<<目次へ 団通信1274号(6月1日)
京都支部 大 河 原 壽 貴
四月二三日、京都地方裁判所第六民事部は、教員の勤務に関する安全配慮義務について、「教育職員についても生命及び健康の保持や確保(業務遂行に伴う疲労や心理的負荷が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないように配慮すること)の観点から勤務時間管理をすべきことが求められている」、「勤務内容、態様が生命や健康を害するような状態であることを認識、予見した場合、またはそれを認識、予見でき得たような場合にはその事務の分配等を適正にする等して当該教育職員の勤務により健康を害しないように配慮(管理)すべき義務(勤務管理義務)を負っている」、「教育職員が従事した職務の内容、勤務の実情等に照らして、週休日の振替等の配慮がなされず、時間外勤務が常態化していたとみられる場合は、本件勤務管理義務を尽くしていないものとして、国家賠償法上の責任が生じる余地がある」と判示した上で、原告九名のうち一名について義務違反を認め、被告京都市に対して賠償を命じました。
現実に、長時間勤務による健康被害が生じていない段階で、常態化する時間外勤務を放置していたこと自体について国家賠償法上の責任を認め、慰謝料の支払いを命じた点については特筆すべき判決であると言うことができます。
事案の概要
本件は、京都市内の市立小学校教諭四名、市立中学校教諭五名の合計九名が、二〇〇三年六月及び同年一一〜一二月に各二週間ずつ行った勤務時間調査に基づいて、二〇〇三年度(二〇〇三年四月から一二月まで、ただし八月を除く八か月分)の超過勤務時間を推計し、違法な超過勤務を余儀なくされたことにより失われた時間に対する損害賠償金(金額的には超過勤務手当相当額)と、慰謝料を、京都市に対して求めた事案です。また、予備的にではありますが、超過勤務手当の請求も行っています。
そもそもなぜこんな訴訟が起こされたのか
〜公立学校教員の時間外勤務
この訴訟が提起され、それが報道されたとき、私の同期の弁護士から「あの裁判は何が問題になっているの?」と聞かれたことがありました。それに対して私が「いや、実は、(公立)学校の先生はめちゃくちゃ残業してるんだけど、残業代が一円も出ないことになっていて…」云々と話していると、「え〜、まじ〜、それ知らんかったわ〜、残業代出ぇへんのか〜」という反応が返ってきました。
そうです、公立学校の先生方は、どれだけ残業しても、家に持ち帰ってテストの採点や授業準備に時間を費やしても、時間外勤務手当は一円も出ないのが現状です。
公立学校教員(以下、単に「教員」といいます)の時間外勤務については、「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」、いわゆる「給特法」という法律によって規定されています。給特法では、教員の時間外勤務について、「正規の勤務時間をこえて勤務させる場合は、文部大臣が人事院と協議して定める場合に限るものとする」とされており、それをうけて、(1)勤務時間の割り振りを適正に行い、原則として時間外勤務をさせない、(2)時間外勤務をさせる場合は「限定四項目」(校外実習等、修学旅行等の学校行事、職員会議、非常災害・緊急の措置を必要とする場合等)に限り、かつ、臨時又は緊急にやむを得ない必要があるときに限る、との文部省通達が出されました。京都府の給与条例でも同趣旨のことが定められています。そして、教員の給与については、四%の「教職調整額」を上乗せする一方で、労基法三七条(割増賃金)の適用が除外されています。
実際は、無限定・無定量な時間外勤務が横行している
給特法やこれを受けた文部省通達、京都府給与条例では、教員に対しては原則として時間外勤務をさせない、とされていますが実態は全く異なります。組合の調査でも、また、文科省自体の調査でも、多くの教員が過労死ラインを超える時間外勤務を行っている実態が明らかになっています。
しかしながら、京都市教委は、教員の時間外勤務をすべて「教員の自主的・自発的活動」と言い放って放置し、「教員の勤務は時間的計測になじまない」と言って、その実態調査すらしていないのが現状です。その結果、現実に過労死に至る事案や、心身の不調から長期間の休職や早期の退職を余儀なくされる事案も少なくありません。そして、現場の教員らは、子どもや父母と向き合う時間を奪われ、十分な教育実践を行うことができない状況に置かれています。
