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葛西  聡 ―青森県特集 その二―
「教育に『臨時』はない」〜臨時教員の恣意的雇い止めを無効とした仙台高裁判決〜
上田 月子 三・二六派遣法院内集会&議員要請行動に参加した感想
高橋 由美 院内集会と議員要請に参加して
松丸  正 NHK「カンテツな女」の番組への申入れ
松村 文夫 賃金体系変更無効の判決をかち取る
岩橋 進吾 定期昇給をしなかったことが違法だとして差額賃金の支払いを命じた判決が出される
村山  晃 「何か」が変わった。しかし、容易には変わらない。
吉原  稔 在野法曹の雄 日弁連と「叙勲」
神田  高 コラム・“DIGNITY”〜アフガンから沖縄へ
渡辺 登代美 神奈川支部、沖縄へ行く!
田中  隆 「比例削減・国会改革 だれのため なんのため」の活用と普及を!
坂本 雅弥 四月一三日「実現しよう!派遣法抜本改正」院内集会&議員要請の報告

労働問題委員会
大量解雇阻止対策本部

労働者派遣法の抜本改正を求める五・一一法律家デモへ参加しましょう!



―青森県特集 その二―

「教育に『臨時』はない」〜臨時教員の恣意的雇い止めを無効とした仙台高裁判決〜

青森県  葛 西   聡

 先日、私立高校の臨時教員の雇い止めについて、権利濫用として無効とした逆転高裁判決がありましたので、ご報告します。

 Aさんは、〇四年春に大学を卒業して青森市内の私立B学園に契約期間一年の「常勤講師」として採用され、その後三回契約が更新されてきました。この間、社会科の授業を担当するほか、クラス担任を担当したり、採用と時を同じくして創設された硬式野球部の監督を務めるなど、いわゆる専任教員と全く変わらない勤務をしてきました。ところが、〇八年二月二七日、Aさんに同年三月末での雇い止めが言い渡されました。

 Aさんは〇八年四月二四日に地位確認の訴えを青森地裁に提起しました(一審の弁護団は葛西及び田村智明団員)。学園は、

I 本件雇用契約はあくまで期間一年の有期雇用であり、解雇権濫 用法理は適用されない、

II 仮に解雇権濫用法理が適用されるとしても、Aさんには

i 教員としての能力・資質に欠けており、

ii 就業規則違反等があったため、客観的に合理的な雇い止めの理 由があった、

として争いました。

 学園が主張した前記iiの「就業規則違反等」とは、

(1)〇八年から婚約者のアパートで同棲状態となっていたにもかかわらず、学園に届け出ていた住所(実家)の変更届出をせず、通勤手当を過剰受給していたことで戒告処分を受けた、

(2)その後「実家から通勤する」旨の顛末書を提出した後も依然として婚約者宅から通勤していた、というものです。計六名の証人・本人尋問の結果、Aさんが熱意も将来性もある青年教師であることが明らかになりましたが、一審判決は敗訴でした。青森地裁は、本件雇用契約について、継続雇用に対する合理的期待利益が認められ解雇権濫用法理が適用されるとし、前記(1)の「就業規則違反」も雇い止めの合理的理由とはできないとしながらも、前記(2)の事実を認定し、これをもって「教師としての資質に重大な疑問」「軽視し得ない非違行為」として雇い止めの合理的理由であると判示したのです。

 Aさんは控訴し、戦場は仙台高裁へと移りました。控訴審では、前記の(2)が事実誤認であること、さらには前記(1)の戒告処分自体が無効であることや、本件雇い止めが、労働組合を敵視する理事長がこれに同調しないAさんを排除する目的で行った不当なものであること等を主張し、人証調べを採用・実施させました。本年一月一二日に結審し、そして運命の三月一九日。仙台高裁の判決は、原判決を取り消し、Aさんの地位を確認する逆転勝訴判決でした。本件雇用契約に解雇権濫用法理が適用されることを改めて確認した上で、原判決が雇い止めの合理的理由であるとした前記(2)が事実誤認であることを認めたのです(学園は最高裁へ上告・上告受理申立した模様)。

 一審の証人尋問で、学園の理事長は、「臨時教員として採用された者は、いつまで契約が更新されるか・来年の契約があるかどうかは分からない、という状態は一般的常識である」などという証言をしました。しかし、裁判所は、このような考え方をはっきりと否定しました。現在、全国各地のいわゆる臨時教員の皆さんが不安定な条件の下「教育に『臨時』はない」としてたたかっていますが、このたたかいに少しでも寄与できたのではないかと思っています。

 末尾ながら、貴重なアドバイスをいただいた東京中央法律事務所の田原俊雄先生、控訴審から弁護団に加わっていただいた仙台の山田忠行・小関眞両先生、私教連・単組組合の皆さん、多数の支援の皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。



三・二六派遣法院内集会&議員要請行動に参加した感想

埼玉支部  上 田 月 子

 二〇一〇年三月二六日、午後一時から午後三時まで、衆議院第一議員会館第一会議室において、自由法曹団・全労連・労働法制中央連絡会主催で、労働者派遣法抜本改正と裁判勝利をめざす院内集会を行いました。その後ひきつづき、議員要請行動を行いました。院内集会、議員要請行動いずれも、弁護士になってから参加するのは初めてだったので、参加の感想を述べたいと思います。字数の関係上、議員要請行動中心に感想を述べます。

