<<目次へ 団通信1284号(9月11日)
担当事務局次長 町 田 伸 一
松川事件は、今年の総会開催地福島で、一九四九年に発生し来年には六〇周年を迎えます。特に若手の団員にとっては、松川事件・松川運動や大衆的裁判闘争の意義については、話に聞いたことはあってもピンと来ない、というのが本音ではないでしょうか。また、この間、言論・表現の自由を封ずる弾圧事件が相次いで発生し、大衆による裁判批判を困難にする制度も織り込まれたいくつかの法「改正」・制定がなされており、来年には裁判員制度が施行されます。
この時期に、福島で、わが国の裁判闘争に新しい道を切り開いた松川事件を学び直すべく、総会のプレ企画として、シンポジウム「松川事件と大衆的裁判闘争」を開催します。
第一部では、映像と元被告人の方のお話により松川事件を知り、第二部では、大塚一男団員・小田中聰樹東北大学名誉教授・山田善二郎日本国民救援会前会長をシンポジストとして松川事件を学び、第三部では、会場と共に、裁判員制度施行を見据えて松川事件を今に生かす討論を予定しています。
総会の一日前に現地入りして、ぜひ、ご参加下さい。
と き:一〇月一八日(土)午後一時から午後五時まで
ところ:福島・穴原温泉・「匠のこころ 吉川屋」
(総会と同じ場所です。)
九月一日号団通信に同封の総会出欠回答の用紙にて、お申し込み下さい。
一〇月一九(日)・二一日(月)に、福島県穴原温泉で、自由法曹団の二〇〇八年の総会が開かれますが、総会前日である一八日(土)には、プレ企画として、シンポジウム「松川事件と大衆的裁判闘争」(午後一時〇〇分〜五時〇〇分)を予定しています。
この企画は、新人の皆様にも有意義な企画をと準備をすすめているところです。是非とも事務所に入所された新人弁護士が総会、プレ企画にご参加されるよう、事務所として特別なご配慮をしていただきたくお願いする次第です。
なお、総会出欠回答用紙がお手元にない場合は、団本部にご連絡下されば、お送りいたします。(入団申込書についても、ご連絡いただければ早急にお送りいたします。)
別途、入団された新人弁護士宛には総会のお誘いを兼ね、議案書等の資料をお送りさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
東京支部 四 位 直 毅
裁判員制度をめぐる渡辺脩さんと米倉勉さんの論稿を読んだ(団通信第一二七九号)。
とくに気になる点について意見を述べ、そのうえで、団のとるべき方針についての私見を述べる。
一 裁判員制度と「市民参加の意義」
(1) 渡辺さんは「裁判員は裁判所の権力機構に組み入れられ、守秘義務を課せられて市民から切り離される」「真の『市民参加による開かれた司法』とは「裁判所による判断の根拠と過程が誰にでも分かるようになっていて、誤りがあれば、誰でも批判できる状態をいう。松川事件をはじめとする『大衆的裁判闘争』の広範な市民による裁判批判・裁判所批判こそ、それであった。それは、裁判所が体質的に最も嫌悪・恐怖する状態であり、裁判所が本来的に理解・認容できない世界である。その裁判所主導による『開かれた司法論』そのものが欺瞞であ」る、という。
(2) だが私には、渡辺さんのこの意見(大衆的裁判闘争と裁判(所)批判については(3)で後述)よりも、以下紹介する今村核さんの意見の方がストンと胸に落ちる(事務所ニュース The News JUNPOH。〇八・夏季号〈VOL四五〉)。
今村さんは、裁判官が裁判内容や処理件数で最高裁事務総局に人事評価され、審理に時間がかかり権力を批判する無罪判決は評価点数が下がると指摘したうえで、刑事裁判官は「自分が裁かれる側に立つかもしれないと想像出来ません。事件を多く扱いすぎて、人の一生がかかっていることに麻痺して鈍感となります。これに対し、素人はその判断により誰からも『査定』されません。『自分が被告人席に立たされるかもしれない』と想像出来ます。そして、たったひとつの事件に対し使命感を持つことでしょう。『疑わしきは被告人の利益に』の原則に忠実なのは、素人だと思います。」今村さんは続いて、裁判員制度の「制度設計上たくさんの欠陥」をきびしく批判し「こうした欠陥はおもに、裁判官、検察官がその権力を保持しつづけようとした結果」だと看破する。そのうえで、今村さんは「制度の改善を求めつづけながら、それでも裁判員制度の実施により、刑事裁判に対する市民的な関心が大きく高まり、冤罪、誤判を防止するための諸方策が、実施されていくことを期待します。」と結んでいる。
