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三枝  充 不更新合意の効力を認めなかった事例 A書店・S雇止事件・仮処分決定
佐藤 博文 自衛官の懲戒処分・身分保障など
〜女性自衛官人権裁判、完全勝訴!(III)〜
中森 俊久 続・日本レストランシステム事件
萩尾 健太 労働者供給事業の「闇」
―新運転訴訟勝利判決の報告
松島  暁 給費制はなぜ維持されなければならないのか
萩原 繁之 投稿不採用「私の視点」
坂本  修 お礼と「返歌」とお願い
佐藤  生 『削られるのは民意 比例定数削減反対! 九・二九学習決起集会』



不更新合意の効力を認めなかった事例 A書店・S雇止事件・仮処分決定

東京支部  三 枝   充

はじめに

 有期研報告が出るなど有期雇用に対する規制の在り方についての論議が深まっていくと思われるが、他方、雇用の現場では、更新は今回限りとの合意を迫られたり、契約締結時から更新回数の上限が定められたり、その旨の就業規則が「整備」されたりと雇止め法理が厳しい状況に置かれている。

 今般、書面による不更新合意は瑕疵のない合意であると認定しつつ、当該合意に基づく雇止めを無効とする仮処分決定を得たので、参考のため報告する。なお、当事件は鴨田哲郎弁護士と当職の二名で担当した。

一 事案の概要

 A書店は貧困、人権などをテーマとする書籍を扱う出版社であるが、社員の多数が一年契約の「契約社員」であったため、契約社員の雇止めをきっかけとして、〇八年七月、雇用の安定を主たる要求の一つに掲げてTユニオンA書店支部が社員の半数近くの参加で結成された。社長は、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞した人物であるが、会社とまともに対抗しようとするユニオンを嫌い、組合誹謗発言、支部委員長に対する嫌がらせ、懲戒処分等を重ねた。

 そんな中の、〇八年一一月、一二月末に一年契約が満期となるH組合員に対し、会社は一旦、従前通りの条件で更新を申し出、合意しながら、その数日後に、不更新条項を提示し、これを呑まなければ更新しないと更新合意を翻えした。Hは不更新合意を拒否したため、〇八年一二月末日で雇止めとなった。

 〇九年四月末に、支部長Yと本件申立人Sの二名が満期を迎えるところ、会社は、Yについては懲戒処分を受けたことを主たる理由として雇止めとし、Sに対しては不更新合意を条件に更新を申し出た。ユニオンはH、Yに加えSの三人も解雇者を抱えるのは困難と判断し、Sについては苦汁の選択として不更新条項に同意し、Sの雇用を確保した。

 H雇止めについては、〇八年一一月に更新が合意されたとして、更新拒否無効の判決(労判一〇〇六号)が、Y雇止めについては、雇止原因たる懲戒処分自体が不当労働行為として無効との仮処分決定(労判九九一号。第二次仮処分も一〇・六・三〇に出た)がなされた。

 本件Sについては、一〇年四月一四日に地位保全等仮処分を申立て、七月三〇日に認容決定を得た。なお、決定では、賃金一年分との枠は変わらなかったものの、過去分(五、六月分)の賃金仮払が命じられている。

二 決定の特徴

1 濫用法理類推の根拠

 本決定は、まず、「両者(期間の定めのない契約と有期契約)の均衡を著しく欠く結果になることから、判例法理は、雇用継続について、『労働者にある程度の継続を期待させるような形態のものである』という、比較的緩やかな要件のもとに、更新拒絶に解雇権濫用法理を類推適用するという法理で運用している。」として、一定の場合には解雇権濫用法理を類推適用するという雇止め法理の根拠を示した(雇止めに関する判決、決定において、本決定のように、雇止め法理の根拠を示したものはあまり例がないのではないかと思われる。ちなみに、東芝柳町事件の最判解説においても明示はされていないし、日立メディコ事件に至っては最判解説自体が存在しない)。

 次いで、「もとより、具体的な解雇権濫用法理の類推適用をするについては、当該契約が期間の定めのある労働契約であることも、総合考慮の一要素にはなるものの、これを含めた当該企業の客観的な状況、労務管理の状況、労働者の状況を総合的に考慮して、更新拒絶(雇止め)の有効性を判断するという運用を行っているのであり、このような判例法理は、個別の事例の適切な解決を導くものとして、正当なものとして是認されるべきである。」と判示する。

2 不更新合意自体の効力

 「Hが、本件不更新条項と同趣旨の条項の入った労働契約の署名、押印を拒否したことにより、直ちに債務者によって雇止めになり、裁判による解決をすることを余儀なくされたという状況下で、労働者としての立場では、債権者(S)は不本意ながら(もとより、脅迫等による瑕疵のある意思表示とは認められない。)、本件不更新条項による本件労働契約の締結をせざるを得ない状況にあったと認められる」として、瑕疵ある意思表示とは認めなかったが、合意からストレートにその効力を主張する債務者の主張も排斥した。

 そして、「結局、本件不更新条項は、期間の定めのある労働契約を解雇権濫用法理の類推適用にあたって、本件不更新条項を付したことが、権利濫用の適用に当たって、評価障害事実として総合考慮の一内容として考慮の対象になるものと解するのが相当である。」とし、本件合意の存在以外に何らの雇止め理由事実を債務者が主張していないこともふまえ、雇止めは無効とした。

3 雇止め法理の趣旨

 決定がかかる判断枠組みを示した最大の論拠は次の点にある。「このような状況下で、労働契約の当事者間で、不更新条項のある労働契約を締結するという一事により、直ちに上記の判例法理の適用が排除されるというのでは、上述の期間の定めの有無による大きな不均衡を解消しようとした判例法理の趣旨が没却されることになる」。

4 コメント

 本決定は、雇止め法理の根拠を明示し、意思表示の瑕疵のレベルではなく(この点について債権者は様々な主張をなしたが)、あくまで解雇権濫用法理の類推適用という確立した判例法理の枠内で、その趣旨を全うするとの視点から結論を導いた、ある意味、極めて手堅い判断手法といえよう。

