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高木 太郎 年越し電話相談、そして、派遣村へ
沢井 功雄 派遣村
加藤  裕 米軍ヘリパッド建設反対住民に対して国が仮処分申請
松丸  正 夢多き若者の命を過労死で奪った会社トップの責任の追及
神原  元
横浜南社会保険事務所訪問
笹本  潤
城塚 健之
【書籍紹介】西谷敏「労働法」(日本評論社)
―「変革」を求める労働弁護士待望の基本書
労働問題委員会
「なくそう!ワーキングプア 労働・生活相談マニュアル」販売開始!



年越し電話相談、そして、派遣村へ

埼玉支部  高 木 太 郎

 一二月二四日、全国で貧困、労働問題の年越し電話相談が実施された。

 埼玉では、一〇時から二四時までのフルタイムで実施した。

 さいたま市浦和区の埼玉総合法律事務所の四階会議室に、無謀にも(?)一〇本もの仮設電話を引いて実施された。参加してくれたのは、埼玉の弁護士、司法書士、労働組合(連合埼玉も埼労連も双方参加した)、ボランティア団体の人、その他。のべ六〇名を超える。

 埼玉が一番遅くまで実施することもあり、東京から森川弁護士、湯浅誠もやい代表も駆けつけてくれた。また、複数社のテレビ取材も入った。

 相談内容は、一言で言って、悲惨。所持金が数十円しかなく、電気なども止まっている家族。また、野宿暮らしで携帯電話も止められ、なけなしの一〇円で電話を掛けてきた人(フリーダイヤルだからつながった)。この電話が切れてしまったらこちらから連絡が付かなくなるという人が何人もいた。そんな人は、緊急の生活保護申請の同行をしようにも、担当弁護士との待ち合わせ場所と時間を、いまつながっているこの電話で決めてしまわなければならない。

 電話の中にはカンパの申し出もあった。報道をテレビで見て、いても立ってもいられない、という気持ちになってくれた人たちだった。

 埼玉総合の四階には常に一五人から三〇人もの人が詰めた。先輩弁護士や事務局その他の人から暖かい差し入れも届いた。

 かかってくる電話の数は、報道に大きく左右された。午後七時過ぎ、一時的に電話がかなり空いている時間帯もあった。しかし、午後一〇時にテレビ朝日のニュース報道が流れると、一斉に電話が鳴り出した。そして、午前〇時にNTTによって回線が切断されるまで電話が満杯の状態は続いた。

【派遣村】

 この電話相談から派遣村が生まれた(かどうか、本当のところは私は知らない)。

 一二月二四日に電話相談に参加した人たちは、派遣村のような企画を行わないと、せっかく一二月二四日に命の糸をつないだ人たちを見殺しにしてしまうと感じていた。派遣村の企画は、そこに集まった多くの村民の命と健康を守った。

 常日頃、自分や家庭を優先してしまう私だが、一月三日の午後だけは派遣村に参加した。そこには派遣切りをされた人たちの悲惨な現実と、それを支えようとする人たちの暖かさ、そして、その暖かさに応えて、自分たちも連帯の気持ちを強くする派遣の人たちの姿があった。

 同日は、社民党の福島瑞穂党首が激励に訪れていた。また、どこかで見たことのあるおじさんが聴診器を持って診察をしていたが、共産党の小池参議院議員だった。このほかにも多くの国会議員が派遣村を訪れている。彼らのこの問題を巡る今後の発言は、自身の体験に支えられた非常に説得力のあるものになるだろう。派遣村は政治も大きく動かしつつある。



派遣村

神奈川支部  沢 井 功 雄

 「今回の運動は、社会運動の成功例として記録に残るかも、などと昨日の村民集会を見て思いました。ある種のムーブメントが生まれる瞬間を、そのとき見たような気がします。大げさかもしれませんが。」

 派遣村の現場に行って、法律相談をしてきた同期の弁護士から、このような感想が届きました。弁護士になっていなかったら、テレビや新聞で見ていただけであろう遠い世界の現場に立ち会い、その現場で、こうやって社会が変わっていくのか…と、自分もおぼろげながら、全く同じことを考えていました。

 政治家、実行委員、ボランティア、マスコミ、野次馬、村民らが混在するカオスの一角で、我らが自由法曹団員を含む弁護士は、法律相談に参加しました。昨年の一二月三一日から今年の一月五日まで、東京都千代田区日比谷公園一ー五に出来た派遣村。居住地を住所とすれば、その自治体(今回は千代田区役所)での生活保護申請が可能であることを説明し、相談者に生活保護申請をさせることが、派遣村での法律相談の目的でした。

 ほとんどの相談者に共通するのは、家がない、仕事がない、お金がない(自分が聞いた範囲で一番多くお金を持っている人で数千円、ほとんどは数百円。)、頼る人がいない。この人達の人生これからどうなっていくのだろう…相談を受けていたきわめて短時間の間に、心の中では泣いていた涙も、枯れ果て尽くしていった気がします。唯一希望を持てたのは、自分が相談した全ての相談者に、今後働きたいですか?と問うたところ、全ての方が働きたい、と強く述べていたことです。路上生活を長期間続けていた方すらも、同じ解答をしていました。みんな働きたいんです。

