<<目次へ 団通信1328号(12月1日)
加藤 健次 | *長崎・雲仙総会報告/特集(その3)* 事務局長退任のごあいさつ |
神原 元 | 次長退任挨拶 |
小林 善亮 | 次長に就任するにあたり |
坂本 雅弥 | 「新事務局次長就任の挨拶」 |
湯山 薫 | 金野先生のお話 |
山口 真美 | 冊子「憲法改悪反対共同センター結成五周年記念集会」購入のお薦め |
東京支部 加 藤 健 次
先日の雲仙総会で、無事、事務局長を退任いたしました。「無事」の意味については、前号の杉本新事務局長の団通信原稿をお読みいただければ、と思います。
二年前に就任の打診があったのは、改憲手続法が国会で成立し、二〇一〇年にも明文改憲の発議かと言われ、他方では「ワーキング・プア」が社会的に問題になってきた頃でした。その後、二〇〇八年七月の参議院選挙、今年八月の衆議院選挙で、改憲・構造改革推進勢力は国民の審判を受けました。この二年間は、昨年五月の「9条世界会議」、昨年暮れからの「派遣村」活動など、今までにないエネルギッシュな運動が広がった時期でもありました。「時代を切り開くのは民衆の運動である」ということを実感できた二年間でした。
就任時の挨拶で、法曹人口問題と裁判員制度について「正面から議論する」ことをお約束しました(今思えば「してしまいました」という方が正確でしょう)。この点については、なんとか最低限の役目は果たせたかなという気持ちです。もちろん、団員の中には様々な異なる意見があり、その違いがなくなったわけではありません。今後も意見の違いがなくなることはないでしょう。しかし、実際に議論をしてみて、互いの意見がなぜ違うのかをまず理解し合うこと、その上で、意見の違いがあることを前提に、どこで一緒に行動できるのかを実践的に追求することが大切だと痛感しました。議論に参加していただいた団員の皆さんに心から感謝します。この議論はまだまだ続くと思いますが、今後も一団員として議論と実践に参加していきたいと思います。
全国各地の団員の皆さんと知り合えたのは本当に勉強になりました。団の会議では、どうしても団員の多い地域・支部の発言の比重が大きくなりがちです。しかし、団員が少ない地域で、団の「顔」として日常的に奮闘している様子を知ることができました。こうした各地の団員の活動をもっと団全体に知らせていくことがもっと必要だと思いながら、具体的な手だてをうつまでには至りませんでした。団通信の活用なども含め、新執行部にぜひご検討をお願いします。
思えば、前半は田中さん、後半は鷲見さんと、それぞれ激動の時代を象徴するような幹事長とめぐりあい、何事にも決して一喜一憂しない松井前団長と一緒に活動できたのは大変幸せなことでした(今だから言えることかもしれませんが)。また、タフな仕事を献身的に実行してもらった次長の皆さん、日常の実務を支えてくれた専従者の皆さん、本当にありがとうございました。
最後に、この間私を支えてくれた東京法律事務所の弁護士と事務局の皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げます。
神奈川支部 神 原 元
ああ終わってしまった。
本部次長の二年間はあっという間でした。冗談好きの松井団長、剃刀のように鋭い田中幹事長、戦車のように前へ前へと突き進む鷲見幹事長、鬼のように優秀で仕事が速くていつもニコニコの加藤事務局長の下、実にのびのびと楽しく仕事をやらせて頂きました。
次長として最初にぶつかったのは、「憲法9条世界会議」でした。「団はどこまで関与するのか」「失敗したらどうなるのか」。次長になっていきなりの難問題。様々な難しい調整を経て迎えた当日は、会場からあふれた人の山に目を丸くしました。右翼とたたかうために配置された田中幹事長指揮下の弁護士たち。みんな席のないお客に頭をさげる役割に回されてしまいました。そんなことも今は楽しい思い出であります。
