過去のページ―自由法曹団通信:1376号      

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小部 正治 松江・玉造温泉 五月集会で会いましょう
岡 由美子 島根・松江での五月集会へのお誘い
高野 孝治 五月集会 観光のご案内
田中  隆
(東日本大震災対策本部長代行)
東日本大震災と自由法曹団・団員の活動
坂井 興一 「家郷喪失」 三・一一東北大津波のことなど
小林 善亮 *特集*
二・一八「国内人権機関の設置問題に関する全国意見交換会」報告
藤原 精吾 国内人権機関意見交換会(二〇一一年二月一八日)
「国内人権機関? 何じゃ」
石川 元也 焦点は、私人間の問題にある
―国内人権機関の設立について―
神田  高 改めて沖縄米軍基地の全面撤去を求める
渡辺 輝人 残業代等計算ソフト(エクセルシート)
「給与第一Ver0.2」の無償頒布を開始しました
衆院比例定数削減阻止対策本部 五・九 池袋駅西口宣伝行動!
比例定数削減阻止へ!



松江・玉造温泉 五月集会で会いましょう

幹事長  小 部 正 治

松江の街と玉造温泉 今年度の五月集会は五月二二日(日)〜二三日(月)に島根県松江市にて開催されますが、宿泊する玉造温泉「ホテル玉泉」は素敵な温泉であり、会議場の「くにびきメッセ」=島根県立産業交流会館は大きく利用しやすい施設です。言うまでもなく、松江の五月も素晴らしく、個人的には松江城・旧八雲邸周辺の散策及び小舟遊覧がおすすめです。また、一泊旅行は世界遺産となった石見銀山を一日堪能できる日程です。

五月集会の魅力 私がほぼ毎年五月集会に参加してきた理由は、なんといってもリフレッシュです。日頃様々な事件や諸活動に追われゆっくりする時間がとれないのが実感で、五月集会は必ず何らかの刺激を受け、頑張っている団員の発言等に触れて初心に帰ることができる数少ない機会です。また、年に一、二度しか会えない同期のメンバーが集い、近況を報告し、今と昔を語り合うことができるのも楽しみです。特に三一期は参加者が一桁でややメンバーが固定化してきましたが、幹事長の顔を立てて今年は是非たくさん来てください。さらに、自分一人では学ぶことができないテーマ・分野に関して、全国で最高水準の議論が目の前で展開され、資料が簡単に入手できることも大きなメリットでしょう。

今年の目玉は 今年はTPP(環太平洋連携協定)に関して、全体会で鈴木宣弘東大教授の講演が行われます。また、三月一一日に東日本大震災が発生し死者・行方不明者の合計が二万人を越えるほどの大きな被害が出ました。阪神淡路大震災の経験に学んで、東北三県を中心とする団員への支援と街の復興に必要な団としての役割・活動を明確にすることも必要でしょう。さらに、名古屋市や大阪府などをはじめとする統一地方選挙の争点・内容などが今後の国政にどの様な影響を与え、同時に、「地域主権改革」の動向はどうなるのか、も注視すべきでしょう。そして、憲法九条の明文改憲や悪政推進のための「比例定数九〇削減」は、菅政権の動向の如何に関わらず財界の後押しもあり、消費税の導入の口実として、あるいは参議院の定数格差是正と連動して、遅くない時期に国会へ提出されかねない状況です。今後、大きな世論を結集するために、団は何をなすべきか、議論し実践すべき段階にあります。

団の将来を見すえて 五月二一日(土)午後はプレ企画が開催されます。全ての支部・県から一名以上の参加を希望します。二月常任幹事会で団員数は二〇〇〇人を超え新しい峰を築きました。しかし、全国的には、若手が空白であったり後継者が見つからずに承継の困難が予想される県・地域も決して少なくありません。今や新しい団員にそのような県・地域で活動できる制度的な保障を確立することが必要です。同時に、「団の事務所にきてくれた」若手団員が団の活動に主体的に参加できるような創意工夫ある支部活動・支援活動も定式化して発展させる必要があります。そして、若手団員自身が取り組んでいる「給費制維持」とビギナーズネットに対して、団として何ができるか何をなすべきか議論します。

 五月集会は盛りだくさんです。是非・松江でお会いしましょう。


島根・松江での五月集会へのお誘い

島根県支部  岡 由 美 子

一 三月一一日の東日本大震災の発生による未曾有の被害と福島原発の深刻な事態が報じられる中、死者・行方不明者を悼み、その冥福を祈るとともに、私達地方の団員のなすべきこと、できることをと、強く思う毎日です。

 このような中で開催される五月集会は、必ずや、この災害の中で窮状にある地域住民が一日も早く悲しみから立ち直り、生活再建を果たすための具体的な取り組み、原発震災被害から得た教訓を今後に生かしていくための取り組みの大きな力になることを信じています。

 是非、多くの団員の皆様が島根・松江市において開催される五月集会に参加されることを呼びかけます。

二 五月集会の開催される松江市には、現在、中国電力の島根原子力発電所二機(一九七四年、一九八九年に各運転開始)が稼働しています。松江での五月集会の会場も、又、島根県庁もこの原発から五キロ圏内にあるのです。

 この全国で唯一県庁所在地に立地する原子力発電所では、一九九八年中電の三号機増設のための調査によって、それまで中電が否定し、住民や島根大学の地質学者らがその存在を指摘していた活断層が原発敷地二、五qの近くに「発見」され、地震による原子炉の被害を憂慮した約一四〇人の住民らによって一九九九年原発運転差し止め訴訟が提起されました。

 提訴後一一年目の昨年五月三一日、松江地方裁判所は、原告の請求を棄却しました。今回の福島原発で生じた出来事は、すべて訴訟の中で私達が「想定すべき」事態として主張・立証してきたことでしたが、これを原審は「具体的危険性が立証されていない」として退けたのです。