私が今村さんの意見に共感するのは、裁判と裁判官の現状にてらすと、裁判員に期待される役割と可能性のリアルで具体的な指摘に得心できること、陪審、参審などが諸外国で採用されてきた歴史の蓄積とも符合すること、による。
(3) 大衆的裁判闘争と裁判(所)批判が重要であることは、私も渡辺さんと同意見だ。
問題は、「市民参加による開かれた司法」のあり方が、大衆的裁判闘争と裁判(所)批判の独壇場か、それとも裁判員制度もそのあり方のひとつとして並立・並存しうるものか、の点であろう。私は、上述した今村意見に共感する視点からみて、並立・並存しうる、とみる。
「司法改革」を「構造改革」の「最後のかなめ」とする勢力からみると、裁判員制度についてもまた、本音は「体質的に最も嫌悪・恐怖」し「本来的に理解、認容できない世界」なのではないか。だからこそ、裁判員を守秘義務でしばり、公判前整理手続で情報格差を広げ、三:六などで裁判員の意見を極力おさえこもう、などとするのではないか。
(4) もうひとつ。今村さんのいう「裁判員制度の実施により、刑事裁判に対する市民的な関心が大きく高ま」る可能性があることを、とりわけ重視する必要がある。
参院での与野党逆転をひとつの契機として、各地、各分野、各課題で新たな政治を求める新たなプロセスが、草の根の力に依拠して、いわば同時進行で攻勢的に展開されている。憲法をめぐる世論も、読売世論調査でさえ賛否逆転した。これらのことは、主権者国民の世論と行動が、この国の立法と行政を現実に動かす底力を具えていることを現在進行形で示している。
裁判員制度をふくむ「司法改革」が「構造改革」の一環で「最後のかなめ」である以上、司法もまた、紆余曲折はあろうとも基本的には、上述したプロセスの埒外ではありえないのではないか。
二 裁判員制度と「構造改革」
(1) 米倉さんは、裁判員制度をふくむ「司法改革闘争」について、「構造改革を実現しようとする勢力と、われわれ民主的勢力がせめぎ合い、敵の意図が貫徹されたのである。『賛成した者の責任』とは、だまされた者の責任のことと承知すべきである。そうだとすれば、力及ばず不本意な結果になった以上、民主的法律家は『だまされたこと』について正しく責任をとる必要がある。」といい、「責任のとり方」として「この不本意な『司法制度改革』が持つ重大な危険性、本質的な反国民性を社会に訴え、裁判員制を抜本的に見直し、そうできないなら実施を延期すること」という。
(2) 私は「民主的勢力」「民主的法律家」のひとりとして、「だまされた」とも「敵の意図が貫徹された」ともみていない。
だからまた「『だまされたこと』について正しく責任をとる必要がある。」ともみていない。
「構造改革」とその一環としての「司法改革」をめぐる「せめぎ合い」は、「敵の意図が貫徹された」どころか、現にひき続いているし、今、新たに重要な局面を迎えている。
「構造改革」についてみると、労働者、後期高齢者、年金、生活保護、医療、消費税、食の安全と自給、地球環境等々、各地、各分野、各課題で国民の不満、不信と批判が高まり、「構造改革」のほころびが広がり、破綻への様相を深めている。
憲法と教育の改悪に反対する声と行動がつよまり、「二大政党制」の企ては政権がかわろうともあしき政策は同じであることが国民の眼にも日々あきらかとなり、ついには資本主義の限界とその先が内外で公然と口にのぼりはじめてさえいる。
では、裁判員制度についてはどうか。
とりわけ、国民とマスメディアなどの関心と論議が、賛否を問わず、かつてなく急速に広がりつつあることが注目される。ことがらの内容からみて、これらの関心と論議は、おそかれ早かれ、刑事裁判と司法そのもののあり方を問う方向へと発展せずにはおかないだろう。
(3) 新たにこのような局面を迎えている今、「民主的勢力」と「民主的法律家」の当面する課題と役割は何か。
それは、「構造改革」とその「最後のかなめ」とされる「司法改革」を、国民本位の方向へと転換させること、司法と裁判員制度についていうと、国民の司法参加の新たな出発点として「欠陥」をとり除き前進させるなど民主化を図る課題と方針を具体的に提起し、その実現に努めること、ではないか。
三 団の方針についての私見
裁判員制度について団のとるべき方針として、これまで団の諸会議で述べてきた私見を整理、補足すると、概ね次のとおりである。
