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楠  晋一 *長崎・雲仙総会報告/特集*
〜自由法曹団長崎・雲仙総会に参加して〜
諸富  健 続あいさつ―イレッサ薬害訴訟―
永尾 廣久 雲仙総会、弱小辺境、法人化
松井 繁明 団長を退任して
大山 勇一 事務局次長退任の挨拶
半田 みどり 自由法曹団事務局次長退任のご挨拶
菅野 園子 退任挨拶
菅野 昭夫 シアトルでのNLG総会への参加と陪審員裁判傍聴記
鈴木 亜英 カウンターレポート四団体
千葉法務大臣に表敬訪問 〜個人通報制度実現等を要請
笹山 尚人 新六三期向け四団体合同事務所説明会にご参加ください
「小選挙区制と衆院比例定数削減を考える」シンポジウムへの参加の呼びかけ



*長崎・雲仙総会報告/特集*

〜自由法曹団長崎・雲仙総会に参加して〜

大阪支部  楠   晋 一

 自由法曹団員の皆様はじめまして。私は今回の団総会で入団を認められた現行六二期の楠晋一と申します。大阪の京橋共同法律事務所に勤務いたしております。

 今回の団総会は私にとって何もかも初めて尽くしで非常に刺激的なものになりました。

一 現地女性との立ち話

 プレ企画の日、会場に予定より早く着き、街を散策していた私は、雲仙温泉で現地の比較的高齢の女性と話をすることができました。女性は、私がこれから団総会で核廃絶について議論するのだと伝えると、自分の考えを私に聞かせてくれました。

 米軍の強引な介入がもたらしたイラクやアフガンの惨状、兵士を掃討すると言いながら多数の民間人を殺し続けている現実、北朝鮮に対する制裁強化が事態を何ら好転させない今の状況。核廃絶について、オバマ発言に期待をしつつも、やっぱり無理なのではないかという少し冷めた目線。運動体が二つに分裂している核兵器廃絶運動の現状。

 私は不勉強で、核廃絶運動の状況は把握してなかったのですが、「どちらの団体も目標は核廃絶なはず。内輪でいがみあっててどげんすっとか」という女性の言葉が印象に残りました。

二 プレ企画

 被爆体験を当事者から直接聞く機会というのはなかなかなく、DVDの映像は非常に勉強になりました。戦争を支持する人や核兵器の所持を容認する人は、核兵器を使用したら被爆地がどうなるのかについて具体的なイメージが乏しいのではないでしょうか。

 また、高校生の署名活動については、プレ企画で初めて知りました。

 高校生が一〇年以上にわたって核兵器廃絶のために署名活動という地道な活動を続けていること、また高校生が世界に向けて核廃絶に向けた意見を発信し続けていることは重要なことだと感じました。また、高校生平和大使の活動が広島や長崎にとどまらず全国の高校生に広まりつつあることは、今後の平和運動の興隆にとっても大いに力になるはずです。

三 総会

 総会では分散会で活発な議論が繰り広げられました。

 団総会のような会議に参加すると、自分が現在取り組んでいて悩んでいるテーマや、これまであまり取り組む機会がなかったテーマについて、最前線で取り組んでおられる方から整理された知識と経験を分けていただけます。駆け出しの弁護士である自分にとってこれは非常にありがたいことです。会議ではどうしても自分も悩んでいるテーマに目が向きがちですが、未知のテーマについても、いずれ自分の元に未体験の事件が飛び込んできたときに、団総会で得られた知識や経験が、事件に取り組む際の足場になってくれるだろうと感じています。

四 それ以外の行事について

 懇親会での人の多さにはただただ圧倒されました。改めてたくさんの弁護士が総会に来ていることを感じると共に、総会成功のためにたくさんの方が尽力されたであろうことは容易に想像できました。私は当日参加しただけでしたが、準備に奔走された皆様本当にお疲れ様でした。

 今後も総会に参加して、今度は自分の活動から団に恩返しできればと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。



続あいさつ―イレッサ薬害訴訟―

京都支部  諸 富   健

一 はじめに

 二〇〇九年一〇月二四日から二六日の三日間、長崎・雲仙で開催されたプレ企画・総会に参加しました。私は、九月に入団を承認された新入団員であることから、初日、二日目とも懇親会の席でごあいさつをさせていただきました。両日とも、たどたどしいながらも無難にあいさつを終えた…と思っていたところ、二日目のあいさつ終了直後、ある弁護士の方々及び事務員の方から、ご指摘をいただきました。イレッサのイの字も出てないじゃないかと。私は、薬害イレッサ訴訟弁護団に参加させていただきながら、あいさつでは、労働事件をがんばりますとしか言っていなかったのです。ここに、お詫びの意も込めて、薬害イレッサ訴訟の概要・現状を紹介させていただきます。

二 薬害イレッサ訴訟

 薬害イレッサ訴訟とは、夢の新薬として過大宣伝された抗がん剤のイレッサがわずか五か月余りでスピード承認されたところ、販売直後から副作用死亡の報告が相次ぎ、承認後七年足らずで七百八十七人もの副作用死亡者が出ていることから、製造・販売業者のアストラゼネカ社に対して製造物責任及び不法行為責任、国に対して国家賠償を求めている訴訟です。二〇〇四年七月一五日に西日本訴訟、同年一一月二五日に東日本訴訟が提訴されました。現在、西日本・東日本とも原告本人尋問が終了し、二〇一〇年五月には結審する見込みです。

 現在使われ続けている薬である上、原告の数が少ないため(両訴訟計六患者遺族+一生存患者)、これまでの薬害訴訟と比べてかなり難しい側面はありますが、日本人患者への有効性が確認されていない薬を承認し、今も販売し続けていることは許しがたいとして、原告・弁護団は、責任の明確化と謝罪、正当な償い、再発防止、被害救済制度の創設等を求めて、運動を強めています。

 私は、修習開始前にこの事件を知り、所属事務所に弁護団がいること、また、修習時代にお世話になった弁護士からお誘いを受けたことから、この弁護団に入らせていただきました。原告の方々のお話をうかがうと、天国から地獄へ突然突き落とされたかのような無念な思いがひしひしと伝わってきます。一審の終盤に参加させていただいたためわからないことが多々ありますが、原告の方々の切実な願いを実現すべく、勉強しながら微力を尽くしていきたいと思います。

