<<目次へ 団通信1311号(6月11日)
加藤 健次 | 熱気あふれた 長野・白樺湖五月集会 |
坂元 洋太郎 | 二〇〇九年五月集会 「刑事裁判分科会」に出席して |
星野 圭 | 長野・白樺湖五月集会 新人学習会のご報告 |
浜本 隆太 |
事務局交流会 「憲法運動」分科会の感想 |
望月 仁美 | 事務局交流会 新人交流会 |
田中 隆 | ソマリア派兵が投げかけているもの ……「非対称の戦争」と憲法をめぐって |
大久保 賢一 | 北朝鮮の核とミサイルにどのように対抗するか |
事務局長 加 藤 健 次
一 はじめに
五月二三日から二五日、新緑に囲まれた長野・白樺湖畔で、〇九年自由法曹団研究討論集会が開催されました。
昨年秋以来、大企業による非正規労働者の切り捨てに対するたたかいや「派遣村」に象徴される貧困に対する新たな連帯の運動が広がり、各地で多くの団員が参加してきました。憲法・平和の問題では、三月以降、「海賊対策」を口実としたソマリア派兵・「海賊対処法」に反対する運動に取り組んできました。
また、昨年の五月集会以降、裁判員制度について討論を積み重ねてきましたが、直前の五月二一日に裁判員法が施行される中での集会となりました。
こうした中、昨年に引き続き延べ参加者が六〇〇名を超え(六〇三名、うち弁護士三七二名)、熱気あふれる討論が行われました。昨年同様、新人弁護士と修習生で約八〇名が参加、新人事務局も多数参加して、若々しさを感じさせる集会でもありました。
二 全体会
議長団として、長野県支部の上條剛団員、東京支部の横山聡団員が選出されました。冒頭、松井繁明団長から開会の挨拶、長野県支部の松村文夫団員から歓迎の挨拶があり、来賓として、地元長野県弁護士会の森泉邦彦会長からご挨拶をいただきました。また、団員でもある仁比聡平参議院議員から、激しい国会論戦を踏まえたご挨拶をいただきました。
続いて、鷲見幹事長から、新自由主義的構造改革路線の破綻が浮き彫りになる中での、大企業の「非正規切り」や貧困問題に対するたたかい、「海賊対策」を口実に憲法九条を蹂躙するソマリア沖派兵・「海賊対処法案」に反対するたたかい、実施された裁判員制度における裁判での実践と制度改善要求の運動等について基調報告があり、活発な討論の呼びかけがなされました。
その後、各地・各分野での運動や事件について、以下の六名の方から発言がありました。いずれも、この間の運動の成果と教訓を踏まえ、今後の取り組みの問題提起を含んだ報告でした。
(1)いすゞの「非正規切り」とのたたかいについて
埼玉支部・伊須慎一郎団員、
JMIUいすゞ支部・佐藤良則さん
(2)貧困問題への取り組みについて
群馬支部・赤石あゆ子団員
(3)ソマリア派兵・海賊対処法案に反対するたたかいと改憲反対運動について
東京支部・田中隆団員
(4)国連自由権規約委員会総括所見の意義と活用について
東京支部・鈴木亜英団員
(5)裁判員制度に関する大阪支部での取り組みについて
大阪支部・愛須勝也団員
三 分科会
今回の五月集会は、昨年同様、分科会の討論を中心として、経験交流と討議をじっくり深めることを主眼としていました。
各分科会と参加人数は、以下のとおりです。
(1) 憲法・平和分科会 一二〇名
ソマリア派兵・海賊対処法案に反対する課題について、憲法九条との関わりも含めた活発な討論が行われました。また、米軍犯罪に対する上官と国の責任を追及する訴訟など、全国での基地問題の取り組み、各地での憲法運動についての報告と討論がなされました。
(2) 労働問題分科会 一三二名
大量解雇阻止対策本部からの問題提起と全労連の井上久事務局次長からの報告を受け、この間全国各地で取り組まれている「非正規切り」に対する申告運動や裁判闘争などの報告、討論が行われ、派遣法の抜本改正の課題や実態を告発する「黒書」づくりなどの運動についても提起がなされました。また、正規労働者の裁判闘争や公務員労働者の問題についても討論がなされました。なお、懇親会終了後、「非正規大量解雇をいかに闘いぬくか!」という特別企画が行われ、盛況でした。
(3) 貧困・社会保障分科会 一五三名
最初に木下秀雄大阪市立大学教授から「『闘う』社会保障」というテーマで講演していただき、全国各地での「派遣村」などの活動について活発な報告・討論を行いました。その後、生存権裁判や「ゼロゼロ物件」問題などについての報告・討論を行いました。最後に、今後の貧困問題に対する取り組みの方向性についての問題提起がなされました。
(4) 刑事裁判分科会 九一名
前半は、三月七日の全国会議の議論を踏まえて、裁判員制度の下での弁護実践について、公判前整理手続、公判、情状弁護、裁判批判などの論点に沿って、問題提起と討論を行いました。その中で、裁判員制度の下での弁護活動の方向性が一定明らかになってきました。後半は、量刑関与の問題も含めて、裁判員制度の制度改善要求にどう取り組んでいくかという課題についての討論が行われました。今後、実際に裁判員裁判が始まる中で、情報の交流と議論を引き続き行っていくことが確認されました。
(5) 国際問題分科会 二五名
一日目は、国際自由権規約委員会の総括所見に関し、刑事司法の分野と言論の自由の分野について報告を受け、これから国際人権規約を実際の裁判や運動の中でどう生かしていくかという討論が行われました。
二日目は、国際問題委員会が四月に行ったベトナム調査の報告を受け、東アジア共同体をめぐる問題提起と議論が行われました。
(6) 環境・公害分科会 四五名
「環境保護と大衆的裁判闘争」というテーマで、いくつかの基調報告を受け、各地での様々な運動や裁判についての報告・討論が行われました。長年環境・公害問題に取り組んでいた団員と若手の団員が参加し、活発な討論がなされました。その後、地球温暖化問題の現状と課題について、報告と討論が行われました。
環境・公害問題では、久しぶりの分科会でしたが、刺激的で内容の濃い分科会となりました。
四 全体会(二日目)
