<<目次へ 団通信1355号(9月1日)
鷲見 賢一郎 | 二〇一〇年 愛媛・松山総会 特集 “二大政党への不信”鮮明に 憲法と平和、生活と権利を守る新たなたたかいを! |
臼井 満 | おいでんかなもし 松山ヘ |
井上 正実 | 半日ツアーのお誘い |
東 俊一 | 一泊旅行のご案内 |
鶴見 祐策 | 「先生」はやめないか |
土田 嘉平 | 『石川元也さんに応えて』 |
松村 文夫 | 一時金八割の支払命令判決 |
中野 直樹 | 修験の霊場・神室の渓に躍る岩魚 |
後藤 富士子 | 「未来を現在に浸入させる」 ―体制変革の手法 |
二〇一〇年 愛媛・松山総会 特集
幹 事 長 鷲 見 賢 一 郎
一 一〇年七月参議院選挙と二大政党への不信
一〇年七月一一日投開票の参議院選挙で、民主党は、与党過半数に届かないばかりか、改選五四議席をも大きく下回る四四議席の大敗を喫しました。菅内閣は、鳩山内閣の米軍普天間基地の辺野古移設容認などの公約違反と「政治とカネ」の問題で小沢前幹事長らの疑惑について一切説明をしない姿勢を引き継ぎ、さらに消費税増税まで言い出しました。このような菅内閣の公約違反、疑惑かくし、国民生活破壊の姿勢が民主党大敗の原因です。
自民党は、改選三八議席のところ五一議席を得て「改選第一党」になりました。しかし、自民党も国民の信任を得たわけではありません。自民党の比例票は一四〇七万一六七一票(得票率二四・一%)にとどまり、大敗を喫した〇七年参議院選挙と比べて二四七万三〇九〇票の減(マイナス四・〇ポイント)となっているのです。
国民は、一〇年七月参院選で民主・自民の二大政党のアメリカと財界追随、国民生活破壊の政治に不信任をつきつけたのです。それは、私たちのこの間の、米軍普天間基地即時無条件撤去、衆院比例定数削減反対、労働者派遣法抜本改正などを求める運動の反映でもあります。
いま、憲法と平和、生活と権利を守るたたかいを強化する時です。
二 日米安保改定五〇年と米軍普天間基地撤去のたたかい
日米両政府は、一〇年五月二八日、米軍普天間基地の「辺野古移設」を合意する日米共同声明を発表しました。「県内移設反対」の沖縄県民の意思を踏みにじる暴挙です。一一月には、「普天間基地の早期撤去と海兵隊の撤退」などを争点に沖縄県知事選挙がおこなわれます。
沖縄への米軍基地の押しつけの根源には日米安保条約があります。普天間基地の無条件撤去を勝ち取るためには、「日米安保条約と米軍の抑止力」論の誤りを明らかにすることが重要です。安保改定五〇年の今年、世界の平和の流れを明らかにし、アメリカの言いなりに他国侵略の道具とされている日米安保条約廃棄の世論を大きく広げましょう。
三 衆院比例定数削減を阻止し、民意を反映する公正な選挙制度の実現を
菅首相は、七月三〇日の記者会見や八月二日の衆議院予算委員会で、衆議院比例八〇議席、参議院四〇議席を削減する「国会議員定数削減」案を、「一二月までに与野党合意」あるいは「年内に実行できるテンポで議論」することを強調しています。
民主党は、比例定数削減の口実として、「ムダづかいを根絶」、「政治家自らが身を削る」などの理由をあげています。しかし、「ムダづかい」をなくすなら、年約三二〇億円もの税金を注ぎ込む政党助成金の廃止こそ重要です。
いま、衆院比例定数削減阻止のたたかいを飛躍的に強化することが重要です。そして、比例定数削減阻止のたたかいのなかで、比例代表中心の制度や定数三〜五の中選挙区制など、民意を反映する公正な選挙制度実現にむけての討論を開始しましょう。
四 非正規労働者の裁判闘争と派遣法抜本改正のたたかい
〇九年一二月一八日のパナソニックPDP事件最高裁判決は、黙示の労働契約の成立を否定し、派遣先の雇用責任を免罪しました。派遣労働者、期間労働者は、現在、全国各地で、派遣先への直接雇用や雇い止めの撤回を求めて、約六〇件の裁判闘争をたたかっています。全国の叡智と力を結集して、パナソニックPDP事件最高裁判決の誤りを明らかにし、非正規労働者の裁判闘争に必ず勝利しましょう。
鳩山内閣が四月六日に衆議院に提出した労働者派遣法改正案は、グループ派遣の大幅容認、派遣先の労働契約申込み義務の撤廃、派遣の八割容認、有期契約一回で雇い止めの危険のある直接雇用みなし制度、均等待遇原則の不採用など、改正の名に値するものではありません。一〇年秋の臨時国会で労働者派遣法の抜本改正を勝ち取ることをめざして、さらに運動を強化することが重要です。
五 ナショナルミニマムを切り捨てる地域主権改革とのたたかい
