過去のページ―自由法曹団通信:1289号        

<<目次へ 団通信1289号(11月1日)



加藤 健次 二〇〇八年福島・穴原温泉総会
開かれる
鷲見 賢一郎 時代の転換点に立って
北神 英典 自由法曹団総会に参加して
茂呂 信吾 団総会に参加して
小笠原 忠彦 団総会後の一泊旅行に参加して
増田  尚 松川事件
現地を訪ねて
菅野 昭夫 デトロイトでの小さな経験
小山  哲 関ヶ原人権裁判
〜経過報告と弁護団募集のお知らせ
千葉 恵子 女性部総会の報告



二〇〇八年福島・穴原温泉総会 開かれる

事務局長  加 藤 健 次

1 一〇月一九、二〇の両日、福島市の穴原温泉で自由法曹団の〇八年総会が開催された。四二一名(うち弁護士三二〇名)が参加した。

 総会は、渡辺正之(福島支部)、鷲見賢一郎(東京支部)の各団員が議長団となって進められた。松井団長の開会挨拶、地元福島支部の広田次男団員からの歓迎挨拶に続き、全労連・小田川義和事務局長、日本国民救援会・瑞慶覧淳事務局長から来賓のご挨拶をいただいた。また、福島県弁護士会・荒木貢会長、日本共産党・仁比聡平参議院議員のお二人からのメッセージが紹介された。

2 引き続き古稀団員の表彰が行われた。今年の古稀団員は一〇名で、うち五名が参加された。表彰の後、河村武信団員(大阪支部)、白川博清団員(東京支部)、福山孔市良団員(大阪支部)、前田貞夫団員(兵庫県支部)、菅原瞳団員(岩手県支部)からご挨拶をいただいた。短時間ではあったが、いずれも感銘に残るお話であった。

3 全体会討論の冒頭、田中幹事長から、本総会にあたっての議案の提案と問題提起がなされた。改憲と構造改革に対するたたかいが、四・一七名古屋高裁判決やイラクからの撤兵表明、労働問題や貧困問題での情勢の変化を生み出していることが強調された。そして、われわれのたたかいが、グローバリゼーションからの脱却とブッシュ・ドクトリンを否定した紛争の平和的解決の道という世界の大道とともにあることが指摘された。

 改憲と平和の問題では、九条の会の広がりや9条世界会議の成功などの到達点を確認するとともに、自民・公明・民主三党による新「テロ」特措法延長法案成立策動が、今後の海外派兵恒久法や明文改憲の動きにも影響を与えるものであこと、平和と改憲をめぐるたたかいが「つばぜりあい」の局面に入っており、たたかいをさらに前進させることが呼びかけられた。構造改革と格差社会の問題では、「ワーキング・プア」をめぐるたたかいが「潮目が変わった」と言われる変化を生み出していることを指摘しつつ、新自由主義路線との本格的なたたかいが世界的規模で求められているという提起がなされた。治安と司法の分野では、言論表現の自由を守る運動を前進させる意義が強調された。裁判員制度については、団内に見解の違いがあることを踏まえながら、制度改善要求を押し出し、実践的にたたかうことが提起された。団の組織・財政に関して、弁護士登録二年目までの団員の団費軽減措置が提案された。