 本決定は単独での決定ではあるが、現時点で東京地裁労働部にもっとも長く在籍し、最近、「労働関係訴訟」(青林書院)を著わした、三六部の渡邉弘部長の決定という点では、意義のある決定といえる。

三 決定の射程

 本決定はあくまで雇止め法理の趣旨の貫徹を標榜するものであり、更新期待が法的保護に価するものとしてまだ形成されていない場合や、これが合意等により有効に消滅した場合(近畿コカコーラ事件はこれに該り、本件とは事案を異にすると思料する)には、本決定によっても救えないこととなろう。

 また、本決定が、労契法三条一項(対等合意)や四条一項(理解促進義務)に全く言及していない点も不十分性が残るところである。

四 今後の課題

 法的保護に価する更新期待が形成された後に、一方的に不更新合意が提示されたり、当該合意を余儀なくされたケースでは、本決定も有期労働者の権利を救済する一方策となる。

 しかし、これに該当しない場合は、更に工夫をしなければならない。更新期待が法的保護に価するものとまではいえないとされる場合(例えば、契約時に上限が雇入れ通知書に明示されていた場合)には、現行法・現行法理を前提とすれば、まずは、合意論で争うことになろう。

 次いで、更新「期待」論に代わる、あるいはこれと並存する新たな解雇権濫用法理の類推適用根拠が模索されねばならない。そして、最後に、「入口規制」を含む立法論となろう。

 なお、更新期待保護論に依拠すると、本来の契約期間を徒過した後の更新の有無をどう考えるのかも、これからは論点として提起されるように思われる。


自衛官の懲戒処分・身分保障など 〜女性自衛官人権裁判、完全勝訴!(III)〜

北海道支部  佐 藤 博 文

一 懲戒処分とのたたかい

 部隊上司は、性暴力事件直後から、セクハラ被害を訴え、加害者の異動、処分を強く求める原告を厄介者扱いした。そして、加害者と「喧嘩両成敗」でお茶を濁すために、非行事実(夜勤中の飲酒、原告の呼び出し、猥褻行為)が明白な加害者を速やかに処分するのではなく、原告を関係のない別件で懲戒処分にしようとした。

 原告には、「深夜宿舎を離れた」、「(一週間前に)飲酒した疑い」という、陳腐な被疑事実が押しつけられた。

 これら規律違反の取り調べが断続的に行なわれ、公式行事への参加を自粛させられた。結局、性暴力を含む懲戒処分が下されたのは、事件から二年半後の〇九年三月だった。加害者は停職六〇日、原告は訓戒だったが、自衛隊を追い出されたのは、懲戒処分と同時に任用拒否された原告の方だった。

 弁護団と支援する会は、一方で裁判を闘いながら、他方で懲戒処分と闘う、という困難な闘いを強いられた。

二 懲戒処分に弁護士を就ける権利がない

 部隊の懲戒処分攻撃に対して、弁護団は、原告の懲戒処分審理の代理人に就くと通知し、被疑事実の特定に関する釈明や、審理は代理人弁護士を通して行なうことなどを幾度も求めた。

 しかし、部隊は認めなかった。自衛隊は、部隊の命令権者=懲戒権者であり、その間に一般市民法及びそれを代弁する弁護士の介入を徹底して排除していることが分かった。

 弁護士依頼権を否定したうえで、基地司令は、自衛隊法施行規則第七四条「懲戒権者は、被審理者が申し出たときは、隊員のうちから弁護人を指名しなければならない」という規定を適用するとして、原告の全く知らない隊員を、原告の「申し出」もないのに勝手に「弁護人」に選ぶということをやってきた。

 原告が、その隊員に面談したところ、原告の被疑事実すら知らず、「原告の意見と相手(基地司令)の意見の両方を聞いて自分の意見を決める」と言う有り様で、原告弁護の職責を全く理解せず、知識も意欲もなかった。

 このように、自衛隊員には、不当な処分・処遇に対し、自らの権利を守るために弁護士をつけるという、市民的権利が全く認められていない。

三 理由を示すことなく、原告の任用継続を拒否

 原告は、提訴後二年間にわたり、現職のままたたかってきた。その原告に対して、自衛隊は、〇九年一月三〇日、同年三月二二日以降の再任用を拒否する通知書を交付した。交付の際、原告が理由を問い質したが、基地司令は答えなかった。

 弁護団と支援する会が、国会議員を通して調べたところ、空自は過去五年間でのべ八二〇〇人に対して僅か一例、陸自に至ってはのべ四万三〇〇〇人に対して一件も拒否例が無いことが分かった。  原告に対する任用拒否は、常識の範疇を明らかに超えている。原告が、任用拒否理由を情報開示請求しても黒塗りだった。こうして、私は、自衛隊員の身分保障にも、人権保障の大きな「空洞」があることが分かった。

四 原告が提訴した日、基地指令が全隊員に訓示

 基地司令は、原告が提訴した〇七年五月八日の午後六時三〇分頃、全隊員を体育館に呼び集めた。

 そこで、基地司令は、マスコミ対応を誤り国民に誤解されたら大変だと述べて、一九七一年全日空機雫石衝突事故の例を挙げ、「自衛隊の中では、全日空機が自衛隊機にぶつかってきたことになっているが、当初は自衛隊機が民航機にぶつかったと報道されたので、今でも国民は誤った認識を持っている」と話し、さらに話の最後に、原告が「今回民事訴訟に踏み切った理由、本当の意図というのは不明である」と、あたかも原告が、自衛隊に対する国民の信用失墜など別の目的で裁判を起こしたかのように言った。

 岩手県雫石町上空で起きた全日空機と自衛隊機の空中衝突は、刑事事件(自衛隊教官と訓練生)、民事裁判(全日空・保険会社vs自衛隊)になり、刑事は教官が有罪、民事は自衛隊側二・全日空機側一の過失割合で確定している。

