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鷲見 賢一郎 *愛媛・松山総会特集その二*
幹事長退任のごあいさつ
福山 和人 事務局次長退任のごあいさつ
伊須 慎一郎 退任のご挨拶
長尾 詩子 JAL客室乗務員監視ファイル事件 全面勝訴のご報告
萩尾 健太 JR雇用実現こそ、これからの中心問題(前編)
松 岡  肇 労働時間について(後編)
伊須 慎一郎 派遣法の早期・徹底審議を求める街頭宣伝のご報告
加藤 寛之 一一・一五地域主権改革学習会の感想
野呂  圭 憲法タウンミーティング 〜青年会議所(JC)の憲法運動〜
永尾 廣久 『日弁連・人権行動宣言』を普及しましょう
津島 理恵 生誕一三〇年韓国併合一〇〇年企画 ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」の感想
坂本 雅弥 民法(債権法)改正勉強会にご参加を!



*愛媛・松山総会特集その二*

幹事長退任のごあいさつ

東京支部  鷲 見 賢 一 郎

 〇八年一〇月一九〜二〇日の福島総会で幹事長に選出され、一〇年一〇月二四〜二五日の愛媛総会で退任しました。「アッと言う間の二年間」でしたが、振り返ってみますと、自分自身の活動については、「あれもできなかった、これもできなかった」と不十分なところばかり目につきます。しかし、自分の不十分なところにばかり目をやっていても仕方がありません。私なりにこの二年間何を考えてきたか等を報告し、退任のあいさつとします。

 幹事長は、各分野で指導力を発揮することが求められていると思いますが、不得手な分野が当然あるわけです。不得手な分野については、独自に勉強もし、会議等に参加し、委員会等の議事録を読み、担当次長の報告を聞き、何とか常任幹事会と五月集会、総会に対応しようとしたのですが、その結果はそう自信の持てるものではありません。

 私は、〇五年頃から派遣労働者の雇用と権利をめぐる問題に取り組んでいました。そういう中で、派遣労働者の置かれている劣悪な雇用と労働条件に怒りをおぼえると同時に、「このままで終わるわけがない」と思っていました。そして、「非正規労働者のたたかいは、社会を変革する大きな力を持っているのではないか」と思っていました。今もそう思っています。ですから、この二年間、団として、労働者派遣法抜本改正のたたかいや非正規労働者の裁判闘争を担い、支えることができてよかったと思っています。しかし、いまだ、「道半ば」です。これからのたたかいが正念場です。

 沖縄の米軍普天間基地即時無条件撤去を求めるたたかいは、日本の平和と主権を守るたたかいとして、大きな可能性を感じさせるたたかいです。団は、名護市長選支援のため、一〇年一月一五〜一六日、沖縄で、普天間基地、辺野古等の現地調査と拡大常任幹事会を行いました。一月二四日投票の名護市長選挙では、私たちが支援した稲嶺進候補が勝利しました。一一月二八日投票の沖縄県知事選挙では、「普天間基地の早期閉鎖・返還、在沖海兵隊の撤退」を公約にかかげる候補者の勝利を是非とも実現したいと思います。「沖縄から日本の夜明けを!」、そう希望します。

 衆院比例定数八〇削減の問題は、民主主義を否定し、日本共産党等の少数政党を国会から排除しようとする策動ですから、大きな危機感を持ちました。それと同時に、衆院比例定数削減阻止のたたかいは、財界をはじめとする日本の支配層の国家改造戦略―小選挙区制を梃子とする二大政党制の確立、日米同盟強化、新自由主義的構造改革の強行など―と正面からたたかうことが要求される課題ですから、大いに意欲をかきたてられました。衆院比例定数削減阻止だけでなく、民意を反映する公正な選挙制度も実現したいと思います。

 〇九年八月の総選挙で自民・公明両党が大敗し、「国民の生活が第一。」をかかげた民主党が圧勝し、九月には民主党中心の鳩山内閣が成立しました。しかし、鳩山内閣は、動揺と公約違反を繰り返し、一〇年六月には菅内閣と交代するにいたりました。そして、菅内閣は、かっての自公内閣と同様の日米同盟強化と新自由主義的構造改革の路線に回帰しています。一〇年七月の参議院選挙では、民主、自民の二大政党に不信がつきつけられる中で、憲法擁護をかかげる日本共産党と社会民主党の得票と議席も後退しました。

 しかし、私は、悲観していません。私が多少なりとも携わっている非正規労働者のたたかいでは、労働者派遣法抜本改正と有期労働契約法制への規制強化のたたかいでも、非正規切りとの裁判闘争でも、ここ二〜三年のうちに大きな前進を勝ち取ることができると思います。そして、日本の労働と雇用のあり方を変え、さらには社会のあり方を変え、貧困と格差をなくす方向へ大きく前進できると思います。同様の変化と前進は、米軍基地撤去のたたかいでも、衆院比例定数削減阻止のたたかいでも、様々な権利擁護闘争でも、私たちがたゆまぬ熱意と工夫をもって追求すれば、必ず勝ち取れると思います。

 これからは、初心にたちかえり、事務所で事件活動中心に頑張ろうと思っています。二年間、まわりの皆さまから支えていただき、楽しく仕事をさせていただきました。本当にありがとうございました。


事務局次長退任のごあいさつ

京都支部  福 山 和 人

 この度、二年の任期を終えて事務局次長を退任させていただくことになりました。在任中は、全国の団員のみなさんに大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。

 団本部では、一年目は改憲阻止対策本部、大量解雇阻止対策本部、社保庁PT、公害環境委員会を、二年目は改憲阻止対策本部、大量解雇阻止対策本部、国会比例対策本部、教育問題委員会、公害環境委員会を担当しました。この二年間は、〇八年末の年越し派遣村、〇九年九月の鳩山政権誕生、普天間問題で迷走、一〇年五月に辺野古移転の日米合意、六月には退陣、菅政権の発足という歴史的激動期でした。そのような時期に本部で活動し、時代の刺激を浴びたことは本当に貴重な体験だったと思います。

 比例削減問題の意見書・ブックレット、普天間意見書、総会議案書等の執筆の際には、関連する書籍や論文を片っ端から読み漁りました。弁護士になってからこれほど勉強したことはないと思うくらい集中的に勉強しました。幸せなひとときでした。

 雲仙総会の直前、ゲーツ米国防長官が「普天間移設なしにグアム移転はない」などと恫喝発言を行いました。私は怒りのあまり、問題提起者会議で、思わず「抗議声明を挙げるべきだ」と口走ってしまいました。そのせいで、初日の深夜零時過ぎまで飲み会にも参加せず、鷲見幹事長や沖縄の仲山団員らとひたすら特別決議案の起案に明け暮れることになりました。あのときは一字一句を極める鷲見幹事長の執念を甘く見ていた自分を呪いました。総会議案書の議論では、全国からの意見について、議案にどう反映させるかを繰り返し議論し、文言を練り上げました。団本部の決議や議案書、意見書等がどのように作られているのか、その舞台裏に身を置いてみると、今まで漫然とそういうものを斜め読みしていた自分が恥ずかしくなりました。

