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鎌田 幸夫
大阪泉南アスベスト国賠訴訟 国の和解拒否に対する抗議とあらたな決意
吉田 竜一

地位確認請求は棄却されるも損害賠償を認容 〜神戸地裁姫路支部・日本トムソン正社員化訴訟〜

今村 幸次郎

日立メディコ最判を乗り越えるために

早田 由布子

女性部学習会兼新人歓迎会に参加しました

齋藤  耕

弁護士 布施辰治上映会」成功のご報告

山本 完自

映画「弁護士 布施辰治」を観て

谷村 正太郎

高橋清一「無罪弁論集4 無実の人を、無罪に」を読んで

玉木 昌美

今年も走る(丸亀ハーフマラソン&うどんツアーを中心に)

小林 善亮 売れてます!比例定数削減反対リーフ



大阪泉南アスベスト国賠訴訟 国の和解拒否に対する抗議とあらたな決意

大阪支部  鎌 田 幸 夫

大阪泉南アスベスト国賠訴訟弁護団

一 控訴審における国の和解拒否、判決へ

 二月二二日、大阪泉南アスベスト国賠訴訟控訴審の進行協議期日において、国から、想定していたなかでは最悪の回答がなされた。原告被害者らは、泉南アスベスト被害の早期全面解決を求めており、大阪高裁が、国に対して和解協議に応じる意思があるかどうかの回答を求めていた。当日の期日で、国の訟務検事は、「一審判決には責任論及び損害論について看過できない問題点がある」「一審判決を前提とした解決を求める原告と国との間には大きな隔たりがある。判決をいただきたい」と回答した。弁護団から、「国は控訴したときに、国の大臣らは、裁判所にも中に入ってもらうこともありうると和解による解決に言及していた。今は和解協議そのものにつかないという。控訴時とは政府の考え方が変わったのか」と追及したところ、訟務検事は「変わっていない。一審判決に問題点があり、原告との隔たりが大きい」と答えた。弁護団は「一審判決にもとづいた解決を求めるのは当然のこと。原告らは早期解決を願って今日も裁判所に来ている。原告の要求が不当、頑なであるかのような言い方で和解のテーブルにすらつかないというのは到底承伏できない」「早期解決のためには協議の場で双方が知恵を出し合って行くしかない」「判決をもらいたいというのは、早期解決に背を向けるものだと」と口々に抗議した。

 原告らは、国の和解拒否に対して「怒りで体が震える。これ以上まだ頑張れというのか。生きているうちに解決してほしい」と憤った。

 このようにして和解協議は打ち切られ、控訴審は必要な審理を尽くしたうえで判決に向かうことになった。

二 原告らの早期全面解決要求

 昨年五月一九日、大阪地裁で、わが国で初めてアスベスト被害について国の責任を認める判決が言い渡された。原告被害者らは大きな世論を背景にして国の控訴断念を求める運動を展開し、長妻厚労大臣、小沢環境大臣が控訴断念の意向を表明するなど国の控訴断念の後一歩まで追い詰めた。しかし、国は一転控訴した。控訴の際に、大臣らは口々に早期解決と和解に言及した。原告らは、国の控訴に落胆し憤ったものの、大臣らの言葉を期待した。原告らは、控訴直後から「命あるうちに全面解決を求める」ことを方針とし、第一回期日における和解勧告を目指しての署名・宣伝活動、上京しての議員要請・宣伝活動などを展開した。これを受けて第一回期日(平成二二年一一月一七日)では和解勧告はなされなかったものの、第二回期日(平成二三年一月一三日)では、裁判所は国に対して二月二二日の進行協議において和解協議に応じるかどうかの回答を求めた。その結果が和解協議につくことすら拒否するというものであった。国の控訴に続き、またもや原告らの信頼や期待は裏切られた。

提訴から五年の間に四名の原告の人が、解決を見ることなく無念のうちに亡くなった。生存原告らは、高齢化と病の重篤化をおして長期の裁判を闘い、早期解決を求める活動を続けてきた。文字通り命を削る思いで目一杯頑張ってきた。原告らのこの間の活動を目の当たりにしているだけに「これ以上まだ頑張れと言うのか。まだ待てと言うのか」という原告らの怒りとやるせなさは、痛いほどよくわかる。これほど被害者の思いを踏みにじる対応はない。