次なる大仕事は、「裁判員制度」について団の意見をまとめることでした。これは本当に大変でした。「裁判員制度」を肯定する意見、批判する意見、いずれも鋭く安易な妥協を許さない意見対立でした。全国会議を繰り返し、議論を煮詰めていく。私はここで、団結を保ちつつ、意見を闘わせながら、ねばり強く一致点を探っていく作業を勉強させられました。団の方針は、早期の制度改善を求めつつ裁判の現場でねばり強くたたかうというもの。いかなる幻想も抱かないが改革への夢は捨てない。自由法曹団は常にそうあるべきだと思います。私は団の方針にかなり自信を持っています。
団の意見が固まった後は、法律家三団体による集会、パンフレット「私たちはヘンリーフォンダを探しています」の作成、全国集会(大阪)の開催等々、「裁判員制度」関連の仕事が私の次長生活の中心になりました。制度に対する見方と構えがはっきりしたので、どんな仕事でも自信を持って出来たと思います。
最後の思い出は、国際問題委員会で行った「ベトナム平和ツアー」です。ベトナムの法律家と憲法九条について語ることは新鮮な体験でした。一通り仕事が終わったあと、みんなと一緒に屋形船で味わったビールと山盛りの焼き肉。本当に美味かったなあ。
時の流れは早いものです。私が弁護士になって一年目に所謂九・一一“テロ”が勃発し、ブッシュ・小泉政治の下で、アフガン戦争、イラク戦争が起きました。新自由主義経済が猛威を振るい、海外派兵が飛躍的に進み、有事法制が整備され、安倍政権下では教基法改正、改憲手続法等の悪法が次々に可決しました。ところが、私が次長として過ごした二〇〇七年一〇月からの二年間で、あれだけ猛威を振るった新自由主義の潮流が世界的に凋落し、アメリカでは初の黒人大統領が生まれてイラクからの撤兵が決まり、日本では盤石に見えた自公政権がついに政権の座から転落しました。二〇〇九年九月に発足した民主党政権の時代を「“脱官僚”等、政治システムに変革をもたらす希望の時代」とみるか「保守二大政党へ向かう冬の時代」とみるか、人それぞれでしょう。しかし、団員として仕事のしがいのある、激動の時代であることは間違いありません。
刑事弁護人なら誰でも夢見る「取調の可視化」も手の届くところにまできました。ここで次長を辞めるのは正直、本当に惜しい。
僭越ながら、これからも自由法曹団をいろんな形で支えていきたいと思っております。どうか今後ともよろしくお願い致します。
東京支部 小 林 善 亮
弁護士七年目。大きな弁護団の事件としては、東京の米軍横田基地の騒音公害訴訟や、養護学校の性教育に教育委員会や都議が介入した七生養護学校の事件に関わっています。
弁護士になって間もない頃、事務所の心優しい先輩弁護士から「おもしろい仕事がある」と勧められ、教育基本法改悪阻止対策本部に出入りさせて頂きました。
当初は、歴戦の強者の先輩団員たちを前に緊張して「おもしろい」と感じるどころではなかったのですが、団内にどう情報発信をするかを考えたり、集会や行動に参加したりと関わるうちにおもしろさも分かってきました。このとき感じた団のイメージは「清く、正しく、どろ臭く」です。誰はばかることなく言うべき事をきちんと言い、弁護士としての地道な事件活動に根ざした具体的な提起を行う。困難な状況を抱えた人の事件を処理するだけでなく、一丁ことあるときは国会や社会に対してモノを言い、困難な状況自体をなくすことを目指す。そんな活動も弁護士の大切な仕事と思うようになりました。
ただそれ以後は、東京の多摩地域で憲法ミュージカルや教育懇談会を企画したりして、地域の弁護士以外の人たちとの活動が多く、団の活動にはご無沙汰をしてしまいました。
自分に次長が務まるのか不安は尽きませんが、政権が変わり、いろんな可能性があるこの時期に次長になったのも運が良かったんだと思いこむことにして精一杯がんばります。
東京支部 坂 本 雅 弥
この度、事務局次長に就任しました東京支部の坂本雅弥です。
