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小林 明人 岐阜市における反貧困活動の報告(特に、生活福祉資金貸付制度について)
笹山 尚人 労働の分野における企業活動の規制について
〜ハードローとソフトローの視点から
向  武男 「政策形成訴訟」を読む
大久保 賢一 「核廃絶」に向けて求められていること
―毎日新聞社説「核廃絶に踏み出す時だ」を読んで―
石川 元也 映画「弁護士布施辰治」撮影快調 製作資金・上映活動に、いっそうの協力を
中島 嘉尚 ―石川元也団員原稿の続き―



岐阜市における反貧困活動の報告(特に、生活福祉資金貸付制度について)

岐阜支部  小 林 明 人

一 生活福祉資金貸付制度の説明と旧制度の問題点

 この制度は、低所得者や高齢者、障害者の生活を経済的に支えるとともに、その在宅福祉及び社会参加の促進を図ることを目的とした貸付制度です。従来から社会福祉協議会が実施しておりまして、緊急小口資金の貸付けなどは、比較的有名かもしれません。その他の貸付けの項目には生活再建費や教育支援費などがあり、お金に困っている人にとっては一見便利な制度です。

 しかし、旧来の制度においては、貸付の条件として保証人を立てることが必要とされることが多く、内実は大変使い勝手の悪いものでした。

二 新制度の発足

 本年一〇月から、この制度が刷新されました。新たなセイフティーネットの出現などと一時期ニュース報道もされました。

 新制度の目玉は、保証人がいなくても、貸付けが受けられる貸付項目が拡大されたことです(その代わり一・五%の利子が付きます)。

三 「結」について

 岐阜市には、「ぎふ派遣労働者サポートセンター・結(ゆい)」という任意団体があります。「結」は、ホームレスや派遣切りにあって生活に困った人などの生活支援を行う団体です。平日は毎日事務所を開き、相談者への対応、利用者への食事の提供、生活保護申請同行やアパートの確保などを行っています。特に、「毎日事務所を開く」という点で、全国でも珍しい形で反貧困活動を実践しているといえます。

 「結」には毎日一〇人を超える利用者の人たちが集まって、雑談をしたり、職員に生活上の相談をしたりしています。ほとんどの人は生活保護を受給しているか申請中で、若年の人も多くいます。

 彼らは就職先を探していますが、多くの人は自動車免許を持っていません。ハローワークの求人情報を見ても、免許保有が採用条件になっていることがほとんどで、免許のない彼らには厳しい状況でした。

四 生活保護法上の技能習得費新制度の活用

 生活保護の中には、技能習得費というものがあります。保護受給者の自立のために、就職に必要であれば自動車免許を取得するための費用が給付されるという建前にはなっています。

 しかし、福祉事務所は「就職が内定しない限り、そしてその就職先で免許を必要とする仕事をする予定でない限り、技能習得費は支給しない。」という態度を取っています。免許がないから就職できない人に対して、就職しないと免許取得の費用は支給しないと言うのですから、あきれた言い分です。

 「結」は、一〇月から始まる新制度に注目しました。生活福祉資金貸付制度には、「就職、技能習得等の設置に必要な経費」(以下「技能習得費」)という貸付項目があります。免許取得に必要な経費も、貸付けの対象になります。しかも、新制度では、保証人なしで技能習得費の融資を受けられるようになりました。

 当時、「結」には、就職のために免許を取得したいという男性利用者三名がいました。この三名が、新制度における技能習得費の貸付けを申し込むことになりました。

五 新制度のポイントと岐阜県での運用

 そこで、新制度について調査し、社協とも事前に利用方法を問い合わせた結果、以下のことを確認しました。

(1) 生活福祉資金貸付制度の実施主体は「県社協」であるが、申込の窓口は「市社協」であること。

(2) 生活保護の受給者でも貸付の対象になること。

(3) 申込者が生活保護受給者の場合、ケースワーカーの意見書が必要となること。

(4) ただし、ケースワーカーに対しては、社協から意見書を求めて後日提出してもらうので、申込時には意見書は不要であること。

(5) ただし、申込以前に生活保護のケースワーカーには話しを通しておくことが望ましいこと。

(6) 申込時には、教習所のパンフなど必要な資料の見積りとなるものが必要であること。

 以上のうち(1)(2)(3)は制度上特に重要な点といえます。(2)は結構なことなのですが、注意を要するのは(3)です。仮に申込時に意見書が必要となると、申込のハードルは一気に上がります。

 しかし、(3)の問題は、社協との交渉(私は県社協と交渉しました。)の結果、(4)(5)の条件でよいという回答を引き出しました。こうして、申込時にはハンコと見積りとなるパンフ((6))だけを持っていけばよいという運用実務上の方式を立てることができました。

六 申込の状況

 一〇月一四日、私を含む「結」の弁護士と職員は、三名の男性と共に、岐阜市社会福祉協議会に赴きました。事前に打ち合わせたとおり、自動車教習所のパンフを持参して、費用の見積りを提示しました。同時に、通いではなく合宿で免許を取ることを認めてくれないかという要請をしたところ、了承を得られました。合宿の方が安い費用で済むので、社協としても助かるのでしょう。