三 国の無反省と解決にむけた責任放棄

 私は、アスベスト被害解決に向けた国の姿勢は控訴時と現時点では大きく変わったと思う。「変わった」というより政治的解決から「後退した」ともいえよう。一審判決直後は、一時は厚労大臣が控訴断念をして被害者の早期救済に乗り出す意向を示していたし、一転控訴する際にも仙谷大臣らが一応控訴はするが和解もありうると言及していた。そこからは、政治の意思による解決がまだしも感じられた。ところが、今回は、一審判決が不満だから和解協議にさえつけないというのみである。これでは、控訴したのだから一切和解しないと言っているに等しい。そこには、被害解決に向けた積極的な政治の姿勢が全く感じられてない。「政治の不在」ともいえる状況である。

 国は、「公正で国民の理解を得る解決を目指すためには客観的で合理性が担保されている必要がある」として判決を求めている。しかし、戦前は軍需産業、戦後は高度経済成長に大量のアスベストがわが国に輸入、使用されてきた。そして、泉南は一〇〇年前からの石綿紡織業の集積地であり、七〇年前には国の調査でアスベストによる健康被害が確認されていた。泉南が全国に広がったアスベスト被害の原点といわれるゆえんである。軍需や高度経済成長のかげで犠牲になった人を救済するのは法的責任の前に政治の責任でもある。ましてや国は、一審判決で明確に法的責任まで認められたのだから、アスベスト被害の解決を裁判所の判決に委ねるのではなく、進んで被害者らと協議して解決の枠組みをつくり、国民の理解を得る努力をすることが本来求められていることだと思う。

 和解拒否をした当日、厚生労働省の石綿室長が記者会見して、国としてアスベスト健康被害の救済として、労災給付や石綿健康被害救済法による給付などを行っていると説明した。政府としては「救済」のためにやることをやっていると言いたいのだろう。しかし、原告らが求めているのは、単なるお金ではない。国の謝罪である。謝罪とは、国自らが、石綿による凄まじい被害の発生を認め、その発生原因が国の規制の不十分さにあったことを明らかにして反省し、二度と被害を発生させないように対策を尽くすことを誓約することである。それによってこそ、真のアスベスト被害救済が図れ、また、将来の被害防止対策がとられて国民の生命健康が守られるからである。

 今回の国の和解拒否は、泉南アスベスト被害の救済のみならず、全国のアスベスト被害の救済、被害防止対策に背を向けるものである。

四 判決に向けた新たな決意

 原告団、弁護団は、早期全面解決をあきらめたわけではない。「命あるうちに全面解決を」の引き続き強く要求し続ける。しかし、国が和解協議につくことさえ拒否しているなかでは、控訴審においても決意を新たに判決の方向に向かうしかない。

 今回、国は和解拒否の理由として、後続の類似訴訟への影響をあげていた。首都圏建設アスベスト国賠訴訟などである。訴訟の争点は必ずしも同じではないが、石綿被害の原点の地である泉南訴訟で、国の責任を認める判決が地裁、高裁と続けば、後続訴訟を励まし、全国の被害者救済に途を開くための法的規範(ルール)はより強固なものとなる。今、泉南訴訟の原告らが直面している苦難は、いわばアスベスト被害救済訴訟の全国の先陣に立っていることの裏返しでもある。その意味で、泉南訴訟で、再び高裁で勝利することは泉南被害者の救済だけではなく、全国のアスベスト被害者の救済の出発点にもなる。そのことが、全面解決を見ることなくこの世を去った被害者の無念を少しでもはらす途でもある。原告団、弁護団は、一致結束して、地裁判決以上の高裁判決を勝ち取るために、やれることをやりきりたい。全国の団の皆様のご支援をお願いしたい。


地位確認請求は棄却されるも損害賠償を認容 〜神戸地裁姫路支部・日本トムソン正社員化訴訟〜

兵庫県支部  吉 田 竜 一

 前号の団通信に全国大量解雇阻止会議に参加した感想を書いた中で、一月一九日に日本化薬事件でひどい判決をもらい、「この原稿執筆後の二月二三日に同じ合議体で下される日本トムソンの事件も同じような判決になるのだと覚悟しているところである」と述べたが、ふたを開けてみると、下された判決は、地位確認請求を棄却したものの、原告九名全員につき一人五〇万円の慰謝料を認めるという判決であった。

