<<目次へ 団通信1373号(3月1日)
近藤 ちとせ |
*第五回大量解雇阻止全国会議特集* 二・一四「第五回大量解雇阻止全国会議」が開催されました |
竪 十萌子 |
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吉田 竜一 |
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吉原 稔 |
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神田 高 |
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川中 宏 |
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安部 千春 |
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よしぞう |
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労働問題委員会 |
派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利をめざす 三・一四院内集会を成功させましょう! |
*第五回大量解雇阻止全国会議特集*
事務局次長 近 藤 ち と せ
二〇一一年二月一四日午後一時から、本部会議室で第五回大量解雇阻止全国会議が行われました。参加者や議論の状況などをご報告いたします。
一 参加者の人数など
当日は、全国(福岡、山口、兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜、愛知、茨城、宮城)の団員と団外からの参加者を含め五五人が参加して、本部会議室は椅子が足りなくなる程の盛況ぶりでした。
二 会議の進行状況
会議は、菊池団長による開会のあいさつで始まり、国会議員からの情勢報告、全労連からの情勢報告の後、鷲見対策本部長から、「全国の派遣切り、期間工切り事件をどこで、どうやって勝利するかを大いに討論しよう」という問題提起へとすすみました。
その後、大阪支部の村田浩治及び東京支部今村幸次郎団員からそれぞれ派遣切り裁判闘争の現状と課題、期間切り裁判闘争の現状と課題について報告がありました。
村田団員からは、松下PDP最高裁判決後の各地の裁判の流れを見ると、最高裁を批判する主張を「独自の見解」として切り捨てるものが多いが、派遣元と労働者間の雇用契約の無効性については、控訴審まで見据えればしっかり主張していく必要があるとの報告がありました。また、派遣先との間の黙示の合意の成立に関する主張についても裁判所は思考停止状態にあるが、雇用契約の成立要件に溯り、派遣元に指揮監督権がないにもかかわらず労働者と派遣元との労働契約の成立を認める派遣法の趣旨等に溯った主張が必要である等の報告がありました。
今村団員からは、日立メディコ最高裁判決は事例判決であるとの分析を元に、同判決を乗り越えるには、事実関係の違いを強調する必要であるとの報告がありました。そして、日立メディコ最高裁判決の事案の詳細な分析と、雇い止め事件ではどのような事実に着目して、最高裁判決との違いを主張すべきか等の具体的な報告がなされました。その後は、ほぼ一時間半を、派遣切り裁判、期間切り裁判をいかに勝利するかについての討論に費やしました。
議論は、事前に団員の皆さんからご協力を得て集めていた非正規事件の裁判に関するアンケートを前提に様々な論点に及びました。松下PDP最高裁判決後の裁判闘争で派遣元との契約の無効を主張することの意義、「偽装派遣→期間工→派遣」等と労働者の地位が転々変化するケースにおいて派遣先の関与の意味をどのように法的に位置づけるか、派遣元との契約無効を主張する際に参考になりそうな判例の紹介、労働局等に対して文書提出命令の申立をすることの利点等、多くの問題について各地の団員から活発な意見交換が行われました。
また、茨城の谷萩団員からはトステム事件の和解についての報告があり、神奈川の三嶋団員からは株式会社テクノプロ・エンジニアリングの常用派遣労働者についての勝利判決の報告もありました。
さらに、会議のテーマは、「各地の裁判闘争の支援体制の構築」へと移り、JMIUの生熊委員長からは、非正規事件を闘う原告の窮状を察し、原告らが勝利に向けて気力を継続していけるように工夫してほしいなどの要望も出されました。
三 今後の行動提起