 この三月四日、高裁での第一回の期日が開かれ、原子力発電所の耐震安全性について、改めて審理が開始したところに、今回の東日本大地震が発生しました。

三 島根県は日本のふるさと、古代出雲の国でもあります。

 今回の五月集会の宿泊場所である玉造温泉は、神話に登場する少名彦名命(スクナヒコナノミコト)が発見したと伝えられ、一三〇〇年前に書かれた出雲風土記にも「美容」と「万の病を除く」と紹介され、清少納言の『枕草子』にも「三名泉」のひとつとして「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」とうたわれています。また、玉造温泉は、温泉地東部にある花仙山から産出するメノウを使い、勾玉作りの技術者集団「玉造部」の職人達によって、弥生時代から盛んに勾玉作りが行なわれてきた“玉作りの里”でもあります。

 日頃の活動から少し離れ、懇親を深めながら、疲れを癒していただければと思います。

四 半日旅行・一泊旅行についても、古代出雲と歴史をテーマに企画をしました。特に、半日旅行では出雲大社の傍らにある歴史博物館を訪れ、荒神谷遺跡で一挙に発見された三一三本の銅剣、同じく加茂岩倉遺跡から発見された三九個の銅鐸を見ていただきます。

 また、一日コースでは、世界遺産に指定された石見銀山(大森銀山)の銀の積み出し港として栄えた温泉津温泉に泊まり、翌朝、考古学者の田中義昭先生のご案内と解説で銀山を散策するという企画です(詳細は別稿)。

五 島根県弁護士会は、弁護士の数が全国でも最も少ない弁護士会のひとつであり、県内の自由法曹団員も県内で六名。うち一名は、島根県西部の浜田市、うち一名は隠岐島という弁護士過疎・偏在地域で活動を行っているという実情にあります。

 そのため、残念ながら団支部としてのまとまった活動はほとんどできていませんが、それぞれの団員は弁護士会活動の中心的なメンバーとして活動し、また、薬害C型肝炎訴訟やじん肺訴訟、原発差止訴訟等をはじめとする地域の様々な課題を団員以外の弁護士とともに担ってきています。

六 私達島根の団員は、五月集会が成功裏に行われるよう、力を尽くしたいと思っています。

 島根での五月集会へのご参加を心よりお待ちしています。


五月集会 観光のご案内

島根県支部  高 野 孝 治

◆一泊コース

田和山遺跡

 ちょっと珍しい弥生時代の遺跡田和山(松江市)を弁当持参で見物し、宍道湖を眼下に古代への思いを馳せます。小高い山のまわりに三重の濠がめぐらされ、濠からは三〇〇〇個もの石つぶてが出ました。弥生人が守ろうとした山頂には居住区域はなく小さな神社様の柱跡の穴が残っていました。田和山遺跡は、松江市が市立病院を建設するために、取り壊そうとしていたのを、公金支出差止訴訟も提起し、大勢の市民運動や全国の考古学者の支援によって、国の文化財に指定させ、破壊から免れた弥生時代の遺跡です。

宿泊地温泉津

 大田市温泉津はかつて銀の積出港もあり、銀を運搬した古道、豪商屋敷などが残っており、現役の石見瓦を焼く登窯もあります。銀山とあわせて世界遺産に登録されています。少し早めに到着し、夕暮れのふるい港町のたたずまいをサンポしましょう。

大森銀山

 鎌倉時代末に発見されてから近代まで採掘された銀山であり、最盛期には世界でも有数の産出量を誇ったといわれています。坑道跡、精錬所跡などの他に古くからの街並、寺社、代官跡等が残っています。

 考古学専門の田中元島根大学教授に同行いただき、難しい優しい話、非公開の遺跡などの案内もしていただけることになっております。

◆半日コース

田和山遺跡(同遺跡については一泊観光欄をご参照)

日御碕

 バスで日本海に浮かぶ島根半島の西端、日御碕に向かいます。日御碕は高い灯台とウミネコの繁殖地として名高いところです。広い日本海に望み、日頃の仕事の疲れを癒してください。

島根県立古代出雲歴史博物館

 日御碕からの帰途、出雲大社の隣りの島根県立古代出雲歴史博物館を訪ね、古代出雲王朝の証となっている荒神谷、加茂岩倉遺跡で出土した銅剣・銅鐸の本物を見ていただきます。きっと、その輝きと圧倒的な数に圧倒されるでしょう。


東日本大震災と自由法曹団・団員の活動

東京支部  田 中   隆
(東日本大震災対策本部長代行)

 東日本大震災が発生してからの二週間余、自由法曹団と団員は全力で震災対策にあたってきた。以下、活動について報告するとともに、支部・団員のいっそうのご協力をお願いする。

 すべての活動が把握できているわけでないこと、紙面の都合で羅列的なものになることをご容赦いただきたい。

一 東日本大震災と対策本部

a 未曾有の大震災

 三月一一日午後二時四六分、東日本大震災が発生した。

 マグニチュード九を記録し、二○メートルにおよぶ津波が襲い、岩手・宮城・福島三県を中心に被害が広域に及び、死者・行方不明者が三万人に近づき、原発の損傷で深刻な原子力被害を引き起こしたという、あらゆる意味で未曾有の自然災害であった。

 あらためて、被災された方々に、心からお見舞いを申し上げたい。

b 緊急対策会議と対策本部

 三月一四日、緊急対策会議が開催され、自由法曹団として、団員の安否確認、義捐金の募集、被災者救助・救援、生活再建とまちづくり支援などの震災対策にあたることになった。政府・自治体への提言や生活再建支援法の立法要求など、阪神・淡路大震災(九五年一月)の経験を生かすことも確認された。

 この日、東日本大震災対策本部が立ち上げられた。本部長は菊池紘(団長)、本部長代行は田中隆(旧阪神・淡路大震災対策本部事務局長)、事務局長は久保木亮介(本部事務局次長)の各団員である。対策本部には、東京・神奈川・埼玉の若手団員が積極的に参加している。

