<<目次へ 団通信1267号(3月21日)
藤澤 眞美 | 新規採用教員に対する分限免職を取り消す画期的な判決 |
佐久間 大輔 | 都教委の障害児教育攻撃と養護学校校長の処分取消勝訴判決 |
土井 香苗 | ビルマ(ミャンマー)二〇〇七年弾圧の実態 民主化蜂起を封じ込める軍事政権 (3) |
京都支部 藤 澤 眞 美
二〇〇八年二月二八日、京都地方裁判所の中村隆次裁判長は、京都市教育委員会が京都市立小学校の新採教員に対して下した分限免職処分を取り消す判決を言い渡しました。同判決は、教育行政の裁量を広く認める流れの中で、教員の指導力を理由とするやみくもな解雇(分限免職)処分に対して警鐘を鳴らす画期的な判決です。
新採の先生に対する集中的な攻撃
Tさんは、二〇〇四年四月一日付で京都市立小学校の教員に採用されました。公立学校の先生は、採用後1年間「条件附採用期間」とされ(一般公務員は6カ月間)、担任などをしながら、指導教員の下で初任者研修を受けた後、1年間の勤務成績などによる評価を経て正規採用となる仕組みになっています。しかし、実際は採用当初からあらゆる業務を一人前にこなすことが要求され、多くの新採の先生がまともな指導を受けることなく過重な仕事量の中で体調を崩すなどして現場を去っていっています。
二〇〇二年ころから、いわゆる「指導力不足教員」が問題化される中で、教育行政は、この条件附採用という不安定で、しかも手続きの保証も不十分な新採の先生に目を付け、集中的に攻撃をしかけています。実際、新採の先生で正式採用とならなかった教員の数は、二〇〇三年度採用が一一一人、二〇〇四年度採用が一九一人、二〇〇五年度採用が二〇九人、二〇〇六年度が二九五人と、次第に増えています。このうち最も多いのは病気を理由とする「依願退職」ですが、多くの先生は今述べたような勤務実態の中で「つぶされてしまう」のです。
そして、「正式採用」されなかった先生の中には、T先生のように「成績不良による不採用」も含まれています(二〇〇六年度採用の場合で4人)。希望に燃えた新採教員のなかで、1年もたたないうちに辞めていく(辞めさせられていく)者が年々増加しているということは大きな問題です。
事実関係の調査さえされないまま強行された分限免職処分
Tさんのクラスはいろいろな困難を抱えた子どもたちがいましたが、Tさんは個別指導や家庭訪問を繰り返すなど子どもたちの教育活動に熱心なだけでなく、校務分掌など他の教員としての仕事もきちんとこなし、無断欠勤や遅刻、書類の提出遅れなどもなく、研修は常に一番前の席で受けて講師に熱心に質問するなど、真面目に地道に教員一年目を過ごしていました。
しかし、年度途中から授業中にクラスがざわついている等の理由から管理職から厳しい指摘を受けるようになり、9月には通常の業務と研究発表の準備に追われる中で、さらに毎日1時間分の授業指導案を提出するよう指示されました。
Tさんは毎日2〜3時間の睡眠で業務をこなしていましたが、忙しすぎて常時疲労蓄積状態となり、後期の初めには高熱が出て休まざるを得ない状況に追い込まれ、また、子どもたちとの触れあいが減ったため、ますますクラスがうまくいかない事態に陥ってしまいました。
それでも、Tさんは学芸会の脚本を子どもたちの意見を聞きながら一から作成するなど、必死に努力を続けました。
ところが、京都市教委は、校長などの一方的な情報を根拠に、事実関係の調査をきちんとせず、また、Tさんの主張をまともに聞くこともなく、二〇〇五年三月三一日付で分限免職処分を強行しました。
Tさんは、この処分に納得がいかず、二〇〇五年五月二七日に処分の取り消しを求めて、京都地裁に提訴しました。
「指導力不足教員」をめぐる四二の攻防
本件裁判における争点は大きく4つありました。
本件は学校の先生に対して、責任感が欠如しているとか、指導力が不足しているとか、授業の方法が不適切であるとか、あるいは向上心がないとかそのような学校の先生の教育の指導力という抽象的な理由で、市教委が分限免職をしたという特殊性をもっています。
