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田中  隆 街頭活動規制策動と対峙した二ヶ月間
……東京条例「改正」問題が投げかけるもの
菅野 園子 UR賃貸住宅除却反対の国会要請
和泉 貴士 UR賃貸住宅国会要請に参加して
深堀 寿美 違法指導指示事件(八幡西福祉事務所事件)報告
石塚  徹 名古屋女子大学での組合弾圧事件
不当告訴に対する不起訴処分を勝ち取るまで
井上 洋子 国際問題委員会のベトナム調査訪問の報告
大久保 賢一 オバマ大統領の「核兵器廃絶」演説を歴史の転換点に
守川 幸男 日本の死体解剖率の低さとそのもたらしているもの
菅野 園子 五月一六日「『年金法廷』
〜日本年金機構でどうなる?私たちの年金」に参加呼びかけ



街頭活動規制策動と対峙した二ヶ月間

……東京条例「改正」問題が投げかけるもの

東京支部  田 中   隆

一 条例「改正」案と反対・批判の運動

 東京都都議会に提出された東京都安全・安心まちづくり条例「改正」案は、三月二七日の本会議で自民・民主・公明三党などの賛成によって強行された。

 繁華街等を訪れる来訪者に「大衆に多大な迷惑となるパフォーマンス等、街の秩序を乱す行為」を自粛する責務などを課し、事業者などの民間パトロールや警察官の「必要な措置」によって防犯を強化しようとするものであり、言論表現の自由との抵触をはらんだ「改正」である。概要は団通信一三〇〇号の拙稿「『安全・安心まちづくり条例』の新展開」にスケッチしたとおり、本部HPに掲載されている意見書「繁華街から自由が消える」のとおりである。

 この「改正」問題が浮上してから二か月、自由法曹団東京支部は、幹事会で反対声明を発表して反対意見の集中を呼びかけ、意見書の発表とあわせて都議会・都庁要請と記者会見を行うとともに、共産党都議団と連携した論戦対策を進めてきた。

(1)人権侵害のおそれや濫用の危険を暴露して問題に火をつけ、
(2)労働運動、地域運動、市民運動やメディアの反対・批判を巻き起こし、
(3)政治論と法律論を組み合わせた意見書を打ち込んで論点を浮かび上がらせ、
(4)委員会質疑で解釈や運用を縛りこんで「牙」を抜き取る

という拡声機規制条例(九二年)以来の「都議会攻め戦略」である。 「派遣切り」などに反対する「青年ユニオン」や「フリーター労組」がパフォーマンスを含む街頭活動を続けていることもあり、反対の声はこうした労組を中心に広範な団体・個人に広がり、メディアからも批判や懸念の声が寄せられるようになった(東京新聞・堤美香さんのコラム=二月二三日、朝日新聞・報道「都条例案で波紋」=三月一三日など)。

二 委員会論戦での限定と「縛り」

 反対・批判の広がりのもとで、東京都の担当者は「懸念の払拭」に奔走せざるを獲なくなり、三月一七日の総務委員会では抑制的答弁を繰り返した。

 自主的な活動を推進するためのもので、権利を制限したり規制 を課すものではない。
 このこと(a)は、指針に明記する方向で検討する。
 「一般交通に著しい影響を及ぼさないチラシ配布は自由」とし た有楽町事件東京高裁判決の基準は、改正によって変わるもので はない。
 事業者・ボランティアなどの啓発活動には、パフォーマンスな どの街頭行為に対する注意・要請を含まない。
 警察官の「必要な措置」は、街頭行動への個別的な指導や注意 ・要請を含まない。
 これらのこと(a、d、e)は、広報や区市の担当課長会議で 徹底する。

 これらの「運用基準」(a、d、e)は、併行して行なわれた警察消防委員会の警視庁の答弁でも確認されている。

 これらは、あいまいな概念を限定させて運用に「縛り」をかけたものであり、「立法趣旨」として改正条項の解釈と運用を拘束する。国会と違って廃案に追い込むことがほとんど不可能な都議会では(〇二年六月議会で迷惑防止条例(つきまとい規制)を事実上の廃案に追い込んだのが唯一の例。)、立法趣旨の拘束によって「牙」を抜くのを「事実上の獲得目標」とせざるを得ないのである。

 反対・批判の運動と答弁による限定・「縛り」によって、「改正」案の問題点はほぼ完全に暴露でき、最も懸念した「条例・指針による該当行動への干渉」の危険は、具体的行動への要請・注意なしの答弁などでほぼ完全に封じ込んだと考えていい。「規制を課さず」の指針への挿入が獲得できたこと、広報や課長会議での徹底といった検証可能な担保策を明言させたことも大きな意味があった。

 二ヶ月の対応は、やっただけのことはあったと言えるだろう。

 蛇足をひとつ。

 今回の「改正」は「世界同時不況による社会情勢の不安定化、不透明化、犯罪の増加」を「時代認識」として掲げたもので(有識者会議報告書)、新自由主義の破綻が露呈した時代の治安戦略の性格をもっていた。ところが、「改正」案の「でき具合」や担当部局(青少年・治安対策本部)の対応や答弁は、こうした時代認識を背負ったものとは思えない低水準のものであった。しかも、当初は「黒子だろう」と想定していた警視庁は、「改正」案と距離を置いていることが最後になって判明した。

 「時代認識」と対応水準の齟齬の原因は、どうやら「東京オリンピック招致の年の不況・失業者激増におびえた知事部局の突出」にあるらしい。となると、「改正」や対応の「できの悪さ」は、長年の強権政治で能力を磨耗させた石原都政の末期症状の表現とも言えるだろう。

三 「改正」策動が投げかけるもの

 繁華街での規制強化を掲げた東京条例「改正」の動きが、新自由主義破綻のもとでの治安戦略の本線に位置づくかどうかは、担当部局の迷走もあっていまもって判然としない。

 だが、グローバリゼーションとブッシュ・ドクトリンが破綻したいま、「健全な市民」を支配の側に取り込んで、自主的に異端者や不審者、テロリストとの対峙にかりたてようとした安全・安心戦略が、変容を迫られることは疑いを入れない。ときを同じくして、「反テロ戦争」の「大儀」喪失で噴出口を失った自衛隊海外派兵は、警察活動を口実としたソマリア沖派兵と海賊新法で新たな展開を遂げようとしている。