菅内閣は、六月二二日、地域主権戦略大綱を閣議決定し、「義務付け・枠づけの見直しと条例制定権の拡大」、「国の出先機関の原則廃止」、「自治体間連携・道州制」など九の課題を推し進めようとしています。民主党政権の地域主権改革は、自民党政権の地方分権改革を引き継ぎ、福祉をはじめとする国民生活関連分野における国の責任を軽減し、それを地方に押しつけ、ナショナルミニマム(国民生活の最低限保障)を切り下げることを狙っています。
貧困と格差の拡大に反対し、国民の生活と権利を守るために、民主党の地域主権改革の全容と狙いを明らかにし、反対の世論を広げていくことが重要です。
貧困問題に対応するうえで、街頭相談と一日派遣村活動、生活保護受給支援、追い出し家対策などの取組を強化しましょう。
六 弾圧・えん罪とのたたかい、裁判員裁判
国公法弾圧堀越事件は、一〇年三月二九日、東京高裁で逆転無罪判決を勝ち取りました。世田谷国公法弾圧事件は、五月一三日、東京高裁で控訴棄却の有罪判決が出されました。現在、両事件は、最高裁判所第二小法廷に係属しています。両事件の大法廷回付を勝ち取り、違憲無罪判決を是非とも勝ち取りましょう。言論表現の自由と政治的民主主義を守るたたかいは、これからが正念場です。
足利事件の菅家利和さんは、一〇年三月二六日、宇都宮地裁で無罪判決を勝ち取りました。布川事件は、現在、水戸地裁土浦支部で再審公判が進められています。これらのえん罪事件を通じて、取調過程の全面可視化の必要性がよりいっそう明らかになっています。
〇九年八月以降、全国各地で裁判員裁判がおこなわれ、経験が積み重ねられています。被告人の権利をいかに守るか、いま、その経験を交流することが重要です。
七 司法修習生に対する給費制維持の取組
今年一一月から司法修習生に対する給与の支給制が廃止され、お金がない修習生に対して金銭を貸し付ける貸与制に変更されようとしています。これでは、経済的に恵まれない人たちが法律家になる道が閉ざされてしまいます。多額の借金をかかえた状態では、貧困に苦しむ人々の人権擁護活動も十分にできなくなることが懸念されます。
今、明日の「権利の守り手」を育て、「基本的人権と社会正義」を擁護するため、広く国民に訴え、司法修習生に対する給費制を守り抜きましょう。
八 未来を切り開くたたかいを
以上述べた課題の他にも、教育と子どもをめぐる問題、公害・環境問題、国際連帯と国際人権法を活用する課題などの諸課題があります。そして、これらの活動を支え、強化するために、団と団事務所の強化、発展をはかることが重要です。
松山総会では、参議院選挙後の情勢を踏まえて、以上の諸課題について討論を尽くし、たたかいの展望と道筋を明らかにしましょう。
多数の団員・事務局の皆さまのご参加を期待します。
(八月三〇日記)
四国総支部(愛媛県) 臼 井 満
一九九五年、団の五月集会が松山で開催されてから一五年になります。また、二〇〇三年の第四六回日弁連人権擁護大会(松山市)に参加された方は七年ぶりのことになります。
この度、団総会を松山に迎えることになり、団員の皆さまが多数参集されることを心より念願し、愛媛の全団員あげて大歓迎いたします。
松山といえば、「いで湯と城と文学のまち」というキャッチフレーズで知られるところです。今から三〇〇〇年前に白鷺が傷を癒している姿を見て発見されたといわれる「道後の湯」。有名なのが松山市営の道後本館。目立つ高楼は振鷺閣です。 かの明治時代に近代俳句を唱えて活躍した俳聖正岡子規と高浜虚子ら俳人と作家夏目漱石ら文学者の活躍を知らない人はありません。また、司馬遼太郎の明治観には評価はいろいろ別れるようですが、陸軍騎兵隊の軍人で晩年教育者となった秋山好古とバルチック艦隊撃滅で名参謀と名を馳せた海軍の秋山真之兄弟と子規らを描いたNHKドラマ「坂の上の雲」の舞台でもあります。また、かの大審院長・児島惟謙、法学者・穂積陳重は宇和島の出身です。
大正から昭和にかけては、竹久夢二と並んで一世を風靡した挿絵画家の高畠華宵や『戦旗』『赤旗』などをイラストやポスターなどで飾ったプロレタリア芸術家の柳瀬正夢らの文芸活動、伊丹万作(伊丹十三の父)らの映画人、演劇人丸山定夫(築地小劇場一期生・移動劇団桜隊・広島で被爆して死亡)らの活躍がいまに伝えられているところです。
あの有名な映画監督・山本薩夫(旧制松山中学)、社会活動家・岩田義道(旧制松山高校)、宮本顕治(旧制松山高校)、中村草田男らも松山で学び全国的活動に踏み出して行った人々です。付言すれば、早坂暁、大江健三郎なども愛媛県出身です。
