過去のページ―自由法曹団通信:1360号      

<<目次へ 団通信1360号(10月21日)


黒澤 いつき 【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(8)】
若手団員が思う「これからの安保闘争」
中西  基 枚方市「非常勤職員」 一時金・退職金返還住民訴訟
玉木 昌美 嘱託職員の雇い止め問題で東近江市を提訴
石川 賢治 高島市臨時任用職員雇い止め事件提訴報告
煖エ 右京 「反リストラ産経労」行政訴訟、不当判決のご報告
萩尾 健太 給費制廃止は法曹一元を遠ざける分離修習への道
甲斐田 沙織 平成二二年九月一〇日・一一日 金沢団女性部総会に参加して
永尾 廣久 『上田誠吉さんの思い出』を読んで
杉本  朗 「上田誠吉さんをしのぶ会」ご報告
坂本 福子 新刊紹介 第三版「Q&A 女性と労働」
―働く女性の権利を守るために―



【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(8)】

若手団員が思う「これからの安保闘争」

東京支部  黒 澤 い つ き

一 はじめに

 改定された日米安全保障条約が発効して五〇年、安保闘争は時代の波に揺られつつも歩みを止めることなく進んできた。先輩団員がその一翼を担って邁進してこられたことからすれば、安保闘争の歴史は団の歴史でもある。しかしその活動は、必ずしも若い世代に質・量・体温そのままに継承されてはいないように思える。運動の担い手の高齢化が、その証左である。そこで今回は、安保破棄に向けた活動の継承という観点から、若手団員として思うことを書かせて頂きます。

二 円滑な世代交代ができない理由

 まず言えるのは、若い世代に戦争の「皮膚感覚」がないこと、である。換言すれば、「闘士」たちにおいて、自分たちの運動が戦争の「皮膚感覚」と贖罪意識とによって多分に後押しされていたことの自覚が無かったこと、である。

 人を殺した。家族・恋人が殺された。空襲で家を失った。上官から激しいいじめを受けた。これらの強烈な戦争体験は、心身に焼き印のごとく、「皮膚感覚」として永遠に残る。あるいは、戦後食糧難による飢え、手足を失った傷痍軍人の姿等、「戦争の残焔」も第二次的な戦争体験であり、これらはありとあらゆる理屈を飛び越えて戦争を拒絶するエネルギーを持つ。戦後の安保闘争は、このまさにトラウマともいえる戦争の「皮膚感覚」が下支えとなっていたがゆえの勃興だった。

 しかるに、その下の世代には、その「皮膚感覚」がない。私の世代などはもはや湾岸戦争すら「たしかテレビで見た」という経験しかない。国家が兵器の「進歩」と、マスメディアをコントロールして戦争する「知恵」を得て以来、戦争は画面の中の他人事で、国民は当事者として戦争を感じ考える機会を失った。逆に言えば「カメラが映さないこと」は「存在しないこと」で、国民は情報漬けになった代償に想像力を奪われたように思える。

 「皮膚感覚」が無ければ、平和の問題は専ら頭で考える問題である。中国や北朝鮮が脅威なんだと連日報道されれば、不安に思うのも当然ともいえる。「攻められない国になるためにはどうしたらいいのか」想像する力を持たないまま、「攻められたらどうしよう」という不安だけが膨らむ。

 さらに、「贖罪意識」についても、若い世代は、学校に日本近現代史をまともに教える時間がないことも手伝って、日本が加害(侵略)者であったことを深く認識しないまま育った。いまや経済的・軍事的に大国化した「被害者」中国・韓国から過去の罪を問われても、当事者意識さえぼんやりとしているのだから、贖罪意識はなおさら持ちづらい。

 運動を引き継がせるべき世代がこういう世代であることを、運動の担い手がもう少し意識的になっていれば、効果的な運動の「形」と「視点」が工夫され、円滑に継承されていたかもしれない、と思う。

三 引き継ぐために

 果たして、安保闘争の世代間引継ぎは、大成功しているとはいえない。その円滑な引継ぎのためには、運動の「形」と「視点」それぞれを再考する必要があるように思う。

(1)運動の形

 昔がどうなのか存じ上げないが、政治運動はどんなに訴える内容が深刻でも、楽しく、また少々熱狂できる形でなければ持続・発展・拡大しない(少なくとも私個人は続けられない)。今の若い世代が、何に熱狂し、どんな言葉に振り向き、何に乗せて発信すれば受け止めるのか、を分析することから始めなければ、彼ら自身が問題意識を抱き、参画し担い手となろうというモチベーションを持つところまで獲得できない気がする。もっと具体的に言えば、デモでシュプレヒコールをあげ、毎回だいたい同じメンバーで公民館とかで戦争について語り合う、という「形」をもはやイケてないと一蹴して受けつけない世代である。今ここで私はフツウに「安保闘争」と書いているが、おそらく「闘争」という言葉自体にたじろぐ世代である。その時代や世代が自然に受け入れる、その時代ごとのベストな(要はカッコいい)運動の形があるはずで、それを絶えず模索する必要がある。

(2)訴える視点

 想像力無く本気で北朝鮮を怖がっている世代には、戦争の悲惨さを訴えるだけでは限界があるように思う。とはいえ、どのような視点からの訴えが次世代間に安保への問題意識を効果的に広げられるのか、妙案があるわけでもないのだが、思いつきをいくつか挙げたい。 

(1)まず、従来から訴えてきたことの繰り返しではあるが、安保が過去ではなく現在の問題、ということである。米軍基地の大部分を抱える沖縄が物理的に遠い(しかも南国リゾート地のようなイメージが強い)こともあって、基地の町の住民が抱える苦しみ(爆音、米兵犯罪、原子力空母という核の脅威etc)を、過去でなく現在の、この国の自分自身の問題であるという認識は、いまなお薄い気がしてならない。五月に訪れた三沢市の市街地は疲弊していた。米軍家族用のプライベートビーチが異様にまぶしい一方で、何のテナントも入らず真っ暗の、外装だけがピカピカな商業施設からは「基地があるからこんな町になってしまったのか、基地があるからこの程度で済んでいるのか、考える気力さえ無い」と自嘲するため息が聞こえてくるようだった。このような「基地が日本を蝕む」現実を、より効果的に発信する工夫が必要である。