 軍事が新たな展開を見せれば、治安がそれに対応して変容するのもある意味で理の当然。東京条例「改正」問題は、少なくともその「予兆のひとつ」と考えておかねばならないのである。

(二〇〇九年 三月二七日脱稿)



UR賃貸住宅除却反対の国会要請

事務局次長  菅 野 園 子

一 概要

 自由法曹団本部市民問題委員会では、平成二一年三月二六日午後一時から午後五時まで、国会要請及び交流集会を行いました。参加者は団員である弁護士一二名(内四名が新旧六一期)、住まい連九名、一級建築士一名、除却の対象となっている各団地(東京都日野市高幡台、千葉幸町団地、東京都足立区花畑団地、埼玉県武里団地、東京都八王子舘ヶ丘)から計二三名、報道関係者五名、参加議員二名の計五二名が参加する大規模な国会要請となりました。

二 昨年来の取り組み

 さて、昨年二月、都市再生機構(UR)は、東京都日野市の高幡台団地、千葉県千葉市の幸町団地、埼玉県春日部市の武里団地、熊本県熊本市の武蔵ヶ丘団地など全国一七団地にある二四棟の賃貸集合住宅を除却(解体・更地化)する方針を決め、居住者に対し賃貸住宅からの立ち退きを要求しています。その理由は、耐震強度不足で耐震補強ができないことをうたっていますが、なぜ耐震補強ができないのか住民に対しては何ら説得力有る説明がなされていません。むしろ現在の技術水準からすれば合理的な費用で耐震補強は十分可能と考えられる状況です。従ってURは賃貸借契約上の賃貸人として修繕義務を負っています。にもかかわらず、安全な建物を提供しない大家が家賃を真面目に払っている賃借人に立ち退きを求めるという本末転倒の事態が生じている、これがUR賃貸住宅除却問題の本質です。

 自由法曹団本部では、昨年一〇月二〇日「UR賃貸住宅除却方針の撤回を求める決議」を採択し、昨年一二月七日に団東京支部では日野高幡台の団地の現地調査を実施し、多数の団員、一級建築士、住まい連、そして住民の方々が参加して交流の場を持ちました。その後団本部市民問題委員会では、「UR住宅の住民を支援し、除却方針の撤回と耐震改修を求める決議」声明の採択、「UR賃貸住宅の除却方針を撤回し、修繕義務の履行を求める」意見書の作成、団員と住民には会わないと言っているUR本部に抗議にいくなど精力的に活動に取り組んで来ました。国会要請は、これまでの活動の一つの集大成としておこないました。

 今回の国会要請の一つの意義は何点か考えられると思います。

 第一に、今回の国会要請では、多様な視点を持ったメンバーが一緒に同じ問題に取り組むことができたという点です。弁護士、一級建築士、住まい連、住民と一班をつくり、七六名の国土交通委員及び地元の議員に対して要請をかけていく。弁護士や一級建築士の主に理論面、住民の方の現場の状況や実感、何とかしてほしいという「声」、この組み合わせは要請先の感触も一般的によかったのではないかと思います。

 また、私個人としても、参加いただいた住民の方がご高齢の方も少なくない中で、非常に元気で堂々と「住み続けたい」「団地には郵便局も銀行も、スーパーも集会場も病院も友達もいて今ようやく一人で生活ができているのに、引っ越しすればできなくなってしまう」と訴えているのには感心し、元気を頂きました。

 第二に、国会で五団地二三名の住民の方々と交流する集会の場がもて、とても有益でした。

 私が印象的だったのは、各団地状況は全く異なる状況ですが非常に工夫して、活動を行っていることです(例えば花畑団地では除却の対象でありURが敢えて募集をかけないために空いている住居を低所得者に貸し出すことを求める集会を開催するなどしており、これは非常に時勢にかなったことで、また自分たちの建物にも居住させるという意味で一石二鳥の試みです。)。

 また住民の方々は既に、他の団地の住民を招いて勉強会を開催するなどおたがいが連携して、情報を共有し、URの次の一手を読み対処方法を考え出すなどしています。URは、除却は既に決定したことであるということを前提に、各支社、各団地に設けられた窓口以外では住民とは対応しないという方針を持っており、本部での対応、除却方針自体の見直しはおこなわないという立場でした。大家であるUR本部は賃借人の要望を聞かず、URの除却方針の見直しそのものに到達させまいとして各団地分断して対応していました。

ところが、UR側の分断方針にもかかわらず、各団地の住民の方々は知恵と努力を振り絞っておたがい連携をもって活動していましたし、各団地の連携は、URをしておそれさせるに足るものでした。

 第三に、今回は自由法曹団主催で国会要請をおこなったのですが、住民の構成、集会の運営、受付については、住まい連の方々にお力をお借りいたしました。もちろん自由法曹団の意見書の執筆にあたっても、現在住まい連の代表理事の坂庭国晴氏のご助力をいただきました。またURの「耐震補修をしようにも費用が掛かりすぎて補修ができない」という抗弁に対して、私達法律家であればすぐ煙に巻かれてしまうところ、建築構造・耐震設計の専門家として四〇年一級建築士として従事されてきた相原俊弘氏に、補修こそが合理的な方法であることを意見書の中に指摘していただきました。耐震構造の専門家としては耐震強度不足を理由に補修を断念した、耐震構造を悪用するものだから専門家としてもの申さねばならないと思い国会要請に参加したという点に専門家としての強い使命感を感じました。

