<<目次へ 団通信1304号(4月1日)
鷲見 賢一郎 | 二〇〇九年長野・白樺湖 五月集会案内特集 その1 時代の転換点に立って五月集会で未来を切り開く討論を! |
松村 文夫 | 長野・白樺湖五月集会のお誘い |
古川 美和 | 憲法ミュージカルIN京都・速報的報告 |
長谷川 一裕 | 名古屋三菱派遣切り訴訟提起 |
遠藤 輝好 | 充実の会議〜三・一三大量解雇阻止対策全国会議に参加して〜 |
菊地 修 | 三・一五反貧困市民フェスタINみやぎ |
山崎 徹 | 派遣切り企業に対する門前宣伝活動 |
小山 哲 | ぎふ派遣労働者サポートセンター・結(ゆい)開所 |
田渕 大輔 | 神奈川社会保険事務局への申入 |
幹事長 鷲 見 賢 一 郎
はじめに
昨年来、新自由主義の破綻とアメリカ型資本主義の崩落があらわになっています。一九二九年の世界恐慌の再来を懸念する声もあります。このままでは、日本における貧困と格差はますます拡大し、日本はかってない階層分裂社会になるでしょう。二〇〇九年長野・白樺湖五月集会は、このような状況の中で開かれます。
一 非正規労働者のたたかいと派遣村活動
〇八年九月のアメリカ発の金融危機による経済不況を理由に、トヨタ六〇〇〇人、いすゞ一四〇〇人、キヤノン一七〇〇人など、大量の期間工切り、派遣工切りが進められています。厚生労働省は、〇九年三月末までに十五万七八〇六人の非正規労働者が失職すると発表し、製造業への派遣・請負の業界団体は、三月末までに四〇万人の派遣・請負労働者が失職すると発表しています。大和総研は、年末前後までに二七〇万人程度の雇用が失われる可能性があると発表しています。
そういう中で、いすゞ自動車(栃木、藤沢)の期間労働者は、昨年一二月、解雇予告効力停止等の仮処分を提起し、期間労働者五五三人の解雇撤回を勝ち取りました。今年三月には、派遣労働者が、派遣先のパナソニックグループ会社(福井)や三菱電機(名古屋)を相手に、地位確認等の訴訟を提起しています。
年末年始の日比谷公園の「年越し派遣村」は、五〇〇人を超える入村者(村民)の生活を支え、水際作戦を打破し、生活保護行政の大きな改善を勝ち取りました。また、派遣労働者の置かれている悲惨な実態を明らかにし、労働者派遣法抜本改正求める国民世論を大きく広げました。その後、全国各地で、派遣村活動がひろがっています。
二 裁判員制度を迎え撃つ
裁判員制度は、五月集会の直前の〇九年五月二一日から実施され、七月頃から、全国六〇個所の地方裁判所(一〇の支部を含む)で、一斉に裁判員裁判が開始されます。自由法曹団は、昨年一〇月以降、「(1)公判前整理手続終了後の弁護人の立証制限規定の廃止、(2)開示証拠の目的外使用禁止規定の廃止、(3)裁判員であった者に対する守秘義務規定の削除、(4)被疑者・被告人の取調過程の全面的可視化、(5)検察官手持ち証拠の全面的開示、少なくとも検察官手持ち証拠のリストの開示」の裁判員制度に関する緊急改善要求をかかげて、集会や国会議員要請を行ってきました。
裁判員制度の開始にあたって、公判前整理手続でのたたかい、弁護人の立証制限の打破、開示証拠の目的外使用禁止とのたたかいなど、裁判の現場でのたたかいを強化することが重要です。この一年のたたかいが、裁判員制度を「国民の裁判を受ける権利」を守る制度にできるかどうかにとって決定的に重要です。
三 憲法九条を守り、海外派兵の拡大を阻止しよう
政府は、三月一三日、海賊対策を名目に、自衛艦をソマリア沖に派遣し、あわせて、「海賊対処」派兵法案を国会に提出しました。「海賊対処」派兵法は、恒久法の形をとり、派兵先の地理的限定もせず、自衛隊の武器使用を拡大しています。このように、政府・自民党は、「海賊対処」派兵法を、海外派兵恒久法制定のテコにしようとしているのです。
いま、全国各地で「九条の会」が七〇〇〇を超えるなど、憲法を守り、生かす活動は大きく前進しています。憲法九条を守り、「海賊対処」派兵法の成立を阻止し、あわせて、憲法二五条(生存権)、二七条(勤労の権利)などの憲法上の諸権利を生活と労働に生かしていきましょう。
四 様々な権利擁護のたたかいの交流を
―全体会と六つの分科会
五月集会では、憲法・平和、非正規切り、労働と貧困、裁判員制度、環境・公害、国際人権活動など、様々な分野での権利擁護のたたかいを交流したいと思います。全体会とあわせて、「憲法・平和分科会」、「労働問題分科会」、「貧困・社会保障分科会」、「刑事裁判分科会」、「環境・公害分科会」、「国際問題分科会」の六つの分科会で、お互いの斬新な問題意識とたたかいの経験を交流しあいたいと思います。
五 支部・県代表者会議、新人弁護士学習会、事務局員交流会への参加を
五月集会では、一〇年ぶりに支部・県代表者会議を持ちます。憲法問題、労働と貧困、裁判員裁判など、支部・県ぐるみで対応することが必要な課題がふえています。支部・県活動の現状や工夫を交流しあい、支部・県の強化と活性化を図りあいたいと思います。また、各地における新しい法律事務所づくりの現状等についても、経験を交流したいと思います。