4 一日目の全体会終了後、三つの分散会に分かれて議案に対する討論が行われた。この間の実践の報告を含めて、活発な議論がなされた。

 二日目の全体会では、以下の発言がなされた。

 ○川口創団員(愛知県支部)・・・イラク派兵違憲判決と海外派兵恒久法

 ○長澤彰団員(東京支部)・・・海外派兵・改憲をめぐる情勢と今後のたたかい

 ○千葉恵子団員(東京支部)、宮腰直子団員(千葉支部)・・・団女性部の活動と憲法リーフの活用について

 ○今村幸次郎団員(東京支部)・・・労働者派遣法の抜本改正を求める取り組み等

 ○林治団員(東京支部)・・・貧困問題に連帯して取り組むことも重要性

 ○山口健一団員(大阪支部)・・・裁判員制度と法テラスへに積極的取り組みを

 ○杉本朗団員(神奈川支部)・・・裁判員制度に関する緊急提言に至るまでの神奈川支部で討議の経過について

 ○大久保健一団員(埼玉支部)・・・原爆症集団訴訟の到達点と核廃絶の運動への参加を

 ○中山篤志団員(福岡支部)・・・B型肝炎全国訴訟の報告と団員へのお願い

 ○近藤忠孝団員(京都支部)・・・議案書第七章(公害環境問題)に対する重大な「訂正と補充」の提案

 ○広田次男団員(福島支部)・・・福島県におけるゴミ問題(産廃処分場)のたたかい

  なお、時間の関係で、以下の団員からの発言要旨についてはテーマが紹介された。 

 ○毛利正道団員(長野県支部)・・・海外派兵・ルールなき競争社会から平和の共同体・ルールある共同社会へ

 ○佐藤誠一団員(東京支部)・・・国公法弾圧世田谷事件不当判決の報告

 ○村田智子団員(東京支部)・・・被害者の刑事訴訟参加について各地での冷静な話し合いの必要性を訴える

5 その後、議案、予算・決算が採決、承認された。続いて、以下の決議が採択された。

 ○アメリカの違法な戦争への加担を止め、海外派兵恒久法の制定を許さない決議

 ○自民・公明・民主三党の新「テロ」特措法延長策動に抗議し、廃案を求める決議

 ○労働者派遣法を派遣労働者保護法へ抜本改正することを求める決議

 ○保険業法の自主共済への適用除外を求める決議

 ○UR住宅除却方針の撤回を求める決議

 ○葛飾マンションビラ配布事件について最高裁での弁論の実施と無罪判決を求める決議

 ○南相馬市大甕処分場の原告住民の全面勝利を求める決議

6 引き続き、選挙管理委員会から、団長は無投票で、幹事は信任投票で選出された旨の報告がなされた。総会を一時中断して拡大幹事会を開催し、規約に基づき、新入団員  名の入団の承認、常任幹事、幹事長、事務局長、事務局次長の選任を行った。

 退任した役員は次のとおりであり、退任の挨拶があった。

幹事長 田中 隆 (東京支部)
事務局次長 杉尾健太郎(東京支部)
馬屋原 潔(千葉支部)
町田伸一 (東京支部)

新役員は次のとおりであり、新任の鷲見幹事長から挨拶がなされた。

団長 松井繁明 (東京支部  再任)
幹事長 鷲見賢一郎(東京支部  新任)
事務局長 加藤健次 (東京支部  再任)
事務局次長 大山勇一 (東京支部  再任)
神原 元 (神奈川支部 再任)
半田みどり(大阪支部  再任)
三澤麻衣子(東京支部  再任)
伊須慎一郎(埼玉支部  新任)
菅野園子 (東京支部  新任)
西田 穣 (東京支部  新任)
福山和人 (京都支部  新任)

7 閉会にあたって、二〇〇九年五月集会(五月二四〜二五日、二三日にプレ企画を予定)への歓迎の挨拶が長野県支部の松村文夫団員からなされ、最後に、福島支部の渡辺純団員からの閉会挨拶をもって総会を閉じた。

8 総会前日の一〇月一八日にプレ企画「松川事件と大衆的裁判闘争」が行われた。団内外から一三六名が参加した。最初にビデオ「今に生きる松川運動」を上映したのち、元被告人の阿部市次氏からお話を伺った。その後、大塚一男団員、山田善二郎前日本国民救援会会長、小田中聰樹東北大学名誉教授の三人の報告を受けて、活発な討議が行われた。若手の団員の参加も多く、世代を超えて、団の活動の「根っこ」を確認・共有することができた企画であった。

 本総会では、一九日の懇親会終了後、元被告人の鈴木信氏を招いて、特別企画「松川事件の当事者を囲んで」が開催され多数が参加した。また、総会終了後の一泊旅行、半日旅行では、福島大学の松川資料室を訪ね、責任者の伊部正之先生のお話を伺い、その後、事故現場と松川記念塔を訪れた。

9 多くの団員の皆様のご参加によって無事総会を終えることができました。総会の議論を力に各地で実践に取り組みましょう。

 最後になりましたが、総会成功のためにご尽力いただいた福島支部の団員、事務局の皆さん、松川事件記念会など関係者の方々に、この場を借りて改めてお礼申しあげます。どうもありがとうございました。



時代の転換点に立って

新幹事長  鷲 見 賢 一 郎

 一〇月十九〜二十日の二〇〇八年福島総会で幹事長に選出され、身の引き締まるおもいです。とりわけ、総会プレ企画「松川事件と大衆的裁判闘争」で、生死をかけた松川のたたかいにふれ、そのおもいを新たにしています。

 客観的にみて現在が「時代の転換点」なのか否かは議論のあるところと思いますが、この原稿は、私の「そうあってほしい」という希望を含めて、タイトルを「時代の転換点に立って」としました。