分科会終了後、全体会が開催され、以下の一一名の方から発言がありました。なお、時間の関係上、東京の山口真美団員(痴漢えん罪・沖田国賠事件)と大阪の篠原俊一団員(大阪憲法ミュージカル二〇〇九への支援のお願い)については発言要旨の紹介のみとなりました。
(1)UR賃貸住宅の解体・更地化に反対しよう
東京支部・前川雄司団員
(2)大阪・泉南アスベスト国賠訴訟について
大阪支部・岡千尋団員、辰巳創史団員
(3)原爆症裁判の現状と課題
京都支部・塩見卓也団員
(4)全国の支部で「ミネルバのふくろうは夕暮に飛び立つ」を実現し よう(地方自治体の行政委員の報酬月額制の問題について)
滋賀支部・吉原稔団員
(5)今後の労働分野の取り組み等について
東京支部・今村幸次郎団員
(6)岐阜における反貧困運動の経験と今後の課題
岐阜支部・笹田参三団員
(7) 裁判員制度についての今後の活動について
東京支部・泉澤章団員
(8)ビルマのアウンサンスーチー女史に対する人権侵害に抗議の声を
東京支部・伊藤和子団員
(9)地球温暖化問題の現状と団の取り組みの課題について
愛知支部・籠橋隆明団員
(10)長野・浅川ダム建設反対の取り組みについて
長野県支部・中島喜尚団員
全体会で採択された決議は次のとおりです。
○海賊対処法案の廃案とソマリア派兵中止を求める決議
○大企業による非正規労働者の大量解雇を許さず、労働者派遣法を派遣労働者保護法へ抜本改正することを求める決議
○長野県知事のダム政策転換及び西松建設関係献金疑惑に関する決議
○地球温暖化に関する決議
五 プレ企画
集会前日の五月二三日に三つのプレ企画が行われました。
(1) 新人学習会
新入団員に向けて、次の二つの講演・企画がありました。
○「地域に根ざしたパート労働者の裁判、オウム真理教とのたたかい」 (長野県支部岩下智和団員・長野、丸子警報機元原告)
○若手弁護士リレートーク
(神奈川支部・小池拓也団員、東京支部・西田穣団員、福岡支部・高木佳世子団員)
(2) 支部・県代表者会議
約一〇年ぶりに支部・県代表者会議を開催しました。様々な課題についての各地での取り組みの状況、支部活動を進めていく上での工夫や悩み、後継者の養成や団事務所の展開などについて、率直な討論がなされました。
(3) 事務局交流会
全体会で長野県支部の相馬弘昭団員、長野中央法律事務所事務局の栗岩恵一さんの講演の後、「憲法運動経験交流」、「私たちの『仕事』について考える」、「新人交流会」の三つの分科会に分かれて討論がなされました。
六 最後に(お礼をかねて)
多数の参加と盛りだくさんな企画の中、内容の濃い、熱気ふれる集会にすることができたと思います。参加者の皆さんのご協力に心から感謝いたします。
また、長野県支部の団員と事務局の皆さんには、準備段階から大変ご苦労をおかけしました。懇親会での「義民太鼓」は、懇親会としてはめずらしいアンコールが鳴りやまぬ素晴らしいものでした。 また、長野県の地酒を堪能させていただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
五月集会で討論した課題は、どれも現在進行形のものばかりです。集会の成果をもとにこれからも一層奮闘しましょう!
山口県支部 坂 元 洋 太 郎
一 私は、そもそも「裁判員裁判」制度には反対で、「模擬裁判」への参加も消極的であったが、昨年の団の方針を読んで、日本司法支援センターとの契約もして、船木事件のケースで弁護人役を買って出た(但し、山口地裁宇部支部で支部関係者も経験する必要があるということで実施されたもので、既定のシナリオに従って「振舞」だけのことであった)だけであった。
三月七日の大阪集会と今回の二日間の模擬裁判や現実の公判前整理手続を実践した団員の体験を踏まえた報告を聞くことができたことは、団の方針に従った実践という立場で現実に弁護活動に参加するうえで大いに参考になった。
二 企画担当された団事務局の御苦労に心から感謝します。
今回は論点が多岐にわたり、やや議論が拡散したきらいがない訳ではないが、多面的な情報に接するという利点もあったと考える。一〇月の大会では、それまでの「裁判員裁判」の生の体験者もいると思われるので、問題点を絞った議論ができることを期待したい。
私は、当日二〜三の発言をしたが、十分意を尽くして話すことができななったので、大きな問題点のある「裁判員裁判」を実践するうえで、私が紹介した本「伊東乾著「ニッポンの岐路 裁判員制度」洋泉社新書」で私がこれまでの団内外での議論で十分に検討されていないと思ういくつかの点を紹介し、合わせて公判前整理手続の公開の可否とその結果の公表と開示証拠の管理・目的外使用に関する論点について、若干の私見を提示してないと考えて、あえて駄文を送付する。団通信に掲載する余地があれば幸いである。
三 伊東乾氏には、物理学専攻で、現在東京大学大学院の大学院情報学環・作曲・指揮・情報詩学研究室准教授で『芸術表現』を専門とする方であるが、団藤重光博士との対談「反骨のコツ」(朝日新書)があり、「対談」を見ると、刑事法についても相当研究していることがうかがえる。
1 この本は、先ず「おわりに―蜂と裁判員」の最終章を読んで、 この本が何を訴えたいかを先につかみ、「二一世紀日本の司法が、 アリストパネースの描く紀元前五世紀(日本では縄文時代)のギリ シャより決して進んでいるわけではない」ことを知って俄然読了 する意欲が湧いてくる。次に第七章・第九章と読み進み、一章に 立ち返って通読するのがより効果的であると思われる。
2 伊東氏は、裁判員裁判法廷はマルチメディア重装備のハイテク 法廷で、「超IT化」された空間で、参加者が「マインドコント ロール」にかかることを非常に重大視している。
本書では、「神隠し殺人事件」(以下、本件という)が裁判員裁 判を先取りして進行した「プレゼンテーション」の実際を前提に 問題点を指摘する。
(1)裁判員裁判では、裁判員のため「わかりやすい」簡明な(その実質 は粗略な)プレゼンテーションが専ら「推賞」されている。