新人弁護士学習会、事務局員交流会は、講演、リレートークなど工夫をこらして魅力のある企画にしたいと考えています。法律事務所づくりの上で、重要な企画です。
おわりに
貧困と格差、階層分裂と治安強化の社会になるか、海外派兵と他国抑圧・侵略の日本になるか、いま、時代の大きな転換点です。この時にあたり、長野・白樺湖五月集会に集まり、私たちの未来を大きく切り開く研究と討論をしましょう。多数の団員・事務局員の皆様のご参加を期待します。
長野県支部支部長 松 村 文 夫
一 長野県における団総会は、私が団員となってからの四〇年間に、蓼科・美ヶ原・上山田とほぼ十年間隔で三回開かれましたが、五月集会は初めてのものです。
五月下旬における白樺湖は、新緑が映え、一年でも最もすがすがしい季節となります。そのような気候の中で、経済不況、大量人員整理、金権腐敗などの緊急さし迫った課題に、全国的に取り組む方針を討議すれば、大きな成果を得ることは間違いありません。
これまでの三回の総会には、いずれも多数の団員・事務局員のみなさんに参加していただき、参加人数の記録を更新して来ました。
今回の会場である「池の平ホテル」は、白樺湖周辺のみならず信州でも最大のホテルですので、全員お泊りできます。ぜひ多くのみなさんの参加を期待します。
二 長野県内の団員三十名が、ゆったりくつろげる集会にするように準備しております。長野県中の酒を揃えようなどと企画しております。また、山菜も美味しい季節ですので、味わえるようにいたします。
白樺湖は、中央線の茅野駅が最も近いですが、近年は、長野新幹線佐久平駅からも便利になりました。いずれの駅からもバスを準備いたします。
また白樺湖からは、軽井沢・上田・菅平・諏訪・松本にも行けますし、少し足を延ばせば安曇野・木曽・北信など見る所が多くあります。
三 長野県支部は、まとまりのよい支部です。年四回、北信・中信・東信・南信と巡回して、そこにおける大衆的裁判・住民訴訟の現地を調査し、当事者と交流してきています。これが地元のテレビで報道されることもしばしばです。「自由法曹団」ののぼり旗を戦国時代のように、山野でなびかせながら現地調査をしている場面が報道されただけで、産廃施設や場外車券売場の進出が止まったこともあります。
また、この支部例会では、毎回県内で闘っている訴訟全てについて報告を出しあい、参加者全員で論議します。最後は「まあ頑張って下さい。そうすれば展望も開けるんじゃない」というような言葉で終ることが多いものですが、なんとなく、「一人でやっているのではない、支部皆が応援してくれる」というような気になって、また気を取り直して取り組み始めるようになります。
四 長野県支部では、長年にわたって勝訴した事件からカンパが集められ基金ができており、これが本人から実費も寄せてもらえないような、残留孤児・中国人連行事件などに貸し出されております。長野県団員が富山・金沢にまで出張して取り組んだ大日岳遭難訴訟にも、この基金から貸し出しがなされましたが、勝訴したことにより、基金にはさらに多くのカンパが寄せられ、基金は益々増え続けています。「貯めるばかりではなく、もっと使おうではないか」と、支部例会で話しあっているところです。
五 このように長野県支部団員は、皆で明るく元気に頑張っております。しかしながら、全国集会への参加は決して多くはありません。この五月集会を機に、もっと全国的課題にも取り組む支部にしたいと考えております。
みなさんの参加を心よりお待ちしております。
京都支部 古 川 美 和
二〇〇九年三月一四、一五日、「この規模としては」京都でおそらく初めてとなる、憲法をテーマとする市民ミュージカルが上演された。団通信三月一一日号で村松いづみ団員から詳細な告知をしていただいているので、ここでは実行委員会の事務局長として、公演の概要、個人的な感想等を速報的に報告させていただこうと思う。
◆支部を挙げて取り組み、満員御礼…しかしチケット売りは難しい
会場となった京都府立文化芸術会館は、定員が四三〇名超と、他府県での憲法ミュージカルに比べて小規模な会場だった。四公演で約一七〇〇席。しかし、公演一週間前には販売チケット数が約一四〇〇枚となり、五八〇枚程度出ていた一四日の昼公演は売り止めとした。ところが、その後半日で一〇〇枚というペースで増え続け、全公演販売停止の判断をした八日の日曜日後も、止めても止めきれず、一九〇〇枚超に。急遽、一三日夜に予定されていたゲネプロ(本番と同じ条件でのリハーサル)も公開することになった。結局、ゲネプロで約一七〇名、二日間四回の本公演では合計約一九〇〇名の方に観ていただくことができた。
最終的には、チケット販売数約二〇〇〇枚のうち、子役も含めた出演者八五名で七六〇枚程度のところ、六七名の団員及び団事務所の事務員で八〇〇枚以上を販売。まさに団京都支部を挙げての取り組みとなった。支部内でも、週に一〜三回のペースで市民ミュージカルニュースを発行してできる限り情報の共有を図り、個人事務所の団員も含め多くの皆様にご協力いただくことができた。
