<<目次へ 団通信1371号(2月11日)
大久保 賢一 |
法然上人の教えから非核法の制定へ |
杉本 周平 |
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三嶋 健 |
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杉本 朗 |
埼玉支部 大 久 保 賢 一
「南無阿弥陀仏」を唱える私
信州・川中島に蓮香寺という浄土宗の寺がある。我が家の菩提寺である。私は、この寺に参詣するときや、知人の葬儀では「南無阿弥陀仏」(私の音はナンマンダブ)と唱えることにしている。その寺の御住職にそう勧められているからである。それを唱えると何となく心が落ち着くのだ。「南無阿弥陀仏」というのは「阿弥陀様。お願いします。」という意味である。
浄土宗の開祖法然上人は、八〇〇年前、「智者の振る舞いをせずして只一向念仏すべし」と遺言しているという。智者でなくても「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるという教えといえよう。当時、仏教は公家や上級武士の学問の手段とされていて、庶民には縁遠いものであっただけに、多くの民衆が歓迎したであろうことは容易に肯ける。
その法然上人は、上人の身に何かあれば使おうと斧を隠し持っていた弟子に、「危険なものは持つな、愚かな人間は手に持つと使いたくなる。持たぬがよい。捨てよ。」と諭したという。
宗教者九条の会の高僧
浄土宗の総本山知恩院の布教師会長経験者に岩波昭賢さんという方がおられる。「宗教者九条の会」の呼びかけ人の一人であり、「九条の会たつの」(長野県辰野市)の代表の一人でもある。
その岩波上人の「九条の会たつの」での講演を紹介する。
「法然上人が浄土宗を開かれた。そのこと自体が平和運動です。法然上人の教えは、人が上下、貴賤の区別なく、平等に阿弥陀様の本願によって救われるということです。そのことと憲法九条を結びつければ、九条があったればこそ、日本人すべてが六十年間、平等に平和を保たれた。そうなるように政治に制約を与えているのが九条だと思うのです。憲法九条の擁護と法然教学をいかに結び付けて考えるか。それが法然上人の教えを二一世紀に忠実に守っていく道であり、九条を守ることが、坊さんとして、また日本人として、当たり前の道だと思っております。」
その岩波上人は、蓮香寺の法話で、非核三原則について次のように述べている。
「愚かな私ども人間は、持つと使いたくなるという弱点を法然上人は見抜いておられたのです。『捨てよ』と言われた法然上人の言葉に改めて耳を傾けようではありませんか。刀を持つ手に数珠を持て。憎しみ怨念の心に御仏を。悪口雑言の口に念仏を、と勧められた法然上人の教えは私どもへの訓戒でございましょう。」
憲法九条は平和と平等の思想に基づいている。憲法は政治に制約を与えている。核兵器を捨てろ。憲法九条と非核三原則を守れ、という主張である。私は、深く共感している。
非核三原則と非核法
ところで、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則は「国是」とされている。「国是」とは、「国を挙げて是と認めたもの。確定している一国の施政方針」(広辞苑)という意味である。ところが、この「国是」は法的拘束力がないといわれている。確かに、法律として制定されているわけではないからそのような見解も間違いではないであろう。他方、被爆者や反核平和団体が「非核三原則」を踏まえた「非核法」を制定しようと提案すると、政府や与党は、「法律は国会で改正されてしまう可能性があるが、『国是』ならその心配はないので法律にすることはない。」などという理屈で、非核法の制定に消極的になるのである。
いずれにしても、政権交代後の政府も与党も、今までの政権担当者と同様に、非核法の制定には消極的あるいは妨害的に振る舞っているのである。そして、三原則のうち、「持ち込ませず」については、折あらばそれを曖昧にして、「二・五原則」にしようと企んでいるのである。これでは「国是」が泣くであろうと思うのだが、現実はそうなっている。その背景にあるのが「核四政策」である。
佐藤栄作首相と「核四政策」
