過去のページ―自由法曹団通信:1349号        

<<目次へ 団通信1349号(7月1日)


脇山  拓 *五月集会特集*
斉藤光政さんの記念講演と半日旅行
渡邊 静子 柔らかな拍手 青森五月集会に参加して
田所 良平 労働分科会で報告された労働者派遣法の抜本改正の実現と非正規切り裁判で勝利を目指す全国の取り組み
牧  亮太 刑事裁判分科会に参加しての感想
坂井 興一 【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(5)】
「安保を語る視界」
坂本 雅弥 六月一五日労働者派遣法の抜本改正を求める院内集会&議員要請の報告
金子 直樹 全農栃木県本部とのたたかい 〜子会社への転籍拒否による解雇無効仮処分
中丸 素明 「ちば派遣村」運動の現状と課題
永尾 廣久 団通信は読まれているか?
後藤 富士子 国家が家庭を破壊する契機―親権と裁判所
井上 幸夫 「司法修習生の給費制廃止」は人に「ただ働き」を強いるもの
黒澤 いつき ビギナーズ・ネットが立ち上がりました!
〜給費制維持に向けた若手の取り組み〜
笹田 参三 貧困問題委員会立ち上がる



*五月集会特集*

斉藤光政さんの記念講演と半日旅行

山形支部  脇 山   拓

 三沢に行くのは、以前三沢で開催された団総会の時以来二回目であった。しかし、前回は総会終了後、同期の団員で奥入瀬方面への旅行に行ったので、三沢の街には立ち入らず、三沢のことは全く記憶に残っていない。

 同じ東北地方に住んでいるとは言っても、三沢は私の住む鶴岡からはあまりに遠く(高速道が延び、新幹線も八戸まで北上した現在でも片道四時間以上である)、かと言って(基地を除けば)何がある訳でもないから、その後三沢を訪れることはないままであった。

 それだけに、今回全体会での斉藤さんの記念講演には衝撃を受けた。三沢基地が米軍の航空戦略において極めて重要な拠点であること、それだけに何かあれば敵からの攻撃を受けることは必至であること、だからそのためにミサイル防衛の備えもされていることなど、三沢基地について自分があまりに知らないことばかりであることに愕然としてしまった。

 そして、そんな状態であるにも関わらず、三沢は基地の街としてでなれば存続できないのであり、基地に反対する人のいない街なんだという指摘にも驚かされた。

 我々に熱く講演し、米軍から出入り禁止を言い渡されるまでにこの問題をここまで掘り下げて取材し続けている地方紙の記者がいるということ自体も、新鮮な驚きであった。

 そして、全体会での斉藤さんの講演の内容を現場で体感したのが集会終了後の半日旅行だった。旅行と言いながら、ほとんど娯楽の要素はなく、三沢市内をひたすらぐるぐる回っては基地関係の施設を見るというものであったが、要所で斉藤さんからの解説が加わり、理解が深まった。特に三沢基地では、たまたま自衛隊が演習をしている日にあたり、離陸しては上空で模擬戦をする戦闘機の爆音を体験できたことは貴重であった。

 このような重要な戦略拠点が東北にあるということを忘れずに、今後も注目していかねばならないと感じた集会であった。



柔らかな拍手 青森五月集会に参加して

滋賀第一法律事務所  渡 邊 静 子

 「米軍基地内大学で学ぼう」と(財)青森県国際交流協会がHPで謳っていたのを五月集会参加直前に知って、基地のある三沢はどのような街かと思っていました。基地と教育あるいは、国際協力と結びつきにくい関係がそこにあるというのは理解しがたいことでした。そんな疑問を解明してくれたのが、東奥日報社編集委員の齊藤光政氏の記念講演でした。

 先ず三沢市は人口四万人のところに米軍関係者が一万人もいる街でした。こんな比率の街が日本にあるという現実を初めて知りました。

 次に青森県は陸・海・空自衛隊の全てがあり、米軍基地がある県でした。

 ミサイルやレーダーの全て最新のものを配備して米軍の戦略構想を一番に実現しているところでした。普天間基地問題が大々的にマスコミで取り上げている中、日本の北の首根っこの米軍の危険性を米軍基地から出入り禁止がされても訴え続けてきた記者から語られる内容は、取材の持つ力、真実を伝える迫力が滲み出ていました。記者魂ここにありと受け止めたのは会場にいる誰しもが感じたことではなかったでしょうか。各自の持ち場で仕事をとおして仕事を極めていく、人となっていくことを教えて頂きました。

 分科会(改憲・安保)二日目、三多摩法律事務所の事務局がNPTに参加し、世界の時代の動きを体感した報告をされました。まとめに「経営体であり運動体である自由法曹団事務所の頑張る弁護士とともに働くことの誇りと喜びを」率直にかつ場内に事務所の弁護士がいると前置きしながら、照れながら語った時、今まで五月集会で賛同、共感、応援等多くの場面で拍手をしてきましたが、これは仕事のパートナーに対して値切ることなく、やさしく自然に称賛した瞬間でした。私も拍手しながら、同時に拍手をしている弁護士の姿に感極まりました。

 誰もが仕事や活動の忙しさや苦労を自分の身に置き換えながら理解し想像したのでしょう。日頃、雑多な仕事に紛れていると何に向かって仕事をしているのか見失いがちになります。特にいちばん身近にいる職場のパートナーへの互いの思いやりや姿勢がいかに忘れがちになっていたかを教えられたように思いました。

 この五月集会事務局交流会で松井弁護士が「自由法曹団の役割と事務局労働者との協働」と題した講演の中で強調された大衆団体・運動との結合、「経営体」と「運動体」である団事務所は、弁護士と事務局との協同で実践していくことであり、まさに生きた事例でもありました。

 私にとって、場内いっぱいの柔らかな拍手は、全国に弁護士に負けないぐらい頑張っている事務局がいる発見であり、五月集会最高のプレゼントになりました。

 同時に関西と青森の気温差を肌に感じながら、宿舎の窓ガラスにできた結露を見て、普天間基地問題も沖縄と私たちの運動に温度差がなく結露なき運動を目指していかなければ解決はあり得ないのだろうと。そのためにも、滋賀支部主催の八月集会の成功にむけて頑張ろうと思いました。


労働分科会で報告された労働者派遣法の抜本改正の実現と非正規切り裁判で勝利を目指す全国の取り組み

東京支部  田 所 良 平

 昨年の総会から五月集会までは、非正規切り裁判や派遣法抜本改正に取り組む団員にとって、厳しい状況の中で試行錯誤をしながらたたかいの前進を模索した半年間だったのではないか。元凶は、いわずもがなの松下PDP最高裁判決である。また、派遣法抜本改正を目指す取り組みでは、抜け穴だらけの政府案が抜本改正を求める派遣労働者の期待を裏切った。

 しかし、五月集会労働分科会で報告された全国の団員のねばり強い取り組みはとても頼もしく、あきらめずにたたかい続ければ、この閉塞状況を打開することができると信じる力を与えてくれた。

