過去のページ―自由法曹団通信:1368号        

<<目次へ 団通信1368号(1月11日)


村山  晃 完全勝利和解・ウェザーニューズ過労自殺事件
金子  修 私立高校「非常勤講師」の雇止めを権利の濫用として無効とした画期的な判決
大橋 昭夫 建設作業従事者アスベスト国賠訴訟の提起について
阿部 浩基 静岡空港収用裁決取消訴訟の終結に当たって
武井 共夫 反貧困ネットワーク神奈川年末相談会
中西  基 「非正規労働者の権利実現全国会議in広島」のご報告
藤木 邦顕 ロースクールで養成する憲法感覚
永田秀樹・松井幸夫編著『基礎から学ぶ憲法訴訟』(法律文化社)について
四位 直毅 「渓悠遊万遊」を読んで
―大森鋼三郎さんの遺著―
小林 善亮 二〇一〇年日本平和大会in佐世保に参加して
衆院比例定数削減阻止対策本部 衆院比例定数削減を許さない学習・懇談会にご参加を!



完全勝利和解・ウェザーニューズ過労自殺事件

京都支部  村 山   晃

 事件発生二〇〇八年一〇月二日、労災申請二〇〇九年一〇月、労災認定二〇一〇年六月、裁判提訴二〇一〇年一〇月一日、そして一二月一四日、完全勝訴と評価できる和解解決に至った。

 相手はウェザーニューズ。今から二四年前創立されたこの会社は、今や気象情報業界の最大手になっている。

 亡くなったのは、二五歳の青年気象予報士。入社後、丁度半年が経った直後のことだ。会社では、最初の半年間を「予選期間」と呼んでいる。そこで勝ち残った者が真の正社員になれるという構図である。「予選期間」が終わったその直後、彼は自ら若い生命を絶った。

 「会社の急成長のかげには、いつものように厳しい労働環境がある。」それは、今の日本社会全体を覆う黒い雲。

 京都に住む遺族が、私のもとを訪れたのは、事件発生から八ヶ月後だった。遺族は会社の門を叩いたが、会社はどれだけ待っていても何もしてくれなかった。

 会社は、千葉県海浜幕張にある。監督署は千葉市にあり、事件に関わりのある人は全部東京や千葉にいた。私は、当時、日弁連の仕事で週に一度の東京通いが続いていた。この機会を最大限利用することにし、依頼を受けた。

 一定の資料収集のあと、会社を直撃した。会社は、それなりに私たちに対応し、また資料の提供にも応じてくれたが、勤務時間の鍵を握ると思われた「日報」の提出は、頑なに拒絶した。そして「彼だけが特別長時間勤務をしていたのではない。仕事によるものだとは思っていない。」と冷たく突き放した。「その点は、監督署の判断に委ねたいので、必要な協力は必ずするよう」申し入れ、あとは更なる証拠収集と監督署の認定へ向けての取り組みを進めることにした。

 この種の事件では、パソコンや携帯メールは貴重な宝庫である。仕事が終わった後、同僚にあてたメールを見ると、いつ仕事を終えたかが分かる。同時に、彼と親しかった同僚が生々しい証言をしてくれ、これが最大の拠り所となった。こうした同僚の存在は、彼の人柄を示している。

 彼は、会社のすぐ近くに居を構えた。これは帰宅するのがどれだけ遅くとも可能となることや、休日にも対応できるようにするためだ。長距離通勤も大変だが、こうした職住接近も却って息を抜く時間を無くしてしまう。いかに「会社漬け」であったかは、ここからも理解できる。

 監督署の判断は、随分と早くなった。過労自殺の業務上認定まで八ヶ月だった。もとより、詳細な資料を準備し、何度も監督署に足を運び、そうした取り組みの上での話ではあるが。

 ただ、労災の補償額は、独立生活をする単身者の場合、あまりに低い。

 他方、資料収集の過程で、この会社には、労働時間管理が全くなく、彼の同僚が会社に配慮を求めたが、相手にされなかったりするなど、明らかに責任を問える事案と思われた。

 そこで、業務上認定が出たことを受けて、会社に再度、然るべき補償措置をとることを求め、話し合い解決を申し入れた。しかし、しばらくして、「会社には責任は無いので、一切応じられない」と木で鼻をくくった三行半の冷たい返答が、弁護士名で届いた。

 こうなれば、訴訟を起こすしか道は無い。また、それまで労災認定をされたこともマスコミに伏せていたが、そんな配慮はする必要もない。訴訟になれば、どんな社会的反応が出てくるか、会社は、読み切れなかったようである。先の気象を読むほど、社会の先は、読めていなかったのである。

 提訴に踏み切り、記者会見をした。遺族の方々にも登場してもらうことが不可欠と考え、説得した。マスコミの力は大きい。ニュースは全国を巡った。会社のコメントに「誠意をもって対応してきたのに」という文言があった。提訴まで、およそ何の「誠意」も示されたことはない。しかし、その嘘は、私たちが言わなくても、多くの人たちが、「誠意をもってあたってきたのであれば、どうして提訴されるのか?」と切り返してくれた。会社に対し、批判・非難の声が次々と突きつけられた。

