<<目次へ 団通信1385号(7月1日)
柴田 五郎 | 「布川事件」 |
枝川 充志 | *島根・松江五月集会特集その4* 五月集会・憲法分科会(二日目)に参加して |
浜本 隆太 | 島根原発視察の感想 |
盛岡 暉道 | 五月集会参加記 「弥生を蘇らせた」島根支部団員の「田和山遺跡訴訟」の偉業を知って |
大久保 賢一 | 福島原発事故に立ち向かうために二 ―核兵器と原発の「遠くて近い関係」― |
廣田 次男 | 福島原発について |
馬奈木厳太郎 | 福島・須賀川法律相談会のご報告 |
神田 高 |
“モズク天ぷら” |
穂積 匡史 | 教科書展示会へ行こう! |
玉木 昌美 | 変わる甲良町 官製談合疑惑事件告発受理へ |
坂本 修 | 選挙制度をめぐる“せめぎ合い”の新たな局面 ―どう立ち向かうか |
森田 沙緒里 | すごい!一二〇〇人集まった六・九大集会 |
田村 優介 | 「六・九比例定数削減に反対する大集会in東京」に参加して |
平井 哲史 (給費制維持対策本部事務局長) |
司法修習生の給与制復活に向けて 取り組みの強化を呼び掛けます |
植木 則和 | 給費制維持 街頭宣伝活動のご報告 |
根本 明子 | 給費制維持街頭宣伝に参加して |
村松 いづみ | オススメ!新刊「『非正規』をなくす方法」 |
中森 俊久 | 平和教育アニメーションプロジェクト 企画の紹介と賛同のお願い |
斉藤 耕平 | 貧困問題委員会「生活保護受給者の自動車保有に関する実態調査」にご協力ください |
労働問題委員会 | 東日本大震災・被災者救援と住民本位の復興のために 七・一三「街頭労働・生活相談会」への参加の呼びかけ |
東京支部 柴 田 五 郎
一九六七年八月二八日午後八時頃、茨城県利根町布川(ふかわ)で、強盗殺人事件が発生しました。同年一〇月中旬、近所に住む青年二人(櫻井昌司ー二〇歳・杉山卓男ー二一歳)が、別件で逮捕され、強盗殺人を追及されました。櫻井君は、無実を訴えても耳を貸して貰えず、警察の虚言(被害者宅前でお前達を見た人がいっぱいいる。ウソ発見器の結果は、お前の言うことはすべてウソと出た。お前のお袋も早く謝れと言っている)と脅し(何時までも否認していると死刑になるぞ)に屈して、ウソの自白調書にサインしました。杉山君の場合も、無実を訴えても相手にされず、警察から「櫻井がお前と一緒にやったと言って泣いて謝っている」と言われ、また櫻井の自白調書のコピーを見せられ、「これは櫻井が真犯人で誰かの代わりに自分を引きずり込もうとしているに違い」と思いこみ「早く裁判にして貰って、櫻井と法廷で対決するしかない」との思いから、ウソの自白調書にサインしました。
二人は同年一二・二八(役所の御用納めの日)、強盗殺人で水戸地方裁判所土浦支部に起訴されました(地名を取って布川(ふかわ)えん罪事件と呼ばれています)。
両氏は、一九六八・二・一五の第一回公判から、一貫して無実を訴えましたが、裁判所は聞く耳を持たず、一九七〇・一〇、第一回目の裁判で有罪・無期懲役(水戸地裁土浦支部)、一九七三・一二第二回目の裁判でも有罪、(東京高裁、控訴棄却)、一九七八・七第三回目の裁判でも有罪(最高裁、上告棄却)となり、とうとう無期懲役が確定、千葉刑務所に下獄しました。
両氏は獄中から、一九八三年第一次再審を申立ましたが、一九八七年第四回目の裁判で有罪、(水戸地裁土浦支部、再審請求棄却)一九八八年第五回目の裁判で有罪、(東京高裁、抗告棄却)、一九九二(H四)第六回目の裁判で有罪、(最高裁、上告棄却)となり、再審は認められませんでした(これで裁判は六連敗です)。
一九九六年 両氏、在獄二九年の末、仮釈放。
両氏は、諦めることなく二〇〇一年に第二次再審を申立てました。第二次再審の特徴は、あらゆる論点に新証拠をぶっつけたことと、検察手持ち証拠の開示を、徹底的にしつこく迫ったことでした。
二〇〇五年第七回目の裁判でようやくにして、初の一勝。(無罪方向、水戸地裁土浦支部、再審開始)二〇〇八第八回目の裁判で無罪方向、東京高裁で検察の抗告棄却、二〇〇九年第九回目の裁判で無罪方向、最高裁で検察の特別抗告が棄却され、再審開始が決まりました。
二〇一〇・七・九、水戸地裁土浦支部で再審第一回公判、二〇一一・五・二四、再審第七回公判で無罪判決があり、確定しました。 両氏は、四三年余も闘い続け、そして遂に国家権力に勝ったのです。
しかし、無実の者が無罪の判決を得るーこの当たり前のことを実現するのに、四三年余もかかるというのは、どうした訳でしょうか?
日本の警察、検察、裁判所では、刑事裁判の諸原則(無罪の推定、自白を偏重してはいけない、検察の立証不十分なときは無罪など)が全く無視されてきたからです。
警察・検察は、何の証拠もないのに二人を犯人と決めつけ、自白を強要しました。他方で検察は二人の無実を示す証拠が沢山あったのに、これらを隠し、公判に提出しませんでした。
裁判では、確定一審の初公判以来二人が一貫して無実を訴え、自白調書は強要されたものであることを訴えたのに、裁判所はこれに耳をかしませんでした。多くの物証は二人と全く結びつかなかったのに、裁判所はこれを無視しました。
このような誤判を繰り返さないためには、捜査機関には、取り調べの全面可視化と検察手持ち証拠の全面開示を法的に強制し、裁判所には無実の推定を始めとする刑事裁判の諸原則を、裁判の現場でも貫き通させる事が大事でしょう。
二〇一一・六・二七
東京支部 枝 川 充 志
一 震災と九条
憲法分科会への参加は、五月集会への初参加から今回で連続して三回目。同分科会では専ら「九条」を軸に来し方行く末が語られます。今回は、やはり東日本大震災との関係から「九条」をどうみるかが語られました。「九条」とは、誤解を恐れずにいえば、基地であり、自衛隊であり、日米同盟です。そこに震災や原発が加わったときどうなるのか、これが今回の憲法分科会の特徴だったと思います。
冒頭、小野寺団員(宮城)が、震災において“ありがたい存在”としてある自衛隊という現象と、日米一体となって軍事大国化の一翼を担う存在としてある自衛隊の本質、すなわち「現象と本質の見極めを」、 災害救助を行う自衛隊の平和利用への質の変化、すなわち「量から質への変化を」、九条を否定して生まれた自衛隊をさらに否定してさらに強化へとの議論への問題点、すなわち「否定の否定」、これらの三つの問題点を指摘されました。
震災は、自衛隊の存在を際だたせる格好の機会になったように思います。小野寺発言に続く各団員の発言の中にも、感謝の対象としてある自衛隊の存在に対する問題性が指摘されました。つまり、現象と本質の峻別です。米軍のトモダチ作戦もまたしかり。結局、自衛隊、日米同盟、これをつなぎあわせると、最初に述べた「九条」へと否が応でも結びつきます。国家の大事が語られるとき、「九条」の視点を忘れてはならない、このことを改めて考えさせられました。
二 災害救助と自衛隊
ところで個人的な実感として、毎年のように自然災害が多発する日本において(あるいはだからこそ)、内外で活動できる自己完結型の災害救助組織の設立はありえないかと思わされます。
弁護士になる前のことですが、仕事で駐在していた南太平洋の国・パプア・ニューギニアで地震に伴う津波災害が発生し、日本からの緊急援助隊を現地で受け入れたことがありました(一九九八年七月)。
被災地は、首都から国内線で(たしか)約一時間半近くかかる地方都市から、さらに陸路で道なき道を辿り四〜五時間かかる場所でした。しかしそこには輸送手段(そもそも車を誰かに借りなければならないが、レンタカーがあるわけでもなく、お願いベース。)や宿泊施設もなく、また後方支援が困難であり、さらにマラリア汚染地域でもあったため、活動拠点は被災地から離れた地方都市に置かれました。
それでも、そこへ日本からの医療機材や救援物資を運ぶにあたっては、首都まで一旦運び、さらにニューギニアの隣国である豪州の軍輸送機に「お願い」する格好となりました。豪州軍は野戦病院さながら、テントを張って自前で被災地での救援活動を行っていましたが、“我が援助隊”はそもそも自己完結型でなく、後方支援もない以上、現場へ入ることは困難でした。いわば顎足つきでなければ活動できなかったのです。
行政機能やインフラがマヒした被災地で緊急救援活動を行うには、自己完結型の組織・体制が必要となります。とりわけもともと行政やインフラが十分でない途上国などではそのことはいよいよ不可欠です。そうすると、日本の文脈では「ならば、自衛隊」という論法になりかねません(英語で「Self Defence Forceが救援に来ます」というのは滑稽という他ありません。)。しかしそれではあまりにも発想が貧困というべきでしょう。国際的な緊急救援の場面でなぜ“Self Defence Force”がわざわざ被災地に向かうのか。むしろ自己完結型の専門組織が現場に向かうべきではないか。さまざまな災害と無縁でない日本だからこそ、そのような災害救助組織は意味をもち、海外でも活動の場が多いにあるはずです。
「自衛隊の戦闘機能を漸次縮小し、災害対処機能を強化し、内閣府の下での防衛省・自衛隊を全面的に改組することをめざすべきです。これこそが憲法九条に合致する方向です」(内藤功団員、五月集会報告集二八頁)。先に述べた国内の情況や海外での災害救援の現状からすれば、この方向性は一つの活路であり、「九条」が本来あるべきであった来し方であり、今からでも遅くない行く末だと思います。今年の憲法分科会からは、そんなこともまた考えさせられました。
代々木総合法律事務所 浜 本 隆 太
島根原発訴訟の原告の方とともに、原発の安全性をPRする施設で原発事故のレクチャーを受け、原発建屋を間近に見学するという、奇妙かつ貴重な体験をさせていただいた。レクチャーをされたのは、島根原子力館の館長をなさっている方で、一言一言に気を使って発言していることが言葉の端々から伝わってくる。福島原発事故の後では、安全神話に乗った話はできないし、かと言って島根原発の危険性など口が裂けても言えないのだろう。
レクチャーは原発の基本的な仕組みと島根原発の概要、そして福島原発事故の経緯を淡々と説明し、福島原発の事故を受けた防波堤のかさ上げ工事など、島根原発が安全性に十分配慮して運転していることを強調して終わった。