 非正規切り裁判のたたかいでは、松下PDP最高裁判決を受け、被告企業らは同判決をふまえた訴状の書き直しを要求するなど勢いづいている。さらには、裁判官も萎縮してしまい、どう考えても直接雇用が認められるべき京都のNTT多重偽装請負事案においてさえ敗訴の判決が下された。

 しかし、直接雇用への道が完全に閉ざされているわけではなく、全国各地で団員が突破口を開くためのねばり強いたたかいを繰り広げてきたのである。埼玉のジェコー事件では、労働局の是正指導書の文書提出命令申立において、松下PDP最高裁判決が黙示の雇用契約が成立する余地を残していると明言し文書提出を命ずる決定を勝ち取った。神奈川では、大学教授を招いた学習会や各事件弁護団の交流を行い理論武装を強化している。京都のジャトコ事件弁護団では、徹底した議論を積み重ね、派遣法の趣旨に遡った派遣法制定前の雇用責任論等の分析まで行っている。三菱ふそう事件では、労働契約における賃金の支払いについて、意欲的な解釈論を展開している。全ての取り組みを紹介することはできないが、このような取り組みをあきらめずに続ける先に、勝利をつかむことができるものと信じている。

 裁判闘争を勝つには、運動面での盛り上がりが欠かせない。そして、裁判闘争と派遣法抜本改正を求める運動は車の両輪である。政府案でも成立させるべきではないかという声もあるようだが、労働分科会ではあくまで抜本改正を求めるべきだという点で一致した。団本部での院内集会等の取り組みはもちろん、全国各地でも抜本改正を求める運動が旺盛に繰り広げられている。京都では幅広い民主団体と繁華街での週一回の街頭宣伝を半年以上続けている。神奈川では支部独自の黒書を作って配布している。大阪では一月に抜本改正を求める集会を成功させた。埼玉では地元議員への要請や、二週間に一回程度駅頭宣伝を大人数で実施している事務所もある。新六二期の新人団員も街頭宣伝でハンドマイクを握り、法律家デモでは独自の段幕でデモ隊の先頭にたった。紹介しきれないが、このような団員の取り組みがマスコミを味方につけ、国会議員にも政府案の問題点を認識させることになり、政府案の成立を阻んできたことは間違いない。

 五月集会時には、その後の強行採決が危ぶまれていたが、五月集会を契機に院内集会や全国の一層の取り組みがあった(ちなみに私も、地域の弁護士や労働組合に呼びかけて駅頭宣伝を二回行った)。鳩山首相辞任の追い風も吹き、ついに、政府案の今国会での成立は見送られるようである。団員の全国での取り組みがあったからこその結果である。

 裁判闘争での勝利と派遣法抜本改正の実現に向けて着実にたたかいは前進している。次の総会では、さらに一歩も、二歩も前進できるよう、全国の団員とともに、私自身もがんばる決意である。


刑事裁判分科会に参加しての感想

大阪支部  牧   亮  太

一 刑事裁判分科会に参加しました

 私は、大阪支部にて、刑事裁判研究会という団員が経験した刑事裁判での問題点や成果について議論し合う研究会を担当していることもあり、五月集会の分科会も、刑事裁判分科会に参加することとしました。

 刑事裁判分科会は、一日目は今村先生からの裁判員制度実施後一年を経ての現状と制度の改革へ視点について報告があり、その報告後に裁判員裁判を経験した先生方の報告がありました。二日目は、裁判員裁判の中でも責任能力を争った事件や、事実について争いのある事件を経験した先生方の報告がありました。

二 一日目の報告の感想

 初日の報告では、裁判員裁判制度が始まって一年が経過し、実際に制度を運用する中で明らかとなった問題点が様々指摘されました。その中でも私が関心を持ったのは、裁判員裁判の量刑判断の傾向についての議論でした。

 裁判員裁判の量刑判断については、報道からも聞き及んでいましたが、性犯罪や人の命が奪われたような事件で、「社会の敵」とみなさてしまうような被告人に対しては、厳しい判断が下される傾向があるとのことでした。

 例えば、性犯罪についての量刑が、「市民の感覚」と今までの裁判の量刑相場とで乖離があるのであれば、裁判員裁判が開始したことで量刑相場に変化があることは一定仕方がないことかもしれません。ただ、性犯罪や人の命が奪われたような事件の判断の際には、「感覚」というより「感情」が大きく作用するように思い、それは「社会の敵」とみなさてしまった被告人にとっては不利益しかもたらさないように思います。

 今の制度の現状では、「社会の敵」とみなされた被告人をどう弁護するのか、弁護人にとっても非常に重い課題だと思いました。

三 二日目の報告の感想

 二日目の報告では、私が特に関心を持ったのは責任能力が問題となった裁判員裁判を担当された先生の報告でした。

 私も、現在、責任能力を争う事案を担当しており、精神鑑定をどのように行うか裁判官・検察官と議論中であったので、非常に勉強になりました。

 精神鑑定の採用については、裁判員裁判では、公判前の段階で裁判官が判断を迫られることや、公判前に精神鑑定をしておかないと責任能力が争点となった場合に裁判員の疑問に答えることができない(公判がはじまってから精神鑑定をすることは現実的ではない)ことから、広く精神鑑定が認められる傾向があると聞いており、報告を聞いていても実際、そのように感じました。

 ただ、報告にもありましたが、精神鑑定の結果をどのように公判で顕出するのか、裁判員に理解させるのかということは、非常に難しい問題だと思いました。

これから、精神鑑定、公判を迎える私としては、報告していただいた先生方の話を参考に頑張りたいと思います。

四 最後に

 私は、まだ弁護士経験が一年半ほどしかありません。それゆえ、新しい制度を体験し、勉強することは苦には感じないのですが、逆に、従前の制度と比較しての問題点や、新しい制度の運用が被告人の権利擁護にとって不利になっているといったことを見落とす可能性もあります。

 こうした刑事裁判分科会のような場所で、様々な先生方の経験やそれに基づく意見を聞くことはとても貴重です。この貴重な体験を生かして、今後も、刑事裁判の制度改善に向けて微力ながら尽力したいと思います。