(2)本件では、「わかりやすい」例として、「性奴隷」というプレート、 遺体解体を動作するマネキンを使った再現画像や回収した骨片・ 肉片など二〇〇点の証拠写真と被害者の思い出の写真をスライド 編集したものが大型モニターに映し出された。
伊東氏は、これをテレビのバラエティ番組の手法と称している。
(3)証拠調べについて、刑訴法と規則は周知のとおり次のとおり規 定している(条文のみを掲記する)。
法二九七条・二九八条・三〇〇条・三〇一条・三〇二条・三〇 三条・三〇五条・三〇六条・三〇七条(三〇五〜三〇七条の三条 はプレゼンテーションにかかわる)・規則二〇三条の二などを参 照。
法三〇五条四項で法一五七条の四のビデオリンク方式による証 人尋問状況の記録媒体(同条四項によるもの)につき、「再生す るものとする」と規定されている。これ以外に映像による証拠方 式に関する規定はない(録音テープについての判例はある)。
(2)の事例のプレゼンテーションが現行法の証拠調べの規定によ って許容されるかは大きな検討課題だといえる。
(4)伊東氏は、(2)につき裁判員法廷でのオーディオ・ビジュアル機 器が「濫用」されると、簡単にメディア・マインドコントロールが 可能になる危険性を警告し、詳細な証拠調べの規律の必要性を訴 える。全く同感である。
3 上記二(1)〜(4)の指摘につき、伊東氏のいう「脳の生理と認知の メカニズム」に関する科学的知見が裏付としてある。具体的には 第七章にあたって欲しいが、結論を示すと、人間は過度に感情を 揺さぶる・恐怖を抱かせると、すべて「思考停止」の状態に近づい てゆくという。それは、裁判官・弁護士・検察官も例外でないと いう。
それゆえ、「メディア法廷を感情に支配させない科学的知見と 倫理的節度」を持った法廷にするため、徹底的な「証拠法」の「整備」 の必要性を訴える。その具体的内容については第九章を見ること を勧めるが、その結論は「証拠資料は原則原寸大」という「鉄則」の 導入を強く主張する。
4 以上から、模擬裁判などのこれまでのプレゼンテーションがい かに問題かがわかり、これを単なる「運用」で各裁判体で便宜実施 するのは誤判ないし不当な量刑につながり、刑事司法の目的に反 する結果を招来するといえる。
四 公判前整理手続(以下、本手続という)は、公開すべきかどうか。
1 私は、憲法・刑事訴訟法により原則的に公開すべきとの立場で あり、公開は禁止されていないと理解する。
2 その根拠は、憲法八二条一項・三七条一項、刑訴法二八二条一 項・二五六条一項にあり、三一六条の五の内容は、旧刑訴規則一 九四の三の内容と対比すると一層詳細になっている(三一六条の 五二号・五号・一〇号一一号を見よ)。現行法三一六条の五・三 一五条の三二の規定など、公判前整理手続の運用からして、本手 続は刑罰権の存否及びその範囲を定める手続といえる実質を有し 公開原理が妥当する。
3 この公判前整理手続の内実は、「予断防止原則」にも反する内容 を持つ。刑訴法は、そのために裁判官が何らの予断・偏見を持た ないで審理に当たるよう配慮している(「予断防止原則」の確立)。
(1)除斥・忌避
(2)起訴状一本主義(刑訴法二五六条六項)
この制度趣旨は、いまや公判前整理手続の導入をめぐって大きく変容されていて、「『予断防止原則』に何ら反するものではないとの理解に立って設計されたものである」(酒巻・池田)とし、簡単に処理されている。
次の指摘は、全ての刑事裁判官や私達は深く理解すべきであろう。
「プロモーション・システム下の裁判官は無意識的にせよ検察官に対し同僚意識をもち、弁護士よりは信用できると考える傾向がある。このような状況下で起訴状一本主義の精神、この精神の本質は『起訴された以上相当の容疑があるにちがいない』という意識さえ完全に払拭する点にある」とされている(横川敏雄「刑事訴訟」成文堂刊一六〇頁。詳細は一七〇〜一七一頁参照)。
(3)ところが、本制度の立案者らの主張は、「事件の実体について心証を形成するものではない」(池田修 裁判員法九七頁注)とか、これらの制度は予断防止原則に「何ら反するものではないとの理解に立って設計されたものである。…たとえ裁判所が公判期日外で証拠に接しその内容を検討したとしても、そこから事件に関する心証を得るのでなければ『予断』の問題は生じないというべきである」(ジュリスト一三七〇号一五一頁酒巻。同一八四頁池田発言)と述べている。誠に御都合主義的な理解である。
すると、本制度が準備手続であるからという形式論で非公開でいいという結論に直結するのは、予断防止原則の重要性に鑑みて無理がある。
従って、公判整理手続は公開されるべきである。
4 ところで、渕野貴生准教授は、本手続の公開につき、「被告人の防禦権行使を妨害する装置になって」いることなどを理由に公判前整理手続の公開には消極的である(「裁判員制度と知る権利」現代書館二六〇頁以下と二六四頁以下の同書の執筆者の座談会)。
その前提には次の(1)〜(3)の理解がある。
(1)立法当局者を含め公開・非公開についてそもそもほとんど議論 していない、研究者も他に問題とすべき点がたくさんあって公開 の問題について意識が行っていないと率直に述べている(二六五頁)。
(2)「準備手続きという位置づけが非公開と結びつきやすい、親和性 をもった手続枠組みとして作られている」として非公開運営を理 解していると思われる。
(3)「従来の準備手続きと今回の公判前整理手続きとは別物だという ことを解釈で主張しないと公開は実現しないと思います。」(二六 六頁。二六七頁〜二七〇頁)。
5 しかし、公判前整理手続を公開するかどうかは基本的には事案と当事者の意向によるが、非公開という「誤った」認識を持つことは許されないと考える。
分科会では、民事訴訟法一六九条・非訟事件手続法一三条のことが話題となったが、司法制度改革の中で新設された人事訴訟法二二条及び特許法一〇五条の七も参照されたい。公開の是非の立論に参考になる。
6 公判準備手続の結果は、三一六条の三一により調書に記載されて明らかにされるが、これをマスコミに明らかにするかは、利害得失を判断のうえ、これも事案と当事者の意向によるべきである。