島根原子力館は、原発が安全で環境にやさしいことをPRする展示物で満ちている。「プルプルちゃん」と「モックくん」なるかわいらしいキャラクターまでいる。プルトニウムとモックス燃料をキャラクターにしたのであろうが、もはやブラックジョークでしかない。パンフレットを見ると、プルプル・モックがプルサーマル計画をわかりやすく説明する劇があるらしく、そちらも是非見学してみたかったのだが案内は一切なかった。
福島の事故が起きる前は、特に原発に興味があったわけではなく、危険性について理解した気になってはいても、頭上に放射能が降ってくるなど想定外であった。私もやはり、電力会社やマスコミが振りまく安全神話にだまされてきたのだと思う。チェルノブイリ事故の惨状は子どもの頃から聞いていたものの、技術が遅れた旧ソ連の原発と技術立国日本の原発は比較できないと頭のどこかで思っていた。
帰りの車中では、島根原発訴訟の原告の方に、補助金によって作られた豪華な施設や、原発付近の活断層を案内され、中国電力の杜撰な安全管理の実情など、中国電力が話せない裏事情の一端をお話いただいた。
中でも興味深かったのは、産業のない過疎地にとって、原発が落とす補助金は麻薬のようなもので、お金を受け取った地域住民は、電力会社にものが言えなくなり、何もしなくても落ちてくるお金は、産業を興す気力を削いでしまうというお話だった。
国や電力会社は、産業のない過疎の村の弱みに付け込んで原発を置き、核の危険を押しつけてきた。補助金に依存してきた地域の人々は、原発に恐怖を感じても、脱原発を唱えることは難しいだろう。原発問題の後ろに疲弊した農村の問題が垣間見えたような気がした。
東京支部 盛 岡 暉 道
二〇年以上ぶりの五月集会なので、ついでにと一泊旅行に参加してみて、松江市郊外の「南北五〇〇m、東西二五〇m、標高五〇m、高低差の五〇mの独立丘」にある田和山遺跡が、島根支部の団員や松江の弁護士の方々の懸命の訴訟活動と遺跡保存の市民運動の共同の大成果によって、このように美事に保存されているのだということを、私は、初めて知りました。
旅行参加者全員にいただいた、燒孝治団員(二一期)著「『蘇る弥生』ドキュメント田和山遺跡訴訟」(二〇〇一年刊)には、「田和山は古代出雲のアクロポリスである」「宍道湖周辺の古代出雲人たちは日々の生活の合間に、村々から田和山のパルテノン神殿を見上げていたに違いない」とありますが、丘の頂上部の掘立式建物二棟を三重の環濠で囲み、さらに周辺に多くの住居や施設を配置したこの弥生時代の遺跡は、そこに登ってみると、松江・島根の人々だけでなく、日本全体にとって、本当に貴重な文化遺産だと実感できます。
しかし、燒団員は「『蘇る弥生』ドキュメント田和山遺跡訴訟」で(この著書は二〇〇一年の刊行当時、団通信などで紹介があったのかどうか、とにかく、私は、全く知りませんでした)、松江市による田和山遺跡の“記録保存”(記録だけ残した遺跡は破壊してしまうこと)の危機が迫っていたときに、島根大学の田中義昭教授(考古学)と、加藤暁前共産党松江市議から訪問を受け「このままでは田和山遺跡が破壊されてしまう。裁判で遺跡を守ってほしい」と依頼されて、「裁判で遺跡を守る?それはとても無理だ。法や裁判に頼って遺跡を守ることは不可能である」という趣旨の話しをして、いったん依頼を断られたそうです。
燒団員は、当時すでに三〇年程前に担当した米子市の青木遺跡の裁判最中に造成工事が遺跡の大部分が壊された結果、訴訟が取り下げになった自分の実体験からそう云われたのですが、遺跡訴訟の経験がなくても、団員ならば、これは誰でもそういいたくなる「正論」だと思います。
ところがその数日後、同じ島根支部の岡崎由美子団員と水野彰子弁護士が「田和山訴訟で話し合いたいといってきた。聞くと両弁護士はすでにやる気になっていて、私にも弁護団に加われという。」「話し合いの結果、裁判に頼らず住民運動によって遺跡を守るという方針を基本にすえていくこと、裁判はそのための一つの手段と位置付けて運動することを確認し、一緒にやることにした。」「遺跡を守る市民運動と裁判活動。このときから私たちの田和山運動が始まった。まことに小さな出発であった。勝てないことが分かっている裁判に立ち向かうことになった…」
それが、どのようにして、一九九八年一二月〜二〇〇一年三月の八〇〇日に及ぶたたかいの末に、市民運動と裁判活動の合作による美事というほかのない感動的な大勝利を収めることができたのかは、もう紙幅がないので、ぜひ、この燒孝治団員著「『蘇る弥生』ドキュメント田和山遺跡訴訟」を読んでいただきたいと思います。
その上、水野弁護士や島根支部(岡崎団員と水谷香朱子団員も?)の方々が、島根原発差し止め訴訟まで取り組んでおられるのですが、私がつくづく感じ入るのは、この方々が、こんな少人数でこのような大きな取組をしていることを、どなたも、気負のない淡々とした口調で話されていたことです。
地方にいて、住民のための運動を、住民とともに、あたりまえのようにして活動しておれば、このように爽やかな弁護士たちになれるものなのかと、心を洗われる思いをした一泊旅行でした。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
問題の所在
一九四五年八月六日、広島に最初の原爆を投下した直後、米国大統領トルーマンは声明を出している。彼は、その中で、原子力エネルギーについて「宇宙に存在する基本的力」と表現している。「太陽のエネルギー源になっている力」とも言っている。彼は、原子力エネルギーの特徴を正確に理解していたである。米国は、その核エネルギーを大量虐殺と無差別破壊のために使用したのである。そして、トルーマンは、「生産過程の技術面や全ての軍事利用方法を明らかにするつもりはない」、「原子力を、世界平和の維持に資する有力かつ強力な力にすることを検討する」と結んでいる。
それから六五年余りの時が経過している。福島原発事故は、「警戒区域」、「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」の住民(約一四万人)を「原発難民」とし、作業従事者、関係公務員、地域住民など「新たなヒバクシャ」を発生させている。そして、大気、土壌、海洋などへの環境汚染の広がりは予測すら困難な状況にある。この被害の広範性、永続性、予測不可能性は、他の自然災害などと比較して、まさに「異質」である。
もちろん、原爆被害と原発被害とを同列に論ずることは、原爆被害の圧倒的悲惨さを知る者として、避けなければならない。けれども、原発被害の広範性、永続性、予測不可能性を眼前にした時、両者に共通する非人道性や不正義を認識することも必要ではないかと思うのである。両者は、制御困難な災厄をもたらすという意味で、近似しているからである。
他方、現在の法の世界では、以下に見るとおり、核兵器と原発とは、まったく異なる位置付けが行われ、遠い存在とされている。原爆と原発のこの「遠くて近い関係」を認識した上で対処が求められているのである。
核兵器の法的地位
核不拡散条約(NPT)は、非核兵器国の核兵器保有を禁止している。国際司法裁判所の勧告的意見(一九九六年)は、核兵器の使用や使用の威嚇は、国家の存亡が危殆に瀕するなどの自衛の極端な状況はともかくとして、「一般的に違法」としている(いかなる場合も「絶対的に違法」とする意見もあるが)。あわせて、核兵器国は核軍縮のために、誠実に交渉し、それを完結させるべきであるとしているのである。
昨年のNPT再検討会議においても、「核兵器のない世界」を目指すという政治的意思を前提に、そのための「法的枠組み」の形成、例えば「核兵器禁止条約」の制定などが合意されている。
核兵器は、国際社会において、その政治的、軍事的有効性を前提とする「核抑止論」の抵抗は根強いものの、「合法性」を失う存在となろうとしているのである。
そして、日本政府は、米国の核抑止力に依存するとして、核兵器の拡散には反対しているのである。
原発の法的地位
他方、「原子力の平和利用」(もちろん原発も含意する)は、NPTにおいて、加盟各国の「奪い得ない権利」とされている(四条)。そして、「原子力の安全に関する条約」も、「原子力の利用が安全であり、十分に規制されており及び環境上適正であることが国際社会にとって重要であることを認識し」(前文)として、原子力利用の安全性確保が可能であることを前提としているのである。原発は、核兵器と異なり、その保有や利用は「奪いえない権利」とされ、現実に拡散しているのである。
わが国政府は、この間、「原子力の平和利用」を国策として推進してきただけではなく、今回の原発事故の現実を目の当たりにしながらも、未だ、その道からの決別を選択していない。この背景に、核兵器に依存しようとする「力の支配」志向と、利潤追求を至上命題とする電力資本との癒着構造があることは、容易に推認できるであろう。
原発推進の論理とそれへの対抗
このような事情を背景に、原発は、「電力の安定的供給」、「地球環境の保全」、「経済的効率性」などをキャッチフレーズに、その危険性を無視しながら、設置され続けてきた。そして、現在も稼働している。そうすると、原発を廃止しようとするわれわれは、そのキャッチフレーズの欺瞞性を暴き出すことだけではなく、その危険性を明らかにし、かつ、原発の「法的地位」を剥奪しなければならないことになる。
「電力の安定的供給」ということでいえば、原発に依存しないエネルギーの開発と電気エネルギーの利用方法の検討が課題となるであろうし、「地球環境」との関係でいえば再生可能エネルギーが、「経済的効率性」との関係でいえば事故が発生した場合の「費用」が、それぞれ問われることになるであろう。
危険性については、核エネルギーの、廃棄物処理問題も含めた、そもそもの危険性に止まらず、地質学的、地政学的危険性も問題とされるべきであろう。日本政府は、核のテロリストへの拡散阻止には熱心であったかもしれないが、これらの危険性についての認識は余りにもお粗末であったのである。
今回の原発事故は、人類は、未だ、核エネルギーをコントロールするための十分な知識と技術を持ち合わせていないこと事実をもって示している。誠実な原子力技術者はその「敗北」を認めざるをえないであろう。そして、日本列島が、地震や津波から自由であるなどとは誰も言えないであろう。いわんや、そんな無理や無謀を冒さなければならない理由もない。
結局、原発依存からの脱出が求められているのである。