 私が公害環境を担当したのは、おそらく事務局長の籠橋団員と知り合いというだけの安易な理由だと思います。委員長の中島団員や籠橋団員にとって、この分野の経験のない私は大変頼りなかったと思いますが、暖かい目で見てくださったことに感謝申し上げます。

 この二年間で本部関係の会議や集会、国会要請等に参加した日数は一一一日でした。地方常幹等もありましたが、平均すると週に一日くらいは東京に来ていたことになります。首都圏の次長さんに比べると少ないとは思いますが、我ながらよく来たなあと思います。それなのに本部のある後楽園近辺以外には一切行かず、東京を満喫できなかった点は悔いの残るところで、今さらながら自分の生真面目な性格を恨めしく思います。

 次長生活を通じて、すばらしい先輩と仲間に巡り会えたことは、自信をもって語れる点です。ご一緒させていただいた執行部の方々に心より御礼申し上げます。今期の退任役員について若干述べさせていただくと、鷲見前幹事長が一見イケイケに見えて実は石橋を叩いて叩き壊す(?)タイプであることや、同期の前次長の伊須君が昼と夜では見事なほど別人格に変貌すること、西田君の軽妙なトークがどこで磨かれたか(それは内緒)など、深くお付き合いするとよくわかりました。また専従事務局の方々には本当にお世話になりました。薄井さんは、少女のような感性で、話をすると私まで清められてしまうような錯覚を覚えました。渡島さんは、かなりの酒好きで気さくな性格な反面、仕事は正確でいつも頼りにしていました。阿部さんはいつもとても丁寧な対応と心配りをしてくださり、大変気持ちよく仕事ができました。改めてお礼を申し上げたいと思います。

 京都から来ていたこと、特に就任当初は京都の憲法ミュージカルに出演したこともあって、諸団体との会議やFAXニュースの作成、諸連絡、集会や国会要請等の準備など手間のかかる仕事では貢献できず、心苦しい思いでした。その分、自分のできる範囲で頑張っていたつもりですが、正直、どれほど貢献できたかはよくわかりません。でもまあ私のようななまくら者でも何とかなったのですから、若手団員、特に地方のみなさんには臆せず本部次長に来てほしいと思います。きっと貴重な体験ができると思います。

 私は今後は京都支部に戻って、労働分野を中心に活動することになりそうですが、できる限り本部の提起にも応えて、本部と京都が一体となって運動を進めていけるよう頑張りたいと思います。
 最後に、私を本部に送りだして下さった京都支部のみなさん、とりわけ京都法律事務所のみなさんに、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。


退任のご挨拶

埼玉支部  伊 須 慎 一 郎

 総会が無事終了してホッとしています。二年間の次長職を振り返って、素晴らしい先輩・仲間・専従事務局のみなさんに恵まれ、活動できたことに感謝します。

 この二年間、修善寺では、深夜、松井繁明先生らとラーメンを食べに出かけ、彷徨いました。修善寺の夜は早く、すべての店が閉まっていました。しかし、諦めきれず、神原さんと、西田さんと一緒にラーメンを食べるために小旅行に出かけました。ラーメンがおいしかったかどうか記憶にありませんが、何か達成感がありました。それから、福山さん、西田さん、小林さん、そして同部屋で犠牲者となった萩尾さん、一月の沖縄の拡大常任幹事会の夜は楽しかったですね。何件ハシゴしたのか覚えていません。見かねた鷲見先生から今夏の熱海合宿時には外出禁止令が出ましたが、実は、西田さんにそそのかされて、西田さん、福山さんと深夜の熱海を視察しました。すみません。いつか、菊池団長、杉本事務局長にもご一緒して頂きたいです。

 また、愛媛松山の実務修習で僕の弁護修習担当をして下さった臼井満先生、総会全体会の議長ご苦労様でした。僕の修習当時、臼井満法律事務所の事務局だった井上さんが今年司法試験に受かり、総会で会えたことをうれしく思います。

 埼玉総合法律事務所で、行き当たりばったりで仕事をする僕のサポートをしてくれた事務局の森上さん、ありがとうございました。

 最後に、鷲見賢一郎先生、充実した二年間ありがとうございます。


JAL客室乗務員監視ファイル事件 全面勝訴のご報告

東京支部  長 尾 詩 子

第一 全面勝訴!

 二〇一〇年一一月二八日、JAL客室乗務員監視ファイル事件について、東京地方裁判所民事第一九部(青野洋士裁判長)は、全面勝訴の判決(確定)を出しました。

第二 事案の概要

 二〇〇七年二月、週刊朝日の記事、「社内スパイ暗躍!」「極秘 JAL客室乗務員監視ファイル!」。この記事から本件は始まりました。

 ご存じのとおり、JAL客室乗務員の職場には、闘う労働組合(以下「CCU」。従来は「客乗組合」という名称でしたが、JALがJASを統合し両社の客室乗務員労働組合が合併した結果、新しく「CCU」との名称になりました)とJALが分裂労務政策のためにつくり保護してきた御用組合(以下「JALFIO」)の二つの組合があります。

 週刊朝日のスクープは、JALが、JALFIO執行部と手を組んで、約九〇〇〇名分の客室乗務員につき、OB・OGを含み、組合を問わず、職場内外にわたる生活・行動を監視してプライバシーにかかわる個人情報を収集し、一五八項目にわたってデータ化して集積した個人情報ファイル(以下「監視ファイル」という)を作成しているとの報道でした。

 監視ファイルには、「父親は教員、日教組」「父なし子を育てている」「死産」「悪党」「バカ」といった情報から、「休職発令間近」等JALしか知り得ない人事に関する情報、「強いJ/SU必要 某(注:実際のファイルでは特定個人名が入っています)MGRへ」といった活動的なCCU組合員は強いJALFIOのチーフに下に所属させるべきだといった情報などが記載されています。

 JALの客室乗務員の職場で労務管理のための情報網が張り巡らされていることを改めて思い知らされるとともに、ファイルを記載した人がのぞきみをして喜んでいるかのようなあまりにも品のない表現に愕然としました。 

第三 提訴とその後の訴訟進行

一 提訴

 二〇〇七年一一月二六日、客室乗務員一九四名(うち一名はJALFIO組合員。一九三名はCCU組合員)とCCUを原告、JAL、JALFIO、JALFIO客乗支部委員長経験者五名(うち一名は現職。四名は現JAL管理職。以下「JALFIO役員」という)を被告とし、客室乗務員の個人原告は一名あたり人格権侵害(プライバシー侵害)に対する慰謝料・弁護士費用二二万円を被告全員に対し、CCUは団結権侵害を理由とした慰謝料・弁護士費用五五〇万円をJALに対し、それぞれ請求する損害賠償請求訴訟を提起しました(東京地裁第一九部合議中西裁判長)。

二 JALの認諾!!

