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菅野 園子 公団住宅世相反映図
鳴尾 節夫 「政務調査費」不当訴訟で、日本共産党墨田区議団が全面勝利する。
高橋 伸子 自由法曹団二〇〇九年五月集会 事務局交流会
第二分科会「私たちの仕事を考える」に参加して
井上 正信 自民党防衛政策検討小委員会
「提言・新防衛計画の大綱について」を読む(中)
根本 孔衛 国際民主法律家協会第一七回大会(ハノイ)
第二分科会「平和への権利」での発言要旨
東アジア共同体と日本
前川 雄司 市民問題委員会のお知らせ
民法(債権法)改正問題の検討にご参加ください。
大量解雇阻止対策本部 「第二回大量解雇阻止全国対策会議」のご案内



公団住宅世相反映図

事務局次長  菅 野 園 子

 六月二五日、団市民問題委員会では、全国公団住宅自治会協議会の役員の方々との懇談を約二時間あまり行いました。全国公団住宅自治会協議会とは、全国の公団住宅自治会や、各地方の公団住宅自治会協議会などの協議会で、公団住宅(UR(=独立行政法人都市再生機構)住宅)居住者の共通の権利をまもり発展させること等を目的とする団体です。加入団地自治会数が約二五〇、加入団地の総戸数は約二六万五〇〇〇戸です。

 市民問題委員会では、これまで借地借家法改悪問題、UR賃貸住宅耐震除却問題等住居に関する活動にも積極的に取り組んできましたので、全国公団住宅自治会協議会との協議を持ちました。

 全国公団住宅自治会協議会の方達からの話はとても具体的かつ詳細で世相のいろいろな問題点が凝縮されておりとてもおもしろかったです。

 第一に定期借家制度の導入について、二〇〇八年一二月二二日規制改革会議第三次答申において、URに対して、「二〇〇九年度内にUR賃貸住宅について全賃貸住宅ストックの約二割の住宅を対象に、新規入居者募集については、すべて定期借家契約を締結する」措置を求めました。そのため、二〇〇九年URは、UR賃貸住宅における定期借家契約の幅広い導入を発表しました。これまでURの立場においても、定期借家制度は「建て替え予定団地で空き家住宅を活用する」ためという限定の下で用いられてきました。ところが、UR側には定期借家契約の方が「使い勝手がよい」との理由で、こうした限定を加えることなく、幅広く導入することとしたのです。しかし、民間では昨今借家が過剰気味であり、定期借家は入居者に利点はなく家主にも特にメリットはないためほとんど普及していません。こうしたUR賃貸住宅に対する定期借家の導入の背景には、家主側に解約や更新拒絶に際して正当事由が要求されない定期借家をまずUR賃貸住宅に普及させ、民間住宅へも波及させようという極めて政治的な動きにもとづくものなのです。

 また、公共財産管理の競争入札化について話が及びました。現在既に、団地の植木の植栽や剪定もこれまで継続的に入っていた業者から競争入札が導入されるようになったとのことです。その結果、ある入居者の団地ではこれから萩の花が咲く季節というのに、花が咲くはずの萩の枝が剪定されてしまったり、今年咲いたあじさいの横に去年枯れたあじさいが剪定されず残ってしまったりと安かろう悪かろうの状態となってしまったということでした。今後は、清掃業務の競争入札化、管理業務、小規模修繕についても競争入札化がすすみますが、こうした「安かろう悪かろう」の経費の節約はすべて、機構の財政=節約に向けられたもので、入居者には何のメリットもないとのことです。

 現在UR賃貸住宅では高齢化と低所得化が進んでいます。今年全国公団住宅自治会協議会が実施したアンケートによれば、居住者のうち、年収約二五〇万円以下の世帯が全体の四割に達したそうです。団地人口も六〇歳以上が四八%を占めるようになったとのことです。三年に一度は家賃の改定がされるUR賃貸住宅ですが、この経済状況の下はじめて「当面延期」を勝ち取ったというのは極めて画期的な事です。高齢化に伴い、エレベーターの設置のない住宅については高齢化のもとエレベーターの設置について求める活動等は行っているのか私たちから質問したところ、エレベーターの設置=バリアフリーではないという技術上の問題や、利便性の向上を口実に家賃値上げの材料として用いられること、共益費の値上げを求められる可能性等々、単純な問題ではないことと、やはり家賃の値上げがこうした低所得層を含む居住者にとって極めてシビアな問題であることがよく分かりました。

 自治協の方々との懇談は、「これからは夏祭りのために頑張らないと」ということで締めくくられましたが、政策に対する提言から夏祭りまでのその幅広い活動に敬意を表し、ここに報告致します。



「政務調査費」不当訴訟で、

日本共産党墨田区議団が全面勝利する。

東京支部  鳴 尾 節 夫

 昨年九月五日午後一時一〇分、東京地裁七〇五法廷において、杉原則彦裁判長は、穏やかに「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は、補助参加によって生じた費用も含め、原告らの負担とする。」と述べた。   

 この裁判は、東京都の特別区である墨田区の住民三名が原告となって、被告墨田区長に対し、「区長が平成一七年度に日本共産党墨田区議団に交付した政務調査費を同区議団より返還してもらうよう請求」することを求める不当利得返還請求訴訟であり、私は、墨田区長側に補助参加した日本共産党墨田区議会議員団(以下「日本共産党墨田区議団」という)の代理人として、この判決主文を聞いたが、「ヤッタ」と心の中で叫んでいた。

二 不当訴訟の提起

(1) 政務調査費の透明性を高めるための全国的な取り組みと成果

 全国各地でいわゆる政務調査費に関し世論が高まり、その透明性を高めて使途基準以外の不正な使用をさせないために、地方議員の政務調査費につき一円以上の領収証添付を義務づける都道府県が今年度で既に三六議会に広がっている(平成二一年六月二四日付朝日新聞)。これは議員の豪華な飲食代や研修名目の観光旅行代など調査研究とは無縁は支出を市民住民が大きく問題として取り上げてきた成果である。

(2) 墨田区民三名による住民監査請求とその要点

 ところがこの民主的な動きと逆行する現象が墨田区で起きたのである。三名の墨田区民が、平成一九年四月二五日に、墨田区監査委員に、地方自治法二四二条一項に基づき住民監査請求を求めたのがそれである。

