ。アクト(軍事委員会法)を制定させて、不法敵戦闘員に該当するか否かを審査する目的で設置した「裁判機関」である。しかし、この軍事委員会は、裁判官、検察官、弁護人、陪審員全てが軍人によって構成され、民間の弁護人の権限は著しく制限され、審理は国家保安上の理由で容易に秘密とすることが可能で、伝聞証拠のみならず、強要による自白も審理に必要と判断されれば許容される。なお、これらの6人は、仮に、起訴事実について無罪になったとしても、「不法敵戦闘員」として無期限の勾留が継続されることになる。

 この起訴は、全米で大きく報道されているが、軍事委員会に起訴したことについては、批判的な論評が圧倒的である。大統領候補のバラック・オバマ議員は、「九・一一事件の犯人を処罰したいからといって、グアンタナモ基地の収容者を処罰するために設置された軍事委員会制度の欠陥から人々の目をそらすことを正当化することはできない。彼らは、法の支配の下にある合衆国の通常裁判所または軍法会議に訴追されるべきである」と批判した(ちなみに、オバマもヒラリー・クリントンも軍事委員会法には反対の票を投じている)。同盟国イギリスの報道機関であるタイムズも、「彼らを軍事委員会に訴追したアメリカ政府の決定は、ブッシュ政権が犯した過ちの中でも、最も愚かなものである。九月一一日事件の犯人は通常の裁判所に起訴されるべきであり、そうすれば、全世界の指示を受けたであろう。軍事委員会においては、被告人に不利な証拠は開示されず、拷問による証拠も許容される。自己に有利な証人を喚問する権利も定かではない。もともと、グアンタナモ基地での全てのことが、アメリカ合衆国が対テロ戦争で擁護しようとしている価値を侮辱するものである。この訴追により、アメリカは、その司法制度、モラル、民主主義をかなぐり捨てたことになる」と酷評している。

 CCRは、この裁判で、軍事委員会そのものの違憲性と拷問の違法性を真正面から糾弾するとの声明を発しているが、これから数年かかると予想されるこの審理は、ブッシュ政権がもたらした愛国者法体制の行方を占ううえで、重要な焦点になりそうである。



憲法改正国民投票での有料広告

東京支部  大 崎 潤一

 憲法改正国民投票でのテレビなどの有料広告についての団のイタリア調査報告は大きな影響を与えた。日弁連の憲法委員会委員も参考人として国会で全面禁止を明言した。

 それでも与党は全面禁止を拒否する根拠に表現の自由をあげていた。団はイタリア調査報告でその点の解明をしているが、今一度、表現の自由と有料広告禁止について問題提起をしてみたい。

 私は有料広告の禁止はそもそも表現の自由とは別の問題であると考える。

 イタリア調査報告からそれは読み取れる。「イタリアにおいては、国民投票運動(選挙運動も含む)における有料政治広告は、全国放送局においては禁止されており、『無料政治広告の原則』とも言うべき原則が確立している。」と団の「改憲手続法案の修正案に反対する意見書」7ページ(二〇〇七年4月2日http://www.jlaf.jp/jlaf_file/070402syuuseiiken.pdf )にある。

 すなわち、国民投票の広告も無料であれば禁止されない(改憲手続法一〇六条、一〇七条は広報協議会と政党等に関する規定なので一般的な無料広告には関係がないであろう。なお無料広告について何らかのルールが必要となるかはまた別の問題である)。したがって表現の自由は何ら制約されない。制約されるのは広告料を徴収する自由、すなわち経済的自由なのである。

 経済的自由については制約の許される場合もある。広告料徴収禁止が恣意的に決められればメディアの経済的自由を侵害し、それがひいては表現の自由にも悪影響を及ぼす可能性はあるだろう。しかし少なくとも憲法改正国民投票に限って広告料徴収を禁止しても経済的自由の侵害として憲法上許されないとは考えられず、また表現の自由も侵害しないと考える。この考え方はイタリア調査団の報告でふれられているイタリアの考え方と矛盾するものではないと考える。

 ところが改憲手続法一〇五条の規定からは投票一四日前はテレビなどで有料広告だけでなく無料広告まで禁止される危険がある(同法一〇六条を除く)。改憲手続法こそが表現の自由の重大な侵害なのである。

 このような考え方は、日弁連の意見書(二〇〇六年八月二二日付)とも矛盾しないであろう。日弁連意見書は「投票日直前の放送規制について」で「テレビ等の影響力の大きさは事実上無視しえないものがある一方、テレビ等の電波は限られた媒体であり、テレビ広告等を行うためには多大の費用がかかることからすれば、財力のある者のみがテレビ等を利用できるという不公平なことにもなりかねない」との問題点を指摘し、結論としては「テレビ等の利用については、広く国民が意見広告を平等・公平に利用できるようにするためのルール作りを慎重に行う必要はあるが、一律禁止を認めるべきではない。」と述べている。与党と違い、意見書では有料広告禁止が表現の自由を侵害するとは述べていない。

 そして日弁連意見書は「また、政党等以外の団体や市民も、無料で放送や新聞広告による広報活動ができるようにするための工夫も検討されるべきである。」((3) ラジオ、テレビ、新聞の利用について)と述べている。

 こうした趣旨からは有料広告のみを禁止すること、すなわち広告料徴収のみを禁止することは、成立した改憲手続法と異なり一律禁止ではないので、日弁連意見書と矛盾するものではなく、むしろ無料広告の点で意見書の趣旨に合致すると考える。