 そして提訴後、会社の対応は、一八〇度変わった。三行半の回答文をこちらに送付した弁護士は、辞めさせられ、新しい弁護士が登場し、早期の和解解決を申し入れてきた。

 ニュースの力が、会社の対応を変えた原動力となった。ニュースが出た後の会社の対応の変化は、早かった。訴訟が続くと、その間、ずっと会社は言い訳に終始し、どんどん追い詰められていく。そして判決になれば、もっと大きなインパクトを会社に与える。それは、日本に上陸した台風が列島を横切り、全国に大きな影響を与える様子によく似ている。台風が上陸することを拒めなかったが、一日も早く通過させた方が良いとの判断があったと思われる。

 提訴して二ヶ月半で完全勝利の和解は、珍しい。会社は、事実と責任を認め謝罪した。そして補償金を支払った。さらに、再発防止の諸措置を約した。大きな社会問題になるまで解決姿勢を示さなかった会社である。再発防止にどこまで本気かは、これから先を見守るしかない。しかし、このことは、これから先の我が国社会に課せられた最大のテーマでもある。

 早期に労災認定がされたこと、早期に和解解決が出来たこと。

 これまでの数十年に及ぶ過労死・過労自殺事件の取り組みが、そんな状況を作り上げてきたことは間違いがない。そして、従前は、労災が駄目になってから弁護士の門を叩く人が多かったが、今では、事件が起こってまもなく、弁護士の門を叩く被災者が増えている。それが解決に大きな影響を与えていることは間違いがない。

 同時に、若い人たちが希望を膨らませてこれからの人生を歩めるよう、この事件が問いかけたものを、これからも私なりに訴え続けていきたい。


私立高校「非常勤講師」の雇止めを権利の濫用として無効とした画期的な判決

新潟支部  金 子   修

 暮れも押し迫った二〇一〇年一二月二二日、新潟地方裁判所(谷田好史裁判官)は、長年私立高校に勤務し常勤教員と同じように仕事をしてきた非常勤講師を雇用期間満了の理由だけで雇止めした事件で、解雇権の濫用であって無効であるとの判決を下した。

 新潟県の中央部に位置する加茂暁星高校(学校法人加茂暁星学園)は地域に密着した歴史ある私立高校である。常勤教員と一年単位の「非常勤講師」が協力し合って長年教育を作ってきた。「非常勤」と言っても、希望すれば当然に契約更新が行われ、学校もそれを当然のものとして対応してきた。今回の裁判の原告となったAさん(理科)は二五年間、Bさん(数学)は一七年間、それぞれ継続的に雇用されてきた。

 ところが、二〇〇四年四月公立高校から天下ってきた学校長が、公立学校の論理丸出しで、十分な理由も説明もないまま雇用期間満了を理由で、二〇〇七年三月をもって一九名の非常勤講師のうちAさんBさん含め一二名に対し雇止めを通告した。

 理不尽な通告を受けたAさんBさんは、二〇〇七年一二月二六日、学校法人を相手どって、地位確認および未払賃金の支払いを求め新潟地方裁判所に提訴した。

 学校法人側の主張は、(1)常勤教員に対する就業規則の「学校経営上過員が生じたときには免職できる」という規定が適用される、(2)常勤教員の受け持ち授業時間を増加させた結果として非常勤講師に割り当てる授業時間がなくなったのであり、整理解雇の法理は適用されない、(3)常勤教員の受け持ち授業時間の増加は公立学校教員並みにしただけであって合理的である、などというものであった。

 新潟地裁の判決は請求の趣旨を一〇〇%認めた画期的な判決であった。

 雇止めの有効性について、(1)常勤教員の雇用契約と異ならない状態とまでは言えないが、雇用継続を期待することに合理性があったと認められ解雇権濫用法理が類推適用される、(2)解雇(雇止め)の相当性合理性の判断に当たっては、仮に本件解雇(雇止め)の経緯が被告主張のとおりであったとしても、結局のところ経営合理化を進めるため余剰人員を削減することを目的としたものであるから、「整理解雇の法理」を類推適用すべきである、(3)本件では、二〇〇七年度をもって直ちにAさんBさんを雇止めする必要があったかについて立証されておらず、結局人員削減の必要性が認められない、(4)また、雇止めを回避する努力もなく、事前事後の説明・協議も不十分である、(5)よって、経営上の裁量の範囲を逸脱したものであって、解雇(雇止め)に合理的理由はなく無効である、と判断した。

 また、一年の有期雇用契約が二〇〇七年度はともかく次年度以降も継続できたかについても、これを肯定した。

 三年に及ぶ裁判の間、加茂暁星高校の常勤教員はAさんBさんを組合員として迎え入れ我が事のように支援し、さらに、学校OBや生徒の保護者、新潟県内だけでなく全国の私立学校の教職員からも支援を受け、弁論期日には毎回新潟市内で街頭宣伝をして傍聴席を埋めるという活動を続けてきた。

 今回の判決は、身分が不安定な中、それでも常勤教員と一緒になって懸命に子どもたちの教育に努力している非常勤講師の皆さんに勇気を与え、また広く非正規雇用の労働者を励ますものとなると思われる。AさんもBさんもそのことを喜んでいた。

