<<目次へ 団通信1375号(3月21日)
自由法曹団執行部 |
大震災対策本部の設置と三月常任幹事会変更について |
草場 裕之 |
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沢井 功雄 |
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杉本 朗 |
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神保 大地 |
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愛須 勝也 |
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久保木 亮介 |
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城塚 健之 |
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菅野 昭夫 |
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吉 原 稔 |
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神田 高 |
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牛久保 秀樹 | 続編への期待。 |
自由法曹団執行部
三月一一日の東日本大震災により被災された団員・事務局のみなさま、ご家族のみなさまに心からお見舞い申し上げます。
すでに常任幹事のみなさんにはお知らせしたところですが、三月一九日の常任幹事会を、後記の通り、三月二六日に延期し、場所も新大阪で行うこととしました。
三月一一日に東日本大震災が発生し、一万人以上の犠牲者が出ることが予想されています。同時に福島第一原子力発電所では、きわめて重篤な事故が進行し、メルトダウンの危険性すら必ずしも否定できなくなっています。
東北各県で活動してきた団員の救済・支援が必要ですし、今後地域住民とともに、避難所や仮設住宅をはじめ様々な問題に取り組む必要もあります。さらに住宅建設や街の復興にも関与することが必要です。
団として組織的な対応が不可欠と考え、緊急に大震災対策本部を団内に設置いたしました(本部長は菊地紘団長です)。
こうした大震災を巡る一連の問題について、早急に常任幹事会で討論する必要があります。
また、四月には一斉地方選挙も予定され、さらに五月集会を目前にして全体会の内容や分科会の決定などもしなければなりません。三月中に常任幹事会を開催する必要があります。
しかし、執行部を中心に、計画停電が実施され交通機関が不安定な東京で常幹を行うことが妥当か、大震災の直後で事態がはっきりしない中で常幹を行うより少し時間をおいてからの方がよくはないか等の意見交換を行い、日程を一週間延期して、三月二六日に開催することとしました。また、場所は、阪神淡路大震災の時の経験を持つ関西の団員が集まれるように、大阪で行うこととしました。
仙台からも常幹への参加表明が届いております。急な予定変更でご迷惑をおかけしますが、ぜひ多くのみなさんに大阪にいらしていただき、被災した団員を励ますとともに、積極的な意見交換を行いたいと思います。
ふるってご参加下さい。
記
日 時 二〇一一年三月二六日(土)午後一〜五時
場 所 大阪コロナホテル会議室 別館一階一〇〇A・B号室(新大阪駅から徒歩五分)
http://www.osakacoronahotel.co.jp/
〒五三三-〇〇三一 大阪府大阪市東淀川区西淡路一丁目三番二一号 電話:〇六-六三二三-三一五一
宮城県支部 草 場 裕 之
(この原稿は、草場団員が、メーリングリストに流した仙台の様子を、団本部でまとめたものです)
三月一三日(日)二三時三六分
電話がつながらない状況はあい変わらずで、直接の安否確認は不可能な状況です。昨日から本日にかけて、ようやく仙台中心部の電力が回復しメールを使える人が増えてきているという状況です。仙台中心部は水道も回復しております。
ライフラインの回復は仙台市の中でも本当に一部のようで、宮城県全域は救援を待っていたり、避難生活を送っている人が多数です。死者の数は万単位となると言われており、町全体が一瞬にして津波にのみ込まれて壊滅しています。宮城県内がどのような状況にあるかについては、テレビ報道をご覧になっている皆様と同じ情報しかありません。
失われた命の数があまりにも多く、生き残った人たちの精神的、経済的な痛手もこれから明らかになっていくと思います。このような状況の中で、自由法曹団としてどのような活動が必要か、むしろお知恵をかしていただきたいと思います。
三月一四日(月)一〇時四六分
仙台地裁は今週金曜日までの期日を開催しないことを決めておりましたが、裁判所に行ってみると建物そのものが閉鎖されておりました。裁判官によれば、記録の散乱もあるが、建物に亀裂が入っていて危険性も指摘されているとのこと。安全調査がなされるのだと思います。
裁判所周辺の弁護士事務所、ビル、民家の中に倒壊しているものは見当たりませんが、弁護士事務所が複数入っているビルの中には亀裂が入っていて大きな余震がきたときには危険と判断して自宅に戻っている弁護士もいるようです。
仙台市内だけに限ってみても、電気だけでなく水道が回復している仙台中心部と、水の配給車を数時間待っている区域と様々です。若い弁護士や修習生は共同数名で共同して買い出ししたりして生活しているようです。
三月一五日(火)一七時四七分
福島原発の被害がどこまで拡大するか予断を許さないところですね。正確な情報が欲しいところです。地震発生から五日目になります。もう五日経ったのか、という印象です。団、弁護士会、集団事件弁護団の関係の安否確認や、被疑者国選弁護人選任の滞りの処理などしているうちに時間が経ってしまいました。電話のつながりが悪いので、電話をかけるために使う時間がとても多くなります。
本日依頼者が事務所を訪ねてきました。津波被害地の一つである名取市の市立高校の教師の方です。勤務している高校が避難場所になっており、四〇〇名ほどが避難しており、学校長と教諭たちがボランティアのお世話係として働いているそうです。名取市は、避難所運営を完全に高校に任せっきりにしており、このことについて学校職員も避難生活者も大きな不満を募らせているそうです。食べ物と飲み水は、二日目以後は届いており電力も昨日回復したようですが、オムツなど不足している物資もあり、先行きの見通しについての説明が全くなく不安そうです。私の依頼者は、地震の時の揺れの恐怖が原因で、恐怖感を再体験するような感覚に悩まされて眠れないそうです。疲弊しておりました。
報道によれば、今日の時点において、一〇〇〇名単位で孤立して支援を待っている集落もあるらしいです。今朝の段階で食品の援助がなされなかった避難所もあったそうです。民医連の坂病院では、液体酸素をはじめ基本的な医療物資が底をつきはじめており危機的状況だということです。
また、「揺れ」の大きさと長さによる津波以外の被害の実態も徐々に明らかになりつつあります。岩手県の新幹線高架橋が粉砕直前の状態に損壊している映像が報道されています。また、仙台市内のマンションで大きく数本の亀裂が入っていて次の地震では倒壊の虞があるもの、半壊している古いアパートもあるようです。
土砂に埋もれたり助けを待っている生存者を救助する態勢を抜本的に強めて欲しいと思います。また、物資の供給が五日目になっても改善しないところがあるというのは信じられません。高齢者や病人、子どもはとても不安だろうと思います。道路の寸断という事態があるとは聞いていませんので、原因は何なのだろうかと思います。町ごと津波で崩壊したところがあるので、そちらの方に救援の力が割かれているのであれば、人数を抜本的に増やさなければならない状況だと思います。
福島原発の問題は、関東だけではなく日本全体に被害が及ぶ可能性もありますが、これについても現状、実施している対策がベストなものなか否かについて、公開の原則に基づいて処理されるべきではないかと思います。これらの問題点について、明日、日本共産党宮城県議団と意見交換をしたいと思います。
三月一五日(火)二一時三七分
明日、共産党県議団などと協議し、現在の状況や問題点について情報を集めてみます。民医連からの情報も集めてみます。物資の点は、杉本団員の御指摘のとおりだと思うのですが、国道四号線は寸断されておらず、四号線沿いの名取市の避難所、そして仙台市内の避難所の状況が悪すぎて驚いてしまいます。今日も、仙台駅前のダイエーには延々と人が買物のために二、三時間並ぶという状況です。何故物資の補給ができないのか、いつ、どのようになるという説明が一度もないことが不思議です。先の見通しがつかないために、例えばガソリンを求めて一キロにわたって車の列が並び、そのためにバスが動けず、ガソリン給油の順番が回ってきても一〇リットル給油制限のため、かえってガソリンを減らしてしまったという馬鹿げた事態が発生しています。
