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木村 夏美 団員として初めての五月集会
笹本  潤 国際民主法律家協会(IADL)ハノイ大会に参加して
井上 正信 九条改悪へ手を付け始めた「敵基地攻撃論」

中丸 素明

千葉での「派遣村」
小寺 貴夫 足立で、「私たちのくらしと憲法を考えるつどい」
中西 一裕 論より実践!団員は裁判員裁判に取り組もう
木山  潔 ―第二次鞆鉄道事件の勝訴― 労働協約による高齢労働者の基本給大幅減額を無効とする判決
中川 勝之 主文「日本年金機構の設置を凍結する。」? 〜五・一六「年金法廷」開催
渡辺 和恵 「六〇才からの語学留学 韓国見たまま聞いたまま」の紹介
大量解雇阻止対策本部 七・二四「第二回大量解雇阻止全国対策会議」 ―多数のご参加をお願いします―
大量解雇阻止対策本部 非正規黒書づくりへの協力をお願いします!



団員として初めての五月集会

三重支部  木 村 夏 美

 弁護士になって初めて、すなわち、団員として初めて自由法曹団五月集会に参加した。

 私は、去年下呂で開催された五月集会にも修習生として参加した。去年の五月集会では、開催地岐阜代表の笹田団員が自由法曹団への入団者は今年はぐっと増えた、ということを発言されており、私はそうなのか、と驚いたのを覚えている。

 というのも、修習生の中では(少なくとも私は)、自由法曹団に入団予定の人は、特殊な人種(左翼?極左?過激派?)とみられ、絶対的少数派だったからだ。そのため、自由法曹団への入団者が増えたといっても、就職難で、仕方なく入所することになった事務所が団系の事務所だったから、半ば強制的に入団する人が多いんだろう、などと皮肉に思っていた。

 しかし、今年の五月集会は、私のそんな思い込みを打ち砕いてくれたのである。

 今年の五月集会にも多数の新人団員が参加していた。二三日の夜に開催された、新入団員のみの懇親会の参加者だけをみても、おそらく五〇人は参加者がいたのではないかと思う(きちんと数えてはいないが)。

 私は、普段、自由法曹団の新人団員とふれあう機会がほとんどないので、どれくらいの人が自由法曹団に入団しているのかよく知らなかった。修習期間中に行われた入団予定者歓迎会への参加者は、日程の都合上、大阪修習の人達が来られないことを考えても、多いとはいえなかったので(一五名弱だったと思う)、今回もそれほどたくさんの人が来るだろうとは考えていなかった。

 ところが、行ってみると、予想よりもはるかにたくさんの新入団員が参加している。

 しかも、それぞれ、何となく団関係の事務所に入所して、団にも入団させられたので来ました、という様子ではなく、明るく五月集会自体を楽しんでいるようだった。さらに、参加するのみではなく、すでに労働事件などの弁護団に加わり、中心となって事件を進め、しっかりと報告までしている人も目立った。頼もしく思い、同期として誇らしい思いもした。

 修習中は自由法曹団員となる自分は少数派であると感じ、物足りなく、つまらない思いをしていた。しかし、自由法曹団には、熱い気持ちを持って困難な事件に取り組む新人弁護士がたくさん入団しているのである。弁護士の全体数からみれば、自由法曹団は少数派となったかもしれないが、私は自分が自由法曹団員であることを誇りに思うし、同期の仲間がたくさんおり、しかも、各地で積極的に活動していることを知り、自分も同期に並ぶべく前向きに事件と向き合おうと思う。

 このように、団員として初めての五月集会は、私にうれしい驚きと前向きな気持ちを与えてくれた。



国際民主法律家協会(IADL)ハノイ大会に参加して

東京支部  笹 本   潤

 六月六日から一〇日にかけて、ベトナムのハノイで国際民主法律家協会(IADL)の第一七回大会が開かれました。四年に一度、世界の民主的法律家たちが集まり、世界と各国の平和と人権・民主主義の問題について、討論し国際連帯を進めていく大会です。

 今回のハノイ大会には、世界中から約四〇〇人の法律家が参加し、日本からも海外最多の七〇人が参加し、二〇のレポートを発表するなど積極的に関わりました。

 以下に、各テーマの簡単なレポートします。特に日本の憲法九条が世界の法律家の平和運動の中でも重要な位置づけを持つことが世界の法律家の中でも確認されたことが大きい成果でした。

「平和の権利」

 法律家の平和運動の特徴は、現在世界の各地で起こっている戦争や軍事的緊張に対して、「力の支配」を「法の支配」に転換させていくことを目的にしているところです。

 たとえば、武力の行使を禁止した国連憲章の原則、核兵器の絶対禁止を唱ったストックホルムアピールなど、条約や国際文書が大会の討議の中でよく出てきました。そしてその中でも特に強調されたのが、憲法九条の存在が世界の法律家の平和運動に与えている影響です。

 IADLは、自民党の憲法草案が発表された二〇〇五年以来、日本の法律家が提案した「グローバル九条キャンペーン」に賛同し、各国キャンペーンに取り組んできました。そして昨年の「九条世界会議」にも多数の法律家が参加し、現在の平和の運動の中心に、各国で日本の憲法九条のような憲法の平和条項を取り入れていこう、ということが中心的課題として取り上げられ、IADL会長の報告や大会宣言の基調にもなっています。

 そして、大会では、日本のソマリア沖への自衛隊派兵や新法制定が憲法九条に違反していることが提起され、紛争の非軍事的解決の必要性が田中隆団員から報告されました。名古屋高裁のイラク派兵違憲訴訟で触れられた「平和的生存権」の意義については川口創団員が報告し、米軍再編の危険性についても芳澤弘明団員から報告がされました。

 核廃絶の問題では、オバマの「核のない世界」にむけた運動の提起が大久保賢一団員からなされ、特に核廃絶の違法性について強調された「ハノイ平和アピール」が採択されました。

 また、特にベトナムでは、いまだにベトナム戦争中の枯葉剤の被害が大きく、枯葉剤被害の映画が上映されました。「ベトちゃん・ドクちゃん」で被害が終結したのではないことがわかりました。ベトナム戦争中、日本の米軍基地から米軍機が爆撃したことから日本は共犯者とも言え、決して無関係ではありません。