(2)もう一つは、加害者だという認識である。すなわち、安保体制(日本に米軍基地)がある限り、今この瞬間も自分は殺戮の加害者であり続ける、という認識である。いまだに多くの国民は自衛隊がイラクに救援物資を運んで、子ども達とサッカーで遊んだだけだと思っている。無抵抗の市民を訳もなく虐殺した米兵を運んだのは他でもなく自衛隊なのだという事実を、一人でも多くの主権者国民に知らしめることで、「無関心イコール加害への加担」という意識と、安保への懐疑心は強まるはずである。

(3)私個人は、そもそも「誰かに守ってらえなければ存在が危うい国家」など国家を名乗っていいのか、そのある種の「プライドの無さ」がイヤでたまらない。(本当に味方なのかどうかも分からない)他者に国家の安全ひいては存亡を委ねる、という体制自体への疑念を喚起することが、安保そのものの破棄を目指すためには不可欠である。もちろんこの疑問の掘り起こしは「だから自国の軍隊が必要」という方向に流れがちなので、同時に「武器を持たないという叡智」も強く発信しなければならないという注意が必要である。

四 結語

 閉塞的な時代の国民がとかく排外主義的な傾向に流れるのは歴史が示すところである。アラサーとはいえ「まだ若いつもり」の私を含む若手団員が今ここでどう安保と向き合うか、は、運動の継承という意味でも団の発展という意味でも極めて重要である。上記三は全然練られていない未熟な「思いつき」で、致命的なことに私には練るだけの知恵も知識も欠落している。先輩団員の力をお借りしつつ、若手ならではの発想とエネルギーを集結させて、是が非でも運動を拡大する方向で継承したい。イケてる安保闘争、始めませんか?


枚方市「非常勤職員」 一時金・退職金返還住民訴訟

大阪支部  中 西   基

一 はじめに

 平成二二年九月一七日、大阪高等裁判所第一四民事部(三浦潤、比嘉一美、井上博喜)は、枚方市「非常勤職員」一時金・退職金返還住民訴訟について、一審大阪地裁の判決を取消し、原告住民の請求を全面的に棄却する逆転判決を下した。

 この大阪高裁判決は、「官製ワーキングプア」と称されるように差別された劣悪な労働条件におかれている自治体の非常勤職員に対し、一時金や退職金を支給することが適法であると判示した。均等待遇と格差是正を求める多くの市民の声に真摯に応えるものであって高く評価できる。

 住民側は上告することなく本判決は確定した。

二 事案の概要

 枚方市は、給与条例に基づいて、「一般職非常勤」と称される職員らに対して、夏期及び冬期の一時金や退職時の退職金を支給してきた。これら一時金・退職金の支給が地方自治法等に違反する違法な公金支出にあたるとして、平成一五年度及び平成一六年度に「一般職非常勤職員」らに支給された一時金・退職金を当時の市長らに賠償させることを求めるとともに、支給を受けた「一般職非常勤職員」らのべ九八八名に対して一時金・退職金を市に返還させることを求めた住民訴訟である。

 なお、本件住民訴訟を提起した原告は、前回二〇〇七年の枚方市議選に立候補して落選している。

三 争点

(1)「一般職非常勤」職員は、地方自治法二〇三条の二の「非常勤の職員」にあたるのか、地方自治法二〇四条の「常勤の職員」にあたるのか。前者ならば一時金・退職金の支給は違法となるはずではないか(地自法二〇四条の二)。

(2)「一般職非常勤職員」に対して一時金・退職金を支給することを規定した枚方市職員給与条例の規定の仕方は、給与条例主義に反しないか。

(3)すでに支給済みの一時金・退職金を個々の職員らに対してその返還を命じることが許されるのか。

四 一審(大阪地裁平成二〇年一〇月三一日判決)の判断

 本件一審である大阪地裁判決では、上記争点(1)に関して、「一般職非常勤職員」らは、その勤務の実態に照らすならば、その呼称とは裏腹に、地自法二〇四条の「常勤の職員」として一時金・退職金が支給されて然るべきであると判示した。

 ところが、上記争点(2)に関しては、枚方市職員給与条例が「一般職非常勤職員」に支給される一時金・退職金の具体的な金額を定めておらず、下位規範である規則に委任している点において、給与条例主義に違反して違法であると判断した。

 また、上記争点(3)に関しても、個々の職員らに返還を命じることが信義則等に反するものではないとした。

五 二審(大阪高裁平成二二年九月一六日判決)の判断

 大阪高裁判決では、上記争点(1)については、「任用を受ける際に合意した勤務条件、実際に従事した職種及び職務内容、実働の勤務時間等の勤務実態に関する具体的事情を検討した上で、それぞれの職員が生計の資本としての収入を得ることを主たる目的として当該職務に従事してきたものであるか否かによって判断するのが相当であり、それぞれの職員がどのような呼称によって任用を受けたかという形式的な理由によって区別されるものではない」とし、本件「一般職非常勤職員」らはその勤務条件、職務内容、勤務時間等の勤務実態に照らすならば、地自法二〇四条の「常勤の職員」として一時金・退職金が支給されて然るべきであると判示した。

 次に、上記争点(2)については、「条例において、給与の額及び支給方法についての基本的事項が規定されており、ただ、その具体的な額及び具体的な支給方法を決定するための細則的事項についてこれを他の法令に委任しているにとどまる場合には、直ちに上記各条項にいう給与条例主義の趣旨を損なうものではない」としたうえで、枚方市職員給与条例では、「一般職非常勤職員」らに支給される一時金・退職金の支給要件が具体的に規定されており、また支給額の上限についても規定されていることから、具体的な金額の算定にあたって規則に委任されている事項はあるものの、給与条例主義の趣旨に反するものではないと判示した。

 さらに、上記争点(3)については、任用手続が公序良俗に反するとか重大かつ明白な瑕疵が存するなどの特段の事情のない限り、支給された給与については、職員は職務に従事したことの対価及び生計の資本として受け取ることができ、これを不当利得として返還すべき義務は負わないと判示した。

六 高裁判決の評価

 平成二二年度の労働経済白書で、「非正規雇用の増加により、平均賃金が低下するとともに、相対的に年収の低い層の増加が、雇用者の賃金格差拡大の要因となった。このような平均賃金の低下や格差の拡大により、所得、消費の成長力が損なわれ、内需停滞の一因になった」と分析されているように、正規雇用と非正規雇用の賃金格差の問題がクローズアップされている。