 被災地や兵庫・大阪などの団員に対策本部への参加を求め、進展に応じて副本部長などをお願いしていく予定である。

c 対策本部会議と団声明

 三月一九日、対策本部会議を行って被災の実情、災害に関する法制、対策の基本理念等を確認し、当面の方針を調整した。

 討議を踏まえて発表した団声明は、

(1)応急措置を徹底して被害の拡大を防止すること

(2)政府の責任で災害救助法による救助・救援を徹底すること

(3)生活・産業の再建支援と住民本位の復興を行うこと

の三つを柱としている。

d 大阪常幹と拡大対策本部

 三月二六日の大阪常幹では、震災問題の重点討議を行うとともに、常幹終了後の拡大対策本部で、当面の活動を補充・調整した。

 首都圏の対策本部のスタッフと、被災地の宮城県から出席した団員、阪神・淡路大震災を体験した兵庫・大阪の団員などが、震災後はじめて顔をあわせた会合であった。

 この日確認した主な点は以下のとおりである。

(1)四月二日、対策本部スタッフによる現地訪問(宮城)を行い、被災地の検分と地元団員との意見交換を行う。

(2)五月六日、郡山(もしくは仙台)で拡大対策本部を行う。

(3)義捐金は、おおむね所属団員数に応じて、早期に被災地支部に配分する。

(4)福島原発問題についての自由法曹団としての対応方針を調整し、対策本部スタッフの補充を含め必要な体制をとる。

二 対策本部と団員の活動

a 安否確認

 最初の課題は、被災地の団員の安否確認であった。

 連絡が途絶えていた震災当初は安否が気遣われたが、数日のうちにすべての団員の確認ができた。事務所の倒壊といった深刻な被害を蒙った団員はおられないようである。

b 義捐金

 三月一六日、全団員に救援義捐金を呼びかけた。

 被災地で被災者の擁護にあたる支部・団員の活動を支えることによって、被災者支援に貢献しようとするもので、前記のとおり、集まった義捐金はおおむね所属団員の数に応じて被災地の支部にお渡しする。

 三月二八日現在で、寄せられた義捐金は五四二万円に達している。

 長期にわたる被災地での救助・救援活動を支えるために、いっそうの拠出をお願いしたい。

c 実態調査と被災者支援

 被災地では、自らも被害を受けた法律事務所・団員が、被災状況の調査や、被災者の支援に立ち上がった。被災現場に入った団員からは、メールを通じて生々しい状況が刻々と伝えられた。

 「津波によって一次、二次、三次の全ての産業が破壊された」(岩手)、「ガソリンの供給が救出・救援の鍵を握っているが、改善の実感はない」(宮城)、「津波によって大小の船舶、自動車、家屋等の瓦礫が道路と残った建物の周辺に山のように積みあがっており、市内の道路、路地を寸断している」(宮城・石巻)、「福島県内、特にいわきなどでは、食料や物資・燃料の不足から、パニックになり、中通りや会津、県外に自主避難する人が続出しているが、あまり報道されていない」(福島)・・。

 こうした実情は、レポート「被災地・被災者の実情と必要な支援について」にまとめて、政府(内閣府防災担当)に提出した。

 それぞれの被災地で、被災者への法律相談活動や「法律相談マニュアル」の作成などが進められ、「仙台弁護士会の震災対策学習会に二〇〇名が参加」など、弁護士会の対策活動も進みつつある。

d 遠隔避難者へのサポート

 福島第一原発周辺地域の避難指示などによって、県外に避難する遠隔避難者が多数にのぼっている。

 三月一九日、福島県双葉町からの「町ぐるみ避難者」がさいたまアリーナ(さいたま市)に到着し、自治体・ボランティア共同での救援活動が行われた。東京都や神奈川県などにも多数の被災者が避難してきており、それぞれの施設で救援活動が行われている。こうした避難施設では、弁護士会などが設定した法律相談が行われ、多くの団員が参加した。その状況も前記のレポートに盛り込んでいる。

 災害救助法への無理解や受け入れ自治体の姿勢によって、避難者への対応に差異が生まれており、「被災者受け入れや食事の提供を東京都に要求」といった活動も展開された。こうした「避難先での救援活動」は、ますます重要性をますに違いない。

e 政府要請

 三月二四日、対策本部は政府(内閣府防災担当)への要請と懇談を行った。

 「支援物資や医療サポートがすべての避難所・被災者にとどくよう全力を傾注すること」「災害救助法を弾力的に運用して遠隔避難者への援助・救援を行うこと」「阪神・淡路大震災の教訓を生かすこと」などが要請の眼目であり、対策本部側からは要請書や声明。前記の実情のレポート、阪神・淡路大震災の際の提言・報告などかなりの資料を持ち込んだ。

 政府側では、防災担当の参事官が要請に対応した。要請・懇談は予定時間を超えて五〇分ちかくに及び、対応は誠実で真摯さを感じさせるものであった。阪神・淡路大震災の時代と異なって、インターネットで瞬時に情報が流通する時代であっても、被災の現実と行政をつなぐこうした活動は、なお意味を失っていない。

 これからの政府要請や自治体要請のルート・糸口を築いたという意味でも、貴重な活動であった。

三 被災者支援に全力を

a 救助・救援は政府の責任

 震災から二週間、震災対策は、応急措置(レスキュー)の段階から、被災者救助・救援の段階に入りつつある。

 救助・救援を徹底して生活再建の基礎を築けるかどうかが、復興・まちづくりのうえでも決定的な意味をもつ。そして、被災者を救助・救援し生活再建の基盤を保障するのは、社会国家たる国(政府)の責務である……これが、阪神・淡路大震災に際して自由法曹団が提起し続けた命題であった。

 規模や様相が大きく異なる東日本大震災においても、この理念は断じて捻じ曲げられることがあってはならない。「自助」「共助」を押し出して「公助」を軽視する動き、「地方主権」を言い立てて自治体に責任を転嫁する動きが、震災を「道州制」への突破口にしようとする動きになどへの警戒や批判を怠ることはできない。

b 被災地・被災者への支援を

 被災地・被災者を支援し、政府に責任を果たさせるためにも、震災対策活動を強めなければならない。

 すべての団員の皆さんに、

(1)義捐金にいっそうの協力をいただくこと

(2)被災地の支部・法律事務所・団員を激励いただくこと

(3)拡大対策本部会議や現地調査・法律相談活動など、自由法曹団や 支部の対策活動に積極的に参加いただくこと

(4)被災地・遠隔避難先のいかんを問わず、弁護士会などが提起する 支援活動・法律相談活動などに参加いただくこと

(5)それぞれの活動や見聞した事実を交流し、政府・自治体に要求す べき課題を提起いただくこと(さしあたり改憲MLと市民MLへの掲載あるいはFax、団通信への投稿などで)