「法的地位」の剥奪
問題は、原発の「法的地位」である。原子力の平和利用は、国際法上、各国の「奪い得ない権利」であるから、他国に対してそれを放棄しろということはできない。けれども、わが国が、その権利を放棄するかどうかは、わが国の国家意思によって決定することができる。国家意思は、主権者である国民の意思によって形成されることになる。その主権者にどのように働き掛けるか、それが問題となる。
まずは、今この事故によって何が引き起こされているのかという現実をありのままに見ることであろう。故郷を追われ、地域共同体は破壊され、永年にわたって健康への不安にさいなまれ、「原子力損害賠償紛争審査会」の枠組みから排除されるかもしれない人々の存在を忘れてはならない。将来世代の健康や環境汚染も視野におかなければならない。ことは、現在を生きる世代だけではなく、将来の世代の生存条件、したがって人権の基礎にかかわっているのである。
規範の問題として提起すれば、現在の損害を、従来の法理論を適用して賠償すればよいというだけでは、あまりにも情けない「法理論」ではないだろうか。単なる損害賠償に止まらず、この原発事故が、人間社会に何をもたらしているのか、何を警告しているのかを真剣に考察すべきであろう。
原発事故は、間違いなく、非人道的で不公平で不正義な被害をもたらしているのである。法の根本には、人道と公平と正義がある。原発事故がこれらの価値を侵害しているのだから、被害者に諦念を強制するのではなく、原発の「法的地位」を剥奪すべきであろう。核兵器は、「人道と正義」と相容れないことを理由として「無法者」とされるようとしている。核兵器の廃絶を求めることと、原発の廃止を求めることは、人間が、何を価値とし、何を規範とするかという意味で、通底しているのである。
二〇一一年六月二二日記
福島支部 廣 田 次 男
はじめに
弁護士登録以来の盟友・伊東達也氏(原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員)が、昨年七月に「原発を書いた俳句、短歌、詩」を発刊し、私も寄贈を受けた。同書の中から幾つかを引用して三月一一日の事故以前から、いわき市民は福島原発に対して、鋭い感性による的確な批判を展開していた事を御紹介したい。
考古学者
「プルサーマルのテレビコマーシャルに現れる考古学者をこの野郎と思う」
「考古学者のプルサーマルの宣伝はをかしくないかをかしいよなあ」
草野比佐男・歌集「この蟹や何処の蟹」二〇〇三年一二月
私事になるが、この「考古学者」は高校の先輩で、同じ山岳部に属し、山行を共にして、文字通り「一ツ釜の飯を食った仲」であった。大変に気の良い人柄であったが、その行動が歴史的検証に耐えられるか否かと「気の良い人柄」は別という事だと思う。三月一一日以前頃まではテレビで見かけたが、事故後のテレビでは全く見かけなくなった。
他人事ではない
「(前略)
もはやどんな数字を並べたてようが
人びとは身すぎ世すぎに追われて
たじろぐ気配はない
仲間よもうくたびれた
そろそろ土俵を下りることにしようか
(中略)
だが本当に下りて良いのか こちらが本当に敗けたのか
勘違いしてはならない
あれは小心な安月給取の裁判官の〈判決〉に過ぎなかった
歴史の〈審判〉はもっと後にやって来る
その時勝者は敗者になり 敗者は勝者になる
その時〈真実〉を売った裁判官は〈審判〉される
寡黙な弁護士の鵜川さんが言っていた
にこにこしながら
『裁判なんて子孫へのメッセージだと思えばよいのです』」
吉田真・詩集「二重風景」一九八六年
恐ろしいフレーズである。裁判官だけが〈審判〉される訳では決してない。弁護士も同様に容赦のない〈審判〉に曝される事を覚悟すべきである。
この詩は、一九八四年七月二三日の福島地方裁判所昭和五〇年(行ウ)第一号福島第二原発設置許可取消請求事件の判決直後に編まれている。
「鵜川さん」とは約三〇年に亘り、団の福島県支部に属して、時には訴訟を時には運動を共に斗い、「同じ釜の飯を食った」仲である。四年前に六〇歳台になったばかりで若死してしまった。後に遺された者という意味で私達は「メッセージ」を受ける側になってしまった。
判決書
私は福島第二原発の判決が読みたくて、大先輩の安田純治先生に電話して、「判決書のコピーを送って貰えませんか。」とお願いしたところ、安田先生は「コピーは無理だ原本を送る。貴重なものだから大切に扱ってくれ。」との答であった。少し腑に落ちず「貴重なものならコピーを取れば・・・。」と思った。しかし、ダンボール箱に詰められて届いた判決書を見て納得した。B4用紙を紙コヨリで袋とじにした四分冊の判決正本であった。勿論タテ書きであり、うち三冊は、一分冊の厚さ一〇センチを越えていた。全体的な紹介は到底できないので、「地震について」「その他(気象、海象等)」の二点について認定部分を、主観的に抽出する形で紹介する。(興味のある方は、安田先生に連絡してください。既に判決原本は送り返しました。)
「福島県周辺においては、強震以上のものは約一五〇年に一度、烈震以上のものは約四〇〇年に一度の割合でしか起こってなく、激震以上のものは一度も起こってなく、福島県周辺は、会津付近を除いては、殆ど顕著な地震被害が生じておらず、全国的にみても地震活動性の低い地域の一つとみられる」
「本件安全審査においては、各地震のマグニチュードと震央距離との関係等に照らして、本件原子炉敷地周辺に最も大きな地震動を与えたものは、福島県東方沖地震(一九三八年、マグニチュード七・七)の地震であると推定され、したがって、本件原子炉敷地周辺において将来発生することがあり得るものと考えるべき地震のうち、本件原子炉敷地に及ぼす影響が最も大きいのは福島県東方沖地震であると確認された」
「本件原子炉の敷地基盤における設計用地震動は(福島県東方沖地震による地震動の推定最大加速度に対して)余裕をもって設定されているものと判断された」
「気象については、本件原子炉敷地より南方約四〇キロメートルの地点にあり、距離、地形条件等から本件敷地と類似の条件をもつと考えられる小名浜測候所の一九四〇年(昭和一五年)から一九七〇年(昭和四五年)までの間で観測された気象極値を参考として設計されること、海象については、小名浜港における潮位記録により既往最高潮位とされているチリ地震津波の三・一メートル(小名浜工事基準面プラス三・一メートル)をはるかに上回る潮位一二メートルと設計されること及び福島第一原子力発電所観測結果による最大波烽ヘ一九六五年(昭和四〇年)の台風二八号の際の約八メートルであるが、本件原子炉敷地前面に防波堤が構築されるので高波浪の影響は防止されることとなっている」
なじょすっぺ
第二原発についての判決書ではあるが、メッセージとして〈審判〉に耐え得ないものである事は今や明らかである。
「安月給取り」なる表現は決して月給の多寡を表現しているものではなく、裁判官の人格に渡る評価を表現していると思う。
その〈審判〉は歴史が行う事になる。問題は私達が三月一一日以後、何を如何に為すかについて歴史の審判は確実にやって来るという事だ。
「なじょしたらいいべ講師の寒の声」
佐々木泉・二〇〇五年一一月
「なじょしたら」とはいわき弁で、「何をしたら」との意味であり、「いいべ」は「良いだろうか」との疑問符である。訛りを強くすると「なじょすっぺ」となる。弁護士として三月一一日以後の事態に対して「なじょすっぺ」を考え実践していく存念である。
東京支部 馬奈木厳太郎
「地元の四名の先生に加えて、全国各地からも一二名の弁護士の先生方が駆けつけてくだいました。大変感謝しております」――須賀川復興共同センター代表の声が会場に響くと、一〇〇名を超える参加者から大きな拍手が起こりました。ここでも弁護士が必要とされている。長く続く拍手のなか、私は身震いのようなものを覚えました。
団では、東日本震災対策本部(本部長・菊池団長)のもとに、被災者支援PTが置かれています。PTでは、五月一五日の二本松以来、福商連・民商の要請を受けて、福島県内各地で実施される法律相談会に、多数の弁護士を派遣してきました。六月五日には、いわき、飯坂温泉、磐梯熱海で相談会が実施され、一九日には会津若松、須賀川で実施されました。毎回、地元福島の団員はもとより、埼玉、千葉、神奈川、宮城、大阪、東京の団員が、要請に応え多数参加しました。今回は、この間各地で実施されてきた相談会のなかから、須賀川での様子についてご報告します。
須賀川市は、人口約七万八〇〇〇人で、郡山のベッドタウンといった感じの街です。一部倒壊した建物や崩落した壁など、被災の傷跡は、駅から会場に向かう道すがらでもあちらこちらに見て取ることができます。そして、いまも毎時〇・二七マイクロシーベルトの放射能が降り注いでいます(六月二二日現在)。
中央公民館を会場とした今回の相談会では、冒頭、神奈川の渡辺登代美団員から、原賠法の概要についての説明がありました。原賠法の仕組みについては、一般の方は必ずしも詳しくはないことから、毎回の相談会ではまず冒頭で説明することにしているのです。今回も、法の目的や損害の考え方などについて、丁寧な説明がなされました。続けて、福島の渡邊純団員から、放射能が生活に与える影響などについて解説がありました。物理学の専門家ではないからと断りを入れながらも、ご自身の生活体験なども交え、大変わかりやすく説明がなされました。参加者の方の疑問や不安も、お二人の話で相当程度解消されたのではないかと思います。
その後、部屋を変えて個別の相談会になりました。相談会の持ち方は、毎回、相談件数や参加弁護士の多寡によって異なるのですが、今回は弁護士二人一組での個別相談の形式となりました。私は、東京の鳥海準団員とのペアになったのですが、大ベテランがご一緒ということで安心して相談に臨めました。
私たちが担当した相談者の方は三名でしたが、東京電力に対して損害を賠償してもらえるのかといった相談が中心でした。たとえば、きゅうりをハウスで育てているという農家の方は、福島県産ということで価格が去年の半分になっている、シーズンで考えると損失が約七五〇万円になるとのことで、東京電力に対して損失を請求できるのかというご相談でした。きゅうりは、ホウレンソウなどと違い、作付や出荷の規制がなされていないのですが、福島県産というだけで避けられているそうです。同様の相談内容は、民商主催の相談会ということもあり、毎回の相談会でもかなり寄せられます。私たちは、一次・二次指針の考え方を説明するとともに、価格下落の資料を集めることや販路拡大のために出費した支出の証拠を残しておくことなどをアドバイスしました。