 地方自治体においても、いまや非正規職員が全職員の三分の一を超え、なかには職員の過半数が非正規職員で占められている自治体もあるといわれている。これら非正規職員の賃金は正規職員の半分にも満たない水準にとどまっており、「官製ワーキングプア」との世論の批判も高まっている。地方自治体がこのように非正規職員を増加させてきた背景には、地自法が常勤の職員の定数を定めておりこの定数を上回って常勤の職員(正規職員)を配置することができないことや、正規職員の半分未満といわれる低い賃金水準の非正規職員を活用することで安易に人件費を抑制しようとしてきたからである。今回の大阪高裁判決は、このような自治体内部で進行している格差と貧困の拡大に大きく警鐘を鳴らすものであり、全国すべての地方自治体はこれまで安易に低賃金で不安定な地位にある非正規職員を増大させてきたことについて真摯に反省するべきである。

 枚方市においては、枚方市職員労働組合を中心として、長年にわたって非正規職員の待遇改善に向けた取り組みが行われてきた。本件で問題とされた枚方市職員給与条例は、このような労働組合の取り組みを背景として、均等待遇の実現へ一歩でも近づけるために「一般職非常勤職員」らに対しても一時金・退職金を支給するよう明記して平成一三年に改正されたものであった。今回の大阪高裁判決は、長年にわたって均等待遇の実現に向けて取り組んできた労働組合の運動を正当に評価したものといえ、同じく全国で均等待遇の実現を目指して闘っている多くの労働組合の仲間に大きな勇気を与えるものである。

 さらに、大阪高裁判決は、自治体によって任用されて、職務に従事してその対価として支給された給与については、任用手続が公序良俗に反するとか重大かつ明白な瑕疵が存するなどの特段の事情のない限り職員はこれを不当利得として返還すべき義務は負わないとあえて判示した。すでに上記争点(1)及び争点(2)について違法はないと判示している以上、論理的には、この争点(3)については判示するまでもないところであるが、あえて大阪高裁がこの点を判示したところを高く評価したい。近時、「公務員バッシング」とも評されるように、一部の地方議員や一部の「市民オンブズマン」の中には、あたかも公務員の給与を引き下げることそれ自体が自己目的化しているようなきらいもあり、個々の公務員らにとっては給与が職務の対価として当人やその家族の生計の資本となっているということがややもすれば看過されがちである。このようないわば「引下げデモクラシー」が現代社会の格差と貧困を助長させる一因となっていることを忘れてはならない。

 今なお、全国で三〇万人とも四〇万人ともいわれる自治体の非正規職員は、正規職員の半分以下の劣悪な労働条件を余儀なくされている。「常勤の職員」以外への一時金・退職金の支給を禁じている地方自治法の規定を奇貨として、多くの自治体では非正規職員には一時金も退職金も支給していない。しかし、今回の大阪高裁判決は、非正規職員であってもその勤務実態によっては一時金・退職金が支給されて然るべきことを明らかにしたのであり、しかも、その支給について条例で明記すべき基準についても明らかにしたのであるから、すべての地方自治体・地方議会は、すみやかに枚方市職員給与条例の規定を参考にして、均等待遇へ一歩でも近づくための条例改正を行うべきである。

 なお、一審においては前田達男先生(金沢大名誉教授)に地方自治法二〇四条の解釈についての鑑定意見書を、二審においては晴山一穂先生(専修大学)に給与条例主義についての鑑定意見書をそれぞれ御執筆いただいた。両鑑定意見書の内容は今回の大阪高裁判決においてもその多くが取り入れられている。この場を借りてあらためて感謝を申し上げたい。

(弁護団は、豊川義明、城塚健之、河村学、中西基各団員)


嘱託職員の雇い止め問題で東近江市を提訴

滋賀支部 玉 木 昌 美

 東近江市の常勤の嘱託職員であった永田稔美(六二歳)ら六名は、平成二二年三月三一日に雇い止めされた。これに対し、この一〇月四日、永田さんらは、期待権の侵害を理由に、国家賠償法の不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。

 永田さんらは、平成三年から平成一九年に旧八日市市や被告に非常勤嘱託職員として採用され、うち二名はのちに常勤嘱託職員となったが、平成二二年三月三一日に雇い止めとなるまで雇用の「更新」が繰り返された。永田さんらは、教育集会所(いわゆる隣保館)の指導員等の業務に従事していた。

 毎年のように雇用の「更新」がなされ、たとえば、永田さんの場合、平成三年一〇月から平成二一年四月まで合計二〇回にも及んだ。ほかの五名も三回ないし一九回更新された。更新時期においては、働く意思の確認がされるだけであり、その意思を表明すると当然のごとく更新がなされた。その更新に際して、雇用期間が一年に限定されるという説明は一切なかった。平成一七年二月、旧八日市市が合併により、東近江市になったときに、「東近江市嘱託職員の任用に関する要綱」が配布された。その要綱には、任用期間六ヶ月、更新は一回、専門職は五年を限度として更新することができると記載されていたが、永田さんらが、これまでの実態に合わないことを指摘すると、東近江市の幹部は、「隣保館があるかぎり、雇用は継続される。」と明言した。

 ところが、東近江市は、平成二二年一月一五日付文書により、「勤続年数五年を満了する者」「職制の改廃等により、平成二二年度嘱託職員の配置をしないとされた職場に勤務する者」には「雇用期間満了通知書」を交付するとし、それを実行した。

 上記のとおり、これまでの雇用の「更新」がなされてきた実態からすれば、任用期間が限定され、その期間が経過すれば、当然に雇用が終了するとして再任拒否をすることはできない。更新のたびに期間経過で終了することの説明はなく、逆に「隣保館があるかぎり、雇用が継続される。」との説明を受けてきた原告らは当然「更新」されることを前提に業務に従事してきたものであり、雇い止めを予想することは全く無かった。本件は、期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で雇用契約が存在していたと見られ、解雇権乱用の法理を類推適用することができる。また、実際、隣保館の指導員等の業務は継続され、雇い止めをする一方で、永田さんらに代わって勤務する臨時職員を募集し、採用している。業務に習熟した嘱託職員である永田さんらを雇い止めする理由はまったくなかった。