宮城県、仙台市も死者多数の被害に直面して混乱しているのかもしれません。テレビのテロップに、「仙台市はコンビニや小売店に店をあけるように要請」というのが流れていますが、物が無い状況で営業をするのは無理なことです。この種の大災害に襲われたときの物流や自治体の役割などについて、研究分野はないのでしょうか?ある程度の仮説をもって事態の把握をしたいものだと思います。
三月一六日(水)一一時五五分
先ほど、自動車を使って高齢の団員の自宅兼事務所を訪問しつつ市内の様子を見てきました。今日の仙台は雪が降っており寒いです。あいからずガソリンスタンドに長蛇の車の列です。営業している数カ所のドラックストアやスーパーには雪の中を長蛇の人たちが並んでいます。長時間並んだあげくに品切れ、欲しい物が手に入らないという事態も出ています。これは弁護士事務所が集中している裁判所付近から徒歩で二〇分程度の距離の様子です。
こうして並んでいる人はストック食料が無いか底をつき始めた人たちで、かつ数時間並ぶ余力のある人だろうと思います。体の不自由な人、高齢者等ハンディのある人、一人暮らしの人はどうなっているんだろうと思います。
共産党県議団は国会議員とともに、朝から名取市や岩沼市など県南地方の視察に入っているようです。夕方五時ころから意見交換することになりました。
三月一六日(水)二三時二六分
みやぎ生協の関係者から物資不足の最大の原因は、ガソリン不足にあるとの意見をいただきました。(このことは既に報道でも指摘されていますね)通常の商品仕入先からは、物はあるがガソリンが無いために輸送することができない、と言われているとのことです。生協に届いた品物を店舗に輸送するための車両用のガソリンも底をつき始めているため、機動的に販売網におくことができないそうです。この点、昨日あたりから、宮城県から生協等の大手販売業者に対して、ガソリンスタンドと時刻を指定してガソリン給油するという連絡が入るようになったそうです。しかし不足していることに変わりないです。生協関係者は、高速道路が使えるようになったはずであるし、石油備蓄量も豊富なはずなのにガソリン供給状態が回復しない理由が分からないとのことです。
生活物資の不足が長期化していること、加えて、物資の供給改善の見通しが全くたっていないことはダメージを深くしています。自宅で生活することができている人たちの中にも肉体的精神的疲労が強まっています。営業しているスーパーなどに長時間並ばなければならない状態がいつまで続くのか、ストック物資をいつまでもたせればいいのか、いつまで頑張れば良いのか見通しがたたないことは辛いことです。
高齢者や持病を持っている人等、特に、ハンディのある人は生活物資や薬の不足に対する不安はとても大きいでしょう。支部団員の中にも、循環器系の持病を持っていたり、関節障害のある人もいます。生きていくこと自体が大変な状態が六日間も続いています。
津波被災地の避難所の物資不足は、道路の寸断などの悪条件が加わっているために更に深刻で、物資不足と寒さの中で命を落とす人が出ていることは容易に想像できます。
物資不足の原因として、新しい問題が出てきました。共産党県議団との意見交換では、他県自治体から救援に入りかけていた給水車が引きあげた例が出ているとのことです。引きあげの原因は、福島原発事故による放射能被害の可能性による帰還命令だそうです。
原発問題については、団のMLでも色々な議論をしていただいておりますが、これまでの東電と保安院による情報隠しと事故の過小評価が、不信と不安を増幅させたのだと思います。この問題に関しては、「原子力行政の推進機関である経済産業省の一機関である原子力・保安院まかせにするのではなく、経済産業省などから独立した中立的な立場で、専門家を結集し、担当行政機関及び事業者を指導する役割を担っている原子力安全委員会の活動がきわめて重要になっている」という、日本共産党や日本科学者会議の指摘に共感します。福島原発問題について、過不足ない科学的評価を行うことは、今後の救援・復興活動にとって重要な課題であると思います。
神奈川支部 沢 井 功 雄
正直何を書けばよいか悩んでいる。頑張ってほしいとだけなら誰でも言える。対策・支援は、その時々の状況に合わせた具体的な中身を伴う適切なものでなければならない。
今何ができるか過去の経験に学び、想像を巡らせるのはもちろん大事だが、やはり被災現場の声を聞いてみるのが一番である。仙台市青葉区(都心部)にいる両親(うちの篠原さん、岩村さんと同世代である)の震災から六日目の声を聞いてみた。
父は、震災当日連絡が取れた母とは異なり、震災二日目まで、連絡が取れなかった。やっと連絡が取れた電話の第一声が、震災時に、休みだったのでパチンコをしていて、勝っていたのに箱が全部崩れてパーになったとのことだったので、ここでは割愛する。
母の職場は泉区の某ホテルである。地下鉄とバスを乗り継いで通勤している。震災当日、交通手段が停止したので、職場に泊まった。地下鉄は、線路が壊れなかった区間だけ走っている。区間一日三、四本(通常一時間に三、四本)のバスに乗って、職場に通っている。バスは混んでいない。むしろガラガラである。職場に行っても、仕事が無く、自宅待機を命じられている人が多いからである。四月までの婚礼、宿泊はほぼすべてキャンセルで、近々母も自宅待機になりそうである。今後も今の非常時の状態が続けば、給料が払われるかどうかわからず、無収入の状態が続くとなると考えると、皆不安で仕方が無いらしい。
被災地に、輪番停電はないので、電気は自由に使える。スペアの蛍光灯、電球はスーパーに売っていないし、無駄に使おうという気も起きず、節電している。水道は、出るようになったが、出なかったときは、給水所に車で貰いに行っていた。トイレを流す水が無い地域もあると聞いている。スタンドは、大行列、制限給油で、アイドリング中に、どんどんガソリンが減っていくのが馬鹿馬鹿しいので、車は使っていない。ガスは、未だ使えない。風呂に入れないので、ガスボンベで、お湯を沸かして、体を洗っている。料理は、ガスボンベと、ホットプレートでしているが、食材が無くなりつつあり、レトルト食品、カップめんばかり食べなければいけないと思うと、嫌になってくる。灯油を使えないので、電気による暖房器具だけでは寒い。
コンビニは、商品が無く開店していない。酒とたばこだけ在庫があるようだ。そもそも、都心部の会社、商店街がほとんど開いておらず、シーンとしている。近くの大きいスーパーで、朝一〇時から五〇〇名限定、レトルト食品、缶詰、カップめん、携帯用カイロ、ガスボンベ、水、ティッシュ、トイレットペーパー等を一人一個から五個まで売り出すと聞き、朝六時三〇分に行ったら、既に二〇〇名くらい並んでいた。二、三分おきに五名ずつ入店していき、寒い中外で待ち、やっと一一時ころ店に入れたら、欲しいものはほとんど売っていなかった。
都心部のマンションなので、御近所さん同士で、内陸部の住宅街のように食べ物を分け合うようなことはないが、皆お互い声を掛け合うようになっている。どこで、世間話をしても、誰の親戚が亡くなった、行方不明だと耳にする。
医薬品はほとんど売っていない。ただし、県庁前に二四時間体制の赤十字社診療テントが出来ており、診療治療は、すぐに受けられるようになっている。妊婦も優先して病院に入れるようだ。車は、通常時よりは少ないが、結構走っている。自転車に乗る人が急増している。自転車屋は、修理、販売で大繁盛らしい。学校は、今週いっぱいは、皆休み。大学の卒業式典は軒並み中止で、希望者にのみ、卒業証書を交付するらしい。
テレビ、新聞、ネット、行政発行の生活安全情報等で情報は入ってくる。原発爆破による二次災害の不安は当然あり、雨の日は外に出ない、外出時は肌を露出しない、換気扇をつけない等の注意喚起はあるが、目先の生活に追われて、関東ほどは敏感ではない。
家族、財産全てを無くした沿岸部の救援、支援が最優先であるが、建物損壊の多い都心部の補償が忘れられないか不安である・・・だそうである。
団の震災対策本部では、A警報・避難・応急措置→B被災者救援・救助・権利保護(災害救助法等)→C復旧・復興(生活再建支援法)の流れで震災支援は進むと聞いている。
Bの権利保障がきちんとされないと、被災者が棄民化される。避難所(とにかく広範囲である!!)から仮設住宅への転居が進んでから、いよいよ団員の出番となるであろう。今の段階では、被災地以外の団員による物資の救援は、かえって足手まといになる可能性があり、見守るのが賢明かもしれない。
Cは、生活再建は国の責任であり、一種の社会保障、憲法二五条の問題と捉えて整理すべきである。原発事故による被害という新しい論点も入り混じり、団員の一層の奮闘が求められるところである。
阪神・淡路大震災の際に活躍した関西の団員の経験を基に、岩手、宮城、福島の団員が中心となり、対策本部、全団員が、一丸となり、被災地の復興・支援に向けて頑張りましょう!!