その後、会議は「派遣法改正をめぐる情勢と課題」、「有期労働契約法規制強化を巡る情勢と課題」へと議題が移り、会議の最後には、鷲見幹事長から、派遣法抜本改正については抜本改正を求める院内集会(三月一四日午後一時〜五時、衆議院第一議員会館第一会議室)と新宿駅西口街頭宣伝(四月一三日午後五時〜七時)に結集してほしいとの行動提起がありました。
また、大量解雇阻止対策本部では、今回の会議の前に集めたアンケートを集約して、派遣法の抜本改正がなぜ必要なのかを広くアピールするための資料にしていくことを考えています。
以上、会議の内容の骨だけを報告しましたが、実際の会議は、非常に多くの人にあふれ、それぞれの裁判闘争勝利に向けての情熱や意気込みが感じられるものでした。この「熱気」を紙面ではお伝えできないのは残念ですが、私自身も、この会議での討論を忘れずに、非正規事件を闘い抜きたいという思いを新たにしました。
埼玉支部 竪 十 萌 子
自由法曹団事務所内にて全国会議が開催
平成二三年二月一四日午後から、自由法曹団事務所内において、大量解雇阻止全国会議が行われた。偽装請負や違法派遣の状態で、長期間、低賃金かつ不安定な勤務状況で働かされた後、解雇や雇止めされた事案で、地位確認や損害賠償等を求めて、各地で裁判闘争が行われている。
この日は、全国から、非正規問題に取り組む弁護団員、組合、議員、記者、当事者など約六〇名が集まり、事務所内は満員状態となった。多くの方々が、この非正規問題をおかしいと思い、改善を求めて取り組み、かつ、苦労していることが分かった。
苦しい戦い
非正規労働問題の裁判闘争は全体的に、今苦しい状況にある。裁判所からは、偽装請負や違法派遣という違法な状況が認められても、「低賃金でもその金額で納得して、そこと契約して働いていたのでしょう?何か損害や問題はあるのですか?そのような契約の下、働いていたのだから仕方がない。」等と平然と言われる状況である。 低賃金で不安定な働かされ方をして労働力を搾取されてきた人に対する認識・理解があまりにも欠如している。労働は自己実現を図り、人の生きる尊厳に直結しているものだと思う。裁判所は法を守らずに労働者を働かせていた企業に対して、もっと、厳しい態度で臨むべきではないか。こんな憤りを感じながら、全国で力を合わせて、勝利を信じて戦いに取り組んでいる状況である。
会議で決心したこと
会議では、裁判を続ける大変さ等も発表された。非正規労働者の方々は、貯蓄がなく、長期間のこの厳しい裁判に耐えるのは極めて大変なことである。また、勤務中は、労働者同士の団結もないことから、孤独な戦いを強いられることも多い。私の弁護団事件も、何十名が解雇被害に遭っているが、この厳しい戦いに原告として立ち上がれたのは一人だけである。
会議の中では、裁判の原告となっている方から、「弁護団会議中、弁護士さんから裁判が苦しいとか負けるとか簡単に言われてしまうと、ひどく落ち込むので、簡単には言って欲しくない」というような内容の発言もあった。私はこの発言を聞いて、原告の方々の苦しい胸の内を聞いた気がした。そして、弁護団会議等で何気なく発言している自分のマイナスな言葉を反省した。孤独の中でも、一生懸命大企業と戦っている原告に、改めて尊敬の意を表し、原告の方々が立ちあがって良かったと思えるように裁判に臨んで行こうと決心した。
今後の戦い
苦しい戦いの中でも、全国の弁護団の先生方と定期的に集まり、情報交換して勉強し合える状況があるので、とても心強い。色々な手法や理論で戦っている弁護士と会う度に、弁護士のすごさを実感し、とても勉強になる。
労働者派遣法抜本改正を含めて、労働者の権利を守るこの戦いは、大いに盛り上がる必要性を強く感じている。今後も、全国でつながりながら、多くの方々と一緒に戦って行きたいと思う。
兵庫県支部 吉 田 竜 一
派遣切りされた派遣労働者が派遣先に雇用責任を追及する訴訟は全国で約七〇件と言われているところ、神戸地裁姫路支部にも四件の訴訟が係属し、そのうち、日本化薬と日本トムソンを被告とする二件を担当しているが、提訴した二〇〇九年春から同年秋にかけては、初めて派遣先に雇用責任を認めた松下PDP事件・大阪高裁判決の存在、労働者派遣法を労働者保護法に抜本改正することを公約した民主党政権の誕生など、裁判にも明るい展望が持てていた。
ところが冬になると、一二月一八日に最高裁が何ら規範を示さないまま大阪高裁判決を破棄して派遣先の雇用責任を否定し、また、政府の改正案も抜本改正というには程遠い内容であることが明らかとなるなか、情勢は一変した。
