<<目次へ 団通信1381号(5月21日)
大久保 賢一 | 福島原発事故に対する対応について |
坂井 興一 | 「災害二題」(前編) 三・一一地震津波と三・一〇無差別大空襲 |
望月 浩一郎 | 軽度外傷性脳損傷って知ってます? |
毛利 正道 | 国の内外で支え合い社会を −東日本大震災後の日本と世界をどう築くか・試論(前編) |
玉木 昌美 | 滋賀弁護士会主催憲法記念の集い 成功する |
大山 勇一 | 衆議院比例定数削減反対の街頭宣伝 |
埼玉支部 大 久 保 賢 一
はじめに
団は、五月六日の郡山での学習討論集会において、福島原発事故の被害救済と合わせて原発推進政策に対抗することを確認した。被害救済の柱は、既に発生している被害の救済を迅速に実現することと、中長期的対応に取り組むことである。また、原発推進政策への対抗を運動方針とすることは、団としては、初めてのことである。原子力の平和利用の可能性についての抽象的議論はともかくとして、現実に発生している被害の重大性、複雑性、長期性などにかんがみれば、国策としての原発推進政策の転換を求めることは、団の存在理由と合致するとの判断である。
ここでは、この団の確認を踏まえ、被害救済にかかわる当面の課題と中長期的課題、および「原発推進政策との対抗」のために、私なりに留意していることを述べておく。
(それにしても、じれったいのは、原発事故を終息させることや、放射性物質による汚染を軽減することや、健康被害を発生させないこと等については、全くの無力だということである。けれども、考えておかなければならないこともあるのだと言い聞かせている自分である。)
当面の被害救済について
原発事故によって、既に、現実的被害が発生している。警戒区域及び計画的避難区域の住民は、その生活と生産の基盤を奪われている。緊急時避難準備区域の住民も同様の不安を抱えている。また、これらの地域以外の住民にも、有形無形の損害が発生していることも忘れてはならない(その典型が風評被害)。これらの損害について賠償責任を負うのは東電である。その損害賠償が、どのような考えに基づいて実行されるかのカギを握っているのは、原子力損害賠償紛争審査会である。その審査会は、四月二八日に「原子力損害の判定等に関する第一次指針」を策定し公表している。その基本的スタンスは、「原子力損害に該当する蓋然性の高いものから、順次指針として提示し、可能な限り早期の被害者救済を図る」というものである。
具体的には、「政府による避難等の指示に係る損害」として、「避難費用」、「営業損害」、「就労不能等に伴う損害」、「財産価値の喪失又は減少等」、「検査費用(人)」、「検査費用(物)」、「生命・身体的損害」、「精神的損害」を、「政府による航行危険区域設定に係る損害」として、「営業損害」、「就労不能等に伴う損害」を、「政府等による出荷制限指示等に係る損害」として、「営業損害」、「就労不能等に伴う損害」が対象とされている。
ここでの対象は、「避難指示等」、「航行危険区域設定」、「出荷制限指示等」に係る損害である。したがって、それ以外の損害は第一次指針では扱われていない。もちろんこのことは第一次指針も承知している。このことについては次のように述べている。
第一次指針の対象外となった者の避難費用や営業損害(いわゆる風評被害も含む。)、本件事故の復旧作業等に従事した原子力発電所作業員、自衛官、消防隊員、警察官又はその他の者が被った放射線被曝等に係る被害、本件事故により代替性のない部品等の仕入れが不能となった取引先のいわゆる間接損害、地方公共団体独自の財産的被害、政府指示等が解除された後に発生する損害などのうち、合理的な範囲内で原子力損害に該当し得るものについは、今後検討する。
また、避難等対象者が受けた精神的苦痛(ここでは、生命・身体的損害を伴わないものに限る。)について、そのどこまでが相当因果関係のある損害と言えるか判断が難しい。しかしながら、少なくとも避難等を余儀なくされたことに伴い、正常な日常生活の維持・継続が長期間にわたり著しく阻害されたために生じた精神的苦痛の部分については、損害と認められる余地があり、今後、その判定基準や算定の要素などをできるだけ早急に検討する、としている。
既に発生している損害については、一時金だけではなく、定期金給付も含めて、速やかに賠償されなければならないことは当然である。
他方、「第一次指針」は、いくつかの重要な問題について、将来の検討課題としているのである。
今後の損害賠償を考える視点
「第一次指針」は、本件事故による損害賠償についても「一般の不法行為に基づく損害賠償の範囲と特別に異なって解する理由はない。」としている。この見解によってすべての被害が賠償されるのであれば、それは問題ないであろう。