愛媛県は、『保守王国』といわれて久しいところです(昨年の衆議院議員選挙までは全議席自民党が独占してきた)が、明治・大正・昭和の戦前にかけては、前述のように多彩な文学・文芸・社会活動に名を馳せた人々が駆け抜けてきたのです。そして戦後、「日教組御三家」といわれるほどに強力な教職員組合のバックアップのもと、参議院でも衆議院でも多数の革新派議員を当選させるなど、決していわれるような保守王国ではなかったのです。そのような中で、一九五六(昭和三一)年から愛媛県教職員組合を潰すのが目的の一つともいえる勤務評定攻撃が全国に先駆けてされるに至ったのです。当時の県会議長白石春樹(後の県知事・愛媛玉串料訴訟の被告)が辣腕を発揮したという事です。愛媛の勤評闘争で勝利した保守が以後の県政・国政への主導権を発揮していったといっても間違いないでしょう。
しかしながら、愛媛県民の戦いは凍結させられ続けた訳ではありません。全国的に注目された事件も少なくありません。最高裁まで争った事件として伊方原発差し止め訴訟や織田が浜埋立反対訴訟、そしてあの愛媛玉串料訴訟があります。
伊方原発差し止め訴訟では、住民の反対運動と科学論争が繰り広げられ、織田が浜埋立反対訴訟でも住民運動と瀬戸内環境保全臨時措置法の解釈をめぐって熾烈な戦いが展開されました。残念ながらこれら訴訟は第一審、第二審とも棄却となり、織田が浜訴訟では最高裁で破棄差し戻しとなったものの、いずれも最高裁で敗訴となりました。一五年に及ぶ愛媛玉串料訴訟は、松山地裁で違憲判決、高松高裁で逆転合憲判決となったものの、最高裁で大法廷に回付のうえ一三対二で違憲判決となり、政教分離原則を厳格解釈する方向へと転換するものとして全国的にも大きな影響を及ぼしました。その成果は、後に愛媛県新宮村で発生した村の観音像設置事件でも違憲判決をさせることにつながり、控訴無く確定する成果を上げました。
なお、近時の事件として宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」がアメリカの原潜に沈没させれた事件でも団本部とアメリカのロイヤーズ・ギルドの強力な支援を受けて決着したことは記憶に新しいところです。
全国で、日夜人民と庶民と労働者のために奮闘されている団員のみなさん、是非とも松山総会にこぞってご参加ください。そして、気軽に足湯に浸って湯煙りを楽しみ、俳句王国松山で一句でも二句でも捻ってリラックスのひとときを過ごして下さい。あちこちに「俳句ポスト」があります。松山の散策から、時間が許せば会場の一部でもある「子規記念博物館」をはじめ市内に「伊丹十三記念館」、少し足を延ばせば「高畠華宵大正ロマン館」「砥部焼きの里」「内子町の古い町並みと内子座」もあります。更に時間が許せば「面河渓谷と西日本最高峰の石鎚山」や本四架橋のひとつ・「しまなみ海道」へも足を運んで頂けたらと思います。
皆さまのおいでを心よりお待ちします。ウエルカム愛媛・松山!!
追記
松山総会の会場の一部となり、宿泊の拠点となる松山の道後プリンスホテルは、地元企業の経営になるものであり、民主団体の利用を拒否した某「プリンスホテル」のチェーンホテルではありません。
四国総支部(愛媛県) 井 上 正 実
愛媛総会が終了する一〇月二五日の午後一二時四〇分から半日ツアーを企画しています。愛媛県は交通網も十分に整備されていないことから、松山市から時間がかかる遠隔地への半日ツアーの企画は断念をせざるを得ず、松山市内から一時間程度で行ける内子町の半日ツアーを企画することにしました。
内子町の旧町内は江戸時代から製蝋が盛んになって繁栄した街です。製蝋商人が得た利益は莫大なもので、財力にものを言わせた堅固な建造物が街並みを連ねて建てられています。現在も江戸末期に建てられた豪華な建物が街並みを型づくっていて、一年中に亘って多くの観光客で賑わっている街並みです。家並みは内子町を挙げて現在もしっかりと保存されています。また、製蝋の家並みから五分位離れた所では、同じく江戸時代の末期に建てられた芝居小屋が現在も保存され、芝居小屋では現在も歌舞伎や浄瑠璃などの伝統文化が開催されています。半日ツアーに参加された人への街並みの案内は、内子町内のボランティア団体の人が解説をしてくれることになっています。
また、旧内子町からバスで一五分ほどの所に内子町大瀬という街があります。この大瀬という街は、ノーベル文学賞受賞者で「九条の会」のメンバーの一員である大江健三郎さんの出身地であります。大瀬の大江健三郎さんの実家には、現在も大江健三郎さんの甥子さんのご家族が薪炭業を営んで生活をされています。旧内子町の街並みを散策した後に、大瀬の街並みをご案内させていただくことにしています。大瀬では大江健三郎さんの中学当時の教師で、野球の指導に当たっていたという大星さんというご年配の方から、大瀬自治センターで大江健三郎さんの少年時代の様々な逸話を話してもらうことにしています。大瀬という街は取り立てて観光するほどの街ではありませんが、大江健三郎さんの人となりを知るうえで貴重なお話を聴かせていただけるものと思います。