特に最高裁判決以降、松下PDP事件との事案の相違を無視して派遣先の雇用責任を否定する判決が量産されており、私が担当している日本化薬事件でも今年の一月一九日に敗訴判決が下された。同じ合議体が昨年一二月八日、別の弁護団が担当している三菱重工業事件で敗訴判決を下しており、予測できていたとはいえ、派遣先が労働者の差し替えを要求できるのは当然、労働局への申告書に「私は派遣元に雇用され」と書いているから、派遣元に雇用されているという認識を持っていたことは明らかで派遣先との間に黙示の労働契約の成立を認める余地はない等々、労働者派遣を理解していないというに止まらず、派遣労働者に敵意を持っているのではないかと思わざるを得ないようなひどい判決で、この原稿執筆後の二月二三日に同じ合議体で下される日本トムソンの事件も同じような判決になるのだと覚悟しているところである。
ここまでひどい判決が全国で量産され続けている状況下、明るい展望を持ちにくくなって意気消沈していることは否定し難いものの、一番苦しい労働者たちが諦めずに高裁でもたたかう旨を宣言してくれているのに、弁護団がこんなんことではいかんとの思いから、二月一四日、団本部で開かれた大量解雇阻止対策本部主催の全国会議に出席したのであるが、全国から五〇名を超える参加があり、議論を聴く中で、元気をもらえた、出席してよかったと思える会議だった。
決して明るい展望を持てるような判決や事件の報告があったわけではない。
しかし、厳しい情勢の中で多くの裁判がヤマ場を迎えようとしている状況のもと、全国の団員が、派遣先の雇用責任を否定したという松下PDP事件・最高裁判決の結論のみに追従し、思考停止状態に陥っている裁判所を変えるために奮闘していることを改めて認識し、鷲見本部長の「世論を力にすれば必ず勝利できる」との発言、同期でもある大阪の村田団員の「労働者の奪われた尊厳や誇り、思いを生かし、論証していくことが必要だ」との報告に、控訴審に向け、「諦めない」という気持ちを新たにできた。
会議に出席された日本共産党の山下芳生参院議員は、「道なき道を切り開き、人間らしく働くルールをつくるたたかいだ」と激励してくれたが、たたかいを諦めない労働者と一緒に歩いた後に道が出来ているよう、この訴訟に取り組む全国の団員とともに頑張っていきたい。
滋賀支部 吉 原 稔
今、オンブズマンで問題になっているのが、住民訴訟で敗訴した原告の訴訟費用負担である。
先日、兵庫県宝塚市長が、元市議が原告となった住民訴訟(ヤミ給与)で原告が敗訴になり、市長が民事訴訟費用法の訴訟費用二七〇万円(弁護士費用を除く。それにしても、何でこんなに高いのだろう)を原告に請求するという。「住民訴訟を弾圧、抑圧する意図はない」というが、その意図は見え見えである。
青森県弘前市でも、昨年四月に市長が三〇数万円を請求したが、全国からのオンブズマンの抗議を受けて、八月に「自分の在任中は請求しない」との声明を出した。
住民訴訟で負けても、訴訟費用まで負担をすることはないといって原告になることを説得してきた身とすれば、これは大問題である。こんなことが広がれば、誰も原告になってくれない。訴訟費用敗訴者負担法はまだできていないが、法制的には弁護士費用を除く訴訟費用は敗訴者負担であることは常識であるが、これが普通の訴訟では請求されないのに、住民訴訟で実行されたところに問題がある。
これに反対する運動は重要であり、弘前市ではオンブズマンの運動で中止されたが、これを防止する手立てを考える必要がある。
その第一は、住民訴訟をやって、その結果、行政が途中で行為を中止したとか、首長が自腹で損害賠償を弁償したため、訴えの利益がなくなった場合、主文は「訴えの却下」となる。この場合、訴訟費用は、原告の負担となる。しかし、この主文を「本訴は目的の達成により終了した」という終了宣言にさせること。これは、朝日訴訟大法廷判決の「本人の死亡により終了した」との終了宣言(もっとも、中間の争いについて生じた訴訟費用は相続人と負担とするとあるが)や住民訴訟で原告の一人が死亡し、訴訟承継をしない場合の終了宣言の例がある。私は、今、県が訴訟途中でダムを中止した事例で「終了宣言にせよ」と上告している。
第二は、住民訴訟の訴額は一定だから、監査請求期間が経過した分を含めて多額請求しているが、これからは、期間経過が明らかなものは請求しない方がよい。そうしないと、一部勝訴であっても、訴えの全部の「○分の一は原告の負担とする」となって、多額の負担を強いられる。
第三には、敗訴する可能性のある事件はなるべくやらないことである。事前に相手が出すと予想される法的、事実上の反論を十分調査した上でやることである。