事務局長 杉 本 朗
すでにFAXでお知らせしたとおり、今回の大地震について、自由法曹団では大震災対策本部を設置するとともに、団員のみなさんに、義捐金のお願いをすることになりました。
被災地の様子は、すでにマスメディアの報道でご存じのことと思います。そうした被災地において、自由法曹団団員と法律事務所は、自宅や事務所が多大な被害を蒙りながらも、献身的に人権擁護活動にあたり、被災者と手を携えて復興の道を歩んでいこうとしています。
活動を支援し、被災者の人権を尊重した復興を一日も早く実現するために、自由法曹団と団員の一層の奮闘が求められています。
つきましては、震災被害の救援と復興のため、法律事務所・団員の皆さんに義捐金をお願いいたします。義捐金は、下記口座に送金ください。
(振込先) 三井住友銀行 横浜支店 普通 七二三七〇八一
口座名義 団・カンパ口 杉本 朗
(ダンカンパクチ スギモトアキラ)
拠出いただいた義捐金は、被災地の各支部にお渡ししてお役に立てていただくとともに、一部は自由法曹団の対策活動(協力いただく被災者への見舞金など)にも活用させていただきますので、ご了承ください。また、とくに指定がない限り、振り分けなどは対策本部と各支部の協議によって決めさせていただきます。なお、恐れ入りますが、義捐金は、一口一万円とし、できるだけ複数口でお願いいたします。
全国の団員の皆さんが、被災地の支部・法律事務所・団員の皆さんを激励していただくとともに、今後の活動にご協力いただくよう重ねてお願いするものです。
北海道支部 神 保 大 地
平成二三年二月二日〜四日の三日間、社会保険庁の不当解雇撤回(分限免職処分取消)を求める人事院公開審理が、札幌で行われました。全厚生闘争団(請求者三九名、全国一〇か所で審理、弁護団二三名、団長岡村親宜)として全国最初の公開審理でした。
約一年前の平成二一年一二月三一日、全国で五二五名の社保庁職員が分限免職処分(整理解雇のようなもの)を受けました。それまで、社保庁がマスコミや与野党双方からバッシングを浴びせられる中、国民の年金に対する信頼を回復するために身を粉にして働いてきた職員、全国民に奉仕する仕事に誇りをもって深夜・休日残業を厭わずに働いてきた職員、そうした社保庁の職員が、一斉に大量解雇されたのです。
それから一年経った二月二日、雪空の下、雪まつりの雪像造成中の札幌大通公園の向かいの審理会場前で、審理に向かう私たちを大勢の支援者が出迎えてくれました。私たちは、大きな垂れ幕と支援者の温かい励ましに勇気を頂き審理に挑みました。
人事院公平審理は、数ヶ月間に渡って複数回に渡る書面のやりとり(準備書面のようなもの)をし、その間に公平委員会より両当事者に対し詳細な釈明がなされ、その後、今回の公開審理のように証人尋問が集中的に行われます。
北海道では、二名が分限免職処分に不服を申し立て、二月二〜四日の第一ステージにおいて、処分者である社保庁(正確にはこの時点で社保庁が存在していませんので、その業務を引き継いだ厚生労働省)側の証人尋問が行われました(請求者側の証人尋問は四月二七、二八日の第二ステージ)。主な争点は、分限免職回避努力の有無、公正な基準で分限免職者が選別されたのかという点でした。
最初の証人は、社保庁で雇用対策を担当していた人物でした。この人物は、主尋問では全てが適切に公正に行われたと証言していましたが、反対尋問によって、処分者のいう分限回避努力とは、採用時期とは全く異なる時期に、他省庁・地方公共団体へ書類を一枚送るだけの「要請」に止まり、社保庁は、何ら実効的な措置を行っていなかったことが明らかとなりました。また、政府が、それまで公務員の配置転換を行っていた雇用調整本部を使わないことを決定し、政府として社保庁職員に対し何の措置も採っていなかったことも明らかになりました。つまり、社保庁も政府も、何ら分限回避努力を尽くしていなかったというわけです。
次の証人は、厚労省への配置転換を希望した請求者に対する面接を行った面接官でした。しかし、この面接官は、請求者を面接したことさえ記憶しておらず、請求者にどのような質問を行い、請求者がどのような回答をしたのか、それをどう評価したのか、という重要な点を「覚えていません」と答えるだけで、何も実質的な証言をしませんでした。
翌三日は、同じく厚労省への配置転換を希望したもう一人の請求者の面接官に対する尋問から始まりました。この証人は、前日の証人と異なり、面接内容について踏み込んだ証言をしました。同証人は、面接の評価は各面接官に委ねられており、面接官間での基準の設定は存しなかったこと、請求者が政府は現場の状況を踏まえていない旨述べたことを不採用の方向に評価をしたことなどを平然と証言しました。
続いて、厚労省への配置転換者を決める選考会議のメンバーへの尋問が行なわれました。この証人は、選考において最も重要なことが公平性の担保であると証言しながら、その公平性を担保する仕組み、制度、方策について何も答えられず、また、評価方法について「総合評価」と答えるのみで、客観的で具体的で基準が存しなかったことが明らかになりました。
次に、年金機構の設立準備局に在籍していた者に対する尋問が行なわれました。しかし、この証人は、年金機構の採用手続には何ら関与しておらず、請求者がなぜ不採用となったのか何も証言できない有様でした。他人事のように話す証人の態度、このような証人を出した処分者の訴訟対応に、傍聴席から怒りの声が出ました。
最終日は、北海道の雇用対策責任者の尋問でした。証人は、本庁から指示されたことだけを忠実に行なったことを証言した後、本庁の指示の不十分さを指摘しなかったこと、北海道独自の努力を行なわなかったことを明確に証言しました。
三日間に及ぶ第一ステージの証人尋問を通して、時期や内容に照らせば分限処分回避努力が実質的に尽くされていなかったこと、年金機構でも厚生労働省でも人材が不足していたにもかかわらず分限免職処分を強行したこと、配置転換や年金機構等に関する面接・採用に公平性・客観性・透明性など無かったことなどが明らかにありました。
このあと、七月まで全国各地で審理が続きます。北海道弁護団も、第二ステージの証人尋問の成功をめざし、また訴訟提起を視野に頑張っていきます。
なお、今回の公開審理には、北海道の佐藤哲之団員、佐藤博文団員、三浦桂子団員、中島哲団員、山田佳以団員及び私が参加した他、東京から加藤健次団員、尾林芳匡団員にお越しいただきました。
大阪支部 愛 須 勝 也
一 はじめに
大東市長(大阪府)らに対して不公正な同和行政に支出した公金の返還を求めた訴訟(大東市違法公金支出返還請求訴訟)において、二〇一一年二月二日、大阪地方裁判所第二民事部(山田明裁判長)は、原告の主張を全面的に認める画期的な判決を下した。大阪府下では、〇二年の地対財特法(地域改善対策特別事業にかかる国の財政上の特別措置に関する法律)の失効に伴って廃止されるはずの同和行政が「人権」の名を借りて継続しており、その実態を裁判所が斬罪したことの意義は大きい。
二 事案の概要
1 元・市同促職員に無限定な職務免除を認める
大東市は、全日本同和会大阪府連合会大東支部の役員で、大東市同和事業促進協議会(市同促)の専任職員であったNを、大東市人権教育啓発推進協議会(通称「ヒューネットだいとう」)の常勤職員にした。しかし、このNは、午後からは、同人が事務局長を務める野崎地域人権協議会(野崎人権協)に出勤するため職務免除を認め、午前中も、個別に届けを提出して職務免除を認める「協定」により全く勤務実態がなかった。市は、〇二年より五年間にわたり、毎年、ヒューネットに補助金を支出し、そのうちの約五割に及ぶ人件費(約八〇〇万円)がNの給与として支払われ、さらに、Nのために退職積立金を毎年三〇万円以上、公費で積み立ててきた。
2 全日本同和会事務所に市のアルバイト職員を派遣