【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(5)】

「安保を語る視界」

東京支部  坂 井 興 一

 小生は今、昭和二〇年「三月一〇日 東京大空襲」被害救済についての、日本政府の「不作為・放置の責任追及」の東京高裁二三民事件に係わっている。小生のテリトリーとする城南地区でも昭和二〇年四月と五月に相当の被害を出したが、羽田は勿論、多摩川一帯も大きな軍需工場があったりして、その巻き添えっぽいところがあり、ウーンと思っていたが、三月一〇日なら、これはもう、陸軍記念日を狙い、戦意喪失を企図した無差別空爆だ。堺屋太一のモンゴル・米の両世界帝国比較論によると、七〇〇年も経って突如復活したジェノサイドで、文句なく悪い酷い話だ。同じことは信長もやったが、武器のレベルが異次元であり、被害も半端じゃない。いつの年だったか、両国あたりをブラブラしてて、変わった寺院みたいなのがあって、何となく入ってみて、何か、こう、ひどく殺風景で、何でだろうと思いながら手を合わせたことがあった。そこは墨田区横網町の東京都慰霊堂で、関東大震災犠牲者とともに、三月一〇日のあまたの身許不明の方々のご遺骨を納めた処であった。引き取り手なく、無念を晴らす術なく、成仏できないその魂魄が漂っているのか。そんなことがあって気になっていたが、墨東はテリトリーが違うしと思い、眺める立場でいたのだが、それが〇九年暮れ一二月一四の東京地裁敗訴判決である。弁護団の方にお話を聞くと、幾らか「戦争被害受忍論」から離れたかとは思われるが、ハーグ不戦条約に照らしてみても実行者アメリカへの請求権は成り立たない、それ故、サ平和条約での放棄とその肩代わり責任を論ずるまでもない、軍人軍属の多額の恩給とのアンバランスと言われても、それとこれとは別、戦争被害の余りの量と多様性に司法が対応するのは無理、、と云った感じのことであった。が、そんなんでいいのか?と、強い疑問と怒りがムラムラ沸いてきて、控訴審から弁護団に加わり、ついつい、個別にも控訴理由書を出してしまうことになったが、その高裁審理が七月二三日から始まる。違法空爆は明らかに犯罪なのであり、仮にも「ワシントン法廷」なるものが開かれていたなら、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下と並んで、確実に裁かれていた筈のことである。それ故、実定法化していようがいまいが、犯罪被害は米が、そしてそれを肩代わりした日本政府がケジメを付けるべきで、違法被害の不作為放置はダメ、ダメなものはダメなのである。その当然のことを言わせたいのだが、今はまだ何としても一回結審はさせないとのしんどい状態にある。その問題構造は、やっと国会通過したシベリア特措法の場合と同じであるが、生存被害者中心で限定的であることや、対旧ソ連と対米と云った、本来、司法が気にしてはならない違いがどう作用するか、気になるところである。

安保と抑止力・その(1)アメリカの脅威

 ところで、このことである。小生の気にする論点は二つ。

 (1)史上最強(凶)暴のアメリカに敵でないと思って貰えることの安 全性の価値如何?

 (2)当然の世界大国であることを思い出してしまった中国に対する抑 止力の有用性如何?である。

 (1)の教訓こそ、あの惨憺たる大戦で日本の指導層が骨身に滲みて学んだものであったろう。日本が戦後補償問題でいつまでもグズグズしているのは、勝ち負けもハッキリしない大陸での戦争故であろうと思っている。時代の証言を読むと、かっての教師役・文明先進国である中国相手の侵略戦争では、相手も理由も悪いと云うことで鬱陶しかったが、黄色人種蔑視の米相手の乾坤一擲の緒戦戦果に実にスッキリしたと云ったものがあった。東京裁判の評価も、当然と言うものから茶番と言うものまで様々だが、ハッキリ悪いと言えることは大陸・東南アなどでの侵略戦であって、幾分挑発され気味でもあった真珠湾奇襲攻撃などのアメリカ相手のものではない。にも係わらず、大方の日本人が裁判結果を受容しているのは、決定的に悪いことである「見通しのない、大負け戦争」で国民に多大の犠牲を負わせながら、指導者諸君が「一億総懺悔」で責任逃れしたままだからと小生は思っている。エバルだけエバッて、真っ先に逃げて、隠退蔵物資を横流しにして、何が畏れ多くもだ!そんな責任者諸君とは「ハラキリ問答」するしかないと云う、わが感情・気分も含めて、余りにも完膚無きまでやっつけられてのシミジミ・ツクヅク後悔が、「恐ろしいアメリカと戦ってはならない…。」と云ったことであろうか。TVを観てたら、岡本行夫氏とか云う元キャリは、「出て行けと言ったらアメリカは純真だから出ていきますよ。そのかわり何があっても知りません。相手側扱いとなったら遠慮しないと思いますよ!」とすごんでいた。戦後六五年経ったとは云え、銃器が日常風景である国、そしてかなりに原理主義の国アメリカのひとたび標的にされたら、その怖さはソ連・北朝鮮・旧ユーゴ・イスラエルと云った列伝国の比ではないだろう。それが、かの大戦惨敗の最大教訓である。大国はおしなべてエゴの国であるからして、味方か、でなければ敵かで、ことに目下の日本が中立国となったら殆ど敵国扱いになろうか。となれば、その仮の仮想敵は再びアメリカになってしまう、その時の自主防衛はどうなるのか、どうすればいいのか。そのあたりまで答えを、と思ってしまうのである。

安保と抑止力・その(2)中国の脅威

 これは単純な、東アジアでの話である。北朝鮮の場合は、そんな力がある筈が、体制防衛の内向きのこと、ためにする議論とかになってゴチャゴチャしてしまう。然し大国中国の場合は、その政治的危険性と、法制・軍編成上のどちらに於いても、まさか、など軽々に言えない実在上のものとなっており、それ故に大抵は遠慮してあからさまな指摘や議論も控えられている。だから、希望的観測として、大人なんだからとか、中華民族の現実主義傾向とか、経済相互依存の大きさ(争って得るものはないから。)とかの話になっていく。通信一三四七(六・一一)号の毛利団員「はるかに現実的なのはどっちか…」の問題意識はそのあたりと思われ、その論旨に小生も勿論、賛成である。が、然し、こっちの論理展開も荒唐無稽とは思えない。つまり、中国の繁栄→経・政、そして当然顔風の軍事大国化と、→然し一党支配の行き詰まり→打開の苦悶と台湾への圧力強化→そして果たして、その時、日米はどうするのか、黙ってみているのかそれとも…。この展開を、理性と国際世論だけで押さえられるのか、である。一五年戦争史を読んでいて思うのは、成長途上にあった国民党軍、東北張作霖・学良軍や共産軍の弱さである。八路軍は強かったと言っても、逃げ回って生き延びたことを「長征」と言い換えている次元のことではない。そんな程度であるから関東軍やシナ派遣軍は我が物顔にいいように振る舞えた。彼らが中国軍の抵抗力の強さを思い知ったのは、末期の大陸打通作戦の頃になってのことであろう。勿論、中後進国では最大最強の陸軍に勝てる国内組織はないのがフツーだから、国内で抑止力となる抵抗勢力はない。そして唯一抑止力の壁を思い知らされたノモンハンの教訓に学んで南進に転じ、初めてガツンとやられたのが「ハルノート」による最後通牒に追い詰められての「起死回生の真珠湾」から昭和一七年四月の初空爆を経てのミドウエイの惨敗海戦。皮肉で悲劇的なそんな展開のことを思う度、程良い抑止力の存在は、人の場合は勿論、国の場合でも、軽はずみな行動や、煮詰まっての自棄的行動の抑止力になる、と云うあたりの感慨であった。