を、お願いしたい。

c すべての支部で震災対策体制を

 東日本大震災の特徴のひとつは、県外への遠隔避難者が多数にのぼっていることであり、福島原発の状況などによってはさらに増加するものと考えられる。

 遠隔避難者に災害救助法が適用されることをはっきりさせ(三月二四日の要請で政府も認めている)、自治体に適切な対応をさせなければならない。自治体への要請や遠隔避難者に対する法律相談などは、各地の弁護士会や支部が担わざるを得なくなるだろう。

 阪神・淡路大震災の体験をもつ兵庫県支部は、すでに対策体制を立ち上げている。東日本大震災が被災地だけの問題ではなくなっていることにかんがみ、すべての支部で震災問題と被災者支援を論議し、いつでも対応できるように対策体制を構築いただくようお願いしたい。

(二〇一一年 三月二八日脱稿)


「家郷喪失」 三・一一東北大津波のことなど

東京支部  坂 井 興 一

(取り敢えずのご報告)

地震すぐの頃、盛岡一高先輩でもある菊池紘団長から震災対策本部立ち上げのお問い合わせを頂いた。勿論、全面協力するに吝かではない。が、幾らかは私事の部分があり、今ひとつ素直に助けて下さいと言いにくい気分があって発信をためらっていたが、通信三・二一号の関係記事を見ていて、団員各位に有意味に受け止めて頂けることがあればと思い、取り敢えず言葉に出来る範囲のものをと思い立った。以下のカッコ内は、小生の身上を知れる方々へのもので、便宜、転記させて頂く。

 「(ご報告)福島原発の危機拡大や電車・電気の混乱が重なっているところで恐縮します。結末がなかなか見えないので、遅れましたが、途中ご報告致します。小生がふるさと大使を仰せつかっている岩手陸前高田市の、特に中心の高田町は航空映像でご覧のことかと思いますが壊滅状態に陥り、その大町の私の実家店や気仙沼店など四店舗全てが街の被災と運命をともにし、兄たち二家族は未だ安否不明で…折々TV画面に出る高田一中(小生卒後の統合の成り行きで、高台に新設。)での避難所が最寄りのところでしたが、そこの名簿にはなく、他にそれらしき避難場所も思い当たらず…現地は送受信能力がなく役所機能もほぼ壊滅、ダブル伝聞情報で振り回されているような状況で、今日あたり、仙台の甥たちが現地に向かうとか言っていましたが、ガソリンのことや、そも一般人の通行が出来るのかもハッキリせず、当方は残念ながら拱手傍観状態のままです。実家は比較的海から遠いところにあり、チリ地震津波のあとの高い護岸への信頼が却って仇となったかも知れず、余りの速さと水量で、丸々の水没が一定時間続いてしまい、従業員諸氏・親戚・知友人・多くの同窓生も同様に不明状態です。…小生は昨春より東京大空襲訴訟に加わっておりましたが、まさか自分がふるさと壊滅を見ることになろうとは…。ともあれ、事態が沈静化し、落ち着いて再出発を迎えれるよう微力を尽くすべきが私の務めかと…。尚、言う迄もありませんが、私宛のお見舞いや応答の必要はございませんので、その旨ご理解願います。」

(被害の実情)

 戻るが、小生の三・一一の地震時はたまたま事務所にいて、日航客室乗務員解雇事件弁論出廷のあと、都心で交通難民となった所員諸君を待つ立場にあった。JR蒲田東口の事務所の隣で旧松竹蒲田撮影所跡の高層オフイスは、大きな揺れでパニック状態になった大勢の人たちがいつまでもビル前広場に滞留していた。速報の震源地は東方向になる三陸沖。それならチリ地震の時と違って、湾口が南に向いた旧は伊達藩の三陸は大丈夫なのかなとも思えていたが、夜に入り、兄たちの主力店のある気仙沼がタンク爆発で火の海になったのと、宮城・福島沖と南に移った震源地表示に驚き、するうち、陸前高田壊滅テロップが走り出した。小生には他に仙台北東郊の多賀城に住む二人の姉がいて、辛うじて避難所に難を逃れたことが分かったが、それからの何日間か、残骸だけとなったふるさとの街と、兄たち二家族の安否の突き止めようも心当たりもない日々を過ごしていた。その後、在仙台の二家族の甥達は何とか現地入りし、たまたま他出中の下の兄のところは生存を確認、然し一緒に探した長兄一家は安置所にも見当たらず、明暗を分けた甥達はそれ故言葉も顔を合わすことも出来ないまま、捜索願を出すことでやっと不明者扱いとして貰えたようで、発表数との大きな乖離はそのためであったのか。アレコレの親戚・知友人・級友の運命は、三・二〇アカハタ日曜版など掲載の航空写真の壊滅した街の様相から容易でないと想像されていたが、漏れ聞く死者・不明者は壮年男性の割合が高く、最終目撃者の証言では、消防団員・諸手配と誘導、避難の殿役をしていたとの話が多い。歌集「一握の砂」のもとになった啄木の「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れバ 指のあひだより落つ」の歌碑があった日本百景高田松原には松の巨木が群れをなし、その後ろには七mはあろうかという長い護岸が続き、浜辺から街の中心迄二Kmはあった。それへの信頼もあってとは思うが、「てんでんバラバラに(逃げろ)」の言い伝えには沿わなかった壮年諸氏の、そうした行動と振る舞いを然し立派だったと思い、それ故に生き残れた方々の心情や、先の見えない避難所生活のこれからの大変さが強く懸念もされ、複雑な気分である。

(家郷喪失)