三 教訓

 今回のあいさつを通して、下手なことを言ってはいけないだけではなく、言うべきことをきちんということも大切であることを痛感しました。弁護士は常にその言動を見られている、このことを肝に銘じ、今後の弁護士業務に取り組んでまいります。



雲仙総会、弱小辺境、法人化

福岡支部  永 尾 廣 久

雲仙総会

 巨大なウナギの寝床のように長い宴会場で始まった大懇親会の途中、司会者から突如として指名を受けてとまどった。今回の団総会では、九州の弁護士会長のうち三人が団員であることが紹介された(福岡、佐賀、長崎)が、私も最近まで日弁連副会長だったとして指名された。しかし、私が福岡県弁の会長だったのは今から八年前ものこと。あとで、私の本の宣伝『清冽の炎』(花伝社、一〜五巻)でもしたらよかったと後悔した。古稀を迎えた平山知子さんの略歴に東大闘争との関わりに触れてあったから、それにかこつけて本を売り込むべきだったというのは後知恵。

 雲仙は、私の大牟田からすると対岸。毎朝、出勤途上に火砕流を起こして変容した普賢岳を見ている。今回は車に乗りフェリーもつかって一時間半あまりで会場に着いたから、地元に準じるということになるのだろう。

 司法改革のなかで合格者増について「やみくも増員」などと言ってほしくない。私の事務所も、ようやく支店展開できるようになった。田舎に目を向ける若者が少しずつ増えてきたからだ。

 二日目の全体会のときの谷脇和仁(高知)団員の話は衝撃的だった。四国全体に団員が少ないことは知っていたが、まさか今どき空白県があろうとか・・・。香川県には団員がいないなんて信じられない。あまねく全国に団の旗がうちたてられない現状で、「増員反対(見直し)」をうち出すとしたら、団の存在意義はどこにあるのだろうか。

 同期、同じ横浜修習の猪俣貞夫団員(横浜)が古稀で表彰された。その元気な謝辞を聞いて、とてもうれしかった。今や弁護士七人の大事務所だ。今年、弁護士を一挙に三人も迎えたという。日本の平和を守るために今後も地道にがんばりたい、という猪俣さんの言葉は足が地についている。七〇歳になって後進の育成に力を尽くしている猪俣さんの元気を見習おうと思った。

 私の事務所も柳川支店開設の準備をすすめている。法人化して支店展開していこうと考えている。若手弁護士を次々に迎え入れていきたい。

「弱小辺境」交流会

 今年の弱小辺境事務所交流会は一〇月三、四日の両日、北九州市で開かれた。土曜日の午後なのに閑散としたテーマパーク(スペースワールド)の目の前のホテルが会場で、そこに二〇法律事務所、弁護士三九人、事務職員七九人、家族一三人、合計一三一人が集まった。夕食懇親会は壮観だ。どこが弱小なのかと思わせるほどである。

 この「弱小辺境」は私がUターンして三年目(一九七九年)に、久留米の馬奈木昭雄団員、佐賀の河西龍太郎団員、田川の角銅立身団員などと一緒に、福岡・佐賀の小さな法律事務所(つまり、福岡第一と北九州第一以外ということ)の年一回の交流・研鑽の場として始めたものだ。以来、福岡・佐賀そして下関まで各地を巡回して開かれている。今では、両第一と人数比で「勢力逆転」したこともあって、両第一の参加も認めていて、今年は北九州第一からの参加があった。

 初日は、北九州市内観光に参加した。小倉城内にある松本清張記念館で清張原作の映画を紹介するDVDを見て堪能したあと、皿倉山にケーブルカーで登った。山頂で身近にハングライダーを見た。空から舞い降りて来て着地する様子を初めて見ることができた。風まかせなので、突然の気流の変化を受けてなかなか着陸できず、近くまで来ても、あれよあれよと数メートルも飛ばされていくのを間近に見て、いつになったら降下できることやらと心配した。二日後、別のところで、ハングライダーによる死傷者が出ているのを知り、やっぱり生命がけのスポーツだと思い知った。

 二日目は、安部千春団員が「お金をもうける方法と裁判に勝つ方法」というテーマで講話した。うまい話はころがっていない、こっちから事件に飛びこんでいく、小ボスを狙え、来た人は自分のファンにしろなど、いつものようにユーモアたっぷりの話だったが、とても参考になった。そして田邊匡彦団員が無罪を獲得した最近の刑事裁判について報告した。印象に残ったのは、警察が代用監獄(留置場)にいる被疑者にスパイを同房者として送りこんでくることがあり、弁護人はその留置場が近くて接見に都合がよいと思っても、やはり原則どおり拘置所に身柄を送れと裁判所に求める申立を怠ってはならないという教訓が語られたこと。弁護人の都合を優先してはいけないことを自戒した。

 「弱小辺境」に参加して分かったことは、北九州の周辺や筑豊地区に若手弁護士を欲しがっている法律事務所があるということ。そこは弁護士求人を公表していないため、応募者ももちろんいない。しかし、実情を聞くと「いい人がいたら紹介してほしい」というのだ。これだけ若者たちが仕事先を探しているのに、なんたるミスマッチだろうか。かといって、その地に縁のない若手弁護士がためらうことなく入れるとは思えない。やはり、法人化するとか、何らかの工夫が必要だと思う。地方に活動している中高老年の団員のなかに同じような悩みをかかえている人は意外に多いのではないだろうか。

弁護士法人化

 私の事務所の法人化がやっと具体化しはじめた。一一月に柳川支店の場所を決め、年内に法人化の準備をすすめ、新年一月に柳川支店をオープンさせることを目ざして準備をすすめている。弁護士法人になっても会計処理上ほとんど何のメリットもない。しかし、支店を出すためには法人化せざるをえない。