 全労働者の三十五・五%=一八九三万人にもなる非正規労働者、年収二〇〇万円以下の労働者が二年連続一〇〇〇万人超、違法と無権利の偽装請負と日雇派遣、労働者派遣法抜本改正の世論と運動のひろがり、ひろがる反貧困の運動、「蟹工船」の労働者の姿への共感のひろがり等々。これらは、私たちに新たな時代の到来を予感させるのではないでしょうか。

 全国七〇〇〇を超える「九条の会」、改憲のオピニオン・リーダー読売新聞の〇八年の世論調査で改憲反対が十六年ぶりに上回る、四月十七日の名古屋高裁イラク派兵違憲判決、九月十一日の政府の航空自衛隊イラク撤退表明等々を見るとき、現在は、憲法を生かすより攻勢的な取組ができる時代の可能性をはらんでいると言えるのではないでしょうか。

 〇九年五月から、刑事裁判について、裁判員法が施行されようとしています。〇九年五月にむけて、裁判員制度の改善を要求する取組を強化し、かつ、刑事裁判の現場でたたかう理論と体制を強化することが求められています。日本の刑事裁判の将来を左右する取組です。

 このような時期に幹事長の仕事をさせていただけるわけですから、ある意味では幸せなことかも知れません。何かと不安もありますが、初心を忘れず頑張ろうと思いますので、よろしくお願いします。



自由法曹団総会に参加して

神奈川支部 北 神 英 典

▽団の「情熱」に圧倒された

 生真面目な意見と団員たちの情熱に、圧倒された二日間だった。初日、会場付近には早めに入ったものの、物見遊山気分も手伝って、のんびり軍鶏料理を食べていたら定刻に一〇分ほど遅れてしまった。

 既に総会の全体会は始まっていて、四〇〇はあると思われる座席の相当数が埋まっていた。総会に臨む団員たちの気合と意識の高さに驚き、少し恥ずかしい思いをした。

 全体会でも、分散会でも、ベテランの団員だけでなく、登録してわずか1年ほどの若い団員も、堂々と、自分の仕事や意見、目標を語っていたことがとても印象的であった。

▽司法記者として

 大学を出てから二〇年以上、共同通信で記者をした。一九九〇年代半ばには、通算で五年ほど、東京で司法記者を経験した。毎日、日替わりで数多くの事件や裁判があった。それらを取材する中で、自由法曹団に所属する弁護士が活躍する姿を目にした。

 血液製剤でエイズウイルスに感染した血友病患者らが損害賠償を求めた「東京HIV訴訟」、女子中学生が殺害され、少年審判と民事裁判の判断が割れた「草加事件」、わいろを支出したゼネコンの元トップに損害賠償を命じた株主代表訴訟の判決。そして、事前取材を重ねた結果、最高裁大法廷での違憲判決を確信して「予測」記事を出稿し、思い出深い体験となった「愛媛玉ぐし料訴訟」・・・。 こうした社会的に意義のある訴訟活動の多くに、自由法曹団の弁護士がかかわっていた。

 そのころは、将来、自分が自由法曹団に入団することになるとは、想像さえしていなかった。

▽会社の制約ない立場に

 記者はとても働きがいのある仕事であった。しかし会社の一員である以上、人事異動・配置換えは絶えずついて回る。定年もある。会社の目的に沿う限り、会社の枠の中で守られるというメリットはあるが、その半面、自分が良かれと思っても、会社の方針に反するような活動はしにくいという制約もある。

 「弁護士になりたい」という強い気持ちがあったわけではないが、法曹資格を取れば、人生の選択肢が広がると考え、現場記者を卒業してデスクになる直前の二〇〇二年四月、本格的に受験勉強を始めた。仕事と勉強の二足のわらじを履く生活になった。

 司法試験は合格者一五〇〇人時代を迎えようとしていた。「年間一五〇〇人も受かるのなら、自分だって」と甘く考えていたが、それほど現実は甘いものではなく、二〇〇四年、二〇〇五年の一五〇〇人時代には合格することができなかった。合格者が五六〇人余に減った二〇〇六年の旧試験に合格できた。

 合格したら直ちに会社を辞めようと思っていたわけではなかった。けれども、結局、不安定であっても、会社の制約を受けない自由な仕事をしてみたいという気持ちが強くなって、会社を辞めた。

▽社会の矛盾・不条理の是正を

 今回の自由法曹団総会は、私にとって、弁護士の情熱が社会を動かしてきたという戦後日本の歴史と、現在もなお、社会が数多くの矛盾や不条理を抱えている事実を確認する場になった。