九年前にハワイ沖で米原子力潜水艦グリーンビルで沈没させられた宇和島水産高校の「えひめ丸」に乗船していて亡くなった生徒・先生・乗組員の方々の遺影を祀った慰霊碑を訪問する企画をしたかったのですが、半日ツアーで時間もない折から内子町の企画になりました。しかし、伝統ある内子町の街並みと大江健三郎さんの出身地の訪問の企画でも、十分に満足していただけるものと期待をしています。多くの皆様方のご参加をお待ちしています。
四国総支部(愛媛県) 東 俊 一
愛媛でのお奨めは、なんといっても海です。景観は瀬戸内の多島美、食は海産物です。
一日目は、昼食の後、松山市内の四国八十八カ所霊場の五二番札所太山寺を拝観します(時間があれば、砥部焼きの窯元の見学も)。 その後、しまなみ海道を通って今治市沖の大島に渡り亀老山展望公園(標高三〇七・八m)からの眺めを楽しんでもらいます。展望台からは、世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、西日本最高峰「石鎚山」や瀬戸の島々のシルエットと美しい夕日が眺望できます。
宿泊は、知る人ぞ知る「いけす料理・海宿 千年松」です。地元漁師の獲る魚介類の新鮮さと旨さは、ご期待を裏切ることはないでしょう。なかでもアコウ(ハタ科の高級魚)の刺身は絶品です。「雪雀」「桜うずまき」「山田錦」など淡麗辛口の愛媛の地酒と一緒にご賞味下さい。「満天の湯」からの来島海峡や今治市の夜景、目前の白砂を打つ波枕が、団総会の疲れを癒してくれます。
二日目は、しまなみ海道を尾道に向けて走り、大三島の大山積神社を訪れ宝物館などを見学します。日本各地にある山祇神社、三島神社の総本社とされる由緒ある神社で、源氏、平家をはじめ多くの武将が武運長久を祈り、武具を奉納しており、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約四割がこの神社にあるとのことです。平安時代には、朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜され、現在でも自衛隊の幹部などが参拝しているそうです。このように書くと、憲法九条をまもる運動に参加している私としては、いささか躊躇をしますが、あくまで文化的価値に着目して、お奨めするところです。
昼食は、海鮮丼など旨いもの≠食べるか、それとも景観の美しいレストランで普通のもの≠食べるか、いま迷っています。
昼食後は、多々羅大橋を渡り生口島(広島県尾道市)の平山郁夫美術館を見学します(平山郁夫は、生口島出身)。同美術館によると、平山の「今日までの偉業を余すところなく紹介する美術館」で、最近の作品を中心に、少年時代のものも鑑賞できるのだそうです。私は美術鑑賞の趣味をもちませんが、五、六年前に同美術館を訪れたとき、仏教伝来やシルクロードの遺跡などの絵画によって心休まる思いをした記憶があります。残念ながら平山郁夫は、昨年一二月お亡くなりになりましたが、この機会に是非ご観覧になっては如何でしょうか。
しまなみ海道の一泊旅行に是非ご期待、ご参加下さい。
東京支部 鶴 見 祐 策
団の総会が近づいた。活発な報告や討議は毎回はげまされる。さて総会、五月集会、幹事会など団の会合で団員を「先生」と呼ぶことがよくある。これはもうやめたらどうか。総会には事務局や団外の人も多数参加している。発言者を呼ぶのに司会者が「先生」と呼ぶべきか戸惑っている場面もあった。「先生」は尊称だが、「先生」と呼んだから相手を尊敬しているとは限らない。大先輩でも新人でも呼称は「さん」で十分ではないか。
弁護士会などではお互いに「先生」と呼ぶ場合が多いのだが、これも実際はおかしい。私が弁護士会に登録した当時のある会合(多分派閥の集まりと思う)で先輩弁護士が「わが会ではみな『君』と呼ぶのがならわし」と紹介されたものだ。今はそうなっていないが。
そういえば、今年の新聞に本人訴訟の当事者の投書があった。裁判官が相手方の代理人を「先生」と呼ぶのを奇異に感じたというのだ。もっともな話だ。以前から違和感に苛まれながら、「そんなつまらないこと」と言われないかと気が引けていたのだが、賛同する団員もいるらしいので敢えて提案する次第である。ずいぶん前だが、同じような意見を団通信で読んだ記憶もある。
四国総支部(高知県) 土 田 嘉 平
お久しぶりです。このところすっかり自由法曹団にご無沙汰しておりますが、団の総会などがあるたびに、うちの谷脇和仁君が、みんな「土田さんどうしてますか」と心配してくれてますよ、と言う。僕は団の総会に出かけると「デーオ」を歌わされるので、もう出かけるのは止めにしたと冗談を言って笑っています。