 そして同じくふるさと大使で、津波が遡上した気仙川沿いで「北国の春」の千昌夫(氏)の母が住む竹駒町、俳優村上弘明(氏)の実家のある半島の広田町の被害もまた相当のものになっている。小沢議員がらみのこの二月の市長選は、共産党市議団長から市長を二期務めた中里氏の後継の戸羽氏と前県議民主S候補の、二重三重に身近な知人同士の激戦となったが、当選した戸羽市長、S候補、キーマンとなっていたK衆院議員の身辺の方々や大勢の市職員が行方不明のまま。現地からは前市長ご子息のレポート等も掲載されていて、小生の通った高田小・中学校舎や、高校同期で東京日の君訴訟原告のお一人でもある菊池夫人初任の県立高田高は指定避難所でありながら水没。高田一中は早くも仮設住宅建設第一号とTV紹介されていて、じゃあ、校庭はと思ったが、それは取り越し苦労なのか。生徒達は翌日の卒業式に備えていて概ね難を免れたとのことであるが、眼下に家郷が親兄弟が、無情にも押し流される光景をリアルタイムで目撃させられた、その彼らの下校先がなくなってしまっている。現地は未だ、ガソリン・電気・水・薬・食料、全てが足らず、何もかもがこれからであり、加えて、進行形の原発問題や余震騒ぎもあり、まとまった感想を述べるのは後日のこととさせて頂きたい。

(二〇一一・三・二五記)


*特集*

二・一八「国内人権機関の設置問題に関する全国意見交換会」報告

事務局次長  小 林 善 亮

一 はじめに

 二月一八日、「国内人権機関」についての団内学習会が大阪で行われ、参加者は三六名であった。

 「国内人権機関」というのは聞き慣れない方も多いのではないか。国連などでは、政府や裁判所、立法だけでなく、政府から独立した人権保障を任務とする機関(国内人権機関)を設けて、迅速に人権侵害を救済したり、政策提言や教育活動を行なうことが必要だとされてきた。一九七〇年代から一部の国で国内人権機関が設置され始め、一九九三年にパリの国連総会で「国内人権機関の地位に関する原則」(パリ原則)が採択され、国内人権機関の独立した運用を保障するために確保しなければならない基準が定められている。日本にも国内人権機関を設けるべきとの国際的な要請があることや、民主党が二〇〇九年のマニフェストで国内人権機関の設置を掲げていたことから注目されるようになった。

 ただ、過去日本では、同和問題に対する対応など、政府機関が「人権」を扱うことによって様々な問題が生じてきました。国内人権機関を設置することによって再びこのような問題が起きないか慎重に検討する必要がある。そのために二月一八日、「国内人権機関の設置問題に関する全国意見交換会」が大阪で開催されることになった。

二 藤原精吾団員による基調報告

 日本では、二〇〇二年、自公政権時に「人権擁護法案」が国会に提出された。しかし、この法案は救済の対象となる範囲が狭かったり、マスコミの規制につながる危険があるなどの批判を受け廃案となった。他方、一九九八年の国連自由権規約委員会から「人権侵害の申立を調査するための独立の機関の設置」を勧告されて以降、日本はたびたび国際人権機関から国内人権機関の設置を求められてきている。

 他方、法律が無く裁判に訴えられない人権侵害の救済や、裁判に訴える前に人権侵害を救済できることも必要である。これまで弁護士会は人権救済の申し立てを受けた案件について積極的に調査し勧告を行ってきたが、調査権限が法定化されおらず調査にも限界がある。政策提言や迅速に人権救済ができる機関は必要である。同和問題との関係から反対だけするのではなく、人権侵害を差別問題に矮小化させないということと、具体的にどのような国内人権機関の組織を作り運営していくのかという視点で積極的に提案していくことが重要である。

 二〇〇八年一一月に日弁連が理事会で「日弁連の提案する国内人権機関の制度要綱」を決議した。その内容は、(1)組織、委員の選任手続、身分保障、(2)権限、(3)予算、(4)職員について政府から独立した機関であることや公権力や社会的影響力のある組織集団・個人による人権侵害などを対象、調査や調停、仲裁、警告、勧告、要望等を行うこと掲げている(調査に罰則はないが、公務所には協力義務がある)。

三 石川元也団員による報告

 一九六四年の同和対策審議会の答申や一九六九年の同和対策特別措置法制定以来、同和問題に絡み暴力的な事件が発生した。矢田事件や八鹿高校事件など。裁判でもたたかった。同和対策事業の受注を主として部落解放同盟関係の組織を窓口に行うという「窓口一本化行政」も行政の中立性を害すると批判してきた。二〇〇二年に同和対策特別措置法が失効したが、「人権行政」や「人権相談」と名前を変えて残っている自治体もあり、住民訴訟が行われているところもある。

 この歴史を振り返っての教訓は、行政は諸条件の整備に徹するべきで、啓発内容など「こころの問題」に立ち入ってはいけないということである。国内人権機関についても必要性や国際的要請は分かるが、公権力による人権侵害に特化すべきではないか。国内人権機関の地方委員の公正や客観性をどれだけ担保できるかも問題となる。

四 意見交換等

 藤原団員、石川団員の報告後、参加者による意見交換が行われました。そもそも、国内人権機関の設置が必要なのかという意見や、弁護士会の人権委員会の調査に協力を拒否された経験から国内人権機関の設置が必要という意見、設置するとしても私人間の問題は基本的に対象とすべきでないとの意見や、国内人権機関の職員や地方組織の独立性を確保する具体的な方策が重要であるとの意見など、様々な意見が出された。最後に杉本本部事務局長から、私人間の問題や同和問題など議論すべき論点がある、しかし警戒する余り「やめてしまおう」という事でなく、何に注意して、どういうものを考えていくのか今後も議論したいとまとめがなされた。

 国内人権機関について、広く団員の意見交換をしたのは初めてであるが、論点が整理され、極めて有意義な議論がなされた。


国内人権機関意見交換会(二〇一一年二月一八日)

「国内人権機関? 何じゃ」

兵庫県支部  藤 原 精 吾

一「国内人権機関?」

 九八年自由権規約委員会は、日本政府に対し、「委員会は、締約国に対し、人権侵害の申立を調査するための独立の機関の設置を強く勧告する。」

 「とりわけ、委員会は、警察や入国管理局職員による虐待の申立を調査し、救済のため活動できる独立の機関が存在しないことに懸念を有する。」

と勧告した。

 これを機に日弁連では国内人権機関設立に向けての取り組みを始め、人権大会でのシンポ、〇二年の政府「人権擁護法案」に反対する活動を経て、〇八年には「日弁連の提案する国内人権機関の制度要綱」を理事会で決議し、「国内人権機関実現委員会」を設け、活動を始めており、現在団員でもある私がその委員長を務めている。

 いっぽう自由法曹団は、〇二年「人権擁護法案に反対し、廃案を求める決議」をしており、その中で「人権擁護法案は『部落解放基本法』と思惑を共通にした同質性をもつ・・・この経緯と背景に対する警戒の目なくして本法案を見ることはできない。」としている。日弁連要綱には刑事法制委員会から、「人権委員会は市民生活の自由に対する脅威になる」との意見が出されている。

二 石川元也先生とのディベート?