本訴訟は、教員の置かれているそのような現状を是正し、子どもたちに十分な教育環境を取り戻すために、九名の教員が立ち上がったものです。ちなみに、この九名の教員は、取り立てて時間外勤務が多いというわけではありません。時間外勤務の量としては、ごく平均的です。それでも、時間外勤務は少ない原告でも月六六時間、多い原告になると月一〇八時間になります。そして、本当に長時間・無定量な時間外勤務に追われている教員は、勤務実態調査や訴訟準備のための打合せすらできない状況にまで追い込まれていて、原告になれなかったというのが実際です。
本判決について
本判決の積極的側面については、冒頭述べたとおりです。
しかし、本判決は、教員の時間外勤務自体については、教員の「自由意思を強く拘束するような状況下でなされ」、「時間外勤務を原則として禁止し、それを命じうる場合を限定した趣旨を没却するような場合には違法となるが、それ以外の当該時間外勤務は同職員の自主的、自発的、創造的な職務遂行として違法になることはない」と、これまで、給特法下で教員の時間外勤務手当を認めてこなかった同種判例を踏襲し、もっぱら形式的な時間外勤務命令や具体的な指示の有無のみで判断し、原告らの時間外勤務手当相当額の損害賠償請求や時間外勤務手当請求を退けており、教員の勤務実態から目を背けていると言わざるを得ません。
特に、当時の学校長の尋問の中で、学校長が「(休日夜間に行われていた地域のパトロールへの参加について)義務と言うてもええ」、「(勤務時間外にある学習指導部長会に)行ってくださいよということは私の方からも言います」などと証言しているにもかかわらず、かかる時間外勤務について「自主的、自発的な側面が認められる」というだけで違法性を認めなかった点は、極めて不当な判断と言うほかありません。
この判決に対しては、原告、被告ともに控訴しており、訴訟は大阪高裁に移りますが、原判決の水準を維持し、さらに、教員の違法な時間外勤務の実態を正面から認めさせるために奮闘します。
教員が無定量・無限定な時間外勤務に追われていては、腰を据えて教育に取り組むことも、子どもたち一人一人と向き合った教育をすることもできません。教員の労働環境は、子どもたちの教育環境に直結します。全国の団員の皆さんも、ぜひ、教員の置かれている過酷な労働実態を取り上げて問題を提起していただきたいと思います。
東京支部 村 田 智 子
これは、前団長であり、これまで鋭く、かつ暖かく憲法を語り続けてきた、坂本修団員が記した、「ノート」である。団の改憲阻止メーリングリストに掲載されているので、ご覧いただきたい。
坂本団員が冒頭の箇所に書いておられるように、このノートの狙いは、改憲反対の世論を大きく広げることにある。その狙いの通り、この「ノート」は、一読をすると、憲法の意義や、日本のおかれている状況がよく分かる。イラク訴訟名古屋高裁判決の勝利についてもページを割いて触れられている。また、この「ノート」は、九条だけでなく、生存権侵害(二五条)や、環境問題、教育問題など、幅広い問題と九条との関係にも触れられている。文中で、坂本団員が最近読んだ著書が紹介されており、もっと深く知りたい人に手がかりを与えてくれる。
と、ここまで書いてきて、坂本団員から、「ただ褒め称えるだけの書評は面白くないからやめてね」といわれたことを思い出した。ここまで、私は褒めとおしてしまった。
でも、坂本団員には申し訳ないが、もう一つだけ、褒めさせていただきたい。
私が、この「ノート」で一番心打たれたのは、自分の言葉で、自分の人生をかけて憲法を語ろうという坂本団員の姿勢である。
私は、常々、自分の言葉で憲法を語るというのは、案外難しいのではないかと思っている。というのは、憲法はすばらしい理念を規定しているが故に、憲法を語る際に、下手をすれば「遠くて美しい理想論」だけを語って終わってしまうことがある。人間誰だって、遠くの出来事については美しい言葉で語れる。身近な問題を語るときのほうが難しい。また、憲法については、憲法を変えてはいけないと思っている人々がまだたくさんいる。だから、紋きり型の言葉でも一定の人たちには通じてしまうという面があり、それは良い面でもあるけれど、一歩間違えると、「あんまり考えなくても憲法のことを話せてしまう」ということになってしまう。
例えば、私たち弁護士にとって身近な司法改革の問題や、被害者に関する問題(特に刑事訴訟参加や少年審判に被害者が傍聴できるかという問題)を想定して欲しい。このような問題については、団員同士でも考え方の相違が激しいので、本気で対話をしようと思ったら、非常に労力がいるし、工夫もいる。本気で語ろうと思ったら、自分自身に何度も問い返しをせざるを得ない。そのような問題に比べれば、憲法は、少なくとも団員同士では、そんなに労力はなく対話できるであろう。だから、自分自身への問い返しをせずに、悩まずに、すっと行けてしまえるところがある。
