<<目次へ 団通信1350号(7月11日)
黒澤 いつき | *五月集会特集* 弾圧・えん罪分科会に参加して |
加藤 寛之 | 貧困分科会への参加から貧困問題委員会の設立へ |
宮本 奈生 | 初めて五月集会に参加して |
河内 謙策 | 【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(6)】 安保改定五〇年にあたっての私の問題提起 |
平澤 卓人 | NTT東日本‐北海道転籍強要問題、ついに提訴! |
金子 直樹 | 労働者派遣法の抜本的改正を! 〜事務所単位での抜本的改正の声 |
渡辺 輝人 | 京都新聞COM雇い止め事件・京都地裁本訴勝利の報告 |
中島 晃 | 和田春樹「『坂の上の雲』と朝鮮」を読んで |
守川 幸男 | 消費税増税の大合唱と比例区削減の危険性の増大 ―定数削減に関する高校生の投書に続こう |
給費制維持対策本部 | 七・二八「司法修習生の給費制存続を求める各界懇談会」への参加のお願い |
東京支部 黒 澤 い つ き
一 はじめに
青森三沢での五月集会には、足利事件でついに無罪判決を勝ち取った菅家さん、七月九日に再審公判を控えた杉山さん・桜井さんにお越し頂き、この「豪華布陣」がそろった弾圧・えん罪分科会は二日間にわたり充実した議論が重ねられた。ただふんふんと感心して聞いているばかりだった私から、若干の感想を述べたい。
二 えん罪との闘い
一日目はえん罪事件の報告と議論がなされた。足利事件について、無罪判決後の警察自身の総括が報告書として提出された。この内容を、弁護団の町田団員は「何故・どのように自白へ追い込んだのか、という検証が全くなされておらず、ただ『自白が虚偽であることを検証しなかった』という視点しかない」と批判した。勝利に終わった足利事件を今後のえん罪との闘いにおいてどう活かしていくかについて、菅家さんは「当面は、取り調べの全面可視化に向けて全力を尽くしたい」「取り調べに弁護人を同席することを求めていきたい」と語られた。
布川事件の桜井さんは、改めて警察のずさん過ぎる(留置場の看守の部屋で、朝から晩までの!)取り調べを糾弾した。続く討論では、何故裁判官は自白を虚偽だと見抜けないのか、根本的な、そして繰り返し生じる疑問が呈された。私自身、これは不思議でならず、気味の悪い癒着があるとしか思えない。証拠を隠し、自白テープを作り上げ、指紋まででっち上げようとした警察は、もはや犯罪組織ではないか。
続いて名張毒ぶどう酒事件弁護団の伊藤和子団員から、最高裁が再審請求の審理を名古屋高裁に差し戻した決定についての報告と、日弁連がえん罪防止の究明委員会の設置を提言したこと、及びもしこの第三者機関が設置されると、取り調べの全面可視化が実現できなくなるかもしれないという危惧について言及がなされた。
この分科会があった夜、上記菅家さんら三人が談笑しているところに偶然通りかかり、不覚にも涙が流れた。こんなささやかな笑いさえも長年にわたって奪い続けた国家は恥を知るべきである。無罪判決や再審開始決定が相次ぐ今こそ、桜井さんがこの日訴えた「可視化なんてのは当たり前のことです」という言葉を実現し、えん罪を根絶させる最大のチャンスである。この機会を逸することなく躍進したいと願うばかりである。
三 弾圧との闘い
二日目は昨年末から今春にかけて立て続けに出された各弾圧事件の判決についての報告と今後の闘いのあり方についての議論がなされた。
葛飾事件は最高裁で不当にも有罪が確定してしまったが、堀越事件の高裁無罪判決は、まさかあの裁判体が、という意外性をはらみつつも、堀越さんの配布行為に対し罰則規定を適用することは「国家公務員の政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度を超えた制約を加え、これを処罰の対象とするものといわざるを得ない」として、憲法二一条一項及び三一条に違反すると宣言した画期的判決であった。
しかし、この喜びもつかの間、今年五月一三日、世田谷国公法弾圧事件の唾棄すべき高裁判決が出た。もともと訴訟指揮が劣悪だったため、有罪判決の公算は大きかった。とはいえ、直前の堀越事件無罪判決は一筋の光だと期待せずにはいられない。しかし、判決は単なる有罪判決どころか、なんら実質的な審理を行わず表現の自由の価値についても一切考察のない許し難い内容であった。
どの判決も「公務員の政治的中立性」という言葉を並べるが、宇治橋さん達を逮捕・捜査した警察官、起訴した検察官、有罪判決をやすやすと出す裁判官は、皆公務員である。共産党員の名簿を作って尾行し、ビラを配布する数あまたの人々の中から共産党員だけを逮捕して有罪に陥れる彼らの、どこが政治的に中立なのだろうか。
分科会では、同判決を糾弾し、堀越事件の無罪判決を最高裁でも維持させ、世田谷事件においては最高裁での逆転を勝ち取るべく、改めて表現の自由の価値について全国民的な議論を巻き起こして闘おうという発言が相次いだ。今こそ弾圧という前近代的な国家的犯罪を許さない、世論形成が必須である。
四 参加した新人として