しかしながら、このような見解は、今回の原発事故被害の大規模性、継続性、不透明性、一方的加害性などの特殊固有の特徴を看過しているといえよう。このような問題意識では、被害の全面的回復などはできないではなかろうか。
被害者は、今後いつまでその生活と生産の基盤を奪われ続けるか不明であるし(終期の不確定)、東電との関係で、決して対等ではないのである。
そして、特に留意しなければならないのは、「避難地域等」でも「出荷禁止区域等」でもない住民に現実的被害が発生していることである。従来の不法行為論では、これらの被害者の救済は困難であろう。
未曾有の災害に対する損害賠償論はその解決にふさわしい理論でなければならない。公害、薬害などの和解事例を踏まえて、検討されるべきである。
その上で、とりわけ指摘しておきたいのは次の二点である。
一つは、「放射線被ばくによる被害」対策である。低線量被ばくや内部被ばくなどによる健康被害についての定説は確立していない。しかしながら、作業員、関係公務員、住民が被ばくしていることは間違いない。これらの「新たなヒバクシャ」の健康管理に万全を期する体制確保が不可欠である。日本原爆被害者団体協議会(被団協)は、「健康管理手帳」の交付と健康管理制度の創設を提案している。傾聴に値する意見である。
そして忘れてはならないのは、環境汚染の回復である。大気、土壌、海洋、地下水など生活と生産の基礎となる環境への負荷を回復しなければならない。これらは、現在だけではなく、将来の人々との関係でも、絶対に成し遂げなければならない課題である。
このような事態を引き起こした「国策民営会社」である東電の責任は限りなく重い。その東電は、原賠法三条但書「異常に巨大な天災地変」の適用がありうるなどと「審査会」に意見書を提出している。東電の遁走を許してはならない。
合わせて、原発推進政策を進めてきた国の責任も免れられないし、免れさせてはならない。ただし、どのように責任を取らせるかは、検討しなければならないであろう。いずれにしても、「みんなで負担しよう。復興税(消費税率を上げる)で乗り切ろう。」というような「一億総懺悔」的議論は論外とされるべきである。
「原発推進政策との対抗」のために
原発推進政策は国策である。「原子力の平和利用」は核不拡散条約加盟国の「奪い得ない権利」(核不拡散条約四条)とされているし、原子力基本法一条は「原子力の研究、開発、利用」をその目的としている。わが国は、i非核三原則の順守、ii核軍縮から廃絶へ、iii米国の核抑止力への依存、iv原子力の平和利用をセットとして政策を遂行してきている。「原発推進政策との対抗」は、この国家の基本政策の転換を含意している。したがって、この戦いは困難を伴うことは当然想定される。電気事業独占資本、国会、政府、裁判所、マスコミ、学者などが、こぞって「安全神話」を推進し、またそれに取り込まれてきたのである。また、私自身も、今回の様な原発事故の現実化は想定してこなかった。「原発推進政策との対抗」をスローガンにする重さを噛みしめておきたい。
しかしながら、既に賽は投げられたのである。
核分裂エネルギーのコントロール技術は未完であることが明らかとなった。地震や津波と「安全信仰」が複合した時、取り返し困難な被害が発生するのである。これは警告ではなく、現実なのである。
原発推進の論理は、「安定供給の確保」、「環境への適合」、「市場原理」(効率性)などであった。需給バランスは、自然エネルギーの活用や「節電」などでいくらも可能な方策がある。そして、これほどまでの環境破壊や損害をもたらした産業はない。いずれの推進理由も瓦解したのである。
原発反対の理由は、i核自体の危険性、ii立地の危険性、iii核廃棄物の処理ができないことの危険性、iv核拡散の危険性などである。これらの反対理由は決して杞憂ではなかったのである。
であるからして、原発の新設を中止することはもとよりとして、既に危険性が指摘されている原発からその稼働を停止し(中部電力浜岡原発の停止要請は、この意味で評価できる)、いずれにしてもこれらの危険性を排除することはできないのであるから、全ての原発の停止のスケジュールを策定すべきである。
他方、人間生活に不可欠なエネルギーをどこに求めるのか。原発の廃止を求める上で、避けることのできない問いかけであろう。このことについて、日本学術会議東日本震災対策委員会のエネルギー政策選択肢分科会は、(1)直ちに原発撤退を実施する、(2)五年後に原発撤退を終える、(3)二〇年後に原発撤退を終える、(4)今後とも原発を位置付けるとの選択肢を示し、それぞれの利害得失を提示している(「赤旗」・一一年五月七日)。