 申込自体は、特段拒否されることもなく受理されました。ただ、市社協の担当者は、しきりに返済は大丈夫なのだろうかと気にしており、その話に付き合ったせいで時間は結構掛かりました。

七 申込から融資を受けるまでの状況

 一一月二〇日に県社協で融資の可否を決める審査会が開かれます。その間、市社協の担当者が、申込者たちに妙なことを言い出しました。まず、一人の人は、市内に住む親に保証人になってもらえるよう頼んでこいと言われました。家族の協力が得られるのであれば、生活保護を受けたりなどしません。それに、保証人が不要であることが新制度の目玉なのに、今さら保証人を求めるというのは理解に苦しみます。

 もう一人の人にも社協から問い合わせがありました。この人は以前免許を持っていたのですが、更新せずに失効させてしまった経験があります。社協は、免許を失効させた理由を詳しく話してほしいと言ってきたのです。過去に免許が失効した理由は、現在融資をするか否かの判断にはあまり関係ないように思えます。社協の真意が分かりませんでした。

 そこで、私と「結」の職員の二人で再び市社協に乗り込みました。担当者に説明を求めると、保証人を求めたのは、新制度においても保証人をつけるのが「原則」だからということでした。しかし、申込者の人は、「保証人がいないと融資は受けられないのだろうか。」と困惑しています。交渉の結果、親には一応保証人になってくれるか否かを申込者から打診して、断られたら保証人なしで融資する方向で手続を進めるということで話しがまとまりました。

 免許失効の理由を問いただしたことについては、「本当に免許がないのかを確認したかったから。」との担当者の説明でした。「免許があるのに無いと偽って貸付けを受ける人がいるかもしれないので。」とも言っていました。信用してもらえないのは心外ですが、社協の心配も分からないではありません。また、既に申込者が理由の説明を済ませていたので、解決済みの話しではありました。

八 申込者の現在

 技能習得費貸付の申込をした三名には、県社協から無事融資の決定が出ました。三人は早速自動車学校に申込み、すでに仮免を取得して路上教習に励んでいるそうです。

 また、申込者のうち一番若い男性(二〇代)は、就職が決まりました。市内の居酒屋さんなのですが、夜は一生懸命働いて、昼は教習所に頑張って通っているそうです。この調子なら、生活保護から抜け出して自立に成功するでしょう。

九 現在の到達点

 去年の今頃、私はホームレスの生活保護申請に同行して、岐阜市役所で大げんかしました。そのことは以前の団通信に投稿させてもらい、ホームレスに対する水際作戦はなくなったと報告しました。

 その後、岐阜市の生活保護行政は、さらに劇的な向上を遂げました。年末から、民間のカプセルホテルを借り上げて、生活保護を申請しに来たホームレスがアパートを見つけるまでの間、一日単位で提供することを決めたのです。待望のシェルター設置が実現したと言って良いでしょう。さらに、一二月二八日の仕事納めの後も、二九日、三〇日は福祉事務所に三人の職員を置いて生活保護申請に対応し、三一日と正月三が日は当番を決めて出勤できる体制を整えることを約束してくれたのです。信じられないほどの変化です。

 また、年末には「ワンストップ・サービス・デイ相談会」も開かれます。社協、福祉事務所、保健所それに弁護士などが共同して相談に当たり、種々の問題にその場で対応しようという試みです。今回の「ワンストップ」は相談を行うだけで生活保護や社協の貸付制度への申込みを受け付けることはしないそうです。しかし、将来につながるよい試みではあります。

一〇 当面の課題

 住居のある人が生活保護を申請した際の当座の生活費をどうやって確保するかが当面の課題となっています。現在岐阜市では、ホームレスが生活保護を申請した場合は、アパートを確保すれば保護費の前渡しとして二万円を支給しています(「つなぎ資金」と呼ばれています。)。しかし、家のある人の場合、その人の手持ち金がどんなに乏しくてもつなぎ資金を出してはくれません。それでは緊急小口貸付制度はどうかというと、社協は、生活保護決定が下りないと貸付けできないという態度を取っています。

 しかし、生活保護申請者の九八%程度は保護決定が出るというのが運用の実態です。保護費が返済原資となるならば、滞納を恐れて緊急小口の貸付を拒む理由はありません。そこで、(1) 福祉事務所が、生活保護を申し込んだ人に「生活保護申込の証明書」と「現段階の調査では生活保護申請を却下する事情は窺われない」旨の添え書きを渡し、(2) 社協は(1)の書類を持参して貸付を申し込む人には迅速に貸付けを行い、(3) 申請者の了解を得て、貸付金の返済は、福祉事務所が社協に直接支払う、という方式を確立できないかを現在協議しています。



労働の分野における企業活動の規制について
〜ハードローとソフトローの視点から

東京支部  笹 山 尚 人

一 「CSR」が企業側から提起される場合の危うさ

 私は、「派遣切り」事件を現在三件担当している。キヤノン、三菱ふそう、日産自動車である。正月に、本屋をぶらぶらしていて、「キヤノンのCSR戦略」「日産のCSR戦略」という本を発見した。おお。敵はどんなことを考えているのか、知っておくことも大事だな。衝動買いしてしまった。

