過去のページ―自由法曹団通信:1280号      

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神原  元 原子力空母の配備を許すな!七・一三全国集会in横須
小川 杏子 国分寺マンションビラ配布事件
―なぜ、これが犯罪に!? 捜査機関の不当介入―
阿部 浩基 裁判員制度は廃止ないし抜本的な見直しをすべきである
守川 幸男 覚せい剤の輸入事案の裁判員模擬裁判を経験して―――無罪判決もう一歩
岡根 竜介 裁判員裁判について
〜評議をめぐる問題は改正の対象となるのか〜
板井 俊介 市民運動の勝利!
水俣市産廃業者が「撤退」表明
玉木 昌美 ランナーの楽しみ
土井 香苗 スポーツ選手の権利はどこに?
―我那覇選手事件を通じて((6)―最終回)
(我那覇選手弁護団の一人として)



原子力空母の配備を許すな!七・一三全国集会in横須

神奈川支部  神 原  元

 七月一三日、米海軍横須賀基地への原子力空母「ジョージ・ワシントン」配備に反対し、「原子力空母の配備を許すな!米軍基地の再編・強化反対 7・13全国大集会in横須賀」(連絡先は安保破棄中央実行委員会、全労連、原子力空母配備阻止神奈川県闘争本部)と銘打った全国集会が、横須賀海軍基地を臨む横須賀市ヴェルニー公園で開かれた。

炎天下のうだるような暑さの中、全国から有志三万人超を集めた集会には、松井団長、田中幹事長ほか団本部や団東京支部、団神奈川支部等から多数の団員が参加し、米軍再編強化反対の機運を大いに盛り上げた。

 集会は、全労連青年部長の野村昌弘氏と、わが自由法曹団神奈川支部の若き宋恵燕弁護士(横浜合同法律事務所)の司会で、全労連坂内三夫氏議長の主催者挨拶から始まり、日本共産党の志位和夫委員長の「原子力空母の母港化は、核事故の危険、殴り込み機能の強化、基地の恒久化、米兵犯罪拡大をもたらす」とする挨拶と続いた。住民投票条例の制定運動を行ってきた地元の市民団体共同代表の呉東正彦弁護士(横浜弁護士会)は、五月に「ジョージ・ワシントン」が三〇〇〇区画中八〇区画に延焼する火災事故を起こしたことを報告し、「このような危険な艦船と市民が同居することはできない」と厳しく批判した。

 各地からの連帯の挨拶も続いた。イラク派兵差止訴訟の会から代表池住義憲氏、東京から横田基地撤去センターの寉田一忠氏、「空母艦載機移転に反対し岩国の発展を願う議員有志の会」から重岡邦昭氏、沖縄統一連事務局長山田義勝氏など、基地を抱える自治体から次々と深刻な報告がなされた。神奈川からは第一軍団司令部の移転による基地強化が予定される座間市から「キャンプ座間周辺市民連絡会」から鴨居洋子氏が駆けつけ、熱い連帯のメッセージを送った。

 集会の終わり近くには参加者全員が共通の団扇を持って「原子力空母はNO!」「平和にYES!」を唱和した。最後に「首都の玄関口・横須賀基地に原子炉二基を持つ巨大空母を配備するのは世界に例をみない危険な計画」と空母配備を非難するアピールを採択したあと、市内の中心街をデモ行進した。コース途中にある米軍基地正門前では、拳を基地に向けて空母配備反対のシュプレヒコールを唱和し、大いに盛り上がった。

 なお、神奈川ではこれに先立つ六月二八日、関内ホールにて横浜弁護士会の主催(日弁連、東京三会、沖縄、広島、山口の各弁護士会等が共催)で「基地シンポin神奈川」が開かれ、会場には六〇〇人の参加者が詰めかけた。講師としては伊藤塾塾長伊藤真氏、軍事評論家の前田哲男氏のほか、岩国前市長の井原勝介氏をお迎えした。

井原前市長のお話は圧巻であった。井原氏は日本政府と市議会から挟撃され、選挙中もデマや誹謗中傷と闘わなければならなかった。それでも未来に希望を捨てない。選挙後、早くも次なる新たな市民運動の組織を始めているという。志の高さとバイタリティに圧倒された。

集会には県内四大平和訴訟である「米兵犯罪=山崎事件」「基地騒音=厚木爆音訴訟」「原子力空母横須賀母港化差止事件」「自衛隊いじめ自殺=たちかぜ事件」の各弁護団、当事者が出席して挨拶したほか、沖縄から新垣勉弁護士、山口から足立修一弁護士(岩国基地訴訟)にお越し頂き、各地の現状や地位協定の問題点などを話し合った。

 基地反対闘争は、改憲阻止闘争、自衛隊海外派兵阻止闘争と並ぶ、平和運動の重要な柱だろう。神奈川の闘いに今後とも注目して頂くとともに、ご支援を頂きたい。



国分寺マンションビラ配布事件

―なぜ、これが犯罪に!? 捜査機関の不当介入―

東京支部  小 川 杏 子

 「なぜ、これが犯罪になるのですか。」、「私も、チラシ配布のアルバイトをやっているけれど、これも犯罪なのでしょうか。」。

 おそらく、良識ある感覚を持った市民の、至極当然かつ率直な疑問であろう。

 今年五月、東京都国分寺市の日本共産党市議会議員である幸野おさむ氏が、同市にあるマンションのエントランスに位置する集合ポストに、同党市議団発行の「市議会報告」を配布した行為が、刑法一三〇条前段の住居侵入罪にあたるとして、東京地方検察庁八王子支部に書類送検された。結果として、幸野議員は、七月一七日に不起訴処分とされたが、本件が犯罪視され、警察及び検察が介入したこと自体、表現の自由に対する重大な侵害であるといわざるを得ない。