 なんのために支店を出すのか。目的は二つある。主要な目的は、福岡地裁柳川支部における弁護士過疎の解消に役立ちたいことにある。少し前まで柳川支部管内はいわゆるゼロワン地域だった。今は一応二人の弁護士がいるが、弁護士会の視点からして決してリーガルサービスが一〇分に提供されているとは言えないと考えている。

 柳川支部は家具製造の町、大川市をかかえている。大川の家具業界は深刻な不況が続き倒産企業が続出している。そして、法的手続がとられず闇の勢力に喰いものにされるケースが昔から少なくない。ここでは、弁護士の社会的評価は高くない。弁護士は縁が遠いというだけならまだしも、闇の勢力と結びついた金もうけ本位の職業だと見ている市民が残念ながら多い。そこに進出して、適正な手続による法的紛争の解決を定着させ、弁護士への信頼を回復したい。

 もう一つの目的は、若手弁護士の受け皿づくりである。「やみくも」増員のおかげで、福岡県の南端にある私の事務所も司法修習生の進路の視野に入るようになり、希望者が訪れるようになった。それまで何年も何年も誘っても振られ続けてきたのが、ようやく風向きが変わってきた。とするなら、これから希望者が増えても困らないよう支店展開をしていこうと考えた。現在、私の事務所には弁護士六人分の机がある(現在、弁護士四人)。といっても、司法修習生の弁護実務修習(二ヶ月)を受け入れているし、久留米大学法科大学院から院生(ロースクール生)のエクスターンシップを受け入れる(二人同時に来ることもある)ので、二つ席が空いていないと困ることがある。

 今年、私の事務所には二人入所するはずだった。ところが、うち一人は内定していたけれど、福岡市内の大きな法律事務所に逃げられてしまった。やはり、司法修習生の大都会志向は強い。

 団総会に出て大阪の井上耕史団員の報告を聞き、就職先の確保がきわめて困難になっていることを知り、疑問に感じたことがある。それは、東京や大阪の老舗の団事務所の多くが新人の採用をほとんどしていないか、せいぜい年に一人か二人程度であるという事実である。これだけ大量増員になっているのにもかかわらず、そんな状況をあたかも他人事のように受けとめ、「やみくも」に合格者を増員するからだと冷ややかに腕を組んで眺めているだけの団員がいかに多いことか・・・。

 いわく事務所の物理的収容能力がない、経済的に不安があるという。かつては大きく立派な自社ビルは地域変革の輝かしい拠点であった。今、それが逆に桎梏になっている。世の中を少しでも良い方向に変革していくために共にすすむことを期待できる青年が目の前に大勢いて困っているにもかかわらず、平然とそれを見過ごそうという気持ちが理解できない。雲仙総会の懇親会のとき、恒例の新入団員紹介があったが、東京や大阪の新入団員はあまりに少ないと感じた。いったい何人ふえたのだろうか。

 東京や大阪でも、私は前から同じことを提唱しているのだが、どんどん事務所を分割・分裂して、若手と一緒に開拓していったらどうなんだろうか。進取の気概を忘れてしまっている中高年団員に対して、初心を思い出そうと呼びかけたい。そうしないで腕を組んで冷ややかに模様眺めしていたら、あと一〇年、二〇年たったとき、どれだけ老舗の団事務所は生き残っているのだろうか・・・。



団長を退任して

東京支部 松 井 繁 明

 一〇月二六日に団長を退任したものの、その週の週末から香川県の高松と北海道札幌の講演を引き受けていたため、連休は気ぜわしく多忙に過ごした。そのうえ、一一月六日から一週間ほど、白内障の手術で入院しなければならない。そんなわけで、団総会後の一泊旅行をのぞけば、団長退任による余裕を感じるまでにはいたっていない。

 わずか三年であったのだけれど、この三年間に物事は激しく動き、自由法曹団も多忙であった。それにたいして団長としてふさわしい働きをしたのか、と自問すれば、どうもそうとは想えない。むしろ、あれよあれよと言う間に時が過ぎていった、としかいいようがない。

 それでもその過程をつうじて、やはり人類や社会は基本的には進歩するものなのだ、という実感を深くしている。オバマ大統領のプラハ演説にはじまる核兵器廃絶の歩み、八・三〇政変など、三年前には想像すらできなかった。安倍某による「戦後レジームからの脱却」が実現してしまう怖れさえあったからだ。

 「先のことは判らない」ということは、いつの時代にもあるものだが、今ほど判らない時はないのかもしれない。

 民主党を中心とする連合政権は何をし、何をしないのか。世界と日本の経済はどうなるのか。労働者の状態は?戦争と平和は?―なにひとつ、確言することができない。

 ではあるのだが、人類と社会は、逆流をふくみながらも、基本的には進歩するのであろう。そしてまた、そのなかで自由法曹団はいっそう積極的で重要な役割を果たしてゆくことになるだろう(団総会でのさまざまな発言を聴きながら、そのことを実感した)。

 菊池新団長をはじめ次期執行部にはご負担をかけることになるとは思うが、私自身も一団員として、また一常任幹事として、必要な役割を果たしてゆかなければならない、という気持ちはある。

 さいごに、おおくの方がたにお礼を申しあげる。団執行部や専従事務局のみなさん、そして全国の団員はもとより、小事務所でありながら三年間(東京支部長時代をふくめれば一〇年間)私のわがままを許してくれた都民中央法律事務所の仲間たち、私の家族、私の主治医などのみなさん。たいへんではあったけれど、愉しい三年間を送れたのは、みなさんのおかげです。本当にありがとうございました。



事務局次長退任の挨拶

東京支部  大 山 勇 一

 二〇〇七年一〇月から二年間事務局次長を務めさせていただき、本年一〇月で退任となりました。私は主に労働問題委員会、将来問題委員会、国際問題委員会を担当させてもらいました。時期でいえば、ちょうど小泉が退任し、安倍が新首相になったばかりのときから、福田、麻生と続き、最後は鳩山新政権誕生まで担当したことになります。公私ともども激動の二年間でした。