東京法律事務所所属の五七期です。団で担当する委員会は、労働問題委員会、司法問題委員会、市民問題委員会などです。
まだまだ弁護士経験も浅い自分ですが、今まで福祉関係の活動は興味深く行ってきました。弁護士になる前は、障がいを持つ子どものガイドヘルパーの仕事をしていたため、特に障がい者についての問題については割と多く活動に関わり、現在障がい者施設のオンブズマン活動などもしています。自分が福祉の現場で仕事をしていたときから感じていたことですが、制度に根本的な問題があるために「ハンディ」を負う利用者本人が大きな不利益を負う場面が多い。仮に現場の個々職員が利用者に対して良いサービスを提供しようと考えても、制度の歪みのために限界があります。不十分な法律・制度を目の前にして、「何とかならないかなあ」と思ったことも何度もありました。
弁護士となり、団の活動に触れるなかで、「ハンディ」の問題というのは福祉の問題だけではないことを頻繁に実感します。経済面でのハンディ、就職面でのハンディ、教育面でのハンディ…。そのようなハンディにどれだけ目を向けられるか。それが、その国の人権保障状況をはかる一つの指標になると思いますが、我が国では人権が守られているという状態にはまだまだ遠い。団員が各分野で奮闘努力しなければならない状態を見ればそれは明らかです。政権が交代し、明るい兆しが見えてきた分野もありますが、大事なのは良き制度を目的とするだけでなく、実現すること。次長として、団がその実現のため重要な役割を果たしていけるよう力添えしていきたいと思います。
まだまだ、次長として一歩を踏み出した状態ですが、皆さまの力をお借りしながら、活動していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
神奈川支部 湯 山 薫
(団女性部運営委員)
九月一二日・一三日、仙台の秋保温泉の佐勘で女性部総会が開かれました。
女性部の諸先輩方から色々なお話を聞かせていただきました。
みなさん素晴らしいお話をしてくださったのですが、その中でも特に、秋田支部の金野先生のお話は素晴らしかったです。
戦争を知らない世代の団員のみなさんにぜひご紹介したいとお願いしたところ、ご快諾をいただきました。
先生より寄稿していただきましたので、ご紹介します。
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戦争を知っている世代としてお話しします。
昭和二年生まれですから、昭和の歴史の中で生きてきました。私が小学校に入ったときから教科書が「さいた さいた さくらがさいた」「すすめ すすめ へいたいすすめ」「ひのまるのはた ばんざい ばんざい」となり、軍国主義教育が始まりました。私はひめゆり部隊や特攻隊の方々と同じ年齢であり、徹底的に軍国主義教育を受けました。
又、男女不平等教育を受けた世代です。私は東京の旧制の女学校を卒業しましたが、男性なら旧制の高等学校とか大学の予科に行って大学に行けます。しかし、女性はそのコースはなく男性の大学には行けませんでした。私は東京女子大の数学科に入ったのですが、これは大学ではなく男性の専門学校過程でした。医者になりたい人は医者の学校に行きますが、女性の場合、大学ではなく東京女子医専でした。教育も差別されていた時代でした。私は、戦後、女子校の数学の教師をしながら中央大学法科の夜学三年に編入して卒業し、研究室に入り司法試験を受けました。そんな時代でしたから、女子大の数学科の同期の方で、戦後数学を色々な大学で講義を受けても、旧制の女子大卒は大学卒の男性並みの資格が取れないでいるという話もあります。
更に、私は昭和二〇年五月の東京大空襲で家が丸焼けになりました。家が焼ける前は、食糧難もありましたが私にとってはそれほど苦労のない生活でしたが、空襲後は、疎開から引き上げた昭和二〇年九月、食糧難や疎開の苦労のため母が亡くなり苦しい暗い時代が続きました。