 基地司令の発言は、裁判で事実が確定している社会的大事件について、自衛隊内では全く違う内容で周知されていること、例え裁判で負けても自衛隊は間違っていないとする認識を示すものであり、法治主義の観点から極めて重大である。また、提訴当日にこういう訓示を行なうことは、原告の裁判を受ける権利を侵害するものでもある。

五 緒についたばかり自衛官の人権裁判

 防衛省が実施したセクハラ調査によれば、九八年時には「性的関係を強要された」女性隊員が一八・七%、「わざとさわられた」隊員が五九・八%もあった。これが、裁判提訴後の調査(〇七年八月)では、前者が三・四%に、後者が二〇・三%に激減した(それでも驚くべき高率)。自衛隊員は後者の数字を信じていないと言うが、それでも本件裁判を通じて、自衛隊員が「人権」を主張しはじめ、改善されてきていることは事実である。

 今年三月四日には、自衛官の人権裁判全国弁護団連絡会議が結成され、全国のイジメ自殺裁判、暴行死裁判などが連携を取っている。

 自衛隊員の人権裁判は、自衛隊を「治外法権」の存在とせず、市民によるシビリアン・コントロールを実現するものだと思う。団員の皆さんのご理解、ご支援をお願いしたい。


続・日本レストランシステム事件

大阪支部  中 森 俊 久

一 はじめに

 違法な遠隔地配転命令と異職種出向命令につき不法行為責任(慰謝料一〇〇万円)を認めた高等裁判所判決(前件訴訟)以降も、同事件の最高裁決定がなされるまで、同出向命令を維持したことに新たな不法行為責任を認め(慰謝料二〇〇万円)、かつ、前件訴訟期間も含めた同出向期間中の低査定の人事考課につき、人事権濫用に基づく不法行為責任(慰謝料三〇〇万円)を認めた続・日本レストランシステム事件の判決(一審・二審)を紹介する。

二 事案の概要等

(1)被告会社は、「洋麺屋五右衛門」「卵と私」等のレストランチェーンを全国展開する日本レストランシステム株式会社である。被告は、完全な職務・職階給与体系をとり、本件訴訟においても、徹底した能力主義、成果主義による人事管理を豪語してきた。

 原告は、調理師免許を取得し、飲食店の勤務・自営を経て、平成九年三月に被告会社に入社し、三か月で店長職、その後もマネージャー職へと異例の昇進を遂げた者である。

(2)平成一四年に入り、原告が先輩社員のセクハラ疑惑の無実を晴らそうと被告会社に意見を述べたり、勤務査定の基準を遡って変更するといった被告会社の方針に疑問を呈した途端、被告会社の態度は一変した。そして、被告会社は、平成一四年六月に原告を「マネージャーB職」へと降格し、更には同年九月、原告を「店長A職」へ降格したうえに、研修が必要との名目で同年一〇月から東京への配転を命じ、さらには、仮処分決定において東京への配転命令が仮に無効とされるや否や、子会社への出向を命じて、原告をして冷凍庫内での作業に従事せしめた。

 平成一七年一月二五日、大阪高等裁判所(裁判官=小田耕治、山下満、青沼潔)は、原告に対する降格処分についてはその有効性を認めつつも、(1)原告が被告の営業四部(東京)で勤務する義務のないことの確認、(2)原告が物流子会社で勤務する義務のないことの確認、(3)違法な配転命令・出向命令に対し一〇〇万円の慰謝料等の支払いを命じる判決を言い渡した。そして、同判決は、「本件出向命令は、〜〜中略〜〜本来の職種とは関係なく、研修の実態も全くないような態様で、冷凍庫での単純作業を長期にわたり担当させるもので、これに従う控訴人が強い屈辱感を覚え、かつ、見せしめのため他の従業員から隔離されたと受け止めるのもやむを得ない」と指摘した。

(3)原告は、上記大阪高裁判決によって、調理師の資格を活かし、レストラン部門で再出発できるものと安堵した。しかし、被告会社は、上告受理申立を行い、かつ、原告に対する出向命令を解くことをしなかった。そのため、原告は、平成一八年一〇月に上告不受理決定がなされるまでの間、引き続き冷凍庫内での過酷な就労を余儀なくされた。

 さらに、原告は、上告不受理決定後に出向を解かれ、ようやくレストラン部門に配属されるに至ったが、その後も被告会社の排他的意図に基づく不当な低査定を受け続け、賞与額もそれに従い非常に低額であり続けた。被告会社の実際の対応は、原告の予想を上回る露骨な差別的取扱であった。

 この現状を打破しようと、原告は、平成一九年七月、(1)降格から合理的期間が経過した平成一七年八月一日以降はマネージャーB職の地位にあることの確認、(2)賃金・賞与差額、(3)前件訴訟の大阪高等裁判所の口頭弁論終結時以降も出向命令を維持し原告をして過酷な就労を強いた不当処遇に対する慰謝料等の支払いを求める新訴訟を提起した。

三 続・日本レストランシステムの審理と判決

(1)原告は、文書提出命令の申立を行い、被告会社が有する原告を含む従業員の人事考課表や賃金台帳等の提出を求め、任意に一定の資料を被告から提出させることができた。その結果、原告に対する不当な人事考課が明るみになった。

 また、平成一四年度の降格処分時の直属の上司であるY部長に対し、本件訴訟で提出された人事考課表等をもとに反対尋問を行うことで、被告会社の原告に対する排除的意思はさらに明るみとなった。同部長のその証言は、前件訴訟においてその有効性が認められた降格処分ですら被告会社の排除的意図に基づくものであることを強く窺わせるものであった。