(1) 裁判員制度の導入、実施を、国民の司法参加の新たな出発点になりうるもの
として評価し、発展させる。
(2) 公判前整理手続や証拠の目的外使用禁止などなどの「欠陥」に反対して是正を求める。
(3) 裁判員制度の導入、実施の時期までに上記「欠陥」を極力是正させることをめざすが、万一その時期までに是正させることができなくても、導入、実施に反対したり延期を求める方針は採らず、ひき続き国民とともにねばりづよく是正実現をはかる。
(4) 国民の司法参加の意義と裁判員に期待される役割を、国民にわかりやすく訴える。
とくに、無罪の推定、公判中心主義、疑わしきは罰せず、の諸原則を裁判上厳守させる役割を重視、強調する。
(5) 上記の諸点について、諸団体、諸政党と一致点での共同を進める。
一 半端者も黙ってはおれない
日弁連宮武ス会長名の〇八年八月二〇日付け「裁判員制度施行時期に関する緊急声明」を批判する(以下「本声明」)。
偉そうなことを言っておいて申し訳ないが、私の裁判員制度に対する考え方は極めて浅い。言うと、推進するわけではないが、全面的に反対するのにも躊躇している。従来あり現在も残る刑事裁判の構造的問題点がそのまま存置され、場合によってはより悪くなる制度(公判前整理手続に見られるような)が導入される中、それでも官僚司法に訣別する契機に対する希望(希い望みと書いて「希望」とは、何とも皮肉な言葉だ。)を捨てきれず、市民参加を頭から否定する気にはなれないというだけである。
そんな半端者でも、あの声明だけは、放置できないのだ。
二 異なる意見を圧殺しようとする不見識
本声明は、「最近、一部から、来年五月二一日から施行される裁判員制度の施行時期を延期すべきではないかという意見が表明されています。/しかし、…」と始まり、「裁判員制度が予定通り実施されるよう強く求めます。」と続いていく。
これが、裁判員制度に反対する意見を持つ人たちは勿論、新潟県弁護士会や栃木県弁護士会の決議、民主・共産・社民各党の見解を指していることは明らかだろう。これら政党が裁判員制度実施延期を求めて程なくして、本「緊急」声明が発せられた。
その翌日には、樋渡利秋検事総長の日本記者クラブでの講演があった。報道によると、「実施した上でやりながら改善していくのがいい」「法曹三者が一致している」と発言をしたようである。この経過は、何かの偶然だろうか。
いずれにせよ、裁判員制度を〇九年五月に実施するか否かについて、賛成か反対かに二項対立的に位置づけ、異論があっても突き進むんだ≠ニいう文章は、どう読んでも異様なまでに独善的だ。
裁判員制度に反対したり、実施に慎重な意見を述べたりしている弁護士の多くは、刑事陣に熱心で、刑事裁判の現状を真剣に憂えていることは、恐らく本声明の起案者自身がよく分かっていたことであろう。まして、強制加入団体である日弁連の構成員の一部の集団である単位会が民主的な手続によって延期を求める決議をあげているのに、無視せよというのは、民主的なプロセスとは言えまい。日弁連は、緊急会長声明などという一方的な行為によってではなく、説得と討議という双方向のプロセスによって実質的な合意を形成する責務があるはずだ。
民主主義は異なる意見を持つ者に寛容でなければ存立し得ない。国民参加を求める裁判員制度実施のプロセスが、異論のある者を蹴散らすものであるとすれば、その民主的正当性を自ら傷つけることになるだろう。
三 非論理的で稚拙、視野の狭い文章
私は、日弁連の会長声明というのは、周到な調査の上に起案され、担当委員会、担当副会長、事務総局その他関係者の慎重な検討を経て発せられるものだと思っていた。事実、今までの多くの会長声明は、格調の高さを保ちつつ、様々な立場に配慮して抑制を効かせるバランス感覚を感じさせた(本声明にバランス感覚が感じられないのは前項記載の通り。)。しかし、本声明には、他の人を説得するのに必要な周到な準備を経ていたとは思われない。「緊急」というくらいだから、何か急ぐことが 起きたために、慌てて起案したのだろう。非論理的で読みにくい文章だ。何より筆致が感情的で抑制が効いていないため、読んでいてイライラしてくる。人を説得するためではなく、異なる意見を圧殺するためであるとすれば納得できる文体でもある。
1 人質司法の問題