戦争は本当に許されないことを伝えていかなければいけないと思います。私は今、秋田県の九条の会の代表委員の一人をしています。
ひなあられ 戦火に失せし 少女の日
青春は 焼け跡なりき 桜桃忌
ひめゆりの 洞窟黙し 草茂る
千余なる 知覧の遺影 石蕗(つわ)は黄に
和子
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東京支部 山 口 真 美
本冊子は、九月一六日に開催された「憲法改悪反対共同センター結成五周年記念集会」における渡辺治氏(一橋大学大学院教授)と田中隆団員の講演録である。まず、それぞれの講演の内容を紹介する。
渡辺治氏の講演のテーマは、「総選挙後の情勢と憲法をめぐる動向」である。渡辺氏は、政権交代を引き起こした今回の総選挙の結果について、構造改革ストップの流れと、大都市部の中間層を中心とする構造改革推進の流れと、の二つの相反する流れが、相まって民主党議席の激増と自民党議席の激減を引き起こしたと分析する。そして、この反構造改革の流れの背景として三つの要因を指摘する。それは、構造改革の痛みと矛盾が、ヨーロッパの福祉国家では考えられないような形で爆発したこと、この矛盾が参院選における地方での自民党派離れを引き起こしたこと、反貧困と反構造改革の大衆運動が昂揚したこと、である。こうした要因をふまえ、民主党政権で改憲・構造改革はどうなるのかを次のように分析する。すなわち、今後の民主党の動向を判断するためには、民主党の三つの構成部分を理解する必要がある。その三つの構成部分とは、頭としての構造改革派、切り捨てられた地方を吸収した体としての小沢派、手足としての現場のマニフェスト志向派である。この三つの部分の力関係によって政治が動いていくのであり、構造改革をストップさせるための第二歩を踏み出すか否かは国民の運動と世論にかかっているとする。その上で、憲法九条を守るとりくみを広げるとともに、憲法二五条を活かす運動との共同が重要だと述べている。
次に、田中団員の講演である。テーマは、「改憲手続法をめぐる到達点と課題」である。まず、〇七年五月の改憲手続法成立までの攻防と到達点が確認されている。法律の面では、手続法が「未完成の欠陥法」であること、運動の面では、国民の憲法に対する根強い支持を確認させたこと、である。次に、憲法審査会の始動を阻止した二年半の経過を振り返り、明文改憲・戦後レジームからの脱却路線が国民の支持を得なかったことを明らかにしている。その上で、来年五月に施行が迫る改憲手続法に反対するとりくみのポイントを次のように指摘する。第一点は、民主党自身が突きつけたハードルである。これは、一八歳投票制と国政問題に関する国民投票問題が未解決であるという点である。手続法成立当時、強行採決に反対した民主党が政権をとった今、あえて民主党側から考えたハードルを提起することで、手続法の廃止・凍結を迫るとするのである。第二点は、運動・国民が突きつけたハードルである。これは、最低投票率をめぐる問題、有料意見広告をめぐる問題、政治活動禁止の適用をめぐる問題である。こうした重要な問題がある以上、改憲手続法はいったん廃止して白紙に戻すか、少なくとも凍結すべきであるという声を広げていくことが重要であると指摘する。
今回の総選挙・政権交代を軸にした渡辺氏の論稿として同趣旨のものは、東京に照準を絞った「東京」と「世界」一一月号があるものの、全国版は私の知る限り他にない。また、田中団員の講演は、団が一〇月二四日に発表した意見書「改憲手続法(国民投票法)の廃止・凍結を求める」を分かりやすくした内容となっており、改憲手続法反対のとりくみをすすめるにあたって必読であろう。お薦めの冊子なので、ぜひ、購入・購読し、普及していただきたい
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