(2)一審判決(久原正義裁判官)は、賃金・賞与差額については原告の請求を棄却したものの、(1)「前件訴訟の口頭弁論終結時までに生じていた本件出向命令による精神的苦痛と相まって、前件高裁判決以降、原告は、それまで以上に強い精神的苦痛を甘受せざるを得ない状況に置かれ、かかる状況のもとで物流子会社において就労させたことについて、被告は、原告に対する不法行為責任を負うべきものと認められる。」と判示して慰謝料二〇〇万円を認容したうえに、(2)「物流子会社出向期間中に原告に対して行われた異常に低い評価は、被告の意に添わない言動を行った原告に対する嫌がらせないし見せしめの目的をもってなされたものと認めるのが相当である。そうすると、原告の物流子会社出向期間中に原告に対してなされた異常に低い評価は、人事権を甚だしく濫用したものとして不法行為に当たるものと認めるのが相当である。」として慰謝料三〇〇万円を認容した。

(3)その後、被告が即時に控訴を行ったことから、原告も慰謝料額が不当であるとして控訴を行った。大阪高等裁判所第一二民事部(裁判官=安原清藏、坂倉充信、和田健)は、基本的には原審を維持し、弁護士費用三〇万円を上乗せして(一審では三〇〇万円に対する弁護士費用が何故か加えられていなかった)、一審原告勝訴の判決を言い渡した。これにより、長年に続いた原告の闘いはようやく終焉を遂げた。被告は、社内で確立された「システム」を強調し、差別的取扱はないと繰り返し主張したが、実際には、それらシステムが経営者に恣意的に利用される中で、原告のような真面目な労働者が犠牲を被ったものである。

四 労務政策の特徴と実際

 被告は、「完全な職務・職階給与体系」「徹底した能力主義、成果主義による人事管理」等のシステムの存在を強調していたが、実際には、労務政策において恣意的に運用され、労働者に具体的な不利益を与えていた。しかも、その不利益を是正し本来の権利を確認するため、本件原告においては、前訴併せて八年近くの時間を要した。その間の原告の苦労は計り知れない。

 被告が全国で約一九〇店舗を展開するパスタチェーン「洋麺屋五右衛門」のアルバイト店員が変形労働時間制の不当な適用で支払われなかった残業代などを請求した訴訟において、二〇一〇年四月七日、東京地裁判決は、変形労働時間制を無効とし、未払い残業代、懲罰的損害金を命じた(同年八月二四日、東京高等裁判所において和解成立)。このように、悪用されたシステムに翻弄される労働者は他にも存在する。管理システムの裏で泣き寝入りしている個人を救済すべく、我々はさらなる連携を深める必要がある。(弁護団は、石川元也、坂田宗彦、大前治、中森俊久各団員)


労働者供給事業の「闇」 ―新運転訴訟勝利判決の報告

東京支部  萩 尾 健 太

一 新運転東京地本S委員長相手に勝訴

 新産別運転者労働組合東京地本は労働者供給事業をなす労働組合である。その八名の組合員が組合会館の労働福祉事故防止協議会(二〇〇二年四月以降は有限責任中間法人、以下「事故防」という)への売り渡しにより、団結権を侵害され精神的苦痛を受けた、として、二〇〇七年一〇月二九日、事故防理事長であり新運転東京地本委員長であったS氏に損害賠償を請求する裁判を提訴した。

 二〇一〇年三月二四日、東京地方裁判所民事四一部(松本光一郎裁判長)は、新運転東京地本の労組法違反の疑いまで指摘し、原告ら一人につき慰謝料五五〇〇〇円を認容する勝訴判決を言い渡した。 現在、控訴審で審理がなされているが、一方で労働界では、労働者派遣法への対抗として労働者供給事業法の立案の動きがあり、労働者供給事業のあり方が注目されている。労働組合による労働者供給事業というと、派遣会社に比べればすばらしいもの、と思われる向きもある。しかし、新運転東京地本の実態はそうなっていない。それを明らかにしたのがこの判決である。

 そこで、遅ればせながら、この判決と新運転東京地本の実態について報告する。

二 「首切り自由」を売り物にする発言

 「そこには、一般的雇用関係ではなく、使用関係のみしか存在しない、というのが、新運転東京の基本理念であります。平たく言えば、供給された組合員の身分関係は、あくまで新運転東京に属し、利用者の皆さんは、これを借りて使用しているのだ、というのが、その主張であり、したがって、必要に応じ、必要なときだけ使用する、ということで“便利”に“安心して”ご使用いただいているわけです」。

 皆さんは、この発言はいったい何だと思うだろうか。

 これは、一九七八年一〇月一三日の第一回事故防総会でのS氏の発言である。

三 事故防とは何か

 事故防とは、新運転東京地本専従役員と業者団体幹部が役員となって運営する、組合員の福利厚生を定款上の目的とする団体である。実際には、組合員が一日就労する毎に二〇〇円が企業から事故防に拠出されるが、その莫大な金が、組合専従役員と業者団体幹部の交際費や飲食、事故防会長ないし理事長であるS氏の給与の全額や、新運転東京地本書記長である太田氏の給与の八割に費やされている。これは、職安法四四条が労働者供給事業を禁止し、労働組合のなす無料の事業のみを許容したことに反する、ピンハネであると考えられる(これも判決の中で指摘されている)。そのことによる組合専従役員と業者団体幹部の癒着のもとで、組合員らの労働条件は著しく低下させられている。上記のS氏の発言は「利用者の皆さん」=業者団体幹部らに対して、新運転東京地本が供給する組合員は「必要に応じ、必要なときだけ使用する」ことができますよ、すなわち、“首切り自由ですよ”とアピールしたものに他ならない。

四 実態に反する「日雇い労働者」という形式

 しかし、新運転東京地本は、組合員を日雇労働者だとしている。そうであれば「必要に応じ、必要なときだけ使用する」ことになるのは当然ではないか、との疑問もあるだろうが、それは実態とは異なっている。現在、組合員らは、九割以上が同一事業所での長期継続就労者である。

 上記のS氏の演説がなされた一九七〇年代当時も、継続就労者が組合員数の多くを占めていた。その一〇年ほど前、S委員長の前の柏原委員長がなした一九六三年の労働協約改定の際にすでに、長期継続就労してきた専属者が多いことに鑑み、専属者は「日雇い」ではなく会社と雇用関係を有することとされていた。