 地位確認請求を否定した判断は、「採用への関与」が認められたとしても、それだけで直接契約の成立を認めることはできないと述べるだけでなく、技能と関係しない、体質面、健康面について質問しても労働者派遣法が禁止する特定行為(事前面接)には該当しない、諸手当を派遣先が金額を決めて全額負担していることは、派遣料の改訂と基本的に異ならない等々、労働者派遣の本質を理解していないとしか思えない、ひどい判断であったが、損害賠償については、日本トムソンが、製造業派遣が解禁されていない二〇〇三年一〇月から派遣切りを実行する二〇〇九年三月まで、偽装出向、偽装請負、違法派遣(期間制限違反)と形態を変えながらも、一貫して違法な状態下で、原告らを就労させ続けてきたことについて、「法が許容する場合に限って三者間労働関係を認めている労働関係法規の趣旨に反するものであって、原告らに対し、不法行為を構成する」「原告らは、五年超の長きにわたる違法な派遣労働下において、就労させられたという違法の重大性にかんがみれば、同人らに対する慰謝料としては、各五〇万円が相当である」と判断した。

 日本トムソンの事案は、派遣切りされた原告らがJMIUに加入し、労働局の是正指導を得て、直接雇用を実現しながらも、最初の期間満了時に雇止めされたという事案で、この点では松下PDP事件と共通点を持っており、もしからした雇止めに至る経過を全体的に考察して不法行為を認めることはあり得ると思いながらも、日本化薬の判決をもらって、それさえも認められないであろうと覚悟していたので、長期間、違法状態で就労させたことが重大な違法性を帯びているとして不法行為を認めた判決はもらって本当にビックリした。三菱重工業、日本化薬で全面棄却判決を下した合議体が、日本トムソンの事案では何故あそこで不法行為を認めたのか正直よくわからない。

 もっとも、判決直後の記者会見で、原告の一人が「長期間、違法状態下で就労させられた代償が僅か五〇万円であることに怒りを覚えた」と述べたとおり、五〇万円の慰謝料で、奪われ続けてきた労働者としての誇りと思いを取り戻せる筈もない。地位確認請求を維持してきた原告らは判決を不服として直ちに控訴した。

 たたかいの舞台は大阪高裁に移る。判決をもらった直後は、慰謝料を認めた判断もあまり内容があるとも思えず「果たして高裁で持つのだろうか」と弱気の虫がのぞいていたが、判決を非正規のメーリングリストで報告したところ、多くの団員から激励(送られた団員の方は必ずしもそういうつもりではなかったかもしれないが、私にはそう受け取れた)のメールを頂き、かなり元気を取り戻しているところである。慰謝料部分の判断を維持させるだけでなく、更なる前進を勝ち取るため、前号の団通信の原稿と同じ終わりになるが、たたかいを諦めない労働者と一緒に歩いた後に道が出来ているよう、この訴訟に取り組む全国の団員とともに頑張っていきたい。


日立メディコ最判を乗り越えるために

東京支部  今 村 幸 次 郎

一 二・一四大量解雇阻止全国会議

 去る二月一四日、大量解雇阻止全国会議が開催されました。団本部会議室が超満員となる五五名の参加者がありました。全国の派遣切り裁判・雇い止め裁判が、それぞれに重要局面を迎えていることの反映と思われます。

 その中でも議論のありました「期間切り裁判闘争の現状と課題」に関連して、日立メディコ最判を乗り越えるために何が必要か等について、考えているところを述べさせていただきます。皆さんの議論の参考にしていただければ幸いです。

二 日立メディコ最判の光と影

 日立メディコ最判(昭和六一年一二月四日第一小法廷判決)は、改めていうまでもなく、「臨時員の雇止めの効力を判断する基準は」「いわゆる本工を解雇する場合とはおのずから合理的な差異がある」旨を述べたものとして有名です。こんなことを言っていますので、一般には「悪い判決」と受け止められているのではないでしょうか。実際、判例雑誌等をみると、昭和五九年頃までは、雇止め事案について相当数の勝利判決等がありましたが、同最判が出された後は、ご案内のとおりの状況となっています(なお、日立メディコ事件の高裁逆転敗訴判決を出した合議体には、三好達氏―後の最高裁長官・現「日本会議」議長―が含まれていました。)。

 しかしながら、この判決は、他方で、二か月契約を五回更新した臨時工について、「ある程度の(雇用)継続が期待されていたものであり」「このような労働者を雇止めするにあたっては、解雇に関する法理が類推され」る旨も判示しており、「比較的緩やかな要件のもとに、更新拒絶に解雇権濫用法理を類推適用する」という法理を示したものとの評価もありうるところです(明石書店事件・東京地裁平成二二年七月三〇日決定・労判一〇一四号八三頁参照。なお、この決定は、多くの雇止め事案で問題となるいわゆる不更新条項についても、注目すべき判断を示していますので、是非、原文をお読みください。三枝充団員の論稿・団通信一三五九号もご参照ください。)。