そう、僕はこのところ老衰が激しくてデーオを歌うどころか、遠出するのさえうるさくてまさに隠居同然の毎日を送っております。
それがこのように通信を送るに至ったのは、石川元也さんが『団通信を面白く』と言い出したのについ吊られて筆を執ったわけです。今までも団通信は面白く読ませてもらっていますが、ただ、息をつく暇もない文章が並んでいたことは争えません。だから僕のこの通信は息抜きとしてお読みいただきたい。石川さんの「団通信を面白く」との真意からも外れているかもしれませんが、なにせ隠居の身で現場から離れていますので、寝とぼけたことを書くと思いますがどうか辛抱してお読みいただきたい。
しかし僕の驚いたのは「二〇一〇年青森・三沢五月集会の記録」(団報一八五号)のプレ企画一「若手弁護士リレートーク」です。わけても土井香苗団員の活動とその報告を読んで、ああ団の活動範囲も広がってきたなあ。僕ももう少し若ければこんな活動に参加してみたかったとつくづく残念に思っています。
土井香苗さんの名は数年前に彼女の著書『ようこそ≠ニ言える日本へ』(岩波書店刊)を読んでこんな弁護士さんもいるんだと驚きましたが、その後なんと土井さんがわが団員であると知ってなお嬉しくなったのを覚えています。その土井さんが新入団員に向かって「自分はNGOなのだというふうに思っていただいて、さまざまな分野で活動していただきたい」と発言しているのは、まさに二一世紀型大衆的権利闘争の呼びかけではなかろうかと感じ入ってます。いかんせん老兵は去っていきますが、若手諸君大いに奮起されんことを心から期待します。
八月初め、僕は「法と民主主義」四五〇号に佐々木猛也さんのニューヨークにおけるNPT再検討会議に参加した報告書が出ており、一読して早速、彼にFAXで僕の「震えるような感動」と彼の活動に対する心からの敬意を伝えた。
そこには彼の叔父さんの被爆体験が生々しく綴られており、佐々木さんの痛恨の悲しみと憤り、そして原爆投下の人類に対する犯罪性を追求してやまぬ闘志が伝わって来て、ただ口で核兵器反対と唱えているばかりの僕のえせ平和主義が恥ずかしくてならなかったのです。
彼と僕は同じ大阪の加藤法律事務所(現在の大阪法律事務所)で育った同僚である。しかし僕は佐々木さんのこのような被爆体験を知らなかった。彼がこのような反核の思想を内に秘めていることを知らなかった。つくづく申し訳ないと思った。それでFAXした。
数日後、佐々木さんから、「震えるような感動」を覚えたと礼状が届いた。あの「法と民主主義」の報告書が読まれているのかどうかは判らないが、土田さん以外には今のところ誰からも反応はない。それだけに嬉しかったと書いてあった。みんなそんなに忙しいのですかな。感動したときはお互いに感動を伝え合い、心を通わせることが大事なのではなかろうか。
返書によると佐々木さんは、白内障で手術したり、網膜裂孔になったりで死の準備をしているが、それでもニューヨークに行き、元気を貰いましたと言う。
佐々木さんが四国八十八ヶ寺廻りをされたことは先年聞き及んでいたが、小豆島の八十八ヶ寺や福岡・篠栗の八十八ヶ寺にもお経を唱え線香をあげながら歩きましたという。一昨年から四国八十八ヶ寺の逆回りを始めているそうだ。
佐々木さんの東洋的瞑想に裏打ちされた深い人類愛が短い文章の中からも浮かび上がってきて、僕の退嬰的な生きざまを揺り動かすのでした。
あまり長くなっても迷惑でしょうから今日はこのくらいにします。出来ればまた書きたいと思っています。
長野県支部 松 村 文 夫
一 特養老を経営する白百合会(長野県穂高)では、労組結成をきっかけに不当労働行為をくり返し、一時金も減額をし、ついには支給しなくなりました。
一時金の支給を求めて〇九年三月一二日長野地裁松本支部に対して提訴しましたところ、この八月一二日、同支部分は期待権侵害を理由として請求の八割を認める判決を言い渡しました。
一時金については、判例では、協約・慣行の成立を認めず、具体的な請求権を認めないのが続いております(この判決もそうですが)ので、画期的なものと思いますので、報告します。
二 〇七年三月労組を結成しましたところ、法人側は、団交を拒否しながら、労組役員の解雇・雇い止めなどを連発しましたので、同年九月労働委員会に申し立てをし、救済命令が出されました(中労委でも維持、現在東京地裁継続中)が、従おうとせず、なお、攻撃を強めて来ますので、労組側は、全てに対して断乎として提訴して闘うことにしました。その一環としてこの一時金請求訴訟があります。
三 一時金については、旧就業規則では「人事院の定める支給率に準じる。但、予算の範囲内とする。」となっていたのを、法人側は一方的に、「業績に応じて支給することがある。」と変更し、さらに「経常利益が二〇〇〇万円以下であれば支給しない」という内規を作り、〇七年夏季から減らし、〇八年年末からは支給しなくなりました。