弾圧事件もえん罪事件も、共に先が見えない険しい闘争であることを改めて感じた。特に弾圧事件は結果ありきで国家が一丸となって陥れるため、スタート地点からどの事件にも増して不利な上、マスコミの関心もえん罪事件ほど高いとはいえない。若手団員の参加が少ないことも寂しい。もっと関心を高め、警察権力の横暴に光を当てていくことが大事だと感じた。
千葉支部 加 藤 寛 之
このたび、私は自由法曹団青森五月集会において、貧困問題分科会に参加しました。その感想と、集会後に設立に向けて動き出した貧困問題委員会について、私が考えるところを述べます。
一 公設派遣村について
貧困問題分科会で大きな話題となった公設派遣村については、私も「ワンストップの会」の一員として、公設派遣村を頼って来た人々への支援活動に参加しました。活動を開始した年末ころは、派遣村の会場であるオリンピックセンターへの立ち入りすら都に拒まれ、近くの公園にテントを設け、オリンピックセンターの柵越しに入所者の相談に応じました。チャーターしたバス内での相談会を行うと、都が呼んだらしい警察官による妨害に遭いました。このような都の拒絶的・排除的な体制を少しずつこじ開け、なぎさ寮での派遣村継続を勝ち取り、寮内における連日の生活・法律・住宅相談を実現したのは、「ワンストップの会」事務局の方々による献身的な活動、関東中から集まったボランティアスタッフの熱意と力、そして生活再建の望みを託して公設派遣村を頼って来た人々の、都に対する怒りでした。今回、公設派遣村は、九〇〇名以上が集まり、四〇〇名以上が生活保護を申請して生活再建へと繋げることができました。都のやる気のなさは問題ですが、公費を投入した反貧困活動が速やかに実現したことは評価して良いと思います。
今後は、今年の公設派遣村で判明した問題点を指摘・改善しつつ、更に規模を拡大した「公設派遣村二〇一一」の実現に向けて運動を進めて行きたいと思います。
二 各支部の活動について
団の各支部において反貧困の活動が展開されていることに心強さを覚えました。派遣村活動や相談会は全国的に開かれ、各地の実情に合わせた工夫がなされています。相談活動を行いつつ派遣法改正の宣伝も行う、ホームレスに不安を覚える付近住民との対話と法律相談会を継続することで住民に活動を認めさせる、夜回りを続けてホームレスの行動パターンを把握し、ビラを効率よく配布する、など、私の地元である千葉県での活動に応用したいと思うノウハウが数多く得られました。中でも、岐阜の笹田先生よりご報告を頂いた、常設の相談機関である「結」を設立し、弁護士会や公的な機関も巻き込んだ反貧困活動を展開している岐阜県の例は、非常に参考になりました。五月集会から戻った後、ちば派遣村の実行委員会では、千葉県でも「反貧困ネット千葉」の立ち上げに向けて動こうという機運が盛り上がっています。
三 団における今後の反貧困活動について
貧困分科会では、自由法曹団においても反貧困の部会を立ち上げる必要性が訴えられました。これを受け、六月一九日に団本部において貧困問題委員会の立ち上げに向けた会議が開かれました。この会議において、滝沢先生からなされた「反貧困活動が既に全国に広がった今、あえて自由法曹団が貧困問題委員会を設立する意義は何か。」という指摘は、目の前にいる生活困窮者をどう助けるか、という事ばかりを考えて来た私に、新しい視点を与えてくれました。
自由法曹団の事務所は全国各地にあり、地域の人々が抱える身近な問題に取り組んでいます。地域にある貧困は、債務整理・労働事件・生活保護相談などの様々な相談の形をとって事務所に来ます。日々の相談活動を通して、団の事務所の弁護士は、地域にある貧困の実情に接し、地域の貧困化を肌で感じているはずです。だからこそ、団の事務所の弁護士は、貧困撲滅に向けて取り組むとき、自ら知った貧困の実情を踏まえた議論を行い、貧困に苦しむ人々の立場から、事実に裏付けされた提言を行えるのではないでしょうか。
貧困問題委員会は立ち上がったばかりですが、団の弁護士が貧困問題に取り組む意義を常に考えつつ、反貧困活動の力強い拠点として盛り上げて行きたいと思います。皆様のご指導ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。
大阪法律事務所 宮 本 奈 生
初めての参加で緊張しながら始まった五月集会でしたが、大変充実した三日間で、得られたものはとても多かったです。
まず初めに、松井弁護士から自由法曹団の歴史と意義を聞くことができ、日本の大衆運動と共にたたかい貢献しつつ、大きくなった意味と大衆運動の要となる役割を団がもつことを知りました。ここでは、戦前の団の役割を深く学ぶことができ、歴史を通じて、民衆と繋がった運動が根底にあることで、大衆の要求に応える仕事・運動力を合わせた、たたかいができるのだと実感しました。
また、三沢基地についての講演は、日本にとって、また他国にとってもこんなにも危険な基地を持っていることを改めて実感させられたと同時に、その基地を危険と認識されず、共存し産業とする三沢市に対する疑問がわきました。その中で、事実を示し続ける斉藤さんの役割は大きいものだと思いました。しかし、基地のない大阪に住む私たちにできる事は何かを考えさせられました。