 今後は、学校法人側に控訴をさせず、一日も早くAさんBさんの職場復帰を実現させる運動を早急に強めていく方針である。

 なお弁護団は磯部亘団員(五九期)と私です。


建設作業従事者アスベスト国賠訴訟の提起について

静岡県支部  大 橋 昭 夫

 アスベストによる被害は静岡県内においても甚大なものであり、団員が中心となって、静岡アスベスト被害救済弁護団を結成し、アスベスト被害者の完全救済を目指して活動を進めています。

 今までにスズキを始めとする有力企業との間に和解が成立し、中部電力、富士化工との間では訴訟が進行中です。

 しかし、石綿肺、肺がん、中皮腫等の重篤なアスベスト関連疾患に罹患した被害者の中には、大工、左官、電気工、配管工、塗装工、タイル工などの建設作業従事者が多いのですが、これらの方々は一人親方であったり、勤務先が零細で被害回復には困難が伴っていました。

 既に東京地方裁判所、横浜地方裁判所に国と建材メーカーを相手として、大規模な首都圏建設アスベスト訴訟が提起され、当弁護団としても、常日頃から、地元の裁判所で建設作業従事者の被害救済を図りたいとの思いを有していました。

 このたび、当弁護団を通じ労災申請をし認定された亡岩崎弘さんのご遺族が国賠訴訟を決意し、二〇一〇年一一月一二日に三八五〇万円(包括慰藉料請求)を求め、国を被告として静岡地方裁判所に損害賠償の訴を提起しました。

 亡岩崎弘さんは、一九六一年三月、静岡市内の中学校を卒業すると同時に、左官となり、以後、複数の零細な左官業者のもとで働き、静岡県内の建設工事現場において、大手ゼネコンや一般注文主の依頼に応じて、鉄筋コンクリート造、鉄骨造、木造の建築作業に従事し、肺がんで死亡する直前の二〇〇三年三月まで、四〇年の長きに亘り就労していました。

 左官の主たる仕事は、モルタルを壁、床等に塗って下地の調整をするというものですが、その際、モルタルの伸びをよくし、ひび割れを防ぐためにアスベストを含有する混和剤をセメントに混合する作業が必要となり、亡岩崎弘さんは、直接、体内にアスベストの粉じんを吸入することになりました。

 そればかりか、建設作業現場は、屋根、壁が取りつけられた半ば密閉空間であり、左官の他に、大工、電気工、配管工等の他の職種の作業員が同時併行的に作業に従事するため、他の作業員がアスベスト含有建材を切断、加工した際に飛散するアスベスト粉じんを間接的に体内に吸入することを余儀なくされました。

 亡岩崎弘さんは、このように長期間に亘り、直接、間接に体内にアスベストを吸入した結果、肺がんに罹患し、二〇〇四年一月、五八歳の若さで死亡したものです。

 二人の息子の将来を案じ、苦しんで死んでいった亡岩崎弘さんの無念をはらし、何よりも他のアスベスト被害者やご遺族の救済につながれば本望だとする奥さまの都さんの思いを受けて、当弁護団としても、やっとのことで静岡県内における建設作業従事者のアスベスト被害救済活動の緒につく機会を得ることになりました。

 この訴訟は、国が労働安全衛生法、建築基準法等に基づき、アスベストやそれを含む建材の使用を禁止するという規制権限を行使せず、アスベストの危険性を戦後の早い時期に知っていたにもかかわらず、長期間、漫然とアスベストの使用を容認し、その結果、肺がんに罹患し、この国の規制権限不行使が不法行為に該当するものとして、国家賠償法一条一項により損害賠償を請求したものです。

 当弁護団の力量もあり、建材メーカーを被告としていませんが、いい判決を勝ち取り、訴訟外で救済がなされる道を確立すべく、全力を尽くすつもりです。

 その後、石綿肺に罹患した解体工、精巣鞘膜中皮腫に罹患した電気工が第二次訴訟を提起することになり、徐々に建設作業従事者アスベスト被害者も立ちあがりつつあります。

 クボタショックのあとは、マスコミも連日取りあげ、アスベスト問題が国民の間で関心の的になっていましたが、今やアスベスト問題も忘れられつつあります。

 しかし、アスベスト関連疾患は、アスベストを体内に吸入した後の三〇年、四〇年後に顕在化するものであって、全国的に被害は増大しています。

 アスベスト被害救済活動に従事する弁護士の活動も今以上に必要になっています。

 二〇一一年一〇月一五日(土)に、静岡市において、第三回アスベスト企業責任追及弁護士交流会の開催が予定されています。

 この交流会は、大阪じん肺アスベスト弁護団の呼びかけにより、全国からアスベスト訴訟を追行している弁護士が集まり、過去二回、大阪弁護士会館において開催されましたが、実質的な弁護団連絡会議となっており、被害者側弁護士にとっては実りのあるものです。

 具体的になりましたら報告致しますが、アスベスト被害を根絶するため、この静岡の交流会に多くの団員の皆様方のご参加を期待しています。


静岡空港収用裁決取消訴訟の終結に当たって

静岡県支部  阿 部 浩 基

 以下は、さる一二月一七日に静岡地裁で陳述した意見の要約である。(なお、事業認定取消訴訟は東京高裁に係属中)