 読んでみて、現在担当している事件と、書かれている内容の落差に唖然とした。

 例えば、「キヤノン」のほうには要旨次のように書かれている。「キヤノンの強さは、CSRの遂行にある。人を尊重し、社員を大切にすることがキヤノンの企業文化であり、CSRの最も基本的なものである。そこから、完全週休二日制や、日給月給を月給制に切り替えるなどの革新的な取り組みが行われてきた。「どのような企業の利益も、公序良俗に勝るものではない。」法令を破るような不祥事は起こらない。それは、さまざまなステークホルダー(企業周辺の関係者のこと)のおかげで企業は発展できるとの確信のあらわれであり、現在の企業理念を一言で表現する言葉「共生」につながる。」

 えええ、そうかぁ。社員を大切にする企業が、偽装請負するか?あ、そうか、請負社員は、「社員」じゃないから、大切にしなくてもいいのかな?あれ、でも、法令を破るような不祥事は起こらないんじゃなかった?

 「キヤノンのCSR戦略」は、二〇〇六年一〇月に出版されている。キヤノンの原告たちが偽装請負を告発したのは、同じ二〇〇六年一〇月。栃木労働局がキヤノンに是正指導通知書を出したのは翌年九月である。「法令を破る不祥事」の存在を知らないのは、著者の責任ではないかもしれない。

 ただここでわかるのは、「CSR」という言葉が、企業の側から提起されるときに、いかに危ういか、である。

二 CSRの抽象性・多義性

 「CSR」(Corporate Social Responsibility)とは、日本語では「企業の社会的責任」という。日本経団連が二〇〇五年の「CSR推進ツール」で定義したところによれば、「企業活動において経済、環境、社会の側面を総合的に捉え、競争力の源泉とし、企業価値の向上につなげること」となっている。

 正直、何を言っているのかよくわからない。なんとも抽象的で、多義的に読める定義だ。「日本におけるCSRの定義は相当に抽象度が高く、その概念は必ずしも明確ではない。ハードローの対象を超えた場合のCSRを問題とする場合、法的な意味でCSRの概念を明確にする意義に乏しいため、これはある意味では当然のことかもしれないし、CSRが企業が主体となって自主的に取り組む行動であれば、統一的な概念規定の必要ないともいえる(原文ママ)」(荒木尚志「企業の社会的責任(CSR)・社会的責任投資(SRI)と労働法―労働法政策におけるハードローとソフトローの視点から」、二〇〇八年二月)。

三 CSRを議論する実益

 だから、私たちは、ハードロー、つまり労働の分野でいえば労働法の規制の有無・内容、その実現、規制が弱い部分での強化にだけ関心を払えば良いといえるのかもしれない。

 ただ、私は、例えば頭書の例の「派遣切り」事案のように、ハードローそのものに現場の要求の実効的解決手法が見出しにくいとき、CSRのごときソフトローを活用することは出来ないかという問題意識を持っている。現にキヤノンは、「人を尊重する」「公序良俗に勝る企業利益などない」と自分で言っているではないか。

 そして、企業側は、自らのイメージ戦略として、CSRや、SRIという言葉を意図的に利用しているという事実も見過ごすことができない。いかにも人に優しく、環境にやさしい企業であるよ、とのイメージが流され、そのことに民衆が誤魔化されるおそれがあるとき、企業が行うべきソフトロー、CSRとしてそれは間違っているという問題意識を正しく打ち出さなければならない。これはイデオロギーの流布に対抗しうる層としての弁護士の責任だと考える。

 別に肩を持つわけではないが、荒木教授も前掲論文で、ヨーロッパ諸国でCSRに関する情報開示規制を国家が行っている事例などをあげつつ、CSRやSRIがハードローの遵守や、ハードローの規制を上回る措置の実現、法規制の補完などの機能を持つことがあることを紹介し、「既存の労働法の枠組みで対処困難な公益的事柄に適切に対処するためにソフトローたるCSR推進を国家が主導することにも十分な意義が見出されてくる」と述べていて、一般論としてはおかしくない(ただし、荒木教授は、その上で、本来ハードローたる労働法で対処すべき問題をソフトロー問題にしてしまうことで直接的・実効的な法規制が回避される可能性があるとの問題にも言及し、問題の場面ごとにいかなる視点で対処すべきか多角的な視点から検討すべき、とも述べており、これもその通りである。)。

四 労働分野におけるハードローとソフトローへの対応〜今年の課題

(1) ハードローとしての労働法規制に関しては、今年はまず労働者派遣法の改正問題が焦点となる。昨年末に労働政策審議会が答申した改正の方向性は、労働者派遣法を労働者保護の観点から規制強化に打ち出す方向性を持つ点で評価できるものの、禁止の例外やみなし雇用の場合の労働条件など、問題点も少なくない。