全国には、様々な難しい質問と対峙しながら、日々憲法について考えている団員が多数おられる。もし、私が書いたことで不快に思われた団員がおられたら、すぐにお詫びを申し上げたい。私が書いたことは、「憲法を自分の言葉で語るのは案外難しい」ということを表現したいためであり、あくまでも、自分の言葉で憲法をあまり語ることができない私自身を基準にしての話に過ぎないのかもしれない。
ともかく、この「ノート」で、坂本団員が試みられたことは、自分の人生をかけて、自分の言葉で憲法を語るということではないかと思う。
例えば、最初の「たたき台としての報告」に、自己紹介があり、なぜ坂本団員が憲法に熱い思いを持っているのかが簡潔に説明されている。また、「パートA」の「1 憲法とはなにかー私たちの
“宝”・『今こそ旬』、輝く憲法」の最初の部分に「憲法を知っていただろうか?ー知られていただろうか?」とあるが、この「憲法を知っていただろうか」という文言は、凄い言葉だと思う。これは、自分自身への問いかけの言葉だからである。坂本団員ほどのキャリアの持ち主であれば、普通は、「憲法は知られていただろうか」と書くと思う。
このような坂本団員の、自分の人生をかけて、自分の言葉で憲法を語るという姿勢は、「ノート」の随所に現れており、それが、この「ノート」を一層、希望のある、明るいものにしている。
それにしても、「ノート」の最後の、「〈むすび〉私のメッセージー“夢”をともにし、連帯を誓って」の箇所に書かれていることは、9条世界会議の大成功と重なる。坂本団員は、9条世界会議の前にこの「ノート」を作成し、公表されている。まさに、先見の明であったと思う。
坂本団員の希望に反し、褒めとおして終わってしまいそうだが、私は思ったことしか書けないたちなので、坂本団員にはお許しいただきたい。
また、若い団員には、「まぁ、騙されたと思って(?)、ざっとでもいいから一度読んでみてね」と申し上げたい。著作と違い、「ノート」だから、非常に読みやすい。読んでいただいて、皆でわいわい話し合って、面白い憲法運動をつくっていければいいんじゃないかな、と思う。
東京支部 神 田 高
1 一九七二年五月一五日沖縄は日本本土に復帰した。それから三六年後の今年五月一六日、学生時代の友人佐藤文則さんが癌のため五五歳で急逝した。フミノリさんは、私が入学した当時、早稲田の暴力集団“革マル”の暴力支配に屈せず闘いの先頭に立っていたが、やがて新聞赤旗の配達所員を経て、新宿の区議、区議団長となった。
おおらかで人に優しく、他党派議員からも慕われた好人物であった。東京一区の衆院小選挙区候補のあと、東京四区候補となったフミノリさんへの応援の約束を果たせなかった新宿地域の女性の「日本共産党の東京四区候補佐藤文則です」のアナウンスは通夜参列者の胸をうった。商社マンをめざしていたフミノリさんが、やがて職業革命家の道へと歩んでいった原点は“基地の中の沖縄”の現実と闘いを知ったことにあったそうだ。
2 一九七二年夏、それまで何回となく沖縄行きのパスポート申請をしながら「好ましからざる人物」として、パスポートが下りず、祖母の死に目にもあえなかった父がほぼ三〇年ぶりに郷里の沖縄・宮古の多良間島に帰ることになった。それまでに父が最も沖縄に‘接近’したのは、返還運動の中で開かれた‘海上大会’での、与論島と沖縄との間の二七度線までであった。沖縄に最接近したときに、胸にさしたボールペンを二七度線を越えて投げ合ったときの感動を父が詩にうたったときのことを今も思い出す。
大学三年のとき、法社会学の黒木三郎先生のゼミのレポートを書くために、沖縄基地闘争発祥の地‘伊江島’(真謝部落)にいき、阿波根昌鴻さん、平安山さんら反戦地主と会う。このとき、米兵に信号弾で撃たれ、不平等な地位協定が問題とされた事件の被害者・山城安次さんと会って、正に“基地の中の沖縄”を見る(※)。
3 それからだいぶたって、団本部次長として、改憲対策本部にいた九五年秋、沖縄の少女に対する米兵の暴行事件がおきた。この年の一〇・二一の宜野湾海浜公園での八万五〇〇〇人の大集会に団の桃太郎旗をもって参加し、舞台前に陣取った。当時普天間高校生の仲村清子さんの「基地のない、戦争のない、平和な沖縄を返してください。」の最後の叫びは、今も痛切に胸によみがえってくる。