また、市は、何ら法的根拠をもたないまま、〇二年四月より三年半にわたって、全日本同和会の事務所に市のアルバイト職員を派遣して、合計五五〇万円のアルバイト料を負担していた。
これらについて、特定の同和団体(同和会)の利権のための公金支出で公益性がなく違法であると住民監査請求がなされたが、大東市監査委員は、Nが雇用されているのは、ヒューネットであり大東市ではないという形式的理由で請求を認めなかった。
三 裁判所が認定した不公正な公金支出
1 元・市同促事務局長Nの処遇を市が保証
Nは、〇二年三月まで市同促事務局長の職にあり、市同促から給与等の支給を受けていた。大東市は、市同促に対し年間四〇〇〇万円以上の補助金を交付しており、Nの人件費(約一〇〇〇万円)もその中から支出されていた。
大東市は、同年三月末の市同促の解散に先立ち、同和行政に強い影響力を与えてきたNの処遇について検討し、市同促の解散後、Nを新たに設立する人権啓発団体であるヒューネットの専任職員として雇用し、従前とほぼ同様の給与等の支払を継続することを決めた。
2 Nの身分を保証する「協定書」の締結
そして、市長は同年二月、市の幹部が同席する市長室において、Nに対し、市同促解散後の処遇を説明し了解を得た。その後、市は、元助役に対し、ヒューネットの初代会長への就任を依頼し、その際、ヒューネットがNを雇用することになっている旨を説明し、その上で、ヒューネットとの間で協定を締結した。Nとヒューネットの間でも協定に従って雇用契約が締結された。その結果、Nは、市同促時代の役職手当分を除き、従来の給与等と同等の額(年間約八〇〇万円)を継続して受けられることとなった。協定では、Nの職務内容は具体的に定められていない上、広範な職務免除が認められていた。協定の実質的な内容はすべて市とNの間で決定され、ヒューネット独自の意向は一切反映されていない。
3 Nの勤務実態はほとんどなかったこと
Nは実際に月に数回、休暇願等作成のためにヒューネットに顔を出すだけであった。職務免除の必要性についても、N自らが判断し、書類を作成してヒューネットに提出し許可を受けていたが、必要性について市やヒューネットが実質的に検討した形跡はなく、実際に職務免除が許可されなかったことは一度もなかった(なお、ヒューネットの実際の仕事は一〇人以上に及ぶ市の兼務職員が行っている)。
市やヒューネットは、野崎人権協におけるNの業務遂行を指揮監督していないことはもとより、出勤状況すら把握しておらず、実際にそこで仕事をしているのかすらわからない状態であった。
他方、野崎人権協においても、会長は非常勤であり、事務局長は実質的な最高責任者であるため、Nの日常の業務遂行を指揮監督する者もいなかった。
4 市議会での追及を受けたNの退職
長年このような状況が続いたが、〇六年一〇月の、市議会でこの問題が取り上げられ、〇七年二月にこれを問題視する新聞報道がなされ、Nは同月、ヒューネットを退職した。
その後、Nの後任は補充されず、ヒューネットに対する補助金について、Nの人件費に相当する額が減額された。他方、Nは、引き続き、野崎人権協の事務局長を務めたが、それまで無給だったものが「霞を食って生きていけない」として同年四月以降、野崎人権協から給与等の支払を受けるようになった。
5 同和会へのアルバイト職員の派遣
アルバイト職員の派遣については、大東市は、法失効前から、同和会や部落解放同盟(解同)の事務所に市職員を派遣していたが、法失効の際、解同への職員配置は止めたものの同和会には配置を継続した。
ところが、〇二年五月に配置された職員が死亡したために、六月以降、アルバイト職員を雇用し、市の条例でアルバイト職員の派遣はできないにもかかわらず、同和会事務所に配置をしてきた。
三 裁判所の判断ー大東市長らを明確に断罪
1 協定は「公序良俗に反し無効」
裁判所は、以上の事実認定を前提に、本件協定に基づく仕組みを全体としてみれば、Nが野崎人権協で実際には働いていようがいまいが、大東市からヒューネットを介して年間約八〇〇万円もの給与等が自動的に支給されるという非常に不合理なものになっていると言い切った。
そして、本件協定は、「ヒューネット自身においてNを常勤職員として雇用する必要も意思もないのに、大東市がヒューネットを形式上の雇用主体として、Nに対し、非常に広範な職務免除を認め、かつ、職務免除中の野崎人権協における勤務実態等の吟味することなく、市同促の事務局長時代と同等の給与等を保障するためにあえて締結されたものというべきである。そうすると、本件協定は、これに付随する雇用契約と併せて、地方自治法二〇四条の二(給与条例主義)、地方公務員法二四条一項(ノーワーク・ノーペイの原則)、同法三〇条及び三五条(職務専念義務)、地方公務員派遣法等の各種規定を潜脱する悪質な脱法行為であり、違法性の強いものと言わざるをえないから、公序良俗に違反し無効である。」と断罪し、事実認定については原告の主張を一〇〇%認める判断を示したのである。
その上で、大東市長の責任について、ヒューネット及びNは、市長らと共謀して、Nの人件費を大東市に不正に負担させることを意図して、本件協定及び雇用契約を違法に締結し、その結果、大東市からヒューネットに対する補助金を支出させ、市にNの人件費相当額の損害を与えたものということができるとして、市長の責任を正面から認めた。
2 同和会へのアルバイト職員の派遣と認定
市は、当該アルバイト職員の同和会における業務はもっぱら市の仕事であるという詭弁を弄して、その正当化を図った。しかし、同和会事務所に常駐しているのは、アルバイト職員一人だけで、その仕事は市の職務とは言えず、同和会の職務であることは明らかであった。
判決は、市の主張を退け、市長は同和会との交渉にも自ら出席して交渉に当たっており、アルバイト職員が同和会に派遣されていたこと、それが違法なものであることを知り、又は容易に知り得たとして市長の損害賠償義務を認めた。
四 判決の意義ー温存される「同和利権」を断罪
これまでタブーとされてきた同和利権の実態が、芦原病院への不正融資や飛鳥会事件などを契機に次々と明るみにされる中で本件訴訟も提起された。Nに対して、ヒューネットから給与を支払われることはなくなったが、その後は、野崎人権協の事務局長として、それまでヒューネット時代には受け取っていなかった給料を同協議会から受け取るようになっている。その原資は、人権相談や生活相談の名の下に大東市から業務委託されている事業費から支出されているのではないかの疑惑が出され、これについても住民監査請求を経て住民訴訟が係属している(年間四、五件の人権相談のために三〇〇万円以上の委託費が支払われている。また、市職員が相談員として複数配置されているのにもかかわらず、平均一日一件にも満たない生活相談のために野崎人権協所属の相談員二名に年間四〇〇万円以上の委託費が支払われたことになっているが実際はブラックボックスである)。
旧同和施策が、「人権」施策に名を変えて温存され、同和行政が継続されているのは大東市だけにとどまらない。本判決は、その実態を断罪したものとして大きな意義を持つ(弁護団は、小林徹也、坂本団、吉岡孝太郎各団員と当職である)。
事務局次長 久 保 木 亮 介
今回の学習会の狙い
国家権力の選挙弾圧から民主的運動を守る闘いは、団創立以来の重要課題であり、歴史的に蓄積された闘いの教訓・ノウハウは団の貴重な「財産」である。
ただ、日ごろ様々な課題に取り組む団員、特に若手団員には、必ずしもその「財産」が共有されていないのではないか。国公法・葛飾事件など政治活動の弾圧との闘いとはまた別に、「選挙」弾圧と正しく闘うには、公職選挙法の本質・内容など独自の知識が必要になる。さらに、弾圧の中心的な担い手である公安警察の、組織と活動の実態を知っておく必要がある。