他にもテレビでしか知らなかった足利事件の菅家さんの話を直接聞いて、裁判が終わったけれど、本人が受けた傷は深く、計り知れない苦しみが今なお菅家さん自身に残っているのを知りました。
普天間基地問題では、様々な視点から取り組まれていることを知りました。一番印象に残ったのは環境問題から基地問題を解決するという視点です。ジュゴンの保護を世界的に訴えることなど、実際に様々に取り組んでいて、本当に解決へ向かうのだという思いを受けました。
今回の集会の中でも沖縄の民衆の思いに寄り添った運動の必要性が語らました。普天間から安保破棄という視点も言われていましたが、やはりそこには民衆の存在を忘れてはならないことを改めて感じました。その場その場での取り組みに関わる事は簡単だけれども、沖縄県民の思いと共に進むことは基地のない大阪に住む私がどのような意識でとりくむ必要があるかを考えさせられました。そして、やはりそのままの事実をまず自分の目で見て聞いて肌で感じて知るところから始まる必要があると思いました。なので、この夏沖縄でその真実を受けとめに行きます。
【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(6)】
東京支部 河 内 謙 策
安保改定五〇年にあたって、安保条約反対・安保条約廃棄を願う立場から、若干の問題提起をさせていただきたい。団員諸氏の御検討・御批判をお願いする。
(なお、以下の論旨は、改憲阻止MLへの投稿と基本的に同じ内容である。)
問題提起一 日米同盟は、冷戦崩壊以降、漂流しているのではないか。
安保条約を乗り越えて発展している日米同盟は、「日米同盟:未来のための変革と再編」(二〇〇五年)にみられるように、地球規模での米日の覇権維持=グローバル秩序維持のための同盟となっている(民主主義科学者協会法律部会『法律時報増刊 安保改定五〇年 軍事同盟のない世界へ』日本評論社、参照)。しかし、私が問題提起したいのは、そのことではない。
私は、日米同盟反対論者の分析の多くが、静的で、敵の強さと弱さを総合的に分析するのでなく、敵の強さを分析するのに傾きすぎているのではないか、と言いたいのである。そのような問題意識から、私は、日米同盟の現状を、日米同盟の漂流ととらえるべきでないかと思う。すなわち、日米同盟は、結局は冷戦の産物であったのであり、それゆえ、冷戦の崩壊以降の再定義やガイドラインの設定も、それらが完全に成功することはなく、様々な矛盾を抱え込まずにいられなかった、したがって日米同盟は現在も漂流している、と考えているのである。
普天間問題が発生したから、現在は日米同盟の漂流が見やすくなったともいえるが、それ以前にも、日米同盟の危機を指摘する人々がいた。たとえば、「日米同盟が直面する危機は軍事、政治の両面で深まる一方だ」(ケント・E・カルダー、渡辺将人訳『日米同盟の静かなる危機』株式会社ウェッジ、五頁)とか、先の「変革と再編」をまとめた元米国防副次官リチャード・ローレスが「[日米]同盟は米国の期待、日本の期待のいずれとも満たしていない。かなり重大な失敗をしている」(谷口智彦編訳『同盟が消える日 米国発衝撃報告』株式会社ウェッジ、八二頁)と述べている。
とくに、二一世紀に急速に台頭してきている中国により、日米同盟は重大な危機に直面している。オバマ政権の登場に伴い、「米中関係は今世紀の世界において最も重要な二国間関係である」とか「G2時代の到来」が叫ばれたことは我々の記憶に新しい。今年に入って、やや揺り戻しがきているようであるが、いつアメリカの中国に対する宥和的な態度が再発するか分からない、といわれている。すなわち、鳩山政権が日米同盟を傷つけたといわれるが、実はオバマも昨年日米同盟を深く傷つけ、日米同盟の漂流に一役買ったのである。
したがって、このような日米同盟の漂流が、様々な対抗関係の中で、どのような着地点をめざすことになるのか、それがいかなる意味を持ち、どのような新たな矛盾を発生させることになるのか、リアルな分析が求められているのではないだろうか。
問題提起二 平和勢力が中国問題を避けていることは、重大な誤りではないか。
中国問題については、平和勢力は、なぜか避けて通ろうという態度をとり、沈黙を守っている。したがって、日米同盟反対の論者の分析の多くが中国の覇権主義や軍拡の問題を分析しないで日米同盟を論じるという奇妙な(!)情況が展開されている。
たしかに「変革と再編」の字面の上では、中国の覇権主義や軍拡は表立っては触れられていない。しかし、秋田浩之は、二〇〇三年一一月にラムズフェルド国防長官(当時)が日本を訪問し、「自分がイラク戦争にかかりっきりになっているうちに中国軍の増強が加速し」たことを思い知らされ、「それ以来、中国軍の台頭をどう受け止めるかといった命題が、在日米軍再編の日米協議と切っても切れない関係になっ」たと記している(秋田浩之『暗流』日本経済新聞出版社、五二頁)。また、元外務事務次官の谷内正太郎は、「日米同盟にはこの間ずっと、一種の『含み命題(hidden agenda)』として『中国とどう対応していくべきか』という問いがありました」(『同盟が消える日』三三頁)と述べている。
にもかかわらず、平和勢力は「沈黙」を守っている。何故であろうか。