 これは、墨田区議会の会派である日本共産党墨田区議団が平成一七年度(平成一七年四月一日から平成一八年三月三一日)に政務調査費として交付を受けた金員につき、墨田区の「条例」において政務調査費の使途として定められている目的以外に支出したとして、五四五万六一〇三円を区長宛に返還させること、もしくは墨田区長をして返還請求せしめること等の必要な措置を講じるよう求めて、いわゆる住民監査請求書を提出したものである。

 墨田区民三名が、「問題」としたのは、次の二点であるが、これらはいずれも日本共産党墨田区議団がその活動の中心的な柱と位置付けて取り組んできた生活相談活動と区議団ニュースの二つであり、この監査請求自体が何を狙いとしたものかを、如実に示すところとなっている。

(1)毎月発行してきた墨田区議団ニュースは、実態は日本共産党の機関紙であって、政党活動や選挙活動がその紙面の大部分を占めており、その発行に要した印刷郵送等の諸経費は、目的外支出ではないか。

(2)各区議が、その議員事務所において毎週一回、月四回実施してきた生活相談会のうち、政務調査費から充当してきた経費は、その相談会が実施されてない実態のないものであって支出自体違法ではないか。

 これに対して、墨田区監査委員は、日本共産党墨田区議団ニュースにつき、その一部に選挙活動・政党活動に該当する部分があるとした誤解に基づく残念な見解が示されたものの、圧倒的部分については日本共産党墨田区議団の上記墨田区議団ニュースの発行と生活相談活動に対し正確な理解を示し、不当な監査請求を退けた。

(3) ところが先の三名は、この誰が見てもまともな監査結果を不服として地方自治法二四二条の二に基づき、墨田区長を被告として、不当利得返還請求訴訟を提起した。しかし、当事者である日本共産党墨田区議団は当然のことながら、当初よりこの裁判が、現実には、墨田区議団の民主主義に則った、住民の立場に立つ誠実な諸活動等を、意図的に妨害するところにあるものと考えた。

三 政務調査費とは何か。

 ところで政務調査費とは何か。地方自治法一〇〇条一三項に、「地方自治体は、条例の定めるところにより、その議会の議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として、その議会における会派方は議員に対し、政務調査費を交付することができる。この場合において当該政務調査費の対象、額及び交付方法は、条例で定めなければならない」と規定されたことに基づくものである(これは、平成一二年五月に地方自治法一部改正で法制化され、平成一三年四月一日施行された)。

 そして、墨田区議会は条例と規則を定め、会派に対して交付する金額は、月額一四万円に各会派の所属議員の数を乗じて得た金額をされている(「政務調査費の交付に関する条例」及び「規則」として平成一三年四月一日から施行)。

 この条例では、各会派は、「規則に定める使途基準に従って使用するものとし、区政に関する調査研究に資するため必要な経費以外のものに充ててはならない」とする。そして、使途基準以外に使用されたときは、区長は返還と求めるものとされ、さらに政務調査費の使途の透明性を確保するために「経理責任者は、収入及び支出の報告書を提出する」ものとした。

 因みに政務調査費の使途基準として、調査研究費、研修費、会議費、資料作成費、資料購入費、広報費、事務費、人件費及びその他の経費などの項目に分かれ、それぞれの内容につき列挙して特定している。

四 日本共産党墨田区議団は、区長側の補助参加人として不当訴訟に関与。

 日本共産党墨田区議団は、区長を補助する立場で、補助参加人として、この不当訴訟に係り、さらに私どもは、墨田区議団からの要請で、その代理人となって、憲法と地方自治法に定められた地方自治の本旨である住民自治の原則を守るべく、訴訟活動を展開した。

五 大きな意義をもつ東京地方裁判所の判決

 冒頭の判決は、日本共産党墨田区議団が、区民が直面している生活と生業の悩みや要求を、所属の各議員が毎週行っている生活相談会や区議団として折々に実施している区民アンケート調査などから汲み上げ、それらを解決する政策を立案し、区政に実現するために奮闘している、その姿を、補助参加人として提出した豊富な証拠に基づいて正確に認定した。

 判決はまた、毎月発行の墨田区議団ニュースの編集の苦労とニュースの意義を正確に認定した上、各議員によって毎週実施されており、間違いなくその実態が存在する生活相談会の意義についても会派としての活動であると正当に評価した。その上で、これらの諸活動が多くの区民に区政への関心をもってもらうために必要なことであり、そのことがひいては「議会の審議能力を強化し、議員の調査研究活動の基盤の充実を図ることにつながるものである」と明確に述べている。結論として判決は、日本共産党墨田区議団ニュース発行費用全体や生活相談会実施の経費の一部に政務調査費が充てられることは、制度の趣旨に適うものと判断した。

 なお判決は、激務のため体調を崩した議員が、毎週一回の相談会を何度か開催できなかったケースがあったものの、それは当該議員の後援会有志の会が借りている地域事務所において、日本共産党議員団が会派として毎週水曜日開催の生活相談会の予定会場として確保している実態があると認定。たまたまやむを得ない事情により開催されないことがあった場合でも、賃料の一部として、社会観念上相当な一定額を会場借り上げ経費として計上することについて、何ら問題ないことを正面から認めている。

 最後に判決は、区議団ニュースが、政党の機関紙活動であるとか、選挙活動そのものであるとする、原告らの意図的な且つ不当な主張を、当然のことながら全面的に退けた。

 以上のとおりの詳細な事実認定を行い、判断したこの判決は、地方自治の意義とその民主的内容を踏まえた、極めて良識に富んだものであり、政務調査費問題を正面から捉えた司法判断の一つとして大きな意義を持つものと考える。

 そして、日本共産党墨田区議団の血のにじむような苦労と地道な努力に日常的に接している私としては、そのことが司法の場で正当な評価を受けたことに、深い感慨を覚えるものである。

六 東京高等裁判所でも勝利したこととその勝利判決の確定

 原告らは一審の判決を不服として控訴し、舞台は東京高裁に移った。その理由とするところは、一審でも主張していた内容のむしかえしであった。すなわち、体調を崩していた議員が生活相談を開けなかった週が一部あったことを根拠に政務調査費の不当支給である、また会派して生活相談会を開催しているというのなら、その報告書作成が必要などとする見当はずれな主張であった(報告書については、開催していることは否定しがたい事実であり、その内容をいちいち報告することなできるはずもないことは明白であろう。東京高裁は当然のことながらこの見当はずれな主張をキッパリ否定した)。