 院内集会は大盛況でした。当事者の実感のこもった発言に、このままで良いはずがない、と強く思いました。今回の改正案通りの改正では、原則と例外が逆転しているなど、不備が多すぎて、これらの当事者は救われません。日産の派遣社員をリストラしたゴーン氏の役員報酬が増えているという話には、怒りを感じました。

 議員要請行動は、三人ずつの班に分かれて行いました。私は城北法律事務所の大山先生と、首都圏青年ユニオンの須藤さんと同じ四班になりました。まずは一階に降りて、面会票に記入し、受付に提出しました。名前と法律事務所名だけ書いても、議員から「存じあげません」と言われてしまうので、「派遣法に関する請願」などと具体的要件を書くようにと言われました(具体的要件を書く欄はないのですけどね)。受付で電話アポを取ってから、議員の部屋に向かいました。

 七部屋まわりましたが、全員秘書対応でした。しかも、秘書の対応で政党が分かるくらいの違いがありました。自民党の大村秀章氏、松本純氏の秘書はいずれも「ハイ、ハイ、分かりました。渡しておきます。」といった感じで、話を聞く気はないといったオーラを放出していました。しかし、大山先生は負けずに粘って説明なさっていました。民主党の初鹿明博氏、相原史乃氏、福田衣里子氏、山井和則氏の秘書は、あまり分かっていない方も、少しは分かっていらっしゃる方もいましたが、いずれの方も耳を傾けてくださいました。須藤さんは、初鹿氏の選挙区民だということをアピールしたところ、秘書は「そのこともお伝えします」と喜んでいました。社民党の阿部知子氏の部屋では、秘書二名にご対応いただきました。最初、あまり分かっていない方に一通りご説明し、帰ろうとしたところ詳しい方に交代されました。その方に次のようなコメントをいただきながら、再度話を聞いていただきました。「施行を五年後ではなく三年後にすることはできる」「改正案に不備はあるけど、以前より前進したことは確かだから、成果だと思う」「例外二六業務は政令事項だから後で変えられる」(製造業派遣の解禁前を念頭に)せめて数年前の状態に戻してほしいと言ったことに対して、「数年前に戻したって何にもならない。もっと戻さなきゃ。」

 秘書としか話せませんでしたが、派遣法について良く分かっている方は少数派で、分かっている方は今更内容の変更は難しいと考えているようでした。しかし、資料は渡したので、心ある議員は目を通してくださるはずであり、派遣社員の悲惨な現状を知っていただけるはずです。その結果、難しいはずの内容の変更がなされるかも知れません。したがって、意義ある活動だったと思います。加えて、大山先生と須藤さんと一緒に議員部屋をまわること自体、楽しかったです。また、参加したいです。



院内集会と議員要請に参加して

神奈川支部  高 橋 由 美

 三月二六日午後一時半より、衆議員第一議員会館第一会議室において派遣法抜本改正と裁判勝利を目指す三・二六院内集会が開催された。

 私も自由法曹団神奈川支部の一員として、また日産弁護団の一員として、生まれて初めて院内集会と国会議員への要請行動に参加させていただいた。

 まず非常に驚いたと同時に感動したのは、非常に多くの方が参集されていたことだ。議員会館の第一会議室が満席、さらに何人も座りきれずに立ったまま集会に参加するという状況だった。討論も、北海道の団員、京都の団員と全国各地からの発言が飛び交う活発な討論で、最後は時間不足で発言時間を制限するほどであった。 

 今、派遣法の内容を見れば、誰もが「これはおかしい」と思うような内容なのは明らかなのに、世間的には「派遣法が改正された」との報道しかなされていない。また、テレビではコメンテーターが「労働者が自分の都合に合わせて働くことができる制度」「中小企業の雇用の調節弁」、貧困についても「自己責任」という言葉だけが飛び交っている。そのためか一般国民は、自分が派遣で働いているのに、派遣でも働けるだけマシ、何年も派遣法違法の状態で働かされていながら、期間満了といって雇い止めされても仕方がないとあきらめさせられているように、私には思われる。

 さらに、日産弁護団で、先行する判例の研究をするたびに、非常に過酷な状況の派遣労働者に対する司法救済がなされない事例が多く、自分たち日産弁護団は勝てるのかと疑問に思うことも多かった。

しかし、今回の院内集会にこれだけ多数の労働者や当事者が参加されているのを見て、人間らしく、まっとうに働きたいという要求を持っている人たちがたくさんいることに、私は大きな勇気をいただいた。

 「安価な労働力として労働者を使えるような法律を作っておきながら、そこで生まれた貧困のどこが「自己責任」なのか?」「常用代替でしかない、違法な労働者派遣が横行している中、裁判所はその違法な状態を許すのか?」ということを、正面から、世論と裁判所に向かって投げかけていって良いのだ、いや、真正面から投げかけていくべきなのだ、と強く感じたのである。

 院内集会終了後、議員への要請行動にも参加した。本部の鷲見幹事長、JMIUいすゞ支部の佐藤さんと三人で、羽田孜(民主)、亀井静香(国民)、小沢一郎(民主)、志位和夫(共産)、長瀬甚遠(自民)、重野安正(社民)と各党の三役クラスの議員を回り、残念ながら議員本人には会えなかったが、すべての議員秘書に資料を渡すことができた。