 そして、厚生労働省が有期労働研究会を開いて、有期契約法制に関する改正論議を進めている点も重要である。派遣労働者の労働条件の問題は、この議論と連動している。有期労働契約に関する抜本的規制強化を実現する取り組みこそ、ハードローとしての労働法規制にとっては、働く者にとって本丸的の意味合いを持つものではないかと考える。この点と、労働者派遣法改正論議とは、並行してとり組みを強めることが必要である。

(2) ソフトローへの対応としては、次の企画が重要である。青年法律家協会弁護士学者合同部会は、本年九月二五日、二六日に札幌市で「第一四回人権研究交流集会」を開催する。ここでは、全体会として、「企業の社会的責任を問い直す」をテーマとする。CSRやSRIについての実態を直視し、本当にあるべき企業の社会的責任とは何かを考え、人権の視点から打ち出そうという企画である。何とも時宜にかなった企画である。開催地が九月の北海道というのもたまらない。同期旅行をあわせて企画していただきご参加頂きたい企画である。

 実は、私はこの企画の本部事務局長だ。だから企画を成功させる責任がある。団員諸氏のご協力、ご参加を心からお願いする。

五 蛇足

 いや、最初は人権研究交流集会の宣伝というよこしまな動機から構想した原稿だったが、今年の労働問題に置ける課題をうまく問題提起できたのではないかと自負している。何書いても良い、って杉本事務局長も言ってましたしね(笑)。



「政策形成訴訟」を読む

東京支部  向   武 男

 二〇〇九年六月一三日岩波ホールで「満蒙開拓団」の映写会がおこなわれた。映写の途中「ン・マー」と呼びながら養母に抱きつくのを、抱え、両者涙を流して抱き合うのをホールの満席を埋めていた観客は、均しく胸がふさがる思いにひたった。

 中国の東北部を侵略し、「満州國」という国を造った日本は、農民を満州に移住させる計画を策定し、二〇年間に一〇〇万戸を予定した。在郷軍人の移民団、青少年の満蒙開拓義勇団、分村分郷方式の家族移民などの方式によった。第一期、第二期と続き、第四期のばあいは、治安を顧慮せず、在郷軍人を資格者としなかった。入植地は、関東軍の要請で満州の地域としては北東に位置し、国境第一線に近く、ソ連軍の脅威を身近に感じていた。一九四二年の第二期に入ったときから、日中戦争、独、伊との協定などから、在満の青年壮年男性は、軍に現地召集され、残された一般開拓団においては、男性は老人と病弱者であり、それらが婦人子どもを護らねばならなかった。邦人の守護に任ずべき関東軍の精鋭は、一九四五年初頭より大本営の命により、隠密に南方戦線へ移転され、兵力は弱化していたが、ソ連軍の攻撃を誘発せぬように、国民一般には秘匿されていた。開拓民の惨事を引き起こす主因はここにも存在した。

 一九四五年八月九日ソ連軍の進入により、開拓民で死亡したのは、四五パーセントに及んだ。生き残った子どもは、中国の心ある人に保護され、永年親子として育てられた。漸くのことで、日本人として帰国した頃は、壮年期を過ぎていたが、「孤児」と呼ばれた。日本国は手厚い保護という方法をとらず、「孤児」は、最低生活で生き延びていた。

 日本国に対し、孤児救済の訴訟が提起された。祖国日本を訴えたのは、残留孤児らが、常に国の政策のために人生を翻弄されつづけてきた。まとめてみれば、父母が国策により満州へわたった。そのうち敗戦。幼くして中国に置き去りにされたが、国としては積極的な政策を持たなかった。かろうじて帰国できたが、中国人としての人格が形成されており、そのままでは日本の社会に適応できない。特に現状のままでは、最低限の生活もままならない。年齢もやがて老年期に入る。引き上げ後の政府による救済は、生活保護による支援である。自立支援法成立後も変化はなかった。

 相談を受けた弁護士は、かつて、ともに正義をめざし、人権侵害に対し、共に戦った青年法律家集団の仲間であった。全国に住む引き上げ孤児は二五〇〇名といわれ、それらの数を考えて、全国弁護団を結成することにした。

 集まった弁護士は、全国に展開することを予定して、この裁判は、「政策形成訴訟」として、位置づけられた。裁判を通じて、孤児らの境遇の根本的改善を実現することを第一義とし、個々の裁判所における勝敗にこだわらない活動をめざすというものであった。二〇〇一年五月熊本地裁におけるハンセン病患者に対する判決で、司法、政治面でのハンセン病患者の全面的救済を実現させたことであった。訟訟の要点は、

(1)中国残留孤児発生の原因

(2)なぜ帰国が遅れたのか

(3)高齢化した孤児の日本社会への適応不全と不充分な支援策

であった。

 各地の弁護団は全国各地に結集した。各地それぞれに現地の孤児の実情、訴提起までの過去の実情を聴取した。なによりも苦心したのは、通訳なしのばあいの意思の疎通であった。弁護士は中国語につうぜず、孤児たちは、日本語で過去現在の実情を伝えることが十分にできなかった。