たしかに、労組役員を追い出すだけでなく、非組合員に対しても強権的な指示を押しつけるためにベテランはやめてしまい、県から改善命令まで出され、新人と派遣社員でやりくりしているために、経営悪化にはなってきています。しかしながら、法人は、五億六千万円もの預金を有する一方、借金は零です。
原告は、債務不履行と不法行為に基づき、人事院勧告の支給率による一時金を請求しました。
四 判決では、先ず人事院勧告の支給率に従って支給する労働慣行が成立していると認めるには足りないと判断しましたが、就業規則の変更について、合理性・必要性がないから無効としたうえで、期待権侵害を理由に人事院勧告率の八割の支払を命じました。
この八割の根拠について、判決は明示していませんが、私たちが取り組んだ丸子警報機事件判決で、パートの正社員給与の八割の給与を認めたのと同率です。
五 労組員は中年の女性が中心で全員職場から追い出されてしまっておりますが、団結して頑張っております。
解雇無効による賃金支払を命ずる仮処分命令に基いて預金を差押えしようとしたところ、わずか七一万円しか執行できず、五億六千万円は隠されてしまうなど悪戦苦闘しておりますが、全ての不当労働行為救済申立、仮処分申請、訴訟提起では連戦連勝しております。
弁護団は、上條剛・中島嘉尚・蒲生路子各団員と私です。毎週のように、松本まで通っています。
(二〇一〇・八・一二)
東京支部 中 野 直 樹
鬼首
東北道・古川インターを降りた車は、江合川に沿って鳴子街道を走る。梅雨晴れの陽光に稲田の青の海が光る。古川市は、米輸入自由化反対を宣言する町という看板を掲げる。大きなこけしが迎える鳴子温泉から山岳道路となり、ダム湖畔のくねった道をトラックとすれ違いながら緊張した運転となった。栗駒山の南麓となる山深い地域は、鬼首という奇怪な地名である。長野県の戸隠の隣に鬼無里という山村がある。これをきなさと呼ぶ。心地よい語感だ。これに対し、「鬼首」というのは不気味である。「おにこうべ」と口に出すと、目の前のうっそうとした杉木立のなかからぬっと出てきそうな気分となる。道路端に目にする看板には「オニコウベ」と書いてあるし、リゾートパーク「オニコウベスキー場」「オニコウベCC」と表記するようである。こちらの方が愛嬌がある。
そんなことを考えながらハンドルを握っていると、ダム湖に注ぐ江合川が、千メート弱の独立峰・荒雄岳の周囲を反時計回りにぐるりと一周するこれまた不思議な地形に差しかかった。ここから、宮城県、秋田県、山形県の県境となる神室山地の峠越えとなる。かつては深いV字谷の軍沢をはるか下に見おろす山襞を忠実に縫う狭い道を七曲がり、八曲がりと苦労しながら越えた仙秋道路であった。今は、橋とトンネルの連続する直線道でアッという間に、秋の宮温泉郷に導かれた。ここには秘湯の会に登録されている鄙びた温泉宿が点在する。
巨木と巨葉
秋田市で日本海に注ぐ雄物川の支流のひとつ大役内川の上流にのびる林道を走ると、集落が途切れて間なしに、右手に鳥居が立つ。この脇に「日本二〇〇名山 神室山・前神室山登山コース案内」看板が「みちのくの小アルプス」と称されていることを宣伝している。黒森から大森山までのやせ脊梁約二五kmの神室連峰を指す。一三六五メートルの主峰神室山は、鳥海山と並ぶ山岳信仰の山であり、秋田側を源頭とする西ノ又沢沿いに延びる修験者の参道がいまは車道となっている。そこに進入すると秋田杉の林に入った。見事な幹周りと樹高であるが、蔓がからまり、手入れがなされていないことが残念だ。
車止めには車が数台止まっていた。それぞれの車内の遺留物を覗き見るとすべて登山客で、釣り人はいないようだ。車止めで素早く釣り宗徒の装束に姿を改めた。缶ビールを一本にしようか二本にしようかしばし逡巡したうえで、ザックと魚籠を背負って、沢沿いの参道に踏み出した。左岸から右岸へ、そして右岸から左岸へ、二度、吊り橋を渡ったあと、沢から離れて勾配を増す山道に大息をつくころ、ブナの森に包まれた。巨木の森である。巻き尺を出して目線高の幹周りを計ると三メートルを超すものも珍しくない。親子二代の家族が同居するように一箇所から幾本もの幹が伸びているものもある。登山客のいたずらであろうが、山道沿いのブナの樹皮に鉈目で文字が刻まれているものがいくつもあった。「昭和五一年」との刻み文字が三五年の風雪に晒されながら明瞭に残っているから驚きだ。急坂を上りきって息を整えながら振り返ると、天に向かって広げたブナ葉と斜面に敷きつめたシダが織りなす緑の絵の具で世界が染められたかのようだ。
