<<目次へ 団通信1272号(5月11日)
千葉支部 宮 腰 直 子
◆ 事案の概要
1 ノースウエスト航空(以下「会社」という。)は、二〇〇三年三月一日、正社員であり組合員でもある客室乗務員一五名を余剰として地上職(サービスカウンター業務)へ配転した。これを不服として客室乗務員六名(うち一名は途中で取下げ)が会社に対し客室乗務員の地位確認と慰謝料を求めて提訴した。
2 この配転の背景には、客室乗務員を経験豊かな正社員を人件費の低い契約社員へ代替していこうとする会社の方針があった。また、配転対象となった客室乗務員は組合員でもあり、客室乗務員の組合組織率はほぼ一〇〇%であったことから、契約社員への代替は組合弱体化をも目論むものでもあった。
3 本件配転より二年前、会社は、大阪ベース(関西空港における客室乗務員の勤務拠点)を廃止したことを理由に客室乗務員が余剰になったとして九名を地上職に配転した。ところが契約社員に客室乗務員の資格を取らせて乗務させる会社の計画が発覚したため、労働組合は反発し、配転対象者の復職と客室乗務員の職位確保を求めて争議行動を開始した。団交を重ねた結果、二〇〇二年四月に「労使確認書」が締結され、会社は配転対象者の復職と現職客室乗務員の職位確保を約束した。二〇〇二年一〇月一日、配転対象者全員が客室乗務員に復帰した。
4 それからわずか五ヶ月後に会社は再び本件配転を強行した。(原告のうち二名は二度目の配転であった。)会社はコンピュータ試算により客室乗務員一五名が余剰となったと主張したが、その計算論理も使用データも明らかにしなかった。また、新たに導入した機種や新規に開設された路線が多数あるにもかかわらず、これらに現職の客室乗務員を乗務させず、契約社員である客室乗務員を大量に採用して乗務させた。
◆ 訴訟経過と高裁判決
1 一審では三年かけて主張立証を尽くしたつもりであったが、判決は会社の主張を鵜呑みにしたもので我々の完敗であった。
2 控訴審では、一審の反省にたって、主張を整理補充し、一〇〇通余りの客室乗務員およびパイロットの陳述書を集めるなどして臨んだ。
3 高裁判決は、本件配転を配転命令権の濫用であるとして無効とした。
判決は「本件配転命令当時、被控訴人において、一般的に人件費の節約、余剰労働力の適正配置などの業務上の必要性があった」としつつも、「本件配転命令の直接の理由とされたFA一五名の余剰は・・・会社のとった短兵急な施策、方針に起因するもの」(=契約社員の積極的活用)であり、客室乗務員を一五名削減することの必要性については、コンピュータで結論が出たとしても「それをもって直ちに業務上の必要性が高いと評価するのは相当でない」とした。
また、配転対象者の受けた経済的・精神的不利益は無視できないとした。さらに、「労使確認書」(労働協約)により会社は職位確保の努力義務を負っているところ、これと矛盾するような行為は信義則に反するなどとした。これらの事情を総合して権利濫用を認めた。
4 判決は慰謝料請求も認めた。二度目の配転であった控訴人二名には満額一〇〇万円を認め、その余の控訴人三名には八〇万円を認めた。
5 判決言渡しの日、法廷では裁判長が判決要旨を読み上げ、原告席・傍聴席からはすすり泣きが聞こえた。
6 高裁での弁護団は、金井克仁(東京法律)、小林幸也(房総法律)、中丸素明・井出達希・宮腰直子(千葉中央)であった。
二〇〇八年三月二六日東京地裁判決
北海道支部 三 浦 桂 子
●二〇〇八年三月二六日、東京地方裁判所は、「組合員参加型団体交渉は労使慣行となっていた」として、「義務的団体交渉事項について組合員参加型団交を拒否することは不当労働行為」にあたるという画期的な判断を下しました。
●「大衆団交」ならご存じの方がいらっしゃるかもしれませんが、「組合員参加型団体交渉」とは?