その直後から、全国からの六〇〇名の沖縄反戦地主弁護団の結成に加わり、大田昌秀沖縄県知事を被告とする職務執行命令訴訟へ訴訟参加し、最高裁大法廷の傍聴に加わる。沖縄県収用委員会での審理では、担当した読谷村の反戦地主の代理人となって、意見陳述をおこなった。
収用委員会闘争とともに、国会議員らへの要請行動にも参加した。沖縄出身の保守系議員秘書と同じ“ウチナンチュー”として少しうち解けて話した(少しでも沖縄の血が入っていると“ウチナンチュー”として急に親しくなるのが不思議だ!?)。その秘書が「沖縄の今回の集会は(全県一体となって)すばらしかった。」「でも、もうこれから先はないだろう。」と言っていたことが印象深かった。
しかし、それから約一〇年後の二〇〇七年九月二九日、同じく宜野湾海浜公園には一一万人もの人々が集まった。今度は、日本軍が強制した「集団自決」を教科書から抹殺しようとする政府に対する抗議と削除・修正の撤回を求める県民大会であった。これには、一〇年前には集会に参加しなかった元教員の妻の母も参加していた。
沖縄には、決して消せない過去と簡単には消しようのない今がある。「軍は民衆を守らない」どころか、沖縄県民に軍と天皇のために命を絶つことを強いた。そして、今、沖縄の基地から発進した最強の軍用機は、西太平洋からインド洋を経て、イラク、アフガンの無辜の人々の殺戮をおこなっている。その基地で兵役につく米兵は基地の外にも居住し、一〇年前と同じ事件をくり返している。
日本の自衛隊は、この米軍とともに再び侵略者の道を歩もうとしている。
しかし、かつての戦争は忘れさせてはならないし、今の戦争を続けさせることもできない。沖縄は憲法九条の原点を問い続ける。
(※)五月一八日赤旗によると、七四年七月に起きたこの事件の第一次裁判権の帰属(事件が「公務中」(米に裁判権帰属)か「公務外」か)をめぐって日米政府間でやりとりがなされたが、アメリカは世界的な駐留態勢への影響を優先し、事件の真相を隠蔽するため「公務証明書」を発行し、日本政府は秘密覚書をつくらされ、これに屈した。
東京支部 山 本 真 一
五月四日〜六日まで、千葉・幕張メッセで開かれた「9条世界会議」は延べ三万人以上の参加をいただいて大成功した。最初からこの集会の企画に参加した一人として若干の感想を報告したい。
私は四日午後に幕張メッセの約一万人収容のイベントホールで開催された全体集会ではまともに中に入ることができなかった。会議場の入口に陣取って、あふれかえった参加者のみなさんとの対応に追われていた。
当日の午前一二時一五分から(予定を一五分繰り上げて)長い行列を作ってまっていた参加者の皆さんが入場を開始した(開始は午後一時半)。しかしこの時もまだ私は何も心配していなかった。まさかあふれかえるとは考えもしなかった。そしてしばらくして初めて、もしかしたら?という意識が生まれた。「溢れるかもしれない」と!
それから午後五時くらいまで、私は昼飯も食べられずにその門前で押し掛ける参加者の整理に忙殺されていた。一万人が会場に入った午後一時半過ぎにも、まだ、三〇〇〇人以上の人々が入口の外に溢れかえっていた。また、その後、午後四時からの第二部に参加する目的で来場された人の行列も続いていた(一日目は午後九時すぎまで行われた第三部までほぼ満杯であったという)。
第二日目も最大二二〇〇人の定員の国際会議場で開催された分科会にも、五〇〇〇人以上の人々が参加された。集会はこれだけの人々の参加をえて、また中味も充実していて、大成功だったと評価されていると思う。
私の予想に反した(!)この「大成功」はなぜ実現したのか。もちろんいろいろな要素が相乗効果を生んだのであり簡単に言えるはずもないしここで語りつくすこともできないけれど、私の感想では、各地で結成されている「地域と職場の9条の会」の皆さんが大挙して参加していただけたことが大きかったと思う。「9条の会」のエネルギーはすさまじいと改めて感心させられた。
そして問題は、改めて、「今後」である。自民党を中心とした「改憲策動」は、昨年の七月二九日の参院選の結果うまれた国会情勢の下で今は下火になっているように見える。しかし彼らもまた絶対に諦めてはいない。これはつい先日の「宇宙基本法の成立」(自公民の賛成であっという間に成立した。)を見ても明らかである。我々は改憲勢力が完全にあきらめるまで戦い続ける必要がある。そしてそのためには全国各地の「9条の会」を一層拡大強化するとともに、とくに私の住む東京での「(仮称)9条の会・東京」の結成や旺盛な活動の強化に取り組む必要がある。