また、今回の相談会では、放射能の影響に対する不安を訴えられる方も多かったです。たとえば、板金業の方などは、一日中屋根の上で作業をしておられ、雨にも打たれるし、晴れていても放射能は降ってくるということで、健康被害を受けないかを心配しておられました。お子さんやお孫さんがいらっしゃる方は、子どもや孫に対する影響を心配しておられました。なかなか弁護士としては答えづらい内容の場合もあるのですが、こうした不安が寄せられるのも相談会の一つの特徴だろうと思います。
相談会の後には、主催者である福商連・民商の方々も交えて、毎回感想交流会(反省会?)を行っています。初参加の団員の方が感想を述べられたり、今後の改善点などについて意見を交換したり、団として今後どう取り組んでいくのかについて議論を行ったりするのですが、毎回のこうしたやりとりの甲斐もあって、民商の方々との連携や相談会の獲得目標などもずいぶんと明確になってきました。
そして、とうとうというべきか、相双地区の民商が、六月二八日に、県内でも先頭を切って東京電力に対し六〇〇〇万円の仮払い請求を行うことになりました。福商連・民商の頑張りと団の協力が、一つの成果として形になったと考えています。
福商連・民商主催の相談会は、今後も続いていく予定です。相談者の方は、地域によっても多少の差はあるのですが、建築関係、旅館業、小売業、お土産屋さんなど業者の方のほか、農家の方もいらっしゃいますし、警備会社や宴会にコンパニオンを派遣している事業者の組合の方などもいらっしゃいました。相談内容は、やはり東京電力に対する賠償を求めるものが多いですし、原因競合が論点となるものがかなりあります。そうしたこともあって、業者の方のなかには半ば諦め気味の方もいらっしゃいますが、損害として全く認められないとは言えないこと、とにかく請求しないことには一円ももらえないからと励ますことが大事ですし、弁護士の役割には大きなものがあるだろうと思います。
また、二〇期代や三〇期代の先生の参加が多いのも特徴なのですが、行き帰りの電車のなかなどで、大先輩のお話を聞けるのも隠れた魅力の一つです。若手の参加が少ないのが残念だという声も聞かれますが、こうした魅力もありますので、ぜひ多くの若手団員の方にも参加していただけたらと思います。
私自身は、登録したての新人ですが、登録一年目にこれだけのことが起きてしまい、これにかかわらないでは弁護士になった意味がないとの思いからかかわっています。長い取り組みになりますが、最後まで積極的・主体的に取り組んでいく決意でいます。
東京支部 神 田 高
こと嘉味田高及び大城美幸
一 三月一一日の巨大地震の翌日から、地元の日本共産党武蔵野・三鷹地区委員会(通称・武三地区委員会)は、いち早くJR吉祥寺駅頭等で被災者救済の募金活動に取り組みました。出足早く地域支部の方たちも募金活動に参加され、三六〇万円もの募金をいただきました。地域のスポーツクラブの方からは、「共産党なら間違いないから。」と義援金の申し出もいただきました。
他方、福島原発事故への不安は東京でも根強く、「共産党は原発に反対しているから、本当の情報を教えてください。家族で国外移住も考えています。」との女性の方からの電話もいただきました。原発事故のため妻・大城美幸(三鷹市議団長)の故郷の沖縄県恩納村に避難されている方もいるとのことです。
しかし、被災の深刻な状況が明らかとなり、三鷹の支部の方たちが中心となって、五月一六日から一八日まで四人の三鷹市議を含め一一人で宮城県石巻市に支援活動に入りました。
当時、石巻市は市街地の大半が破壊され、死者と行方不明者が一番多く、また、ガレキの撤去率は四%(五月一六日)で東北でも最低でした。
二 豚汁の炊き出しに「温かいもので野菜が食べられるのがうれしい」と大歓迎 豚汁の炊き出しは、一六日が五〇九名が避難所生活を送っている河北総合センター、一七日は鹿妻地区のコンビニ駐車場を借り、一八日は九四名が避難している山下中学で昼食の炊き出しをしました。
震災から二ヶ月以上たった五月一三日の時点でも、石巻市内で七九五二名が一〇四カ所の避難所で生活していました。山下中学では、毎日、朝はおにぎり、昼はパンとミルクと缶詰類、夜はお弁当という状況でした。
一六日に炊きだしをおこなった河北総合センターでは、石巻で一番多くの人が避難生活を送っています。廊下で寝泊まりをしている人もたくさんいました。三鷹のメンバーは、“赤旗祭り”で手慣れている豚汁に加えて、妻の大城の郷土料理である“モズクの天ぷら”を現地で三〇〇食つくりました。
「豚汁とモズクの天ぷらの炊きだし」の館内放送があると一一時二〇分頃から行列ができました。避難所の責任者の館長さんは「天ぷらの炊きだしははじめて。これはみんな喜ぶ。」と言っていましたが、そのとおり、天ぷらを食べ終わった方が、「あと三っつほしい」「明日もつくってね」と喜ばれました。そこで、昼食後も、残ったモズクを全部使って、たくさんの天ぷらをセンターに届けました(実は、“モズク”は四月の統一地方選へ向けた選挙準備のため三鷹地域の炊きだし用に妻の実家の恩納村から送られていたものでした。今回の大震災で急遽東北支援物資となって役立てられました。)
一六日の午後は、翌日の炊きだしの準備と“救援物資お届け隊”に分かれて行動しました。津波被害の大きかった地域では、近隣の店舗がなくなり、自動車も失ったため、“買い物難民”ともいうべき状況が生まれ、石巻の日本共産党救援復興センターは市内二〇〇カ所以上で救援物資のお届け活動に取り組んでいるとのことでした。この日は、お米、野菜、果物、トイレットペーパーなどを軽トラックなどに積み込み、被害の多い地域三カ所で救援物資配布をおこないました。
「社長が震災でなくなり、解雇された」、「津波で工場が流され、仕事がない」と話しかけてくる人、「こうした配布は一年以上続けてほしい」との声もかけられました。沿岸部の産業が壊滅的被害を受ける中で、仕事を失い、生活の見通しが立たない状況でした。生活の再建のためにも、仕事の再建、産業の再建を国をあげてやる必要性を痛感しました。
一七日には、鹿妻地区で炊きだしをしました。一二時半には、用意した三〇〇食近くがなくなりました。ある女性が「本当に遠くからありがとう。二年、三年たったら、ぜひ、また石巻にきてください。きれいな町になっているから。」と言いました。郷土復興への覚悟と信念を感じました。「二年、三年後といわず、その前にまた炊きだしで石巻にきますから。」というと、その女性もにっこりとして手をふりました。
一八日には、山下中学校体育館での炊きだし。九七世帯なので豚汁の外に黒糖で作った“チンピンポーポー”をフライパンで一枚一枚丁寧に焼いて半分に切って差し上げました。「モチおいしかったよ」とポーポーに生姜をきかせたのが「昔懐かしい味がしてあとを引く」と。
体育館の中にびっしりと段ボールで区切られての避難所生活。小さな男の子が母親にぴったりくっついて、ママも目を真っ赤にして豚汁をもらいに来た。パパはまだ行方不明なのだろうか。ここの人はみんな避難所を転々として四カ所目の人もいる。避難した所が津波にあって逃げ、ショックで声が出なくなった人もいるとのこと。雪の降る日に配られたのは新聞紙一枚。次の日にやっと毛布一枚とビスケット二枚。そして三日目、バナナが四分の一個だった。「暖かい豚汁はありがたい。」と喜んでくれました。
三 再び石巻と南三陸へ
六月二日、石巻門脇中学校体育館で豚汁とモズク天ぷら四百食分を提供。原発をゼロにする署名も一緒に配布しました。後片付けをしていると被災者の方が「署名は誰に渡せばいいんですか。」と二五人分の署名を持ってきてくれました。
誰もが「おいしかったです。」とお礼を言う。そしてみんなで記念写真をとりました。被災者の多くの方が、駐車場を去る車が見えなくなるまで手を振って私たちを見送ってくださいました。
六月三日は、朝七時に松島のホテルを出発し、南三陸へ。のどかな山並みが一変して右も左も瓦礫。一軒一軒の家の影も形もなく瓦礫だらけ。防災無線で最後まで避難を呼びかけていた女子職員がいたという防災課の庁舎の鉄骨がテレビで見たのと同じ状況で赤茶色に錆びてぽつんと佇んでいました。私たちは、高台の地域で豚汁と“モズク天ぷら”を作りました。一二時の提供を前に、人が集まり始めたので急遽ビニールシートを敷いて、琉球舞踊の「四つ竹」と「安里屋ゆんた」を三線で披露(今回は、沖縄返還運動の流れをくむ「基地のない平和な沖縄をめざす会」からも支援活動に参加してもらいました)。
(妻の独白)
被災者の人たちの笑顔が心からの笑顔となって広がることを願って被災地をあとにした。戦争を経験したことのない私ですが、戦争の惨禍と被災の様子を重ねずにはいられません。帰りの車窓から見える街並みが瓦礫に見えて涙でかすんでしまう。
“笑顔にあふれる 明日を信じて
肝かなさ君に 肝苦しゃ”
七月二一日、妻は三度石巻へと向かう。
「今度は子どもたちに玩具を届けたい。女性たちに日焼け止めクリームや化粧品を届けられればと思っている。」
(注一)妻は、菅首相のお膝元の武三地域の三鷹市市議選で、多数立候補の激戦の中、四位で五選を果たしました。
(注二)名字が「嘉味田」に変わりましたが、弁護士業は通称「神田」でやります。
神奈川支部 穂 積 匡 史
一 教科書の夏がやってきました。各地で教科書採択の手続きが進められています。「致命的な欠陥」を抱える育鵬社・自由社の公民教科書・歴史教科書も、その対象に含まれます(詳細は、自由法曹団ホームページ掲載の意見書「法律家による『つくる会』系公民教科書(育鵬社・自由社)の検証」を参照してください)。
文部科学省は、公立学校で使用される教科書の採択権限は、その学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会にあると説明しています。たとえそうであるとしても、採択権限の行使が市民の民主的コントロールに服すべきものであることは言うまでもありません。文部科学省でさえ、「教科書採択に関しては、保護者や国民により開かれたものにしていくことが重要です」とホームページで宣伝しているのです。
二 現実はどうでしょうか?