 労働問題委員会は、私が担当となったころに鷲見賢一郎新委員長のかけ声の下、非正規切りやワーキングプアの問題について、さらに熱心に取り組むようになりました。数度にわたって、JR新宿駅頭にて、派遣法抜本改正のための街頭宣伝・無料法律相談活動・アンケート活動を行なったことが興味深い思い出です。そのときにビラまきに駆けつけてくれた修習生のみなさんが早くも労働・貧困問題において第一線で活躍されているんですよね。当時は、規制改革会議の第二次答申で「労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない」との驚くべき報告がなされ、労働者派遣法についても、「派遣労働を例外視することから、真に派遣労働者を保護し、派遣が有効活用されるための法律へ転換すべく、派遣期間の制限、派遣業種の限定を完全に撤廃すべき」とこれまた恐ろしい提言がなされていました。これが今や不十分ながらも政府が派遣法改正を提案するようになったのです。団員として運動の一翼を担ってきた甲斐があったというものです。今後とも「非正規黒書」づくりのために労働問題委員会の一員として微力を尽くしたいと思います。

 将来問題委員会でも興味深い二年間を過ごさせてもらいました。ちょうどこの二年間は、都市部では順調に団員を迎え入れられるようになり、逆に採用控えの動きが強まる一方で、地方(特に県庁所在地以外)ではまだまだ人材難が続くという二極化が進行する時期でした。一〇数年ぶりに開催された「支部・県代表者会議」や、それに先立つアンケート調査では、法人化を行なって支所に若手を送り出したり、支部で新人採用・養成を重要課題として位置付けたりするなどの先進的な取り組みも紹介することができました。今後も新規の団事務所建設問題など取り組むべき課題はいっぱいですね。

 国際問題委員会での思い出としては、今年四月のベトナム訪問を挙げないわけにはいきません。会談の様子はすでに作成された報告書に譲るとして、参加者一同が「これはいかんな」と思ったのは、海外の人々に自由法曹団とはどんな団体かということを知らせるパンフレット(もちろん英文)とか英文のウエブサイトがないなあということ。すでにパンフ作りに着手しています。ちょうど広報委員会が新規に立ち上がったので、自由法曹団も国境を越えてニュースを発信できるようにすべきだと考えています。

 ところで、私は回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ文章)を作るのが趣味なのですが、沖縄の辺野古基地をめぐるたたかいにちなんで二つ作ってみましたので披露します。ご笑覧ください。

■責め・しがらみ断ち切り、辺野古のヘリ基地、民らが示せ!
   (せめしがらみたちきりへのこのへりきちたみらがしめせ)

■話題、団、もちきり、辺野古のヘリ基地問題だわ
   (わだいだんもちきりへのこのへりきちもんだいだわ)

 この他にも回文をお読みになりたいという方は、「NPJ」(News for the People in Japan)を検索してください。弁護士が中心となって運営しているインターネット市民メディアです。

 最後になりましたが、二年間の事務局次長の間、専従事務局のみなさんにはとてもお世話になりました。今後も引き続き団の委員会には参加しますので、会議後はまた楽しく飲みましょう。

 そして、城北事務所のみなさまにも格別のご配慮をいただきました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 私とちょうど入れ替わりに同じ事務所の菊池紘団員が団長に就任することになりました。事務所としてもたいへん誇りに思います。



自由法曹団事務局次長退任のご挨拶

大阪支部 半 田 み ど り

 このたび自由法曹団事務局次長を退任致しました大阪支部の半田です。二年前、次長に推薦頂いたとき、今まで大阪支部の活動にもきちんと取り組んでこなかったダメ団員になぜ白羽の矢が立ったんだろう、これは自分を鍛えるチャンスかも知れない、しかしこのままではとてもこなせない、恥をかく前に逃げるべきでは、と後ろ向きに自問自答を繰り返してきました。結局、同期の青法協の仲間も次長になると聞き、おそるおそる引き受けた次第です。

 労働問題委員会では、派遣法改正問題に関する新宿駅前の駅頭宣伝・シール投票や「なくそう!ワーキングプア」の執筆、出版記念シンポジウムの司会など、今までに経験のなかった活動に携わることが出来ました。

 五月集会では、労働分科会とは別に、貧困・社会保障分科会の企画担当をさせて頂きました。

 二〇〇八年・二〇〇九年とも、弁護士のみではなく事務局の方にも多数ご参加頂き、各地での派遣村的活動や生活保護支援、生存権裁判など、活発に議論が交わされ、一応の成功に終わったと自負しております。議案書でも、生存権分野を担当させて頂きました。

 しかし、同時に、「個別支援から運動につなげる」ことの難しさを思い知らされもしました。個人的にも、元自治体労働組合の方と連携しながら、生活保護問題に取り組んではいますが、個別支援の枠組みから抜けられないでいます。

 生存権の確立のために法律家が何をすべきか、といろいろ悩みながら、やはり政治を本質的に変えていかなければならないと強く思いました。今年夏の衆院選で応援弁士をする際には、五月集会や議案書作成で得た経験が役立つことになりました。

 新宿での派遣法改正駅頭宣伝では、自らの経験不足と大都会の人の多さに恐れをなして、頑なに宣伝カーに乗ることを拒みましたが、地元大阪南部の田舎でマイクを持つことは楽しみになり、もっといっぱい宣伝したい、と欲が出てきてしまいました。政権は替わり、生活保護の母子加算復活や障害者自立支援法廃止・後期高齢者医療制度廃止と言った、個別の改善は実現していきそうですが、国民の生存権に責任を持つ国家にはまだまだ遠いと感じています。これからも、団員として、地域事務所の弁護士として、積極的に取り組んでいかなければならない、と思います。

 二年目に担当次長になった市民問題委員会では、扱っている問題が少しマニアックで難しいという印象を持っていました。例えば、UR除却問題は、地元大阪では話題にはなっておらず、なぜ住宅の立ち退き問題という民事紛争に団が取り組むのだろう、程度の認識しか持っていませんでした。

 しかし、市民問題委員会の担当次長になって学ぶことで、UR除却は、国民の居住権という人権よりも、市場原理を最優先し利潤を追求するという、新自由主義的構造改革の横暴そのものだと気づかされました。本年度の議案書も、生存権の章で公営住宅除却問題に触れさせて頂きました。