「グローバリゼーション」

 グローバリゼーションの分科会では、世界経済が金融危機で影響を受けていることが指摘された他、日本からは法政大学の増田正人教授(経済学)も参加し、世界でアメリカが一人もうけをしているグローバル資本主義の構造の指摘が行われました。ベトナムなどアジアの参加者も熱心に質問をしていました。増田教授は団東京支部の総会の時に講演した科学者会議の米田教授から紹介していただいた方です。また奈良労連からも日本の労働者の状況の全般的な報告が行われました。

 そのような経済状況の中で、日本では非正規雇用の首切りが行われ、それに対して日本の法律家が、解雇無効の訴訟を行ったり、派遣村の取り組みが行われたことも報告されました。

「司法の独立」

 アジア各国で司法の政治的権力からの独立が大きな問題となっています。

 パキスタンでは、多くの法律家が投獄され、釈放されたばかりの弁護士がこのハノイ大会にも参加して自国の現状を訴えていました。フィリピンでも、この数年来弁護士、法律家、活動家が殺害され、犯人の捜査も行われていません。

 その他コロンビア、モロッコ、ブエルトリコ、ペルーなどでの弁護士や活動家の弾圧に対する緊急アピールが決議されました。裁判の政治からの独立性だけでなく、警察や訴追の捜査の問題も司法の独立の問題です。ハノイ滞在中にベトナムのマスコミから、「日本企業とベトナム側の贈収賄の問題で日本では起訴されているのにベトナムでは訴追されていない問題についてどう思うか」、などの取材も受けました。そして司法の独立が機能していないことに対して、アジアに地域の人権機構・人権裁判所をつくることについて、日本から提案を行いました。フィリピン、パキスタン、ベトナムの法律家からは好意的に受け止められました。

 また、日本から、国連の人権審査や自由権規約委員会の勧告などを通して国際基準の人権の保護の必要性が、報告されました。

「北朝鮮の法律家、世界の法律家たち」

 IADL大会には加盟団体の北朝鮮の朝鮮民主法律家協会のメンバーも参加しました。現在、政府同士の関係が最悪になっている状況で、平和の課題で民間の法律家同士が直接交流できたことは、今回のハノイ大会参加の最大の意義であったかもしれません。日本からの参加者も同様の感想を持っていました。

 北朝鮮の参加者が、分科会や全体会の場で強調していたのは、「アメリカの核兵器や戦争の脅威に五〇年もさらされてきた」「アメリカの核実験には何ら触れないで、北朝鮮のことばかりを非難する。彼らは一万発の核兵器を持ち、大量に貯蔵している。」「日米のミサイル防衛はひどい。北朝鮮から先制することは絶対にないのに」「二〇〇〇年六月一五日の南北宣言を今の韓国政府は裏切って統一の課題を困難にした」などです。北朝鮮の人からこのような話を直接聞く機会はなかったので、新鮮でどれも聞く価値のある発言だと思いました。これからの東北アジアの平和を考える場合、今の日本の偏ったマスコミの影響や、それと同様の発想に立つ日本政府だけに任せておいても、六カ国協議がうまくいく保障はありません。市民や法律家の民間レベルの直接の交流があって、相互理解や誤解の解消ができるのではないでしょうか。これからもこの東北アジアの法律家のパイプを太くしていって、もっと深い対話ができる関係を作っていきたいと思います。

 その他の法律家団体としては、自由法曹団とも関係の深いアメリカのナショナルロイヤーズギルド(NLG)やヨーロッパ各国の民主的法律家協会、アラブ法律家協会など世界の有数の民主的法律家団体も参加し、それぞれスピーチも行いました。残念ながら韓国の民弁は参加できませんでした。

 IADLの新会長にはアメリカのNLGのジニー・マイラーさんが選出されました。NLGの会長のマージョリー・コーン女史もIADLの執行部に選出され、全体会の議論もリードしていたのが印象的でした。

 日本からは、日本国際法律家協会、日本反核法律家協会が参加したほか、自由法曹団の松井繁明団長が日本代表団を代表してスピーチを行い、九条や枯葉剤のことを訴えました。IADL総会では日本国際法律家協会の新倉修会長がIADLの事務局長に選出されました。

 今回の日本の参加者の多くは自由法曹団の団員でした。世界的に見ても自由法曹団の組織性と報告内容は評価されていると私は思います。それが今回のハノイ大会で発揮され、日本からもIADLの役員に抜擢されたのだと思います。

 二〇一〇年の九月には、フィリピンのマニラで第五回アジア太平洋法律家会議(COLAP V)が開かれます。再びアジアと太平洋の法律家が集まり、「平和・人権・グローバリゼーション」について討議します。世界とアジアの平和に関心のある方、人権と司法について関心のある方、是非ご参加ください。

 なお、IADLハノイ大会の報告・決議は次号の日本国際法律家協会の機関誌「INTERJURIST」で詳しく発表する予定です。購読希望の方は国法協までご連絡ください。

 電 話 〇三―三二二五―一〇二〇

 FAX 〇三―三二二五―一〇二五



九条改悪へ手を付け始めた「敵基地攻撃論」

広島支部  井 上 正 信

 現在政府は〇四・一二閣議決定した新防衛計画大綱の見直しを年内に終えるため、防衛力のあり方懇談会での議論を進めている。 新大綱は向こう一〇年間の日本の防衛政策を定めたものだが、五年後に見直すことも定められていた。見直しの中に、「敵基地攻撃能力」を持たせる記述を入れようと、自民党防衛政策検討小委員会が提言案を概ね了解した。新聞報道によると、「敵基地攻撃能力」の保有(巡航ミサイル、情報収集衛星、通信衛星など)、宇宙の軍事利用とミサイル防衛、自衛隊の憲法上の位置づけの明確化(自衛軍化であろう)と軍事裁判所設置などの早急の憲法改正、武器輸出三原則見直しなどを内容とした提言である。