ご教示願いたいこと

 昭和一九年生まれの小生の七〇年安保への頃は東京地裁修習中で、大量に押送されてくる学生諸君を見ていたのですが、リアルタイムの戦後記憶は、朝鮮戦争停戦・スターリン暴落、予備隊・保安隊の創設、同姓の婦人が慰み殺されたジラード事件、高一の時の六〇年安保デモや浅沼稲次郎暗殺ニュースといったあたりです。日教組全盛の頃故、自衛隊・安保違憲は当たり前、アメリカが日本を守るなんて、信じる方がおかしいと云った気分で、それは今でも変わっていません。ではありますが、出撃するばかりの新撰組でも、彼らから絞られることはあっても、屯所の壬生や京あたりはフツーの時ならば襲われないだろうし、というのは一応の抗弁になるかと。政治生理・心理学的なその正しさを疑いにくい「最強の敵には潜り込め」論や民主党政権を含めての抑止力論に、しかと向き合っての議論展開も必要かなと思っています。安保のこれからを考えると、立証可能な過去の欺瞞的実態の追及弾劾だけでは、さながらパンドラの箱を開けた如くの、「力の空白、自分の国は自分で守るしかない、イザとなると、アメリカにヘソ曲げられたら、自主防衛論者の台頭と高コスト論、、」等と言った予測可能になっている近未来の状況展開に立ち向かえないのではないか。そんなことを危惧しています。その程度に、私はアメリカの十字軍的一本気と中華大国意識とを危惧していますし、そう思う心配性の人に、「もういい加減、パワーゲーム思考から離脱するしかない時代ですよ!」と言い切れる迄の自信は持ち合わせてはいないのですが、諸賢は如何に。


六月一五日労働者派遣法の抜本改正を求める院内集会&議員要請の報告

事務局次長  坂 本 雅 弥(大量解雇阻止対策本部)

 六月一五日、衆議院第一議員会館にて、労働者派遣法の抜本改正を求める院内集会を開催しました。六月二日に突然に鳩山首相が退陣を表明し、八日に菅内閣が発足した直後の院内集会でした。

 当日は三五名の参加でした。団員の参加は八名。そして、何と八名もの取材記者の参加があり、派遣法に対するマスコミの注目が集まっていることを感じました。院内集会では、菊池紘団長の開会の挨拶から始まり、鷲見賢一郎幹事長、全労連の井上久氏が国会の情勢、政府案の問題点、派遣法の抜本改正の運動をどう広げていくか等の報告をしました。そして、日本共産党の高橋千鶴子議員から、現在の国会の情勢を報告していただきました。六月一五日現在では今後の状況は流動的でしたが、高橋議員によると派遣法については継続審議になるのではないかとのことでした。会場からは、二名の事件当事者からの発言があり、「政府案では自分たちの生活の不安は取り除けず、救われない。抜本改正が必要だ。」という強い訴えがなされました。また、組合・団体から参加している方々の発言も活発になされ、派遣労働者の多くが女性であり政府案では多くの女性労働者が救われない等、派遣労働の現場の報告もなされました。 院内集会を終えた後、団員三名を含む一一名で、慎重な国会審議と派遣法の抜本改正を求める議員要請を行いました。 

 以上の報告のとおり、今国会最後の院内集会は大きく盛り上がって終えました。この間、院内集会や議員要請を何度も重ねる中で、派遣法の抜本改正が実現されないと派遣労働者は救われないという声は広がっていると実感しています。

 今後、この運動をさらに広げて派遣法抜本改正の実現を目指していきたいと考えます。


全農栃木県本部とのたたかい 〜子会社への転籍拒否による解雇無効仮処分

埼玉支部  金 子 直 樹

一 事案の概要

 当事者らは、全農(全国農業協同組合連合会)栃木県本部において、組合員に対して、家庭配置薬(いわゆる置き薬)を販売する業務を行っていた。全農は、平成二一年ころから、同部門について、子会社である全農クミックスへの業務移管を勧めていたようである。全農栃木県本部は、同年四月ころに、配置薬業務を移管する予定であると当事者らに話してはいたが、移管に関して何ら具体的な説明等しないでいた。すると、同年一〇月突然、当事者ら配置員に対し、全農クミックスへ転籍するか希望退職に応ずるかの二者択一を迫り、同年一一月までに返答するよう告げた。当事者らは、全農クミックスへの移管について、労働条件等が著しく不利益に変更されることから、栃木労連の援助を得て組合を結成し、全農栃木県本部に対し、移管の理由等を具体的に開示し、「出向」形態での業務移管をするよう求めた。

 しかし、全農栃木県本部は、全農クミックスは「出向」形態を認めていない等として、出向形態での配転を拒否し、再度当事者らに対し、三年間の賃金差額補償、平均賃金六ヶ月分の加算等を提案し、転籍ないし希望退職に応じるよう迫った。

 その後、団交を重ねたが、当事者らは同年三月末日をもって解雇(一名は雇止め)されたため、同年四月八日、当事者らの賃金仮払い等を求める仮処分を宇都宮地方裁判所に申し立てた。

二 争点と今後の展望

 仮処分において、全農栃木県本部は、本件解雇は整理解雇に当たるとして、四要素を全て満たすと主張し、雇止めに関しては、解雇権濫用法理の類推はないと主張している。今後は、そもそも全農栃木県本部の配置薬業務を移管する必要性があったのか、特に全農は「他に転籍や希望退職に応じなかった者はいない」と主張していることから、当事者らまで全員転籍しなければ解雇しなければならないほどの業務上の必要性があったのかを追及していきたい。また、解雇回避措置の履行として、同意が絶対条件である「転籍」ではなく、「出向」形態を取れたはずである、また、全農の別部門への配転が可能であったはずであるとして、解雇回避義務・説明義務を尽くしていないと強く主張していこうと考えている。

 本件同様リーマンショック以降、分社化や子会社への業務移管が進んでいる。また、正社員の派遣へのすり替えにより、正社員をグループ内派遣会社に転籍させ、更なる雇用の不安定を生み出している例も多く見られる。全農は、米販事業に関する不正行為により農水省から改善を求められている最中にある。我々は、全農に対して、不況下においても最低限の雇用責任を果たし、安易な分社化・業務移管による労働者への不利益のしわ寄せをせぬよう強く求めていきたい。


「ちば派遣村」運動の現状と課題

千葉支部  中 丸 素 明

 昨年五月に、手さぐり状態で始まった「ちば派遣村」運動。去る六月六日に、第四回の「労働・生活相談会」を開いた。昨年実施した過去三回の相談会の概要は次のとおりであった。

  1. 五月一九日にはじめて実施。相談は約六〇件。六名の生活保護受給を実現。相談スタッフは、二五団体・一〇五名で、団員も一二名が参加。
  2. 一〇月一三日に、はじめて公園にテントを張って開催。寄せられた相談数は七四件。一二名の生活保護申請に結びついた。
  3. クリスマスイブの十二月二四日に開催。八名の生活保護申請を行った。

 この運動は、「『軍事費を削って暮らしと福祉、教育の充実を』求める国民大運動実行委員会」が母体となって始まった。その後、相談会を重ねるごとに、多重債務者支援団体、生活保護受給者の支援を続ける「生健会」、キリスト教系のボランティア団体である「サマリアの会」等、不動産仲介業者、大学生などに拡がっていった。また地域的にみても、千葉市のほかに、東葛地域(松戸市・柏市)で二回、市原市(地区労が中心)でも三回、今年の三月には船橋市でも開催されるなど、県内の主要都市へ次々に波及している。