函館中央病院は、道南の基幹病院として住民に信頼される民間病院です。一九六七(昭和四二)年の組合結成当時から、春闘(賃上げ要求)や秋闘(人員要求)などの基本事項、重要な個別事項などについては、組合員の誰もが参加でき人数制限のない団体交渉(=組合員参加型団体交渉)が行われてきました。ユニオン・ショップ協定を有しているので、組合員数は約六〇〇名。通常一〇〇名前後の組合員が団交に参加します。その他の課題については事務折衝で交渉していました。
「組合員が誰でも参加できる。しかも一〇〇人規模。」と聞くと「交渉の統制が取れない大衆団交では?」と疑問に思う方もいるかもしれません。しかし、交渉担当は組合執行部が行い、組合員が意見を述べたいときは執行部の許可を得て発言するので、交渉体制に何の問題もなく、病院から異議が出たこともありませんでした。
●突然の不当労働行為「三点セット」
ところが、二〇〇三(平成一五)年一二月一一日、突然、病院は組合に対して、(1)団体交渉の人数を一五名に制限する、(2)定期昇給に関する協定の解約、(3)年一回四月の定期昇給を定めていた就業規則を改定することを通知し、組合が申し入れた団交に対して、従来の組合員参加型団体交渉には一切応じないと拒否したのです。
病院の狙いは明白です。病院は、二〇〇二(平成一四)年度以降、定期昇給とベースアップを拒否し人事考課制度の導入を意図していたのですが、北海道労働委員会のあっせんで平成一四年度、一五年度と定期昇給を認めざるを得なかったのです。このような状況で、平成一六年度の定期昇給を拒否しても、到底、組合員参加型団体交渉において組合員の理解を得ることはできないと判断し、団交ルールの一方的変更を含む上記「三点セット」に及んだのです。
●労働委員会の初審命令、再審査命令
組合の不当労働行為救済申立に対して、北海道労働委員会は、二〇〇五(平成一七)年八月一九日付けで組合の申立をほぼ認める救済命令を発しました(団交拒否、支配介入、ポスト・ノーティス)。
病院の再審査申立に対して、中央労働委員会においても、二〇〇六(平成一八)年九月二〇日付けで、(1)団交ルールの変更と(2)定期昇給に関する協定の解約に関する団交拒否が不当労働行為にあたるとして謝罪文の手交を病院に命じました。もっとも(3)就業規則の変更に関しては事務折衝が行われていたので実質的に団交が行われており、不当労働行為にはあたらないとしました。組合は、初審命令が一部変更されたことは残念に思いましたが、「三点セット」以降、定期昇給がストップし特に新規採用者の給与が低額なまま据え置かれている事態を早期に解決することを優先し、再審査命令を受け入れるよう病院に呼びかけました。
しかし、病院は再審査命令の取消を求めて東京地裁に提訴しました(組合もその後、提訴)。
●東京地裁判決
結論において再審査命令を維持しましたが、判断において組合員参加型団体交渉の権利性について踏み込んだ内容が示されました。すなわち、(1)団体交渉においては、私的自治ができる限り尊重されるべきである、(2)組合員参加型団体交渉は、相当長期間にわたって反復継続して行われてきたものとして労使慣行となっていた、(3)事務折衝も実質的には団体交渉である、(3)病院は組合から労働条件等の義務的団体交渉事項について組合員参加型団体交渉の申入れがあった場合には、正当な理由がない限り、これに応じなければならないとして、義務的団体交渉事項である団交ルールの変更、定期昇給に関する協定の解約について、組合員参加型団体交渉に応じなかった病院の対応を不当労働行為にあたると明示しました。そのうえで、病院側の「組合員参加型団交は団体交渉の本質に反する。拍手や野次が労使対等の正常な団体交渉を阻害している」旨の主張をことごとく退けました。
●判決の意義
何かといえば効率が優先されがちな今日において、一〇〇名規模の団体交渉の正当性を明確に認めた画期的な判決です。しかも「義務的団体交渉事項」の範囲は極めて広いので、判決の基準によれば、組合は義務的団体交渉事項について組合員参加型団体交渉を申し入れるか、それとも事務折衝で交渉するか、選択する権利は組合にあり、病院はこれを拒否できないことになります。
病院という職場の性質上、交代勤務の看護師が多いので、勤務の合間に出入り自由で参加できる組合員参加型団体交渉は、各組合員が自らの労働条件に強い関心を持ち学ぶことのできる極めて民主的な場です。この判決を引き出したのは、長年にわたって一人一人の組合員が仕事に疲れた身体を励まし合いながら団体交渉に参加し続けた団結の成果です。
病院は控訴を断念し、判決は確定しました。
以 上
宮城県支部 加 藤 雅 友
昨年、自衛隊の調査保全隊の、民主運動や広範な平和を願う人々に対するスパイ情報活動が明らかになって大きな政治的問題となったが、私が体験した航空自衛隊入間基地の調査隊のスパイ諜報活動との戦いは、あまり取り扱った人がいない珍しいケースだと思うのでご紹介しておきたい。