ただ、その陰では反省もある。舞台経験者からは、「一般に、特にこのような市民参加の公演では、チケットは半分くらいが公演直前の二週間で売れる」と聞いていたものの、公演二週間前になっても売れているチケットは六〇〇枚程度。一時は、古川家の個人資産を数百万円単位で注ぎ込まないといけないかも・・・と(密かに)悲壮な覚悟をした。しかし、焦りまくって団員や民主団体にお願いしたところ、そちらがグングン増えていくのと出演者が怒濤の勢いで売り出すのとが重なってしまい、公演一週間前には出演者にも、あらかじめ報告してもらっていた見込み販売数を超えるチケットは売り止めに。「(弁護士が売り過ぎて)本当に行きたい人に行ってもらえない」という苦情が出るなど、チケットの売り「加減」の難しさを痛感した。
◆出来映え・感想から
さて、公演の出来映えはどうだったか。私はどうしても「母の目」で観てしまい、とても客観的には見られないので、公演後に回収したアンケートから声を拾うと、「言葉が聞き取りにくい部分があった」「歌が難しすぎる」「音程が合っていない」「長すぎる」といったご批判もあったが、多くは「とてもすばらしかった。見せていただいてありがとう」「深い内容なのに笑える所も感動する所もあった」「素人ミュージカルとは思えない」「平和や戦争について、とても考えさせられた」「全国公演して欲しい」「来年もぜひ!」など、積極的なご意見をいただいた。
努めて客観的に私見を述べると、プロと呼べる人は音楽・振り付けも担当したPeter Golightly(ピーター・ゴライトリー)の友情出演のみにもかかわらず、芝居・ダンスについてはかなりのレベルまで達していたように思う。台本は一五〇頁にもわたり、セリフも膨大、殺陣など細かい立ち回りもあり、しかもセリフも芝居の動きもダンスの振り付けも、稽古のたびに毎回変わるという悪条件の中、よく「段取りを感じさせず芝居の中で人が自然な感情の発露に従って動いているというレベル」まで達したものと感嘆する。
そして何より、楽曲は掛け値なしにすばらしかった。Peterが英語で歌詞を書き、それを翻訳家が日本語の歌詞に訳しているため、言葉が曲に乗り切れていない箇所もあったものの、同じ旋律を場面によって歌詞やテンポ・アレンジを変え、何度も使うテクニックや、違う歌詞・違うメロディで同時に歌う複雑な構成、セリフと歌の絡み方、一曲の中で四拍子から五拍子(!)に切り替わり、また四拍子に戻る劇的な構成、二つの異なる曲を一曲にまとめてしまう・・・などなど、「Peterって天才!!」と何度も何度も思った。
・・・しかし、それだけに、その歌はとてつもなく難しい。ハーモニーの複雑さも、テンポの取り方も、合唱経験者が口を揃えて言う「難易度AAA」の歌。結果的に、ミュージカルにとって最も重要なはずの歌が、一番完成度が低くなってしまったと思う。それなのに、制作陣のこだわりで、某有名劇団でさえ当たり前という「口パク(あらかじめ録音しておいた声を流すこと)」は一切なし。あんな難しい歌を、常に生で、しかも踊りながら演じながら歌わなければならなかった出演者たちの苦労は、並大抵のものではなかった。
加えて大変だったのが、休憩を挟んで二時間半の長い芝居でありながら、三日間連続で本番五公演という超強行スケジュールであったこと。一三日の金曜日はゲネプロ前に一度通し稽古をしているから、二時間半を六回やったことになる。疲れるのは当然として、四回の公演で出来映えにも大きな差が出てしまった。文句なしに素晴らしかった一五日夜の最終公演と比べると、一四日昼公演などは悲惨な出来と言って良いかもしれない(一四日昼に観ていただいた皆様、すみませんでした)。素人ばかり八五名のミュージカルで、やむを得ないのかもしれないが、三〇〇〇円という高いチケット代を考えると、やはり申し訳ない思いがした。
◆運動としての憲法ミュージカル
今回、京都での憲法ミュージカルという「運動」の作り方には、反省点も多々あった。実行委員会の構成においても、従来憲法運動を担ってきた層と、憲法について考えたこともなかったという「普通の」市民との結節点となるような取り組みを目指してきたが、財政的な下支えを考え、既存の民主団体に軸足を置いた結果、どうしても疎外感や違和感を感じて実行委員会から遠ざかっていく人が出て(というか私の力不足で上手く巻き込んでいくことができず)、仕事量に対して実動の実行委員が圧倒的に少なくなってしまった。先に述べたように、制作陣がクオリティの高いものを、しかも「逃げ」の作り方をせずに求めたため、出演者に多大な負担がかかり、九ヶ月の稽古期間中には何度も何度も、本当に様々な苦情・軋轢・問題が生じた。その調整のため、制作スタッフ・実行委員たち(しかも少数の)はときに深夜二時三時まで、電話やメール、対面しての議論に粘り強く付き合わなければならなかった。