裁判所が一方的にマスコミに明らかにすることについては反対すべきである。
五 裁判の公開原理と開示証拠の「目的外」使用禁止について
1 裁判公開の原理(憲法八二条一項)は、裁判の公正を確保する ための憲法的保障であり、刑事事件でこのことが憲法三七条一項 により特に強調されていると理解でき、刑事事件の公開は絶対的 である(八二条二項但書)。
公開原理から傍聴の自由及び報道の事由が導かれる。
2 裁判公開原理は、適正手続保障原則と不可分の関係にある。国 家刑罰権と対峙して刑事司法の目的(刑訴法一条)を有効に達成す るためには、被告人・弁護人は事案によって世論に訴えて国民的 な裁判支援を求め、あるいは裁判の遂行過程の監視は不可欠であ る。
そのために裁判の内容を広く世論に訴えていくことになり、そ の手段として多くの裁判資料が適切に利用されることになる。そ の利用の形態は多様であり、様々な媒体が利用されることになり、 当然に費用がかかる。
3 刑訴法二八一条の四の規定は、二八一条の五の刑罰規定と相ま って、被告人や弁護団、広く市民の裁判支援・監視活動を封じる おそれが強く、その運用いかんによって憲法違反ともなりうる。
目的外使用禁止の実質は、二八一条の四二項の規定からうかが えるように「名誉・私生活・業務の平穏」の保護にある。
しかし、刑訴法三一六条の一四・同条一五・同条二〇などによ って弁護人に開示された証拠は、弁護人の防禦にとって重要で、 開示による特段の弊害もないということで開示されたものである から、事案の内容・公判審理の状況などに鑑みて、裁判資料を利 用する範囲と程度は自ずと異なるが、原則として禁止規定には触 れないと理解すべきである。
4 私達は、「権力者」のあれこれの「発言」に惑わされることなく、 事案ごとに創意・工夫をして、この規定の廃止を念頭にその規制 を排除する実践を積極的に行うことが求められている。
福岡支部 星 野 圭
五月集会に参加された皆さま、本当にお疲れさまでした。
集会の規模の大きさと、何より大衆的裁判闘争にかける団員の思いの熱さは、初参加の私の予想をはるかに超えていました。本稿では、熱気に満ちた新人学習会の一端をご報告させていただきます。
一 はじめに
本年五月二三日、長野県白樺湖畔のホテルにおいて、五月集会のプレ企画「新人学習会」が開催されました。内容は、(1)「地域に根ざしたパート労働者の裁判、オウム真理教とのたたかい」と題した講演と、(2)若手弁護士リレートークというものでした。
二 (1)講演について
「地域に根ざしたパート労働者の裁判」では、岩下智和団員及び丸子警報器事件の元原告の方が同事件について報告されました。
丸子警報器事件は、パート社員の方が正社員との均等待遇を求めて大衆的裁判闘争を繰り広げた事件です。原告や支援者の方々は、各地での学習会、町人口の過半数に及ぶ署名集め、一〇数Kmものデモ行進など様々な運動に取り組み、やがては各地で、「全国で働くみんなの問題だから、がんばってね」と励まされるようになったそうです。裁判では、労働実態を裁判官に知らしめるための現場検証も実現し、パート差別を何とかしたいと涙した弁護士の言葉に、原告の方も感動されたとのことでした。
原告、支援者、弁護団による運動が、均等待遇の理念に反するパート差別は違法であるとする画期的な判決をもたらしたことは明白です。
均等待遇の問題は、労働者全体の労働・生活環境を極めて劣悪に追い込み、非正規雇用をないがしろにしている現在において、さらにその重要性を増しているように思います。大衆的裁判闘争が結実したこの事件から学ぶべき点は、非常に多いと感じました。
「労働者の要求が切実で、社会的支持を得られる内容(運動)であれば、弁護士は何も躊躇することなく法廷に立つ行動力が必要」だという岩下団員の言葉には、強い共感を覚えました。
(岩下団員によるオウム真理教とのたたかいについてのご報告は、紙幅の関係上省略させていただきます。)
三 (2)若手弁護士リレートーク
続いて、三名の団員によるリレートークが行われました。
小池拓也団員からは、いすゞ自動車による非正規切り・休業命令事件についての報告があり、結論をもらうことから逃げなければ初判断の判決は一年目でも取れるというお話しがありました。
西田穣団員は、弁護団事件に取り組むメリット・デメリットについて触れられ、中でも弁護団事件で得た知識や経験それに人脈は一般事件にも必ず生きてくるというお話しは興味深いものでした。
そして、高木佳世子団員は、生活保護問題への取り組みについて報告されました。高木団員の「なんとかしなければ、餓死事件がまた起きてしまう。そんなのは絶対に嫌だ」という強い思い、そして「受給者は怠け者というようなイメージを変えていきたい」という熱意に心を揺さぶられました。
質疑応答の時間では、終了時刻いっぱいまで様々な質問が続き、団員の活動に対する新人弁護士の関心の高さがうかがえました。
四 おわりに
あらゆる分野において閉塞感が強まっている現在、労働分野での弁護士に対するニーズも益々高まっているものと思われます。
労働者や家族の生活を守り、生活の基盤となるべき就労環境を改善していくこと、そして誰もが生きやすい社会を実現することは今や喫緊の課題です。大衆的裁判闘争をひとつの突破口として、様々な障害をひとつずつ克服すること、それが弁護士に求められていることであり、かつ、取り組みがいのあることでもあるということを改めて感じました。本学習会を経て、私も、憲法に根ざす労働者の権利を守り、強化するため、益々研鑽を重ねたいという思いを強めました。
代々木総合法律事務所 浜 本 隆 太
年越し派遣村がクローズアップされた年の五月集会なだけに、貧困の問題に関する発言が目立ち、事務所を挙げて派遣村を立ち上げた城北・埼玉総合の活動、非正規労働者の地域ユニオンの結成を目指して活動している八王子合同の経験など、貴重なお話を聞かせていただきました。