 東京高裁は、原判決同様、毎週実施することを決めて確保している会場につき賃料の一部を必要経費として観念することは当然であるとして、今年の五月二七日に控訴人らのこれらの言い分を一蹴して控訴棄却の判決をした。これに対して彼らは上告しなかったので、東京地裁の原判決が確定し、日本共産党区議団の全面的な勝利に終わったのである。

 なお弁護団は、榎本武光、大森浩一、高木一昌、鳴尾節夫の四名である。



自由法曹団二〇〇九年五月集会 事務局交流会

第二分科会「私たちの仕事を考える」に参加して

八王子合同法律事務所  高 橋 伸 子

 業務と活動、団事務所に働く者の任務・役割について、各地の実状の交流を目的として行いました。

 今年からスタートした日弁連の法律事務職員能力認定制度について各地の状況を出し合いましたが、受講状況、費用負担など、各地さまざまでした。ですが、認定制度に寄せる期待は大きいし、弁護士からも基礎を修得するためにぜひがんばってほしいと励まされている報告もありました。

 自分たちがおかれている労働条件についても各地からの現状報告や、他の事務所ではどうしているのだろうという質問も出ました。団事務所に働き、旺盛に人権課題に取り組む弁護士に尊敬の念をよせつつも、自分の生活もあるからもう少し賃金を上げてほしい思いもあり、どうしたものかと悩んでいるという率直な意見も出て印象に残りました。

 活動については、日常の業務に忙殺されているため、弁護士と一緒に運動に参加している実感がもてない、団の活動に事務局があまり参加していない、そのため団の活動が見えにくいなどの意見が出ました。運動が事務局長に集中していることも出ました。これらは、昔に比べて弁護士の活動が多様化しており、弁護士と事務局が共同して取り組む活動が減っているため、事務局が団事務所の事務局という自覚をもって活動に関わる機会が少なくなっている現状があると報告した方がいらっしゃいましたが、私も同じ思いをもちました。一方で、なかなか活動になじみのない弁護士が入所し、運動体と弁護士の橋渡し役として活躍していたり、駅頭宣伝の苦手な弁護士を引っ張り出してビラ配りを教えながら一緒にやっていたりと、頼もしい若手事務局の姿も報告されました。

 団が創立されて八八年。長い年月の中で、多くの先輩弁護士、事務局の方々が、歴史に残る数々の運動の足跡を残されてきました。各事務所においても、同じ思いを持った弁護士事務局の創立以来の関係から、時代が移り変わる中で、その関係も運動の内容が多様化し、弁護士事務局の関係も変化してきました。昔と同じスタイルでは、今の時代にあわない面も出てきていますが、どの時代になっても大切なことは、ともに働く所員として、日頃のコミュニケーションを密にとる。お互いの仕事や運動や、多少はプライベートの悩みなどもわかちあい、気軽に相談できる関係を築いていけることではないかなあと、最近感じます。今回の分科会に参加して、一層その思いを強くした次第です。今後も機会があれば、このようなテーマでの交流を続けていければよいと思います。



自民党防衛政策検討小委員会

「提言・新防衛計画の大綱について」を読む(中)

広島支部  井 上 正 信

六 新たな脅威(テロ、大量破壊兵器と弾道ミサイル拡散等)から在来型の脅威(北朝鮮、中国、ロシアの脅威)を強調し、国際協力重視から国益防衛重視へと安全保障戦略、軍事政策をシフトさせようとしている。

 安全保障戦略は、国家に対する特定の脅威認識を踏まえて、それに対処する戦略を形成するものである。一六年大綱が打ち出したいわゆる「統合的安全保障戦略」の脅威認識は、わが国に対する本格的な武力侵攻の可能性は低下している反面、新たな脅威として、国際テロ組織などの非国家的主体や大量破壊兵器と弾道ミサイルの拡散の脅威を強調する。小委員会提言は、「新しい安全保障環境」として、「大規模な自然災害の多発、北朝鮮の核実験・ミサイル発射、中国の軍事力強化とロシアの復調、米国オバマ政権の誕生や米国の金融問題から発した世界経済の急落等」を挙げ、わが国への脅威として、「三正面(北、西北、南西)と海洋国家としての海上交通路を通じてわが国に及ぶ」地政学的脅威を挙げている。「三正面(北、西北、南西)+一脅威論」(これは私のネーミングである)は私が初めて接した言葉である。三正面とは、北=ロシア、西北=北朝鮮、南西=中国、台湾海峡であることは、「三正面+一脅威論」を述べた直ぐ後で、これら三カ国の脅威に言及していることからも明らかである。

 一六年大綱が強調した新たな脅威は、提言ではシーレーンへの脅威として位置づけられ、安全保障戦略上の独自の脅威ではない。実はここに一六年大綱と小委員会提言の根本的な違いが潜んでいるのだ。

 一六年大綱は、旧来型の脅威(国家間の本格的な武力紛争)は見通せる将来にわたりなくなりつつあり、わが国に対する本格的な武力侵攻の可能性は低下しているとの認識の下、新たな脅威がわが国の安全保障戦略の主要な対象になること、新たな脅威に対しては抑止が効かないこと等から、国際協力が重要であるとして、国際的安全保障環境の改善活動(国際平和協力活動)を安全保障戦略、軍事政策の主要な柱とし、自衛隊の本来任務とした。ところが、小委員会提言では、在来型の脅威と国益防衛を強調する内容となっている。一六年大綱では「新たな脅威」を国際平和協力活動を強調する戦略の理由としているが、小委員会提言では伝統的な国益防衛であるシーレーン防衛の理由付けにしているのだ。

 このことは、小委員会提言が打ち出している安全保障戦略を見ればよくわかる。提言は「総合的統合的安全保障戦略」という概念を提唱する。一六年大綱は「統合的安全保障戦略」という概念を提唱した。これは、安全保障政策の目標を(1)わが国防衛、(2)国際的安全保障環境の改善の二つとし、これを達成するため(1)わが国自身の努力(2)同盟国との協力(3)国際社会との協力という三つのアプローチを組み合わせる(統合する)ものだ。