 第一回弁論期日、東京地裁第一〇三法廷で、JALは、冒頭、突然に「事実関係は否認するが請求の趣旨は認諾する」と言い放ちました。

 法廷で事の真相が暴露されることを恐れて、お金を支払い訴訟当事者から逃げ出したのです。

 その後、原告団との度重なる打ち合わせの末、個人原告が一万円請求の拡張を行い、個人原告がJALFIOとJAL役員を相手にするという形で訴訟継続を図りました。

三 裁判官のプライバシー侵害について無理解

 プライバシー権は、「宴のあと」事件判決(東京地判昭和三九年九月二八日判決)で提示されて以降、判例学説の進展により、プライバシー侵害は私生活事実に限定されず、「他人にみだりに知られたくない個人情報」を保護対象とされてきました。またプライバシー侵害は公表を要件をせず、あるいは情報収集行為自体をプライバシー侵害と位置づけてきました。さらには、個人情報保護の流れや、大学や職場においても個人情報の保護、プライバシーの権利が問われてきました。その過程で、自己情報コントロール権という概念も形成されてきました。

 しかし、当時の中西裁判長の思考は、「宴のあと」事件判決からなかなか脱却できないままでした。弁論準備において、原告代理人にむかって、「私がここであなたの名前を手控えのメモに書いただけでプライバシー侵害なんですか。」と発言し、明らかに請求棄却の心証を吐露しました。

 弁護団は、上記のようなプライバシー侵害の到達点を示しつつ、本件に即してさらにプライバシー権、自己情報コントロール権、職場における自由な人間関係を形成する自由を発展させていく準備書面を提出しました。

 そして、目的が違法であり、手段が不相当性であり、組織的かつ大規模・長期間で、常に情報更新が前提とされ、相当数のJAL管理職やJALFIO役員でデータが共有されてきたという、本件監視ファイルの特徴からして、本件監視ファイルの存在自体が、原告ら客室乗務員の人格権(プライバシー権、自己情報コントロール権、職場における自由な人間関係を形成する自由)を侵害するものであることを明らかにしていくことに注力しました。

四 会社側調査責任者の証言拒絶

 原告側代理人は、原告数名、被告であるJALFIO組合の責任者、個人被告全員の他に、本件の調査に関わった会社側責任者を呼び出して証拠調べすることを求めました。

 これに対し、この会社責任者からは、出頭しない旨の上申書が提出されました。

 そうして、迎えた証拠調べ当日、出頭しないかもしれないという予想に反して、会社側責任者は出頭しました。そして、尋問の中で、いくつかの質問に対して業務上の利益を理由に証言を拒否したのです。

 原告側代理人は本件については業務上の利益を理由に証言拒否はできない旨の主張を行い、審理の結果、証言拒否は不当である旨の決定を得て、再度、会社側責任者の尋問を行いました。

第四 判決

 今回の判決は、会社とJALFIO組合との組織的癒着までは認定しませんでしたが、監視ファイルの記載内容を問わず、監視ファイルの「作成」自体をプライバシー侵害と明確に判断し、全ての客室乗務員がプライバシー侵害を受けたと認定しました。そして、請求認諾を踏まえてもまだ損害は填補されていないとして、請求拡張した損害全額を損害として認めたのです。

 また、氏名など秘匿性の低い情報であっても、自己が欲しない第三者にみだりに収集、保管または使用されない権利を認めた点で、プライバシー権に関する裁判例の集大成たる歴史的意義を有する判決でした。

 また、企業という閉ざされた空間の中で、監視ファイルによる労働者の権利侵害を認め、JALFIO組合と歴代執行部の責任を正面から断罪した点でも、職場における人権侵害に苦しむ労働者の権利擁護を前進させるものです。

 なお、本件原告弁護団は、東京南部法律事務所から、船尾、安原、大森、堀、早瀬、長尾と、さくら通り法律事務所から清水勉弁護士、リベラ法律事務所から小貫弁護士をお招きし合計八名です。

第五 今JALでは

 JALは二〇一〇年一月、会社更生法を申請し、八月には更生計画が付議決定を受けました。JALの職場では、更生計画案に示された人員削減案の前倒し履行を理由に、今現在も、退職勧奨に応じるまでフライトさせないという退職強要が公然と行われ、JALFIOに対抗する労働組合員を狙い撃ちにする整理解雇が企まれるなど、経営破綻の重大な原因である労使癒着、人権軽視の姿勢は変わりません。これではJALの真の更正はありえません。JALの労働者は、この判決を期に、安全運航とより良いサービスを提供できる公共交通機関として真の再生を実現すべく邁進していく決意を固めています。私たちも、団員のみなさんのご支援、ご協力をいただき、事務所をあげてJAL労働者の闘いを支えていくつもりです。


JR雇用実現こそ、これからの中心問題(前編)

東京支部  萩 尾 健 太

一 一括和解から四ヶ月

 最高裁での国労闘争団有志の鉄建公団訴訟、鉄道運輸機構訴訟、全動労鉄道運輸機構訴訟、採用差別国労訴訟の一括和解から、四ヶ月が経過した。

 一人平均約二二〇〇万円の金銭は鉄道運輸機構から各原告団代理人共同名義の口座に振り込まれた。しかし、最大の課題である雇用の実現については、政府を通じてJR各社に働きかけるとのことなので、民主党の代表選の行方を見守り、ようやく働きかけがなされるようになったところである。

二 雇用実現こそ本来の闘い

 各被解雇者は、これまで「解雇撤回・JR復帰」を主張してきた。それが各人の要求にかなうものだった。ただ、これは、JR相手の不当労働行為救済申立てには合致する要求だが、私が取り組んだ鉄建公団訴訟、鉄道運輸機構訴訟は、国鉄清算事業団による一九九〇年の解雇の無効確認を請求するものであり、JRによる一九八七年の解雇=不採用の撤回とJR復帰を直接求めるものではなかった。しかし、鉄建公団訴訟を経て、金銭面は解決し、JRや関連企業への雇用=「JR復帰」を求める闘いが中心となった、という点で、迂回しながら本来の要求に即した闘いに戻ったものといえる。残念なことに、長時間を経たため、「JR復帰」という本来の要求を掲げられる人数は、一八三名と限られている。しかし、他のJR関連、公的部門、鉄道運輸機構(元職場がこれらになった者もいるだろう)への雇用を求める一五一名、これまで闘争団の生活を支えてきた各地の事業体の運営を含めて、雇用問題の実現こそ、本来の要求実現の闘いであり、政治の動き次第で、これを短期集中して効果的に取り組むことが必要となるだろう。この本来の要求=JR雇用実現がなければ、国鉄闘争は完結しないし、各地の闘争団の状況からすれば、少なくない者がやはり路頭に迷うことになりかねない。