一九六八(昭和四三)年、当時の佐藤栄作首相は、(1)非核三原則と合わせて、(2)当面可能な核不拡散・核軍縮から核廃絶へ、(3)自衛力の堅持と米国の核の傘への依存、(4)核エネルギーの平和利用の「核四政策」を表明している。この言明は、今日まで、我が国の核政策の基本であり続けている。(なお、この頃並行して、核不拡散条約(NPT)への加入手続きも進められている。非核兵器国となる選択である。)
この第一政策である非核三原則のうち、「持たない、作らない」は、一九五五(昭和三〇)年の原子力基本法で、核エネルギーは平和目的に限ると法定されている。また、同年、当時の鳩山一郎首相が、国民世論に押される形で、「米国の核持ち込みを認めない」と宣言し、それが後継内閣にも引き継がれることになる。これが非核三原則の出自である。
そして、一九六〇(昭和三五)年の日米安保改定時に、この「持ち込ませず」が「事前協議」を巡って問題となるのである。当時も、政府や与党は、米国の抑止力に依存して我が国の安全を確保しようと考えていた。他方、国内には核兵器の持ち込みに反対する世論も強かった。そこで考え出されたのが「密約」である。入港(エントリー)や通過(トランジット)は持ち込み(イントロダクション)ではないとする「密約」である。それは「密約」ではなく、日米双方の「誤解」あるいは「曖昧化」であるとの見解(波多野澄夫・外務省「密約」調査有識者委員会の副座長)もあるが、日本政府が米国の核兵器に依存しようとしていたことや、核兵器持ち込みを阻止しようとする姿勢に欠けていた事実を消すことはできないであろう。
この非核三原則が、さらに大きな矛盾として顕在化するのが沖縄返還時である。沖縄に存在する核兵器をどうするか。それが佐藤首相(当時)の悩みであった。佐藤首相は、日本の安全保障のために米国の核が必要と考えていた。けれども、国民の「核アレルギー」も無視できなかった。そこに悩みはあるものの、彼は、非核三原則などない方が良かったと考えていたのである。彼は、一九六九(昭和四四)年の対米交渉の席上で「非核三原則は『ナンセンス』と発言し、関係者を困惑させた」そうだし(黒崎輝・「核兵器と日米同盟」・二一〇頁)、「非核三原則の『持ち込ませず』は誤りであったと反省している」というのである(波多野澄夫・「歴史としての日米安保条約」・二三七頁)。そして、「これは総理にならなければ分からない苦労」だと述懐していたようである(波多野・前同)。
確かに、米国の「核の傘」に依存しながら米国の核を「持ち込ませない」などというのは無理難題であろう。自ら言明した非核三原則による自縄自縛である。けれども、彼は、「核抜き、本土並み」という形で沖縄返還を実現したかったのである。そこで、国会で、「非核三原則の堅持」の決議を上げることを容認し(これが「国是」となった理由である)、他方では「核持ち込みにイエスという密約」を墓場まで持っていこうとしたのである。佐藤首相は、ノーベル平和賞という栄誉を授かったかもしれないが、我が国と核兵器の断絶は闇に葬られたままになったのである。
そもそも、「核四政策」の下で、非核三原則を実現することは背理なのである。そして、米国の核抑止力・「核の傘」に依存するという政策をとり続ける限り、非核法の制定は論外ということになるのである。
非核法を阻む「核抑止論」
佐藤首相が、「この苦労」から解放されるためには、「密約」を結んでそれを個人で埋蔵するという方策ではなく、米国の「核の傘」からの脱却を図ればよいではないか、と教えてあげたかったと思う。しかし、核兵器に依存する勢力は、核兵器が相手方の行動を抑止する(はずだ)と信じているのである。これが「核抑止論」である。そもそも、相手がどう考えるかは相手が決めることであって、自分が決められることではないではないか。それに「抑止」などという言葉や行動は、相手から見れば「挑発」でしかない。核で相手国に対抗しようとすれば、相手も核で対抗しようとするのは当然ではないか。なにしろ核兵器は「最終兵器」なのだ。その意味では、北朝鮮の行動は決して没論理的ではなく、日米両国と同様の選択なのである。そして、自国の安全のために核兵器が必要だと相手も考えたら、「核拡散」は止められないし、「相互確証破壊」への道に進むしかないであろう。「核抑止」が機能しなければ、核戦争になるのである。