今回の「三・七選挙弾圧学習会」は、以上の趣旨で行われた。東京・神奈川の若手を中心に五〇名近い参加者で、質問も活発になされ盛況であった。
ここまでやるのか!弾圧と闘う弁護士
まず、講師の鶴見祐策団員が「具体例を交えた選挙弾圧対策」を報告。自身の体験した過去の弾圧事件(戸別訪問、文書頒布等を口実とした事例)の話を交えた、極めて実践的なお話だった。
弾圧は被逮捕者のみでなく組織と運動全体を狙って行われる。従ってそれとの闘いは、通常の刑事弁護人の活動より遥かに広範かつ厳しいものになる。筆者は政治弾圧事件で何度か接見妨害に対処し対策会議にも参加するなどそれなりの経験を積んだつもりでいたが、それでも、「ここまでやるのか!」と感心させられる箇所が多々あった。若手団員にとっては実に実践的かつ刺激的で、有意義な話だったのではないか。
“べからず法”としての公職選挙法、そのもとでどう闘うか
続いて、森卓爾団員が「選挙運動、公職選挙法とは何か」を講義。「政治活動」の一部としての「選挙運動」の意義を踏まえた上で、現行の公職選挙法がいかに選挙活動の自由を奪うべからず法≠ノなっているかを浮き彫りにする内容であった。
資料や表も用いて実によく整理がなされていたと思う。筆者も組合から選挙の度に選挙活動について講師を依頼されるのであるが、これまでよく整理されていなかった箇所が多くあることに気付かされ、大変役立った。
べからず法≠フ下でも、正確な知識と工夫があれば、選挙妨害や弾圧を招くことなく、旺盛に選挙活動ができる。私達団員がそれをよく理解し、広げてゆくことが大切だ。
許すまじ!公安警察
さらに、鈴木亜英団員より、「公安警察の本質に迫る!」と題した講義。
公安警察が反共政策を基本とする、民主勢力にとって最も油断のできない国家機関であり、民主勢力の動向把握と弱体化のために、手段を選ばぬ組織であるという本質を、具体的な事件(芦屋スパイ事件、長野・公安警察泥棒事件、鈴木団員への思想調査事件、日本共産党国際部長宅盗聴事件、堀越国公法事件等)にも触れながら、暴きだす内容だった。
公安警察が、その反社会性・有害性により、リストラ対象組織となっていること(オウム事件で必死の浮上を図ったのはそのためである)、憲法と国際人権を活用した粘り強い闘いで包囲してゆくことの意義が明らかになった。
日本国民救援会、葛飾弁護団からの報告発言
続いて日本国民救援会の鈴木猛事務局長から報告がなされた。弁護士の発言のもつ影響力にも触れつつ、「あれもこれもできない」ではなく、運動に携る者を励ます見地で話して欲しいとの要望が述べられ、弾圧の対象は民主的組織であり、集団的に闘ってゆくことと、そのための率直な意見交換の重要性が強調された。今回の学習会の、まとめに当たる発言であったと思う。
また、西田穣団員(葛飾マンション事件弁護団)から、黙秘権の重要性、依頼者(被逮捕者)の信頼を得る上で新人弁護士の果たしうる役割について発言があった。同団員が葛飾事件の初回接見に赴いたのは、弁護士業務を始めて三日目とのこと。その後の活躍ぶりは周知の通りである。
終わりに
参加者の発言の中では、神戸市西区ポスター仮止め宣伝への不当逮捕や、加古川市の無所属市民派議員や支援者への不当逮捕・捜索と虚偽自白の強要など、現在進行形の弾圧事件も紹介された。日本全国、いつどこでも起こりうるのが弾圧事件である。
これまで「選挙弾圧」に馴染みのなかった団員も、一度今回のような学習会の内容を踏まえておけば、いざという時に一歩を踏み出すことができるだろう(誰でも最初は初体験だ)。今回、若手が多数参加したことは、弾圧との闘いにおける団の活動の水準を維持しさらに高める上で、大変貴重なことであった。
大阪支部 城 塚 健 之
一 吉原団員の論考を読んで
団通信一三七三号で吉原稔団員が、住民訴訟で勝訴(確定)した宝塚市が、敗訴した原告に対し、訴訟費用を請求していることを問題視している(「住民訴訟への強力な萎縮効果―敗訴原告への訴訟費用の負担請求―」)。しかし、私は論旨に賛成できない。
この事案は、宝塚市の一市議が原告となって、宝塚市が職員の勤勉手当(ボーナス)支給にあたり、勤務評定をしなかったことが違法として提起した訴訟である。一審神戸地裁は、これを違法としたが請求は棄却。これに対し、大阪高裁判決は違法性も否定し、上告不受理で確定したというものである。
私は、原理的にも能力主義ないし成果主義が正しいとはいえないと思うし、職員労働組合が勤勉手当の能力主義査定に反対することは間違ってはいない。また、勤務評定の仕方にもいろいろあって、それぞれ合理性があろうから、宝塚市のやり方を適法とした高裁判決は正しいと考える。少なくとも、そのやり方が市民にとって何か問題になっていたとは思われない。ところが、この市議は、自分が正しいと考える査定の仕方しか許されないと主張して住民訴訟を提起した。それだけなら個人の信条の問題に過ぎないかもしれないが(それでも十分独善的であるが)、この訴訟のさらなる問題点は、勤勉手当を支給した職員約一六〇〇人に対して貰ったボーナスを返還させろという請求の趣旨にしたところにある。このため、訴訟告知の送達などで費用がかさんだ。
要するに、宝塚市の事案というのは、この市議の信条(というよりは公務員バッシングという趣味)のために起こした裁判である。それは市当局にとっても職員全体にとっても迷惑千万きわまりないものであるのはもちろん、市民の多数がそんなことを求めていたわけでもないのであって、単なる独善にすぎない(なお、枚方市事件・大阪高判平成二二年九月一七日労旬一七三八号は、自治体の職員が職務の対価として受領した給与の返還義務はないという一般的な判断を示した)。だいたい、多くの住民訴訟は訴額は「算定不能」で低額であるからそんなに費用はかからないはずである。原告の趣味によって膨れあがった費用を宝塚市が負担しなければならない理由はない。仮に宝塚市が原告に請求しないとすれば、反対にそれが違法とされることになろう。
二 悪用される住民訴訟
この件に限らず、全国でオンブズマンを名乗る趣味人が提起している公務員に関係する住民訴訟は、福利厚生を担ってきた市町村互助会は潰す、有給職免は剥奪する、非常勤職員の一時金や退職金をはぎとる等々、公務労働者の権利も労働基本権も度外視してこれらを税金の無駄使い呼ばわりするもので、私に言わせればその多くが濫訴である。
先に述べた枚方市事件は、オンブズパーソンを自称する原告が枚方市で働く非常勤職員に対する一時金等の支給が違法として提起した住民訴訟であり、請求の趣旨が非常勤職員全員に受給した一時金等を返還させるよう求めるものであった。やむをえず非常勤職員らは被告市長に補助参加して争うことになり、私はその弁護団の一人として六年近くたたかい、大阪高裁で勝利し、確定した(事件のあらましは中西基団員が団通信一三六〇号で報告している)。この間、非常勤職員らは大きな負担を強いられた。許せないことである。
そもそもこの原告は、裁判では非常勤職員の賃金は最低賃金程度で十分と主張し、敗訴確定後もみずからのブログで、裁判には負けたが「厚遇されていた」非常勤職員の賃金を下げることができたので成果があったとうそぶいているとんでもない人物である。こんな「官製ワーキングプアいじめ」の裁判のどこに正義があるというのだろうか。しかも、この裁判は、この原告が市会議員になりたいがための売名行為ではないかともいわれている。
このように最近の住民訴訟はかなりのものが公務員バッシングの道具と化しているのである。これは悪用以外の何物でもない。
枚方市事件でも、宝塚市ほどではないにしても、費用がかさんだが、それは原告が非常勤職員全員から受給した一時金をはぎとってこいという請求の趣旨にしたからである。非常勤職員らも私たちも、原告に対して損害賠償請求したいくらいの思いであり、少なくとも訴訟費用くらいは断固として請求しようと、現在、その手続を進めているところである。