三 政治解決における雇用の位置づけ

 四月九日に提示された、民主党・社会民主党・国民新党・公明党四党の「国鉄改革一〇四七名問題の政治解決に向けて(申し入れ)」には以下の通り記載されている。

三 雇用問題

 (1)JRへの雇用

  解決に当たって、JR北海道、九州等の各社を中心に二〇〇名位の採用を要請する。

 (2)その他の雇用については政府としても努力する。

  原告団の要望は別紙二

四 政治解決に当たって

 (1) 上記一から三については、民主党、社会民主党、国民新党及び公明党が人道上不可欠と判断した結論であり、この完全実施を持っての政治解決を強く要請する。」

 そして、政府が示した、この四党受け入れの条件には、以下の通り記載されている。

 「政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと」

 この条件には「人数等が希望どおり採用されることは保証できない」と書いてあるが、「採用されることは保証できない」とは書いていない。あくまで、保証できないのは「希望通りの人数」という点にすぎない。常識的には、政府が文書で約束した以上、全くJRに採用がなされないと言うことは考えられない。

 また、関連会社や公的部門、鉄道運輸機構への雇用については、条件は付されていないのである。

 政府が、上記の条件の下に受け入れた文書の冒頭には「二〇〇九年三月二五日の鉄建公団訴訟の高裁判決は、解雇は認めたものの、不当労働行為については一審よりも強く認定しました。」と記載されている。このように高裁判決が認定したことも含めて、政府は四答案を受け入れたのである。

 加えて、JR各社は民営化されたとはいえ公共性の高い企業であり、そのために、とりわけ、北海道、九州、四国、貨物は、政府から経営安定基金の支給を得ている(JR北海道だけで六八二二億円)。また、JR東海はリニアモーターカー建設のために延べ数兆円の支出が見込まれている。

 そのことからすれば、高裁が不当労働行為を認定したという事実も踏まえて、JR各社は政府の指示を受けて雇用を受け入れるべきである。また、私たちは、上記の「四党申し入れ」、政府の「受け入れ文書」を武器として、雇用の実現を迫っていくことができると考える。

五 鉄建公団訴訟採用要請請求の意義

 今回のJRへの採用要請、という政治解決の内容は、政治闘争、大衆闘争、裁判闘争の三位一体の闘争の成果である。その中で、裁判闘争について言えば、上記の不当労働行為の認定に加えて、鉄建公団訴訟・鉄道運輸機構訴訟で、「鉄道運輸機構からの地元JRへの採用要請」を裁判上の請求の趣旨に加えていたことも、少しは役に立ったのではないかと思う。

 私たちは、鉄道運輸機構相手の裁判の中でも「JR復帰」の旗を掲げ続けてきたのである。

(次号に続く)


労働時間について(後編)

東京支部  松 岡   肇

 そう言えば労働時間とは違うがこんなことがあった。私が銀行労働組合の専従役員をしていたとき、福岡の板付空港(今の福岡空港)の中にチエースマンハッタン・バンクの支店があった。当時この空港はアメリカ軍の基地となり、その中に日本の空港が同居している状態だった。銀行はアメリカ兵の便利に供するためのものと思われたが、朝鮮戦争の時もベトナム戦争の時もこの基地からおびただしい数のアメリカ軍の飛行機が飛び立ち、また怪我人や死亡した兵隊を乗せて帰ってきていた。まさに日本はアメリカの植民地、州の一つでもあるような状態だった。この銀行に働く日本人従業員から労働組合を作りたいと相談を受けたことがある。一九六〇年頃のことである。最終的には労働組合が出来、外国銀行従業員組合連合会(外銀連)に結集することになった。その詳細はともかく、私が最初に当面の要求は何だと聞いたとき、その答えに驚いたのである。それは「有給休暇を自由に使えるようにしたい」ということだった。勤続年数にもよるが労働者には年間最高二〇日の有給休暇が認められる。当時日本の銀行労働者の休暇の年間平均利用日数は確か六日程度だったと思うが今もそう違っていないのではないか。休暇は翌年へ繰り越しが出来るから、労働者は年初に四〇日の有給休暇を持っており、そのうち一年に六日使えば、残りの一四日は切り捨てになる。翌年は年初にまた四〇日の休暇を有しており、日本では殆ど使わないまま前年分の残りは切り捨てになる。

 ではチエースマンハッタン銀行ではどうだったのか。銀行は年初に従業員全員にその年使いたい休暇の時期を申告させ、従業員間の話し合いで利用時期を調整して各自の休暇を決定する。こうして全員が年間に二〇日の休暇を連続して取ることになる(その間は職場に来てはいけない)。こうして有給休暇は完全に消化されるが、それ以外の時に病気や何か事情があって(子供の結婚や身内の不幸など)休めば欠勤となるか(賃金カットになる?)、評価の対象とされる。これでは困る、せめて半分の一〇日だけでも必要な時自由に使えるようにならないかというのである。二〇日休んでも長期旅行に行く余裕はなく、ただ家で何となく無為に過ごすだけだということだった。欧米で多くの人たちが長期休暇を利用して海外旅行などをするのが一般になっているのとは大違いである。四〇人近い従業員の全てが年間二〇日の休暇を取れば、毎日一人か二人は休んでいることになる。管理者はそれも計算に入れて人員を採用し、配置しているということだった。社会や文化の違いがあるとは思うが、休暇の完全消化が当然であり、その為の人員配置や予定を組むのもまた当然とする考え方(管理者も含めて)、に本当に驚いた。休暇に対する日米の考え方の違いは明らかである。

 若い友人の弁護士の話だが、相談者から時間外労働や賃金について相談を受けたとき「貴方は採用面接の時、就業規則や労働契約、賃金などについて何も尋ねたり確かめたりしなかったのか?」と責めるように聞いたそうだ。答えは何もしていないというものだった。日本の現状としては当然であろう。ところがその時相談者が「さすがに弁護士さんですね。先生はこの事務所に勤務される時にそういうことをちゃんと確かめて交渉されたのですね」と言ったそうである。ところが考えてみると事務所に勤めるに当たって賃金以外には何も聞かず、交渉するどころか採用されれば何よりだと思っていたことに気づいたというのである。弁護士にしてこの状態なのだから、一般の人がそんなことが出来るなど考えようもない。日本の社会と欧米の社会の労働運動の歴史や意識の違いと言えばそれまでだが、現在はどうだろうか。