 五/四北朝鮮による人工衛星打ち上げ実験を口実にして、「敵基地攻撃論」を提起し、九条改憲へ手を付けようとしているのだ。

 「敵基地攻撃論」は、これまでも北朝鮮脅威論を背景として主張されてきた。

 〇二・一〇から始まった北朝鮮第二次核危機(ウラン濃縮による核開発疑惑を米国から指摘され、北朝鮮がNPT脱退宣言)に際し、〇三・一国会で石破防衛庁長官は、法理上可能と答弁し、その後自民・民主の札付きの改憲論者(前原、安倍、額賀)が「敵基地攻撃論」を打ち上げ、自民・民主を中心とする超党派の「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」が緊急声明で提言した。

 〇六・七、北朝鮮の弾道ミサイル発射実験に際し、安倍官房長官、額賀防衛庁長官が「敵基地攻撃論」を打ち上げた。そしてまたぞろ〇九・四・五以降、自民山本一太、民主前原、自民安倍、民主浅生慶一郎議員が打ち上げた。〇三年や〇六年当時の「敵基地攻撃論」は、改憲・タカ派議員によるはねた議論であり、自民・公明与党内では慎重意見が強かった。議論も下火になった。

 しかし、今回のものはこれまでと明らかに様相を事にし、自民党国防部会の正式機関の提言であるし、新防衛計画大綱見直しの閣議決定へ影響力を行使し、憲法改正へ結びつけようとする明確な戦略が見え隠れしている。北朝鮮脅威論の高まりが慎重論を圧倒しているのであろう。

 ここで、九条と「敵基地攻撃論」との関係を整理しておこう。 昭和五六年防衛白書において、我が国の軍事政策の基本となる専守防衛政策が明確に概念化された。

 その内容は、(1)相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使(2)その態様は自衛のための必要最小限度(3)保持する自衛力も必要最小限度とするというものだ。九条のもとでの自衛権行使に関する三要件と同義であることはすぐに理解できるであろう。自衛権行使の三要件は、自衛隊が九条二項の戦力に有らざる自衛力であり、九条に違反しないという、自衛隊合憲論の不可欠の要素である。つまり、専守防衛政策は政府にとって、九条から必然的に導かれる防衛政策という位置づけである。

 「敵基地攻撃論」は、個別自衛権の内容のうち自衛権行使の時期との関係で論じられる。昭和三一年鳩山一郎首相答弁「座して死を待つことが憲法の趣旨ではない、誘導弾(弾道ミサイルのこと)等による攻撃を防御するのに、他に手段がない場合、誘導弾等の基地を叩くことは、法理的には自衛の範囲に含まれる」と、「法理的」にはという限定付きで容認した。これが現在までの政府解釈である。 自衛権行使可能な時期について、「武力攻撃が発生したとき」であり、それは「武力攻撃のおそれがあると推量するとき」でもなく(これは先制攻撃だ)、現実の侵害(着弾)が有ったときでもなく、「武力攻撃に着手したとき」というのが政府解釈である。「敵基地攻撃論」はこれを論拠とする。

 しかし他方で、専守防衛政策は日本の侵略の歴史から、周辺諸国へ脅威を与えないという意味を持つものであるから、他国へ脅威を与えるような攻撃的兵器を保有できないとするのも政府統一見解である。つまり、九条の純法理的解釈では「敵基地攻撃」は可能だが、九条に根拠を置く専守防衛政策のもとでは、その様な能力を持たない、というのである。これは極めて矛盾をはらんだ政策であったといえる。

 しかしそれにもかかわらず、専守防衛政策は日米安保体制と相互補完関係にある防衛政策として維持され続けてきた。「敵基地攻撃=槍」の役割は米軍、攻撃されたときの防衛は自衛隊=楯という関係である。自衛隊には「敵基地攻撃能力」がなくても日本の安全は守られるという体制である。日米安保体制が変質すればこの矛盾は顕在化する。

 専守防衛政策は、現在二つの側面から突破されようとしている。 ひとつは、日米防衛政策見直し協議による日米同盟の強化であり、もう一つは、「敵基地攻撃論」である。前者の下で策定された新防衛計画大綱が打ち出した「新しい安全保障政策」では、基盤的防衛力構想の有効な部分を継承するといいながら、事実上これを放棄した。専守防衛政策を実行する防衛構想が基盤的防衛力構想だが、これを放棄すれば自ずから専守防衛政策はなし崩される。

 更に、日米同盟の強化により、日米は世界の安全保障問題に共同して軍事的関与を行う態勢を作りつつあり、そのために自衛隊の変革(自衛軍化)が進められている。自衛隊の任務は我が国の防衛から、国際的安全保障環境の改善のためのグローバルな軍事的関与へと大きくシフトしている。もはや専守防衛の枠を完全に踏み越えているのだ。

 「敵基地攻撃論」は、自衛権行使可能時期についての政府見解で分かるように、言葉の上では「武力攻撃のおそれ」と「武力攻撃着手」とで明確に違うようだが、現実には「着手」の判断を巡り極めてファジーである。事実上先制攻撃を容認する議論に過ぎない。九条と専守防衛政策を真っ向から否定する議論である。敵基地攻撃能力のために巡航ミサイルを保有しようとするのは、先制攻撃を実行するためであることを物語っている。敵レーダーに補足されにくい巡航ミサイルは、うってつけの先制攻撃用兵である。湾岸戦争でもイラク攻撃でも、攻撃の火ぶたは巡航ミサイルの発射で切って落とされている。専守防衛政策を突破しようとしている二つの側面は、いずれも九条改悪を実行しなければ実現できない内容である。自民党防衛政策検討小委員会の提言が、早急な憲法改正と抱き合わせで敵基地攻撃論を打ち出した本当の理由はここにある。

 では、軍事政策から「敵基地攻撃論」を検討してみよう。発射されたら事実上防ぎようがない弾道ミサイルであれば、発射前に攻撃することは、一見、軍事的合理性があるように思われるであろう。 だが私は、この議論はあたかも真刀でチャンバラごっこをする子供のように危ういと考えている。