 イラク・アフガン、自衛隊海外派遣、労働者派遣法改正、裁判員制度、貧困格差、ビラ配布の摘発、原爆症、B型肝炎、UR住宅の明け渡し問題・・・。問題の解決には、気が遠くなるほどの時間とエネルギーが必要になるかもしれない。

 しかし、問題解決を訴えて、日々、地道に取り組んでいるこれだけの数の団員が全国にいる限り、希望がある。

 自分も、団の先輩方とともに、少しでも、社会の矛盾を改め、少数者・弱者の権利を回復させていくために活動していこう−。総会を終え、事務所に戻った後も、決意を新たにしている。



団総会に参加して

北陸支部(福井県) 茂 呂 信 吾

1 自由法曹団への道のり

 (1)私は田舎から、京都の大学に入学した。一回生の時、憲法学の講義で松川事件のことを教わった。先生は広津和雄の書籍を紹介して、是非読んでおくようにと話されていた(ただし、買ったけれど、読んでいない)。今にして思えば、やや異色の講義をされていたその先生は、その年の講義を最後に教授を辞され、京都府知事に立候補された川口是先生であった。

 法経四番教室で上映された「松川事件」の映画も見た。宇野重吉と宇津井健が弁護士役で出演していた。気持ちが揺れる赤間被告に対し、おばあさんが、「自由法曹団の先生が・・・」と言う台詞があった。そういえば、その台詞で初めて「団」の存在を知ったような気がする。

 「松川事件」を振り返るプレ企画に出席しながら、大学一年生の時の記憶がよみがえった。

 (2)どことなく怖い物に、怖いが故に惹かれるようにして、学生生活を送った。そのなかで、社会の矛盾を知った。そして、社会的に弱い人や理不尽な仕打ちを受けている人のために、弁護士になろうと決意した。志を抱きつつも、悪戦苦闘して、ようやく弁護士としてのスタートラインにたてた。

 この二ヶ月あまりの間に、二回試験の発表があり、弁護士登録通知があり、バッチを授与されるなど、様々な機会があった。しかし、団総会の演壇に掲げられている赤地に白く染め抜かれた旗を見た時、一番感慨が深かった。「ここに来られた。」

 (3)弁護士には様々な組織、ネットワークがある。でも、旗を持っている団体は少ないのではないだろうか。弁護士団体の老舗としての重みを感じる。弁護士を志した信念が揺らいでいないかを、これから団総会に出席し、旗を見る度に確認していこうと思う。

2 団総会での討論

 (1)総会の中で議論されていることは、理解できないことが多かった。

 同期から、「カイドウって何?」と聞かれた。うっすらと知っている部落解放同盟や八鹿高校事件のことを、曖昧ながら説明した。何せ老舗の団体である。一期の大先生と六一期の「名ばかり弁護士」が一堂に会する総会である。団所属の弁護士の世代間ギャップを埋める努力をしないと、会話が成り立たない。

 (2)裁判員制度に対する議論は白熱していた。研修所では裁判員制度導入を前提に講義が進められた。同期の中には明確に反対の人もいる。しかし、多くは決まったことと受け止めて、その中で、どう戦っていくかに関心を持っている人の方が多いように感じている。研修所教育に流されすぎか?

3 決意

 (1)旅館の立派さと、食事の贅沢さには驚いた。「少しブルジョワだな」と同期と話した。でも、これからはワーキング・プア弁護士もたくさん生まれてくる。宿も食事もじわじわ下がってくるかも知れない。しかし、それはそれで構わないのではないか。団の先生といえども、今まで、ちょっと依頼人を上から見ていた面がないではない。生活レベルの点でも、「民衆とともに生きる弁護士」になる時が来ている。

 来年の総会でも、やはり違和感を持ち続けていられるのか、団の旗を見て確認していきたい。

 (2)私は、弁護士活動の地として地方を選んだ。「都市と地方の格差」が指摘される時代だ。地方こそ、矛盾が激しく、それ故、団の弁護士として期待されることもきっと多いはずだ。

 眠っている問題、眠らされている問題にも積極的に取り組んでいきたい。「憲法のそよ風」くらいはふかすことができるかもしれない。

 受験勉強を通じて知り合った、懐かしい多くの先輩・後輩と再会できた総会であった。恥じることのない仕事をしていきたい。



団総会後の一泊旅行に参加して

山梨県支部 小 笠 原 忠 彦

 自由法曹団の総会や五月集会には比較的マメに出ているのだが、総会や五月集会の後の一泊旅行に参加したのは、約一〇年ぶり位である。忙しさにかまけて、なかなか一泊旅行に参加できなかった。