各地で憲法ミュージカルに取り組まれてきた団員の皆様も、きっと同じ思いをご経験されたことと拝察するが、本当に、途中で何度「何でこんなこと始めちゃったんだろう」と思ったかわからない。特に、労働・貧困の問題が深刻化する情勢の中、「市民ミュージカルなんて、まだ『余裕のある』人向けじゃないか。こんなお金も時間もかかることをやって、どれだけの『効果』があるというのか。全然コストパフォーマンスが合わないんじゃないのか。」と、何度も自問自答し、自分のやっていることに確信が持てなくなった。そのたびに、「いや、現場で起こっている具体的な問題を解決することで、憲法を実現していく取り組みとともに、そういう問題に直面していない人たちに向けても憲法運動の裾野を広げていく、こういう取り組みも、『車の両輪』として必要なんだ」と言い聞かせて、取り組んできた。
結論を言えば、今、その思いは間違っていなかったのではないかと思っている。
一つには、従来憲法運動に取り組んできた皆さんに、「こんなやり方もあるんだ」「ここまでできるんだ」と、大きな勇気と元気を受け取ってもらえたことだ。
そして、「平和や憲法について考えていただくきっかけになりましたか」とのアンケートに対し、約五分の二程度の人が「考えるきっかけになった」と答えているように(残りのほとんどは「普段から考えている」との回答)、観ていただいた人の胸に楔を打ち込むミュージカルになったとも思う。
そして何より、出演者、実行委員ら一人一人が、大きくて確かな「何か」を手にすることができたのではないか。まもなく本番というころ、出演者の一人に、「できれば、大阪のようにもう少し『憲法・平和企画』やりたかったな」という話をしたところ、後から猛烈な怒りのメールをいただいた。そこには様々な誤解もあったのだが、趣旨としては「弁護士さんたちが思っているよりずっと、出演者たちはこのミュージカルを通じて、平和や戦争について考えている。上から押し付けるように『(平和や憲法について)勉強しろ』とか言われなくても、自分たちで関心をもてば、みんな学ぼうとする。教授に言って、大学の授業でミュージカルの「戦争」のシーンを取り上げてもらった学生さん。九条なんてどうでもいい、ミュージカルに出たいと思って参加したのに、今はカンボジアの子どもたちを支援する運動に取り組んでいる高校生。『派遣切り』にあって先月無職になったのに、今週稽古が休みになったからと言って、知覧に一人旅に行って特攻隊のことを考えてきた女の子もいる。みんな、考え始めている。もう少し私たちを信じて欲しい」というものだった。
出演者たち一人一人が、この作品と関わった長い期間を通じて、作品の背後にある戦争や憲法について考え、獲得したものを、それを支える実行委員、スタッフたちの思いとともに、渾身の力で当日のステージにぶつけたからこそ、それを同時的に体験した(観た)多くの人たちを揺さぶることができたのだと思う。多くの人たちの時間と力をかけたからこそ、いや、そうでなければ、できなかったのだと思う。
劇中で主人公の一人が、「(争いのない国なんて)どこにあるの?」と問いかける子どもに向かって言う。「なければ創ればいいの。いい?みんなで力を合わせるの。時間をかけて、たくさんの人たちの想いを積み重ねて、そうして創り上げたものは、簡単にはなくならない。」まさに、このミュージカルが、そういうものであってくれればと願っている。
そして、劇中での「死神」たちと主人公の会話─「だが、おまえはこれまで何もして来なかった」「何もしないこと、それは我らに好都合」「戦争に向かう流れをそのままにしてくれて、ありがと。」─「違う!人間は、そんなに弱くない。」─「ならば、見せてもらおう」「これからの、おまえの生き方を」「これからの、人間たちの生き方を」・・・。このミュージカルに関わった一人一人が、これから死神につけ込まれない、『何か』をする一歩を踏み出していくことを、このミュージカルがその背中を押す原動力であり続けることを、切実に祈っている。
◆最後に─ありがとうございました
最後になるが、このミュージカルの成功(と言っていいのだと思う)には、本当に多くの方にご協力いただいた。全国各地の団員の皆様から多数賛同金をいただき(その大半は佐野就平団員の尽力(強引力?)によるものであった)、チケット発売前の活動資金とさせて頂いた。ここに、あらためてお礼を申し上げます。
また、そもそも京都でも憲法ミュージカルをやろうという話になったのは、団通信で二〇〇七年の東京・三多摩での憲法ミュージカル「キジムナー」や、二〇〇六年の兵庫での取り組みの大成功を知ったのがきっかけだった。特に、二〇〇八年の「ロラマシン」では、内容・運営ともに、大阪の取り組みを大変参考にさせていただいた。そういう意味では、全国各地でリレーのように伝わってきた想いのバトンを受け継いだからこそ、京都での取り組みがあったのだと思う。感謝の気持ちで一杯である。
今後、各地で同様の取り組みが広がっていけばいいなと思う。その際には、微力ながら京都でも精一杯のご協力をさせていただきたい。
愛知支部 長 谷 川 一 裕