 様々な団体、立場の方々と一体となって一連の共同作業がおこなうことができたということが第三の成果だと考えております。

参加した今回の要請が成功裏に終わったことを大変うれしく思い、ここに報告させていただきます。

四 最後に

 除却の対象となっているUR賃貸住宅は八都府県にあり、現時点でまだ明らかになっておりませんが、北海道、九州、中部、関東で今後問題が顕在化していくことになります。UR賃貸住宅の除却がお近くで問題になったときは、各団員の皆様が積極的に取り組んでいただけると幸いです。



UR賃貸住宅国会要請に参加して

東京支部 和 泉 貴 士

 この度、UR国会要請に参加、初めて国会要請というものを体験させていただきました。その感想などを報告致します。

一 きっかけ

 私が入所して三日目に、八王子合同で同じくUR問題を担当している飯田美弥子弁護士から、意見書の執筆を手伝わないかと勧められました。私の父が耐震コンクリート工学の研究者ということもあり、また、父を通じてURについては少なからぬ評判(手抜き工事や耐震データの不適切な作出について)を聞いていたために、運動に参加させていただくこととなりました。そして、この運動が、私が事務所を通じて参加することとなった最初の運動となりました。

二 当日の要請行動

 衆議院第一議員会館に一三時に到着、第三会議室で班分けと顔合わせが行われました。私は二班、同じ東京多摩地域の高幡台団地の方、全国借地借家人連合会の方、同期の東京合同法律事務所の枝川弁護士とで、八人の国会議員に対して要請を行うこととなりました。

 八王子合同は高幡台団地運動を一年近くにわたって支えてきた経緯があったため、団地の方は初対面の私にも親しみを持って迎え入れてくださったように思います。お互いの緊張をほぐす為にも、世間話などをしながら議員の部屋へ向かいます。

 要請対象の国会議員は自民党の古賀派、津島派の道路族議員、小泉チルドレン、民主党の議員など。地元日野市選出の小川友一議員がいたため、この議員に対しては特にしっかり要請を行おうということになりました。

 まず、一人目は民主党の長安議員でした。枝川弁護士が先陣を切って声をかけると、女性の秘書(受付?)が出てきて「先生は外出中です。」とのこと。奥には政策秘書らしき男性がこちらを黙殺しつつ書類を読んでいます。めげずに要請書を渡して内容を説明し、その後で高幡台団地の方に思いをぶつけていただきました。とはいえ、私も団地の方もまだまだ慣れておらず、あまりたくさん喋れず、また、声も小さかったように思います。

 次は小泉チルドレン、大塚議員。要請書だけは渡せましたが、秘書は名刺すら渡してくれず、私たちは露骨に警戒の眼差しで見られたように思います。ここでもまだまだ十分に説明を行うことが出来ませんでした。しかし、このあたりからだんだん度胸がついてきたように思います。団地の方も、私に「要望書を封筒から出して、ページをめくりつつ説明した方が聞き流されないのではないか。」といったアドバイスを下さるようになり、アウェーな雰囲気の中でも団結して事に当たる雰囲気が出てきました。

 その後についても、政策秘書の前で私と団地の方が説明をし、時には興味を持って聞いてくれる秘書の方もいる、といったパターンが続きました。

 そして、要請を繰り返すうちに、住民の方の説明がだんだんと詳細に、かつ心を打つものに変わっていったように思います。自宅のある一一階からの眺めがいかにすばらしいか、長期間住んでいたために愛着があること、突然出て行けと言われたときどうしても納得できなかったこと、耐震強度に問題があると言われたことで心配になって入院してしまったお年寄りの居住者のこと・・・、自分の住まいに対する愛着と、立ち退きに対する不安、怒りを、誰もが共感を覚える形で伝えることができたのではないかと思います。

 最後に、東京二一区選出の小川議員のもとへ。高幡台団地が選挙区に含まれるため、期待して行ったのですが、外出中とのことでした。ただ、外出の理由を聞いてみたところ、高幡台問題についてURの担当者と協議するために外出したとのことでした。秘書の方を含めこの問題に対して非常に強い関心を持っていることが伺われ、私たちの話に対しても熱心に耳を傾けていました。

三 おわりに

 後日談ですが、今回の国会要請を境に、今まで運動にやや消極的だった方が急に積極的になったそうです。国会に向かう時は心細そうだったその方は、後日、自治会役員に立候補、当選されました。前役員に対し、「この前、国会に行ってきたんですよ。」などと話しかける変わり様、これが当事者参加型の今回の要請の最大の成果なのではないかと思っております。

 皆で協力しつつ、様々な問題を解決していく、団地の方々は運動の主役としてさらなる結束と行動力を得たようです。かつては同じ棟に住んでいたにもかかわらず、ほとんど話をしたこともなかったのに、今はずいぶんと仲良くなったとのこと。運動は、核家族化し孤独な高齢者の方々に、社会性と活力を取り戻させるきっかけともなったのです。



違法指導指示事件(八幡西福祉事務所事件)報告

福岡支部 深 堀 寿 美

 三月一七日、福岡地方裁判所第二民事部は、北九州市の八幡西福祉事務所が行った違法指導指示に関する事件において、原告らの請求をすべて認める画期的判断を示しましたので、ご報告いたします。

二 裁判の経過

 本件裁判は、一つの世帯に対する平成一五年八月二九日付の保護停止処分の取消し(事件番号平成一七年(行ウ)第五号、平成一七年一月二六日提訴)あるいは無効確認、と、平成一六年一一月八日付け保護廃止処分の取消し(平成一八年(行ウ)第二三号、平成一七年一〇月四日提訴)、及びこれらの処分に伴って種々行われた八幡西福祉事務所担当ケースワーカーによる不当な行為に対する国家賠償(平成一七年(ワ)第二六八九号、平成一八年六月二日提訴)を求めるものでした。

三 事案内容

 平成一五年八月二九日、本件世帯の保護停止処分決定当時、世帯の父親・母親は四〇代、高校中退後の未成年の子、高校一年生の子ども、中学一年生の子どもがいました。この世帯には、すでに独立した子どももおり、北九州市内の別世帯で働きながら大学に通学していました。父親は高血圧、パニック障害等で働けず、母親も、腰痛その他で就労できていませんでした。