 六月六日に第四回相談会を開くにあたり、二つの工夫をした。 一つは、事前に配布したチラシに、常設的な相談窓口を持つ四団体の電話番号を明記したことである。すなわち、(1)労働問題(千葉労連)、(2)健康問題(民医連)、(3)生活問題(社保協)、(4)労働者の権利問題(労働弁護団)については、いつでも相談に応じることの周知につとめた。

 もう一つは、はじめて日曜日に開いたことだ。これは、平日だと相談に行くことが困難な労働者にも、門戸を広げたいと願ったからだ。前者に関していえば、相談日の前から相当数の電話相談が寄せられており、大きな前進であったと感じている。今後は、街頭宣伝及びチラシによる周知行動を強化していく必要がある。後者については、相談が四〇件(生活保護申請四名)と、予測した程ではなかった。その半面、平日では参加が困難な若い医師が四〜五名、医学生・看護学生が十数名、多重債務問題に取り組む司法書士複数名、それに国家公務員の労働組合からも五名がかけつけるなど、相談スタッフの面ではさらなる拡充があった。

 特に印象深い出来事を一、二紹介しておく。

 千葉公園で生活していた六九歳の男性は、相談日の朝に同公園内で「ホームレス」状態にある人が首つり自殺をしているのに遭遇したという。「自分は派遣村のチラシをもらっていたので命拾いをした」と語っていた。この男性は、その日のうちに住居を確保し、生活保護申請も受理された。また、四年間にわたり路上生活をしている母子(母六七歳、息子四七歳)がいた。ともに、血圧が二〇〇前後という緊急を要する健康事態にあった。この母子は、「派遣村」スタッフから声をかけられて相談会に来たという。そのスタッフとは、第一回か第二回の派遣村に相談に来、生活保護申請をし、いまでは「派遣村」活動を一生懸命に支えている「脱ホームレス」者の方の一人であった。それ自体、とても嬉しいことだ。そして、この母子は、その日のうちに民医連関係の診療所で治療を受け、住居を確保し、生活保護も受給することとなった。

 千葉での「派遣村」運動は、右往左往しながらも一定の成果をあげてきたと言えようか。県や千葉市そして労働局なども、相談会に顔を出すなどその存在を無視できない状況にある。一方、相談スタッフ、とくに事務局をつとめてきた千葉労連にかかる負担は大変大きなものがあり、改善が求められている。宮城や愛知、岐阜、埼玉などの先進的な取組みに学びながら、「反貧困ネットワーク」の結成や常設相談体制の確立を展望しつつ、今後も運動をすすめていくことにしている。


団通信は読まれているか?

福岡支部  永 尾 廣 久

投稿に反響あり

 先日、私が司法改革問題で投稿したところ、私の手元に団通信が届く前にメールとFAXで「読んだよ」という反応があり、うれしかった。三沢で開かれた五月集会でも、何人もの団員から「よく書いてくれた」という声がかかった。そのうえ、名古屋で開かれた日弁連総会に出席すると、団員でない弁護士からも「団通信よみましたよ」と声をかけられた。「陰謀があったなんて言われても困るんですよね。みんなで話し合いながら一歩一歩すすめてきたのですからね」。まことに、そのとおりだ。誰か一人、たとえば中坊元会長が強引に決めたような表現(大阪支部ニュースにはそんなニュアンスの意見がのっている)はまったくあたらないと私は考えている。

 ところで、私の先の投稿のなかで、わが団塊世代のことに若干ふれたところ、福岡の某団員から団塊世代の日和見ないし無責任さをいつもながら舌鋒鋭く糾弾された。こちらは、残念ながら、自分自身の反省をふくめて、かなりあたっていることを認めざるをえない。私の周りにいる同世代(団塊世代)で早々と引退気分になっている人のいかに多いことか、残念至極だ。後進の育成なんて、そんな面倒なこと、もう勘弁してよ、自分の好きなことだけをやらせてちょうだいな。そんな気分が横溢している。

団通信を分析

 話が脇道にそれ過ぎてしまった。三沢の五月集会で配られた資料のなかに「自由法曹団通信」と題するパンフレットが入っていた。広報委員会が、この一〇年間の団通信をデータベース化して分析してみたものだという。画期的な偉業だと思うより前に、広報委員会ってヒマ人の集まりなのかしらんとつい勘繰ってしまった(田中委員長、オット、失礼しました!)。

 月三回の団通信がスタートしたのは、私が弁護士になるより一年早く一九七三年三月のこと。それまでは月刊だった。月三回の通信を以来、きょうまで欠かさず発刊してきた事務局の苦労は大変なものがあったと推察する。モノカキとあわせて編集も業とすると自称する私は、ここで歴代の団事務局に心から敬意を表したい。

 一一年間に団通信にのった通信は二八七五通、年間約二六〇通、二〇〇一年からの三年間は年三〇〇通をこした。しかし最近、通信が少なくて、いかにも薄いペラペラの号があり、発刊維持の苦悩が伝わってきたことがあった。

 それでも、団通信が団内の速報として、団の組織的一体感を形成するうえで果たしている役割はきわめて大きいと思う。

内容と執筆者のクロス集計

 団通信の内容(テーマ)を分類してみると、平和三四九、労働三一七、司法三一四という順位になっている。なるほど、そうだろうねと得心する。次いで、憲法二〇〇、国際一三三、人権一〇八と続く。さすがは平和と人権を主要課題とする自由法曹団だけある。

 投稿者の分類が年代(期別)とブロック(地域)でなされている。一位は三〇〜三四期で、二位四〇〜四四期、三位五〇〜五四期となっている。労働が内容の二割をしめており、「貧困」を含めて若い団員が新しい課題を担っていることを反映していると分析されている。なるほど、よく理解できるし、素直に若手団員の奮闘を喜ぶ。

 ところで、わが二六期はどうなっているのだろうか。二五〜二九期は二五七通であり、七位である。まあまあ頑張っているっていうところかな・・・・。そう思って、次の頁を開いてみて、あっと叫んでしまった。なんとなんと、執筆者の期別の表があり、そこでは、なんと、わが二六期は一三〇と断トツの一位になっている。これは、すごいすごい。興奮してしまった。二位は三〇期一一五、そして五三期一一〇、三八期一〇九、四〇期一〇六、四四期一〇四と続いていく。

ブロック・支部ごとのアンバランス

 ブロックごとに投稿者が分類されている。東京が一三二三で、圧倒的に多いのはさすがだ。近畿ブロックが四三三で、そのうち大阪は二六五。私は、最近、何度も、このところ大阪支部は昔のような元気がないんじゃないのと悪口をたたいているが、どうなんだろうか。やはり、少ないような気がしてならない。

 関東ブロックは三四九で、神奈川一七二、埼玉八八、千葉七六。九州は一三二で、福岡八三。まあまあ、こんなものかな。中部ブロックは二二七で、愛知五六。ええっ、愛知って、団員の人数に比べて圧倒的に少なすぎるんじゃないかしらん。

 中国九七、東北八三、北海道三七。うひょう、北海道が三七しかないって、これって寂しすぎだよね。どうなってるんだろう。四国に至っては、なんと一桁九でしかない。四国の団員はいったい何しているのかな。久保さん、臼井さん、元気してる?