債務整理や生活保護の申請等、法律事務所が貧困の解決に向けてできることは多々ありますが、個々の事件で免責が許可され生活保護を受給できたとしても、それが依頼者の人間的な生活に直結するとは限りません。貧困の解決には、法律事務所の業務を越えて生活全般のケアや健康問題への対処が必要であること、貧困に対抗する運動を組織することなくして問題の解決はないことからも、医師の協力を得て派遣村を立ち上げた城北事務所の経験や労組の結成を支援している八王子合同の経験に学ぶべきものがあると感じました。
一番報告が多かったのはやはり平和への取り組みでした。大江健三郎さんを招いて三〇〇〇人の集会を成功させた長野中央や、愛知憲政会議主催の憲法集会に事務局として参加し、四〇〇〇人の参加を得た名古屋第一法律事務所の方のお話、アイラブ九条を合言葉に事務局リードで集会を行った堺総合の経験等の報告がありました。私も東京の杉並で憲法集会の裏方をやらせていただきましたが、平日の早い時間にもかかわらず一二〇〇名の方に参加していただきました。九条守れの世論が高まっていること、その中で法律事務所が重要な役割を果たしていることを改めて感じます。
また、沖縄戦や従軍慰安婦の問題を扱って平和を訴えてきた東京の憲法ミュージカルですが、今年は諫早湾干拓をテーマにするそうです。一転して環境問題を扱うのは意外でしたが、憲法が人間生活のあらゆる分野をカバーすることからすれば別の視点から憲法を考える良い機会であると思いました。
他方で運動を担っていく上での悩みも聞かれました。運動に積極的なのは一部であって特定の人に負担が生じている、事務所全体に運動の重要性が認識されておらず、運動に時間を割く人は仕事をさぼっていると評価されがちである、等の報告には多くの人が共感しており、これらが昔からどこの事務所でも起きている問題であることを感じさせました。
運動の主体になるには時として大きな負担を伴います。裾野を広げていくためにも、皆で認識を深め、皆で運動する事務所としてどう創っていくのか、事務所として運動を業務の中にどう位置づけ、その負担をどう分担していくのかを十分に話し合う必要を感じました。
川崎合同法律事務所 望 月 仁 美
私は、去年の一〇月に事務所に入所したので、入って約七ヵ月経ちました。
自分ではまだ七ヵ月しか経っていないのでまだまだ新人!と思いながらで五月集会に行きました。行く前に先輩方に、全国の人たちが集まるから色々な話が聞けておもしろいし、勉強になるよ。と言われていたので行くのがとても楽しみでした。でも、いくら新人ばかりでも自分よりは先輩の方がたくさん来ているだろうと思っていて、みんなどんな仕事を任されてやっているんだろう、と思いながら行ったんですが、いざ行ってみるとほとんどがまだ入って二ヵ月の人ばかりで、一番短い人で一週間経っていない人もいたりしてとても驚きました。
新人交流会には約六〇名程参加していて、それぞれ順番に自己紹介をしていく際に事務所の弁護士と事務局の人数を言っていったんですが、当たり前ですが事務所ごとに全くバラバラで、弁護士の方が多かったり事務局の方が多かったり、同じ位だったり。仕事の分担でもやはりバラバラで弁護士一人に対して事務局が担当制だったり、グループ制だったり、特に決まっていなかったり本当に事務所ごとにやり方が違うんだなと思いました。総合的にみると西の方が弁護士に対して事務局が担当制という所が多いみたいです。
わがままですが、皆さんの仕事内容の話を聞いていて、もし自分がやらなければいけない立場だったらちょっとツライなと思うところがたくさんありました。自分よりも入って間もない人なのに会社の破産をやっていたりサラ金との交渉?もやっている人がいたので、すごいと思いました。やはり債務整理が一番仕事内容で多いのかなという印象です。
仕事内容を聞いていておもしろい、と思ったのは私の事務所では事務局長という人はいないので、会計は会計担当の人がいてほぼ会計関係の事しかやらないのですが、他の事務所では会計専門の部署があったり、事務局長がやっていたりで事務所によってこんなにもやり方が違うものなのか、他にも電話応対や、受付は順番にまわってくるんですが、他の事務所ではそれぞれ担当の人がいて全く電話に出ない人もいて、電話に出るのが苦手な私にとってはちょっとうらやましいな、と思う部分がありました。
全国のいろんな事務所からたくさんの人が来ていたので、本当にたくさんの話がきけてとても勉強になりました。
少しづつですが、自分一人で出来ることも増えてきてだんだん楽しくなってきた所なのでこれからも先輩方にいろいろ教わりながら成長していけたらな、と思います。
東京支部 田 中 隆
(ソマリア・海賊新法PT責任者)
一 事実 ― ソマリアとこの国で
事態の意味をはっきりさせるために、事実を列挙する。
第一。五月一八日、「マルタ船籍のタンカーが不審船に攻撃されている」との通報を受けたアデン湾の護衛艦が、搭載ヘリを急行させたが、不審船は確認できなかった。通報してきたのはおそらく米海軍。もし不審船が攻撃を加えていたら、「駆けつけ警護」で発砲に踏み切っただろう。他方、二か月間で護衛した日本関係船舶は七二隻で「護衛率」は二〇パーセント、一隻の「護衛コスト」は五千万円で、「喜望峰まわりのコスト燗千万円」の二・五倍となる。
第二。四度にわたって繰り返された国連安保理決議は、海賊を平和と安全に対する脅威として憲章第七章を発動し、艦船・航空機に参戦を呼びかけ、武力行使を含めたあらゆる手段の行使を認め、果てはソマリア領内への侵攻すら許容している。これを受けて、米軍は海賊根拠地への空爆を検討していると伝えられ、政府も空爆の可能性を否定していない。これらは、国連海洋法条約を完全に逸脱している。
第三。五月二八日、ソマリア北隣のジブチに向けて海上自衛隊のP3Cが発進した。ジブチには、警備のための陸上自衛隊(米軍再編に伴って編成された最精鋭の中央即応連隊一個小隊)、補給のための航空自衛隊も展開し、戦後はじめての「三軍統合軍事拠点」ができあがりつつある。そのためにジブチ共和国と締結された地位協定で、自衛隊には日米行政協定顔負けの治外法権が規定されている。二百名という小さな単位の「三軍統合部隊」が編成された例を、寡聞にして知らない。