エネルギー源の持続可能性、地球環境保全、経済的合理性、技術的安全性など検討課題は多い。
今回の原発事故は、ヒトという種が、現在から将来に向かって、恐怖と欠乏から免れ、生命と自由と幸福追求権が十全に保障される社会を構築できるかどうかの試練ではないだろうか。私にはそう思えるのだ。
付け加えておきたいこと
今回の事故を奇貨として、自衛隊や米軍の存在を不可欠のものとしようとか、国家緊急権を法定化しようなどという動きがある。「火事場泥棒」を許してはならない。
また、核兵器廃絶運動と原発推進政策との対抗運動の効果的連携も求められている。「核兵器と人類は共存できない」というスローガンと「原発と人間は共存できない」というスローガンの連結である。このことについての、私自身の考えはいまだ模索中である。このことについても、多くの人たちの知恵をお借りしたいところである。
二〇一一年五月九日記
東京支部 坂 井 興 一
震災津波から早二ヶ月が経って、陸前高田・気仙沼・多賀城など関係被災地も見分し、様々な感想もあるのだが、変わらず原発被害が進行中であり、それは後日のこととしたい。この間、団員各位にも温かい励ましの義援金応諾を頂き、ついては関係自治体ともご相談し、然るべき御礼のご報告をと思っているが、そうした対応を願うのが恐縮するような状況が続いている。それ故そのことは暫しご猶予頂き、かわってと言っては何であるが、この間、四月二〇日に東京高裁二三民係属審理中の東京大空襲事件で重要な弁論があり、頭記関連事情について意見陳述をしているのでご紹介したい。要約が下手で二回になるがご寛恕頂きたい。
(意見陳述にあたって)
この期日は、被災当事者の尋問を(型通り)聞き流して終わらせ、あとは即調べ打ち切り、最終書面提出との国側の態度が明確で、裁判所もそれに同調すると思われていた。何が何でも逆転せねばならないこちらとしては、かくてはならじ、重大争点である国の「被害放置、救済立法不作為」違法関係の学習院大青山未帆教授証人を何としても採用をと、まなじりを決して臨んだのであった。申出趣旨はその申請補足意見であったが、内容が今回震災関係にも及ぶため、裁判所は予め他事意見として拒否してきた。何人もの学者証人を却下したまま、調べ打切り・結審との官側の意図を阻止し、流れを変えるため、謂わば退廷覚悟で述べたものであった。
一 (空襲事件証拠意見要旨)
(1)ところで当職自身は控訴審から代理人として参加しているのであるが、それは、イ、或る時・何気ない散歩の折、両国の東京都慰霊堂を訪れ、霊気漂うとでも言うべきその異様な佇まいに強い衝撃を受け、以来、関東大震災罹災者と東京大空襲被害者の未だ成仏されない感のある大勢の方々の御霊に真摯に向き合うのは、広く国民的義務であると感じていたこと、ロ、三・一〇無差別大空爆・空襲は、その余りの計画性・残虐性故、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下と並んでアメリカの戦争犯罪であると言うしかないが、サ条約のこともあって異議申立てできなかったとしても、政府はそれなりにケジメはつけているのだろう、と不明にも思い込んでいたのであるが、ハ、にも係わらず、大空襲被害者に対する救済について、それが全く放置不作為のままになっていたとは!その国の責任を原判決が結局は免罪してしまったのだと云うことを伝え聞いて、強い違和感を覚えたことが契機となっていた。(2)するところ当職は、イ、如何なる運命の巡り合わせか、昭和三五年五月のチリ地震津波被災のみならず、今般の三・一一東北地震津波災害に準当事者的な立場で遭遇し、而してその大きな被害は、戦災孤児らよりなる本訴訟当事者にとっても、また本訴訟の根幹をなす主要争点についても、密接・重要な係わりを持つと受け止められたので、ロ、進行中の切実な被害体験を簡潔に踏まえ、適正な訴訟指揮を念願して本陳述に及ぶ次第である。
二 (当職の地震津波被害概要)
(1)これについては、イ、末尾に地震・津波被災前と後の航空写真を何枚か添付しているので、被害の程をご推察頂ければ有り難いが、ここで小生は、ふるさと大使(他に「北国の春」の千昌夫氏、俳優の村上弘明氏などがいる。)を務める岩手陸前高田市の中心の高田町の実家を失い、長兄夫婦とその後継である甥を失い、忘れ難い故郷の家並み街並み・小中の母校を失い、帰郷の度に暖かく迎えて呉れた親類・知人や、幼少よりの多くの友を失なった。ロ、小生は岩手県立盛岡一高在学中にチリ地震津波に遭遇し、湾口が南面を向いた陸前高田・大船渡・気仙沼地区では少なくない人が亡くなり、小生も年若い従姉を失なった。そしてその在学中、学区外生の寄宿舎(舎生先輩に宮沢賢治などがいる。)