 幸野議員が「市議会報告」配布のために立ち入ったマンションは、まず、入り口に観音開きのドアがあり、そのドアを開けると三畳程度のエントランスとなっており、その奥に、オートロックのドアがあるという構造になっていた。そして、集合ポストはエントランス部分に設置されていた。今回、幸野議員は、集合ポストに「市議会報告」を配布するために同マンションのエントランスに入り、数枚配布し終えたところで、同マンションの住民に、「何をやっているんだ。」、「立川での判決を知っているだろう。」などと声をかけられたことに端を発し、住居侵入被疑事件として検察庁に書類送検されることになったのである。

 このように、本件は、二〇〇四年以降相次いで発生した「立川ビラ配布弾圧事件」、「国公法弾圧堀越事件」、「世田谷国公法弾圧事件」、「葛飾ビラ配布弾圧事件」など、ビラ等配布弾圧事件の一つとして位置付けられるものであるが、本件の特殊性として、次の二点を指摘したい。

 まず、第一に、幸野議員が立ち入った場所が、オートロックドア外側のエントランス部分に過ぎないということである。このように、本件エントランスは、共用部分であり、かつ居住者以外の者の立ち入りを当然に予定しているのであって、そもそも刑法一三〇条前段所定の「住居」にあたらない。そして、そのような場所への立ち入りは、居住者の意思に反するものでも平穏を害するものでもなく「侵入」にあたらない。このように、明らかに住居侵入罪の構成要件に該当しない行為を、捜査機関は、ことさらに取り上げたのである。その意味では、今回、検察が、本件を犯罪として扱うことを断念し、不起訴処分としたことは、必然の結果であるともいえる。

 第二に指摘したいことは、幸野議員が配布したのは、その内容が市議団の活動に限定され、政務調査費によって発行された「市議会報告」であるという点である。市議会議員が、その活動を住民に知らせるために報告文書を配布することは、地方自治及び民主主義の実現にとってきわめて重要な活動であり、市議会議員の権利であるとともに義務である。のみならず、主権者である住民の側にも、当然、市政について知る権利がある。今回の幸野議員の行為が犯罪視されるようでは、政治活動に関する報告等の送り手・受け手両者の表現の自由が阻まれることになる。

 このように、本件は、構成要件該当性及び表現の自由の両面において、きわめて重大な問題を含んでいた。事件発生後、事務所内で弁護団を結成し、検事に面会して、幸野議員に対する捜査を直ちに中止し、すみやかに不起訴処分とすることを申し入れた。検事とのやりとりの中で特に感じたことは、検察側が、構成要件該当性につき、「居住者の意思に反するか否か」の一点に尽きるといっても過言ではないほど「住居権者の意思」というものを重視し、逆に、それ以外の点を考慮する様子が窺われないことであった。ここに、右一連事件の中の悪しき判例の影響がみられ、その問題点を感じざるを得ない。

 一方、運動面では、支援団体が街頭での呼びかけ等を行ったほか、検事面会の際には全国から集まった個人及び各種団体による署名を提出した。そして、七月五日には、「ビラ配布、知る権利、知らせる権利を守る国分寺の会」の結成集会及び決起集会が開かれ、市民ら約二〇〇人が参加した。冒頭に挙げた言葉は、その集会の参加者の声である。集会に参加した市民はもちろんのこと、街を行く人々も「○○も犯罪になるのでしょうか。」と、本件に関する市民の関心が高さが窺われ、本件が、表現の自由に対する萎縮的効果をもたらしていることを感じさせられた。そして、今回の不起訴処分は、このような世論の高まり及び全国的な支援の影響により勝ち取ったものであるともいえ、市民が声を上げることのの重要性を実感した。

 二〇〇四年以降相次いで発生した右一連の事件のように、明らかに言論弾圧の意図を持った事件が後を絶たない。今、憲法改悪への動きがある中で、これを許さないためには、表現の自由を守る活動を広げていかなければならない。私自身、今回の事件を通じ、表現の自由の保障が画餅に帰するような社会になりかねないと危機感を抱くとともに、今後は、事件を通じてのみならず、広く一般にこの問題に対する意識を高める活動にも力を注ぎたいという思いを強くした。



裁判員制度は廃止ないし抜本的な見直しをすべきである

静岡県支部  阿 部 浩 基

 以下は、七月四〜五日の静岡県支部の総会で、裁判員裁判を批判する立場から基調報告した際のレポートに若干の加筆をしたものです。不適切な表現もありますが、そのまま掲載することにします。(ちなみに、推進の立場からは同じ事務所の諏訪部史人団員が基調報告しました。)

1 司法への国民参加の意義

(1) 国民主権からは望ましいと一応言えるが、日本国憲法の規定、司法権の独立、司法作用という点から見て、過剰な国民参加は大衆迎合裁判を生み出すので、好ましくない。

 オウム麻原裁判、光市母子殺害事件などについての狂乱報道を見て、危機感を持った者は多いはずである。

(2) 国民主権の行使の最たるものは国政選挙での投票である。しかし、投票は権利ではあっても義務ではない。棄権の自由がある。しかるに裁判員裁判は罰則付きの強制である。権力機関に罰則付き(不出頭は一〇万円以下の過料)で呼び出され、信条に反する裁判員を務めさせられるのは、苦役ではないか。

 納税の義務と対比すべきでない。納税義務は憲法三〇条で定められている。裁判員制度は憲法に根拠を有しない。

(3) 統治客体意識から統治主体意識への転換

 一九九九年一二月、司法審「論点整理」は、国民一人一人が統治客体意識から脱却し、自律的で社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していくことが、二一世紀のこの国の発展を支える基礎である、と述べている。

 司法審意見書は「二一世紀の我が国社会において、国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存から脱却し、自らの公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。国民主権に基づく統治機構の一翼を担う司法の分野においても、国民が自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加することが期待される。」と言う。

 期待するのは勝手だが、強制されるのはご免である(多くの国民の意識)。

(4) 従来型の国民参加の否定

 最高裁裁判官の国民審査、検察審査会、調停委員などあるが、一番影響力を持ったのは、やはり、裁判の傍聴、報道、裁判批判ではないか。自由法曹団は松川裁判等を通じて、大衆的裁判闘争という運動形態をつくり、実践してきた。