尾根道の途中の木の根元に白地の金属板がくくりつけてあり、そこに「老いて猶 かむろの道に 汗流る」と記してあった。ここから参道は左手の沢方向に向かい、日射しを受けて額に汗が吹き出す。展望がひらけ、深い渓から沢音が耳に響き始めた。途中、小沢の走り出しがあり、秋田名物の大フキの群生が目を引き始めた。両腕で丸をつくるほどの葉の大きさで、計ってみると直径八〇cmもあった。
沢音の誘いにがまんがしきれなくなり、三つ目の小沢のガレ場を、大フキを払いながら下って渓に降り始めた。
霊と冷
西ノ又沢もここまでくると標高千メートル近く、山岳の険しさがある。神室の山稜に向かう両岸の切り立ちが深い緑に覆われ、その地底には、七月半ばだというのに、積もった枯れ葉の下に残雪が隠れている。修験者の修行のフィールドであったろう大岩が連続し、竿を手にして乗りこえていくのが難儀である。この季節は、岩魚は瀬に出てきており、軽いおもりで、淵の手前から流す。やっかいなのは、日射しであり、竿の影がゆらめく水面に落ちると岩魚の警戒心に火をともしてしまう。慎重に慎重に餌を投じた途端に、竿先が右に左に忙しく引っ張られた。こんな賑やかなのはチビに決まっているので、合わせをしないでそっと竿を持ち上げると、一〇センチに満たない岩魚が微動しながら、驚いた目をしてくわえた餌を離し、ちゃぽんと川面に落ちた。このじゃりん子の攪乱も良型を潜ませてしまう。
昼時、参道が渓を横切る第三徒渉点を越えたところで、昼食。まずは缶ビールとめんつゆ容器を浅瀬の川底に沈め、重し石を置く。湯を沸かしながら、ネギを刻む。渓の両岸を埋めているフキの大葉を数枚摘んで平らな岩の上に並べる。缶ビールのプルタブを抜き、渓の霊に泡を振りまき感謝の言葉をつぶやいて、献杯をする。虫取り網を取り出して流れで洗う。これで準備万端。うどんの乾麺を沸き上がったナベに入れ、緑の回廊から白いしぶきが吹き出し、三段の飛沫をあげている奧の滝を眺めながらビールを味合う。ゆであったうどんを虫取り網に入れて、すばやく冷たい渓流水で洗い、フキの緑葉の上に並べる。「涼」なる料理である。
大岩魚の宿る淵
再び釣り上がったが、ピタリと魚影がなくなった。岩魚の午睡の時間帯か、三〇分ほど空振りが続いた後、ようやく二〇cmほどが元気よく飛び出してきた。ここからポイントごとに二五cm前後が魚籠におさまった。やがて、倒木が折り重なり、源流部の様相となってきた。左右に大きな岩をかかえた淵が見えた。左岸に立ち、幅二mほどの落ち込みの右岸の白濁が消えるあたりに餌を沈めた。ぐっと引かれたその瞬間に合わせて一気に引き抜いたところ、二六cmの良型に思わず笑みがこぼれた。気をよくして、今度は左岸の岩肌をなでるように餌を沈めたところ、すぐあたりがあり、二三・四cmがあがった。ますます気をよくして、落ち込みの真ん中あたりに仕掛けを流した。数度流しても反応がない。岩魚の鋭い警戒心からすると一ポイント一尾が通常である。さて次のポイントに移ろうかと心が動いたそのとき、仕掛けが力強く川底に引っ張られ、じっと、動かなくなった。竿に伝わる重量感から大物を感知した。はやる心を鎮め、もう一度岩魚の取り込み場所の確認をし、勝負に出た。右手の手首を返してしっかりと合わせをすると、水中の岩魚が大動きを始めた。竿先が攻められ、くの字に曲がった。少し竿を下げて仕掛けの緊張を緩め、一転浮上しようとする獲物の動きと竿の復元力を合わせてエイと引き上げた。川面が裂け、大きな頭とふくれ面の岩魚が飛び出した。竿を大きくたわませて、空中でくねる。手元にずしん、ずしんと振動が伝わる。鋭い歯が仕掛けにからみ、切られそうな力だ。すぐ身体を右に回して、もくろんだ岸辺に岩魚を落とし、竿を放り出して両手で跳ねる岩魚を押さえた。巻き尺をあてると三二cmの幅広だった。この数値は私のタイ記録だった。胸が高鳴った。これは写真におさめねばとポケットからカメラを取り出そうとしたところ、指がつかみ損ね、カメラが、ぽとんと水中に落ち、お陀仏となった。興奮と落胆が入り交じる気持で納竿とした。第三徒渉点で、ナイフを取り出して、大フキを三〇本ほど刈り取り、葉を落としてザックに詰めた。ずっしりと肩にくい込むザックと魚籠を背負い、参道を下り始めた。
東京支部 後 藤 富 士 子
一 「キャリアシステム」と「法曹一元」
裁判官任用制度として見ると、キャリアシステムは昇進制であるから、「裁判官」といっても身分・給与に等級差があるし、権限にも差がある。統一修習を終了して直ちに任官する「判事補」は、原則として一人で裁判をすることができない(裁判所法二七条)とされているから、「独立して職権を行う」と憲法七六条三項に規定された「裁判官」に該当するはずがない。