 今年は、事務所に待望の新人が入所してくれたので、新人をつれての一泊旅行に迷わず参加した。思い起こせば二〇年前の入団の際、宮崎の五月集会に寺島勝洋先生に連れてきてもらい、感激した思い出があったからである。一〇年ぶりの一泊旅行で戸惑ったのは、参加者が一〇名ほどで、人数の少ないことであった。最近の一泊旅行はこんなに人数が少ないのかと動揺したが、どうも今回のみらしい。いつもは二〇人から三〇人はいるとのことである。しかし、結果としては、私にとっても連れて行った新人の關野文士君にとっても大正解であった。少人数だけに、親しく懇親を深めることができたからである。とにかく、新人の關野君は二五歳であり、他の参加の先生方は、松井繁明団長、田中隆前幹事長、近藤忠孝先生、角銅立身先生、守川幸男先生、大久保賢一先生、庄司捷彦先生、中村博則先生といった大物、大御所、ベテラン、辣腕の先生方ばかりで、關野君は先生方に大いにかわいがっていただいた。私自身も、我が国の裁判史上に燦然と名前の残る団の大先生方と親しく酒を酌み交わして話をさせてもらい、大感激。引っ込み思案の私にとって、これまでの団総会では、どうしても同期の先生方と話をすることが多く、先輩の先生方との話は滅多にない素晴らしい機会だった。近藤忠孝先生とは一度、お話したいと思っていたところ、ご一緒できて、イタイイタイ病の裁判や仮執行の話、コンビニ問題の話を聞くことができたことは最高に良かった。角銅先生は、お名前は修習生の頃から知っており、尊敬していたが、お会いしたのは初めて。私は角銅先生を見習って、弁論要旨を必ず書き、判決や弁論要旨を被告人に渡すように努力していた。予期せずに旅行に同行でき、大感激した。以前イラク訴訟の関係で大久保賢一先生には、話をうかがう機会があったが、親しくお話を伺うことができ、これまた大感激した。庄司先生は、以前、事務所旅行で石巻に行ったとき、海の幸(新鮮な牡蠣)を腹いっぱい御馳走になっていながらご無沙汰していたところ、久し振りに再会できて良かった。庄司先生の布施辰治弁護士の顕彰の活動には本当に敬意を表していて、自分もその活動にぜひ参加したいと思っている。しかし実際は何もできないので、忸怩たるものがあった。庄司先生にお会いできたのは本当に良かった。

 旅行の内容については、松川の資料館と大学でのお話は、ややせわしなかったので今一つ物足りなかった。もっとじっくり、資料を見たりお話を伺いたかった。しかし、松川事件の現場は印象に残った。恥ずかしながら、松川事件の現場に行ったのは初めての体験であった。もちろん被告の方に直接話を聞いたのも初めてで、一泊旅行に行かなければ、永久に現場を見ることはなかったかもしれない。その意味ではとても良かった。勢いで「松川の塔」というお酒を買ってきてしまった。東山温泉の築一〇〇年を超えるというクラシックな旅館「旅籠・芦名」にまり、上記のとおり、楽しく酒を酌み交わした。会津弁での語りべのおばさんによる民話の語りがとても良かった。そこで、語りに触発され、庄司先生と守川先生が自作の詩を朗読して競い合った。お二人の詩の朗読は内容と美しさにおいて圧巻であった。守川先生持参の詩集を買わせていただいたこともむべなるかな。翌日は奇岩怪岩が塔のように並立する「塔のへつり」、昔の宿場を保存した大内宿、会津鶴ケ城を回って観光した。こちらの方は、それなりという感じだったが、富士国際旅行社の美人添乗員さんとやたらに数字に強いバスガイドさんが印象的であった。よい天気に恵まれ、紅葉はやや早い感じだったが、私にとって一生忘れられない1泊旅行になったことは請け合いである。感激のあまり、今後は毎年参加しようと決意し、宣言したが、実際は、仕事のかねあいであまり自信がない。今回は少人数で良かったが、あんまり多い人数だと押しの弱い自分は孤独な旅行になってしまうかも。



松川事件 現地を訪ねて

大阪支部 増 田  尚

 出不精の私にしては珍しく、総会後のオプショナルツアーを申し込んだ。あの「松川事件」の現地を訪問するというので、一人では行けそうもない地であり、これを逃せば二度と行くこともあるまいと思ったからである。