三 住民訴訟を特別扱いすべきか
これに対し、白藤博行・専修大教授(行政法)は、毎日新聞の取材に対して、「訴訟費用は、行政の適法性を確保するための必要コストと考えるべきだ。民事訴訟の『敗訴者負担』の考え方を住民訴訟に適用することにも違和感を感じる。訴訟権の乱用と判断できない限り請求できないよう法制化するのも一つの手段だろう」とのコメントを寄せている(毎日新聞二〇一一年二月八日付大阪夕刊「兵庫・宝塚市:住民訴訟費用、原告に請求 自治体負担に一石」)。
白藤教授は、とても見識の高い行政法学者であり、尊敬している方ではあるが、この意見に関しては、以下の理由から賛成できない。
(1)訴訟費用(弁護士費用ではない)を敗訴者に負担させるのは訴訟手続の基本的な構造なので、住民訴訟だけを聖域にするのはおかしい。仮に正しいと思って提起した訴訟でも、負ければかかった費用を負担するのはどんな裁判でも同じである。
(2)住民訴訟は自分の利益のためではなく、共同利益のためだといわれるが、共同利益だからといって何も負担しなくていいとする理由はない。何らかの団体や運動体がみずからの正当性を社会に向かって主張する際、それが共同利益のためであるとしても、そのコストは自分で負担するのであって、それと本質的に違いはない。
(3)むしろ負担がなければ無責任となりモラルハザードを引き起こす。言ったもの勝ち、攻撃したもの勝ち、これに伴う責任は引き受けないというのは、クレーマーと同じである。
したがって、私は、住民訴訟だけ訴訟制度において特別扱いをする必要はまったくないと考えている。
四 住民訴訟を美化するのは誤り
そもそも、住民訴訟はたとえ一〇〇〇万人の住民がいても、相互の議論も何もなしに、一人でも勝手に起こせるものである。それがなにゆえに直接民主主義の制度といえるのか、私は疑問である。
住民訴訟とは、提訴を契機にして司法権が地方自治権に介入するものなので、民主主義というよりは、一種の権力分立的制度ではないのか。あるいは、国の法令(その当否は問われない)を根拠に自治体の「違法」を是正する制度であるから、これは全国の統一性をはかるための中央集権的な制度であり、地方自治を制約するものではないのか(もっとも、住民訴訟を統治機構上どのように位置づけるかという問題と、その費用負担をどうするかという問題とは直接にはつながらないとも思われる。しかしながら、しばしば語られる「民主主義に資するものはただちに善である」という議論は一種の思考停止だと思うので―それは「裁判員制度は民主的制度なので善である」などという短絡的な議論と同じである―このような問題設定には意味があると考える)。
また、住民訴訟が問題とするのはあくまで「法令違反」だけである。そこで追求する価値は経団連が強調するコンプライアンス(法令遵守)とイコールである。しかし、私は企業もコンプライアンスだけで十分とは思わない。それ以上のものが求められるはずである(それがCSR(企業の社会的責任)と言われているもので十分かどうかは一つの論点であるが、ここではさておく)。
さらに、住民訴訟では、住民同士で公論をたたかわせるという機会は保障されていない。
私は、民主主義で重要なのは、気分感情で揺れ動く「世論(せろん)」ではなく、冷静な議論を経て形成される「輿論(よろん)=パブリックオピニオン」だと考えているが(佐藤卓己『輿論と世論』新潮選書、二〇〇八年参照)、住民訴訟は「輿論」形成には直接には何も貢献しない(話題提供はできるだろうが、それだけでは特別扱いする意味は見いだせない)。
要するに、私は、住民訴訟というものは、違法行為是正のための回路ないしツールの一つを提供するものにすぎないのであって、使い方によっては利益も害悪ももたらすものであるので、それを手放しで賞賛するのはいかがなものか、と考えている。
北陸支部(石川県) 菅 野 昭 夫
チュニジアに端を発し、エジプトなど中東各国に燃え広がった民衆の闘いは、燎原の火のように燃え広がっていますが、驚くべきことに、アメリカのウイスコンシン州(中西部の州)にも飛び火していることが、アメリカのメディアによって報道されています。
事の始まりは、本年二月に、同州のスコット・ウオーカー知事(共和党)が、州の公共部門の労働者の団体交渉権を剥奪し、老齢者などへの福祉を削減し、州の公共部門の民営化を推進する予算関連法案を、州議会に提案したことです。時あたかも、中東の闘いが燃え広がり、アメリカ国民も、そのテレビニュースに接しているときでした。二月初旬から、ウイスコンシン州の州都マディスン市やミルウオーキー市で、この提案に抗議するデモが始まり、ムバラク退陣の日である二月一一日には、約五万人がマディスン市の州議事堂の周辺に集結し、ついに州議事堂に入り、議会の機能を麻痺させるに至ったのです。さらに、民主党に所属する一四人の州上院議員が、議会をボイコットし、イリノイ州に潜伏したため、議会の開会も出来ない状態となりました。知事は、一四人に対し、もし直ちに議会に戻らなければ、彼らの選挙区への予算の割り当てを削減すると共に、その選挙区の公立学校の教師の首切りを行うと脅迫したのですが、この脅迫がかえって運動の火に油を注ぐことになりました。
この抗議の運動は、当初は、AFL・CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)と公共部門の労働組合、教師の組合が呼びかけたものでしたが、世論調査によれば、ウイスコンシン州の世論は、六〇〜七〇パーセントという圧倒的割合で知事の提案に反対し、運動を支持する結果を示しました。間もなく、民間の労働者も闘いに参加し、さらに、高校生を含む無数の若者、教師、一般市民も州の各地で大規模なデモを行うように運動は発展していきました。知事は、州兵を投入してデモを取り締まると述べましたが、その日、マディスン市でのデモは、一〇万人規模となりました。州議事堂は、数週間にわたり、デモ隊が占拠し、彼らはそこで寝泊りし、簡易な食堂を運営し、集会やライブ演奏を行うなどの交流が続いています。平和的な態様であるため、警察など法執行機関の介入はなく、逮捕者も出ていないと報道されていました。というよりも、公共部門のひとつである州の消防士や警察官も州知事の提案に批判的で、運動に同情的とさえ報道されているのです。
こうした運動の高揚の背景には、言うまでもなく、新自由主義的な経済政策に対する民衆の怒りがあります。知事は、「公共部門の労働者は、民間に比べて不当に高い労働条件をむさぼっており、公共部門の予算削減を敢行しなければならない」と法案を正当化しようとしていますが、同知事のこの政策が同州を牛耳る超大資本の指示によることが暴露され、大金持ちを減税等で優遇し、軍事費等に湯水のごとく税金を使いながら、教育、福祉などの分野で弱者に犠牲を強いることに対する民衆の怒りが爆発したことは、デモ隊のプラカードなどに明瞭に読み取ることが出来ます。
ここ二年ほど、アメリカでは、ティーパーティーのような右翼的な草の根の運動が急速に広まっていましたが、政治の革新を求める労働者、市民の草の根の運動は、オバマを当選させて以後は、音なしの状態でした。従って、「デモが始まる前の日まで、ティーパーティー以外の大規模なデモが町中を埋め尽くすことなど、誰が予測したであろうか」と、コメンテーターは述べています。そして注目すべきは、中東での民衆の闘いがアメリカ国民に与えた影響です。デモの参加者は、口々に、同時期のエジプトでの民衆の決起に影響されたことを表明しています。「私は、一、二週間、エジプトでの出来事をつぶさに見てきた。私は彼らに本当に啓発された。自分の国の自治と民主主義に犠牲をいとわず参加する彼らの姿に、深く感動した。だから、私はここにいる。」とあるデモ参加者は記者に語ったと伝えられています。インターネットを通じて、ウイスコンシン州の闘いに、全米のみならず中東から連帯の挨拶が多数寄せられています。「エジプトは、ウイスコンシンを支持する、世界はひとつで、痛みは共通だ」などのインターネットを通じてのメッセージが、デモ隊の占拠する州議事堂に貼られています。さらに、エジプトと同じく、このウイスコンシン州の抗議運動も、インターネットを使用して、若者によって組織され、参加者の圧倒的多くが若者であると報道されています。労働組合が中心的な役割を果たしたことも、共通点のひとつです。著名な評論家であるノーム・チョムスキーも、「労働運動こそ民主主義の守り手であることが、エジプトとアメリカで、久しぶりに示された。」とコメントしています。