 最初に要請に行った共産党では、鷲見幹事長の計らいで、私が説明をさせていただいた。秘書と中央委員が、党としてもどうやって闘っていけばよいか考えているとのコメントで、二人ともつたない私の説明を非常によく聞いてくれた。初めての要請行動で、緊張してしまい、伝えたいことが伝えきれたかどうか定かではなかったが、その後の鷲見幹事長の説明を聞いているうちに、自分たちの伝えたいことである、労働者が少しでも人間らしく働けるようにしてほしい、と言う思いを素直に伝えれば良いのだと思うようになった。

 直接、国会議員に対して話をすることは非常に有益であると思うので、もしまた機会があれば、議員要請行動にも参加して、今度は自分と全国の仲間の思いを、少しでも多くの国会議員にわかってもらえるように話をしてみたいと思っている。

 このように、院内集会と要請行動に参加させていただいて、私は非正規の運動に取り組む自信を得た。そして、世論と仲間たちに伝えたい。「『自分の子供には派遣で働かせたくない。派遣労働が一般になっているような社会を子供たちに残したくない。とにかく派遣法を廃止してほしい。』と言う声は国民の声として切実だ。国民は、もっと、『まっとうに働かせろ』『この貧困のどこが自己責任なのか』と声高に訴えて良いのだ。」、と。



NHK「カンテツな女」の番組への申入れ

大阪支部  松 丸   正

 NHK総合は「カンテツな女」と題して、昨年から本年三月にかけて、完全徹夜で勤務をする女性の働き方、生き方を描いたドキュメンタリー番組をシリーズで放映していました。

 本年二月一六日鹿児島地裁で、ファミリーレストランの支配人として、朝から深夜に至るまで殆ど休日もなく働くなか、心室細動を発症して一級の重い後遺障害を残した青年やその父母に対し、損害賠償並びに未払残業手当として二億円を超える支払いを命じた判決が下りました。

 その判決の余韻の覚めやらぬなか、その日の深夜、NHK「カンテツな女」居酒屋店長の番組が気になり視聴しました。

 この番組は、午後二時に出勤し、チラシ広告での営業や開店準備を始め、夕食は仕事が一段落した深夜に休憩室でかき込み、翌朝七時退勤の一日一九時間の勤務をする居酒屋女性店長の姿を描いていました。

 女性の力強い生き方に感動しつつも、いつ心身の健康を損ねてもおかしくない、食事のための時間以外は休憩なしに一日一九時間という、常軌を逸した長時間の夜勤の働き方に無批判な番組作りについては、大切な人を過労死・過労自殺で失った遺族の事件を多く担当している私としては看過できないものでした。

 直ちに全国過労死を考える家族の会、過労死弁護団全国連絡会議と相談し、この二つの団体の連名で、二月二三日付けでNHKに対し、「過労死・過労自殺の多くは、長時間・夜勤労働のなかから生じていることについては、貴局も報道を通じて充分理解されているものと考えます。

 長時間の夜勤で心身の健康を損ねることはないのか、最低限度の労働条件を定めた労働基準法等の法令に違反した働き方ではないのか、仕事と家庭の調和(ワーク・ライフバランス)からの問題はないのか、等について考慮したうえでの番組作りであったのでしょうか。

 今後もこのシリーズは続くとのことですが、長時間・夜勤の勤務を前提とした生き方を一方的に礼讃するような番組作りについては、一考されるよう強く求めます。

 また、『カンテツ』な勤務から生じる過労死・過労自殺等の健康障害や、ワークライフバランスの問題等、このような働き方の負の側面を照らし出した番組作りもされるよう要望致します。」

との申入れをしました。

 これに対しNHKからは、三月一日付けで、「番組の制作に当たっては、本人や家族、会社の承諾は当然のこと、様々な法令やワーク・ライフバランス、健康面などについて十分に考慮し、NHKの関係部門での検討を経た上で取材先を選んでいます。」との回答がされました。

 しかし、「カンテツな女」のシリーズで描かれていた女性の働き方は、法令や過労死の認定基準から逸脱した働き方です。

 本年二月二三日深夜に放映された「カンテツな女」では、三五才独身の女性長距離トラック運転手の働き方を描いたものでした。

 その勤務は午後二時三五分に荷積みから始まり、終了は搬送先での荷卸しが終わる翌朝七時二〇分までの拘束一八時間四五分の長時間労働です。食事もコンビニ弁当を車内ですませていました。

 この女性ドライバーは、かつて過重な勤務が続くなか二回血を吐いて救急車で病院に搬送され、入院した経歴も有しているとのことでした。

 厚生労働省が定めている「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」(平成元年労働省告示第七号、改正平成一二年労働省告示第一二〇号)によれば、貨物自動車運転者の一日当たりの拘束労働時間は一三時間を原則としており、一六時間を超えることはできないとされています。

 放映された女性ドライバーの勤務は、明らかに「改善基準」に違反した過重なものでした。「改善基準」は、貨物自動車やタクシー運転者が過労死として認定されるか否かについての基準ともなっており(「改善基準」とはいうものの「過労死基準」に近い内容になっています。)、「改善基準」を逸脱した勤務であるとして過労死として認定した判例は枚挙に暇がありません。

 また、一月一九日深夜に放映された美容師の労働時間は、午後九時(番組では午後八時二〇分ころに入店していました)から翌朝九時までであり、週六日の勤務です。休憩(番組では手製のおむすびを食べていましたが)時間が一時間あったとしても週六六時間の実労働時間であり、労基法の週四〇時間の法定労働時間を超える労働時間は二六時間に及び、月に換算すれば一〇〇時間を優に超える長時間労働です。