 言うまでもなく、松川事件とは、三鷹事件とともに、国鉄労働者の組合員らが犯人に仕立て上げられ、労働運動の弾圧に利用された。一審では、二〇名の被告人全員が有罪とされ、うち五名には死刑判決が言い渡された。控訴審では、三名が無罪となった(検察側は上告を断念)ものの、なお四名については死刑判決が維持された。最高裁になって、原判決を破棄して仙台高裁に審理を差し戻し、差戻後の控訴審で一七名全員が無罪、検察側が上告するも、起訴から一四年あまりで、最高裁は、上告を棄却し、全員の無罪が確定した。最高裁での逆転を勝ち取ったのが、「松川運動」と称される被告人(当事者)・弁護団・支援者の「無実の者は無罪に」というねばり強い訴えであり、広津和郎の「中央公論」での連載を含め、世論を大きく盛り上げ、最高裁を包囲していったことが知られている。

 今日でも、スローガン的に「松川に学べ」と言われることがあるが、私たちがどれほど、この「松川運動」の実相を知っているのか、やはりこの目で確かめてみなければと思い、参加した次第である。

 私たちは、まず福島大学経済学部の松川事件資料室に案内された。伊部正之・同大学元教授が資料の保存・公開の作業を黙々と進めておられるが、その量にまず圧倒される。何よりも、被告人からの一五万通を超すという手紙は、えん罪を晴らしたいという当事者の思いがひしひしと伝わってきた。元被告人の阿部さんから、レールをはがすとされた道具がなぜか警察署から発見されたといった話などをうかがい、被告人らが犯人に仕立て上げられたおそろしさを感じた。

 また、伊部・元教授からは、資料の提供を受けた方々への約束として、この資料室を開かれたものにしたいという意欲が語られた。また、当時の被告人のご家族の方への「片道切符」オルグ(行きの交通費は支給するが、帰りについては要請先でカンパを集めてくる方式)などのユニークで多彩な活動や、今日では反動的と目されている文化人らも支援を表明したり、国外からも続々と援助がなされるなど、広範な世論の支持があったことが紹介された。

 その後、松川事件の現場にと向かった。脱線転覆した現場には、慰霊碑が建てられているものの、碑文には被告人らが犯人であることを前提とした記載がされ、えん罪の汚名を雪ぐことは認められなかった。そのため、少し離れた地に、無罪確定一周年を記念して、「松川の塔」が建設された。松川事件が地元に与えた微妙な影響をかみしめつつ、「人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民裁判の記念塔である」との広津和郎の碑文を前に、六〇年近い歳月を振り返った。考えてみれば、資料室でお話しいただいた阿部さんも、総会にお越しいただいた鈴木さんも、死刑判決を言い渡さながら、自由の身を獲得したすさまじい経歴の持ち主であり、その方から事件のことを聞くのはまことに得難い経験であった。私たちは、圧政を前にしても、「力を結集」することで、これを跳ね返すことができるという松川事件の経験を今日に引き継いでいかなければならない−日の暮れ始めた福島を後に、その思いをいっそう強くした。



デトロイトでの小さな経験

北陸支部  菅 野 昭 夫

 一〇月中旬に、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(NLG、アメリカの進歩的弁護士団体)の総会に出席するため、デトロイト市を訪れた。そのときに学んだことは別稿にする予定であるが、今回はこの地での小さな体験を紹介する。

 来るたびに、アメリカの入国管理が厳重になっていることを認識させられる。一九九一年から訪米を続けているが、二〇〇一年の九・一一事件前は、入国目的を問われても「サイト・シーイング」(観光)といえば、簡単に入国できた。しかし、九・一一事件後は、次第に根掘り葉掘りの質問に答えねばならず、やがて顔写真と親指、人差し指の指紋をとられるようになり、今では指紋は両手の5本指全部になった。入国審査のボックスでは、二人の武装警官が、パスポートの内容と顔写真や指紋採取で得られた情報を、コンピューターの警戒人物情報と照合し、少しでも不審人物と見れば、雨あられの質問を浴びせかけ、納得しなければ別室に連れて行き尋問する。毎回自分の番になると緊張させられる瞬間である。