 一月五日の派遣村解村?により、派遣村村民三〇〇名が都内四か所の公共施設に分かれて、一月一二日まで宿泊。都が提供してくれたバスで移動できたのは、幸運な方だけです。日比谷から石神井まで、電車を乗り継いで、歩いて歩いて、寒い中息も絶え絶え、やっと宿泊先にたどり着けた…同行した自分ですら、疲れました。体育館にずらっと並んでいる村民を見ていて、行政の方と何気なく「災害に遭遇した方々みたいですね…」と世間話していました。今回の派遣切りも人災なのでしょうか…現場を見ていて、自己責任だなどとは到底言えません。

 生活保護開始決定、住居先確保、働き口の確保、全てがスムーズに進むわけではありません。何をするにも金がいる。居心地が悪い宿泊施設を出ていきたくても金がない。募る村民の不安と苛立ち。宿泊施設では、とにかく村民の方と、何でもよいから会話をして、励ますことを心がけました。一月一三日現在で、住居先を確保できていない方は、更に別の宿泊施設に移動。派遣村問題は現在進行中で未だ解決していません。雇用不安問題の象徴である派遣村問題の一刻も早い解決を望んで止みません。



米軍ヘリパッド建設反対住民に対して国が仮処分申請

沖縄支部  加 藤   裕

 二〇〇八年一一月二五日、国(沖縄防衛局)は、沖縄県東村高江地区での米軍ヘリパッド建設に反対して座り込みをしている住民ら一五名に対して那覇地裁で通行妨害禁止仮処分を申し立てた。

一 高江地区での米軍ヘリパッド建設計画

 北部訓練場は、辺野古の新基地計画地のすぐ北側、沖縄島北部のやんばる地域の東半分の大部分の七八三三ヘクタールを占める米海兵隊基地であり、この森でジャングル訓練やヘリコプター離着陸訓練が行われている。米軍基地と言っても、このような訓練に利用されているだけなので、全体的にやんばる特有の亜熱帯照葉樹林の自然林が広がっている。同訓練場については、一九九六年のSACO合意により、北半分の返還が合意された。ただし、返還条件としては返還予定地に現存するヘリパッド七箇所(二〇〇六年に移設数を六箇所に変更)を南側の残存訓練場に移設することとされた。

 国は、一九九八年一二月から移設候補地の環境調査を始めたが、北部訓練場の南半分にも豊かな自然林が残されており、ヤンバルクイナやノグチゲラに象徴されるような絶滅危惧種、固有種が多数棲息していることが判明した。このため、さらに沖縄県環境影響評価条例に準拠した(と国は主張している)調査を重ね、二〇〇七年七月三日、移設予定地での工事に着手した。

 移設予定地六箇所は、人口一六〇人ほどの東村高江集落から一〜二キロメートル以内で集落を取り囲むように位置しており、それぞれが直径約七五メートルほどのヘリパッドとして造成される計画である。

二 住民の反対運動

 東村内には既に北部訓練場の一五箇所のヘリパッドがあり、今も高江では沖縄国際大学で墜落したものと同型のCHー五三を初めとした米軍ヘリが低空飛行を繰り返している。もともと高江周辺地域は、森林と農地に囲まれた人口の少ない閑静な地域であったが、今や住民はヘリの爆音と墜落の恐怖にさらされている。また、この地域は沖縄島内の水源地でありダムが集中していることから、米軍の演習による水源の汚染も懸念されてきた。

 二〇〇六年二月二三日、地元高江集落の区民総会でヘリパッド移設に反対決議がなされ、その後も住民有志による運動が続けられてきた。前記の工事着手の報が入った二〇〇七年七月二日からは、工事用進入路での座り込みによる抗議活動が始められるとともに、同年八月二四日、これら住民が「ヘリパッドいらない住民の会」を結成した。現在までのところ、住民の会のメンバーや、それを支援する市民団体「なはブロッコリー」や県内の平和団体などが監視活動を継続し、事実上工事はほとんど進展していない。

三 国による仮処分申請

 国が今回申し立てた仮処分は、建設工事のための北部訓練場への進入口合計四箇所(いずれも国有地ではあるが県道などとして貸付がなされており道路となっている土地)について、通行権を根拠として、高江の住民一四名と那覇在住の「なはブロッコリー」代表者の合計一五名を債務者として申し立てたものである。

 現地での反対運動は、平和的な座り込みによる抗議であり、そして住民の頭ごなしに建設を強行しようとする沖縄防衛局に対して話し合いをもとめてきたものである。これに対して、「通行妨害」として裁判所の手を借りて住民を排除しようとするやり方は民主国家にあっては許されざる行為といえよう。

 しかも本件申し立ては、小さな集落である高江で中心的に運動を担ってきた人物を狙い打ちにしたものであり、その中にはわずか八歳の子まで含まれている。国は疎明資料として、現地での反対運動を監視して撮影した写真を提出して債務者の特定をしているが、どの写真にもこの子は写っていない。家族ぐるみごと相手取って裁判を起こすことによって住民に対する威迫効果を狙ったとしか考えようのない卑劣な手口である。そして、このことがマスコミで報道されるや否や国は、何の説明もなくこの子に対する申立のみを取り下げるという対応にでてきた。ヤクザでもこんなに堂々とできないような破廉恥な行為である。