 また、軍事的リアリティーを欠いた議論なのだ。「敵基地攻撃」論者は、このような議論をすることやその能力を持つことが抑止力になると主張する。核開発問題を巡る九三年以降一六年間の北朝鮮問題の歴史を振り返れば、北朝鮮への抑止力になるどころか、逆の反応を引き出すことは明らかである。米国の軍事力ですら、そうなのだから、北朝鮮に対する抑止力が効くなど、実に愚かな考えである。軍事的エスカレートから本格的な武力紛争に至る可能性を秘めている。

 「敵基地攻撃論」は、軍事戦略・戦術から見ても、およそ検討にも値しない。なぜなら、本当に先制的な攻撃を仕掛けたらどうなるか考えてみたらよい。北朝鮮は本格的な戦争として軍事行動をとる。 しかし彼等には日本への本格的攻撃能力はほとんどない。むしろ、朝鮮半島で第二次朝鮮戦争となることは確実である。先制的に敵基地攻撃を日本が行っておきながら、その後に続く重大な事態に対するコントロール能力は我が国には全くないし、この論者からは、攻撃の後どうするのか聞かされたことはない。国際紛争に際し武力を行使しようとする場合、明確な戦略(武力行使により何を獲得するのか、どれだけの兵力・時間・軍事費を要するのか、国際社会の支持をいかにして得るのか、戦争のどの局面で武力攻撃を停止するのかなど)、戦術(作戦構想と兵力の配置、領土の防衛態勢、後方支援など)が不可欠だ。単に弾道ミサイル基地を叩けば終わるという脳天気な作戦ではないのだ。

 しかも、そのミサイルを叩くことがいかに困難なことか彼等は理解しているとは思えない。発射台に据えてから液体燃料を何時間もかけて注入するテポドンを想定しているのであろうが、軍事的に有効な弾道ミサイルは、車載移動式ミサイルだ。ノドンは移動式ランチャーから発射されるという。湾岸戦争において、イラク軍の弾道ミサイル(移動式ランチャーで発射されるスカッドミサイル)攻撃を防ぐため、米英軍は圧倒的な空軍力と特殊部隊によりスカッドハンティングを必死で行ったが、ほとんど効果はなかったという戦訓がある。巡航ミサイルで標的を定めて攻撃しても、到着する頃には標的は移動している。地上攻撃機で探しながら攻撃するためには、北朝鮮上空に完全な制空権を確保しなければならない。実はこの条件下でも、湾岸戦争ではスカッドハンティングは成功していないのだ。

 我が国の愚かな政治家や軍人が敵基地攻撃を行ったとする。その結果、第二次朝鮮戦争となり、この戦争では米軍が核兵器を使用する計画もあり、朝鮮半島は南北とも甚大な被害を受ける。九四年に実際に戦争の瀬戸際までに至った際、米統合参謀本部は、韓国の犠牲者だけでも一〇〇万人と推計し、クリントン大統領は愕然としたという。我が国の軍事的冒険主義が引き起こす戦争被害の責任を誰が負うのか。日本に肩代わりを要求される戦費と戦後復興の費用は、イラク戦争やアフガン戦争に費やされた戦費を考えれば、とうてい負えるものではない。さらに軍事的冒険主義を犯した我が国は、国際的に孤立するかもしれない。

 専守防衛政策は、日本が再び軍事国家、侵略国家にならないという安心感を周辺諸国へ与える重要な憲法政策である。このことが日本の安全にも大きく貢献してきた。「敵基地攻撃能力」保有を議論し、あるいはそのための軍事力整備を行えば、周辺諸国は我が国に対する警戒心を高め、軍事力強化を図るであろう。我が国の安全のためと称して軍事力を高める政策が、逆にわが国の安全を損なうという「安全保障のジレンマ」に陥ることは明らかである。

 「敵基地攻撃論」ほど愚かで、まやかしの議論はない。しかしこの議論が我が国の防衛政策の基礎である防衛計画大綱に採り入れられようとしていることは、単に愚かだとかいって済まされる問題ではない。

 この議論が九条改悪の重要な戦略に位置づけられていることから、われわれは、このような議論と動きを徹底的に批判しなければならない。九条改憲阻止の運動の中に、この危険な議論と動きに対する注意を喚起し、反対の運動を強めなければならない。



千葉での「派遣村」

千葉支部  中 丸 素 明

一 ひろがる「派遣村」運動

 あの衝撃的な「年越し派遣村」。年末・年始の日比谷公園から始まった「派遣村」運動は、急速な全国的なひろがりをみせている。 近時の報道によると、「派遣村・街頭相談」は、これまでに全国一六一ヵ所で実施されたとのことである。今後も、続々と予定されているようだ。

 五月一九日、千葉でも実施された。

二 実施母体と形態

 四月初め、「『軍事費を削って暮らしと福祉、教育の充実を』求める国民大運動千葉県実行委員会」(千葉労連、民医連、自由法曹団、新婦人、日本共産党などで構成)が、「雇用・生活問題などへの対応相談会」の開催を呼びかけた。これが母体となって、その後「ちば派遣村実行委員会」が結成された。

 形態であるが、

(1)主たる相談会場を、JR千葉駅から歩いて五分程の千葉市民会館 ホールに置く(九時三〇分〜一六時まで面接相談)

(2)JR千葉駅前にテントを張り、主会場への道案内を兼ねて即時解 決できそうな簡単な相談に応じる(九時三〇分〜一六時まで面接 相談)

(3)千葉労連内に特設電話二本を設置し、遠隔地からの相談などに対 応する(九時三〇分から一九時まで)

 の三段構えとなった。

三 深刻な相談の数々

 相談者数をみると、相談主会場に三七人、駅前案内所に二四人(うち約半数は引続き主会場へ)、電話相談が一二件で、合計約六〇件であった。

 相談に応じたのは、労働組合員、弁護士、看護師、ケースワーカー、多重債務者支援団体、生活保護支援団体など計二五団体、一〇五名にのぼった。自由法曹団からは、電話相談担当を除いても一二名が参加した。

 相談はいずれも深刻なものばかりで、「派遣切りに遭い、住居がなく、ネットカフェを転々としている」という四〇代の男性、ビニール袋にタマネギ三個をもち「これで五日間過ごさなければならない」と訴える人、「タコ部屋に押し込められ、生活保護費一二万五千円から強制天引され手元に残るのはわずか二万五千円」という人、などもいた。法律事務所での日頃の相談内容とは著しく様相が異なっていた。恥ずかしながら、驚きの連続であった。「街に出る」ことの大切さを、痛感させられた。