 また、本年の五月集会では、皆様にお酒が入ったところに「泉南アスベスト国賠訴訟」の署名をお願いし、多くのご協力を頂きました。次長として、と言うより、一弁護団員としてですが、御礼申し上げます。

 至らない点が多く、いろいろとご迷惑をおかけしましたが、皆様のご指導のもと、何とか任期を終えることが出来ました。特に、専従事務局の皆様にはお世話になりました。いつも温かく出迎えて頂き、事務所にいるよりも団事務所の方が居心地が良かったほどです。

 本当にありがとうございました。



退任挨拶

東京支部  菅 野 園 子

 一年間という短い間でしたが、大変お世話になりました。次長に就任して半年経過するころに、妊娠したことが判明し、家庭の事情で、東京から大阪に登録替えをすることになり、この度退任する事になりました。

 最初に次長に就任したとき、総会での古希団員の方々のたゆまぬ粘り強い立派な活動に思いをいたし、出席しなければならない会議の多さに驚き、この伝統ある団体について、自分で務まるのかとこわごわと感じたのがつい昨日のようです。この一年間、市民問題委員会、国際問題委員会、社会保険庁PTの担当次長をさせていただきました。要請活動などでは、対外的にはまがりなりにも自分は自由法曹団としてみられてしまうのだから、恥ずかしくないようにしないとと最初の内はずいぶん気負いましたし、そのためにいろいろな緊張をしましたが、失敗やうまく行かないことについても、非常に寛大に接していただいたことがありがたく、そのうち肩の力も抜けて、いろいろな取り組みについて自分の問題として考えられるようになりました。こうしなきゃということを要求されているのではなく、自分がいいと思う方法でやりたいようにやってくださいということを求められているということがわかってからはずいぶん、のびのびとできました。

 私が毎回大変興味深いなあと感じていたのは、毎月毎月の常任幹事会です。毎月全国から数十人も集まって、天気が良かろうが悪かろうが土曜日の午後に四時間も拘束されにくる人たち(しかも日常非常に忙しい)というのは、尋常ではないし、それをこれまで何十年も続けてきたということ自体更にすごいことであると感じていました。そこで、こんなに集まってくる団の魅力っていったいなんだろうと常任幹事会に出席する度に感じていました。それで一年を振り返って思うに、自由法曹団の魅力は、それぞれの団員がやっていることは自由なのに、ばらばらではなくて何となく応援し合って尊敬し合っているところの、あくまでもとてもゆるいけどしっかりした人と人とのつながりがあって団があると考えていますが、もう少し考えてみようと思います。

 本来二年予定のところ、一年で退任することになり、様々な方々にご迷惑をおかけ致しました。また、執行部の方々、専従事務局の方々には体調上のことに配慮していただき、ありがとうございました。一年間事務局次長を務めさせていただいたことに心から感謝し、ここに退任の挨拶とさせていただきます。



シアトルでのNLG総会への参加と陪審員裁判傍聴記

北陸支部(石川県) 菅 野 昭 夫

 今年のナショナル・ロイヤーズ・ギルド(アメリカの進歩的な法律家の団体、略称NLG)総会の開催地シアトル市を、東京支部の鈴木亜英、今村核両団員とともに訪問した。目的は、NLG総会に出席することと、日本の裁判員裁判との関連でアメリカの陪審員裁判を傍聴することである。

 私たちは、まずシアトル市内にある、キング郡上位裁判所と付随的に合衆国連邦裁判所の陪審員裁判を合計四日間傍聴した。

 キング郡上位裁判所(裁判官数は四〇人近い)は、刑事陪審員裁判の何らかの手続きが一日に一〇数件行われている。私たちは、まず、コート・オペレーションという室を訪ね、その書記官に事情を話し、毎朝その日の各法廷の予定をパソコンからプリントアウトしてもらい、面白そうな事件はどれかについて説明してもらった。そのため、非常に内容のある事件や手続きをピンポイントで傍聴することができた。それらは、保釈又は量刑手続き、陪審員選定手続き、刑事陪審裁判の最終弁論手続き、刑事陪審裁判の証人尋問手続きであり、傍聴した事件数は六件である。

 二日目には、審理を主催していた裁判官が、昼休みに裁判官室に私たちを招いてくれて、事件の内容や手続きについて質問に答えてくれた。

 三日目には、別な裁判官が、私たちを、法廷にいる法律家や陪審員全員に紹介し、昼食に招待し、詳細な説明をしてくれた。これらの傍聴や懇談で確認した、日本の裁判員裁判との関連で注目すべき点は以下のとおりであった。

(1)陪審員裁判の審理手続きにおいて、どの事件でも、証人尋問や弁論は、間接事実や状況証拠などの論点も省略せず、丁寧に行われているという印象を持った。また、裁判官が、主尋問や反対尋問、最終弁論を早く切り上げさせるとか、時間を縮めるような訴訟指揮を行うことは全く無かった。そもそも懇談した裁判官に、今日の証人の主尋問は後どのくらいかかるのですかと尋ねても、「たぶん小一時間程度でしょう。」という返事が返ってくるだけで、尋問予定時間が厳格に設定されているという印象も全く無かった。

(2)陪審員裁判の審理が開始される前に、争点がどの程度絞り込まれているかを、昼食に招待してくれた裁判官に質問した。その事件は、五〇歳代の男が当時一〇歳から一二歳の女児と二年間にわたって性的関係を持っていたとして、強制わいせつ及び第一級強姦に問われているもので、陪審員の選定に一日半を要した後に、二人の重要証人の尋問が終わり、私たちが傍聴した当日は、審理の三日目で被害者の女児(現在一三歳)の証人尋問が行われていた。しかし、裁判官が知っている弁護人の主張は単にやっていないというだけで、どのような具体的な主張が展開されるかはこれから分かるだろうとのことであった。ちなみに、その事件は、逮捕後一年の準備期間を経て、審理が開始されていた。