 記録に基づいて事実を分析し、集会、ビラ、マスメディアを通じて世論を喚起し、署名を裁判所に積み上げて公正な判断を要請する。

 しかし、裁判員裁判導入をにらんでのことか、検察官開示証拠の目的外使用が禁止され(刑事訴訟法二八一条の四)、開示証拠を支援者で学習して裁判闘争に役立てるということが困難になった。

 また署名を裁判員に届ければ、裁判員に被告事件の審判に影響をおよぼす目的で、事実認定、刑の量定など裁判員として行う判断について意見を述べたり情報を提供したとして、二年以下の懲役もしく二〇万円以下の罰金となる。

 裁判員には、ことのほか世間の「雑音」を耳に入れさせたくないのである。

 このように裁判から国民を遠ざけておいて、国民の司法参加とはよくも言ったものである。

 「裁判官≒裁判員」VS「国民」という構造が見え隠れしないか。

2 刑事裁判制度の良し悪しを判断する基準は何か。

(1) それは国民参加の程度の問題ではなく、無辜の不処罰が制度的にどの程度担保されているかどうか、つまり冤罪が減るかどうかである。また、適正な量刑がなされるかどうかである。司法への国民参加はそれ自体が目的ではない。

 素人の事実認定の能力は職業的裁判官と変わらない、素人だから難しい裁判の判断はできないということはない、ということが強調されるが、素人の方が勝っているということもないのである。

 陪審裁判の米国で冤罪が少ないか言えば、恐ろしい位たくさんある。

 裁判員裁判になったからといって冤罪が減るとは思えない。

 どうしようもない官僚的裁判官を相手にするよりも裁判員を相手に説得する方がはるかに弁護側の主張を理解してもらえる可能性がある、という意見もあり、それも一面真実ではあるが、他方裁判員は検察官のパフォーマンスにも共鳴するのである。

 裁判員が「健全な社会常識」を示すこともあろうが、時勢に流されることは職業的裁判官よりも多いであろう。被害者の刑事手続への参加がその懸念を一層広げている。

(2) 裁判員裁判導入のためになされた刑事訴訟制度の改正は、逆に冤罪を増やしかねないものである。

 裁判員裁判をやるために行われた制度改正は、裁判員裁判は裁判員に来てもらわねば成り立たない、裁判員を長期間拘束することはできない、証拠調べは争点を絞り集中して行う必要がある、というところから構想された。迅速さが強調され、真相解明は軽視された。

 本末転倒の制度設計である。その最たるものが公判前整理手続きの導入である。全体の審理期間の短縮(そのように運用される事は必至)、とくに弁護側に課せられた証拠調べ請求の制限(後出し制限、刑訴法三一六条の三二)は重大である。無罪証拠が出てきたらどの時点でも取り調べるべきではないのか。調査能力が圧倒的に劣る弁護側には証拠を集めるのにどうしても時間が必要なのである。

 第一回公判前にどれ位の期間がおかれるかも保障の限りではない。

(3) 裁判を迅速にやるには、弁護側にも検察官と対等に渡り合えるだけの武器や情報が必要である。しかし、弁護側の武器、情報は不十分なままで、検察官との不均衡はむしろ拡大したのではないか。

ア 証拠開示

 (1)検察官請求証拠の必要的開示、(2)類型証拠の開示、(3)争点関連証拠の開示の制度がもうけられた。

 この点は、判例法理よりもかなり前進したが、弁護側は検察官手持ち証拠のリストさえ見ることができない。松川事件の諏訪メモのように検察官が隠匿し続けたらどうすることもできない。いかにして証拠を開示させるかは弁護士の腕の見せ所でもあり、弁護士はおおいに腕を磨かなければならないが、弁護士の腕の良し悪しで、無罪証拠が出てきて無罪になったり、出てこずに死刑になったりするということでもある(責任重大)。

イ 人質司法の温存

 逮捕・勾留二三日という捜査段階の身柄拘束の制度には何らの改正はなく、否認すれば起訴後も罪証隠滅のおそれがあるとして長期間勾留される。保釈制度の改正もなされなかった。運用で多少認容率が上がってきたが取るに足らない。集中審理に備えて被告人と満足に打合せすることもできない。

ウ 取調の可視化

 嘘の自白でも信用性は絶大である。裁判員も自白の呪縛から逃れられないであろう。裁判員裁判では、自白の任意性の立証を延々とやるわけにはいかないとして、取調の可視化が議論され、野党が法案までだし、議論は前進したが、裁判員裁判の実施を間近に控えた現在でも検察庁での一部録画が決まっただけであり、警察は一部録画を検討しているという段階にとどまる。

 しかし、一旦した自白は、たとえ誘導、脅迫、詐術によるものでも、維持されることが多く、自白した場面だけの一部録画はかえって有害である。逮捕直後からの全面録画が必要である。

 このままでは、任意性を徹底的に争いたくても、裁判員を長く拘束できないとしてその立証すら時間制限を受けることになろう。前進ではなく、明かな後退である。

(4) 全体として、裁判員裁判、迅速裁判と引き換えに弁護側が得たものは少ないのではなかろうか。

(5) 現状最悪論について

 現在の刑事裁判が「絶望的」(平野龍一)な状況からいくらかでも脱却したのかしていないのか、わからないが、現状でいいというつもりはさらさらない。しかし、現状が最悪でこれ以上悪くなりようがないから、裁判員制度に期待するという楽観的な議論には到底賛同できない。さらに悪くなる可能性が十分あると考えているからである。

3 裁判員裁判をなぜ国民(裁判員候補)、被告人に強制するのか。

(1) なぜ量刑まで関わらせるのか、そしてなぜ事実に争いのない事件まで裁判員裁判にするのか。

 これは集団リンチ、人民裁判を彷彿とさせる。参加しないと次は自分が標的になる。そういうところに嫌がる国民も強制的に参加させる。死刑反対であっても死刑判決に関与させ、無罪票を投じても死刑判決に関与させる。違う意見を述べたとしても、守秘義務があるからそのことを外部に話すこともできない。国家の行う「悪事」に加担させ、共犯者としての罪の意識を共有させる。