 もっと、みんな気楽に活動報告とか日頃の思いを投稿したらどうなんだろうか。日弁連の『自由と正義』が、ツンドク雑誌から読まれる機関誌に大変身すべく随想をトップに持ってきたのは、いま最高裁判事をしている宮川光治氏が編集委員長のときだった。そのとき、お声がかかって、私もトップバッターの一人として随想を書かせてもらった。

読まれる工夫も必要

 団員であっても、団通信をまったく読まずにゴミ箱へポイ捨てする人がいる(ようだ)。

 そんな団員には手がつけられないが、いまの団通信には、もう少し読みやすい工夫があって然るべきだ。準備書面と同じ感覚でしかモノが書けない人があまりにも多いのは悲しい。モノカキ兼編集を業とする私には残念でならない。

 読んでもらおう、知ってもらいたいと思うなら、読まれる工夫を書き手はもっとすべきだし、団通信の編集者も権限をしっかり行使すべきだ。べたっと区切りなく延々と長文を書きつらねるなんて、速報(ニュース)にはあるまじきことである。読者に読まれる記事を書くつもりでみんな書いてほしい。そのためには、目に飛び込んでくる大見出しや小見出しが当然に必要だし、小見出しに数字なんてまったく必要ない。どの新聞だって、読者の声は投書そのままを掲載しているわけではない。内容の改変こそ許されないが、読みやすくするために小見出しをつけて、「てにおは」を手直しするのは許されること。自分の文章は一行一句、訂正を許さないという団員は恐らくいないと思うし、いないことを切に願う。


国家が家庭を破壊する契機―親権と裁判所

東京支部  後 藤 富 士 子

一 「親権者指定」の決定権

 民法八一八条三項は「婚姻中」のみ父母の共同親権としており、離婚後は父母どちらかの単独親権である(八一九条)。問題は、どちらを単独親権者とするかについて、父母の協議で決まらなければ、「裁判所が決める」とされていることである。そもそも単独親権制は、「両性の本質的平等」と両立しないのに、裁判所に「不平等」を実行させるのであるから、「おさまり」が悪いのも当然である。

 ところで、裁判所が「両性の本質的平等」に反する決定をする際の基準は「子の福祉」の見地である。私の頭が単純なせいか、二人いる親を無理に一人にすること自体が「子の福祉」に反するとしか思えない。共同親権のまま、「共同監護」の具体的形態を調整する基準として「子の福祉」が言われるなら納得できる。つまり、裁判所は、両親に親権を保持させたまま、養育監護の共同責任の履行について介入するのである。

二 単独親権者の再婚相手と養子縁組した場合

 「親権者変更」は、父母のどちらか一方の単独親権に服している子について、「子の利益のため必要がある」と認めるときは、子の親族(子自身は除く)の請求によって、家庭裁判所が親権者を他方に変更することができる(民法八一九条六項)。つまり、一旦、父母のどちらかが親権者と指定された以上、それが父母の協議で決まった場合でさえ、父母の合意だけでは親権者変更ができない。あくまで家庭裁判所の審判によるのである。

 ところで、「親権者変更」が問題になる事例の一つは、単独親権者が死亡した場合に、非親権者である実親に親権者変更が許されるかという問題である。これについては、後見人が選任される前後を通じて、「子の福祉」に適う限り、許されるとするのが実務の趨勢である。

 これに対し、単独親権者の再婚相手と養子縁組して実親と養親の共同親権に服している場合に、非親権者である実親への「親権者変更」は認められない。その理由とされるのは、もし親権者たる実親から非親権者である他方の実親への変更が認められると、「婚姻関係にない―あり得ない―二名の男性または二名の女性の親権者が同時に存在するという、民法の全く予想だにしなかった事態が生じることになる」からだという(昭和三八年盛岡家審)。あるいは、共同親権から単独親権への変更に疑問があり、共同親権者の親権行使の方法等が子の利益を害するような場合は、民法八三四条以下の親権喪失宣告等の手続で処理すべきという(昭和四八年東京高決)。なお、親権者変更の申立は許されるとする判例(昭和四三年大阪高決)もある。

 このように、単独親権者が再婚して、配偶者と養子縁組してしまった場合、そもそも非親権者には養子縁組を阻止する機会もないうえ、実親と養親の共同親権の前に「出る幕がない」状態に貶められる。これは、単独親権者が自分の両親と代諾養子縁組してしまった場合も同様である。すなわち、単独親権をめぐる紛争の後、非親権者をシャットアウトする方策として養子縁組がされるのであり、養子縁組がされた後は、非親権者は子との接触をもたないことが「子の福祉」に適うという考えが根底にあるようである。しかしながら、前述したように、単独親権者が死亡した後、非親権者に親権者変更することを考えると、非親権者と子の交流が保たれていなければ「子の福祉」が枯渇してしまうのである。

三 子をめぐる家族(親)と国家の関係

 広渡清吾教授の「国家と家族―家族法における子の位置」(法と民主主義No.四四七)によれば、ドイツ基本法六条二項は「子の養育および教育は両親の自然的権利であり、かつ、第一次的にかれらに課せられる義務である。国家は、両親の活動を監督する」と規定しているが、これはワイマール憲法に由来する。この規定は、まず親の自然的権利として国家に対する「責任領域」が設定され、義務の不履行があれば、国家がその領域を縮減して介入するシステムを予定するものであると解釈されている。

 これに対し、日本の現行民法の解釈では、親権につき「親の自然的権利」と承認されておらず、国家に対する「責任領域」が設定されてもいない。「親権者指定」「監護者指定」「面会交流」と、ことごとく国家が両親の間に介入して、どちらか一方の肩を持ち、他方を叩きのめす。こうして家庭裁判所は「家庭破壊の先兵」になるのである。

 しかしながら、日本国憲法は、子が個人として人間の尊厳の主体として位置づけ、家制度を解体し、人間の尊厳を担う個人が構成する共同体として、家族を確立することを要請した。現代日本では、核家族化した家族集団のなかで子の人間としての尊厳をいかに確保するかが深刻な問題となっている。親子関係が親の子に対する責任関係であることを軸にして国家・社会による支援体制の整備が求められている。子は、人間の尊厳を担い、自由で独立の存在に成熟する権利を有する主体として法のなかに位置づけられなければならないという。

 なお、弁護士会の「両性の平等に関する委員会」の家族観では、「家からの個人の解放」が未だに主要課題と前提しているように見えるが、現代の「家」制度は「妻の実家」であり、実家依存症の妻に子を拉致された夫たちは、「種馬」「精子提供者」のごとき扱いを受けて、人間の尊厳を踏みにじられているのである。

(二〇一〇・六・一二)


「司法修習生の給費制廃止」は人に「ただ働き」を強いるもの

東京支部  井 上 幸 夫

 日弁連は、本年一一月をもって廃止される司法修習生の給費制(改正前裁判所法六七条二項の「給与」)を維持する運動に取り組んでいます。

 自由法曹団通信(六月一日)で、宮城の菊地修団員が、「給費制廃止の理由は「受益者負担論」という新自由主義的発想であり、当時の小泉流構造改革・規制緩和の嵐の中で餌食になったのが給費制であるから、新自由主義とのたたかいである給費制維持のたたかいは、新自由主義の破綻が明らかになった現在では勝算があり、市民の理解を必ず得られると確信している」と書いています。