加えて、中国であれ、北朝鮮であれ、万万が一、わが国に核攻撃を仕掛けた場合、米国が自国の兵士や本土への核攻撃を覚悟してまで、核兵器の使用に踏み切るなどと考えるのもナンセンスである。米国への攻撃がないのに核兵器を使用するなどという政策を、米国議会や国民が容認するはずがないからである。「拡大抑止」という考えはあまりにもナイーブである。
核抑止論を超えて
私は、核抑止論は、道徳的にも、政治的にも愚策中の愚策だと考えている。「拡大抑止論」はなおのことである。あれば使いたくなるのが人情だし、使えなければ巨大な無駄でしかない。お前が持つならおれも持つ、「死なばもろとも」というのも人情であろう。そして、その「愚かな人情」を超えた地平に、人道と正義に基づく法的な枠組みを工夫してきたのも人間の知恵ではないだろうか。それが、「危険なものは持つな。捨てろ。」という法然上人の教えの法規範化である。
私は、「智者として振る舞う」意思も能力もないけれど、念仏を唱えるだけではないこともしていきたいと思う。それが、非核法の制定や「北東アジア非核地帯」や「核兵器廃絶条約」の実現のための努力だと考えている。そして核兵器をなくしたいと希求している。
最後に少し古い話になるけれど、一昨年九月一三日付毎日新聞歌壇の二首を紹介しておく。
世の中の全ての人を抱きしめてキスをするかも核なくなれば
(本田孝。加藤治郎・選)
二党とも核をどうするこの選挙非核三原則壊れゆく中
(真田ふさえ。河野裕子・選)
二〇一一年一月一一日記
滋賀支部 杉 本 周 平
滋賀県造林公社は、労働組合との間で退職制度に関する覚書(労働協約)を締結しており、(1)昭和五九年一一月一〇日付の覚書では、滋賀県と同様の退職金割増制度(希望勧奨退職制度)を毎年度実施すること、(2)平成七年三月二〇日付の覚書では、退職条件を滋賀県職員と同じにすることの二点を約束していた。
しかし、公社は、労働組合との間で何らの協議もしないままに、「希望勧奨退職制度を実施するかしないかは、公社の裁量である」などと主張し、〇八年三月と〇九年三月にそれぞれ定年前退職をした元職員五名に対し、滋賀県職員と同様の割増退職金を支払わなかった。そこで、〇八年八月六日、元職員ら四名は、未払退職金の支払いを求めて大津地方裁判所に提訴(〇九年五月一九日に一名が追加提訴)した。
一〇年四月二七日、大津地裁(河本寿一裁判官)は、元職員らの主張を全面的に認め、公社に対し、それぞれ五七六万円から六九四万円の未払退職金を支払うよう命じる全面勝訴判決を言い渡した。公社側は、大津地裁の判決に不服があるとしてただちに控訴し、「事情変更の原則により当該(覚書の)規定の効力は失われた」などと苦しい主張を展開したが、一一年一月二五日、大阪高等裁判所(小松一雄裁判長)も公社の控訴を棄却し、一審判決を支持した。
滋賀県造林公社が多額の負債を抱え、苦しい経営を強いられている事実は、特定調停申立をめぐる報道などで広く知られているところである。公社が元職員らの請求を拒み続けているのも、元職員らに多額の退職金を支払うことで社会的な批判を受け、特定調停の成立に悪影響が及ぶことをいたく恐れているからだと考えられる。
しかしながら、造林公社の放漫経営を放置し続けた歴代の滋賀県幹部が退職金を満額受け取っているにもかかわらず、実際に山林での作業に従事してきた労働者たちにだけ経営責任を一方的に押しつけるような態度は、決して許されてはならない。大阪高裁も、判決の中で「個人である被控訴人(元職員)らのみが、その労働債権について、減免を強いられなければならないような状況にあるとは認められない」として、公社側の身勝手な言い分を切り捨てている。……元職員の方々に退職金が全額支払われるまで、私たちのたたかいは続く。
神奈川支部 三 嶋 健
一 判決の意義
二〇一一年一月二六日、横浜地方裁判所第七民事部(深田裁判長)は、原告に対する整理解雇を無効とする判決を下した。
被告テクノプロ・エンジニアリングの親会社であるラディアホールディングス(旧「グッドウィル・グループ」)は、二〇〇九年二月に、被告を初め、グループ傘下の派遣会社シーテック、CSIに四〇〇〇名の解雇を指示し、被告は四月から、その指示を実行した。派遣契約が切れて待機が一ヶ月となった社員はすべて解雇の対象となり、有無をいわさず解雇されたのである。
判決は、原告の解雇を無効とすることにより、四〇〇〇名の解雇を断罪したのであるから、その影響は計り知れない。
二 本件整理解雇の特徴