 厚生労働省が定めた過労死の認定基準によれば、発症前一ヵ月間におおむね一〇〇時間を超える時間外労働が認められるときは業務上と判断するとしています。この美容師の勤務は、この過労死ラインを超えた長時間労働になっていました。

 これらのシリーズ番組についても同様の申入れをしましたが、その回答はありませんでした。しかし、三月初めに女性航海士の番組でこのシリーズは終了しています。

 体と心の健康を損ねるような長時間夜勤勤務をしなければ、フツーのくらし、あたりまえの夢をかなえることができないのは現実かもしれません。

 しかし、このような常軌を逸した働き方(だからこそ番組にしたのでしょうが)を当然視、更には美化する番組に対しては、働く者のいのちと健康、ワークライフバランスの視点から、「このような番組作りを直ちに見直すとともに、『カンテツ』の長時間労働の働き方の問題点に批判の目を向けた番組作りをされるよう」(申入書より)意見を述べることは大切でしょう。



賃金体系変更無効の判決をかち取る

長野県支部  松 村 文 夫

 先日も団通信に投稿したばかりなのに、また投稿するのは、面はゆいのですが、困難な事件で勝訴判決をかち取りましたので、報告します。

 豊野病院では、二〇〇〇年四月国家公務員俸給表に準じた給与体系を変更して、成果主義賃金である職能給を導入しました。これによって、多くの職員が平均して月額三万円も減額となりました。

 調整手当の支給により現給保障はされたものの、その後の昇給による新旧の差額拡大は保障されませんでした。

 この三月二六日言渡された判決は、賃金に関する就業規則の不利益変更について、合理性がなく、効力が及ばないと判示しました。

 その理由として変更目的について、人件費削減という原告の主張を被告が否認している(「国による医療・福祉政策の変更への対応」を主張)のをとらえて、「賃金減額をもたらす内容への変更に合理性を見いだすことは困難である」と指摘しました。

 原告は、新体系が各級の号俸が少なく数年で最高号俸に達し、考課による昇格(昇級)がなされない限り、頭打ちの状況となっていることを強調したのに対して、判決は、新賃金制度の問題点として、「旧賃金制度と同等の給与を得るためには速いペースで昇格をこなす者は小数であると想定できる」と認定しました。また、基本的な労働条件について変更するには特に十分な説明と検証が必要であるのに、十分にされたとは言えないことも認定しました。

 主文自体は、原告二名で一七三万円余(原告一名は棄却)に過ぎませんが、原告以外の減額者と請求期間(〇四〜〇六年度)以外の期間の減額分となると、かなりのものになります。

 しかし、この判決の「能力給を採用すること自体は不相当とは言えない」の部分は弱点となっています。裁判官にも成果主義が導入されているためでしょうか。

 この判決の「旧賃金制度において支給されたであろう額を下回る賃金を請求することができる」との判示を生かして、団交で、職能給を撤回させたいと考えています。

 賃金体系変更に関する判決は厳しいものが多いことから、不誠実団交について労働委員会に救済の申立をし、五年間に二八回の証人調、甲号証七七〇号の提出をして、〇六年三月救済命令をかち取りましたが、団交によっても賃金是正がなされないために、〇七年四月長野地裁に提訴したものです。

 労働委員会審理を通じて、新賃金体系の矛盾・欠陥を徹底的に追及した成果が裁判にも生かせたと考えています。

 弁護団は、内村修・岡田和枝各団員と私です。



定期昇給をしなかったことが違法だとして差額賃金の支払いを命じた判決が出される

千葉支部  岩 橋 進 吾

一 定期昇給しなかったことは違法として差額賃金支払い命令判決

 昨今ベースアップはおろか、定期昇給も停止するなどが横行をしている。そのような中、定期昇給をしなかったことは違法であるとして、全面的に認めた判決が出された。それも、何年もの間定期昇給を認めないことは労働条件の不利益変更と同様であるとして、不利益変更と同様の要件を定立し、それを当てはめる判決であるので紹介をする。

二 事案の概要

 三和機材(株)は、一九五五(昭和三〇)年に志村肇前社長が設立し、東京都中央区に本社、千葉市と成田市に工場がある、杭打機のメーカーで、従業員は約一〇〇名である。会社は、一九九九(平成一一)年度から二〇〇三(平成一五)年度まで連続五年間定期昇給(年齢給・能力給)を原則として実施せず、一九九八(平成一〇)年度夏から二〇〇三(平成一五)年度夏まで夏冬の一時金を五年半(一一支払期)連続で全く支払わなかった。その理由は、裏付け資料も全くない「赤字」だからというだけで、まともな説明は全くなかった。その間、原告らをはじめとする従業員らは、定期昇給も賞与もないなか住宅ローンや子ども学資を支払えないなど困窮していた。ところが、志村前社長が二〇〇三(平成一五)年九月一六日に急死したことから、会社は、志村前社長の使い込みの全容を把握し、翌年の二〇〇四(平成一六)年五月一四日になって漸く全従業員に、志村前社長が年商を超える二八億円あまりを使い込んだことを公表した。

三 判決骨子

 就業規則には、「事業の情勢によって昇給を停止することがある」との規定がある。判決は、定期昇給停止による従業員らの経済的不利益が大きいことを考えると、「(1)昇給停止が必要な被告らの必要性の内容・程度、(2)昇給停止の内容、昇給停止により従業員が被る不利益の程度、(3)労働組合との交渉経過等」を考慮して昇給停止の規定の適用を決めるべきと、就業規則の不利益変更と同様の判断を示した。そして、その要件に即して検討をし、定期昇給しなかったことは違法であるとして、地位の確認を認め、差額賃金の支払いを命じた。