三月九日、名古屋市東区の三菱電機派遣会社名古屋製作所(資本金一七五〇億、〇八年の連結売上高四兆円)で派遣社員として働き、昨年一二月に解雇通告(派遣切り)を受けた三名の労働者が、三菱電機を被告として地位確認(期限の定めのない雇用契約)を求める民事訴訟を提起した。請求は、地位確認とともに、同社及び派遣元である大手派遣会社三社(ヒューマントラスト、フルキャストファミリー、インテリジェンス)に対し違法不当な解雇を強行した共同不法行為に基づく損害賠償請求として連帯して各自に対し六〇〇万円の支払いを求めるものである。
原告甲(男性四〇代)は、〇二年五月から名古屋製作所で請負会社社員として工作機械の製造ラインで稼働し、〇六年偽装請負が発覚して派遣会社に移籍し、以後は派遣社員として同一の職場で稼働し、〇八年一一月一日に六ヶ月の契約更新を行った後、同年一二月二日に解雇通告を受けた。八年間の間に三菱は膨大な利益を溜め込んだが、甲の解雇までの昇給額(一時間当たり)は僅か二〇円であった。
原告乙(女性四〇代 母子家庭)は、〇三年一二月、甲と同様、請負として同製作所で稼働を開始し、〇六年偽装請負発覚により派遣会社に移籍して稼働を継続し、一二月一九日に解雇された(雇用期間は三月末日まで)。乙は、解雇された後、中学生の娘に「お母さん、仕事がなくなっちゃった」と伝え、二人で泣いた時の思いを提訴後の記者会見が語った。
原告丙(三〇代、男性)は、〇八年五月に派遣社員として稼働を開始し、一一月末に〇九年二月末日までの契約更新を行った後、一二月九日に解雇を通告された。丙は、住み込みの社宅を退去し、今は生活保護で生活している。
地位確認を求める根拠は、三菱電機との間で黙示の雇用契約が成立しているという主張であり、基本的には松下プラズマディスプレイ大阪高裁判決の論旨を骨格としている。
三菱電機名古屋製作所は、九〇年代初頭から人件費節約と雇用調整弁のため直接雇用の労働者の代替として、請負、派遣という形式を取った間接雇用の労働者を稼働させてきた。しかし、原告らは、三菱電機の指揮監督の下に労務を提供してきたものであり、請負と言おうが派遣と言おうが、それらは形式に過ぎないものである。原告らは、派遣契約書に記載された業務以外に業務にも従事させられ、解雇権も事実上、三菱電機が有していたのであるから(派遣元は派遣契約の中途解約にクレームを申し出たようだが、三菱電機は有無を言わさず解雇を強行させたものである)、派遣会社の原告らに対する雇用は形骸であり、使用従属関係は全面的に派遣先である三菱と原告らの間にあったものと構成している。訴状では、黙示の雇用契約の成立を根拠として請求しているが、労働者派遣法に基づく派遣先の直接雇用義務(偽装請負を含め、同一の業務で三年以上派遣を受け入れた場合に生じる派遣先の直接雇用申し入れ義務)の履行を求めることも検討されることになろう。
原告らは、「北部青年ユニオン」という労働組合を結成し、二〇日には「三菱派遣切り裁判を支える会」(仮称)が結成される予定であり、原告団、弁護団、労働組合、支える会は、何としても原告三名の三菱電機への直接雇用を実現するため、法廷での取り組みだけでなく、三菱電機を包囲するような運動を強めることが求められる。
今朝の中日新聞は、地元愛知のトヨタの労使が春闘で経営側と妥結した記事が大きく掲載されている。合意の中に期間社員の雇用確保はない。無法な期間社員切り、派遣切りの横行に対してストライキ一つ打たないのか。それで労働運動と言えるのか。歯ぎしりする思いであるが、派遣労働者が勇気をふるって人間の尊厳をかけて立ち上がった、このたたかいの「芽」を何としても生かし育て勝利するためにたたかう。
(常任弁護団 渥美雅康弁護団長 加藤悠史事務局長 長谷川一裕 坪井陽典 吉川哲治 篠原宏二 柴田幸正 明玉)
三・一八
東京支部 遠 藤 輝 好
一 午前中の接見が長引き、わずかばかり遅れて団本部に入ると、そこは全国各地から赴いた多くの団員と、各団員の真剣な眼差しとで、汗ばむほどの熱気に溢れていた。
二 受付でまず驚いたことは、手渡された会議の資料の厚みである(資料はなんと三〇種類以上!)。いずれも各団員が実際に取り組んだ事件に関するもので、非常に実践的な内容だ。中には実際の裁判資料も含まれている。労働事件に取り組む者にとって、これほど貴重な資料はないだろう。途中退席された団員が、「今日のこれからの会議に団の資料を持って来るように言われている…」と微笑んでいらしたことも頷ける。今回の会議に出席できなかった団員も、ぜひ資料に目を通してみてはいかがであろうか。資料の厚みは、全国各地で懸命に取り組む「団員の活動の厚み」なのだと思う。
三 全国の団員による活動報告は大変興味深い。やはり地域の特性というものもある。私の事務所は東京都港区に所在しており、いわゆる「製造業派遣」の問題は少ない。実際に、私も街頭での法律相談に参加したが、相談者の多くは「正社員」だ。ただ、問題はこれからであろう。「事務派遣切り」、「正社員切り」の問題が顕在化してくるのも時間の問題ではないか。地域の労働組合等とも連携を強め、来たるべき事態に備えなければならない。