 私たちの担当する雇止め事件は、短期契約の反復更新により長期にわたって雇用が継続した後に更新拒絶されたケースが多いと思われます。「本件に解雇権濫用法理の類推適用が認められるのは当然」という主張の後ろ盾になる最高裁判例ということができると思います。

三 「おのずから合理的差異がある」をどう乗り越えるか

 日立メディコ最判の問題点は、「雇止めの効力を判断する基準」について、「本工を解雇する場合」とは「おのずから合理的差異がある」としている点です。

 これが、今でも、雇止め裁判で原告側の「大きな壁」となって立ちはだかっていることは間違いありません。

 しかしながら、この点も、乗り越えることがおよそ不可能かといえば、そうでもないと思われます。

 日立メディコ事件では、(1)採用が簡易な手続で行われた(学科試験・技能試験がなく、家族構成、健康状態、趣味等を尋ねるのみだった)、(2)同じ時期に採用された九〇名の臨時工のうち約一年後の本件雇止めの時点で雇用継続していたのは一四名のみだった、(3)臨時工は前作業的要素の作業、単純な作業、精度がさほど重要視されていない作業等に従事させる方針がとられていた、(4)上告人自身も比較的簡易な作業に従事していた、等の事実が認定されています。このような事実関係の下で「おのずから合理的な差異がある」との高裁判断が是認されたのです。

 したがって、私たちは、当該事案に応じて、(1)採用手続(学科試験・技能試験の有無)、(2)期間工・契約社員の職場定着度、(3)正社員との作業の同一性・混在性、(4)原告本人の具体的な作業内容、等を分厚く主張立証して、「このような事実が認められる本件では『おのずから合理的な差異がある』などといえないのは明白」ということを強く押し出していくことになると思われます。

 近年、「新時代の日本的経営」的な人材戦略=一般労働者・技能労働者の全面的な非正規化=が急速に進められ、正社員代替の期間工・契約社員が大きく増えてきています。日立メディコ事件が争われた昭和四六年頃とは、全く違った様相を示しているものと思われます。こうした時代背景の違いも含めて、不合理な身分差別的取扱の実態をリアルに打ち出すことで、「合理的な差異」論は乗り越えられるのではないかと思います。

 実質的に同じ仕事・同じ責任であれば、均衡待遇原則(労働契約法三条二項参照)からしても、雇用終了のルールが異なることは許されないと思います。

四 勝利に向けて

 私たちが担当する「ホンダ期間工切り」裁判(常勤弁護団は、鷲見賢一郎団員、生駒巌団員、林治団員、並木陽介団員、私)は、いよいよ、三月二五日に会社側証人の尋問が行われます。裁判は山場を迎えました。「非正規切りは許さない」、「労働者派遣法は派遣労働者保護法に抜本改正を」の運動を強めるとともに、勝利に向けて前進したいと思っております。


女性部学習会兼新人歓迎会に参加しました

東京支部  早 田 由 布 子

一 はじめに

 去る二月三日、東京法律事務所において、自由法曹団女性部の学習会兼新人歓迎会が行われ、秀峰会北辰病院の医師である日下朗先生より「知っておきたいメンタルヘルス〜職場のうつ病を中心に」と題してご講演があり、女性団員約二〇名が参加しました。

二 医師からみた現代の労働環境

 まず、日下先生から、北辰病院の中でも軽症うつ病に特化した心療内科病棟「楽山」のご紹介をいただいた後、医師からみた現代の労働環境の分析を紹介されました。日下先生は、成果主義、リストラ、非正規雇用の増大、二四時間の対応が要求されるメール文化等により、労働者が受けるストレスは拡大傾向にあること、過労自殺の背景には過重労働とハラスメントの二つが必ず存在するとの見方を示されました。これを裏付けるように、自殺は月曜日の朝が最も多いというはっきりした統計があることは、象徴的なことだと思いました。

三 職場復帰のための取り組み

 うつ病で休職した労働者が復職するのは容易なことではありません。完全に治ってから出勤とすることは非常に困難です。スムーズな職場復帰のためには、質の面では心理的負担の少ない業務から、量の面では短時間の勤務から、という形で段階的なリハビリ勤務を行うことが望ましいとのことで、実際に行われた職場復帰プログラムをご紹介いただきました。そこでは、半年程度かけた段階的なリハビリ勤務によって最終的に元の職場におけるフルタイムの勤務ができるようなプログラムが組まれていました。これを実現するためには企業のうつ病に対する理解が不可欠ですが、そのような理解のある企業は数少ないという現状は、改善すべきことであると思いました。