 統治客体意識からの脱却、統治主体意識の涵養とはそういうことではないのか。

(2) なぜ被告人は裁判員裁判か職業的裁判官による裁判かを選択できないのか。

 「新たな参加制度は、個々の被告人のためというよりは、国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入するものである以上、訴訟の一方当事者である被告人が裁判員の参加した裁判体による裁判を受けることを辞退して裁判官のみによる裁判を選択することは、認めないということである。」(司法審意見書)

 つまり、裁判員裁判制度は被告人のための制度として構想されたものではないということであり、制度の理念そのものに問題がある。

4 守秘義務が阻む制度の検証、改革

(1) 裁判員が職業的裁判官の意見に抗して自分の意見を貫き通すのは、容易なことではない。裁判官は、公判前整理手続で、検察、弁護側の主張を把握し、証拠にも接している(裁判官と裁判員の情報格差)。すでに一定の心証をもって公判に臨んでいることも有り得る。評議の進め方次第では、裁判官三人は素人の裁判員をいかようにも誘導できよう。良心的な評議が常になされるという保障はない。模擬裁判の評議は公開されるが、実際の評議は非公開である。模擬裁判で丁寧な評議を先導した裁判官も、実際の評議でもそのとおりに振る舞うであろうか。特に政治的背景のある事件ではどうであろうか。

 裁判員は、裁判官にとって、飾り物、あるいは丁寧に扱わなければいけない、招かれざる客となる危険性が大である。

(2) 評議の進め方が問題だとして後日これを検証し、是正していく方法はあるのか。

 しかし、評議の秘密(裁判官、裁判員の意見、その人数など)は判決後も漏らしてはならないし、裁判所の事実認定や量刑の当否について意見を述べることも禁止されている(いずれも六ヶ月以下の懲役または五〇万円以下の罰金)。

 このように守秘義務でがんじがらめにしておいたのでは、評議の仕方ひとつとっても、後日、これを検証し、改善していくことは不可能である。

5 調書裁判は克服されるか。

 裁判員を長く拘束できないという至上命題からすれば、利用できる調書はできるだけ利用して時間を節約するという方向に流れざるを得ない。

 争点集中となるので、争いのないところは、調書でということになる。自白事件もそうなるであろう。

 否認事件で、公判廷で証言した者の供述調書(特に検面調書)がどこまで排除されるか。

6 さらなる刑事訴訟制度改革のインパクトになるか。

 なるかも知れない。そのためには、徹底的な批判が必要である。しかし、ならないかも知れない・・・・。



覚せい剤の輸入事案の裁判員模擬裁判を経験して―――無罪判決もう一歩

千葉支部  守 川 幸 男

1.私の基本的な立場

 裁判員制度にいくつもの重大な問題があることに異論はない(もっともすべて一致するわけではない)。陪審制度には及ぶべくもない。これに関連した刑事司法「改革」にも重大な問題がある。

 ただ、一気に陪審制度に移行するほど日本の民主主義の力量は大きくないし、政治的妥協の産物としてできたものであるから、歴史の発展段階を考えざるを得ない。

 したがって、よく議論して、一致点で制度批判や改善要求をするのは大いに賛成だが、延期決議などしても延期させる力関係にないと思う。では、今の官僚裁判制度でよいのか、という疑問も生じる。また、実施される制度に習熟する努力を怠れば、被告人の権利をないがしろにする危険がある。

 むしろ、制度の運用を通じて、具体的な事案に即した批判をし、裁判員経験者も含めた運用改善や制度改革の世論作りをすることが重要だと思う。

2.覚せい剤の輸入事案で裁判所の変化も

(1) 事案と結果

 模擬裁判ではあるが、友人にスーツケースを預けたところ、中に覚せい剤2kg弱を隠匿されたまま一人で来日したという、実際の事件をもとにした裁判員模擬裁判の主任弁護人をやった。七月九日に判決があった。懲役一三年などの求刑に対して、悔しいが懲役八年、罰金五〇〇万円であった。実際の事件は一〇年以上の判決と聞いている。

(2) 公判前における検察官の争点設定と結果

 検察官は、(1)覚せい剤を入れると空のスーツケースの二倍以上であり、形状その他からも不自然である、(2)税関での被告人の対応が不自然である、(3)捜査段階での被告人の供述が不自然、不合理、変遷している、などと主張した。

 裁判所は公判前整理手続で、弁護人とともに検察官に対して、(3)の点は、認識していたことの間接事実としては重要性が低い、この間接事実がどのようにして主要事実を推認させるのか、などと追及し、多くは撤回に至った。これまでは、被告人の供述のささいなくい違い等も有罪の根拠としていたのに、である。

 もっとも、裁判所が、(3)のようにささいなことを並べ立てるまでもなく有罪となると思っているか、あるいはそうすることが有罪立証として逆効果だと示唆していると見ることもできるから、ことはそう単純ではない。

(3) 乙号証の扱い

 また、被告人調書(乙号証)について弁護団は、公判前整理手続の中で(模擬裁判なので、法曹三者の傍聴の中で)、「裁判員制度のもとでは、まず被告人尋問を行うべきであって乙号証の取調べは不必要」、同意、不同意の点では、「不同意、但し、任意性は争わない」という立場で、乙号証の一部を先に調べさせようとする強引な裁判所ときびしく対決して、これを押し切った。これは、常にたたかいが必要であることを示している。

(4) 弁論と判決理由

 私は弁論で、基本的に書面は用意せず、裁判員ともアイコンタクトを取りながら二〇分ほど訴えた。(1)の点は、被告人が空の状態でスーツケースを持ち上げたことはなく、すぐ荷物を詰めてしまって二重底を含めて気づくことはなかったこと、(2)の点も、不自然なことはなく、むしろ、旅行者だと理解した方が自然である。(3)のそのほかの被告人の不自然とされる言動も、犯罪組織の一員なら、むしろ不自然であり、もっと筋の通った弁解を用意してくるはずだなどと主張した。