 生活保護については、四人の新規申請、受給中の二人(打ち切り等)の六名に関して、即日解決することができた。住居についても、不動産関係者の協力を得て数名分を確保できた。

四 課題と今後

 千葉には、「反貧困ネットワーク」のような雇用と生活をサポートするしっかりした組織はないといわれてきた。

 労働組合や政党が前面に出がちな組織づくりは、事案の性格からすれば、決して理想形ではないと思う。今回の組織「母体」も、ある意味では「狭いなあ」との感が強かった。これでどの程度の役割を果たせるのか、との危惧も払拭できなかった。とはいえ、それぞれの地域の特性を生かしてやれるところからやるしかないではないか、との声に励まされ実施にこぎつけたものであった。

 今回思い切って実施に踏み切ったことによって、ホントにささやかなものにすぎないが、「とっかかり」ができた。多少の役割を果たすことができたかもしれない。多重債務者支援団体、生活保護申請の支援団体、協力的な不動産仲介業者など、相互の新たなつながりもひろがった。

 この実行委員会は、今後も残していくことになった。これからは、今回の教訓や不十分だった点などを踏まえながら、ネットワークをさらにひろげ、より実効性のある活動にするために知恵をしぼっていくことになろう。

 なお、千葉県内では、船橋市内や市原市などでも、準備に取り組まれていると聞く。



足立で、「私たちのくらしと憲法を考えるつどい」

東京支部  小 寺 貴 夫

 井上団員の「敵基地攻撃論」の原稿を読んで視点が定まりましたが、テレビ・新聞でもたくさんの報道や論評が載るようになりました。

 足立では、北朝鮮が核実験を行った翌日の五月二六日、森永卓郎さんを呼んで、「憲法のつどい」が開かれました。足立区内の労働組合、民主団体による「憲法のつどい実行委員会」が主催です。森永さんには、演題としては、実行委員会で議論した末に、「世界同時不況と日本のゆくえ」〜そして私たちの生活は、日本国憲法は〜と依頼してありました。この時期、是非、森永さんを呼びたいとの執念で、森永さんの返事を待ち、来てもらったのです。「つどい」は、八二年から始まり、今年で二八回目です。場所は西新井文化ホール、参加者は四五〇人でした。

 森永さんの話は、思っていた以上に本質を突く鋭いものでした。私は、NHKの番組はいくつか見ていましたが、著書は読んでいませんでした。「こんなニッポンに誰がした」(大月書店)を講演後、読んでみると、森永さんの思いや考え、講演の内容はこの本の中にほとんど書かれていました。約八〇分間、高度な内容を分かりやすく話してくれました。

 森永さんはホリエモンと四回、ケンカ(話)をしたそうです。ホリエモンは、雇用する人を、単にいつでも取り換え可能な部品や道具としてしか見ておらず、人間として扱う考えを持っていなかったこと、時価総額で世界一の企業を目指すことだけが目的で、その結果、何をするのか何も考えていないこと、法人税を軽くしないとグローバルに行動する我々は日本から出て行ってしまうと主張したことなどを話し、新自由主義の思想や行動原理をホリエモンとの対話の中からも話してくれました。

 格差社会は、戦争をするのに都合のよい社会です。

 アメリカの貧困層は、時給五から六ドル、つまり年収一万ドルです。それが大学を出ると年収三万ドルになります。だから、どうしても大学に行きたい。森永さんは、アメリカ人との対話で聞いた、兵士を確保する方法は簡単だということに驚きました。それは奨学金のハードルを高くすれば、大学に行きたいために軍に入る若者にこと欠かないということでした。日本、アメリカ、イギリスの共通点は、新自由主義に加えて、徴兵制ではなく志願制にもあるとのことでした。

 一〇年二〇年単位で、日本の歩いてきた道を振り返ってみると、社会が変わってきたことがはっきりとわかります(内橋克人「新版 悪魔のサイクル」)。一つは格差と貧困で、もう一つは、憲法九条があるにもかかわらず、自衛隊がアメリカとともに海外に出て行くようになったことです。二三日の日弁連集会では「憲法を取り戻そうと」との発言もありました。

 「つどい」の前日には、北朝鮮が核実験を行いました。憲法のつどいで、これに触れないわけにはいかないと思いました。私は、困りましたが、「この問題も含めて軍事力で威嚇し合うところからはお互いに悲劇しか生まれないことを肝に銘じておきたい」とだけ、一言、あいさつの中で触れました。

 集会は、昨年の三〇〇人から大きく回復して、「ほどほどに、そこそこに」成功しました。



論より実践!団員は裁判員裁判に取り組もう

東京支部 中 西 一 裕

 裁判員裁判について団内に強い批判があることは知っているし、改善すべき問題点があることは否定しない。しかし、批判派はあまりも国民の司法参加の意義を軽視していると思う。

 私自身、この間、被疑者国選で受任した殺人未遂被告事件で公判前整理手続を経た公判を初めて経験し、刑事裁判の大きな変革を実感したので、以下簡単に報告する。

 事案の公訴事実は、被告人が刃渡り二〇センチの包丁で殺意をもって被害者の胸腹部を狙って刺そうとしたが、被害者が抵抗したため左前腕と左大腿部刺創(全治三週間)にとどまったというものである。これに対し、被告人は殺意を否認していた。

 起訴は昨年一二月二日だったが、証拠開示手続を経て、公判前整理手続が本年一月から四月まで四回行われた。何かと批判の多い公判前整理手続だが、類型証拠開示請求で捜査段階の証拠はすべて開示されたし、準備期間としても十分だった。むしろ、以前のやり方なら一月中には公判が開かれて二、三回で結審していたはずだから、失権効があってもはるかに時間の余裕があった。書証は必要最小限に絞られ、供述調書は全部不同意として公判で証人尋問を行った。

 公判はほぼ連続開廷で五期日(合計約一二時間、ただし通訳事件)、三人の証人と被告人、簡易精神鑑定を行った医師の尋問を行った。連続開廷は一見大変そうだが、公判前整理手続の間に争点と証拠を十分検討しているので、きつかったという印象はない。