 質疑応答において、企業に診断書を出す等企業との交渉の場面では、労働者の主治医は労働者に有利なことしか書かないであろうという先入観を企業が持たれるのではないかとの意見が出されましたが、それは、ある程度仕方のないことだということでした。その中で、ただ「職場復帰が可能である」という診断書を書くだけでなく、患者の状態を示す事実を積み重ねていき、また患者に生活表をつけてもらうなど患者の状態を裏付ける物的証拠を作成するなどして、企業に患者の状態を理解してもらえるよう努力をする、とりわけ実際に担当者と会って話をすることは有効であるということでした。主治医の先生が患者を職場復帰させるためにこれだけの尽力をしておられるということが非常に印象的なことでした。

 また、弁護士としてはうつ病で休職している依頼者を復職させるよう会社に求めるのかどうか悩むところであるとの意見が出されましたが、職場復帰プログラムの内容も含めた今後の方針について綿密に打ち合わせをする、企業の担当者との交渉に同席していただくというように、主治医と連携して交渉にあたることが有益なのではないかと感じました。それは簡単なことではないでしょうが、産業医のご経験を経て、実際に企業との連携を図っている日下先生のような医師がおられることは、大変心強いことだと思いました。

四 懇親会

 学習会に引き続いて懇親会が行われ、学習会参加者のほとんどが懇親会にも参加しました。学習会の最後に日下先生が弁護士のメンタルヘルスについて触れておられましたが、仕事と家庭生活その他のバランスをいかにとっていくかは、とりわけ女性がかかえることの多い悩みであると思います。私は、新人として今回初めて女性部の催しに参加しましたが、このような悩みを気安く話すことができる女性部という場が存在することは、頼もしい限りであると感じました。


「弁護士 布施辰治上映会」成功のご報告

北海道支部  齋 藤   耕

 二〇一一年一月二七日、団北海道支部主催で、「弁護士 布施辰治」上映会を札幌市教育文化会館講堂(定員一五〇名程度)で行い、一三〇名以上の参加があり、大盛況に終わりましたので、ご報告します。

二 昨年五月、映画が完成したとの杉本事務局長の記事(団通信一三四四号)を読み、是非とも映画を見たいと思い、私は、何気なく、支部事務局MLにメールを発したところ、前向きに検討することとなり、いつの間にか、私が担当者となっていました(正式に私を担当者することを決めた事務局会議は、私が出張のため、参加しなかったときでした…。)。

 その後、札幌でも団支部主催で行うことを決めたのは、昨年の八月頃でした。

 ただ、そこで、問題になったことは、果たしてどれだけの参加者が見込まれるかと言うことでした。

 札幌では、「弁護士 布施辰治」の名は余り知られていないため、宣伝等をしても余り集まらないだろうと考えていたからです。

 それでも、札幌近辺の団事務所の関係者だけの参加になってもいいだろう、と考え、準備を始めていきました。

 当初の上映会は、昨年一一月一七日と決まりましたが、同日、弁護士会の研修と重なったため、変更せざるを得ませんでした。

 ただ、変更を決めたのが昨年九月頃でしたため、年内で日程を調整することは難しく、本年一月二七日と決めました。

 正直、日韓併合一〇〇年の昨年の内に、上映会を実施したいと思いましたが、結果的に、年明けにして成功でした。

 新年の事務所たよりに映画上映会の記事を載せることができ、団支部主催の新春の集いでも宣伝ができましたし、国民救援会北海道本部は、上映日の翌日に新年会を設定し、全道の会員に上映会への参加を呼びかけてくれました。

 さらに、私達は、札幌弁護士会に申し入れ、同会の後援を得て、全会員に参加を呼びかけました。

 当日は、団事務所や国民救援会の関係者以外にも多くの方が参加し、団員以外の弁護士も参加してくれました。

 参加者の一人からは、「明日からまた、頑張ろう、と思わせてくれる映画だね。」などの感想を述べてくれる弁護士(非団員)もおり、実施して本当に良かったと考えています。

 なお、当日は、布施辰治弁護士のご遺族である布施晶子様から多大なご寄付をいただきました。このご寄付については、布施辰治弁護士の功績を広めるため活動等に使わせていただきたいと思っています。