の「自彊寮」寮長だった関係で知り合いとなり、長く続く交友のなかに沿岸部出身の大勢の知友人がいるが、その彼らもまた小生同様の被災の苦しみの中にいる。ハ、また、宮城県気仙沼市・多賀城市に在住の兄姉達も多大の損害を被り、避難所生活者ともなっているが、そうした被災の意味合いや感想を述べることは、福島原発被害拡大中で頻繁な余震も止まない現在、本訴訟の適正な進行を図るためにも差し控えることとする。(2)小生の災害警戒心は、そうした個人的体験がもとになっているのであるが、イ、今回のことについて、原告団各位や弁護団の方々の、被災地・被災者の方々に対する敏感な反応と迅速な対応について、被災関係者の一員として率直に敬意を表するものであり、取り分け、幼少時に空襲被災当事者となり、通常のこの世の別れとは反対に、廻り中すべてが突然、眼前で消えてしまった悲しみと苦しみを抱えながら、幼少故に被害について発信することも訴えることもできないまま、長い苦しみの歳月を余儀なくされた原告団のみなさんの、同じ境涯となる今般の被災孤児たちに対する篤い思いを、小生も我がことのように感得している。ロ、私の関係者らの多くは、お年寄り・女性・子供達を逃がしながら、自らは逃げ遅れてしまった犠牲者が多いのであるが、今般の被災孤児たちは、身代わりに逝った肉親の痛切な姿をリアルタイムで目撃してしまったその鮮烈な記憶を抱え、他人の中で・他郷で、これからの長い人生を生きねばならないからであり、ハ、六六年前の昭和二〇年春に、同じような構図で生き残られたみなさんが、本訴訟当事者となっている故の重い感情(今頃、自分らのことで、こんなことしてて…等)を乗り越えて、その苦しみの良き理解者・支援者となって頂くことを、当職も衷心より願うものである。
三 (本訴訟にとっての原発被災の意義)
(1)言うまでもなく、イ、今般のことは天災被害であり、そうではあるが多くの国民が援助の手を差し伸べ、国や公共団体も亦、それなりに対応している。そしてこの被災は、見方によっては本命候補地は東海・南海の、つまりは房総以南の太平洋沿岸日本枢要部だったかと思われるが、その予測とは違い、今回はそれが東日本を襲い、ロ、結果、東北の被災者は来るべき大災厄の規模・態様・被害状況がどのようなものになるのか、それを自身の重篤な被害をもって、全国民に先駆けて実物証明して呉れたのであり、それは不安定列島上に暮らす我々が宿命的に引き受けねばならない災厄の、人身御供となっての「特別犠牲・特別損害」であったと言っていいものである。(2)そして然し、イ、今もこれからも、最も打撃となっているのが福島原発暴発被害であり、これは、明らかに人災そのものであり、既にしてレベル七に達してしまったその被害の規模と意味を、本件の背景となる先の大戦被害に引き寄せて言えば、ロ、「国内で唯一戦場となり、本土防衛準備時間稼ぎのためとして捨て石にされた沖縄県民」、「継戦の無意味さと無差別空爆の犯罪性や近代戦被害の恐ろしさを諸都市に先駆け、身をもって示すことになった三・一〇大空爆空襲被害者」、「核兵器の途方もない残虐性といつまでも癒えない放射能被害を知らしめたヒロシマ・ナガサキ被爆者」に並ぶ恐れが顕著となってきているのであり、にも係わらず、東電・原子力委・保安院・政府に、その責任がないとの議論が有り得るのか?と云うことであるが、ハ、既にして関係者はその有りそうもない議論を、「自主避難(→自己責任)」の言い回しや、「原子力損害賠償法」三条の“異常に巨大な天災地変”条項を盾に取って、問題をあいまいにしブラカシながら言い始め、強いひんしゅくを買っているのが昨日今日の出来事であり、而して同時に、わが国災害史上に空前の強い刻印を標すものとなっている。(3)これらのことにわが国政府は、イ、従前の原発関係訴訟で、「何があっても安全、想定外のことは起こりえない」、そして「天変地異でも起こらなければあり得ない、万一のそうした事態(つまりは事態と損害のスケールが大き過ぎる)は、予測不能・対応不能故、責任の取りようがなく、従って責任問題の生じようがない」、だけれどそのような事態は起こらないのだから、認可・操業は何ら問題がない、と似たような主張をしており、ロ、遺憾ながら司法も亦、そうした議論を肯定して今日の事態を迎えてしまったのではないか、との強い疑いを禁じ得ないのである。(続)
東京支部 望 月 浩 一 郎
追突事故にあって「鞭打ち損傷」、「頸部捻挫」、「外傷性頸部症候群」、「頸椎症性神経根症」などの診断を受けた。脳にも頸部にも画像上異常はない。だけど、本人は仕事に復帰できない。家族からは、「病気でもないのにグダグダしている」と非難される。保険会社からは、「心因性のものだ」、「詐病だ」と言われ補償を拒まれている。困り果ててみなさんの法律事務所に相談をされている方がいらっしゃいませんか?