 「総合的統合的安全保障戦略」「統合的安全保障戦略」とよく似ているが、似て非なるものである。小委員会提言は明確に定義をしていないが、経済・エネルギー・食料・技術等の安全保障と軍事的安全保障との連携、国家安全保障での官邸機能の強化(国家安全保障問題担当補佐官の設置、国家安全保障会議の新設、自衛隊出身の総理補佐官の新設)を提言している。一六年大綱との大きな違いは、提言では「国際社会との協力」がまったく抜け落ちていることである。

 小委員会提言が、国益防衛とそのための自主防衛力論を打ち出そうとする背景にはこのような認識があるのだ。

 では、日米同盟をどのようにしようとするのであろうか。「日米安保体制の強化」という項目では、「『日米共同宣言』(一九九六年四月)以降の米軍の変革・在日米軍の再編とわが国の新防衛計画の大綱を確実に進展させ、日米同盟及び日米安保体制を更に強固なものとするため、『新日米安保共同宣言』を締結すべきである。」と提唱する。ここで述べている「新防衛計画の大綱」とは、今年中に策定される予定である(小委員会が提言しようとしている)防衛計画大綱のことである。小委員会提言は、現在取り組まれている日米同盟の変革を進めながらも、新防衛計画大綱による日米の役割分担の見直しを踏まえた「新日米安保共同宣言」を締結しようとしているといえる。ではどのように見直そうというのであろうか。

 小委員会提言は、見直しの中身について明確には述べていないが、提言から読み取れる方向性は、日米の軍事作戦面での日本の役割の強化と、自主防衛力論と考えられる。日米の軍事作戦面での日本の役割の強化について提言は、「日米役割分担の柔軟性確保のための我が国の防衛力の方向性」という表題で、「米国の打撃力に対する自衛隊の支援・補完能力を向上するため、打撃部隊の援護(対艦・対空・対地・対潜攻撃能力)や情報収集支援、後方支援機能の強化が必要である。」と述べる。周辺国に対する抑止態勢における日米の役割分担の見直しである。周辺国に対する抑止態勢に関する法制度は周辺事態法である。周辺事態法は、米軍への軍事的後方支援にとどめ、且つ攻撃を受けそうになったら支援を中止し、場合によっては撤退するという仕組みである。集団的自衛権行使ができないための苦肉の法制度となっている。

 米打撃部隊への援護として、対艦・対空・対地・対潜攻撃能力強化を提唱するのは、周辺事態法で後方支援活動に留めていた事とは根本的に異なる方向性である。また、提言が実現させようとしている安保法制懇報告書の提言をも大きく超えるものでもある。安保法制懇報告書は、ミサイル防衛のために共同作戦中の米艦が攻撃された場合の援護をするために集団的自衛権行使の解釈見直しを提言する。これは打撃部隊への援護ではなく、より限定された場面での援護に過ぎない。ところが小委員会提言は、無限定な打撃部隊への援護を行おうとするのである。この意味は、前線での共同作戦に他ならない。米強襲揚陸艦隊が強襲揚陸作戦を行い、攻撃型空母が対地支援を行っている作戦で、護衛艦が艦砲などで対地攻撃を行ったり、これに反撃する敵水上艦艇、敵航空機や潜水艦を攻撃するということであろう。この作戦には、無制限な集団的自衛権行使が必要となることは明らかであろう。

 日米同盟の変革のための日米協議で合意された「日米同盟;未来のための変革と再編」(〇五・一〇中間報告と称される文書)の中で、我が国が周辺事態に際して米軍へ「切れ目のない支援」を行うことが合意されていた。私は、これを周辺事態法では行使できなかった集団的自衛権行使を行うことを合意したと理解している。小委員会提言はおそらくこの合意を踏まえ、更に一歩前に進めようとしているのであろう。「日米同盟;未来のための変革と再編」では、周辺事態における日本の支援は、後方支援を想定しているが、提言は後方支援ではなく前線での共同作戦を想定しているからである。

 自衛隊がこのような軍事活動を行うためには、集団的自衛権行使の憲法解釈だけでは不十分であり、九条の改正に止まらず、提言が求めている軍事裁判所やそのための軍事法制(軍刑法と訴訟法)など憲法の改正が必要となるであろう。なぜ軍事裁判所や軍事法制が必要になるのかについては、後述する。



国際民主法律家協会第一七回大会(ハノイ)

第二分科会「平和への権利」での発言要旨

東アジア共同体と日本

神奈川支部  根 本 孔 衛

 二〇〇八年一一月の米国大統領選挙でオバマ氏が当選したことは、米国民が米国の軍事的覇権主義とユニラテラリズムが失敗であり、その限界を認めたことを示すものである。同じ頃明らかになった米国の株式市場での株価の暴落と金融恐慌の到来は実体経済での不況をよびおこし、米国が先導したグローバリズムと新自由主義経済の破綻を証明した。その影響は世界中に及んだが米国と多面的かつ緊密に結合されていた日本に急激な不況をもたらし、安保条約に依拠している安全保障面についても不安と動揺が生じた。その様相は日本国民のそれぞれの階層間のでその地位、利害に応じてさまざまなかたちであらわれているが、その反面として深まってきつつある東アジア諸国民と結合関係をいかに評価し、どのように対処していくべきかの論議が進んでいる。

 日本は太平洋戦争の敗北によってポツダム宣言を受諾し米軍を主体とする連合国の占領下におかれ、軍国主義の解体と民主化が進められた。戦後間もなく始まった冷戦は東北アジアでは一九五〇年六月に朝鮮戦争となって熱戦化した。そこで日本は参戦した米軍の後方基地となり、一旦は解体された日本の軍隊の再建ががなされた。米国はその占領下において支配していた日本を冷戦での西側陣営の組み込み、その東アジア政策の根拠地とするために、一九五一年九月に連合国のうち東側と中立国を除外した片面的対日講和を行い、同時に日米安全保障条約が締結した。これによって、ポツダム宣言の実施のために駐留していた米軍とその基地使用は安保条約上の権限に転換されてこれが恒久化した。一九六〇年六月安保条約は改定されて、軍事基地提供から共同防衛条約へと転化した。同時に約定された日本の軍事力強化義務によって日本の米国への従属的な結合が強まっていった。