 しかし、賞与については、抽象的権利は認めたものの会社の裁量を待って具体化するとして支給しなかったことが違法とまでは言えないとして、原告らの請求を棄却した。

 さらに、不誠実団交を理由として組合支部の損害賠償請求を一部認容した。

四 本判決の評価

 本件は、創立以来のオーナー社長が、自らの株式投資のために、年商を超える二八億円を使い込みをしている一方、五年にもわたり、従業員らの定期昇給は原則としてなく、賞与は一切支給されないという異常な事態に対して、会社の役員らが真摯に対応をしてこなかったことに対して、踏み込んで判決を行ったものである。当初から、千葉労連などを中心に支援共闘会議を立ち上げ、会社の異常性と救済の必要性を広く訴え、署名などを裁判所にも提出をして働きかけてきた。そのような運動の成果としての判決でもある。

 だが、本件固有のものではなく、不況だからと定期昇給をしない会社が横行している中、そのあり方に警告を発する判決でもある。大いに活用していただければと思っている。

 弁護団は、千葉中央法律の中丸素明、代々木総合法律の鷲見賢一郎と私である。



「何か」が変わった。しかし、容易には変わらない。

京都支部  村 山   晃

 京都の新採教員が一年目に分限免職になった事件で、京都地裁・大阪高裁の勝訴判決を、先ごろ最高裁判所も維持し、勝訴が確定、五年ぶりに新学期の教壇に戻ることとなった。本当にうれしい。

 まったく同じ時期、大阪でも同様の事件があり、こちらは、地裁で敗訴したが、高裁で勝訴し、最高裁で確定した。

 東京の七生養護学校での、校長の降任処分の取消判決も最高裁で確定した。

 私は、新採の分限免職の事件を、一〇数年前にも扱ったが、その時は、大変厳しい判断を受けたことを思い起こしている。行政を相手とする事件の、しかも人事の案件については、長年司法は極めて厳しい対応をしてきた。

 戦後の教育公務員の、それも人事をめぐる事件で、このような勝訴判決は極めてまれなことである。それが連続したことは、何かが変わったことを示している。先の堀越事件の無罪判決をはじめ、そうした変化は随所に見ることができる。元最高裁判事の滝井さんは、「最高裁は変わったか」という本で、最高裁自身の変化の状況を描いている。

 司法は、良くなってきたとは短絡的に言い難いが、何かが変わってきていることは間違いがない。何が変化し、何が変わろうとしないのか、それを読み解くことが求められていると思う。

 先の京都の免職事件の高裁判決では、「整合的・統一的な評価基準の存在が前提」とする新しい判断を打ち出した。明らかにILOユネスコのセアトー勧告を意識した判断だ。この間の全教の国際活動の成果が生かされた。司法は、そうしたところに目を向け始めている。そして行政無謬主義を排し、行政へのチェック機能を果たそうともしている。

 しかし、やはり大きな壁は、司法官僚制にあるように思う。行政官僚に対する市民と政治の風はあたりつつあるが、司法官僚制には、なかなか風があたらない。司法反動の嵐が吹き荒れて四〇年が経つ。その中で、「独立を守る」として、官僚制は完成の度合いを高めていった。司法改革も、そこを崩すことは出来なかった。しかし、今、自身の官僚制を守るためにも「市民の風」を意識せざるをえない状況にあることも間違いがない。司法官僚制を問う新藤教授の「司法官僚・裁判所の権力者たち」という新刊新書が結構売れているという。官僚制を改めて問い返すチャンスなのだと思う。

 司法に対する市民の風は、まだまだ弱い。それを強くすることなくして、真の司法の民主化は前進しない。それは市民と共にある弁護士全体に課せられた重大な責務でもある。弁護士の数は増えている。それを力に変えることが求められている。団には、明確な方針を持って、この闘いに挑むことが求められている。



在野法曹の雄 日弁連と「叙勲」

滋賀支部  吉 原   稔

 先日、弁護士会長が、「今年七〇歳になるので推薦基準を満たしているので(私には二一年の県議歴がある)、叙勲の推薦をしましょうか」と言った。日弁連会長の二二年秋の叙勲候補の推薦依頼によると、推薦基準は、

(1)二二年一一月三日に満七〇歳に達していること、

(2)日弁連会長、副会長、理事もしくは事務総長の役職につき弁護士 制度の発展に多大な業績があったもの、司法研修所の弁護教官の 職を三年以上勤めたもの、

(3)法曹在職三〇年以上、の他に

(4)地方自治体の行政委員等、公的機関での経歴のある者を優先的に ご推薦ください、辞退することがわかっている人は推薦しないで 下さい、とある。

 「推薦を受けたらどうか、どうせ叙勲されないだろうから」という人もいたが、推薦を受けて万一叙勲が発表されれば「祝賀」に倍する有形無形の顕在的、潜在的非難があがるに違いない。又、推薦されても過去に天皇の私的祭祀への行政の関与の違憲性を追及した献穀祭違憲訴訟と、競輪・競艇の高松宮杯謝礼、憲法皇室経済法違反事件で天皇に楯ついた弁護士が叙勲されるとも思えない。同期の弁護士が叙勲された話を聞くと、女房に「高い着物代」がいったとか、祝賀の返礼に金がいったとか出費が大変だと聞いていたから、推薦を断った。