私はさっそくその活動も開始するつもりである。是非、全国の団員のみなさんにも奮闘していただきたい。
以上
東京支部 土 井 香 苗
国際NGO ヒューマン・ライツ・ウォッチ(*)日本駐在員
*ヒューマン・ライツ・ウォッチは、世界八〇カ国の人権状況を常時モニターする世界最大級の国際人権団体。本部ニューヨーク。
●第四回
スリランカ政府の対応
マヒンダ・ラージャパクサ大統領率いるスリランカ政府は、強制失踪の捜査・訴追に精力をそそぐことなく、依然として、問題を矮小化している。スリランカ政府の公式発言の多くは、「失踪」多発による危機的状況など、まるで存在しないかのような内容である。
また、「失踪」が取り上げられている場合も、犯人はLTTEの戦闘員か一般の犯罪者だけだとしている。政府は、拉致と「失踪」の対策だとして、さまざまな機構を設立してきたが、どの機構も、独立性、権限、財源、能力(キャパシティ)が不十分で、実効的な捜査を行うことができていない。
スリランカには、昔から、「失踪」対策の機構を設立はするものの、これをしっかり機能させてこなかった長い歴史がある。一九九〇年代に当時のチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領は、四つの政府事実調査委員会を設立した。そして、その結果、一九八〇年代と一九九〇年代の武力闘争で、二万人以上が「失踪」したことが明らかになった。人権団体は、実際の数をその二倍から三倍と考えている。これらの事実調査委員会は、二〇〇〇件以上の事件で、容疑者を特定したにも拘わらず、容疑者はほとんどだれも訴追されておらず、一握りの下級職員だけが有罪判決を受けたにすぎない。こうした委員会は、「失踪」再発を防ぐために、司法と行政の改革を提案してきたが、その後成立した政権が、意味ある措置をとったことは、未だかつてない。
二〇〇六年半ば以降激増する「失踪」に対するラージャパクサ政権の対応も、こうした過去のスリランカ政権がとってきたパターンと同じで、何ら新しいものではない。第一に、大統領は、独立機関として規定されている政府機関である国家人権委員会及び国家警察委員会の委員を、憲法の規定を無視して自ら直接任命し、これらの機関の独立性を著しく損ねた。
国家人権委員会は、「失踪」の申立を、過去二年間に何百件も受けている。しかし委員会は、「失踪」に関する報告を一切発表しないばかりか、同委員会への訴えの件数さえも、明らかにしようとしない。そして、国家人権委員会は、「失踪」問題を矮小化しようとしてきた。国家人権委員会の監視・調査当局も、軍の妨害や、政府の支援がないことなどから、現実に機能できなくなっている。HRCが機能不全に陥ったことの結果として、二〇〇七年一二月、国家人権委員会を管轄する国際機関は、スリランカ政府がHRCの独立性を侵害したとして、HRCの地位を「オブザーバー」に格下げした。
第二に、スリランカ政府は、「失踪」及びその他の人権侵害問題に取り組むため、少なくとも他に九つの特別機構を設立したが(本報告ですべて説明している)、どの機構も具体的な成果を出していない。
政府は定期的に機構設立を発表するだけで、それらの機構の任務や捜査の進展について、情報を提供することはほとんどない。さらに、これまでの機構で解決しなかったから、また新しい機構を設けるのか、あるいは現在の機構の欠陥を修正していくのかについても、政府は説明していない。
スリランカの状況に関心を寄せる多くの人びとは、これらの機関のほとんどは、そもそも、その設立目的は問題の解決のためなどではなく、政府治安機関が広範囲に「失踪」事件を起こしていると報告されていることに対し、事件の捜査をしないままでも、政府はこの実態を真剣に受け止めているのだという印象を与えるために過ぎないと考えている。こうした見方は、政府が、長年にわたり、犯人の訴追をほとんどしてこなかったという事実を見れば、信憑性がある。
そもそも、スリランカ政府の最高レベルの指導者たちが、新しい「失踪」危機が再来していることを否定している。また、政府軍が人権侵害に深く関わり、責任を有するということも否定している。
よって、捜査が進展しないのも、こうした人権侵害を止められないのも、驚くには値しない。それがよく現れているのが、マハナマ・ティレケラトゥネ裁判官の発言である。同氏は、拉致は「個人的怨恨によるもの」で、いなくなった人の多くは帰還していると述べている。そのような事実を立証するものはないにも拘わらず、である。