一 強制収用はしないと約束した知事確約書

 空港設置許可処分を得るには空港用地取得の確実性の要件をクリアする必要がある。しかし、静岡空港の場合、地元に強固な反対地権者が多数存在した。そのため当時の運輸省は成田の二の舞になることをおそれて設置許可を渋った。しかし、何としてでも空港を作りたかった石川前知事は、運輸省幹部に俺の政治生命をつぶす気かと迫って強引に設置許可処分を引きだした。その際に、運輸大臣に差し出した手形が知事確約書である。何と書いてあったか。「誠心誠意の交渉」により「県の責任において全用地を取得する」。これによって「用地取得の確実性」の要件を補ってやっとのことで設置許可処分をもらったのである。この確約書により静岡県は強制収用権を自ら放棄したのである。

 本件土地収用は、石川前知事が、強制収用しないという確約を恥知らずにも反故にすることから始まった。政治家の約束が破られることはよくあるが、マニュフェストならいざ知らず、空港設置許可処分の法的根拠ともなった知事の約束がこれほど簡単に破られるのは到底容認できない。国交省も、知事が確約書に反して事業認定の申請をしてきたのであるから、受け付けるべきではなかった。禁反言の原則に違反すると主張するゆえんである。

 ところで、この知事確約書は、社会資本整備審議会での審議では審議の対象からはずされた。事務当局の意図的な隠蔽と考えられる。強制収用はしないと約束した知事の確約書が強制収用を認めるべきかどうかを審議する第三者委員会の審議の俎上にも乗せられなかったのである。これは重大な手続上の瑕疵、欠陥で、事業認定処分をも違法とするものである。

二 現知事も認めたデタラメな需要予測

 静岡県の需要予測は下方修正を重ねて最終的に国内線で一〇六万人となった。そのうち、札幌便が五〇万人という桁外れの多さになっている。それは一路線五〇万人以上なければ二五〇〇メートル滑走路がつくれなかったからである。

 しかし、当時の諸事情から見てもこの需要予測は過大であった。「静岡空港建設中止の会」の予測は三六万人であった。

 結果はどうなったか。

 開港後一年間の国内線運用実績は、予測の約四割、約四二万人にすぎない。国内線全部合計しても札幌便の需要予測にも満たなかったのである。国際線の実績を合計しても、六三万五〇〇〇人であり、費用便益比が一・〇になる八六万人を大きく割り込んでいる。

 専門家による最新の方法による需要予測が素人の予測よりも大きく外れたのである。

 この惨憺たる現実を静岡県はどう弁解するというのか。

 博打ならともかく、これほど外れるのはもはや予測とは言えない。

 ではその原因はどこにあったのか。需要予測のモデルにあてはめる航空旅客流動量、他の空港との比較の仕方における条件設定などに恣意的な数値が使用されたからである。

 川勝現知事は、この一〇六万人という需要予測はデタラメだったと述べている。また需要予測を担当した財団法人運輸政策機構会長の羽生次郎会長自身も「つくりたい国の意図をおもんぱかってしまう。地元の業者の期待感もあり、これらに反する結果をだせればいいが、そうもいかない。」「静岡空港には反対だ」と言っている(新聞報道)。

 無理矢理作った数字であることはもはや明らかである。

 「当時の予測としては合理性があった」、「結果から見て予測を非難するのはおかしい」という見方もあるが、予測が結果と大きく違っていたら、何故違っていたのか反省し、その原因を解明するところからはじめるのが、普通の人間のやることではないか。そんな当然やるべきこともやらないで、悪あがきをしているというのがこの裁判での被告の態度である。

三 開港延期、暫定開港の原因となった立木問題と過大収用

 静岡空港は、開港延期を何度も重ねた末、二〇〇九年三月に二五〇〇メートル滑走路で開港することになっていた。ところが、西側制限表面の上に立木が出ていることが判明して同年六月四日から二二〇〇メートル滑走路での暫定開港となったことは記憶に新しい。本件事業認定にかかる土地だけでは飛行機を安全に飛ばせる空港はつくれなかったのである。そのような空港建設には何の公共性もない。

 ところで、当初、われわれも制限表面の上に出ている物件があるのは西側制限表面だけだと思っていたが、実は南側の制限表面(転移表面)にも立木が残っていたことが明らかとなった。静岡県は直前になってこのことに気付きながら東京航空局には内緒にしておいて、原告松本の土地の立木九四本を無断伐採するという暴挙に出た。このことについては、小松幸雄静岡空港建設事務所所長が、部下に対して制限表面上の物件を除去するように指示を出したとこの法廷で証言するところである。

 もし無断伐採しなければ、暫定開港すらできなかった。

 この件で静岡県が地権者に賠償金を支払い、伐採費用を石川前知事らと県幹部に負担させたのは当然である。

 その後、西側制限表面部分の立木問題は、地権者である原告大井が石川知事と会談し、知事の引責辞任と引き換えに伐採に応じることで解決を見たが、飛行機の飛ばせない空港建設のために土地収用をしたという違法な現実は変えることができない。

  そしてこの立木問題の過程で本来収用する必要のなかった土地まで過大に収用していたことも明らかとなった。制限表面以下の土地は収用する必要がなく、その違法性も明らかである。