 国の申立はほかにも、債務者や妨害行為の特定を初めとして、そもそも請求が特定されているとは到底言えない杜撰な内容であるが、これは審尋が始まってから具体的に明らかにしていきたい。

四 現地で反撃開始

 仮処分の初回審尋日は一月二七日午後三時と指定された。

 申立書や呼出状が入った裁判所からの封筒を開いた住民の方にとってはまさに青天の霹靂であった。ある方の話では、最初、裁判員にでも当選?したか…と思い封を開けてみたところ、自分が「債務者」になっているのを見て、金を借りたことはないけどなあ、とさらに中味を呼んでびっくり、ということだったそうだ。

 今、沖縄県内では、この申し立てに大きな反撃が開始されている。「住民の会」では、不当な申立を取り下げるよう求める署名運動を開始した。また平和団体が中心となって一月二〇日には那覇市で抗議集会とデモが予定されている。事件への対応では、すでに県内だけで二三名の弁護団が結成され、弁護団もすでに現地調査を実施した。

 国は、もともと四月から六月ころの時期はノグチゲラの営巣時期であることから工事を行わない旨表明していたことから、今回の仮処分によって、その時期以前に工事再開を目論んでいるものと思われる。何としてもこの仮処分手続において国の攻撃をはねかえし、工事を食い止める決意である。

 今回のたたかいについては、すでに各地の団員の方々からありがたい支援の申出をいただいている。仮処分手続そのものはとりあえず基地訴訟では近年にない大きな規模で組まれた県内弁護団で闘っていくこととなったが、高江の問題は米軍再編そのものの問題である。その解決までは容易な道のりではなく、今後、全国のご支援をお願いするものである。



夢多き若者の命を過労死で奪った会社トップの責任の追及

大阪支部  松 丸   正

一 月八〇時間の時間外労働を前提とする給与体系

 新卒者の就職の季節が近づいている。平成一九年八月一一日未明、自宅で就寝中に心臓性突然死した吹上元康さんも、平成一九年に大学を卒業し、胸をふくらませて、東証一部上場会社である株式会社大庄の経営する日本海庄や石山駅店に就職した。

大庄のホームページでは初任給一九四、五〇〇円と記載されていた。インターネットの就職情報(リクナビ・日経ナビなど)では初任給一九四、五〇〇円(別途残業代支給)とさえ記載されていた。

しかし、入社後の研修時における会社からの給与体系についての説明では、「最低支給額一九四、五〇〇円」であるが、「一般職の最低支給額については役割給に設定された時間外八〇時間に満たない場合、不足分を控除するため、本来の最低支給額は一二三、二〇〇円」とされている。

 即ち、基本給は一二三、二〇〇円、役割給七一、三〇〇円であり、役割給とは八〇時間の残業代分であり、残業が八〇時間に満たない場合は不足分の時間数はカットするとの賃金体系だったのである。基本給は関西の最低賃金である時給七一三円を基準としている。

 また、研修時に説明された勤務のシミュレーションでは、一三時間(一時間休憩)二五日出勤と元康さんのノートには記されている。実働月三〇〇時間(時間外労働は約一三〇時間になる)の勤務が前提とされていたのである。

二 元康さんの過労死ラインを超える長時間労働と労災認定

 会社は「大庄八大制度」と称して、「独立制度」「Uターン独立制度」「持ち店制度(ダブルインカム)」等の「夢」で社員の長時間労働をあおっていた。

 元康さんも早く一人前になれるよう、店長になれるようにと必死に働いた。ノートに書かれた一日の勤務内容によれば八時四五分から二三時までの間、一時間の休憩のみでびっしりと店の厨房での業務内容が記されている。

 元康さんが亡くなるまでの四ヵ月余りの期間の週四〇時間を超える時間外労働は、会社がチェックしている勤怠実績表によっても、

発症前一ヵ月   九〇時間五〇分
同  二ヵ月  一〇四時間四六分
同  三ヵ月  一二三時間五一分
同  四ヵ月   七五時間四一分

であり、出勤時の駐輪場の入場記録等に基づく実際の出勤時刻に基づいて計算すると、

発症前一ヵ月  一一五時間五〇分
同  二ヵ月  一三〇時間三八分
同  三ヵ月  一五八時間二一分
同  四ヵ月  一〇二時間二七分

にも及んでいる。厚労省の過労死の認定基準が定める、時間外労働が「発症前一ヵ月におおむね一〇〇時間」「発症前二ヵ月間ないし六ヵ月間に月当り平均おおむね八〇時間」という基準(過労死ラインという)をはるかに上まわる長時間、かつ過密な勤務であった。

 大津労働基準監督署長は、元康さんの過労死につき、業務による過重負荷で生じたものとして業務上と判断し、遺族補償給付の支給決定を平成二〇年一二月一〇日付けで下したことは言うまでもない。

三 トップの責任を問う過労死訴訟

 元康さんの過労死はたまたま生じたものではない。会社の賃金体系から明らかなように、全社的に月八〇時間以上の時間外労働を行うことが前提となった勤務条件となっているところから生じた組織的な過労死である。