ラージャパクサ大統領、閣僚、和平プロセス調整担当官(Secretariat for Coordinating the Peace Process)も、広範な「失踪」などというのは、国家のイメージを損なうための、LTTEによるプロパガンダである、として、「失踪」に関する報告にはまったく取り合わないという姿勢をとり続けている。彼らの主張によると、所在のわからなくなった人の多くは、帰還しているか、国外に出たか、犯罪を犯し逮捕を逃れるため隠れているか、単に家族への連絡を怠っているだけ、とのことである。しかし、こういう主張を裏付ける事実を示すことは全くしない。
このような高官の発言は、一部の警視など、警察官の発言と食い違う。また、メディアやNGOが公表した事実や数字とも、そして少数ではあるが、政府委員会から提出された情報とも食い違う。それほど問題がないと主張するのであれば、なぜ政府は、自分では存在さえしていないと主張している事件を調査するため、ここまで多数の機構を設立する必要を感じるのか、という疑問も禁じ得ない。
スリランカ政府高官レベルが「失踪」問題にまったく取り合わないため、政府軍は、自分たちが人権侵害に関与しているとの報告がされても、政府は真剣に受け止めることはないものと安心している。
国際社会の対応
さまざまな国連機関やスリランカの主要な友好国も、二〇〇六年半ば以降、強制失踪が激増していることに、懸念を表明している。国連人権高等弁務官、超法規的、即決、恣意的処刑に関する特別報告者、また子どもと武力紛争に関する特別代表など、国連の高官はみな、不処罰が驚くほど蔓延していること、警察機関や政府の人権機構が法的処罰のしくみ(アカウンタビリティ)を確立できていないことを、指摘している。米国、英国の各政府も、懸念を表明している。
高まる国際社会からの批判に、スリランカ政府は二つの形の対応を示した。一つは、国際機関や各国政府に対する活発なロビイングである。人権状況は改善されていると主張し、国連職員や人権専門家に対し、スリランカは協力すると意思表示している。その一方で、協力を申し出たまさにその国連高官に対しても、スリランカ政府を批判すれば、激しく非難した。スリランカ政府は、そうした国連高官に対し、状況把握が不十分だと糾弾し(これはまだいい方だ)、ひどいときには、国連高官をLTTEのシンパとまで言ってのけた。
スリランカ政府は、広範囲の人権侵害の事実を認めず、そして、解決にしっかり取り組んでいない。そのため、国内外で、国連人権監視ミッション設立に対する期待が高まっている。同ミッションは、国中で起きている政府軍とLTTEによる人権侵害を、調査報告する任務を担うものだ。
欧州連合(EU)と、もっと最近では米国政府も、国内外のNGOの呼びかけに同調して、国連人権高等弁務官事務所の下で、国際的な監視ミッションを設立することに、賛同している。国連人権高等弁務官ルイーズ・アルブール氏は、二〇〇七年一〇月スリランカ訪問中に、このような機関の設立に向け、国連人権高等弁務官事務所は、スリランカ政府に協力する意向があると表明した。
スリランカ政府は、今のところ、いかなる国際監視機構であろうと、すべて設立を拒絶している。この対応は、全てのスリランカ国民の権利を保護するために、政府自らが必要な措置をとっている、というスリランカ政府の主張と矛盾するものだ。
主な勧告/提言
1 スリランカ政府は、国内で「失踪」が広範囲で起きていること、及びこうした人権侵害に政府軍が継続して関与していることを、公式に認めること。
スリランカ政府が、「失踪」問題を真剣に受け止め、そして、真剣に受け止めていると見なされない限り、スリランカ政府が「失踪」をなくす方向に現実的に進展していくことはない。いかに多くの新しい機関を政府が作ろうと、政府高官がこの深刻な問題の存在を否定している状態では、こうした機関が成果をあげることなどない。まず問題の存在を明確に認めること、そして、政府軍と政府派の武装グループが、自ら、現状を断ち切ることが重要だと認識することから、始めなくてはならない。
1 スリランカ政府は、現行の拘禁手続を改め、手続の透明性及び適正手続に関する国際基準の遵守を確保すること。
これ以上「失踪」を増やさないために、スリランカ政府は拘禁中のすべての人を、公式な(秘密ではない)拘禁施設に収容し、各施設は拘禁記録を詳細に残すべきである。被拘禁者が、家族と連絡を取ること及び妨害なしに弁護士に接見することを、許さなくてはならない。彼らは遅滞なく裁判官の下に連れて行かれ、逮捕理由及び容疑を告知されなければならない。
1 スリランカ政府は、「失踪」の加害者を、しっかりと捜査・訴追すること。