 すなわち、新運転東京地本が繁閑の激しい建設業やタクシー等のための日雇い運転手の供給を中心として事業を行っていたのは、一九五〇年代の戦後復興期であり、一九六〇年代にはすでに、継続就労者の雇用の安定が課題となっていたのである。

 今日では、東京都の清掃事業の下請会社(傭上会社)に清掃車の運転手を供給する事業が新運転東京地本の中心である。そこで求められるのは、「日々雇用」ではなく、道路を熟知した継続就労労働者なのである。

 ところが、S氏は、一九七六年三月、新運転東京地本委員長に就任すると、同年七月、大会決定を待たずに上記の事故防を設立し、同年一一月の組合大会で、労働協約一条を改定して、「必要に応じて・・・使用を打ち切ることができる」との文言にしてしまった。その結果、どんなに長期間同一事業所で働いても「日雇い」という、実態と乖離した法形式に押し込められてしまったのである。

五 労基法等が適用されない「日々使用」

 新運転東京地本の日雇いは「日々雇用」よりも酷い。S氏は、新運転東京地本の組合員と供給先企業との関係は、労働基準法等の適用される「日々雇用」ではなく、特殊な「日々使用」であるとした。すなわち、「日々雇用」であっても、労働基準法二一条では一カ月以上使用されれば解雇予告手当は支給されるし、雇用保険法四二条により、同じ事業所に一八日以上働いた日が二カ月続くと、その事業所の雇用保険に加入しなければならない。また、健康保険法三条、厚生年金保険法一二条によれば、一か月を超えて使用される者は、その事業所の健康保険、厚生年金保険に加入しなければならない。

 ところが、新運転東京地本は、労働協約一条の規定する「日々使用」を理由としてそれを認めてこなかったのである。

 その結果、組合員は解雇予告手当も支払われずに解雇され、解雇予告手当を要求して労基署に申告した新井組合員は、二〇〇九年三月二五日、労基署の勧告により解雇予告手当の支払いを得たにもかかわらず、新運転東京地本から権利停止処分を受けた(なお、新井組合員は、処分停止の仮処分で勝訴し、現在、新運転東京地本相手に本案訴訟を闘っている)。

 また、組合員はどんなに継続して働いても有給休暇もない。年金を受給できない者も多く、高齢でも働き続けなければならないため、六〇歳以上の組合員が七五〇人以上、七〇歳以上が約一三〇人もいるのである。

六 労組法は企業内組合にしか適用されない?

 S氏は「労働組合法、労働基準法、社会保険関係法をはじめ道路運送法に至るまで、企業内組合、企業内本工を対象としている」旨述べて、これらの法律は労働者供給事業には必ずしも適用されないかのように述べていた。それは、このように、組合員を労働基準法や社会保険関係法の適用されない無権利状態に貶め、自分たちは、事故防を通じて使用者らと馴れ合うためだと言うほかない。一般の組合員が厚生年金を受給できないのとは対照的に、S氏は、自己防理事長として厚生年金と事故防から支払われる安定した給料を得ている。その分、組合は専従役員であるS氏に給料を支払っていない。これは、使用者による経費援助に他ならないが、「支配介入」「経費援助」の禁止規定は、ILO九八号条約二条二項にも規定されており、世界では企業内組合はむしろ少数であることから、「経費援助の禁止」が企業内組合を対象とした法体系ではないことは明らかである。

七 非民主的な運営のもとでの訴訟提起

 組合員らは、組合から脱退すれば、労働者供給が打ち切られ、企業からは解雇される。職を維持したければ、脱退どころか、労供権を握る組合に屈従せざるを得ない。そのため、供給を差配する各支部支部長、そして、使用者と癒着したS氏が権力を握り、S氏は、一時の中断をのぞき、三〇年以上も、地本委員長や中央委員長として君臨し続けてきたのである。

 このS体制に対する怒りの声を受けて、原告らのうちの数名が何度か執行委員になり、一度は選挙でS側候補者と競り合い、副委員長を務めた者もいる。また、事故防への組合会館所有権移転に反対してトラック組合員討論集会を執行部に要求して開催させたことはあるが、執行委員会、評議委員会、組合大会で、事故防への組合会館所有権移転が議案として提案されて承認されたことは一度もない。このように重大な組合財産の移転について、組合大会での承認の手続きさえとらなかったことは、組合民主主義、労働組合法五条が定める組合運営へ参加する権利の侵害であり、「この間の組合員からの信任、民主的運営への負託」を裏切りである。しかも、前述した、仕事の差配の掌握による組合員支配のため、組合員らの正当な意見も十分に通らず、組合民主主義の過程ではその侵害は回復が不可能であった。そうであるからこそ、原告らは、組合会館所有権移転時、事故防理事長であったS氏個人に対する損害賠償請求を起こしたのである。

 S氏が裁判所から判決により断罪されたことは、そこで虐げられながらも真面目に働き、頑張っている多くの組合員自身に大きな希望を与え、新運転東京地本の民主的改革への足がかりを与えるものとなった。

八 労供労組は派遣事業の「対案」たりうるか

 現在の労供事業法の議論には、労働力の需給調整は必要、登録型派遣の存在は不可避とした上で、労働市場において、労供労組がそれらと競争するなかで、登録型派遣等を規制していく、という見解がある。しかし、労働市場の競争によれば、労働力の安いもの、すなわち労働条件の悪いものが勝つのは必定であり、実際に、新運転東京地本は、そうした過程の中で、組合員の労働条件を低下させてきたのである。現在、傭上会社社員の平均年収が七〇〇万円台であるのに対して、新運転東京地本組合員運転手は四〇〇万円台で退職金もない。

 実際、「請負、派遣という間接雇用の全面的な展開」に寄与してきたのも、新運転東京地本などの労供労組であった。派遣法制定には反対したが、一九九九年、労供労組の派遣会社設立が認められたのと共に、派遣法推進に舵を切り、組合のモラル放棄の道を歩んでいくのである。新運転東京地本は、執行部役員が代表取締役を務める派遣会社タブレットを設立し、自治労公共サービス清掃労組が組織した高嶺運輸においては、タブレットが使用者と一体になって自治労公共サービス清掃労組の支部の切り崩しを行ったことが問題となっている。