 平成一六年一一月八日の保護廃止処分決定当時は、高校中退後の未成年の子は世帯から外れ、高校一年生だった子どもは三月で高校を中退していました。母親の腰痛その他の愁訴は脊椎にできた腫瘍によるもののようでした。

 保護停止処分の経過は以下の通りです。

 担当ケースワーカーが世帯との関係を故意にかどうか悪化させ、怒った世帯が訪問を拒み、福祉事務所からの郵便を送り返すような状況で、一方的に期限を切って指導指示書を送りつけ、期限が来たので弁明の機会を設置する文書を送りつけ、保管期間が経過し指導指示書が返送されたのを了解しておきながら、弁明の機会の期限も過ぎたとして、弁明の機会通知書が、保護世帯に送達されたかどうかも確認せずに、保護停止決定処分を行いました。

 以上の状況を知らない保護世帯は、郵送で送られてきた保護停止決定処分通知書まで未開封のまま一旦福祉事務所に送り返してしまいました。

 九月に入り保護費をもらえなくなった状況であることを知った保護世帯が、福祉事務所に、それまでの非礼を詫び、どういう処分になったのか教えて欲しい、子どもたちだけでも保護を掛けて欲しいと頼んでも、何にもしてもらえなかった、というのが最初の事件です。

 なお、この事件は、後日弁護士が介入し、八月二九日から六〇日を過ぎた一二月五日に審査請求を申し立てました。が、審査庁も厚生労働省も「期間徒過」を理由に「却下」採決をしていました。

 保護廃止処分の経過は以下の通りです。引きこもりが原因で高校を中退したばかりの一六歳の子どもが就労指導に従わない、原告母親は、末っ子も引きこもりで悩みを抱えつつ、腫瘍のせいか体調も悪かったため就労できないでいたところ、一六歳の子どもと原告母親が就労指導に従わないという理由で、就労指導に従い働き出したばかりの原告父親と、中学二年生の子どもも含め世帯全体を一発で保護廃止処分にして、保護から排除した、という事件です。

 損害賠償は、最初の保護停止処分の手続違背の違法性をメインに、担当ケースワーカーが、「保護世帯いじめ」といえるようなひどい指導をし続けた事実を付加して請求原因にしていました。

四 判決内容

 裁判所は、判決の骨子を出してくれており、裁判所の思考の過程が端的に表されています。曰く

1 審査請求期間徒過の有無

 原告父親は、平成一五年八月二九日、正当な理由無く本件停止 処分通知書の受領を拒絶したものといえる。しかしながら、原告は、処分の事前手続きである指示書及び弁明聴取通知書の交付を受けておらず、受領拒絶した郵便物の中身が何であるかも知らなかったのであるから、この受領拒絶をもって、原告らが処分を知ったとはいえない。

 原告らが処分を知ったといえるのは、同通知書を受領した同年一一月一八日ころであるから、その後六〇日以内にされた審査請求は適法である。

2 本件停止処分の違法性

 本件停止処分は、書面による指示がなかった点(法二七条一項、六二条三項、法施行規則一九条)、弁明の機会の保障がなかった点(法六二条四項)、書面による処分の通知がなかった点(法二六条)において手続違背があるところ、とりわけ、前二者の手続違背は保護停止の処分に重大な影響を及ぼすものといえるから、本件停止処分は違法であり取り消されるべきである。

3 本件廃止処分の違法性

 原告母親や子どもに対する求職指示は違法とはいえない。しかしながら、指示はやや困難を強いるもので、適切性に問題がないとはいえず、指示違反が重大・悪質とはいえないこと、処分を保護停止にとどめて指示の履行を促せば履行されていた可能性もあったこと、直ちに保護を廃止する緊急性があったとは認められないことなどに照らすと、直ちに保護を廃止したことは重きに失すると言わざるを得ない。したがって、本件廃止処分は、保護実施機関に与えられた裁量の範囲を逸脱した違法がある。

4 不法行為の正否及び損害額

(1) 本件停止処分

 福祉事務所は、処分の根拠となった指示書が原告らに配達されていないことを知ったにもかかわらず、また、弁明聴取通知書の配達を確認することもしないで、本件停止処分を行ったものであり、法令の要求する手続きを履践する姿勢が希薄であった。そうすると、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と処分を行ったと言わざるを得ず、国賠法一条一項にいう違法がある。

 慰謝料は各原告三〇万円、弁護士費用は各三万円が相当である。

(2) 福祉事務所職員らの言動等

 原告らの主張する福祉事務所職員らの言動等は、いずれも事実が認められないか、又は、違法とはいえない。よって、いずれも不法行為には当たらない。

 書面による指導、弁明の機会の保障という手続きを重視し、書面で通知をすべきという法律の規定を守らなかった福祉事務所のやり方を糾弾し、しかも、法律を守ろうとする姿勢がない(裁判所の表現は「希薄」)とまで断罪して慰謝料まで認めた画期的判決でした。保護廃止処分については、世帯の実情を見てきちんと判断してくれた判決だと思います。

五 今後の進行

 北九州市は、この判決に対し、不当にも控訴しました。本原稿執筆段階では、どの点を問題にしているのか分かりません。ただ、要保護状態で保護を廃止された世帯、すなわち憲法二五条が保障する最低限度の生活を営めていない世帯に対し、保護廃止についての裁判所の違法判断を受け入れることなくそのまま争いを続ける態度自体、北九州市に「ヤミの北九州方式」への反省が一切無いことが露呈されていると思います。

 今後、争いは、福岡高裁に移ります。弁護団は、北九州市の生活保護行政を断罪してくれた判決の正当性を主張するに止まらず、再度、福祉事務所の行った行為の違法性を鮮明にする活動に努めるつもりです。