 乙号証は結局、被告人尋問のあと、限定的に三二八条(弾劾証拠)として採用されたにとどまった。

 また、判決は、客観証拠であるスーツケースの重さの変化や形状の異常については有罪の根拠とできないという、予想外の成果をかちとった。

 ところが、税関で解体検査にすぐに応じなかったことや、さんざん追及されてから「ドラッグ」ということばを発したり、逮捕に至るまで冷静だったこと、そのほかの被告人の言動や弁解の不自然さを理由に、即有罪とする不当な認定がされた。

(5)分かれた裁判員の対応

 しかし、裁判員のうち半数の三人が、不自然とは思うが直ちに有罪にすることに消極的な意見を述べていた。

 これらのいくつかは、裁判官だけのときとは違う。

3.今後に向けて

    ――評議における裁判所の重大な問題点にも触れて

 むろん、これだけでは裁判員制度について断定的な判断はできないし、むしろ、評議における裁判官の誘導ぶりが目立った。また、評議の中で、不自然な点があるとの議論のあとは、不自然即認識していたと言えるかどうかの議論を始めて、不自然とされる言動が「運び屋としてはむしろ不自然」との弁護人の主張の検討を始めるのかと思ったとたんに、裁判官三人が有罪との結論と理由を述べ始めて、裁判長が有罪でまとめてしまい、裁判員の最終的な意見も聞かずに量刑の評議に移ったという驚くべきことが起こった。評決抜きの判決に傍聴していた弁護士たちから怒りの声が聞かれた。その後、傍聴していた裁判官の中に、やり方のおかしさを指摘する声もあり、無罪の心証を持っていたように思われる裁判官もいた。ほかの裁判体なら無罪が取れたとする弁護士の感想も多かった。この違法なやり方に対しては、いずれ弁護士会としてきちんと対応する予定である(もっとも、だから裁判員裁判が危険だ、とは単純に言えない。それはそのとおりだが、裁判官だけの評議は推して知るべしであり、もっとひどいことが多いであろう)。

 これからの実践を通じて、国民参加をプラスに生かすための努力をする場面も増えてくるのではなかろうか。

 また、日弁連が、裁判員裁判の実施に向けて、捜査、公判前整理手続、公判の各段階で、裁判員裁判に対応した新しい実践的な方針を出し、千葉でも実践的な研修を行っているから、これらに習熟して弁護技術を高める必要性も高い。

 私もこの事件で、反対尋問技術などについて学習もし、また、規則にのっとった書証の示し方(一九九条の一〇ないし一二まで)やこれに対する異議などについて学んだ。これまではいいかげんにやってきたことであり、失敗しながら勉強させてもらった。

4.薬物輸入事案の弁護マニュアルを

 成田空港を抱える千葉では、この種事案が全国の約四分の一を占め年間五〇件を超える。これまでほとんどが国選事件であり外国人であるから、家族や熱心に支援する人たちもいない。また、弁護マニュアルもなく、意見交換することも少ない。そこで、一見不自然、不合理に見える弁解をする被告人に仕方なくつき合って、知らないと言っているから無罪を争う、というだけのおざなり弁護がなかっただろうか。

 私は、かつてから、この種事案について、被告人の言うことを本気で信じて、今回と同様の争い方をした事件が数件ある。しかし今回、弁護団を組み、熱心な応援団の意見も聞き、また、評議を聞いていて、けっこう気づかない論点があることを知った。

 したがって、この問題での弁護マニュアルが必要であるが、これについても、研究会などを作って集団的討議を始める必要がある。



裁判員裁判について

〜評議をめぐる問題は改正の対象となるのか〜

京都支部  岡 根 竜 介

 裁判員制度について、団通信でも様々な議論がなされている。私は、このような議論に参加することに消極的であり、論じる立場による色分けにも興味がない。ただ、自分自身は一二七三号にあったような「裁判員制度の実施に向けて法廷技術を身につけようと熱心に準備しているグループ」であるとは思えないので、「裁判員制度に冷たい目を向け何も準備しないグループ」に分類されるのだろうが、そんな「無能な弁護人」なりに悩んでいる問題点を一つだけ指摘させていただきたい(答えが聞きたい)。

 一二七七号に、「今もっとも求められていること」の中に、「守秘義務の厳格化」があげられていた。残念ながら、その内容に触れられていないが、私の指摘したいのはまさにその「守秘義務」に関連する問題である。

 日弁連のパンフ「裁判員制度(二〇〇九年スタート)」一六頁には、「公開の法廷で見聞きしたことは、話しても大丈夫です。また裁判員を経験した感想を述べることもできます。」とあり、一七頁には、「これに対して、例えば、個々の裁判官・裁判員の意見の内容や、評決をしたときの数、評議がどのような議論によって結論に達したかなど、評議の内容を話すことはできません。」とある。

 評議は、密室でおこなわれるので、弁護人であってもその内容を知ることはできない。自由な議論を確保するためには、評議の秘密は確保されなければならないのだろう。

 ところで、裁判員制度については、どのような立場にあろうと、なんらかの問題があるということ自体は争いがないと思われる。実際、積極的に推進すべきという方でも附則九条(検討)の「三年後」の見直しには必ず触れられていると言ってもいい。

 そこで、ハタと考え込んでしまうのは、評議に関連する問題については、果たして三年後の見直し・改正があり得るのだろうかという点である。

 評議は秘密裡におこなわれ、その結果としての判決文のみが公になる。評議の秘密について各裁判員は、それぞれ棺桶の中まで「守秘義務」を負うことになる。公にすることができるのは、「裁判員を経験した感想」程度である。