 本稿の目的はここからである。あらゆる権力から独立した自由な在野法曹たることを誇りにする弁護士の叙勲の推薦基準に、行政への貢献を優先的な基準にすることにカチンときた。推薦基準に行政への貢献を優先的にすることは、在野法曹と相いれない。最近、高山氏への支援文書に、日弁連は「在野法曹」精神を失っているという批判に接し、在野法曹という言葉そのものに久しぶりに接した感がある。

 私は、「ノンワーキングリッチ」である行政委員の月額報酬が違法として争っているが(大阪高裁で四月二七日二時三〇分に判決がある)、弁護士が行政委員になりたがるのは、高額月額報酬以外にも、行政委員になることが、「叙勲のエサ」になっていると気付いた。在野法曹を標榜する日弁連が、行政委員の経歴を叙勲の優先的基準にするのは在野法曹精神に反している。在野法曹の雄である我が団員の中にも日弁連副会長、事務総長などの要職を経験した人が多いが、もし叙勲を受ければ受賞に倍する「毀誉褒貶」にさらされることは覚悟しなければならない。



コラム・“DIGNITY”〜アフガンから沖縄へ

東京支部  神 田   高

一 アフガンから〜

 二〇〇一年の米国“九・一一同時多発テロ”への「報復戦争」が翌一〇月から始まった。当時、団は、有事立法制定を阻止する全国的取組みをしていたが、米国を襲ったテロへの怒りはすさまじく、テロへの反撃を正当化する動きも強まった時期であった。

 翌二〇〇二年一月に団は“アフガン空爆調査団”を派遣した。当時はタリバン政権が崩壊し暫定行政府の設置が合意されたが、米英軍の攻撃はなお続いていた。国際法学者の松井芳郎教授が『テロ、戦争、自衛〜米国等のアフガニスタン攻撃を考える』を出版した動機は「この事件とそれをめぐる国際社会の対応が、武力行使禁止原則と人民の自決権とを基軸とする現代国際法全体に対して与えるかも知れない、巨大な負の影響」への憂慮であった。

 団調査団派遣の目的も、“理不尽なテロ”に対する人々の怒りを背景にした武力行使容認、戦争国家づくりへの誘導に抗する対抗軸を見いだすことにあった。しかし、“真実は現地にあり”だった。

 七名の団員と二人の通訳(英語と現地パシュトゥーン語)の調査団は、アフガンの首都カーブルに通じるパキスタン北部ペシャワールと南部のクエッタ(アフガンのカンダハールからの難民流出地)で調査活動をおこなった。当時は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)がパキスタン側だけでも数万人規模収容の臨時難民キャンプを設けていた。

 ペシャワールからむかったキャンプでは、難民の長老らから米軍の空爆の実態を聞いた。米国がビンラディン捜索の掃討作戦をしているトラボラでは、村に“デイジーカッター”(地表の構造物を薙ぎ払うように吹き飛ばす巨大爆弾)やクラスター爆弾等が投下され、多くの村が破壊されたという。 

 クエッタからの国境の町・チャマン近くのキャンプで、アフガン北部から数百キロに及ぶ逃避行を経てきた女性に会う。顔に疲労と悲しみが深く刻まれ、地べたにへたり込んでいた彼女に「今あなたは一番何を望みますか。」と問うた。その答えは衝撃的だった。彼女は“DIGNITYを!”と答えた。「家に帰りたい。平和が欲しい。尊厳を取り戻したい。私たちはこれまで平和に暮らしてきたのですから。」であった(詳しくは『アフガン問題調査報告集』)。

二 〜沖縄へ

 四月二五日、いくつもの悲しみを乗りこえ、かつてない一〇万人規模の“米軍基地ノー”の県民大集会が中部読谷村で開かれる。八万五〇〇〇人が集まった九五年の一〇・二一県民大会では、一二歳の少女に対する米兵の暴行事件に対する県民の怒りが爆発し、当時の大田県知事は、期限切れをむかえる米軍基地強制使用の更新に必要な代理署名を拒否し、米軍支配の象徴の一つである“象のオリ”は無法施設となった。しかし、少女の“人間としての尊厳(DIGNITY)”の回復は未だなされていない。

 二〇〇四年八月一三日、普天間基地所属の大型ヘリが沖縄国際大学構内に墜落した(普天間の海兵隊ヘリはアフガン、イラクの作戦へと出動していた)。しかし、いち早く現場に非常線を張り、日本の警察をも排除したのは米軍MPであった。主権を有するはずの日本の行政も警察も手も足も出せない。首相小泉は歌舞伎観劇に逃げた。

 “沖縄〜アジア最後の植民地”(C・ジョンソン『アメリカ帝国への報復』)は、厳然として今も続いている。少女暴行事件の際、アメリカ太平洋軍司令官は、「アメリカの基地政策がもたらした結果ではなく、特異な『悲劇』であり、東アジアの平和を守るために米軍が『必要』だ」と繰り返した。「日本政府は、最も遠方の県である沖縄を日米安保条約の『ゴミ捨て場』にさせてきた」のが実態である。

 沖縄本島北端の辺戸岬に立つ“祖国復帰闘争碑”は、繰り返す悲しみに抗して言う。

 “全国のそして世界の友人に贈る。

 吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。うち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の叫びだ。・・

 一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし、県民の平和の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。

 しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるものでもない。

 闘いをふり返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に存在し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。”

☆☆☆ “沖縄に行こう!”そして、“歌おう!”