四 また、会議では理論的な問題についての議論もなされた。すなわち、偽装請負のケースで黙示の労働契約の成立を認めた松下PDP事件判決について、「松下判決の射程は派遣先と労働者との関係にも及ぶか」という問題だ。会議の議論では「及ぶ」とする意見が強く、また結論としても妥当であると考えるが、こうした最先端の問題についてフランクに議論できるのも、この会議の良さであると思った(法科大学院で教鞭を執られている団員からのご発言もあり、とても刺激的であった)。
五 以上のように、「三・一三大量解雇阻止対策全国会議」は、非常に盛り沢山の「充実の会議」であった。第二回、第三回…もさらに充実の会議となるであろう。先にも述べたように、本当のヤマ場は「これから」である。今後も続くであろう「大量解雇阻止対策全国会議」に、私はもちろん参加したいし、同時に、全国の団員にも参加を呼びかけたいと思う。
宮城支部 菊 地 修
一 本年三月一五日(日)、反貧困みやぎネットワーク主催で「反貧困市民フェスタINみやぎ」を開催した。仙台市役所の目の前にある仙台市民の広場で行われ、約五〇〇名の参加で大成功のうちに幕を閉じた。
目的は言うまでもなく年度末を控え大量に発生する派遣切り、路上生活者等に対する相談対応である。当初は「派遣村」をイメージしたが、どうせやるなら一般市民も多数参加できるようにとお祭り形式で行うことにした。「深刻な問題を明るく取り上げる」が当ネットワークのモットーである。
フェスタは参加者全員による「早寝早起き朝ご飯」体操で幕を開け、相談テント(弁護士らによる法律相談、不動産屋による住居相談、医師による医療健康相談)での相談が行われるかたわら、メインステージでは地元ミュージシャン一〇組によるライブコンサートが次々に繰り広げられた。皆素晴らしい演奏を披露していただいたが、中でもジャマイカ出身の地元歌手ジョン・ルーカスさんの歌は圧巻であった。また、市民団体によるフリーマーケットのテントも設けられ常時賑わいを見せていた。演奏の合間に大抽選会も行われた。地元選出の国会議員、県・市議会議員も多数参加し、演奏の合間等で連帯の挨拶をしていただいた。昼前に始まった炊き出しではテントの前に長蛇の列が並んだ。
相談はオープニングと同時に相談者が各テントに殺到し、テントはすぐに満杯になった。相談件数は全部で六七件、内訳は法律相談が三二件(生保一四件、労働九件、多重債務三件、その他)、派遣切りに関するものが全体の三分の一を占めた。医療健康相談は二七件、住居相談は八件であった。相談者は早速次の日から弁護士らが同行して生保申請を行っている。カンパはこの一日で合計約五二万円集まった。
フェスタの準備は、当ネットの構成団体はもとより、NPO法人ふうどばんく東北AGAIN、NPO法人未来環境福祉ネットワーク、民商、新婦人、農民連、民医連、社保協等の市民団体の皆さん、県労連の皆さんに多大なご協力をいただいた。
二 反貧困みやぎネットワークは、「垣根を越えて繋がろう」を合言葉に昨年一一月五日に設立された。代表は伊藤博義宮城教育大学名誉教授と仙台弁護士会の新里宏二弁護士の二人、私が事務局長である。現時点の参加団体は、東北生保ネット(生活保護)、みやぎ青葉の会(多重債務)、ハーティ仙台(DV・性暴力)、CILたすけっと(障害者支援)、NPO法人ワンファミリー仙台(路上生活者支援)、宮城労福協(労働、法律一般)、自由法曹団(労働)、生活と健康を守る会(生活保護)、NPO法人仙台夜回りグループ(路上生活者支援)、宮城青年ユニオン(労働)の一〇団体である。
活動の柱は三つ。一つは、生活困窮者の駆込み寺にすること。そのために専用電話を設け、毎週金曜日午後一〜四時弁護士・司法書士による電話相談を行っている。また、電話だけでなく毎週路上者支援団体が公園等で行う炊き出しのときに現地に出向いての法律相談も行っている。二つめは、行政に対する政策提言を行ったり、広く市民に貧困問題をアピールすることである。そのために当ネットは、住居喪失者のための融資制度の周知徹底についてハローワーク等への申し入れ、仙台市に対し生活保護の違法な打切りをやめることやケースワーカーの増員を求める等の申し入れ、同じく仙台市に対しふうどばんくAGAINとともに定額給付金の募金箱設置に協力を求める申し入れ等を行った。市民向けには本年一月二三日にアメリカ金融危機及び労働法制の規制緩和についての学習会、そして今回のフェスタを開催した。三つめは、当ネットがNPO法人ワンファミリー仙台に委託してシェルター(路上生活者のための一時避難場所)を運営している外、路上生活者のために無償で住居、食料を提供してくれている行持院というお寺(収容能力三〇名)とも連携を取って救済活動を行っている。
当ネットの特色は幅広い市民団体が主役である点にある。今回のフェスタを通じてますます市民のネットワークが広がった。この深刻な貧困問題に立ち向かうには従前の運動のスタイル、枠組では到底対応できない。というか、面白くない。今後ともこのネットワークを広げ楽しい運動を作っていきたい。「垣根を越えて繋がろう」を合言葉に!