 東近江市は、永田さんらを排除するために、新たに採用する臨時職員には、運転免許とパソコンができることを条件にしたりした。また、永田さんらが通告を受けて、組合を結成して団交を繰り返したことから、その組合結成に参加した者は試験で落とし、参加を見合わせた者は合格させた。これは組合敵視の不当労働行為でもある。

 それゆえ、永田さんらは、不当に職を失った、想定外の雇い止めで雇用継続の期待権を侵害されたとして、東近江市に対し、各人、前年度の一年分の年収の慰謝料、原告六名で合計一五二一万円を請求する訴訟を提起した。

 現在、公務員における嘱託職員の短期雇用契約、その労働条件の低劣さが社会問題となっているが、この事件において原告らの救済をはかるとともに地方自治体が「財政難」等を口実に嘱託職員の人権を無視して彼らに犠牲を強いるばかりの現状を打ち破るきっかけにしたいと考えている。


高島市臨時任用職員雇い止め事件提訴報告

滋賀支部  石 川 賢 治

 滋賀県高島市は、本年三月末日、一六八名の臨時任用職員を一斉に雇い止めした。

 これに対して、雇い止めされた職員のうちの一名が原告となって、期待権の侵害を理由に損害賠償を求めて裁判闘争に踏み切った。

 原告が高島市に採用されたのは、平成一七年九月のことであるが、採用面接の際にも、任用形態や雇用期間に関する詳細な説明はなく、むしろ「何もなければ継続して働くことができる」との説明を受けていた。

 原告の業務内容は、学校給食配送車運転手であり、四トントラックを運転して、市内の小中学校に給食や食器を配送するという恒常的業務であった。

 毎年四月と一〇月に更新が繰り返され、雇い止めになるまでの更新回数は九回に及んだ。毎年三月になると、高島市から「これに記入してください」と「採用申込書」など更新手続きに必要な書類を手渡され、これを提出するとほぼ自動的に更新がなされてきた。一〇月の更新は、こうした書類の作成を要求されることもなく、更新がなされてきた。

 しかし高島市は、平成二一年三月、原告を含む臨時任用職員に対して「平成二一年度の任用について」という書面を配付し、平成二二年三月三一日以降の任用はしないことを通知し、今回の一斉雇い止めを敢行した。

 高島市は、原告を雇い止めにする一方で、ハローワークを通じて原告の後任者を求人している。原告の雇い止めは全く必要ないものであった。しかもこの求人は、原告との団体交渉において、「国や県の指導があれば(雇い止め方針)撤回の可能性を否定するものではない」と回答する中で行われた。撤回の可能性を探るつもりがあるかのように振る舞う、不誠実な交渉態度であった。

 提訴後の記者会見において、原告は、自治体ワーキングプアと言われる実態の中で仕事にやりがいを感じ、仕事が好きだから続けたい頑張りたいという気持ち一つで働いてきたと述べた。原告が仕事を辞めることを知った配送先の小学生は、「いつもきゅうしょくありがとう」「残食ゼロができました」等と感謝のメッセージを写真入りで寄せてくれた。原告が誇りをもって仕事をしてきた証である。また原告は、本来恒常的業務の任用根拠として使えないはずの地方公務員法二二条五項を悪用してきておきながら(更新制限の違反も含めて)、同条違反の是正を雇い止めの理由にする高島市のご都合主義的態度に対する憤りも表明した。

 滋賀県では、本件と同日に、東近江市においても常勤嘱託職員の雇い止めが行われた。同じ日に、琵琶湖を挟んだ二つの市において非正規職員の雇い止めが行われたということで、両事件は同時提訴することとし、記者会見も共同で行った。多くの新聞・ニュースで取り上げられアナウンス効果は大きいものがあった。東近江市の事件は、滋賀第一法律事務所で弁護団を組んでいる。今後も、相互に連絡を取り合いながら闘いを進めていく予定である。

 貧困と格差が大きな社会問題となる中、非正規雇用がその温床となっているとの認識が広まりつつある。こうした裁判闘争が、非正規雇用にまつわる諸問題解決に向けた動きにつながっていけばよいと考えている。

(弁護団:吉原稔、向川さゆり、石川賢治各団員)


「反リストラ産経労」行政訴訟、不当判決のご報告

東京支部 焉@橋 右 京

 以前にも本通信において北神英典団員がご報告した、労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会(反リストラ産経労)が原告となって中央労働委員会の命令の取り消しを請求した行政訴訟につき、本年九月三〇日、東京地方裁判所民事第一九部(青野洋士裁判長)は、不当にも原告組合の請求を全て棄却する判決を下しました。

一 原告組合結成に至るまでの経緯

 原告組合の委員長である松沢弘さんは、一九七一年四月一日、いわゆる産経新聞グループに属する株式会社日本工業新聞社(以下「会社」)に入社し、同社東京本社に所属し、以後、経済記者として第一線で活躍をしてきました。

 他方で松沢さんは、仲間とともに原告組合を結成しましたが、その結果、会社から数々の弾圧を受け、ついには懲戒解雇にまで追い込まれました。その背景には、当時から現在に至るまで変わらない、労働者の権利をないがしろにする会社及び産経新聞グループの体質にあります。

 入社当初、松沢さんは、産経新聞グループの企業内労働組合である産経労働組合(「産経労組」)に所属していました。この産経労組は、会社との労働協約によりユニオンショップ制を採用し、ストライキ権を放棄する「平和協定」を締結している、経営側と癒着した「超御用組合」です。このような経営側に都合のよい異常な労使関係の下、産経グループ各社は、過去に何度も過酷な労務政策を採り(「産経残酷物語」として知られています。)、労働者の権利をないがしろにしてきました。

 松沢さんは、このような体制を改善すべく、当初は産経労組内でその改革等を目的とした「月曜会」というグループを組織し、同グループから産経労組内のポストを獲得するなどして、反主流派のリーダーとして活動してきました。

 会社側は、目障りな存在である松沢さんの活動を封じるため、長年にわたり様々な妨害を繰り返し、九二年には、産経労組と会社との労働協約上、非組合員とされる論説委員に松沢さんを配転しました。産経労組の組合員資格を奪われ、産経労組内での抵抗運動が困難になったことから、松沢さんは、九三年五月ころから仲間に新組合の結成を呼びかけ、九四年一月一〇日、原告組合を結成しました。