第四。海賊対処法案を審議した四月一五日の委員会での発言。「日本の国の存立にかかわる海の安全保障が危機に瀕している。軍を出すこと、最高レベルのものを出すこと、国家がこれだけの対応をするところに重大な意味がある。憲法の制約をどう説明しようと、各国からすれば自分たちと関係のない日本の特殊事情にすぎない」。発言者は、与党筆頭理事の中谷元・元防衛庁長官である。
これらの事実は、ソマリアで行われ、この国がやろうとしているのが「海賊との戦争」すなわち軍事行動であって、海賊を検挙するための警察活動ではないことを物語っている。
その軍事行動で問題は解決したか。海賊は減少せず、発生海域は拡大した。国際政治が生み出した海賊問題の解決には、ソマリアでの政府の再建と経済・治安の再生が不可欠であり、武力行使が暴力の拡散と連鎖を生むのは、「テロとのたたかい」と変わるところはない。
二 論理 ― 「海賊対処は警察活動」
ソマリア沖で展開されているのが軍事行動あることは、政府・与党も承知している。にもかかわらず、政府・与党からは、「海賊は犯罪者だから、海賊対処は警察活動だ」という「説明」が、判を押したように繰り返される。ここから、犯罪者に対してならなにをやっても、憲法が禁止する武力の行使や「集団的自衛権」の行使にはあたらないという、「九条迂回のロジック」が導き出される。
その結果、制海権確保を宣言し、いつでもどこでも軍事介入ができて共同作戦が自由自在になり、危害射撃や船体射撃などの先制攻撃が可能で、緊急の場合には軍事部門の単独判断で派兵ができる海賊対処法案が登場した。
この「ロジック」が、憲法論に投げかける問題は尋常ではない。
憲法が放棄したのは「国対国の古典的戦争」だけで、「海賊との戦争」は放棄していない。「海賊は国に準ずるものになっているのではないか」と国会で追及されても、海賊行為は犯罪行為だから背景や組織とは関係がないと言い捨てる。これが政府・与党が繰り返す海賊対処法の「ロジック」である。
これが通用するなら、米軍が政府を倒したあとの戦争は、すべて反米勢力や反政府戦力の犯罪行為と説明できるから、アフガンやイラクでも自由自在に参戦できることになる。海賊を山賊や盗賊に置き換え、海の安全保障を陸や空の安全保障に拡大し、船舶検査や船団護衛に安全確保活動(=治安掃討作戦)を加えれば、それだけで自衛隊派兵恒久化法ができあがる理屈にもなるだろう。
「国対国」の戦争ではなく「非対称の戦争」が中心となっている時代のもとで、治安掃討作戦への参戦がフリーパスとなれば、憲法九条は現代的意味を喪失することになりかねない。
意見書などで本格的な論陣を張らざるを得なかったのは、この問題を放置することはできなかったからである。
三 課題 ― 現代の憲法論と平和論
投げかけられているのは、これまでの運動や理論の弱点の克服を含めた新たな段階の課題である。箇条書的にいくつか指摘する。
a 現代の軍事と治安をめぐる理論の深化
「犯罪行為だから巡視船の派遣を」との主張が、民主党の推進派のみならず民主運動でも主張されたことがある。マラッカ沖でやられた当事国や沿岸国の警察力強化への海上保安庁の協力は正当だが、軍事行動が展開されている海域への船団護衛のための巡視船派遣は似て非なるもの。海上保安庁(コーストガード)は沿岸警備が任務であり、船団護衛は海軍の機能そのものなのである。
「非対称の戦争」によって「軍事と治安の融合」が生み出されることは、全面戦争の武力攻撃事態とテロ=犯罪行為の緊急対処事態をひとつの法制に束ねた有事法制・国民保護法の誕生や、これらと「安全・安心まちづくり条例」の連動が示唆していた。あのときは理念レベル、法制レベルだった問題が、「実戦レベル」に進展したいま、軍事と治安をめぐるいっそうの理論深化が不可欠である。
b 憲法九条論とりわけ「一項論」の再構築
海賊対処法の「ロジック」が成り立つかに見えるのは、九条一項が「国と国との戦争」を念頭において解釈されてきたことによる。
学界では、「侵略戦争のみならず自衛戦争も放棄したか」が「論点」となり、「一項では放棄していないが、二項の交戦権否認に含まれるから自衛戦争もできない」というのが多数説とされてきた。「二大陣営の対抗」「国と国の戦争(あるいは代理戦争)」の構図で世界が把握されてきた時代を背景にした理解だろうが、驚いたことに冷戦崩壊から二〇年たっても論理構造は変わっていない。
はっきりさせておく。「国対国の戦争」が「非対称の戦争」に変わったから、憲法解釈を変更すべきだと言っているのではない。「対称性をもつ(といちおう思われていた)米ソの戦争」を典型モデルとして戦争をとらえていた「戦争観」の方が、実は特異だった。そう思えてならない。
有史以来、「国と国の戦争」も発生し続けたが、それ以上に「国でないものとの戦争」が続き、後者の方がより深刻な被害を与えてきた。そのことは「民衆と軍隊の戦争」に彩られた戦争史をひもとけば、直ちに理解できるだろう。その典型が、中国大陸で一五年にわたって展開された侵略戦争にほかならない。
九条を冷戦時代の呪縛から解き放ち、すべての戦争の否定という原点に回帰させることは、理論と運動の両面からの課題である。
c 非戦論・平和論の再検証
「九条があるから日本だけは派兵できない」という「ロジック」を繰り返しても、本質的な対抗にはならない。「日本の特殊事情にすぎない」から無視しろ、無視できないなら変えてしまえという「ロジック」が控えているからである。「とにかく九条を守れ」と言っているだけでは、九条そのものも守れないのである。
九条を原点に回帰させるということは、戦争違法化の流れがいかなる戦争を否定しようとしてきたかを問いかけることであり、ソマリア問題に平和的解決の道を対置することは、国際社会が紛争の解決にいかなる道筋を選択すべきかを問いかけることである。これらは非戦論や平和論を再検証する課題であり、いずれもこの国だけの問題ではない。