「中国問題を扱うと団体内の団結がこわれる」という意見がある。しかし、それを言うなら、団体の団結を維持して中国問題を扱う方法を工夫すべきなのではないだろうか。「右翼を利することになる」という意見を聞くこともある。しかし、正しいことは誰が言っても正しいという原則を確立しなければ、運動や理論活動は袋小路に入ってしまうだろうし、中国の覇権主義を利することにもなる。中国問題に取り組まない平和勢力は、国民の中で道徳的・理論的権威を失い始めており、鳩山の友愛外交・東アジア共同体の提案について十分な論評ができないという情けない情況に陥っているのである。 私は、“アメリカにも中国にも毅然とした平和国家日本の創造を”と訴えている。
問題提起三 平和勢力のスローガンとしては“軍事同盟のない世界を”ではなく、“平和と共生のアジアを”が適切ではないだろうか。
日米同盟反対、あるいは安保条約反対のスローガンとともに、われわれのめざしているもの(alternative)を表現するスローガンとして“軍事同盟のない世界を”と言われることが多くなった。しかし、私は、このスローガンは不十分ではないか、と考えている。“軍事同盟のない世界を”では、軍事同盟が無くなった後はどうなるかが不明確であること、軍事同盟のない世界と我々一人ひとりの関係も不明確であること、が、その理由である。“平和と共生のアジアを(あるいは、平和と共生の世界を)”では、その難点が克服できる。共生というのは、仏教の“ともいき”から来たといわれ、故黒川紀章などが広めた言葉である。諸民族、諸国民が共に生きることが、われわれの考える平和ではないだろうか。平和的生存権にもつながるし、人間と自然の共生にもつながる。
さらに私は、我々のオールタナティブを考える上で、日本の文化、文明をどう考えるのか、日本をどう考えるのか、という問題も新しく提起され、日本の平和勢力の回答を待っていることを指摘したい。私がこの問題を突き詰めて考えたのは、一九九〇年代であった。一方における社会主義理念の崩壊、他方におけるグローバリゼーションの進展は、私の立つ位置の再検討を迫った。私たちのめざしている社会は、平和で自由な民主主義の社会というので果たして十分か、そんな社会が世界中どこにも同じように展開されているとしたら、それもかえって気持ちの悪いことではないのか、二一世紀のキーワードは多様性でないのか、グローバリゼーションを乗り越えるためには健全なナショナリズムを追求するしかないのではないか、わたしたちは結局「日本人」から脱け出せないのでないか等を考えた私の結論は、日本人として生きる、ことであった。
安田喜憲は、「日本の持つすばらしい伝統と、日本人の人を信じ、自然を信じる心、利他の心と慈悲の心、欲望をコントロールする道徳的倫理観、そして美しい日本列島の山河と海」(『山は市場原理主義と闘っている』東洋経済新報社、一九頁)を強調している。一九六〇年代であれば、私は、これを右翼の発言と読んだであろうが、今は賛成である。
問題提起四 日本の平和勢力は理想主義の旗を掲げ続けるべきである。
日本の平和運動は、憲法九条を守り続けただけでなく、日米同盟の狙いである日本の集団的自衛権の行使=日米共同作戦の実施を阻んできた。これは十分に誇るに足ることである。しかし、この日本の平和運動が数々の弱点をかかえている事も事実である。
私は、日本の平和運動の弱点として、一国主義的であること、アジアを軽視していること、討論が不十分なこと、平和勢力が分立し、共同闘争・統一戦線が不十分なこと、平和団体内で権威主義的な運営が行われていること、構想力が乏しいこと等を指摘してきた。これらの弱点について贅言は不要であろう(拙稿「日本の平和運動の弱点について」『自由法曹団二〇〇四年五月総会特別報告集』参照)。
私が今心配しているのは、平和運動の中で、平和主義の基礎にある理想主義的風潮が弱まっているように見えることである。私は、今後の運動の中心を担うポスト団塊の世代の活動家に、(精神的態度としての)保守主義とニヒリズムの影響が広まらないことを願っている。
(二〇一〇年六月二三日記)
北海道支部 平 澤 卓 人
自由法曹団の五月集会でもご報告させて頂きました株式会社NTT東日本‐北海道(以下「NTT東日本‐北海道」といいます。)の転籍強要問題につきまして、六月一一日、札幌地方裁判所に、契約社員らが従来勤務していたNTT東日本‐北海道との間での期間の定めのない雇用契約上の地位があることの確認等を求める訴訟を提起しました。
紛争の経緯については、五月集会の報告集(齋藤耕団員執筆)にも掲載されていますが、簡単に説明させて頂きます。
NTT東日本‐北海道には、「契約社員」と呼ばれる従業員が約七〇〇名おりました。この人たちは、契約書に労働契約の期間の定めが記載されていましたが、多数回にわたって自動的に労働契約が更新されており、長年にわたって正社員と同様に高度な技術や知識を要求される仕事をこなしてきました。ところが、昨年一〇月、社内で「雇用形態変更」についての説明会が開催され、エヌ・ティ・ティ北海道テレマート株式会社(以下「テレマート」といいます。)に転籍したうえでNTT東日本‐北海道において登録型派遣社員として働くことが説明され、これに同意しない場合には「雇用止め」になると説明されました。このような説明を聞いた各契約社員は、同意しなければ雇止めになると考え、テレマートへの転籍に次々と同意していきました。