 話は違うが、「フロスト気質」という小説を読んでいたら、警察官の「時間外手当はどうなるのだ」とか「休暇に呼び出されたら割り増しはつくのか」などというやりとりが当然のように出てくる。余り多く読んだわけではないが、日本の警察ものの小説で時間外手当の話が出てくるのに出会ったことはない。そんなものは初めから問題にもならないのだろうか。こうした面にも欧米と日本の違いを感じる。過労死の問題も労働時間と深く関係している。日本ではサービス労働が当然のように語られる。そのことを考えただけでも労働時間についてあらためて本気で考える必要があるのではないだろうか。労働法は女性の時間外労働について年間一五〇時間の上限を定めていたが今それはなくなっている。結局日本では男女を問わず時間外労働時間についての年間の上限はないことになる。本当にそれでよいのだろうか。私などが労働運動に取り組んでいた頃は、女性の残業規制についてはこの制限を根拠にしたものである。その是非を今此処で論ずるつもりはないが、こう考えていると書物で読んだドイツとの違いを思い出す。

 ドイツでは、男女を問わず一日の労働時間の最高限度は一〇時間とされており、しかも一日八時間を超える残業は、原則として年間三〇日に限定されているという(西松敏「ゆとり社会の条件」)。その基本が今でも変わっていないとすれば、一日の所定労働時間が八時間の場合、時間外労働は一日最大二時間しか出来ないことになり、年間六〇時間までしか残業が出来ないことになる。この本によれば一九八九年の所定外労働時間の統計(製造業)では、日本は年間二五四時間、ドイツでは九四時間となっている。これだとドイツでも規定通りでないことになるが、日本では統計に表れない膨大なサービス残業があることも考慮しなければならない。この本は一九九二年の出版だからその後ドイツの状況も大きく変わっているかもしれない。それにしても労働時間をめぐる様々な規制の存在を考えれば日本の状況が異常であることは確かである。残業が減ったために生活が苦しくなったとよく報道されるが、八時間働いて得られる賃金が「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことを保証するものではないのか。残業はあくまでも例外であって、それが最初から生活費に計上されている状態が異常と考えるべきだろう。日本の高度成長、生活水準などが誇らしく語られた時代にも、その根底にはこうした事実が深く横たわっていたことに思いをいたすいたすべきである。

 こうして思いつくままに、終戦直後から九〇年代までに私が触れる機会があった労働時間に対する欧米人の考え方の幾つかをあげてみたが、そこには時代を超えた根強い考え方や受け止め方があり、日本人のそれとは大きく違っていることがわかる。世界がグローバル化した現在、私は我々もまたこのことをあらためて考えてみる必要があると思わずにはいられない。


派遣法の早期・徹底審議を求める街頭宣伝のご報告

埼玉支部  伊 須 慎 一 郎

 一一月一〇日午後五時から二時間、新宿駅西口において、派遣法の早期・徹底審議を求める街頭宣伝を行いました。団関係一五名(うち団員一〇名、東京、神奈川、埼玉)、全労連・自治労連などから一二名の合計二七名が参加しました。二時間にわたり派遣法政府案の問題点、派遣労働者が派遣法の抜本改正を望んでいること、臨時国会で派遣法の審議を早急に行うことなど訴えました。二時間でチラシを四〇〇枚配り、一三名の方がアンケートに答えてくれました。私もチラシを配っていると、パリッとしたスーツを着た初老の男性から「規制を強化すると、企業が海外に進出すると言っているが、それは労働者に対する脅迫だ。負けないで頑張って」と励まされました。 

 また、アンケート内容の詳細は、追って報告しますが、製造業派遣の問題点について、いつクビになるか分からないので問題だという意見が最も多く寄せられています。中には「働く人を守ってこそ、国の安心、地域の安心、家庭も安定し、今の子どもの不安な状況も改善される。弁護士がこんな活動をしていてびっくりした。感謝。」という声もありました。臨時国会における派遣法の審理は停滞し、派遣法は動かないとも言われています。

 しかし、街頭ではこのような生の意見や反響があるのですから、私たち自由法曹団は、派遣労働者の切望する派遣法の抜本改正に向けて、諦めずたたかい続ける必要があります。

 自由法曹団は、是非、全国各地の街頭で、労働者、市民のみなさんの生の声を集めて、派遣法改正問題を置き去りにしている国会議員に、世論が派遣法の抜本改正を求めていることを届けましょう。そのためにも、全国各地での波状的に街頭宣伝活動を展開しましょう。


一一・一五地域主権改革学習会の感想

千葉支部  加 藤 寛 之

 地域主権改革という言葉がある。民主党の目玉政策である。しかし、「地域主権」という奇妙な名のもと、政権は何をしようとしているのか?その本質を知るため、自分は学習会に参加した。

 現在、民主党が進めようとしている地域主権改革は、次のような内容である。

(1)市町村・都道府県・国の事務分担の徹底と権限委譲を行う。

 事務分担を進め、これまで国の事務だったものの多くを、地方自治体の事務にする。各自治体は、それぞれの選択と責任(財源のこと)で、地域の実情に合った事務を行う。その際、これまで国が定めてきた規制は解体し、各自治体の条例でそれに代える。

 また、国は地方の事務に口を出させない。地方も国の事務に口を出させない。

(2)自治体事務の効率化を推進する。

 自治体の財政負担が拡大するので、自治体は事務を効率化しなければならない。企業は合併すれば効率化する。自治体も合併すれば効率化するはずである。二元代表制も非効率である。自治体トップがやりたいようにやれる環境を作る。

(3)財政を効率化して捻出した財源を、中心部の開発と企業誘致に使う。

 財政が効率化すれば財源が生まれる。合併によって広域化した自治体の中心部に、その財源を集中的に投入し、大規模な国際企業を誘致する。そうすれば、中心部の経済が発展するので、その恩恵に周辺部もあずかるはずである。

 以上が地域主権改革の内容である。

 何やら大企業のエゴばかりが我が物顔に押し出されている。地域主権改革の旗振り役は、経団連など財界団体である。つまりは、彼らの利益を実現するための改革ということである。

三 地域主権改革の問題点

 地域主権改革は、国民の生活を守るための改革ではない。従って、国民の生活を守る立場から見れば、問題だらけである。

(1)について

 これまでの自公政権下で、地方分権が進められ、国の事務が次々と地方自治体に移譲された結果、自治体の負担は拡大し疲弊が進行している。地域主権改革による権限委譲は、地方自治体の疲弊を更に進める可能性がある。財政的に厳しい自治体と余裕のある自治体とのサービス格差も拡大する。

 また、従来の規制を何もかも解体すると、それまで国による全国一律の法規制によって守られて来た国民生活上のナショナル・ミニマムまでもが掘り崩される危険がある。

 法規制は、弱肉強食に任せておいては不都合な分野において、弱い立場にある者の利益を守るために設けられる場合がある。これを解体して条例任せにした場合、これまで法規制に守られて来た者の利益は、ある自治体では守られるが、別の自治体では守られないという不平等が起きるだろう。