まずは、本声明が人質司法や調書裁判が「刑事裁判の根本的な欠陥はそのまま」であることを率直に認めつつ、市民が参加すれば、「見てきいて分かる」法廷であるためには自白よりも物証や科学的証拠に傾斜するという展望を示す。ところが、その展望は制度的裏付けをもたない。伝聞例外が廃止または厳格化されているわけではなく、人質司法によって自白調書が作成され、それが緩ーい伝聞例外で法廷に出てくる制度が変わっていないのだ。本声明も、人質司法が市民参加で克服できるとは書いていないので、市民参加では調書裁判を克服できることを論証しきれていない。公判では否認している被告人が、捜査段階では自白していたという事実を示されたときの打撃をいちばんよく知っているのは弁護士だろうに、その幾多の苦渋に裏打ちされた慎重さがないのである。
本声明は冒頭で「人質司法と言われるように密室の中での違法不当な取調べが横行し、自白しないと保釈が許されない、いったん虚偽の自白をすると、撤回が許されず、捜査官が作成した膨大な調書のみが積み重ねられます。」と言っているのだが、読み進めると、取調べ可視化や人質司法の弊害は「改善すべき課題」として残っているというのだ。
本声明は「裁判員裁判を延期したのでは何よりも根本的な欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続く結果となるだけです。」と言う。まるで裁判員裁判の予定通りの実施によって「根本的な欠陥」が克服できるかのようである。ところが、「根本的な欠陥」の一つである人質司法は裁判員裁判とは別に「改善する動きを進めていくことが大切」と突き放されてしまう。ここを読んで、私はどっちだよ≠ニ思ってしまった。
2 検察審査会とパラレルに論じていいのか
市民の不安に対して、検察審査会後のアンケートで九六%の市民が参加して良かったという意見を持ったというデータを示している。
しかし、検察官の不起訴判断の妥当性を判断する検察審査会に参加して良かったというデータが、「問題のある刑事裁判をよくするため」の参加に繋げるのには飛躍がある。本声明の言う「問題のある刑事裁判」とは人質司法・調書裁判にみられる自白偏重・有罪推定の官僚裁判のことであるようなので、検察審査会で不起訴処分の妥当性を審査することと方向性において整合するのか、疑問がある。
「実施状況…」については、樋渡検事総長も同様の発言をしているようであるが、罰則付きの厳格な守秘義務のもとで、どのように検証するというのだろう。少なくとも、具体的な心証形成過程や評議について裁判員からまともに発言を得ることがあるのだろうか。私にはよく分からない。
3 都合の悪い部分には触れない
公判前整理手続は「弁護人の活動により、捜査側の手持ち証拠が広範囲に開示されることになりました。」との評価を示すだけで、第一回公判前に弁護人が争点提示と証拠開示を強いられること、証拠提出が制限されることは無視している。そのことの問題点は他所で散々言われていることなので、不誠実な声明とだけ言っておく。
四 係争中・未検証の事件を引き合いに出す不見識
1 驚いたのは、先の箇所に続く次の文。「再審開始決定された『布川事件』のような冤罪事件で問題になった捜査側の証拠隠しの防止のためには大きい改善であり、裁判の充実にも良い結果をもたらしています。」
私は、この布川事件弁護団の一員であり、日弁連布川事件委員会の一委員でもあるが、その活動を通じた個人的見解としては、異論がある(繰り返すが、本稿は個人的見解を述べたものである。もとより布川事件弁護団の活動目的は請求人らの再審無罪の獲得の一点であって、裁判員制度の推進・反対とは関係がないと考えている。布川事件の即時抗告審決定については、別途弁護団員からの報告があるが、それとも摺り合わせてはいない。本稿の文責は全面的に当職にある。)。
本声明の起案者は、布川事件のことをよく知らないか、知っていたとすれば都合の悪い部分を無視したことになる。
布川事件では、検察官が「存在しない」「不見当」と主張していた証拠について、物凄い時間と労力をかけて存在根拠を探り当て、証拠開示を奪い取ったのである。今でも、検察官は一部の重要な証拠について存在根拠を示しても「不見当」と言い張っており、裁判の充実を妨げている。そのような布川事件の教訓は、公判前整理手続で認められた程度の証拠開示で満足することではなく、検察官手持ち証拠の全面的開示、少なくとも証拠目録の原則的開示を実現するであると、私は考えている。