(3)(2)記載の第一級強姦事件で、被害者の女児は、二年間に渡る被害を詳細に証言していたが、驚いたのは、彼女の証人尋問に際して証人秘匿措置は全く取られていないことであった。即ち、彼女は遮蔽措置の全く無い状態で普通の証人と同じ証人席にすわり、裁判官、検察官、弁護人、陪審員のみならず、被告人や傍聴人に顔と肉声をさらす方法で証人尋問が行われていた。この点を、昼食をともにした裁判官に尋ねたところ、被告人が証人と直接対決する権利と公開裁判の権利は被告人と国民の重要な憲法上の権利であり、かつて、イギリスにおいて、匿名の証人や、覆面をした証人の証言で有罪を宣告された歴史を思い起こせば、プライヴァシーの保護を理由にそうした権利の制限は出来ないとの答えであった。なお、この点を後にピーター・アーリンダー氏に訪ねたところ、州によっては、別室でのビデオ・リンク方式を認めるところもあるが、反対尋問の必要性から弁護人が要求すれば、対面による尋問に切り替えるとのことであった。

(4)ところで、帰国した後、(2)記載の第一級強姦事件について、法廷傍聴したときの陪審員の一人が、事件終了後に発表したその事件の審理についての随想をインターネットで入手した。その記事によると、被害者の証言のみならず、以前全く同じ手口で被害を受けた女性の証言や、被告人が買い与えた携帯電話の被告人と被害者のメールの内容から有罪は間違いないと思われたのに、陪審員は審理終結後、強制わいせつのみは有罪と評決し、第一級強姦については全員一致に達せず、評決不成立(hung jury)を宣言したとのことである。評議において、陪審員のうち一〇人は強姦も有罪とする態度であったが、残りの二人がなお合理的な疑問の余地があるといって有罪に賛同しなかったので、四日間の評議の後、ついに全員一致の結論を断念したというのである。その記事は、被告人の実名を記載し、評議の秘密を明かにし、筆者は有罪を確信していると述べ、しかし、陪審制度に対する賛辞をもって記事を締めくくっている。わが国の裁判員が評議の秘密などについて刑事罰をもって守秘義務を課せられていることとの好対照を帰国後こんなに早く見せ付けられるとは思いもしなかった。

(5)アメリカの刑事陪審事件の審理が終了した時点で、陪審員に対する裁判官の説示が実際どのようなものであるのかについて、私たちを自室に招いてくれた裁判官に質問した。すると、分厚い二冊の本を提示し、これがさまざまなタイプの公訴事実についての説示に関するワシントン州の最高裁のガイドラインであるといって、その二、三を説明してくれた。要するに、まず、立証責任が検察官にあることを説明し、次に、各犯罪類型の構成要件に基づき、検察官がこれこれの事実を合理的な疑問の余地の無いほどに立証しなければ、陪審員は被告人を有罪にしてはならないことを述べることになっている。この説示が不十分であれば、上訴審ではそれだけで有罪の評決は違法となるのである。

(6)予想に反して、法廷および審理のハイテク化は進んでいなかった。日本の裁判員裁判では、大型小型のモニター画面、パワーポイントの利用などが当たり前となっているのに、キング郡上位裁判所の陪審員裁判法廷にはパソコンやモニター画面はひとつも無く、写真などもOHPで示しての尋問で、検察官の最終弁論も黒板に紙を貼ってマジックで字を書きながら行っていた。但し、連邦地裁で警察暴力の損害賠償請求事件の陪審員裁判(証人尋問)を傍聴したが、裁判官、当事者席のみならず、全陪審員の席にパソコンが設置されていた。

(7)陪審員に対する敬意の表明は徹底したものであった。法廷の全法律家、傍聴人は、陪審員の入廷、退廷時に起立して迎え、見送る義務があり、陪審員こそ裁判の主役であるとの意識がみなぎっている。他方陪審員も、審理においては、熱心に証言や弁論を聴き、大部分がメモを取り、証言が分かりにくいときは、頻繁に挙手して証言を繰り返させていた。責任能力が争点となっている殺人事件の陪審員選定を傍聴したが、その日は陪審員選定の三日目で、約八〇人が法廷に集められ、責任能力の意味についての各自の理解の仕方を、検察官、弁護人から、さまざまな想定事案に基づき質問されていたが、それぞれが自分の考えを持ち、異なる意見の人はいないかと問われると、何人もが挙手して答えていたのが印象的であった。

 週末からNLGの総会に参加したが、これには全米から約四〇〇人の法律家とロースクールの学生が参加していた。私と鈴木亜英さんは、NLGの総会に一五回目の参加であるが、今回の参加者の六〇%は女性であり、半数以上が三〇歳代以下であったのには、NLGの世代交代を認識させられた。

 全体総会での基調講演、分科会では、オバマ政権が、アフガニスタン戦争に固執し、金融資本や自動車産業の救済のみを行い、健康保険制度の改革など弱者のための政策を実行していないことに対する厳しい評価に満ち満ちていた。NLGの会員のほとんどが、オバマの選挙運動を支援したと思われるが、当選後、オバマ大統領がそうした草の根の運動よりも大資本、軍部、ロビーストなどの意向に沿った妥協を重ねていることに対する批判が充満していた。ピーター・アーリンダー前議長の言葉を借りれば、「アメリカは沈まんとしているタイタニック号である。我々は、当面もっとも有能な船長を得た。しかし、問題は、彼がタイタニック号を所有していないのみならず、常にオーナーの機嫌を取ることを優先していることである。例えば、彼は、一等船室の乗客のみに救命胴着を配り、船底にいる多数の乗客には何の救援の手も差し伸べていない。そして、進路は、相変わらず再び氷山に向かっている。」という。