 従来の規制のうち、合理性に乏しいものは確かにあるが、しかし、その改善は、各規制の趣旨目的や合理性を一つずつ検証するという方法によっても行いうる。不合理な規制があるからと言って、全ての規制を解体して条例に任せよとは乱暴過ぎる話である。

 さらに、国の事務に地方自治体が口を出せないようにすると、例えば防衛や外交は国の任務であるから、自治体や住民の意思は反映しないということになる。

 しかし、米軍や自衛隊の基地付近の地域に住む住民にとって、基地の問題は防衛や外交の問題というよりも、むしろ生活の問題である。

 生活の問題を「これは国の専権事項だ」と切り捨てられては、住民はたまらない。

(2)について

 事務の効率化とは、単に「事務にかかるカネを減らす」だけではなく、事務遂行を円滑化することが肝心である。単にカネを減らそうと思えば、人員削減をすれば良いが、必要な人員まで削減してしまえば、現場の負担が過重となって事務遂行はむしろ滞る。

 現在、地方自治体では、過度の市町村合併を進めた結果、かえって自治体事務の円滑性や地域住民の利便性が失われている。また、自治体が大きくなり過ぎると、小さな地域社会の実情は見えにくくなり、小さな地域社会の声は自治体の議会に届きにくくなる。

 そもそも、企業の合併が効率化につながるのは、合併によりだぶついた不採算部門の整理・売却・切り捨てができるからである。しかし、企業と自治体は違う。地方自治体は、小さな地域社会とそこに住む住民を、整理することも、売却することも、切り捨てることもできない。

 企業合併と同じ考えで自治体同士の合併を強行しても効率化は実現できない。

 また、議会と首長の二元代表性を否定する勢力がこのところ勢いを得ているが、そもそも議会は首長の独裁や暴走を抑止する役目も担っている。

 議会という歯止めがなくなった首長は、気紛れに暴走するばかりである。そのツケは、地域住民に降りかかり、地方自治の停滞と混乱を招く。世界中何処でもそうだが、独裁者を暴走させると、その報いは高くつくのである。

 独裁型の社長とイエスマンしかいない企業は、傾きだすと止まらない。企業の従業員ならば、潰れる前に見切りをつけてさっさと逃げ出すこともできる。

 しかし、企業を自治体に、社長を首長に置き換えてみたら、どうなるだろうか。地域には住民のコミュニティがある。これを捨てて逃げ出すことなど考えられない。ならば、独裁も暴走も混乱も停滞もいらない。

(3)について

 財政を効率化させて産み出した財源を、大規模開発や企業誘致に投下しようという発想は、いかにも古めかしく、アナクロニズムの臭いがする。

 そもそも、なぜ、せっかく生み出した財源を、大企業の誘致に使わなければならないのだろうか。

 地方自治法二条にある地方自治体の責務は、住民の福祉増進である。

 それならば、介護・福祉など住民サービスに使っても良いはずである。住民サービスを地域に密着した新たな事業として起こし、推進する。介護・福祉事業の担い手は、地元の人を雇用する中小企業が多い。地元の雇用を増やして地域経済を直接に活性化することは、地域の公的資金の使い道として極めて合理的である。

 これに対し、中心部が栄えれば、周辺もそのおこぼれにあずかれるという「トリクルダウン」は、もともと根拠のない仮説であり、しかも既に破綻した。

 ここ数年、企業は空前の好景気だったが、それが従業員の給与に反映されないので、国民は貧しくなり、内需は冷え込む一方である。「トリクルダウン」など、現実にはない。

 大規模開発を進める間は、ゼネコンが潤うのだろうが、しかし、下請けや孫請け、非正規従業員らが搾取される構造を改めなければ、これもまた地域住民の懐には反映しない。

 さらに、大規模開発後は維持費がかかる。大阪のWTCビルは、作ったが維持できず、破綻して会社更生に追い込まれた。苦労して捻出した財源をドブに捨てるのは愚の骨頂である。

四 希望

 現在、民主党政権が進めている「地域主権改革」は、もっぱら財界のエゴを実現するための政策であり、国民の幸せにつながるものではない。

 しかし、自治体事務を円滑に遂行するために、国と自治体が役割分担して相互に協力する発想自体は悪くない。自治体の実情を一番にわかっているのは市町村である。予算の余裕が最も大きいのは国である。市町村の行う地域の政策を国が財源面でバックアップすれば、住民のニーズに合った効率的な政策実現が叶うのではないか。

志ある自治体が「小さくても輝く自治体フォーラム」を結成し、運動を進めていることは明るい兆しである。

 派遣村も、公契約条例も、必要だという現場の声が盛り上がり、立ち上がって実現した。本来の主権者である地域住民が、地域の現在と将来をより良くするため、主権を行使しやすくする環境作りを、地域住民の手で進めている。これこそ、憲法制定時に予定していた、あるべき地方自治の姿へと続く道筋ではないか、と思う。


憲法タウンミーティング 〜青年会議所(JC)の憲法運動〜

宮城県支部  野 呂   圭

一 はじめに

 タイトルを見て「おやっ」と思った先生方も多いことでしょう。周知の通り、日本青年会議所は改憲案を発表しており、「改憲派」と言えます。私自身、これまで憲法会議や九条の会等護憲派の集会にはよく参加していましたが、改憲派の主催する集会には参加したことがありませんでした。それが昨年・今年と、青年会議所が主催する憲法タウンミーティングに三回参加することができましたので、その報告を通じて「改憲派」との「連携」の可能性について考えてみたいと思います。

二 憲法タウンミーティングinみやぎ(二〇〇九年五月三日)

1 参加の経緯

 二〇〇九年三月、社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会から仙台弁護士会に、五月三日開催の憲法タウンミーティングへの講師派遣の要請が来ました。仙台弁護士会憲法改正問題対策本部で協議した結果、「講師派遣をする」、「講師は事務局長の野呂がやれ」ということになり、幸運にも私が講師として派遣されることになりました。

2 憲法タウンミーティング担当者の意識

 タウンミーティングの準備のため、何度かJCの担当者五名位と打合せをしました。その中で、分かったことは「JCと言っても改憲派だけではない。」ということでした。宮城ブロック協議会の担当者の意識は、「とにかくみんなで憲法を考えよう」というもので、「改憲ありき」の発想はありませんでした。彼らの問題意識は、「若い人たちの多くは憲法というと固いイメージを持って遠ざかってしまう」、「まずは若い人たちに憲法を身近なものとして考えてもらえるようにしたい」というものでした。こういった問題意識は共感できるものであり、連携を取って活動していく意義はあると思います。