 勤務していた石山駅店の上司のみならず、会社のトップも、各店では過労死ラインを超えた勤務がなされていることを認識、いや、それを指示していたと言えよう。

 弁護団では平成二〇年一二月二二日、京都地方裁判所に大庄のみを被告として不法行為並びに安全配慮義務違反に基づく約一億円を請求額とする損害賠償請求訴訟を提訴し、これはマスコミの社会面トップの記事となった。

 しかし、会社のみを被告とする提訴のみでは、元康さんの会社の組織的な過労死の本質を明らかにすることはできない。本年一月に会社のトップである代表取締役社長、並びに専務取締役の計四名を被告とする訴訟を続けて提訴した。その責任原因は、大庄の各店では長時間労働が常態化していたにも拘らず、これを放置認容していた重大な過失による不法行為責任(民法七〇九条)、並びに会社法四二九条一項の責任である(会社法上の責任については大阪高裁平成一九年一月一八日大阪高裁判決(確定)・判例時報一九八〇号七四頁参照)。

 この事件では、会社と同時に、このような常軌を逸した長時間労働を全社的に放置してきたトップの個人責任を明らかにして、その本質を明らかにすることが不可欠である。

四 会社の職業安定法違反の刑事責任

 元康さんは「初任給一九四、五〇〇円(残業代別途支給)」とのネット情報も参考にしながら就職する会社選択をしていたであろう。その内容は明らかに虚偽のものであった。

 職業安定法六五条は、「虚偽の広告をなし、又は虚偽の条件を呈示して職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行った者、又はこれらに従事した者」については、「六月以下の懲役又は三〇万円以下の罰金に処する」(両罰規定あり)としている。

前記のネット情報も、大庄のホームページの八〇時間の残業代を含む金額であるのにこれを明記せず初任給一九四、五〇〇円と記載していることは、「虚偽の広告」「虚偽の条件」の呈示に該当する。

 大庄は提訴ののち直ちにホームページ並びにネットの就職情報の記載を「一九・六万円(基本給+役割給)」と書き換えている。

 このような初任給について虚偽の広告は、他の外食産業にも広く存在するようである。外食産業の採用についてのホームページをみると初任給二〇万円前後と記載し、別途残業手当を支給する旨の記載が多くみられる。これら他社の採用についての広告も、残業代を含んでの額を「初任給」としているものと考えられる。

 以上のことを踏まえ弁護団では、大庄に対し職安法違反についての刑事告発も検討中である。

五 会社の労基法違反の刑事責任

 更に、本件については石山駅店に対し証拠保全を行ったが、三六協定については本社にしかないとして入手できなかった。三六協定がないのに時間外労働をさせていれば労基法の刑事罰(六ヵ月以下の懲役、又は三〇万円以下の罰金)の対象となり、あってもその限度時間を超えていれば同様である。

 元康さんの月一〇〇時間を超える時間外労働は、三六協定があったとしても、その限度時間を超えたものと考えられ、労基法違反についての刑事告発についても検討中である。

六 夢多き若者の命を奪ったトップの責任

 大庄の社長は、提訴前の平成二〇年一二月一八日の日本経済新聞朝刊の「交遊抄」に夢をテーマに随筆を寄せている。夢をもって就活に取り組んでいる学生の夢を打ち砕き、かつ長時間労働のなかでかけがえのない夢多き若者の未来を奪ったことの責任について、経営のトップはどう考えているのだろうか。

 なお、弁護団は佐藤真奈美(広島弁護士会所属)と松丸正(大阪弁護士会所属)の各団員である。



横浜南社会保険事務所訪問

神奈川支部  神 原   元

 神奈川支部は、二〇〇八年一二月八日、横浜南社会保険事務所を訪問し、平成二二年度に年金機構への移行を予定する社会保険庁職員の労働実態を調査した。

 周知のとおり、「消えた年金」問題に端を発した社会保険庁問題は、「消えた年金をどうするか」という本質問題から、「年金記録のぞき問題」「ヤミ専従問題」、「記録改ざん問題」といった、社会保険庁で働く労働者への攻撃へと問題のすり替えが行われた。多くの団員が解明・指摘しているとおり、それ自体が政権による長年の違法行為を隠蔽し、この機に乗じて公務員労働者を徹底的に叩こうというものである。今回の調査は、権力側の攻撃がもたらした公務員労働の破壊の実態を探ろうとするものであった。

 まず驚かされたのは、社会保険庁労働者のサービス残業の驚くべき実態である。組合の資料によれば、平成一九年八月の段階で午後九時以降の退庁が職員の実に八〇%、一一時以降が一二%であった。年金特別便などがやや落ち着いたという平成二〇年一〇月段階でも午後九時以降が四三%、午後一一時以降が五%となっている。それでも、超過勤務手当は予算を理由に月一二時間しか支払われない。

 では、何故残業が増えるのか。理由は消えた年金問題発覚を機に窓口に押し寄せた年金相談の人だかりである。朝開庁前から表に年金相談を待つ人の列ができる。二〇人待ち、三〇人待ちの日も多く、朝八時から夜七時まで相談業務が続く。代表電話も相談で鳴りっぱなしとなる。相談ブースを二倍に増やし、一〇ブース作ったがそれでも間に合わない。

 南事務所の職員数は正規が三〇名、非正規労働者(謝金職員等と呼ばれる)が二〇名程度。年金相談は午前中は非正規職員が当たっているが、それだけでは間に合わないから正規職員も相談に入る。非正規労働者は午後五時までだから、そのあとは正規だけで相談を受ける。年金給付事務など本来の仕事はそのあとにやらざるをえない。必然的に残業となる。