 このように考えれば、表現の自由の観点からも改憲手続法は廃止しかない。

 団の底力を改めて認識し、調査をされた団員の方々に敬意を表したい。

 有料広告の禁止はともすれば表現の自由の制約ととらえられることがあるので、あえて問題提起をしてみた。みなさまのご教示をお願いしたい。



朔北の青春にかけた人びと

北海道初の治安維持法弾圧 集産党事件をめぐって

【宮田 汎 著】

東京支部  向  武 男

一九二七(昭和二)年一一月一四日

 石井長治(二九)、松崎豊作(二〇)、北村順次郎(二二)、濱野勇一(二三)、佐藤鉄之助(二二)、村山政儀(二二)、足利貞雄(二〇)、奥山正二(二一)、中山茂(二四)、松川泰助(二七)の一〇名が逮捕され、藤田永伯(二四)は同月三〇日に逮捕された。

 青年達の住所は、旭川市、名寄町、士別町、上川郡剣渕村、札幌市、北見国野付牛町などで、職業は鉄道関係、農民組合、雑誌記者、醸造業、郵便局関係者と様々で活動写真説明者もいた。

 一一月二〇日旭川地裁の関実検事は、裁判所から「治安警察法違反被疑事件に付」逮捕者の勾留と家宅捜索の許可を得た。これを受けて、二二日旭川地方裁判所検事局あげての強制処分が実施された。

 二五日の小樽新聞は「藤岡検事正、所予審判事、関検事は名寄に来て疾風的に二三日新芸術協会員その他十数名の家宅を警官見張の上捜査した」と報じている。最後の藤田永伯さん逮捕により、治安警察法違反で予審請求となった。

 その後旭川地裁の藤岡検事正から札幌高裁の安達検事長に「被告等ハ私有財産ヲ否認スル目的ニテ結社シタルモノニシテ、治安維持法第一条ニ違反スルヲ以テ、コノ点ニ付テモ起訴」してはどうかと伺いを立てた。検事長は「同一事実ヲ既ニ治安警察法違反トシテ予審ヲ求メタルニ付、更ニ治安維持法違反トシテ起訴スルノ要ナキモ、予審判事ニ対シ、被告人結社ノ目的ハ私有財産制度否認ニアルヲ以テ、其事実ニ付テモ取調ヲ請求ストノ書面ヲ送付」してもよいと返答した。

 当初、旭川地方裁判所の検事局が、青年達を逮捕し、勾留請求をしたのは、明治三三年から施行された、治安警察法一四條の秘密結社禁止の規定に違反したということであった。しかし、一九二五年五月一五日に施行された治安維持法違反に切り替えられた。予審決定では、前記石井さんら一一名の内八名が治安維持法第一條前段「国体ヲ変革シ、又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ」に該当し、他の三名が同條後段「又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」に該当するとし、

 一九二七(昭和二)年八月二七日名寄新芸術協会事務所で秘密結社集産党を組織した。党の目的は、我が国に於ける私有財産制度を認めず、すべての私有財産は之を公有となし、産業機関を社会の経営に移行して、共産制の社会を実現することにあるした。とする。

 被告人とされた諸君に対し、治安警察法違反の逮捕容疑から治安維持法違反に変更されたことについて、本書の著者は「被告人取調べに東京から応援に出向いた平田勲、池田克、黒川渉の三名の検事の指導があったのではないか」と記す。

 以降被告人らにたいし、治安維持法違反で取調べが進められる。

 「名寄新芸術協会」について、旭川新聞は「組織並に其活動に関して本社の探知する処によれば、同芸術協会は大正十四年四月二十四日創立せられたもので、社会部、芸術部、経済部、争議部、出版部、文芸部に分れ、社会部中には、教育、争議部其他を分担し、同志七十余名が夫々其所属部によって毎月一回『閃尖』と称する雑誌を発行し、主としてプロ芸術に尽しプロ文学に努め来ったものである」とする。

 旭川地裁の第一審は一九二八(昭和三)年四月二三日から始まり五月一六日判決言渡であった。公判はすべて傍聴禁止。この時期共産党にたいするいわゆる三・一五事件が全国にわたりなお強権発動を極めていた。

 判決は、石井、松崎禁錮二年。濱野、佐藤禁錮一年六月。村山、北村、中山禁錮一年二月。足利、奥山、松川、藤田禁錮一年(三年間執行猶予)。

 執行猶予組を除く実刑組が控訴の申立をした。控訴審には弁護人として上村進、神道寛次が参加した。

 一一月二二日、一二月二二日、二回の公判の後二六日判決言渡。

 村山、北村、中山は、禁錮一年二月執行猶予三年。その余は一審判決維持。 石井、松崎、濱野、佐藤による上告申立の第一回公判は、二九年三月一五日。弁護人は、控訴審に続き神道寛次、木田茂晴。同年四月三〇日「本件上告ハ之ヲ棄却ス」。

 資料・事実に基づいて丹念に収録された本書は、本件の周囲にも及び、朔北の貴重な戦いの記録とされよう。

 それと、本件は、治安維持法違反第一号か第二号かとされながら、京都学連事件に比較して、詳細を知ることができなかった。研究者にとっては、これまた貴重な資料となる。

〈「朔北の青春にかけた人々」ご購入希望の方は、著者の宮田汎さんに直接ご依頼してくださいということです。その際、「向弁護士から聞いた」と伝えていただければということです。定価二〇〇〇円。【著者連絡先電話番号 〇一一・三八五・五七五三】〉