3 タウンミーティングの内容

 タウンミーティングは、「私たちの生活の中にある憲法 私たちの手で決める私たちの日本の未来」というタイトルで、日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会主催、宮城県教育庁、東北大学法学部、仙台市教育委員会、石巻市教育委員会、河北新報社の後援で開催され、約七〇名の参加がありました。

 当日は、まず私が日本国憲法の制定経緯と憲法改正手続について短い時間で講演し、その後、憲法○×クイズを実施しました(ステージ上にJC会員四名がそれぞれの意見を述べた後、会場参加者に○か×の紙をあげてもらい、最後に私が解説するという形式)。

 問題は、「外国人には日本国憲法は適用されない?」、「日本国憲法は国民全員が守らなければならない?」などといった基本的な問題から、「男女別学の公立高校は憲法違反か? 男女別学の公立高校を共学化することに憲法上の問題はあるか?」といった宮城県特有の問題まで揃えて、憲法の考え方を解説しました。

 また、模擬国民投票も実施しました。改正案は、憲法一二条と一三条を新憲法草案の内容(「公益及び公の秩序に反しない限り」)に変更するというものでした。結果は、改正賛成派が若干多かったようです。

三 憲法タウンミーティング【九条編】(二〇〇九年一一月三日)

 塩釜青年会議所主催で開催された憲法タウンミーティング「そろそろ憲法について考えてみませんか」は、憲法九条についてパネルディスカッション形式で開催され、約一〇〇名の参加がありました。パネリストは、河相一成氏(みやぎ憲法九条の会事務局長)、亀岡幸康氏(宮城青年防衛協会顧問)、西修氏(駒澤大学法学部教授・国家基本問題研究所所長)、野呂の四名でした。

 設問は、(1)自衛隊は合憲か違憲か?、(2)自衛隊と軍隊の違いは?これからの国防の可能性について、(3)国際貢献として自衛隊の海外派遣は必要か?(4)国際法上の当然の権利である集団的自衛権は九条下でも容認すべきか?(5)昨今の近隣諸国の脅威論について、(6)憲法九条は変えていくべきか?それとも変えないべきか?というものでした。

 改憲派のパネリストは、自衛隊の実態は軍隊であることを否定せず、抑止力を強調し、また九条の文言が不明確である、世界の国々は何回も憲法改正を行っているが日本だけ行っていないのは異常だ、などという主張を展開していました。

四 憲法タウンミーティング【私たちの暮らしと憲法?】(二〇一〇年一一月八日)

 塩釜青年会議所主催で開催された憲法タウンミーティング「聞こう、学ぼう、考えよう!」も、パネルディスカッション形式で開催され、約四〇名の参加がありました。パネリストは、伊藤信太郎氏(自民党、前衆議院議員)、藤原範典氏(民主党、宮城県議会議員)、加藤幹夫氏(共産党、県常任委員)、村上善昭氏(幸福実現党、宮城県本部)、野呂の五名でした。

 設問は、(1)憲法改正国民投票法について、(2)生存権をめぐる問題、条文改正の必要性、(3)日本国憲法の中身、在り方について、(4)憲法について国民一人一人はどのように向き合っていかなければならないか、というものでした。しかし、設問が抽象的であったこともあり、話が九条問題にも及んでいきました。

 改憲派のパネリストは、今の憲法はGHQ占領下で作られたもので自主憲法とは言えない、英文を訳したものであるため日本語として美しくない、きちんとした外交をするためには軍事的背景が必要、抑止力、などを主張していました。

五 まとめ

 改憲派の立場の人と議論するのは新鮮で興味深いです。そして、直接その場で改憲派の主張の問題点を指摘できるので、それに対する改憲派の考えも聞けて参考になります。もちろん、そのためには当方も準備が必要となるので大変ですが。

 憲法タウンミーティングに参加して、改憲派は押しつけ憲法論を確信的に主張しており、当方もこれに対する反論として憲法制定経過を正確に理解しておく必要があること、抑止論についてもきちんと整理しておく必要があること(自衛隊や米軍がなければ中国は尖閣諸島を占領するのではないかとの素朴な意見に対する応答も含めて)、を感じました。

 また、宮城の青年会議所は、「まず憲法がどういうものなのかを知ろう」というスタンスでタウンミーティングを開催しています。こういった活動に私たちが積極的に参加して連携を図っていくことは、憲法の価値を伝えていく上でも意義があります。各地でも、弁護士会等の憲法行事の案内を青年会議所に出すなどして接点を持てれば、憲法運動が広がるかもしれません。


『日弁連・人権行動宣言』を普及しましょう

福岡支部  永 尾 廣 久

 いまの日本で基本的人権がどれくらい守られ、また侵害されているのか、その全体状況がこの本を読むと、かなり明らかになります。本来、日本政府がやるべきことを、日弁連が代わって明らかにしているという意味では、貴重な労作でもあります。

 日弁連は、過去三度、『人権白書』を刊行しています(一九六八年、一九七二年、一九八五年)。残念なことに、日本では、このような人権の全体状況をトータルに明らかにしたものは、政府発行のものをふくめて、他に見つけることができません。この本は、『白書』を補強し、現在の日本の人権状況を浮かび上がらせるものとなっています。

 以下、いくつかピックアップしてご紹介します。

 生活保護世帯数は、一九九六年度から一貫して増加傾向にあり、二〇一〇年四月、一三五万世帯、一八七万人となった。この一三五万世帯というのは、一九九〇年代前半には六〇万世帯だったから、その二倍となっている。

 貯蓄をまったく持っていない世帯は、一九八〇年代に五%、一九九〇年代に一〇%、二〇〇五年には二四%と急増した。二〇〇九年の相対的貧困率は一六%。

 子どものいる一人親世帯の貧困率は五四%。複数親の五倍になっている。一人親世帯の貧困率は、日本は五九%であり、OECD加盟国三〇ヶ国のうちで一番高く、平均三一%の二倍である。母子世帯は二〇〇〇年に六三万世帯。二〇〇五年には七五万世帯となった。その平均所得は二〇〇七年に二四三万円で、一般世帯五五〇万円の半分以下である。

 児童虐待は、二〇〇四年度は三万件を超し、前年度比で二六%増。二〇〇七年度には四万件を超えた。一九九〇年度の三〇倍である。

日本に暮らす外国人は、二〇〇八年末で二三五万人。日本の総人口の一・八%。そのうち韓国・朝鮮籍は五九万人で、その人数は年々、減少している。

 難民認定を受けた人は、二〇〇八年に五七万人で、ほとんどがミャンマー人。

 この二〇年間に、死刑を廃止した国は、一三九カ国となり、死刑を認める五八カ国の倍以上となった。死刑廃止・執行停止が国際的な潮流である。死刑を認める国は、日本のほか、アメリカ、中国、北朝鮮、イランなど。これって、アメリカが民主主義がないと非難している国ですよね。アメリカも、同じような国じゃないのかと、つい疑問に思ってしまったことでした。