 そのなかで、関東弁護団では、改めて、「棄民政策」「謝罪」「日本人らしく生きる」点について、国に対し、新しい政策を確立し、実行させることを確認しあった。原告となる孤児たちには、国に対する賠償請求裁判ではあるが、お金をとることだけを最終目標とするのではないと繰り返し説明した。

 こうして、提訴が行われた。二〇〇二年一二月二〇日東京地裁へ第一次として訴えが提起された。第一次としては四〇名、五八九名が追加された。

 判決言渡しは次のようであった。

一 二〇〇五年七月六日大阪地裁  全面敗訴

 全国に先がけた最初の判決であった。中国残留孤児の苦難や日中関係の歴史に対する洞察力を欠くものであった。

二 二〇〇六年一二月一日神戸地裁  勝訴

 国の責任を認めた。一連の中国残留孤児の訴訟中唯一勝訴判決であった。国に対し総額四億七〇〇〇万円の慰謝料の支払いを命じた。

 関東軍の一連の政策について、戦闘員でない一般の在留邦人を無防備な状態に置いた政策は「自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であった」とし、「戦後の政府として、可能な限り、無慈悲な政策によってもたらされた自国民の被害を救済すべき高度の政治的責任を負う」とした。

三 二〇〇七年一月三〇日東京地裁  敗訴

 原告らの主張を「戦前の国策の誤りを強調したい歴史感」であるとした。

四 二〇〇七年三月二三日徳島地裁  敗訴

 「これまで被告が講じてきた施策にもかかわらず、原告ら残留孤児ないし中国残留婦人の多くが、前記のとおり、今なお、困難な状況にあることからみて、被告が上記の責務をすでに十分につくしているとは言えない。当裁判所は、被告において上記政治的義務を果たすべく、引き続き、更なる努力を尽くすことを望むものである」とした。安倍首相が厚生大臣に新たな支援策の検討を指示した後の判決である。

五 二〇〇七年三月二九日名古屋地裁  敗訴

(愛知、岐阜、三重、静岡、福井、石川、新潟)原告一七一名

 判決は「国家には、条理に基づき、国策により生じた自国民の危難や意に沿わない国外残留の事態をできるだけ速やかに解消するために、具体的な状況下において可能な限度で実効的な原告らの帰国実現のための施策を立案・実施すべきことが当該在外自国民との関係における法的義務として課せられた」とし、政府自らの判断権限で関係国と交渉し得る対外的地位が必要不可欠だとした。しかし、この反面日本が主権を回復し、外交機能が正常化し、主権を回復した一九五二年以降の責務の懈怠は、戦争犠牲ないし戦争損害ではないとした。行政の広範な裁量を認めることによって国の行政に対する批判的な視点が見られない判決となった。

六 二〇〇七年四月二五日広島地裁  敗訴

 結論として、「少なくとも法的な意味で被告国に早期帰国実現義務はなく、不法行為法上の責任を負わない以上、原告たちの悲劇は敗戦等を最大の要因としてもたらされたことは明白で、戦争損害ないし戦争犠牲の範疇に属するというべきだ」とした。

七 二〇〇七年六月一五日高知地裁  敗訴

 判決言渡しに際し裁判長は「国は中国残留孤児につき早期帰国実現義務があるが、司法としては消滅時効が援用されればそれを前提として判断せざるを得ないと言う限界がある。年金問題で時効の特別立法がなされたように、立法、行政による解決の余地は十分ある。 控訴審や訴訟外における和解を期待する」と述べた。

八 二〇〇七年六月一五日札幌地裁  敗訴

 北海道に居住する残留孤児が原告として提訴した。

 判決は、「早期帰国実現義務違反について、先行行為として原告らが主張する事実は他国への移民やこれによる支配或いは戦争における作戦としての要素を含んだ、当時の日本を取り巻く状況を含めた大局的かつ国際的な考慮が必要とされる高度に政治的な判断に基づく行為であり、司法判断が及ばない」とした。

 神戸地裁が唯一勝訴を得、他の地裁が敗訴に終わった。この結果を良しとするものではない。しかし、法廷その他を通じて、中国残留孤児と呼ばれる原告らを含めた人々が、悲惨な状況を経てなお今日も同様であるという事実の原因はなんであるかということ、これに対して国は何をし、何をしなかったかという事実は、多くの国民に提示された。現政権を担当する安倍晋三総理大臣は、東京地裁の判決言い渡しの翌日、原告代表と官邸で面談し、原告らに「夏までに新たな支援策を策定する」と言明し、翌日の国会答弁にも同様の趣旨を述べた。

 以降原告団、弁護団と政府関係者との交渉を経て、新支援策として、国民年金の満額支給とこれを補完する支援給付制度が決定された。二〇〇七年一一月二八日改正自立支援法が成立した。公布の日安倍首相に代わった福田康夫総理は、原告団と面会し、「気付くのが遅れて申し訳なかった」と詫びた。



「核廃絶」に向けて求められていること
―毎日新聞社説「核廃絶に踏み出す時だ」を読んで―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 毎日新聞一月四日付の社説は「核廃絶に踏み出す時」と題されている。ぼくも、「核兵器廃絶」を切望している一人だから、これは「春から縁起が良い」と期待して読んでみた。