四 結論

 「できてしまったものはしようがない」、「できてしまった以上有効活用しようではないか」という考えは比較的一般受けしやすい。できあがったものの事業認定や収用裁決を取り消していったいどうするんだという考えも根は同じである。

 しかし、もうそんな考えは捨てよう。駄目なものはいつまでたっても駄目なのである。諫早湾干拓事業の潮受堤防は全面開放ということになったが、あれでいい。建設途中の八ッ場ダムも中止でいい。時代の流れは変わろうとしている。

 民間の企業会計の手法でやると静岡空港の初年度は一六億円の赤字となることが明らかとなった。本当に必要な社会資本ならばいざしらず、静岡空港は県民にとって必要不可欠の施設ではない。そのような施設にかくも多額の税金を投入して赤字を補填する必要は全くない。廃港でいい。

 このように頭の中を切り替えれば、本訴訟の結論は収用裁決取消以外にはない。


反貧困ネットワーク神奈川年末相談会

神奈川支部  武 井 共 夫

 二〇一〇年一二月一九日日曜日、横浜の官庁街のある関内駅の近くで横浜の簡易宿泊所街のある寿町からもそう遠くない横浜大通り公園石の広場には、「年末ワンストップ大相談会inかながわ」のために朝から人々が集まった。

 この相談会は、仕事と住居を失い生活に困っている人々が寒い空に放置されることがないよう、またこの年末に貧困に苦しむ方の抱える多様な問題を解決しようと、反貧困ネットワーク神奈川の主催で、横浜弁護士会・神奈川県司法書士会の後援を得て実施され、生活保護、医療、労働、住居、債務整理等の各種相談活動とカレーライスの炊き出しが行われたものである。

 反貧困ネットワーク神奈川は、貧困問題に取り組む多様なNPO・市民団体・労働組合などのメンバー、弁護士、司法書士などが集まり、人間らしい生活と労働の保障を実現し、貧困問題を解決するために、交流や連携をすることを目的として、二〇〇九年春に結成され、以来、毎月の定例相談会や年末等の特別相談会、学習会・イベント・ホームページなどを通じた社会的問題意識の喚起、行政等への働きかけなどの活動を行ってきた。

 私は、二〇〇八年四月に就任した横浜弁護士会会長として、消費者問題と貧困問題に取り組みたいと考え、消費者問題については、神奈川県知事と何度も面談して県の消費者行政予算の大幅増額を勝ち取るなどの成果を上げることができたが、貧困問題について、僅かに任期の最後である二〇〇九年三月に「失業と貧困に対する人権保障を訴える会長声明」を発表したにとどまったため、不完全燃焼の思いがあり、引き続き、反貧困ネットワーク神奈川の共同代表に就任して貧困問題に取り組むこととしたのである。

 一二月一九日の年末相談会には、約一〇人の司法修習生や数人の三日前に弁護士登録をしたばかりの六三期の新人弁護士数人などの若手や司法書士、医療関係者、ナショナルセンターやローカルセンターの枠を超えて参加した各労組(員)、NPO、市民団体、京都からボランティアに駆けつけた大学の社会学の先生や一般のボランティアなどが主催者側で多数参加した。

 修習生や新人弁護士は大活躍し、新人弁護士だけで相談に乗っていて急遽司法書士の助けを求めるという一幕もあった。

 「仕事をしたいが、年齢制限で働き口が見つからず困っている」(六〇歳男性)「六〇歳を過ぎると仕事がまったくない。建設関係だが、よくて週二回しか出番が回ってこない。生活は厳しい」(六二歳男性)など深刻な生活状況に悩む相談者約四〇名以上が相談に訪れ、そのうちの数名が、翌日、ネットワークの弁護士・司法書士やボランティアらが同行して横浜市中区役所に対して行った生活保護の約三〇名の集団申請に参加した。

 カレーライスの炊き出しは、二〇〇食用意したが、これも開始の三〇分以上前から行列ができてあっという間に品切れとなり、カレーがないなら少し残ったご飯だけでもほしいと訴える参加者も出るなど、主催者側は、試食もできないような状況であった。

 この年末相談会は、二〇〇九年から始まったが、二〇一〇年には弁護士会と司法書士会が後援し、NHKにより昼夕方深夜のテレビ等で取り上げられるなど認知されつつあり、また取組への参加者も拡がるなど、今後の活動に繋がる意義ある企画となった。


「非正規労働者の権利実現全国会議in広島」のご報告

大阪支部  中 西   基

一 はじめに

 非正規労働者の権利実現全国会議(略称・非正規全国会議)は、二〇〇九年一一月二二日に結成されました(結成時の状況については、団通信一三三一号に上条貞夫団員が寄稿されています。)。これまで東京、神戸、東京、福岡、仙台で集会を開催してきました。

 二〇一〇年一二月一一日、広島市内(KKRホテル広島)にて、一周年記念総会と第六回目の集会を開催しました。参加者は九〇名超でした。

 第一部では、特別報告が二本。一つ目は、『デンマークに学ぶ働き方とセーフティネット』として、日弁連デンマーク調査団のメンバーとして九月にデンマーク調査に行かれた中村和雄団員から、パワーポイントをもちいて、「フレキシキュリティ」で有名なデンマークの雇用と社会保障のモデルについて報告がありました。手厚い社会保障があってこそ柔軟な労働市場が可能になっていること、非正規雇用はほとんど存在しないことなどが報告されました。