 刑務所にいる無期懲役の受刑者は、一九九八年に四五人だったのが、二〇〇六年には一三六人と、大幅に増加している。無期懲役刑の受刑者の仮釈放者は一九九八年には二桁だったのが、二〇〇七年にはわずか一人だけ。平均受刑者在所期間は、一九九八年に二〇年だったのが、二〇〇七年には三一年へと大幅に延びている。受刑者の死亡も多くなった。

 この本は、二〇〇九年一一月に和歌山市で開かれた日弁連の人権擁護大会で公表された「人権のための行動宣言二〇〇九」の解説版です。大変コンパクトなものになっていますので、日本における人権状況を参照し、引用するときに便利な百科全書と言えます。日弁連の英知を結集した内容になっていますので、大いに活用したいものです。全国の法律事務所だけでなく、国と地方自治体にあまねく一冊は備えてほしいものだと私は思いました。

 編集責任者である京都の村山晃団員が盛岡で開かれた人権擁護大会の会場で自ら売り子となって汗を流していましたので、その熱意にほだされ、こうやって書評を書かせてもらいました。あなたも、ぜひ買って読んでみてください。少しばかり高価な本ですが、その価値は十分あります。

 これも福岡県弁護士会のHP(書評コーナー)に載せたものを少し改変したものです。

(明石書店 三五〇〇円+税)


生誕一三〇年韓国併合一〇〇年企画 ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」の感想

京都支部  津 島 理 恵

一 気になる人物

 今年の自由法曹団五月集会において、映画「弁護士 布施辰治」の紹介がなされた。申し訳ないが、その時は紹介内容をほとんど聞いていなかった。ただ、ドキュメンタリー映画になるほどの偉業を成し遂げた弁護士とは、一体どんな人だろう、と気になった。全体会会場の書籍販売所に立ち寄ったところ、弁護士布施辰治の本を見つけた。気になる本は買うべし。早速その本を購入した。

 その後、本は真新しい状態のまま眠りについた。

 そうして、布施辰治のことが私の記憶から消えようとしていた頃、映画「弁護士 布施辰治」上映会の案内チラシが手元に届いた。再び、布施辰治のことが気になり始めた。

 “生くべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために”

 チラシを見ると、このフレーズが目に留まった。

 映画上映会は、母校・立命館大学の朱雀キャンパスで開催されるとのこと。これも何かのご縁。ここで見逃したら布施辰治のことを知らないまま弁護士人生を送ることになるだろう。上映会に行こう、と決意した。

二 映画上映会

 七月三〇日土曜日午後五時からの上映会に行った。その日二回目の上映会だったせいか、参加者は多くはなかった。参加者の中で、学校の先生から映画を紹介されたので来たという数名の高校生の姿が印象に残った。

 上映会の冒頭に、関係者からの挨拶があった。立命館大学コリア研究センターが共催しており、徐勝(ソスン)立命館大学教授の挨拶もあった。自由法曹団からは、大河原弁護士が挨拶に来られていた。講義あるいは講演といっても過言ではないほどに内容の詰まった関係者挨拶が続き、そのため、午後六時前になってようやく上映となった。

三 弁護士布施辰治

 布施辰治は、宮城県石巻に生まれ、一九〇二年二一歳で宇都宮地裁検事代理に就任し、一〇ヶ月で退職して弁護士になった。

 一九一〇年、日本は朝鮮を併合し、朝鮮の人々に強制労働を強いた。一九一九年三月一日、朝鮮独立宣言書が発表され大運動が起きた。これを受けて、朝鮮総督府は朝鮮人弾圧を強めていった。この時、布施辰治は、現地に駆けつけて朝鮮人を擁護した。

 一九二一年自由法曹団が結成され、布施辰治はその先頭に立って活動するようになった。

 一九二三年関東大震災の際には、朝鮮人虐殺事件の解明に尽力し、また、借家人同盟を作るなど震災で家を失い生活に困っている人たちを支援した。

 一九二六年には、大逆罪の嫌疑をかけられた朴列及び金子文子の弁護を引き受けた。

 布施辰治自身も弾圧を受けた。弁護士資格を剥奪され、治安維持法違反で投獄された。それでも、布施辰治は、虐げられている人、社会的に弱い立場にある人の権利を守るという信念を曲げなかった。

 映画の中で最も悲しかったのは、布施辰治の息子杜生が亡くなる場面である。杜生は、京都で学生運動に参加していたところを検挙され、ひどい拷問を受けた。その後、一度は帰宅できたものの、妻子と自宅にいたところを再び逮捕された。過去にあまりに残酷な拷問を受けたせいであろう、二度目の逮捕の際には、泣きじゃくりながら家の柱にしがみついていたそうである。しかし、杜生は京都刑務所に投獄され、獄中で若くして亡くなった。

 布施辰治は、自分の息子ゆえに殺されたのだ、と若い息子を救えなかったことを悔やみ、後に、弁護士資格を取り戻すと若者支援にも精力的に取り組んだ。

 “任侠、これ弁護士の使命なり”

 布施辰治は、弱い者を助け、強い者をくじくという信念を持ち続けた弁護士、まさに任侠の人だった。

 現代の韓国の人たちが布施辰治の功績についてインタビューに応じている場面があった。日本が朝鮮の人々を弾圧していた時代に朝鮮の人々の権利を守るために奮闘した布施辰治について語る人たちの表情は、穏やかで温かかった。その表情を通して、弁護士布施辰治の温かくも力強い人柄が伝わってくるような気がした。自ら弾圧を受けながらも弁護士の使命を貫く生き方をした布施辰治に尊敬の念を抱いた。


民法(債権法)改正勉強会にご参加を!

事務局次長  坂 本 雅 弥

 「民法(債権法)改正が問題になっていることは知っているが、どの規定がどう変えられようとし、どこが問題なのだろう」そのように感じている方はいませんか?

 市民問題委員会では、その点を明らかにするため民法の改正についての学習・分析を続けて行きたいと考えております。

 そこで、次回の市民問題委員会では、水口洋介団員(東京支部)及び中野和子団員(東京支部)を招いて民法改正の学習会を行います。水口団員には、労働法に関わる規定について、中野団員には消費者法に関わる規定について報告をしていただきます。  

 民法改正については、「債権法改正の基本方針」(NBL)など様々な書籍が出版されていますが、労働関係、消費者関係それぞれの分野に深く関わっている両団員の報告により、民法改正についての理解をより深めることができるでしょう。

 多くの団員の皆様のご参加をお待ちしております。

  日 時 二〇一〇年一二月一四日(火)一〇時〜一二時

  場 所 自由法曹団本部