したがって、第一に、教育の力量のレベルというものを新規採用の先生にどのような基準でどの程度求めるのか、どのレベルを切ると、分限免職の理由となるのかということが争点になります。それはもちろんベテランの先生と同程度に求められるものではないはずですが、この点被告側はTさんについて四二項目にもわたる問題点を主張してきました。それは例えば、後期授業の始業式の日に熱を出したのは本人の健康管理が悪いからだとか、児童をきちんと整列させることができないとか、微に入り細に入る、まさに重箱の隅をつつきまわすものでした。
第二に、これら四二の免職の理由についてほとんど事実確認がまともにされないままに分限免職されたことが争点となりました。裁判では、これらの一つ一つが事実ではないこと、あるいは事実の一部だけを取り上げて問題化し全体的な教育の流れでとらえていないことなどを明らかにしてきました。
第三の争点は、新任の先生に対して管理職側が何ら系統的な指導をしてこなかった点です。新任の先生に対しては、学校長、教頭、教務主任、学年主任、そして指導担当教員とあらゆる指導者がいるわけですが、それぞれが個々ばらばらにあるいは単発的に指導をしており、学校が新任の先生をどのように教育力量をあげていくか視点がまったくありません。系統的に指導したという資料ももちろんありません。
第四に、9月以降毎日2〜3時間しか寝る時間が取れないというTさんが実に過密な仕事量の中で、児童達と十分な接触をもちおおらかな教育をする機会を奪われてきたという点です。中でも、数時間の授業準備や研究授業の準備に加えて、毎日1時間分の指導案を提出するように言われたことはTさんの継続的な過労状態を引き起こすことになりました。
管理職側の責任を厳しく断罪した判決
今回の判決は、市教委が主張する四二の免職理由を、裁判所の観点で三五項目にまとめ、そのうち、一〇項目についてはそもそも事実自体がないという判断をし、市教委がいかに事実調査をしないまま免職処分を強行したかを明らかにしました。
また、一二項目については、事実は認められるとしても教員の評価には影響しないとしました。
残る一三項目については、原告の指導に不適切または不十分な面があったと判断しましたが、それは一概にTさんの責任感の欠如とは言えず、子どもたちや保護者の方がTさんに対して信頼を失ったとすれば、その一因は管理職や学校のTさんに対する態度に問題があり、管理職のTさんに対する評価が客観的に合理性を有するか疑わしいと指摘したのです。
今回の判決に対して、京都市教委は即刻控訴をしてきました。これからが闘いの正念場となります。全国の学校で子どもたちの困難と向き合って、日々がんばっている先生方に対して、今回の判決が大きな励ましになったことを大切にして、控訴審でも勝ち抜けるようご支援をお願いします。
東京支部 佐 久 間 大 輔
二〇〇三年七月二日、都議会の一般質問において、土屋都議(民主党)が性教育について質問し、石原都知事が「どれ(教材)をとってもあきれ果てる」と答弁した。この二日後、教育庁、都議、産経新聞記者らは、「こころとからだの学習」が行われていた都立七生養護学校(知的障害児学校)を視察し、教材を「押収」した。
わずか二か月後の同年九月一一日、教育庁関係者を除く教職員一〇二名に及ぶ大量処分が行われ、このうち同校の元校長である金崎満氏に対しては、停職一か月(懲戒)及び教員への降任(分限)という極めて重い処分が課された。
金崎氏の処分理由は、大きく分けて四点あるが、そのうち最も重く評価されたのは、都教委から仮決定を受けた重度・重複学級(情緒障害児学級)の生徒を普通学級に合流させたのに情緒障害児学級を編制したと虚偽の報告をしたことにより教員の配当を不当に多く受けたこと、同学級の生徒を普通学級に合流させたことにより障害の程度に応じた指導をしなかったことである。
本来、情緒障害児は、知的障害は軽度であるものの、集団指導になじめないことから個別指導が必要となる。しかし、現行法上個別指導を理由に教員の配当ができないことから、金崎氏は、都教委と協議の上、教員が多く配当される重度・重複学級を設置したのであり、個別指導を中心としながら集団指導をすることが当初から予定されていたのであって、これこそ障害の実態を見た適切な指導であった。従前は都教委も評価していたのであるが、性教育攻撃を機に、手のひらを返すようにこれを否定して重大処分の挙に出たのである。