証拠開示だけではない。布川事件は、別件逮捕と起訴後勾留を濫用した長期間の身体拘束によって無茶苦茶な自白調書が作成され、取調べが相当進んだ段階で一部録音されたテープによって自白の任意性の有力な資料とされている。布川事件を引き合いに出すのなら、「人質司法の克服と取調べの全面可視化が証拠開示と並んで刑事裁判の健全化の大前提だ」と言わなければならないはずだ。
このように、裁判員制度を今のまま実施しても布川事件のえん罪が回避できるのかどうかは、慎重な検討を要する。
2 だいたい、布川事件はまだ再審請求手続が特別抗告審で係争中であり、仮に再審開始決定が確定したとしても再審公判が残っている。未だ司法判断が確定したわけではなく、請求人も弁護団も支援団体もまだ必死になって戦っているのである。 それを、これまた不確定要素のある裁判員制度の推進に援用するなどというのは、法律家としての慎重さに欠け、無責任で不見識であろう。
3 ついでにいうと、裁判員制度の議論では見落とされがちだが、法改正によって規制された開示証拠の目的外使用も、布川事件とは無関係ではない。
布川事件でも、大規模な「守る会」が組織されており、学習会や現地調査を重ね、請求人らの無実を根拠をもって確信している。そのようにして土台を固めた運動によって支援の輪が広がり、充実した弁護活動が可能になるのである。もとよりプライバシーへの配慮は必要だが、開示証拠規定はこうした大衆的裁判闘争や民主的な裁判批判運動を掣肘するもので、官僚司法を国民の批判にさらすことを抑圧する。
かつて日弁連が編集した『再審』『続・再審』にも各事件の「守る会」への言及があったが、このことを本声明の起案者は知っていたのか。
布川事件を引き合いに出すなら、改善すべき問題点の一つに掲げるくらいの価値はあることだと思う。
五 建設的な議論こそ必要だ
私が本稿を書かずにいられなくなったのには、三つの怒りがある。
一つは、微力ながらも重要なテーマとしている布川事件を安易にプロパガンダに利用されたことに対する怒り。もう一つは、それを引き合いに出されつつ、日弁連執行部とは異なる意見をもつ者、就中日夜刑事裁判に取り組む顔も見たことのない仲間を踏みつける非民主的な主張を展開されてしまったことに対する怒り。三つ目は、まだ信じていたかった国民参加の正当性を汚されたことへの怒り。
本声明は、随所で日弁連が「刑事弁護を担ってきた」と言う。「冤罪弁護事件を支援し」てきたと言う箇所もある。いい加減にしてくれと思った。悔しく、情けなくなった。刑事弁護活動を馬鹿にするなと言いたかった。
弁護士は裁判員のために弁護活動をするのではない。被疑者・被告人の正当な利益を擁護するのが弁護活動だ。弁護士にとって国民参加の刑事裁判はそれ自体が目的となってはいけない。まして、執行部と異なる意見を持つ者、とりわけ刑事裁判の問題を真剣に考えている層を圧殺してはならない。刑事裁判の問題点を真に克服するならば、刑事裁判の問題点を認識する者同士、国民参加が自己目的ではない、被疑者・被告人の権利擁護の視点からのプラグマティックで建設的な議論を積み上げることだろう。
裁判員制度の実施時期について私は今まで意見を持っていなかったが、本声明を読んで、少なくとも〇九年五月の実施が性急に過ぎ、民主的でもないことがよく分かったので、それからは少なくとも実施延期を求める意見に賛成することにした。
東京支部 佐々木 亮
本書の著者は笹山尚人団員である。笹山団員の活動は、団総会や五月集会などでもたびたび報告されており、ご存知の方も多いと思うが、昨今の若年層労働者の貧困問題に取り組む弁護士の第一人者である。
本書は、そんな笹山団員が自ら担当した事件を紹介しながら、法的な情報や労働組合の有用性などを、労働者の代理人である著者の視点からリアルに描いたもので、一般読者を対象としたものである。
題名が「人が壊れてゆく職場」なので、労働者の苦悩や怒り、恨みが渦巻いて、最終的に頭がおかしくなっちゃう人の暗い物語なのかとも思わせるが(思わない?)、そんなことはなく、貧困から抜け出すためにどうするべきかという道筋も示しており、読後感は明るい。もっとも、実際には、労働者である「彼ら」の物語は暗かったのかもしれない。笹山団員は、その暗い物語と正面から向き合う。向き合い、解決し、その社会的背景を語る。事件を語る際の記述は淡々としており、むしろ、淡々としすぎじゃないの? と思うことさえある。弁護士の立場だとけっこうキツイことも淡々と書いてあるのだ。「う〜ん、自分であればこの事件を受任できるだろうか?」というような事件もサラリと受任していたりする。その場合は、「きっと笹山さんも多少は悩んだんだけど、本だからサラッと書いてあるんだ。そうに違いない。」などと脳内補完する自分がいたりする。