 市民の理解を得る勝算のある運動にするためには、市民が素朴に疑問をもつ点を正面から提起したらどうかと思います。

 「金持ち以外は裁判官・検察官・弁護士になるために借金しなければならないのはおかしい」というのも市民の素朴な疑問でしょう。

 私がもっと素朴な疑問として思うのは、司法修習生に給料を払わないことは人に「ただ働き」をさせることではないかということです。

 司法試験に合格して最高裁判所から命じられた者は司法修習生になりますが、準公務員として司法修習をすることが仕事になります。しかも、修習専念義務を課せられ、他に仕事をすることを禁止されますから、司法修習をすることが唯一の仕事になります。

 それなのに、その仕事に給料を払わないというのは「ただ働き」をさせることになります。これは、市民の常識からして許せないことです。

 労働者を無給で働かせることや「サービス残業」が労働基準法・最低賃金法違反として許されないことはいうまでもありません。司法修習生には労働基準法等は適用されませんが、人に他の仕事をすることを禁止して司法修習の仕事だけをさせて無給で一年間もただ働きさせることは、誰が考えてもおかしなことです。

 「官製ワーキングプア」が問題になっていますが、無給の司法修習制度は、「国によるただ働き制度」といえるでしょう。

 そのうえ、国や社会のために専門的な仕事をする者を養成するために国が研修専念義務を課して一定期間研修させる制度や施設は、司法修習制度以外にもいろいろありますが、無給で研修を受けさせる制度や施設は、多分ほかに一つもないでしょう。

 たとえば、医師は医師国家試験に合格して医師免許を受けますが、医師になっただけでは診療に従事できず、診療に従事しようとする医師は、二年以上、大学病院又は厚生労働大臣が指定する病院で臨床研修を受けなければなりません(二〇〇四年四月施行の医師法一六条の二)。その研修では適正な給与の支給と研修中のアルバイト禁止が定められています。インターン制度(一年間の臨床実地研修の後に医師国家試験の受験資格を得られる制度)が一九六八年に廃止された後、医師免許を受けたばかりの「研修医」は労働者としての扱いがされず、わずかばかりの給与で長時間労働を強いられたり、アルバイトで生活を支えたりするなどの劣悪な研修環境が社会問題になって、二〇〇四年四月に新しい臨床研修制度がスタートしたのです。

 また、防衛大学校は、将来、陸・海・空各自衛隊の幹部自衛官となる者が四年間勉強する国の施設ですが、「授業料免除、衣食住は国費で、さらに学生手当て月額約一〇万六千円」が支払われます(防衛大学校のホームページ)。将来の幹部自衛官養成の教育を受ける者の生活の面倒を国が見ています。

 税務大学校も、「高等学校あるいは大学を卒業した新規採用者を国民から信頼される税務職員に育てあげるために必要な研修を実施する機関」(税務大学校のホームページ)ですが、新規採用者に給料を払って「税務職員に育てあげるための研修」を受けさせています。

 ちなみに、裁判所書記官になるためには、裁判所事務官として採用され一定の勤務を経た後、入所試験に合格した者が裁判所職員総合研修所の書記官養成課程(法学部卒業者は約一年、それ以外は約一年半)で研修した後、書記官として任官されます。研修期間中も給料が払われることはいうまでもありません。

 司法修習制度は、司法試験に合格した者に研修専念義務を課し、裁判官・検察官・弁護士になるための研修をさせるのですから、給料を支払うことは当たり前のことで、これまでそうしてきたのです。それを、一年間も無給で研修させるなど、国の司法制度の意義や重要性を自ら否定するようなものであり、国の政策としてあまりにも愚かです。

 こういうと語弊があるかもしれませんが、「市民の命の守り手」養成の研修(医師の臨床研修)、「国と市民の安全の守り手」養成の研修(防衛大学校)、「国の財政収入の守り手」養成の研修(税務大学校)、「国の司法の守り手」養成の研修(書記官養成研修)と同じく、「国の司法と市民の権利の守り手」(裁判官・検察官・弁護士)養成の研修(司法修習)を受ける者に給料を払え、研修を受ける者に「ただ働き」させるな、という運動を展開したらどうでしょうか。

 私は、二〇〇四年から三年間早稲田大学法科大学院で専任教員をし、その後現在は専修大学法科大学院で非常勤教員をしています。法科大学院生は奨学金などを借入れている人も多く、さらに司法修習生が無給となったら「借金を抱えた裁判官・検察官・弁護士」が増えることは確実であり、そのことの問題点を市民に訴えることも考えられるでしょう。

 ただ、私は、根本的な素朴な疑問として、国が研修専念義務を課して人を一年間無給で「ただ働き」させることは許されないことを問題にし、国の他の研修制度との比較でも不合理なことを訴えたらどうかと思います。

 若い弁護士、司法修習生、そして法科大学院生らが中心となって、今後の運動が盛り上がっていくことを期待します。


ビギナーズ・ネットが立ち上がりました!

〜給費制維持に向けた若手の取り組み〜

東京支部 黒 澤 い つ き

一 給費制維持運動の展開

 司法修習費用の給費制の廃止が本年一一月一日に迫っています。貸与制の内容や、それが巻き起こすであろう事態、現実に起きている法曹志望者の激減、彼らの抱える経済的負担等については、すでに五月集会の特別報告集(追補版)で書き、全体会でも発言させて頂いて、一三四六号の団通信では菊地団員にも執筆して頂いているところなので、ここで繰り返すことは致しません。

 この間の経過報告を手短に致しますと、日弁連の緊急対策本部が運動を先導し、各単位会では給費制廃止への反対を表明した会長声明が相次いで出され、早くも全都道府県に迫る勢いです。去る六月一〇日には全国一斉街頭宣伝行動がかかり、東京・大阪・名古屋・札幌・仙台・福岡等々の全国各地における大規模な街宣・署名活動は、マスコミにも全国紙・地方紙問わず取り上げられました。

 また、名古屋・東京・大阪、秋田においては市民集会が開催され、いずれの集会においても、給費制廃止の問題が自分たち市民の人権・平等の問題であるとして、お金持ちの子しか法曹を目指せない制度をなんとしてでも廃止しよう、という発言が相次ぎました。東京の集会には布川事件の再審請求人である杉山さんが応援に駆けつけ、「人が金儲けの道具にされる時代の今こそ、人が人として生きる手段としての法律が大切になりますし、常識ある法律家を育てることが大切です。しかし、法治国家の根幹である法曹の育成さえも、いまの日本は金によって区分けしようとしています。絶対に間違っています。」と訴えてくれました。

二 ビギナーズ・ネットの設立

 貸与制の施行におびえる法科大学院(修了)生は、合格率二〜三割にまで落ち込んだ新司法試験の合格が最大にして大前提の課題であり、それに向けた必死の受験生活を送っています。そのため、自分達だけの力で積極的にこの運動を盛り上げることはできず、それを期待するのは酷です。「皮算用」して合格後の修習費用について思いをめぐらせる精神的・時間的余裕が、残念ながら無いのです。