 敗戦を収拾するポツダム宣言の受諾にあたり、天皇統治の維持の留保条件をつけた日本の支配者層は占領下にも生き残された。彼らは反共と保守の立場からその勢力の回復ののぞみを間もなく始まった冷戦とその深まりとともに進む米国の政策転換に託した。

 日本の工業力は敗戦によって壊滅状態におちいっていたが、連合国の占領政策は、日本の侵略戦争を推進した軍国主義を根絶するためにこれを経済的に支えてきた財閥の解体、賠償対象の予定等の措置を進めてきた。しかし、冷戦の進行により米国はこの方針を変更して日本の大資本の復活と強化策に転じた。対日講和にあたり米国はその賠償請求権を放棄し、日本の侵略戦争によって被害を受けた諸国に対してもその賠償もしくはそれに代るべき措置の請求に圧力をかけてこれを縮減させた。日本の支配者層は、このような米国の講和方針が日本を占領の枷から抜け出させ、その復興を助長するものとして歓迎した。これは講和条約と同時になされた日本を米国の軍事的従属下におく日米安全保障条約の両条約に調印の席に臨んだ吉田茂首相に「日本全権はこの公平寛大な平和条約を欣然受諾いたします」と発言せしめたことにあらわされている。

 講和による平和回復後の日本を米国の従属的地位におくことは、第二次世界大戦を共にたたかい反ファシズム・反軍国主義の戦争に勝利した連合国の戦後処理の共同綱領であるポツダム宣言の予期しないところであり、その実施としてはおこりえないはずのものであった。

 したがって連合国の占領下に制定された日本国憲法では、その基本原則の一つが平和主義である。その前文は、日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意」するとし、第九条は戦争を放棄し、軍備及び交戦権を否認している。このことは、この憲法制定議会における吉田首相の政府答弁でこの憲法は自衛権を放棄していると確言されていることに示されているとおりである。その平和主義は、戦後の世界秩序である国際連合憲章を前提にしているが、それが軍事力の存在を前提にして集団的安全保障と自衛権を容認しているのに対して、日本国憲法の平和主義は軍事力とその行使を全面的に否認することに示されているとおり非戦思想についてはなお一歩を進めている、ということができる。そのような憲法の下にある日本が日米安保条約によって米国の軍事的支配をうける従属的協力者の地位におかれ、その状態を容認していることは、日本の政治の根本的な矛盾である。

 米国は冷戦下の従属的同盟国である日本を経済面から強化するために、その最新技術を提供し、米国やその影響下にある地域からの原油等の資材の供給をし、自国を日本の製品の販売市場として開放する等の措置をとることによってその再建が助けた。これらの措置は日本国民の復興努力とあいまって日本のその後の経済成長の土台をきづくことになった。折からの朝鮮戦争、ヴェトナム戦争遂行のための後方基地となった日本の米国への軍需品の供給は、「特需」といわれて日本経済の発展に資するところとなり、その高度成長を勢いづけた。このようにして日本の米国経済に対する依存協力関係は切り離しがたいものとなっていった。

 講和後の日本では、このような対米従属関係を前提とした保守的政治勢力の中には、軍事負担を抑えてその力を経済に集中しようというのが多数であり、それと改憲をとなえ敗戦前の状態になるべく戻ってゆこうという二つの流れとがあったが、一九五五年に両者は合同して自由民主党となり、以後永く政権を担っていった。一方、侵略戦争と敗戦の事実にかんがみ、民主化を進め、東西いずれの陣営にも関わらず、新憲法をまもって自主な立場で新しい日本の建設を進めていこうとする勢力が対立してきた。このような対抗関係の状態は五五年体制とよばれ冷戦が終結した後の一九九三年までつづいた。

 戦争犯罪容疑者で講和に際して拘禁をとかれ政界に復帰して首相となった岸信介によって一九六〇年に日米安保条約の改定が企てられる中で、この対立関係はより明確になった。平和主義の新憲法を厭戦的心情から容認してきた日本国民の中でもこの安保条約改定闘争の盛り上りの中で憲法の平和主義擁護がより自覚的なものに転化していった。この動きは一九五四年のビキニ環礁での米国の水素爆弾爆発実験による漁船員の被災を機に興ってきた原水爆禁止反対運動とあわさり、さらにヴェトナム戦争反対運動等により強固なものとなっていった。

 第二次世界大戦において連合国の勝利の要因となった米国の国力は戦後の世界において圧倒的な優位を占めさせることになった。米国は冷戦にあたってヨーロッパにおける北大西洋条約機構NATO、南北アメリカ大陸にまたがる米州機構、東南アジア条約機構SEATOなどの地域的共同防衛組織を主導し、また日米安保条約など多数の二ヵ国間軍事条約によって、西側の軍事的「首領」の地位に立った。

 その経済力も抜群であり、戦後の世界経済秩序の中心となったブレトン・ウッズ体制を主導し、その二本の柱である国際通貨基金IMFにおいてはドルが基軸通貨となり、戦後の世界の経済復興をになった世界銀行でも最大の出資国としてそれにともなう権限をにぎった。また世界の交易関係での障壁の除去、自由貿易の拡大をはかる関税と貿易に関する一般協定GATTにおいてもその中心となった。

 これらの米国の優位と指導力も、東側に対抗して広大な地域にはりめぐらした軍事網の維持、核兵器をはじめとする軍備拡張競争とヴェトナム戦争をはじめとするあまたの軍事的介入による出費等により、次第にその経済力が相対的に低下していくことはまぬがれがたかった。その現われが一九七一年のニクソン・ショックといわれたドルの金兌換停止と為替変動性への移行によるドルの基軸通貨性の低下であった。

 この動向は米国の貿易収支と財政との二つの赤字の継続・増大となり一九八五年以降米国を債務国に転落させた。米国はそのような状態を補うために高金利政策によって外国資金の導入をはかっていた。その結果としてのドル高による貿易と経済の不振を救うためにレーガン大統領は先進五ヵ国蔵相、中央銀行総裁による会合を要請し、ニューヨークのプラザ・ホテルでの会議でドル高修正のための各国による為替市場への協調介入を合意させた。