しかし、以上の対策は、いずれも付け焼刃的なものであって、住民訴訟費用敗訴者負担に対して有効なものではない、そもそも、こういう対策を考えること自体が委縮効果の発効を認めることになるだろう。オンブズマンでもなかなか名案がないが、当面は請求者に対する抗議を集中するしかない。
そのうち、県が濫訴だといって敗訴原告に、弁護士費用を含む応訴費用についての損害賠償を求める訴訟も出てくるかもしれない。また、これに触発されて、今までほとんどなかった通常民事事件の費用負担を相手方が求めてくるかもしれない。
訴訟費用敗訴者負担法がもし制定された場合の委縮効果を十二分に予見させる。
東京支部 神 田 高
☆沖縄県知事選開票日翌週の二〇一〇年一二月四日三鷹九条の会・六周年憲法講演会で沖縄反戦地主の池原秀明さん「権利と財産を守る軍用地等地主会」(反戦地主会)事務局長をお招きして、《いち度は聞きたいオキナワ≠フ真実〜土地取り上げに抗しつづけた人々=tのお話をうかがった。日本政府の足もとを揺るがす沖縄の闘いは、日本支配の根本問題である安保条約、サンフランシスコ体制を転換していく震源地である。
是非、若手団員にも沖縄の歴史的闘いを学ぶきっかけとして、講演を紹介したい。
※丁度よく、赤旗二月七日号では、米側文書で明らかとなった海兵隊沖縄配備の経緯が紹介されています。
“県民の心”とは〜ヤマトンチュー(日本人)なのか。
沖縄では、一五世紀に三山が統一され首里王府が成立するが、一六〇〇年代に薩摩に支配され、大和民族の中に一三二年組み入れられました。沖縄は、薩摩世=A日本世=Aアメリカ世≠ニ時代に翻弄されました。
基地問題、憲法九条との関わりで言うと首里王府時代、刀狩りによって、沖縄人は攻めない=A空手の護身に徹するようになりました。万国律梁(ばんこくしんりょう=架け橋)、他国とよき隣人として、交易をおこない王国をつくりあげました。しかし、薩摩が入ったあと明治一二年になって「廃藩置県」により沖縄は日本の県になりましたが、沖縄が非武≠ナあったのに対し、琉球処分をへて、明治政府は皇民監視のため一個中隊の軍隊を沖縄におきましたが、まだ強固なものではありませんでした。第二次世界大戦の戦前、戦中、戦後に、とくに一九四三年頃に初めて日本軍基地がつくられました。
なぜ、終戦間近になって日本軍は基地をつくったのか。
一九四四年一〇月一〇日には、米軍機一四〇〇機による「一〇・一〇空襲」がおこなわれたが、敗戦が濃厚な時期に基地建設をおこなったのは、天皇の護身のためでした。天皇は護身のために松代大本営をつくるが、米軍の本土上陸をさせない時間稼ぎのため沖縄に基地をつくらせました。
日清、日露戦争のときは、県民は「天皇の赤子」として戦争に参加する気持ちでしたが、第一次世界大戦のときは、積極的に軍隊の一員として参加しました。ところが、(赤子の)親である日本は沖縄を切りはなしていきます。
戦争中に何が起こったか。
県民は日本軍と一緒に行軍をともにしました。しかし、ヤンバル(北部の国頭)に逃げた者は生き延びましたが、軍隊とともに逃げた人たちのほとんどは死にました。日本軍は県民を「非国民」扱いし、壕から追い出しました。住民を追い出し、自分達が立て籠もってきました。住民から食糧を徴用し、子どもであろうと、米軍に発見されると「殺せ!」と命じて兵隊に銃殺させました。
栄養もなく、お母さんは乳も出ない。赤ん坊が泣くので、乳房に押し付け殺していく、軍は県民に強要していきました。一九四五年三月に米軍が上陸してくるとパニックになりました。住民の後ろには、日本の軍隊がいる。前には米軍がいる。教育では、「捕虜になってはならない」と教え込まれている。「日本軍が中国でやった行為を(県民に対して)やられる。」と言われ、集団自決≠ェおきます。
親が子を殺し、子が父母を殺し、自害します。あらゆる道具をもって殺しあいましたが、これは日本軍によって強要されたものです。
戦争では、人間は人間でなくなります。「戦世(いくさゆ)」ではダメです。だから、沖縄では命どぅ宝≠ェ今も生きています。しかし、憲法九条が形骸化し、自衛隊は世界に冠たる軍隊となっています。今のPKOも沖縄の中で訓練し、米軍との共同作戦に組み入れていきます。
沖縄米軍基地の形成
戦争当時に日本軍は基地を構築しましたが、占領により米軍基地に塗り替えられました。しかし、戦時中、県民は、捕虜収容所に入れられましたが、米軍はハーグ陸戦法規にしたがい、食事も与えていました。「米軍は人間でない。」と日本軍は言っていましたが、日本軍は白旗をあげた県民を銃殺していましたので、日本軍の仕打ちと比べ、戦時中は米軍は県民の友軍のようでした。