本件解雇は会社が黒字である中で実施されたものであり、そのためか、被告は、整理解雇でありながら、財務資料を一切証拠として提出しなかったところに、際だった特徴がある。
被告は、黒字での下での整理解雇を正当化するために、「新理論」を主張した。(1)会社にとって、待機社員の存在は打撃となるので、待機社員の整理解雇はその特殊性が考慮されるべきだ(派遣労働特殊論)、(2)本件整理解雇は将来の経営危機を回避するために予防的に解雇することも認められるべきだ(予防整理解雇論)。(3)親会社が危機であれば、その再建のために、不可分一体である子会社の従業員の整理解雇も許されるべきだ(親子会社一体論)、(4)希望退職募集はかえって人材流出を招く異なるので必要不可欠とはいえない(人材流出論)等である。
三 判決の内容
(1) 厳格に解釈する姿勢
判決は、整理解雇が正当とされるために、人員削減の必要性、解雇回避努力、人選の合理性、手続の相当性が必要であるとしつつ、それらが一つでもだめなら解雇が無効となる要件ではなく、解雇が正当であるための要素としたが、整理解雇は、経営上の必要性に基づく労働者の責めなき解雇だから、その正当性は厳格に判断される必要があるとした。判決は他の裁判例と同様、「要素」論を採用しつつ、その正当性を認めるためには、厳格に判断すべきだとした点は評価できる。
(2) 人員削減の必要性について
人員削減の必要性につき、待機率の増加など被告の経営状況は悪い方向に向かってはいるが、被告に切迫した人員削減の必要性はないと断じた。人員削減の必要性につき、「切迫」を条件とした点は評価できる。被告の予防整理解雇論を排し、また、当然のことであるが、親会社の事情は考慮せず、親子会社一体論を認めなかった。
(3) 解雇回避努力について
解雇回避努力についても、希望退職の募集をしなかったことを重く見て、その努力をつくしていないと断じ、被告の人材流出論を排した。
(4) 人員選択の合理性について
人員選択の合理性についても、一三年間も継続的に勤務し始めて待機となった原告を「待機社員」というだけで、整理解雇の対象とすることは不合理であるとした。
(5) 手続きの相当性について、被告が財務資料を出さなかったことを指摘し、原告側には、不満が残るかもしれないがと断りながらも、被告の対応が明らかに相当性を欠くとまでは言えないとした。
以上、判決は、本件整理解雇につき、人員削減の必要性、解雇回避努力、人選の合理性を認めず、原告側の圧勝であった。
(6) 判決の問題点
賃金について、判決は、残業代を含めた「平均賃金」を認めず、残業代抜きの、ほとんど「基本給」のみの金額をしか認めなかった。判決は、基本給があまりに低いため、残業代によってかろうじて労働者の生活が成り立っている実態に目を向けていない点に問題がある。
また、被告は、控訴した上、賃金請求権につき、仮執行の停止の申立をし、裁判所がそれをあっさり認めた点に問題が残った。その結果、原告は、本案判決前に勝ち取った仮処分が判決の言い渡しにより失効し、また、判決の賃金請求の仮執行の執行停止が認められてしまったため、賃金の支払いを法的に請求できる手段を失い、かえって窮地に陥ってしまったのである。かつて、横浜地裁は、賃金については、労働者の生存権を保障するものとして、仮執行の停止を認めなかった。この点は、裁判所の解雇された労働者の実態に対する無理解を示すものであり、大いに問題が残る。
四 東京高裁へ
本件弁護団は、円熟の高橋宏弁護士、気鋭の田井勝弁護士、私であり、高裁にむけて、戦闘的な藤田温久弁護士が、私たちの戦列に参加した。
弁護団全員が、原審判決の不十分な点を質し、労働者の権利の大いなる前進に寄与する覚悟であり、完全勝利のために闘志を燃やしている。
事務局長 杉 本 朗
自由法曹団はインターネット上にサイトを持っています。先日、サイト内の、修習生に対する事務所案内のページをリニューアルし、より事務所案内の「目的」にフィットするものにしましたが、今回はその第二弾として、トップページをリニューアルしました。
デザインを少し変えたほか、コンテンツのアップについて業者(あかつき印刷です)に任せないで、団本部でも行える領域を拡大しました。企画のご案内やその報告など、迅速にかつ画像と一緒にみなさんにお知らせ出来るようにしました。
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