もう二〇年以上も前になりますが、岡村親宜弁護士と一緒に相談を担当した労災事件がありました。学校のクラブ活動で「あんたがたどこさ」というまりつき遊びをしていて捻挫をし、その後二年間も休業を余儀なくされている小学校の先生の相談でした。
「捻挫で二年も休業することなどおかしい!。弁護士に相談する前にきちんとした診断を受けるように」というのが弁護士としての私たちのアドバイスでした。患者さんは、約半年かけていろいろな医療機関を受診し、最終的には東京医科歯科大学でRSD(CRPS)の診断を受けて再度相談に来ました。
再度の相談を受けた私たちは、「RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)?」。当時は、RSDの裁判例など皆無でした。法律家の中で知られていないどころか、当時は、整形外科医の中でもRSDを認識している医師はごく一部でした。このような状況の中で、私たちはRSDに関する論文を検索し(この時には医療問題弁護団の鈴木利廣先生にはずいぶんお世話になりました)、RSDについての研究者を探し出し、助言を求めた医師の一人が石橋徹医師(当時都立大塚病院整形外科医長)でした。この件では、石橋医師にも意見書を御願いし、お世話になりました。
結果は、最初のRSDについて公務災害と認めた判例(一九九二年九月二四日東京地裁判決・労判六一六)です。今では、RSDやCRPSは普通に訴訟上で取り上げられるようになりました。
今度は石橋医師から軽度外傷性脳損傷について持ち込まれました。最初は「日本の医療界における大事件だ」と謎かけをされるような会話でしたが、「それはびまん性軸索損傷ですか?」という私の発言に(ちょうど、その当時びまん性軸索損傷の患者が流動食の誤嚥による低酸素脳症になった事件を担当していたという偶然ですが・・)、石橋医師が反応され、私に軽度外傷性脳損傷の事件を担当するように要請がありました。
軽度外傷性脳損傷とは、聞いたことがない方の方が多いのではないでしょうか?
交通事故、労災事故、スポーツ外傷、転倒・転落事故などの頭部外傷で、脳損傷を生じる場合があります。脳に加速度的衝撃が回転性に加わった時に起こる脳全体(びまん性)の損傷を、臨床的に「広汎性脳損傷」、あるいは、病理学的概念である「びまん性軸索損傷」と呼ばれます。
受傷直後の意識喪失、外傷後健忘、グラスゴー昏睡尺度等の評価から外傷が軽度と評価される場合は、軽度外傷性脳損傷と分類されます。意識障害が軽度であっても、脳損傷に伴う障害が重度となる場合があります。
しかも、このような脳損傷が重度でありながら、意識障害が軽度の患者の多くは、脳損傷がMRIやCTなどの神経イメージング画像法で確認できません。障害を訴えても、脳損傷を確認できないとして、脳損傷による障害と評価されず、放置されています。
軽度外傷性脳損傷の患者は、脳損傷に対して的確な治療を受けられない(医師の間で軽度外傷性脳損傷についての認識が十分に共有されてない現状)という点で、権利が侵害されているだけでなく、障害に応じた適正な扱いを受けられない(後遺障害や損害の評価)という二重の被害を受けています。
石橋医師は、補償の問題は各患者の対応に任せるという立場でしたが、東京地裁交通部では、一貫して「画像所見がない以上、脳損傷は否定される」という立場で、患者側から見ると全戦全敗の状況です。これ以上、患者が二重の苦しみを受けていることを放置できない!ということで、「力のある弁護士を組織してくれ」という依頼が来ました。
現在、石橋医師に、補償問題を相談された患者さんは、当面私に連絡が来るようなシステムになりました。
首都圏については、個人的に知っている力のある中堅・若手の弁護士コンビに御願いをするようにしていますが、全国的にはこのような家内工業的対応では間に合わず、組織的な取組をする必要があると思っています。
すでに石橋医師までたどり着いた患者の救済のみならず、そもそも医療面でも権利救済から取り残されている被害者の掘り起こしも必要と考えています。神奈川、千葉で担当している弁護士たちとは連絡を取り合ってホットラインを立ち上げようかと相談をしています。
全国で同様の被災者の相談に乗っている団員の方がいらっしゃったら連絡をいただけませんか?情報交換をしながら、全国的な被災者の救済に取り組みたいと思っています。
団通信では紙幅の限界がありますので、ここで紹介しきれない情報は、私のホームページ(望月*弁護士で検索してもらえれば見つかります)を見てください。御連絡いただけるのをお待ちしています。
−東日本大震災後の日本と世界をどう築くか・試論(前編)
長野県支部 毛 利 正 道
第一 三・一一大震災とは
(1)巨大地震・巨大津波・原発最重度損傷による放射能汚染が同時に起こり、
(2)東北・日本列島・世界の人類・生物に対し、
(3)人命・社会・経済・生態系など多方面にわたる重大な被害を複合的に与えた
第二 大震災が人類に示したこと
一 地球は、そこに生きる生物にとって、まことに危険な天体であること(今回が最大との保障全く無し)