通常、教科書採択はまず、(1)直接教育活動に携わっている教員等が教科書調査員として調査を行い、その結果を報告書にまとめます。次に、(2)有識者で構成する教科書選定審議会が、調査員の報告書に基づいて教科書を評価し、その結果を教育委員会や採択地区協議会に答申します。最後に、(3)首長の任命する教育委員会等が、審議会答申に基づき、教科書を採択します。
この過程から明らかなとおり、教科書採択の手続きは、その始まりこそ、(1)最も教育現場に近い存在である調査員からスタートしますが、(2)有識者の審議会を経て、(3)最後には教育現場から遠く、場合によっては教育に対する見識も定かとはいえない教育委員によって、採択が行われることになるのです。
ですから、(2)審議会は(1)調査員報告を、(3)教育委員会は(2)審議会答申をそれぞれ十分に尊重して教科書採択を行うのが、見識ある採択というものでしょう。しかも、「教科書採択に関しては、保護者や国民により開かれたものにしていくことが重要」なのですから、その過程は透明でなければなりません。
三 さて、たとえば二〇〇九年に自由社の歴史教科書を採択して世間を驚愕させた横浜市教育委員会の例を見てみると・・・
(1)教科書調査員は覆面(調査員名簿は将来にわたって非公開)。
(2)審議会答申は無視(採択された自由社版は、審議会答申では最低評価だった)。
(3)教育委員会は無記名投票(誰が自由社版に投票したのか、分からない)。
はたしてこれが、市民に開かれた教科書採択と言えるのでしょうか?
見識ある教科書採択と言えるのでしょうか?
このような密室・暗黒の教科書採択は、直ちに改められるべきです。教育は、子どもたちの未来を決定づける重要な営みです。教科書が教育の主たる教材とされる以上、その採択に大人は責任を持たなければなりません。調査員名簿、調査員報告書、審議会名簿、審議会議事録、審議会答申、教育委員会の会議、議事録、投票内容等は全て公開され、歴史の評価に耐えるものでなければなりません。
二〇一一年六月一五日、横浜地裁は、横浜市教委が教科書調査員の名簿を非公開としたのは違法であると断じ、その開示を命じました。密室性に風穴を開ける当然にして画期的な判決であると言えます。
四 唯一、市民が教科書を検証することのできる機会は「教科書展示会」(教科書の発行に関する臨時措置法五条)です。しかし、実はこれも極めて制限されています。
たとえば、私のいる川崎市(人口一四三万人)で見た場合、教科書展示会が開催されるのは僅か四会場、延べ六〇日間、延べ四六六時間です。つまり、市民一人当たり、僅か一・一七秒しか保障されていません。問題の育鵬社・自由社を含む中学校公民教科書は、全部で七種類が発行されています。僅か一・一七秒で、この七冊を読み比べて内容を検証することなど到底不可能です。(川崎市の場合、展示会場によっては同一の教科書を二冊展示している所もありますが、それを考慮しても、せいぜい市民一人当たり二秒余りにしかなりません。)
しかも、展示会場には白いアンケート用紙こそ置かれているものの、市民の意見を汲み取ろうとの姿勢は希薄です。(その気があれば、各地の公立図書館などを使用して、より多くの場所でより長い期間、展示会を開くことも可能なはずです。)
とはいえ、これは市民が教科書をじかに手に取り、内容を検証し、意見を表明する重要な機会です。とりわけ育鵬社・自由社の公民教科書・歴史教科書は、これを手に取って他社の教科書と読み比べたとき、その「致命的な欠陥」を一層明白に理解できます。勢い、アンケート用紙に向かう筆圧も高まるというものです。
皆さん、今すぐ展示会へ行って、忌憚のない意見を書いてきましょう。そうしないと、教科書の夏はあっという間に過ぎ去り、二度とは戻って来ません。
滋賀支部 玉 木 昌 美
平成二一年七月九日に執行された甲良町の福祉空間工事の入札において、濱野圭市副議長(当時)が実質的に経営する浜野工務店が落札した。ところが、当初から官製談合の疑惑が指摘されていた。甲良町議会において、A氏が野瀬主監(当時)から、「最低制限価格を知っているのは前町長ら四人である。」という発言を録音したテープなどをもとに検討が行われ、同議会は、官製談合疑惑調査特別委員会を設置し、調査活動を行っていった。私は、途中から、同委員会の依頼を受け、その活動について法的アドバイスを行うこととなった。
調査の結果、この落札は、指名基準の資格付けを滋賀県の三号業者までに広げる変更を行ったうえ、また、公表された予定価格に四〇万円を加算した八五パーセントの数字で落札したものであることが公式に確認された。三号業者である浜野工務店を参入させるための審査基準の変更、非公開の最低制限価格と同額の落札がされていることから官製談合が強く疑われた。
そして、この浜野工務店の落札は、山赴`勝町長(当時)、野瀬喜久男総務主監(当時)、濱野圭市副議長(当時)、山田寿一議長(当時)が共謀し、審査基準の変更による参入、数字の教示により、入札等の公正を害すべき行為を行った可能性が高いことが問題となった。関係者四名は、疑惑を否定する証言をするものの、上記二点についてまともな説明ができなかった。また、これらの謀議は、証言直後に自殺したM議会事務局長(当時)も加わり、五名で議会事務局を舞台に行われたことも職員の証言等から浮き彫りになってきた。また、建設業法違反となることをわかっていながら落札させたことも問題となった(実際に浜野工務店は滋賀県から営業停止七日間、指名停止六ヶ月、甲良町や愛荘町から指名停止六ヶ月の処分を受けている)。
また、A氏が上記テープをもとに、前町長ら四名に対し、不当要求をしたものの、うまくいかなかった別件が存在する。もっとも、前町長ら四名は、甲良町議会において官製談合が追及されていく中、和解していたにもかかわらず、半年ほど経過後、A氏から恐喝されたと被害届を出し、世論の目先を変えようとしたと思われる。これに対し、前町長らの意を受けた警察は、A氏がB氏、宮嵜光一議員と共謀して起こした事件であるとして、三名を逮捕・勾留し、平成二二年七月五日起訴した。私は、途中からB氏と宮嵜議員の刑事弁護を引き受けて活動したが、この刑事事件の審理の中において、前記四名が浜野工務店に落札させた経緯の疑問点も明確になった。こうして、調査特別委員会における解明と相まって官製談合があったことが裏付けられたといえる。
甲良町議会は、平成二二年一二月九日、「官製談合あり」とする調査特別委員長報告を可決し、同月一五日、町長へ四名を告発するように求めた。そして、平成二三年三月一七日、甲良町長や議員、町民有志は大津地方検察庁に対し、告発状を提出し、同年四月二二日、告発状は正式に受理された。今後、海津三席検事を主任として捜査が行われることとなった。
一方、官製談合事件の主役であった濱野議員に対しては、甲良町議会は資格審査特別委員会の手続を経て、平成二三年二月二一日、出席議員九名中六名の賛成で、議員失職処分を決定した。濱野議員は、浜野工務店の実質的経営者であり、これは地方自治法が定める兼業禁止に該当することを理由としている。これに対し、濱野元議員は、平成二三年三月八日、滋賀県知事に対し、失職処分の取り消しを求めて審査申立てを行った。私は、処分庁である甲良町議会の代理人として、処分は中身も手続も正当であり、議員や副議長の地位を利用して官製談合を行った張本人がかかる申立てを行う資格はないとして徹底的に争った。濱野議員が失職して、三名の議員が欠員となり、甲良町では補欠選挙が実施されることが決定され、準備が進められたが、濱野元議員は、それが実施されると議員資格の回復ができなくなるとして、選挙の直前である平成二三年四月七日に失職処分の執行停止を申し立てた。これが通れば、準備された補欠選挙が取りやめになる。甲良町議会としては、これまた理由のない申立てであるとして徹底的に争い、議会が民主的に進めた手続による処分を知事が簡単に停止して、選挙までやめにすることは極めて問題が多いことを指摘した。選挙が始まる直前の平成二三年四月一五日、滋賀県知事は、濱野元議員の執行停止の申し立てを却下した。その決定は、「公職選挙法の規定により、補欠選挙の効力を争うことができ、執行停止によらなければ、議員資格の回復が不可能となるとまではいえない。」とした。この甲良町議会側の主張が認められたことにより、平成二三年四月二四日補欠選挙は、予定どおり実施され、三名の新議員が誕生した。そして、濱野元議員は、同年四月二九日付けで審査申立てを取り下げ、事件は終了した。この取り下げについての理由は明らかにされていないが、濱野元議員がこれ以上手続を継続しても見通しはないと考えたのかもしれない。この審査申立ての中で、濱野元議員は、刑事事件にはなっていないことや告発状も受理されていないことを強調していたが、執行停止却下後の四月二二日に正式に告発状が受理された。刑事事件になる可能性があり、内容からすれば、刑事事件にしなければならない。
宮嵜議員とB氏の恐喝未遂被告事件について、平成二三年四月一四日、大津地方裁判所の澤田正彦裁判官は、有罪の実刑判決をしたが、その判決でさえ、「被害者らにも官製談合の疑惑が濃厚にある」と指摘している。
甲良町議会が官製談合疑惑調査特別委員会を設置し、精力的な調査を行い、前町長ら四名が官製談合に関与した疑惑が濃厚であるとして町長に対し、告発を要請し、北川豊昭新町長がこれに応じて、正式に告発に至ったことは、民主的な議会の活動として実に画期的なことであり、その良識を示したといえる。そこには、甲良町において、これまでのように談合を絶対に許してはならないという固い決意が表れている。また、「刑事事件にならないかぎり、問題はない。」と疑惑の中心にいて開き直っていた濱野議員を失職させたことも、そして、その失職処分の取り消しの審査申立て事件で執行停止の申立てを却下させ、ついに審査申立てそのものを取り下げさせる闘いを行ったことも快挙である。滋賀県知事がおかしな判断をしないように監視した甲良町長や甲良町民の存在も大きいといえる。刑事事件の中において、野瀬主監は入札業務のトップに一〇数年関与してきたこと、入札に関する情報をA氏ら業者に漏らし続けてきたことを証言した。現在の良識ある甲良町議会はこうした驚くべき異常な実態を改め、今後は許さないであろうと思う。
甲良町は、これまでは、残念ながら、前町長を中心に利権、不公正、談合が横行していることで有名であり、これと闘う共産党の西澤伸明議員は議会内では一人だったが、官製談合疑惑が発覚して以来、議会で、あるいは町民に知らせる「甲良民報」で一貫して追及してきた。そのことが一つの要因で世論を作り、平成二一年一〇月の町長選では、それまでの山葡ャ長を落選させ、議会では官製談合を追及する議員が多数派になり、上記の展開となった。疑惑追及の先頭に立ってきた西澤議員は副議長に就任し、補欠選挙では、前町長の地元長寺から二人目の共産党議員、丸山光雄議員が誕生した。甲良町は大きく変わろうとしている。