 敗戦によって壊滅状態となった戦後の日本経済は、米国の冷戦における政策転換があり、その支援も加わり、また日本国民の勤勉性、低廉、豊富な労働力に経営者の工夫が結びつき、政府の産業助成策があって急速に回復し、成長の道を歩みつづけた。

 その実現を保障したものが憲法の平和主義であった。日米安保条約による対米従属下の軍事力である自衛隊の維持・運用費と駐留米軍とその基地についての費用負担はあったが、憲法九条はその膨張をおさえる機能を営んだ。軍事費をおさえることによってえられた余力は経済力の強化に投入されることによって日本経済の高度成長を可能になった。

 冷戦の拡大と深まりの中で米国からは日本に対して断えず軍事力の強化と米軍支出費分担の増加の要求がなされてきたが、日本政府は憲法九条の存在とその平和主義を護ろうとする世論の圧力を示すことによって米国の要求を抑え、その解答と実施度を低下させることができた。

 戦後の日本の政治と外交はこのように米国との政治的、軍事的、経済的関係の上にたつ日本同盟基軸論にもとづいてこれに依拠し、他国との関係はこれに付随するものとしておこなわれてきた。日本政府当局の外交方針は米国の動向を見つめて、米国政府から発せられるか要求を「いかに値切り、いかに安価におさめるか」の交渉である「値切り外交」であり、そこでの結論にしたがう「ぶら下り外交」であった。彼らは米軍の存在により軍事的支出がおさえられ、経済中心の方針が実現できるといって、これを「安保条約効用論」と唱えていたが、その「値切り」の武器が彼らの解釈する専守防衛論である憲法九条であったことからすれば、その反面は「憲法九条効用論」であったということもできる。自民党政権が永くつづいたことは、日本国民の多数もこの間これを容認してきたと見ることができよう。

 日本と米国との戦後の経済関係の変化があきらかになってきたのは、一九六五年に日本の対米貿易収支がそれまでの赤字から黒字にかわったことである。日本の対米輸出は繊維品を主とする軽工業製品であったが、この年にはその割合が低下し代って重工業品が六〇%に近くなった。一九六八年には日本は米国に次ぐ世界第二の「経済大国」となった。七〇年代の石油危機の時代をはさんで以後日本の対米主要輸出品は鉄鋼、自動車、工作機械、カラーテレビ、半導体等となっていった。これは戦後の日本の産業構成が輸出指向型経済であることには変りはなかったが、その製品が労働集約型より技術集約型にかわっていったことを示している。ニクソン・ショックとプラザ合意の背景には米国経済の生産性と経済力の相対的低下があり、それとは対照的な日本の躍進があった。そこにおいて日米間でこれらをめぐって経済貿易摩擦がつぎつぎおこってきた。冷戦は、第二次世界大戦における連合国の結成とその勝利にもかかわらず、帝国主義という前代以来の歴史的な性格がなお生き残っていたことを示したものである。そこにおいて高度資本主義経済の性質である不均等発展の法則が働いていたことの結果がこのような日米経済関係の転換をもたらしたのである。

 日本はプラザ合意による円高からくる対外輸出の困難を生産過程の合理化によって乗り切っていった。一方日本の大資本は円高を利用して、米国の企業やウォール街のビルの買取りをおこなって米国民の感情をきずつけた。さらにそれまでにも賠償に代る措置等を足がかりにして輸出入によって進出していた東アジアに対して円高はさらに資本投資と工場移転を促進していき、それらは進行していた東アジア諸国の経済発展を助長し、それら諸国と日本との相互依存関係を強めることになった。今後これらとの間にも不均等発展の原則が働くことになり、その間に諸種の矛盾も生ずるであろうが、その相互依存関係が一層深まっていくことは、ヨーロッパ連合EUの動きにみられるとおり、その大勢において域内における戦争の可能性を低下させ、平和の方向を強めていくことになろう。

一〇 一九八九年秋のベルリンの壁の崩壊につづく東西ドイツの統一、一九九一年末のソ連邦の解体による冷戦の終りは、冷戦の産物である日米安保条約の存在根拠を失わせるものであり、日米関係の全面的見直しを迫るものであった。それは日米関係に基礎において長く続いてき日本の政治の五五年体制を動揺せしめた。永く政権を握ってきた自民党は一九九三年夏にこれを失い、一九九六年初めに再び政権の座につくまでの二年半の間に三代の非自民連立内閣がつづいた。その中で、細川首相が国会における所見表明で過去の日本の侵略行為や植民地支配を認めてその反省と謝罪を表明したこと、村山首相が戦後五〇年にあたっての談話でかさねて植民地支配と侵略についてアジア諸国に謝罪したことは、日本の政界が冷戦が終ったことによって新しいアジアの動向にあらためて関心を示しそれを重視する姿勢を示したものであった。また村山首相に率いられた日本社会党は、五五年体制の中では自民党と対立してきたのであるが、この時にあたって日米安保条約と自衛隊容認論に転換したことは、それが上記のような侵略と植民地支配の確認とそれについての謝罪とどのような文脈において関連するのか論議を呼んだ。

一一 冷戦の終結は米国とその自由主義の勝利となされたが、この時に離散集合がおこった日本の政界の動揺は保守勢力の中でもそれまでのように日米の関係の継続に全幅の信頼をつなぐことができなくなった人びとが出てきたこと、そして世界状況とそれにともなう国内態勢について見通しと方針をたてえなくなってきたことを示すものであった。冷戦の終りによって軍事力のひろがりを縮小することができ、それによる「平和の配当」をうけ、また折からのIT革命によって経済的回復をした米国を見た日本の政界では日米基軸論が再びもり返しをみせ、一九九六年頭に自民党が再び政権をにぎった。

 同年四月に橋本龍太郎首相とクリントン大統領の間で日米安全保障共同宣言が発せられた。そこでは日米両国が冷戦終結後の世界情勢において安保条約による日米関係の強化を確認し、その効果をそれまでの極東地域からアジア・太平洋の全地域と中東にひろげ、さらに全世界にひろげようとするものであった(安保再定義)。そこでの米軍のプレゼンスを確保し、日本の軍事力を強化し、その自衛隊という軍隊の行動範囲の広域化と活発化をはかり、米国との従属的協力関係をさらに強めようとするものであった。