 検察官の論告はパワーポイントを用いてのものだったが、私はパワーポイントは使わず、要点レジメを弁論要旨とあわせて作成し配布した。パワーポイントはめまぐるしく画面が変化するため、かえって印象が薄いと感じた。AV機器を用いなくとも、身振り手振りを交えたアナログスタイルの弁論で十分対抗できるのではないか。

 判決は懲役一年六月。求刑は懲役八年だったが、弁護側の主張にほぼ沿った事実認定で、殺意が否定されて傷害罪となった結果、大幅に刑を軽くできた。

 では、従前の手続で同じ成果が上げられただろうか? 甚だ疑問である。理由として、証拠開示によって証人尋問の準備が十分できたことが直接的には挙げられるが、それよりも裁判員裁判を意識した裁判官の姿勢の変化が大きい。裁判員にわかりやすい裁判を意識することは、裁判官自身の姿勢にも当然影響を及ぼす。官官のなれ合いや調書偏重、事実上の有罪推定といった悪弊は一掃され、公判で直接得た心証により常識に適った認定を行うという本来の刑事司法のあり方が実現されつつあるのだ。

 裁判員裁判の批判派を含め、これまで刑事裁判に取り組んできた団員は、何はともあれ自ら裁判員裁判を実践してほしい。そうすれば、国民の司法参加の大きな意義が実感できるはずだ。



―第二次鞆鉄道事件の勝訴―

労働協約による高齢労働者の基本給大幅減額を無効とする判決

広島支部  木 山   潔

 平成九年七月一四日、私鉄中国労働組合鞆鉄道支部と鞆鉄道株式会社の間の「五六才に達した場合に労働者の賃金を三〇%カットする」旨の労働協約が無効であることは、広島地裁福山支部(平成一四年二月一五日)、広島高等裁判所(平成一六年四月一五日)で勝訴し、平成一七年一〇月二八日、最高裁の棄却判決不受理決定によって確定し、三人の労働者の救済がなされた。

 三人の外にも、次々に五六才に達する労働者が発生するのであるが、在職中も退職後も最高裁判決があるにもかかわらず訴えを提起する者がなかった。

 一人の運転手が救済を求めて提訴したのが平成一七年一二月一七日である。これが第二次鞆鉄道事件である。

 争点は、被告側が、平成九年七月一四日付労働協約について有効と主張したが、これは第一次事件のとおりであるので簡単に否定される。会社は更に、原告が協約締結後、当該労働組合の書記長、副委員長をしたこと、また、協約時も分会長だったことを理由に協約無効の主張をすることは信義則に反すると主張した。

 次に、会社は次のように主張した。

(1)平成一三年四月一日に新就業規則と賃金規則を改正した。内容は、協約では最低保証がなかったが、就業規則では減額後の最低本給を二〇万円に制限したことのみである。

 その際、当該労働組合の意見を聴取し(反対意見)、意見を添付して労基署長宛届出をなした。

(2)原告は給料の減額について異議を述べず受領している。就業規則制定から四年が経過するも異議がなかった。

(3)新就業規則、新賃金規定の制定、実施は、若干の不利益を及ぼすとしても高度の経営上の必要性に基づいた合理的な内容である。平成九年七月一四日の本件協約後も危機的経営状況は改善されなかった。会社分割による経営改善策も奏功しなかった。このような中で、会社を存続させるために合理的な新就業規則、賃金規定であると主張した。

 平成一九年一二月二七日広島地方裁判所福山支部判決は、

 協約については無効であることは第一次事件のとおりであり、原告の書記長、副委員長への就任はその後会社と組合に意見対立が大きくなり、ストライキなどの争議行為に及ぶようになってからのことであるので、協約無効の主張は信義則に反するものでないとした。

 また、組合の反対にもかかわらず制定した新就業規則と賃金規定については、

 一般論として、

 「当該規則条項が合理的なものであるとは、就業規則の作成または変更がその必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認することができるだけの合理性を有するものであることをいい」  

 「特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成または変更については、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずる。」

 「合理性の有無は、具体的には、就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、使用者の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合との交渉の経過、他の労働組合または他の従業員の対応、同種事項に関するわが国社会における一般的状況を総合考慮して判断すべきことになる。」

 とし、本件の場合も不利益の程度が大きく、これに代わる代償措置のないことなどに照らして合理性がないとしている。

 控訴審で、会社側は、収入が著しく低下していることや従業員が差額賃金の支給を請求していたとすれば倒産することになっていたので経営上必要な変更であったなどと主張したが、広島高裁判決は、平成二〇年一一月二八日、新就業規則の内容は、合理性がないので一方的変更は許されないとして会社の控訴棄却判決をなした。

 また、新就業規則の実施により、黙示の労働契約の内容になっていたとの主張についても、控訴人が一人で会社に異議を述べることは難しい。また、組合が、第一次事件の地裁判決を受けて平成一四年五月一八日に「協約について協議の申し入れ」をして改善を図っていたことなどから、労働契約の内容となったことも認めなかった。

 鞆鉄道株式会社は、上告したが、最高裁は、平成二一年五月二〇日、上告申立不受理との決定をし、ようやく第二次訴訟は決着するに至ったのである。

 しかし、救済された者は闘った者だけでほんの一部である。



主文「日本年金機構の設置を凍結する。」?