しかし、一九四五年の戦後になると事態は変わっていきました。当初は、アメリカは「日本の再軍備を許さない。」と言っていましたが、四九年に中国革命がおこり、五〇年に朝鮮動乱が起きると対防共戦として方針転換をしました。日本の軍隊を「瓶の蓋」で押さえ込んでいるというのが基地を置く建前であり、本音であった。ところが五年後の四九年から五〇年にかけて中国革命や朝鮮動乱がおこると資本主義国としては、隣に共産圏の国が登場してくると「脅威」になるので、日本に対しても警察予備隊、自衛隊に作りかえていく、その一方で、さらなる基地の構築をおこなうわけです。そのときから、沖縄では第二の米軍による迫害がはじまるわけです。ハーグ陸戦法規で守られていた人権はこの時期からおかしくなるのです。
なぜこれがおこったかというと、サンフランシスコ条約が五二年に締結されて、サンフランシスコ体制がつくられるのです。朝鮮動乱が終わる前につくられています。その前に憲法が施行されています。
憲法の中では、天皇は象徴天皇で、国事行為は許されていないはずです。ところが、憲法が施行された後に、実は天皇は一九四七年九月に沖縄を「トカゲの尻尾切り」ということで、天皇がアメリカに「もう沖縄は北緯二九度線以南は切りはなして、異民族支配に委ねていい。」とのメッセージをシーボルトというアメリカの高官に送っています。天皇が憲法違反をおこなっているにも関わらず、その当時日本国民は誰も指摘をしない。象徴天皇と位置付けられた天皇がなぜ国事行為ができるのですか。「沖縄を切りはなしていい」という政治行為を。それをアメリカに親書を出して送っていったという行為は、また天皇は沖縄の差別をはじめるのですね。そして、五二年には、サンフランシスコ条約の後に、地位協定(当時、行政協定)が結ばれます。サンフランシスコ条約を調印した後安保条約が発効するのが五二年ですから、朝鮮戦争がはじまった後です。そこが問題です。
サンフランシスコ条約、安保条約ができる時に、日本としては、陸・海・空の三軍をアメリカの軍隊として置くということになっています。ところが、朝鮮戦争にいった軍隊は多くは「海兵隊」なんです。「海兵隊」は、陸・海・空の機能を備えた特攻部隊、攻撃部隊です。三軍というのは、日本の専守防衛をするための守る軍隊であって、他国を攻める軍隊ではないというのが憲法上の位置付けですよね。だからこそ、海兵隊を本土におくことができなかったのです。
それで、天皇によって切りはなされた沖縄が異民族、アメリカの支配の下におかれて、施政権は日本にあるが、統治権はアメリカに委ねるという天皇の書簡は、朝鮮戦争のときに日本にいた海兵隊は沖縄に押し込むことになるわけです。山梨の富士、静岡の北富士、大分の日出生台、宮城の王城寺原に海兵隊はいましたが、そこから沖縄に送り込みました(一九五三年頃から五六年頃。美里村のキャンプヘイグ、キャンプシールズ、久志村のキャンプハンセン、真和志村の牧港補給地区)。
本土の海兵隊部隊を沖縄に送り込んだ時点で、アメリカは沖縄で何をやったかというと、銃剣とブルドーザー≠ノよる土地強奪なのです。
それ以前は占領行為でとられていましたが、朝鮮戦争が起こると米軍は基地を拡張していきました。すると米軍はハーグ陸戦法規を逸脱して、布令、布告を乱発して沖縄の土地を取り上げていきました。
しかし、その時はまだ沖縄は本土に復帰していないので、地代も支払われずに勝手に土地を取られても抵抗もできない。戦後自分の家に帰っていっても、基地の中に取り込まれて、家屋敷も基地の中にあって、自分の地元に帰れなかった。だから今でも沖縄県民は、ある意味では戦争難民≠ニ言われている。自分の土地は基地の中にありながら、自分の家を建てるには他人の土地を借りざるをえないということが現実に未だにおきているんです。六〇年経った今でも。基地が返されないかぎり、自分のふる里に帰れないのです。
京都支部 川 中 宏
二〇一〇年四月号の「自由と正義」を見られて、驚いたり、あるいは心を痛められた団員が少なくなかっただろうと思われる。その公告欄に、京都弁護士会が近藤忠孝団員に対して業務停止六ヶ月の懲戒処分をした事実が公告されていたからである。但し、処分理由の要旨を読んでも、何故こんなに重い処分が課せられたのかが理解しがたかったのではないかと思われる (そういう点でも京都弁護士会懲戒委員会の議決書は粗いと言わざるを得ない)。