二 人類は、巨大地震・巨大津波の発生を防ぐことが出来ず、その被害を最小に抑えるしかないこと
三 絶対に損傷しないという人口工作物を造ることは不可能であること(地震津波のほか、ますます強大になるハリケーン・竜巻、さらには隕石・人工衛星落下もあり得る)
四 「先進ハイテク国家日本」でありながら、被害を最小に抑えることができないどころか、一層深刻な被害を多方面にわたって起こしているように見えること
五 「先進ハイテク国家日本」で原発が損傷すると、(原子炉爆発に至らなくても)人類に対してその存立存続条件を破壊するほどの不可逆的な放射能汚染被害を与えうること
六 原発は、現代大量生産大量消費・戦争存続文明を支えるために(その象徴として)世界的規模で推進されてきたのであり、その「現代文明」を問い直す機会が与えられたこと
七 壊滅的被害に国民の多くが生きる力を奪われそうになったこと、そのなかでも力を合わせて立ち上がる被災者の姿に大いに励まされたこと
八 「トモダチ作戦」など米軍による救援をてことしつつ、「震災協力」を通した日米同盟の深化が企図され、他方、火事場泥棒的に、参議院憲法審査会規程の決定・前原誠司の民主党憲法調査会会長就任・改憲発議要件の三分の二から二分の一への緩和のみの改憲提案など一連の改憲策動がなされていること
第三 大震災を見る基本的視点
一 人類は、現代人と次々世代並びにその存立条件である自然環境を、地球・宇宙上の災害(天災人災を問わない)から守ることにこそ、最も力を注ぐべきである。
二 科学技術・財政は、そのためにこそ用いられるべきであり、現代がそうなっていないとすれば、根本的に改められるべきである。
三 今回の被災者の救援・生活再建に全力を注ぐとともに、次に大災害が起こった場合の被害を最小限に食い止められるように全力を注がなければならない。
四 莫大な利潤追求のために自然環境破壊大量生産大量消費をめざす、「我が亡き後に洪水は来たれ」現代独占資本主義国家中心体制自体に、大きなメスを入れる必要があるのではないか。
五 巨大地震多発国日本に原発を設けたことは、米日支配層の選択によるものであり、その点で既に人災である。東電はむろんのこと、彼らの最終責任で被害回復されなければならない。
六 大震災で誰もが感じている「支え合い社会の大切さ」を基点として、「自己責任・孤立社会」を大きく変えて、「誰もが誰かを支えていると実感できる社会」を確立する。
七 国の内外で上記のことが目指されなければならない。そのために大震災被災者である日本国民が果たす役割は大きい。
八 日本国憲法の花開く新しい時代を
(1)復興費用負担を資力ある者に求めることは、憲法二九条二項によって合憲
(2)現在世代については一三条・二五条、次世代については一一条・九七条「将来の国民にも人権が保障される」が加えられる
(3)「核時代に恐怖と欠乏から免れる平和的生存権」と規定するイラク派兵違憲高裁判決に忠目
(4)大震災に便乗した「日米同盟の深化」や改憲策動など論外、今再建に全力を!との声を
第四 地球上あらゆるところで(したがってここ日本でも)実現させたいこと
(今回大震災被災地の復興に役立つものがあれば、ぜひ取り入れてほしい)
一 放射能被害の広範性・永続性・深刻性に着目し、原発を全廃して自然再生可能エネルギーに切り替えることを方向性として明確にした上、そのタイムスケジュールを創ること
二 少なくとも地球上に軍事力があるうちは、原発を全廃させることを明確にすること
理 由
(1)通常兵器で攻撃しても原発が損傷すると甚大な放射能汚染を起こし、その意味で「原発=核兵器」となりうる
(2)原発を稼働させることにより、核兵器の原料を入手することができる
(3)そのため、原発を保有することによって核兵器保有の意図を他国から疑われ、緊張を激化させる―従来、北朝鮮による日本原発攻撃企図が俎上に挙げられていたが、真相はその逆であり、軍事力がある現代において原発を多数設置することが問題なのであるー
三 地域的連携を基礎にした地域国際防災・救援体制を確立すること
事 例
・ASEANによる、世界初のASEAN災害管理・緊急対応協定(AADMER) 二〇〇九年発効
・カリブ共同体を基礎としたカリブ災害緊急対応局(CDERA)
・EU内の欧州共同体人道事務所(ECHO)
―日本にとって近隣国=ロシア・北朝鮮・韓国・中国・ASEANなどとの間で(米国を排除する趣旨ではない)、地域的連携を基礎にした国際防災救援協定を結ぶことが緊要(仮想敵国を持つ軍事同盟である日米安保はその障害となる)―
―国際防災救援体制による隣国同士の大きな支援は、相互の国民の連帯感を強めることになり、領土問題などとかく反目しあう要素がある状況でも、これを打ち消してあまりあるものとなる点でも重要―
―地域的連携が地域内の二国間紛争の解決に有効であることは、今回のカンボジア・タイ間の領土紛争軍事衝突にASEAN議長国インドネシアが調停役として尽力していることによっても示されている(多くの独立国家が誕生して間もない現代にあっては、その紛争も起こりやすく、これを解決するためには紛争当事者から信頼される公平な第三者=地域共同体という「調停役」が必要なのである)―