数週間にわたって、大規模なデモが続く中で、ウオーカー知事は、三月九日夜、ついに州兵を動員してデモ参加者の州議事堂からの排除を断行し、逮捕者が続出しているようです。そして、ウオーカー知事は、予算案と団交権剥奪などの法案を切り離して、後者だけを州議会共和党に強行採決させてしまいました。その事態に、全米から非難の声が沸き起こるとともに、映画監督のマイケル・ムーアは、TVインタビューで、「ウイスコンシンの運動は、一握りの金持ちを除くアメリカ国民全体を代表する階級闘争である。そして、幸いなことは、今や彼らの運動が多数派であることだ。」と語っています。デモ参加者は、法案が通過されたので、知事の解任と州議会の解散を次の目標にすると表明しています。
依然として、オバマ政権が、民衆の立場に立ちきれず、アメリカの軍事優先、大資本本位の政策に追随している中で、このウイスコンシン州の運動の持続的発展の有無は、大いに注目されるところです。
二〇一一・三・一〇
滋賀支部 吉 原 稔
一 メア日本部長の発言の中の「憲法九条を変えるべきだとは私は思わない。憲法が変わることは米国にとっては悪い。日本に在日米軍が不要になるからだ。憲法が変われば、米国は日本の国土を米国の国益を促進するために使えなくなる。日本政府の支払う高価な受入れ国支援は米国の利益だ。我々は、日本でとてもいい取引をしている。」との発言は、一見奇異に感じる。
砂川判決の「米軍駐留は憲法九条違反」との論理やアメリカ政府高官の自衛隊海外派兵を促す発言からすれば、米国は憲法九条改悪賛成論だと思い込んでいたのに、この発言は憲法九条はアメリカの利益だと言っている。
思うに、憲法九条を変えれば、日本の自衛隊はもっと強大になり、堂々と海外に派兵できる。自分の力だけで国を守れるから、在日米軍はいらなくなる。アメリカに出て行けと要求される。その時は、在沖の海兵隊の抑止力はなくなるし、「思いやり予算」もなくなる。憲法九条があるから、在沖の海兵隊を始め、在日米軍の抑止力が頼りにされ、「思いやり予算」は米国の利益になる。
つまり、憲法九条によれば、米軍駐留は違憲だが、違憲の存在だからこそ米軍が頼りにされるので、自衛隊が合憲になれば、米軍は出ていかざるを得ないことになるというのである。
メア日本部長の発言は、アメリカの本音を語っていることは明らかであるので、メア日本部長の言うように、憲法九条が在日米軍を守るのではなく、憲法九条をアメリカを出て行かせる法的武器とすることが必要である。
つまり、米軍駐留は憲法九条違反という砂川判決の正道、原点に立ち戻ることが必要である。
二 日米合同演習反対について、知事は、一貫して防衛問題は国の専管事項であるから口をはさめないと言ってきた。
ところが、先日ある集会で、岡田知弘京大教授が、「どんな自治体でも、国と対等な立場で交渉できるというのが水平原理に基づく現行憲法の考え方です。外交・軍事は国の役割という垂直的役割分担論になれば、米軍基地について沖縄県民が声をあげたり、基礎自治体が国に物申したりすることは違法行為とみなされることになります。『地方分権』や『地域主権』の名によって地方自治体を国の目下におこうとするものであり、明治憲法の垂直原理を再構築しようというものです。」との論理である。
これは、防衛問題は国が握って離さないというガードに一石を投じたものであり、日米合同演習や基地のあることによる住民への被害を防止することには大いに役立つだろう。
東京支部 神 田 高
“島ぐるみ闘争”と自治意識
沖縄地上戦が終わったあとも土地は奪われたままという状況の中で、私たちは、安保と共に憲法も制定されているのだから、沖縄県民が五三年から五五年にかけてブルドーザーで押し寄せてくるのに対して、米軍に対して当然抵抗運動が起こるのです。日本が独立しているのですから、捕虜から解放されて、施政権は日本にあるとされたのですから、抵抗運動が、“島ぐるみ闘争”が起こるのですね。その象徴となったのが伊江島の阿波根昌鴻さんが先頭になって島ぐるみ闘争をつくっていきます。
そのとき、沖縄県民はどうかというと、アメリカもですね、戦争中も沖縄県民を守っていくというだけではなくして、県民に対してしっかりと自治意識を組織しているのです。戦争中でありながら、既に農業指導員も育てて、食糧増産をはかり、学校もテントの中で開校したり、測量調査のためにちゃんと技士を育てている。行政に対しては、日本の兵隊で地位のあった方を捕虜にとったら、その人を長にして、その地域を納めさせていく。戦争中でありながら、どんどん自治意識をつくっているんですね。
捕虜の状況の中でも、“島ぐるみ闘争”は、ようやく捕虜から解放されて、他人の土地であったが、家を建てて、農業生産で生活が形づくられたかなという時に、米軍は布令、布告を出してきて、沖縄に改めて基地を構築するわけですから、これはもう「新規接収」なんです。日本軍基地を作りかえたのとは違って、新たに住民が住んでいる家屋敷をまず銃剣で脅して、抵抗する者は簀巻きにして、くくって、監獄にぶち込みながら、抵抗する者には銃で脅しながら家をブルドーザーで押しつぶし、焼き払っていくということが起こったのが、伊江島の土地闘争であり、伊佐浜の土地闘争であり、今の那覇の飛行場である小禄の土地闘争であったのです。
それ以外に、闘争ではないけれども、米軍が勝手に取り上げたのが那覇の副都心である上之屋(おもろまち)の地域は抵抗がない中で基地がつくられた所、沖縄市のキャンプヘイグ跡のかりゆしという所、第三海兵師団が置かれたところ、キャンプハンセンも無抵抗でつくられた。沖縄県民の中では、伊佐浜、小禄、伊江島が抵抗運動で“銃剣とブルドーザー”で奪われた、そういう動きを見ているから、抵抗できなくて結局奪われた所が「おもろまち」だった。そういう中で、抵抗運動をやるわけです。
では、自治意識はどうかというと、ちゃくちゃくと進められていて、一応は(高等)弁務官の命令ではあるけれど、行政主席、今の県知事に値する主席が命令で置かれて、議会も立法院議員が選挙に基づいて選ばれていく、しかし、ここには過酷な小選挙区制が敷かれて、まさにアメリカの言いなりになるような傀儡政権みたいなものが沖縄の琉球政府なのです。そこには瀬長亀次郎さんなどが抵抗者としてずっといるわけですけど、大半は傀儡政権としての位置付けをもった立法院議員が多かった。そういう中でも“島ぐるみ闘争”に対しては、しっかりと県民の意思を通して、“四原則貫徹闘争”、そして立法院議会でも決議をして、この闘争を米国政府に突きつけていくんです。
“四原則貫徹”とは何かというと、まず、米軍は沖縄を永久に基地として構築していくために“九九年間の一括買い上げ”ということで「プライス勧告」、アメリカのプライス上院議員がやってきて、沖縄を調査して、沖縄は対防共線としてしっかりとした基地を構築していくためには、九九年間という“永久使用”を築いた方がいいとして、「プライス勧告」をアメリカ国会に送るわけです。その結果アメリカは一九五〇年に予算化をして、沖縄の新たな土地闘争が始まるわけです。そのときに沖縄県民からは、(1)新規接収反対、(2)一括払い反対、(3)適正補償、(4)損害賠償、これらが四つの条件でした。