本件官製談合事件の捜査はこれからである。甲良町民がこの事件に注目し、検察の動きを監視する中でこそ、まともな捜査がなされることになる。甲良町議会、甲良町民の闘いは今後も続く。
東京支部 坂 本 修
六月九日夜、「比例定数削減に反対する六・九集会in東京」は一、二〇〇人の参加を得て、熱気あふれる学習・決起集会となった。 集会での渡辺治先生の講演、日本共産党市田書記局長のあいさつを聞いて、あらためて痛感したのは、(1)大災害を『利用』して支配勢力の一連の反動的諸施策を実現するたくらみが進んでいる、(2)そのための「大連立」策動がうごめいている、(3)こうした策動の重要な柱として、民意を切り捨てて二大政党の「独裁」を実現するための選挙制度「改革」の危険がつよまっていることである。
私は、五月集会で、大災害に対応するということを新たな口実として、「大連立」、そして、支配勢力が彼らの懸案の一気実現を図り、その重要な柱として奇怪な自民党案が浮上してきていること、策動の危険はよりつよいものになってきていることを強調した。しかし、とは言え、民主党の比例定数削減案を主なターゲットにして私は批判してきていた。だが、今は、それでは足りない新しい情況が生まれているとつよく思っている。こうした変化に立ち向かって、私たちがどう訴えるかが問われている。
自民党が動き出したー「定数三の中選挙区制」
一貫して定数削減を主張してきた自民党の対応を私は注目していた。本年五月に入って、自民党は、「改革」案を様々に揺れ動きながら提案し始めた。当初の案は、(1)小選挙区定数五削減・定数格差二倍未満、(2)比例定数三〇削減、但し、うち三〇議席については、得票率二〇%未満の政党にドント方式で議席配分というものであった。
自民党は、(2)によって少数政党を尊重するとしていた。しかし、実際に直近の参議院全国比例代表での各党得票率でシミュレートしてみると「三〇人枠」で、公明党一五議席、みんなの党一三議席、合計二八議席ということになる。一見して明らかにこの両党(とりわけ公明党)を選挙制度「改革」賛成に取り込む政治的な意図を持ったものであった。この案は「奇怪」な案であり、得票率二〇%以上の政党と以下の政党の間で、議席数の逆転が生じ得る。憲法違反という批判も免れない。
自民党は、党内外からの異論・批判続出で、早々にこの案を撤回した。これに代わって登場してきているのが「定数三の中選挙区制」である。そのことを分かりやすく森元首相は「今こそ懸案事項を各党で話し合う『四つのテーブル』を置くべきなんだ。一つは、『震災復興・原発事故対応』、二つ目は『税と社会保障の一体改革』、三つ目は『選挙制度』。そして四つ目は『憲法』」「三つ目の選挙制度も最高裁大法廷が『違憲状態』だと判断したのだから、待ったなしですよ。僕は三人区を基礎とした中選挙区制に戻すべきだと思ってるけれどもね」と語っている。(『産経』、六月九日インタビュー)。
森元首相の提起する制度は、選挙区定数四〜五を原則とするかつての中選挙区制の「復活」ではない。「似て非なるもの」であり、その実態は、比例を全廃して、自民党と民主党でまず二議席を一つずつ手に入れ、三議席目を自民・民主、そして公明(さらにはみんなの党)で、競い合って分かち合うというものである。その政治的な狙いは、新自由主義・構造改革、日米同盟「深化」、そして九条改憲、原発推進という「思想と基本構想」を共にする政党による議席独占である。そして、「対抗軸」を持つ少数政党の徹底排除、「大連立」(あるいは「政界再編」などを経ての様々の「部分連立」)による強権・“壊憲”国家の実現である。
深層、底流を直視する
「三人定数の中選挙区制」が自民党案としてすでにまとまったという情勢ではまだない。民主党や公明党、さらにはみんなの党が簡単にこの案でまとまるかは疑問がある。そもそも「大連立」策動自体、国民のつよい批判があり、しかも自・民各党の党利党略、両党幹部のそれぞれの私利私欲が渦巻いているために、簡単には進んでいない。
私が、新たな危険な情勢として強調するのは(すべきだと思うのは)、にもかかわらず、財界のつよい要求のもとに比例の削減(「全廃」を含む)の選挙制度「改革」が「大連立」策動ともからんで、深層から動き出していることを直視し、その危険を広く国民に訴えねばならないということである。
なにをなすべきか
あらたに迫る危険な動きに、私たちの反対運動はなにを訴えて立ち向かうべきであろうか。学習会で、なにをどう話したらいいか、思うことは様々にあるが、最小限、つぎの三点だけは述べておきたい。
第一に、すでにのべた新たな動きについて、その重大な危険ーそして、民主党、自民党らの談合合意、法案上程となったときの危険ーを率直に語ることである。
第二に、平和に人間らしく生きたい、そのために「閉塞」し、歪んでいる政治を、民意を反映するまっとうなものにしたいという、本来、多数派国民の胸中にある要求をつかんで放さない。そして、要求実現のために定数削減策動に全力をあげて反対し、「比例を軸」とする民意反映の選挙制度にすることを攻勢的に提起することである。
第三に、支配勢力の策動の危険な進行は直視するが、大災害、原発事故を利用して、彼らの「懸案」を実現するという企みには、重大な構造的な弱点があり、私たちがたたかうならば必ず打ち破れるということを自らの確信とし、そのことを心から訴え、対話と共同を広げ続けることである。たたかいの発展に有利な条件が生まれてきている。たとえば、最近の学習会の経験でも、「安全神話」をくりかえして「原発」をつくりつづけ、今になっても、なお維持、推進を主張する二大政党だけの国会にするわけにはいかない、私たちの人生、未来の人々の人生のために、今こそ、民意を正当に反映する選挙を、一票をとりもどし、社会を生きかえらせようという訴えは、今までの学習会ではなかったつよい共感をもって受けとめられている。新たな危険な情勢は、反面、反転攻勢の有利な条件を生みだしている。チャンスをつかみとることは可能であり、「勝機は、今にあるのだ」とつよく思うのである。
東京支部 森 田 沙 緒 里
中野駅の改札を出て左に出ると、人の波が中野ZEROホールへの場所案内をしてくれ、会場につくと、「ドンドコドンドン!」軽快な音楽と共に獅子が舞って出迎えてくれました。六月九日、私は、労働者・国民の声を国会から締め出す比例定数削減に反対する六・九大集会in東京に参加しました。
比例定数削減。良くないことだよな〜とは思っていましたが、よく分かっていなかったので、渡辺治先生の講演はとても勉強になりました。今の政治の動向、ニュースで見ていても呆れるばかりでしたが、詳しい事情を聞いたらもっと呆れてしまいました。震災で混乱している状況を逆手にとって憲法改悪や比例定数削減を押し通してしまおうだなんて、絶対許せません。今は何よりも被災地支援、復興が一番なのに、なぜそういった方向に頭がいくのでしょうか。「大連立が行われ、どんどん改悪が進み、ようやく多くの国民がこのままではいけない。と気づいたときにはもう遅い。比例定数削減で国民の意見を主張してくれる政治家が、国会からいなくなっている。」そう聞いたときにはぞっとしました。そして、今主張していくことが大切なんだと思いました。
各団体のリレートークでは、感動する場面がとても多かったです。新婦人のお母さん方のお話はとてもショックでした。東京ではだんだんと通常モードに戻りつつありますが、被災地では原発の恐怖が消えないことを痛感しました。震災が起きて三ヵ月経ちましたが、だんだんと町の復興は進みつつあっても、被災者の方々の心の復興はまったく進んでいないと思いました。
渡辺治先生もおっしゃっていましたが、比例定数削減の問題は知識がないととんでもない政策なことに気づけません。逆に言えば知識があれば、気づける政策だと思います。なので、私ももっと勉強し周りの何も気づいていない友人などに伝えていきたいと思います。今回集まった一二〇〇人の人が一人に伝えれば知識がある人は二四〇〇人になり、その人たちがまた一人に伝えれば三六〇〇人になります。国民の声が大きく大きくなれば今の灰色の国会も虹色に変わり、風通しの良い政治に変わると思います。その為にもこれから知識を得ていきたいです。
東京支部 田 村 優 介
二〇一一年六月九日、東京・中野の「なかのZEROホール」で行われた、比例定数削減反対・大集会に参加しました。
約一三〇〇席の大ホールがほぼ埋まり、一二〇〇人以上の方が参加されたとのこと、まさに「大集会」となっていました。
まず、渡辺治先生(一橋大学名誉教授)の「大震災後の政治の行方―大連立、比例定数削減がねらうもの」と題する講演でした。短い時間の中で、膨大な情報を整然とお話され、ひとつひとつでは意味のよくわからない新聞記事の政治ニュースが有機的につながる渡辺先生のお話には圧倒されました。
特に印象に残っているのは、マスコミが大連立への動きをを後押ししているということ、経済同友会等の「復興」プランに極めて問題が多く、「復興」を口実に道州制や法人税率引き下げを言い出していること(「復興」プランの中に一言も被災者について触れられていないのは衝撃的でした。)、さらに、衆議院の一票の格差問題が、選挙制度の改革の口実となってしまい、小選挙区制を温存し、比例定数部分を八〇削ろうとする民主党の動きの他にも、三人中選挙区制論(やはり、少数政党は議席をとれない)、などの議論が出てきている現状、といったお話です。
原発をなくす取り組み、消費税問題、TPP問題とともに、国民運動として、定数削減問題に取り組み、少数政党の重要性を訴えていくことが、今後の課題であり、立ち向かう方法であることが、よくわかりました。
続いて行われたのは、民青・新婦人・全商連などのリレートークでした。
パワーポイントを用いてわかりやすく、旗や横断幕も用いてビジュアルに訴えがされたことで、数多くの団体の発表もテンポよく楽しく聞くことができました。
多くの団体が、震災支援への取り組みと合わせて、比例定数削減への反対の意思を示していました。
今回の震災後には、比例定数削減について、原発問題、震災復興の問題についても、比例定数が削減されては、民意がゆがめられ、少数派の意見が切り捨てられるおそれがあることを強く訴えていくことが必要であり、有効であると感じました。
本集会の成功をステップに、比例定数削減をさせないという成果を勝ち取るため、今後もさらに運動を進めていく必要があると感じました。
東京支部 平 井 哲 史
(給費制維持対策本部事務局長)