 今後とも、ご支援よろしくお願いします。



名古屋女子大学での組合弾圧事件

不当告訴に対する不起訴処分を勝ち取るまで

愛知支部  石 塚   徹

 平成一九年四月一六日、名古屋女子大学(学校法人越原学園)に労働組合が結成され私大教連に加盟した。

 学園は、組合を嫌悪し、団交に誠実に応じないし、組合員のT(事務職員)をいじめ潰しにかかってきた。平成二〇年春には、かつて日立製作所で「ガラスの檻」、住友軽金属で「アルミの檻」と言われたような状況にTを置き(私たちは、これを「応接室の檻」と呼ぶ)、無意味な業務を押しつけて連日いじめたおした。

 その攻撃がどんどんエスカレートし、私たちはTを元の勤務状態に戻させるための仮処分申立を準備していた。そんな中、事件は起こった。

 平成二〇年八月二一日、Tに普通解雇が言い渡され、翌日から、Tは出勤闘争の決意をもって学園に赴いた(この素早い行動が、相手や権力に弾圧の準備をさせなかったものと私は考えている)。

 その出勤闘争の初日の朝、そのTから電話があり、「今、大学に来ているが、昨日のことで警察が来ている。大学が私を告訴したみたい。」とのこと(後で分かったことだが、学園側は「強盗致傷」で告訴していて、警察が、「さすがにそれは無理だ。」と「傷害被疑事件」として捜査していた)。私は、すぐ、大学へ行った。すると、パトカーがあり刑事が何人かいた。要するに、昨日、解雇通告後のやりとりの中で、Tが上司を突き飛ばし、その突き飛ばされた上司がケガをしたというのである。私は、まず、「Tとだけ打ち合わせをさせろ。」と言い、Tから事情を聞いた。Tが言うには、「昨日、一旦受け取った解雇予告手当を返還し、書いて提出した書類を返還してもらった後、駆けつけた上司たちに囲まれて出られなくなり、その場を逃れようとしたときに、上司の一人の体に触れたということで、その上司が倒れたりケガをしたようなことはない。」とのこと。そこで、私は、刑事に「これは、労働組合と学園の労使紛争の中で起こった事件で、でっち上げの可能性もある。Tが取調べに応ずることには協力するから、逮捕はするな。また、取調べには私が立ち会う。」と言った。その刑事は、「分かりました。今からでも署に来て、取調べに協力してください。」と言うので、「私の都合は、午前中だけだ。」と言うと、「それで良い」となって、警察署へ行った。

 警察署へ着くと、「先生の取調べ立会いは認められません。」と変更された。さっきと約束が違うが、「それならば、私が別室に控えているので、Tが弁護人と相談したいと言ったら、直ちに、別室によこせ。」と要求すると了解した。その後、その日も含め四日取調べがあったが、すべて、私の都合にあわせ、私が別室で待機する状態で取調べがあり、Tは何度も私のいる別室に来てアドバイスを求めた。ときには、取調べ刑事やその上司が来て、私と論争することもあったが、私とTは譲らず、ほぼ、Tの言う内容の調書が作成された。もちろん、調書を見たわけではないので断言はできないが、Tの取調中、Tが質問や回答を全部メモすることを事前に了解させていて、Tは克明にメモをとってきているので、ほぼ、断言できる。

 四日目の取り調べ(実は、三日目で「終了」と言われたにもかかわらず、もう一度お願いと言われて四日目も応じた)が終了したとき、「これで本当に終了。送検します。」ということだったが、後日、「もう一度お願いします。この調書では否認調書になっていますから。」と私に連絡があった。私は、相弁護人と相談し、「まず、弁護人と警察とで話し合い、それで弁護人が了解できるようなら応じよう。」ということで、申入書を作成・提出して話し合った。その申入書には、「捜査は事実をありのまま見て遂行されることが当然であり、それが『否認』と評価されるかどうかで過不足の判断をすべきではないと考える。これまでの取調べに不足があるというのであれば、それは、学園側の言い分だけを受け入れて、被疑者の供述をそれに合わせようとする態度だと考えざるを得ない。」などと書いて、警察の不当性を突いた。

 刑事課長という上司が初めて私の前に現れて、「終了と言ったのに、もう一度と言うのは申し訳ない。でも、このままの調書では否認調書であって送検できないので協力していただきたい。」と平身低頭。私たちは、「落ち度を認めて謝罪する態度は立派だが、送検できない調書などという言い分はおかしい。内容に足らないところがあれば、検事がさらに取調べれば済むことで、警察が判断する必要はない。」などと譲らず、一時間も経過した。埒があかないので席を蹴って帰ることも頭をよぎったが、「調書で足らなくて、追加で聞きたいことは何だ。」と言うと、即答できない状態。そこで、「追加で聞きたい事項もはっきりしないようでは、ますます応じると返答できない。まず、先に、そちらで聞きたい事項を特定して、それから申し入れろ。それを見て検討する。」と言うと、「では、そのように。」ということで終わった。

 後日、「聞きたい事項」というのが、電話(口頭)で私に届いたが、私は、一言一句正確にメモをし、相弁護人と相談し、「警察が追加で聞きたいという事項は、あえて、Tを取り調べなくとも文書で回答すれば十分だから、文書で回答する。」と言って了解させた。そして、文書を作成して送り、そのまま送検された。

 送検された後、直ちに私は担当検事に連絡した。驚いたことに刑事課だった。てっきり公安部だと思っていたので(警察署で最後に登場した課長は、「これは公安事件ですよ。」と言っていた)、「公安じゃないんですね。」と言ってしまった。その後、「一度、Tを取り調べたい。」と私に連絡が入ったので、私も付いて行って、最初に担当検事に、「この事件は、直ちに不起訴処分にするように。」と申し入れた。

 そして、今年三月一八日不起訴処分となった。

 事実をありのままに述べ調書化させたことが、でっち上げの企みを打ち砕いたものと考えている。

 今、Tの解雇無効・地位確認の仮処分手続が進行中である。

 学園側は、この仮処分手続の中でも、八月二一日の出来事を「強取」とか「強奪」と表現しているが、不起訴処分という結果は、学園側への痛打となった。

 相弁護人は、小島高志(東海私大教連顧問)弁護士である。



国際問題委員会のベトナム調査訪問の報告

大阪支部  井 上 洋 子

 二〇〇九年四月初旬の四日間、ハノイの外務省付属国際関係学院東南アジア研究センター、ベトナム労働組合総連合、ベトナム法律家協会、ホーチミン市国家大学社会人文科学大学ベトナム東南アジア研究センターの四カ所を、団員六名と浦田賢治早稲田大学名誉教授などとで訪問した。