 往路は、妻と大阪支部井上洋子団員との三人旅であった。私と妻がボックスに呼ばれ、まず私が無事審査を終了した。だが、妻の番になると、妻の指紋をコンピューターに写して二人の警官が首をひねっている。二人の会話に聞き耳をたてると、以前採取した指紋と今回の指紋が合わないと話し合っているのである。指紋が合わなければ、妻は別人ということになる。やがて、私たちは別室に連れて行かれた。それを見ていた井上団員は、かねがねNLGと頻繁に接触している私が連行されたと思ったとのことである。別室で、妻は指にローションを塗らされ、また別の場所に連れて行かれ、再度指紋を採取され、照合の結果「釈放」された。家事で指が荒れていて、最初の指紋採取では指紋が不明瞭になったことが原因のようである。しかし、妻は、偽造パスポートで入国したとの嫌疑を受けたことになる。

 デトロイト滞在中午前の会議が終わり、午後、私たちは、デトロイト川の対岸のカナダに行ってみることにした。三ドル余りを支払ってバスに乗り、一五分でカナダのウインザーという町に着いた。カナダの入国審査は滞在目的、滞在予定を聞かれるだけの簡単なものであった。三時間ほどぶらぶらして帰りのバスに乗った。乗客に陽気な一人の黒人がいて運転手と顔なじみのようで、二人で大声で話を交わしていた。対岸のデトロイトで乗客全員がアメリカへの入国審査を受けねばならない。私たちの前に、白人の乗客がまず入国審査を受けたが、ごく簡単に終了した。しかし、陽気な黒人は、三人の警官から次々と質問を受け、数分経つと、かばんの中の物を全てテーブルに並べさせられ、次にポケットの中の物全ても同様にさせられた。最後に彼は別室に連行され、バスは彼を置いて出発した。法執行機関による人種差別的取り扱いを、歴然と感じさせるシーンであった。

 アメリカは、対テロ戦争を口実に九・一一事件後警察国家体制を確立している。二〇〇八年一〇月号の雑誌「HARPER'S」によると、「テロリスト警戒リスト」には、毎月二万人もが追加されているという。南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領は長くこのリストにテロリストとして記載され、二〇〇八年七月一日にようやくリストから除外された。このようなリストに基づいて入国審査を受けるのだからたまったものではない。戦争政策は国民の自由とは相容れない事例を、私は、今回の旅行で垣間見た思いがする。

(二〇〇八・一〇・二五記)



関ヶ原人権裁判

〜経過報告と弁護団募集のお知らせ

岐阜支部 小 山  哲

 関ヶ原人権裁判事務局長の小山(六〇期)です。昨年一一月三〇日に提訴しました関ヶ原人権裁判の途中経過についてご報告させて頂きます。

1 関ヶ原人権裁判とは?

 岐阜県不破郡関ヶ原町内にある小学校の統廃合問題について、住民の反対運動が起き、二〇〇五年九月、反対派住民は、町の人口約八九〇〇人の過半数にあたる五二〇八筆の署名を集め、町長及び教育委員会に対して提出しました。

 しかし、町長は署名に対し、(1)反対派は虚偽の情報を流して署名を集めていた、(2)家族の分を一人で書くなど、同一筆跡による複数名の署名がある、(3)集めに来た人がなかなか帰らないので署名した、義理で署名したなどの声が上がっている、(4)統合に賛成している人もいる等の理由から、署名は真意に基づくものであるか疑義があるとし、二〇〇六年六月、町の職員に指示して、課長クラス一名を含む二〜三名の職員を一チームとして、署名簿に記載された住所氏名をもとに、署名者の家四二四軒を訪問し、「いつ頃署名したか」「誰に頼まれて署名したか」「いまでも気持ちは変わらないか」「統合問題に関する説明会には出席したか」などの質問を行うという戸別訪問に及びました。

 かかる戸別訪問により、関ケ原町では署名に対する強度の萎縮効果が生じ、提出先を問わず、署名が困難となる状況に陥っています。今回の戸別訪問が、署名した者、署名活動を行った者の請願権、政治的表現の自由、プライバシー権を侵害するとして、町民八8名が関ケ原町に対して国家賠償を求めているのが関ケ原人権裁判です。

2 現在の状況

 一〇月二九日に第五回口頭弁論が開かれる予定です。

 これまでの訴訟の中で、被告側は、署名の提出によって政治的表現行為・請願行為は終了した。そのため、その後に行われた戸別訪問で、原告らの表現の自由・請願権は侵害されることはないとし、今回の戸別訪問は請願を「誠実に処理」したものであるとの反論をしてきております。

 弁護団では、被告のこのような表現の自由・請願権保障の趣旨を根底から揺るがすような反論を打破すべく、請願についてのさらなる研究を深めるとともに、本件戸別訪問の具体的態様が明らかとなる資料を被告に提出させるよう、文書提出命令、情報開示請求を行っています。また、学者の先生に意見書の作成もお願いしている状態です。

3 原告団長出馬!