 これに対し、産経労組以外の労働組合の存在を絶対に認めたくない会社は、原告組合の結成通告前から松沢さんたちによる新組合結成の動きを察知し、以後、原告組合をつぶすため、以下に述べるような不当労働行為に及びました。

二 会社による不当労働行為

(1)九四年一月二八日に、原告組合は、会社に対し原告組合の結成を通知し、団体交渉を要求しました。すると会社は、同年二月一日、原告組合の委員長である松沢さんに対し、同社千葉支局への配転を命じました。

(2)また、同じ二月一日、松沢さんたち原告組合員は、原告組合への参加を呼びかけるために、社内において勤務時間外に、会社従業員に対し、原告組合の機関紙第一号を配布したところ、会社側はこれを受け取った従業員から強制的に回収してしまいました。

(3)原告組合は、結成後、松沢さんの千葉支局への不当配転の撤回や、松沢さんの千葉支局における業務等を議題とする団体交渉を、実に二七回にもわたり会社に申し入れましたが、会社側はこれを許否し続けました。

(4)そしてついに会社は、同年九月二二日、業務命令違反を理由に、松沢さんを懲戒解雇しました。

三 原告組合の闘い

 そこで原告組合は、同年二月四日に、上記(1)から(3)の行為が不当労働行為に該当するとして、東京都労働委員会に対し、不当労働行為の救済を申し立て、(4)懲戒解雇後、それについても救済内容に追加しました。

 他方で松沢さんは、個人として、一九九六年五月八日に、東京地方裁判所に、解雇無効による雇用関係確認を請求する訴訟(「解雇無効訴訟」)を提起し、二〇〇二年五月三一日、同裁判所は、解雇の無効を認める判決を下しました。この判決は、徳住堅治団員、野澤裕昭団員の奮闘により勝ち取られたものです。ところが、二〇〇三年二月二五日、同解雇無効訴訟控訴審において東京高等裁判所は、一審判決を取り消し、松沢さんを敗訴させました。

 そして、二〇〇六年一二月六日、都労委は、上記高裁判決が最高裁で確定した後、不当にも、会社による上記の一連の行為がいずれも不当労働行為に該当しないとして、救済申立を棄却する命令を交付しました。

 原告組合は、同年一二月一九日、都労委命令の取り消しと救済を求め、中労委に対し再審査を申し立てましたが、二〇〇八年五月二三日、中労委は、原告組合結成の準備段階から懲戒解雇に至るまでの一連の流れにあえて目をつむり、会社の不合理な主張を鵜呑みにして申立を棄却する命令を交付しました。

四 本件訴訟の経緯

 しかし、原告組合、そして松沢さんは、決して勝利をあきらめませんでした。原告組合の要請により、日隅一雄弁護士、萩尾健太、三澤麻衣子、北神英典、そして私の各団員で、新たに弁護団を結成し、二〇〇八年一一月一八日、東京地方裁判所に対し、中労委命令の取り消しを求める行政訴訟を提起しました。

 原告組合及び弁護団は、都労委・中労委、解雇無効訴訟の記録を改めて精査するとともに、労働委員会及び解雇無効訴訟における審理の段階では会社による弾圧を恐れて証言ができなかった当時の松沢さんの同僚や上司たちから新たに証言を得て、陳述書等を提出するなどして、中労委命令における事実認定、法的評価の誤りを厳しく指摘しました。

 また、本件訴訟は、社会的存在であるマスコミによる労働組合つぶしの不当性を訴える点に加え、労働委員会の存在意義を問う点に重大な意義があります。前述のとおり、本件において都労委は、解雇無効訴訟の判決が確定するまで、一三年近くにもわたり原告組合の救済申立を放置したうえ、安易に解雇無効訴訟における裁判所の判断に追従し、中労委もそれを追認しました。このような労働委員会の態度は、労働者の団結権を早期かつ柔軟に解決するための専門機関としての役割を全く放棄するものです。私たちはこの点についても厳しく追及し、本件裁判所に対し、適正な判断を強く求めました。

五 本件判決の評価

 ところが、東京地裁は原告の請求を棄却しました。

具体的には、同判決は、

(1)本件配転につき、新たな証拠に基づき組合結成準備および結成の事実は認定しました。ところが、会社が組合結成の準備を事前に察知していたとは認められないとして、会社に不当労働行為意思がないと認定し、不当労働行為性を否定しました。しかし、本件訴訟において新たに提出した多くの陳述書等から、会社が原告組合の活動を妨害する意思を有していたことは明らかです。また、

(2)本件機関紙配布妨害についても、不当労働行為に該当しないと判断しています。しかし、その判断の根拠として裁判所は、会社の施設管理権から労働組合の機関紙配布行為も一定の制約を免れないと述べるのみで、配布の実態に目をつむり労働組合にとっての機関紙配布行為の重要性とその憲法的意義をほとんど考慮していません。

(3)本件団交拒否についても、原告組合の方が開催場所と議事録の作成という条件に固執した結果であるとして、不当労働行為に該当しないとしています。しかし、他方で裁判所は、会社の主張する、松沢さんが会社の利益代表者であるという団交拒否理由は失当であるとしており、その判断には極めて大きな矛盾が存在します。そして、(4)本件懲戒解雇についても、松沢さんに千葉支局長としての業務懈怠があったとして不当労働行為に該当しないと判断しています。この判断についても、裁判所は、会社の主張する表面的事実のみを鵜呑みにし、新聞記者の業務の実態、そして、支局長としての業務を行えば「利益代表者」とされ、同業務を行わなければ懲戒解雇の危険に晒されるという進退窮まった状態に、当時松沢さんが置かれていたということを一切考慮せず、そればかりか、主張整理から意図的にこの点を落としています。

 このように、本判決は、松沢さんが解雇するまでの個別具体的な事実、及び解雇に至るまでの一連の流れに対して目をつむり、松沢さん及び原告組合の団結権の重要性を著しく軽視するものであって、極めて不当かつ不合理な判決です。また、前述の、労働委員会の制度趣旨、役割について全く考慮せず、法的安定性・統一性なる観点から結論を先取りしたものと考えざるを得ません。

六 今後の闘い

 原告組合及び弁護団としては、上記のような不当な判決を到底受け入れることはできません。原告組合の救済、社会の公器たるマスコミにおける労働者の権利の確立、そして労働委員会制度の存在意義を改めて世に問うため、直ちに控訴し、引き続き原告組合の勝利に向けて邁進する決意です。