このような中、一人の契約社員の女性が、勇気を持って立ち上がり、通信産業労働組合(以下「通信労組」といいます。)に加入し、転籍するとの同意を撤回するとの意思表示をしました。そして、札幌地方裁判所に雇止め禁止等仮処分を提起した結果、この女性従業員のNTT東日本‐北海道との労働契約が更新され、転籍に同意しなかった契約社員についてもNTT東日本‐北海道との労働契約が更新されました。
今回、訴訟を提起したのは、現在は形式的にテレマートに転籍したことになっている契約社員の女性たちです。彼女らも、いったん転籍には同意したものの、この意思表示を取消す意思表示をしています。通信労組は、NTT東日本‐北海道らと団体交渉を行い、彼女らをNTT東日本‐北海道との労働契約を更新するよう再三にわたり要求してきましたが、NTT東日本‐北海道らは不誠実な回答しかしませんでした。
彼女らも、労働契約は反復して更新され、正社員と変わらない業務に従事していたのですから、彼女らを解雇・雇止めにすることはできませんでした。それにもかかわらず同意しない場合には雇止めにすると通告されて、転籍に同意したものですから、このような同意の意思表示は錯誤・詐欺・強迫に基づくものであり、有効ではありません。そうすると、彼女らのNTT東日本‐北海道との間の労働契約は当然に存続しているものです。
NTT東日本‐北海道が行った「騙して転籍に同意させる」という方法は決して許されてはなりません。しかも、登録型派遣は、雇用の不安定化をもたらす最たるものであり、その是非が国会でも議論されている矢先の出来事でした。私たちは、原告らだけでなく、転籍を強要させられた全ての契約社員の方が、元のNTT東日本‐北海道との間の雇用契約上の地位を回復し、労働の実態に応じて正社員と変わらない処遇がなされるよう取り組んでいきたいと考えています。
(弁護団 長野順一、佐藤哲之、佐藤博文、渡辺達生、齋藤耕、林千賀子、中島哲、平澤卓人、山田佳以各団員)
埼玉支部 金 子 直 樹
一 現在の労働者派遣法改正案の問題点
昨年頭の派遣村に代表される「反貧困」の取組みは、派遣労働者が直面する問題を浮き彫りにし、派遣社員がいかに「安く使われ」「すぐに切られる」という不安定かつ低賃金で働かされる存在であるかを明らかにしました。かかる派遣労働者の社会問題化を受け、現与党は、当時野党三党合意案として、登録型派遣・製造業派遣の禁止、均等待遇の実現、派遣先の責任強化を盛り込んだ労働者派遣法改正案を国会に提出し、その後の総選挙でもマニフェストに派遣法抜本的改正をうたい、政権交代後の与党三党合意の中でも労働者派遣法の抜本的改正が盛り込まれました。
しかし、本年の通常国会で審議されていた労働者派遣法改正案は、自公政権時代の労働法制審議会のメンバーがそのまま維持された中で審議された法案に基づくものであり、到底抜本的な改正と呼べるようなものではありませんでした。
問題点は、大きく二点、「原則禁止の抜け穴」と「極めて不十分な改善」です。前者は、製造業派遣・登録型派遣の原則禁止といいながら、あいまいな「常用雇用」概念の例外、専門二六業種の例外規定を持ち、現在の製造業派遣・登録型派遣労働者の八割が禁止されないという大きな抜け穴が存在するという問題点です。後者は、新しい「みなし雇用」制度も、結局は「期限の定めある雇用」ですぐに雇止めが可能であること、「均等待遇」原則義務ではなく「均衡待遇」原則義務にとどまり、ワーキングプアを生み出した賃金格差の問題は全く解消されないという問題点です。
二 事務所での取組み
私の所属する埼玉中央法律事務所では、上記労働者派遣法改正案は、大きな抜け穴と極めて不十分な改善に止まるものであるとして、真に労働者保護のための労働者派遣法抜本的改正を求める広報活動をしています。
具体的には、二週間に一回程度、大宮東口で街頭演説、チラシ配布及び署名活動をしております。参加者は毎回、弁護士五名程度、事務職員一〇名程度で、毎回二〇〇枚程度のチラシを配布しています。当事務所は貸金業規制法の改正運動や埼玉での反貧困活動において事務所一体となって取り組んでおり、事務職員の方々も毎回多数が参加し、積極的に活動に取り組むなど、事務職員の意識も非常に高いものがあります。大宮ということもあって人通りは多く、チラシの受け取りもなかなかです。
演説では、問題となった派遣村に集まった労働者や現在我々が裁判で戦っている当事者の方ですら改正法では保護されないということを特に強く主張し、『「安く使われ」「すぐに切られる」働き方をなくそう!まずは均等待遇から実現させよう!!』と声を上げています。関心のある方も多く、我々に声を掛け、署名に賛同してくれる市民もおります。
上記改正案は継続審議となりそうな情勢で、まだまだ巻き返しは十分可能かと思います。
今後もこのような事務所単位の草の根活動を続け、真に労働者保護のための改正を実現したいと考えております。