 であれば、若手弁護士や修習生と手を取り合って共闘しよう。そんな思いから、「ビギナーズ・ネット」の構想が生まれました。奨学金の返済に追われ、また多くの同級生がいまだ受験中である私達若手弁護士・修習生にとっては、この問題は全く他人事などではなく、自分自身の問題です。新司法試験を乗り越えた者・乗り越えようとしている者にしか、この経済的負担の重さと「修習専念義務を課せられているにもかかわらず無給」という理不尽さを自らの「皮膚感覚」として訴えることはできず、だからこそ先頭に立って市民・マスコミに実態を訴えていくべきなのです。

 このような意気込みで設立準備は急ピッチで進み、六月一〇日、東京・航空会館において、ビギナーズ・ネットの設立総会が開かれました(代表は渡部容子団員及びロースクール修了生の山添拓さん)。期の近い多くの先輩弁護士にも賛同と参加をして頂き、会員は早くも三〇〇名に至りました。スーパー電脳派・川本美保団員を筆頭にしたインターネット戦略班によるHPはすでに立ち上がり

http://www.beginners-net.com)、ツイッターも始まりました。

三 全国の若手団員へ

 ビギナーズ・ネットは、これから秋にかけて給費制維持を勝ち取るための活動に全力で邁進していく所存です。各地で開かれる市民集会やデモに参加することはもちろん、独自のキャッチフレーズやグッズも作って広めて、いかにマスコミに取りあげさせ、この問題の重大さを市民の方々に理解して頂くか、作戦会議の真っ只中です。しかしまだまだ人手不足であり、若手団員の皆さまの力が不可欠です。法改正への短期決戦は険しい道のりとはいえ、決して「勝てない闘い」などではありません。一人一人が集まって初めて、世論のうねりの先に見える給費制維持を勝ち取ることができるので、是非、ビギナーズ・ネット(あわよくば事務局)へ参加して、共に闘いましょう(上記HPから入会できます)!

四 団の存亡をかけて(全国の先輩団員へ)

 給費制の廃止は、若き民主的法律家から、採算度外視の裁判闘争あるいは各種民主的運動へ取り組む経済的・精神的・時間的余裕を奪い去ります。これは間違いなく、団の存亡に関わる問題です。若き民主的法律家が育つ環境の大前提に給費制があることをよくよくご理解頂き、日弁連・弁護士会の給費制維持運動への積極的なご参加をお願い致します。さらに、これを読んで頂いた後、事務所を見渡して、もしも新人が団通信など読むヒマもなく働いていたら、是非「あとは僕に全部任せて、この記事をお読み」と諭し、ツイッターが何なのかご存じなくても「ツイッターを始めよ」と勧めて頂ければ幸いです。

 最後に。経済的に苦しい若手の運動こそ、やはり先立つものがなければ始まりません。「経済的な参加」は、運動の基盤を作る不可欠な共闘の在り方です。左記口座にて、心よりお待ちしております。

 七十七銀行 本店 普通口座 七八八九一一九 

 ビギナーズ・ネット 代表 渡部容子(ワタナベヨウコ)


貧困問題委員会立ち上がる

岐阜支部  笹 田 参 三

一 はじめに

 六月一九日の常任幹事会で、貧困問題委員会を立ち上げることが決定されました。そのご報告と協力のお願いです。同常任幹事会で、同委員会の委員長に笹田が選任されました。私は、岐阜県という地方支部に所属していることから、情報量も乏しく、全国の皆さんのご支援をお願いします。

二 これまでの経過

 二〇〇六年釧路人権大会を契機として、弁護士の中で、貧困問題を取り上げる動きが流れとなり、そして、二〇〇九年初頭の日比谷公園での年越し派遣村が国民の眼に見える形で貧困問題を提起しました。昨年の長野白樺湖五月集会では、団として、全ての地域、全ての法律事務所で旺盛な相談会を開くことが提起されました。その後、団員が各地で相談会や派遣村活動に従事して大きな成果を挙げてきました。特に、この間の反貧困運動に大きな役割を果たしてきたのは、六〇期、六一期等の新人団員であります。

 今年四月に発足した日弁連の宇都宮執行部は、既に、日弁連理事会内に貧困問題対策本部を立ち上げました。多くの団員がそこで重要な役割を演じています。

 しかし、反貧困の運動の前進にもかかわらず、日本での貧困は深化していると評価せざるを得ません。その解決のために、団が重要な役割を果たすことが求められています。

 そして、今年の青森五月集会では、貧困の深化を受け、同時にその克服を目指す各地の取組を踏まえて、団に貧困問題委員会を作ることが提起され、積極的に受け止められました。

三 青森五月集会

 五月集会貧困問題分科会の様子は、福岡支部 金敏寛団員の二〇一〇年六月二一日付団通信一五頁で報告されているので、参照されたい。

四 運動の構築のために

 六月一九日の常任幹事会前に貧困問題委員会準備会が開かれ、同委員会の立ち上げ準備が話し合われた。

 貧困問題を団として取り組む上で、第一に、運動方針として、

  1. 団支部、団事務所が地域の民主団体や議員と共に「貧困問題」学習会を開いていくこと、
  2. その学習会の中で地域の貧困問題を具体的に把握していくことが重要である

ことが確認された。

 これらの取り組みの中で、地域の民主団体と貧困問題での広い共通認識を作り、ネットワークを広げることが出来る。同時に、「知ろう、なくそう、地域の貧困」というスローガンが示すように、地域の貧困の具体的な内容を掴み、その運動を作り上げることが何よりも大切です。

 五月集会貧困問題分科会で、秋田県支部の団員から「国保税減免・一部負担金減免」問題を取り上げ、勝利判決を獲得した報告がなされた(詳細は、虻川高範団員の二〇一〇年六月二一日付団通信三五頁)。国民健康保険において、「水際作戦」が展開されており、秋田県でそれに対抗する運動と訴訟が展開されている。全国の多くの団員に大きな励ましを与えた。

 第二に、その組織的保障として、団支部に貧困問題プロジェクトチーム等を作って取り組む体制を確立することの重要性も確認された。

 例えば、大阪支部で貧困プロジェクトチームを作って若手団員のエネルギーを引き出し、他団体とのネットワークを広げた経験が披露されている(五月集会特別報告二三〇頁)。新人団員に対する学習会を開いて若手中心の運動が開始されています。

五 第一回貧困問題委員会

 同委員会を、二〇一〇年八月三日午後六時から団本部で開催します。今後の方針を検討する予定です。団貧困問題委員会の基本方針を検討する重要な会議となります。多数のご参加をお願いします。

 具体的には、各地の情報交換の上で、

  1. 菅内閣の登場という新しい情勢を踏まえて、貧困問題の運動構築を検討する。
  2. 地域主権推進一括法案が国会で審議されておりその対処が求められている。
  3. 老齢加算の減額・廃止決定の違法性を認める福岡高等裁判所の画期的な判決が出され、その後の運動が求められている。

六 メーリングリスト参加の案内

 既に、貧困問題のメーリングリスト hinkon@freeml.com が立ち上がっており、それへの参加もお願いします。

(二〇一〇年六月二三日)