 そこで、団は、「二・一八国内人権機関の設置問題に関する全国意見交換会」に私を呼び出し、団や刑事法制委員会の意見を代表する石川先生によって、日弁連の活動をテストしてやろう、ということになった(と思う)。

三 石川団員の意見

 石川先生は、「部落解放同盟が今なお地方自治体の行政に大きな影響力を行使している。大阪では「同和」を「人権」に置き換えて、同和行政を復活させている。国内人権機関はその手段とされる危険がある。

 そこで、日本に国内人権機関を設けなければならない必要性(立法事実)はあるのか疑問がある。「差別」を救済対象とするなら、解放同盟問題での議論の整理がついているのか。」

との意見を述べられた。

四 私の意見陳述

(1)「国内人権機関」(National Human Rights Institution)とは

 国内人権機関とは、その名の通り人権の保護、救済、教育、そして政策提言の役割を担う。あえて「国内」人権機関というのは、人権機関として国際的に活動している国連人権理事会や自由権、社会権、女性、子どもの権利などの条約機関が国際的な仕組みを通じて人権の保護・促進を図ろうとするのに対して、それぞれの国が、人権を守ることを任務とする国内組織を作るというものである。

(2)これまでの足取り

 確かに政府の「人権擁護法案」が作成された源には、部落解放同盟の「差別禁止法」制定要求があった。しかし、その後、九八年の自由権規約委員会の上記勧告があり、それに影響を受けた、「人権擁護推進審議会」が、(1)裁判所、あるいは現行の人権擁護行政でない国内人権機構の整備、(2)公権力による人権侵害も救済の対象とする、(3)人権救済機関は政府からの独立性を有するべき、とする答申(二〇〇一年五月二五日)を出すことによって、流れは変えられた。

 ところが、〇二年の三月に政府が国会に提出した「人権擁護法案」は日弁連の期待に反したばかりでなく、上記答申を無視し、救済対象を専ら「差別と虐待」を対象とし、公権力による人権侵害には手を出さない反面で報道機関の活動には取り締まりを行い、その上「人権委員会」は法務大臣が所轄するという悲惨極まりない内容であったために、日弁連も団と同様これに絶対反対の運動を展開してきた。

(3)やはり国内人権機関は必要

 しかし国内人権機関の創設はやはり必要である。裁判所があれば十分、と言えるだろうか。裁判所が人権を守る最後の保障であるべきことは、世界人権宣言八条でも述べている。しかし裁判所がすべての人権問題に対応できないことも自明である。手続、費用もさることながら、レッドパージによる人権侵害、関東大震災における朝鮮人虐殺事件、従軍慰安婦問題、刑務所など刑事拘禁施設内の人権侵害、公安調査庁による思想信条、政治活動の情報収集など公権力による人権侵害をやめさせるのに、裁判所には機敏な対応を期待し難い。まして行政、立法に対する人権の視点からの政策提言はできない。

 これらの役割は弁護士会の人権擁護委員会活動などNGOが担ってきた。しかしその調査活動は法的権限に基づくものではなく、人的・財政的資源は極めて乏しいのが実情である。NGOとしての弁護士会の活動だけでなく、人権擁護を本来の任務とする公的機関が必要とされる理由である。

 誤解をおそれず言うなら、弁護士会のような人権擁護委員会活動に法的根拠と人的・物的資源をもったものを創ろうということである。

(4)「政府からの独立性」がカギ

 公権力によって人権侵害を救済するのは「猫の首に鈴をつけるよりも難しい」といわれる。しかし、制度設計によってこれを可能にできる。公正取引委員会や消費者委員会などにその工夫が見られる。逆に原子力安全委員会や事故調査委員会、食品安全委員会など、制度的、実質的に独立性の担保がなく、反面教師とすべき政府組織もある。

 ところで、「政府からの独立」とは一〇〇パーセント政府との無関係を意味しない。ICC(国連人権機関調整委員会)は、国内人権機関の設置が憲法又は法律に基づくことに加えて、権限行使の独立性、事務局の人的、財政的独立性の保障、委員の選任が公正妥当であるなどいくつもの基準を定めている。そして各国の国内人権機関はこの基準に照らして独立性の評価を受ける。

 日弁連要綱はこの点に苦心をして作成した。人権委員会が真に「政府からの独立性」をもつ組織として作られるなら、時の政府のみならず、特定の団体、勢力の影響下に置かれずに、人権基準のみに基づき、公正にその活動をおこなうはずである。(日弁連ホームページで国内人権機関パンフを参照)

というようなことを陳述した。

五 誤解を解き推進を

(1)同和行政の問題、とりわけ同和対策の必要性のあるなしの論争で国内人権機関設立の要否を決めるのはスジがちがう。

(2)「解放同盟が利用する」というなら、その心配がないような制度設計をすることである。

(3)女性や障害者、外国人差別、思想信条による差別が許されないと同じく、部落差別も許されない。

(4)裁判所や法務省人権擁護委員の活動が十分とは到底言えない。韓国、オーストラリア、フィリピン、ニュージーランドなどでは裁判所と共に活動している。

(5)内外の情勢は、設立の方向に動いている。反対するよりもより望ましい制度を創る行動に立ち上がるべきではないか。

ということを理解し、団としても取り組みを進めて欲しい。


焦点は、私人間の問題にある

―国内人権機関の設立について―

大阪支部  石 川 元 也

一 私の結論的意見

 パリ原則に基づく国内人権機関の設立に反対するものではない。その救済対象を、「公権力による人権侵害」に限定して発足させるべきである。自由権規約員会が懸念を表明しているのも「警察や入国管理局職員による虐待」等をあげているのである。また、日弁連への人権救済の申し立てのほとんどがこれら公権力の行使にかかわるものだという。