 訴訟はこのような進行をしておりますが、提訴一周年となる本年一一月三〇日に、任期満了に伴う関ヶ原町長選挙が行われます。

 この選挙に、原告団長である野村さんが出馬を表明されました。

 今回の戸別訪問は、現在の町長が独断専行で行ったという側面も強く、町政自体もそのような傾向が見られます。町長が替わることで、関ヶ原町政そのものが大きく変わる可能性があります。訴訟の方も、野村さんが当選すれば、早期解決に向け大きく動く可能性が高くなります。

 また、野村さんの出馬は、関ケ原町に生じている萎縮効果解消への一歩にもなるかと思います。

 実働弁護団は、当然野村さんの応援を行いますが、団員の皆様にも、ぜひ、野村さんの応援の方をお願いいたします。

4 弁護団募集!

 このように、選挙結果によっては、訴訟は迅速に終結に向かう可能性も出てきましたが、弁護団のさらなる拡充のため、弁護団に入って頂ける方を再募集致します。

 現在の弁護団構成は、実働弁護団が岐阜の団員七名、名目的弁護団は、全国の六〇期団員や、東海地方の団員を中心とする総勢三〇名です。弁護団会議は主に弁護士法人ぎふコラボ西濃法律事務所(岐阜県大垣市)にて行っていますが、弁護団会議の内容、準備書面等はメーリングリストを利用して、全国の弁護団と情報を共有できる体制を取っております。

 実働ができる方はもちろん、実働は難しいという団員の皆様も、弁護団として名前を連ねて頂けないでしょうか。

 弁護団に加入して頂けるようでしたら、岐阜支部 小山までご連絡下さい。

 よろしくお願い致します。

【連絡先】

〒五〇三−〇九〇六

岐阜県大垣市室町二−二五

弁護士法人ぎふコラボ 西濃法律事務所

弁護士 小山 哲

TEL 0584-81-5105/FAX 0584-74-8613

oyama-law@nifty.com



女性部総会の報告

女性部事務局長 千 葉 恵 子

 本年九月五日、六日女性部の総会を滋賀・大津で行いました。

 北は北海道、南は福岡からオブザーバー参加二名を含め二八名の参加がありました。滋賀からは、小川恭子団員を筆頭に三名も出席していただきました。小川団員には、会議場所の準備(きれいなお花も飾ってくださいました)や観光案内など様々なお気遣いをいただき、本当に感謝しています。

 開会挨拶は田中隆幹事長にしてもらいました。田中幹事長には、総会直前に福田元首相が政権を投げ出したことから情勢について熱く語ってもらい、その中で女性部の活動が求められていること、パンフレットについて生活の視点から憲法をという切り口が受け容れられ活用されていること、団の中では後期高齢者の問題について女性部が最初に学習会をして取り上げたことなどについて高い評価をいただきました。また、総会での女性の貧困の問題に浮いての発言について、団の総会の議案書でも盛り込みたいという発言がありました。

 産科医の斎藤みち子先生による医療現場からの御報告をいただきました。医療現場の忙しさや、そのため女性が出産のために仕事を辞めた後の再就職支援について充実しているなどのお話を聞けました。

 総会の中では、労働問題や後期高齢者医療・生活保護の問題等、格差社会で女性が底辺に置かれ、さらに格差が増幅させられている実情について発言がなされました。

 また、女性部の成り立ちの話や日弁連・各弁護士会の男女共同参画への取り組みに関する議論も行われました。

 懇親会では琵琶湖の花火など眺めつつ各自の近況報告で盛り上がりました。滋賀支部長玉木団員にも参加いただき、インターナショナルを歌う玉木団員の美声を堪能させていただきました。

 七月七日にできあがった女性部の「憲法に聞いてみよう」リーフは初版三万部がすでに完売してしまったため、五万部増刷することになりました。

 総会での議論・発言で力をもらいました。

 今後も、女性部は女性法律家としての役割を果たし、部員の親睦をすすめ、団や弁護士会における男女共同参画についても考えていきたいと思っています。

 今期の運営員は、倉内節子団員(部長)、岸松江団員(事務局長)千葉恵子(事務局長)村田智子団員、西田美樹団員、宮腰直子団員です。

 また、次回の総会の日程は二〇〇九年九月四日(金)、五日(土)ですので、部員の方は是非予定を入れて下さい。