 訪問の目的は二つあった。一つは、ベトナムにおいて日本国憲法九条の存在や精神はどのように評価されているのか、アジアにおける平和主義の行方をさぐりたかったこと、もう一つは、ASEANあるいはASEANプラス3などのアジアの地域共同体をベトナムがどのように受け止め、どう推進していきたいと思っているのか、日本をふくめたアジア共同体の可能性を探りたかったこと、である。詳しくは、菅野園子団員の五月集会特別報告集、また今後作成予定の報告集に譲り、ここでは私の受けた印象を概括的に紹介する。

 まず、ハノイの外務省付属東南アジア研究センターは五名の陣容で報告を事前に準備して用意周到に臨まれた。そのため、部屋は家庭的でメンバーは少数ながら、公式会談という雰囲気に満ちていた。戦争被害を受けるのは人民であるからベトナム人民は平和を望んでいる、ベトナムはASEAN憲章であるアジアの平和と紛争の平和的解決のために尽力する、ベトナムでは民衆の団体は活動に法的規制による限界はあるが、政府と人民との橋渡し役を担って活動している、といった一般的抽象的な説明が大半であった。が、それでも、ASEANやASEANプラス3はアジア地域の共同体であるからアメリカなど地域外の国は対話や交流の相手であって加盟対象ではない、日本国憲法九条をどうするかは日本の選択であってベトナムは日本国民の選択を受け入れる、といった点では明確な志向を聞くことができた。

 一方、ホーチミン市国家大学の東南アジア研究センターでは、かなりざっくばらんな雰囲気であった。日本は対米依存するのではなく独立した強い国になってほしい、日本は東南アジアに位置するのだから東南アジアなくして日本は全世界での立場を確立できないはずだ、日本はもっと東南アジアの経済の安定、教育、文化交流などに支援をして欲しい、国家に軍事は必要なものであるから、日本が憲法九条を変化させようとする動きは理解可能であるが、それは日本国民が決めることである、日本の行動は良くも悪くもアジアに影響する、日本は正しいことをする必要がある、東南アジアのみならず世界の平和に日本はもっと貢献すべきである、という学長の個人的意見を伺うことができた。また、センター長からは、日本は軍事中心に動くのではなく、アジアのリーダーとして行動し、アジアとの文化交流や教育の援助にもっと力を注ぐべきである、そうすることによって中国政府の態度も変化してくるだろう、との要望が示された。同席された新聞記者からは、経済繁栄は平和の源であるとの見方も強く示された。

 労働組合総連合では、WTO加盟によりベトナムの輸出にはよい条件ができたと歓迎していること、大きいスーパーマーケットなどがないことを引け目に感じていること、などが印象的であった。電気屋街、塗料屋街、家具屋街、植木屋街など一つの商売は一つの地域に集中し、小売店が切磋琢磨しているのが、ベトナムの活気に貢献していると思え、大型店などないほうがいいと感じるのは旅行者の身勝手なのだろうか。

 ベトナム法律家協会では、ベトナムの「法律家」は法曹三者や学者以外に法律を扱う公務員をもさし、国家の基本たる法システムを整備する観点から広く法律家として結集させているという点が印象的であった。また、アジア人権裁判所構想について問うたところ、ベトナムは他国の内政に干渉しないので、そのような裁判所の設立は希望しない、という意見であった。

 「他国の内政には干渉しない」との姿勢は訪問先のすべてに貫かれている哲学であった。政治体制の違い、文化の違い、貧富の格差、が存在するアジアでは、この姿勢は、実務的なのだろう。この姿勢ゆえに、平和主義とかアジア共同体とか訪問の目的に関連する抽象的議論を提起しても、みんなそろって、ベトナムの経済発展を切望し、外資導入を歓迎し、日本による教育文化面での支援を望み、そして平和を望む、という結論にいきつき、議論はかみあわないまま終わってしまったという印象が否めない。しかし、かみあわないことがわかっただけでも有意義であったと思う。

 ベトナム戦争が終わって四〇年近くたつのに、街の基本設備資源はまだこの程度なのか、という思いは、東欧の国々で建物や道路が荒れているのを見たときの暗澹たる思いと似ている。しかし、ベトナムには東欧とは違う明るさ、力強さがある。多くの人々が体や手足を使って耕したり物を作ったり再利用したりして生きているなあと感じられること、街にあふれるバイクに象徴される若々しいエネルギー、観光客と見るや哀れっぽい目を作って笠を逆さにして物乞いするが、観光客がいなくなるとちゃんと掃除したり働いたりしてしゃきっと暮らしているたくましさ、など人間の力を肌で感じさせられ、虚飾が少なく、健全な社会だとすら感じさせられる。

 ベトナムと日本とのよりよい関係とアジアでの信頼を得るためにも、ベトナムや中国の研修生問題など一つ一つの問題に国内で取り組んでいくことの大切さを痛感した。また、ハノイでは現地日本法人のパワハラについて、現地採用日本人労働者の法律相談を受けたが、現地日本法人の労務管理の問題を減らしていくためにも何らかの対応を模索したい。

 今回の訪問は、全労連国際局布施恵輔氏、赤旗ハノイ支局の井上歩氏やダット氏、鈴木勝比古氏などのご尽力によって実現したものであり、ここに心から御礼申し上げる。また、訪問先各機関の茶菓の配慮、手作り横断幕での歓待や組織紹介グッズの土産など礼儀正しく暖かいおもてなしに、昨今の日本人の礼節はこれに劣るであろうと反省させられるほどで、訪問先各機関には、ややこしい議論をふきかける客に誠実に対応して下さったことに心から感謝申し上げる。