 二本目は、地元の広島電鉄における均等待遇実現の取組について、私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部の執行委員長である佐古正明さんからご報告いただきました。広島電鉄では二〇○九年一〇月に非正規社員(契約社員)をすべて正社員化しています。会社が契約社員制度を導入した後、労働組合として、均等待遇を実現させるために様々な議論があったとのこと。ただ、このまま契約社員が増えれば、いずれ正社員の労働条件についても引き下げられてしまう。そうなるまえに、全員を正社員化して均等待遇にしておかなければならないという点で組合員が一致したというお話しは大変示唆に富むものでした。

 つづいて、会場からの発言として、四名が発言されました。広島県高教組の書記長さんから、高校における非常勤講師の労働実態について発言がありました。広島県生活と健康を守る会連合会の会長さんからは、住居を喪失して県下のシェルターに避難してきた失業者の声をご紹介いただきました。IT企業で超長時間労働をされその後IT企業を自営したが失敗して自己破産し貧困状態に陥っている当事者の方と、マツダで派遣切りにあった当事者の方からそれぞれ発言がありました。

 第二部では、「正規と非正規の格差を超えるために」というテーマで龍谷大学の脇田滋先生と広島大学の緒方桂子先生に対談していただきました。脇田先生から、日本の非正規労働の実態について詳しい分析と報告があり、それを受けて、(1)均等待遇をどうやって実現していくのか、(2)雇用の安定をどうやって実現していくのか、(3)雇用のあり方と社会保障制度の関連、(4)今後の運動について、それぞれお二人からご意見をお聞かせいただきました。EUでも均等待遇の法制度が実現するまでに二〇〜三〇年かかったこと、韓国では数年前に均等待遇の法制度が実現したことが紹介されました。「正社員の労働条件が下がってしまうのではないか?」という意見に対しては、短期的・一時的に見れば下がるだろうけれど、長期的かつ全体的にみれば、均等待遇にしておかなければ、労働者全体の労働条件が低下することになるというのは、広島電鉄のご報告にもあったとおりです。有期雇用については、解雇規制を潜脱・脱法する目的で使われている現実を変えなければならず、その方法としては「入口規制」と「出口規制」の二種類があること、ドイツではそれを組み合わせていることなどが紹介されました。教育や医療や住宅など生活のすべてを賃金によってまかなわなければならない社会構造から、社会保障制度を充実させることによって、賃金が低くても教育や医療や住宅の心配をしなくてもすむような社会に変える必要があることも指摘されました。特に、日本の社会保障制度は、男性正社員を世帯主としたモデルであり、家計補助的な低賃金パートを生み出すような仕組みになっており、これを均等待遇親和的な仕組みに変えていかなければなりません。最後に、今後の運動としては、労働組合・労働運動の重要性や、公正な職務評価を行う仕組みを作ることが指摘されました。

 非正規全国会議は、引きつづき、非正規労働者の置かれている現状を告発しつづけるとともに、非正規労働者の権利実現のための方策を議論し提言していくために、全国各地で集会を開催していく予定です。全国各地の団員の皆様には、ぜひご支援・ご協力よろしくお願い申し上げます。

 二〇一一年三月二六日・東京(詳細未定)「有期労働法制について」
 二〇一一年六月四日・名古屋(詳細未定)
 二〇一一年九月一七日・札幌(詳細未定)
 二〇一二年一月二一日・京都(詳細未定)


ロースクールで養成する憲法感覚

永田秀樹・松井幸夫編著『基礎から学ぶ憲法訴訟』(法律文化社)について

大阪支部  藤 木 邦 顕

憲法の副読本として

 ロースクール(以下LSと略します。)出身者あるいは、それに近い年代の若手と私のように、三〇年前の法学部出身者の年代では法学教育の内容がかなり異なってきているようである。関西学院大LSの豊川義明教授から機会を与えられたので、LSの学生向け副読本である本書の紹介をしながら、今のLSの憲法教育の一端をお伝えしたい。

 編著者のみなさんはいずれも関西学院大のLSまたは学部で教育にあたられている教授の方々である。芦部信喜『憲法』(岩波書店)を教科書としながら、同書ではわかりにくいと思われるところについて解説を加えた第一部と、事例を通して憲法感覚を身につけてもらう形式の第二部からなっている。四〇期台前半あたりまでの方であれば、芦部信喜他編『憲法の基礎知識』(有斐閣双書)という副読本的教材があったのをご記憶かと思うが、特に第二部はこの書物に似ている。副読本という性質上、講義をそのまま文章にしたような記述も多く、第一部のはじめに「思うに」「けだし」「かかる」などという言葉遣いを答案でするのはいかがなものかなどと批評するなど、LSの授業の雰囲気が伝わってくる。

 憲法に関する判例や理論の変化・蓄積のため、今の学生は三〇年前の学生よりも勉強することが多くなっていると感じた。もちろん憲法は変わっていないし、永田教授他編著者のみなさんが立憲主義と人権擁護の立場から憲法の理念を学生に伝えようという気概をもって教育にあたられていることは十分理解できる。