一九八〇年ごろ、私は所沢共同法律事務所を仕事場としていたが、ある日、日本共産党埼玉西南地区委員会から大変切迫した相談を受けた。党員である女性が航空自衛隊入間基地の調査隊員から執拗な工作を日夜受け続けているというのである。事情を聞くと当時女性は生命保険の外交員をしていたが、自衛隊は、隊員に民間の生命保険に加入することを積極的に勧めていたようで、ネームプレートさえつければ基地内の各部隊に、自由に保険契約をとりに入れていた。
その女性は姉妹で保険の外交員をしており、航空自衛隊入間基地の隊員はよいお得様だったという。ところが、ある日突然、妹が変死したが警察はガス自殺ということで片付けてしまった。しかしその日の朝に妹と電話をしていた姉にたいして妹はいつもと代わらぬ明るい声で話をしていて自殺するはずがないということだった。そして間もなく結婚して夫のいる姉のほうにも、顔見知りを装った自衛隊員から、まるで肉体関係でもあったかのように昼夜を問わず付きまとわれるようになった。夫と就寝中にも真夜中に「このごろ冷たくなったじゃねえか」というようなダミ声の電話が飲み屋からひんぱんにかかってきて、家庭も崩壊の危機に陥っているという。
その女性から事情を聞くと、保険の勧誘に行った航空自衛隊の基地の中には、調査隊の事務所もあり、その頃は部外者の立ち入りもまったく自由で、部屋に入ってみると大きな机の上に、民主団体の野外集会で撮影したと思われる参加者一人ひとりの鮮明な顔写真が山積みされていて、隊員が「いま美人コンテストをしているから見ていけ」などと言って部屋に呼び入れられたりしたという。独身だった妹はミサイルの保守整備担当の隊員とねんごろになっていて、寝物語でミサイルの性能の話などの自慢話を聞かされていたという。しかし、ある時期から自衛隊のガードが突然固くなった。それは恐らく、一九七九年ごろから赤旗で「影の軍隊―自衛隊秘密グループ」の長い連載が始まり、金大中拉致事件に関わった陸幕二部別班の活動の実態から始まり、それを読んだ自衛隊員からの内部告発が寄せられるなどして、記事は次第に自衛隊の諜報組織の活動の恐るべき全貌を明らかにしていった。治安出動の訓練が、デモの制圧にとどまらず、放送局や新聞社、電力会社の占拠など軍事クーデターとしか考えられないような大規模なかまえで行われていることも詳細に記述された。([影の軍隊]は今は絶版になっている)
この記事の連載が始まった頃から、自衛隊の基地の対応も一変したのである。基地に出入りしていた民間人の身元調査も始まったらしく、保険外交員をしていた姉妹の姉のほうが日本共産党員であることも突き止めたようである。そして妹の不審な事故死が起こり、続いて姉に対し日夜を問わぬ執拗なつけまわしや、肉体関係があるかのような嫌がらせの電話が真夜中にも自宅にかかるようになった。こうした状態に置かれている女性を二四時間保護し続けるのはどんな組織であっても極めて困難なことが明らかであった。そこで私は意をけっして赤旗の社会部に電話し、影の軍隊の特捜班をつとめていた二人の記者を自宅に呼んで、女性の件を取材してもらったのである。
日本の黒幕シリーズそのものは、その頃からロッキード事件に関わった小佐野健二の問題に移っていて、この事件はその関連の記事にはならなかったが、赤旗の記者を呼んだその日から女性に対する付きまといや嫌がらせ電話はぴたっと止まったのである。つまり、自衛隊側は私の事務所や自宅の電話を盗聴していて、私が赤旗社会部に電話をして社会部の記者が取材に来たことなどをすべて掌握して、彼らなりに危険を察知して謀略活動を中止したのである。スパイ謀略組織との情報戦にふさわしい決着の仕方であった。
一年ほど前に、団通信に、「同時多発テロ真相解明の文献紹介」のレポートを書いたがそれからしばらくして、最初は広島から、つぎは長野県下伊那郡から、弁護士でもないものから、同時多発テロは、一九人のイスラム過激派が4機の旅客機をハイジャックしておこなったというアメリカ政府の公式見解に反するデマを振りまくなという警告の手紙がCDつきで送られてきたが、同様の手紙が、団事務局にも送られたそうである。要するに、団通信も看視しているものがいるのである。
まえのレポートでは、藤岡惇[グローバリゼーションと戦争ー宇宙と核の覇権めざすアメリカ]大月書店を紹介したが、そのなかにアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュウジイランドなどをむすぶエシュロン・システムと呼ばれる巨大なコンピューターネットワークシステムなどがあって世界中の情報・通信をアメリカが傍受している事実が述べられているが、いまや携帯電話の微弱な電波も人工衛星でとれえられているという。アメリカの軍事的植民地のような日本での民主的な運動は、常時そのような監視の下もとにあることをいつも意識している必要があると思う。(〇八年四月二五日)
埼玉支部 金 子 直 樹
1 参加の経緯−労働と貧困の問題
初めまして。自由法曹団埼玉支部所属の金子直樹と申します。