 シアトル市は、一九九九年にWTOの総会が開かれたときに、新自由主義的なグローバリゼーションに反対する大デモンストレーションが展開され、数百人が逮捕された地である。このときNLGは、警察暴力の責任を追及する法廷闘争を展開した。しかし、それ以降、九・一一事件を経て、ブッシュ政権は、愛国者法などによる弾圧体制を整備し、反戦運動などのデモに対しては、主催団体に対するデモ前の弾圧、会議場周辺のデモの禁止(フリースピーチゾーン)、デモ参加者に対するスタンガンや催涙弾などの武器の使用、罪も無い参加者の大量逮捕を常態としてしまった。そして、オバマ政権になっても、本年九月にピッツバーグ市でG20が開催されたときに、同市は武装警官と州兵によってさながら戒厳令下の様相を呈し、抗議行動を表明した団体は、武装警官によって家宅捜索を受けて活動家が逮捕され、会場付近のみならず集会場となる公園などでの集会とデモは数週間に渡って禁止され、G20会場から離れた平和的デモに対しても武器が使用され、二〇〇人が逮捕された。したがって、NLGの総会では、表現の自由に対する弾圧との闘いがひとつの主要なテーマとして取り上げられ、NLGの集団行動防衛委員会を中心として熱心な討論が行われた。それによると、表現の自由が憲法上最も重要な権利とされているアメリカにおいて、今日、国際的な会議や大統領選挙を含めた何らかのキャムペインに反対・抗議するデモを、公衆の見える場所で行うことは一切できなくなっているとのことであり、オバマ政権になっても、何らの改善は無いとのことであった。警察国家体制が一旦確立すると、どのような大統領でもこれを覆すことは困難であることを良く物語っている。

 私は、「信念を曲げないで、この経済的苦境を如何に乗り切るか」というテーマの分科会に興味を持ち、これに参加した。その内容を聞いていると、今次不況は、庶民のみならず弁護士の経済的基礎をも脅かし、若く弁護士になりたての人たちは、ロースクール時代の借金を返せなくなってさえいるとのことで、いかにしたら、民衆の弁護士としてのスタンスを維持しながら、この危機を乗り切れるかということがテーマであった。三人のパネラーは全員が女性で三〇歳代であり、その経験談を聴いていると、まるで日本の現状と瓜二つで興味深かった。彼らは、民衆に依拠し、ネットワークなどで助け合い、信念と生存を維持しているとのことで、NLGの弁護士の不屈の闘志を教えられた。

 裁判傍聴とNLG総会の合間を縫って行った観光も、鮮やかな紅葉などすばらしいものであり、今回のシアトルの旅は、実り多いものであった。



カウンターレポート四団体

千葉法務大臣に表敬訪問 〜個人通報制度実現等を要請

東京支部  鈴 木 亜 英

 自由法曹団、日本国民救援会、治安維持犠牲者国賠要求同盟などが加盟する国際人権活動日本委員会は民主党連立政権のもとで新しく法務大臣に新任した千葉景子法務大臣特別国会開会の前日である、去る一〇月二八日表敬訪問しました。一行は一三名、自由法曹団からは加藤健次元事務局長が参加しました。

 多忙を極める法務大臣にわざわざ時間を割いて頂いたのはそれなりのわけがありました。これまで国際人権活動日本委員会は自由権規約の個人通報制度を実現して、日本の人権状況を大きく変えたいとの観点から、実現のための団体署名を一〇年余りにわたって毎年一二月の人権デーに外務省と法務省に送り届け、早期実現を要請してきました。そして、昨年はその数が累計で二万筆に達しました。先頃の総選挙で民主党が個人通報制度の批准をマニフェストに掲げ、就任したばかりの千葉法務大臣が最初の記者会見で、この個人通報制度の実現を約束しました。

 この一〇年余り、要請先の関係省庁がそれ以前の態度と較べて、この問題では前向きの姿勢を示していましたが、自民党政権下ではその実現がいつになるか皆目分かりませんでした。しかし、民主党政権となって、実現は遅くない時期に可能との見通しがでてきました。私たちはこの就任記者会見を聞いて、早速歓迎声明を用意し、翌日法務大臣に届けました。こんな交流の中から法務大臣は私たちが会いたいという希望に快く応じてくれたのです。

 以下は大臣室におけるやりとりです。

 表敬訪問団を代表して私は、「千葉大臣の就任を心からお喜びします。就任後の記者会見で国内人権救済機関の設置、個人通報制度の批准、取り調べ可視化の実現などを表明され、感激しました。私たちは翌日すぐに歓迎の意を声明として出しました。私たちは長年自由権規約の個人通報制度批准の団体署名に取り組んできました。民主党のマニフェストにもありますが自由権規約だけでなく、女性差別や拷問禁止条約などの個人通報制度を批准し、閉塞的な国内人権状況に風が吹き込むようにお願いしたい。国内人権機関の設置についてはパリ原則にのっとった国連の求めている独立性を期待したい。私たちも可能な限り実現に協力したい。」と述べました。これに対し、千葉法務大臣は「記者会見で申し上げたことは、法務省だけではなく全体として動かなければならないのですが、着実に実行しつつあります。鳩山首相の施政方針演説では人権を大切にという言葉はありませんが、「友愛」という言葉の内容に含まれています。外国に比べて国内の人権状況を変えるように法の条文をつめていきたい。国内人権救済機関はどういう仕組みにするかが問題ですが、第三者的で独立したものでなければならない、と考えています」と答えました。

 このあと日本国民救援会瑞慶覧淳事務局長から取り調べの全面可視化の要請がなされた外、二,三人から公約実現への期待が述べられました。一二月の人権デーにはもっと時間をとってじっくり話し合いたいと申し入れ法務省も了承しました。わずか一〇分間のことでしたが、かつて思想調査事件で法務省を相手に闘った私が法務大臣を激励することになったことに時代のゆるやかな流れを感じずにはおられませんでした。



新六三期向け四団体合同事務所説明会にご参加ください

東京支部  笹 山 尚 人

一 新六三期向け四団体説明会の開催

 きたる一二月一九日(土)、午後二時から、東京は四谷駅から徒歩一分、主婦会館(プラザエフ)にて、新六三期司法修習生を対象とした、団、青法協、日民協、日本労働弁護団の四団体合同事務所説明会が開催されます。

二 この説明会にみなさまの参加をお願いする理由

 新六三期は、今年九月に合格発表をされた約二〇〇〇名の合格者が、今年一一月下旬から一年間の司法修習を行い、来年一二月ころ登録をする予定の人達です。現在修習開始を待っていて厳密にはまだ修習予定者の状況にありますが、昨今の法曹人口増加と就職難の状況下、すでに内定が出されている者も多く、新六三期のみなさんの法律事務所への関心も例年になく高まっております。昨年開催した新六二期の説明会では、実に約六〇名の修習生が参加し、私の経験では初めて、説明する弁護士より修習生のほうが数が多いという事態を目撃しました。今年も既に青法協本部に一五名の修習予定者の方の参加申し出があり、同様の事態が予想されます。