現代的事例の紹介

 憲法の現代的問題とはこのようなものかと考えさせられたのが第二部の事例である。そこでは、「父子家庭に対する児童扶養手当の不支給は合憲か」「発語障害を持つ議員に、議会で代読または音声装置によって発言する自由を認めるべきか」「タイ人が勾留されたときタイ語の書籍を読む自由」「総務大臣による放送の真実性確保の命令」「公共図書館での閲覧の自由」「ホームレスのゴミ持ち去り禁止条例違反」など九問の事例が挙げられている。以前の憲法事例でもあったと思われるのは、「労働組合による政党カンパの強制」ぐらいである。各事例の論点は、法の下の平等や表現の自由、思想信条の自由などであるが、設定された事例がいかにも現代的で臨場感がある。

司法試験合格者人数の法定は許されるか

 中でも興味深いのが、「司法試験法を改正して、合格者は年間二〇〇〇人を超えてはならないという条文を設けた場合の憲法問題」である。設問では、ただ出題文だけではなく、AとBとの対話という形式で、合格者人数抑制論の根拠とその合理性、タクシーの総量規制の例との比較についての議論がかなり長文で紹介され、それを参考にして憲法上の問題について述べることになっている。出題意図としては、法律によって合格者人数を限定することは、職業選択の自由に抵触する客観的規制となることの論証を求めることのようである。たしかに受験者の回答水準を無視して法律によって合格者人数を決めてしまうと、二〇〇〇人という法定数の合理性が問われることはあろう。しかし、解説の中で、弁護士会がすでに開業している弁護士の既得権益保護を規制目的として最も強く主張しているとしている点は事実誤認である。また、解説の注にあるように、司法試験は資格試験とは言いながら、司法修習制度との結合が強いので、効果的な司法修習の維持および給与・財政面からの制約が規制根拠にあげられてもいいはずである。

 本書は、ロースクールに関わっていない方、特に司法試験がはるか以前のことになった方にこそおすすめしたい一冊である。


「渓悠遊万遊」を読んで

―大森鋼三郎さんの遺著―

東京支部  四 位 直 毅

 魅力ある文字が並ぶ書名、である。

 〇九年七月、六七才で早逝した団員大森鋼三郎さん著だ。親友の岡村親宣さんが編集して、没後である一〇年一一月に刊行された。

 濃緑のあい間を奔流する渓に竿さすタオル鉢巻姿のスナップを活用した装丁が鮮やかだ。

 著書の最初に掲げた「メッセージ」で、鋼三郎さんは、こう述べている。

 「人生を楽しむことなくして世の中を良くすることはできない。

人生とは 楽しめない障害物を取りのぞく努力ともいえよう。」

 私は、この本を送ってくださった典子夫人にあてて、彼はこの生き方と哲学を堂々と生きぬいたのではないか、と率直に実感を述べた。

 鋼三郎さんについて、私がすぐ思い出すのは、八鹿高校事件へのとりくみを共にした日々のこと、そして全動労事件への彼の献身的なとりくみのこと、である。

 これらの事件発生のとき、岡林辰雄さんは「暴力と正面から立ち向かうことは、団の存立にかかわる問題だ」と強調された。

 団は岡林さんのこの指摘をしっかりとうけとめて、果敢にとりくみを進めた。八鹿高校事件は暴力で部落差別解放運動をゆがめる解同を見て見ぬふりをする風潮の下で、全動労事件は労働運動をめぐる複雑な事態と動きの下で、ともすると当事者も運動も孤立させられかねないきびしい状況であった。

 そのなかで、団のとりくみは人びとを励まし、全国的とりくみを広げる方向へと寄与した。

 これらの困難な闘いの最先陣に立ち、打開のみちをきり拓く役割をになった一人が鋼三郎さん、であった。

 後年、彼は病を得て療養を余儀なくされた。このときの闘病体験と自然に囲まれてすごした少年時代の記憶などが重なりあい、山と渓谷と緑、斑と紋(山女魚と岩魚)の世界へと、心が赴いたようだ。

 その後の彼の姿が、この本に充ち充ちている。

 つりの成果を刺身、ムニエル、串焼などに料理し、折々の山菜の珍味とビールをはじめとする和洋酒で宴を楽しむ様子、釣り竿と釣り糸と餌をめぐる話しなどなど、釣りにはとんと無縁の私も思わず吸いこまれる魅力を、この本は具えている。

 彼の亡父は団創立で必ず名があがる大森詮夫さんであり、岳父は民事領域で知名度が高く良識に富む裁判官であった。妻子が団員として活躍していることは、ご承知のとおりである。

 彼は、釣りと団らんのあと、渓沿いの泊地に寝転がり、星空を眺め、樹々と渓流のざわめきに囲まれて、何を想っていたのだろうか・・・。

 ぜひ一読をおすすめする。(株式会社つり人社刊 一六〇〇円)


二〇一〇年日本平和大会in佐世保に参加して

事務局次長  小 林 善 亮

 一二月三日から五日、佐世保で平和大会が開かれました。今年の平和大会は普天間基地問題が焦眉の課題となるなか、かつ一一月二八日の沖縄県知事選直後の開催となりました。大会スローガンも「核兵器も基地も軍事同盟もない平和な日本とアジア―いま、沖縄と心ひとつに」となっていました。