私は、弁護士になってまだ三カ月が過ぎたばかりですが、労働問題には強い関心を持っております。といいますのも、もともと新司法試験で労働法を選択するなど関心の高い分野ではありましたが、我々の事務所は、債務整理の案件を非常に多く取り扱っておりますが、ギャンブルやカードによる買い物などといった理由ではなく、生活費に事欠いているために消費者金融から借金をせざるを得ないという現状を目の当たりにし、労働と貧困の問題が多重債務者を生み出す大きな原因であると実感するに至ったからです。
しかし、知識も経験もほとんど無い私にとりましては、何から手をつけたらいいかということが全く分かりませんでした。というのも、実際に労働と貧困の問題を抱えてらっしゃる方々の生の声を聞いたことがなかったからです。そこで、今回の企画に関しましても、ぜひ生の声を聞きたいと思い、実態調査に参加させていただきました。
2 人々の意識の高さと「生の声」
新宿駅前においては、まず、たくさんのチラシを配りました。非正規雇用の問題に対する啓発を目的とするものでしたが、年収二〇〇万円以下の労働者が一〇〇〇万人を超えている、派遣元が三二%もピンハネしているが規制するものがないなどという衝撃的な内容でした。
暖かい土曜日の昼下がりの新宿駅西口で、無料の労働相談とアンケートへの協力を呼びかけながらチラシを配りましたが、町を行く人々の関心は高く、多くの方がチラシを受け取ってくれました。
その中で、一人の中年の方が、「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」と声を掛けて来られました。その方が初めに尋ねられたことは、「派遣制度って昔は無かったよね。」というものでした。それに対し私は無い知識を絞り出し、八五年に労働者派遣法が成立し、当時は専門業務に限定して違法な労働者派遣を解禁したものであったが、九九年に原則全面的に解禁となり、〇三年には製造業まで解禁された旨説明しましたところ、その方は娘さんがお二人いらっしゃるそうなのですが、お二人とも派遣社員として働いており、「今は私が元気だから、娘たちが派遣社員という不安定な雇用でも何とか食べていくことはできるだろうが、もし私の身に何かあったら・・・。」と切実なお話しをされました。私は不安に思う気持ちは十分共感出来たつもりでしたが、そのお話しに対して、なかなかお答えすることができませんでした。非正規雇用の問題を身近抱えていらっしゃる方の正に「生の声」を聞き、これが本当の社会問題であることを強く実感し、衝撃を受けたからです。かろうじて、「労働者派遣法の改悪に反対し、せめて以前の原則禁止レベルまで持って行く必要がありますので、声を上げていきましょう。」とお答えできた程度でした。
また、アンケート聴取もやらせていただきましたが、その中でお年寄りの方が、「今日雇い状態で働いている。年金だけでは妻と二人ではとてもやっていけない。もし明日仕事がなかったら医者にも行けない。政府は年寄りを殺す気なのか。」という怒りをあらわにされていました。昨今も、後期高齢者制度など国の高齢者の方々に対する政策が問題となっていますが、非正規雇用の問題も高齢者の方々にとっては命に関わる極めて切迫した問題であるということが良く分かりました。
3 今回参加してー非正規雇用の問題の裏側には…
今回、街角でのビラ配りや路上でアンケートを採る以外にも、初めて宣伝カーでマイクで話をするなど貴重な体験をさせていただきましたが、このような町の人の「生の声」を聞くことは非常に重要であると感じました。我々新人弁護士や修習生達も同じ思いでいるのではないでしょうか。
先日の新聞では、非正規雇用者からの住民税の徴収が困難になっている旨の記事が掲載されていました。「多様な労働スタイルの実現」という名目で国が行った派遣労働の原則解禁によって、国や公共団体の負担が増えていると皮肉に感じただけでなく、ますます先細りするであろう税収とそれによる社会福祉政策の後退に強い恐怖感を覚えました。非正規雇用者の増大による貧困と格差の問題は、今回の活動結果からも分かるとおり、すぐ身近にあるもので、「福祉国家」である現代国家日本の根幹を揺るがすほどの大きな問題を含んでいるということに気づいたからです。
今後我々は、このような「生の声」を聞きながら、それを大きな声として訴えていくことが益々重要であると思います。新人でありながら生意気なことを申し上げてしまいましたが、実際「生の声」を聞き、この問題の持つ重大さを感じたからです。ぜひ今後もこのような聴取活動に積極的に参加していきたいと考えております。
東京支部 土 井 香 苗
国際NGO ヒューマン・ライツ・ウォッチ(*)日本駐在員
*ヒューマン・ライツ・ウォッチは、世界八〇カ国の人権状況を常時モニターする世界最大級の国際人権団体。本部ニューヨーク。
●第二回
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、今年三月六日、スリランカでの拉致・強制失踪についての報告書「悪夢の再来」を発表しました。第一回には、同報告書発表の際のプレスリリース「スリランカ・政府軍による『失踪』という国家的危機」を紹介しましたが、第二回目以降は、同報告書の要約部分の日本語訳をご紹介します。