 しかし、見直しをしようとする場合、改正すべき立法事実があることが前提となる。問題もないのに、見直す必要もないからである。

 ところが、評議に関しては、改善すべきと思われる問題点が仮にあったとしても、「守秘義務」に阻まれて、その内容を公にすることができない。問題があっても、それは、公にしてはならず、感想程度しか述べられないのであるから、具体的な資料は何もないことになる。そうすると、改正のための議論がそもそも成り立たないのではないかということである。

 これまで、全国各地で裁判所、検察庁、弁護士会の三者による模擬裁判が繰り返しおこなわれてきている。(余談だが、九月には私も弁護人役をすることとなってしまった。)

 それぞれの模擬裁判において、各弁護団は、相当に熱心な弁護活動を繰り広げていると思われる(他を知らないので、少なくとも京都での模擬裁判はそのように評価できるものと思う)。

 その模擬裁判では、公判廷から、評議室に場所を変えると、裁判長による強引な誘導がおこなわれ、個別論点ごとに反対を唱える裁判員が各個撃破されていく、という姿が何度も映し出される。弁護団がようやく得た裁判員が各論点ごとに絡め取られていく。カメラを設置して、別室で関係者がその様子を見守っている中でも、大なり小なり、裁判官の誘導があり、評議を見ていた裁判官からもこれはひどいと指摘される場合さえあった。

 だからこそ、評議のルールを定めなければならない、というような問題提起もおこなわれているのだろう。

 ところが、模擬裁判なら、カメラを通じて評議の様子をうかがうことができるが、裁判員裁判が実施されるや、評議は、全くのブラックボックスに収められてしまう。関わるのは裁判所のみ。そして、そこにいる裁判員には、評議についての「守秘義務」が科されるので、実際に裁判官による強引な誘導があったとしても、それを公にすることはできない。せっかくの市民の感覚が、職業裁判官に強引に消し去られたとしても、その問題を公にはできない。重い「守秘義務」がある限り、裁判員経験者には、評議に関しての改正の議論に参加すること自体、現実にはできないと思われる。

 果たして、これで、見直しの議論ができるのであろうか。

 また、評議が秘密のままであるとすると、例えば、評議に関して裁判官三名、裁判員六名が果たして妥当な比率なのか等も検討する材料がないことになる。

 守秘義務の厳格化の主張は、もちろん改正を見込んでのものであると思うが、少なくとも今のままでは、三年後に議論をしようにも、全く材料がなくどうすることもできない状況になるのではないか。この点が、ずっと引っ掛かるのである。

 一体、この点をどのように考えたらいいのであろうか。



市民運動の勝利!

水俣市産廃業者が「撤退」表明

熊本支部  板 井 俊 介

1 市民の勝利を決定づけた撤退表明

  「海の水俣病だけでなく、山の水俣病まで起こすつもりか」。 平成一五年に突如として浮かび上がった水俣市山間部での産業廃棄物処理場設置計画に対し、水俣市民は、この五年間、一致団結して闘った。五六もの市民団体が参加して「産廃阻止!水俣市民会議」を立ち上げ、市をあげて反対運動を展開してきたのである。

 その結果、二〇〇八年六月二三日、産廃計画をした主体の一つである東亜道路工業が「今後の事業の見通しが立たない」として、事業を中止する旨発表するに至った。

 これにより事業中止が決定的となった。ここに、この問題に関わった団員の活躍も交えながら報告する。

2 産廃問題に関する中止勧告への抗議行動

 この問題について、以前私は、団通信に投稿したことがあった。

 二〇〇五年一一月四日、当時の江口水俣市長が産業廃棄物処理場に関する集会を中止するような勧告を行ったことに対する自由法曹団熊本支部からの抗議行動を報告した。その後の三年間で、事態は大きく動き、市民運動が完全に勝利した形となった。

3 事業者説明会での動き

 熊本において、この産廃処分場計画を担ってきたのは、東亜道路工業の子会社である株式会社IWD東亜熊本であった。それは、まさに水俣産廃建設のために設立された会社であった。二〇〇五年一一月九日、現地水俣市において、このIWD東亜熊本は最初の事業者説明会を開いた。

 これに先立ち、産廃問題のエキスパートとして、福岡支部の馬奈木昭雄団員が水俣市から招かれた。馬奈木団員は、当地熊本から森徳和団員、小野寺信勝団員と私を招集した。

 「事業者説明会における争点は、その後の県とのやり取りでも、裁判でも同じく重要な争点になる。何度も何度も、それを訴えるのだ」大先輩である福岡支部の馬奈木団員は、水俣市役所の会議室で、多くの水俣市民と私たちにそう語った。それを積み重ねる中で、我々市民が確信を持ちながら訴えることが重要であるとの教えだった。そのことは、会議に参加していた者すべてを納得させ、市民はその言葉を実践した。

 そして、説明会場での馬奈木団員は、恐ろしいほどの迫力で事業者を追い立てた。水俣市民は大いに励まされたことであろう。私は、いつも、馬奈木団員のそばでヤジを飛ばすくらいのことしかできなかったが、馬奈木団員には、目の前で本当に素晴らしい「お見本」を見せていただいたという思いである。

4 熊本県を説得した水俣市民の力

 そのような中で、誠意のない事業者の態度に怒りを募らせながら、水俣市民は、必死に熊本県を説得した。その結果、二〇〇八年三月、熊本県(潮谷義子知事、当時)は、IWD東亜熊本が環境影響評価法に基づいて提出した環境影響準備書に対し、地下水や地質、希少猛禽類などに与える影響などの調査が不十分とする四三項目にも及ぶ知事意見書を提出するに至った。

 この意見書の内容は、熊本県においても「なぜ、あえて水俣に産廃を作る必要があるのか」という意向を持っていることを示すものとして、相当に大きなインパクトを与えた。

5 草の根立木トラスト運動

 さらに、私は、草の根運動として、処分場計画予定地に続く道路建設予定地に立つ木を市民で買い取って道路拡張を阻止する運動(立木トラスト運動)のための学習会で講師を務めたりした。法律家としては、久しぶりに「立木法上の登記」や「明認方法」を勉強することになったが、市民運動に携われる喜びを実感したものである。