 日雇い労働法制の整備を言うならば、まず、労動基準法二一条、雇用保険法四二条、健康保険法三条、厚生年金保険法一二条をきちんと守らせることから始め、登録型派遣の禁止を求めるべきである。

 そして、組合内民主主義の尊重こそが、労働組合による労働者供給事業において不可欠であることが、肝に銘じられなければならない。

 最後に、弁護団は大口昭彦弁護士、藤田充宏弁護士と私である。


給費制はなぜ維持されなければならないのか

東京支部  松 島   暁

 朝日や読賣の社説をめぐるMLでのやり取り等を見ていると司法修習生の給費制について、団や日弁連など運動の主体の側にやや戸惑いがあるように感じられ、九月常幹で発言をしました。本稿はその若干の補充です。

 この問題は、弁護士あるいは弁護士集団の性格、弁護士活動の公益性の理解にかかわる基本問題であるとともに、裁判官や検察官ならばともかく、なぜ私業である弁護士を国費で養成するのかという問いに答えることにも通ずると考えます。

 私は、弁護士の公共性や公益性を、手弁当的奉仕活動や公設事務所等のいわゆる公益活動を基本に据えて理解することは間違いであると、そうではなくて、弁護士とは、私益・私権を擁護することによって公共に奉仕する存在だと考えます。私利私欲を法的に代弁することが公共の利益に資するという、一見矛盾した関係に弁護士はある。法律家的に表現すれば、市民の代理人・弁護人となることにより、その基本的人権、財産権その他の自由の擁護者となる、司法・裁判という専門性・技術性の極めて高い場面に参加し、国民の裁判を受ける権利を実質的に保障する、ということになるでしょうか。弁護士の公共性や公益性の中核はこの部分にあり、様々な手弁当的諸活動、社会奉仕的活動は、公益性を更に高める要素として存在していると考えます。

 したがって、給費制問題を考える場合、「公務に就く裁判官や検察官とは違い、弁護士は・・・・」等という議論に怯む必要はまったくないのです。この一見矛盾した弁護士の性格をよく説明し理解を求めればよいのです。

 もちろん「そうは言っても、やっぱり医者や弁護士は特権階級じゃないか」という声が存在することはそうでしょう。しかし、これらはある種の俗論であり、このようなワンフレーズ的プロパガンダにどう対処するのかは、別個の問題です。近時の公務員バッシングにみられる「結局、親方日の丸では」というのと同じ類で、弁護士に限られるわけではありません。それぞれの現場で、それぞれが知恵を絞って対応すれば足りる問題だと考えます。

 給費制廃止で軽視できないのは、養成過程の「私化」という問題です。

 公的な養成制度であったためか、日本の弁護士の層としての公共意識は極めて高いものがありました。もちろん弁護士の公益性を忘れ、私益の追求に走った弁護士が存在しなかったわけではありません。しかし、そのような公共性を忘れ私的利益を追い求めた弁護士は、少なくとも尊敬はされませんでした。「弁護士が私益を追求して何が悪い」と公の場で、声高に叫ぶことは、少なくとも司法「改革」の開始まではありませんでした。その意味で、私益の擁護を通じて公共に奉仕するという使命を、層としての日本の弁護士は、これを全うしてきたと、私は評価しています。司法修習生の給費制は、このような弁護士の公共性の一つの基礎として機能してきたといえます。

 ところが、司法「改革」を機に、法曹養成過程の「私化」が進行しました。法科大学院は、法曹養成過程の一部のアウトソーシングであり「私化」なのですが、給費制廃止は、法科大学院とともに、養成費用の自己調達・自弁を意味し、このことは、今後の弁護士の意識や性格を一変させる危険があると考えます。

 「自分が自分の費用で育んだ技能、それを何に使うか、何に振り向けるかは、完全に個人の判断に委ねられるべきだ!」「その技能と努力によって得た成果物や報酬はすべて自分のものだ!」というメンタリティ、職業意識を育ててしまう危険を感じます。

 このことの持つ危険性を私たちはもっと認識すべきでしょう。「弁護士がお金儲けをすることがいけないことなのでしょうか」「自分の才能と財産で取得した技能、その技能と努力で得たお金を独り占めして何が悪いんですか」という村上世彰流の言説が跋扈しかねません。

 給費制か貸与制かという問題は、あくまでも政策問題・制度問題ですから、どちらが理論的に正しいかという問題ではありません。正当化の根拠は歴史的なものしかないという意味では、法曹一元や陪審制と同じ性質の問題でしょう。「給費制を一つの基礎として、弁護士はその公共性の使命を果たしてきた」と国民が評価し受け入れてくれれば、それは正しいといえるし、実際これまでは受け入れてきてもらえたと思います。

 また、財源との関係で、何人までであれば給与を支払えるか、これは制度問題・政策問題である以上、当然に限界はあります。五〇〇人なのか、一〇〇〇人までなのか、それとも二〇〇〇人を超え三〇〇〇人までも給費制とするのかについては、財政政策上、国民的承認を得られるか、政策判断に帰着しますので、毎年の弁護士人数と相関的に判断されることになります。

 その意味で、「給費制問題」は、「法曹人口問題」と切り離して論ずることのできない問題なのですが、ここでは、これ以上の議論に踏み込むことは控えます。

 最後に、給費制のおかげで、これまで国はかなり「お得な価格」で弁護士を使ってきたのではないかと個人的には思います。

 東京ではあまり感じないのですが、地方会の場合、国選事件の受任がほとんど義務化されています。国選事件の場合、一件あたり八万円から一〇万円というのが相場でしょうか。普通に考えれば一件あたり二〇〜三〇万円の報酬を請求しておかしくない仕事に多くの弁護士が従事しています。その差額を一〇万円、年間一〇件、弁護士生活四〇年と仮定すると、一〇万円×一〇件×四〇年=四〇〇〇万円は、修習期間二年間の給与額五〇〇万円と比べると、「国策」としても結構安上がりではないかと思うのですが。