 団支部主催で、映画上映会を行うことで、多くの市民に様々なことを考えてもらえる機会を作れたと思いますし、今後もそのような機会を作って行ければ、と思っています。


映画「弁護士 布施辰治」を観て

北海道支部  山 本 完 自

一 はじめに

 去る二〇一一年一月二七日、札幌市中央区にある札幌市教育文化会館において、自由法曹団北海道支部主催で布施辰治生誕一三〇年ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治 〜生きべくんば民衆とともに 死すべくんば民衆のために〜」の上映会が開かれました。

 私も、この上映会に参加させていただきましたので、若干の感想を報告させていただきます。

二 弾圧に抗して

 映画に出てきた戦前・戦中における布施の活動の場面において、目に付いたのは、人民に対する国家権力による数々の弾圧行為でした。もとより、戦前・戦中における民主主義と人民の権利の獲得のためのたたかいが、どれほど困難と障害に満ちていたかは、改めていうまでもないでしょう。

 この映画には、布施が、このようなたたかいに向けられた弾圧事件の弁護等を務める等して、自身も数度の起訴・下獄・弁護士資格の喪失等の種々の弾圧に遭いながらも、戦前から戦後に至るまでの生涯を通して国家権力と対決した事実とともに、布施の不屈の強固な意志も込められているように感じました。

三 「原点」を観て

 もっとも、私自身は、弁護士になったばかりであるということもあり、未だ公権力による弾圧を身近で体験したことも、事件として公権力による弾圧事件を扱ったこともありません。

 この映画を観て、弾圧事件を目の当たりにしたときに、布施ほどまではできないにしても、その幾分か程の活動であっても、私にできるのか、公権力と身体を張って闘う覚悟と勇気をその時に実際に持てるのか、そのような自問はせざるを得ませんでした。

 しかし、私たち自由法曹団の活動にとって、反動的な公権力による弾圧事件は、避けては通れない関門の一つです。周知のように、公権力による弾圧行為は決して過去のものではなく、近年においても堀越事件、世田谷国公法事件等のように、公権力による、民主主義を壊し、人民の基本的人権を侵害する弾圧行為は脈々と続いています。

 「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現」のためには、現在においてもまた、布施のような不屈の強固な意志が求められているのだと思います。

 弁護士登録から約一か月後に、自由法曹団の原点ともいうべき布施の生涯を記したこの映画を観て、自由法曹団の一員としての今後のたたかいへの決意の糧とした次第です。


高橋清一「無罪弁論集4 無実の人を、無罪に」を読んで

東京支部  谷 村 正 太 郎

 高橋清一さん、渡辺脩さん、私の三人が東京合同法律事務所に入所し、団員になったのは一九六一年四月であった。以後五〇年、今その著作「無罪弁論集」全四巻を前にして、この間の高橋さんの仕事の大きさを思うと誠に感慨無量である。

 この五〇年間に高橋さんは民事事件・行政事件・労働事件・医療過誤事件とともに多くの刑事事件に関与し、三〇件の無罪判決を勝ちえた。この第四巻には、そのうちの一三件が収録されている。

 高橋さんは弁護士一年目の秋、岩手県教職員組合の文部省全国中学校一せい学力テスト反対闘争支援に参加し、一九六三年から三年間盛岡市に常駐した。この事件を契機として、以後、日教組はじめ多くの公務員労働者の裁判に従事することとなる。本書でも第四篇「教師の地位と人事のあり方(京都三・三〇事件)」、第五篇「一九七四年国民春闘と教師の労働組合権―人間としての原点から(日教組・都教組事件、岩手県教組事件、埼玉県教組事件の三事件)」に多くの紙数が割かれている。ここでは「教職員人事のあり方」「職員団体交渉権の法的性格とその内容(アメリカにおける法制度と運用の実情)」「教員のストライキ権と世界の教師の立場(世界教員団体総連合WCOTP事務局長トンプソン氏の証言)」「ILOの『結社の自由の原則』と地公法六一条四号、三七条一項前段」「地公法の刑罰規定の違憲性」等について論じられている。そして、これらの優れた理論的論考とともに「岩手の教師と岩教祖のあゆみ」のような現場の先生方の証言を踏まえ、具体的な、人の心を打つ弁論も収録されている。