 調査では年金記録の統合作業を実際にみせてもらうことができた。複数に別れてしまった一人の記録を、同一人のものであることを確認しながら一つにまとめる地道な作業だ。一つに一〇分から一時間。複雑なものだともっと時間がかかる。一日にこなせるのは二〇件程度であるという。電話受けや相談業務を受けながら神経のすり減るような地道な作業を強いられているのである。

 さらに驚かされたのは、年金記録問題に対する政府の対応の杜撰さである。実は年金記録問題に対応する部署というのが事務所にはない。だから給付課とか審査課とか、他の仕事を持っている部署が、本来の仕事の合間に、「ねんきん特別便」の処理やら台帳のつきあわせやらを行っている。相談業務もこなさなければならない。当然、人手も時間も足りないのだ。

 それでも政治家は「国民への公約」と称して次々に新しい仕事を期限付きで現場に押しつけてくる。一例を挙げるなら、旧台帳記録のお知らせにかかる本人への確認、調査というのがある。旧台帳記録(一四六六万件)と基礎年金番号との突き合わせを行った結果、本人の可能性が高い人へ「記録のお知らせ」(灰色便)を送付して、回答をもらい、回答があった対象者については一覧表を作成、本人に電話、訪問などをして確認し、訂正がある場合にはさらに事務所への来訪を促すというものだ。この膨大な作業の締め切りが年内とされている。既に送付された「お知らせ」は六八万件、回答数は五七万件だ。職員らは対応に追われ、疲れ切っているが、人員の補充はなされない。

 年金記録に対応するこの種の作業が他に一四項目ある(いずれどこかで発表したい。)。それぞれ期限が切られているが、その膨大な作業量を前に、職員らはほとんど呆然自失の状態である。

 年金記録問題に関する、この類の話は例を挙げればきりがない。目黒事務所の「年金二四時間相談」という話が一番ひどかった。各事務所から目黒事務所に出張し、一日中相談を受けるというものだが、職員はクーラーも入らない、ボロボロの庁舎で、サウナで仮眠をとりながら一晩中電話をとった。九州からも職員を派遣するというので所長が旅費を工面した。南事務所からものべ一〇人くらいが行かされた。

 しかし、電話相談といっても実際に記録にあたるわけでないから一般的返答のみで、あとは郵便での回答となる。その程度であれば夜中まで職員を働かせる必要はない。その後、「ねんきん特別便」を出したから、結局、この作業は全く無駄になってしまった。

 それでも、政治家は人気取りのために次々と国民に新しい約束をしてしまう。場当たり的でちぐはぐな作業で現場は疲れ切っている。

 現場調査を終えて、この国の年金制度は既に崩壊していると感じた。年金を司る現場が崩壊しているからだ。この状態で年金機構への引継ぎなどできるはずがない。現場への締め付け自体が、年金制度を崩壊させようとする、何かの陰謀ではないかとすら感じてしまう。

 年金問題は、現場を立て直すところから始めなければならないはずだ。神奈川支部は現場労働者と団結し、次の闘いへと切り開いていきたい。



コスタリカの平和主義と新自由主義

〜コスタリカ留学を経験して〜

東京支部  笹 本   潤

一 はじめに

 二〇〇八年五月の「九条世界会議」が終わった直後の六月から一二月にかけて、コスタリカのカルロス・バルガス教授のもとで国際法やコスタリカの平和を学ぶために留学をした。きっかけは二〇〇七年七月にバルガス氏が広島で行われた原爆投下を裁く国際民衆法廷に出るため来日した際に、日本の法律家はもっと世界の舞台で活躍できるようにならないとダメだと言われたことがきっかけだった。

二 米州人権裁判所にて

 コスタリカの首都サンホセには米州人権裁判所がある。これは南北アメリカの諸国が加盟する米州機構の人権裁判所である。その付属図書館に約三ヶ月間通って、米州人権条約などの条約や判例、論文を読み、日本の被爆者がアメリカの原爆投下責任を問うために米州人権裁判所や委員会に提訴できないかを検討した。文献はすべて英語かスペイン語なので、まだ語学能力の発達していない私には読むのに多くの時間がかかった。

 米州人権裁判所にはアメリカが加盟していない。正確に言うと、アメリカは人権裁判所の管轄を受け入れるための米州人権条約を批准していない。そのため、ワシントンにある米州人権委員会に「個人請願」という形でアメリカ政府を訴えることができないかどうかを検討した。人権委員会の決定の拘束力は人権裁判所のような強制力はないが、原爆投下の違法性の判断を下す可能性はある。

 しかし、一番難しい論点は、アメリカ大陸の外にある日本で起きた原爆投下について、米州の人権裁判所が裁けるかという土地管轄の問題だった。アメリカ大陸の外部の事件について裁判管轄を認めた先例はないが、最近イラクで起きたファルージャの病院での事件の個人請願が米州人権委員会に申し立てられた。まだ管轄が認められたわけではないが、この申立は受理はされているので、原爆投下のケースでも認められる可能性がないとは言えない。認められれば原爆投下の違法性の判断がされる可能性があり、インパクトのある決定になる。この申立をするかどうかについては現在反核法律家協会の方で議論しているところである。