埼玉支部 山 崎 徹
三月一九日、午前七時三〇分。春の陽光を浴びながらも、早朝の空気はひんやりと肌に冷たい。「おはようございます」と声を掛けながら、足早に通用門に向かう労働者にチラシを配る。早朝のチラシ配りは、私自身も初めての経験だ。団埼玉支部としても初めての試みではないだろうか。チラシの受け取りは抜群によく、約一時間で「ストップ派遣切り」のチラシを約二〇〇枚配布できた。
場所は、安川電機入間事業所の門前。埼玉県入間市の郊外にひときわ大きな新しいビルがそびえたつ。いかにも内部留保をため込んでいるという印象を受ける。その向かいに宣伝カーを止め、団埼玉支部の弁護士が代わる代わるに「派遣切り」の不当性を訴えた。
安川電機は、会社全体で非正規社員約二八〇〇人のうち三割にあたる八八〇人の雇用を年度内に打ち切ることを公表している。契約期間を残した派遣社員に対しては、中途で契約を打ち切る構えだ。入間事業所でも約二〇〇名の非正規切りが予定されている。
団埼玉支部では、これまで埼玉弁護士会のシンポジウム・非正規電話相談、「埼玉派遣村」などを積極的に担うと共に、いすゞ自動車、ジェコー、椿本チエインなど非正規切り企業に対する個別裁判も提起してきた。また、この間、埼労連とも緊密に連携を取り、埼労連が団体交渉で解決できなかった事件を団員が順番に引き受けて、着手金なしで労働審判に持ち込むことにも取り組んできた。
今回の早朝宣伝活動は、非正規問題に対するこうした取り組みの延長線上にある。団支部として労働事件を待っているのではなく、派遣切りの現場に足を踏み出して、大企業の派遣切りに抗議の声を上げ、さらには、チラシをみての相談者があればこれを組織化していこうという運動である。
当日は、弁護士一〇名、地元の地労連五名、地元の市会議員四名総勢一九名の大きな宣伝活動となった。また、当初無謀とも思われた早朝宣伝に、埼玉の団員も耐えられることが明らかになった(実は、午後は眠くて仕事にならなかった団員もいたようであるが)。
早朝宣伝第二弾は、三月二五日、川口市の半導体の会社、エンプラス門前で行う。エンプラスも年度内に一五〇名の非正規切りを強行しようとしている会社である。今度は、自前のチラシに加え、京都支部のリーフという強力な武器も持ち込み、団支部の労働運動に大きくはずみをつけたいと思う。
岐阜支部 小 山 哲
岐阜では、二月二八日に、ぎふ反貧困ネットワークが主体となって、「ぎふ派遣労働者サポートセンター結・(ゆい)」を立ち上げました。
全国的にも「派遣村」方式による、派遣切り問題への対応が行われていますが、「結」は、宿泊はできないものの、数日間ではなく、四月末までをめどにした常設型のサポートセンターであり、専従者一名が置かれている点が特徴です。土日や夜間の対応もできるとよいのですが、現在はこれらの時間帯に対応できる体制が確保できないため、平日の午前九時から午後五時まで、電話と窓口で対応しています。
「結」開設に至る経緯は次のようなものでした。
ぎふ反貧困ネットワークでは、一二月二四日に行われた「年越し電話相談会」に参加しましたが、それ以降、派遣切りなどで職や住まいを失った方からの相談が連日のように寄せられるようになりました。一月・二月は、ネットワークの会員の中で、可能な人が対応に当たってきましたが、個別の対応には限界があり、今後予想される大量の相談にはとても対応しきれないため、常設型のサポートセンターを設置することになりました。
開所日の二月二八日には、炊き出しや経験交流のためのトークイベント、生活保護申請同行のためのボランティアスクールなどの開所イベントを行い、一〇〇名ほどの方が参加しました。
開所以来、三月一三日までの二週間で三〇件程度の相談が寄せられました。相談者の中で多いのはやはり派遣切りにあい、職と住まいを失った方からの悲痛な叫びです。住むところもなく、所持金も数十円、数百円という方が連日のように相談にみえています。
結では、このような方について即日又は翌日に生活保護申請同行を行い、その後不動産屋さんと連携してのアパート探し、自転車・炊飯器など生活に必要な物資の供給などのお手伝いなどをしています。
また、違法な派遣切りなどに対しては、ユニオンや団員による労働相談及び解決に向けての行動(団体交渉、地位保全の仮処分申立の準備)等も行っています。
その他、派遣切りにあい「結」のサポートで生活保護を受けられた方など同じ境遇にある方達を孤立させないための交流会(ピアカウンセリング)なども順次行っていく予定です。
「結」は緊急の必要性から突貫工事で設立した面は否めず、まだまだ人的・物的な資源は十分とは言えません。
ボランティア登録人数は多いのですが、「結」に詰められる人は少なく、連日、専従者と日替わりで来てくれたボランティア数名での対応が続いています。今後相談が激増した場合、現在の人数ではパンクしかねません。また、ボランティアもまだ一人で相談に対応できる方は少ないため、短期間での養成を行えないと、従前からの支援者に過大な負担がかかってしまうという課題もあります。支援物資も、皆さんから寄せて頂いてはいますが、それ以上に需要があるため、テレビ・自転車・炊飯器などはあっという間に在庫が無くなるという状況です。