 原告組合の勝訴が確定するその日まで、引き続きご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。


給費制廃止は法曹一元を遠ざける分離修習への道

東京支部  萩 尾 健 太

はじめに

 現在、司法修習生に対する給費制度が存続できるのか、廃止されるのか、が、法曹界において大きな争点になっている。

 給費制存続の意義については、すでに多くの団員が触れている。

 私が強調したいのは、その法曹一元との関係である。わかりやすいように、後藤富士子団員の論稿(団通信一三五五号)を批判の題材として挙げることをお許し頂きたい。

一 敗戦前の分離修習

 この法曹一元との関係については、敗戦前の司法制度にさかのぼって考える必要がある。

 敗戦前の明治憲法下では、ドイツの制度に習って、司法行政の監督権は司法大臣が有しており、その監督の下に裁判所があり、裁判所に検事局が置かれていた。

 そのため、裁判官と検事は司法官として近い関係にあり、法曹養成については,司法官(裁判官・検事)と弁護士とは別々の養成制度が採られていた。

 三者は、共通の高等試験司法科試験で選抜されるが、その後、裁判官及び検察官はともに司法官補として裁判所及び検事局での一年半以上の実務修習で養成され、弁護士は弁護士補として弁護士事務所での一年半以上の実務修習で養成されていた。その後、別々の考試をうけ、判事・検事と弁護士の資格を得たのである。

 重要なのは、司法官補は有給であり、弁護士補は無給だった点である。

 現在の給費制打ち切り論者と論拠は同じで、官は国費で養成するが、在野の弁護士については低く見られ、国費を出すべきではない、と言うことであろう。

二 敗戦後の司法改革

 敗戦後、明治憲法体制の人権侵害の裁判への反省から、日本国憲法では司法権の独立が明記され、刑事手続きに関する人権擁護の規定が多く盛り込まれた。それとともに、司法制度も大幅に改革された。「法曹一元」を求める運動もそれに大きな影響を及ぼした。一九四五年一二月一一日付の毎日新聞は「判検事を推薦制に――弁護士・少壮司法官有志が連携――法曹一元に起つ」という大見出しの記事を掲載している。この「少壮司法官有志」が戦後司法改革を推進した(「青法協――憲法とともに三五年」日本評論社刊より)。

 そのもとで、法曹養成については,法曹三者が共通の司法試験をうけ、給費制のもとで共通の司法修習で養成されるという統一修習制度が採用された。敗戦前の旧制度を完全に克服できてはいない妥協的なものではあるが、法曹一元の理念を一定程度実現するべく、法曹三者はいずれも公的な役割を担うとして修習は国費で共通に行うこととされたのである。

三 給費制廃止は分離修習を再来する

 この歴史的経緯からすれば、近時の「司法改革」の推進とともに法曹養成期間が短縮され、「法曹の多くは弁護士だから」と給費制まで廃止されようとしていることは、何を意味するのか、自ずと明らかになる。

 後藤富士子団員が、団通信一二二六号紙上で過去にも指摘したように、給費制が廃止されれば、修習生の経済的負担が現実の問題となる。そこから、司法修習の廃止が導かれる危険がある。

 司法修習廃止論者は、司法修習が廃止されれば、裁判官・検察官の選別機関・期間がなくなるので、その結果、経験を積んだ弁護士から裁判官を選ぶという法曹一元の方向に進むと考えているようである。

 しかし「弁護士は民間、自分の営業資格を得るためだからその養成に給費は不要」という受益者負担のイデオロギーのもとに進められる給費制廃止は、法曹一元どころか、戦前の分離修習を再来するだけである。

四 現行制度の中に胚胎する新制度を潰すもの

 後藤富士子団員は「現行制度の矛盾を克服するものとして新制度が構想されるのだから、現行制度の中に新制度は胚胎している」と延べ、給費制廃止を擁護する。

 たしかに、現行の統一修習の中には、法曹一元が胚胎されている。給費制廃止は、その胚を潰すものに他ならない。

 そもそも、大きな視点で捉えれば、戦時体制のもとで発祥した国家独占資本主義は、敗戦後の戦後復興および世界の反戦勢力と民族解放勢力の前進を受けて修正資本主義へと進化し、そこには次の社会体制が胚胎されていた。しかし、復活を遂げた独占資本は、修正資本主義政策を取りやめさせて国家管理を解体させるという新自由主義を各国で取るようになり、さまざまな「胚」を潰していったのである。

 日本における戦後の法曹養成制度の変革と、近時の改革の中での給費制廃止の動きも、これに符合するものとして理解することが出来る。

 また、高額な学費を支払わなければならない法科大学院を、有給の司法研修所の代替とするのは、昨今の公務の解体・民営化と軌を一にしており、出身家庭の経済力による選別をなす役割を果たしている。

 ただし、この新自由主義政策は必然的に資本主義の原則通りに不況と貧困化を産みだし、現在、民衆による反攻がギリシャをはじめ世界中で生じている。

 借金を背負い、窮乏化した若手弁護士・修習生の実感に根ざした給費制存続運動も、この一翼に位置づけられるものである。

 そして、このような民衆の闘争こそが、現行制度の中に胚胎している新制度を実現する、と、レーニンは「弁証法」「史的唯物論」といった言葉で語っているのである。

 民衆の闘争と離れたところで新制度が発現すると考えるならば、それはヘーゲル主義であってもレーニン主義ではない。

 最高裁事務総局は、日弁連に対する質問書にも示されるように、給費制の廃止を望んでいるようである。その最高裁が法曹一元を望んでいるのだろうか?