 米州人権裁判所のような裁判所は現在、ヨーロッパとアフリカ、南北アメリカにはあるが、アジアにはない。地域の人権裁判所のメリットは、国内的には救済されない人権侵害が、地域の人権裁判所では救済されうるというところにある。

 米州人権裁判所の効果を一番発揮した例は、ペルーのフジモリ大統領時代のペルー政府に対する訴訟である。ペルー政府は、国会で人権裁判所を脱退する決議をしたが、その国会決議を無効として裁くことになった。ある意味では国家主権を超える役割を米州人権裁判所は担った。このような強力な人権保障機関があれば、国内では救済しきれない人権侵害事件も救済される可能性がある。日本でも、たとえば人権侵害事件が最高裁で不当な理由により救済されない場合、地域機構の人権裁判所では救済する道が開けるのである。長期的な課題かもしれないが、このような人権裁判所がアジアにも確立できるような展望を持ちたい。

三 コスタリカの平和主義

 コスタリカは一九四九年に憲法で常備軍を廃止して今でも軍隊を持っていない。このような非軍隊国家を六〇年間も維持できてきたのは、国内外の様々な分野で非軍事の政策を実現してきたからである。

 一九八〇年代には、隣国ニカラグアでサンディニスタ政権が誕生し、それに介入するレーガン政権のコスタリカに対する軍事的要求との狭間で、コスタリカは中立宣言や中米和平の締結に積極的に動いた。米軍基地をコスタリカ国内に設置する要求も拒否した。このようなことができたのは、コスタリカ憲法一二条を持ち非軍事国家を貫いて、周囲の国から信頼されてきたからこそであろう。また軍事費に回るべき予算を教育費に回し、GDPの六%を教育費に回すべきとの条項も憲法に定められている。日本で九条が実現して軍隊がなくなる日が来るのはこのような積極的な平和外交ができる時であろう。

 ただ、コスタリカの非武装というのも完全な形では言えない。軍隊を憲法上廃止した代わりに、アメリカや他の国々とリオ条約(米州相互援助条約)という集団的自衛権の行使を片面的に認める条約に加盟している。(コスタリカは軍隊を所持しないから軍隊の参加はしないことになっている。)このように「武力によらない平和」が完全に貫かれているわけではない。

 二〇〇三年にコスタリカ政府がアメリカのイラク戦争を支持して有志グループに加わった。これに対しては政府のイラク戦争支持が憲法違反だとの判決が翌年に出て、イラク戦争支持は取り消されることになった。

 この訴訟を起こしたロベルト・サモラ弁護士に会って話を聞いてみると、最近でも原子力の燃料の製造を容認する政府の通達が作られたり、またFTAの条件の中に武器を輸入できる条項があるとのことである。通達については、二〇〇八年九月にコスタリカの憲法裁判所が違憲判決を出している。また、FTAの武器輸入条項についても、現在コスタリカの平和憲法違反との憲法訴訟を提起したとのことである。このような市民側の努力がなければコスタリカ憲法一二条といえどもも形骸化しかねない。

 南米では左翼政権が次々に誕生して、アメリカからの離脱を始めている。今後アメリカからコスタリカに対し経済的要求のみならず軍事的要求も増大してくるだろう。平和憲法を守っていくことができるかどうか。これからがコスタリカ社会の正念場である。

四 コスタリカの新自由主義

 コスタリカ国内の経済においては、アメリカの新自由主義がかなり浸透してきている。元来親米的であり、市内にもマクドナルドなどのハンバーガー屋が多く目立つのに加え、一九九六年にはインテル社の大きい工場が首都サンホセにできた。また、この一九八〇年代から、銀行や電気通信、保険などの分野で民営化への動きが進んでいる。

 コスタリカでは、公的な社会保険制度は完備されているが民間の保険会社も参入できるようになってきた。また、電力通信社(日本のNTTのようなもの)は現在国営だが、民営化される法案が国会に提出された。法案は否決はされたが、二〇〇七年のCAFTA(自由貿易協定)の承認により民間の会社でもできるサービスの提供など民営化に向けての動きが出てきた。銀行についても現在三つの銀行は国営だが、民間の銀行がこの二〇年間で多くなってきている。

 二〇〇七年一〇月に、アメリカとのCAFTAが国民投票によって僅差で承認された。コスタリカの主要な産業はかつては、コーヒー、バナナ、砂糖などの「デザート産業」が中心だったが、最近はインテル社の工場に象徴的なようにコンピューター関連産業が、デザート産業を凌駕する規模になっている。FTAをめぐる国民の意見としては、コスタリカ経済はアメリカに大きい影響を受けて発展してきたからアメリカとの関係を維持していこうという考え方と、格差社会、自由競争の徹底など新自由主義の負の側面を心配する考え方に分かれているようである。FTA反対の運動をしているNGOの人に話を聞いてみる機会があった。「コスタリカは、FTAを通じて今後貧富の差は大きくなるだろう、犯罪も多発しており、治安もだんだん悪くなってきている」とのことである。