オバマ大統領の「核兵器廃絶」演説を歴史の転換点に

埼玉支部  大 久 保 賢 一

オバマ大統領の「核廃絶演説」

 オバマ大統領は、四月五日、プラハで、核兵器のない世界を追求することを表明した。彼は、核兵器を使用した唯一の国としての「道義的責任」に触れ、核兵器廃絶のために、米国が指導的役割を果たすと宣言したのである。これまで、米国は、原爆投下を「戦争早期終結」や「被害の極小化」あるいは「植民地早期解放」などを理由として正当化してきたし、核抑止論に基づいて核兵器の先制使用戦略を採り続けてきた。その意味で、この演説のもつ意味は限りなく大きい。ぼくは、この「プラハ演説」は、あのリンカーンの「奴隷解放宣言」と匹敵するような歴史的意味を持つ可能性があるし、核兵器廃絶を実現する絶好の機会としなければならないと考えている。そして、核兵器廃絶は、人類社会に「コペルニクス的転換」をもたらすであろうと考えている。核兵器廃絶は、人類の知恵と地球資源を、滅亡をもたらすかもしれない危険な物であるか、そうでなければ巨大な無駄な物に費消することを止めることになるからである。人を大量かつ残虐に殺傷する以外に使い道のない物に時間と財貨を奪われることがなくなったとき、人類は新たな地平に立つであろう。

「プラハ演説」の背景

 オバマ大統領の問題意識は、核戦争の危機は低くなったが、核攻撃の危険性が高まっているという「歴史的な奇妙な転換」という言葉に表れている。彼は、テロリストが核兵器を入手することを阻止することが最も差し迫った課題であるにもかかわらず、現状の核不拡散体制では不十分だというのである。そこで彼は、「核不拡散」に換えて「核廃絶」を提起したのである。確かに、交渉可能な国家間での核戦争の危険は低下しているとしても、何をするかわからない非国家主体であるテロリストが核兵器使用する可能性は高まっているし、その阻止のためにダブルスタンダードを内包する現在の不拡散体制は不十分であろう。その意味で、「核不拡散」から「核廃絶」に方針転換したことは合理的な選択なのである。

 このテロリストへの核兵器の拡散を阻止するために核兵器廃絶に向かうべきだという主張は、既に、キッシンジャーなど元米国高官たちが提示していた方針であるし、民主党も大統領選挙に際して政策としていたところである。この主張は、直接的には核兵器の非人道性に由縁するものではなく、むしろ、自らに対して核攻撃が行なわれることを阻止できないかもしれないという恐怖心からのものであろう。

 しかしながら、「核兵器廃絶」という目標を掲げたことは、積極的に評価されるべきである。「奴隷解放」も、奴隷に対する人道的配慮というよりは、北軍・南軍どちらの軍隊が黒人奴隷を味方につけることができるかという功利的かつ実践的な動機付けであったことを想い起こせば、むしろ現実的な動機付けの方が実現性が高いといえよう。

(もっとも、彼が原爆投下の道義的責任に触れていることと会わせ考えれば、彼はテロリスト対策を越えた地平を見据えているのかもしれない。ぼくはそうであって欲しいと念じている。)

オバマ大統領はどのように行動しようというのか

 オバマ大統領は、当面する行動として、ロシアとの新たな核軍縮交渉の開始、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准、核分裂物質の生産等禁止条約(カットオフ条約)の実現、核不拡散条約(NPT)の強化などをあげ、一年以内に核安全保障サミットを主催することを約束し、四年以内に核関連物質の管理体制を実現するとしている。

 これまで米国は、使える核兵器開発のために包括的核実験禁止条約など批准しようとしなかったし、核不拡散条約六条の核軍縮についての誠実な交渉など歯牙にもかけてこなかった。オバマ大統領は、米国の核政策の大転換を行なったのである。そして、核軍縮を求める世界の世論には背を向け続けてきた米国が、二〇一〇年の核不拡散条約の再検討会議でどのような姿勢を示すかは、「プラハ演説」の本気度を見定める機会となるであろう。

オバマ演説に欠けているもの

 ところで、オバマ演説には割愛すべきことと、付加されなければならないことと、更に検討しなければならないことがある。割愛すべきことは、「核兵器が存在している限り、米国は敵を抑止し、同盟国の安全保障のために核兵器を保持し続ける」としていることである。

 この主張は、結局のところ核兵器を抑止力として保持するということを意味している。敵の抑止と自らの安全のために核兵器の有効性を認めるということは、悪魔の兵器を守護神とする域から出ていない。核兵器の保持を合理化するための論理が「核抑止論」である。彼はまだその残滓を引きずっているのである。

 付加されなければならないのは、彼の政治的意思を、どのような法的枠組みとして実現するかということである。核兵器廃絶を、その時の政治的合意に止まらせないで、法的仕組みに高めることは、より強固な基盤を築くことになる。

 ところで、現在の国際法下において、核兵器の使用やその威嚇、研究や開発、保持や移譲を直接禁止する条約はない。国際司法裁判所の多数意見も、核兵器の使用や威嚇は「一般的に国際法に違反する」としていて、国家存亡の危機における核兵器の使用については、合法・違法を判断できないとしている。

 また、米国の国内法は、外国における軍の行動について司法判断の枠組みを持っていない。「国家の壁」は厚く、核兵器はいまだ法的統制に服していないのである。核兵器廃絶を単に政治的意思に止めないで、法的枠組みとして確立することが求められているのである。核兵器禁止条約が制定されなければならない。

 検討されなければならないことは、核エネルギーの「平和利用」である。彼は「核燃料バンク」を提案している。これは核エネルギーの「平和利用」を前提とするものである。地球温暖化防止策として化石燃料ではなく核エネルギーの利用が喧伝されている。