 日米安保再定義では、アフリカ大陸東岸から西太平洋に及ぶ拡大された安全保障条約の適用地域には民族紛争等の不安定性及び不確実性が存在するとされ、日米両国の将来の安全と繁栄がこの地域の将来と密接に結び付いているとして、この同盟はそこでの勢力の維持と拡大強化を目指すことを宣言している。

一二 この共同声宣言の具体化として新ガイドラインで一九九七年九月に日米両国のこの地域での防衛計画として共同設定された。そのプランにもとづいてまず一九九九年五月に制定されたのが、これら地域でおこる紛争について日本が軍事的に対処するための周辺事態法であった。二〇〇一年九月一一日事件がおこり、米国がその一〇月にアフガニスタン攻撃をおこなうと日本政府はテロ対策特別法を制定してるその軍艦をインド洋に出動させて米軍の作戦を助けた。二〇〇三年三月に米国がイラク戦争を開始すると日本政府はその六月にイラク復興支援法を制定して、イラクに自衛隊を派遣して、米軍の軍事行動を後方地域で支援した。

 冷戦終結後日本の軍事力の強化とその活動範囲がひろがってきておりそれまでの立場の専守防衛論がゆらいできているが、日本の軍事力である自衛隊が軍事的紛争の前線において米軍との直接的な共同作戦行動ができないのは、軍事力を保持しない、交戦権を否認する、としている憲法九条による法的な制約があるためのである。このようにして憲法九条はなお機能しているのである。この働きを失わしめるために憲法「改正」論の声が高まっているが、その提唱者たちは資本の一層の海外進出とその権益を守るための自衛隊のそこでの活動の拡大と強化を公然かつ恒久と行うにはこれまでの九条の専守防衛論の枠を取りはずそうとしているのである。

一三 戦後独立した東アジア諸国民の国民国家建設の努力は、まず七〇年代に韓国、台湾、香港、シンガポールNIESが日本の高度成長につづく経済発展となった。それらは、輸入代替工業化にはじまって、そのかたちは労働集約的生産から技術集約的生産にうつる輸出指向型の経済建設に成功した。八〇年代後半からはASEAN諸国がこれらを追う雁行的発展をしてきた。

 広大な地域と一〇億の人口をもつ中国は、一九四九年中華人民共和国の成立後文化大革命などの試行を重ねた後に八〇年代には改革開放に向い、その路線の確立によって経済は成長拡大に向っており、やがてそのGDPは日本を追い越すものとみられている。今回の世界的不況の中でその成長率は多少下がることがあろうが、今後もその経済成長が世界を不況から脱出させる力になるであろうと期待されている。

 ヴェトナムは一九七五年にその革命戦争に勝利し統一をなしとげたが、その後カンボジアをめぐっての動きなどからして周囲から警戒され、対中国との戦争等もあって経済建設は困難であった。それらの紛争も一九八九年九月にカンボジアからの全軍撤退、九一年一〇月のパリ和平協定があり、ドイモイといわれるその改革開放路線も確定し経済建設が本格化し、一九九五年四月に待望のASEAN加入をはたした。中国についでのヴェトナムのWTO加入はその後の発展を嘱望されている。ASEANはヴェトナム、カンボヂヤの加入により東南アジア全域をおおうことになり、その経済関係の緊密化は一層の発展を期待させている。

 ASEAN関係の平和維持については、一九七六年の東南アジア友好協力条約TACにはじまるがその後一九九四年にはじまったASAN地域フォーラムARFが加わることによりこの間接觸がより緊密に保たれ強まってきている。それらは相互の文化、歴史的経過、発展段階の相異に注意しつつ信頼醸成、紛争予防、紛争解決の三段階を徐々にすすめることになっている。その決定に拘束力はないが、その間の自由な意見交換によるコンセンサス形成によって、まず東アジアにおける安全保障の共同体的統合についてのイニシアティブをとるところとなっている。ASEANのそのような姿勢と実績は、ASEAN+三、日韓中への働きかけとなり、不安定な東北アジアにおける平和的共同体の形成の方向を示唆し励ましている。TACやARFはその地域外もに解放されていることがASANの働きは世界的に注目されることになっている。

一四 東南アジアが安全保障面でも経済的統合でも期待が強まっていくなかで東アジアの共同体的統合への展望が強まってきている。その一方の核となるべき東北アジアの情勢は目下複雑である。経済的側面において日本、中国、韓国の関係が緊密化していく中で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の経済的停滞と国際的孤立が目立っている。北朝鮮はそこからの脱出を求め、それへの道筋をつかむことに苦しんでいるように見えるが、その出発点を休戦中の相手である米国との関係改善に求め、そのための交渉の手がかりを核兵器と長距離ミサイルの開発に求めているようである。しかし人類とその文明を死滅にみちびいていくことになる核兵器の悪魔性についてオバマ大統領のプラハ発言にみられるように米国もようやく気がつき、世界が核兵器廃絶に向って動いてきているように思える今日、核兵器の開発が違法ではないとしても、また対米交渉の道をひらくための力となるとしても、とるべき道ではないであろう。しずれの国もその国の発展のためにまた人類の生存と幸福についてその責任の一端をになうべきであるとする立場からすれば、そこに国力を投じこむことについては疑問をいだかざるをえないものがある。

 このような朝鮮半島の現況は根本にさかのぼれば朝鮮半島の南北分断にある。それについて日本に直接的な責任はないが、日本による植民地化がその前提になっていたことも事実である。その意味において、また日本自らの安全保障についても、朝鮮半島の非核化が重要であり、日本はその統一について努力すべき責務を負っているといわなければならない。二〇〇二年七月になされた日朝平壌宣言はその道をひらいたかのように思われたが、日本政府は米国政府からそこで約束された方向に進むことについて索制をうけるとたちまち逆進し、朝鮮半島の非核化とさらに進んで統一の糸口ともなるべき六ヵ国協議との進行にむしろブレーキをかけるようになってきている。むしろ朝鮮半島の「危機」を憲法九条の改廃推進のための道具として利用して、国民世論をそれに誘導していくための「テコ」の役割を演じさせているかにみえることは遺憾である。