これに対し、「法曹一元」の裁判官は、給源を広く拡大するものの、裁判官=判事は全て同等の権限を有し、身分・給与に等級差もないし、昇進制でもない。実例としては、最高裁判事である。そして、憲法八〇条一項で下級裁判所の裁判官の「任期は一〇年」とされていて、終身雇用的なキャリアシステムとは反する原理である。
このように、現行裁判官任用制度は、憲法の価値体系に反するものである。そうなったのは、法曹資格取得後一〇年の経験を積んだ法曹が任官するというのでは、必要な数の裁判官を確保できないという事情による。それが、「判事補」という、キャリアシステムを温存する「がん細胞」みたいなものを生み出した。
ところで、弁護士として裁判実務に携わっていると、担当裁判官の資質・能力に極端な差があり、全く不公平である。「あたり〜」「はずれ〜」と依頼者に説明し、「はずれ裁判官」に判決や審判をさせないように苦労している。全体的にどうしょうもなく質が低下しているが、それでも「聞く耳」をもつ裁判官ならなんとかなる。翻って、身分・権限・報酬に差があるくらいだから、裁判官としての資質・能力に差があるのも当然なのに、あたかも「どの裁判官でも品質は同じです」と利用者を欺いている。
このような、利用者にとって、それ自体「不正義」な裁判官任用制度を維持したら、司法は崩壊する。司法が崩壊すれば、「法の支配」は無に帰し、日本社会は無法地帯と化すのである。実際、その兆候は顕著になっている。そうすると、キャリアシステムは変革されなければならないが、どのような制度にするかといえば「法曹一元」であろう。
「法曹一元」制は、現行裁判所法に原理が埋め込まれている。法曹人口が増えれば、必要な数の裁判官を確保することも可能になる。そして、「一元判事」は、最高裁判事として現に存在している。したがって、裁判官任用制度の体制変革はリアリティを強めている。それにもかかわらず、日弁連は、旧体制である「給費制統一修習」にしがみつく。これを守旧派といわずして何というのか。「市民のための司法改革」だなんて、冗談はよしてほしい。
二 核家族の自治――国家に対する親の「子育て権」の確立
現行民法で離婚後は単独親権とされているのを、離婚後も共同親権に法改正しようと提言して一五年以上経つ。ところが、「離婚後の共同親権」どころか、「離婚前の単独親権前倒し」が家裁実務で横行している。どうして、こんなことになるのか? その原因は、国家との関係で「親権」を親の自然的権利と認めないからである。
ドイツ基本法六条二項は「子の養育および教育は両親の自然的権利であり、かつ、第一次的にかれらに課せられる義務である。国家は、両親の活動を監督する」と規定しているが、これはワイマール憲法に由来する。すなわち、ドイツでは、第二次大戦以前に既に「家族」は「血族共同体」ではなく、「夫婦と子ども」という核家族であった。そして、この規定の意味は、まず親の自然的権利として国家に対する「責任領域」が設定され、義務の不履行があれば、国家がその領域を縮減して介入するシステムを予定する。したがって、両親の離婚について単独親権とされるのは、国家が親の責任領域を縮減して介入し、「子の福祉」の見地から単独親権者を指定するのである。離婚後も共同親権制になったのは、「子の最善の利益」についての科学的知見に基づく社会的認識の変化による。つまり、国の公共政策が変化したのである。
これに対し、日本の戦前の「家制度」は、まさに血族共同体であり、国家に対し責任領域を形成していたのは「家長」である。つまり、日本国憲法により「家制度」が解体されたとき、「家長」に代わる者として「国」がしゃしゃり出てきただけで、「家族の自治」は「家制度」の解体とともに消滅した。換言すると、日本の「親」は、国家との関係で、「子育て」について自然的権利と認められたことはないのである。
したがって、離婚成立前の共同親権の法状態で、国家により片親の親権が剥奪される事態を許していては、離婚後の共同親権どころではない。「両親の自然的権利」を法的に承認させることこそ、現在の焦点である。そうすれば、「子の最善の利益」についての世界共通の理念に照らし、日本でも離婚後も共同親権になるはずである。
三 体制変革のレーニン的手法
「キャリアシステム」と「法曹一元」。「単独親権」と「共同親権」。
「現行制度」と「新しい制度」。これを二元的に捉えていたのでは、どこまでいっても両者は不連続であるから、新制度を実現することは不可能である。
しかし、レーニンのように、一元的に捉えれば、必ず両者は連続する。すなわち、現行制度の矛盾を克服するものとして新制度が構想されるのだから、現行制度の中に新制度は胚胎しているのである。「未来を現在に浸入させる」というのは、制度変革の手法なのである。
【参考文献】白井聡「未完のレーニン」(講談社選書メチエ)
(二〇一〇・八・五)