しかも、処分理由の中に「性教育」の文言は全くなかった。都教委は、対外的には大々的に性教育に関する不適切な学校教育管理を処分理由にしたなどと宣伝しながら、実際は不十分な養護学校の施設や予算の中で教職員が工夫していた学校運営そのものを処分したものであり、攻撃の対象が障害児教育それ自体にあることが明らかとなったものである。
団東京支部は、障害児教育攻撃問題プロジェクトを立ち上げ、教職員組合等との合同調査に参加するとともに、都障教組などと協力しながら、都教委に何度も足を運び、意見書や質問状、要請書を提出するなどして抗議や要請を繰り返した(詳しくはPT報告参照)。
金崎氏は、人事委員会の審査請求を経て、二〇〇六年五月、東京地裁に処分取消を求める訴訟を提起し、二〇〇八年二月二五日、東京地裁(渡邉弘裁判長)は、金崎氏の懲戒及び分限の各処分を取り消す旨の判決を言い渡した。
同判決は、情緒障害児学級について、学級の設置に必要な条件を形式的には充たしていたと認定した上で、情緒障害の状態に即して措置対象の生徒が選定され、生徒の状態が悪い時には、担任が当該生徒に対する個別指導を行う場面が多かったものの、生徒の状態が良い時には、積極的に普通学級等他の集団に合流して指導を受け、また、朝の会や帰りの会は、生徒の状態によっては個別的にしか行えない場面もあったものの、状態が許す限りは、情緒障害児学級に割り当てられた教室で行っていたのであり、同学級に配置された生徒が恒常的に普通学級に配置されていたとは評価し難いばかりか、そもそも情緒障害児学級設置における指導の最終日標は、対象となる生徒を普通学級など他の集団から恒常的に隔離しておくことではなく、最終的には普通学級への合流を可能にすることであったのであるから、情緒障害児学級において、生徒の状況に即して、時に同学級の担任が特定の生徒の個別指導に当たり、その問に他の生徒は普通学級など他の集団に合流して別の教諭の指導を受ける等の場面が生じることが前提であったのであり、都教委としても、情緒障害児学級が流動的な学級運営をすることを重度・重複学級の一つの在り方として許容していたものであるから、処分理由を基礎付ける事実を認めることはできないと判示した。
そして、同判決は、他の処分理由についてはこれを基礎付ける事実が認められることを前提にしても、都教委は学級編制が最も違法性が高いとの判断に基づき処分を量定したのであるから、本件各処分は、いずれも重きに失し、都教委の裁量権を濫用ないし誤って行使して発せられたとして、これを取り消したものである。
この東京地裁判決は、情緒障害児学級の実態を直視し、二〇〇三年七月以前の都教委と同様にこれを評価した上で、学級編制にかかる非違行為を否定し、金崎氏の校長としての適格性を肯定した。都教委の教育そのものへの不当介入を断罪したものであり、ここに最大の意義がある。
団は同年三月四日付で控訴断念を求める声明を発表したが、東京都は同月七日に控訴した。
弁護団(牛久保秀樹、望月浩一郎、佐久間大輔)は、控訴審において、処分取消の結論を維持するにとどまらず、都教委の不当性や教育現場の実態をあらためて明らかにしていく決意である。
この件では、団本部と東京支部に多大な御協力をいただいた。弁護団を代表して、感謝の意を表したい。
東京支部 土 井 香 苗
【国際NGO ヒューマン・ライツ・ウォッチ(*)日本駐在員】
*ヒューマン・ライツ・ウォッチは、世界八〇カ国の人権状況を常時モニターする世界最大級の国際人権団体。本部ニューヨーク。
●第三回
九月二七日には、タームエ第3高校の前でも流血の事態が起きた。同高校前に集まったデモ隊約2万人を国軍部隊が包囲したところに、軍用トラック1台が突入して人々をはね、3人を殺害した。トラックの荷台から降りた兵士は逃げまどうデモ隊に発砲した。この銃撃で複数の死者が出た。兵士は高校の壁をよじ登ろうとしたこの高校の生徒1人に背後から発砲して殺害したほか、付近にある国立図書館横の工事現場に逃げ込んだ若者3人を射殺した。デモ隊を追跡する兵士は、逃げ込んだ人々がひしめきあう水路に発砲し、空の貯水槽に隠れていた1人を故意に射殺した。治安部隊はデモ参加者数百人を拘束して暴行を加えた後、近くの拘禁施設に連行した。ヒューマン・ライツ・ウォッチはこの衝突で少なくとも民間人8人の死亡を確認している。