PS

(1)普天間基地の即時使用停止と無条件撤退に向けた準備を開始すること。

 (3)危険な基地を県外及び県内に移設することではなく、即時無条件返還を求める。

 (4)日米特別行動委員会(SACO)の合意を見直し、日本、特に沖縄住民の主権を回復すること。」 

日本聖公会 首座主教(二〇〇四・八・二八)



神奈川支部、沖縄へ行く!

神奈川支部  渡 辺 登 代 美

一 そうだ、沖縄へ行くぞ!

 一月常幹で二〇数年ぶりに沖縄へ行った岡村支部長がはまった。「若い人たちに是非闘いの現場を見せて、沖縄と連帯しよう!」という全くの思いつきで沖縄連帯平和ツアーが企画された(と言うか、私が「やってよ。」と言われただけのような気もする)。六二期の旅費・宿泊費は全額、六一期と六〇期は半額を支部で負担するという画期的な企画である。

 四月一〇日(土)から一二日(月)までの二泊三日、神奈川労連の三名を含む総勢二七名が沖縄に行った。六二期三名、六〇期二名に加え、若手事務局二名の参加も得た。

二 一日目

 糸数アブチラガマ。沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕だったが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となった。全長二七〇メートルのガマ内は六〇〇〇人以上の負傷兵で埋め尽くされた。

平和祈念資料館、平和の礎、韓国人慰霊塔、魂魄の塔。

 夜は沖縄支部との交流会。沖縄支部から、普天間基地訴訟、韓国民弁との交流、名護市長選、宜野湾市の訴訟について報告があり、神奈川支部から米兵犯罪(横須賀強盗殺人事件の原告、山崎さん自身による報告)、上瀬谷基地返還訴訟について報告した。討議の時間がほとんど取れなかったのは残念であったが、それはその後の懇親会に持ち込まれた。

三 二日目

 嘉数高台から普天間基地を見渡した後、米軍ヘリ墜落現場である沖縄国際大学へ。井端正幸法学部教授の案内により、大学の屋上から普天間基地を見せてもらった。

 うるま市宮城島にぬちまーす(塩)の工場がある。屋上から普天間基地の移設先候補地である勝連沖が見渡せる。反対運動をしている伊芸さんと社長自らが説明をしてくれた。「せっかくきれいな海水を求めてこの地にぬちまーすの工場を作ったのに、米軍基地など作られてたまるか。」という社長と、伊芸さんがたまたま友人だったために実現できた。平和運動をしている団体等の様々なツアーでも、ここから勝連沖を見渡すコースは初めてだとのことだった。

 辺野古。船は出せなかったものの、海岸に張られた有刺鉄条網を生々しく見た。名護市長選挙の際送った神奈川労連の檄が結びつけられているのを発見し、神奈川労連の面々の面目躍如というところ。

宿泊は名護。名護市平和委員会会長の大西照雄さんが駆けつけてくれた。

四 三日目

 名護市長を表敬訪問する企画を立てていたのであるが、調整がうまくいかずに断念。名護市庁舎のシーサーを見るだけで我慢した。

読谷村。役場、県民大会会場、米兵によるひき逃げ事故現場、ゾウの檻跡。

 道の駅屋上から嘉手納基地を視察。わざわざ月曜日を選んだのだが、戦闘機は飛んでいなかった。手前の安保の丘で見学している団体が見えた。道の駅ができる前は、やはり何度か安保の丘に行ったものだ。

 最後は那覇へ戻り、観光客お決まりの公設市場へ行って肉魚を買い、二階で堪能した。

五 むすび

 ガイドとして三日間、ゆい法律事務所の事務員で、平和ガイドをしている外間さんにお世話になった。五月集会で、また神奈川支部と沖縄支部との懇親を深めることを約して別れた。

 このツアーについては、感想文と反省文を盛り込んで裏話も含めた報告集を作成し、五月集会に配布する予定なので請うご期待。

 なお神奈川支部では、六月四日に沖縄連帯集会を行なうことも企画している。



「比例削減・国会改革 だれのため なんのため」の活用と普及を!

東京支部  田 中   隆

 ブックレット「比例削減・国会改革 だれのため なんのため」(自由法曹団編・学習の友社刊)が、出版のはこびとなりました。

 与党三党は、連休明けに国会改革関連法案を衆議院に提出する方針を確認しており、そうなれば国会論戦が開始されることになります。政権交代への失望が広がり、政治が混迷するもとで、民主党が強権政治への志向を強める危険はますます強まるでしょう。

 国会改革と衆院比例削減の危険性を広め、反対の運動を盛り上げるために、ブックレットの活用と普及を進めましょう。支部・事務所でまとめて買い取っていただき、団員・事務局員の皆さんが読んでいただくとともに、労働組合・民主団体、依頼者の方々などに広げていただくようお願いします。

《ブックレットの内容》

第一部 比例定数削減・国会改革の正体

 I なにをもたらす衆院比例定数削減

 II 「国会改革」が生み出す強権政治

 III 衆院比例定数削減と国会改革 ― その本質とねらい

 IV たたかいの課題と展望 ― 勝利をめざして

第二部 Q&A 比例定数削減・国会改革

 小選挙区制だから政権交代ができたのでは? 二大政党の政権交代で政治はよくなるのでは? 少数政党の議席がさらに減っても影響はないのでは? 国会議員が多すぎて『税金のムダづかい』では? 『マニュフェスト選挙』は優れた方法では? 英国や米国は小選挙区制では? 官僚が答弁できなくなるとなにが問題? 内閣法制局長官の国会での答弁はどうして重要? 陳情・請願が与党の一元管理におかれると? 憲法が求める選挙制度と国会は?・・