六月五日からハノイで開かれる国際法律家協会(IADL)総会に、日本代表団はソマリア問題での決議案を提案することになっている。決議案は、九条違反の日本の派兵に反対するだけでなく、平和的手段による海賊問題の解決を要求している。
九条のない国の法律家にこの問題がどう受け止められるか、それが再検証の第一歩である。
……五月二四日の五月集会全体会発言を大幅に加筆補充した。
(二〇〇九年 六月 三日脱稿)
埼玉支部 大 久 保 賢 一
問題意識 「一方聞いて沙汰するな」
朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と表記する)が、また、核実験を行い、短距離ミサイル発射実験を繰返している。この事態に賛成する者はいない。不安や脅威や憤怒を感ずるだけでなく、何とかこの事態を解決したいと考える人がほとんどである。もちろん、私も、核実験にもミサイル発射にも反対であるし、このような事態は早急に解消されなければならないと考えている。
そうすると、問題は、どのような方策でこの事態にあたるかである。そのためには、北朝鮮が、なぜこのような事態を惹き起こしているのか、その理由と背景事情を知る必要がある。そもそもどのような行為であれ、そこには動機や獲得目標があるはずだからである。そのことを冷静に見ないで、「ならず者国家」だとか「不良国家」などと決めつけたり、「北の脅威」を煽って制裁や軍事的対応を言い立てるだけでは、事態は一層深刻化し、解決は遠ざかるだけであろう。
そこで、ここでは、北朝鮮がなぜこのような行動に出ているのかについて、その主張を追ってみることとする。「一方聞いて沙汰するなと」いう格言があるからである。もちろん、その主張が真意かどうかは判らないし、鵜呑みにすることもできないかもしれない。 けれども、最初から「あいつの言うことはすべて嘘だ」といってしまえば、そこには信頼どころか対話すら成り立たないであろう。「平和的な人工衛星の発射」だと言っているのに、「ミサイルの発射」だとして国を挙げての「迎撃態勢」に入れば、話合いの前提は失われるであろう。その前提を掘り崩しながら「六カ国協議の再開」などを主張しても、それこそ「正常な思考力」を疑われるであろう(「朝鮮新報」電子版五月二七日付「論調」)。「何をする国か分からない国だ」と脅えるよりも、かの国がどのような発想と論理で動いているのかを探求し、その対処策を構築することこそが求められているのである。
核実験の理由
北朝鮮は、「今回の核実験は、先軍の威力で国と民族の自主権と社会主義を守り、朝鮮半島と周辺地域の平和と安全保障に貢献するだろう」としている(五月二五日)。その背景には、「平和目的のための人工衛星打ち上げ」を問題視した国連安保理の議長声明を「朝鮮の自主権を侵害し、朝鮮人民の尊厳を冒涜した措置」と評価し、六カ国協議への不参加を表明し、自衛的核抑止力の強化を図るという政策を選択したことがある。「六者協議がなくなって非核化プロセスが破綻しても、朝鮮半島の平和と安全は先軍の威力で守っていく。」というのである(四月一四日)。また、北朝鮮は、安保理が謝罪しなければ、核実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を含む自衛的措置をとるとしていたのである(四月二九日)。
ここには、核とミサイルで「国家の自主権」と「民族の尊厳」を守るという姿勢を読み取ることができる。核を自国の安全保障の「切り札」とするということである。合わせて、北朝鮮は、六カ国協議への幻滅と国連安保理への不信をあらわにし、あえて「孤立」を選択しているのである。
そうすると問題は、一つには、北朝鮮が、国家の自主権と人民の尊厳を核とミサイルで守ろうとすることは理不尽なのかということと、二つには、北朝鮮が、六カ国協議や安保理に信頼をおかないのは何故なのかということになる。
国家の自主権を守るということ
国家の自主権と人民の尊厳を守ることは、国家と国民の安全を保障することであり、政府の主要な任務である。領土を保全し、人民の安寧を確保することは政府の存在理由である。米国も日本も国家と国民の安全保障には全力を挙げているところである。北朝鮮にだけ、そのような国家目標を持つなということなどできない。しかも、国家の安全保障を核兵器とミサイルで確保しようとしている国など世界中にたくさんあるし、米国はその典型例である。日本も米国の「核の傘」に依存し、核兵器の必要性を承認しているのである。加えて日米両国とも民衆の生活よりも軍事費・防衛費を優先している国である。北朝鮮の「先軍政策」と大同小異である。にもかかわらず、なぜ、北朝鮮が自国と同じ政策を取ることには反対できるのであろうか。
そもそも国連憲章は、「すべての加盟国の主権平等の原則」を基礎におき(二条一項)、「人民の同権および自決の原則」を尊重しているところである(一条二項)。国連加盟国である北朝鮮に対して一方的に「武装解除」を迫る国際法上の根拠はない。自らの核依存政策は棚に挙げ、北朝鮮の核保有を非難することは身勝手以外の何物でもない。もし、北朝鮮の核政策を非難するのであれば、自らの核とミサイルを放棄することを約束してからそうすべきである。
北朝鮮の不安
加えて、北朝鮮には特別の不安がある。米国が北朝鮮敵視政策をとっていることである。米国は北朝鮮を「ならず者国家」、「悪の枢軸」と名指ししてきた。北朝鮮に対する先制攻撃を仕掛けようとしたこともある。米国は、北朝鮮の現政権が崩壊した後の軍事対応策(「作戦計画五〇二九」)まで用意しているのである。北朝鮮にとって米国は最大の脅威なのである。北朝鮮にとって、米国の脅威は杞憂なのだろうか。それとも具体的対応が求められる現実の脅威なのであろうか。
北朝鮮が米国に脅威を覚えることは、無理からぬところであろう。なぜなら、米国に睨まれれば、大量破壊兵器など持っていなくても持っているとされ、「テロの温床」だと決めつけられ、その政府は「非民主的な独裁政権」として圧倒的な軍事力で打倒され、国土は米国の占領下に置かれるのである。この事実は誰でも知っていることである。