一九九三年七月ころ、近藤団員は知人Bの紹介でAの遺産分割事件を受任し、これを適正に処理し、遺族からも感謝されていた。ところが、それから一一年後にBが死亡し、Bの相続人らと受遺者の間に遺言無効等の訴訟が発生するや、Bの相続人らは受遺者の代理人となった近藤団員について、Bは一億円以上のAの遺産を領得していたが、近藤弁護士は金額の異なる遺産目録を二通も作成したりして真実の遺産をAの相続人らに明らかにせずBの遺産領得行為に加担した。従って、近藤弁護士はAの相続人らに対し損害賠償義務を負う立場であるのに、Aの相続人らに対して息子(弁護士)を損害賠償請求訴訟(Bの相続人らに対する)の代理人として紹介し就任させたのは利益相反行為である。≠ネどとして懲戒請求をした。京都弁護士会懲戒委員会はこれをそのまま認めてしまったのである。
懲戒処分が公表されたとき、テレビ・新聞は、近藤団員について「元日本共産党の参議院議員」、「イタイイタイ病弁護団の元団長」との肩書き付で紹介しつつ、遺産隠しに加担して業務停止六ヶ月≠ネどと大々的に報じた。
近藤団員は、全くの事実誤認により所属政党やイタイイタイ病の運動体にまで社会的不信が及ぶことは許せないとして二〇一〇年一月に日弁連に審査請求をした。審理では、BがAの遺産を領得したことは争いがなかったので、近藤団員がそれを知って加担したかどうか、金額の異なる二通の遺産目録を作成したかどうかが専らの争点であった。近藤団員と、日弁連段階になって急遽結成された四名の弁護団は、京都弁護士会懲戒委員会の事実誤認を様々な観点から明らかにしてたたかった。七月には近藤団員が証言し、九月には懲戒請求者が証言した。その後、いつ結論を出すのかも知らされずにじりじりしていたが、今年の一月一七日、日弁連は懲戒委員会の議決に基づき、業務停止六ヶ月の処分を取り消し、戒告する旨の裁決を通知してきたのである。
これは単に「量刑」が軽くなっただけというものではなく、業務停止六ヶ月の実質的根拠となった遺産隠しへの加担は認められないとされた結果の変更なのである(戒告されたのは、準備書面で相手を批判した表現が激しすぎて「品位を欠いている」と判断されたためである)。
近藤団員は今さら改めて紹介するまでもなく、常に国民の立場に立って大企業の横暴とたたかい人権擁護のために奮闘してきたいわば正義の弁護士≠ナある。その誇りと名誉が不当な懲戒処分によって大きく傷つけられ、晩節を汚したかなどと陰口されたが、自由法曹団五〇年の生きざまをかけて、この「冤罪」を晴らさないでおくものかという執念が日弁連の上記裁決に結実した。
ともにたたかった弁護団の一員として二つの感想を述べておきたい。
一つは、弁護士会(単位会も日弁連も)の懲戒手続規程は、当事者主義的構造が取られていないために、たとえば懲戒請求者からどんな書類が提出されているのかさえストレートには知り得ないのであるから、懲戒請求された弁護士としては防御権の行使に大きな不安と危うさが残る。もっと当事者主義的な手続きに改める必要があるのではないか。
また、懲戒処分は送達と同時に効力が発生するので、業務停止の場合は、送達と同時に、弁護士徽章の取り上げ、法律事務所の看板等の除去、顧問契約や委任契約の即時解除、事務所の使用禁止、名刺・封筒の使用禁止、書類受領の禁止等が強制される。これらによる経済的社会的打撃は計り知れない。それだけに防御権に配慮したもっと慎重な手続きと審査の必要性を痛感する。
二つには、不幸にして懲戒請求されたら、自分一人で対応しないで、代理人を立てて対応した方が良いということである。弁護士と言えども自分のこととなると、バイアスがかかって客観的冷静に事案を見られない恐れがある。事実無根の言いがかりだと確信しているときにはなおさらそれが強く出てしまうようである。楽観していると、とんでもない濡れ衣を着せられかねない。
弁護士に対する懲戒請求が多発している昨今、お互い教訓としたいものである。
(なお、この原稿は、もちろん近藤忠孝団員の了解のもとに投稿したことを付言します。)
福岡支部 安 部 千 春
客が来ない。
妻に愚痴を言った。
「客がこない」
妻は冷たく答えた。
「それは自業自得よ。あれは負け筋の事件だからいや。これは客が気にいらないからしないとわがままを云って、散々客を蹴散らしておいて、今さら客が来ないはないでしょう」
栄光の日々
私が弁護士になった一年目の秋、私は七〇件の民事裁判をかかえていた。
五年目には民事裁判が一二〇件、内三〇件が労働裁判であった。午前一〇時には三つの法廷に六件弁論があった。私は一〇時半までの間法廷をかけ巡った。昼間は裁判と相談でいっぱいになり、労働事件の打ち合わせは夜と土日になった。私は一月四日から五月の連休まで一日も休まずに働いた。