 対象を、これに絞れば、設立の立法事実の存否についても、強力な調査権限の付与についても、問題はそう多くないだろう。

 しかし、私人間の紛争・人権侵害も対象ということになると、問題は複雑で、大いに検討を要することになろう。

二 二月一八日意見交換会での私の報告の概要

 当日は約四〇分にわたって述べた。的確に受け止めてもらうのが、いかに難しいことか。小林事務局次長の報告も、藤原団員の受け止めも私の本意ではない。もう一度、簡略に述べておきたい。

 私たちが担当してきた解同関係裁判四〇年の教訓が、必ずしも定着していない。解同流の「差別論」、「差別判定検者論(足を踏まれたものでなければわからん)」など、判決で批判されたものが、社会的に克服され定着するにいたっていないこと。人権問題で、人権相互の調整という観点も重要であるのに、一方の人権のみが特別扱いされたこと。行政の役割と限界、行政上の諸条件の整備こそが責務で、行政が市民・国民に教育・啓発内容を押し付けたり、介入してはならないこと(改悪前の教育基本法の教育行政の役割を見れば明らかである)。

 これらの教訓が十分生かしきれていないことも、同和特別対策法が失効した後も、一定の地域では、同和を人権と置き換えて、事実上同和行政が継続され足り、同和を特別視する社会的雰囲気が続いている。 

 これらの教訓と現状認識の上に、人権機関の制度設計も検討されるべきだ。

 日弁連案への疑問点として、

(1)機関設立の立法事実があるのか、

(2)対象を公権力の行使のみならず、私人間のそれも入れるのか、

(3)調査権限の強化、特に私人間の場合に問題ではないか、

などを指摘した。

 そして、私の所属する日弁連刑事法制委員会が、日弁連案確定前に提出した「公権力の行使に限定すべきだ」との意見も紹介した。

三 討論の概要

 当日の論議は私の提起した疑問点に沿って展開されたように思う。立法事実についても多くの意見があったが、ここでは私人間の問題に絞って紹介する。

 藤原さんや小池振一郎さんなど、日弁連委員会内で奮闘されている団員は、解同問題の経緯は熟知して、そのような懸念を払拭する制度設計を行った、私人間の紛争は原則として取り上げない、ただ、使用者など優越的地位を悪用しての人権侵害などに限るようになっている。これまでの人権擁護委員会の活動実績や、最近の法テラスの自主的運営の実績を信用してほしいとも述べられた。

 私も、本当に、そのように進められるのであれば、信頼していきたいものだと思うものであった。

四 日弁連案への新たな疑問点

 この意見交換会の後の大阪支部の同和行政研究会で、私の報告に対し、果たして、日弁連案はそうなっているか、深刻な疑問が投げかけられた。

 それは、当日配布された日弁連パンフ「政府から独立した国内人権機関設立のために」の冒頭、「一 国内人権機関ができたら」「人権侵害を早く、迅速に救済する」の項目中に、「外国人であるというような理由で、アパートを借りることができなかったとか、『この地域には部落民が住んでいる』というような差別的なインターネットの書き込みで地域住民が差別されているような場合」という記載がある。当日の論議では、出席者の誰からも指摘されずに、三のような論議をしていたのである。そうしてみると、調査権限の問題も、公権力の行使の場合と私人間の場合とで、果たして区別して設定されているのであろうか、今、私には検証する力がないが、今後これらの問題について論議を深めていかなければなるまいと思う。

五 人権教育について

 日弁連案や自由権規約委員会が強調する「人権教育」とは、裁判官、検察官、警察官、刑事施設や入国管理局職員など公権力の行使を担当する公務員に対する人権教育を徹底するということで、大賛成である。日弁連ももっとこのことを前面に打ち出してもらいたいと思う(一般市民向けの人権教育・人権啓発などとはまったく本質が違うことも明らかにすべきだ)。ことに裁判官向けの教育ということになると、裁判の独立とかいって反対が予想されるが、個人通報制度の採用とあいまって、最高裁以下の裁判官に対する国際人権法なり、人権の国際的水準なり、この人権教育の内容を具体化してもらいたいものだ。


改めて沖縄米軍基地の全面撤去を求める

東京支部  神 田   高

 米国務省のケビン・メア日本部長の「ゆすり名人」講義は、改めて沖縄の米軍基地の根本問題が、沖縄戦から戦後六五年にわたって今なお続く、アメリカの日本支配、とりわけ沖縄に犠牲を集中させ、アジアにおける自国の軍事的、戦略的支配の道具としてはばからない“占領者意識”の強さを思い知らされるものである。

 世論の強い反発により、また「日米同盟」を至上とする日本政府の姑息な策略として、メア自身は国務省日本部長を更迭されたが、アメリカとそのしもべである日本政府が、「日米同盟」維持のために、辺野古に代表されるとおり、沖縄の米軍基地支配を継続することへの根本的な反省は何らなされてはいない。

 メア部長の「(沖縄県民の)三分の一の人たちが軍隊がなければより平和になると信じている。」これは真実である(三分の一でなく、一〇〇%であるが)。しかし、これに続いて「そのような人たちと話しをするのは不可能だ」とのメア発言は、戦後続いた数々の米軍基地被害、人権侵害事件によって、今もつづく沖縄(本土の基地周辺地域も含め)の苦しみを“人の痛み”としてとらえる人間性の欠落を最も強烈に象徴するものである。

 沖縄の“命どぅ宝”こそが、国境をこえて、諸国民が共通の生きる筋道として、貫かれなければならない人間としての指針である。

 緑豊かな島の自然と産業基盤を破壊し、県民に苦悩を与えてきた最大の原因が、沖縄戦とそれに続く戦後六五年にわたる米軍基地の継続・集中、拡大の歴史であったことは誰も否めない。亡くなった父とともに最後に嘉手納基地を見にいったとき、軽便鉄道が通い、沖縄で唯一の嘉手納農林学校があったあたりを指さしながら、広大な農地の豊かさを思い浮かべるように話した父の姿が浮かぶ(父は、鉄血勤皇隊で南部でなくなった大田元県知事の兄と農林学校の同窓であった)。