〜五・一六「年金法廷」開催

東京支部  中 川 勝 之

 五月一六日、社会文化会館で「日本年金機構でどうなる? 私たちの年金」をテーマにした「年金法廷」を団も構成団体である安心年金作ろう会と全労連が開催しました。参加者は一八〇名でした。

 流れとしては、原告及び被告の意見陳述、四人の証人尋問(年金受給者、社保庁職員、財界代表及び厚生労働大臣)、二人の組合役員の意見陳述(郵政民営化問題〈郵産労〉、国土交通省による車両管理業務の一般競争入札問題〈建交労〉)、学者の意見陳述、傍聴者からの意見表明、最後に原告の最終意見陳述というものでした。 社保庁PTからは、菊池紘団員が裁判長役、尾林芳匡団員が学者役、菅野園子団員が原告代理人役、そして私が被告代理人役となりました。模擬法廷ですので、それぞれ役者名があり、ユニークなものでした。

 原告=国民の請求の趣旨は日本年金機構の設置の凍結を求めるものです。

 原告の意見陳述によって、(1)記録問題については社保庁解体・民営化によっても解決する見込はなく国の責任は曖昧になってしまうこと、(2)社保庁解体・民営化の一つである二〇〇八年一〇月の全国健康保険協会の設置では都道府県間での格差が導入され、国と企業の責任放棄、地方自治体と国民への責任と負担の転嫁が進んでいること、(3)二〇〇四年の年金大改悪は毎年保険料を引き上げる一方で給付を自動的に削減するものであったこと、参議院選挙で敗北した自民党が敗因は年金問題であったとして社保庁及びその職員への攻撃を激化し、社保庁の解体・民営化を決定したが、民営化では個人情報保護もままならず競争入札によって業者が入れ替わるのでは安定的な運営はできないこと、及び過去に一度でも懲戒処分を受けた職員を日本年金機構への採用しないこと等により排除することは専門的な知識を有する職員の喪失であること、が明らかにされました。

 私が行った被告=国の意見陳述は抽象的な内容で、要は「国民の信頼」のために日本年金機構を設置し、処分を受けた職員を排除するというものです。

 証人尋問では、それぞれの立場から争点が明らかになりました。

 年金受給者である年金太郎さんは、無年金・低年金者の救済が必要であること、社会保険方式の現行制度には行き詰まりがあって全額国庫負担の最低保障年金が必要であること、民営化による情報漏えいの危惧等を述べました。

 財界代表である手荒富雄さんは、被告の主尋問で社保庁を民間のノウハウで改革し基礎年金の財源には消費税をあてると述べたのに対し、原告の反対尋問で消費税によって結果的に企業の負担する保険料が減ることを認めざるを得ませんでした。また、社保庁解体で大もうけを狙っているのではという質問に対し、郵政ではやり過ぎたことを認めました。

 社保庁職員である福祉正義さんは、記録問題の早期解決と信頼回復のため連日連夜一生懸命働いていること、記録問題の原因は制度的・歴史的なものであり記録問題検証委員会も同じ指摘をしていることを明らかにしました。

 最後、厚労大臣である格差益三さんは、原告の反対尋問では労働組合による労使の交渉・協議が業務運営の円滑化に資していたことについては知らないと述べ、記録問題についても個々の職員や組合の問題に矮小化できない制度的・歴史的な問題であることも認めました。

 実際は皆さんユーモアたっぷりに話し、ヤジ(?)も飛びました。

 さらに、その後の二人の組合役員の意見陳述、学者の意見陳述、傍聴者からの意見表明、原告の最終意見陳述によって、社保庁解体・民営化だけでなく、広く「官から民へ」の実態が鮮明になったと思います。

 そして、注目の判決ですが、主文は「日本年金機構の設置を凍結する。」と思いきや、裁判長から、皆さんの年金のことですから、皆さんで判断をして下さいということで終了しました。

 社保庁PTの中で、組合の方が年金法廷という模擬法廷の形で社保庁解体・民営化問題について訴えようという話が出たとき、面白いなあとは思いましたが、自分が出ることになるとは思っていませんでした。内容としても新しいことを訴えたわけではないのですが、対立構造、尋問形式で争点が明らかになって参加者にも好評だったようです。

 「年金法廷」後の総括では、全国各地でしようという話になりました。全国の団員が各地で工夫を凝らした「年金法廷」をしていただければと思います。プログラムとシナリオは提供します。

 ところで、「年金法廷」から三日後の五月一九日には、日本年金機構設立委員会は「社会保険庁職員からの日本年金機構職員採用に係る審査結果の概要」を公表しました。内定者は定員の一割以上の一三〇九人も下回っていること、にもかかわらず不採用者が二八人いたこと等が明らかになりました。しかも、職員個々人にはまだ内定通知がなされていません。社保庁解体・民営化問題も正念場です。各地での安心年金作ろう会結成をはじめとする運動への全国の団員の協力を呼びかけます。



「六〇才からの語学留学 韓国見たまま聞いたまま」の紹介

大阪支部  渡 辺 和 恵

 今から四年前、団女性部の総会を兼ねて韓国訪問をした折りに、韓国語が少し出来るということで同行して通訳をしてくれた私の実姉米澤清恵が表題の本(A4版七八頁)を自費出版しました。

 姉は現在、大阪西成区という在日韓国・朝鮮人の人たちが沢山居住している地域に住み、在日本大韓民国民団の国語教室の講師をしたり、大阪AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)の理事をしています。

 この本は韓流ブームが起こる前の二〇〇一年四月から二〇〇三年三月末まで延世大学付属教育機関の語学堂に留学した二年間の体験を中心に、ナヌムの家(旧日本軍「慰安婦」だったハルモニ・おばあさんたちが共同して生活している。「分かち合いの家」の意味)へのボランティア活動などを通じて、日韓民間外交こそが日韓の過去を克服し、未来を開く仕事だと確信した様子が姉自身の言葉で生き生きと綴られています。

 姉は大阪の民主新報に二〇〇七年の一年間、週一回連載の機会を得たものですが、種々の活動に手を取られて出版が遅れ遅れになったものですが、それがかえって今日話題沸騰の北朝鮮地下核実験やノ・ムヒョン元大統領の死が報ぜられる中、この問題をどう考えるのかのヒントを提供しているように思え、あえて妹の私がシャシャリ出て全国の弁護士の皆さんにご紹介しようと思う次第です。

 プロローグは、外国語教育は平和教育と位置づけてきた元中学校の英語教師であった姉が、今度は近くて遠い国韓国、韓国語を学んで平和運動がしたいと思っていた夢を実現させる留学という行動から始まります。