 ところがである。その内容は、「核廃絶」とはいうものの、北朝鮮の核が「完全廃棄」されるまで、米国は日本にさしかけている「核の傘」を外すなという、「核廃絶」や「核軍縮」に水を差すものだったのだ。オバマ大統領が提唱する「核のない世界」に対して、日本の安全保障のためには米国の「核抑止力」が必要だとして、その足を引っ張る日本政府と同様の、「核の傘」依存型の「核廃絶論」だったのである。これでは、「核廃絶」にとって、単に無益にとどまらず、有害な役割を果たすことになるであろう。少し、検討してみる。

社説の概要

 冒頭に、バルビナ・ファン(ブッシュ政権下の政策アドバイザー)の「アメリカ人すべてがヒロシマに行くべきです。」との発言を紹介しながら、「核兵器廃絶を願う心の原点は、今も広島と長崎にある。」としている。そして、「世界にあまねく平和が訪れるのはいつの日か。」とした上で、「〇一年の同時多発テロの背景には、米国やイスラエルへの憎悪があった。強い憎しみはテロ組織による核兵器使用や原発への攻撃にもつながりかねない。北朝鮮の独裁者は核開発にしがみつき、ルール違反を繰り返す。核技術や核物質の国外流出という可能性も否定できない。」という「冷戦時代とは異質な危険」を指摘する。そして、「オバマ大統領の『核兵器のない世界』という提言にも、新たな脅威に対処する現実的な願いが込められている。」として、オバマ大統領に対して、「核テロを防ぐという目的の最優先と、同時に核軍縮を進めようとする意志」が見て取れる、「特に核軍縮は核兵器廃絶に向けた具体的な一歩として歓迎できる。逆風もあろうが、粘り強く努力してほしい。」とエールを送っている。続けて、「NPTは『不平等条約』との批判を免れない。核兵器国に課せられた誠実な核軍縮交渉の義務は無視されてきた。…今年の会議では国際的に一定の道筋をつけるべきだ。…核兵器国が誠実な態度を見せなければ、核テロ防止に不可欠な国際合意は得られまい。何より重要なのは核廃絶に向けた国際合意の再建なのである。」と論を進めている。さらに、続けて主張されるのは「北朝鮮の核消えてこそ」ということである。 

 その内容は、米国では北朝鮮はしばらく核を放棄しそうもない、という議論が主流となっているようだが、北朝鮮に核が残るような結末は容認しがたい。オバマ大統領の核軍縮は支持するが、北朝鮮の脅威が実際に存在する以上、米国の「核の傘」に守られていることは不合理と考えない。同盟国から「北朝鮮の核放棄はあきらめよう」と言われたくない。北朝鮮からの核拡散を防ぐだけでは根本的な危険が残る。北朝鮮の完全な核廃棄こそが、「核なき世界」への第一歩である、というものである。

主張の特徴と問題の所在

 この主張を整理すると次のようになる。

i)広島と長崎に核廃絶を願う心の原点がある。

ii)現在の国際情勢には、冷戦時代とは違う「異質の危険」、「新たな脅威」がある。一つには、テロリストへの核の拡散であり、二つには、北朝鮮の独裁者の核への執念である。

iii)テロリストへの核拡散を防止するためには、核兵器国の誠実な姿勢が必要である。今年のNPT再検討会議では核軍縮に道筋をつけるべきだ。

iv)北朝鮮に対しては、核拡散ではなく「完全な核廃棄」を求める。核兵器廃絶を念願してオバマ大統領の核軍縮の努力は支持するが、北朝鮮の「完全な核廃棄」が「核なき世界」の必須の第一歩である。

 ここから見えてくるこの主張の特徴は、広島と長崎の被爆体験を枕に振り、核廃絶を目指すような姿勢をとった上で、オバマ大統領の「核なき世界」に向けての核軍縮努力は支持するし、核兵器国の誠実な対応も期待するとしているが、その結論としては、北朝鮮の「完全な核廃棄」がない限り、同盟国アメリカの「核の傘」が必要だ、というものである。 

 これは、北朝鮮が「核の全面廃棄」をしない限り、オバマ大統領の「核軍縮」に協力できないとしていることを意味している。このような北朝鮮の「完全な核廃棄」を「核軍縮」や「核廃絶」の前提条件とする言説は、少なくも二つの問題を抱えている。一つは、北朝鮮が覚えている米国や日本、韓国などの脅威を放置したままに、北朝鮮に「核武装解除」を迫ることになるということである。二つ目は、北朝鮮がいうことを聞かない限り、自分は何もしないとして、自ら率先しての「核廃絶」の努力を遠ざけてしまうということである。

 「核廃絶」、「核軍縮」、「核不拡散」などが、対等な国家間の交渉事案であることを理解していれば、一方が他方に対して、一方的に「武装解除」を迫るなどという発想は出で来ないはずである。また、「唯一の被爆国」として、北朝鮮に要求するだけではなく、自分が何ができるかを考えるべきであろう。