「失踪」増加の危機が起きている主な要因の一つは、加害者が法的処罰を受けていないこと(アカウンタビリティの欠落)にある。
当局は、本報告書で取り上げたような、強制失踪と恣意的逮捕のすべての事件を、精力的に捜査すべきである。そして、すべての人の生死の別及びその所在地を、明確かつ公に明らかにするべきだ。
「失踪」と拉致の責任を負う者は、政府軍のメンバーであれ、非政府武装グループのメンバーであれ、適切に、懲戒または訴追されなければならない。
1 スリランカ政府及びLTTEは、紛争の全当事者が犯した国際人権法及び人道法違反に関する調査報告を目的とする、国際監視団を設立・展開するため、国連人権高等弁務官事務所と協力すること。
経験ある国際監視団を展開することは、人命を救い、人権侵害を抑制し、法的処罰(アカウンタビリティ)を促進することにつながる。これを実現するための責任は、スリランカ政府とLTTEだけではなく、関連する国際的アクターたちにもある。国際的アクターたちは、国際監視チームの展開に対するスリランカ政府の姿勢の如何によって、スリランカ政府が、真剣に人権問題に取り組んで長引く問題を解決しようと、言葉だけでなく、現実的に立ち向っているか否かを見極める、という見解をはっきりと示す必要がある。スリランカの国際的な友好国、とくに、インドと日本は、今後、軍事的支援または人道支援以外の支援をする場合には、スリランカ政府が、国際監視団の受入れなど、「失踪」が多発する現状を改めて不処罰をなくすための努力を条件にするべきである。
これまでに、国際監視ミッションは、特に、大規模な「失踪」問題に対処するのに効果的であると証明されている。十分なマンデート及び資金や人的資源を与えられれば、監視ミッションは、スリランカ政府もその他のスリランカの国内機関もできなかったことを、やり遂げられるであろう。すなわち、国際監視ミッションは、妨害されることなく拘禁施設を訪問して拘禁者の所在を確かめること、紛争の両派に具体的事件の情報を求めること、スリランカの警察や人権機構を支援し事件捜査と家族への連絡を進めること、申立のあった事件に関する信頼できる記録を作成することなどができるのだ。(完)
京都支部 藤 浦 龍 治
玉木団員と桐山団員の論稿に触発されて筆を執った。
私は、裁判員制度の最大の問題点は、公判前整理手続とセットにされていることからくるそれであると思っている。
一番大きな問題点は、公判前整理手続が非公開で行われることである。裁判の中核と言ってよい争点の整理と、証拠の整理が非公開で行われる。しかも、「裁判員にわかりやすく」ということで絞られる可能性がある。明らかに憲法八二条に違反する。
弾圧事件や冤罪事件を闘ってきた団は、この密室の手続について、どのように意見表明するのであろうか。
さらに付け加えて言えば、公判を担当する裁判体と公判前整理手続を担当する裁判体は同一である。起訴状一本主義は、いかにも安易に瓦解してしまった。また、そのことにより、裁判官と裁判員の「情報格差」が生じる。
解決策は単純である。
1 公判前整理手続を公開せよ。
2 公判前整理手続を担当する裁判官には、公判を担当する裁判体の構成員とは異なる者を当てよ。
担当事務局次長 町 田 伸 一
本年三月に閣議決定された「規制改革推進のための三か年計画(改定)」においては、重点計画事項として、「賃借人の存在により建替え計画が停滞してしまうという意見を踏まえ」、「建替え決議がされたマンションにおける賃借人の建物明渡しに係る調査」を行うことが挙げられ、措置事項として、(1)賃貸住宅標準契約書の見直し、(2)ファミリー向けの賃貸住宅として「有効活用」するための「定期借家制度の活用策」の検討、(3)市場の活性化等の観点からの「定期借家制度の見直し」(当事者の合意による定期借家権への切替え、書面による説明義務の廃止、借主からの解約権の任意規定化、更新型借家契約制度の創設等)、(4)正当事由制度の在り方の見直し(建替えや再開発等の事情を反映した客観的な要件とすること、立退き料を正当事由の要件として位置づけ、その算定基準を明確にすること等)が挙げられています。
また、本年三月に、定期借家推進協議会と社団法人都市住宅学会の共催で開かれた定期借家シンポジウムにおいては、全国宅地建物業協会連合会会長が、定期借家制度の改正に向けての決意表明を行い、自民党議員が、事業用定期借地権が二〇年から五〇年に延長した成果を強調した上で、「今年は定期借家の見直しを本格的に検討していきたい」「普通借家の正当事由制度の見直しを視野に入れて、事業用と居住用を区別し整理し検討したい」と挨拶しています。