6 ある市民の言葉

 事業計画中止決定後、ある水俣市民の方から私宛に届いた手紙の中に、以下のような言葉がある。「今回の運動を通して得たものも数多くあります。その一つは市民が一致団結して行動すれば、大きな力となることを市民自身が感得したこと、そして政治をすることは究極的には市民自身であることを知ったことです」。

 現在も続く水俣病問題では、かつては水俣市民が一致団結することが困難な状況に追い込まれ、水俣市民は、水俣病という地域の問題に対して無力感に苛まれた歴史がある。そして、水俣病問題の運命を、結局は、原因企業を擁護した国が左右してきた事実を見せつけられた水俣市民には、政治に近づくことすらできない失望があったのではないか。しかし、今回の産廃阻止運動の中で、水俣市民は、民主主義に対する絶望から、一歩、いや、二歩も三歩も大きく抜け出したのである。

 私にこの手紙を下さった方は、率直に言えば、これまでの水俣病問題においては訴訟派の弁護団には近づかない方だったと思う。もしかしたら、産廃問題がなければ交流を持ち得ない方だったかもしれない。しかし、いま、水俣ではそのような垣根を越えた連帯が生まれつつあり、時代は大きく変わってきている。

 もっとも、水俣市は現在、ノーモア・ミナマタ訴訟に代表される水俣病患者の未救済問題、チッソ水俣工場から廃出されたダイオキシン処理問題など、いくつもの課題を抱えている。

  今後とも、熊本県の最南端で必死に闘い続ける水俣にご理解とご支援を賜りたくお願い申し上げて私の報告を終える。



ランナーの楽しみ

滋賀支部  玉 木 昌 美

 小学校、中学校と運動音痴の私は運動会の徒競走では決まってビリかビリから二番目であった。家族が弁当を持って応援にくる小学校の運動会など最悪であった。一等から三等までの子はリボンがもらえ、誇らしげに胸につける。どんなに頑張って走ってもリボンなどもらえない私にとっては屈辱的であり、「これは差別だ!」と思っていた。女の子にあまりもてなかったのもきっとそのせいだったに違いない。

 ところが、現在の私の趣味は何と走ること、そして、市民マラソンの大会に出場することである。

 九一年八月、高石ともやの琵琶湖ジョギングコンサート五キロに出場してからマラソン人生が始まった。スナックで一緒になった高石ファンの某女(おばちゃん)に大会を教えてもらったのがきっかけだった。距離を五キロ、一〇キロ、ハーフ、フルと伸ばし、家族も巻き込んでいった。九五年には妻と小二、小四の子どもたちと一緒にホノルルマラソンを約七時間で完走した。

 そして、今も走り続けている。「あんな苦しいこと何が面白いのか」という声もあるが、自分を限界まで追い込んで走り汗をかくことは最高である。また、精神的に自分を奮い立たせ、いかに気力をゴールにまでつなげるかという心理ゲームは何ともいえない。ペースメーカーとなる自分よりわずかにレベルの高い素敵なランナーを見つけ、追いかけたときは特に充実した走りになる(「ストーカーランナー」との指摘もあるが、否認する)。

 最近、大阪支部では篠原団員が他のメンバーを巻き込んで大会に出場されているが、喜ばしいことである。最近、大阪支部ニュースに本年四月から六月の大会レポートを書いた。

 この七月六日、能登島ロードレース一〇キロに出場した。初めての大会であるが、和倉温泉で一泊できることも魅力であった。さて、大会当日、走る前から気温は三〇度を超え、とにかく暑い。そんな中、七〇歳代のランナーが何人もハーフを走ることに驚いた。この暑さでは若くても一〇キロ走るのが大変なのにと思う。いよいよ、スタート。前半型の私は最初とばすが、アップダウンが多く、ペースダウン。暑さと坂にとりわけ弱い。給水所のたびにヒートアップした顔に水をかける。五キロすぎの坂で足が止まり、歩いてしまう。かつて一〇キロの大会で歩くことなどなかっただけにショックであった。それでも、しばらく歩くと回復し、それからはまた走り続け、ゴールした。ペースメーカーとなるランナーがいなかったのも残念であった。タイムは五二分三二秒、それでも順位は男子五〇歳以上の部で三一位(総合順位一二二位)であった。いつもより数分遅いが、歩いた割には健闘したといえる。

 今回も「憲法ステッカー」を背につけて走ったところ、ゴール後、富山の九条の会の人が声をかけてくれ、富山における憲法集会のことなど聞くことができた。彼は「ランナーズ九の会」のランニングシャツを着用していた。こうして運動の交流ができることにもなった。

 ちなみに、滋賀では長浜から滋賀県庁まで各自治体を巡ってアピールを行う反核平和マラソンの取り組みをしているが、今年も八月六日にある。心あるランナーはただ走っているだけではないのである。



スポーツ選手の権利はどこに?

―我那覇選手事件を通じて((6)―最終回)

(我那覇選手弁護団の一人として)

東京支部  土 井 香 苗

CAS決定を踏まえたJリーグの真摯な反省と謝罪を求める

 Jリーグは、五月二八日の記者会見で、我那覇選手に対して謝罪する意向であると明らかにしました。未だ、Jリーグから我那覇選手に対して謝罪のための訪問日程などは明らかにされていませんが、真摯な謝罪と二度とこのような誤りを起こさないための具体的な行動を求めます。

 Jリーグは、CASの判断が出された後も、CASの決定を曲解して、フロンターレへの制裁金を返還しないとか、後藤医師には謝罪しないなど、不誠実な対応を改めていません。この点は、弁護団は、別途詳細に見解を明らかにする準備をしていますので、ここでは一点だけを指摘します。