五 法科大学院は司法修習の代替となり得ない

 一方で、司法修習の廃止は、「現実の壁」に直面している。法科大学院は、もともとは、司法修習の廃止も見越したその代替物としての面から、多様なカリキュラムが盛り込まれている。しかし、二〜三年という短期間で、先端的・専門的内容まで多岐にわたるカリキュラムをこなすのは、特に法学未習の学生にとっては至難であり、集中して基本を身につけることも困難な状況にある。「法科大学院ではもっと基本をじっくり学びたい。専門的な内容は、弁護士になってから学ぶと、とても役立つだろう」というのが、私が接した多くの法科大学院生の声である。その結果、三〇〇〇人への司法試験合格者増を直接に阻んでいるのは、受験生の成績、という事態になっている。

六 現行制度の矛盾克服と改革の方向

 給費制の存続がなされれば、その後、さらにこの矛盾を打開する法曹養成制度の前進的改革としては、以下の点が実現されるべきと考える。

(1)前期修習を含めた一年半修習の復活と改善

(2)司法修習存置を前提とした、他大学院の基礎科目重視へのカリキュラム改革

(3)法科大学院を含めた高等教育の学費軽減・無償化

 これらの改革は、しかし、国費の支出を伴うものであるから、法律家の責任として、以下の点も実現ないし指向されなければならないだろう。

(4)OJTも含めた養成可能な司法試験合格者数への低減

(5)裁判官の増員と裁判所の増設

(6)法律扶助などの司法サービスの拡大と統制の排除

 法曹一元への裁判官任用制度の体制変革は、このような変革を求める民衆の運動の中でこそ実現されるものである。


平成二二年九月一〇日・一一日 金沢団女性部総会に参加して

神奈川支部  甲 斐 田 沙 織

 去る九月一〇日、一一日に、石川県の加賀山代温泉において、団女性部総会が開催されました。一四期の大先輩から、私を含め四名の六二期と幅広い期の先生方が総勢三〇名以上参加し、とても賑やかな会合になりました。

 私は金沢法科大学院の出身で、三年余り金沢で暮らしていました。数年ぶりに訪れる石川は懐かしく、また、大学院時代に指導いただいていた北陸支部の先生方と嬉しい再会を果たせました。

 初日には、団神奈川支部の岡村共栄団員より、安保五〇年と沖縄問題というテーマで講演がありました。安保の歴史から現在の沖縄問題につらなる歴史の経緯を、若手にも分かりやすく講演いただいて、大変有意義でした。

 その後、各支部の団員からの、現状報告、意見交換がありました。現在も根強く就職の際の女性差別の実体験等について報告がなされました。

 私からは、個人的に以前からの懸案事項であった、これからの女性団体、女性運動の在り方について、先輩方に疑問を投げかけてみました。私の疑問というのは、これからの女性運動というのが何を獲得目標にするのか、そして共通の目的をもって、女性というカテゴリーで共闘することは可能か、というものです。とりとめない疑問であったのにもかかわらず、多くの先輩方から、アドバイスや共感の声など、さまざまな反響をいただきました。

 総会での発言があまりにとりとめがなかったので、私の懸念についてこの場をお借りして整理させていただきます。

 先人の成果として、雇用機会均等法やDV、セクハラに関する法律が整備され、判例が積み重なっています。これにより救済された女性たちが存し、理不尽が是正されるという成果があったのは事実です。しかし社会の実態としての女性の低所得、地位の低さというものは未だ改善されていません。むしろ、外形的な条件は平等であるがゆえに、女性という理由でひとくくりに差別されていた時代よりも、状況は悪くなっているのではないか。すなわち、外形的な条件が平等であるために、低所得で地位のないほとんどの女性が、その結果を、女性差別の結果ではなく自己個人の選択や能力の問題であるとして一人で引き受けるしかない状況となっているのではないかと感じます。

 そして、この問題状況に対して、女性弁護士はどのような立ち位置にいるのかという疑問もあります。男性弁護士に比べて女性弁護士の所得が低いこと、弁護士会その他弁護士団体の役職、意思決定機関において女性の比率が低いことをもってすれば、同じ女性としてすべての女性と問題を共有しているともいえそうではあります。

 しかし、女性弁護士すなわち高い地位にある女性専門職が少数ながら現に存在するということは、ほとんどの女性にとっては、希望というよりも、やはり自己の不遇について怒りのやり場を失い、自分個人の問題として口を閉ざしてしまう、という状況を強化するように働いているのではないかという懸念があります。

 女性が総体としてみれば経済的社会的に低い地位にある現実は変わらないにもかかわらず、女性の中での格差、「女女格差」は広がり、利害を共有できず、対立することすらあります。この、従前とは大きく異なる状況の中で、女性団体・女性運動の担うべき役割は何か、私の中で答えは未だ出ないままです。けれども、役割が終わった、することが何もないという状況ではないことは確かであると感じています。これからの団女性部、地域女性団体とのかかわりの中で、答えを探していきたいと思っています。

 団女性部総会の話に戻ります。二日目には、杉井静子団員より、家事審判法の改正につき、改正案の概要の説明と問題提起がありました。家事審判法全般にわたる大改正ですが、特にこども代理人の制度については、考慮すべき事項が多く活発な議論が行われました。

 ちなみに、今回の参加者はなぜか、私も所属する神奈川支部からの参加者が多く、講演者含めて八名がはるばる駆けつけました。その甲斐あって?来年度の女性部総会は神奈川に決定しました。神奈川支部女性団員一同、とっておきの箱根の湯宿で歓迎しますので、今回参加されなかった皆さんも、是非ご参加ください。


『上田誠吉さんの思い出』を読んで

福岡支部  永 尾 廣 久

 ミスター自由法曹団というべき存在だった上田誠吉弁護士は、最高裁判所の長官にふさわしい人格、識見、能力だったと衆目の一致するところでした。惜しくも昨年五月一〇日、八二歳で亡くなられました。

 私の生まれた一九四八年に東大法学部を出て、司法修習生(二期)になりました。上田弁護士は戦後の著名な刑事事件の多くに関わっています。メーデー事件、松川事件、三鷹事件、千代田丸事件、白鳥事件・・・・。

 これらの事件は、戦後日本を揺るがす大事件であったと同時に、司法界においても大変重要な事件であり、貴重な判例を残しました。そして、上田弁護士は弁論要旨だけでなく、数々の著書をモノにし、世に問うています。私が大学一年生のときに読んで、身体中が雷に打たれた衝撃を覚えたことを今も鮮明に覚えているのが『誤った裁判』(岩波新書)です。国家権力というのは、自己の威信を守るためには無実の人を死刑にしてもかまわないと考えること、一般市民は丸裸にされたときには、きわめて弱い存在であると痛感させられました。それまでは、警察や検察というところは人権と弱者を守るために存在するとばかり思い込んでいたのです。ひどく認識が甘いと思わされました。