 しかし、今年は、「派遣村」運動で年が明け、私たちは「派遣切り」「非正規切り」とのたたかいや、様々な貧困問題に対する取り組みなどを行ってきた年でした。これからもこのようなたたかいに、多くの法律家が必要とされます。そして、こうしたたたかいに参加したいという有意の収集予定者の方はたくさんいらっしゃいます。ぜひ私たちの事務所に彼らを迎えるための出会いの場として、ぜひ積極的なご参加をお願いしたいと思います。

三 注意事項!!地方の法律事務所のための東京での説明会を三月に開催

 今回から新しく始めることがあります。「地方の法律事務所のための東京での説明会」を三月一三日に開催する予定です。

 従来から、四団体の事務所説明会では、地方から参加される法律事務所から、「せっかく参加しても、働きたい場所の希望として東京を希望される人が多くて来た甲斐がない。ついては、修習生が多数いる東京で、積極的に地方に行きたい、地方の法律事務所との出会いを求めたいという修習生とだけ面会する機会を作って欲しい」という要望が寄せられていました。これまで参加する修習生や法律事務所の数の見通しから実現してきませんでしたが、修習生の増加と地方の法律事務所からの要望が多数あることを踏まえ、初めて実現することにした次第です。

 ついては、四団体共同デスクでは、地方の法律事務所の方には、出来るだけ来年三月一三日の説明会にご参加頂きたいと考えています。もちろん、地方の法律事務所の方が今度の一二月に行われる説明会に参加することを拒む趣旨ではありませんが、東京や関東近郊での活動を希望される修習生が多く参加されるであろうことを踏まえてご参加いただくようお願い申し上げます。

 以上の必然的結果ですが、今回ご案内する一二月の説明会には、東京及び近郊(埼玉、神奈川、千葉)の法律事務所からのご参加を中心にお願いしたいと考えています。

 ふるってご参加下さい。

四 参加要領

 一二時半 開 場

 一三時〜 学習会
     「足利事件の教訓」 
          講 師  町田 伸一(弁護士)

 私たちの団体での人権擁護活動を紹介する趣旨の学習会です。

 この段階ではご参加頂かなくて結構です。

 一四時半〜 事務所説明会開始←ここからご参加ください。

 一八時半 懇親会

  以降二次会以降に流れる。

      場 所 主婦会館(プラザエフ)

 弁護士おひとりにつき説明会の参加費用として一万円を頂戴します。そして、懇親会には別途費用(例年ですと五千円)をいただきます。

五 参加申し込み、質問受付

  弁護士 今泉 義竜

   〒一六〇―〇〇〇四 東京都新宿区四谷一―二 伊藤ビル

    東京法律事務所

     電話  〇三―三三五五―〇六一一

     FAX 〇三―三三五七―五七四二

     メール imaizumi@tokyolaw.gr.jp

 事前の参加状況確認等のため、参加される事務所は事前にお申し出下さい。よろしくお願い申し上げます。

【訂正とお詫び】

 前号一一月一日(一三二五)号三頁下段掲載の新役員のご紹介部分、事務局長 杉本朗(神奈川支部 新任)の次行、伊須慎一郎(埼玉支部 再任)以降は全て、「事務局次長」となります。

 訂正させて頂きますとともにお詫び申し上げます。



「小選挙区制と衆院比例定数削減を考える」シンポジウムへの参加の呼びかけ


衆院比例定数削減を公約する民主党マニフェスト

 現在、衆議院の選挙は、小選挙区で三〇〇議席、比例代表で一八〇議席を選んでいます。民主党は、今回の総選挙のマニフェストで(選挙公約)で、「衆議院の比例代表定数を八〇議席削減します。」と公約しています。自民党も、マニフェストで、「次の第四六回総選挙から衆議院議員定数を一割以上削減、一〇年後には衆参議員定数の三割以上を削減します。」と公約しています。衆院比例定数削減は、動き出したら一気に強行される危険性があります。

シンポジウムに多数の団員・事務局の参加を!

 団本部では、後記の要領で「小選挙区制と衆院比例定数削減を考える」シンポジウムを計画しました。シンポジウムには、ベテラン・中堅団員の参加とあわせて新人・若手団員の参加を呼びかけます。また、各地で憲法運動で活躍している事務局の参加もおおいに期待します。シンポジウムは団員・事務局中心のシンポジウムですが、憲法会議等の友誼団体・個人にも参加を呼びかける予定です。

 皆の問題関心に応える、興味あふれるシンポジウムにしたいと思いますので、全国から意見を持ちより、多数参加されることを呼びかけます。

「小選挙区制と衆院比例定数削減を考える」シンポジウム

と き:一一月二一日(土)午後一時〜五時

ところ:自由法曹団本部会議室

報 告:弁護士 坂 本  修

「衆議院比例定数削減とは何か」

討 論:(1) 衆院比例定数削減にかける財界等支配層の狙い

     (2) 民主党連立政権成立後の政治情勢と衆院比例定数
         削減―定数削減が「動き出す危険」をどう見るか

     (3) 衆院比例定数削減推進の論理とその矛盾点

     (4) 企業・団体献金の禁止と政党助成金の廃止

     (5) 衆院比例定数削減阻止のために「今、どういう要求で何をなすべきか?」「私たちに、何ができるか?」

主 催:自由法曹団

問い合わせは、自由法曹団本部(TEL:〇三―三八一四―三九七一
             FAX:〇三―三八一四―二六二三)まで

【衆院比例定数削減問題についての参考文献】

(1) 坂本修著「衆議院比例定数削減とは何か」頒価三〇〇円

 (連絡先:東京法律事務所・電話〇三―三三五五―〇六一一)

(2)「自由法曹団物語 世紀をこえて(下)」(日本評論社)の「第五章 六『国家改造』との激突―小選挙区制」

(3)小沢一郎著「日本改造計画」(講談社)