 第一篇「無実の人を、無罪に―市民の権利を守って(現住建造物放火、強姦未遂、業務上過失傷害、特別背任・三越事件の四事件)」では、弁論要旨、控訴・上告趣意書の明晰な論旨とともに公判廷での的確な証拠申請・尋問の様子がうかがわれ興味深い。第二篇「えん罪としての謀略事件(青梅事件)」に書かれている合宿には私も参加したことを思い出す。この五事件についても紹介し、感想を述べたいところであるが紙面の制約もあり割愛する。

 私が個人的に最も関心を持ったのは、第三篇「悪法に対する国民的たたかい(全農林・警職法改悪反対職場集会事件、政治的暴力行為防止法案反対デモと東京都公安条例の二事件)」ことに後者である。政暴法反対運動は高橋さんと私たちが弁護士として最初に経験した国民的な大運動であった。意見陳述「公安条例運用の実際」に書かれた、申請段階、規制措置・許可条件、逮捕権の乱用等の警察の不正・不当な対応は、まさにこの通りであった。申請に同行し、デモに参加し、何度歯ぎしりするほどの悔しさと怒りを感じたことか。それは国家権力とは、警察とは何かを身をもって知る最初の機会であった。そして高裁での弁論要旨「東京都公安条例の違憲性―許可条件について」を読むと、事実と自分たちの怒りをどのように法理論として昇華するかについて学ぶところが多い。

 この本に収録された多数の書面は、いずれもそれ自体として貴重な文献である。加えてそれぞれの事件ごとに事件全体の経過と時代背景を明らかにした概説、各書面の解説、そして各意見陳述、弁論、控訴・上告趣意書全体の構成(目次と担当弁護人名)が詳細に記載されている。それによりこの本は個々の事件を超えてこの五〇年間の歴史の一つの重要な側面、国民の運動、その中で自由法曹団員はどのように考え、たたかったかについての貴重な記録となっている。

 この本のあとがきの「戦争と歴史」、はしがきの「愛すればこそ」は、それぞれ高橋さんの高校三年と司法修習終了当時の文章である。このときの初心を半世紀にわたって貫かれたことは感動的である。本書を多くの団員にお薦めしたい。

 無罪弁論集は全四巻であり、第一巻「教師の良心と民主教育」、第二巻「秋田から沖縄までー成熟した労使関係を目ざして」、第三巻「労使関係と人権ーみちのくを駆けた青春」と第四巻の本書で構成されている。いずれも日本評論社刊、A5版・上製・箱入り。定価各七三五〇円、第二巻は六三〇〇円。現在の出版事情のため安くはないが、著者に直接連絡すれば二割引となる。分売可。第一巻は残部僅少。送料は冊数を問わず五〇〇円。

詳細は高橋総合法律事務所

   東京都新宿区左門町一三番地一 四ッ谷弁護士ビル六〇一号   電 話 〇三ー三三五八ー一〇一五 

   FAX 〇三ー三三五八ー一〇六五 まで。


今年も走る(丸亀ハーフマラソン&うどんツアーを中心に)

滋賀支部  玉 木 昌 美

 私の趣味は走ることであり、時間がとれれば、昼休みや夕方に琵琶湖岸を走っている。雪が舞うような冬の寒い日も、原則Tシャツと短パンというスタイルを維持し、周囲からは「狂気の沙汰」と言われている。事務所から市民会館前までおりて、そこから本番さながらにスタートして走る。時間に余裕がないときには、プリンスホテルまで往復し(約四キロ)、時間があるときには膳所公園まで往復する(約八キロ)。さらに、時間があるときには日本精工まで往復する(約一二キロ)。ゆったりとジョギングするのではなく、タイムをはかりながら、全力疾走して、汗をかく。これが最高のストレス解消法である。そして、大会では自分を奮い立たせて、ゴールまでいかに気力をつなげるのか、という心理ゲームを楽しんでいる。

 私は四五期の司法修習生から弁護修習の指導を担当しているが、走る意欲のある人には走ることをお勧めしている(マラソン修習)。一部に「修習生を走らせることは人権侵害である」という声もあるが、自主性を尊重しており、その批判は当たらない。昨年担当した六三期の越智さんは、練習にも公式戦にもお付き合いいただいた。二〇一〇年四月の堺シティマラソン一〇キロ、同五月の奥びわ湖健康マラソン一五キロは、私は彼に勝っていたが、その後練習のときに負けるようになった。私が事務所で悔しがったところ、「何も息子のような年齢の人に負けて悔しがることはない。」と言われた。ちなみに彼の年齢は私の半分であった。そして、一〇月の余呉湖健康マラソン七キロでは二キロで抜かれ、五キロで逆転したものの逃げ切れず、六キロで再逆転され、公式戦で初めて完敗した。