英語でのレポート全体は こちらのURLからご覧いただけます(二四一頁) http://hrw.org/reports/2008/srilanka0308/
彼の父がドアを開けました。男たちは父親を押しのけ、私たちと子どもたちをある部屋に押し込めました。ジュニス・レックスは、自分の部屋から出てきました。体をベッドシートで隠していました。
男たちは彼をベッドシートの上からつかんで拘束したのです。その男たちは、黒ズボン、グリーンのTシャツ姿で、頭を黒い布で覆っていました。後でわかったことですが、彼らは、バンに乗ってきて、幹線道路にバンを停めていました。彼らは、部屋の電球をぶち壊し、ジュニス・レックスを引きずり出していきました。彼らはタミル語で「来い!」と命じました。彼は「お母さん!」と叫んでいました。でも私たちは彼を助けることもできませんでした。
・ジュニス・レックス・シムサン、二〇〇七年一月二二日深夜、当日早朝の家宅捜索の後拉致された。家族の証言。彼の家族の度重なる問い合わせにも拘わらず、現時点で、彼の所在及び生死は不明のままである。
例えば、行方不明者リストの話をしましょう。家族に知らせないままにハネムーンに行った人たちもいます。家族はその人たちが失踪したと思うんですね。親が、子どもが失踪したと申し立てることもあります。でも、実際には、子どもたちは、外国に行っていただけとわかることもあります。---- 失踪リストは単なる数字です。すべてのケースについて、しっかりした証明が必要です。私は、失踪や人権侵害が全くないとはいいません。でも、はっきり申し上げたいことは、政府は、全くこれに関わっていない、ということです。
・スリランカ大統領 マヒンダ・ラージャパクサ。二〇〇七年一〇月四日。アジア・トリビューンのインタビューに答えて。
二〇〇六年半ばに、スリランカ政府と武装分離主義者タミル・イーラム解放の虎(LTTE/ Liberation Tigers of Tamil Eelam)は、大規模な軍事行動を再開した。そして、過去にこの国で起きた、忘れることのできない現象が再来した。それは、紛争当事者が、若い男性を広範に拉致し「失踪」させる現象だ。二〇〇二年にノルウェーの調停によって実現した停戦は、事実上崩壊し、二〇〇八年一月、公式に解消された。今後、武力紛争の激化が予想される。スリランカ政府が、より断固とした姿勢で、拉致と「失踪」を止めるように措置をとり、行方不明者の所在を明らかにし、責任を負う者を訴追しない限り、二〇〇八年、「失踪」が再び激増する恐れがある。
二〇〇六年以降、強制失踪の数は数百件にのぼる。スリランカは、強制失踪発生件数がもっとも多い国の一つである。主な「失踪」の被害者はタミル人の男性だ。多くの場合、武力紛争地域である北部または東部において、または首都コロンボで、政府軍に連行された後、忽然と「失踪」してしまう。確かに、彼らが、LTTEのメンバーあるいは支持者である可能性はある。しかし、そうだとしても、秘密裡にあるいは適正手続きなしで、拘禁することは、正当化できない。残念ながら、「失踪」被害者のほとんどは死亡したものと思われる。
この危機的状況にも拘わらず、スリランカ政府には、事件を捜査し、責任を負う者を訴追するという決意が、まったく見らない。ヒューマン・ライツ・ウォッチがインタビューした全ての家族が、「失踪」つまり拉致された身内の事件について、スリランカ当局に捜査をしてほしいと働きかけたが、当局が対策に乗り出すことはなかったと語った。
スリランカ政府のこの失策の代償は大きい。多くの人びとが残虐な扱いを受け、多数の人命が失われた。しかし代償はそれだけでない。残された人びとーー「失踪」した愛する人の運命を、決して知ることができないかもしれない、配偶者、両親、そして子どもたちーーはやり場のない苦悩と怒りに苛まれている。しかも、自分たちの住んでいる地域で、このような恐ろしい犯罪ーーしかも犯人たちはまったく処罰されないーーが、再び起きるかもしれないという、恐怖と不安の中で、彼らは、その苦悩を抱えているのである。
この報告は、二〇〇六年半ば以降発生した強制失踪と拉致に関する、広範囲な資料とデータからなる。スリランカ政府の対応について詳細に記述し、その対応が甚だしく不適切であることを明らかにする。
同国政府は、過去の政権と、逐一同じような失敗を繰り返す傾向にある。「失踪」を捜査するためだと新しい機構を立て続けに設立するなどして、対策を取っていると方々に宣伝してまわるものの、実際の事実調査を行うことはほとんどなく、「失踪」の責任を負う者を訴追することなど、ほぼ全くない。
この報告書の最後に、スリランカ当局および国際的アクターに対して、より実効的な対応を求め、具体的な勧告・提言を提示した。また、ヒューマン・ライツ・ウォッチがまとめた九九件の「失踪」事件の詳細を本報告書の別添に付した。スリランカの人権団体がまとめた、これ以外の四九八件の「失踪」
事件のリストは、こちらのウェブサイト