 にもかかわらず、この主張のような論理が展開されるのは、この主張が明確に述べているとおり、北朝鮮は「ルール破りを繰り返す」独裁者による国家であり、その脅威は現実である、という牢固とした観念が背景にあるからである。結局、この主張は、「核廃絶」をいいながら、北朝鮮に対する嫌悪や敵意、恐怖感が先行してしまい、「核なき世界」への道に新たな混乱と困難をもたらす役割を果たしているのである。これでよくも「核廃絶に踏み出す時だ」などと標題をつけられたものだと呆れてしまう。

 ただ、この主張も「核廃絶の心の原点」が広島・長崎の被爆の実相にあるとし、NPTに基づく核保有国の核軍縮の努力の必要性を指摘し、オバマ大統領の姿勢を支持している限りにおいては、正しい方向を示している。したがって、この主張の問題点は、北朝鮮とどう向き合うかということになる。

北朝鮮とどう向き合うか

 金正日国防委員長が好きか嫌いか、北朝鮮の民衆の生活と人権がどうなっているのか、人それぞれの見解があるであろう。けれども忘れてはならいことは、北朝鮮は独立した主権国家であり、国連加盟国である、ということである。また、北朝鮮の脅威をどのように把握するかも、いくつかの見解が成立するであろう。加えて、主張は、北朝鮮を「ルール破りを繰り返す国」としているが、核兵器の開発、実験、保有、配備、移譲、使用などを全面的に禁止する国際ルールは確立していないし(だからその確立が求められているのである)、現実に、米国も日本も核兵器に頼って「安全保障」を確保しているのである(核抑止論)。米国も日本も、北朝鮮が自国の核兵器に「安全保障」を依拠することを責める立場にはないのである。自国の都合だけを言い立て、他国の立場に配慮しないことは、いたずらに対立を深め、最悪の場合軍事衝突ということにもなりかねないであろう。北朝鮮に核兵器を廃棄させようというのであれば、その一方的廃棄を言い立てるのではなく、相互の安全保障を確立するために、対等平等な交渉を進めるべきである。北朝鮮がどのような国であるのか、その好悪はともかくとして、現実に存在する国家と向き合うためには、国連憲章が予定するように、各国相互の平等性、同権を前提としなければならないのである。北朝鮮を敵視し、米国政府の「核軍縮政策」も軽視して踏み出す道は、「核廃絶」ではなく、「核拡散」の道へと続くことになるであろう。

求められていること

 「核兵器廃絶」を求めるために、北朝鮮とどう向き合うかは、日本の反核平和勢力にとって、きわめて重要かつ喫緊の課題であるということを、改めて確認させられたところである。このことを忘れたくない。

 ところで、この主張は、北朝鮮の「先行核廃棄」を言うだけではなく、米国の核兵器が日本の安全にとって不可欠なものであるとしている。核兵器の必要性や有用性を前提としているのである。この言説は、決して特殊なものではない。日本政府も、もちろん米国はじめ核保有国も、そのことを承認している。核兵器が国家安全保障の切り札とされているのである。この核抑止論が通用している限り、核廃絶は困難であろう。人は、必要で役に立つものを投げ捨てることなどしないからである。そうするとこの「核抑止論」を乗り越える動機付け、政治的意思をどのように形成するかが求められることとなる。

 オバマ大統領が提唱した「核なき世界」の動機は、核兵器の拡散阻止が困難となり、自国の安全を確保できなくなったので、核軍縮から核廃絶へと呼びかけることにより、核の拡散を阻止する道義的・政治的立場を確保しようとしたものである。彼は、核兵器の恐怖は知っているが、原爆投下を反省しているわけでも、武力による紛争解決が無用だとしているわけでもない。もちろん「核抑止論」を放棄したものでもない。けれども、彼は、「核のない世界」を唱導しているのである。「核兵器が自国の安全を脅かすことになることを防止する」という発想による「核のない世界」と、「核兵器と人類は共存できない」という発想による「核のない世界」とは、決して同床異夢ではない。

 「核抑止論」を乗り越え、核兵器の使用のみならず、開発、実験、保有、配備、移譲、威嚇などの全てが「違法」となる状況の形成(「核兵器禁止条約」の制定)が求められているのである。

今年五月には、核不拡散条約(NPT)再検討会議が予定されている。「唯一の被爆国」日本の法律家として私たちに求められている課題は大きい。ぜひ皆さん方の力を借りたいと念ずるところである。

二〇一〇年一月六日記



映画「弁護士布施辰治」撮影快調 製作資金・上映活動に、いっそうの協力を

大阪支部  石 川 元 也

 今年の年賀状に、日韓併合一〇〇年、布施辰治の映画製作・上映に協力を、と書こうと思いながら、気恥ずかしさもあって見送ったが、石巻の庄司捷彦さんからの賀状をみて、やはりとの思いに駆られた。