投稿不採用「私の視点」

静岡県支部  萩 原 繁 之

 かつて教科書裁判をたたかった家永三郎教授が 「検定不合格日本史」という書籍を出版しておられた。

 私は、この間、自治体労働者の労働問題などとともに考えていたことをまとめて、朝日新聞の「私の視点」に投稿したところ、不採用通知のハガキが届いたので、私も、家永教授にあやかって「投稿不採用『私の視点』」としてご紹介することにした。もっとも私の場合、家永先生と違って、投稿を採用しない朝日新聞に抗議するような意図は毛頭ないことをお断りする。

 それにしても、同じ朝日の投稿欄でも「声」欄などと違って、「私の視点」では、没にすることについて、わざわざハガキをくれることを知った。

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両立しない「児童虐待防止」と「公務員削減」
                            萩 原 繁 之
 
(弁護士、日弁連子どもの権利委員会委員、静岡県弁護士会子どもの権利委員会委員長)

 子どもに対する虐待、ネグレクト、暴力や育児放棄などで、連日のように幼い生命が奪われる事件が起き、それが報道され、防止のための対策が叫ばれながら、本来、必要不可欠な対策として自明のことのはずなのに、朝日新聞を含むマスメディアで、決して語られないように見えることがある。

 それは、対策に当たる公的機関、児童相談所の人的拡充強化ということである。

 児童虐待問題に取り組むには、一般市民の善意も重要だが、心理学その他の専門的な識見を備えた専門家、プロが、責任とともに一定の権限をもって取り組むことが不可欠である。そしてこの分野は営利では成り立たない。公的機関である児童相談所の取り組みが不可欠なのである。

 そして、児童虐待が増大し、社会問題化する中で、児童相談所の果たすべき役割、責任は、もちろん増大している。求められる役割の増大に応えるにはその権限の見直し強化だけでなく、職員の人的増員が必要なのは論を待たないはずである。

 ところが、公務員削減を、それも聖域なしに遂行を、との大合唱の中で、このことは決して語られていない。語ることをことさらに避けられている。少なくとも、そう見える。

 社会の関心が強まっている結果、当然のこととして児童相談所への通報や相談は増大している。これまでの人員体制では足りないのは当然である。ところが公務員削減という大合唱はやまない。ここ何年も続いている公務員バッシングの嵐の中で、当事者である職員たちが、悲鳴を上げたくても上げられず、過労死寸前で、周辺分野の業務に少しずつしわ寄せしながら、何とかやりくりしている状況が、傍からもうかがい知られる。

 しかし、児童虐待の増大が一過性のものでない以上、これを防ぐ対策が、児童相談所の職員の増員、人的拡充強化抜きで可能なはずがない。

 そもそも「民間活力導入」とか「民間でできることは民間で」などと言って公務の領域を削減してきたこと自体の中に、全体として、国民、住民の福利に対する公の責任の放棄という側面があったことは否定できない。

 昔「年寄りのために金を使うのは枯れ木に水をやるようなものだ」といった政治家がいたが、このような政治思想のDNAを受け継いだ新自由主義政治家たちが、児童相談所職員の増員を阻むのなら、幼い命は到底守れない。

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 お読みいただくと、「これはボツでしょ」 と思われる方も多いのかも知れない。

 実は、この文章、不採用通知を受け取った後、最初は、組合弁護団のメーリングリストに載せたところ、大阪の城塚健之団員から団通信への投稿を勧めていただいた。その際、同団員からは、

 ・できれば統計上の数値などを加筆すること

 ・公務員バッシングを批判している同紙編集委員の意見など良識  あるマスコミ人の言論もふまえること

などがあれば、より説得的になるのではないか、との有益なご助言もいただいたことを付記し、この場を借りて同団員にお礼を申し上げる。


お礼と「返歌」とお願い

東京支部  坂 本   修

 一〇月総会直前で記事多数のはずの『団通信』に、見出しの「三題話」での一文を、恐縮ですが寄稿させていただきます。

〈お礼―長い間、有難うございました〉

 私は今期で団常任幹事を辞めることにしました。入団以来、五一年、「常幹歴」は四〇数年、常任幹事会出席回数は四〇〇回は超えているでしょう。各地での貴重なたたかいの経験、闘争課題についての理論的、政策的解明、そして、様々に意見が異なる問題についての民主的な討論による高いレベルでの合意形成―常任幹事会は、私にとって大事な「学校」でした。「後期高齢者」になってからは、頭と心が老化していくことを、少しは遅らせてくれる“特効薬”でもあったのです。

 しかし、「これ以上、常幹であるのは止めよう」と思ったのは、私が、たたかいの「現場」のほとんどを失っているからです。私は「現場」を持っていたからこそ、常幹で討論に参加できたのであり、それを失った今は、私のようなタイプの人間には、常幹にとどまっていても団の役には立たないと考えたのです。但し、目の前の比例定数削減反対闘争の「現場」にはまだ身をおいています。ですから国会改革・比例定数削減阻止対策本部には、たたかいの目鼻がつくまで参加させてください。これからは、一団員として団活動に結集することになりますが、団に再入団するみたいな新鮮な気分で、ちょっぴり浮き浮きしています。

 常任幹事のみなさん、本当に長い間、お世話になりました。心から御礼申し上げて、常任幹事会からはお別れすることにします。

〈「返歌」―多々納さんと滋賀支部のみなさんに〉

 ある日の夜、自宅に帰ったら坂本福子が笑いながら、「あなた若い女性から恋されてよかったですね」と言い出しました。なんのことか分からずキョトンとしていたら、『団通信』(九月二一日号)を「書証」として出してきて、「読みなさい」というのです。団滋賀支部八月集会に参加して、私の話(「未踏の峰をめざすみなさんへ―五〇年団員からの『贈る言葉』)をきいてくださった多々納ゆりかさん(滋賀第一法律事務所事務局)の「『坂本修』に恋をした―!?」という一文が掲載されていました。いささか「刺激的(?)」な見出しですが、内容は私の話についての私としては大変有り難い「熱い感想文」です。