一 給費制をめぐる情勢
本年五月に新司法試験がおこなわれ、かつ、給費制を含む法曹養成のあり方を検討する「フォーラム」での議論が始まり、給費制維持を求める取り組みはいよいよ本格化をしています。
一一月までの間に法改正の実現を目指すわけですが、「フォーラム」で給費制について結論を出すのが八月の予定とされているため、ここで給費制維持の結論を勝ち取ろうとすれば実質的にあと一か月ちょっとという超短期決戦となります。
第一回の「フォーラム」では、貸与制への移行を前提として、生活費に困る修習生への対応のみを議論しようとすることがないよう委員から質問が出され、貸与制を前提とせず、給費制も含んで法曹養成のあり方を検討することが確認されています。この一か月ちょっとの間にどれだけ集中して取り組みができるかが「フォーラム」の結論を左右することになるでしょう。
二 日弁連等の取り組み
(1)市民集会
東北大震災の影響で一時止まっていた弁護士会・市民連絡会等(以下「日弁連等」)の取り組みも再開し、六月一六日現時点で把握できている範囲では次の市民集会が予定されています。
静岡(六・一八)→札幌(六・二五)→埼玉(六・二九)→大阪(七・一)→兵庫(七・二)→東京(七・六)→京都(七・九)→横浜(七・二〇)→和歌山(七・二一)→佐賀(七・二二)→富山(七・二九)→新潟(七・三〇)
この団通信がお手元に届く頃にはさらにいくつかの地で市民集会が企画されているだろうと思います。
(2)街頭宣伝
また、上記の市民集会に向けて各地で街頭宣伝も企画されていることと思います。私は東京しかまだ把握できていませんが、東京での街頭宣伝の予定は以下の日程です。
七月四・五・一一・一二日
一七時三〇分〜 @場所はまだ決まってない
七月一三日 九時三〇分〜 @法務省前
三 団の取り組み強化の呼び掛け
本格化したとは言え、目標を勝ち取るにはまだ不十分と言わざるを得ません。より多く街頭で目立ち、世論を喚起し、そして市民集会の成功へつなげていくことが求められています。
団はすでに昨年から日弁連等に団結して共に取り組むことを方針として決めていますが、手始めに、団本部から仕掛け、全労連・救援会とともに日弁連・市民連絡会に動いてもらって六・一三新宿西口街頭宣伝を成功させました。(その報告が別に六三期の新人からなされるかと思います。)
この街頭宣伝では、道行く人が掲げたプラカードをじっと見つめ、ビラを配っている要員に積極的に応援の声かけをしてくださる方が相次ぎました。市民の側は宣伝を待っていると言ってよいでしょう。
昨年のように広く署名が呼び掛けられているわけではないため、世論を結集するのは各地での市民集会の場となります。ここを成功させることが「フォーラム」への説得力を高め、議員要請の武器となります。そのために、以下三点を呼び掛けます。
(1)各地で日弁連等の取り組みに呼応し街頭宣伝および市民集会に参加する。
(東京を念頭に置いていますが、必ずしも積極的に取り組んでいない単位会も少なからずあります。そういうところでは団が縁の下の力持ちとして単位会の対策本部を応援することが必要です。)
(2)事務所ニュースなどの媒体を活用して給費制維持を訴える(ビギナーズの署名を同封するのもアリ)。
(3)労働組合や救援会、民商など付き合いのある団体に応援要請に行く。
余談ですが、対策本部に六三期の田村団員(城北L/O)にご参加いただき、田村団員から横のつながりで呼び掛けてもらったことで六・一三の新宿西口街頭宣伝には五名の新入団員が参加してくれました。六二期の団員も二名でしたので、なんともフレッシュな宣伝隊となりました。そして若い弁護士が声を出してビラを配布すると受け取りもよくなります。こうした行動に参加した新人が事務所に帰って報告をすれば事務所もまた活気づくでしょう。今回は横のつながりでやりましたが、これに加えて事務所の先輩が「行こう」と誘えばきっともっと参加が増えるかと思います。震災対応があり、比例定数の問題があり、地域主権改革の問題があり、改憲や教科書など課題が数多くありますが、健康に留意しつつ頑張って局面を切り開いていきましょう!
東京支部 植 木 則 和
給費制を含む法曹制度全般の今後について審議する法務省の諮問機関「法曹養成フォーラム」の第二回が、六月一五日に行われました。これに先立ち、ビギナーズネットの皆さんと共に、六月一三日(新宿)、一四日(有楽町)、一五日(法曹会館前)と三日間連続で、給費性維持の街頭宣伝を行いました。
一三日は新宿駅の西口で一七時三〇分から行われました。場合によっては新人弁護士の立場から演説をすることがあるかも…という話だったのですが、宇都宮会長をはじめ、多くの応援演説をいただき、私は本職のビラ配りに専念いたしました。当初は岐路を急ぐ方々になかなか関心を持っていただけず、ビラの受け取り率も散々でしたが、宣伝カーから「我々の仲間がビラを配っておりますので、どうかお手にとってお読み下さい。」という声が聞こえると、俄然モチベーションが上がり、声を枯らしてがんばりました。
中には立ち止まって話しかけて下さる方も何名かいらっしゃり、「法律事務所で事務員として働いているので関心があります。がんばってください。」「政治家はまたこんな悪いことしようとしてるのか。」などなど、多数の声が寄せられました。中でも印象的だったのは、「給費制っていうのはずっと続いてきてるんでしょ?今まで必要で続けてきたものをなぜ今になって止めるの?」という、極めてシンプルな質問でした。給費制の必要性は従来から変わっておらず、むしろ法科大学院の修了までに要する費用の分だけ経済的な負担が増えているわけですから、今廃止することに合理的な根拠がないことは、市民の皆さんの感覚からしても明白のようです。
一四日は参加できなかったのですが、一五日はフォーラムの開始時間直前に、開催場所である法曹会館の目前での演説に参加してきました。ビギナーズネットの青Tシャツが並ぶとやはりインパクトがあり、フォーラムメンバーの方々はこちらを気にし、給費制存続の根強い声があることを認識していただいたはずです。
一方で、フォーラムの第一回で、次回以降別室での議事公開が決定されたにもかかわらず、第二回の直前になりこれが撤回されるなど、不穏な動きもあります。フォーラムの結論が一定の影響力を持つことは確実なので、ぜひとも皆さんも関心をお持ちいただき、動向を注視していただけたらと思います。
私は弁護士登録からまだ半年余りですが、この間、未曾有の大震災に対する活動や、弁護士会の活動、地域の活動など、様々な公益的な活動に携わらせていただいてきました。今までの先生方も、自分自身もそうであったように、今後も、公益的な活動に取り組める幅広いバックグラウンドを持った方々が法曹を志す制度が守られなければなりません。今後も様々な活動を予定しておりますので、給費制維持を勝ち取る短期決戦に、ぜひとも皆様のお力添えをお願い致します。
埼玉支部 根 本 明 子
六月一三日に新宿駅西口で給費制維持の街頭宣伝が行われました。今回の街頭宣伝は、私にとって初めて参加する街頭宣伝でした。
街宣車の上で、給費制維持の演説が行われる中、私は行き交う人にチラシを配布しました。
チラシ配布を開始して間もなく、チラシを受け取った女性から声をかけられました。その女性は、弁護士の息子がいるとのことで、修習生が充実した修習を送るためには給費制はなくてはならない、と話してくれました。私は、これまでにチラシを配布した経験がほとんどなかったので、最初は戸惑ってしまって、うまく渡せずにいました。しかし、徐々に渡すことができるようになり、特に、宇都宮会長が演説している最中は、会長のお話に関心を持った多くの人がチラシを受け取ってくれました。
私がチラシを差し出しそびれても、「下さい」と言って、自らチラシを求める人や、応援の言葉をかけてくれる人もいて、想像以上に、この問題に関心をもっている人がいることに驚きました。
今回は初めての街頭宣伝参加だったため、チラシを受け取ってもらうことに集中してしまい、効果的なアピールができなかったかもしれませんが、給費制の維持を求める一人として、この街頭宣伝に参加できたことは有意義であったと思います。
京都支部 村 松 い づ み
一 労働事件を数多く手がける京都支部の中村和雄団員と、派遣問題の第一人者でかつ「闘う」研究者の脇田滋龍谷大学法学部教授の初共著「『非正規』をなくす方法」が五月三〇日新日本出版社から出版された(一六八〇円)。
二 「二〇〇〇年には一九八二年に六人に一人が派遣・パートであったものが三人に一人になる」
これは一九八二年当時の経済企画庁の文書の中の一文である。「予測」のような体裁をとっているが、正しく派遣・パートを増やしていこうとする政府財界の政策の表明であり、そしてそれは現実となった。労働力調査によると、派遣・パートなどの非正規労働者は、二〇〇〇年では労働者の二五・八%、そして二〇一一年には三五・四%を占めるに至っている。しかし、その多くが劣悪な労働条件に置かれているのは公知の事実である。
そんな中で三月一一日に発生した東日本大震災。地震による操業停止や計画停電などを理由とした解雇や雇い止め、内定取り消しが全国で多発し、他方、福島第一原子力発電所では、多数の非正規労働者がきわめて過酷な環境の中で働かされている。そこには非正規労働者が「使い捨て」にされている日本の縮図がある。
この本は「こうした時期だからこそ、これからのわが国の雇用のあり方について根本改革を考えていくべき」として出版された。
本のタイトルの「『非正規』をなくす方法」というのは、かなり大胆なネーミングだ。常に社会的弱者の側に立って、生の具体的事件に取り組みながら活動を続けてこられた両名だからこそ付けることができたタイトルだろう。その根底に流れるのは、実は正規も非正規も人間らしい働き方ができる社会を作りたいという熱い思いである。
三 本の内容は、「『期限つき雇用』をどう考えるか」「最低賃金引き上げのために必要なこと」「同じ仕事なら賃金も同じはず」など各章ごとに簡潔しており、興味のある分野から読むことができる。
また、「公契約条例」についての記述は、これまでの既存の本にはない新しい分野である。「公契約条例」の制定は、中村団員が二〇〇八年京都市長選挙に出馬したときの政策の一つであり、公契約の現場の実態や既に施行されている千葉県野田市と神奈川県川崎市の条例の紹介も含め詳細な記述がなされている。京都はもとより全国の地方自治体で是非実現していきたいものである。
更に、実際に調査に訪れたデンマーク(「デンマークの働き方に学ぶ」中村団員)と韓国(「韓国の労働運動に学ぶ」脇田教授)の最新事情の紹介もされている。