 メアは普天間をはじめ「在沖米軍基地は、もともと田んぼの真ん中にあったが、沖縄人が、基地の周辺を都市化し、人口を増やしていった」と在沖米総領事時代の問題発言を繰り返したが、他人の痛みをもみずからの痛みと感じる“チム(心)苦しゃよう”を待つまでもなく、メア発言とこれを許容する日米の支配層の道義的な退廃は明瞭である(枝野官房長官は、「長年の積み重ねのある日米の“信頼関係”を重視し、メア発言について米側に照会するのは不適切」と嘯いた。琉球新報三月八日)。

 同新報の記事に、「辺野古移設つぶす契機に」の大田元知事の談話が掲載されているが、日米支配層の道義的退廃を産みつづけた安保、サンフランシスコ体制の転換と沖縄の米軍基地をはじめとした在日米軍の全面撤去こそを今こそ求める時機である。


残業代等計算ソフト(エクセルシート)

「給与第一Ver0.2」の無償頒布を開始しました

京都支部  渡 辺 輝 人

(1)「給与第一」開発の経緯

 残業代を請求する際、最も面倒な作業の一つが、タイムカード等の資料を基に労働時間を算出し、場合分けの複雑な計算をして未払残業代を計算することです。従前、インターネット上を検索しても、使用者の立場から給与管理をするためのソフトはあるものの、残業代を請求する労働者や、労働者側弁護士の立場から、効率よく未払残業代や遅延損害金等を計算するものはありませんでした。そこで、それを開発し、労働者の権利向上に役立てよう、としたのが自作の残業代計算ソフト(エクセルシート)「給与第一」開発・頒布の当初の経緯でした。

 そして、二〇一〇年二月以降、「給与第一」の頒布を当事務所ホームページで開始しました。頒布開始後、各地の弁護士等から多数のお問い合わせを頂き、ダウンロード数も毎月数百を数えるなど、ご好評を頂きました。今回、私自身の使用状況や利用者から頂いたご要望に基づき内容を改訂し、また使い勝手を向上させたバージョン〇・二を開発しました。この度、その頒布を開始しましたので改編点を中心に御報告いたします。

(2)「給与第一」の機能

 「給与第一」は始業時刻、終業時刻、休憩時間等を入力すると、一日八時間超、週四〇時間超の残業代と深夜・早朝勤務手当の計算を自動的に行います。また、今回の改訂で月六〇時間超の残業代についても計算できるようになりました。

 また、一日の所定労働時間が八時間未満の場合や、週所定労働時間が四〇時間未満の場合にも対応できるようになりました。さらに、遅延損害金について年利五%の場合と六%の場合を選択できるようにしました。

 そして、休日労働の割増賃金については、休日の特定がソフト的に困難なことと、休日労働は全体から見ればそれほど多くないこと、計算方法が非常に複雑なことから「調整欄」を新たに設け、適宜計算した結果を記入していただけるようにしました。

 さらに、既払金の計算を簡単にするために、既払金計算書をつくりました。

 現在、締め日の別で一五日締め版、二〇日締め版、末日締め版の三つを作っていますが、これではその他の締め日に対応する度に新しい版を作らなければなりません。今後の課題としては、これを統合して一つのソフトに出来ないか、という点ですが、私の技術力では限界を感じています。

(3) 導入の成果

 導入の成果については自由法曹団通信一三三六(二〇一〇年二月二一日)号にもご報告しましたが、京都第一法律事務所だけでも、その後いくつかの事案を「給与第一」を使って処理しており、残業代請求に関する心理的、事務処理的な障壁は格段に低くなったと感じています。通常、パソコンで労働時間を記入する程度は請求者本人も出来るので、当事者に事務を分配できるという点からも事務処理はより楽になりました。利用した事務所外の弁護士の方からも役に立った旨の評価を頂いております。

(4)もっと残業代請求を

 前回の投稿でも触れたことですが、現在、インターネット上では、社会保険労務士や司法書士が「残業代請求支援」の看板を掲げて顧客勧誘をしていたり、過払いバブルで一山当てたような弁護士や、今まで労働事件に関わってこなかったような弁護士が残業代請求を前面に出したホームページを開設するなど、激しい動きがあります。私が危惧しているのは、労働弁護士としての矜持を持たない層がこの分野に参入することで、事件の解決水準が低下したり、事件処理の質が悪化することで労働事件に関わる弁護士全体に対する評判を落とすことです。また、過払いバブルのときに消費者事件に熱心に取り組んできた弁護士が請求実務では脇に追いやられてしまったように、純粋に商売ベースで業務を行う層が労働事件の「主流」になり、労働弁護士が脇に追いやられる可能性もあります。

 このような事態を前向きに解決する方法は一つです。自由法曹団や日本労働弁護団に所属する弁護士が残業代請求をもっと営業の柱に据えて、事件を今以上に沢山扱っていくことです。「給与第一」は、それなりに汎用性もあり、多くの事件でご利用いただけると思います。このソフトをご利用いただき、より一層、この分野を開拓していただきたく存じます。

 利用については京都第一法律事務所のホームページの下記アドレスから出来ます。

  http://www.daiichi.gr.jp/activity/2010/0201.html


五・九 池袋駅西口宣伝行動!

比例定数削減阻止へ!

衆院比例定数削減阻止対策本部

 先に完成した比例定数削減反対を訴えるリーフレット「国民目線で選挙制度を考えよう」を使って、自由法曹団主催での街頭宣伝を予定しています。

 本年三月二三日の最高裁判決において、衆議院選挙における一票の格差が違憲状態であるとの判決が出されました。既に多数の違憲判決が出ている参議院とともに、選挙区割りを含めた選挙制度改革が必至となっています。そのような状況の下、格差是正とセットにして比例定数削減へと動く危険性が高まっています。早急に定数削減阻止の世論を高めましょう。

 比例定数削減阻止のため、皆さまふるってご参加下さい。

日 時:五月九日(月)午後五時三〇分〜午後六時三〇分

場 所:池袋駅西口

(終了後、団本部での衆院比例定数削減阻止対策本部会議を予定しています。)

 また、引き続きリーフレットの申し込みも受け付けています。自由法曹団ホームページ(http://www.jlaf.jp/)上の申込用紙をご利用の上、どんどんお申し込み下さい。