 当日、私は何を話したのか。玉木団員が語っているという『特別の弁護士』では、私はけっしてない。気が弱く、臆病であり、一言でいえば、「弱者」である。しかし、だからこそ、誰もがただ一度の人生を幸せに生きられる社会を求めて入団した。その思い(初心)は五〇年を経た今も同じである。

 「弱者」であっても、たたかっている人たちの現場から逃げずに、「一緒にいる(寄り添う)」ことはできる。

 そのことを可能にする“遺伝子”は「特別の人(抜群の人)」だけではなく、私たちみんなが持っている。私はそう語ったのです。

 多々納さんの一文、そして、その後、滋賀支部から送られてきた参加された方々の感想文を読んで、私の『贈る言葉』は、みなさんにたしかに受け取っていただけたことを知り、少し舞い上がる程に喜んでいます。

 私の“遺伝子”の残り時間はそう長くはなく、しかも一代限りです。しかし、多々納さんらの“遺伝子”の持つ時間は長く、おそらく次世代につながっていくことでしょう。

 八月集会を大成功させた滋賀支部のみなさんは、「未踏の峰」を越えて、私が初心とした新しい社会を実現するために、たしかな歩みを進めていくに違いない―そのことを期待し、かつ確信していることをのべて、私のつたない「返歌(かえしうた)」とします。

〈お願い―「パンフ」の御一読」を〉

 先ほどの常任幹事会で、労働総研ニュース一〇月号掲載の私のインタビュー(「比例定数削減―支配勢力のための強権国家づくり」)を別刷りしたバンフのPRをしました。昨年は「マッチ売りの老人」と称して、自費出版したブックレットを販売しましたが、今回、二度目の「行商」です。セールスポイントはワンセット三〇部、千円という「格安価格(?)」です。「ナマもの」であり、今年いっぱいの「賞味期限」のものとして、お求めいただき、廻りの方々にもおすすめしてもらえれば幸いです。発売は一〇月一〇日頃、注文は私宛(FAX〇三―三三五七―五七四二)にお願いします。


『削られるのは民意 比例定数削減反対! 九・二九学習決起集会』

事務局次長  佐 藤   生

(「国会改革」・比例定数削減阻止対策本部)

 参院選後、菅首相を先頭に民主党は、比例削減に向けてなみなみならぬ執念を示し、参院選後、主要マスコミも「無駄の排除」「議員がまず身を削る」とのキャッチフレーズのもと定数削減は当然との論調を張っています。そして一〇月一日、臨時国会が開会しました。この国会において比例定数削減の法案が提出され、民主・自民が手を組めば法案が成立してしまう危険性は極めて高いと言えます。

 かかる状況の中、臨時国会開会を目前にした九月二九日、四谷麹町のエデュカス東京において、全労連、新婦人、農民連、全商連、民医連、自由法曹団、憲法会議、民青、全学連の九団体が主催する『削られるのは民意 比例定数削減反対!九・二九学習決起集会』が開催されました。参加者は一五〇人でした。

 集会では、まず、共産党の穀田恵二衆院議員から、「夏の参議院選挙では今の民主党菅政権に対する国民の批判が高まっていることが示された、定数削減のあとに来るのは消費増税を含む国民に対する負担増である、比例定数削減に対しては、共産党のみならず、社民党も反対であり、公明党・みんなの党からも反対・比例中心の選挙制度にするべきだとの声が出ており、さらには自民党の中からさえも反対の意見が出ている、大義は我にある。」との報告がされました。

 また、当日出席こそなかったものの、社民党福島党首からも「二大政党だけでは、汲み取れない民意がある」「比例定数を削減することは、多元的な価値を切り捨てることになる」「社民党は、他党にも呼びかけ、各党が連携して比例定数の削減に反対していけるよう、がんばります。」「一緒にがんばりましょう!!」との集会へのあいさつ・メッセージが届けられました。

 そして、小澤隆一東京慈恵会医科大学教授のメイン講演では、

「二大政党制により国民にとって、

(1)民意が政治から遠ざけられる、

(2)政治(国会議員)の質の劣化、

(3)政治の「高コスト体質」と腐敗(=本当の「無駄」)を招く。

そして、これは既に先の「政治改革」小選挙制度導入により生じており、比例定数八〇削減によってさらに推し進められる。この危険性を国民に広く訴えていく必要がある。」

とのお話がありました。

 その後、九団体の各代表から、各団体それぞれの要求内容は異なるけれども、比例定数削減によって民意が国会に届かなくなることは、全ての要求が国会に届かなくなる重要な結果を導くとの報告がされました。特に、全学連からは、選挙権の有無に関わらず学生は今でも政治に期待を持てず関心がないが、比例定数削減が行われればさらに関心がもてなくなるとの報告がありました。

 穀田さんの報告、小澤さんの講演、各団体からの報告を聴いていると、この比例定数削減の問題は、あらゆる要求・党派・思想を越えた、国民主権国家の根幹を揺るがす重大な問題であることは明らかです。

 昨年の衆院選で民主党がマニフェストに衆院比例定数八〇削減を掲げてから、自由法曹団は先頭に立って危険性と絶対阻止の必要性を訴え続けてきました。そして、その危険性・絶対阻止の必要性は、今や九つの民主団体が共有するところとなり、今後もさらに国民の中に広がっていくでしょう。

 しかし、菅首相・民主党を先頭とする民意削減推進派の動きはこれからますます激しく、勢いを増していくことは必至です。

 この集会をまさに「決起の場」として、穀田議員の報告にもあったように党派の垣根を越えて、また各団体の報告に示されるように目指す要求事項の垣根も越えて、比例定数削減絶対阻止の声をさらに全国に広めて行くため、今は一日でも早く動き出すことが求められています。