これらの動きに鑑みれば、今年中の借地借家法のさらなる改悪が予想されます。
この情勢に対応するため、市民問題委員会では、次回委員会において、この問題に明るい榎本武光団員(東京支部)を迎えて、情勢と問題点についてお話し頂くこととしました。
借地借家問題は、各地における団員の日々の活動の中でも多い相談の一つでしょう。個別事件に的確に対応し、また、法改悪反対運動を進めていくための切っ掛けとするためにも、次回委員会に、多数ご出席下さい。
と き 六月九日(月)午前一〇時から午前一二時まで
(学習会は、通常の議事の後の午前一〇時三〇分頃からを予定しています。)
ところ 団本部
以上
「第一八回裁判勝利をめざす全国交流集会」を下記の日程で静岡県熱海市で開催いたします。
今年は、川崎英明・関西学院大学教授に「裁判員裁判のもとでどう裁判をたたかうか」と題して記念講演をお願いしました。
裁判員制度の内容、問題点や改善しなければならない課題など重要なお話をしていただけるものと期待しています。
さらに二日間にわたって行われる六つの分科会では、それぞれのテーマごとに報告を受け、経験を学び、交流を深めます。
昨年の交流集会以降、残念ながら不当な裁判で敗訴した事件もありますが、労働事件では国民金融公庫不当差別事件が最高裁で和解をかちとり、東京・中野非常勤保育士解雇事件、栃木・東武スポーツ争議で勝訴しました。また、名古屋高裁では、イラク派兵が憲法違反であるという画期的な判決をかちとりました。刑事裁判では、北九州・えん罪引野口事件、神奈川・古本店主強制わいせつ事件が無罪判決をかちとり、控訴を許さず確定しました。東京・葛飾ビラ配布弾圧事件は東京高裁で不当な逆転有罪となり、最高裁に上告しました。
これらの事件の教訓と全国各地のたたかいの経験を学び、裁判をめぐる最近の情勢や現在の運動の到達点とこれからの課題を明らかにし、裁判勝利をめざすたたかいの討論と交流の場にしたいと考えています。
つきましては、各地でたたかう弁護団の積極的な参加をお願いします。
記
□とき 六月二九日(日)午後一時〜六月三〇日(月)午後〇時三〇分まで
□ところ 熱海市「ホテル池田」(JR熱海駅から徒歩一五分)
〒413-0012 熱海市東海岸町一二−四〇 電話0557-81-9161
□参加費 一万四〇〇〇円(資料代、一泊二食、「報告集」代金 他)
参加申し込み締め切りは六月二〇日(金)
□内容 記念講演「裁判員制度のもとでどう裁判をたたかうか」
講師 川崎英明氏(関西学院大学教授)/専攻、刑事訴訟法、著書に「刑事再審と証拠構造論の展開」(日本評論社)、編著に「刑事司法改革と刑事訴訟法」(日本評論社)等多数。
この他、問題提起、各分野の特別報告と六つの分科会 (1)大衆的裁判闘争の進め方、(2)労働事件(解雇、差別等)、(3)労働事件(不当労働行為・非正規のたたかい)、(4)刑事事件、(5)再審事件、(6)言論弾圧事件での討論・交流を行います
□主催 全国労働組合総連合・日本国民救援会 ・自由法曹団
第一八回裁判勝利をめざす全国交流集会プログラム
一日目(二九日)
□問題提起、各分野のたたかいの特別報告
□記念講演「裁判員制度のもとでどう裁判をたたかうか」
講師・川崎英明氏(関西学院大学教授)
□分科会での報告と討論・交流(六分科会の紹介は下記を参照)
□夕食交流会
分科会案内
分科会名と報告テーマと講師(敬称略)
第1分科会 「イラク派兵違憲判決を勝ちとった裁判闘争の経験」
大衆的裁判闘争のすすめかた/川口創団員(イラク派兵違憲訴訟弁護団)
第2分科会 「この間の労働争議の特徴について」労働事件(解雇・差別等)/寺間誠治全労連組織局長
第3分科会 「非正規、青年労働者のたたかい」労働事件(不当労働行為、非正規の闘い)/青年ユニオンに依頼中
第4分科会 「無罪を勝ちとった北九州・引野口事件の経験」刑事裁判/田邊n彦団員(北九州・引野口事件弁護団)
第5分科会 「再審をめざす滋賀・日野町事件」再審事件/玉木昌美団員(滋賀・日野町事件弁護団)
第6分科会 「最高裁でビラ配布の自由をかちとるために」言論弾圧事件/中村欧介団員(葛飾ビラ配布弾圧事件弁護団)
二日目(三〇日)
□分科会で討論・交流を続行
□全体集会で各分科会の報告、まとめ(午後〇時三〇分終了予定)
参加申込み先と締め切り
参加申込書に記入の上、六月二〇日(金)までに日本国民救援会中央本部宛にお申し込みください。(参加申込書は団本部にあります。ご希望の方にはFAXしますので事務局までご連絡ください。)