ぜひ団員の皆様も、団支部単位、事務所単位でも、労働者派遣法の抜本的改正に向けた積極的な取り組みをお願いします。
京都支部 渡 辺 輝 人
第一 はじめに
本件は、すでにご報告した京都新聞COM事件(労働仮処分)の続報である。仮処分勝利の後、大阪高裁の抗告審、京都地裁の本訴第一審でいずれも勝訴したので、以下、京都地裁判決について報告する。
第二 事案の概略
原告の二人は、二〇〇一年六月(Aさん)、二〇〇四年五月一日(Bさん)に、京都新聞社の子会社である京都新聞企画事業株式会社(以下「企画事業会社」という)に採用された。Aさんは入社二年目頃からは、京都新聞に掲載する「記事体広告」(記事の体裁をとった広告)の作成等の業務、イベント運営業務等に従事してきた。Bさんも同社に入社後、同様の業務に従事してきた。最初は六ヶ月、後には一年ごとに契約を更新する雇用形態(Bさんは最初から一年更新)でありながら、従事していた業務は京都新聞社の収益の中心となる基幹的なものであった。
二〇〇六年四月の京都新聞社は将来の人件費削減を主要な目的とする事業再編を行い、京都新聞社、新設された株式会社京都新聞COM(以下「COM」とする。京都新聞社も含めて「会社側」とする)及び株式会社京都新聞印刷の三社による分社化体制をスタートさせた。
事業再編に伴い、二人が従事してきた業務の業務委託は企画事業会社から引き上げられ、COMに新たに業務委託された。それに伴い、Aさん、Bさんも二〇〇六年四月一日以降、COMに移籍し、同社との間で一年単位で契約を締結するようになった。そして、COMにおいて二回契約更新をした直後の二〇〇八年六月、二人は二〇〇九年三月三一日付で雇い止めする旨の通知を受けた。
二人は、京都新聞労働組合の支援を受けながら、二〇〇八年一〇月二七日、京都地方裁判所に地位保全、賃金仮払を求める仮処分の申立をして二〇〇九年四月二〇日に勝訴。会社側は保全異議、続いて大阪高裁に保全抗告したが二〇一〇年四月二八日に大阪高裁での保全抗告でも勝利。五月一八日の京都地裁判決を迎えた。
第三 京都地裁本訴の審理と判決
京都地方裁判所は、二〇一〇年五月一八日、Aさん、Bさんの労働契約上の地位を確認し、COMに対して賃金の支払いを命じる判決を下した。判決は法人間の雇用の継続について「原告らは平成一八年四月に企画事業会社から被告に移籍しているが、業務内容に変更はなく、勤務場所も同じ京都新聞社の社屋内でフロアが変わっただけであること、被告勤務開始時の原告らの基本給は、企画事業会社での勤続年数に応じて違いがあり、有給休暇についても、企画事業会社での勤務年数に応じて日数が決められ、被告での賞与についても企画事業会社の在籍期間をも計算対象期間として支払われていたことなどからすると、雇用契約期間や契約更新回数を考えるにあたっては、企画事業会社での勤務と被告での勤務は継続しているものと考えるのが相当である。」と、大阪高裁よりもさらに詳細な判断を示した。そして、通算の雇用期間、更新回数を認定し、「原告らの業務は、広告記事の作製やイベントの運営など、新聞編集等の業務と比べると軽いものではあるが、ほぼ自分の判断で業務を遂行しており、誰でも行うことができる補助的・機械的な業務とはいえないこと、原告らは、期間の満了時期を迎えても、翌年度に継続する業務を担当しており、当然更新されることが前提であったようにうかがえることなどからすると、原告らとしては、契約の更新を期待することには合理性があるといえる。」とのべて、期待権の発生と解雇権濫用法理の類推適用を認めて、雇い止めを無効とした。
第四 判決の評価と今後の展望
京都地裁(仮処分)、大阪高裁(抗告審)、京都地裁(本訴判決)と裁判所の判断を重ねるたびに、二つの法人間での雇用の継続性に関する判断は詳細になっており、規範としての精度は高まっているように思う。また、雇用する法人が途中で形式的に異なった場合でも、雇用の実態に着目して一定の要件がある場合には、期待権発生との関係では雇用期間を通算して考える裁判所の判断の流れは定着してきたと考える。今後は、どのような要件がある場合に雇用期間を通算して考えるのか、その最低要件を明らかにし、それを拡大していく必要があると考えている。京都地裁の判決文は裁判所のホームページにも掲載されたので、ご覧いただければと思う。
一方、会社側は、この流れを理解せず、大阪高裁に控訴した。経営者としての責任を発揮せず、いたずらに紛争を引き延ばす会社側の姿勢には怒りすら覚える。弁護団としても、原告本人のお二人、京都新聞労組とともに、引き続き全力を挙げて完全勝利を目指す所存である。
なお、この事件は、京都第一法律事務所の弁護士、村山晃、岩橋多恵、藤井豊、渡辺の四人で担当しています。
京都支部 中 島 晃
私が、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」を批判していることを聞きつけた知人が、私のもとに、「図書」(岩波書店)の六月号に掲載された和田春樹さんの「『坂の上の雲』と朝鮮」(以下、和田論文という)のコピーを送ってくれた。