財政面も、弁護士が生活保護申請同行を行った際の法テラスからの報酬からのカンパのほか、皆さんからの寄付金で賄っていますが、こちらもまだ十分ではありません。
また、行政に対する申し入れも行っていますが、住居のない状態で訪れた相談者がその日に泊まる場所の確保など、行政の対応が不十分な部分をどうケアするかなど、まだまだ解決しなければならない問題も山積みです。
このように、決して万全な準備ができているわけではありませんが、一人一人ができる範囲で協力し合い、救済を求める人を一人でも多く救うために「結」は日々奮闘しています。
【連絡先】
ぎふ派遣労働者サポートセンター・結(ゆい)
岐阜市美江寺町二―一 岐阜県教育会館内
電話 〇五八―二六四―七三五〇
〇九〇―九九一七―四三六九
URL http://gifuhanhinkon.web.fc2.com/
神奈川支部 田 渕 大 輔
一 社会保険庁職員を取り巻く諸問題への神奈川支部の取り組みは、神原元団員が既に団通信において報告しているところですが、昨年一二月八日に行った社会保険庁職員の労働実態の調査等を踏まえて作成した意見書を携え、二〇〇九年三月一七日、神奈川社会保険局へ申入を行いましたので、そのことについてご報告致します。
二 まず、意見書の概要ですが、消えた年金問題に端を発して、社会保険庁職員が年金記録問題の解決のために、極めて大量の作業に忙殺されていることを、実態調査及び組合からの情報に基づいて、出来る限り具体的かつ詳細に記載しました。
そして、そのような膨大な作業の処理が未だ終了しておらず、終了する目途すら立っていないにもかかわらず、平成二二年一月に行われる社会保険庁から日本年金機構への組織変更に伴い、ひたすら人員削減へと突き進もうとしていることの不合理さ、さらには、人員削減が年金記録問題及び日常的な年金業務の処理に与える悪影響について触れました。
その上で、労働者の権利保護という観点からは当然、国民の年金を守るという観点からも、熟練職員の雇用の確保と更なる人員の補充を求めるという内容の意見書となっています。
三 私たちの申入に対応したのは総務課長及び課長補佐でしたが、そもそも年金記録問題の本質的責任は問題を知りながら放置し続けた歴代政府にあり、年金記録問題に対する世論の怒りをかわすために、社会保険庁職員がスケープゴートにされていること、現場の職員は管理職も含めて犠牲者であって、意見書で述べていることは、単に組合の意見の代弁にとどまらず、全職員の率直な意見を代弁するものとなっていることを伝えました。
そのためかどうかは分かりませんが、社会保険事務局側の対応は比較的好意的で、年金記録問題の処理状況や、日本年金機構への移行に伴う社会保険庁職員の雇用問題について、率直な意見交換を行うことができました。
年金記録問題の処理については、社会保険事務局側も、日本年金機構への移行までに終わるとは考えられないということを率直に認め、日本年金機構への移行後も何らかの対応が必要であるとの意見に理解を示していました。
また、日本年金機構への移行に伴う社会保険庁職員の雇用問題についても、組織移行に伴い、社会保険の仕事に見切りを付け、自発的に離職する者が少なからず出ていること認め、職場の魅力を高めることの必要性を述べていました。
四 他方、日本年金機構での採用を希望する者の雇用問題、とりわけ、懲戒処分歴のある職員の一律排除や、改革に消極的との烙印を押された職員の排除については、採用審査を行うのは職員採用審査会であるという建前の下、慎重な発言に終始しており、その問題について触れることを回避しようとする姿勢が見られました。
もっとも、申入を行ったのは三月一七日のことでしたが、当初のスケジュールでは三月下旬に通知されることになっていた採否について、予定通り三月中に通知されるかどうかすら分かっていないという現場のもどかしさについては、率直に語ってくれました。
五 今回の申入の目的は、意見書でも強調したように、社会保険庁職員の雇用問題は、労働者の権利を守るという問題であるだけでなく、国民の年金を守るという問題にも繋がることを伝えることにありました。
その趣旨については、対応した管理職も一定の理解を示しており、申入の目的は一応達成できたのではないかと思います。
しかし、懲戒処分歴のある職員の一律排除の方針や、改革に消極的との烙印を押された職員を排除する基準が依然として維持されている現状からすれば、近日中にも、社会保険庁職員の雇用問題が発生する危険性は、相当程度高いとも考えられます。そのような事態が現実化した時こそ、私たちにとって、本当の闘いの始まりとなるのでしょう。
そのような事態が訪れないことを願いつつ、労働者の雇用を守り、ひいては国民の年金を守るために、神奈川支部は今後も社会保険庁職員を取り巻く諸問題に取り組んでいきたいと考えております。