http://hrw.org/reports/2008/srilanka0308/srilanka0308cases.pdf から見ることができる。
* * *
国際法では、強制失踪とは、国家当局がある人物を拘禁しているにも拘わらず、その自由の剥奪の事実を認めず、又は所在を隠蔽することで、当該失踪者を法の保護の外におくものをいう。
スリランカでは、「失踪」は、武力紛争に伴ってあまりにも長きにわたり発生し続けてきた。一九八七年から一九九〇年までの三年間、左翼シンハラ民族主義者・人民解放戦線(JVP)による、短期間とはいえ極めて暴力的な武装闘争があった。そして、二〇年来、政府とタミル民族主義者・LTTEとの間で、内戦が継続している。これらの紛争下で起こった「失踪」のうち数万件は、政府軍に責任があると考えられている。
強制失踪は、再び、現在の紛争の際立った特徴となった。政府及び非政府組織から、さまざまな統計が出ている。それらによると、二〇〇五年一二月から二〇〇七年一二月の間に一五〇〇人以上の人びとが「失踪」した、つまり拉致された。これらの人びとのうち、殺害されたことが判明した人もいるし、拘禁施設又は別の場所で生きていることが発見された人もいる。しかし、大半については消息不明のままだ。スリランカの国家人権委員会は「失踪」に関するデータを公表していない。しかし、ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によれば、二〇〇六年に約一〇〇〇件、二〇〇七年の初めの四ヶ月だけで、三〇〇件以上の「失踪」事件が、国家人権委員会に報告されていることが明らかになっている。
「失踪」は、主にスリランカ北部と東部の紛争地域で起きている。すなわち、ジャフナ、マナー、バティカロア、アンパーラ、バブニヤの各県である。コロンボでも非常に多くの事例が報告されている。
(次号に続く)
大阪支部 石 川 元 也
福岡支部の永尾廣久団員は、「著述業」を本業と自称されているように、売れない(?)本をよく出版されているが、同時にものすごい読書家であり書評家でもある。〇七年の一年間に単行本を五〇〇冊以上読み、うち三六五冊の書評を、「福岡県弁護士会ホームページ」の「弁護士会の読書」欄に登場させている。私も、毎朝、事務所で面白く読んでいる。全国の皆さんもぜひどうぞ。
福岡支部 永 尾 廣 久
著者 小林明吉、出版社 つむぎ出版
面白くて、とても勉強になる本です。読んでいるうちに、思わず背筋を伸ばして襟を正し、粛然とさせられます。でも、決してお固い本ではありません。
大阪そして奈良で労働運動一筋に生きてきた著者を弁護士たちが何十回もインタビューし、苦労して一つの物語にまとめた本です。ですから、まるで落語の原作本を読んでいる軽快さもあります。
著者は今年、満七七歳の喜寿を迎え、今なお労働分野の第一線で活動しています。同じ年に生まれた、私の敬愛する大阪の石川元也弁護士から贈呈された本です。一気に読みあげてしまいました。
労働組合運動の活性化を志すすべての人に、そして労働事件に関わる多くの弁護士に読んでほしいという石川弁護士の求めにこたえて、私はとりあえず5冊を注文しました。本が届いたら、身近な弁護士と労働運動の第一線でがんばっている人に届けて読んでもらうつもりです。
著者は初め、大阪でタクシーの運転手として働きました。当時、ゲンコツというシステムがあったとのこと。水揚げの一部を会社に納めず、自分のものにしていたのです。
制服の右ポケットは会社への納金用、左ポケットはゲンコツ用。
会社に納金するよりもゲンコツの方が倍くらい多いこともあった。雨が降ったり、風が吹いたりすると、もっと多かった。いやあ、ひどい話ですね。まるで信じられない牧歌的な時代があったのですね。
タクシーの世界は奥が深い。客と知りあって出世した人も多い。信用が大切で、ついに証券屋になった運転手もいる。当時のタクシー運転手は、よく稼げた。しかも、それも調子のいいときだけ。事故にあったりしたら、もうどうしようもない。そこで労働組合をつくらなアカンという話になった。二〇代の著者もその中心人物の一人になった。
組合を結成した。一九六〇年ころは、一年半のうちに二二回も、全国統一行動に参加していた。苦しくてヒマだったから。毎日が退屈で仕方なかった。だから、今日は統一行動だというと、みんな目が輝いた。デモ行進で、往復八キロ歩いても平気だった。
著者は一九六七年三月、警察に逮捕されます。ちょうど、私が大学に入る年のことです。会社の労務係をケガさせたというのです。石川弁護士らの奮闘で一審は完全無罪となります。この裁判闘争のとき、裁判所前に長さ二五メートルもの横断幕をかかげたというのです。無罪判決を求める運動のすごさですね。六年間の裁判闘争でした。今も福岡地裁の前に横断幕をときどき見かけますが、そんなに大きいのは見たことがありません。
著者は全自交大阪地連組織争議対策部長として、丸善タクシー事件に関わります。社長が夜逃げしたため、残された従業員が自主管理したのです。そのとき社会保険について、労働者負担分はちゃんと納付したものの、企業負担分は、保留しておいたのです。それが、なんと数千万円にもたまり、結局、争議の解決金として組合側がもらえたというのです。すごい発想です。