四 弁護士だけでなく、労働運動などに関わっている現場の労働者にも是非読んでいただき、一緒に、人間らしい生き方ができる道筋を考えていきたいものである。
なお、YOU・TUBEで「『非正規』をなくす方法」と入力すると、中村団員本人による本の紹介を見ることができるので、こちらも是非ご覧ください。
大阪支部 中 森 俊 久
一 私は、現在、平和教育アニメーションプロジェクトの企画を成功させる関西実行委員会に参加している。平和教育アニメーションプロジェクトと聞くと、何のことやらと思われる方が殆どであろう。要は、平和教育の観点から、小学生高学年以上を対象として大人も楽しむことのできる実用アニメを作ろうという企画である。呼びかけ人は後述するとして、責任者として日々忙殺されているのは、映像クリエーターで、TVディレクターとしての仕事もこなす高部優子さんである。高部さんとは、国際法律家協会を通じて知り合い、本年二月には、セネガルで開催された世界社会フォーラムでもご一緒させていただいた。
二 アニメ(合計で二五分程度になる予定)の中身を少しだけ紹介すると、(1)鬼退治をしたくない桃太郎(鬼と村人が話し合う。ハワイに伝わる集団の話し合いで対立を解決するホーポノポノを人形アニメで紹介。)、(2)学校のホームルーム(クラスの学習発表会の出し物を決める。解決方法は複数あることや建設的な解決方法の紹介。)、(3)ペンギンとアザラシのケンカ(対立をエスカレートさせないコミュニケーションの方法の紹介)の三部作となる予定である。なお、製作陣と絵コンテ、人形アニメは以下のとおりである。
【製 作】
(1)(2)…若手製作者(製作のブログ http://peace-animation.seesaa.net/)
(3)……虫プロダクション
【「学校」絵コンテ】 【「桃太郎」人形アニメ】
三 私たちが生活していくなかで、もめごとや争いごとなど対立があるのは当たり前のことである。しかし、対立がエスカレートしないコミュニケーションの方法や、対立を建設的に解決する方法があるはずで、そのヒントを与える教材を作ることができれば・・・と、まさに今、製作陣はアニメ製作作業に取りかかっている。また、アニメのDVDだけではなく、その映像を正しくわかりやすく伝えるために、教員や保護者向けの本も製作し、あわせて普及する予定である。
押し売りで申し訳ないが、今回のアニメは、人間関係をより良い状態にするスキルを知る一つの契機となり、学校や会社などで円滑な人間関係を築き、心豊かに安心して暮らせる社会の創造の一助になるものと期待している。高部さんによると、これらの知識を得ることは、集団や国家間の紛争を非暴力に解決することにも繋がると確信しているとのことである。そうした強い思いで、採算もつかない状況の中走り出し、着々と企画を進める高部さんに、私は純粋に敬意を払う。そして可能な限りの協力をさせていただきたいと思う。
四 アニメのDVDとブックレットは、本年一一月に完成予定である。前述のとおり、アニメは、若手製作者のボランティアと虫プロダクションの協力で製作しており、総製作費は一〇〇〇万円(出版経費・広告費含む)を予定している。現在、その資金の捻出のため、一口一万円で製作協力者を募っており、完成時に一口につき上映権付きDVD及びブックレットを一セットお渡しする予定となっている。
つきましては、本企画の成功のため、より多くの方々に製作協力者となっていただきたく、お願いをさせていただきます。
(【振替口座 〇〇九五〇―四―三〇四七六九
平和教育アニメプロジェクト関西】)
お問い合わせや申込み用紙の送付要請は、末尾の連絡先にお願いいたします)。最後になりましたが、本アニメーションプロジェクト企画の呼びかけ人と連絡先を下記に挙げておきます。ご協力のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【呼びかけ人(五〇音順)】
淺川和也(平和教育地球キャンペーン)/いとうたけひこ(和光大学)/安斎育郎(国際平和ミュージアム 名誉館長)/大久保賢一(日本反核法律家協会事務局長)/奥本京子(トランセンド研究会会長 )/ロレタ・カストロ(フィリピンミリアム大学平和教育センター長) /ヨハン・ガルトゥング(トランセンド国際ネットワーク代表)/茂垣達也(生協職員)/杉井静子(弁護士)/竹内久顕(東京女子大学・平和教育学研究会世話人代表)/田中圭子(NPO法人 日本メディエーションセンター 代表理事)/新倉修(日本国際法律家協会会長)/西口元(早稲田大学法学部講師)/長谷邦彦(元毎日新聞記者)/堀尾輝久(子どもの文化研究所理事)/松井ケティ(清泉女子大学・武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)/室井美稚子(清泉女学院大学)/吉岡達也(ピースボート)/ベティーリアドン(コロンビア大学ティチャーズカレッジ平和教育センター名誉センター長)
【連絡先】
平和教育アニメーションプロジェクト
〒一五〇―〇〇〇一 東京都渋谷区神宮前二―二―三九―三一三
電話&FAX 〇三―三四〇三―一九〇二
Male: peacevideonet@yahoo.co.jp
HP: http://www.peacevideo.net/
事務局次長 斉 藤 耕 平
弁護士による生活困窮者の生活保護申請同行は、弁護士の業務の一形態として安定を見た感がありますが、私たちが日常業務として申請同行に携わるにあたって、生活困窮者が受給決定を受ける際の大きな壁のひとつが自動車の保有であることは、皆さまご承知のとおりです。
申請者が自動車を保有していないことは、法律上申請そのものや受給決定の要件とはされていないにもかかわらず、実務上、生活保護受給者は自動車を保有できないことが原則とされ、例外的ケースとしてごく稀に自動車の保有を認めるという運用が定着しています。その理由として、建前上、自動車税や駐車場費用、燃料費等の維持費、自動車保険料、交通事故に伴う損害賠償のおそれなど、車両を保有していない場合に比べて支出が大きくなる蓋然性が高いことなどが指摘されます。もっとも、支出の増大がそれほど見込まれないような場合でも一律に自動車の保有を認めないことも多く、その背後には、「生活保護を受けているような者が、一般の人々と同じように自動車を保有するなど、到底許されない」という歪んだ認識、主義主張があるように思えてなりません。
地方によって程度の差こそあれ、自動車の有無が、就職活動や通勤等、その人の生活基盤の確保に大きな影響を与えていることは、私たちの経験上容易に想像することができます。公共交通機関が必ずしも十分でなく、生活する上で自動車の利用が必然とされる地域では、自動車は文字どおり生活の足として必要不可欠であると言わざるをえません。しかしながら、現状では、生活保護費の支給を受けるために自動車の保有を諦めざるを得ず、それによって定職の確保に支障を来たし、結果として生活保護受給者の生活再建がかえって困難になるという悪循環が生じているケースも少なくありません。
不幸なことに、もともと「クルマ社会」であった東北地域で震災・原発事故が発生し、高齢者を含む多くの人々が避難を余儀なくされました。避難所や仮設住宅で生活する被災者にとって、自動車はまさに生活再建の命綱、原動力であり、それがなければ日用品の調達すらままならないはずであるにもかかわらず、現実には、生活保護の支給が難航しているなどの報道がなされているのが実情です。生活の基盤が再建できないばかりに、仮設住宅に入居ができるのに敢えて避難所での生活を選択している人々も現に存在しています。
貧困問題委員会は、このような現状を打破すべく、行政に対し、自動車保有を事実上認めない現在の生活保護行政の運用緩和を要請する活動を展開していく方針を決定しました。その端緒として、被災した東北各県を対象に、生活保護行政において広く自動車の保有を認めることを求める運動を展開する予定です。要請を実効性あるものにするためには、現在の生活保護受給者の現状を詳らかにし、具体性、迫真性を備えた内容とすることが重要です。
つきましては、全国の団員の皆さまに、生活保護受給者の生活の実態、とくに、自動車の有無による生活への影響、自動車の保有が認められたケース等について、広く情報提供をお願いする次第です。(1)居住地域、性別、年齢、世帯構成等受給者の属性、(2)自動車の保有が認められないことによる事実上の影響や問題点、(3)例外的に自動車の保有が認められたケースでは認められた具体的な理由(4)皆さまのご意見等、FAXなどで是非とも情報をお寄せください。
〔埼玉東部法律事務所斉藤宛(FAX〇四八-九六五-二六二七)
または団本部(FAX〇三-三八一四-二六二三)まで〕。
生活保護制度は、受給者の生活を支えるとともに、将来の生活再建に向けて受給者に希望を与えるものであるべきです。決して、落伍者とラベリングしたり、生活再建を阻害する制度であってはなりません。骨太な活動が求められる分野であると考えておりますので、全国の団員の皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。
労 働 問 題 委 員 会
三月一一日発生した東日本大震災から三か月余がたちました。厚生労働省は、五月三一日、「二〇一一年四月から七月までに実施済みまたは実施予定の非正規労働者の雇止めは全国で三九事業所、三一八一人になると発表しています。宮城県多賀城市では、雇止めを通告されたソニー仙台テクノロジーセンターの期間社員二二人が、労働組合に加入し、雇止め撤回・雇用継続を求めるたたかいに立ち上がっています。
二〇〇八年秋のリーマン・ショックの時のように、再び派遣工切り・期間工切りの嵐が吹き荒れようとしています。いま、東日本大震災を口実にした便乗解雇・雇止めに反対し、雇用確保のたたかいを旺盛に進める時です。
自由法曹団は、東日本大震災の被災者救援と住民本位の復興の活動の一環として、全労連、労働法制中央連絡会ともに、七月一三日、JR新宿駅西口で、「街頭労働・生活相談会」を持つことにしました。この相談会では、労働・生活相談とあわせて、労働者派遣法の抜本改正と有期労働契約法制の規制強化も訴えます。
関東近県を中心に多数の団員・事務局の皆さまが参加されることを呼びかけます。
東日本大震災・被災者救援と住民本位の復興のために
七・一三「街頭労働・生活相談会」
○日 時:二〇一一年七月一三日(水)午後五時〜七時
○場 所:JR新宿駅西口
○内 容:休業、解雇、雇止め等についての労働相談
被災生活の中で発生する問題についての生活相談
○主 催:自由法曹団・全労連・労働法制中央連絡会
(終了後、全労連等と一緒に懇談会を持ち、今後の活動について意見交換をします。)