和田論文は、司馬遼太郎が生前、「坂の上の雲」のテレビドラマ化を拒否し続けていたにもかかわらず、NHKがあえてこの作品のドラマ化に踏み切ったことに疑問を投げかけるとともに、ユニークな視点から、「坂の上の雲」を読み解く試みを行っている。
和田論文は、司馬が「坂の上の雲」を執筆していたとほぼ同じ時期に、薩摩焼の陶工沈寿官一四代や詩人の西澤隆二と交流があったことを紹介して、「故郷忘じがたく候」、「ひとびとの跫音」などの司馬の作品について触れたうえで、「坂の上の雲」の世界の外側に立っているこれらの人々の目を意識したうえで、司馬がこの小説を書いたのではないかと述べている。興味深い指摘であり、成程と感心もさせられた。
司馬は、小説家として多面的な顔をもっており、作家の小田実や井上ひさしとの対談集(「天下大乱を生きる」、「国家・宗教・日本人」)を出版したり、憲法学者の樋口陽一氏との対談も行っている。司馬が生前、こうした人々とも交流があったことを評価し、そうした観点から、「坂の上の雲」を読み解くというのは、非常にユニークな視点である。
しかし、司馬がこうした人々と交流があったことと小説「坂の上の雲」の評価とは、切り離して議論すべきものであることはいうまでもない。和田論文は、さきに述べた視点から、小説「坂の上の雲」を読み解くという試みを行っているが、残念ながら、その試みは必ずしも成功しているとはいえない。
その理由は、和田論文が「坂の上の雲」に書かれていない事実を、それが書かれているとの間違った思い込みを前提としていることなど(後掲の手紙参照)、明らかに無理な議論をしているところにある。
こうしたことから、和田論文に違和感を覚えたので、これに対する感想を書いた手紙を、コピーを送ってくれが知人に送付したので、その手紙の内容を後に掲げて紹介しておきたい。
和田論文を読んで気になったことは、和田さんのような著名な歴史学者ですら、国民的作家とされている司馬の小説「坂の上の雲」を正面から批判することに、多少なりともためらいがあるのだろうかということである。そうだとすれば、それはかなり深刻な問題であるが、これが私の誤解であるなら幸いである。
こうしたことを考えると、「在特会」(「在日特権を許さない市民の会」)などに見られる排外主義的な行動が強まるなかで、日露戦争を祖国防衛戦争として正当化し、朝鮮民衆の苦しみを無視するという構造的な欠陥がある小説「坂の上の雲」を、いまNHKがスペシャルドラマとして映像化することがいかに危険であるかについて、声を大にして批判することが一層重要であり、そのことは、我々団員にとって、朝鮮民衆の友として、朝鮮の独立と人権擁護のためにたたかい抜いた団の大先輩である布施辰治の遺志をうけつぐ、非常に重要な課題であると考える。
〈知人宛の手紙〉
冠省 先日は、「図書」六月号に掲載された和田春樹さんの「『坂の上の雲』と朝鮮」のコピーをご恵送下さり、まことに有難うございます。
大変興味深く読ませていただきました。 …(中略)…
和田さんは、司馬が「坂の上の雲」を書き始めてまもなく、「故郷忘じがたく候」を発表していることに着目して、司馬の「坂の上の雲」の世界の外側に、沈寿官一四代などが立っており、司馬はこの人物の眼を意識してこの作品を書いていたのではないかと指摘していますが、なるほどと感心させられました。
しかし、和田さんが「故郷忘じがたく候」を紹介するなら、冒頭に出てくる一四代沈寿官が、鹿児島の中学校入学の当日に受けた、激しい朝鮮人蔑視と上級生によるリンチにふれる必要があったのではないかと思われますし、彼が韓国に招かれて、ソウル大学で講演した「あなた方が三六年を言うなら、私は三七〇年を言わねばならない」という発言を紹介している部分も、余程注意しないと、日本が韓国併合によって、朝鮮を植民地としたことの犯罪性を相対化し、うすめる危険をもっていることも、あわせて指摘しておく必要があると考えます。 …(中略)…
ところで、和田さんが、司馬の「坂の上の雲」について、「著者が自分ではやばやと幕を引いて、打切りを宣言したような小説となっている」と述べていることについては、はたしてそうなのかという疑問があります。
坂の上の青い空にかがやく、一朶の白い雲をみつめて、坂をのぼっていく明治の青春を描くという、この小説のテーマからいえば、そのクライマックスである日本海海戦の勝利でフィナーレを飾ることは、最初から予定されていたことであって、何も突然打切りを宣言したというものではないと思います。むしろ、その後に出てくる日比谷焼き打ち事件や韓国併合はもはや書く必要がないことであり、こうしたことをあえて書かなかったことに、この小説の意図―明るい明治を描くという意図―がはっきりと示されているのではないでしょうか。
もう一つ言いますと、和田さんは、作品は日本海海戦の勝利で断ち切られたように終わっているとした後に続けて、「連合艦隊の観閲式の日、秋山真之はそれに列席せず、子規の墓に参っている。」と書いています。
この部分を読んで、アレッと思って「坂の上の雲」を読み返してみました。「坂の上の雲」には、「連合艦隊が横浜沖で凱旋の観艦式をおこなったのは、一〇月二三日である。その翌々日の朝、真之は暗いうちに家を出た。」という書き出しで、子規の墓に参ったことが書かれています。