 FTAを通じての新自由主義の浸透は、この二年来の韓国の動きにも似ている。一昨年はFTA締結反対の大集会、昨年は牛肉輸入反対の大集会がソウルで開かれた。

 日本では、金融ビッグバン、小泉構造改革が進められていく中で、格差社会、自由競争社会が激化し、現在では貧困が生じ、派遣切りなど労働者にしわ寄せが来ている様相である。

 世界各国で進められているこのような新自由主義の動きが、アメリカ発の世界金融危機の中で、ストップがかかるのかが今後の日本及び世界の市民の焦点である。六月にはIADL大会(国際民主法律家協会)がハノイで開かれ、世界の法律家が参加する。このテーマも当然中心的テーマになるであろう。こちらの方の参加もよろしくお願いしたい。

五 コスタリカでの生活のこと

 コスタリカは北緯一〇度の熱帯地方に位置する。私が留学していた六ヶ月間はほとんど雨期だったため雨が多く、晴れる時には日差しが強く、体調を維持して生活していくのがつらかった。短期間の旅行ならば耐えられるだろうが、「生活をする」ということがこんなにつらいことかということが初めてわかった。慣れないスペイン語で生活するのも大変だった。

 そんな中でコスタリカ大学の学生たちに九条と国際私法のテーマで話す機会をバルガスさんから与えてもらった。意外にもコスタリカにドメスティックバイオレンスが多いことがわかった。また、九条のスピーチの準備をしている時には、スペイン語の先生から「何で日本には九条があるのに、こんなにたくさん米軍基地があるのか?」と抗議されたこともあった。

 また、NGOの人も言っていたが、どこの家も厳重な鉄格子が二重三重に付いていて、日本とは安全面では天と地ほど差があることも実感した。強盗などの犯罪が多いらしく夜は町で出歩けなかった。

 しかし、サンホセを一歩外に出て、国立公園に行くとそこにはジャングルがあり、大きな木や植物が悠々と生い茂る楽園だった。流れている水がすべて温泉になっている川があったり、活火山があったり、自然にはとにかく恵まれていた。首都サンホセも少し前までジャングルだったらしく、道は坂道ばかりで、市内の木もジャングルにある木と同じくらい大きいものばかりだった。

 生活はつらかったけれど、自然に触れるともう一度行ってみたいと思わせる。今度は留学でなく旅行として行ってみようと思う。



【書籍紹介】西谷敏「労働法」(日本評論社)

―「変革」を求める労働弁護士待望の基本書

大阪支部  城 塚 健 之

 二〇〇八年の「今年の漢字」は「変」だった。確かに大変な年だった。労働者をめぐる情勢も、前半は、「偽装請負」や「名ばかり管理職」などが主たるテーマだったのに、後半は、金融危機を引き金に不況の嵐が押し寄せ、便乗解雇や「派遣切り」が横行する事態となった。年末年始の「年越し派遣村」では、文字通り生存をかけた闘争が展開され、それが厚労省や自民党政治家の態度すら変えつつある。「構造改革」を賛美していたマスコミは、君子豹変よろしく、いっせいに路線転換し、混迷をきわめるわが国会をよそに、アメリカでは「チェンジ」を唱えたオバマが世界の注目を集めている。さまざまな諸矛盾が噴出するこの激しい情勢のもとで、必要とされるのは「改革」ではなく「変革」である。

 私たちは、労働者の生活と権利を守るために、そして「変革」を求めて、労働裁判をたたかっている。裁判闘争でもっとも大事なのが「事実」であることはいうまでもないが、「法律論」の障害に遭遇することもある。悪しき判例はその最たるものである。そのようなとき、突破口をどのように見つけるか、既存の判例をどう批判し、その射程距離を制限するかは、重要な課題である。

 こうした中、西谷敏大阪市大名誉教授・近畿大法科大学院教授が上梓された本書は、まさに「待望の基本書」(帯封より)である。

 これまで数多くの労働弁護士がさまざまな労働事件で西谷教授に鑑定意見書作成をお願いしてきたこと、そしてその力で勝利した争議も数多いことは、団員諸氏には周知のことであろう。まさに西谷労働法は労働裁判を変えてきた。のみならず、立法論においても、私たちは西谷教授に多くを負っている。

 西谷労働法は、しばしば引き合いに出される菅野和夫東大名誉教授・明治大法科大学院教授の労働法と好対照をなしている。いずれも、わが国を代表する労働法学者でありながら、菅野労働法が、裁判所の判断を基本的に肯定し、精緻な判例解釈を行い、労働行政をリードしていくのに対し、西谷労働法は、これを批判し、「変革」の対象としていくからである(菅野教授の教科書にも、これを意識してか、随所に西谷教授の著作が注で引用されている)。

 その神髄は本書の「はしがき」にも示されている。

 「判例法理のなかにも不適切なものがあり、その批判的検討も必要である。本来、判例は大前提とすべきものではなく、それ自体を客観的な検討の俎上にのせることが法解釈論の重要な作業である…法科大学院での労働法教育でも、判例法理の修得は中心的な位置を占めるが、それを鵜呑みにすることは、かえって判例の意義の正しい理解を妨げるおそれがあろう。」

 判例批判は、法律学を学ぶものとしては、常識の部類に属するものであるが、ロースクール教育においてはこれが軽んじられているきらいがある。今後新たに法律家になる者がことごとくロースクール出身となることを考えれば、西谷教授のこの指摘は重みを持っている。