 一二月三日は佐世保基地の調査行動とオープニング集会が行われました。地元の平和大会実行委員の方のガイドがつき、米軍施設をバスや船から見学しました。この日は、北朝鮮の砲撃事件後に行われた日米合同演習が行われており、海兵隊を輸送するエセックス等の艦船は出払っていました。それでも、湾内の沿岸のかなりの面積が米軍施設や自衛隊施設に占められていることが分かります。米軍が設定した航行制限区域も細かく設定されています。船で湾内をまわっても、漁船が一隻もいなかったので、近くにいたガイドの方に尋ねたところ、「湾内は軍関係の施設が多いため、漁船は湾内には泊まっておらず、湾内で漁船を見ることはほとんど無い」とのことでした。ガイドの方は「軍艦の施設ばかりの佐世保湾を見た人から『死んだ海』だと言われたこともあります」と話されていました。

 オープニング集会では、選挙を戦い終えた直後の伊波洋一前宜野湾市長と安里現宜野湾市長がビデオメッセージを寄せていました。伊波さんは「選挙結果は残念ですが、ここまで普天間基地問題で追い込んできた私たちの取り組みに確信を持ちましょう。いつか私たちが勝つでしょう」と仰っていました。また、沖縄からの参加者一四名が舞台に上がり、仲井真氏に「県外移設」を表明させた知事選の成果を踏まえ、今後も取り組みを強めていくとの発言がありました。平和大会に参加した人たちは、普天間基地問題や沖縄県知事選に関心を寄せ、何らかの取り組みを行ってきた人がほとんどでしょう。だからこそ、沖縄県知事選の結果にショックを受けていた人も少なからずいたはずです。これら沖縄からの発言は、平和大会に参加していた全国の人たちを大いに励ました。

 翌四日は、一一の分科会が行われました。自由法曹団は「なぜなくならない?―米軍の基地特権と地位協定問題を考える」という分科会を担当していました。

 まず沖縄の仲山忠克団員から、米軍犯罪における地位協定の不平等性について基調報告を頂きました。米兵が犯罪を犯しても、公務上の行為があった場合は米国に第一次裁判権があることや、民事でも公務外の事件であった場合、米軍が査定して恩恵的な補償をするだけであり、米兵個人相手に裁判をせざるを得ないことなどの報告がありました。次に、二〇〇六年に横須賀で発生した米兵による強盗殺人の遺族で、米国と日本政府に対して民事訴訟を提起した山崎正則さんと、弁護団の中村晋輔団員(東京)から、泣き寝入りせずに立ち上がった山崎裁判によって、公務外でも一定の場合に米軍の監督責任を問いうるとの地裁判決を受けた成果が報告されました。その他、岩国の米軍属による自動車の轢殺事故について田邊一隆団員(山口)からの報告など多彩な内容でした。分科会では、地位協定の不平等性や不合理性は、米軍基地や安保条約そのものの不合理性について広い国民の共感を得るきっかけとなりうる、そのことに確信を持って活動しようとのまとめがなされました。

 この日の夕方は、全体集会パートIIとして全国と世界の運動の交流が行われました。

 アフガニスタンから子どもたちの痛々しい写真を交えた報告や、各地の基地問題の取り組み、などが報告されました。

 恥ずかしながら私は平和大会に参加するのは初めてでしたが、参加してみて、各地の基地問題や平和に関わる取り組みを繋げ、深める大きな役割を果たしていることを実感しました。また機会があれば参加しようと思います。


衆院比例定数削減を許さない学習・懇談会にご参加を!

衆院比例定数削減阻止対策本部

 民主党は、参議院の一票の格差是正と連動して、衆議院比例定数を削減し、将来的には完全小選挙区制をめざすとの文書を所属議員に配布したと報じられています。衆院比例定数削減問題は依然として予断を許しません。比例削減に反対する運動が各地で広がっており、支部や法律事務所への学習会の要請も増えています。

 こうしたなかで、比例削減の問題を学習し、情勢やこの間の活動・課題などを検討・交流し今後の活動に生かすべく、学習・懇談会を開催します。学習・懇談会では、基礎知識から最新の情勢、各地の取り組みの成果や課題を交流します。この学習・懇談会に出席すれば、いつ講師要請が来ても怖くありません。

 「比例の問題は大事だと思うけど、まだまだよくわからない」という団員、事務局の方、大歓迎です。中堅・若手団員の多くは、小選挙区制導入反対の運動を経験していません。

 一緒に学びながら取り組みましょう。

 学習・懇談会への積極的なご参加をお願いします。

《衆院比例定数削減を許さない学習・懇談会》

  日時:二〇一一年二月四日(金) 午後一時〜午後五時

  場所:自由法曹団本部

◆プログラム(予定)

◎第一部 比例定数削減問題を考える

  国会情勢、比例削減問題の問題点と本質(基礎知識)、これまでの情勢と展開、「ムダ」論にいかに反駁するかなど

◎第二部 削減阻止に向けたたたかい

  これまでの運動の交流とそこから見えてくる課題・教訓は何か、後どのように取り組むべきかなど、参加者による懇談