 Jリーグは、リリースの一頁目で、CAS決定の四八項のみを引用して、鬼武チェアマンが次のとおりコメントをしています。「今回の仲裁の裁定においては、焦点となった静脈内注入が、正当な医療行為か否か、すなわちドーピング違反であったか否かについて明らかにしてほしいと、当事者の双方が望んでいた。にもかかわらず、裁定では、それが判定されることはなく、残念でもあり困惑してもいる。」

 Jリーグの、CAS決定の理解は、つまみ食い的な解釈で、正しくありません。しかし、Jリーグが引用する四八項は、「WADA規程の該当条項のフレーズは明確でない上に、その後改訂された。青木医師が二〇〇七年一月の協議会でした説明も十分明確ではなかった。Jリーグは実体面についても手続面についても、正当な医療行為か否かを決める詳細な条件を明確にするための適切な措置を講じなかったのである。」と判断し、誤りがあったのはJリーグであることを明確に示しています。

 ルール違反を問うためには、事前に、何がルールに合致しているのか、何がルール違反となるのか明確に示しておかなければならないという基本的な考え方があります。本件では、そもそも、Jリーグがルール違反を問う前にすべきこと、すなわち、「Jリーグは実体面についても手続面についても、正当な医療行為か否かを決める詳細な条件を明確にするための適切な措置」を、講じなかったことを理由として、ドーピング違反との判断を取り消しているのです。

 間違いを犯したのは、Jリーグで、我那覇選手も川崎フロンターレも後藤医師も間違いを犯していないのです。

 Jリーグは、川崎フロンターレに制裁金を返さない、後藤医師に謝罪をしないと報道されていますが、このようなJリーグの対応は、CAS決定四八項からだけでも明らかな誤りです。

 すでに、FIFAが、我那覇選手のドーピング違反記録を抹消したと報道されており、どちらの主張が正しいかは明らかです。

我那覇選手の費用負担

 スポーツ紙の一部が、五月二八日に、我那覇選手の仲裁費用は四五〇〇万円と報道しています。

 弁護団は、五月二七日の記者会見の場では、二〇〇八年五月一日までのCAS手続きにおいて、(1)翻訳・通訳費用・弁護団事務局実費が約二二三〇万円を要したこと、(2)弁護団の総業務時間は七六二時間を超えていること、を公表しましたが、「四五〇〇万円」という金額は述べておりません。

 弁護団が、この報道を受け調査したところ、一部のスポーツ紙が、(1)弁護団が公表した実費、(2)独自に予想した弁護士費用(弁護士の一時間単価を三万円/時として計算)の合計額として算出していることが判明しました。

 弁護団としては、スポーツ紙の用いた弁護士費用の算出方法が企業法務などにおける弁護士活動の合理性ある計算方法の一つであることは承知しております。

 しかし、弁護団は、我那覇選手の守られるべき権利を実現するというだけでなく、本件を通じて多くのスポーツ選手の健康と権利を守るための公益性ある事件として受任しています。従って、本件の解決のための費用を我那覇選手一人にのみ負担させるべきではないと考えております。

 我那覇選手は、現時点でも、「自分のことで回りに迷惑をかけるわけにはいかない」と考えて、「親戚中に頭を下げてでも、チームに前借りしてでも自分でなんとかしなくちゃと思っています」と述べています。

 弁護団自身も、多くのスポーツ選手の健康と権利を守るために、弁護団自身として応分の負担をする考えでおりますし、多くのスポーツ選手の健康と権利を守るための公益性ある事件を支援してくださる多くの方々の援助を受けて、我那覇選手に過大な負担が生じないようにしたいと考えております。

 弁護団は、サッカーを愛する全てのサポーター、さらには、スポーツの発展を願う全ての方々の支援を受けて解決をめざしたいと思っております。

 この点で、サポーター、選手会、スポーツドクターの募金活動は貴重な支援でした。現に、我那覇選手が立ち上がった後に、これらの支援が始まらなかったら、資金的に頓挫した可能性もあります。

 我那覇選手の潔白が証明されず、また、スポーツ選手への正当な治療が妨げられたままだったかもしれません。弁護団は、我那覇選手と共に、支援をしてくれた方々に心から深く感謝します。

 日本・アンチドーピング機構に加盟をしている競技団体は、国際的選手の場合にはCASの仲裁を、国内レベルでの選手の場合はJSAAの仲裁を受けることができる権利を保障しています。CASの仲裁を求めることの選手の負担を考えると合理的な措置です。国際レベルの選手の場合には、国際機関で判断せざるを得ません。国際レベルの選手は、二四時間三六五日抜き打ち検査を受けることを義務づけられております。このような厳しい検査対象は、トップアスリートの一部だけです。

 一方、Jリーグのドーピング禁止規程は、本件が問題になった時点では、いかなる仲裁判断も選択できないという規定でした。さすがに、このような世界標準から外れた規定は、その後、二〇〇八年二月一日に廃止されました。しかし、新たに発効したJFAの規程では、全部の選手についてCASでの仲裁が受けられることとなりましたが、JSAAでの仲裁は許さないとしています。国内標準からも国際標準からも外れた「ローカルルール」です。

 弁護団は、JリーグがCAS決定後、CASの決定に不満を漏らすのを聞きますと、JリーグがCASでの審理に固執をしたのは、「世界最高水準の判断」という理由ではなく、CASを仲裁の場とすることで、選手に重い費用負担の圧力をかけ、選手が権利救済に立ち上がることを阻止しようとしているのではないかという思いを強くしています。

 東京弁護士会労働法制委員会は、五月二一日、「労働側弁護士の活動領域としてのスポーツ選手の代理人活動」について研究会を開催しました。報告者は望月弁護士であり、村田修一選手(横浜ベイスターズ)代理人・小林祐梨子選手(豊田自動織機)代理人としての経験が報告されました。

 私も我那覇選手の事件を通じて、一見華やかに見えるスポーツ選手が、競技団体や球団などとの関係では極めて弱者の立場にあることを知りました。スポーツ選手の代理人としての活動が、人権擁護のための活動の一貫で重要だと認識したという報告です(完)。