 けれどもこの政策の当否については更なる検討が必要であろう。無留保で核エネルギーの「平和利用」をいうことはできない。

私たちのとるべき態度

 このように、オバマ大統領の「プラハ演説」には留保しなければならないことが含まれている。

 しかしながら、このことによって、核超大国米国のトップリーダーが「核兵器のない世界」を目指すとして意味は決して減殺されない。ぼくは、「人類と核兵器は共存しえない」と考えてきたし、核兵器廃絶を求めてきた。それを阻んできたのは米国政府である。その米国政府の責任者が、核兵器使用の「道義的責任」に触れ、「核兵器のない世界の平和と安全保障を追求することを、明確にかつ確信を持って表明」したのである。これはまさに大転換であり、千載一遇のチャンスである。

 しかも彼は、その実現の困難さを自覚している。彼は言う。「私の生きている間には実現しないかもしれない」、「私は、武器に訴えようという呼びかけが、それを置くようにという呼びかけよりも人々を熱狂させることを知っている」、「だからこそ、平和と進歩に向けた声は、共に上げなければならない」、「究極的な破壊兵器をますます多くの国と人々が保有する世界で生活しなければならないという宿命論こそが、生かしてはおけない敵なのだ」、「人類の運命は我々自身が創るのだ」、「やればできる(Yes We Can)」。

 リンカーンの奴隷解放宣言がその果実をつけるには永い年月が必要であった。今、オバマ大統領の誕生という形で、私たちに示されている。

 ぼくは、「人類は奴隷制度もホロコーストもアパルトヘイトもなくしてきた。戦争もなくすことができる。」(デズモンド・ツツ大司教)という教えを信じ、オバマ大統領の呼びかけに応えて、「共に声をあげる人」の一人になりたいと思う。そして、「力による支配」から「法による支配」への転換を図るために、軍事力ではなく、諸国民の公正と信義に基づく安全保障体制を構築したいと思うし、全世界の民衆がひとしく欠乏と恐怖から免れて平和のうちに生存する権利の実現を希求したいと思う。

 当面、「モデル核兵器条約」の存在とその内容について、多くの人々に知ってもらうことから始めることとしよう。



日本の死体解剖率の低さと

そのもたらしているもの

千葉支部  守 川 幸 男

 日本の死体解剖率はわずか四%と異常な低率です。これは解剖医の不足、予算の少なさによるものであり、また、地域による扱いの差などがあります。その結果、死因究明が妨げられており、そのもたらしているものが見逃されています。すなわち、

 医療過誤で死因究明がおろそかになります。

 病死とされても実は犯罪の結果だったかも知れません。死因不明なのに病死とされている事例は数多くあります。

 消費者被害(パロマ事故など)で、解剖をしていて早期に原因がわかれば、第二、第三の事故が防げたかも知れません。

 これは犯罪の場合も同じです。

 ところが、どの分野でも、政策や方針でこの問題を取り上げていないようです。これらの分野で活動する団員の注意を喚起したいと思います。

 なお、民主党の国会議員細川律夫弁護士が、二〇〇四年から二〇〇五年にかけて国会でこの問題を取り上げています。また、最近、国会の中に、異状死究明制度確立議員連盟が発足しており、関心も高まってきています。

 ただ、犯罪被害者の遺族の多くは、理不尽にも命を奪われたうえに遺体を切り刻まれることに対する抵抗感が強く、死体解剖に違和感のある日本人の国民感情をどうするか、という困難な問題があります。

 私自身特に何か取り組んでいるわけではありませんが、昨年千葉県弁護士会でこの問題について岩瀬教授の講演をいただきましたので、問題点の紹介をした次第です。

【参考文献】

 一 「焼かれる前に語れ」(WAVE出版)

 岩瀬博太郎(千葉大法医学教授)+柳原三佳(ノンフィクション作家)共著

 二 「死因究明」(講談社) 柳原三佳著



五月一六日「『年金法廷』

〜日本年金機構でどうなる?私たちの年金」に参加呼びかけ

事務局次長  菅 野 園 子

 政府・厚生労働省は、社会保険庁解体を強行し、二〇一〇年一月に「日本年金機構」が設置され、年金業務の承継が予定されています。

 この間、社会保険庁の職員が「ヤミ専従」を理由に刑事告訴され、先日起訴猶予になりましたが、こうした職員に対するバッシングは継続しております。政界は、国民をないがしろにしてさぼってきた職員というレッテルを貼っておりますが、社会保険庁の職員はこの間、「消えた年金」問題に対する記録照合作業と各職員が担当する通常業務をなどを、おわりのない作業をこつこつとサービス残業を行っている状態です。

 閣議決定のもとに、日本年金機構には過去懲戒処分を受けた職員は採用されず、行き場がなければ当該職員は最終的には分限免職ということになっており、このこと自体労働法制に反しております。 それはさておき、年金機構になれば、私たちの年金は一体どうなるのか、この点について、あまりにも私たちは知らなさすぎます。特に利用者、国民の立場からみて、年金機構に移行して私たちの年金はどうなってしまうのでしょうか。

 年金機構では正規職員は約一万人に大幅に削減されます(社会保険庁では正規職員一万三〇〇〇人)。年金機構は、保険料の徴収や記録管理、給付、相談などの業務をばらばらにして、民間企業に委託するとしています。年金業務は専門的知識、経験が必要な複雑な業務であり、過去の制度が頻繁に複雑に変えられてきた経緯があります。専門的な知識経験を有する職員を失い、受託業者が数年ごとに変わる民間委託で、相談やサービスなどの安定的な運営が確保されるのか。一方で、民間委託を拡大し、年金積立金の市場運用の拡大など大企業へのビジネス提供などが進められようとしています。

 そこで、こうした社会保険庁「改革」の実体を告発し、年金機構で国民の年金がどうなるのかを検証し、今後安心できる年金の仕組みを作るためにどうあるべきなのかについて「法廷」形式での集会を行います。団員も「出演」する予定です。皆様自身どう判断を下すのか、ふるってご参加ください。

【『年金法廷』〜日本年金機構でどうなる?私たちの年金】

日 時 五月一六日(土)午後一時三〇分から午後五時

会 場 社会文化会館会議室

主 催 全労連、安心年金つくろう会(国公労連、自由法曹団など)