 その後、上田弁護士は、自由法曹団の幹事長に就任します。四一歳のときです。上田弁護士は『国家の暴力と人民の権利』(新日本出版社)を世に問いました。私が司法修習生のときでした。感激をもって必死に読み、大いに学ぶことができました。

 そして、私が弁護士になった年(一九七四年)一〇月、自由法曹団の団長に就任しました。まだ四八歳の若さでした。しかし、既に風格がありました。それから一〇年間、団長の要職をつとめました。

 団長在任中、石油ショックが起こり、石油業界のヤミ・カルテルが摘発されました。東京と山形・鶴岡の消費者がこぞって裁判に起ちあがりました。弁護士一年生の私も末席に加えていただきました。上田弁護士と同じ弁護団の一員となったのです。

 この灯油裁判と呼ばれる消費者訴訟は最終的に敗訴しましたが、途中で消費者の権利を認める高裁判決を勝ちとるという画期的な成果もあげています。上田弁護士は、理論的にも、運動においても、中心の柱になっていました。

 上田弁護士の旺盛な著述活動は、その後も続きました。『裁判と民主主義』(大月書店)、『ある内務官僚の奇跡』(同)。後者は、上田弁護士の父親について書かれています。父親は、なんと特高課長をつとめたキャリア組の内務官僚だったのでした。中国・上海総領事館の警察部長もつとめています。ですから、上田弁護士も、上海に暮らしていたことがありました。戦後、上田弁護士は、父親から左翼にだけはなるなといって、顔を叩かれたこともあります。ところが、その父親も亡くなる前には松川事件の弁護団の一人になったのでした。

 上田弁護士は、六三歳のときに胃がんで胃を全摘しました。しかし、その後も著述活動だけでなく、アメリカに渡った訪米団の団長として、また、警察による盗聴事件を追及して、活躍しました。最後には、自らが住民の一人として無用な道路建設に反対する運動に加わり、裁判の原告になりました。

 この本は、上田弁護士の没後一年たち、「しのぶ会」の開催に合わせて、弁護士やかつての裁判の元原告たちが思い出を寄せたものです。大変読みやすく、上田弁護士の飾らぬ人柄、そして、その能力と見識の高さがにじみ出る冊子となっています。

 上田弁護士は東大法学部に入学するも、学徒出陣の時代ですから、川崎の高射機関に砲部隊に配属されてしまいます。戦後、大学に戻って学生運動に参加するのでした。

 大阪の宇賀神(うがじん)直元団長が「上田誠吉さんと裁判闘争」と題して、少し長文の思い出を寄せていて、勉強になりました。

 裁判闘争の基本、土台というのは、裁判で問題となっている生活事実をつかむこと、これが大切である。裁判官もまた人間である。人間がものごとを決めるときに寄るべきものは事実の認識であって、そのうえに立って道理を考える。そこでは、事実と道理、対決と説得そして共感が大切なのである。一面では対決であり、他面では説得である。説得の武器は、対決の場面もふくめて、事実と道理である。そのために知恵と力を出す。裁判官の良心を取り戻し、それに灯をともし、その灯を強めていく。それが成功するなら、裁判官は事実を素直に見るようになる。そして、救済を決意する。ここには飛躍がある。裁判所が何を考えているかを読みとること、これが実は弁護士にとって一番苦しい任務なのである。

 上田弁護士をしのび、大いに学ぶべき存在であることを改めて思い知らせてくれるいい冊子です。若い団員をふくめて、広く読まれることを期待します。

 この一文は、私が福岡県弁護士会のHP(書評コーナー)に載せたものをもとにしています。


「上田誠吉さんをしのぶ会」ご報告

事務局長  杉 本   朗

 さる九月四日、東京・学士会館で、「上田誠吉さんをしのぶ会」が無事行われました。

 残暑の厳しい日でしたが、二四〇名ほどの方々が参加され、上田さんをしのびました。会場には、上田さんの著作物も展示されました。

 第一部は、一一名の方に、上田さんとの出会いや思い出を語っていただきました。時間の関係で、思いのすべて話していただくことは出来なかったかもしれませんが、それぞれの上田さんへの思いが伝わってきました。上田さんを思い出して感極まった方もいらして、上田さんの人柄がしのばれました。みなさんからスピーチをいただいたあと、上田さんの在りし日のスライドが上映され、ご遺族からご挨拶をいただきました。

 第二部は立食形式で懇親会が行われました。ここでも数名の方からスピーチをいただき、またいらしていただいたご遺族の紹介がありました。会場のあちこちで、上田さんの思い出を話し合っている姿が見られました。最後に、宮本顕治氏の葬儀で弔辞を読み上げる上田さんの姿が音声付きで流されました。

 なお、当日参加者に配られた、上田さんの思い出を綴った文集に若干の余部があります。ご希望の方には、一〇〇〇円(送料込み)でおわけいたしますので、団本部までFAXでご連絡下さい。

 かさねて、当日参加していただいた皆さま、上田さんのご遺族、運営に尽力された東京合同法律事務所の皆さま、ありがとうございました。


新刊紹介 第三版「Q&A 女性と労働」
―働く女性の権利を守るために―

東京支部  坂 本 福 子

 現在、働く女性は増加し、二〇〇九年現在女性雇用者は二三一一万、雇用者数に占める割合は四二・三%とと過去最高に達したといわれています。しかし非正規雇用が過半数を占めています。こうした状況を踏まえ第二版の出版した内容を現状の新しい法律にあわせ全面的に書き改めたものです。

 均等法の改正やパート法の全面改正、労働契約法の成立、労基法の改正等法律の変化と共に通達も新しいものがでています。とりわけ本年六月から施行となった育児介護法の改正、通達等、執筆終了ギリギリまで書き換えるという情況で作成したものです。働く女性に向けて一問一答式になっていますから、労働者にもわかり安く作成されています。また弁護士でも最近の女性問題の法律に関して聞かれたとき、その解答には便利です。是非一冊お手元に、そして労働者達にも読んでもらってください。

 中小企業で働く女性が多い中、女性達の職場の点検にも便利です。

 執筆者は一九名、殆どが団員です。

「職場の女性問題研究会」編・出版社 民事法研究会

【連絡先】渋谷共同法律事務所 

    電 話 〇三―三四六三―四三五一  

    FAX 〇三―三四九六―四三四五です。

定価一八〇〇円(こちらに申込まれれば一割引)。