 さて、映画の方は、昨年一一月から、布施の生地の石巻で撮影開始された。一二月には、長野県松本市の司法博物館(明治時代の書院造りの裁判所庁舎を保存移築したもの)などでの撮影が行われ、私も参加した。一九二七年の大阪地裁、三・一五事件公判、一九四八年の秋田地裁大館支部、朝鮮人どぶろく事件公判などの場面である。担当プロデューサーから、戦前の法廷風景などの監修を求められて行ったところ、急遽、裁判長役をということで、三・一五事件裁判長になってしまった。布施辰治が弁護士懲戒にかけられ除名処分にされる理由とされた裁判である。布施が、起訴状朗読まえに、「三・一五事件は全国で起訴されているが、もともと一つの事件だから東京地裁での統一公判を求める」と主張し、移送請求や、裁判官忌避など、はねられてもはねられてもがんばった法廷である。被告席や傍聴人席から革命歌がわき起こり混乱のうちに終わる。インターナショナルが歌われる、そのリハーサルで、(国民救援会の二人は別として)市民ボランティアのエキストラの人は誰一人、この歌を知らないという。時代の差を感じたものだった。強権的進行役の裁判長の役割がどう撮影されているか、というところ。

 もう一つの別の法廷で、戦後のどぶろく裁判の法廷には、長野県支部の中島団員に裁判長をやってもらった。その感想を読んでほしい。

 この映画には、布施の書生から弁護士になった祖父を語る宮城県支部の庄司団員、そして戦後の弁護活動をともにした東京支部の大塚一男、竹沢哲夫団員らも登場される。三月頃の韓国での撮影で完成、四月末には上映も始まろうが、自主上映が中心で、各地での協力が求められよう。

 製作費用五〇〇〇万円にたいし、現在、その半分に近づきつつあるという状況で、いっそうの協力が求められている。三万円以上の拠出者の名前は、映画のエンディングタイトルにのせられる。団本部も一〇万円を出したという。多くの支部、法律事務所そして団員の名前がそれに続くことを期待している。もちろん、それ以外にも協賛金の協力をお願いする次第である。



―石川元也団員原稿の続き―

長野県支部  中 島 嘉 尚

 (「弁護士布施辰治」の映画製作の経緯などについては、石川元也団員の記事をお読み下さい。)

 私は、私達にとって大大先輩である布施辰治弁護士が闘った裁判闘争のうちの、秋田地方裁判所大館支部で、在日朝鮮人が酒税法違反に問われたいわゆる「どぶろく事件」の法廷の裁判長役をおおせつかりました。実はこのような役をやらざるを得なくなったのは、自由法曹団の大先輩石川元也先生の命令(?)によるものでした。松本市の自由法曹団のメンバーに協力要請がありましたが、結局私が出る破目になってしまいました。

 松本市には明治年代に建設された木造の裁判所が残されています。現在は「司法博物館」といわれていますが、もともとは現役の裁判所で、私が弁護士になった一九七五(昭和五〇)年以後数年間この裁判所の法廷で実際に裁判をしたり、また、憲法記念日の際に法廷劇を行ったりしてきた思い出深い裁判所でした。

 そのような由緒のある建物であったので、布施弁護士の闘った法廷の撮影場面を松本市の「司法博物館」に設定したのだと思います。

 撮影の設定時期は夏季らしいのですが、当日は信州の底冷えするような寒さで大変でした。しかし撮影スタッフや役者さん達の熱い心が伝わってくる白熱の場面となりました。

 布施辰治役を演じておられた俳優の赤塚真人さんの顔が布施弁護士にそっくりなのには驚きましたが、その弁説の迫力もすごみがあり、裁判官を睨みながら「ここには日本政府の朝鮮人に対する無責任と無策が結果しているのである」とたたみかけると、心の中で思わず「そうだ!」と言っている自分がいました。傍聴席も「そうだそうだ」とざわめく訳ですが、私の役はそれを押さえつける役ですので、心の中とは正反対の態度をとらなければなりません。そこで、布施弁護士役が睨みつけてくるのを睨み返さなければならないのですが、布施弁護士役の目は大きいのに対して私は目が細いものですから睨んでも大した事はないのです。どうしても迫力に負けてしまうわけです。せめて布施弁護士役の目から私は目を絶対にはずさないでおこうと必死になって(睨まれるのに対し、目線を据えることは大変なことだとこのとき初めて分かりました。)睨み返したのですが、果たして映像はどうなっていることやら。

 また、私にはちょっとした台詞がありました。それは傍聴席が騒々しくなってきたので「静粛に静粛に、これ以上続けると退廷を命じる」というものですが、やはり撮影されると恥ずかしくなってしまいどうもうまくゆきません。案の定監督から「ちょっと恥ずかしがっていませんか、やり直し!」と言われてしまいOKがでるまで何回かやり直しをしました。おもしろいもので、やっているうちにその時代に入り込んでしまったような気分になりました。

 私は、撮影終了後地元の新聞記者から取材を受けこう答えました。「自分を犠牲にしても弱者の立場に立って闘う、この姿に私達は見習うべきところがある。」(記事では見習うべきだとなっている)

この映画が大勢の人に鑑賞されることによって、私達弁護士だけではなく多くの人達が「人間とはどうあるべきか」ということを感じ自分のものとしてもらえるなら幸いです。