 第一章は「ソウルに暮らして」と題して韓国の身近な生活ぶりを紹介します。第二章は「韓国の社会」と題して、新自由主義の大波にあらわれる格差社会韓国での、イゴシ インセンイダ「これが人生だ」というテレビ番組を通しての助け合いや、今日も続く朝鮮戦争と休戦後の混乱期の「尋ね人」テレビ番組の話や、徴兵制のもとでの良心的兵役拒否の話などを興味深く紹介しています。第三章は「韓国語と私」。日本語の中に息づく韓国文化に新鮮な驚きがあります。第四章は「謝らない国日本」ではパゴダ公園で老人から、タクシーに乗車すると運転手さんからいきなり「日本は悪かったことをなぜ認めないのか」と質問されたり、生々しいエピソードを紹介しています。第五章「平和―日韓連帯」では、殆どの日本人が知らないであろうと思われる韓国の米軍射爆場閉鎖の闘いや、韓国九条の会を紹介しています。最後第六章「在日コリアン」では在日コリアンの由来を教えられていない日本人の存在と、東京枝川朝鮮学校事件の日本人弁護士や市民運動が在日コリアンの日本への信頼を繋ぎ止めていることなどを紹介しています。

 エピローグは姉が卒業スピーチに続いて「ずっと日韓交流のテーマを追いかけているのは何故か」の質問に答えて、「この前の世界大戦中、アジアの人には酷いことをした日本が、特に中国の人々には最も残酷なことをしたと思うが、一人一人に謝って歩くことも出来ない、戦争を阻止する最も効果的なことは草の根の交流で理解し合った人々が政府の国家主義の宣伝に騙されないことだと思う、自分もその小さな力になりたい」と語ったところ、留学生のクラスメートの若い中国人外交官が「今度は中国語を勉強しに北京においで」と言ってくれたことを紹介しています。この青年は語学堂の修学旅行の夜、酔っぱらってくだを巻き「日本が憎い」を繰り返したと噂になった人だということです。

 私たち姉妹は母子家庭に育ち、家業手伝いのため学校に行けないことがありました。特に長女の米澤は母の戦友でした。姉はその時のトラウマで、勉強する時が至福の時という、老境に達しても少女のような心持ちの女性です。妹の私の身びいきの紹介でも一読してみようと思われる方は、封書でお名前・ご住所を明記して八〇円切手を同封して下記弁護士渡辺和恵までお申し込み下さい。

【申 込 先】

 〒五五六―〇〇一三
 大阪市浪速区戎本町一―九―一九 酒井家ビル五F
 きづがわ共同法律事務所
 TEL〇六―六六三三―七六二一
 FAX〇六―六六三三―〇四九四
 弁護士 渡辺和恵まで



七・二四「第二回大量解雇阻止全国対策会議」

―多数のご参加をお願いします―

大量解雇阻止対策本部

 七月二四日午後一時〜五時まで、団本部会議室において、「第二回大量解雇阻止全国対策会議」を開催します。

 現在、全国各地で、派遣先に対する直接雇用を求める裁判が続々と提起されており、対策本部で把握しているだけでも、三〇を超えています。第二回全国会議では、松下PDP大阪高裁判決を踏まえた法律構成のみならず、立証上の工夫や、裁判所から指摘されている問題点、事件ごとの悩みなど、乗り越えていかなければならない課題を議論する予定です。また、雇止め事例につき、裁判例を踏まえて、どのようにたたかってゆくのか、労働局への申告手続をどのように活用して労働者の権利を守ることができるのかについても議論を深めたいと思います。

 全国各地での裁判闘争がどのように進められているのか情報を集約し、各地の裁判闘争に反映するために、団本部に訴状や準備書面などの郵送もしくはFAXをお願いします。

 団員のみなさまには是非、多数のご参加とご協力をお願いします。


一 日 時  二〇〇九年七月二四日(金)一三時〜一七時

二 場 所  団本部会議室

三 内 容  (1)労働局申告の実践と厚生労働省申し入れについての報告、
         (2)派遣先への直接雇用を勝ち取る理由と立証活動、
         (3)雇止め最高裁法理の克服、
         (4)経営分析、内部留保論など

【七・二四「第二回大量解雇阻止全国対策会議」】



非正規黒書づくりへの協力をお願いします!

大量解雇阻止対策本部

 昨年秋以降、大企業による非正規労働者の大量解雇が強行されています。先日の五月集会の労働問題分科会では、全国各地でたたかわれている非正規労働者の大量解雇とのたたかいが生き生きと報告されました。そして、分科会の最後に、裁判闘争を勝ち抜くためにも、また、労働者派遣法の抜本改正等を勝ち取るためにも、非正規労働者の劣悪な労働と生活の実態を明らかにする「非正規黒書」をつくろうとの提起がされました。

 大量解雇阻止対策本部では、一〇月総会(一〇月二四日〜二六日)完成を目指して、「非正規黒書」(仮称)をつくろうと思いますので、団員の皆様の協力をお願いします。つきましては、次の原稿の作成をお願いできないでしょうか。

一 原稿の要領

 一応の目安は次のとおりですが、この目安にとらわれないで柔軟に考えることも必要と考えています。

(1)字 数 おおよそ一五〇〇字〜三〇〇〇字

(2)提訴団等の場合

  提訴団等の全員もしくは数名について、左記(1)〜(5)の状況について、黒書原稿をつくる。

(1)たたかいの概要

(2)年齢・性別・出身都道府県・家族関係・住居等

(3)派遣労働者の場合―派遣会社との契約内容、有期契約の内容、更新回数等

(4)期間労働者の場合―有期契約の内容、更新回数等

(5)派遣労働者、期間労働者になる経緯、具体的業務内容、月収、年収、仕送り等の生活状況、解雇・雇い止めされて以降の状況

(3)派遣村活動・街頭相談活動等の場合

(1)各地での派遣村活動・街頭相談活動等について、相談者の労働・生活事例一覧表をつくる。

(2)個別の相談者について、可能な人について、右記「(2)(1)〜(5)」のような原稿をつくる。

(4)その他の事例

 適宜、ご検討下さい。

二 スケジュール等

(1)七月一五日を目途に、団本部まで、第一稿をお送りいただけないでしょうか。                

 送付先メールアドレスは、usui@jlaf.jp

(2)第二回大量解雇阻止全国対策会議(七月二四日午後一〜五時、 団本部会議室)で、「非正規黒書」(仮称)の問題も議論しますので、多数ご参加下さい。