九月二八日と二九日には数千人が引き続きデモを実施しようとしていたが、軍政は兵士や暴動鎮圧部隊、民兵組織の数千人をラングーン中に配備し、街頭の支配権を取り戻すことに成功した。スワンアーシンと連邦団結開発協会の民兵組織の役割は特に重要だった。その構成員は暴力的であり、人々が街頭に集まろうとする気配を見せただけでも手当たり次第に暴行を加え、拘束することをいとわなかったので、軍政はこうした組織を使って市内の隅々までパトロールを行うことができたからだ。また治安部隊は、街頭に集まろうとする人々に実弾やゴム弾での発砲を引き続き行っていた。
* * *
街頭での弾圧が行われる一方で、治安部隊はラングーンなどいくつもの都市で、デモに関わった僧院への襲撃を開始し、僧侶数千を拘束し、多くの場合、物理的に僧院を占拠した。拘束された僧侶は収容所に送られて還俗させられ、僧院には戻らず出身地に帰るように命じられた。拘束を免れた場合でも、僧院自体が占拠されているため、地元に帰らざるをえない僧侶が多かった。僧侶が大量に逮捕され、還俗させられ、また僧院が軍によって占拠されたため、ラングーン市内には僧侶の姿がほとんど見られなくなった。僧院の占拠と襲撃は、この報告書が刊行された一二月上旬の時点でも続いている。例えば軍政当局は一一月二七日に、HIV/エイズ患者の保護も行う、有名なマギン僧院の閉鎖を命じた。多くの僧侶が現在もなお拘束されている。
家宅捜索と逮捕の標的となったのは僧侶だけではない。治安部隊は、デモの最中に公安が撮影・収集した写真や動画を使って、デモに参加したと疑いのある市民数千人の身柄拘束を直ちに開始した。大量逮捕作戦からはっきりと明らかになるのは、軍政は国民生活に深く入り込んで、人々の間に恐怖心を起こさせる、全体主義的な能力を備えていることだ。たとえば軍政は、区開発評議会、連邦団結開発協会、スワンアーシンといった何層ものネットワークを使うことで、国民を詳しく監視・威圧する能力を備えており、怪しいと思われる人物を誰でも逮捕している。9月のデモ以来、軍政は組織的に弾圧を行っている。
国営マスコミは非拘束者の総数をわずか二八三六人とし、現時点で収容が続いているのは九一人だけだと発表している。しかし拘束された人の総数も、現在収容されている人の数も実際にははるかにこれを上回っている。最も懸念すべきことは、軍政は抗議行動が始まってからこつ然と「失踪した」数百人についての説明を一切行っていないことだ。当人の家族は、行方不明になった当人が拘束中なのか、殺されたのかを確認することができないでいる。
被収容者の身柄拘束先は、ヤンゴン市庁舎やチャイッカサン競技場、国立技術高等専門学校などの仮設収容所であり、収容条件は生命に危険を及ぼしかねない不衛生なものだった。ヒューマン・ライツ・ウォッチでは、仮設収容施設で少なくとも7人が死亡したことを確認しているが、全体での犠牲者はずっと多いと思われる。被収容者はまず基本的な事項について尋問を受ける。そして反体制活動家であるか、抗議行動に参加した疑いがある場合には、更なる尋問のためにインセイン刑務所などの収容施設に移送された。ヒューマン・ライツ・ウォッチは仮設収容施設とインセイン刑務所の双方で行われた深刻な虐待行為と拷問を確認している。例えば、ある被収容者は長い間逆さ吊りにされたまま殴られていた。また尋問中に意識を失う、「圧迫姿勢」の強要や睡眠妨害といった虐待を受けた被収容者も複数存在した。
僧院への襲撃と同様に、本報告書が発行される一二月上旬にも当局による逮捕は続いており、ヒューマン・ライツ・ウォッチにはほぼ連日、新たな逮捕者が出たとの情報が寄せられている。一一月上旬には全ビルマ仏教僧連盟の代表であるウー・ガンビラ師が逮捕され、国家反逆罪で訴追された。一一月一三日には労働運動家のスースーヌウェ氏と、氏と活動していたボーボーウィンフライン氏がラングーンで逮捕された。国連人権特別報告者のパウロ・ピニェイロ氏の訪緬中の出来事だった。一一月二〇日には民族勢力の指導者とNLD幹部がラングーン市内で拘束された。(次号に続く)