妻には「私が死んだら、過労死するといいながらも、夫は世のため、人のために働いて死にましたといって下さい」と遺言した。
日曜日に出かけようとすると三歳の長女が私を追いかけて来て云った。(多分妻の差し金と思われるが)「普通のお父さんは日曜日はお休みなのにどうしてお父さんは働くの」
「お父さんは日曜日には皆んなが楽しく暮らせるような社会をつくるために働くのです」とうてい三歳の子には理解ができない説明をした。私はつらかった。
仕事がない今が一番幸せというべきなのだろう。仕事がないのでまた昔話を書く。
一九六九年
四月、私は司法研修所に入った。私は「あべ」なので席次が一番で仮のクラス委員になった。
五月、クラス委員の選挙があった。誰かが「安部ちゃんでいいんじゃないの」といい出し、拍手で私に決まった。
六月、久保利秀明氏が昼休みのクラス討論で言った。
「みんなも知っているとおり、東大生闘争のために今年は卒業が遅れた。その東大生を最高裁は七月に司法研修所に入所させようとしている。東大生の中に東大を中退し四月に入所して来た人もいる。(日弁連会長の宇都宮健児氏も仙谷由人氏もこの時に東大を中退した)東大生の七月入所は東大生だけの特別待遇である。法の下の平等を追求する法曹になる者が法曹になる前から特別優遇を受けるのはおかしい。二三期司法修習生四組の名で、今司法研修所では東大生の七月入所について疑問の声が上がっていることを七月入所組に知らせよう」
反対者もいなかったのでクラスで採択し、七月入所予定の東大生に手紙を送った。
民裁教官からの恫喝
突然、民裁教官から松戸寮にいた私に電話がかかってきた。
「君達が東大生に出した手紙のことで最高裁が怒っている。明日の日曜日に松戸寮にクラスの全員を集めて東大生へ謝罪文を出すようにしなさい」
「クラスの皆んなで決めたことです。今さら謝罪文など出せません」
「君がいやなら浅井正君を電話に出しなさい」
浅井氏が電話に出て、翌日松戸寮にクラス全員を集めた。
重々陳謝の決定
浅井氏が民裁教官からの電話を皆んなに伝えた。
私は藤井氏に意見を求めた。藤井氏は福岡県の鵜崎社会党知事の下で副知事を務め、すでに六〇歳を越え経験豊富だった。
私「こんなことでは首にはならないと思いますが」
藤井氏「手紙を出しただけで皆んなが首になることはないでしょう」
けれどもクラスのほとんどが謝罪文を出そうという意見であった。
そこで私は云った。
「皆んなが謝罪文を出すというならしかたがない。けれども四組一同に括弧して安部千春は除くと書いてくれ」
すると中村鉄五郎氏がいった。
「俺も安部ちゃんに付き合う。安部千春と中村鉄五郎は除くと書いてくれ」
すると誰かが言い出した。
「安部ちゃんは誤解している。この手紙の首謀者は久保利だ。安部ちゃんはクラス委員として司会をしていただけだ。安部ちゃんが反対しても安部ちゃんは処分はされない。処分されるのは久保利だ。その責任を安部ちゃんが取れるか」
確かに久保利氏が首謀者で私は付和雷同組にすぎない。私が反対したことで久保利氏が首になることはないと思ったが仮に久保利氏が処分されたら責任はとれない。
「いいでしょう。四組一同の名で謝罪文を出してください」
帰郷
翌日私は何もかも嫌になって福岡県の実家に帰った。
何日か後、中村鉄五郎氏が迎えに来た。
「安部ちゃんが怒るのもわかるけど、皆んなは安部ちゃんのように潔くはなれない。安部ちゃんは司法試験で苦労しなかったかも知れないが、皆んな苦労した。妻や子がいる人もいる。生活がかかっている。安部ちゃんは若いし結婚もしていないので研修所などやめてやると考えているだろうが、安部ちゃんが辞めてしまうとクラスの皆んなは負い目を背負って法律家になることになる。せっかく皆んな理想に燃えて法律家になろうとしているんだから、研修所に戻って来てくれないだろうか」
私は研修所に戻った。
作 よしぞう
(てんつくてんつくてんつくてん)
龍 去年のNHKはよかったなあ。
馬 ほんまや。「ゲゲゲの女房」、「龍馬伝」。それに何といっても「坂の上の雲」や。
龍 そうや。一番は「坂の上の雲」や。秋山兄弟はよかったねえ。ロシアのバルチック艦隊を撃沈するとこは最高や。ほんまに涙がでたわ。あれが日本や。
馬 そうや。「坂の上の雲」は軍国主義の番組とけちつけてる連中がいるらしいが、そんな奴らは日本人やない。
龍 まったくそのとおりや。日本人やない。
馬 ところで、NHKで「坂の上の雲」の続編を作ってるって知ってるか。
龍 ほんまか。
馬 これもすごい番組らしいで。
龍 ワクワクしてきたなあ。なんていう番組や。
馬 「坂の下の糞(くそ)」っていう番組や。
龍 「坂の下の糞(くそ)」?