その米国の強力を知っている北朝鮮は、「いわれるままにIAEAの査察に応ずることは、戦争の犠牲者になることであるという教訓を、イラク戦争は教えてくれた。」、「強い国際世論も、大国の反対も、国連憲章も米国のイラク戦争を止めることはできなかった。物理的な抑止力、すなわちいかなる洗練された兵器による攻撃も完全に撃退できる抑止力を有していない限り、戦争を防ぎ、国家主権および国家の安全を守ることはできないことは、イラク戦争の教訓であった。」としているのである(二〇〇三年の「世界人民との連帯朝鮮委員会」のプレスリリース。「地球の生き残り」六二頁)。
北朝鮮は、国際世論や国連憲章を信頼しても、自国の安全保障を確立することなどできないと考えているのである。国連憲章を信じられないのは、それがあっても米国の武力行使を阻止できないからである。その下にある安全保障理事会や米国の影響から免れることのできない六カ国協議ではなお更頼りないのであろう。北朝鮮は、国際社会なるものが、米国の武力行使を制止できないことを知っているのである。その国際社会に自国の命運を託すことは「自殺行為」と考えているのである。こうして、北朝鮮は「核武装」と「孤立」の道を選択したのである。
米国の北朝鮮政策は変わったのか
ところで、北朝鮮は、オバマ政権発足後一〇〇日間の政策動向を見極めた上で、「オバマ政権の対朝鮮敵視政策にはいささかの変化もない。我々を敵視する相手と向き合っても、生まれる物は何もない。朝鮮が自ら選択した思想と制度を消し去ろうというのが米国の朝鮮政策の本質だ。朝鮮を『暴政』、『不良国家』などと前政権の敵対的な発言をそのまま受け継いでいる。」としている(五月八日)。「スマート外交」だとか、「核兵器のない世界を目指す」などといっても、北朝鮮に対する政策は何ら変化がないと評価しているのである。
そこで「核抑止論」が復活したのである。「核兵器の保有はわが国の安全保障に不可欠である」との思考と行動である。この「核抑止論」は、米国も日本も採用している政策である。オバマ大統領は「核兵器のない世界を目指す」と言うものの、核兵器がなくなるまでは抑止力は持つとしているし、日本政府も米国に「核の傘」をはずさないでくれとしているのである。
北朝鮮は、六カ国協議や国連安保理による国家の安全保障ではなく、米国や日本と同様に、核兵器とその運搬手段の力に依拠しようとしているのである。
最悪のシナリオ
このままでは、北東アジアにおいて、核兵器の応酬が現実化する恐れがある。米軍再編によってグァムに移転した米軍爆撃機が北朝鮮に攻撃を加え、北朝鮮のミサイルが届かない米国は核の反撃を受けないが、同盟国日本は核ミサイルの反撃を受けるという最悪の事態が想定されるのである。そのシナリオの中で、北朝鮮も壊滅的打撃を受けるであろう。北朝鮮は、それを望むわけではないが、自国の独立や民族の尊厳がなくなるのであれば、滅亡を選ぶということなのであろう。その際には、韓国と日本にも大きな傷跡が残るであろう。「死なばもろとも」という言葉を思い出す。まさに「瀬戸際外交」を展開しているのである。北朝鮮がこのような「覚悟」をしているのであれば、いかなる軍事力も抑止力として機能しないであろう。
他方、北朝鮮に対する先制攻撃を仕掛けようという意見が強くなっている。「敵基地先制攻撃論」といわれている。やられる前にやってしまえ、という発想である。北朝鮮のミサイルを日本に到着する前に打ち落としてしまうという計画もある。「ミサイル防衛(MD)計画」である。この手の発想は、人工衛星の打ち上げまで、ミサイル発射としてしまうのである。これらの発想の共通項は、北朝鮮との関係を武力で解決しようとすることにある。もちろんそのために邪魔な憲法九条を改定することになる。この発想は、行き着くところ、核戦争も辞さないということにも繋がるであろう。
最悪の事態回避のために
私は、このような最悪の事態は絶対に回避しなければならないと考える。そのために求められることは、
第一に、国連憲章の根本理念である「国家主権の平等」と「各国人民の自決と同権」を基礎において事に当たることである。北朝鮮の政権がどのようなものであれ、他国がそれに干渉することは、国際法上許されていないのである。そのことを前提として、北朝鮮敵視を改め、北朝鮮の不安を取り除くことである。北朝鮮の不安を取り除くことは、とりもなおさず、「北の脅威」を取り除くことに繋がるであろう。このような政策転換が行なわれて始めて対等平等な協議が可能となるであろう。
第二に、軍事力で問題を解決するという姿勢を放棄することである。北朝鮮に対する軍事力の行使をしないことを約束することである。国連憲章は、「政治的独立に対する武力の行使」を禁止している(二条四項)。米国が、北朝鮮に対して、アフガニスタンやイラクにしたような事はしないと約束すればよいのである。米国が国連憲章を尊重すればよいだけの話である。また、戦争により殺され、傷つき、あまたの不幸を強制されるのは、いつの時代も人民大衆である。日本は、憲法九条を国際社会の規範とするよう努力しなければならないのである。
第三に、北朝鮮の核兵器を恐れるのであれば、核兵器廃絶のための国際的な政治的・法的枠組みを早急に確立することである。核拡散を防ぐ根本的な対策は、完全な核軍縮であり、核兵器を廃絶することである。それを目標として、当面、核兵器の先制使用はしないことを宣言し、北東アジアを非核地帯とし、「核兵器禁止条約」の制定を目指すことである。
北朝鮮の核実験とミサイル発射実験を阻止できるのは、北朝鮮に対する制裁でも軍事力依存でもない。そのような対応は、むしろ事態を危険な方向に導くことになる。根本的な対処策は、核兵器とミサイルに依存しなくても「自国の自主性と民族の尊厳」、即ち「国家と国民の安全保障」を確保できるという信頼を相互に醸成することである。それが実現しない限り、最悪のシナリオを書き直すことはできないであろう。国連憲章・国際法の遵守と、日本国憲法九条の国際規範化が求められているのである。
(二〇〇九年五月二九日記)