四 防災こそ人類にとって最重要な安全保障であることを明確にし、現在一三八兆円の軍事費の少なくない部分を防災・救援体制確立に使用させること
―世界的に、「軍事費を削って、防災・暮らしに回そう」といこう―
五 世界に展開する原発と軍事力により、米国多国籍企業が軍事と経済で世界を支配する新自由主義=グローバリズムが終焉したことを銘記し、共生連帯支え合い経済社会を築くこと
六 電力・水道・緊急時通信などの防災上・環境保全上重要なライフラインは、私有を認めず、すべて公有(国有・自治体有)にすること
七 電力の地産地消を大胆に進める
―東京の電力のためにフクシマが犠牲になった!、平均五%もある送電ロス+莫大な送電設備建設保守管理費用―
(1)各戸各企業・各市町村・各都道府県・各国家・各地域共同体において、各自で使う電力を各自自前で賄うことを目指す
(2)それは、現在の発電の大型・集中・一様化から、必然的に小型・分散・多様化することになり、災害に強い状況が生まれる
(3)各種生産物の消費と、その廃物リサイクルも、輸送エネルギーが少ないこの手法を可能な限り採る
八 防災・救援・復旧・復興を進めるうえで、大きな障害になりう る土地私有制度を大胆に見直すこと
―土地は、人類ではなく、地球が創りだしたものであり、空気・海と同じく万人が享受すべきもの―
―今回の大震災からの復興でも、被災地住民が「寄り合い」を重ねるなかで、全員で自治体に寄付することによって、土地私有制を部分的になくしていくことが出来る(災害後に制定する新法によって強制的に取り上げることには大きな疑義がある)―
九 「車社会」を大胆に見直す
―どんな高級車も津波で流されればただのゴミ、渋滞で避難できず、一人で数台保有することが正常か、先進国で「無公害車」がある程度普及しても地球上全体では発展途上国でガソリン車がどんどん増えていく、戸口から戸口にご近所にも会わずに移動するなど地方で「孤立社会」を助長する要因の一つ―
(1)バス電車モノレールなどの省エネ公共交通機関を抜本的に拡充する(今回の被災地でも!)
(2)乗用車は財物との観念を払拭し、単なる移動手段と社会的に位置づけるように努める
必要以上に高価・大型・多数保有の乗用車については、懲罰的重税・保有規制など行う
(3)シェア=共同利用を、乗用車の基本的な利用形態にする
(4)大災害時に避難しやすい、若しくは避難するための公共交通手段を研究開発する
(次号に続く)
滋賀支部 玉 木 昌 美
滋賀弁護士会では、二〇一一年四月二三日、二〇一一年憲法記念の集いを「ウソの自白〜あなたが犯人にされるまで」というテーマで開催した。
第一部においては、寸劇「今からあなたが犯人です」で、えん罪を招いた事件の取調べ状況を再現した。若手弁護士が複数の実際の事件をもとにシナリオを書き、三人の若手弁護士が熱演した。迫真の演技で好評であった。
第二部では、岩波新書『自白の心理学』等で有名であり、名張事件、足利事件、日野町事件等多くのえん罪事件で鑑定意見書を書かれている奈良女子大名誉教授の浜田寿美男氏に「無実の人が『虚偽自白』に落ちていく過程」と題して講演していただいた。事件にかかわるようになった甲山事件の説明から始まり、やってもいない人が重大事件でなぜウソの自白をさせられるのか、そのメカニズムを解明された。外部と完全に遮断され、「犯人に違いない」と誤った確信をもっている捜査官にいくら言っても聞いてもらえない絶望感、事件と関係がないゆえに将来の刑罰に対する危機感の欠如、いつまで我慢すればよいのかわからない不安、そうした中で人は簡単に自白することをわかりやすく説明いただいた。日野町事件についても触れられ、有罪判決は、引き当てができたことを重視していると解されるが、引き当ては誘導した捜査官も誘導された被疑者もその誘導を自覚しないまま、捜査官がすでに知っている正解にたどり着くことを説明された。
第三部では、講師の浜田先生に、布川事件の櫻井昌司さん、足利事件の菅家利和さんに加わっていただき「えん罪被害を繰り返さないために」と題してパネルトークを行った。えん罪犠牲者のお二人からは、取調べの状況等について警察からウソの自白を強要された生々しい報告があり、えん罪をなくすためには、取調べの全面可視化が必要であると強調された。また、不適切弁護がえん罪を生むという弁護士に対する厳しい指摘もあった。櫻井さんは、えん罪について警察官も検察官も裁判官も誰も責任をとらないことを強く批判され、また、日野町事件でえん罪を晴らすことなく、この三月に死亡した阪原弘さんの無念さを涙ながらに語られた。
最後に、集会の実行委員長である私は、今回の企画をした趣旨について、えん罪日野町事件でお世話になった三人に語っていただくことにより、えん罪事件における虚偽自白の問題の重要性をみなさんに知っていただきたかったこと、市民も裁判員裁判を担う関係があること、裁判官が「虚偽自白の理論」を学ばないで「自白しているから」、「引き当てができたから」といって有罪とするならば、犯罪的で許しがたいことなどを、日野町事件や阪原弘さんのことを触れながら力強く訴えた。