 こんな素朴な疑問のQ&A。

《婦団連会長堀江ゆりさんからいただいた推薦文》

 女性参政権要求に始まった国際女性デー創設から百年。主権者の最重要手段である一票の平等性が危うい? 請願・陳情の扱いや国会答弁の仕組みが変わる? 怪しい動きのねらいと運動の方向を示すタイムリーな企画です。

 ……「オビ」に使わせていただいています。

《自由法曹団扱いの割引価格》

 自由法曹団の支部・法律事務所や、「自由法曹団からの紹介」で発注した労働組合・民主団体などには、以下の割引があります。

  一〇〜九九冊 定価の八割  送料は学習の友社負担

  一〇〇冊以上 定価の七割  送料は学習の友社負担

  (同一発送先に同時にまとめて発送する場合に限ります)

 注文は、チラシに刷り込んだ注文書などによって、学習の友社までFaxで。

 学習の友社  Tel 〇三‐五八四二‐五六四一
          Fax 〇三‐五八四二‐五六四五
             (二〇一〇年 四月一〇日)



四月一三日「実現しよう!派遣法抜本改正」院内集会&議員要請の報告

事務局次長  坂 本 雅 弥

 四月一三日、政府の労働者派遣法改正案について慎重に審議して、抜本改正を求める院内集会と議員要請を行いました。当日は、急な呼びかけにもかかわらず、団員一三名、事務局二名、事件当事者及び組合等の団体から一一名(うち、派遣労働事件の当事者は九名)、取材記者三名の合計二九名が参加しました。

 この段階において、与党三党は、政府の改正案の問題点が明らかになる前に、四月中に衆議院の審議を終え、五月には参議院で成立を強行するかまえであると伝えられていました。そのため、この日の院内集会と議員要請は大変重要な行動でした。

 院内集会では、鷲見賢一郎幹事長、全労連の井上久事務局次長から、政府提出の労働者派遣法改正案を巡る国会情勢等の報告がありました。そして、派遣労働事件の当事者九名から、政府の派遣法改正案では、自分は救われないことを強く訴えていただきました。当事者の話は重い。参加した当事者はこの当事者の思いを聞きながら、何としてでも政府案に対して慎重審議を求めることを訴えなければならないと気持ちを引き締めました。

 院内集会終了後、衆議院参議院の厚生労働委員及び三役の合計八九名の議員に対する議員要請を行いました。九つの要請グループのそれぞれに事件当事者に入っていただきました。要請にあたっては、政府案の問題点を訴えると共に、当事者から派遣労働者の立場から考えても「救われない法案だ」ということを訴えました。議員への配布資料の中にも当事者自身による「政府案では救われない」というメッセージを同封するなど、今回は当事者の声を前面に押し出す要請としました。

 要請をしてみると、「すでに内閣として提出した改正案ですし…」という反応もありました。ただ、当事者が、当事者から自分の事件を話しつつ、今の政府案は改められるべきと訴えはじめると、対応した秘書の多くは耳を傾けて当事者の話を聞いていました。この声が、議員の耳にも届けば…と思います。

 議員要請の後、共産党の小池晃議員が駆けつけ、国会の情勢の報告と当事者及び団員に対するエールをおくっていただきました。

 派遣法を巡る団の活動はまだまだ続きます。四月二六日は、院内集会、議員要請活動、新宿駅西口での街頭宣伝&アンケート活動を行います。二六日の議員要請は衆議院議員全員に対して要請しますので、五〇人ほどの団員のご参加が必要ですので多くご参加をお願いいたします。また、五月一一日には国会周辺での法律家デモ、院内集会、議員要請を予定しておりますので、こちらの活動にもご参加下さい。



労働者派遣法の抜本改正を求める五・一一法律家デモへ参加しましょう!

労 働 問 題 委 員 会
大量解雇阻止対策本部

 鳩山内閣は、いったん三月二九日に労働者派遣法改正案を参議院に提出しましたが、「重要法案は衆議院先議」の批判に抗しきれず、四月六日に衆議院に提出しなおしました。政府は、四月一六日に衆議院で審議入りし、政府案の問題点が明らかになる前に、早期に国会での成立を強行しようとしています。

 政府案は、「『グループ派遣の大幅容認』と『労働契約申込み義務の撤廃』の二つの改悪」、「製造業派遣・登録型派遣の原則禁止はいつわり、実際は八割容認」、「実効性のない『直接雇用みなし制度』と『均衡考慮原則』」等の重大な問題点があり、とうてい改正案の名に値しません。

 自由法曹団は、「四月二六日(月)午後一時〜四時、衆議院第二議員会館第一会議室での院内集会と国会議員要請活動、午後五〜七時のJR新宿駅西口での駅頭宣伝とアンケート活動」に続いて、五月一一日(火)正午〜午後一時に法律家デモを計画しています。

 いま、労働者派遣法を派遣労働者保護法へ抜本改正できるかどうかの正念場です。全国から五・一一法律家デモに参加しましょう!参加にあたっては、支部・法律事務所の旗、プラカード、デコレーション、風船等をご持参下さい。

○日 時:二〇一〇年五月一一日(火)正午〜午後一時

○場 所:日比谷公園霞門〜国会

(引き続いて、五月一一日(火)午後二〜五時、衆議院第一議員会館第四会議室で院内集会と国会議員要請活動をおこないます。)