他方、社会的背景を語る際の笹山団員の語り口は熱い。熱いと言っても、アジっているわけではなく、重たい怒りから来ている。現在のような格差社会を招いた政治に対する重たい怒り。実際に若者の酷い状況を直視してきた笹山団員であればこそ、彼らをこのような状況に追い込んだことへの怒りは重いのだ。本書の終盤で、笹山団員は次のように述べる。「本書の各章で紹介してきたように、企業は法の順守を大前提になどしていないし、労働者は好き好んでパートや派遣などで働く、または『自らのライフスタイルに合った働き方や自由時間を求める』というよりは、選択の余地なく、もっとはっきり言えば、仕方なくパートや派遣で働いている。つまり、『ワーク・ライフ・バランス』論などというのは、体のいいまやかしの議論にすぎない。」と。そう、こんな感じに熱い≠フだ。
私は、この本を是非、若手団員に読んでもらいたいと思っている(もちろん、若手でなくお歳を召された団員にもお勧めします)。私が読んで感じたように、若手の弁護士がこれを読めば、このような時代に、弁護士として社会の中にいることについて何かを考えるはずだからである。また、労働事件に触れていない人でも、そもそも一般向けの書籍であるので、難しいところは全くない。その反面、労働契約法などにも言及しており、最新の情報も取得できる。是非、ご一読願いたい。
将来問題委員会事務局長 平 井 哲 史
自由法曹団では、例年、団員が所属する法律事務所に入所が決まった修習生を対象に、入所前に自由法曹団員の活動内容をお知らせし、弁護団活動を紹介する企画として、「自由法曹団と修習生との懇談会」を行っています。七月下旬におこなった旧六一期修習生との懇談会では、これまでにない「二回試験対策」も盛り込んで好評を得ました。
新六一期についても左記の要領で実施いたしますので、新六一期の方が入所予定の事務所は、(1)支部、(2)事務所、(3)入所予定者名を、団本部までお知らせください。別途修習生向けの案内チラシを送付させていただきます。
記
日 時 二〇〇八年一一月七日(金) 午後七時から
場 所 自由法曹団本部会議室
内 容 (1) 自由法曹団紹介
(2) 弁護団活動紹介
(3) 二回試験に向けて
※なお、懇談会終了後、懇親会を予定しております。
労働問題委員会
「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」(座長:鎌田耕一東洋大学教授)は、平成二〇年七月二八日、「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会報告書」を取りまとめ、公表しました。上記報告を踏まえて、労働政策審議会職業安定分科会労働力需給制度部会は、七月三〇日から労働者派遣法見直しの審議を開始しています。厚生労働省は、労働力需給制度部会に九月中に意見をまとめるように要請し、今秋の臨時国会に労働者派遣法改正案を提出する予定と伝えられています。報告は、労働者派遣法の規制緩和から規制強化へと舵を切り替えた点は評価できますが、労働者派遣法を派遣労働者保護法へ抜本改正するためには不十分な点を多数含んでいます。
いま、労働者派遣法抜本改正の運動を強めるときです。自由法曹団では、左記の要領で、労働者派遣法抜本改正を要請する国会議員要請行動を計画しました。全国から多数の団員に参加していただくことをよびかけるものです。
労働者派遣法抜本改正を要請する と き:一〇月八日(水)午後一時〜五時 ところ:衆議院第一議員会館第一会議室 (午後〇時三〇分から入口階段のところで入場券を用意しています。) 内 容 (1)午後一時〜二時三〇分 労働者派遣法抜本改正を要求する院内集会 (1) 全労連、東京地評からの連帯あいさつ (2) 各政党からのあいさつ (2)午後二時三〇分〜三時三〇分 国会議員要請 (3)午後三時三〇分〜四時三〇分 総括集会 (午後一時には時間厳守でお集まり下さい。なお、上記のスケジュールは、状況に応じて多少ずれることがありますので、その旨ご了承下さい。) |