一五 日本国民は憲法前文において「平和を愛する諸国民の信頼」によってその平和と生存を託す、と宣言している。憲法九条の平和主義が日本は戦争にはかかわらないという消極的平和保障であるとすれば、前文の諸国民との「平和的共存権」の確認はその積極的側面である。省みれば、九条の消極的平和主義が日本は戦争によって他国民を殺さない、自国民が殺されないという点でその機能していることは世界の人びとから評価されているであろう。これに対し、前文で誓った日本国民が地球上に存在する恐怖と欠乏を平和的手段で除去していく意思と行動についての平和の積極的活動面において不足していたことを認めざるをえないものがある。日本国民が歴史認識を深めそれにもとづく戦争責任をはたすべき被害補償をおこなうことにおいて同様の立場にあったドイツ国民に比するに耐えるものであるか再検討の必要がある。平和共同体の出発点であり、その土台はここにあつまる諸国民間の信頼である。

 日本は、一九九七年のアジア通貨危機の際のアジア通貨基金の設定の提案のように、それが米国の反対によって実現しないことになるとその後チェンマイ・イニシアティブによって東アジアの安定と繁栄について一定の貢献をみせたことに示されたようにその意思と条件があればアジアのそして世界の平和と発展に役立たせるだけの経済力を有している。それを実現させるためには我われ日本の人民が国の政策の方向についてイニシアティブをとれるようにする一層の努力が必要である。

 憲法の平和原則が日米安全保障条約及び自衛隊と共存することの矛盾は被爆国日本の核兵器への対処についての矛盾と共通する。国是であるといわれている非核三原則「待たず、つくらず、持ち込ませず」と日本の安全を米国の核兵器に依存せしめるとの政府が公言することの矛盾がこれを示している。「米国の核の傘の下にある」ということはある場合には米軍が核兵器を使用することを日本が認めるということである。また米国の核の抑止力にたよるということは日本がそれによる威嚇を国の政策として利用していることである。このことによって唯一の被爆国日本は核加害国となっている。非核三原則は、日本政府が米軍の核兵器持込みをあらかじめ認めている両国政府間の秘密の約定によって、日本国民をふくめた人たちへの瞞着手段となっている。

 我われ日本の国民は、日米安保条約によって傷つけられ歪められてきている憲法九条を正しい姿に直さなければならない。人類とその文明を破壊にいたらしめる核兵器を日本から地球からとり除く努力を強めていかなければならない。東アジアから戦争をなくし、そこに住む人たちの共同の繁栄の道をきりひらいていくための法的道筋をつけていくことは日本の法律家の責務であると考えています。会場の皆さんと皆さんを送り出された人民の方々の我われに対する忌憚のない批判とはげましをお願いして私の発言を終ります。

 (付記、表題には発言要旨としていますが、発言時間の制限のために実際の発言では大分とばしましたので、私の言いたかったところが会場の皆さんに伝ったかどうか気がかりです。これはまた長野県白樺湖のホテルでおこなわれた自由法曹団の〇九年五月研究討論集会第五分科会での同じテーマの発言内容ともなっていますので、あえて団通信にのせていただくために投稿しました。またこの二つの集りのための準備作業として長、中、短の三つの拙文を用意してありますので、私あて御連絡下さればeメール、Fax、コピーのいずれかの方法でお送りします。)



市民問題委員会のお知らせ

民法(債権法)改正問題の検討にご参加ください。

東京支部  前 川 雄 司
(市民問題委員長)

 市民問題委員会では民法(債権法)改正問題の検討を始めることにしました。民法(債権法)改正は市民生活に大きな影響を及ぼす可能性がありますので、継続的に検討を進めていきたいと考えています。

 市民問題委員会を左記のとおり行いますので、関心のある方、ぜひご参加ください。

 記

 日 時  七月三〇日(木)午前一〇時〜一二時

 場 所  自由法曹団本部

 内 容   民法(債権法)改正問題の検討
        自主共済問題
        UR住宅問題
        その他



「第二回大量解雇阻止全国対策会議」のご案内

大量解雇阻止対策本部

 いま、全国各地で非正規切り(派遣工切り・期間工切り)とのたたかいが大きく広がり、労働局申告をテコにして派遣先企業への直接雇用や正社員化を勝ち取った事例も相次いでいます。また、派遣会社の中途解雇に対する地位保全・賃金仮払いを求める仮処分申立や、派遣先企業に対する正社員化を求める訴訟提起も相次いでいます。

 次の要領で「第二回大量解雇阻止全国対策会議」を開きますので、多数の団員の皆様のご出席をお願いします。なお、ご出席にあたり、担当事件・相談事件の報告をA四版一枚程度にまとめて、

usui@jlaf.jp」宛てに送信下さるようお願いします。

 第二回全国対策会議には、全労連及び日本共産党からもご出席いただき、それぞれの団体の取組や方針等についてご報告いただく予定です。

第二回大量解雇阻止全国対策会議

日 時:二〇〇九年七月二十四日(金)午後一時〜五時

      (終了後、懇親会を予定しています。)

場 所:自由法曹団本部会議室

内 容

(1)直接雇用・正社員化の申告及び労働局の対応並びに派遣先企業の対応

〔幾つかの事例報告を受けて、直接雇用・正社員化を勧告しない労働局の対応を打ち破る理論構成等について議論をします。〕

(2)派遣先企業に対して直接雇用・正社員化を求める理論構成と立証活動

〔基本報告及び各地の訴状等の報告を受けて、派遣先企業に対して直接雇用・正社員化を求める理論構成等について議論をします。〕

(3)期間工の雇い止め無効・雇用継続を求める理論構成と立証活動

〔期間工は正規従業員に先んじて雇い止めの対象にされてもやむを得ないとする日立メディコ事件最高裁判決を打ち破り、雇用継続を求める理論構成等について議論をします。〕

(4)経営分析・内部留保論等

〔使用者側が主張する経営危機論・減産必要論・人員余剰論に対する反論方法等について議論します。〕

(5)「非正規黒書」(仮称)の作成

〔「非正規黒書」作成の要領、スケジュール等について議論します。〕

(6)労働者派遣法抜本改正をめぐる情勢と課題

(7)非正規切り(派遣工切り・期間工切り)に反対し労働者派遣法抜本改正をめざす各地での運動づくり

(8)その他