この四つを掲げて“四原則貫徹闘争”といって、“島ぐるみ闘争”をおこなって、アメリカまで飛んでいって、アメリカ国民にも訴えていくわけです。結局、アメリカは折れまして、永久使用を断念します。永久の九九カ年間の一括払い方式を断念して、地代による賃貸借に切り替えます。この時の金は、一括買い上げをする予算の果実を基金として置いておいて、その果実でもって軍用地料にあてる。
“島ぐるみ闘争”の終息から“祖国復帰運動”へ
当時のお金B円で坪あたり一円八〇銭 、当時コカコーラ一本がB円の一〇円であり、このコカコーラ一本分の値段で一年間で九坪借りる(一$=B円一二〇円レート、日本円三六〇円レート)。
安い土地代を払ってアメリカは沖縄の土地を強制的に借り上げるということをやる。ここで“島ぐるみ闘争”に対して、まさにアメとムチの政策がアメリカによってなされるわけです。 当時沖縄県民は金を稼ぐすべが無いですね。唯一金が稼げるのは、軍で働くか公務員、農協で働くか、このくらいで、残りは自給自足の生活ですから当然金がおりてくるとなると非常にほしいわけです。ですから“島ぐるみ闘争”として立ち上がった県民の中の軍用地主の中から、やはり地代が入ってくるとなるとお金がほしいわけですから、契約に応じていくということがおこって現在まで、いわゆる「沖縄県軍用土地等地主連合会」というのが行われている。
沖縄県の軍用地というのは国有地約三割、県有地約三割、私有地三割とよく言われています。国有地三割と言うけれども実際的には、北部のヤンバルの国有地が大半ですから、実際的には軍事基地じゃないんですね。ただ網をかぶせただけでアメリカはそこはほとんど使っていなかった。広大な面積が国有地として位置付けられているから三割であって、実際金網で囲われた中での国有地というのはあるかというとわずかです。残るはみな個人有地。そういう中で土地代を払うと言ったので受け皿を作らざるをえなくなった。県も市も市町村も一緒になって、個人の軍用地主も一緒になってこの「土地連」と言うのを作るわけです。これが沖縄県の最初の軍用地主会なんです。そういう中で“島ぐるみ闘争”が終息をしていくんです。
ところがその後どういう事が起こるかというと、アメリカは「沖縄にお金を払って軍用地を借りている」という。今までは占領行為ですから、「奪った」ということになるわけですが、「借りている」という、そうしてくるとアメリカ国民から見れば沖縄の人たちに対していろんな迫害をおこしてくるわけですね。交通事故でひき殺しても、地位協定があるために無罪放免で裁判権は実質的にアメリカにしかないわけですからー今もこの地位協定は続いています。婦女暴行したって逃げられてしまう。イノシシと間違えて銃殺をされる、飛行機から落下傘で物資が落ちて押しつぶされても補償はない。おまけに基地から垂れ流される汚水問題、毒ガス問題いろんな事が起こって、嘉手納では“燃える井戸”という嘉手納飛行場から燃料が漏れて、地下を通って民間地域の井戸からガソリンが出てきて、くみ上げたらこれが燃え上がるという。こんないろんな形で基地からもたらされる諸被害が「基地は諸悪の根源」といって、この間県民がアメリカからもろもろの形で迫害を受けてくるわけですから当然、だんだんだんだん沖縄県民の中で、“自治意識”が高まり、“祖国復帰運動”へと高まるわけです。これは日本国民からも一緒になって応援していただいて復帰運動が起こるわけです。本土からは「沖縄を返せ」というし、私たちからは「日本に沖縄を返せ」ということでやっていて本土復帰運動をやってくるわけですけども、その復帰前の一九六八年時代アメリカはベトナム戦争を六五年から始めて、六八年はもうアメリカは負け戦ですよね。そこでB52が沖縄嘉手納飛行場に落ちて、莫大な被害を起こす。
そうかと思ったら 当時の日本政府は、沖縄には核もあるし、毒ガスもあるけれども日本の国民には一切報道しないわけですから、おかしいことが起こっていたわけですね。毒ガスが漏れて、“毒ガス撤去闘争”が起こるわけです。六八年、七〇年に約三年かけて、毒ガス撤去をするわけです。
この最後の年に毒ガス撤去闘争をやった県民大会のその翌日、実は七時から集まって県民大会をして九時に終わった県民大会はちょうど一二月の一九日、もう師走に入っていて浮かれ気分なんですよね、サラリーマンは。いわゆる労働組合の方々が県民大会にたくさん参加していて、一般の県民の方もいるけれどもほとんどが教職員組合なり労働組合のみなさん方が率先して県民大会を開いているわけで、いっぱい気分で街に繰り出していったら翌朝の八時くらいまでなっているわけで、二〇日の未明になっている。そこで米軍が交通事故を起こして県民をまたひき殺すわけです。その三年前にひき殺して無罪放免で逃げていった。この現場に立ち会わせた毒ガス撤去闘争の県民大会を開いた後、飲み屋に繰り出した人たちは酒の勢いもあって、目の前で米軍車両が県民をひき殺したので、これは自分たちで裁かなければだめだとアメリカに犯人を引き渡したら必ずや無罪放免になると悟った県民はそこでアメリカの軍事車両を一つひとつ焼き払っていく。七三台あまりの米軍車両がひっくり返されて約一・二キロのコザの街の中心街で車両が焼き討ちされる。
その前夜というのは正に、沖縄県民から見ればもうアメリカ人そのものに対する怒りは激しいたるやー当時はアメリカ国民の中でも東京オリンピックの時に、“ブラックパンサー”といってベトナム戦争に参加した黒人兵はオリンピックに参加して反戦意思を表していましたね。沖縄県の中でも黒人と沖縄の人たちは白人からやっぱり迫害、差別されている。ですからあの焼き討ち事件の中で黒人車両は一台も焼かれていないんですよ。白人車両しか焼かれていない。しかも、類焼を免れるように道路の真ん中にみんなで車をよいしょよいしょ持ち出してきてここで焼き払っている。規律のあるような状況の中で、誰も号令も発しないのに以心伝心みたいな形でやって、だからアメリカも沖縄の警察も騒乱罪を適用できなかった。ベトナム戦争のときに新宿騒乱罪があったが、沖縄ではそれ以上のことが起こったのに騒乱罪を適用できなかった。そのくらい誰となく県民の怒りがひとつになって車両を焼き討ちし、しかも白人車両だけ、黒人は県民と一緒に被害者だという風になっているわけです。
そんな中で片や一方では県知事選挙、那覇市長選挙、立法議員選挙といって三大選挙が闘われていて、民主化闘争をしている中で、ようやくここで屋良知事を誕生させるわけですね。立法議員として任命権者であった行政主席から、三大選挙として知事公選を主張し、沖縄から国会議員をといってセナガ亀次郎さんも復帰前に国会議員として選ばれているわけです。この三大選挙の中でいろんな形で屋良知事が誕生してしまうとアメリカはもう沖縄をそのまま米軍支配の下に置くわけにはいかないと言ってアメリカの将軍は、沖縄の復帰を認める形でアメリカに報告するわけです。
ついに七〇年佐藤総理とニクソンは合意をして、七二年の五月一五日に沖縄復帰を認めるわけですよね。
東京支部 牛 久 保 秀 樹
団報を、「異評 司馬遼太郎」(草の根出版会)の著者、「司馬作品には功罪、両面がある。にもかかわらず、「功」は多くの人が語り尽くしている一方、「罪」は等閑視されてきた。まるで司馬タブーというものがあるかのようである。」と記載しているI氏に送りました。彼からの返信です。私も、ぜひ、彼と同様、作為者に続編を掲載されることを期待します。
「落語もどき」送付、ありがとうございました。
「坂の下の糞」とは、意想外!夫婦して笑わせてもらいました。
朝鮮をたべた「糞」、中国をたべた下痢便。それを肥やしに、再建された日本資本主義の行く末やいかに?
次編続編が、楽しみです。