「坂の上の雲」には、真之が連合艦隊の観閲式の日に、それに列席せずに、子規の墓を参ったなどということは、どこにも書かれておらず、この部分は和田さんの完全な「創作」(間違った思い込みか)ということになります。この小説が子規の墓参りで終わるのは、この小説の副主人公である子規が小説の前半で早々と姿を消し、後半では全く登場しないことから、最後に子規を登場させるために、真之による墓参りの情景をもってくるというのは、この小説の形を整えるうえで必要な作業であったのではないでしょうか。ですから、この部分もまた、この小説で、最初から予定されていたことではないかと思います。
「坂の上の雲」について、和田さんのように読むことは、なかなかユニークな視点だとは思いますが、子規の墓参りのことも含めて、事実を正確にふまえていないことなどからいって、非常に無理な議論を組み立てているように思えてなりません。
もっとも、「坂の上の雲」のテレビドラマ化は、第二部、第三部とますます難しくなるとの和田さんの指摘はそのとおりだろうと思います。しかし、それはテレビドラマ化の問題であるというにとどまらず、司馬の真意がどこにあるにせよ、小説「坂の上の雲」がかかえている欠陥が、テレビドラマ化によって一層拡大すると見るのが正確なのではないでしょうか。(以下、省略)
千葉支部 守 川 幸 男
一 高校生の投書の紹介
本年六月二九日、朝日新聞朝刊の声欄に、「定数削減は慎重に議論して」という高校生(一六歳)の投書が掲載された。読んだ団員も多いと思うが紹介しておく。
「少数政党には命綱ともいえる比例区削減」「事実上の少数政党、少数意見の抑圧ではないのか」とし、議員が多すぎるなどの批判に対しては「国会議員とは国民の代表であり、国民の意見を議会に届けるのが仕事」「民主主義の根幹にかかわる」などとして、慎重な議論を呼びかけている。
議員を減らさずに議員の歳費を減らすことを提案するなど議論の余地はあるが、高校生としては立派な正論の投書である。
二 投書運動を
消費税増税の大合唱は、増税勢力の大連立の動きを加速するであろうし、そのために比例区削減を強行する危険性は、鳩山内閣より増大したと見るべきである。
したがって、この投書に続いてあちこちの新聞などに投書運動をしたらどうだろうか。
三 批判の観点
その非民主制やもたらす効果等はすでに十分に論じられているので、以下の二点をつけ加えるべきことを指摘したい。
一つ目は、一項で述べた消費税増税の大連立の動きが比例区削減への衝動を強める危険性の増大という観点である。
二つ目は、諸外国との比較である。公務員削減や法人税が高い、のからくりやまやかし同様、この問題でも大きなまやかしがある。推進勢力は主としてアメリカと比べて少ない、などと言うが、アメリカは連邦制であって連邦議会とは別に州議会に議員がたくさんいることを無視している。比較の方法に大きなまやかしがある。
また、ヨーロッパ諸国との比較には全く口をつぐんでいる。日本の国会議員数は人口比で少ないのである。
四 あわせて最近の消費税増税論議に対する批判を
菅首相が「大企業減税の穴埋め」「弱者を直撃し、経済を冷え込ませる」との批判を前に、低所得者への税の還付などと、苦しまぎれにいいかげんなことを言い出している。
この点は選挙戦の中で適切な批判が展開されるであろうし、この投論が載るころには選挙は終わっているが、消費税論議はその後も続くから、いくつかの批判の観点を提示しておきたい。
(1)基準年収額が二〇〇万円から四〇〇万円と言い分がくるくる変わっている。いずれ「公約ではなかった」と言い出すのであろう。
(2)いったい何割の国民がこれに該当するのか。四〇〇万だと四六・五%(二〇〇九年国民生活基礎調査)だとのことであり、食料品の軽減措置と合わせ増収の効果は大幅に少なくなる。
(3)年収をどう捕捉するのか。これは背番号制のねらいと結びつく。
(4)還付の手続を必要とすることに伴う問題点もある。
まず消費と経済を冷え込ませて、あとから(数ヵ月から一年か)還付、という発想が間違っていて、消費税の問題点はほとんど解消しない。
また、その手続が面倒であり、さらに役所の事務量や費用のムダが発生する。
(二〇一〇年七月二日)
給費制維持対策本部
今年11月の給費制廃止が迫るなか、自由法曹団は、6月常任幹事会で「給費制維持対策本部」を設置することを決定し、「司法修習生に対する給与の支給継続を求める市民連絡会」に加入しました。いま、給費制の存続を求める世論と運動は、全国各地で大きく広がっています。11月の給費制廃止を阻止できる条件は十分あります。
このような中で、自由法曹団、全労連、国民救援会の3団体の呼びかけで、7.28「司法修習生の給費制存続を求める各界懇談会」を計画しました。懇談会には、各界の団体・個人から多数参加していただく予定です。
団員・事務局の皆さまも、全国から多数参加されることを呼びかけます。
七・二八「司法修習生の給費制存続を求める各界懇談会」
○日 時:二〇一〇年七月二八日(水)一八時開場 一八時三〇分開会
○場 所:全労連会館2階ホール〔東京都文京区湯島2−4−4 電話03−5842−5611〕
○主 催:自由法曹団・全労連・日本国民救援会