オリオンタクシー事件のときは、会社が倒産したと聞いたニッサンはまだ従業員がつかっているのに、車を差押さえて執行のシールを車に貼っていった。トヨタはそんなことはしない。執行官から、車に貼ったシールをはがすと犯罪になると警告された。さあ、どうするか。運転手たちは車を一生懸命に洗ってピカピカにみがいたのです。ホースで水をかけてモップで洗っているうちに、なぜかシールは自然にはがれていく…。うむむ、おぬし、やるな、という感じです。
著者は、大阪から奈良へ活動の舞台を移します。奈良のタクシー会社に労働組合をつくるために大阪から派遣されたのです。大阪の組合がずっと著者の給料を出したというのですから、えらいものです。いま、東京でフリーターの若者を労働組合に加入してもらおうという動きがあります(首都圏青年ユニオン)。それに弁護士もカンパしていますが、同じような発想です。
労働基準法違反のひどい会社に対して正当な要求をつきつけたところ、会社は労基法は守る。その代わりに残業は一切させないと対応してきました。残業できなかったら、労働者にとって一大事です。でも、これくらいでヘコむようでは組合活動なんてできない。労基署に要請行動すると、署長は「組合に要求を突きつけられて残業させないのは違法だ」と明快な回答。そして、会社に対して是正指導した。ひゃあ、これってすごいことです。当時はホネのある労基署幹部がいたのですね。
納金ストをしたという話が出てきます。初めて聞く言葉です。つまり、会社に納金せず、組合が料金を保管するのです。下手すると業務上横領という刑事事件になりかねない行為です。だから、組合はきっちり現金を管理しなければいけない。売上は組合の名前で銀行に預け、売上日計表をつくって会社に通知しておく。な、なーるほど、ですね…。
労働組合の団結にも、強・弱と、上・中・下がある。 組合ができるときは、緊張と興奮が続き、感情が高ぶり、感情的団結がうまれる。社長はけしからん。賃金が低い。労働時間が長い。このような興奮状態から生まれる団結水準。しかし、いつまでも感情的であってはいけない。組合も時間の経過にともなって成長していく。勉強を積み上げてだんだんに意識が向上していく。つまり、努力次第で、意識的団結へと成長する。ところが、意識的団結に高まっても、何かの事情で勉強回数を減らしたり、止めたり、リードする幹部がいなくなると、その団結が揺らぎ出す。
したがって、労働組合が目ざすべき団結は、思想的団結である。
幹部は目的意識的に一般組合員との人間関係を大切にしなければならない。そして、幹部は人間としても信頼されなければならない。礼儀・恩義に無頓着、金銭にルーズ、サラ金の常連というのでは困る。労働態度(働き方)も大切。職場の模範である必要がある。
孫子の兵法に学べ。著者はこのように言います。有利、有理、有節。有利とは、その要求と闘いに利益があるかどうか。有理とは、理屈と根拠が正当か。有節とは、要求が正当でも、社会的に支持されるものかどうか。
私が弁護士になって二年目のときでした。日本のほとんどの交通機関で一週間ストライキが続きました。スト権ストです。当時、横浜方面に住んでいた私は、いつもより何時間もかけて苦労して出社しました。それ以来、日本ではストライキが死語同然になってしまいました。最近やっとマックの店長は労働者かということで労働基準法が脚光をあびるようになりましたが、まだ労組法は死んだも同然です。やはり日本でも労働者が大切にされる国づくりを目ざすべきだとつくづく思います。
石川先生、すばらしい本をご紹介いただいてありがとうございました。元気をもらいました。
(二〇〇八年三月刊。一六〇〇円+税)
【「福岡県弁護士会ホームページ」の「弁護士会の読書」より転載】
山口県支部 内 山 新 吾
前号の庄司団員に続いて、千葉の守川団員の詩集のすすめです。詩集の誕生に多少関わった「責任」もあるので、みすゞのふるさと山口県から「第二弾」を書かせていただきます。
昨年秋、山口での団総会から一ヶ月たったころ、「守川みすず」という詩人らしい人から、ドサッと詩が送られてきました。さっそく、私は、「守川先生、本当に『みすず』になっちゃったんですね・・・」と返事を書き、あれこれ好き勝手な感想を伝えました。やれ、「理屈っぽいところがある」だの「説明調が気になる」だの「(みすゞと比べて)新しい発見が少ない」だの、ペンネームが不適切だの・・・。
さらには、「総会の旅行で初めてお話して『この人は、フツウじゃない』(失礼)と感じたので、詩をつくったことは、さほど驚きませんでした。しかし、こんなに短期間で、こんなにたくさんの作品をつくるとは!」など。詩のことはさっぱりわからぬ、失敬な後輩団員のこうした「批評」にもめげず、守川団員は、このたび、やさしい草色の表紙の、手に取りやすい詩集を出版されたのです。