馬 そうや、「坂の上の雲」の次は「坂の下の糞(くそ)」や。
龍 えらい名前の番組やな。そんなのNHKが作ってええのか。
馬 なんでも作者は、「映像化だけはするな」、「特に食事どきには絶対に放映しないでくれ」と言い残したらしい。
龍 ・・・・・想像しただけですごいもんなあ。何といっても、「坂の下の糞(くそ)」!やからなあ。どんな内容の番組や。
馬 近代化を進めて坂を上っていった日本が坂の下に何を残したのかを問う番組らしい。
龍 それが「糞(くそ)」なのか。
馬 そうや。
龍 どんな糞(くそ)なんや。
馬 大きな糞(くそ)らしい。
龍 なんで大きいんや。
馬 「朝鮮」を食べたからや。
龍 そりゃあ、でかい糞(くそ)が出るわなあ。
馬 下痢気味の糞(くそ)もあるらしい。
龍 え〜。なんでや。
馬 いい気になって「中国」まで食おうとして、腹、こわしたらしい。
龍 暴飲暴食は体に悪いからなあ。
馬 しかも大変なのはそれからや。
龍 なんでや。
馬 「坂の上の雲」は流れてなくなるけど、「坂の下の糞(くそ)」はそのままではなくならん。人間の手でどかす必要があるんや。どうだ。すごいドラマやろ。
龍 いやあ全くすごい。「坂の上の雲」からは想像できないすごさや。
馬 この番組は、ここからがすごいんや。近代日本が坂の下に残した「糞(くそ)」を日本人民が「肥やし」に変えて、豊かな大地をつくり、見渡すばかりの豊かな作物を生み出すという物語なんや。
龍 いやあ、すごい。「坂の下の糞(くそ)」は、「坂の上の雲」以上に面白そうだねえ。
馬 そうさ。これが日本。これが日本人のすごさや。
龍 いやあ、考えただけでワクワクしてくるね。早く観てみたいねえ。
馬 ところが、放送を妨害しようとする政治家がいるらしい。
龍 嫌だねえ。たしか前にもそんな政治家がいたねえ。で、その政治家は何て言ってるんや。
馬 決まってるやないか・・・・・「臭いものには蓋(ふた)をしろ」。
(てんつくてんつくてんつくてん)
(宮城県支部 小野寺義象)
労 働 問 題 委 員 会
大量解雇阻止対策本部
一月二四日から通常国会が始まっています。今通常国会で「登録型派遣・製造業派遣の全面禁止、違法派遣等の場合は派遣先企業と直接・無期労働契約の成立、派遣労働者の派遣先労働者との均等待遇」などの労働者派遣法の抜本改正を早期に実現することが重要です。派遣切り・期間切りとたたかう裁判は、今年、派遣労働者、有期労働者の証言や判決など、山場をむかえます。
三・一四院内集会では、非正規労働者の置かれている過酷な労働実態や派遣切り・期間切り裁判の現状などを明らかにし、「労働者派遣法の早期抜本改正、派遣・有期労働者の裁判支援」の世論と運動を大きく広げるきっかけにしたいと考えています。全国から多数ご参加下さい。
派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利をめざす三・一四院内集会
○日 時:二〇一一年三月一四日(月)午後一時〜五時(午後三時頃から国会議員要請を行います)
○場 所:衆議院第一議員会館第一会議室(地下一階)
○内 容:派遣労働者の労働実態や非正規雇用の日本経済に与える影響などをもとに、労働者派遣法抜本改正の重要性を明らかにします。また、偽装請負やこま切れ雇用の実態など、各地の派遣切り、期間切り裁判の中で明らかになった事実や裁判の今後の方向、見とおしなどを明らかにします。
○主 催:自由法曹団・全労連・労働法制中央連絡会