 さて、今年(二〇一一年)も団大阪支部の平山さんや篠原さんが企画した丸亀ハーフマラソン&うどんツアーに参加した。二月五日、バスを借り切り、わいわい言いながら有名うどん店を回った。「池上」「がもう」「なかむら」と回ったが、どの店も行列を並び、食べた。麺もだしもそれぞれ個性があっておいしいが、私は「なかむら」党であり、おみやげはそこで買った。

 今回、大阪で弁護士になった越智さんもツアーに誘い、ハーフで一騎打ちをすることにした。ハーフなら距離が長い分まだ有利で、負けない可能性があると踏んでいた。私が毎月走る距離はせいぜい一〇〇キロであったが、今回は越智さんに絶対負けられないと一月に一六〇キロ以上走り込んだ。受付をすませてホテルについてからは、昨年同様、意欲満々の私だけが練習をし、金比羅宮の階段を駆け上った。夜の懇親会は、越智さんの婚約者や友人も合流し、マラソン談義とカラオケで大いに盛り上がった。とりわけ、高木さんの素晴らしいダンスとプロ級の歌に感銘を受けた。

 さて、二月六日レース当日。いつものように、Tシャツの背には「変えるな 世界の宝 憲法九条」のステッカーをつける。人、人、人約一万人のランナーがハーフを走るが、壮観である。今年は前の方の位置からスタートできた。例によって、最初はどんどん前に出ようとするものの、人が多くてままならない。二キロ付近で、沿道で応援する下田さんが声をかけてくれた。八キロ地点あたりで、後ろからスタートした野澤さんが追い抜いていく。やはり格が違う。途中の太鼓や沿道の応援に「ありがとう。」を連発しながら走った。とりわけ、小さい子の応援に元気をもらうものの、後半折り返してから、今ひとつペースが上がらない。昨年感じなかった若干のアップダウンが気にかかるのも勢いがないことを示している。一五キロ以降、素敵な女性ランナーが何人も追い抜いていった。ついていこうと思うものの、悲しいかな身体が動かない。それでも終盤カメラを構えた下田さんに笑顔で応えることができた(その写真は額に入れて飾りたいほどシャッターチャンスを捉えていた)。

 ネットタイム一時間五三分二四秒でゴールした。昨年の一時間四七分〇一秒からは大きく後退したものの、越智さんには五七秒差でかろうじて勝利し、「打倒越智」の目標を達成した。また、今回は一一名の弁護士、修習生が参加し、めでたく全員完走を成し遂げた(私は一一名中三位)。昨年完走できなかった西さんが陸上競技場内でみんなの応援を得て驚異的なラストスパートをし、一〇人ほど追い抜いてゴールしたのは感動的であった。

 今年は、一月に小牧シティマラソン一〇キロを四六分四五秒で、二月に尼崎市民マラソン五キロを二三分一二秒で走ったが、やはり課題はハーフである。走ることは生きること。今年もがんがん走っていきたい。


売れてます!比例定数削減反対リーフ

事務局次長  小 林 善 亮

 二月四日に行なわれた比例定数削減反対学習懇談会でお披露目となったリーフ「国民目線で選挙制度を考えよう」は、発売開始一ヶ月足らずで三万部以上が普及しています。

 A4四つ折サイズ。表紙の朱色が目を引き、親しみやすい雰囲気のイラストは與那嶺次長の手による労作です。街頭宣伝で配るもよし、中を開けば衆院比例定数削減の危険性や「ムダ論」への反論など充実した内容で、このリーフだけで三〇分程度の学習会ならすぐにできます。

 菅首相は、六月に消費税増税の方針を示す際に、「同時並行的」に議員定数削減の結論出すと表明し、枝野官房長官は議員定数削減の議論は「より先行させる形で進めていくことが望ましい」とさらに踏み込んだ発言を行なっています。民主党内では参議院の「一票の格差」是正と一体で衆議院の定数削減も議論すべきとの動きもあります。

 一日でも早く比例定数削減論のごまかしと危険性を広げ、この動きを具体化させないことが必要です。三月に各地域で行なわれる増税反対や国民要求行動、四月から五月の憲法集会、各種学習会などで是非このリーフをご活用ください。

比例定数削減阻止に向けた当面の行動(こちらのご参加もお願いします)

 ・国会議員要請 四月二七日(水)午後一時から (衆議院議員面会所集合)

 ・宣伝行動    五月九日(月) 午後五時三〇分から (東京・池袋駅西口)