集会当日は、地方議会議員選挙の前日であり(問題意識のある人は選挙で忙しい)、しかも雨の日という悪い条件が重なったが、ピアザ淡海のホールは約一九〇名の参加者で埋まり成功した。終了後、出口でお礼の挨拶をしながら参加者を見送ったが、「本当にいい集会でした。」「最後の挨拶もよかった。」「新聞で案内を見て来たが、毎年こういう集会をしているのですか。」などと声をかけてもらった。
今回、私は実行委員長に担がれたが、弁護士になって五年までくらいの若い多くの会員が何回にもわたる実行委員会に参加し、寸劇、パネルトーク、当日の運営等を分担し、準備をした。また、街頭のビラ配布も多人数で三回行い、集会前日も雨の中、濡れながら駅前で行った。これまでの参加者へのダイレクトメールの送付、当日の配付資料の袋詰め等もみんなでした。今回の取り組みで若い会員の積極的な姿勢やパワーに感動し、私自身が励まされたといえる。
集会後は、浜田先生ら三人を囲んで懇親会を行ったが、ここでもあれこれ有益な話をお聴きできた。その後、私は櫻井さん、菅家さんらと一緒に二次会に行き、大いに盛り上がったが、その内容は省略する。
集会参加者からは、アンケートが八〇通も寄せられたが、いずれも好評であった。その一部を紹介する。
・浜田先生のご講演をふまえての櫻井さん、菅家さんの話を聞けて、とても理論的にも生の声としても自分の中に入ってくるものがありました。大変勉強になりました。
・菅家さん、櫻井さんの生の声を聞かせていただく、貴重な機会を与えてもらって非常に勉強になった。
・人生観が変わりました。
・笑えない現実を知ることができたいい機会でした。
・お二人の長い時間のご苦労に心が痛みました。
・今回の企画等の弁護士会の集いに検察・裁判官の方にご招待すればいいのではないでしょうか。来るかどうかは別として。
・玉木弁護士のあいさつはとてもさわやかな印象を受けました。この運動を広めてください。
・司法修習に、心理学が取り入れられていないということに驚いた。
・「明日は我が身」いつ身に覚えのない犯人に仕立てられるかわからず、とても興味深い内容でした。
東京支部 大 山 勇 一
五月九日に、JR池袋駅西口において、自由法曹団主催の衆議院比例定数削減反対の街頭宣伝活動を行ないました。弁護士・事務局・地元豊島区の方々、総勢三二名(うち、ご当地城北法律事務所からは一五名)が参加しました。
比例定数削減の問題について、菊池紘団長をはじめ、弁護士や豊島区の元区長候補者など合計七名がマイクで訴えました。「比例定数が八〇削減されると、圧倒的に小選挙区制の比重が大きくなる。前回の衆議院選で試算すると、自民党・民主党の二大政党だけで九二パーセントもの議席を占めることになる」「原発問題で鋭い質問をしてきたのは大企業とのしがらみのない少数政党だった。震災で新たな国造りをするにあたって英知を結集するためにも、少数派の意見を切り捨てる結果となる議員定数の削減をするべきではない」「衆議院の一票の格差問題で最高裁で違憲判断が出され、選挙制度の改革が必至となっている。格差の温床となっている小選挙区制は維持し、比例定数部分だけを削減することは民主主義に逆行する」などの訴えがなされました。
街頭演説にあわせて、シール投票も行ないました。「八〇議席削減による五六億円削減と、政党助成金三二〇億円の削減のどちらがいい?」というものです。私たちの訴えを聞いた街の方々から投票をしていただいたところ、「議席削減」賛成は五票、「政党助成金削減」賛成は二四票となり、政党助成金削減の方が圧倒的!?に多い結果となりました。必ずしもパンフの受け取りがよかったわけではありませんが、「原発問題や震災復興策など課題山積みの中で行なわれる今度の選挙が日本の将来を決める」という訴えになると、道行く人が足を止めて聞き入っていました。また、田場暁生弁護士が、東電の記者会見に市民記者として参加した体験を交えて、民主党や自民党は真実を隠してきた、少数だからこそ国民に寄り添いながら真実を告発できたのだと強く訴えたところ、「とてもいい話で自分もそう思う。でも、自分はいったい何をすればいいのか教えてほしい」と真剣に話しかけてくる人もいらっしゃいました。
予定時間は一時間でしたが、弁士の熱気のため予定を延長して街頭宣伝が続けられました。今回の街頭宣伝を通じて、選挙制度が身近なくらしに直結しているということに触れながら、分かりやすく語りかけていくことが世論喚起に結びつくことを実感しました。私たちは「比例定数削減がもたらすもの」として、これまで「消費税増税」「九条改憲」などを訴えてきました。三・一一後はこれらに加えて、少数意見が切り捨てられれば「原発政策」「震災復興」が大きく歪んでしまうということを訴えていく必要がありますし、それが聴衆の関心にもこたえることになります。
東京では、六月九日に中野ゼロホールで比例定数削減問題についての大集会を開催します。そこに多くの人が参加できるよう地域への働きかけを強めていきたいと考えています。