この詩集を読むと、敏腕弁護士が、実にかわいらしい目で、花や虫や空など、身近な「世界」を見つめている様子が感じられて、うれしくなります。子どもの絵本を見ているような気分になります。母親のぬくもりも感じられます。詩集の後半部分では、「もったいない」と「ありがとう」を頑固に大切にしている「おせっかい」な中年男性の姿が見えます。それでいて、かわいい子どもを見ると、ところかまわず、思わず「ベロベロ」とあやしてしまう、ふつうの「変な」おじさんの姿も見えます。人と人とのつながり(本物のコミュニケーション)を大切にしつつ、現状を変革していこうとする団員の熱い思いが表わされています。「いのちつないでつながって」というのが共通のテーマであるように感じられます。
みすゞのうたのミニ・コンサートをセットした団総会旅行の夕食の席で、守川団員は、借り物のギターを抱いて、誰に聞かせるでもなく、弾き語りをしていました。御自分の作品にも、ぜひ曲をつけてもらいたいと思います。(歌うのは、本人がいいか、他の人がいいかは、別として)
団総会の一泊旅行が生んだ詩集「みすゞからうらゝへ」。追われたり、追いかけたりすることに疲れたとき、開いてみてはいかがでしょうか。これを読んだみすゞも、きっと、小鳥や魚たちと一緒に笑っているにちがいありません。
(ご注文は、千葉中央法律事務所・守川幸男団員宛に)
【千葉中央法律事務所 電話番号 〇四三・二二五・四五六七】
*五月集会書籍売り場でも販売します。
著者 小宮 学 海鳥社
福岡支部 安 部 千 春
筑豊じん肺訴訟の原告弁護団事務局長であった小宮学弁護士が出版社から本を出版した。
初代弁護団長 松本洋一弁護士
私が敬愛する松本弁護士は小説家志望だった。小説を書いては懸賞に応募したが、賞は取れなかった。
ある時、松本弁護士は私に言った。
「佳作までは行くんだが、賞が取れない。そこで相談だが、俺の小説を添削してくれないか。但し、お前ごときに添削させたとあっては末代までの俺の恥だから、誰にも言うなよ。」(※注 もう時効だから、書いてもいいでしょう)
そこで、その後私が添削したが、やっぱり賞は取れなかった。そもそも原作が悪かったし、私には小説を添削する能力はなかった。
仕方なく、松本弁護士は本二冊を自費出版した。
一つは「爆発のあと」という本で、松本弁護士が原告弁護団長をした山野炭鉱爆発の損害賠償の裁判闘争を書いたものだった。
もう一つは「御輿に乗る人、担ぐ人」だった。この本は、松本弁護士が北九州市長選に立候補して、あと一歩で当選というところまで追いつめた市長選を書いたものだった。
私は裁判も市長選も一緒に闘ったので、関心をもって読んだが、売れずに在庫の山になった。
私の本
私も本を二冊自費出版した。
一つは「谷市長は間違っている」という本で、北九州市を相手に同和裁判で一七連勝した記録である。そこそこ売れた。
もう一つは「ひょうきん弁護士」という本で、ソクラテスの妻も驚く私の妻の悪妻ぶりを書いたものだった。出版披露パーティをしたら、妻のところにはサインを求める人の行列ができた。
たちまち売り切れたので、田邊匡彦弁護士(一緒に黒崎合同法律事務所を設立し、最近殺人放火事件で片岸みつ子さんの無罪判決を勝ち取り、時の人となった)に増刷について相談した。
田邊弁護士曰く
「人は身の程を知らねばなりません、ここで増刷をすれば、松本先生と同じように在庫に苦しむことになりますよ」
私もそうだと思って増刷はやめた。よく考えると、増刷をするだけの価値がある本ではなかった。
小宮弁護士の本
小宮弁護士の本を私は最後まで一気に読んだ。私は読書にも集中力がない。三〇分読むと疲れる。いつも五冊ぐらいを並行して読んでいる。塩野七恵の「ローマ人の物語」は五年かかって一四巻を読んでいる。永尾廣久弁護士の「清冽の炎」はまだ三巻だ。
筑豊じん肺訴訟は国の不作為の違法を理由とした損害賠償訴訟で、最高裁で勝利した判例史上に残る訴訟である。民衆の弁護士が勝ち取った最高の判決の一つと思っている。私達は一審で敗訴したが、敗訴した原因を分析し、克服し、高裁、最高裁と勝利した。その裁判闘争の記録は、民衆の弁護士を志す弁護士には必読の本である。ただ記録だけでは面白くない。この本には、小宮弁護士が一審で敗訴した夜、一晩中泣き明かしたことが書いてある。裁判闘争の中で小宮弁護士がどう生きて、どう闘ったかが書かれていて面白い。
筑豊じん肺訴訟原告団長の松本弁護士や副団長であった私を乗り越え、事務局長の小宮弁護士の本が増刷に増刷を重ねて、大勢の人に読まれることを祈念する。
五月二五日(日)午後二時四五分〜午後五時四五分
〜国家からの教育統制、道徳教育・格差教育の推進に対する戦い〜
・名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授・愛知県犬山市教育委員会委員中嶋哲彦氏よりご報告・ご意見
・報告・発言、討論等(教育をめぐる現状、教育・教員をめぐる裁判など)
五月二六日(月)午前九時〜午前一一時
〜少年審判の被害者傍聴を認める少年法改正について〜
・基調報告 前野育三団員(元関西学院大学法学部教授、現大阪経済法科大学客員教授)
・その後、討論