 もう一つ、「はしがき」では次の重要な指摘がある。

 「今日のような流動的な時代には、広い視野と長期的な展望をもって労働法に接する必要があるが、そのためには迂遠なようにみえてもたえず基本原理に立ち返ることが重要である。労働法はなぜ必要とされたのか、労働法は労働者というものをどのような存在としてとらえてきたのか、労働者の人格的自律と使用者への従属性はどのように両立しうるのか、労働法のもっとも基本的な任務は何か、等々である。」

 アカデミズムも含めてムードに流されがちなこの社会にあって、私たちもそこから完全に自由ではあり得ない。そんな私たちにとって、「たえず基本原理に立ち返ること」は、ともすれば忘れがちになるだけに、その大切さをかみしめたいと思う。

 本書は、いわゆる基本書(教科書)であるから、弁護士にとっては、これを手近に置いて、必要に応じ参照するというのが普通の使い方かもしれない。しかしながら、変革の年の初めに当たって、本書を通読するのも意義深いと思われる。

 それにしても、西谷労働法の中核をなす、労働者個人の尊厳に基礎をおく自己決定論は、狭い労働法の枠にとらわれない広範な領域の学問上の知見に裏付けられた、深みのある考察である。かつて、西谷教授の「規制が支える自己決定―労働法的規制システムの再構築」(法律文化社 二〇〇四年)を読んで圧倒されたことを思い出す。未読の方は、基本書の次に、ぜひこの本にもチャレンジしていただければと思う。

(西谷敏「労働法」本体価格四、二〇〇円。日本評論社のサイトからも注文できます。 http://www.nippyo.co.jp/book/4092.html



二・一四シンポジウム「『非正規切り』とたたかう!」

―ご参加のお願い―

労 働 問 題 委 員 会

 労働者教育協会と自由法曹団は、二月一四日、シンポジウム「『非正規切り』とたたかう!」を左記のとおり共催することになりました。

 大企業を中心に、アメリカ発の経済不況による減産などを理由に、全国各地において、不当な非正規労働者の大量解雇が強行されています。首切りと同時に生活が立ち行かなくなる非正規労働者の現実は、年末・年始に報道された派遣村にあふれた生活困窮者の大多数が派遣労働者であったことからも明らかです。

 さらに今後、大企業だけでなく、その関連企業や下請企業でも倒産・解雇が続くと予想され、労働者の生活破壊がさらに拡大する危険もあります。

 これに対し、団体交渉による成果や「派遣村」での命を救う取り組みなど、大企業の横暴を断じて許すことができない人々が連帯して雇用と生活を守るたたかいに立ち上がっています。

 本シンポは、非正規切り・ワーキングプア・貧困をはねかえすたたかいをさらに大きく前進・拡大させるために、みんなで知恵を出し合い、決意を固め合う機会にしたいと考えています。

 パネルディスカッションでは、生熊茂実(全労連副議長)、笠井貴美代(新日本婦人の会副会長)、山下芳生(日本共産党参議院議員)、鷲見賢一郎(自由法曹団幹事長)の各氏が会場からの発言も踏まえて活発な議論をする予定です。

 本シンポを踏まえ、これまで踏みつけられてきた労働者保護をさらに強く推し進めるためには、派遣切りに対抗する裁判闘争、これから大量派遣切りが行われようとしている企業に対する抗議活動など、実践的な取り組みを全国各地で展開する必要があります。

 そのためにも全国各地から団員の皆様に本シンポに参加していただくことが必要不可欠です。

 本シンポに続く愛知で開催予定の二月常幹を意義あるものにするためにも、団員の皆様には、是非、多数のご参加をお願いします。

【二・一四シンポジウム「『非正規切り』とたたかう!」】
―ブックレット「なくそう!ワーキングプア―労働・生活相談マニュアル」出版記念

一 日 時 二〇〇九年二月一四日(土)一三時〜一七時

二 場 所 エデュカス東京(全国教育文化会館)
        〒一〇二―〇〇八四
        東京都千代田区二番町一二―一
        TEL〇三―五二一〇―三五一一

三 内 容 (1)パネルディスカッション
        生熊茂実(全労連副議長)
        笠井貴美代(新日本婦人の会副会長)
        山下芳生(日本共産党参議院議員)
        鷲見賢一郎(自由法曹団幹事長)
       (2)討論と経験交流
       (3)ブックレット「なくそう! ワーキングプア
        ―労働・生活相談マニュアル」の紹介など
       日本共産党書記局長市田忠義参議院議員から
       国会報告をかねたあいさつがあります。

四 主 催 労働者教育協会、自由法曹団



「なくそう!ワーキングプア 労働・生活相談マニュアル」販売開始!

 昨年夏以来執筆してきた「「なくそう!ワーキングプア 労働・生活相談マニュアル」がついに完成しました。大いに普及・活用しましょう!

【ご注文は学習の友社へ】※FAXにてお申し込み下さい
FAX 〇三―五八四二―五六四五
電 話 〇三―五八四二―五六四一

 定価は、一冊一〇〇〇円(税込み)。一〇冊以上で一割引、三〇冊以上で二割引、一〇〇冊以上で三割引きになります。
(団通信一月一日号の割引についての記事に誤りがありましたので、以上のとおり訂正いたします。)